カラオケ万歳!

はじめに

上の写真は、私の最近の歌仲間と楽しく歌っている様子を写した写真です。写っている仲間以外に、退職後、兵庫県の実家に帰って年に1~2度しか会えなくなった仲間の一人がいます

この黒いバーはメディアプレーヤーですをクリックすると音楽が流れ、また同じ場所をクリックすれば途中で止められます。ここでは「旅愁」が入っています。この旅愁という歌はネット情報によれば、原曲は米国の John P. Ordway による“Dreaming of Home and Mother”(家と母を夢見て)という楽曲で、日本で当時唯一の音楽の学校であった東京音楽学校出身の犬童球渓が1907年(日露戦争が終わって2年目)に、この楽曲を日本語に訳した翻訳唱歌です。同年、「中等教育唱歌集」で取り上げられて以来、日本人に広く親しまれてきたこの歌は、2007年(つまり歌われ始めて100年)に日本の歌百選の1曲に選ばれています。歌の命は永遠ということでしょうか、私は小学校時代にこの曲を教わりましたが、今でも私の「心の歌」の一つです
以下、沢山の曲が挿入されていますが、お好きな方だけ挿入曲を聴きながら読んでください

以下、「音楽」という括りで語るような、大それたことをする積りはなく、カラオケ好きの老人の大風呂敷ということでお許し願えれば幸いです!

わが人生の歌がたり
五木寛之「わが人生の歌がたり
五木寛之「わが人生の歌がたり

上の写真は、私の好きな作家の一人である五木寛之が、「月刊ラジオ深夜便」で2005年8月号~2007年1月号まで執筆したものを纏めたもので、同シリーズ三部作の第一部です。九州の貧しい農家で生まれ、教師であった父母と一緒に朝鮮に渡って少年時代(愛国少年!)を過ごし、悲惨な引揚体験(母の死)を経て、東京での苦学(早稲田大学)時代までの間、記憶に残る歌をキーにして自身の人生と世相を綴ったエッセーです
彼の人生は、満州生まれの私の人生に重なる部分が多いために彼の作品に心が引かれるのかもしれません。以下は、私がこの本を読みながら勝手に妄想!した内容です

わが人生の歌がたり_歌のリスト
わが人生の歌がたり_歌のリスト

第一章 はじめて聴いた歌;
五木寛之が初めて聴いた歌は、遠い記憶の底にある朝鮮の民謡と日本人がいない朝鮮の地で教員として奮闘していた父母の歌だったそうです
寂しい」、「わびしい」、「悲しい」というネガティブなフレーズが沢山出てくる「影を慕いて」が大ヒットしたのは1932年のことですが、

この年は3年前の米国発の大恐慌(暗黒の木曜日)が日本にも波及して、日本は大不況の真っ只中にありました。また、1931年には東北地方・北海道地方が冷害により大凶作にみまわれました。この結果、上野駅には東北の農村から身売りしてくる娘さんたちが列をなして降りてくるような悲惨な時代でした。こうした大衆の苦しみに刺激されて海軍将校を中心とした五・一五事件などテロ事件が相次ぎ、大正デモクラシーという古き良き時代が終わって退廃的な雰囲気が漂う時代でもありました。私が一年に一度はカラオケで歌う「侍ニッポン」は、

郡司次郎正が1931年に、この時代を幕末の退廃的な世相に映して描いた同名の大衆小説を題材にしたものです

第二章 戦時下の流行歌;
1931年柳条湖事件を発端として満州事変がはじまり、1932年には日本の傀儡政権である満州国が成立しました。1937年の盧溝橋事件から日中戦争(日華事変)が始まり、更に1941年には太平洋戦争が始まり、1945年の敗戦に至るまで15年間も日本は戦争に明け暮れていました
この戦時下にあって、軍主導の勇ましい軍歌が流行る中で、苦しい戦争を戦っていた兵卒は、望郷の想い祖国に残した家族・兄弟への想い傷ついた、あるいは戦死した戦友への想い異国の丘の歌詞)を好んで歌ったといいます

湖畔の宿_カラオケ
湖畔の宿_カラオケ

上の写真はカラオケの「湖畔の宿」の最初の場面です。この歌は、その物悲しい旋律、歌詞で軍から発禁処分を受けたものの、高峰三枝子さんが特攻隊の慰問に行くと、いつもこの歌をリクエストされ、隊員は涙を流しながら聞き入っていたそうです

戦時中に大ヒットした「麦と兵隊」は、奉天(現在の瀋陽)で満州航空に勤めていた父が好きだった歌のようで、私の小学校時代、父が風呂に入るとよく歌っていたのを思い出します

第三章 極限の悲しみの歌;

玉音放送」には、戦時中の体験から十人十色の感慨があると思いますが、戦争直後の激動期に想いを馳せるには必須のものと思いましたので、この音源をいれました。神谷町に勤務していた頃、月一度くらいは昼休みに愛宕山のNHK博物館に行き、この玉音放送や当時流行の歌を聞いていました。五木寛之は本書の中で「人は悲しい時に明るい歌で元気付けられるというよりは、“わかるよ、おれもそうなんだよ。本当に生きていることは大変だね”という言葉の方に心は支えられる」と書いていますがサーカスの唄」もそんな歌だったのでしょう

直接敵と殺し合う軍人にとっても戦争は悲惨であり、特攻隊の悲劇も沢山ありましたが、戦争の本当の被害者は普通一般の人々であり、彼らは戦争が終わった瞬間から、生き残るため、祖国に帰るための戦争が始まったと本書に書かれています。この泣きたくなるような理不尽な運命の渦中にあって心に響いた歌が「雨に咲く花」でした

この体験は朝鮮からの引揚者だけでなく、満州から引き揚げてきた私たちの家族、親戚も同じ状況でした(生い立ちの記(生誕・抑留・引揚・困窮生活)母方親族の戦争体験

第四章 脱出を支えた歌;
五木寛之の家族は平壌に住んでいた為、ソ連軍の占領下となり終戦になってもすぐには帰国が叶いませんでした。この間に母親が亡くなり、父親も茫然自失の状態で中学生の彼が一家を支えていました。この間に大人に混じってやけくその酒盛りで一緒に歌って覚えた歌が「国境の町」でした

漸く帰国が叶い引揚船の中で船員たちが歌ってくれたのが「リンゴの唄」、内地を目の前にして不安でいるときに「こういう明るい世界がまっているんだよ」と不安を吹き払ってくれた応援歌のようだったそうです

第五章 貧しい日本で生まれた歌;
戦争は終わったものの経済はどん底の状態で、全ての人が貧しかったと言えますが、中でも女性には大変厳しい時代でした。戦争未亡人や普通の娘さんが、生活の為にしかたなく街に立って客を引くことも珍しくなかった時代でした。私たち家族と同じ旧満州の奉天(今の瀋陽)から引き揚げてきた22歳の看護婦さんが、不運が続くなかで上野の地下道で暮らすようになり、生きていくためにやむを得ず身を売ることになった、という新聞記事に、作詞家の清水みのるさんが衝撃を受け書いたのが「星の流れに」という歌です

この歌の中にでてくる「こんな女に誰がした」という歌詞が有名で、映画「肉体の門」の中で歌われて大ヒットしました
また、引揚者は、どこか外地の香りがするエキゾティックな歌に、かつて見た朝鮮や満州、上海疎開地の風景を連想して、心惹かれたようです。そういう背景があってディックミネが歌った「夜霧のブルース」は大ヒットしました

昭和20年代から30年代にかけてNHKラジオ第一放送がラジオ歌謡というオリジナルな歌を放送しました。その中からヒット曲が出て、時代を映し出す歌の数々が生まれました。中でも長く歌い続けられている歌に「さくら貝の歌」があります

第六章 東京の苦学生の歌;
五木寛之は、高校卒業後ロシア文学を学びたくて早稲田大学を受験、合格したあと最初の難関は入学金と前期授業料合わせて6万7千円の納入でした。何とか父親が恩給証紙を抵当に入れて工面しても貰ったものの、住む場所がなく、取り敢えず近くの穴八幡という神社の床下に野宿しました。その後、学徒援護会の斡旋で住み込みのアルバイト(業界新聞の配達)の職を得て働きながら勉学に励むことが出来るようになりました。当時の早稲田大学では、地方の貧乏学生が集まり、大学の裏には角帽をかぶった学生が靴磨きをしており、一般の人の他に、教職員や金持ちの学生が靴を磨かせていました
その頃は町のどこからも音楽が聞こえてくる時代で、特に印象的な歌は、美空ひばりの「リンゴ追分」でした

この時代、学生にとってはデモが日常生活の一部になっていました。GHQの占領が終わった1952年のメーデーの日(5月1日)に血のメーデー事件と呼ばれる激しい騒乱事件が発生しました。また翌年には、石川県の内灘砂丘の米軍試射場に反対する「内灘事件」が発生し、ここに住民だけでなく、各地の労働組合学生音楽や演劇の人も参加する闘争に発展しました。これはその後長く続いた基地反対闘争のきっかけなりました

内灘事件
内灘事件

この頃を象徴する歌としては「君の名は」があります。この時代。数寄屋橋はまだ本当に水に流れの上に掛かっていました

この歌は菊田一夫が書いた脚本の代表作で、1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得しました。ただ、この歌の最初の部分に空襲警報が挿入されていることでも分かるように、最初の半年間は人々の戦争体験を主題に描いていたため、あまり人気は出ませんでした。その後、真知子と春樹の恋愛のドラマに変わっていくと爆発的な人気を呼び、「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったといいます
残念なことに、現代の若者たちにとっては、2016年8月に公開された新海誠監督の同名のアニメ映画(菊田一夫のドラマとは全く関係ありません)の方が圧倒的に有名です!

その後、五木寛之は学費が払えず大学を中退し、作詞家及び小説家として生計を立てることになりますが、ネットで調べると作詞して販売された歌は数十曲に及び、中でも自身の小説のために作詞を担当した「愛の水中花」、「織枝の唄(青春の門)」、「青年は荒野をめざす」が大ヒットしました

私の人生の歌がたり

私も、大胆過ぎるとは思いますが、五木寛之に倣って自分の人生の歌がたりを試みてみたくなりました。別に歌が上手い訳でもなく、音楽の造詣が深い訳でもないのですが、一時期をのぞいて歌は私の人生にとって非常に大切なものであったことは確かです
1.小学生時代;
五木寛之の歌がたり第六章が1952年で終わっていますが、私の小学生時代はこの1952年、米軍の占領が終わった時に始まっています。就学前の音楽や歌の記憶は全くないので丁度いいタイミングなのかもしれません

私の小学校時代の音楽の授業は大変楽しいものでした。何しろオルガンで伴奏をしてくれる先生のもとで、大きな声を出して歌っていればいいのですから楽しい訳です。ちょうどこの時代は、親も学校の先生もみな反戦の意識が高く、自分より不幸な人達に対する同情の念が強かったせいだと思いますが「とんがり帽子」の少年少女の元気な歌声が心に残っています

この歌は、1947年~1950年までNHKラジオで放送されたラジオドラマ「鐘の鳴る丘」で使われていました。空襲により家も親も失った戦災孤児たちが街にあふれていた時代、復員してきた主人公が孤児たちと知り合い、やがて信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描いています
また、戦後生まれの童謡の中では最もヒットした「みかんの花咲く丘」も戦災孤児を扱った曲と思われます

三番の歌詞の最後に、丘の上に登って遠くの島を見ながら「優しい母さん思われる」という部分ではいつも涙がでてしまいます。恐らく、心臓弁膜症を患いながら私を背負って満州からの長い長い引揚の道のりを歩いた私の母の面影を思い出してしまうからかもしれません

今では、どこの小学校でも校歌がありますが、私の通った小学校では六年生の時に初めて校歌ができました。今回ネットで探したところ、何と見つけ出すことが出来ました。ただ、歌詞がちょっと変えられていたのには吃驚しました

この校歌が秋の運動会の始まる前にお披露目された時、私が作詞者、作曲者にたいして生徒を代表して感謝の言葉を述べました。兄と違ってヤンチャだった私は、小学校時代これが唯一の晴れの舞台だったので、父が写真を撮ってくれた様です;

運動会_校歌発表会
運動会_校歌発表会

2.中学生時代;
私が通った学芸大学付属小金井中学校では、大原某という先進的な音楽の授業?を行う先生がいました。この中学の校歌は確かこの先生が作曲したと記憶しています。ネットで探し出すのに苦労したものの何とか見つけ出すことが出来ましたが、3番まである歌詞のうち一番だけしか入っていませんでした

楽しみにしていた最初の音楽の時間で戸惑ったことは、歌を歌詞で歌わず、階名(ドレミ、、)で歌わされたことでした。私の出身の町立小学校でそんな教育は一切受けておらず、楽譜を見ても曲に合わせたスピードでは階名を読めませんでした。さらに翌週の授業では皆の前で暗記した階名で歌わされるという地獄が待っていました。お陰で?今でも中学校で学んだ歌は全て階名で歌うことができます
また、当時の中学としては珍しかったと思いますが、一クラス全員分のオルガンが音楽室に用意されており、教科書としてメトードローズピアノ教則本が与えられて自習を強要!されました。ピアノを小さい頃から習っていた裕福な生徒や、音楽の才能があってすぐ上達する生徒が多かったなかで、才能が無い上に貧しかった私の家にはピアノやオルガンの類はないので練習ができず、また小学校時代に彫刻刀で手のひらを切り、左手の小指が自由に動かなかった私にとって、毎学期末に行われる全員の前でピアノを弾くテストは正に地獄でした。そんな訳で、この時期に生涯癒すことのできない音楽に対するコンプレックスが定着してしまいました

ただ、兄は高校時代の音楽教育が良かったせいか、クラッシック音楽が好きでレコードを買ってよく聞いていました。その時に影響を受けたのだと思いますが、ベートーベンやその時代の音楽家の音楽には、何の造詣もありませんが、未だに聞くのは大好きです

その頃、日本航空が初めてジェット機を導入するにあたって、父がエンジン整備の勉強をするためにアメリカに長期間出張しました。その時の土産に、当時珍しかったゼニス社製の5球スーパーラジオ(5つの真空管を使ったSuperheterodyne 方式のラジオ受信機で雑音が少ない;済みません!この頃の私は既に“電気少年”だったので電気製品については細部に拘ります)を買ってきてくれ、毎日これでラジオを聴きながら夕食を取っていました。この頃のNHKラジオドラマの「一丁目一番地(1957年~1964年)」のテーマ曲をネットで見つけだしました。聴いてみると、その頃の自宅の夕食風景や隣近所の人たちの顔が鮮やかに蘇ってきました

3.高校時代;
高校に入ってまず驚いたことは、フォークダンスが必修?であると言うことです。男女が手を繋いでダンスをするなどは生まれて初めての事だったので、胸が高鳴ったのを思い出します。まず覚えるのは最もポピュラーな「コロブチカ」です

高校では音楽は必修科目ではなく選択科目になっていました。と言っても、他の選択肢は美術だったので、【美術のコンプレックス】>【音楽のコンプレックス】ということで、音楽をいやいやながら選択しました。
音楽の先生が最初に登場した時は、余りのカッコよさに魂消ました。何といってもイケメンの上に二期会の現役の歌手です。この先生に最初に教わった歌は「いつかある日」でした

この歌のメロディーは実に単純です。しかしこの歌の歌詞は、私にとって心打つものでした。ひょっとして歌は歌詞が“主”で、メロディーは“従”なんではないか、そんな些細なことから歌うことに対するコンプレックスは多少和らいでいった様な気がします

今回このブログを書いている最中に昔の音楽の教科書が懐かしくなり、探し始めました。小学校、中学の教科書は見つからなかったものの、ボロボロになった高校の教科書を見つけ出しました(表紙なし)。老化している紙が破れないようにページをめくっていくと、わら半紙にガリ版刷りの校歌の楽譜が出てきました。たしかこれも練習した様な気がします

高校音楽教科書の1ページ目とガリ版刷りの「校歌」
高校音楽教科書の1ページ目とガリ版刷りの「校歌

また、苦労して歌えるようになった「海に来れ」のページでは、上手く歌えない部分を自宅で必死に練習したことを懐かしく思い出しました

海に来れ
海に来れ

歌を歌うのが少し好きになったところで、当時流行っていたギターを弾ければ好きな歌を弾き語りできるな、と一念発起し、親に安いギターを買ってもらいました。左手の小指が使えないので、弦を逆に張り替え、右手でフレットを押さえることにして練習を始めましたが、数か月の練習で投げ出してしまいました。またしても楽器コンプレックス悪化させるだけに終わりました

音楽を選択したグループは、上級生の卒業式で「ハレルヤ」を歌うことになっていました。これは本格的なクラシック音楽なのでそう簡単にはマスターできません。また、音楽を選択した“沢山の男”は大半がバスかバリトンのパートしか声が出せず、テノールとソプラノは音楽の“手練れ”が少人数で担当していました。特にソプラノは卒業後芸大を出てプロの歌手となった女性一人が頑張っていて、ソプラノの音量に負けてしまう大勢のバス、バリトンに対して「もっと声を出して、、」と先生に言われ続けたことを思い出しました。数ヶ月の練習を経て、なんとか卒業式で歌うことができました

このハレルヤという合唱曲は、ヘンデル作曲のオラトリオ「メサイア」の44番です。音楽を選択した私の友人の中で、才能に恵まれた人たちは「メサイア」全曲を歌いたいと、ほぼ老年!になってから本格的な練習を始め、数年前に目出度く公演を行いました、大したもんです!

4.大学時代;
一年浪人した後、大学に行きましたが、浪人中は、オールナイト・ニッポンなどの深夜放送を聞きながらの勉強でした。1坪を半分に区切って妹と勉強部屋をシェアしていましたが、そこに自作の真空管アンプとリンゴ箱を使って作ったスピーカーを持ち込んで、流行り始めたビートルズの「 I Should Have Known Better」などを聞いていました

目出度く入学した後、バレーボール部に入部しましたが、ここで最初の洗礼はコンパ(今の飲み会)で歌う「ああ玉杯に花受けて

と、試合の応援などで使われる応援歌「ただ一つ」の練習です

これらの歌はいずれもアカペラで大声で歌わねばなりませんので、高校時代に学んだ歌唱法?とは全く別物です
大学に入ってから最初にやることは、ダンス部が主催するダンス講習会に通ってダンスパーティーに必要な、ジルバ、ワルツ、ルンバ、他、を覚えることです。当時、男性主体の大学や、女子大学の学生は、ダンスパーティーを通じて異性の友達を作ることが、ごく自然に行われていました。この頃のダンスパーティーではスイングジャズがよくかかっていましたが、私はビリーボーン楽団の「波路はるかに」が大好きでした

60年安保が終わっても、左翼の活動家の人々は、どうにかして若者を仲間に加えたいと思っており、一方、地方から出てきた真面目な若者は、人との繋がりの少ない都会生活で疎外感を感じる人も多くいました。こうした状況下で店に来た皆が歌の上手いリーダーと一緒に歌う歌声喫茶がはやり、東京の繁華街には当時沢山の歌声喫茶がありました。ここで歌われる歌は外国の民謡、学校で習ってきた唱歌、左翼の人が好む反戦歌、スタンダードとなった歌謡曲などでした。私たち学生も、コンパが終わった後、時折こうした歌声喫茶に寄って何曲も何曲も歌い続けたことを思い出します

また我々の世代は、親はもとより、教えを受けた教員の大半が戦争の惨禍を経験しており、社会や家庭内には反戦の気分が横溢していました。私の様ないい加減な学生でも朝日ジャーナルの購読は当たり前であり、ベトナム戦争には学生は概ね全員が反対していました。ベ平連もこうした政情の中で登場致しました
東大では1968年1月、医学部の学生がインターン制度に代わる登録医制度に反対して無期限ストに突入しました。その後、6月には東大全共闘が結成されると共に各学部、学科単位でバリケード封鎖が連鎖的に行われてゆきました。他大学の全共闘との連携、政治デモへの参加の過程で歌われた歌は、正に革命の歌でした。今でも、当時の高揚した気分の中で屡々歌われた「インターナショナル」、「国際学連の歌」、「ワルシャワ労働者の歌」を聴くと何故か気持ちが自然に高ぶります

この三つの歌をお聞きになるだけでも感じられると思いますが(実際に大勢で歌ってみるともっと迫力がでます)、革命歌というのは人を酔わせて死をも恐れぬ勇気を生み出す効果を狙っています
戦時中の日本の軍歌もそういう効果を狙っていたと思いますが、ネット上で30曲程の日本の軍歌を聞き比べてみたところ、上記革命歌3曲が「侵略者に対する反撃」がテーマであり極めて本能的で好戦的であるのに対し、日本の軍歌は、「天皇や国に対する忠誠」、「“八紘一宇”という作られた正義への挑戦」、「戦友への想い」などがテーマとなっており、敢えて言えば理想主義的で抒情的であるような気がします。これは国が発展登場にあった明治期の武士道が底流にあったのかもしれません

5.サラリーマン時代~現在;
1971年に大学院・修士課程を卒業して日本航空のサラリーマンになりました。DC-8型機の導入で後れを取り、太平洋路線のシェアを米国の航空会社に奪われて苦しんだ経験を活かし、1969年に初飛行したばかりの超大型機B747型機の導入を積極的に行った結果、1971年は本格的な海外旅行時代の幕開けの年となりました
折しも1967年、日本航空がスポンサーとなってFM東海で始まった深夜放送の「ジェットストリーム」は1970年からエフエム東京に引き継がれ、城達也の魅力的な声は、バックに流れる「Mr.Lonely」の甘い調べと相俟って多くの若い人に愛され、後の海外旅行ブームに繋がった様に思います

1978年には、国際線を全面的に成田空港に移転するという大事業があり、その一環で羽田に集約されていた整備基地を、成田と羽田に分割するプロジェクトを私が担当することとなりました。また、成田整備基地に於いては新しい勤務シフトを導入するというプロジェクトの担当にもなりました。歌どころではない忙しい日々が続きましたが、5月20日漸く開港の日を迎えることができました。その日から成田勤務が始まりましたが、未だ成田空港周辺は反対派の取り締まりの為に機動隊員が要所で検問を行っており、物々しい雰囲気でした。一方、成田駅周辺の繁華街の夜は寺町であるため閑散としていました。こうした中で我々単身赴任者が夜遊び!をするところは、畑の真ん中に散在する深夜スナックでした。必ずカラオケがあり、流行っていた歌の一つが「北国の春」でした

成田空港と自宅では130キロ程の距離がありますが、単身赴任とは言いながら、金曜日に自宅に帰って、月曜日早朝に自宅を出て出勤する、所謂「金帰月来」が可能でした。この長時間のドライブ中、当時流行っていた歌をテープやラジオでたっぷり楽しむことができました。その頃よく登場していた歌手は、ピンクレディーキャンディーズさだまさしアリス、、、でしょうか、中でもアリスの堀内孝雄が歌っていた「君のひとみは10000ボルト」は8ビートの難しい曲ですが、妙に記憶に残っています

1980年には、たのきんトリオ松田聖子中森明菜長渕剛、、、などの歌手が頑張っていましたが、バブル景気のさ中、松田聖子の初々しい「青いサンゴ礁」が大ヒットしていました

1980年代半ば以降は、日本航空にとっては歌どころではない辛い日々が続きました。勿論これは1985年8月12日の御巣鷹山墜落事故によるものです。1989年、社会の底辺ではバブル景気崩壊が忍び寄りつつ、何となく不穏な雰囲気が漂う時期にあたりますが、長渕剛の「トンボ」のヒットが強く印象に残っています。この歌詞に溢れる何ともやるせない鬱屈した気分が、若者の共感を呼んだのではないかと思います

1990年には、経営企画室に異動し、バブル景気の中で大量に購入契約を結んだB747-400を始めとする大型航空機のダウンサイジング(小さな飛行機に代替してゆくこと)するためにボーイング社と交渉していました。当時、日本航空の本社は旧東京ビルにあり、昼休みには東京駅周辺の多くの食事処でバラエティーに富んだ昼食を取っていましたが、なんと!時には昼休みのたった1時間4人で昼食を取りながらカラオケやったこともありました。東京ビルには車で通勤することはできず、運転しながらヒット曲を聴く機会が無くなったこともあり、10代~20代の人達が支えているヒット曲にはとんと疎くなっていました。ただ、当時日本航空のCMソングとなっていた米米CLUBの「浪漫飛行」は、時折カラオケで練習した記憶があります

一応 B737-400の導入でダウンサイジング計画完了のめどを付けた後、日本アジア航空台北支社勤務を命ぜられ、赴任しました。この時は完全な!単身赴任で、夜は夕食を取った後はカラオケスナックに入り浸る毎日でした。台湾では10年~20年前の日本の唄を別に何の違和感もなく歌うことが出来ました。中国語の歌は、テレサテンが歌っていて聞き覚えがあった「月亮代表我的心」と沖縄出身の歌手喜納昌吉の作詞・作曲によるヒット曲「」の替え歌である「花心」くらいで、中国語の発音が難しくあまり覚えることが出来ませんでした

台湾からの帰任後、私の経営企画室時代の最後の仕事であったB737-400の導入後、予想されていたことではありましたが、この航空機の投入路線が全て大幅な赤字になっていたことから、新しいLCCを設立してこの路線を黒字化させるプロジェクトを担当することになりました。1996年4月には社名をJAL Expressと命名し、この会社の実質的な本社を大阪(伊丹)として、同年7月には大阪=鹿児島、大阪=宮崎の2路線の運航を開始しました。2年半の大阪勤務を終えて、1998年には整備部門の効率化の為に整備カンパニー設立の為のプロジェクトを担当し、2000年4月に発足させることが出来ました。そんな訳でこの10年間は、偶にしか好きなカラオケができない忙しい毎日を過ごしました

2000年以降、成田、羽田での勤務を経て2002年には日本航空を退社、その後、某原子力関係の独法の監事や某大学の特任教授などを歴任した後、2016年以降は息子の会社の監査役という閑職のみとなり、ブログ発行や読書など、そこそこ充実した日々を送っています。そうした生活の中で、夕方、時間ができると後述する“一人カラオケ装置”を使って数十曲は歌い込み、冒頭の写真にあるカラオケ仲間との月一回の歌比べ!に備えています
尚、2000年以降、現在までの歌については新しすぎて“歌がたり”に馴染むような歌は少なく、また歌をキーにして振り返る私の歴史についても、取り立てて語る価値のあることもありませんので、割愛することにします

老人とカラオケ、その効用?

昨今、繁華街に限らず普通の町にもカラオケボックスがあります。日中空いている時間帯であれば1時間数百円の単位で利用でき、年金生活の老人が度々通っても経済的な負担は大したことはありません。現に私の様な老人が独りで利用する姿を見ることもも珍しくありません
現在のカラオケボックスは、通信カラオケといってネット経由で古い歌から最新の歌まで数えきれない程の歌が登録されており、老人が歌選びに困ることはありません。また、音程から音量、エコーの程度まで自分好みに合わせた細かい調整が可能になっています。以下に老人とカラオケ、その効用につて考察をしてみようと思います

1.カラオケで老人の健康を向上させる
老人が長生きをしたいという願望(周りの人がそれを望んでいるかどうかは疑問!?)を抱いていることは間違い無いことです。しかし、ただ生きていればいいという訳ではなく、健康で楽しい老後でなければ意味がありませんね
肉体的な健康を保つ;
肉体的な健康を保つためにジムに通う人が多くいますが、若いうちはジムで筋肉を鍛えることによって好きなスポーツが楽しくなるという意味で効用は大きいのですが、腰や膝を痛めた人にとって早く歩く程度まで回復させるのがせいぜいではないでしょうか。老人が充実した日常生活を送るために最も大事な臓器は心臓と肺であることは論を待ちません。心臓に疾患を抱えていたり、弱ってくれば強い運動は控えなければなりません。しかし、肺の機能はカラオケで十分に鍛え続けることが可能です。正しい発声法をマスター(私はボイストレーニングしているワイフに教わっています!)して歌うことによって肺の機能を強化することが可能です
また、自分でも最近実感していますが、口の奥を大きく開けて発声することで、喉周りの筋肉が鍛えられ、老人特有の嚥下障害によって食事の時にむせることが少なくなりました

② 精神的な健康を保つ;
会社を退職したあと一番大きな変化は、人とのコミュニケーションの機会が極端に減ることです。昔はリタイア後も、大家族制の中で子供や孫とのコミュニケーションが沢山ありましたし、またご近所づきあいが継続されることでコミュニケーションが一気に失われることはありませんでした。しかしサラリーマンが退職した場合、一気にコミュニケーションの機会が減るケースが多いようです。夫婦の会話を増やすことである程度のコミュニケーションを確保することは可能ですが、限界はあります。昨今、独居老人が殆ど会話の無い生活を続けている内に、誰にも知られずに孤独死するケースが時々報道されています
カラオケは独りで歌っていても会話と同じ効果が期待できます。自分が歌う(⇔話す)、自分の唄を聴く(⇔話を聴く)という行為は、正に脳細胞の機能から考えると、人とコミュニケーションを取っていることとあまり変わらないのではないでしょうか。勿論、冒頭の写真の様に仲間と一緒にカラオケをすればもっと効果が大きいことは確かです

2.カラオケで若々しい情操を維持、開発?する
カラオケには色々な歌が収められています。それぞれの歌を歌うことによって、歌の世界の中に自分を没入させていくことができます
① 歌いながら泣く;
歌詞の世界に入り込むと自然に涙が出てくる歌があります。私の場合、前節でも述べた様に「とんがり帽子」、「ミカンの花咲く丘」、「長崎の鐘」などは戦争の惨禍を想い必ず泣いてしまいます。また、子供に先立たれた親の悲しみが直に心を揺さぶる「七里ガ浜の哀歌」も途中から号泣してしまいます。勿論、みっともないので独りカラオケの時のみ歌います

② 歌いながら幼い頃の美しい心に帰る;
主に童謡や唱歌を歌っている時は童心に帰ることができます。私が好きな歌は、「美しき天然」、「里の秋」、「冬の星座」、「早春賦」、「冬景色」、などなど数限りなくあります
③ 歌いながら妄想に耽る;
純愛、悲恋、未練、など男女の恋愛に絡む歌はどうしても妄想に耽りながら歌うことになります。私がカラオケをご一緒している方々もこの種の歌が好きなようです。私が好きな歌は、「哀愁列車」、「悲しみ本線日本海」、「雨」、「夢の途中」、「愛人」、「昔の名前で出ています」、「みちずれ」、「恋歌綴り」、「エメラルドの伝説」、「リバーサイドホテル」、など沢山持ち歌がありますが、最近覚えた「抱擁」は若干いかがわしさが漂い、酔うとつい歌ってしまいます

④ 歌手の心情に心を寄せる;
ニューミュージック系の歌手の歌にも、屈折した複雑な心情が読み取れて好きな歌が沢山あります。「また君に恋してる」、「檸檬」、「無縁坂」、「悪女」、「竹とんぼ」、「何も言えなくて・・・夏」、「百万本のバラ」、中でもNHK朝ドラのテーマ曲になった「花束を君に」は、宇多田ヒカルが自殺した母(歌手の藤圭子)を偲び、何もできなかった自分を嘆く心情がヒシヒシと伝わってきます

絶唱して心の憂さを晴らす;
声を潰さない程度のできるだけ大きな声で歌うと憂さが晴れる歌は、当然のことながら絶唱型の歌手の歌った歌が対象になります。例えば私の場合、「五月のバラ」、「乾杯」、「Diamonds」、「涙をふいて」、「座・ロンリーハーツ親爺バンド」、「好きになった人」、「加賀の女」などが気持ちよく歌えます
⑥ 感動した映画やテレビドラマの挿入歌を歌ってストーリーや好きな俳優を思い出す;
映画が大好きで洋画を中心に若い頃よく見ましたが、自分で歌える歌はそれほど多くはありません。自分のカラオケのレパートリーに入れている易しい歌は、「Red River Valley」、「My Rifle、My Pony and Me」、「High Noon」、「ゴッドファーザー愛のテーマ」、「ロシアより愛をこめて」、など。日本のドラマでは「はぐれ刑事純情派」の挿入歌「かくれんぼ」が好きです。日本映画では、渡部恒彦と夏目雅子主演の映画「時代屋の女房」のバックに流れる「Again」が大好きです。主演の二人が亡くなってしまったこともあり、時々思い出しながらしみじみと歌っています

カラオケの裏にある文化

カラオケで歌われている歌は、宗教音楽やオペラのアリア、クラッシックの歌曲の様な難しい歌ではないために、軽く扱われがちですが、それぞれの民族が持っている文化が背景にあります。もう少し誇りをもって?歌うために少し調べてみました

1.カラオケの歌詞に隠された文化;
カラオケの歌詞の特徴を語る前に、幾つかの基礎知識をレビューしておきたいと思いますす。まず、
音節
発音の中心になる要素を一つの単位としたものです。「母音」あるいは「子音+母音」、「子音+母音+子音」といった組み合わせがあります。「っ」「ん」「-」はその前に来る文字とセットで現れるものなので、音節分けの際には独立して1音節となることはありません。因みに、「すっぱい」は、「すっ」「ぱ」「い」が正しい分け方であり、3音節の単語ということになります
詩の形式
① 定型詩とは:一定のリズムで改行する詩
② 自由詩とは:作者の気分で改行し、決まったリズムが無い詩
③ 散文詩とは:詩なのに改行しない

カラオケで歌われる歌の歌詞を分析すると、一般に、古い歌、童謡、唱歌、演歌、歌謡曲、などは定型詩が非常に多いことが分かります。一方、最近の歌唱力のある歌手が歌うポピュラーなどのジャンルの曲は自由詩が多いように思います。歌は一般に1番~X番まで繰り返すことが多いので、散文詩は多くないと思いますが、今流行りのヒップホップというリズムで歌うラップというジャンルは散文詩と言えるかもしれません。ただ、ラップは米国から輸入されたものだからでしょうか「韻を踏む」要素はある程度重視されるそうです(⇔かっこよく聞こえる or 訴求力がある

定型詩は古い時代から世界の各地に存在し、「韻を踏む」ことを一つのルールにして詩に一定のリズムを与えることが行われていました
A. 漢詩について;
私が台湾に駐在していた時、現地採用の台湾人の社員は、我々が高校時代にほんのちょっと学んだ漢詩を、実に美しく朗読するのに吃驚しました。これは漢詩のルールである規則的に韻を踏むことによってまるで歌うよう聞こえるせいだと思われます。例えば、杜甫の有名な五言律詩;
國破山河在 城春草木(sh-in)
感時花濺涙 恨別鳥驚(sh-in)
烽火連三月 家書抵萬(k-in)
白頭掻更短 渾欲不勝(sh-in)
この詩の場合、2句目、4句目、6句目、8句目で韻を踏んでいます。もともと、詩と歌とは不可分の関係にあったことが背景にあるのでは、と想像しています

B. 英詩について;
詳しい知識はありませんが、私が好きで、時々カラオケで歌っている「青春の光と影」の挿入歌「Both Sides Now」でも、韻を踏んでいる部分はとにかく心地よいのですぐに気が付きます
Rows and flows of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I’ve looked at clouds that way
But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things I would have done
But clouds got in my way
I’ve looked at clouds from both sides now
From up and down and still somehow
It’s cloud’s illusions I recall
I really don’t know clouds at all

日本の定型詩では万葉集の昔から「短歌」の形式として、5つの音節と7つの音節の組み合わせが使われています。これが平安時代末期の後白河上皇が愛した「今様」に引き継がれ、更に江戸時代の「連歌」、「俳句」に繋がっています。こうした伝統を踏まえたと思いますが、上田敏はカール・ブッセの詩を翻訳するにあたって以下の様に7・5調(7音節+5音節)を使っています(上田敏訳詩集「海潮音」から);
やまのあなたの 空遠く
幸い住むと 人の言ふ
ああ、われひとと尋めゆきて
涙さしぐみ かえりきぬ
やまのあなたの なお遠く
幸い住むと 人の言ふ
大変覚えやすく、リズムがいいと感じると思います

こうした観点から私の好きな歌を調べてみたところ、古い歌の多くは、7・5調、7・7調、5・7調の歌詞が非常に多いことが分かりました
完全な7・5調の歌詞:「緑の地平線」、「女心の唄」、「みちずれ」、「君は心の妻だから」、「美しき天然」、「椰子の実」、「夏の思い出」、「とんがり帽子」、「花」、「宵待ち草」、「もみじ」、「ミカンの花咲く丘」、「惜別の唄」、「人を恋うる歌」、「古城」、「武田節」、「あゝ新選組」、その他
完全な7・7調の歌詞:「異国の丘」、「ラバウル小唄」、「戦友」、「同期の桜」、「兄弟仁義」、「唐獅子牡丹」、「夜霧に第二国道」、
完全な5・7調の歌詞:「麦と兵隊」、「舟歌」、「潮来笠」、

ポピュラー音楽の分野では、上記とは別の規則的な音節数で繰り返し改行するタイプの歌詞と、全く規則的な繰り返しの無い自由詩のタイプが多いことが分かりました。老人にとって定型詩は比較的歌いやすいのですが、自由詩はやや歌うのが難しいのが本音だと思います。ただ自由詩でも歌詞が素晴らしいものはチャレンジしている人が多いと思います

2.カラオケのメロディーに隠された文化;
現在、我々が学校で学ぶ音階は、中世の西洋で発明?された、“ド”から1オクターブ上の“ド”まで12個の半音で区切る「12音階」と言われるものです。現在ピアノなど普通に使われる楽器は、この12音階が表現できるようになっています
しかし、日本でいえば沖縄の音楽がちょっと違うなと感じるのは、沖縄の伝統的な音楽が「ド、ミ、ファ、ソ、シ」の五つの音階のみが使われているためだと言うことです。また、スコットランド民謡は「ド、レ、ミ、ソ、ラ」の五つの音階で出来ているそうです。これらはペンタトニック・スケール(ペンタは5を意味します)と総称するそうです
この他に、日本の古い音楽には、「ラ、シ、ド、ミ、ファ」のマイナー・ペンタトニック・スケールが使われているそうです

こうした知識を豊富に持っている息子に、私の好きな歌の傾向を判定して貰ったところ、スコットランド民謡のマイナー版となる「ラ、ド、レ、ミ、ソ」というマイナー・ペンタトニック・スケールの歌が多いそうです。考えてみれば、私の好きな小学校唱歌は、明治期にスコットランド民謡や、アイルランド民謡から採ったものが多く腑に落ちる感じがします。尚、息子の話では、北アフリカや東アフリカの民族の伝統的な音楽もマイナー・ペンタトニック・スケールなのだそうです
スコットランド、アイルランド、ウェールズは英国と言ってもイングランド(ゲルマン系アングロサクソン人)に征服された国です。原住民はケルト人なので、日本人の音楽に対する感性は北アフリカ・東アフリカの民族、ケルト民族に近いのかもしれません。老人はこうした逸話が大好きです!

おまけ:自宅における一人カラオケセットの構築

カラオケボックスに通うだけではマスターできない難しい歌を練習する為と、ちょっとした時間を見つけてカラオケを楽しむために、以下の様なセットを準備し、主として YouTube で流布しているカラオケを見つけ出して歌っています。ただ、著作権の問題があるので、比較的新しい人気ミュージシャンのカラオケ版は、誰かが見つけ次第消去している様で、発見してもすぐに消えてしまいます。しかし、我々老人の好きな歌は90%以上がネットで発見できるはずです

YouTube-画面
YouTube-画面

YouTubeで発見して繰り返し歌いたい場合は、ご自身の使っているサイト閲覧ソフトの「ブックマーク」に登録しておけば、いつでも呼び出せます。またブックマークに登録した歌が多くなったら、上の写真の右側に表示されているようにフォルダーでブックマークした歌を整理しておけば便利です

カラオケ用4点セット
カラオケ用4点セット

YouTubeを閲覧するにはパソコンは必須です。それ以外は中古品を利用すれば数千円で調達可能です
パソコン以外の必要な機器類は;
① アンプ:持っている人が多いと思いますが、無くても中古屋ではピンキリですが、安いもので十分なので数千円で買えます
② ヘッドホン:同居している人、隣近所に迷惑を掛けないために必須アイテムです。中古品が非常に安く出回っています(高級品は不要)。アンプの“ヘッドホン出力”端子につなぐ
③ ラインミキサー必須アイテムです。これも中古品が非常に安く出回っています(高級品は不要)。“入力”端子にマイクとパソコンの音声出力を繋ぎ、“出力”端子をアンプの“AUX”端子に繋ぎます
④ カラオケ用エコー付きマイク(電池式):必須アイテム。これも中古品が非常に安く出回っています(高級品は不要)

存分にお楽しみください!

おわりに

全く音楽の才能に恵まれなかった私がこのブログを書くに当って、様々な疑問が発生しました。相談する相手は私の子供3人です。この子たちには、不思議なことに多少神の恵みがあったようで、長い間培った音楽の知識を披露してくれました。この子供達への感謝の気持ちを込めて3人の音楽の経歴と宣伝を少しさせて頂きます

長女については高校終了まで、とある合唱の団体に所属し、海外公演なども行っていました。現在ワイフが北欧の国々に人脈を持ち、エストニア関連の仕事(無給!)ができているのもそのお陰といえます。社会人になってからゴスペルの団体に所属して頑張っていましたが、子供ができてからちょっとお休みをしているようです
長男は、高校時代に相当ギターの練習をしていたようで、今でも長男が使っていた部屋には沢山の音楽関係の本と、ギターなどの楽器が何台も置いてあります。最近、映像関連の忙しい仕事の傍ら、自身が作詞・作曲・演奏(シンセサイザー)した曲「Kentaro Arai 1441」をリリースしました。このアルバムの中で、私が一番気に入っているのは「マグカップ」です

次男も高校時代に自宅のピアノで独学をしていた様で、私が海外駐在から帰任した時に、突如二階から「幻想即興曲」が流れてきた時は本当に吃驚しました。現在はIT関連事業を興して忙しい仕事をする傍ら、依頼があると作曲なども行っている様です。また土日には複数のバンド仲間と活動を行っています。昨年、神谷町の光明寺で、自身が中心のバンド(Saara Band)がいけばな作家の今井蒼泉氏と、ジョイントでライブ演奏を行ったものを YouTube にアップロードしてありますのでご興味のある方はご覧になってください。ただ非常に長い(40分以上)演奏です:「Saara Band × Sosen Imai live performance at Komyoji Temple

以上

乗員計画(パイロット、CA/客室乗務員)

はじめに

乗員計画とは、エアラインの事業計画の根幹をなす路線便数計画(どの路線に、どの型式の航空機を、どれだけの便数を飛ばすか、という計画)に基づき、パイロットや CA(Cabin Attendant/客室乗務員)の必要数を計算し、それを満たす人数を用意する計画ということができます

乗員計画は、経営側の立場に立てば、エアラインの貴重な人的資源であるパイロットや CA を、規制が要求する各種の制限事項を守りつつ、最も効率よく運航路線に配置することと言うことができます。一方、パイロットや CA の側の立場に立てば、自身の労働条件(労働時間、賃金等の収入、その他)の基本になる計画であるということもできます。また視点を変えて、乗員計画がパイロットや CA の労働密度に直接関係することから、それがひいては安全運航」にも関連することとも考えられ、経営者、パイロット、飛行機を利用されるお客様全てにとっても適切な計画を求められているという、エアラインビジネスにとって極めて重要な計画であると言えます

乗務割

乗務割については、前回発行のブログ「パイロットの養成」の中で、エアラインに乗務割の基準を定めることを法律で義務付けている(航空法第68条、及び航空法施行規則第214条)と書きました。実は、乗員計画の基礎となるルールの大切な部分は全てこの乗務割」の基準に含まれています。このルールは一般の人にはやや難解であると思われますので、以下にできるだけ分かり易くその説明を行いたいと思います

1.定義:勤務時間、乗務時間、他
パイロットや CA の業務は、一般の労働者と違って特殊な労働環境で働くため、以下の様な厳密な区分とその定義が定められています(以下、見出しの写真を見ながら読んでください);
① 勤務時間とは:乗務の為に出勤して業務が始まる時刻(例えばフライト前のブリーフィングが始まる時刻)から、業務が終了する時刻(例えばフライト後のデブリーフィングが終了する時刻)までの時間
② 乗務時間とは:ブロックアウト時刻(航空機がスポットを出る時刻/タイムテーブル上の出発時刻)からブロックイン時刻(航空機がスポットで停止する時刻/タイムテーブル上の到着時刻)までの時間
 就業時間:会社業務に従事する時間。上記の勤務時間には不測の事態に備えるため自宅で待機(スタンバイ)し、乗務に備える時間が含まれていません
④ 休養時間:全ての会社業務から開放される時間
⑤ 休養施設:自宅、ホテル、等
⑥ 仮眠設備乗務中交替で仰臥して休息が取れる設備(Crew Bunk、客室内の仕切られた客席、など)

B787_Crew Bunk(左:パイロット用;右:CA用)
B787_Crew Bunk(左:パイロット用;右:CA用)

⑦ 地上輸送時間:空港と予め指定された休養施設との間の輸送時間(実際にかかる時間でなく、別に定める時間)で、勤務時間、休養時間には含めない

2、パイロットの編成数と乗務割
大型旅客機に乗り組む乗務員は、長い間パイロット二人(機長と副操縦士)に加え、航空機関士(Flight Engineer)が乗り組んでいました。航空機関士は、エンジン状態の監視やその調整を行うこと、及び搭載している燃料のマネージメント(航空機の燃料は幾つかの燃料タンクに分けて搭載されており、これを原則として内側のタンクから消費していく必要があります)を行うことが主たる任務になっていました。ところが、1989年になって操縦室が大幅に近代化された(Glass Cockpit/操縦室内の計器が液晶画面に統一されたためにこの様に名付けられました)B747-400が登場し、航空機関士が行っていた任務の大半を二人のパイロットに分散させることが出来るようになりました。これ以降開発された大型旅客機はほぼ全てこの Glass Cockpit が装備されており、原則として二人のパイロットだけで運航が行われています。勿論、B747-400以前に開発されている旅客機も未だに運航されており、これらの航空機を区別する為に航空機関士が乗り組む必要のある航空機を「3MAN機」、航空機関士が乗り組む必要のない航空機を「2MAN機」と呼んでいます
① シングル編成;2MAN機/機長1名+副操縦士1名;3MAN機/機長1名+副操縦士1名+航空機関士1名

航空機の性能が向上するとともに、お客様にとっての利便性向上の観点から長距離路線においても中継地を経由しない直行路線が増えてきました。こうした長距離路線における長時間の勤務に対応する為に、乗務中の適切な休息が可能となるように以下の編成が設定されています
② マルチ編成:2MAN機/シングル編成+機長(又は副操縦士)1名;3MAN機/シングル編成+機長(又は副操縦士)1名+航空機関士1名
③ ダブル編成:2MAN機/シングル編成の倍;3MAN機/シングル編成の倍

<パイロットの乗務割基準
運航規程審査要領、および同細則に定められている具体的な審査基準は以下の通りです。各エアラインは運航規程に以下を下回る基準を設定することはできません
国内運航
① 連続する24時間の乗務時間が8時間を超えないこと。また乗務時間が8時間を越えた場合は、勤務終了後、乗務時間を勘案した適切な休養を与えること
1暦月100時間を超えないこと
3暦月270時間を超えないこと
1暦年1000時間を越えないこと
⑤ 連続する7日間のうち1暦日以上の休養を与えること

国際運航(国内運航と違って路線によっては時差があります)
編成により乗務時間の制限が異なります
 シングル編成:連続する24時間の乗務時間が12時間以下
㋺ マルチ編成:連続する24時間の乗務時間が12時間を超える場合。この場合、航空機内に適切な仮眠設備を設けること
㋩ ダブル編成基準はなく航空会社に任されている
乗務時間が上記制限時間を越えた場合は、勤務終了後、乗務時間を勘案した適切な休養を与えること
上記以外の乗務時間の制限は国内線の②~⑤と同じです

米国においても日本と同様の基準があります。詳しく知りたい方はをパイロットの務割に関わる米国の基準をご覧になってみて下さい。日本の基準に比べると詳細、且つ複雑な基準になっていますが、これは航空輸送に係る長い歴史及び ALPAと呼ばれる交渉力の強い産別組合の存在の故であると考えられます

3.CA の編成数と乗務割
CA の一番大切な任務は、非常時に於いてお客様を機外に安全に脱出させることです。これを受けて運航規程審査要領には、CA の編成数について以下のルールが定められています;
① 非常時の指揮統括者として「専任客室乗務員」の配置が必要
② 非常脱出時の誘導の為に必要とされる最低編成数は、旅客50名に対して1名以上の配置が必要

CAには、お客様に対する飲食のサービスを提供する任務もあります。サービスの程度によりますが;
③ 一般に短距離路線では上記①、②で決まる編成とし、長距離路線では、飲食のサービスの内容、回数、飛行途中での休憩の必要性、などを勘案して編成人数を増やします

CAの乗務割
運航規程審査要領には、CAの乗務割について以下が定められています;
乗務時間1暦月100時間を超えて予定しないこと(3歴月、1年の別の制限は無い)
休養時間連続する7日間のうち1暦日(外国においては連続する24時間)以上の休養を与えること

4.勤務協定
パイロットや CA は当然のことながら労働者であり、労働基準法で保障された以下の権利があります(詳しくは労働基準法の関連する条文を参照してください);
団結権の補償 ⇒ パイロットもCAも組合を作って労働条件について会社側と交渉する権利とストライキを行う権利が保障されています
労働条件の基準 ⇒ 労働時間(1日時間以内)、休日(1週間に1日以上)、時間外手当の支給、など

一方、パイロットや CA は、上述の通り、航空法により乗務時間の制限、休養時間の確保などが義務付けられています。従って、基本的には両方の基準を満たすように乗務割の基準を定め乗務計画を行うことになります
一般に LCC や立ち上げたばかりのエアラインは労働基準法と航空法の基準に近い厳しい乗務割で乗員計画を行いますが、歴史のある大手のエアラインは労使交渉の結果、これよりやや緩い乗務割基準で乗員計画を立てているのが実情であると考えられます
参考:勤務協定の例

乗員計画シミュレーション_前提条件

乗員計画がどの様に立てられているかを理解していただくために、パイロットと CA の乗員計画シミュレーションを行ってみたいと思います

シミュレーション行う際の順序としては、路線便数計画を決める乗務割基準を決める③便ごとに必要となる編成数から、その路線で必要となる乗員の組数を乗務割基準(勤務基準)を基に計算する、④路線毎に必要となる組数から余裕(パイロットの場合は機種別になります)があれば計算しておく、⑤技量審査(パイロットの6Month Check Flight、など)、非常救難訓練健康診断、などの実行可能性を確認する

1.国内線路線便数計画
JXエア(仮称)の国内線路線便数計画に基づく発着ダイヤを以下と致します(実はシミュレーションを行うために、大分前の、とある航空会社の発着時刻表を拝借しました)。尚、機種はB737-800とします;

JXエアの国内線ダイア
JXエアの国内線ダイヤ

上記の発着時刻表で空港名がアルファベット3文字で書かれていますが、具体的な空港名は空港コードをご覧になってください

この発着ダイアは、実は航空機の運用を行っているプロが以下の様なダイアグラムで検証した上で作成されることは、私のブログ航空機の運用をご覧になればお判りになることと思いますが、ここでは逆に発着時刻表から以下のダイヤグラムを作成してみました;

JXエアのダイアグラム
JXエアのダイアグラム

ここでパイロット、CA は羽田を基地として乗務し、交代は羽田で行うことを原則とすれば、航空機が羽田に帰って来るタイミングが分かるパターンが乗務計画を検討するのに便利なことがご理解いただけると思います

上記ダイヤグラムを、それぞれの路線を運航する航空機のパターンとして書き換えます(イメージとしては、私のブログ航空機の運用の列車番号でパターンを引き直すということと同じです)。例えば、上記のダイヤグラムを標準作業工程(DGT:航空機の運用を参照してください)を35分として、各空港に到着する便をDGTを守った上で最短時間で出発便に繋げると(下図参照:赤字で1機分のみ表示);

航空機の当て嵌め
航空機の当て嵌め

この作業を全てのダイヤグラムについて実施すると、この路線便数計画を実行するのに必要な全ての航空機のパターンが作成できます(下表参照)。下の航空機のパターンを見ると、この路線便数計画を運航するには19機必要となることも分かります。因みにこの図の最下段にある20機目は予備機として考えています。尚、予備機は乗員計画には関係ありませんが、その必要性について知りたい方は、私のブログ航空機の運用の整備関連の部分ををご覧になってください;

JXエアの航空機のパターン
JXエア国内線の航空機パターン

この機材パターンを使用して国内線のパイロット、CA の乗務計画を行うこととします

2.国際線路線便数計画
国際線路線便数計画に基づく発着時刻表(ブロックタイム、時差を含む)を以下とします(とある航空会社の発着時刻表から一部路線を拝借しました!);

JXエアの国際線ダイヤ
JXエアの国際線ダイヤ

路線に書かれているアルファベットの都市コードは;
TYO/東京、NYC/ニューヨーク、LAX/ロサンゼルス、HNL/ホノルル、BKK/バンコック、DLC/大連、SEL/ソウル
機種コードは以下の通りです;
773/B777-300;767/B767-300ER;772/B777-200、尚、B777-300と同-200とはパイロットの機種限定は同じです
UTCとは:協定世界時(Coordinated Universal Time)のことで、時差によらない時刻表示になるので、時差のある場所を行き来する国際線のブロックタイムなどを計算するときに便利です

これを、国内線の様に機材のパターンで表示すると;

JXエア国際線の航空機のパターン
JXエア国際線の航空機パターン

3.乗務割基準
JXエアの乗務割基準を以下の通りとします;
A. 乗務時間制限
①1暦月100時間を超えないこと
② 3暦月270時間を超えないこと(CAにはこの制限はありません)
③ 1暦年1000時間を越えないこと(CAにはこの制限はありません)
B. 編成による乗務時間の制限
シングル編成:連続する24時間の乗務時間が12時間を超えないこと。但し、国内線では原則1日に8時間を越えないこと
マルチ編成:連続する24時間の乗務時間が12時間を超える場合。この場合、航空機内に適切な仮眠設備を設けること
③ ダブル編成:基準を設けない

C. 休養時間の原則
連続の勤務の前の休養時間は、前の乗務時間により以下を予定する;
① 8時間以下の場合:6時間以上の休養
② 8時間を越え12時間以内の場合:12時間以上の休養
③ 12時間を越える場合:24時間以上の休養
D. 着陸回数の制限一連続の勤務で8回以内
E. 勤務時間の制限月間平均して週40時間を越えないこと

F_1. 勤務時間の開始
① 国内線:ブロックアウト時刻の1時間前
② 国際線:ブロックアウト時刻の1時間30分前
F_2. 勤務時間の終了時刻
① 国内線:ブロックイン時刻の1時間後
② 国際線:ブロックイン時刻の2時間後

G. 地上輸送時間の原則
① 勤務開始・終了の前後30分
② 地上輸送時間:空港と予め指定された休養施設との間の輸送時間(実輸送時間でなく、別に定める時間)で、勤務時間、休養時間には含めない

H. 所定の休日(常日勤者の土曜日、日曜日、祝日に相当します)
① 1週間に1日以上
② 1暦月8日以上
③ 1暦年119日以上
I. 有給休暇
① 年次有給休暇:20日
② 夏休:3日
③ 特別休暇:年間平均1日程度を想定

乗員計画シミュレーション_必要人員の計算

1.乗務員が乗務する路線毎に1組当たりの平均乗務時間、勤務時間を計算する

A.国内線の場合;
国内線の航空機パターン(下図)の右端にあるデータの意味は;
CNX:Connectionの略で、羽田空港以外の空港に到着し、翌日出発する場合の航空機の番号(左端の数字)を表しています
BT:Block Timeの略で、その航空機の一日の乗務時間の合計に相当します
FC:Flight Cicleの略で、その航空機の一日発着回数
まず、乗務時間の制限を勘案して航空機のパターンに、乗務員の交替する所に「」を入れてみると;

JXエアの航空機のパターン_乗員交代のタイミング入り
JXエアの航空機のパターン_乗員交代のタイミング()入り

上表で「」が入った航空機パターンのでは、その路線を別の乗員グループが乗務することを意味します。勿論一日のブロックタイム合計の時間(乗務時間)が短い場合(例えば9番の機材)は「」がありません。これは合計した乗務時間が乗務時間制限を超えないので一組の乗員グループで乗務を完結できるからです。こうして一日に全便を運航するのに必要となる乗員グループを表にまとめると(縦軸は航空機の番号と同じ);

乗務パターン毎の乗務時間・勤務時間_JXエアの航空機のパターン
乗務パターン毎の乗務時間勤務時間_JXエアの航空機のパターン

上表の左側の表の黄色で塗りつぶした部分が、一日で乗務しなければならない乗務の組の名称を表します。この国内線では、A~JJまでの36組が必要になることが分かります。尚、乗務員はいつも同じ乗務パターンを勤務するのではなく、月間、年間の乗務時間や勤務時間が均等となるよう最適な組合せを考えることになりますので、必要な組数を計算するときは平均値が重要な指標になります
上表の右側には乗務時間と勤務時間の合計欄が黄色で塗りつぶしてありますのでこれらの数値から以下の様に平均値を計算します;
合計値から全乗務時間は:104.3時間+75.8時間 =180.1時間/1日
これを一組当たりの平均では:108.1時間  ÷ 36組 = 5.0 時間/1組 
また、同様に全勤務時間は:189.3時間+127.9時間 = 317.3時間/1日
これを一組当たりの平均では 317.3時間  ÷ 36組 = 8.8時間/1組
ということになります

因みに、パイロット、CA の国内線36組の乗務パターンは下表の様になります(表の右側の欄には、基地である羽田空港以外の空港で1日の乗務が終わった場合、翌日はその空港からの乗務を行うこととなり、乗務を通じて基地に戻るまでの乗務パターンの繋がりが分かるようにしてあります);

パイロット、CAの国内線乗務パターン
パイロット、CAの国内線乗務パターン

B.国際線の場合
国際線の乗務パターンは発着時刻表を使って計画します。国際線の場合は乗務時間、勤務時間、休養時間、乗務編成、などのルールが複雑なので、分かり易い路線から説明致します。尚、1往復の乗務が完結する(次の往路便に乗務できる状態)までに要する日数を「x日パターン」と表記しています;
① 東京=ソウル線;

東京=ソウル線の基本乗務パターン
東京=ソウル線の基本乗務パターン

*1往復の乗務時間:4時間55分 ⇒ 4.9時間
* 乗務時間から ⇒ パイロットはシングル編成
*1往復の勤務時間:9時間25分 ⇒ 9.4時間
* 復路到着日から6時間以上の休養時間を取っても翌日から乗務が可能となるので ⇒ 1日パターン

② 東京=大連線;

東京=大連線の基本乗務パターン
東京=大連線の基本乗務パターン

*1往復の乗務時間:6時間10分 ⇒ 6.2時間
* 片道の乗務時間から ⇒ パイロットはシングル編成
*1往復の勤務時間:10時間50分 ⇒ 10.8時間
* 復路到着日から6時間以上の休養時間を取っても翌日から乗務が可能となるので ⇒ 日パターン

③ 東京=バンコック線;

東京=バンコック線の基本乗務パターン
東京=バンコック線の基本乗務パターン

*1往復の乗務時間:12時間50分 ⇒ 12.8時間
* 片道の乗務時間から ⇒ パイロットはシングル編成
*1往復の勤務時間:19時間50分 ⇒ 19.8時間 
* 復路到着日から12時間以上の休養時間を取っても3日目から乗務が可能となるので ⇒ 日パターン

④ 東京=ホノルル線;

東京=ホノルル線の基本乗務パターン
東京=ホノルル線の基本乗務パターン

*1往復の乗務時間:15時間55分 ⇒ 15.9時間
* 片道の乗務時間から ⇒ パイロットはマルチ編成 
*1往復の勤務時間:22時間55分 ⇒ 22.9時間 
* 復路到着日から12時間以上の休養時間を取っても4日目から乗務が可能となるので ⇒ 日パターン

⑤ 東京=ロサンゼルス線;

東京=ロサンゼルス線の基本乗務パターン
東京=ロサンゼルス線の基本乗務パターン

*1往復の乗務時間:21時間20分 ⇒ 21.3時間 
* 片道の乗務時間から ⇒ パイロットはシングル編成
*1往復の勤務時間:28時間20分 ⇒ 28.3時間 
* 復路到着日から12時間以上の休養時間を取っても4日目から乗務が可能となるので ⇒ 3日パターン

⑥ 東京=ニューヨーク線;

東京=ニューヨーク線の基本乗務パターン
東京=ニューヨーク線の基本乗務パターン

*1往復の乗務時間:27時間05分 ⇒ 27.1時間 
* 片道の乗務時間から ⇒ パイロットはシングル編成
*1往復の勤務時間:34時間05分 ⇒ 34.1時間 
* 復路到着日から24時間以上以上の休養時間が確保出来るので1往復で5日間がが必要 ⇒ 5日パターン

これらのパターンは分かり難いようですが、よく見るとパイロットの編成の種類は片道の乗務時間(ブロックタイム)が12時間を超えるか否かで決まり、休養時間(上表の“REST”)は乗務時間によって時間が変わります。また、往路到着した海外の空港から適切な休養を経て復路の乗務を行うこと、基地である東京に戻った後、適切な休養時間を取った上で次の便に乗務できる時刻が表示されていることが読み取れると思います

2.必要人員の計算
計算する際に必要となるルールを整理すると以下の様になります。尚、ここでパイロットや CA の生活が実感できるように月間単位のルールで統一することとします;

ルール_Ⅰ月平均日数30.4日 ⇔ 4年に一度「閏年」が有ることを勘案すると年間日数の平均は365.25日となります。これを12ヶ月で割った日数です 
ルール_Ⅱ( パイロットの月間平均乗務時間制限): 83.3時間 ⇔ 年間乗務時間制限は1000時間ですから、これを12ヶ月で割った数字です
<注> 勿論、夏季繁忙期などは月間乗務時間制限ギリギリの100時間近く乗務するのですが、これを続ければ年間1200時間となってしまうので、繁忙期以外は100時間未満で路線便数計画を立てます

ルール_Ⅲ( CAの乗務時間制限):100時間
ルール_Ⅳ月間の勤務可能な平均日数): 18.5日 ⇔ 年間平均日数から所定の休日(119日)、有給休暇(20日)、夏季休暇(3日)、特別休暇(忌引きなどの平均:1日)を控除したあと12ヶ月で割った日数

A.国内線の必要人員
<パイロットの必要人員>
上記ルールを適用すると、必要となるパイロットの組数は;

国内線のパイロットの編成と必要組数
国内線のパイロットの編成と必要組数

上表を見ると、国内線の場合ルール_Ⅱで月間の乗務回数の限界が来ることが分かります。シングル編成は機長1名と副操縦士1名なので、この路線便数計画を実行するには、機長66名、副操縦士66名のパイロットが必要となります

また、上表から、乗務しなければ勤務できる日数が年間21.6日(12ヶ月x〔D―C〕)確保できることとなり、パイロットの定期審査6Month Check Flight)、健康診断、非常救難訓練なども、追加パイロットを確保しなくてもい実施可能であることが分かります

また、この路線便数計画は19機の航空機とパイロットは66組で運営できることから、航空機1機当たり約3.5組のパイロットで運営できることになります。国内線の中期計画で路線便数が決まっていない場合でも、国内線配置機数が決まっていれば、パイロットの凡その必要数が計算できることになります

< CA の必要人員>
パイロットとの違いは乗務回数の上限が乗務時間制限でなくルール_Ⅳで決まるので必要となる CA の組数は;

国内線のCAの編成と必要組数
国内線のCAの編成と必要組数

B737-800客席数は176席、50席当たり配置するCA は4名(内1名は専任客室乗務員を配置する必要があります。従って、4名x59組=236名のCA(内59名は専任客室乗務員)を配置する必要があります

尚、国内線CAの場合、乗務回数がルール_Ⅳで決まるため、乗務以外の余裕日数は出ないので、非常救難訓練(1回/年)を行うために236人日分の非常救難訓練の為に人員引当が必要になります。これは更に2名(236人日 ÷ 18.5日x12ヶ月)の追加配置が必要になることになります

B.国際線の必要人員
<パイロットの必要人員
国内線とほぼ同じような方法で必要となるパイロットの組数を計算すると;

国際線のパイロットの編成と必要組数
国際線のパイロットの編成と必要組数

上表を見ると、国際線パイロットの場合もルール_Ⅱで月間の乗務回数の限界が来ることが分かります。この路線便数計画を実行するには、機長42名、副操縦士32名のパイロットが必要でありことが分かります

また、上表の「乗務以外の一編成当たりの月間出勤可能日」をご覧になれば、乗務員の定期審査6Month Check Flight)、健康診断、非常救難訓練なども、追加パイロットを確保しなくてもい実施可能であることが分かります

< CA の必要人員>
パイロットの違いは乗務時間制限(月間の基準があるのみ)と編成数だけで、乗務パターンはパイロットと同じなので;

国際線のCAの編成と必要組数
国際線のCAの編成と必要組数

上表を見ると、国際線 CA 場合は、路線によってルール_Ⅱで決まる場合と、ルール_Ⅳで決まる場合があることが分かります。ルール_Ⅳで決まる路線では乗務以外の勤務を行う余裕が無いことに注意する必要があります

上表における編成数の考え方は以下の通りです;
東京=ソウル線:配置機材はB767-300ERで、エグゼキュティブクラス/30席、エコノミークラス/207席、提供サービスは1.0食、免税品販売を行うという前提で編成数は7名内1名は専任客室乗務員を配置)
*東京=大連線:配置機材はB767-300ERで、エグゼキュティブクラス/30席、エコノミークラス/207席、提供サービスは1.0食、免税品販売を行うという前提で編成数は7名内1名は専任客室乗務員を配置)
東京=バンコック線:
配置機材はB777-200ERで、エグゼキュティブクラス/63席、エコノミークラス/239席、提供サービスは1.5食、免税品販売を行うという前提で編成数は10名内1名は専任客室乗務員を配置)
* 東京=ホノルル線:配置機材はB767-300ERで、エグゼキュティブクラス/30席、エコノミー・クラス/207席、提供サービスは1.5食、免税品販売を行うという前提で編成数は8名内1名は専任客室乗務員を配置)
 東京=ロサンゼルス線:配置機材はB777-300ERで、ファーストクラス/9席、エグゼキュティブ・クラス/63席、プレミアムエコノミークラス/44席、エコノミー・クラス/156席、提供サービスは1食、免税品販売を行うという前提で編成数は13名内1名は専任客室乗務員を配置)
* 東京=ニューヨーク線:配置機材はB777-300ERで、ファーストクラス/9席、エグゼキュティブ・クラス/63席、プレミアムエコノミークラス/44席、エコノミー・クラス/156席、提供サービスは2.5食、免税品販売を行うという前提で編成数は14名内1名は専任客室乗務員を配置)

従って、上表より305名(内27名は専任客客室乗務員)のCAの配置が必要となります

また、上表の「乗務以外の一編成当たりの月間出勤可能日」をご覧になると、東京=大連線で、一編成当たり月間2.1日東京=バンコック線ロで、同1.3日東京=サンゼルス線で、同1.4日の出勤可能日数がることが分かります。これらの路線の配置人員、及び12ヶ月をかけ合わせれば;
(13人x2.1+39人X1.3人+84人X1.4人)x12ヶ月
2,347人・日
の出勤が可能であり、これは305名の CA が、健康診断、及び非常救難訓練をそれぞれ年間一回、追加人員の配置なしに実施可能であることが分かります

C.その他の必要人員
A 及び B で計算した必要人員は、路線運営で直接必要とされる人員数と、法律で実施が義務付けられている定期審査、健康診断、非常救難訓練の実施ができる人員だけです
しかし、長期、安定的、且つ成長を見込んで路線運営を行うには、以下の様な増員要素を見込んで計画を立てなければなりません;
① 追加的な技術教育
② 機種更新に伴う限定変更の訓練
③ 機長昇格訓練
④ 定年退職、死亡退職、等に伴う欠員引き当て
⑤ 臨時便、チャーター便に対する引き当て
⑦ エアラインによっては、組織運営を円滑に行うための管理を担当するパイロットを置くケースもあります。こうしたパイロットは乗務時間をある程度犠牲にして地上勤務を行う必要が発生しますので、その為の引き当て要員が必要になります

以上

パイロットの養成

はじめに

航空機以外の船舶、鉄道、自動車などの公共交通機関では、危険な状態に陥った時、船長や運転手は停止することに全力を傾ければいいという意味で、そのミッションは比較的シンプルです。一方、航空機の場合は、飛行中に危険が迫ってきても着陸するまでは飛行を停止させるわけにはいきません。正常な飛行ができない状態の航空機を、安全に着陸させなければならないという極めて難しいミッションが課せられていることから、パイロットの技量を維持・向上させ、適正な労働環境を整えることがエアラインビジネスの最重要の経営課題であることはお判りいただけると思います
以下に、これらの具体的な内容についてできるだけ分かり易い説明をしていきたいと思います

パイロットに起因する深刻な事故

100年以上にわたる航空機の歴史の中で、パイロットの技能や労働環境に起因する数多くの事故を経験し、パイロットのミスを防ぐための操縦室の設計やパイロットの訓練に係る規制が強化(詳しくは8_Humanwareに係る信頼性管理を参照してください)されてきましたが、未だにパイロットに起因する深刻な事故をゼロにすることが出来ていません。因みに、21世紀に入ってからも、パイロットに起因する深刻な事故が起きていますので、以下にご紹介いたします;

1.2001年11月12日、 アメリカン航空のエアバス社製の A300B-600は、ニューヨーク州・ケネディー空港離陸直後、近郊の住宅地に墜落・炎上し、乗員・乗客260人全員が死亡、更に地上で巻き添えとなった5人も死亡しました

2001年AA・A300事故
2001年AA・A300事故

事故原因:離陸直後、前方を飛行するボーイング747の後方乱気流に遭遇した。この時操縦していた副操縦士が不必要且つ過度な方向舵操作を行ったため、方向舵に設計荷重を超える空気力がかかり、尾翼が分離脱落し操縦不能となって墜落

2.2006年年8月27日、米国のコムエアー( COMAIR/デルタ航空のローカル線を運航)のボンバルディア社製の CRJ-100は、ケンタッキー州・ブルーグラス空港から離陸滑走を開始したものの、離陸する前に滑走路の終端に至り大破しました。乗員・乗客50人中、49人が死亡しました

コムエアー・CRJ100の事故
コムエアー・CRJ100の事故

事故原因機長と副操縦士が、離陸操作と関係のない会話を交わしていた為、進入する滑走路を間違えて短い滑走路に進入し離陸できずに滑走路の先に突っ込んでしまった

3.2009年6月1日、エールフランスのエアバス社製 A330ー200は、リオデジャネイロ空港離陸後、4時間後に最後の交信を行ったあと消息を絶ちました。翌日大西洋上で残骸の浮遊物を発見し墜落が確認されました。乗員・乗客228人は全員死亡したもの思われます。その後、事故調査の為に墜落したと思われる場所周辺の広大な海域の海底探索を行っていましたが、2011年になって4000メートルの海底にあったフライトレコーダー、コックピット・ボイスレコーダーが回収されました

AF・A330墜落事故
AF・A330型機の墜落事故

事故原因:回収されたフライトレコーダーの解析から、事故は以下の様なシーケンスで起こったことが分かりました;
① 悪天候で飛行中に3本のピトー管(飛行中の航空機の高度、速度を検出する重要な装備品であらゆる航空機に装備されています。高空で高度、速度の情報が得られなくなると操縦が非常に難しくなります)が凍結し機能を果たさなくなった為、自動操縦が自動的にオフとなった

777型機のピトー管_装着位置と原理
777型機のピトー管_装着位置と原理

② 休憩中だった機長に替わって操縦していた副操縦士は手動で操縦を始めると同時に失速警報が鳴り始めた
失速の際は本来“機首下げ”の操作を行うべきところ、この副操縦士は、“機首上げ”の操作を行いつつエンジンの推力を上げた
機長が戻って来て「機首を上げるな」と指示したものの間に合わず完全に失速して海面に激突した

4.2013年7月6日、アシアナ航空のボーイング社製777-300型は、サンフランシスコ国際空港での着陸に失敗。乗客3名死亡 ⇒ 動画:アシアナ航空214便着陸失敗事故

事故原因:この日は天候が良く、風もほとんどありませんでした。ただ、操縦桿を握っていた副操縦士はボーイング777型機の飛行時間はまだ43時間で慣熟訓練中であり、訓練教官役となっていた機長も事故の20日前に教官としての資格を取得したばかりであり、本便が資格取得後初の訓練教官役としての搭乗でした

5.2015年2月4日、復興航空(トランスアジア航空)のATR社製ATR72-600型機は、松山空港離陸直後にエンジントラブルを起こして墜落。乗員・乗客58名中43名死亡 ⇒ 動画:中華民国・復興航空ATR72-600型機墜落

事故原因:離陸直後、第2エンジンがフレームアウト(エンジンの燃焼が停止した状態)していることを示す画面が表示されると共に、主警報装置が鳴り響いた。ところが、パイロットは第1エンジンのスロットルをアイドリング位置まで引き、更にエンジンを停止させてしまった。その後、第1エンジンを再起動したものの操縦を正常に戻せず、左翼端が高速道路の側壁に激突し墜落した

6.2015年3月24日、ジャーマンウィングス(ルフトハンザ航空のLCC子会社)/A320型、フランス南東部の山岳地帯に墜落。乗員・乗客150人全員死亡

ジャーマンウィングスA320型機墜落
ジャーマンウィングスA320型機墜落

事故原因副操縦士の自殺。事故直前、急降下前に機長が操縦室外に出て、戻ったところ、暗証番号(9.11のテロ事件以降、操縦室のドアは常時施錠され客室側から開けられない様になっている)ではドアが開かず、何度ドアを叩いてもインターフォンで呼びかけても操縦席から反応がなく、しまいにはドアを斧で破壊しようとしていた思われる痕跡があった。回収されたコックピット・ボイスレコーダーの音声記録にはドア施錠後から墜落に至るまで会話や発声が一切なかったという

<パイロットの高度な技量により着水して乗員・乗客を全員救助できた事例>
2009年1月15日、ニューヨーク・ラガーディア空港を離陸したエアバス社のA320型機は、離陸直後に大型のカナダガンの群れの遭遇し、二つのエンジンが同時にフレームアウトしてしまった。機長は冷静な判断でハドソン川に着水することを決断し、航空機は全損となったものの乗員・乗客全員(155人)が救助されました
クリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演で制作された映画、「ハドソン川の奇跡」は、この事実を基につくられました。尚、こうした鳥衝突に係る種々の問題について詳しいことを知りたい方は「航空機の鳥衝突による安全性について」をご覧になってみて下さい

パイロットの養成について

多くのお客様を乗せて航空機を安全に飛行させることが出来る優秀なパイロットを養成するためには、何等かの法的な規制が必要となることは言うまでもありません。第二次大戦後、大型旅客機が登場し、国境を越えて安全な運航を保証するためのルール作りが必要となりシカゴ条約(詳しくは条約・航空協定の歴史をご覧ください)として結実しました。この中で、パイロットの資格に係る基本的なルールについては、ICAO_Annex 1_Personal Licensingの中で定められています。また、日本に於いては、航空法の中でシカゴ条約のルールが具現化されています

パイロットに安全な運航を行わしめるための航空法の仕組み;
* パイロットの操縦技能に関し国による認定を行うこと
* パイロットの健康状態に関し国による認定を行うこと
機長の役割につき国の基準を定め、エアラインに実行せしめること
* パイロットと地上の運航支援を行う人との間で適切なコミュニケーションを図ることに関し国による認定を行うこと
* パイロットが適切な労働条件のもとで働けるように国の基準を定め、エアラインに実行せしめること
の様に分類することが出来ます。以下にその具体的な内容をご紹介します。尚、下記の説明には航空法や航空施行規則(附則及び付表等を含む)を頻繁に参照していますが、条文の内容を直接ご覧になりたい場合は、必要に応じそれぞれ次のリンクをご覧になってください:(航空法)、(航空法施行規則

また、米国においても実質的に同等の認定の仕組みを持っています。詳しく米国航空法と上記日本の航空法との対応関係を知りたい方はをパイロットに関わる米国の法規制ご覧になってください。また、この資料の中に引用されている「§ xxx」は、米国航空法のセクション番号です。ここに記述されている内容を詳しくご覧になりたい方はCode of Federal Regulationを参照してください

1.パイロットの操縦技能に関する国による認定
A. 操縦技能の認定方法については、航空法第26条、28条、29条、航空法施行規則第42条、43条で以下が定められています;
① 操縦に必要な経験(年齢、資格別の必要飛行経歴
② 操縦に必要な知識レベルの認定(筆記試験の例:定期運送用操縦士の学科試験
③ 操縦技術のレベルの認定(実機、シミュレーターによる実技試験

B. 国が認定する資格の種類は航空法第24条に以下の様に区分されています;
① 自家用操縦士、② 事業用操縦士、③ 準定期運送用操縦士(注)定期運送用操縦士、⑤ 航空機関士、⑥ 他
また、上記以外に航空法第34条で以下の証明の取得を義務付けています;
① 計器飛行証明:計器飛行、計器航法による飛行(計器飛行以外の航空機の位置、及び進路の測定を計器のみによって行うこと)を行う場合に必要となります
操縦教育証明:機長がその業務を遂行しつつ、同乗するパイロットに対して資格取得訓練、限定変更訓練を行う場合に必要となります

(注)準定期運送用操縦士MPL/Multi-crew Pilot License):これまでのパイロット養成ではまず小型機を単独で操縦するための訓練期間を長く行うことになっていました。しかし、最新の大型旅客機を運航するエアラインでは、副操縦士は機長と業務を分担してミッションを行うことが求められるようになりました。2013年、こうした状況に鑑み、航空法24条が改正され標記 MPL の資格が創設されました。MPL 養成訓練では、訓練の初期段階から機長と副操縦士の二人での運航を前提として行なわれますので、従来の訓練方式に比べ訓練期間が約6カ月以上短縮され、しかもより安全な運航を行なえる優れた副操縦士を養成ができるようになりました。尚、MPLの養成は、現在JAL及びANAの航空従事者指定養成施設(後段に説明があります)にのみ認められています。詳しい内容を知りたい方は国土交通省が作成したMPL技能証明制度についてをご覧になってみて下さい

LAL・MPL第一期生初フライト_2017年2月27日
LAL・MPL第一期生(右席)初フライト_2017年2月27日

C. 航空機の種類、等級、型式別の資格の認定については国土交通省令で以下の様に更に細かく区分されています(資格の「限定」とは、自動車の運転免許が自動二輪、普通、大型二種、等々など種類が分かれているのと同じ様な理由です);
① プロペラ機タービン機回転翼機、他、の区分
② 航空機の使用目的による区分
 最大離陸重量による区分

D. その他;
* パイロットが航空運送事業の業務を行う場合に、最近の飛行経験夜間飛行経験などに関し最低限の基準を設けています(航空法第69条 & 国土交通省令で定められています)

2.パイロットの健康状態に関し国による認定を行うこと
パイロットが操縦を行うには航空身体検査証明を取得しなければならないことが航空法第31条、航空法施行規則第61条の二で定められています
A. 航空身体検査証明の種別
第一種定期運送用操縦士準定期運送用操縦士事業用操縦士、航空機関士、他
② 第二種:自家用航空操縦士、他
B. 国が指定した病院において定期的に健康診断を受けること
C. 航空身体検査証明の有効期間は航空法第32条、及び航空法施行規則第61条の三で、原則1年と定められています。但し、60歳以上(加齢乗員ともいいます)の定期運送用操縦士は6ヶ月に一度と定められています
上記 A~C の詳細について知りたい方は、(財)航空医学研究センターのサイト(航空身体検査証明とは)をご覧になってください

D. 健康診断においてチェックすべき項目と、合否の判定基準については、航空法施行規則第61条の二に定められています。具体的な検査項目をご覧になりたい方は、最も厳しい検査内容となっている(第一種航空身体検査証明書の検査基準)をご覧になってください。恐らく、中年以上の方は、この基準を満たす為には健康状態維持に相当努力しなければならないことがわかると思います!
また、米国の規定をご覧になりたい方は(米国の身体検査証明書の検査基準)をご覧になってみて下さい。概ね日本の航空法と考え方は同じなのですが、昨今米国において社会的な問題となっている薬物依存症に係る規定は、極めて具体的に判断基準が明示されていることが分かります

3.機長の役割につき国の基準を定め、エアラインに実行せしめること
航空運送事業の用に供する航空機を操縦するパイロットの内、安全運航に最終責任を負う機長については、航空法第72条において、その知識及び能力の審査を行うこととしています。また、航空法施行規則第163条で、その知識及び能力の具体的な基準を定めています;
機長の知識及び能力の審査
審査の対象:5.7トン以上の航空機、または9.7トン以上の回転翼機(ヘリコプターなど)を使って航空運送事業を行う機長
② 審査は口述審査(所謂“口頭試問”に相当)と実地審査(認定に係る航空機と同じ型式のシミュレーターを使用)で行います;
<運航に係る審査の具体的な内容>
* パイロットが行う航空法第73条の二に基づく飛行前点検(Pre Flight Check)について
* 出発・飛行計画変更に係る運航管理者(Dispatcher)の承認事項について
* 他の乗務員(含むCA/客室乗務員)に対する指揮・監督について
* 安全阻害行為の抑止危難の場合の措置他の安全管理事項について
* 通常状態、及び異常状態での航空機の操作及び措置について

③ 上記審査は、航空法施行規則第164条の二に基づき、年一回実施することになっています。但し“通常状態、及び異常状態での航空機の操作及び措置”については年2回の審査を実施する必要があります ⇒ 6Month Check Flight

4.パイロットと地上の運航支援を行う人との間で適切なコミュニケーションを図ることに関し国による認定を行うこと
① 通信機器の知識、取り扱いに関わる電波法に基づく航空級無線通信士の資格取得を義務付けています
② 外国での運航を行う場合、航空法第33条に基づき、国土交通大臣が行う航空英語能力証明の取得を義務付けています

5.パイロットが適切な労働条件のもとで働けるように国の基準を定め、エアラインに実行せしめること
航空法第68条、及び航空法施行規則第214条に基づき、エアラインに乗務割の基準を定めることを義務付けています
① 運航規程に乗務割の基準を定めることを義務付け運航規程を認可項目としています。運航規程に関する詳しい説明は(2_航空機の安全運航を守る仕組み_全体像)の「4.運用段階、(8)」をご覧になってみてください

② 航空法施行規則第175条で、乗務割の基準には以下の項目が含まれていなければならないとしています;
*乗務時間の制限は、1暦日又は24時間(国際線など時差がある運航を行う場合)、1歴月3ヶ月1暦年当たりそれぞれの限界時間を設定しなければならない。
*疲労により航行の安全を阻害しないような乗務時間その他の労働時間が配分されていること
尚、それぞれの限界時間の具体例(エアラインによって異なる)については、乗員計画(パイロット、CA/客室乗務員)をご覧になってください

X. 外国人パイロットに係る例外措置
昨今、パイロットの絶対数の不足、パイロットに係る諸経費の削減、パイロット養成期間の短縮事業計画の変動に対する迅速な対応、などの目的で外国人パイロットが多く導入さています。彼らの保有している資格は欧米先進国で発行されたものであり、この資格では日本の航空法の下では飛行できないことになります。従って、これを短時間で日本の資格に切り替えるために、以下の様な例外措置を設けています;
国際民間航空条約(ICAO)締約国の政府が発行した資格を有する者は、国内航空法規に関わるものを除く学科試験、及び実地試験の全部又は一部を行わない
② 取得できる日本の資格:技能証明技能証明の限定の変更計器飛行証明航空英語能力証明

国に代わって認可行為の一部を代行する仕組み

これまで説明してきた安全運航に係る重要事項について“国による認可や審査”があるのは、航空行政の公平性、厳格性を保つために必須の事ですが、これらを全て国家によって行うには、必要となる専門性、人件費の効率性設備投資、などの面で実質的に不可能です。そこで、パイロット養成に係る施設(例えば航空機やシミュレーターなど)、訓練に必要となる教官(実技指導を行うパイロット、操縦に必要となる知識に係る訓練を行う地上職の教官)、などを保有している組織(下記参照)を指定し、国による認可行為の一部を委嘱することが出来るようになっています。これを定航空従事者養成施設制度(自動車の運転免許取得の際通った自動車運転教習所を想像すればいいと思います)といいます。この仕組みについて詳しく知りたい方は(2_航空機の安全運航を守る仕組み_全体像)の「規制当局による審査、認可等の合理化」(2)をご覧になってみてください。以下に具体的な「定航空従事者養成施設」を例示します;

1.独立行政法人航空大学校
航空大学校は、航空法施行規則第50条の二で、国に替わって以下の資格を付与することができることになっています。尚、この学校は独立行政法人となっていることから分かるように、1954年に国策で設立され、訓練学生の授業料負担の軽減、エアラインのパイロット養成費用負担の軽減、その他のパイロット・ソースの確保、などの役割を果たしています。現在の募集定員は108名訓練期間は2年間となっています;
自家用操縦士事業用操縦士の技能証明
② 技能証明の限定
計器飛行証明の実地試験
航空英語能力証明に関わる学科試験

2.航空従事者指定養成施設
エアラインのパイロット訓練部門民間のパイロット養成施設大学のパイロット養成コース、などを対象としています。航空法施行規則第50条に当該施設の認可に関わる国のチェック項目は以下の様に具体的に示されています;
① 教育・訓練に必要となる教官(実技指導を行うパイロット、操縦に必要となる知識に係る教官)、及び技能審査員の履歴航空従事者としての資格が適正かどうか
教育・訓練のための施設教育・訓練の内容・方法技能審査の方法が適正かどうか
教官が必要数以上配置されているかどうか
④ 技能審査に必要な技能審査員、訓練に必要となる航空機、シミュレーター、その他の機材、設備を利用できる状態になっているかどうか
訓練・教育施設としての適確な運営の為の制度が定められているかどうか

上記を踏まえたうえで、以下の認可行為を行うことを施設ごとに指定します;
自家用操縦士事業用操縦士準定期運送用操縦士定期運送用操縦士、航空機関士の資格付与
航空機種の限定は、実地試験に使われる航空機の機種で決まります
計器飛行証明の付与

3.指定本邦航空運送事業者、査察運航乗務員
航空法第72条に基づき、国は航空運送事業を行う機長の知識及び能力を審査することになっていますが、「指定本邦航空運送事業者」の認可を得たエアラインについては、エアラインが自社の機長の審査を行う者を指定し、国がその者の適格性について審査を行った上で「査察運航乗務員」として指名し、国が行う審査をその者に代行させることが出来ます
この査察運航乗務員の適格性についての審査は、航空法施行規則第164条、165条に基づき以下の項目のチェックを行うことになっています。審査は年一回行われます;
① 書面審査、口述審査、実地審査
② 組織、訓練体制、訓練方法、訓練施設が適切であること
③ 査察操縦士の審査に関わる権限の独立性が確保されていること(⇔審査される機長の合否判断は、あくまで国土交通大臣に替わって行っている)

4.指定航空英語能力判定航空運送事業者;
航空英語能力証明に関わる試験を行います

エアラインのパイロットになるまで

エアラインのパイロットとして乗務する為には、副操縦士であっても事業用操縦士の資格航空無線通信士の資格、計器証明、(国際線を乗務するのであれば航空英語英語能力証明も必要)を保有していなければなりません。また、機長として乗務する為には、上記の資格と併せ、「定期運送用操縦士」の資格を持っていなければなりません
これらの資格を取得してエアラインパイロットになる為には以下の様な選択肢があります;
1.資格を何も持たないままにエアラインのパイロット要員として入社するケース;
資格取得するまでのコストは全てエアラインが負担し、更に資格を取得するまでの間も相応の賃金が支払われるので人気が高く応募者も多いために、競争環境は非常に高いといえます。尚、一定期間内に資格を取得できなかった場合、エアラインパイロットとしての適格性が無いと判定され、地上職に職変してエアラインにとどまるか、退職するかの選択を迫られます

2.航空大学校に入学し、自家用操縦士、事業用操縦士、航空無線通信士、計器証明、航空英語英語能力証明、などの資格を取得しエアラインに入社するケース;
資格取得するまでのコストは原則国費で賄われますが、入学料、授業料、寮費などの自己負担分は二年間で350万円以上となります(詳しくは2020年度航空大学校募集要領を参照してください)。エアラインにとってパイロットの養成が低コストで済むので、エアラインに採用される可能性は高いものの、その分航空大学校への入学の敷居は非常に高い状況です。エアラインに採用されなかった人は、民間の使用事業(少人数の観光客をターゲットにした遊覧飛行やチャーター飛行)その他の組織でパイロットとして働く道も残されています

3.パイロット・コースを設けている大学に入学し、自家用操縦士、事業用操縦士、航空無線通信士、計器証明、航空英語英語能力証明、などの資格を取得しエアラインに入社するケース;
近年、LCCの隆盛と共にエアライン・パイロットの需要が高まり、パイロットを養成するコースを設ける大学が増加しつつあります。ただ、日本国内で大学単独で資格取得の為の航空機やシミュレーターを購入するには高額な投資が必要となること、国内では飛行訓練のための空港や空域の確保が難しく、更に着陸料、航行援助施設利用料の負担も大きいことから、殆どの大学は、実機訓練を外国の飛行学校に委嘱しているのが実情です。また、学費も2000万円以上掛かると言われており、経済的な面で入学の敷居は高いと言えます
しかし最近は、エアラインとしてもこうしたパイロットソースを通じて優秀なパイロットを確保する必要性から大学との協力関係を築いているケースもあります。因みに現在、桜美林大学の航空コースはJALと東海大学の航空コースはANAと協力関係を持っています
尚、エアラインに採用されなかった人は、航空大学校卒業生と同じように民間の使用事業、その他の組織でパイロットとして働く道も残されています

4.個人で外国の飛行学校、等に入学し必要な資格を取得するケース;
パイロットの資格は学歴には関係ないので、自費で必要な資格を取得することは可能です。このケースでも一般に経済的な理由で外国の飛行学校で資格を取得するケースがほとんどです
<参考>
1996年 JALエクスプレス(1997年設立、2014年JALに統合)を立ち上げたときは、このケースのパイロットも採用しました

5.自衛隊に入隊し、ある程度の年齢になってから自衛隊を退職し、エアラインに入社するケース;
自衛隊が保有する戦闘機や輸送機、その他、数多くの航空機を操縦するパイロットは100%国費で養成されています。また飛行経験自体も通常の業務の遂行のなかで積み上げていくことが可能です。ただ、自衛隊のパイロットの操縦資格は航空法で決めらている民間機の操縦資格とは異なります。また、自衛隊のパイロットの機種ごとの配置数は運用する各種の航空機別に定員が決まっており、その人件費・経費は国費で賄われております。従って、自分の意思だけで自衛隊を退職しエアラインのパイロットになることが出来ないことはご理解いただけると思います
しかし、自衛隊のパイロットは部隊運用上ピラミッド型のシンプルな組織を形成することが必要であると同時に、肉体的に過酷な任務を求められる航空機については高齢になれば任務遂行が困難になるため、定期的な若返りを図っていく必要もあります。こうしたことから、自衛隊とエアラインとの間で「割愛」という制度が設けられており、必要によりエアラインは防衛相と合意の上で自衛隊パイロットを受け入れることを行っています
<参考>
先進国を中心として、大規模な航空戦力を保有している国では、軍のパイロット出身のエアラインパイロットが多いと言われています

機長養成について

安全運航に最終責任を負う機長については、既に述べた様に航空法に基づく重要な任務を遂行する必要があり、大手エアラインでは、法で定められた飛行経験(資格別の必要飛行経歴)、定期運送用操縦士資格の取得(参考:定期運送用操縦士の学科試験)の他に以下の様な要素を加味して機長養成を行っています;
① 機長業務に相応しい人格・識見を有していること
② 機長業務に相応しい操縦技能、知識を有していること
③ “Senioroty”の基準を満たしていること
“Senioroty”の基準とは:入社順、資格取得順、などで機長になる機会を与えること。一般に労働組合などとの間で労務上の問題を起こさないようにするための基準であり、法に基づく厳格な基準ではありません

機長養成をエアライン自ら行うことは法的には義務付けられていませんが(⇔航空会社設立時などでは機長資格を持った人を採用します)、路線運営には必ず一定数の機長が必要(具体例ついては、乗員計画(パイロット、CA/客室乗務員)をご覧になってください)であり、長期的な事業計画の伸び、及び機種更新の計画に合わせて新しい型式の航空機の機長も確保しなければならないことから、大手のエアラインでは副操縦士から機長への昇格、機長の「限定」変更(操縦する機種の変更)などを長期的な視野で行っています

副操縦士が機長養成コースに入ると、シミュレーター訓練や座学の他に、教官となる機長と定期便に同乗して訓練(“路線訓練”といいます;副操縦士席での訓練 、 機長席での訓練)を行う必要があります。また、離着陸時の機長のミッションを習得する為には、離着陸の経験(馬術用語の“鞍数”ともいいます)を多く積まねばなりません

<参考>
1.事故統計によれば航空機事故の殆どは、離陸時の3分間着陸時の8分間に集中していることから、この合計11分間を「Critical Eleven Minutes/魔の11分間」と呼んでいます。機長養成で離着陸の訓練を重視するのはこうした背景があるからです
2.前述(パイロットに起因する深刻な事故)の、アシアナ航空のサンフランシスコ国際空港における着陸失敗事故は、長距離路線で慣熟飛行を行ったことが問題であった可能性も考えられるのではないでしょうか

こうしたことから、大手のエアラインには機長養成に、短距離路線(国内線、短距離国際線)に投入し、保有機数も多い機種を機長養成用の機種として指定し、養成の効率化を図っているところもあります。
具体的な運用としては、機長候補者を予めこの機種に移行(“限定”の変更)させ、機長昇格後も相応の期間その機種で慣熟を図っていきます。結果としてその機種で余剰となる他の機長は、事業計画上増機していかねばならない機種に移行させていく、などの対応を行って機長マンニングのバランスを取ることになります

パイロット養成コスト(試算)

これまで述べてきたことからパイロットを養成するには、訓練のための高額な費用が掛かることはある程度想像できると思いますが、もう少し正確なイメージを持っていただくために、以下のケースに分けて必要となる費用の試算をしてみたいと思います;
1.航空大学校における訓練生一人当たりの訓練費用
この試算を行うためには、航空大学校の収支データが必要になります。本来は独立行政法人なので公表を義務付けられているはずの財務諸表及び事業報告書を入手できれば一番いいのですが、今回サイトから見つけることが出来ませんでしたので、航空大学校のサイトから航空大学校2018年度業務実績報告書を入手し、ここから収支計画・実績のデータを取り出して計算してみました(下表の単位は“円”);

航空大学校訓練生の訓練費用(試算)
航空大学校訓練生の訓練費用(試算)

訓練生の自己負担分は2年間で350万円程度ですが、国費で負担する金額が一人当たり3千万円以上かかっていることが分かります。エアラインに優秀なパイロットを供給する為に国も相応の負担をしているということでしょうか

2.米国の飛行学校で自家用操縦士、事業用操縦士、計器飛行証明の資格を取得する場合の訓練費用
米国のEpic Flight Academyで資格を取得するための授業料を計算してみました。ここでは、米国における滞在費、その他の費用は入っていません;

外国の飛行学校で資格を取得する場合の訓練費用
外国の飛行学校で資格を取得する場合の訓練費用

3.エアラインが自社のパイロットを養成する時の費用
エアラインが採用したパイロットに各種の資格を取らせるためには、掛かる費用は全て自社で賄わねばなりません。基礎となるデータ類は5年ほど前のもの(但し、大きな費用項目となる航空機の減価償却費については減価償却資産の耐用年数等に関する省令別表_航空機関連を反映しています)ですが、訓練費用の内訳や費用総額の概算値としてはそれほど外れていないと思いますので参考のために以下の表をご覧になってみてください;

パイロットを自社養成する場合の訓練費用
パイロットを自社養成する場合の訓練費用

米国の飛行学校で資格を取るのに比べてかなり費用が大きいことが分かると思います。これは資格取得する際に使う航空機の価格の差、日本の空港を使用することに伴う公租公課の差、訓練シラバスの差、などによって違いが生まれています。従って、エアラインであっても訓練費用を削減する為に、海外の飛行学校に訓練を委嘱したり、海外に訓練施設を設けるなどの対応も行われています。
JALでは、新しくできたMPL資格取得訓練をCAE Phoenix – Aviation Academyで行っています

機長養成訓練や、航空機の型式限定の変更訓練などは、大手のエアラインは事業計画の柔軟性を確保する為に自社で行うことが普通です。これらに係る費用の試算値は以下の通りです;

機長養成・機種限定変更訓練コスト(試算)
機長養成・機種限定変更訓練コスト(試算)

上記二つの表の基礎的なデータについてご興味のある方は自社乗員養成コスト_基礎データをご覧になってみて下さい

以上から、エアラインビジネスにとってパイロット養成に係るマネージメントは、経営面で極めて重要であることはご理解いただけると思います

以上