酷暑の夏と強力台風の襲来!

夏野菜の状況

前回のブログ(野菜栽培の現況_7月29日発行)で例年になく長引いた梅雨(冷夏)が終わり、漸く盛夏を迎えて夏野菜の生産が始まったところまでご報告いたしました。その後記録的な猛暑が続き、朝晩の水遣りは大変でしたが夏野菜の収穫そのものは順調に推移しました
しかし、9月8日未明に東京湾から侵入して千葉県に上陸した台風15号は、千葉県、茨城県に甚大な被害を与えて通過していきました。中心を外れた我が家でも一晩中強風が吹き荒れ、不安な一夜を過ごしましたが、案の定、翌朝屋上に上がってみると;

台風被害状況_09SEP
台風15号被害状況_09SEP

写真の様にトマト、キューリの様な背の高い野菜類はほぼ壊滅状態になっていました。また自作の資材置き場も庇が吹き飛んでいました。7月末から収穫が始まっていた第二世代のキュウリは、冒頭の写真(8月29日撮影)の様に台風襲来の前日まで毎日沢山の収穫が出来ていたにも関わらず全滅し残念無念であります!
一方、オクラ、唐辛子類、サツマイモ、空心菜、など熱帯、亜熱帯性の植物は、あれだけ強い風が吹いたにも拘わらず、被害ほぼゼロでした

オクラと唐辛子
オクラと唐辛子
サツマイモと空心菜
サツマイモと空心菜

三種類のナスについては、葉が柔らかくて大きいのに対し茎はかなり丈夫なので、多くの葉が引き千切られていました。しかし、茎はしっかりしており、生き残る可能性も考えられるので、大胆に剪定し、コンテナの周囲に張っている根を切ったうえで肥料を与え、秋ナスとして収穫できるか様子を見る積りです

痛んだ葉と茎を剪定したナス_12SEP
痛んだ葉と茎を剪定したナス_12SEP

考えてみれば、昨年も同じような経験をしています(猛暑と台風襲来でこっぴどくヤラレマシタ!)。風に対して無力な屋上菜園の場合は、今後台風シーズンが来る前にトマト、ナス、キュウリなどの夏野菜は収穫が終わるように植え付け時期を早めるなどの工夫をする必要があるかもしれません!

これで、トマト、キュウリのコンテナが空きますが、これらは土の再生が終わった段階で、スタンバイしている冬野菜の苗(8月後半に種を蒔きベランダで育成していた)を植え付ける予定にしています;

白菜、キャベツ、タマネギ、他の苗の育成
白菜、キャベツ、タマネギ、他の苗の育成
 大失敗!

1.辛味大根2種の栽培
前回のブログ(野菜栽培の現況_7月29日発行)で、春蒔きの辛味大根が成功し、二回目の種蒔きをしたことを報告しましたが、この栽培は完全に失敗しました。途中まで育ったのですが、葉の部分のつけ根が病に罹り成長が中途半端で止まってしまいました。勿論、中途半端に育った辛大根もちゃんと食べたことは言うまでもありません! 振り返って、種の袋の裏側の説明書をよく見ると、なんと! 二種類の辛大根共、種を蒔く時期に6月、7月は入っていないのに気が付きました。種蒔きは梅雨の時期は避けろという意味でしょうか、やはり説明書はよく見るべきですね!

辛大根2種・栽培表
辛大根2種・栽培表

2.蔓無しえんどう豆
昨年はうまく栽培できて、長期間楽しめましたが、今年は殆ど収穫できませんでした。深めのコンテナに6本植え、途中まで順調に育ってくれたのですが、花がついて実がなる時期に次々原因不明のまま枯れてしまいました。まだ、掘り返して調査していませんので、ひょっとすると途中で枯れたナスと同様コガネムシの幼虫の仕業かもしれません

3.黒豆
初めての栽培でしたが、どうも失敗した様です。茎・葉は立派に育って安心していた所、実付きが悪いうえに、今現在、枝豆として食べられるほど大きくなっていません。いっそのこと豆として収穫できるまで(11月?)待つしかないかなと思っています

料理の紹介

1.丸ナスの料理;
今年から始めた丸ナスはコンスタントに収穫でき、ワイフに色々な料理を試してもらいましたが、以下の二種類の料理が中々の出来栄えでした;

丸ナスのお焼き
丸ナスのお焼き

味は幼い頃から馴染んでいた「お焼き」(長野市近辺)と同じ様に出来ましたが、写真で右側の1ヶだけ裏が見えているので分かると思いますが、皮で包んでいったあとの裏側の処理がうまくいかなかったことが、今後の勉強材料です!

丸ナスの甘酢煮浸し
丸ナスの甘酢煮浸し

料理名は「甘酢煮浸し」としていますが、勝手につけた名前で一般名ではありません。要するに縦に切った丸ナス(輪切りにすると味や、歯ごたえが今一!)を油で柔らかくなるまでジックリと煮た後、冷たい酢、醤油、適量の砂糖(入れなくてもよい)にショウガのみじん切りを入れたタレをかけたものです。冷やして食べれば正に夏の味!

2.水ナスの料理;
本命!の浅漬けについては色々試してみましたが、中々大阪駐在時に感動した味にはならず、もう少し研究が必要の様です。そこで、いっそのこと生で食べてみようかということになり;

水ナスの刺身?
水ナスの刺身?

写真の様に氷水にスライスした水ナスを入れ、好みにより塩、醤油、ポン酢、などで食べてみた所、シャキシャキとした食感でこれは中々いけるぞ!という感じでした

蛇足!

取り忘れて巨大化したナス、シマウリ、ズッキーニ
取り忘れて巨大化したナス、シマウリ、ズッキーニ

恥ずかしい話ですが、炎暑の中での収穫では、どうしても見落としがでます。数日収穫が遅れただけで写真の様に巨大化してしまいます。勿論、生産者の苦労?を考え、ワイフに料理を工夫して貰ってちゃんと食べることにしています

以上

 

“死”について(その2)

はじめに

3年前の3月に同じタイトルのブログ(“死”について)を書きました。この時は偶々、私の高校時代の親友と「死」についてメールのやり取りをする機会があり、その時の私の「死に対する考え方」を書いてみたものです
それから3年余りの年月を経た今年の4月、1年ほどの闘病生活の後に私の最も近い肉親の一人である妹が亡くなりました。私より3年も若い死は、数十年前の親の早すぎる死に接して感じた不条理を改めて蘇らせることになりました。人間である以上死は避けられないものですが、やはり死は特別なものです

また、避けられない死を前にして、妹の家族が行った数か月に亘る献身的な「看取り」と、死にゆく妹の穏かなさまは、日ごろ死から遠ざかっていた私に大きなショックを与えてくれました

以後、数か月間「死に係る」本を読み、知りえた知識を纏めてみました
最初のニュートン別冊の記事紹介は、主に医学、生理学の見地から死を捉えたものです。雑誌ニュートンの記事にはいつも感心しますが、イラストをうまく使って難しい内容を分かり易く説明しています。記事の全てではなく、生物としての人間の死に関して、どこまで科学的に研究がすすんでいるかを中心に概要を纏めてみました

次はシェリー・ケーガンの講義録の紹介です。この講義は、私の最も苦手とする哲学、倫理学の知識を駆使して、死とは何かについて解説しているものです。論理的な正確さを貫いている為に理解するのに非常に時間がかかりましたが、苦労して読み終えてみるとそれなりに私たちの生き方に対する、何か指針の様なものを与えてくれるような気がしました。内容が多岐にわたりますが、最後の方に多くの紙面を割いて「死に直面しながら生きる」、「自殺」というテーマを扱っています。これは、この講義が、世界中から若き俊英が集まっているイェール大学の学生を対象としていることから、これらの学生に悔いのない人生を送ってもらうことを願ってのことだろうと思いました
尚、筆者のシェリー・ケーガンは魂の存在(⇒人間の魂は永遠)を完全に否定していますので、魂の存在を信じている方は、この段落はスキップしたほういいと思います

三つ目の段落は、私が50年近く前の父の死以降、折に触れ読み返し、心の支えにしてきた「般若心境」の死生観についての簡単な紹介(受け売り?)です。「般若心境」は禅宗系の宗派では必ずと言っていいほど読経の対象になっていますが、日本ではほかにも多くの宗派が存在します。これらの宗派の死生観については勉強していませんので触れていません

最後の段落は、看取りの問題です。亡くなっていく本人が、ともすれば過剰な延命処置を行ってしまう病院での死よりも、自宅での安らかな死を願いつつも、希望通りにならない実態と解決の方向性について書かれている本の紹介です

死とは何か -- 雑誌「Newton」別冊から

死とは何か_Newton別冊
死とは何か_Newton別冊

この本では、主として「人間」が生物としての「死」を迎えるときの細胞レベルの変化(心の問題は別)を、最新の科学的知見をもとに解説しています;

1.老化のしくみ; --- 割愛します

2.生と死の境界線
(A)生と死;
通常のイメージでは、心停止となった時と考えがちですが、もし血液と酸素を適切な方法で循環させれば、他の臓器や脳は、まだ“生きて”いられます。そう考えると、死は瞬間的に訪れるものではなく「過程」だということができます

(B)心停止;
心拍と呼吸が止まっても、完全なる死ではありません。突然、人が倒れて意識を失った時、その人は、心停止ではなく、心臓のリズムが無秩序になって、血液が全身に送られなくなった状態(心室細動)である可能性もあります。この状態で最も影響を受けやすい臓器は「」です。僅か30秒ほどでも脳に何らかの後遺症が残る可能性があると言われています。脳に続いて「脊髄」、次に血中の老廃物を取り除く「腎臓」の一部、という順序で甚大な影響を受けるといわれています
現在、死亡の判定は、医師(歯科医も含む)が「心拍の停止」、「呼吸の停止」、「瞳孔反応の喪失」の3つ(死の三兆候)が揃う、ことで行っています。瞳孔が光に反応しなくなったときは、脳幹が担う様々な反射反応が全て消失することにほぼ一致しているからです

心臓を支える重要パーツ
心臓を支える重要パーツ
AEDを使うと救命率が高まる
AEDを使うと救命率が高まる

(C)植物状態;
心停止後に一命をとりとめても、脳に後遺症が残ることがあります。脳の各部分(下のイラスト参照)が低酸素状態になることによって、意識や体の各部分の機能に影響が出て来ます。「大脳皮質」(大脳の表面)と、それに連携している「視床」が機能を失うと、意識が持てなくなり昏睡状態に陥ることになります。しかし1~2ヶ月ほどで、目が開くようになったり、覚醒と睡眠のリズムが戻ってきたりする場合があります。この状態を植物状態と言います
植物状態では、低酸素に比較的強い「脳幹(呼吸など生命維持に不可欠な機能を担っている)がある程度機能しています。植物状態は、3ヶ月以上続く意識障害の一種で、診断の基準は「目が開いていても意思疎通は行えないこと排泄をコントロールできないこと自発的に呼吸でき目を開けている時間と閉じている時間もある」ことです。従って、死の三兆候は満たしていないので死から遠い状態にあるといえます。植物状態から6ヶ月間は回復する可能性はあり、目覚めが早いほどその後の治りも良い言われています。8年~10年という長期間を経て回復したケースも報告されています(青森大学・片山容一博士)

脳の各部分の働き
脳の各部分の働き

健常者と植物状態の患者、昏睡状態の患者の脳波を比べる(下のイラスト参照)と、植物状態の患者の脳波は、覚醒時、睡眠時ともに健常者ほどではないものの、脳が活動していることが分かります。しかし、外部からの刺激に正常に応答できないことから、意識は無いと考えられます。昏睡状態の患者の脳波は、ある程度活動していることは分かりますが、健常者の脳波とは形がかなり異なっています

脳波比較(健常者覚醒時・植物状態覚醒時・植物状態睡眠時・昏睡状態)
脳波比較(健常者覚醒時・植物状態覚醒時・植物状態睡眠時・昏睡状態)

2006年、植物状態と診断された患者にも意識があるという可能性が実験結果で報告されました。ケンブリッジ大学のエイドリアン・オーウェン博士らは、交通事故で植物状態にある患者の脳の活動を「fMRI(脳の各部分の活動の活発度を、脳を傷つけることなく測定できる装置)」で調査しました。この患者に「テニスをしている状態を思い浮かべてください」と呼びかけると、患者の脳は、同じことを言われた健常者と非常によく似た活動を示すことが分かりました。このことは、植物状態と診断された患者の中には、健常者と同等に外部の言葉を理解し、正常な応答ができる(⇔意識がある)患者が存在する可能性があることを示唆しています。植物状態の患者の意識については。今後さらに詳しく調べる必要があると思われます

(D)閉じこめ症候群;
全身が麻痺して声も出せず、意思を伝えることが出来なくなっているものの、周囲の様子を目や耳などで把握でき、思考も可能であった場合、通常の方法ではコミュニケーションができないので、一見、植物状態と見分けがつかなくなります。この状態のことを「閉じこめ症候群(Locked-in Syndrome)」といいます。難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)も症状がすすむと、同じような状況になります。閉じこめ症候群は、覚醒していて、自己や外の世界を認識できるという点を考えると、健常者の意識状態とほぼ同じといえます。閉じこめ症候群の患者の脳の損傷部分と、意識や感覚が正常である理由は以下のイラストをご覧になるとお分りになると思います;

閉じこめ症候群の脳の状態
閉じこめ症候群の脳の状態

(G)脳死
植物状態や閉じこめ症候群と違って、呼吸や意識が無く、脳が機能を取り戻す見込みのない状態が脳死といわれます。脳死の判定基準は、「脳幹」の機能が停止していることが重要視されます。脳幹の機能停止を確かめる7つの方法は、以下のイラストを参照してください;

脳幹の機能停止を確かめる7つの方法
脳幹の機能停止を確かめる7つの方法

自発呼吸が止まっても、人工呼吸器を付ければ、心臓が動いている間は血液と酸素の循環は保てます。また、食事が取れなくても、点滴で水分や栄養を補給することは可能です。つまり脳が機能を失っても、身体は生かし続けることができるので、臓器移植によってほかの人の命を繋ぐことが可能となる訳です
しかし、脳以外は生きていることから、ある統計調査によれば、「脳死は人の死として妥当だと思う」という回答者の割合は、米、英、仏、独では60%~71%であるのに対し、日本では43%だそうです

(H)臓器・細胞の死;
脳を細胞のスケールで見ると、脳の神経細胞(ニューロン)は、活動するためのエネルギーとなるATP(アデノシン三リン酸)を、ブドウ糖(グルコース)と酸素を使って作り出しています。神経細胞に酸素の足りない状況が続くと、ATPが枯渇し、神経細胞が死んでしまいます。神経細胞が酸素不足になって死に瀕するまでのタイムリミットは、動物実験によれば3~4分と言われていいます。神経細胞は、低温では活動が抑えられるため、ATPが枯渇するまでの時間を稼ぐことが出来ます。特に心臓の異常による脳損傷に関しては、脳の温度を1~2度下げる低体温療法がおこなわれています

皮膚の細胞や腸の細胞は、日々死んで新しい細胞に入れ替わっています。死んだ皮膚の細胞は垢として、死んだ腸の細胞は糞便として体外に捨てられています。また、尿を通しても死んだ細胞が排泄されています。細胞のスケールで考えれば、命ある人体には、生と死が混在しているということが出来ます

現在行われている臓器移植で、移植が成功する(5年後に生着している)確率、移植希望者数は、以下の通りです(生着率、移植希望者登録者数は「2017年の日本臓器移植ネットワーク」のデータから引用しています);
心臓:生着率/91.6%、移植希望登録者数/728人
② 肺:生着率/71.2%、移植希望登録者数/349人
③ 肝臓:生着率/81.6%、移植希望登録者数/335人
④ 腎臓:生着率/76.8%、移植希望登録者数/207人
腎臓 :生着率/77.4%、移植希望登録者数/1万2千人
小腸:生着率/62.3%(拒絶反応が大きい)、移植希望登録者数/ごく僅か
上記以外にも、骨、血管、皮膚、などの移植も行われています

元の身体が死んでも生き続けている細胞を「不死化細胞」と言います。最も有名なものに、ヘンリエッタ・ラックス(1920年~51年)という米国の女性の子宮頸がんに由来する細胞株(下記の写真参照)があります。この細胞は、女性の名と姓の2文字をとって「HeLa細胞」と呼ばれており、彼女が死んだ後も、細胞分裂を繰り返して今も生きています細胞レベルでは「不死」が可能!);

細胞として「不死」になった女性
細胞として「不死」になった女性

(I)臨終直前の回復;
亡くなる前に、既に亡くなっている人を見るなど、あり得ない物事を見たり感じたりする幻覚体験(所謂「お迎え」)は多いといいます。日本では4割強英国での調査では6割ほどの人が経験していたとの報告もあります。また、終末期の緩和ケアの現場では、臨終の前に一時的に体調がよくなったり、ぼんやりしていた意識がはっきりするなどの現象も報告されています。2010年~14年にかけて、患者を看取った介護者からの回答によると、2~3割に一時的な体調改善や覚醒が見られたと報告されていますが、脳科学や生理学ではこの原因を突き止めることが出来ていません

(J)臨死体験;
死線をさまよった際に「臨死体験」を報告する人もいます。因みに、心停止から回復した患者のうち5~6人に1人が臨死体験を報告するといいます。その体験は、個々に違ってもよさそうなものですが、光を見たり、苦しみを感じなかったり、などの共通性も見られるようです
脳研究の為の「生前同意登録」システムの創始者である豊倉康夫医師が33歳の時、急性アレルギーによるショックで一時的に呼吸停止になった際、覚醒した時に「臨死体験」の報告を行っています(極楽の花園をさまよい、天上の光を浴び、何とも言えない恍惚感を感じた)。豊倉医師の死後、その脳の解剖検証を行ったところ、呼吸停止による脳虚血で生じたと思われる僅かな損傷を発見しましたが、臨死体験がこの脳の損傷で説明できるかどうかは検証できていません

(K)死の間際にみられる「最後の脳信号」;
2018年2月、脳死患者9名の家族の同意のもと、生命維持装置を外した後の脳内の活動が記録され、医学誌に報告されました(下記のグラフ参照);

最後の脳信号
最後の脳信号

血液の循環が停止すると、脳内の酸素濃度が下がっていき、脳波も平たんになっていき、最終的に神経細胞には「ターミナル(週末)拡延性脱分極」として知られる現象が観測されました。これは神経細胞への酸素供給が絶たれ、ATPが枯渇、細胞の内外のイオンのバランスが崩れて元に戻せなくなった状態です。「拡延性脱分極」の専門家であるドイツのシャリテ大学病院神経科教授・イェンス・ドレアー博士は、「拡延性脱分極」が死に繋がる最終的な変化(本当の終わり)の開始である可能性があると言っています

(L)生死の境;
千葉大学付属法医学研究教育センターの岩瀬博太郎博士は、「死の三兆候」はあくまで経験的にこの状態になると、もう二度と蘇生しないというだけだと言っています。脳死判定は「脳が何割損傷したときに意識が完全に失われるといった明確な判断基準」が無いので、現在は、あくまで医師の判断によって行われることになっています。因みに、心肺蘇生を施されている人や、心臓移植中で「仮死状態」の患者などでは「死の三兆候」が見られたあとでも蘇生する例があります。従って、医師の「死の三兆候」の確認は、心肺が停止してから数十分時間をあけてから行われるのが一般的です

(M)高齢者が死に向かう体にはどんな変化が起きるのか?
高齢者の死期について研究している東京有明医療大学教授・川上嘉明博士は、「高齢者が亡くなるまでにたどる体の変化はゆっくりしているため、死期を正確に判断するのは非常に困難」と言っています。河上博士は、老人ホームなどで亡くなった高齢者の亡くなるまでの過去5年間のBMI(定義については肥満指数(BMI)についての”はてな?”をご覧になってください)、食事量水分摂取量の調査を行っています(下記のグラフ参照);

死に向かう体の変化
死に向かう体の変化

川上博士によれば、この結果はあくまで平均値なので、必ずしも全ての人がこの経過を辿るという訳ではないと言っています

3.寿命の不思議
(A)細胞の2種類の死;
私たちの身体は、受精卵になった時には1個であった細胞が、細胞分裂を繰り返して最終的に成人の身体は37兆個以上の細胞で構成されています。これらの細胞の死に方は「壊死(外傷や栄養不足による事故死)」と「自死」に分けられます。私たちの身体では、毎日3千億個から4千億個の細胞(約200グラムに相当)が死に、代わりに新しい細胞が生まれています。身体を構成している各種の細胞別の寿命については以下のイラストを参照してください;

人体の細胞の寿命
人体の細胞の寿命

(B)細胞の自死;
細胞の自死の仕組みは2種類に分けられます。第一のタイプは、脳の神経細胞や、心臓の心筋細胞のように生まれてから死ぬまで殆ど入れ替わることのない細胞で、細胞分裂をしない代わりに100年近い寿命を持っています。もう一つは、皮膚の細胞のように頻繁に入れ替わる細胞で、人の皮膚は約4週間で入れ替わります。第二のタイプの細胞の寿命は分裂の回数によって決まってきます
第一のタイプだけで出来ている生物の代表は成虫となった昆虫です。昆虫は、新たに分裂する細胞を持っていないので身体が傷ついても修復はできません。第二のタイプの生物にプラナリアがあります、再生能力が高く、切っても切っても再生することが出来ます。ただ、再生回数には限度があります

プラナリア
プラナリア

人間の第二のタイプの細胞死は、「アポトーシス」といい、かなり研究が進んでいます。アポトーシスとはギリシャ語で「葉や花が散る」という意味です。
アポトーシスの引き金になるのは、細胞の老化やホルモン、ウィルス、放射線、などの様々な刺激です。刺激を受けた細胞は、「ガスパーゼ」という酵素を活性化させ、細胞内にあるタンパク質を切り刻みます。タンパク質が破壊されると、その中にあるDNAを分解する酵素が働きだし、DNAが断片化されてしまい、細胞が正常な機能を失います。この時点で確実な細胞死が約束されてしまいます。この細胞は最終的に小さな袋に分けられ、2~3時間のうちに隣り合う細胞や「マクロファージ(白血球の一種で免疫機能の中心的役割を担っています)に取り込まれていきます。取り込まれた細胞の成分はリサイクルされて新しい細胞の材料になると考えられています)。アポトーシスは、老化したり異常になった細胞を早めに取り除き、身体を正常な状態に維持していますので、「生命を保つための死」とも言われています

人間の第一のタイプの細胞死は「アポビオーシス」といい、「寿命がつきる」という意味です
アポトーシスとの違いは「DNAが比較的大きく断片化されること」と「最終的に小袋に分けられず、ただ収縮するだけ」という点にあります。取り換えのきかない脳の神経細胞が死ぬことは、個体の死に繋がります。アポビオーシスで死んだ細胞はゆっくりとマクロファージに取り込まれたり、そのまま放置されたりします

(C)がんと細胞死;
がんとは、細胞が異常に分裂・増殖することで、正常な細胞や臓器がおかされ、死に至ることがある疾患です。私たちの身体では、生まれた時からがん細胞が発生していますが、普通はアポトーシスで自死する為にがんになることはありません。しかし、細胞にはアポトーシスを起こすガスパーゼの他に、ガスパーゼの働きを抑制する「IAPタンパク質(アポトーシス抑制タンパク質)」があり、これが多すぎると自死できない状況になります。がんの異常な分裂・増殖はIAPタンパク質が多すぎることによって始まることが分かってきました。現在、IAPタンパク質の働きを妨げる新しいがん治療薬の実現を目指して研究が行われています

(D)アルツハイマー症と細胞死;
高齢化によって大きな社会問題になっているアルツハイマー症は、大脳の神経細胞が急激に死んで減ってしまうことによって発症します。現在、その治療に使われている主な薬は神経細胞の死を止める薬ではなく、残った細胞同士の繋がりを維持するための薬です。神経細胞の死を止める新薬を開発するにはアポビオーシス」の仕組みを解明しなければなりませんが、実験材料となるべき神経細胞が増殖しない為に、研究が進んでいないのが現状です

(E)無性生殖と有性生殖;
無性生物である大腸菌は、遺伝子のセットを一つだけ持っている1倍体生物」です。増殖するときは、予め遺伝子のセットを一つコピーしておき、分裂するときに1セットずつ分配します。分裂した二つの細胞の遺伝子セットは元の細胞と全く同じになります(これを無性生殖と言います)。大腸菌は栄養がある限り、分裂することができ分裂の限界は無く、自死の遺伝子も持っていないので、いわば「不死」です
生命誕生から20億年たってから「自死」の仕組みを持つ生物が現れました。それは1倍体生物生物と異なる遺伝子セットを二つ持つ2倍体生物」でした。人間もこの2倍体生物の一員です
2倍体生物は、分裂だけで個体を増やすことは殆どありません。雄と雌が協力して、それぞれが持つ遺伝子を混ぜて新しい1セット分の遺伝子を「生殖細胞」に収め、この細胞が増殖することによって、他の誰とも違う遺伝子セットを持つ個体(子供)が生まれます(これを有性生殖と言います)。この結果、遺伝子のバリエーションが豊富になり、環境に激変があった場合に種が全滅してしまう可能性を低くすることが出来るようになります。一方、遺伝子の異常な組み合わせがが出現してしまうというマイナスの可能性もはらんでいます。2倍体生物は、片方の遺伝子セットに異常があったとしてももう片方が正常であれば、成長できることもあり、異常のある遺伝子が、そのまま生殖細胞に含まれて子孫に引き継がれる可能性も出てきます。異常のある遺伝子が消えずに子孫に蓄積していってしまうと、いつか正常な個体を作れなくなり、種の絶滅に繋がる可能性も出てきます。有性生殖でおかしな遺伝子の組み合わせが出来てしまった時、それを消滅させる仕組み ⇒ 「死のプログラムを持った生物が現れ、その生物が長い地球の歴史の中で生き残り、繁栄してきていると考えることが出来ます

(F)寿命の長さ;
遺伝学に詳しい東京大学定量生命科学研究所教授の小林武彦博士は、「複雑な組織を維持するのはかなり大変で、有性生殖を行う生物は、ある程度老化すると、組織を保てなくなり、死んでしまうのでしょうと言っています。また、仮に親がずっと生き残ってしまう種がいたとすると、子供と餌の取り合いが起こり、いずれ餌が枯渇してしまうことになります。環境の変化によって簡単に淘汰されない程度に適応能力を持ち、子孫を生んだ後いずれ死んでしまう生物の方が、結果的に繁栄できたのだろう」と言っています。

(G)寿命の限界;
人類史上、正確な記録が残っている範囲で最も長生きした人物は、フランス人女性のジャンヌ=ルイーズ・カルマン氏で、122年(1875年~1997年)に及ぶ生涯を送りました。小林武彦博士は、人間の寿命は、環境と寿命が3:1の割合で関係していると言っています。また、同博士は「日本人の寿命(男性/81.09さい歳、女性/87.26歳;2017年の統計)は、人間としての生理学的な限界のかなり近い所にある」とも言っています
人間の生理的な寿命とは、「身体の器官とそれを構成する細胞が正常に活動できる限界」ということが出来ます。私たちの身体の大部分は古い細胞を新しい細胞に入れ替えることで常にフレッシュな状態に保たれています。しかし、老化とともに細胞の入れ替わりが少しずつ遅れてしまいますこの原因は、細胞増殖の要となる「幹細胞」が老化する為です細胞の老化は、様々な要因によってDNAが損傷することなどによって進みますDNAには損傷を修復する機能が備わっていますが、損傷が多すぎたり、修復能力が低下したりするとDNAに損傷が残ってしまいます

近年、「長寿遺伝子」と呼ばれる細胞の老化を遅らせる働きを持つ遺伝子の存在が注目されています。中でも有名なのは「サーチュイン(Sirtuin)」という総称を持つ遺伝子群です。この遺伝子はDNAの安定化に係る遺伝子ですが、まだ動物実験の段階にあり、人間に使える薬になるにはまだ長い研究が必要と思われます

シェリー・ケーガン著:「死」とは何か

DEATH_イェール大学教授・シェリーケーガン
DEATH_イェール大学教授・シェリーケーガン

筆者は「シェリー・ケーガン/Shelly Kagan」:イェール大学教授、道徳哲学、規範倫理学が専門、着任以来続けられている「死」をテーマにした大学での講義は、常に指折りの人気授業になっており、本書はその講義を纏めたもの
本書は、恐らく講義(講義風景:DEATH)の録音を英語で起こし、それを翻訳したものなので、以前に纏めた(Life Shift)と比べて時として説明が冗長で論旨が分かりにくいところもありましたが、難しい哲学や倫理学を若い学生向けに平易な言葉で説明していることには好感が持てます
翻訳者は「柴田裕之/しばたやすし」:早稲田大学、Earlham College(1847年にクェーカー教徒系の団体が設立)卒業

筆者は講義の最後に、本講義の狙いについて以下の様に語っています;
たいていの人は、どうしても死について考えたくないと思っている。また、魂の存在を前提として、私たちは永遠に生き続ける可能性があると信じている。しかし、それは、死が一巻の終わりであるという考え方にどうしても耐えられないからだ。筆者は、これらすべてを否定しています不死は災いであり、恵みではない。死について考えるとき、死を深淵な謎と見なし、恐ろしくて面と向かえず、圧倒的にぞっとするものと捉えるのは適切ではない。死を恐れるのは不適切な対応だ。だから私は本講義を通じて、生と死にまつわる事実について自ら考えるように促してきた。さらに、恐れたり幻想を抱いたりせずに死に向き合うように促してきた

また、翻訳を行った柴田裕之氏は、現在の日本が抱えている以下の様な深刻な問題について、本書が何らかの助けになるのではないか考えています;
高齢化が大きな社会問題になりつつある現在、病気になる可能性や余命を遺伝子検査などで統計的に予測できる時代に入りつつある。臓器移植植物状態脳死延命措置尊厳死安楽死自殺リビングウィル(終末期医療における事前指示書)、老前整理終活遺言、死に関連した話題に事欠かない。人生をどう生き、どう終えるかを考えるのが当たり前になるかもしれない

本書の9回の講義の内容は、死に係る多くの論点、及びこれらの論点に係るギリシャ・ローマ時代から現代に至るまでの数多くの哲学者や文学者の主張を引用しつつ、それに係る筆者の意見を網羅していますので膨大になっています。従って、各回の講義毎に私なりに要点をまとめたものをこのブログの最後に付録として追加しています。また、更に各講義の詳しい内容について個別に知りたい方は私のレジュメ(Death_résumé/Word A4で35ページ)をご覧になってください。これをみても何を言っているかわからん!?という方は、本書を購入(1850円)して読んでみることをお薦めします

「般若心経」の死生観

般若心経
般若心経(臨済宗・建長寺派 崇禅寺の日課経典より)

私たち日本人にとって、最も身近にある宗教は言うまでもなく「仏教」です。しかし、多くの日本人にとって仏教は「葬儀」や「法事」で触れることはあっても、日常の生活の中で、仏教的な環境に置かれる機会は非常に少ないのではないでしょうか。一方、キリスト教にあっては日曜日の礼拝、イスラム教にあっては1日5回のメッカに向かっての礼拝を守っている人も多くいるようで、宗教に対する姿勢にかなり隔たりがあるような気がします

私も、大学院修士課程2年の後半、父の死に向き合わざるを得ない状況になるまでは、全くと言っていいほど宗教には無縁な生活をしていました。その頃、自宅にあった小さな小さな仏壇には、戦前に満州で亡くなった私の姉2人の小さな白木の位牌があるのみでしたが、父が入院した後、朝晩この仏壇に向かって母が一心に祈る姿を見ていました。しかし、私自身は父の治癒を仏壇に向かって祈ることはありませんでした
翌年の2月に父が亡くなってから、大きな喪失感と病弱の母をこれから支えていかねばならないという責任感で、暫し何も手につかなかったことを覚えています。そこで朝晩、仏壇に向かって「般若心経」を声を出して読むことで、心の平衡を取り戻していったことが思い出されます。母の死も、ほぼ回復を約束されていた手術の直前に急死したこともあって、心の痛手は小さくなく、この時も「般若心経」を声を出して読むことで、乗り越えていきました

「般若心経」が求めている境地は、「人間の一生は「無」から生まれ「無」に帰っていく、生きていることは「苦」(生老病死)の連続である」ということですが、もう少し詳しく知りたい方は(「般若心経_現代語訳)をご覧になってみてください

「般若心経」については、根本の教理は変わらないものの、色々な解釈があります。父が亡くなって以降、色々勉強した中で、私は以下の二つの解釈が心に響くような気がしましたので紹介いたします;

生きて死ぬ知恵_柳澤桂子 著
生きて死ぬ知恵_柳澤桂子 著

1.著名な分子生物学・生命科学の研究者である柳澤桂子氏が、30年以上に亘って激しい痛みとしびれを伴う原因不明の病(後に「周期性嘔吐症候群」と診断されました)に苦しんでいた時に「般若心経」と出会い救われたと回想しています。科学者であることから「人間も含め物質は全て原子からできており、一面の原子の飛び交っている宇宙の中で、私たちはところどころ原子が密になっているだけの存在」という認識から出発している所に特徴があります。理系の人間にとっては理解しやすいかもしれません。詳しくは(般若心経_柳澤桂子訳)をご覧になってください

2.私が、折に触れ手にして読んでいる「臨済宗・建長寺派 崇禅寺の日課経典」に「般若心経和讃」というお経が入っています。これは文字通り日本語訳なのですが、庶民を対象にしたお経であることから、日常の庶民の悲しみ、苦しみをどう乗り越えていくかを七五調で具体的に説教しているところが素晴らしいと思います。是非一度ご覧になってみて下さい:般若心経和讃_臨済宗建長寺派・崇禅寺・日課経典

Follow_Up:死生観の変遷_Sep’19・Wedge

看取りについて

看取りに関する二冊の本
看取りに関する二冊の本

A.看取りに関する二冊の本;
冒頭でも述べた様に、妹の死とその家族の「看取り」を間近で経験する機会があり、既に老境に入っている私たち夫婦にはその覚悟が無いことに気が付きました。そこで、まず看取りの実態を知る必要を感じて読んだのが以下の2冊の本です(上の写真参照);
1.「死を生きた人びと」
筆者の小堀鷗一郎(こぼりおういちろう)医師は、国立の医療機関で40年間、外科の勤務医として勤めた後、私の住んでいる所にほど近く、私の母も亡くなる前に世話になったことがある「堀之内病院」に赴任しました。2005年になって退職する同僚に依頼されて「寝たきりの患者2名」の訪問医療を引き継ぐことになったことがきっかけで「在宅医療」の世界に入ることになったそうです
2000年4月に、国が「介護保険制度を創設し、高齢者の終末期医療の場を病院から自宅に移行させる方針を決定して以降、現在では、堀之内病院でも専属医師4名、看護師2名による地域医療センターが創設され、充実した体制が整えられています(以下の表参照);

堀之内病院・地域医療センターの訪問医療登録患者数(上)と月当たりの訪問医療回数(下)
堀之内病院・地域医療センターの訪問医療登録患者数()と月当たりの訪問医療回数(

筆者は、これまで355人の看取りに係り、現在の問題点について以下の様な指摘を行っています;
① 今の日本では、患者の望む最期を実現することは非常に難しい。「死は敗北」とばかりにひたすら延命する医者目前に迫る死期を認識しない親族や患者が多い
②行政と社会は、 病院以外での死を「例外」と見做し、老いを「予防」しようとする
「病院死」が一般化するにつれ、自分や家族がいずれ死ぬという実感が無くなってしまっている
筆者は、日々の往診の際に患者と語り合ううちに、患者の7割は自宅での死を求めるようになる(現在の日本では8割が病院で死亡している)と言っています

ご存知の方が多いと思いますが、医師の居ない状態で亡くなると、不審死として警察が介入し、本人や家族が希望しない解剖による検死が行われる可能性があります。これを避けるためにも、また痛みなどの緩和措置を適時、適切に行ってもらうためにも。在宅死を希望する場合は、医師の訪問看護を前提にする必要があると言っています

2.「死にゆく人の心によりそう」
筆者の玉置妙憂(たまおきみょうゆう)氏は消化器外科の看護師をしていましたが、在宅死を希望した夫の看取りを2年間行いました。夫の「自然死」という死に様があまりに美しかったとから、49日の納骨が終わった段階で出家を決意、真言宗・高野山で200日に亘る厳しい出家のための修行を経て僧侶となりました。その後、看護師の仕事を続ける傍ら、死期の近い患者やその家族の間に入って、精神的なケアを行う「臨床宗教師として多くの看取りを実践してきました。以下は、看取りの実践を行う過程で得た「死に向うプロセス」に関する観察記録です

<死に向かうとき、心と体はどう変わるのか>
① 死の3ヶ月前から起こること外界に興味が無くなり、内に興味が向く;食欲が落ちて食べなくなる⇒痩せる;眠くなり、夢を見ながらうつらうつらする
② 死の1ヶ月前から起こること血圧・心拍数・呼吸数・体温などが不安定になる;痰が増えるが暫くすると元に戻る;夢かうつつか分からない不思議な幻覚を見る
数日前から起こること 急に体調が良くなる; 血圧・心拍数・呼吸数・体温などが更に不安定になる
④ 死の24時間前頃から起こること 尿が出なくなる; 下顎呼吸になる;尿と便がバッ出る; ㋥目が半開きになり、涙がでる; 息を吸って、止まる

<大切な人の死を看取る人の心に起こること>
① 何もすることが無いと不安になる: することが無くなって手持ち無沙汰になる; 「食べたくない」と言われて心配になる
② 「まだ大丈夫」と「もうダメかも」の間で心が揺れる: 自分の希望のために、不必要なことをしてしまう; お酒やタバコが欲しいと言われても拒んでしまう
③ 別の世界に行きつつあることを理解できない: 奇妙なことを言われて否定してしまう ⇒ 同じ空間にいるだけでいい
④ できることは全てしても後悔する:⇒ 起こったことはすべて「よかったこと」

<上記以外で心に残ったポイント>
* 余命を告げられた時に、本人がそれを受容するまでに、否認⇒怒り⇒取引⇒抑うつ⇒受容というプロセスを辿る
* 「スピリチュアル・ペイン」とは終末期特有の心の痛みからくることで、看護する人に「なぜ死ぬのだろうか?」、「どれくらい生きていられるのだろうか?」、「私の人生は、何だったのだろうか?」と聞いてきます。看護する人には答えようのない問題ですが、「何をバカなことを言ってるの」などと言って逃げたり、諭したりするのではなく、死にゆく人の言葉に耳を傾けてあげることが大切 

Follow_Up:多死社会の難題_Sep’19・Wedge

Follow_Up:地域を支える総合医_Sep’19・Wedge

Follow_Up:孤独死・年間3万人の衝撃_Sep’19・Wedge

B.「病床六尺」を読んで;
看取られる側の死に至る迄のプロセスについては、当然のことながら亡くなってしまえば書いて残すことが出来ないので、中々いい本が見つからなかったのですが、何かの拍子に学生時代に読んだ正岡子規の「病床六尺を思い出しました。家の中を探してみましたが、見つからなかったので、ネットで購入できるか探してるうちに、電子化された病状六尺の全文がネットから手で手に入れることができると分かり(恐らく短編であり著作権が切れている為と思われます)読み返してみました

内容はご存知の方も多いと思いますが、1902年5月5日~同年9月17日までの136日間、127回に亘って日刊新聞「日本」に掲載された、評論を中心としたエッセーです。最終稿が投稿されて二日後に亡くなりました。日刊新聞「日本」といえば、今年、終戦記念に因むNHKの特集番組で、国粋主義を標榜する編集で国論を動かし、日本を軍国主義に導いていったメディアとして紹介されましたが、このエッセー自体はそうした内容は皆無です。ここでは、死を間近しながら、舌鋒鋭い評論の部分は割愛することとし、当時「死病」であった結核菌による脊椎カリエス(私の父の姉もこの病で20代前半に無くなっています)で、死の恐怖と極度の痛みに苦しみながら、どのように過ごし、亡くなっていったかに注目したいと思います;

*最初の投稿で、「苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤(鎮痛剤?)、僅かに一条の活路を死路のうちに求めて安楽を貪るはかなさ、それでも生きて居ればいいたい事はいいたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさえ苦しんでいる時も多いが、読めば腹の立つこと、癪に障る事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるような事がないでもない」 ⇒ 精神的、肉体的に厳しい状況になっていても、評論という創作活動を行うことで、絶望しないで生きることが出来るということか、、、
* 21回目の投稿で、「余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りということは如何なる場合にも平気で生きていることであった」 ⇒ 死期が迫っている自覚があるなかで、創作活動を続けることが出来たのはこうした悟りに達していたからか、、、

* 病状が厳しくなった39回目の投稿で、「死ぬることが出来ればそれは何より望むところである。しかし死ぬる事も出来ねば殺してくれるものもない」 ⇒ 自死をする体力も失ったということかもしれない
* 看護に触れている66回目の投稿で、「おんなの務むべき家事は沢山あるが、病人ができた暁にはその家事のうちでも緩急を考えて先ず急なものだけをやって置いて、急がない事は後回しにするようにしなくては病人の介抱など出来るはずがない、、、んうんと唸っている病人を棄てておいて隅から隅まで拭き掃除をしたところで、それで女の義務を尽くしたという訳でもあるまい」 ⇒ 献身的な介護をしていた妹の「律」に向かって言っているとすれば、現代では許されないコメントかもしれない

* 病状が進んだ86回目の投稿で、「このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみになっている」 ⇒ 現在の緩和治療では、痛みに応じて多くの種類の鎮痛剤(モルヒネを含む多くのオピオイド系鎮痛剤)を処方できる
* 127回目の最終稿を送った翌日の9月17日、死が目前に迫ったことを覚り、以下の辞世の句を自身で唐紙に書きつけ、19日未明に息を引き取りました。享年36歳でした;
⇒ 「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
⇒ 「痰一斗糸瓜の水も間にあわず
⇒ 「をととひのへちまの水も取らざりき
(注)糸瓜は「へちま」のこと。ヘチマの蔓を切って液をとり、飲むと痰が切れ、咳をとめるのにいいとされ、子規の家でも庭にヘチマを育てていた。子規の命日を「糸瓜忌」というのは、この辞世の句が由来です

おわりに

およそ4ヶ月のあいだ、死の問題に取り組んで来ましたが、「自身の死に関して覚悟ができたか」と問われれば”否”と言わざるを得ません。雑誌”Newton”が教える「生物としての生と死」は否定しようがない真実です、またシェリー・ケーガン教授が教える最新の哲学、倫理学から理論的に導かれる「人間の生と死の実相と、それを前提とした正しい生き方」も、ごく一部を除けが納得ができます。

一方、私が50年近くに亘って馴染んできた「般若心経」の死生観については、頭の中ではある程度理解ができるものの、死を超越する悟り境地(子規の境地?)には程遠い状態です。しかし、この先に何かがあるような感覚は持っています
また、「看取り」の問題は、今回の勉強で自身の心の準備とは別に、在宅死を望むのであれば、家族の理解を得るため準備しておくべきことや、在宅医療のサービスを受けるために必要な準備があることが分かりました

私の死に対する準備が整うまで、「死神さん、ちょっと待って!」というのが今の心境です

付録 -- “シェリー・ケーガン著:「死」とは何か” 各講義の要点

第1講:「死」について考える
本書では、私たちの生き方は、「やがて死ぬ」という事実にどの様な影響を受けて然るべきか? 「必ず死ぬ」という運命に絶望するべきなのか? 「死」を恐れるべきか? 「自殺」の合理性と道徳性、などについて論理的な検討を行う
本書は哲学の本なので、宗教的な権威に訴えず、「死」に関して知り得ることや、理解しうることについて、論理的思考力を使って、注意深く考えることに徹する

「死」が終わりであることが筆者が依って立つ前提となる

第2講:死の本質
人間の機能を、心臓を動かしたり、呼吸をしたり、歩いたりする身体の機能「身体機能(B機能)」と、高次の様々な認知機能を「人格機能(P機能)」とすれば、生まれてから暫くは「B機能」のみ、その後、意思疎通をしたり、理性や創造性を発揮し始め「P機能」を持つこととなる。そして、かなり長い時間が経ってから両機能が停止するが、その状態は議論の余地なく「死体」となる。しかし、「B機能」と「P機能」が同時に停止するとは限らない
「人格説」を取れば、人格を失った時点で死んでいるので「心臓移植」は問題ないと言えるが、「身体説」をとれば生きている人間から心臓を取れば確実に死に至るので「殺人」ということになり、道徳的に許されないことになる

生死の境は実は曖昧。眠っているときにP機能をはたしていないとしても、起こせばP機能を発揮できるので、新たな生きている定義として、「実際にP機能を実行していなくても、それでもP機能果たせる能力を持っている」とすればどうか。こうすれば、P機能を果たせなくなるということは、P機能を果たす能力を支える「脳の認知機能」が壊れ働かなくなった状態と説明することが出来る

死とは何か -- 筆者の哲学的回答;
哲学の観点に立つと、ここでは何一つ謎めいたことは起こっていない。身体が作動し、それから壊れる。「死」とはただそれだけのことだ

第3講:当事者意識と孤独感 -- 死をめぐる二つの主張
主張①:誰もがみな、“自分が死ぬ”ことを本気で信じていない;
根拠_A:病気になり「死」の直前までの状況は想像できるが、死後の状況までは想像できない ⇔ 自分が思い描いたり、想像したりできないような可能性は信じられない
根拠_B:「自分がいつか死ぬ」とは本当は信じていないから;
私たちはみな自分の身体が最終的には機能しなくなると、確かに認めている。何故なら、生命保険に入るのは、自分が特定の期間内に自分の身体が死ぬ可能性があると信じていて、残された家族が暮らしていけるようにしたいと願っているからだろう。また、遺言状を書くのも同じ理由だろう

主張②:死ぬときは結局独り;
「独りで死ぬ」ならば、それは必然か、偶然か;
この主張に関しては、ただ「正しい」ことが判明するだけでは納得するには不十分だ。私たちが探し求めているのは恐らく、死に関する「必然的真理」なのだろう
死を取り巻く「孤独感」;
「死ぬときは結局独り」という主張は、私たちが死ぬときの心理状態が「孤独」に類似しているということかもしれない。死の床に就いたその人は、他の人々に囲まれているかもしれない。にもかかわらず、その人は他者から引き離され、遠く疎外されているように感じている。その人は、大勢の人の中にいてさえ、孤独感を覚える。これこそが、人が言わんとしていた種類の「独りでいる」ことなのかもしれない
筆者の結論:「私たちはみな独りで死ぬ」と人は良く言うけれど、その主張はただの戯言だと思う

第4講:死は何故悪いのか
死はどうして、どんなふうに悪いのか;
殆どの人は「死は悪い」と信じていると筆者は思っている。しかし、死が本当に一巻の終わりであるなら、死は本人にとって悪いものであるはずがないように思える。何故なら、死んでしまって本人が存在していないのであれば、何一つ本人にとって悪いはずがないということは妥当な事ではないだろうか

死は何より、「残された人にとって、悪い」もの?;
残された人にとって、死者との交流する機会をすべて失うことになり、それが死の最悪の点である。しかし、それは「死のどこが悪いのか」という点に関しては、その核心にあるとは思えない

「死ぬプロセス」や「悲しい思い」こそが「悪い」?;
自分がいずれ死ぬと考えたときに、恐れや不安、心配、後悔、その他、を感じるのは、「死そのものが自分にとって悪い」という考えが先にあってこそ筋が通る。言い換えれば、恐怖や胸騒ぎでどうしようもなくなるのは、待ち受けているもの、予期しているもの自体が悪い時に限られる

死の本質は何か;
人間の機能を、心臓を動かしたり、呼吸をしたり、歩いたりする身体の機能「身体機能(B機能)」と、高次の様々な認知機能を「人格機能(P機能)」
「人格説」を取れば、人格を失った時点で死んでいるので「心臓移植」は問題ないと言えるが、「身体説」をとれば生きている人間から心臓を取れば確実に死に至るので「殺人」ということになり、道徳的に許されないことになる

哲学の観点に立つと、ここでは何一つ謎めいたことは起こっていない。身体が作動し、それから壊れる。「死」とはただそれだけのことだ

「死が悪いことか」という問題;
昔から多くの哲学者が理論を展開してきたが、筆者の結論は;
剥奪説」こそが、進むべき正しい道に思える。この説は死にまつわる最悪の点を実際にはっきり捉えているように見える。死のどこが悪いのかといえば、それは、死んだら人生における良いことを享受できなくなる点で、それが最も肝心だ。死が私達にとって悪いのは、私たちが死んでさえいなければ人生がもたらしてくれただろうものを享受できないからにほかならない

第5講:不死 -- 可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
死は人生における良いことを剥奪するから悪いのであるなら、最も望ましいのは永遠に生きることなのだろうか?
天国での永遠の時を約束する宗教でさえ、詳細については非常に遠慮がちであることは際立っている。何故なら、実際に詳細を埋めようとすると、この素晴らしい「永遠の存在」は、結局それほど素晴らしくは見えなくなることが懸念されるからだ。例えば、私たち全員が天使になり、永遠に賛美歌を歌って過ごすことになると想像してみれば、天国はそれほど素晴らしくは見えないことが懸念される

筆者は、「永遠にやりたいと思えるようなことを考え付くのは不可能だと思っている。また、自分が永遠に続けたいと願うような人生は一つとして思いつかない」と思う。
「不死」は実は、是非そこから逃れたくなるような悪夢となるだろう

第6講:死が教える「人生の価値」の測り方
人生の価値;
快楽主義について:快楽主義の見方は、哲学が生まれたときから既にあり、哲学者の間で人気が高い。しかし、筆者はそれが間違えに思えてならない。最良の人生には、快感を手に入れて痛みを避けること以上のものがあるように思える。単純な快感ではなく、実際には、「友情を育み」、「語り合い」、「睦み合い」、「愛し合う」といった人間が真に切望する最高級の快感があるはずだ

人生に何が起きているかという問いとは別に。「生きていること自体の恩恵」というものがある。現に生きているというだけの事実が、人生に更なる価値を与えるという主張で、これを「価値ある器説」という
「生きていることそのものには信じられないほどの価値があるので、人生の中身がどれほど身の毛がよだつものでも、総計はいつもプラスになる」と考える人もいる。筆者としては、この様な考え方は夢物語であり、荒唐無稽で信じがたく、どうしても信じる気になれない

第7講:私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
人生の送り方;
1.「死は絶対に避けられない」という事実を巡る考察
2.なぜ「寿命」は、平等に与えられないのか
3.「自分に残された時間」を誰も知りえない問題
4.人生の「形」が幸福度に与える影響;
イェール大学の学生で、この疑問に直面しなければならなかった学生がいた。この学生は一年生の時に癌の診断を受け、医師から回復の見込みがなく、あと2年しか生きられないことを告げられたた。彼は残されたあと2年で何をするべきかと考え、自分の目標は「学位をとり卒業すること」と定めた。その一環として4年生の後期に、私の「Death」の講座を選択し出席していた。しかし、春休みを迎える頃には病状が悪化し、医師に学業の継続は無理と言われた。その学期に彼が取っていた講座の教員は、大学の管理部門から「学期のその時点までの実績に基づいて、彼にどの様な成績を与えるつもりがあるか」と問い合わせが来た。つまり、かれが卒業可能となるだけの単位が取れるかの確認であった。結果として、彼は十分な単位が取れており卒業可能であることがわかった。そこでイェール大学は、見上げたものだが、管理部門の職員を死の床に派遣し、彼が亡くなる前に学位を授与した
5.突発的に起こりうる死との向き合い方;
6.生と死の組み合わせによる相互作用;
筆者は、単に合計を求めるだけでは足りないと考える。人生の境遇を全体として評価するには人生の良さと死の悪さを、ただ合計する以上のことが重要だ。それは、「生」と「死」の間にある「相互作用効果」だ、この相互作用によって人生の価値がプラスになったりマイナスになったりする

第8講:死に直面しながら生きる
死にまつわる事実を認めるものの、「どう生きるべきか」についてまだ自問していない人に対しては、この後でこの人たちの疑問に答えていきたい
死にまつわる事実については、考えるべきときと場がある。自分が死ぬべき運命にあるという事実を、常に目の前に置いておくべきかという人が居たら、その人は間違っているとおもう。しかし、死ぬべき運命と死の本質について決して考えるべきではない、という人が居たら、やはりその人も間違っていると思う
死に対するごくありふれた反応の一つに、「非常に強い恐怖」がある。ただ、筆者が知りたいのは、死に対する恐れは「適切な応答かどうか」、また「理にかなった感情かどうか」だ。恐れの3条件;①恐れているものが、何か「悪い」ものである;②身に降りかかってくる可能性がそれなりにある;③不確定要素がある
恐れの中身;
①死に伴う痛みが恐ろしい;
②死そのものが恐ろしい:誰かが「死を恐れている」という時に、本当は「死ぬプロセス」を恐れている場合もあるかもしれないが、殆どの人は「死んでいるところ(⇔死んだらどのようになるか)」を恐れているように思う。しかし、それはこの恐れが適切であるための条件は満たしていないと筆者は考える
何故なら、死んでしまえばどんな種類の経験もできない(⇔第3講で考察済み)。死んだとき、何らかの経験はするが、それは通常の経験とは違うので想像はできないはず。死んだらもう、いかなる経験も存在しないのだ
③予想外に早く死ぬかもしれないのが恐ろしい:若者が実際に死ぬ可能性は、統計的にみれば極端に低い。その可能性があまりに低いので若者が本気で恐れるのは全く適切には思えない。歳をとるにつれ、特定の期間内に死ぬ可能性は着実に高まるものの、この場合でも「間もなく死ぬという恐れ」は不釣り合いなまでに大きくなりやすい。死が間もなく訪れかねないのを恐れるのは、とても病気が重い人や、とても高齢の人であれば理に適っている。死はまったく逆らいようのないものだから、私は恐ろしくて仕方がない」という人が居るのは本当だと思うけれど、死を極端に恐れる気持ちは適切な感情では無いと思わざるを得ない。事実を見る限り、それは筋が通らないのだ

死ぬか死なないか以前に、人生を台無しにしないこと:私たちが死を免れないのなら、人生を台無しにする危険は大きい。(不死でなければ)死がすぐに来てしまい、やり直しを試みる時間はとても短いことを常に念頭に置いていなければならない

業績や作品は永久に不滅か;
死と向かい合いながら生きるための戦略について考えるにあたって、この種類の不滅性を追求するに値するかどうかを問うことだ。つまり、自分の作品や業績を通して生き続ける、あるいは子供を通して生き続けるということは、文字通り生き続けるのとは違うからだ。それは「半不滅性」あるいは「準不滅性」だろう
「半不滅性」を主張する第一のタイプ:「自分の一部が子供のから孫、、、に引き継がれるから」、あるいは、ドイツの哲学者ショーペンハウアー(1788年~1860年)が言っている「自分の身体を構成している原子は、死んでも存在し続け、何か別のものに再利用される」という考えについては、筆者は同意できない
「半不滅性」を主張する第二のタイプ:亡くなっても、「その人の実績が残り続ける」筆者は、この第二のタイプに価値があるという考えに惹かれている

人生の価値をできる限り高めるための戦略とは;
これまで語ってきた人生戦略の根底にある信念は、「人生は良いもの、あるいは良いものとなりうるので、じぶんの人生をできる限り価値あるものにしようとするのは理にかなっている」ということだ。

死と仏教、キリスト教と生き方の関係;
これまでの議論を単純化し、一般化すれば、「人生は良いもの、あるいは良いものとなりうるので、じぶんの人生をできる限り価値あるものにしようとするのは理にかなっている」という基本的な見解(第一の見解)は、おおざっぱに言えば西洋的な見解だ。一方、「人生は、本当は大切に受け入れる価値がある、潜在的に価値に満ちた貴重な贈り物ではない」というのは、おそらく東洋的な見解第二の見解)だ。この有名な例が仏教にみられる。仏教徒は、人生の本質は、「喪失と苦しみ」と言っている。仏教徒はこうした良いものへの愛着から自分を解放し、それらを失った時の痛手最小限になるようにしようとする。筆者は、仏教に途方もなく深い敬意を抱いている。ただ、筆者は西洋の生まれであり、「創世記」の産物だ。「創世記」では神は世界を眺め、それが良いものであると判断を下す。少なくとも筆者は、人生がネガティブなものだと認めることで喪失を最小化する戦略は受け入れられないとしている。だとすれば、筆者にとって、ひょっとすると私たち殆どにとって、もっと楽観的な戦略から選ぶのが妥当であると思われる

第9講:自殺
自殺を「自己利益」の問題と「道徳性」の問題に分けて考える
「自己利益」の面から考えれば、「癌の様な最終的に死に至る消耗性疾患の末期の人を想像すれば、痛みがひどく、苦しむこと以外ほとんど何もできないかもしれない。色々な楽しみも無くなり、ただ痛みの為に取り乱し、痛みがやむことを願うばかりになる。また、アルツハイマー症やALS(筋萎縮性側索硬化症)の様な変性疾患にかかって、人生に価値を持たせるようなことが徐々にできなくなり、自分の身の回りの最低限のことさえままならなくなる。これらのような場合は、自殺することが理に適っている」と筆者は考える
ただ、変性疾患の場合、身体のコントロールはできなくなるものの、頭脳は何の問題もなく働き続ける間は、家族やそのほかの人がサポートしてくれれば、生き続ける価値があると考えられる。ただ最終的に人生を送る価値がなくなる時が来ることは想像し得る。しかしこうなれば、自殺する能力もなくなる可能性もある。分かってもらえると思うが、ここで自殺は安楽死の問題に変わる
明晰な思考ができない状況で下した判断は信頼に値しない。信頼に値しないなら、結局自殺が合理的な判断になることなど決して無いように思える
自殺するという判断は慌てて下してはいけない。医師とよく話し合い、自分の愛する人々と十分話し合うべきだ。その結果下した判断は、どんな判断であれ理に適ったものとして信頼するに値するのではないだろうか

現実の自殺の事例は、実にこの肝心な条件を満たしていないことが多いと筆者は考えている。多くの自殺のケースでは、以前の人生と比べたり夢見ていた人生と比べたり周りの人の人生と比べたりして、今の人生は生きる価値が無いと思い込む。しかし、期待した人生ほど生きる価値が無かったとしても、やはり存在しないよりは良いのだ

道徳性」の面から考える;自殺は合理的な選択であり得るとしても、自殺がなお不道徳であり得る。ただ、道徳性と合理性という二つの概念を切り離せるかどうかについては、哲学では大論争になっている
この問題に対する最も優れた回答は、イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒューム(1711年~1776年)が行っている:「少なくとも、自殺が神の意思に背くという考えには説得力があると思う人がいたら、誰かの命を救うのは神の意思に背くというのも、なぜ説得力があると思わないのだろうか?神はその人を死なせるつもりだったのかもしれないではないか!
例えば、もし皆さんが医師で、誰かが心肺停止の状態になっていたら、直ちに心肺蘇生法を施せるのに、「ああ私はこんなことをしてはいけない。この人が死ぬのは神に意思だから、この人の命を救うのは、神の思し召しを妨害していることになります」などと言うだろうか?そんな人はいない。であれば、「自殺は神の思し召しに反する」ということもあり得ないということになる

「命はとても素晴らしい贈り物であり、この与えられた贈り物を大切にし、恩返しをしなければならない。だから私たちは生き続ける義務があり、自殺は道徳に反する」という意見がある。筆者は、この主張にも説得力が無いと考えている。何故なら、恩義とは一体何を意味するかに注意を払う必要があるからだ。しかし、恩義とはいっても、与えられた本人が有難いとは思わないこともあるはず。そんな場合、恩義に報いることに道徳的な必要性はないはず。「たとえ汝の人生が悲惨な状況になり、死んだほうがましだとしても生き続けよ。もし自殺をすれば、永久に地獄に落とすぞ」と神が言われたとしたら、恐らく自殺しないほうが賢明だが、そこには道徳的な必要性は無いはずである。従って、感謝の念に訴えることに基づいて自殺に反対する主張はうまくいくはずがない

全ての「道徳論」に共通する考え方として、自分の行動の結果がどうなるかを問うことは、いつも道徳的に重要である。
自分自身は?:自殺が自己利益の観点から合理的なものとして受け入れられるケースでは、自殺をすれば、そうしない限り被らなければならないだろう苦しみから解き放たれると仮定すれば、自殺をする判断が実は道徳的に支持されるようにも思える。道徳性の観点からは、自殺をしようとしている本人だけでなく、全ての人にもたらされる結果を考えねばならない。これに関連する最も重要な人は家族、愛する人、友人など本人のことを最も直接的に知り、気にかけている人々だ。これらに人々に関しては、自殺が大きな嘆きや苦しみをもたらすので、自殺の結果は一般的に悪いと主張するのが妥当と思われる。
しかし、行動の結果はたいてい良いものと悪いものが混ざり合っている。従って。自殺者の家族や友人や愛する人に嘆きや痛みをもたらすというネガティブな結果があるとしても、もしその自殺者が死んだほうが本当にましなら、本人の受ける恩恵の方が勝るかもしれない

①功利主義的立場:万人の幸福を同等に扱いながら、「正しいか誤りかは万人にどれだけ多くの幸福を生み出せるかの問題である」とする道徳の主義だ。この立場に立てば、誰かの死によってあまりにも大きな悪影響を受ける人々がいて、本人が生き続ける代償よりも、その人々への害の方が大きい場合、自殺しない方が良い。しかし、自分は死んだほうがましで、他者への影響がその事実を凌ぐほどに大きくない場合は、自殺が正当化される。

②義務論的な立場:自分の行動の良し悪しを結果だけでなく、他の事柄にも目を向けなければならないと考えること。
思考実験:臓器移植を行う場合、一人の健康な人を殺してその臓器を5人の患者を生かすために使ったとした場合、功利主義に立てば許されるように見えるが、直感的に罪のない人を殺すのは間違いであることが分かる。人には殺されない権利があり、罪のない人を害することを義務論が禁じているのは、大抵の人が受け入れる。
しからば、「私という罪のない人間」を殺す反道徳的行為にならないか? 私が死んだほうがましな場合には、自殺しても自分を全体として害するわけではなく、自分に恩恵を与えていることになる。だから、全体として害してはならないという禁止に反してはいない。これが正しいなら、義務論の観点から考えても、自殺は特定のケースでは道徳的に正当と言える

自殺の道徳性に関する筆者の結論;
功利主義の立場を受け入れようと、義務論的な立場を受け入れようと、自殺は常に正当であるわけではないが、正当な場合もある。自殺しようとする人に出会った場合、その人がよく考え、妥当な理由を持ち、必要な情報も得ていて、自分の意思で行動していることが確信出来たら、その人が自殺することは正当であり、本人の思うようにさせることも正当だと思える

以上

 

野菜栽培の現況

今年5月6日にブログで報告(平成と令和の春!)してから3ヶ月ほどが経過しました。既に7月末、見出しの写真は、漸く長い梅雨が終わろうとしている7月24日での夏野菜の収穫状況です。今年の夏野菜のチャレンジの第一はナスの栽培品種を増やすことでした。種の入手経路は、今までの国華園に加え両親の故郷・長野県の種苗業者である信州山峡採種場からも調達を行いました。この種苗業者は全ての種の値段が種の量によって100円から売られていることです。家庭菜園の様に「小規模」生産では常に種が余り、翌年以降に繰り越すと発芽率がかなり落ちてきて無駄になるために大変重宝しています
見出し写真の上部にナスが3種類ならんでいます、左の丸い大きなナスは「小布施丸茄子」です。両親の出身が長野県であった為、親戚からのお土産で頂く機会が多かった「お焼き」が大好きでしたが、この材料になるナスです。実が固いので、恐らく輪切りにして「ナスの田楽」にしても美味しいと思います。写真の左側のつやの良いナスは国華園で調達した「泉州水ナス」です。これは、3年弱関西に駐在していたころに味わった「水ナスの浅漬け」を忘れられず、今年初めてトライしてみました。ただ、現在の所あの浅漬けの味が出せずにワイフと研究中です

水ナス_7月2日
水ナスの最初の収穫_7月2日

真ん中のナスは関東地方で一般に売られている「長なす」です。これまで失敗したことが無かった品種ですが、今年は3本育てた内1本が生育途中で突然枯れてしまいました。原因を調査する為にこのコンテナの土を取り出して子細に調べた結果、以下の写真の様にコガネムシの幼虫に根を食べられた為と分かりました

コガネムシとその幼虫
コガネムシとその幼虫

見出し写真の中ほどにあるトマト(3種)のうち、黄色のプチトマトは信州山峡採種場で調達した「交配・ミニトマト オレンジ」です。これは糖度が高くて吃驚しました。また100円で種が3粒しか入っていないのにも驚きました(3粒全て発芽しました!)。「赤いミニトマト」は昨年国華園で調達した種を使いました(味はやや酸味が強い)。右端の大きなトマトも信州山峡採種場で調達した「世界一トマト」です。味は幼い頃馴染んでいた露地栽培のトマトと同じでやや酸っぱいのですが、甘くないトマトもそれなりに美味しいと思います。屋上菜園を始めた頃にチャレンジして失敗した大きなトマトも、種さえ選べば素人の露地栽培でも収穫可能であることを知って嬉しくなりました

大きめのトマト
収穫した最大のトマト_7月26日

尚、小さめのトマトの皮が割れているのは、梅雨が例年になく長引いたためです(⇒ 露地栽培の宿命!:今や拙宅の近所で露地栽培を行っている農家は皆無です)

見出しの写真の左下の情けないキュウリ!は、梅雨の長雨でウドンコ病、ベト病が発生し葉がほぼ役に立たなくなったせいです(下の写真の左側参照)。ただ6月半ばまでは立派なキュウリを収穫することができていました。第一世代は程なく収穫不能になると考え、7月初めに植え付けた第二世代(下の写真の右側参照)によって7月27日から新しいキュウリの収穫が可能となりました

キュウリの生育状況
キュウリの生育状況

見出し写真の一番下はピーマンです。ピーマンの栽培はここ数年病気などにより多くの収穫ができませんでしたが、信州山峡採種場から調達した「改良巨大ピーマン」を購入して育ててみたところ、病気にも強いようで7月以降収穫は好調です。”巨大”とありますが、普通のピーマンの大きさで収穫する方が収穫量は多いようです

その他の報告事項

1.ジャガイモの収穫;
5月のブログ(平成と令和の春!)で切り口を上にして植え付けたものと、今まで通り切り口を下にして植え付けたものとで、収穫状況を比べてみることを約束しましたが、結果は以下の通りです;

男爵イモの収穫_6月5日
男爵イモの収穫(21.8kg)_6月17日

*切り口の収穫量:6.4kg/3コンテナ ⇒ 2.13kg/1コンテナ
*切り口の収穫量:15.4kg/7コンテナ ⇒ 2.20kg/1コンテナ

となり、両方の植え方には収穫量面で有意な差が無い!ことが分かりました

2.タマネギの収穫;
昨年のブログ(寒風吹きすさぶ!真冬の野菜栽培)で長期保存が可能なタマネギは何とか11月下旬に植え付けることが出来たこと(苗はちょっと弱々しい!)、また生食用のタマネギは苗が植え付けるまでに育たなかったことで、翌春の植え付けとしたことを報告しました。前回のブログ(平成と令和の春!)で3月6日に定植し、5月6日の生育状況は順調とご報告しましたが、5月27日に収穫したところ;

タマネギ2種の収穫_5月27日
タマネギ2種の収穫(11.0kg)_5月27日

全般的に球が小さく、収穫量は昨年までに比べると少な目となりました。やはり良い苗を育て、秋の定植時期をきちんと守らないと、いいタマネギはきないことを改めて学びました

3.袋栽培の状況;
前回のブログ(平成と令和の春!)でチャレンジすることを書きましたが、実際に植え付けた野菜は以下の通りです;

袋栽培_巨大ピーマン・辛長唐辛子・鷹の爪_7月28日
袋栽培_巨大ピーマン・辛長唐辛子・鷹の爪_7月28日
袋栽培_縞ウリ・ゴーヤ・サツマイモ_7月28日
袋栽培_縞ウリ・ゴーヤ・サツマイモ_7月28日

生育状況は概ね順調です。ただ縞ウリはキュウリと同様、長梅雨の為にウドンコ病、ベト病に罹り元気が良くありません。梅雨明けで元気になってくれるといいんですが、、、
いずれにしても、袋は「牛糞堆肥」を買えばタダで手に入るので、これからは高価な栽培用コンテナの更新(5年ぐらい使用するとプラスティックが老化して脆くなります)は最小限に出来そうです(⇒コストの削減!

4.その他(蛇足?)
袋栽培の写真にある「辛長唐辛子」(正式名称:トウガラシ・F1辛長キング)は国華園で調達しましたが、下の写真にあるように兎に角大きい唐辛子です;

辛長唐辛子
辛長唐辛子

種の説明によれば、韓国キムチ専用で使われる品種です。赤くなる前に青色で収穫すれば、酢味噌を付けて生食も可能と書いてあります。拙宅では天ぷらで食べることもあります。また、種を除いて薄い輪切りにしてサラダに加えれば、適度に辛味のきいた大人のサラダになります

信州山峡採種場から「サラダからし菜」を調達し、春から二度にわたって収穫しています。とにかく成長が早いので、朝の生野菜サラダには最適の野菜です;

サラダからし菜_7月29日朝食
サラダからし菜_7月29日朝食

生で食べるとちょっと辛味がありますが、私は大好きです。上の写真の朝食は卵を除き全て我が家の屋上野菜です。生サラダに入っているタマネギのスライスは、やや出来損ないのタマネギを朝食用として無駄なく活用しています。トマトの上にのっている緑色のけったいな代物は朝取り!のディルです!

辛味大根2種;
近所のホームセンターで調達した「四季どり辛味大根」と信州山峡採種場から調達した「ねずみ辛味大根」を栽培し6月に収穫しました。現在2回目の栽培を行っています;

辛味大根2種
辛味大根2種

四季どり辛味大根」は写真で分かるように見栄えが良く辛味もそこそこありますが、辛味は圧倒的に「ねずみ辛味大根」に軍配が上がります。信州そばの友として最も適している大根おろしはやはり「ねずみ辛味大根」だな、というのが私の感想です

以上

 

航空機の運用

はじめに

上の写真は、上越新幹線の通称『ダイヤグラム』と言われている発着ダイヤを表すグラフです。このグラフで新幹線全便の一日の運航状況が全て読み取れます
因みに、縦軸は停車駅、横軸は時刻を表しています。斜めの線が列車の進行を表し、この線の上に書かれている『1301C』などの番号がその列車に付けられたいわば「便名」に相当することになります。その列車の駅間の隙間がやや不揃いなのは、駅間の平均速度を勘案して駅間の斜めの線の傾きがある程度揃うように工夫してあるようです
停車する駅ではこの斜めの線が少しズレていますが、このズレがその駅の停車時間に相当します(恐らく上越新幹線では途中駅での停車時間は1~2分、終点の新潟駅での折り返し東京行き出発までの時間は15分程度に設定されていると思われます)
列車の乗務員、駅員、全体のスケジュールを調整している担当者などはこの『ダイヤグラム』で仕事をしていると言っても過言ではないと思います。例えば、どこかの駅でトラブルによる遅延が発生した場合、この『ダイヤグラム』を見て後続の列車をどこの駅で停車させればいいか直ぐに分かります。勿論、復旧する場合も同様に、各列車の運休計画、遅延時間も迅速に判断が可能です。いわばプロ仕様のダイヤと言えるかもしれません。参考までに、興味のある方は、最も過密なダイヤで運行しているJR東海道新幹線ダイヤグラム_2015年ダイヤ改正をご覧になってみてください。プロの凄さ!が理解できると思います

エアラインビジネスにおける各航空機の運用も、基本的には列車やバスなどの陸上輸送や、船舶による海上輸送と全く同じです。航空機の運用のプロも、お客様が日頃見慣れている発着ダイヤではなく、こうした『ダイヤグラム』をもとに仕事をしていると言っても過言ではありません

エアラインビジネスの場合、航空機の購入価格が桁違いに高額である為、航空機の稼働を極限まで高めないとビジネスとして成立しないことになります。因みに、日本航空が最近デリバリーを受けたエアバス製のA350XWBという航空機のカタログ価格は、シリーズによって違いはありおますが、約3億ドル(日本円で約325億円:108円/USD)⇒ 機体の償却費だけで1日約1千万円弱を見込まなければならないことになります。また、鉄道の場合、駅のホームは鉄道会社が所有しているのが普通であるのに対し、エアラインが使用する空港や空港内のターミナルは、通常エアラインとは別の事業体(国の所有を含む)が所有しており、エアラインが自由に使えるものではありません
従って、以下の様な各種の制約条件を如何に上手に?クリアーし、航空機の運用を効率的行うことが、エアラインビジネスの『肝』になると言えると思います

航空機の運用に係る各種制約条件

1.使用する空港の制約
発着枠:空港の滑走路の数、管制官の人数、空域の制約(近傍の空港が使用する空域の制約、軍の訓練空域の制約)などにより、空港ごとに最大の発着回数が決められています。混雑空港については各エアライン間で公平さが要求されるために必ずしも要求通りの発着枠を取得できるとは限りません。お客様の利便性を考慮し、既に運航している定期便の発着枠の既得権は原則守られますが、1990年代に政策的に規制緩和が行われた時代には、新規航空会社の参入を進めるために、新規枠の配分を新規参入エアラインに優先的に配布されました。尚、規制緩和にについて詳しく知りたい方は(航空規制緩和の歴史)をご覧ください。また最近話題になっている羽田空港の発着枠の政策的な方向性について詳しいことを知りたい方は(羽田空港発着枠の検討課題と現状_国土交通省)をご覧ください。尚、発着が特定の時間帯に集中しない様に1時間あたり、場合によっては3時間当たりの最大の発着回数にも制限が加えられることもあります

羽田空港_夜間
羽田空港_夜間

② 運用時間帯:日本では、地方空港は概ね夜間は使用できません。また主要空港である成田空港、大阪国際空港(伊丹空港)では周辺住民の騒音対策として夜間の発着が禁止されています(日本の各空港の運用時間帯の情報については国交通省の(空港情報一覧)をご覧ください
駐機スポット:航空機を駐機させるにはかなり広い面積が必要であり、ランプエリアを十分に確保できない空港は、駐機スポットの数の制約から他に乗り入れているエアラインとの発着時刻の調整が必要になることがあります
④ CIQ:国際線を運航する場合は、空港に於いて税関Customs/財務省管轄)、出入国管理Immigration/法務省管轄)、検疫Quarantine/人間の検疫は厚生労働省管轄;動植物の検疫は農林水産省管轄)を行う必要があります。管轄する部署の配置人員が十分に確保できない場合、遅延が発生する可能性があります(繁忙期における臨時便の運航、など)

出入国管理
出入国管理

セキュリティー管理:空港ターミナルの「制限区域」に入る場合は危険物の持ち込みを排除する為のチェックが義務付けられています。日本にあっては、この要員の確保に係るコストは、空港に乗り入れているエアライン間でシェアすることになっています

上記③~⑤の制限によって、空港への乗入れに際し時間帯の制約を受ける可能性があります

2.航空機の地上停留中の作業に係る制約
① 機内清掃とシートポケット内容物の補充する作業:航空機がスポットに入ったあと、お客様が降機を終わってから作業を開始し、次の出発便のお客様が乗機を始める迄に作業を終わらなくてはなりません

Cabine Cleaning
Cabin Cleaning

② ケータリング作業(飲食材料の補充):飛行中にお客様に提供される飲み物や食事を搭載します。国内線にあっては飲み物を中心とする補充で済みますが、15時間程度の飛行時間となる長距離路線を運航する場合には、各種飲み物の他に、メインとなる食事2食分と朝食などの軽食を搭載することとなり、かなりの量になります(⇒機内のスペースの確保⇒旅客席数の減)

Catering・Cargo Handoling
Catering・Cargo Handling

③ 貨物の取り卸し・搭載作業:現在エアラインで使われている大型の航空機には相当量の貨物搭載が可能であるため、お客様の手荷物以外にも多くの郵便物や貨物が搭載されており、発着毎にこれらの貨物の取り卸し・搭載作業が行われています

④ 燃料の補給:出発前に目的地到着までに必要となる燃料を補給します。この燃料には目的地までに消費する燃料以外に、もしもの場合(悪天候や航空機のトラブルなど)に備えて目的地ごとに指定される代替空港までの飛行に必要な燃料(場合によっては出発空港に戻るまでの燃料)、その他の予備燃料(空港混雑により待機する場合など)が含まれます

Fueling
Fueling

⑤ トイレの汚物回収、洗浄水の補充:この目的のための特殊車両で行います
⑥ 飲料水の補充:この目的のための特殊車両で行います

Lavatory Service ・Water Service Car
Lavatory Service Car・Water Service Car

⑦ 整備作業:航空機の運用に際し、航空法に基づき整備作業を実施する必要があります。(詳しくは(整備プログラム)をご覧になってください
毎日運航している航空機に対して行う整備作業(航空業界内では運航整備作業/Line Maintenanceと呼んでいます)の具体的な内容や必要人員数については、到着便作業・配置人員出発便作業・配置人員折返し便作業・配置人員をご覧になってイメージアップしてください(実際の作業時間、配置人員については必ずしも正確ではありません)

Line Maintenance
Line Maintenance

これらの作業以外に、定期的に行う整備作業とその機会に行う改修作業があります。これらは、夜間に長時間(5~10時間程度)駐機する機会に実施する作業(通常数百飛行時間ごとに計画的に設定)と、航空機を1週間から1ヵ月程度駐機させて格納庫内で大人数をかけて行う作業があります(詳しくは整備プログラムをご覧になってください)。私の経験ですが、これらの格納庫内で行う大きな整備作業・改修作業は、1機について年間平均18日程度引当ておくことが必要となります。これは即ち、20機保有しているエアラインは、そのうち1機相当分はこうした大きな整備作業・改修作業(航空業界内では重整備作業/Heavy Maintenanceと呼んでいます)を行っていることとなり、実際に毎日稼働できる航空機は平均して19機になることを意味します。こうした大きな整備作業・改修作業に引き当てる予備の航空機を保有していない場合、作業に必要な日数分 定期便を運休する必要が発生します

Heavy Maintenance
Heavy Maintenance

⑧ パイロットの業務:出発前に航空機を地上から点検すること(Walk_around Check)、操縦室内でチェックリストに基づいて計器や各種操縦に必要な機能が正常であることを確認すること、整備士から整備作業に係る報告を受けること、などの業務を行います

パイロットの飛行前の準備作業
パイロットの飛行前の準備作業

⑨ CA(客室乗務員)の業務:お客様が乗機する前に客室内の飛行前点検、機内の収納エリアに危険物が隠されていないかなどのチェックなどを行います
⑩ ランプ・コーディネイターの業務:地上に居て到着・出発作業に携わる人達の作業の進捗管理を行います(必要により出発遅延の決定も行う)。作業が順調に進めば出発5分前という情報を関係者全員に周知することなどを行います

上述の、航空機の到着から出発に至る迄の各担当部門が行う作業の相関関係を図示したものが「標準作業工程表」と言い、ここで示された地上停留時間は航空機の運用を行う際の最小限の地上停留時間DGT/Standard Ground Timeといいます)となります(これより短い折り返し便の設定は特別の場合以外は行いません)。以下は国内線の標準的なケースです(エアラインや航空機の型式によって異なることが普通です)

航空機の到着・出発における標準作業工程表
航空機の到着・出発における標準作業工程表(国内線)

尚、国際線については、①~⑨の業務量が増加するため、一般にもう少し長い停留時間が必要となります

3.航空機の型式、客室仕様
航空機を路線に投入する場合、まずその航空機の航続性能がその路線の飛行距離より長い事が必要です。また競合する他社との競争上の観点から、その路線の旅客需要に見合った客席数(First Class、Executive Class、Premium Economy Class、Economy Class)であることと併せ、旅客サービスの為の飲食類が提供できる客室内の装備が必要となります。
① 航空機の航続性能と最大離陸重量
航空機の航続性能は、航空機の空気力学的な抵抗(一般に新しい型式の航空機ほど性能が良い)、エンジンの燃費性能、燃料の搭載量、などによって決まります。また、長距離路線は飛行時間は長いものの着陸回数はそれほど多くはないのに対し、短距離路線は逆に飛行時間は短いものの、発着回数が多くなります
航空機の用途によって要求される性能を実現するには、航空機の設計の段階で取り入れなければ実現することはできません。要求される設計基準について詳しいことを知りたい方は(3_耐空証明制度・型式証明制度の概要)をご覧になってください。参考の為に、現在日本航空で保有している機種の中で、長距離国際線の路線と国内路線の両方に使用されているボーイング社製の777という機種の性能の違いを日本航空のサイトにある情報を拝借してみました;

777・長距離型と短距離型の比較
777・長距離型と短距離型の比較

上記の二機種は、777という型式名から想像できるように航空機の基本構造は変わりませんが、長距離用と短距離用という用途の違いから相応の設計の違いが見て取れます;

777-300ER(長距離型) 777-300(短距離型)

* 最大離陸重量 : 340.2 ton          237.0 ton
* 航続距離   : 14,340 km           3,550 km
* 機体の長さ/幅:    73.9m/64.8m         73.9m/60.9m

上表から分かる通り、長距離型は航続距離を延ばすために燃料を多く搭載できるように最大離陸重量がかなり大きくなっています。また幅が大きいということは、翼が長くなっている為ですが、これは長距離を効率的に飛行する際の空気抵抗を減らすためです。また、短距離型については上表の数字からは分かりませんが、離着陸回数が多くなることから、頻繁に使う主脚(Landing Gear)や高揚力装置(Flapなど)が強化されています

航空機が運用される時に徴収される着陸料、及び航空路を飛行する際に徴収される航行援助施設料、駐機料などは、一般にこの最大離陸重量を基に計算されます(⇔ 運航コストに大きな影響があります)。これは日本の高速道路料金がその建設費や車体の重量によって道路の傷み具合が違うことから決められている理屈と同じですね!

尚、着陸料の計算式については、最大離陸重量の他に、空港周辺の騒音を低減させる為に機種別にICAO基準に基づいて測定された離陸測定点と着陸進入測定点での騒音値をもとに高騒音機(古い機種)程付加料金が高くなる体系になっています。また離島の空港、あるいは利用状況が芳しくない空港で路線開設、増便を促すためのインセンティブとして着陸料の割引を行うことも行っています。現在の着陸料などの状況については、国土交通省が発行している(着陸料等告示_AIP)をご覧になってみてください

昨今オリンピックに向けての増枠で話題となっている羽田空港の着陸料、及びあまり馴染みのない航行援助施設利用料の設定については、国土交通省が一元的に行っていますので、同省の政策的な方向性について興味のある方は以下の資料をご覧になってください;
羽田空港の着陸料:羽田空港発着枠の検討課題と現状
航行援助施設利用料:今後の航行援助施設利用料のあり方_国土交通省

② 客室仕様
客席と旅客サービスに必要となる装備は「客室仕様」と呼んでいます。長距離型の客室仕様の場合、席数を減らして飲食物提供に必要なスペースを設けるため、座席数がかなり減ってしまいます。777の長距離型と短距離型の客室仕様の違いを日本航空のサイトからコピーしたものが下図です。長距離型は、飲食物の収納、飲食物提供の準備作業のための大きなスペース(Galleyと呼んでいます)が設けられていることが分かります;

777・長距離型と短距離型の座席配置の比較
777・長距離型と短距離型の客室仕様の比較

席数については、以下の様に大きな違いがあります;
777-300ER(長距離型):244席(First Class/8席、Executive Class/49席、Premium Economy Class/40隻、Economy Class/147席)
777-300(短距離型):500席(J  Class/78席、Economy Class/500席)

以上より、長距離国際線用の航空機を国内線に使用することはコスト面からも収入面からも適切でないことが分かります

航空機の稼働を上げるには?

1.「標準作業工程表」を変更し、DGTを短縮する
国土がそれほど広くない日本にあっては、国内線の飛行時間は数十分から4時間未満と考えてよいと思います。また、国内の地方空港の大半は夜間の発着ができないことがあり一日の稼働可能時間はせいぜい8時~22時の14時間程度しか期待できません。こうした状況で稼働を上げるにはDGTを短縮するしか方法はありません
DGTを短縮するには「標準作業工程表」の各部門の作業時間を短縮する(あるいは省略する)こと、作業の重なりを許すこと、などが考えられます。このための具体的な工夫の例は以下の通りです;
「機内清掃とシートポケット内容物の補充」作業を、お客様が降機するペースに合わせ、後部担当のCA(客室乗務員)に担当してもらう(機内清掃は粗ゴミ拾い程度 ⇒ 旅客サービス水準の低下!)
「燃料の補給」作業をお客様が降機中から始める(⇔ 火災発生時に備え、CAのDoor side配置が必要になります)

<具体的な事例>
* 米国で数百機のB737を運航しているサウスウェスト航空ではDGT15分を実現しています。ただ、実際のスポット周辺でのサービス状況の観察、サウスウェスト航空担当者のインタビュー等を通じてわかったことは、日本とは違い米国では飛行ルートの選択に係るパイロットの自由度が高く、遅延した場合でも飛行ルートを変えて飛行時間を短縮することが可能な場合があること、また到着・出発に係る地上作業者がマルチタスク(色々な作業ができる)に対応し、かつ動線が短い(駐機スポットの直ぐ傍で待機している)こと、更に数百機の保有機が全てB737シリーズで全ての作業者が作業を熟知しておりミスが少ないこと、などがこの様な短いDGTで運用できている背景にあると思われます

* 1996年、B737-400を使ってJAL100%子会社のLCC(JAL Express)を立ち上げたとき、JALで使われていたDGT35分を10分間短縮して25分でダイヤを組みました。特に遅延が目立ったということはありませんでした

*正確な時期は覚えていませんが1990年代、、タイのLCCが運航するバンコック=チェンマイ間の路線を視察する機会がありました。1機を使ったシャトル運航でしたが、早朝から満席に近い運航を繰り返して(予約上の確認のみ)おり、私が搭乗した最終便は2時間以上の遅延で運航されていました。安い運賃であった為か、あるいは定時性にはあまりセンシティブでない国民性の故か、待たされている満員の旅客は全く平静であったことが印象的でした

2.航空機の運用の仕方に着目した稼働の向上策
国内線については夜間帯は空港の制約から概ねどこかの空港に駐機しています。一方、国際線については、主としてお客様の利便性(目的地に到着してからすぐにビジネスや観光ができること、あるいは外国空港での乗継が便利であること、など)を優先したダイヤが作られるために昼間帯に空きが発生することがあります。以下はこうした航空機が使われない空きを使って稼働を上げることができる例です;

日本航空の羽田発着のサンフランシスコ線のJL002便は、出発時刻は19時50分、サンフランシスコ到着は現地時間13時10分になります。その後2時間40分サンフランシスコ空港に駐機して、帰りのJL001便は現地時間15時50分にサンフランシスコを出発し、翌日の19時に羽田に到着いたします。つまりサンフランシスコを往復するのに足掛け2日かかります(飛行時間は20時間30分)。従って、このサンフランシスコ線を毎日飛ばすためには航空機が2機必要になります。一方、この路線引き当ての2機の航空機のうち1機は、毎日朝から19時50分まではこの航空機には空き発生しています。この空きを使って羽田=上海線(JL81便/羽田発09時20分⇒JL82便/羽田到着16時45分:往復飛行時間は6時間)を運航させることができます。サンフランシスコ線だけを2機で運航した場合、航空機1機・1日当たりの稼働時間は10時間15分にとどまりますが、これに上海線を組み合わせることによって13時間15分に向上させることが可能となります( ⇒ 更に上海線引き当ての航空機はいらなくなります)
ただ、注意しなければならないことは、客室仕様は、当然基幹路線であるサンフランシスコ線が優先されますので4クラス仕様、一方上海線(通常2クラス(Executive Class、Economy Classで販売している)は販売可能な客席数が少なくなります。また最大離陸重量が大きいので着陸料、航行援助施設利用料が高くなりコスト面でもややマイナスになります

航空機の稼働向上策
航空機の稼働向上策

羽田に駐機する国内線は、地方空港の運用時間帯の制約で、概ね22時頃までに到着しています。翌日の羽田出発便も地方空港の運用時間帯の制約、お客様の利便性の関係で8時過ぎまで空いている航空機もあります。私が航空機運用の担当だった時代、この空きを使って国内線機材によるグアム線(往復飛行時間:7時間30分)の運航を行っていました。この夜行便の対象は学生さんなど若い人が往復とも機中泊とすることで滞在費を節約できるメリットがあり、結構利用されていました
ただ、注意しなければならないことは、客室仕様の他に、国内で使われる航空機の燃油費には燃料税(26円/1リットル;沖縄、離島路線などでは減額されています)が掛かっているのに対し、国際線で使われる航空機の燃料は無税となっております(ICAO CHAPTER 4:詳しくは条約・航空協定の歴史参照)ので、この燃料の課税処理の為に税関当局の承認が必要となることです

3.整備作業実施に係る航空機の稼働向上策
整備作業については、「2.航空機の地上停留中の作業に係る制約;⑦ 整備作業」で述べた様に、発着に係る整備作業以外に「定期的に行う整備作業とその機会に行う改修作業」があります。定期的に行う整備作業とは、一定の飛行時間や飛行サイクル(発着回数)、経過日数によって実施が義務付けられている個々の作業(「整備要目」といいます)を実施しやすさを考えてまとめたもの(⇔整備要目の集合)を意味しますが、これを「整備パッケージ」と呼んでいます(詳しくは4_整備プログラムをご覧ください)。整備パッケージと整備要目との関係についてイメージしていただくには下記の表が分かり易いと思います;

整備要目と整備パッケージの関係
整備要目と整備パッケージの関係

上表で「C整備」と呼ばれている整備パッケージは作業量が非常に大きい整備パッケージで格納庫内で1週間から2週間かけて行うことが普通です(4から5年に一度計画される大きな改修を実施するための整備パッケージは1ヶ月位の期間が必要です)。「A整備」やそれより短い間隔で行われる整備パッケージは、通常数時間から15時間くらいの短い停留時間で実施されることを想定しています。つまり、航空の稼働を下げることなく、定期便が到着して次の出発までに作業を終えるのが原則です
① A整備を実施するための航空機の運用
A整備は定期便の間の夜間の駐機中に行うと言っても、抱き合わせに行われる改修作業や、検査中に発見されたトラブルを処理するためにある程度余裕を持った停留時間を予め確保しておく必要も発生します。この場合、「A整備を予定している航空機については、早めに到着する便を割当て、翌日の出発便についても、できる限り遅く出発する便を割り当てることなどが考えられます
以下の図は、とある航空会社の過去のダイアグラムから作成した「機材パターン」と呼ばれるものです。整備を主に行う空港(整備基地とも呼びます;下図の各行の下の線が羽田駐機を表します)で整備計画を立てるときに使われるものです(CASE_Aの場合は8時間50分、CASE_Bの場合は15時間50分の整備機会が確保できることが分かります);

整備機会の検証
整備機会の検証

尚、「A整備」の実施時期は、前回「A整備」からの累積飛行時間が実施期限(整備パッケージの表の場合、仮に500飛行時間にしています)を超えることは航空法上許されませんが、余りに余裕をもって計画すると、A整備の実施回数が増えることとなり、できるだけ実施期限近くで実施することが整備コストの面で有利になります。因みに[実際に「A整備」を実施した時の累積飛行時間]÷[実施期限]を「Check in Rate」と言います。例えば400飛行時間で「A整備」を実施したとすれば、この時ので「Check in Rate」は0.8となります(←航空機の運用を行っているプロから見れば「計画が甘い!」と言われるかもしれません!)

尚、運航している航空機に大きな故障が発生した場合、考え方は「A整備」の実施体制と同じと考えてよいと思います。大きな故障と言えばエンジン・トラブルが代表的ですが、この場合も「A整備」との違いは突発的に発生するか、予め計画できるかの違いであって、欠航や遅延を最小限にする為の航空機の運用方法は変わりません

② 「C整備大きな改修作業」を実施するための航空機の運用
こうした大きな作業は、航空機を1週間から1ヵ月程度停留させて格納庫内で大人数をかけて行う作業となります。自社で整備を行う場合、格納庫を必要数持っている必要があると同時に、この作業に必要となる多数の整備士を確保していなければなりません。従って、航空機の稼働を高めると同時に、格納庫と多数の整備士の稼働を高める必要が同時に発生します
このやや複雑な問題を解くには、問題自体をシンプルにして考えるのが分かり易いと思います。仮にこのエアラインが20機保有していたとすれば、既に述べた通り、その内の19機が毎日稼働し、残り1機分は入れ代わり立ち代り「C整備や大きな改修作業」を実施していると考えてよいということになります。その場合格納庫は1棟あればよく、この種の大きな作業に必要な人員も1機分で良いことになります(これを「C整備や大きな改修作業」の「生産ライン」といいいます)。従って、航空機の運用で考えておくべきことは、それぞれの「C整備」の実施時期をできるだけ高い「Check in Rate」を守りつつ、2機が重ならない様に計画することになります

「C整備や大きな改修作業」を整備会社に委託しているエアライン(LCCはこういうケースが多い)は、自社の都合の良いタイミングで整備を実施することは難しくなりますが、考え方は自社整備の場合と一緒です。整備の実施タイミングでイニシアティブを持つためには複数の委託先を選定して置くなどの対応が必要となります

③ その他の稼働向上の方策
整備要目と整備パッケージの関係は、「整備要目と整備パッケージの関係」の表をよく見れば分かるように、整備期限(飛行時間、飛行サイクル、飛行日数)を守らなければならないならないのは、それぞれの整備要目です。整備パッケージは、エアラインが自社の航空機の運用に便利なように組み合わせを考え、航空当局に申請し認可を得たものに過ぎません。それぞれの整備要目を期限内に確実に実施する体制さえ構築できれば大きな整備パッケージで整備を行う必要はありません
*事例1:私が日本航空の航空機運用の担当であった時代、B767の「C整備」要目を二分割して運用したことがあります。このケースでは目立った効率向上が得られなかったため、数年で運用を止めてしまいました
*事例2:サウスウェスト航空では、1990年代に私が同社を視察した時には、「C整備」を4分割した整備パッケージを作り、それぞれのパッケージを1日プラスアルファで自社で実施していました。B737という小さな航空機であり、且つ数百機の単位で保有していた為と考えられます

必ずしも航空機の稼働向上に結び付くとは言えませんが、日本の様に旅客繁忙期がある程度限定的(年末年始、ゴールデンウィーク、夏季繁忙期)である場合、この期間のみC整備や大きな改修作業を計画せず、ここに引き当てている航空機を定期便の増便や臨時便設定に引き当てることがあります。この時期は需要が大きい為に旅客単価、及び搭乗率が高くなっていることがあって、営業収入の増に大きく貢献することになります。ただ、増便することによって、パイロットやCAの必要数も増えることとなるので、限界はあります

以上

平成と令和の春!

上の写真は、平成から令和にかけての屋上菜園の状況です

昨年春先に屋上菜園の作業を集中的に実施した結果、腰痛と膝痛を発症してしまい大変苦労しました。従って今年の春は、こんなことが無いように雨の降らない日を選んで、一日2時間以下を目安にして少しづつ栽培用コンテナの土の再生作業を実施しました。また、もう一つの腰痛・膝痛予防の対策として、一階から屋上まで重いもの(40リットルの堆肥が中心)を運ぶ為の「背負子」も購入して利用しています。その結果、今の所、腰痛、膝痛の悪化は免れています(完全に治すのは無理!と医者から宣告されています 😳 )

野菜の苗づくり

夏野菜の苗の育成については、2年前の「夏野菜の発芽・育苗の工夫_①、②」でもご紹介していますが、以下の写真の通り、引き続き若干の工夫をしつつ今も使っています;

種から苗へ
種から苗へ

また、今まで種を購入していた国華園の通販は種のバリエーションは多いものの、単価、送料が比較的高く、また一袋に種が多く入っているので、発芽率を保証している半年~1年程度では使いきれません。勿体ないので、2~3年使ってはいますが、種によっては発芽率が極端に落ちてしまいます。そこで販売単位の少ない種苗の通販業者をネットで探してしていたところ、(株)信州山峡採種場というサイトを見つけました。ここの最小販売単位はなんと!全て100円(税込み)、しかも郵便を使って送られてくるので、迅速且つ確実です。正に家庭菜園向きと言えると思います

平成最後の冬を乗り切った野菜たち

いつもの春菊やリーフレタス、ネギ、水菜などの他に、セロリやビーツも頑張って厳冬を乗り越えて早春に恵みを齎しました;

セロリ
セロリ

我が家のセロリの利用法は、通常の白く長い茎を利用するのではなく、細く短い茎と葉をサラダに加えたり、細かく刻んでハーブの様な使い方をしています。ほぼ全てのハーブが利用できなくなる真冬でも問題なく利用できます
ビーツは、暖かい日が始まった2月末から葉がぐんぐん成長し、ロシア料理で有名な「ボルシチ」で使う地下茎だけでなく、葉や茎も湯がいて使えば柔らかくて美味しい料理になります;

ビーツとその料理
ビーツとその料理

上記以外にも、冬を越した作物に以下の様な利用法があります;

白菜の菜の花
白菜の菜の花
キャベツの生命力
キャベツの生命力

収穫せずに残った白菜、キャベツは、1月~2月の厳冬の頃に鳥の集中攻撃を受けて悲惨な姿になります。恐らく鳥にとって食料が不足する厳冬の頃に、甘い野菜はかけがえのない食料になるのだと思います。毎朝、野鳥に餌をやっているワイフに気兼ね?をしてこの状況を放置していますが、本格的な春が訪れれば、きちんと恵みが齎されます。白菜は、超!太くて柔らかい「菜の花」に、キャベツは小さいものの、超!甘い「春キャベツ」として収穫することができます

また、イタリア・ローマ地区の春野菜であるプンタレッラは、厳冬の時期、保温措置を全くせずに放っておいたところ、3株の内2株は枯れてしまいましたが、残った1株が2月頃から元気が出始め、3月になると沢山の穂をつけ始まました。このままにしておくと昨年5月の以下の写真の様にきれいな花が咲きますが;

プンタレッラの花
プンタレッラの花

今年は食欲が勝って収穫しました。何と!収穫すると次々と穂が出てきて、結局4回収穫しました。昨年は、イタリア風のサラダで食べましたが、今年はやや苦みがある春野菜であることから、以下の様に和風の料理にしてみましたが、中々の味でした;

冬越ししたプンタレッラと和風料理二種
冬越ししたプンタレッラと和風料理二種
今年の新しい試み!

1.ジャガイモの植え方;
種イモは、普通芽のある部分を残して二つ~四つにカットして、カット面に草木灰を付け、芽のある部分を上にして植え付けます。
今回、草木灰が無かったこともあり、カット面が腐るのを防ぐ目的であれば乾かせばいいと考え丸一日日陰で乾かして植え付けてみました
イモは、生えて来た芽が伸びたあとの地下の茎の部分に出来ますので、底の深さに限界があり、土寄せの高さにも限界があるコンテナ栽培の場合、カット面を上にして植え付ける(芽はまず下向きに出て、その後上に向かって成長する)ことが良いのでは?と考えて試してみました;

ジャガイモの生育状況の比較
ジャガイモの生育状況の比較

上の写真の一番左の1列がカット面を上にして植え付けたものです。予想に反してカット面を上にしたほうが発芽が早いことが分かりました。また、草木灰を使わなくても全て発芽しているが分かります。次回からが全てこの方法で植え付けようと思います

2.袋栽培の実験;
我が家の屋上で使用する栽培用の硬質プラスティックのコンテナは数多くありますが、最初の頃に買ったものは風化して脆くなり壊れるものが出てきました。サイト情報によれば、肥料や培養土の袋を使って栽培する方法があるようなので、今まで捨てていた牛糞堆肥(40リットル)の袋を使って栽培実験を始めることにしました;

牛糞堆肥の袋を使った「袋栽培」
牛糞堆肥の袋を使った「袋栽培」

上の写真の様に、袋の底に3ヶ所穴を開け、2袋1セットでメッシュ・コンテナに収めると転びにくく、また見栄えも良くなりました。結構深さも確保できますので、根が深く張る野菜やイモ類の栽培に適していると思われます。今年は色々な野菜で袋栽培を試してみようと思っています

その他

1.1月15日に発行した私のブログ(寒風吹きすさぶ!真冬の野菜栽培)で「11月に植え付ける予定だった生食用のタマネギについては、種が古かった為か発芽しませんでした。10月半ばに新しく買った種はちゃんと発芽しておりますが、勿論11月の定植には間に合いません。従って、このまま冬を越させて春になってから定植しようと思っていますが、どうなることやら、、、」と書きましたが、その後の経過は以下の通りです;

早春に定植した生食用タマネギの生育状況
早春に定植した生食用タマネギの生育状況

ここまで育てば、恐らく6月中には収穫可能と思われます。買った種袋にある説明では9月に種蒔きして苗を育て、11月末ごろまでに定植することを薦めていますが、収穫が少し遅くなるのを我慢すれば、春先に穂が出るリスクを回避できる春に定植することも悪くないかな、と思いました

2.ホームセンターをぶらぶらしていたところ、山菜の王様である「コシアブラ」の苗を発見しました。ちょっと高かった(598円!)のですが買ってしまいました。来年か、再来年の収穫を目指して大事に育ててみようと思っています;

コシアブラ
コシアブラ

3.猫の額の様な土地の隙間?には、今年もフキ、クレソン、セリが手入れ無しで繁茂しております! 適宜収穫して春の息吹を感じつつ食べています

ふき・クレソン・セリ

ふき・クレソン・セリ

3月には食料としての役割を終わった?春菊の花がきれいに咲きました;

春菊の花
春菊の花

流石に「菊」だけあって大輪で美しい花です。それなりの花瓶に生けて、然るべき場所に飾れば結構存在感があります

以上

B737MAXの墜落事故について

はじめに

昨年10月29日、インドネシアのLCCであるライオン航空のB737MAXが離陸後すぐに墜落しました。また、今年3月10日にはエチオピア航空の同型機がやはり離陸後すぐに墜落いたしました。この二つの事故の原因に類似性があることが分かり、3月13日には全世界で飛行中の約370機が、各国の航空当局から飛行禁止の命令が下されるという、近年には稀な事態となりました
このB737MAXという航空機は、2017年5月に引き渡しを開始した後、既にデリバリーされている機体を含め百社以上から約5,000機の発注を受けているベストセラー機であり、現在ボーイング社で月産52機のペース(⇒今年末には月産57機となる予定)で生産されています。因みに、この最新鋭機の技術的な仕様は以下の通りです;

737MAX Technical Specs
737MAX Technical Specs

多くの航空会社が導入しつつあり、導入する各社は今後の路線便数、航空機材計画の中心的な役割を果たすことが予定されており、今回の飛行禁止命令は全世界で注目されています。また、日本国内でも2020年からANAが30機の導入を計画しています。新聞等での報道もありますが、最近入手したAviation Weekの記事に現在までの事故の解析及びボーイング社が考えている対策が載っていましたので概略ご紹介をいたします(詳しく知りたい方は”B737MAX Accidento Chaos_25MAR’2019 Aviqtion Week & Space TechnologyB737MAX Accidento Chaos_25MAR’2019 Aviqtion Week & Space Technology”をご覧ください。尚、上表”Technical Specs”を含め、ボーイング社のウェッブサイトからも必要な情報を転載しています

事故の概要

1.ライオンエア610便墜落事故;

http://toboe.onenote.co.jp/wp-content/uploads/2019/04/Lion-Airの事故機と墜落までの飛行ルート
ライオンエアの事故機と墜落までの飛行ルート

2018年10月29日午前6時20分、ジャカルタ郊外のスカルノ・ハッタ空港を離陸したB737MAX(2018年8月受領)は、離陸後約10分で消息を絶ちジャカルタ北部の海上に墜落、乗員・乗客189名全員が死亡しました。墜落付近の海域で、Flight Data Recorder(パイロットによる航空機の操作や機体の位置、気圧高度、速度、など機体の運動状態、その他多くのデータを記録しています)Cockpit Voice Recorder (操縦室内の会話を記録しています)が回収されています。インドネシア航空当局から、「Flight Data Recorder からの情報で機体のAOA(迎え角:以下 AOAと表記します;Angle of Attack)センサーのデータが左右で20度食い違っていたこと、副操縦士から管制官に飛行高度を確認するように要請があり、飛行制御に問題があるとの報告があったこと」が発表されています

AOA(迎え角)とは・センサーの位置
AOA(迎え角)とは・センサーの位置

2.エチオピア航空302便墜落事故;

エチオピア航空機と事故現場
エチオピア航空機と事故現場

2019年3月10日午前8時38分、アジスアベバのボレ国際空港を離陸したB737MAX(2018年11月受領)は約6分後に墜落し、乗員・乗客157名全員が死亡しました。墜落機のパイロットは、墜落数分前に管制官に対して運航上のトラブルを報告し、空港に引き返す許可を求めていました。墜落現場付近で、Flight Data Recorder と Cockpit Voice Recorder が回収されており、エチオピア航空当局からの依頼でフランスが解析を実施しています

事故機の飛行記録から事故原因を推定する
両事故機の対地速度と上昇・沈下速度の比較
両事故機の対地速度と上昇・沈下速度の比較

上表は、ライオンエアの事故については、回収されたFlight Data Recorder から得られたデータを使用していますが、右のエチオピア航空の事故については、ADS-B(下記”参考1”参照)というシステムから得られるデータを使用しています。尚、上表で比較を行う場合、縦軸のスケールが違うことに注意してください
上表で明らかなように、墜落前の両機の飛行状況は非常に似通っています。また離陸直後の速度が低い状況下で短周期で上昇・沈下を繰り返しており、極めて不安定な飛行状態であったことが分かります

<参考1> ADS-Bとは
ADS-Bという名称は、”Automatic Dependent Surveillance-Broadcast”の頭文字を取っています。このシステムを使って、ATC Transponder(航空機に対して質問電波を発信すると航空機が持っている今の情報を返信してきます)を装備した航空機について以下の様な情報が入手できます;
①飛行機の登録番号、②飛行機の位置情報(経度、緯度)、③飛行機の速度(水平速度、上昇・下降速度)、④飛行機の高度(GPSからの情報と気圧高度計情報)、⑤飛行機の進行方向、⑥その他

FAAのADS-Bシステム概念図
FAAのADS-Bシステム概念図

また、ライオンエアのFlight Data Recorder から、事故前日と、事故当日(⇒墜落)の機体の水平尾翼の操作状況と水平尾翼のPositionの記録を読み取ったものが以下のグラフです;

水平尾翼の操作、動きの記録
水平尾翼の操作、Positionの記録(Aviation Week 2018年12月10-23 Editionから転載)

ライオンエアでは事故前日に、同じ機体で水平尾翼の異常な動きが一時的に発生し、すぐに正常な飛行に戻ったことが読み取れます。この情報はパイロットから地上整備士に報告され、事故当日出発前に点検・整備が行なわれたことがエチオピア航空から発表されています。ただ、適切な整備が行われたかどうかは現在までのところ分かりません
事故機は出発後すぐに、水平尾翼が MCAS(下記”参考2”参照)というシステムで自動的に小刻みに”Nose Up”側に動かされているのに対し、パイロットは適宜手動で”Nose Down、Nose Up”側に動かしています。その後、MCASが自動的に”Nose Down”側のみの動きを続けパイロットはその動きを止めようと”Nose Up”側にトリムを行っていますが、最終的に墜落前には水平尾翼の”Nose Down”側のトリム量は相当大きな値になっています(⇒地上に向かって急降下?)

737MAX Cockpit内の水平尾翼マニュアル・トリム関連装備
737MAX Cockpit内の水平尾翼マニュアル・トリム関連装備

こうした情報から、MCASによって水平尾翼が”Nose Down”側へ異常なトリムを繰り返し、パイロットの手動操作(水平尾翼の手動トリム+昇降舵)ではこれをコントロールできなかったことが事故の一つの原因ではなかったかと推測できます

<参考2> MCASとは
MCASという名称は、”the Maneuvering Characteristics Augmentation System “の頭文字をとっています。B737MAXから装備されているソフトウェア(B737NG以前のB737シリーズには装備されていません)で、名称の意味から判断すると、パイロットの操縦操作をサポートするシステムの様です
MCASは、フラップを出していない状態でマニュアル操縦で上昇を行っている(自動操縦を行っていない)時に、ピッチングの安定性を向上させるためのシステムです。因みに、機体のAOAの情報は、機体の両サイドにあるAOAセンサーの一つから得ており、一フライト毎に信号を受け取るセンサーを左右入れ替えています。

ボーイング社は多くの737シリーズを販売しており、これらのシリーズ間でパイロットが同じ様な感覚で操縦できるようにするため(例えば、航空会社によっては、B737NGを操縦した人が、翌日B737MAXを操縦することは頻繁に起こると考えられます)であり、B737MAXの型式証明(型式証明に係る詳しいことは「3_耐空証明制度・型式証明制度の概要」を参照してください)を取得するときにFAAからも要求されていたものです
同じB737シリーズでこの様な追加的なシステムが必要になった原因は、B737MAXから装備されることになった新しい高性能エンジン(CFM Leatp1)が、迎え角が大きい時にそれまでのエンジン(CFM56シリーズ)より大きな”Nose Up”のモーメントを発生させるからであると説明しています

737NGと737MAXのエンジン位置比較
737NGと737MAXのエンジン位置比較

こういう新しいシステムを導入しているからには、このシステムに誤動作が発生した場合、パイロットがどの様な操作を行えば正常な飛行状態に戻せるかに関して十分な訓練を行なう必要があると考えられます

現在検討されている対策

ライオンエアの事故以降、ボーイング社は事故の解析を行い、以下の様な対策を行う準備を進めています;
1.MCASの改修について
新しいソフトウェア・パッケージ(EDFCS:Enhanced Digital Flight-Control System)を開発し、B737-7をテストベッド機としてテストを行っています。従前のシステムからの変更のポイントは以下の3点です;①MCASを自動起動するときのロジックの変更、②AOA情報の入力方法改善、③水平尾翼のトリム・コマンドの制限
この変更によって;㋑システム全体の冗長性(Redundancy/想定外事象に対する対応力)の向上、㋺AOAセンサーからの間違った信号入力に対する水平尾翼トリム量の制限、㋩MCASによるトリム量を制限することによって水平尾翼の本来の機能を維持することが可能になると説明しています

ボーイング社としては方針は定まったものの、上記方針全体を完全に具体化するに至っていません。例えば、上記㋺のAOAセンサーの件については、追加的なセンサーを設ける方法以外に、現有の2台のFlight Control Computerに入力されている左右のAOAセンサーの信号をMCASに入力する方法も検討されています
また、上記㋩の水平尾翼のトリム量については、MCASからの新しいトリム入力に対して、水平尾翼のトリム量は1ユニットのみに制限すること、などを考えています。因みに現在のMCAS(事故機に装備)では、AOAセンサーが決められた”Nose Up”の範囲(専門用語で”閾値”といいます)を超えると、1秒当たり0.27° “Nose Down”方向に動かし、9.3秒間で、最大トリム量は2.5ユニットまで動かせるように設計されています

2.パイロット、整備士が使用するマニュアルの変更について
ボーイング社は、現在以下のマニュアル類の変更を検討しています;
①Flight Crew Training Manual(パイロットの訓練に使用するマニュアル)
②Airplane Flight Manual(パイロットが操縦するときに何時でも参照できるようにしている操縦時必携のマニュアル)
③Flight Crew Operation Manual(パイロットが操縦するときに何時でも参照できるようにしている操縦時必携のマニュアル)
④Quick Reference Handbookのspeed trim check list に新しい”注”を加える(出発時、飛行中のトラブル発生時にパイロットが参照するマニュアル)
⑤Airplane Maintenance Manual(整備士が整備を行う際に使用するマニュアル)
⑥Interactive Fault Isolation Manual(トラブルの修理を行う際、トラブルの原因を迅速に特定する為に使用するマニュアル)

3.AOAセンサーの不具合に対する対策
左右のAOAセンサーの情報が食い違っていた場合に、コックピットの最も重要な計器にその表示を行うこと( DISAGREE primary flight-display alert:参考3)
尚、この機能はB737NGでは標準装備になっていましたが、B737MAXではオプションとなっており、事故を起こしたライオンエアのB737MAXでは、このオプションは採用されていませんでした

<参考3> この警告表示を表示する条件
左右のAOAセンサーの値が10°以上ズレて、且つそれが10秒以上続いた場合に警告が表示されます

今後の推移

“はじめに”でも述べた様に、既に370機のB737MAXが航空会社に引き渡され、3月10日までは飛行を行っていた訳ですから、航空会社によってはこの機材が支えていた航空路線を維持するのは大変な負担になっていいるはずです。また、パイロットの資格は殆どの国で型式限定になっているため、他の型式の航空機で路線運営を代替することは簡単にはできません
一方ボーイング社としても、今のところ月産52機の生産を維持していますので、次々と完成していく機体を置いておく場所にいずれ困ってしまうはずです

こうしたことから、この原稿を書いている時点で、ボーイング社は可能な範囲で既に改修の提案(SB:Service Bulletine/SBに関する詳しい説明は7_Hardware に係る信頼性管理をご覧ください)を始めています(MCASの改修提案 by Boing
また、B737MAXの型式証明を行った米国のFAA(Federal Aviation Administration:連邦航空局)も面子にかけて運航許可に向けてボーイング社と協力作業を行っていると思われます

従って、かなり早期(1~3ヶ月?)にボーイング社のSBがFAAによってAD化(改修命令)され、この改修が済み次第、米国での運航が再開されるのではないかと思われます。続いてFAAとの協力関連が強いカナダ(ボンバルディア社がある為)、やEU諸国(エアバス社がある為)でも運航許可を出すものと思われますが、中国や事故のあった国であるインドネシアやエチオピアは、そう簡単にはいかないような気がします

また、今回の事故によって痛手を受けた航空会社は、B737MAXのオプション契約分をエアバス機(A320neoなど)に切り替える動きが出てくる可能性は高いものと思われ、今後の航空機商戦は予断を許さない状況が続くと思われます

A320neo vs B737MAX
A320neo vs B737MAX

今後、AD(Airworthiness Directives@米国;耐空性改善通報@日本)が発行され次第このブログに追加的に情報を記載していきたいと思っています。また、運航再開以降になると思われますが、ライオンエアの事故機に関してはインドネシア航空当局から、エチオピア航空の事故機に関してはエチオピア航空当局から正式な「事故報告書」が発行されるはずです。これらの事故報告書の内容についても適宜追加的にブログに記載していこうと思っています

Follow-Up:2019年4月6日、737MAXを2割減産発表 ⻑期停⽌に備え

Follow-Up:2019年4月12日、190412_737 MAX SOFTWARE UPDATE

・・・その後の進展状況_①・・・

2019年4月15日、Aviation Week_April08-21_Fixing the MAXにエチオピア航空、ET302便のFlight Data Recorderの解析が出ていましたので、その要約を報告します;

ET302 Preliminary FDR Data_説明用
ET302 Preliminary FDR Data_説明用(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

上のデータには19個のパラメータ(①~⑲)について、出発から墜落に至るまでの時系列の推移がグラフになっています。尚、時系列の単位は、UTC(世界標準時/日本はUTC+9時間)で表示されています;
凡例:05:37:00:5時37分:0秒;横軸1目盛で3秒の間隔

ET302便のFlight Data Recorder の解析;

05:37:45:正常に出発;10秒後位からエンジンンの出力UP(②参照)
05:38:39:離陸(⑨参照)
05:38:45:左右のAOAセンサーの値が乖離(⑫参照/左74.5°Nose Up、右15.0°Nose Up)
<参考> エチオピア航空当局による事故後の調査で異物が当った形跡は無かった
05:38:45:左のAOAの過大なNose Upの信号により、左の操縦桿のStick Shakerが起動(③参照;その後ずっと起動したまま)
<参考> 起動したStick Shakerの動画(ネット情報):https://youtu.be/NtQqb7rstrQ

05:38:49~05:39:18:手動によるNose Up、Nose Dowmのトリムを繰り返す(④参照)
05:39:21:Auto Pilot “ON”(⑯参照)
05:39:24~:Auto Pilotによる自動トリム(⑬参照;ほぼNose Down側)
05:39:45:離陸を継続しフラップ引き込み開始、15秒後に引き込み完了(⑲参照)

05:39:57:Auto Pilot “OFF”(⑯参照)⇒ MCASが自動的に起動し、MCASによるトリムがが始まる(⑬参照)
05:40:00~05:40:09:左のAOAセンサーの誤った入力信号によりNose Down方向にトリムが行われ、水平尾翼のPitch角が4.6ユニットから2.1ユニットに変化し(⑭参照)、機体は上昇から降下に変わった(①参照)
 05:40:09:パイロットの操縦桿にあるトリムスイッチによりNose Up側に操作され(④参照)、水平尾翼のPitch角が2.4ユニットに戻した
05:40:20:左のAOAセンサーの誤った入力信号(⑫参照)で、再びMCASによりNose Down方向にトリムが行われ(⑬参照)、水平尾翼のPitch角が0.4ユニットまでNose Downまで下がった(⑭参照)
05:40:27~05:40:37:パイロットの操縦桿にあるトリムスイッチによりNose Up側に操作され(④参照)、再び水平尾翼のPitch角が2.4ユニットに戻った(⑭参照)
05:40:42~15:40:51:MCASによりNose Down方向にトリムが行われ(⑬参照)たものの、Pitch角は変わらなかった(⑭参照)

15:40:51:パイロットがMCASの電源を切った(MCAS電源のON/OFFは上表のパラメーターには入っていません。記事後半にON/OFFした事が書いてありますので、④のデータの推移から筆者がタイミングを判断しました)

05:41:46:Voice Recorderより)機長が副操縦士に対してマニュアル操作でNose Upにできるか?」と聞いたところ、副操縦士はできない」と答えた
05:41:46:この時点の左の対気速度は340kt(ノット;時速630キロ)、右はそれより20~25kt速かった(⑪参照)。(Voice Recorderより)Over Speed Warning が鳴り、パイロットは管制官に空港への引き返しを要請し、許可を得た
05:43:11:水平尾翼のPitch角が2.1ユニットまでNose Down方向に下がり(⑭参照)、パイロットが2度トリムスイッチによりNose Up側に操作した(⑬参照)結果、水平尾翼のPitch角が2.3ユニットに戻った(⑭参照)

05:43:21:再びMCASの電源を入れた(MCAS電源のON/OFFは上表のパラメーターには入っていません。記事後半にON/OFFした事が書いてありますので、④のデータの推移から筆者がタイミングを判断しました)

05:43:22:水平尾翼が自動的にNose Down方向に動き、5秒でPitch角が1.0ユニットに下がった。その後急激に速度を上げつつ(⑪参照)、高度が下がり(⑩参照)、約25秒後に地上に激突

関係者の現時点でのコメント抜粋;

1.Flight Data Recorder、Voice Recorder の解析を担当しているエチオピア航空当局(ボーイング社、FAA/連邦航空局、NTSB/連邦事故調査委員会、EUの航空当局、フランスの航空当局も協力して事故調査を行っています)は、事故機のパイロットはボーイング社のマニュアル通りの操作を行っていたと述べています(⇔この件は、ボーイング社による事故の賠償金額に大きく影響するはず)

2.ボーイング社では;
A)パイロットがMCASの異常事態に際し、操縦桿にある手動トリムでの対応を継続し、迅速なMCASの停止操作を行わなかったために事故に至ったと考えている
B)ボーイング社の「水平尾翼が暴走した時に行うべきチェックリスト(「Runaway Stabilizer Procedure」/B737NGと同じ!)」では、「MCASの電源」を切ってからマニュアルトリムを行うことになっている

3.FAAは、一連のB737MAXの事故のケースを見ると、Part121エアライン(大型の商用機を運航するエアライン)のパイロットは異常な飛行状態失速、背面飛行からの回復、対気速度の計器が信頼できなくなった時、など)から回復する訓練をシミュレーターで行う必要があると考えている。しかし、現在ではエアラインが保有しているシミュレーターの能力には問題があると考えている。因みに、米国のエアラインは、こうした異常飛行の訓練に対応できるB737MAXのシミュレーターを持っていない

Follow-Up:2019年4月25日、ボーイング機運航停⽌の影響広がる 再開めど⽴たず

Follow-Up:2019年4月27日、⽶航空⼤⼿、ボーイング機運航停⽌で⽋航コストかさむ

Follow-Up:2019年5月4日、ボーイング、開発でパイロットの意見求めず_米紙報道

・・・その後の進展状況_②・・・

2019年5月5日、Aviation Week_April22-May05に以下の様な記事が出ていましたのでご紹介します;

MCAS改修の内容がかなり明確になってきました

MCASのソフトウェアの新旧を比較したものが以下の図になります;

MCASソフトウェア_新旧比較
MCASソフトウェア_新旧比較(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

改修のポイントは;
1.左右のAOAセンサーの、① 左右の迎え角にで5.5°以上の乖離があった場合、② 突然迎え角の値が跳ね上がった(spike)場合、③ 迎え角の変化が尋常でなかった(unreasonable)場合、MCASによるコントロールを停止する
2.パイロットによるピッチ・コントロール(Nose-Up、Nose-Down の操作)は、MCASのコントロールに優先する。またMCASによる水平尾翼のコントロールは、閾値(しきい値:予め設定された値)を超えれば停止する
3. MCASは、AOAの迎え角が変わった時、一回だけ水平尾翼のコントロールを行う。また、パイロットが手動でトリムを行った場合、5秒後にMCASがコントロールを再開する最初のソフトウェアのルールを廃止した

4.パイロットが操縦する際、最も重要な表示装置であるPFD(Primary Flight Display)のイメージは、改修実施後に以下の様になります;

New PFD Image
New PFD Image(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

上記のイメージの説明;
* 左側のPFDのイメージはノーマルなケース、右側のPFDのイメージはAOAの情報が異常であった場合の表示です
* 両方のイメージで、左の帯状のスケールは対気速度(kt:マイル/時間)を表し、右側の帯状のスケールは気圧高度を表しています。対気速度の帯の右側にある赤と白のまだらの細い帯状の表示は失速の警告が出る大気速度の範囲を表しています
* AOAの迎え角が大きく乖離した場合(右側のPFDイメージを参照)、右下に「AOA Disgree」の表示が出ていることが見て取れます。また、機体の速度は169ktで失速速度145ktよりも十分速いにも拘わらず、左の失速の警告が出る範囲になっているのが分かります(⇔失速の警告が出ても失速する心配が無いのが分かる)

5.FAAの当局者によれば、上記改修は5月下旬~6月初旬に承認される見込みとのこと。ただし、この承認後米国のエアラインは早期に運航再開することが考えられますが、米国外のエアラインの運航再開は見通せません(←各国の航空当局の判断)

ボーイング社の今後の新機種開発計画に対する影響(識者の意見)

ボーイング社は、米国で多く使われているB757/B767の後継機種の開発計画(NMA:New Midmarket Airplane)を持っていましたが、今回のB737MAXの事故によって、計画の進捗は明らかに遅れています
今回の事故で明らかになったように、B737MAXの機体設計は明らかに新しい高性能のエンジンを搭載する条件を満たしていません(バイパス比の大きいエンジンを搭載するには機体と地上とのクリアランスが小さすぎる)。また、既にこのクラスの受注競争においてもA320NEOに遅れを取っていることも明らかになっています。従って、ボーイング社としては、2025年~26年にはNMBの投入が是非とも必要となると思われます(⇔B737MAX8、9、10の差し換え需要を含めて/筆者の意見)

Follow-Up:2019年7月15日、ボーイング機の運航再開、20年に延びる可能性 米報道

Follow-Up:2019年7月19日、ボーイング、運航停止で補償費用5200億円 年間利益の約半分

以上

 

条約・航空協定の歴史

はじめに

20世紀初頭に登場した航空機が、第一次世界大戦を経てその有用性(主として高速性)が広く認識されるようになり、軍事用のみならず商用にも広く利用されるようになってきました。その後、第二次世界大戦前後の急速な技術的進歩(高速性+大量輸送能力)によって国境を越えた商用目的の輸送にも極めて有用であることが一般的な認識となりました(詳しくは「1_航空機の発達と規制の歴史」参照)

しかし、国境を越えた旅客・貨物の輸送を行うには、まず主権(裁判権、関税自主権、国内法の適用、etc)の及ぶ範囲外国機が自国の領土内で飛行することに伴う安全性の担保(航空機本体の安全性、操縦する人の技量、etc)、自国機が外国の領土を飛行することに伴う安全性の担保(飛行ルートの安全性、使用する飛行場の安全性、各種飛行援助施設の整備、etc)、などについてしっかりした取り決めが必須となります。従って、国際間の航空輸送を行うには、他の輸送システムとは違って、上記に係る共通の取り決めを多国間の条約によって保障する必要があります

また、航空輸送をビジネスの面で捉えた場合、ビジネスの機会は基本的に国家間で平等であるべきことは自明のことです。しかし航空輸送を行うためのインフラ(航空輸送ビジネスの規模、国自体の経済規模、etc)は、国により格段の差があり平等なビジネスの機会を保証するには自由競争に任せることは必ずしも適切ではありません。特に第二次世界大戦が終わった時点では、航空輸送ビジネスの主役になるべき先進国は、米国を除き戦災で経済が破綻状態になっていました。こうした背景から、国際間の航空輸送ビジネスは、他の輸送ビジネスとは違って、二国間の条約や国際協定によって幾つかの規制を行ってバランスを取る必要がありました

以下に、航空に係る条約や国際協定について、具体的な事例を基に説明をしていきたいと思います

シカゴ条約

1944年11月、シカゴで第二次大戦の戦勝国を中心として、52ヶ国が参加して開催された国際民間航空会議(Convention on International Civil Aviation)で合意に至った多国間の民間航空輸送の基本的な取り決めを「シカゴ条約」と呼んでいます。正式名称は「国際民間航空条約」といいます

条約の骨子
輸送権領空主権空港使用関税航空機の国籍事故調査、などに係る国際間の共通ルールの設定
* 上記を管理・運用する国連の専門機関として「国際民間航空機関ICAO/International Civil Aviation Organization)の設立 ⇒ 1947年4月に設立されました
日本は、サンフランシスコ条約で独立を果たした後、1953年10月に加盟しました。現在192ヶ国がこの条約の締約国(1918年4月19日現在のICAO締約国リスト)となっています。ICAOの中心的な意思決定・執行機関は理事会で、選挙で選ばれた36の加盟国から構成され、現在日本は理事国として活動しています

条約の狙い
航空機の管理システムを確立し、運航の安全確保、航空機の技術的な問題に関する締約国家間の協力を図ること
② 航空運送に関わる以下の2種類の協定の制定を締約国に促すこと
国際航空運送協定路線、輸送力に関する協定の締結)
国際航空業務通過協定(上空通過と技術着陸のみを行う場合の協定 ⇒ この協定を選択する場合は別途二国間協定が必要

条約の効果
締約国の航空法は基本的にほぼ同じ内容となり、自国の航空法で規制できない外国航空機の領空内の運航(領空通過、離着陸)について安全が保障されることになりました。因みに、日本の航空法には以下の通りこの条約を遵守する義務が掛かれています;
航空法・第一条:この法律は、国際民間航空条約の規定、並びに同条約の附属書として採択された標準、方式及び手続に準拠して、航空機の航行の安全及び航空機の航行に起因する障害の防止を図るための方法を定め、並びに航空機を運航して営む事業の適正かつ合理的な運営を確保して輸送の安全を確保するとともにその利用者の利便の増進を図ること等により、航空の発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする

シカゴ条約の主な内容
Chapter-1一般原則と条約の適用範囲);
① 条約締約国の領空の主権を認める
② 条約締約国の領空通過、着陸は協定の締結、又は許可取得が必要
<参考>
第一の自由:他の当事国の領域を無着陸で横断飛行する特権
第二の自由:運輸以外の目的のため、他の当事国の領域に着陸する特権
第三の自由:航空機の国籍のある国の領域で積み込んだ旅客、郵便物及び貨物を、他の当事国の領域で積み卸す特権
第四の自由:航空機の国籍のある国の領域に向かう旅客、郵便物及び貨物を、他の当事国の領域で積み込む特権
2国間の旅客・貨物の輸送を行うには上記の第三、第四の自由が必要になります

第五の自由:第三国の領域に向かう旅客、郵便物及び貨物を、他の当事国の領域で積み込み、または第三国の領域からの旅客、郵便物及び貨物を、他の当事国の領域で積み降ろす特権(以遠権例えば、日米間の航空協定の中で、日本の航空企業が、ニューヨークからサンパウロ(ブラジル)間の運航を行い、米国からの旅客、郵便物及び貨物をニューヨークからサンパウロに運ぶこと、また逆に、ブラジルからの旅客、郵便物及び貨物をサンパウロからニューヨークに運ぶ権利のことを以遠権といいます

Chapter-2条約締約国の領空における飛行);
条約締約国同士では定期便以外の領空通過、技術着陸を事前の許可無く行うことができます
定期便については、「国際航空運送協定」、あるいは「2国間協定」がない限り領空通過、着陸を行うことができません
*国際航空業務通過協定:第1及び第2の自由についての取り決め
*国際航空運送協定:第1~第5の自由についての取り決め
③ 各条約締約国は、他の締約国による自国内地点間の運航、運送(カボタージュ/Cabotage ⇔ 国内運航の権利を行うことを拒否することができます。但し、全ての締約国に対し等しい例外許可条件を設ければ許可することが可能
使用する空港を指定することができます
⑤ 貨物・旅客の出入国管理・通関・権益に関する法規は当該国のものを遵守しなければなりません
⑥ 航空に適用される法規も、航空機の国籍の如何に関わらず当該国のものを遵守しなければなりません
⑦ 料金については自国機と差別することはできません

Chapter-3航空機の国籍);
航空機は登録国の法規に従って登録を受けた国の国籍をもっています
② 締約国全てに対して、航空機の登録情報の開示、及び航空機に登録国の表示を義務付けています
<参考> 航空機登録番号の割当て

航空機登録番号
航空機登録番号

Chapter-4航空輸送を促進する手段);
① 締約国は、航空機で使用する燃料、潤滑油、予備部品、貯蔵品、装備品については免税措置を行う義務があります
② 締約国は、航空機の国籍に係らず、遭難した航空機の救援措置を行う義務があります。また、遭難したと思われる航空機の捜索活動に協力する義務があります
③ 締約国は、重大事故(死傷者を伴うもの、航空機、施設に欠陥を示唆するものがあるもの)が発生した場合、ICAOが勧告する方式(ICAO Annex 13:Accident and Incident Investigation)に従って事故の調査を行う義務があります
尚、重大事故が発生した場合、航空機の登録国にも調査に立ち会う権利を付与されると共に、随時調査内容の報告を受ける権利があります
④ 締約国は、ICAOの勧告に従って、国内に空港・無線施設・気象施設・他、の航空施設を作る義務があります
⑤ 締約国は、通信手段・符号・信号・証明、その他運航上の実施方式や規則に関わるICAOの標準様式を採用する義務があります
⑥ 締約国は、航空地図、チャート(例:Aeronautical Charts_USAICAO EN-ROUTE CHART_日本の刊行に際し、国際的な取り決めに協力する義務があります

Chapter-5航空機が備えるべき要件);
締約国は、航空機を運航する際、以下の書類を常に搭載している義務があります;
① 航空機の登録証明書、② 航空機の耐空証明書、③ 各乗務員のライセンス、④ 航空日誌(ログブック)、⑤ 航空機局免許状
② 搭乗している旅客の氏名乗機地目的地を記載したもの
③ 搭載している貨物の積荷目録及び細目申告書(軍需品、軍用機材は搭載してはなりません)
Chapter-6国際標準
① 航空運送を容易にする為に統一が有用と考えられる事項は最大限の協力を図ること(例:航空機、航空従事者、航空路、等)
耐空証明については国際標準に一致しない場合は、その差異の詳細が裏書されること
航空従事者についても国際標準に一致しない場合は、その差異の詳細が裏書されること
Chapter-7 ~22 省略

国際民間航空条約・付属書(ICAO ANNEX) の構成
以下は、ICAO理事会で採択された基準や推奨手順のタイトルです。それぞれのタイトルの意味に係る詳しい説明は「ICAO ANNEX_各タイトルの説明」(英語)をご覧ください。尚、それぞれのタイトル毎の内容は相当量あり、ICAOのサイトで出版されています(下記①の例:ICAO ANNEX1 Personal Licensing  );
Personnel Licensing(航空従事者技能証明)
Rules of the Air(運航上の規則)
Meteorological Service for International Air Navigation(航空気象)
Aeronautical Chart(航空地図、チャート)
Units of Measurement to be used in Air and Ground Operation(航空機の運航に必要となる情報の単位)
Operation of Aircraft(航空機の運航:商業輸送、ジェネラルエイヴィエイション、ヘリコプター)
Aircraft Nationality and Registration Marks(航空機の国籍及び登録記号)
Airworthiness of Aircraft(航空機の耐空性)
Facilitation(国際空港に必要とされる施設、機能)
Aeronautical Telecommunications(航空通信)
Air Traffic Service(航空管制)
Search and Rescue(行方不明機の捜索・救難業務)
Aircraft Accident and Incident Investigation(航空機事故調査)
Aerodromes(飛行場)
Aeronautical Information Services(航空情報業務)
Environmental Protection(環境保護)
Security-Safeguarding International Civil Aviation Against Acts of   Unlawful Interference(セキュリティー対策)
Safety Management(安全管理)

二国間航空協定_一般

「はじめに」で述べた通り、国によって航空輸送を行うためのインフラに大きな差があり、結果として全ての国が同じ条件で協定を結ぶには無理があります。因みに;
商用航空輸送の先進国では、巨大な航空会社が既に存在し、高いビジネス上の競争力を持っているため自由化を求めます(例:米国)
中継貿易を国策としている国は一般に、自由化によってのみ他の政策との調和が図れるため自由化を求めます(例:シンガポール、アラブ首長国連邦、など)
* 一方、空輸送の後進国では、自国の航空会社が発展途上にあり、ビジネス上の競争力が脆弱であるため、自由化には消極的になるのが普通です

バミューダ協定
第二次世界大戦終了後の1946年、戦勝国であるものの戦災で経済が破綻状態となってしまったイギリスと、戦勝国で唯一実質的に戦災が無く、経済が絶好調であった米国との間で、シカゴ条約の下で最初の航空交渉が行われ、両国の間で二国間航空協定が締結されました。交渉が大西洋上のイギリス領バミューダで行われた為、通称「バミューダ協定」呼ばれています
この協定は、以下の基本的な権利関係をベースとしているため、以後の二国間航空協定の見本となりました;
互恵平等の原則
運航路線、便数の相互指定
運航する航空企業の特定(指定航空企業)

協定の中で取り決めが行われる主な内容;
参入路線、便数:経済力や国土の大小、人口の多寡に関わりなく均衡が図られることが普通です
運賃:両国の認可が必要な場合が多い(基本的に発地国建てであるため、為替の変動により内外価格差ができます)。また、IATAの協定運賃(詳しくは「エアラインの営業とは」をご覧ください)を採用する場合もあります
路線運営を行う航空会社:両国で同数の航空会社を指定する(“指定航空企業”)ことが多い
 航空自由化(オープンスカイとは、上記の参入路線・便数、運賃、路線運営を行う航空会社、などの制限を撤廃することです

以下、日本に係る典型的な二国間航空協定を取り上げ、それぞれの協定の特徴、歴史的変遷について概略を述べてみたいと思います

日米航空協定

1951年にサンフランシスコ平和条約が締結された後、日本も国際線の運航が可能となり、まず最初に最も重要な日米間の運航を行うために日米間の航空交渉が行われました。その結果、1953年に日米航空協定(正式名称:日本とアメリカ合衆国との間の民間航空運送協定)が締結されました。主な内容は以下の通りです;
第1条:シカゴ条約の遵守
第4条:1又は2以上の指定航空企業の指定
第5条:相互に第1~第4の自由を認める(一部路線で以遠権を認めている)
第7条:相互に運航する航空機の耐空証明を認める
第13条:運賃は両国の認可が必要

付表(参入路線・便数)
<日本側の権益>
日本=(中部太平洋の中間地点)=ホノルル=サンフランシスコ=以遠地点
日本=(北太平洋及びカナダの中間地点)=シアトル
日本=沖縄=以遠地点 ⇔ 敗戦後施政権は米国にあった
<米国側の権益>
米国=(カナダ、アラスカ、及び千島列島の中間地点)=東京=以遠地点
米国(属領を含む)=(中部太平洋の中間地点)=東京=以遠地点
那覇=東京(←沖縄は米国の施政権下にありました)

1954年国際線初就航時のタイムテーブル

上記を見ればわかる通り、敗戦国日本の実力を反映して、以遠権(第5の自由)について米国に有利な協定になっています。その後、日本経済の成長に合わせ11回の修正(詳しくは日米航空交渉の歴史(1959年~1998年)参照)が行われた後、2009年12月に至り、オープンスカイ協定日米オープンスカイ合意の概要参照)が結ばれました

内容を要約すると以下の通りです;
1.自国内地点、中間地点、相手国内地点及び以遠地点 のいずれについても制限なく選択が可能であり、自由 にルートを設定することができる
2.便数の制限は行わない(ただし、航空企業は通常の 手続きにより希望する空港の発着枠を確保する必要があります
3.参入企業数の制限は行わない
4.コードシェア同一国・相手国・第三国の航空企業とコードシェア 等の企業間協力を行うことができる
5.航空運賃の設定については、差別的運賃等一定の要 件に該当するものを除き、企業の商業上の判断を最大 限尊重するとともに、可能な限り迅速な審査を行う

日露(日ソ)航空協定

日本にとってロシアとの航空交渉(ソ連邦崩壊前はソ連との航空交渉)は、2国間の輸送量の取り決めと言うよりは、大圏コース(最短距離の空路)に近いロシア領空(シベリア上空~モスクワ上空)を通過して日本とヨーロッパ各国との間の路線運営を行う権益の取り決めを行うということでした。
ロシア領空を通らないルートは、アンカレッジを経由して北極上空を通過することとなりますが、このルートは距離が長くなるため、時間がかかり(片道数時間の差がでます)燃料費も増加することになります。また、飛行時間が延びるということは高価な航空機の路線占有時間が長くなるために航空機材効率が悪くなります。戦後、日本とヨーロッパ諸国との経済関係は飛躍的に発展し、それに伴って旅客・貨物需要も急速に増加してゆきました。こうした背景から、日露間(ソ連邦崩壊前は日ソ間)の航空交渉は以下の通り頻繁に改正を繰り返しました

尚、日露(日ソ)航空協定で特徴的なことの一つに、通常の航空協定で外国航空会社に課せられる着陸料、駐機料、航行援助施設使用料、等の他に、シベリア上空通過に高額の料金が課せられることです。これは上記の飛行時間の短縮に伴う燃料費減等のコスト削減、旅客利便性の向上、航空機材効率の向上、などに見合うものと考えられますが、シカゴ条約の精神に反するとも考えられます。尚、この上空通過料金は、航空協定とは別の商務協定で決められています

日本とソ連との間で最初に日ソ航空協定が締結されたのは1967年3月3日です。この航空協定の主な内容は以下の通りです
第2条:第1~第4の自由を相互に認める
第3条:日ソ間の運航を行う航空企業の指定
第7条:運航回数、機種、輸送力に係る合意の必要性
第8条:米ドルによる送金の自由
第9条:航空施設利用に関わる互恵主義、燃油費等の非課税
第12条:駐在員数の合意の必要性
* 運賃に関わる取り決めは、この協定に含まれていません

付属書 Ⅰ ;
*日本の就航路線:東京=モスクワ=第三国内の諸地点
*ソ連の就航路線:モスクワ=東京=第三国内の諸地点
*指定航空企業:(日本/日本航空ソ連/アエロフロート
付属書 Ⅱ ;
*安全運航に必要な情報の提供義務
*ICAO、WMO(世界気象機関)の標準方式、手続きを出来る限り採用すること(但し、ソ連邦内の航空管制に使われる高度の指示はメートル法を使用)
*情報の提供、機長との情報交換、等における英語使用の義務

以後、1969年~1994年の間、主として「付属書Ⅰ」に関して多くの交渉と改正が行われました。また、ソ連邦崩壊に伴い、1994年からは名称が日露航空協定に変わっています。詳しくは日露(日ソ)航空協定の歴史(1969年~1994年)をご覧ください

その後、2011年12月1日に、翌年3月末日からの夏季スケジュール以降、以下の内容で合意し、大幅な自由化が図られました;
1.日本側企業に係る運航の枠組み;
シベリア上空通過便に係る制約の大幅緩和通過便数の大幅拡大など)
コードシェアの大幅拡大(あらゆる種類のコードシェアを可能とする;コードシェア便数の上限撤廃)
③ 日本・ロシア間の中間地点の設定(ロシア内の経由地)
2.ロシア側企業に係る運航の枠組み;
① 成田路線のロシア側輸送力の拡大
② 日本側の①~③をロシア側にも設定

日中航空協定

日本と中国との航空協定は、第二次大戦後中国を代表することとなった中華民国(台湾)と1949年に台湾を除く中国全土を掌握して誕生した中華人民共和国(以下“中国”と呼びます)との間の国際政治における地位の変遷によって大きな影響を受けました
日本と中華民国は、1955年3月15日に航空業務に関する日本国と中華民国との間の交換公文を交わし、日本と台湾、香港、ベトナム、韓国などの都市を結ぶ路線運営について協定を結び、相互に運航を開始しました。この路線を運営する航空企業として日本側は日本航空、 中華民国(台湾)側は中華航空が指定されました

1971年10月、国連総会で、アルバニア(当時は共産圏)が提案した「中華人民共和国に中国代表権を認め、中華民国(台湾)を国連から追放する決議」が採択されました
また、1972年2月21日のニクソン大統領の電撃的中国訪問に始まる米中国交回復の流れに沿って、日本も1972年9月29日に田中角栄首相が中国を訪問し、日中共同声明(日中戦争の戦後処理についても言及していますのでちょっとご覧になることをお勧めします)に調印しました。この声明の中で、日本は中華人民共和国を中国の唯一の合法政府であることを認めています。また、貿易、海運、航空、漁業等の事項に関する協定の締結を目的として、交渉を行うことに合意しています

1974年4月20日、日中共同声明を受けて概略下記内容の日中航空協定が締結されました;
第2条:第1~第4の自由を相互に認める
第3条:日中間の運航を行う航空企業の指定(1~2社)
第10条:運賃の認可制
第11条:日本円、人民元による送金を認める

付属書;
*日本の就航路線:東京=上海 AND/OR 北京=(南回りヨーロッパ線の寄港地)
*中国の就航路線:北京=東京=太平洋線

この条約発効に伴い日本航空による日本=台湾路線は運休。替わって日本アジア航空(日本航空の100%出資子会社;乗員を含む主だった社員は日本航空から移籍しました)により、1975年8月から日台路線の運営が行われるようになりました。また、中国民航(中国側の指定航空企業)と中華航空が主要空港(成田空港)で“鉢合わせ”をすることが無いように、日本アジア航空と中華航空は、例外的に羽田空港を使用することになりました

その後、日中間の経済関係が強まることに合わせて、寄港地点の増加、指定航空企業にANAを追加(1992年、福岡=大連線就航)が行われました。また、日台路線にはANAの子会社エアニッポンが参入(1994年、福岡=台北線就航)しました。

2007年になって、日本航空による日台路線の直接運航が認められることとなり、2008年4月に日本アジア航空は日本航空に統合され、日本航空が日台路線の運営を継承しました。尚、エアニッポンは2012年4月にANAに吸収合併され、路線運営もANAが継承しています

日中路線については、その後数次にわたる付属書の改正を行った結果、2012年8月8日の国土交通省の報道発表によれば、以下の内容で日中が合意しています;

【合意の概要】
1.日中間の段階的なオープンスカイの実現
① 北京及び上海、成田及び羽田を除く、日中間輸送のオープンスカイ(航空自由化)の実現(合意時に直ちに実施)。
② 上記4空港に係る航空自由化については引き続き検討。
③ 北京、上海、成田関連路線の増便に適切に対応できるよう枠組みを拡大(合意後直ちに実施)する。

2.羽田路線の増便
(1)羽田空港の昼間時間帯
① 2013年3月末から下記を実施
・羽田=上海(浦東空港/上海中心部に近い空港):日中双方2便/日ずつ。但し、将来的に上海(虹橋空港)の国際枠が増加する場合には、上海(浦東空港)から上海(虹橋空港)への振替が可能
・羽田=広州:日中双方2便/日ずつ

② 国際線の発着枠が3万回から6万回に増加する段階から下記を実施
・羽田=北京:日中双方2便/日ずつ

(2)羽田空港の深夜早朝時間帯
2013年3月末から下記を実現
・羽田=中国内地点:日中双方2便/日ずつ

尚、2012年 年7 月30 日時点における日中双方の乗入れ地点、参入している航空企業についてはを日中路線の運航状況ご覧ください。日中両国にとって巨大な市場に育っていることが分かると思います

日本サウジアラビア航空協定

サウジアラビアは、日本にとって最大の原油供給国であり、また政治・宗教面で中東地域の盟主的存在でもあるものの、航空需要の観点からはそれ程重要な路線では無い為、極めて標準的な航空協定となっています
協定の交渉は、2006年11月に第1回交渉を行い、2007年2月に第2回交渉で概要が固まり、その後文言調整等を経て2008年年8月には協定が署名されました。協定の重要なポイントは以下の通りです;

航空協定の主な内容;
第3条:航空企業の指定(企業の名称は協定、付属書には明記されていません)
第4条:第1~第4の自由
第12条:運賃の認可制;運賃調整に関わる国際的な仕組の利用(IATA運賃:詳しくはエアラインの営業とはを参照)
第14条:送金の自由(交換可能な通貨で)
第16条:ICAO標準の遵守義務

付属書の内容;
日本の路線
日本国内の地点=中間地点=ジェッダ(イスラム教の聖地)、リヤド(首都)、ダンマン
サウジアラビアの路線
サウジアラビア王国内の地点=中間地点=大阪、名古屋
両国の指定航空企業は路線運営に当り、起点は自国内、他の地点は省略することが可能

おわりに

これまで述べてきたように航空協定とは、安全運航互恵平等の原則を基に国際間の商用航空輸送を円滑に行うために考え出された仕組みです。經濟先進国と発展途上国との間では、自ずと自由競争を制限する幾つかの制約(乗入れ地点、運航便数、運賃、第1~第5の自由、他)を設ける必要があります。国際商用航空輸送のルールの起点となったシカゴ条約の締結から70年以上が経過し、多くの先進国間では程度の差はありますが既にオープンスカイ協定が結ばれ(オープンスカイ協定の進捗について_国土交通省)、制約の多くが撤廃されました。しかし、二国間の航空需要が未成熟である国と日本との間では、未だに航空協定が結ばれていない国も少なからず存在します
* 参考:2018年11月19日・20日、 外務省において,日本・クロアチア航空協定に関する第1回政府間交渉が開催されました

一方、オープンスカイ協定を結んだ国同士でも、第5の自由(以遠権)については、自国の航空企業を守るためにある程度制限があることが普通です。また、カボタージュを認めている国はEU域内の国同士を除き殆どありません。因みに、EU域内の国々の国内線はカボタージュを認めたために弱肉強食の世界となり、Ryan Airや easyJetという大規模なLCCに国内線の輸送がとって代わられました。ただ、外国からの旅客の国内区間の輸送に関してはコードシェアを活用することにより国内航空企業を生かした運送が可能となっています

日本の航空企業にとっては、多くの旅客・貨物需要のある国々とはオープンスカイ協定によって国際線の運営が経営上極めて厳しい状況になってきつつあります。これまで空港発着枠の制約から外国社の乗り入れを謂わば合法的?に制限することができましたが、関西空港、中部空港の24時間運用、成田空港の運用時間帯の拡大(早朝、深夜)、羽田空港の新たな着陸ルートの運用開始、などにより受け入れ便数枠が年々拡大してきています(参考:国際線直行便運航状況_2018年冬ダイア)。日本の航空企業の国際線運営にとって、「High Yield(高単価)旅客の積み取りを優先」し、「搭乗率を高めるためのLow  Yield(低単価)旅客の積み取り」という単純なイールド・マネージメント(詳しくはエアラインの営業とは参照)だけでは、供給シェアがじり貧となり外国社を含めた相対的な地位の低下が避けられません。こうした経営環境の中で、日本航空の新たな国際線LCC(ZIPAIR Tokyo/ジップエア・トーキョー;2021年運航開始)設立という戦略が生まれたのではないかと推測しています。日本航空のOBとして密かに?応援したいと思っています

以上

日韓関係について勉強してみました

はじめに

韓国に文在寅大統領が就任してから、日韓関係は以下の事例をきっかけとして急速に悪化してきました;
* 長い間紛争の種になっていた従軍慰安婦問題を、最終的に解決することになっていた朴槿恵大統領との間の「日韓合意」が、実質的に破棄(「和解・癒やし財団」の解散)されてしまいました

* 戦時中の「徴用工」に係る問題については、1965年に調印された「日韓基本条約」と5億ドル(当時1ドル=約360円)に上る「経済協力金」で解決済みとなっていた個別の徴用工に対する賠償金に関し、韓国最高裁で当時の日本企業に対する支払いを命ずる判決がでました

* 日本の能登半島沖(日本のEEZ内)で韓国漁船の救助活動をしていたとされる韓国海軍艦艇から海上自衛隊の哨戒機が火器管制レーダーの照射を受けました。また昨年から、突如として国際法に基づいて海上自衛隊の艦船に掲げられる晴天旭日旗を下ろすよう求められるという問題も起き、日韓の対北朝鮮防衛に係る同盟関係に亀裂が発生しています

こうした背景からと思われますが、最近日本国内においては嫌韓感情の高まり、韓国においても反日感情が高まっていることはほぼ間違いの無いことだと思われます。
一般の日本人には、長い時間をかけてようやく合意が成った条約や国際協定が、国内政治の風向きが変わったことによって簡単に踏みにじられることや、一般の日本人の歴史認識をなじられ続けることに我慢がならないことと思う人は少なくないと思われます

一方、日本には、現在50万人近くの在日朝鮮人(韓国籍+北朝鮮籍)が住んでおり、更に日本に帰化した朝鮮人、婚姻によって日本人姓を名乗っている人も相当数在住していることは間違いありません。また、特に芸能やスポーツの分野では、朝鮮をルーツにしている人が非常に多く活躍していると言われています。これらの人々が現在肩身の狭い生活をしていることは想像に難くありません
また、現在各種のSNSを通じて憶測記事や、徒に嫌韓感情をあおる記事がインターネット上に溢れています。こうした状況は、日中戦争や太平洋戦争が始まる前に日本のマスメディアが“中国人を蔑む記事”や、“鬼畜米英云々の記事”で大衆を煽った状況を思い出させます
私自身、小学校低学年の頃、朝鮮籍だったと思われる同級生を、みんなで「朝鮮人は可哀そう」とはやし立てていたところ、この朝鮮籍の同級生の兄か親戚と思われる上級生にこっぴどく殴られたという恥ずかしい体験があります

いま一番必要なことは、こうした状況になった背景を含め、できるだけ正確な情報を得る努力を行い、不正確な情報に付和雷同しないようにすることではないでしょうか。以下に、私自身の頭の整理の為に勉強したことを率直に書いてみたいと思います

日韓愛憎?の歴史・クイックレビュー

① 白村江の戦い(663年)
660年、唐・新羅の連合軍との戦いによって百済は滅亡しましたが、百済の遺臣鬼室副信(きひつふくしん)は百済再興を目ざして挙兵するとともに使者を日本に派遣して救援を求めました
大和朝廷は直ちにそれに応じ、661年斉明天皇みずから西征し筑紫に到着しました。しかし、同年7月天皇が崩御したため渡海は延期されました。その後、斉明天皇の後を引き継いだ中大兄皇子(大化の改新の主役、後の天智天皇)は、翌年正月、阿曇比邏夫連(あずみひらぶむらに)らを船師(船頭)170艘を使って渡海させ、鬼室副信らを救援しました。
さらに663年には、2万7千人の増援軍を派遣しました。これに対して新羅は唐に増援軍を求めた結果、唐から7千人が派遣されました

白村江の戦い
白村江の戦い

大和の軍船が、百済の遺臣らの籠る周留城をめざして、錦江下流の白村江の河口に乗りこんだとき、そこには唐と新羅の連合水軍170艘が待ち構えていました。8月27日、両軍の戦端がひらかれ翌28日には勝敗が決しました。大和の水軍は、待ちうけた唐と新羅の連合軍に挟み打ちになり、朝鮮の三国史記の記述によれば、「船は火災につつまれて次々と沈没、海に呑まれる兵士は数知れず、炎は天を焦がし、海の水は朱に染まった」という惨状でした

敗戦の悲報は翌月には早くも那の津(博多港)の本営にもたらされました。半信半疑で、誤報であれかしと一縷の望みをつなぐ人々の前に、やがて散り散りになった敗残兵と亡命の百済人たちが、那の津の海に引き上げてきました

② 蒙古来襲(文永の役:1274年、弘安の役:1281年)
元の日本遠征軍は、蒙古人・高麗人・漢人・女真人(満州人)により組織されていた連合軍でした

元寇
元寇

日蓮上人の遺文を集めた「遺文録」には、「去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者カタメテ有シ、総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし)、、、」とあり、無差別に島民を惨殺していたことが分かります。壱岐・対馬を襲った遠征軍は、そのルートから考えて高麗人が多かったことは疑いの無いことです

③ 倭寇の跋扈(13~16世紀)
倭寇は、朝鮮、中国の海岸で活動した海賊で、主として九州沿岸の日本人であったといわれています。倭寇の活動期は、13~14世紀の前期と、15世紀後半から16世紀の後期に分けられます。倭寇は海賊行為だけではなく、明の海禁政策(海上貿易の禁止)の中で貿易の利益をあげようという、中国商人と日本商人の私貿易、密貿易の側面もありました。前期と後期の間の期間は足利幕府と明との間で勘合貿易(両政府の交易許可証を使った正式な貿易)が行われた為、倭寇の活動は抑止されていました

倭寇侵略図
倭寇侵略図

④ 応永の外寇(1419年)
室町時代の応永26年に起きた李氏朝鮮の世宗による対馬侵略を指しています。227隻の船に1万7千人余の兵士を乗せ対馬に上陸したものの、宗定茂以下600人程度の武士の奮戦により百数十人が戦死(崖に追い詰められて墜死を含む)しました。更に逃走しようとした船に火をかけられて李氏朝鮮軍は大敗を喫しました

⑤ 秀吉による朝鮮征伐(文禄の役:1592年~3年、慶長の役1597年~8年)
秀吉が国内を統一した後、更に明に領土を広げようとして行われた戦争で、日本軍約15万人、明・朝鮮連合軍の約25万人が戦った大規模な戦争です。遠征軍は朝鮮全土に及び、戦国時代で培われた秀吉軍の高度な戦争技術を勘案すると、明・朝鮮連合軍には多くの死傷者が出たものと思われますが、正確な数は分かりません

文禄・慶長の役
文禄・慶長の役

京都の豊国神社(豊臣秀吉を祀る神社)の耳塚(殺した明軍、朝鮮軍からそぎ落とし持ち帰った耳、鼻を供養してある)には2万人分が収められているそうです。この耳塚には、今でも多くの韓国人が訪れています

豊国神社にある耳塚
豊国神社にある耳塚

この戦争は、秀吉の死で終わりましたが、戦争に参加した武将たちは、戦利品の代わりに高度な技術を持った陶工を連れ帰りました。これらの陶工が伊万里焼(佐賀県/鍋島藩)、薩摩焼(鹿児島県/薩摩藩)として世界に誇る日本の陶芸技術を今に伝えています。司馬遼太郎の作品に日本に連れてこられた陶工の哀しみが書かれています

文学碑と司馬遼太郎の作品
文学碑と司馬遼太郎の作品

⑥ 朝鮮通信使(1375年~1811年)
朝鮮通信使は、室町時代に始まり、足利将軍からの国書を持った使者の派遣に対する高麗王朝の返礼の意味を持った使者の派遣でした。安土桃山時代にも李氏朝鮮から秀吉に向けて2回使者が派遣されたものの、文禄・慶長の役で国交断絶の状態となった為行われなくなりました。徳川時代に入って李朝朝鮮との間で再開され、1607年の第1回から1811年まで全12回行われました。第1回~第3回目までは、文禄・慶長の役後の日朝国交回復の目的を帯びており、朝鮮人の捕虜の返還などがお行なわれました。その後も、通信使は将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として派遣されるようになりました

朝鮮通信使
朝鮮通信使

規模は随員などを含めて400~500人で、これに対馬藩からの案内や警護の為の1500人ほどが加わる大規模なものでした。尚、幕府からの返礼使は対馬藩が代行しています
2017年11月には、日韓の団体が共同で申請していた「朝鮮通信使に関する記録」がユネスコの「世界の記憶」に選ばれています

⑦ 日朝修好条規(1876年)、日清戦争(1894年~5年)
ロシアからの脅威の防壁として朝鮮を重視していた明治日本は、鎖国している李朝朝鮮を開国させようと交渉したものの拒絶された為、1875年軍艦をソウルに近い江華島に派遣し挑発を行ったところ、狙い通り朝鮮軍が砲撃してきました。明治政府は開戦をちらつかせつつ責任を追及した結果、李朝朝鮮との間で不平等条約である日朝修好条規を締結し、開国させることに成功しました

ビゴーの風刺画
ビゴーの風刺画

その後、朝鮮の宗主国を自認する清国との対立が激化し、1894年日清戦争が勃発し日本が勝利します。1895年の 日清講和条約(下関条約)で朝鮮は宗主国であった清国から離れ、独立国となりました。しかし、ロシアを中心とした三国干渉で日本が遼東半島を清に返還すると、朝鮮の政府内部にロシアと結んで日本の影響力を排除しようとする親露派が形成され、その中心が閔妃(ミンビ/李朝朝鮮の女帝)でした。その動きを危ぶんだ日本の公使三浦梧楼は、1895年10月、公使館員等を王宮に侵入させ、閔妃らを殺害してしまいました(乙未事変

その後、日韓協約_第1次~第3次を通じて日本は財政、外交、内政の実権を握るとともに軍隊の解散を行って保護国化を完成させました。これに対して朝鮮内では軍隊の反乱が起こるなど反日運動が盛り上がりましたが、初代総監(第2次日韓協約に基づく軍事を含む統治組織である総監府の長)となっていた伊藤博文がこの反日運動を抑え込みました
1909年、この反日運動に参加していた安重根はハルピンの駅頭で伊藤博文を暗殺しました。安重根は韓国では英雄として尊敬されています

安重根が収容された監獄@旅順
安重根が収容された監獄@旅順

⑧ 韓国併合(1910年)
併合を実行する前に、列強からの干渉を受けないようにするため、イギリスとは1905年の第2次日英同盟でイギリスのインド支配を認める代わりに日本の韓国支配の承認を受けていました。アメリカとは1905年、桂=タフト協定でアメリカのフィリピン支配と日本の朝鮮支配を相互に承認しました。ロシアとは、1907年の日露協約で満州の分割及びロシアの外モンゴル支配と日本の朝鮮に対する権益の相互承認を行っていました。

1910年8月、韓国の李完用首相に「韓国併合に関する条約」の調印をせまり、ただひとりの閣僚が反対したのみで、閣議は条約調印を承認しました。この条約は、1910年8月29日に公布されています。

⑨ 第一次世界大戦と韓国の独立運動
韓国併合以降、日本による統治に反発した農民達は満州やロシアの沿海州に大挙移住し、同地域で新韓村などの朝鮮人村落が形成されていきました。朝鮮半島内での抗日運動は、朝鮮総督府による厳しい取り締まりにより運動が困難になると、独立運動家達は満州やロシアを独立運動の基地とするようになりました。

その後、第一次世界大戦(1914年~18年)のベルサイユ講和会議の前に、米国のウィルソン大統領は、民族自決主義を盛り込んだ国際政治に係る新しい方針を議会に提出しましたが、これを受けて、植民地となっている国々で民族運動が一気に高まりました

ソウル市・タプコル公園_三一独立運動の記念レリーフ
タプコル公園_三一独立運動の記念レリーフ

1919年3月1日、学生と青年達は京城府のタプコル公園朝鮮独立宣言(ぜひ一度は目を通すことをお勧めします)の朗読を行い、その後数万人の群衆と共に「大韓独立万歳」を叫びながらデモ行進を行いました。これを発端として、三一運動が始まりました。三一運動は、総督府の警察と軍隊の投入による治安維持活動が強化される中でも、朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が行われ続けました。3月~5月にかけてデモに参加した人数は205万人、デモの発生回数は1542回にのぼったとされています。しかし、その後総督府が憲兵や巡査、軍隊を増強して武力による弾圧を行った結果、運動は次第に終息していくこととなりました

⑩ 関東大震災時の朝鮮人虐殺事件(1923年)
1923年9月1日の関東大震災によって壊滅的な被害を受け、民心と社会秩序が著しい混乱に陥った状況下で内務省は戒厳令を発し、各地の警察署に治安維持に最善を尽くすことを指示しました。しかし、その時に内務省が各地の警察署に下達した指示の中に「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が入っていました。この内容は行政機関や新聞、民衆を通して広まり、朝鮮人や、朝鮮人と間違われた中国人、日本人の聾唖者が殺傷される被害が発生しました。正確な数字は残っていませんが、一説には数千人にのぼるとも言われています

関東大震災・朝鮮人虐殺_読売新聞記事
関東大震災・朝鮮人虐殺_読売新聞記事

⑪ 創氏改名
1939年、朝鮮総督府は、本籍地を朝鮮とする朝鮮人に対し、新たに「氏」を創設させ、また「名」を改めることを許可する政策を施行しました

儒教文化の下にある韓国では、女性は結婚後も他所者として夫や子供の「姓」には加われませんでしたが、個人が申請した新たな「氏」において夫婦一致させることが義務付けられました。約8割の人が日本風の「姓」で「氏」を創設しましたが、金や朴など従来の「姓」を夫婦の「氏」とすることも出来ました。希望する「氏」を許可期間中に届け出なかった場合は、自動的に従来の「姓」が一家の「氏」となりました
尚、台湾においても創氏改名にあたる「改姓名」が実施されましたが、約2%しか改名が行われませんでした

⑫ 日中戦争~第二次大戦(1936年~1945年)
(a) 徴兵制:日中戦争が進行中の1938年から志願兵制度を導入、対米戦争が敗色濃厚となった1944年からは徴兵制が実施されました。徴兵制で動員された朝鮮人は21万人5千人に達し、戦死・行方不明者は2万2千人人以上にのぼるとされています。この中には特攻隊に志願して戦死した方もいます(ネット情報によれば朝鮮人の特攻による死者は17人とされています)。鹿屋や知覧の特攻隊記念館には特攻で戦死した方の写真、遺書などが展示されていますが、私が見学に行ったときには、遺族の方の希望だと思いますが、朝鮮人の特攻隊員の写真は、剥がされていました

特攻隊員の写真@鹿屋基地
特攻隊員の写真@鹿屋基地

(b) 徴用工:徴用工とは、戦時下で労働力の確保が難しくなった段階で、軍需産業を中心に半ば強制的に(強制性については異論もあります)徴用された労働者をいいます。強制労働とは違って賃金は支払われていましたが、派遣された場所によっては過酷な労働を強いられていたこともあったようです。勿論、徴用工は朝鮮人だけでなく日本人もいました(勤労動員、学徒動員、など)

松代大本営_象山地下壕
松代大本営_象山地下壕

戦争末期、松代の象山の地下に巨大な大本営を建設する際にも2600人の朝鮮人徴用工が土木工事に従事しました。突貫工事の為多くの死傷者が出ましたが、記録が廃棄されていたため実数は分かっていません。一説には100人~300人が亡くなったと言われています

松代象山大本営_追悼平和祈念碑
松代象山大本営_追悼平和祈念碑

尚、この問題は、文在寅政権になってから日韓間の軋轢の種になっていますが、韓国政府は日韓基本条約に基づき、過去に2度、元徴用工に個人補償を実施しています。朴正熙政権は2年間で8万4千人余りに現金を支給。盧武鉉政権も2008年以降に追加の支払いを実施しています(2019年7月24日追記:文政権・資産売却を静観_元徴用工問題も対決姿勢

(c) 従軍慰安婦:従軍慰安婦とは、戦地の軍人を相手に売春する女性であり、現代では、それを批判する人々の視点から「かつて戦地で将兵の性の相手をさせられた女性」との意味で用いられる用語です。戦時中、兵士の性的な欲求を長期間抑止すると、戦地における強姦や殺人などの戦争犯罪が発生する恐れがあること(注1)、また性病の罹患による戦力低下の恐れがあること、などのため軍が非公式にある程度管理に関与する性処理を目的として施設が設けられていましたが、こうしたことは各国の軍隊でも珍しくないことでした。勿論そこで働いている慰安婦には日本人も多くおり対価も支払われていました。朝鮮戦争においても、連合軍や韓国軍の兵士の為にそうした施設が設けられており、米軍・国連慰安婦と呼ばれていました。

平時における倫理的な常識からすれば、決して容認できないことは言うまでもありませんが、これが日韓で政治問題化した背景には、朝鮮人の年若い女性が強制、乃至拉致されて慰安婦にされたということでした。しかし、この強制性の有無については日韓で意見が異なっています(注2)

(注1)「ライダイハン」問題:ベトナム戦争に派遣された韓国軍兵士による現地女性への性的暴行などで生まれた混血児(ベトナム語で“ライダイハン”と呼びます)が沢山いることはよく知られていました。この問題を追及しているイギリスの民間団体「ライダイハンのための正義」は、この混血児の数は1万人以上に達するとしています。1975年にベトナム戦争終結後、共産党政権下で“ライダイハン”は「敵国の子」として迫害され、差別されてきました。同団体は韓国政府に公式な謝罪を求めていますが、現在までのところ韓国政府はこれに応じていません

(注2)「強制性」については日本のメディアが主として新聞記事を通じて報道したことがきっかけになっています。これらの記事の信憑性については、2014年に朝日新聞が第三者委員会を設置し、調査結果を報告しています(詳しく知りたい方は、慰安婦報道に関する第三者委員会報告書をご覧ください)

(d) 被ばく:広島、長崎に原爆が投下されたときに在住して被ばくした朝鮮人は約7万人、内爆死された方が約4万人とされています(被爆者援護法裁判のパンフレットより)

 終戦後満州、朝鮮に残された日本人に対する迫害
1945年8月の終戦時、敗戦国民となって満州、朝鮮に取り残された日本人は161万人も居ました。在留日本人の引き上げについては、多くの体験談や小説で書かれているように大変な困難を伴いました。中でも戦勝国となった国(ソ連、中国だけでなく朝鮮も含む)の人々から受けた暴行、凌辱は敗戦国民であるが故に告発されることもなく、帰国してからも内地の人に語ることもできない深い心の傷として残されています。引き揚げてきた女性の内、強姦によって妊娠してしまった女性は、故郷に帰る前に舞鶴など引揚船の到着港で密かに堕胎の手術を行っていたことが、最近になってテレビのドキュメンタリー番組で放送されています。
参考:母方親族の戦争体験「麻山事件」を読んで

⑭ 朝鮮戦争(1950年~53年)
(a) 朝鮮人にとって同胞同士が殺しあう悲惨な歴史
韓国軍、北朝鮮軍、民間人併せて約350万人が死亡したと言われており、1953年の休戦によって戦火は収まりましたが、北緯38度線の休戦ラインによって南北に引き裂かれた家族、親戚が大勢おり、韓国、北朝鮮国民の悲惨さは筆舌に尽くせないものがあります
朝鮮戦争の全体像を知るには以下の本が有用です;

朝鮮戦争関連資料
朝鮮戦争関連資料

朝鮮戦争の謎と真実」はソ連邦崩壊後、機密文書が公開され、その中に開戦に係る金日成とスターリン間の往復書簡、と金日成と毛沢東間の往復書簡が多く含まれており、戦争がどのように準備され、開始されたかかが良く分かります。毛沢東が戦争開始に消極的だった理由が日本の参戦の可能性にあったという中々興味深い話も入っています
また「朝鮮戦争」は、マッカーサーの後任で連合国最高司令官になったマシュウ・B・リッジウェイの回顧録で、如何に朝鮮戦争という激しい戦いが行われたかを、最高司令官の冷静な視点で語られています

(b) 朝鮮特需
朝鮮民族にとって悲惨な戦争が行われている一方で、米軍を主体とした連合軍からの軍事特需は36億ドルに達したと言われており、未だ敗戦後の荒廃(生産の極度の低下と悪性インフレ)の中にあった日本にとっては復興のカンフル剤となりました。因みに国民総生産、個人消費は、戦争が始まった1951年度には既に太平洋戦争前の水準を超え、その後の日本の急速な経済成長がここから始まったと言えます。見方を変えれば、朝鮮民族の犠牲を基に戦後の日本の経済復興が行われたと言えなくもありません

尚、余り知られていないことですが、朝鮮戦争当時、連合国軍の要請(事実上の命令)を受けて、元海軍軍人や民間船員など8千人以上が国連軍の掃海作戦(海中に敷設された機雷の除去)に参加させられ、開戦からの半年の間に56名が戦死?しています。

⑮ 李承晩ライン、竹島の実効支配
サンフランシスコ平和条約(1951年9月署名、1952年4月発効)により日本は主権を回復しました。初代大統領・李承晩は、この条約により、戦後アメリカが日本漁業の操業区域として設定した「マッカーサー・ライン」が無効化されることを見越して1952年1月の大統領令「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言を発し海洋境界線を独断で設定しました。この境界線のことを李承晩ラインといいます

李承晩ライン
李承晩ライン

アメリカは1952年2月、韓国政府に対して李承晩ラインを認めないと通告したものの、韓国政府はこれを無視しました。
尚、この李承晩ラインの韓国側にサンフランシスコ平和条約でも日本領とされている「竹島が入っており、その後の韓国による実効支配のもとになっています。
当時、未だ海上自衛隊はもとより海上保安庁も発足していなかった日本は、この海域内で漁業を行った漁民が臨検拿捕・接収銃撃を受けても為す術はありませんでした。日韓基本条約、日韓漁業協定の締結(1965年)により、李承晩ラインが廃止されるまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人にのぼりました。抑留者は6畳ほどの板の間に30人も押し込まれ、僅かな食料と30人が桶1杯の水で1日を過ごさなければならないなどの悪な抑留生活を強いられたと言われています

⑯ 日韓基本条約、経済協力協定
サンフランシスコ平和条約に参加していない韓国との国交回復は、1951年の第1回交渉から14年間に及ぶ長い交渉となりました。
日本は、⑦で述べた韓国併合の際の韓国議会の承認を経た「韓国併合に関する条約」が国際法上有効な条約であり、植民地支配ではなく合法的な併合であることから賠償は不要であるとの立場をとり交渉は難航しました。最終的には韓国の朴正煕大統領が、賠償なのか支援なのかは問わず、日本からの無償三億ドル・有償二億ドルの提供を受けると言うことで曖昧な妥協を行い、1965年6月に交渉は決着しました。

(a) 日韓基本関係条約のポイント
第二条 1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される
第三条 大韓民国政府は、国際連合総会決議第195号に明らかにされているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される
第四条 両締約国は、その貿易、海運その他の通商の関係を安定した、かつ、友好的な基礎の上に置くために、条約または協定を締結するための交渉を実行可能な限りすみやかに開始するものとする

(b) 経済協力協定のポイント
第二条の1:両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたもの(日本の在外資産の請求権放棄)を含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する

⑰ 金大中拉致事件(1973年)
1973年8月8日、韓国の民主活動家、政治家で、のちに15代大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されたあとソウルで軟禁状態に置かれ、5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件です。

ここで日本の警察は、拉致された部屋から在日韓国大使館の金東雲一等書記官の指紋が検出され、事件に関与していたとして韓国側に任意出頭を求めましたが拒否されました。その後、韓国政府は「金書記官が帰国したことを認めましたが、事件には無関係」との態度を貫き通しました
このまま膠着状態が続けば、両国関係は深刻な外交的亀裂を生じる可能性もあり、事件発生直後は、極力政治レベルの問題にしないように対処しつつ、その後暫くして日本政府は「お互い独立国家として、長期の友好関係を考慮する必要がある」として、事態打開のために、高度の政治判断により曖昧なままに決着させることにしました

⑱ 慰安婦問題に関する日韓合意(2015年)
2015年12月28日にソウルの外交部で行われた岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世外交部長官による外相会談後の共同記者発表日韓両国はこの合意の際に公式な文書を交わさないこととしましたで以下について合意したことを発表しました;
①両外相は「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する
② 韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出し、両国が協力していくことを確認
③日韓両政府が今後国際連合など国際社会の場で慰安婦問題を巡って双方が非難し合うのを控える
④ソウルの在韓日本国大使館前に設置されている慰安婦像について「日本政府が大使館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても可能な対応方向について関連団体との協議を行うことなどを通じて適切に解決されるよう努力する」と表明。

共同記者発表に於ける岸田外相の発言「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」。安倍晋三首相も日本国の首相として「改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する
共同記者発表に於ける尹長官は「両国が受け入れうる合意に達することができた。これまで至難だった交渉にピリオドを打ち、この場で交渉の妥結宣言ができることを大変うれしく思う」と発言、これを受け岸田外相もソウル日本大使館前の慰安婦像の扱いについて「適切に移転がなされるものだと認識している」として慰安婦問題に終止符を打った」と語った

第二次大戦後の韓国の政治状況

韓国の政治の特異な点は、初代の李承晩大統領から第18代の朴槿恵大統領に至るまで、殆どの大統領は、任期中、あるいは退任後に政敵により失脚、乃至重罪を課せられています。詳しくは、以下をご覧ください;

㋑ 李承晩(第1代~第3代) 1948年~1960年
第二次大戦後、独立運動に参加。アメリカの支援を受けて大韓民国を設立しました。不正選挙を行い、革命で失脚後にハワイ亡命。その後、母国に戻れずハワイで客死

㋺ 尹潽善(第4代) 1960年~1962年
ソウル市長を歴任後、李承晩政権後に大統領に就任するものの、クーデターにより大統領辞任。その後は野党の総裁として活動するも、軍法会議にかけられ、「憲法の秩序を乱した活動」として懲役3年の実刑判決を受けました

㋩ 朴正煕(第5代~第9代)1963年~1979年
日本統治下の朝鮮に生まれ、創氏改名で高木正雄と名乗りました。後に軍人になり、満州国陸軍士官学校に志願入隊しました。卒業後は成績優秀者が選抜される日本の陸軍士官学校への留学生となり、第57期生として日本式の士官教育を受けました。帰国後は満州軍第8団(連隊)副官として八路軍や対日参戦したソ連軍との戦闘に加わり、内モンゴル自治区で終戦を迎えました。

第二次世界大戦後、中国の北京に設置されていた大韓民国臨時政府(朝鮮系住民による独立組織)に加わり、朝鮮半島の南北分離時には南部の大韓民国を支持して国防警備隊の大尉となりました。国防警備隊が韓国国軍に再編された後も従軍を続け、朝鮮戦争終結時には陸軍大佐にまで昇進、1959年には陸軍少将・第2軍副司令官の重職に就きました

内戦を終えた韓国内では議会の混乱によって復興や工業化などが進まず、また軍内の腐敗も深刻化していた為、軍の将官・将校・士官らの改革派を率いてクーデターを決行し軍事政権(国家再建最高会議)を成立させました(5.16軍事クーデター

その後、形式的な民政移行が行われた後も実権を握り続け、自身の政党である民主共和党の大統領に就任しました。就任後は、日本の佐藤栄作内閣総理大臣との間で日韓基本条約を締結して日韓両国の国交を正常化するとともに、アメリカのジョンソン大統領の要請を受けて1964年にベトナム戦争に韓国軍を派兵しました。日米両国の経済支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成しました。1979年韓国中央情報部の部長の金載圭によって暗殺されました。朴槿恵韓国大統領の実父。長男(朴槿恵の弟)は麻薬により数回逮捕歴があります。

㋥ 崔圭夏(第10代)1979年~1980年
朴正煕大統領の暗殺により、首相であった崔圭夏が大統領代行に就任しまし、その後そのまま大統領に就任しました。
しかし、朴正煕大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていましたが、軍部では維新体制の転換を目指す上層部と、朴正煕に引き立てられた中堅幹部勢力(一心会)との対立が表面化していました。1979年12月12日、保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握しました(粛軍クーデター)。全斗煥が率いる新軍部は1980年5月17日、全国に戒厳令を布告し、野党指導者の金泳三、金大中や、旧軍部を代弁する金鍾泌を逮捕・軟禁しました(5.17非常戒厳令拡大措置
光州事件:このクーデターに抗議して学生デモが起きましたが、戒厳軍の暴行が激しかったため、これに怒った市民が参加しデモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がりました。市民軍は武器庫を襲うと、銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領する事態にまでに過激化しましたが、5月27日に政府によって鎮圧されました。この時の犠牲者は193人に上ると言われています

光州事件
光州事件

結局、こうした政治情勢のなかで崔圭夏は主導権を握れないまま辞任しました

㋭全斗煥(第11代、第12代)1980年~1988年
日本の陸軍士官学校に入学した軍人出身。在任中は暗殺未遂事件(ラングーン爆弾テロ事件)に遭い、北朝鮮による大韓航空機爆破事件も発生するなど、北朝鮮との関係が緊張した時代でした。言論統制や戒厳令を発令するなど強権的な面があり、ライバル関係にあった後の金大中大統領に死刑判決を出すなどしました。しかし退任後は民主化デモの鎮圧・市民の虐殺(光州事件)、不正蓄財の罪で死刑判決を受けたものの、かつてのライバルであった金大中大統領に恩赦されました。

尚、特筆すべきことは、全斗煥は、韓国の歴代大統領としては初めて、朝鮮半島が日本の領土となったことは、自分の国(当時の大韓帝国)にも責任があったと認め、当時日本でも大きく報道されました。また、1981年8月15日の光復節記念式典の演説では、「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と主張しています

㋬ 盧泰愚(第13代)1988年~1993年
軍人出身で、陸軍士官学校で全斗煥と同期。大統領在任中は前大統領の全斗煥の不正を追求するも、退任後は過去のクーデターに関連したとされ、更に不正蓄財などにより懲役17年の実刑判決を受けました

㋣ 金泳三(第14代) 1993年~1998年
30年以上続いていた軍事政権を終わらせ、献金を一切受け取らないなど不正の撤廃を徹底日本に対しては強気の姿勢で発言して国民に人気がありました。大統領の任期終盤にはアジア通貨危機が発生し、IMF支援を要請するなど経済が混乱しました。また次男があっせん収賄と脱税で逮捕されたこともあり国民からの人気が低迷しました

㋠ 金大中(第15代) 1998年~2003年
野党の有力政治家として朴正煕大統領から狙われ、民主化運動に取り組んでいる東京滞在中、ホテルから拉致される(金大中事件)など、活動が制約されました。その後も民主化の流れのなかで死刑判決を受けてアメリカに出国するなどしたものの、全斗煥大統領から政治活動再開を許されて帰国。

大統領就任後は経済立て直しに力を入れ、サムスンやヒュンダイなどを世界的企業にするなどの成果を上げました。北朝鮮との対話政策を進めて、ノーベル平和賞を受賞しました。尚、息子3人は共に賄賂で逮捕されています。

㋷ 盧武鉉(第16代) 2003年~2008年
韓国では初の第二次大戦以降に生まれた大統領で、日本の統治時代も未経験の世代。貧農の生まれながらも弁護士として成功し、政界に進出。全斗煥への不正追求で、一気に有力政治家になりました。大統領就任後は支持率が伸び悩み、対日政策においても強硬路線を通しました。退任後は親族や側近が不正疑惑で相次いで逮捕され、自身も捜査対象になった最中、自宅の裏山のミミズク岩と呼ばれる崖から投身自殺しています。

㋦ 李明博(第17代)2008年~2013年
大阪市の平野区で韓国人の両親のもとに生まれ日本名を月山明博といい、帰国後は苦学の後に大学を卒業しました。学生による民主化運動に関わって就職に困ったなかで、社員数十人だった「現代建設」に入社。27年後の退職時には社員数16万人の大企業に育て上げた実績があり、立身出世」の人物として高い人気がありました。ソウル市長を歴任後、大統領に就任し、日本に対して強硬路線(竹島上陸・天皇への謝罪要求)を通しました

李明博・竹島上陸
李明博・竹島上陸

退任後は収賄により国会議員の実兄があっせん収賄で逮捕され、自身も土地の不正購入などの疑惑があり、李明博の長男も捜査対象になりました。また、国家情報院からの裏金上納、世論操作などの疑惑も上がっています。2018年3月ソウル中央地裁は李明博元大統領に対する逮捕状を発行しました

㋸ 朴槿恵(第18代) 2013年~2017年
朴正煕元大統領の長女で1952年生まれ。韓国初の女性大統領。両親ともに暗殺されています。2015年年12月28日の日韓外相会談で日韓間の慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認しました。その後、民間人への機密漏洩問題などで弾劾訴追され、2017年3月大統領を罷免されました。その後、2018年8月24月、ソウル高裁で懲役24年の実刑判決を受けています

「お詫び」の歴史

1965年の日韓基本条約・經濟協力協定締結後も、歴代首相、天皇・皇太子は以下の様に韓国への「お詫び」を繰り返しています(中国、その他の東南アジア諸国への“お詫び”を除く);
① 1984年9月、全斗煥大統領が国賓として初訪日した際の歓迎の宮中晩餐会に於ける 昭和天皇の発言 「、、今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います
② 1984年9月、全斗煥大統領歓迎の首相主催の晩餐会における曽根康弘首相の発言「、、貴国および貴国民に多大な困難をもたらした、、、深い遺憾の念を覚える、、、」

③ 1990年5月、盧泰愚大統領が国賓として初訪日した際の歓迎の宮中晩餐会で、平成天皇は、①の昭和天皇の言葉を引用しつつ「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と発言しています
④ 1990年5月、盧泰愚大統領歓迎の首相主催の晩餐会で、海部俊樹首相の発言私は、大統領閣下をお迎えしたこの機会に、過去の一時期,朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し、率直にお詫びの気持を申し述べたいと存じます

⑤ 1992年1月、盧泰愚大統領の2度目の訪日時の晩餐会に於いて、 宮澤喜一首相の発言は「私たち日本国民は,まずなによりも,過去の一時期,貴国国民が我が国の行為によって耐え難い苦しみと悲しみを体験された事実を想起し、反省する気持ちを忘ないようにしなければなりません。私は、総理として改めて貴国国民に対して反省とお詫びの気持ちを申し述べたいと思います」と発言しています
また翌日、「我が国と貴国との関係で忘れてはならないのは、数千年にわたる交流のなかで、歴史上の一時期に,我が国が加害者であり、貴国がその被害者だったという事実であります。私は、この間、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、ここに改めて、心からの反省の意とお詫びの気持ちを表明いたします。最近、いわゆる従軍慰安婦の問題が取り上げられていますが,私は、このようなことは実に心の痛むことであり,誠に申し訳なく思っております

*1993年8月従軍慰安婦に関する河野談話(当時官房長官):いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる

⑥ 1993年11月、細川護煕総理が訪韓し、金泳三大統領との首脳会談を行った際の発言は「わが国の植民地支配によって朝鮮半島の人々が母国語教育の機会を奪われたり、姓名を日本式に改名させられたり、従軍慰安婦徴用など耐え難い苦しみと悲しみを経験されたことに加害者として心から反省し、深く陳謝したい」 その結果として、この年両国間で「未来志向の日韓フォーラム」が創設された

⑦ 1995年7月、村山富市首相発言は「いわゆる従軍慰安婦の問題もそのひとつです。この問題は、旧日本軍が関与して多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたものであり、とうてい許されるものではありません。私は、従軍慰安婦として心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対して、深くおわびを申し上げたいと思います
* 1995年8月、村山内閣総理大臣談話“戦後50周年の終戦記念日にあたって”:植民地支配とアジア諸国への侵略に対しお詫びする内容

⑧ 1996年6月、橋本龍太郎首相の初の訪韓における日韓共同記者会見における発言は「例えば創氏改名といったこと。我々が全く学校の教育の中では知ることのなかったことでありましたし、そうしたことがいかに多くのお国の方々の心を傷つけたかは想像に余りあるものがあります、、、また、今、従軍慰安婦の問題に触れられましたが、私はこの問題ほど女性の名誉と尊厳を傷つけた 問題はないと思います。そして、心からおわびと反省の言葉を申し上げたいと思います

⑨ 1996年年10月、金大中大統領が国賓として訪日した際、歓迎宮中晩餐会に於ける平成天皇の発言は「このような密接な交流の歴史のある反面、一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております

* 1998年年7月15日のオランダ王国のコック首相に対する橋本龍太郎首相の書簡「我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います」「我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います

⑩ 1998年年10月、 小渕恵三首相金大中大統領との間で交わされた日韓共同宣言 “21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ”両首脳は、日韓両国が21世紀の確固たる善隣友好協力関係を構築していくためには、両国が過去を直視し相互理解と信頼に基づいた関係を発展させていくことが重要であることにつき意見の一致をみた。小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。金大中大統領は、かかる小渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した

⑪ 2001年10月、小泉純一郎首相発言「日本の植民地支配により韓国国民に多大な損害と苦痛を与えたことに心からの反省とおわびの気持ちを持った」。「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております、、、
* 2002年年9月、小泉談話日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する

⑫ 2007年年4月、 日米首脳会談後の記者会見に於ける安倍晋三首相の発言「慰安婦の問題について昨日、議会においてもお話をした。自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである、20世紀は人権侵害の多かった世紀であり、21世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考えている、と述べた。またこのような話を本日、ブッシュ大統領にも話した

⑬ 2012年12月、岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世外交部長官による外相会談後の共同記者発表を受け、同日夜、安倍首相と朴槿恵大統領は約15分間の首脳電話会談を行い、両首脳は慰安婦問題をめぐる対応に関し合意に至ったことを確認し評価しました
安倍首相の発言「日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する、また、慰安婦問題を含めた日韓間の財産・請求権の問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で最終的かつ完全に解決済みとの我が国の立場に変わりはないが、今回の合意により慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的に』解決されることを歓迎する
朴大統領の発言「今次外相会談によって慰安婦問題に関し最終合意がなされたことを評価するとしたうえで新しい韓日関係を築くために互いに努力していきたい

条約・国際協定と憲法との関係

慰安婦問題や徴用工問題に対し、日本政府は一貫して、日韓間で合意した合意事項を一方的に破るのは国際法違反で不当なことと表明していますが、以下の条文をご覧になれば、この主張は妥当ではないかと思われます

日本国憲法
第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行う
2 外交関係を処理すること
3 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする
第98条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない
 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする

大韓民国憲法
第6条 ① この憲法に基づいて締結、公布された条約及び一般的に承認された国際法規は、国内法と同等の効力を有する
② 外国人は、国際法及び条約が定めるところにより、その地位が保障される
第73条 大統領は、条約を締結し、批准し、外交使節を信任し、接受し、又は派遣し、宣戦布告及び講和を行う

国際法では
国際間の条約、協定等に係る国際法については、それまで慣習法として発展してきたものを、内容をより明確化し,現実に合せるべく国連国際法委員会が作成した草案を基に1968年と1969年に開かれた国連条約法会議が審議の結果採択されたものです。日本は1981年7月にこの条約に加盟しました。一方韓国は1977年4月にはこの条約を批准しています(詳しくは条約法に関するウィーン条約をご覧ください)

この条約の第二条(用語)、第1項(b)に“「批准」、「受諾」、「承認」及び「加入」とは、それぞれ、そのように呼ばれる国際法の行為をいい、条約に拘束されることについての国の同意は、これらの行為により国際的に確定的なものとされる”と記述されており、二国間の条約や協定は相手国の同意がない限り簡単に踏みにじることはできないと解することが至当である言えると思います

こうした明文法が無かった時代にあっても、一旦、国同士で締結された条約は、仮にそれが不平等であってもそれを解消したり、改正するには相当難しい交渉が必要になります。因みに、幕末の1858年に結ばれた「安政の五か国条約(対アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシア)」は、領事裁判権(治外法権)を認めていること、関税自主権が無いこと、などの点で不平等な条約ですが、領事裁判権が撤廃されたのは1894年、関税自主権を獲得したのは1911年であり非常に長い時間を要しました

緊張する日韓関係を解くカギは?

韓国人の心の中では
「日韓愛憎?の歴史・クイックレビュー」の中の;③倭寇の跋扈、④秀吉による朝鮮征伐、⑥日朝修好条規・日清戦争、⑦韓国併合、⑧第一次世界大戦と韓国の独立運動、⑨関東大震災時の朝鮮人虐殺事件、⑩創氏改名、⑪日中戦争~第二次大戦、
の項で述べた様に、日本人が朝鮮人を迫害し、誇りを傷つけてきた歴史を、親からの言い伝えや教育の場で教えられてきていれば(誇張されていることもあるかもしれません)、日本人を憎んでいる人たちが多くいても不思議はありません

一方、日本人の心の中では
明治維新以降、列強の仲間入りをする過程で朝鮮を近代化する助けを行った意識がある一方、敗戦後の苦しい時期に、「日韓愛憎?の歴史・クイックレビュー」の中の;⑫終戦後満州、朝鮮に残された日本人に対する迫害、⑭李承晩ライン、竹島の実効支配
などの歴史に絡んだ日本人にとっては、日本人の倫理観の中心にある「惻隠の情」に欠けるずるい人と思う人が多くいることも事実です

また、韓国内の政治情勢の中で注目しておくべきことは
日本統治時代の、「三一独立運動(ref:⑧第一次世界大戦と韓国の独立運動)と戦後の、「光州事件(ref:㋥崔圭夏)で示された民衆運動のエネルギーの大きさです。ごく最近の「蝋燭デモ」で朴槿恵大統領が任期途中で政権を追われ懲役24年の判決を受けていること、万景峰号事件における大衆の怒りの盛り上がりにも同じようなパワーを感じます。これらの朝鮮人の平均的「性情」が、強力な統制を行った軍人大統領の時代が終わった後、韓国政治がポピュリズムに流れている原因の様に思われます

これまで何度も行われてきた「お詫び」については;
「お詫び」の歴史
の項をご覧になれば分かると思いますが、首相や皇室による「お詫び」は、韓国以外の国々(中国、東南アジア諸国、オランダ、など)には国民同士の融和に一定程度の効果があったことは間違いの無いことですが、韓国に対しては憎しみ、怨みがベースになっている以上、国民同士の融和にはあまり効果が無かったように思われます
そもそも、戦争によって発生した戦争犯罪であれば、罪を犯した人に対する懲罰(戦犯裁判)と、国家の賠償(賠償金、領土の割譲、など)で解決されるべきものであり、当事者でない後世の国民が負うべきものでないのは世界の常識です。同じ様に、帝国主義時代における植民地の人々に対する贖罪も、開発援助や移民のを受け入れ、などによって行うことが、当時列強国として植民地経営を行っていた欧米諸国の常識です
ただ、国が犯した犯罪について、たとえそれが遠い過去のことであっても、国民一人一人が歴史を学び、被害者に対しての哀悼の念を持ち続け、二度と同じ過ちを犯さない様に政治に関与していく義務はあると思います

これらを勘案すると、日韓関係で今必要なことは、以下に集約できるのではないでしょうか(私見)
A.時間をかけること。民衆のエネルギーが高まったときは、時間をかけて収まるのを待つしかありません。性急に経済制裁などの発動は行わず、遅くとも2025年には文在寅大統領の任期が終わるので、それを待つ位の忍耐力が必要
B.正しいことは言い続けること。「日韓基本条約」で韓国が請求権を放棄している徴用工問題は国際司法裁判所への提訴を視野に、着々と準備を進めること。またレーダー照射事件については、韓国の対応は「金大中拉致事件」と同じ経過をたどっていますので、米・英・仏・豪などの西太平洋の同盟国、準同盟国との間で情報の共有を図っておくことが有用と思われます
C.慰安婦問題は、ベトナム、イギリスと協調して「ライダイハン」問題の顕在化の努力を行い、韓国内世論の鎮静化を図ること。また、慰安婦問題のユニセフ「記憶遺産」登録を、あらゆる手段をもって阻止すること
D.日本国内の「嫌韓」世論の盛り上がりを極力抑止することSNSによる「嫌韓」のバカ騒ぎは、日韓を除く第三国の顰蹙を買うだけと思われます

Follow_Up:2019年8月22日、韓国「GSOMIA」破棄を通告
* GSOMIAとは:Generel Security of Military Information Agreemen(軍事情報包括保護協定)
* 日韓対立、安保に波及 対北朝鮮連携に不安
* 文政権・米説得聞かず反日世論あおる_保守勢力は批判
* 米国務長官、韓国の日韓軍事協定破棄に「失望した」

以上

 

寒風吹きすさぶ!真冬の野菜栽培

上の写真は、元旦の朝、屋上ペントハウスにある小さな神棚で型通りのお参りをした後、屋上から南西方向の富士山を撮った写真です。台風24号が猛威を奮った後かなり長い間暖かい日が続いきましたが、漸く年末になって寒波が訪れ、いつも通り寒風の中で凛とした富士を仰ぐことができました
まず、11月初旬にご報告(猛暑と台風襲来でこっぴどくヤラレマシタ!)した続きの報告から始めたいと思います

台風一過、僅かに生き残ったキュウリ、ナス、トマトのその後;

生き残った夏野菜・11月10日の状況
生き残った夏野菜・11月10日の状況

2本だけ生き残ったキュウリについては、11月初旬に数本収穫しただけで枯れてしまいました。秋ナスの収穫を期待していたナスについては、強風で葉が吹き飛ばされた枝を短く剪定し成長を待ったのですが、花が咲き実がついたところまではいったのですが、実は食べられるとこまでは成長しませんでした
ただトマトについては、寒さが襲っても一向に枯れる気配はなかったものの、11月末には成長が止まりました。しかし、一昨年の経験で青いまま収穫しても追熟させることが可能と分かっていたので、日の当たる室内で下の写真の様に追熟を待ち、無駄なく正月の野菜として利用することができました

トマトの追熟
トマトの追熟

植え付け時期が遅れた白菜、キャベツの生育状況;
台風の影響で白菜、キャベツは10月に入ってようやく手に入れた苗を10月7日に植え付けてから結球するかどうか心配していましたが、下の写真の様に2ヶ月程で見事に結球しました。恐らく晩秋から初冬にかけての暖かさのお陰と言えると思います

白菜・キャベツの生育経過
白菜・キャベツの生育経過

白菜は寒波が訪れてから成長が止まったので、現在は上の写真の様に外側の葉を纏めて紐で縛り、霜が降りても大丈夫な状態にしてあります。12月初め最初に収穫した白菜は、下の写真の様に八百屋で買う白菜と比べても遜色が無い大きさに育っています。12月中旬から白菜漬け、鍋材料として既に大活躍しています

12月11日収穫の白菜
12月11日収穫の白菜

キャベツについては、未だちょっと小さめですが必要により収穫していきたいと思います

苗で購入した白菜、キャベツとは別に9月下旬に無理とは知りつつ種蒔きをしたものは、案の定未だに結球していません。現在の生育状況は下の写真の通りです;

9月下旬に種蒔きをした白菜とキャベツの生育状況
9月下旬に種蒔きをした白菜とキャベツの生育状況

白菜については、鍋材料として使う分には全く問題ありません;

鍋材料として活用
結球不全の白菜は鍋材料として活用

キャベツについては、4月頃までこのまま育て「春キャベツ」として食べることができるか試してみたいと思っています

野沢菜の収穫と野沢菜漬けのチャレンジ;
今年は、野沢菜を秋野菜として霜が降りる頃(12月下旬)まで育て、野沢菜漬けにチャレンジすることにしました。12月下旬には葉の長さが50センチ以上に育ち収穫後ネット情報を基に野沢菜漬けを行っています。1月現在まだいい塩梅に発酵していないので食べるには至っていません。副産物の蕪の部分は、長野県では普通に行われている粕漬の他に、糠漬け、浅漬けとしても楽しんでいます(中々美味しいですよ!);

野沢菜漬けと蕪の塩漬け
野沢菜漬けと蕪の塩漬け

失敗した長ネギと生食用タマネギの苗づくり;
今冬の鍋に使う予定だった長ネギは11月のブログでご報告した通り失敗しましたが、今年の春以降に定植する予定の長ネギの苗は順調に育っています。また、11月に植え付ける予定だった生食用のタマネギについては、種が古かった為か発芽しませんでした。10月半ばに新しく買った種はちゃんと発芽しておりますが、勿論11月の定植には間に合いません。従って、このまま冬を越させて春になってから定植しようと思っていますが、どうなることやら、、、 普通の保存用のタマネギについては11月に定植し今のところ順調に育っています;

長ネギ・タマネギ類の生育状況
長ネギ・タマネギ類の苗の生育状況

その他の野菜の生育状況;
葉物の野菜はホウレン草を除き、昨年使った透明なゴミ袋を使った霜よけ(保温効果はやや疑問!)で育てています;

葉物野菜の防霜仕掛け
葉物野菜の防霜仕掛け

我が家の必須野菜の一つであるセロリーは、寒さに強く全く何の防霜仕掛け無しに元気に育っています。サラダや炒め物の材料の一つとして必要な折に1~2本切って使っていますが、枝は次々と生えてくるので一株あれば十分です;

セロリー
セロリー

参考:2018年の屋上野菜栽培経費

2018年、我が家の屋上菜園にかけた経費の明細は以下の通りです;

屋上菜園の年間費用明細
屋上菜園の年間費用明細

昨年よりもちょっと費用が増加しましたが、趣味にかける費用としてゴルフ2回分と考えれば、全体として満足できる水準と考えています。昨年、零下の気温になった折、水抜きを忘れて給水タイマーの一部が凍結による水漏れを起こし、交換せざるを得なかったことが資材類の購入費増に結び付いたことが分かります。屋上では給水タイマーを3台使っていますが、既に1台は経年劣化で動かなくなっていますので、今年も新たに1~2台の追加購入が必要になると考えられます
昨年1月に40L入りの腐葉土を5袋で1000円という安値で購入しましたが、これは近くを走る「志木街道」の欅並木の落ち葉を、清瀬市が腐葉土にして安く販売していたものです。2011年の福島原子力事故以降、腐葉土の価格が跳ね上がりましたので、今年もと期待していたのですが、昨年この欅並木の大きな枝を悉く切払い欅の大木は殆ど丸坊主となってしまったので、これから数年はこの様な安価な腐葉土の購入は期待薄と思われます

以上

エアラインの営業とは

エアラインビジネスと旅行業の違い

一般の人にとって、エアラインビジネスと旅行業の区別はつきにくいと思われます。航空機を使って旅行をするという意味では、エアラインのチケッティング・カウンターに行っても、旅行会社のカウンターに行っても航空券を買うことは可能です。しかし、法的な責任については以下の通り厳格に区分されています;

<法規制上の位置付け>
エアラインビジネスは主として航空法(詳しくは“航空法抜粋”参照)の適用を受け、航空運送事業として、以下が義務付けられています;
輸送の安全確保の責任
運賃、及び料金の設定と国土交通大臣への届け出(認可ではない!)
③ お客様とエアラインの権利・義務関係に係る運送約款(例:ジャル国内線運送約款ジャル国際線運送約款を定め、国土交通大臣の認可を受けること
④ 国土交通大臣への事業計画の届け出と実行の責任

旅行業とは、報酬を得て、
* 運送又は宿泊のサービス
* 旅行者のため代理して契約を締結し、媒介をし、又は取次ぎをする行為
他人の経営する運送機関又は宿泊施設を利用して、旅行者に対して運送等のサービスを行うことであり、旅行業法(詳しくは“旅行業法抜粋”参照)の適用を受けます。旅行業を行う者は、国土交通省の外局である観光庁に登録を行う必要があり、且つ、旅行業務の取扱いに関し旅行者と締結する旅行業約款(例:ジャルパック旅行業約款を定め、観光庁長官の認可を受けなければなりません

尚、大手のエアラインは、自社グループの中に旅行業を行う子会社を持っているところが多く、両者の区別が分かりにくくなる原因になっているものと思われます

航空券販売の歴史

航空券販売の歴史は、航空会社の競争環境と深い関係があります。従って、1980年代後半から国策として行われた「規制緩和」が、航空券の販売方法の変遷に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありません。規制緩和に係る詳しい説明は“航空規制緩和の歴史”をご覧ください

1.DC8/B707/B727の時代(1960年代まで)
① この頃、航空券の販売は航空会社自らが実施していました。従って、お客様の利便性を確保するため、日本国内や海外の主要都市、主要ホテルには大きなコストをかけてエアラインのチケッティング・カウンターを設置していました
② クラス別の正規運賃が主流であったため、 実収単価は非常に高く、搭乗率(Load Factor)は多少低くても採算がとれる環境にありました
③ 国際線の運賃は、多くの主要な航空会社が加盟する国際民間航空連盟(IATA“International Air-Transport Association”)の協定運賃であり、航空会社間の価格競争はそれほど厳しいものではありませんでした
④ この時代、ビジネスのお客様が主流であって、観光は限られた人の贅沢なものとされていました

2.B747の登場(1970年代)
1970年に登場したB747によって、提供可能な座席数の飛躍的な増加(1機当たり2倍以上!)が図られたことで、席当りコストが低下したものの、ビジネスのお客様や贅沢な観光目的のお客様では席が埋まらない事態が起こりました
この状況を打開する為に考え出された販売方法が安価なパック旅行」です。実収単価が多少下がっても席当たりコストが低いために航空会社として利益が出せることから、観光需要の掘り起こしに大きな効果をあげました。B747の導入を積極的に行ったJALが開発したジャルパックが特に有名です

大量販売の為にエアラインは旅行会社に大量の席を安くまとめて卸し、旅行会社は、宿泊、その他の地上サービスをこれに付加することによって、実質的に自身で値決めを行って販売することが可能になりました

3.大競争の時代(1980年代)
日本経済の飛躍的な発展に合わせ、各エアラインは先を競って大型航空機(B747、DC10、L1011)の導入を行った結果、提供座席数の急増に伴うエアライン間の競争が激しくなりました
一方、国民全体の可処分所得の急速な増加に伴い、旅行費用の大幅な低下と相俟って、国内、海外を問わず観光が庶民の身近なレジャーとして定着することになりました。国内線や近距離国際線だけでなく、戦争直後にヒットした歌謡曲「憧れのハワイ航路」が、庶民の手の届く旅行の対象になりました。しかも飛行機で、、、この時期は私がダイヤ関係業務の担当であった時代に重なりますが、臨時便と併せ、一日当たり7機のB747がハワイ向けに飛ぶ日があったことを思い出します

旅行会社は、膨大な観光需要に支えられて全国各都市に支店を展開した結果、その利便性から個人のお客様の航空券販売の取り扱いも一般的になっていきました。旅行会社は、個人のお客様に販売した航空券の券面額の9%程度の手数料が手に入ることから、単価の高いビジネスのお客様の獲得にも本腰を入れるという、本末転倒の事態も起こってきました

更に、エアラインが団体旅行用として旅行会社に卸した大量の席の売れ残りを、個人のお客様に安価に提供するという、所謂“エアオンリーが市場に出回ることとなりました。これは明らかに航空法がエアラインに課している認可運賃の仕組みを壊す脱法行為ではあるものの、安い運賃を求めるお客様の支持があり取締りは難しいものでした。一方において、航空券の“定価販売”は有名無実となり、エアラインが直販を行っていた日本国内や海外の主要都市、主要ホテルのチケッティング・カウンターはその存在意義を失うこととなりました。因みに、私が赴任した台湾では、1995年に広い面積を占めていたチケッティング・カウンターを閉鎖し、当時人気の高かった「本間ゴルフ」の店舗として貸し出したことを思い出します

4.厳しいリストラの時代(1990~2,000年代)
1990年代、日本経済はバブルが崩壊し未曾有の危機に直面しました。航空需要も低迷し、航空ビジネスは以下の様な対応策で再構築を行うことを迫られることとなりました;
航空機の “ダウンサイジング/Down Sizing
B747、MD11サイズの航空機を運航している路線を、より小さなサイズの航空機(B767/200~250人)で運航することを意味します
この時期に経営企画室にいた私は、既に大量に購入契約を結んでいたB747-400をより小さい新機種の777に契約を切り替えることに苦労していたことを思い出します
② 人件費コストを削減する為に、外人パイロットの導入有期雇用CA(客室乗務員)の採用を行う
③ お客様の“囲い込み”を狙ったFFP(Frequent Flyer Program/マイレージ・プログラムとも言います)の導入を行う(⇒ご利用の多いお客様に実質的な値引きを行うことになるので、実収単価の低下を齎すことになります)

④ 運賃に係る規制緩和が行われたことで、下記の様なLCC(Low Cost Carrier/格安航空会社) が登場しました;
* ジャパン・エアチャーター(Japan Air Charter):日本航空100%保有のチャーター専門子会社で、DC10を使用し、外人パイロットの採用タイ人CAの採用を行いました
* ジャル・エクスプレス(JAL Express/JEX):日本航空100%保有の国内線子会社で、B737-400を使用し、外人パイロットの採用有期雇用CAの採用を行いました
* スカイマーク(Skymark):新しく生まれた航空会社で、B767を使用し、外人パイロットの採用有期雇用CAの採用を行いました
* エア・ドゥ-(AirDo):北海道を中心とした路線に特化する新しく生まれた航空会社で、B767を使用し、外人パイロットの採用有期雇用CAの採用を行いました

⑤ エアラインが価格決定権を取り戻す為に以下の対応を始めました;
* 旅行会社による航空券販売に支払う手数料を廃止し、代わりにエアライン自身によるネット販売(ウェッブ販売に重点を置く
* 運賃に係る規制緩和を積極的に活用することにより、各種の割引運賃を設定する

2010年の日本航空の破綻、新しく生まれたLCCが破綻し、大手エアラインの資本系列に入るなどの爪痕を残しつつ、再びエアライン・ビジネスが活況を取り戻しつつあります

運賃戦略

航空運賃に関する戦略を論ずる場合、まず以下の様な基本的な事項を押さえておく必要があります;
1. 運賃に関わる規制
国内線の航空運賃に関しては、1990年代に行われた大幅な規制緩和(詳しくは航空規制緩和の歴史を参照してください)の結果、運賃そのものについての規制は殆ど無くなったと言えますが、国土交通大臣への事前の運賃の届け出義務は残っています。また、差別不当な競争を齎す恐れがある運賃設定に関しては国土交通大臣が変更命令を出すことができるようになっています
国際線の航空運賃に関しては、国家同士の条約、協定などが必要となるため、国土交通大臣に認可権を残してあります
詳しくは航空法105条、及び航空法施行規則215条、216条をご覧ください(運賃関連の法規制

2.価格弾力性(Price Elasticity)
運賃を決める場合に、その路線の需要の動向を見極めなければ利益を極大化させることはできません。運賃を下げれば需要は増え、運賃を上げれば需要は減るという一般則だけでは運賃を決めることはできません。ここで登場するのが以下に示す「価格弾力性」という指標です;

価格弾力性 = -(需要の変化率 ÷価格の変化率)

計算例:価格を10%下げた時、需要が15%増加した場合;
価格弾力性=-{+15÷(-10)}=1.5

価格弾力性が“1”以下である場合、価格を下げると損をすることになります
価格弾力性 が“1”だった場合、価格を下げても意味がないことになります
価格弾力性 が“1”以上であった場合、価格を下げるとそれ以上に需要が増加することになります。言い換えれば、運賃を下げることによって下げた割合以上に総収入が上がることになります。LCCの低価格戦略はこれを狙っていることが分かります。一方、高コストの航空会社は価格を下げる余力がない為、「運賃を下げると客数は増えても赤字」になり、運賃を下げないと「お客様が競合他社に取られ赤字」になるというジレンマに陥ります
従って、LCCと比べ高コストのエアラインは、運賃以外のサービス(客室の快適性向上、CAのホスピタリティー、定時性、など)で競争力を高める必要があります
一方、繁忙期にあっては、供給を増やしても価格を下げる必要が無い(価格弾力性が“1”)ので、供給余力のあるエアラインが断然有利になります

3.運賃戦略の実際
価格弾力性という指標は、あくまでマーケットの状況を価格を変数として定性的に説明するものでしかありません
実際の各種運賃(次項参照)の設定や、それらの運賃種別ごとの予約コントロールは;
路線毎の需要状況:ゴールデンウィーク、夏休み期間、年末年始などの繁忙期、閑散期、各種のイベント、キャンペーンなどの実施計画、などで大きく変動します
② 路線ごとの供給計画:競合他社の供給計画(想定)と自社の供給計画(臨時便を含む)のバランスにより需給状況は大きく変動します
③ 過去の路線運営に係る経験(暗黙知)

などをもとに最適化しています。これが所謂“イールド・マネージメント”です。搭乗率と実収単価の二兎を追う、ある意味“虫のいい話”なので、それだけ一筋縄ではいかない難しいマネージメントとも言えるかもしれません
最近起こしたJALのオーバー・ブッキングによるフライト・キャンセルの事例(181122_予約超過で福岡⾏き⽋航 ⽇航、400⼈影響)も、イールド・マネージメントのリスクの一つとして、オーバー・ブッキングによるフライト・キャンセルがあり得ることの認識と、これに対応する適切な対策を準備しておく必要があることを示唆しています
<参考> JALは1967年から長い間使っていた旅客系基幹システムの「JALCOM」をAI機能が強化されているクラウドベースのシステム「Altea」に変更し、収入増加を実現しています(詳しくは、日経クロステック記事参照:181101_JAL旅客系システム刷新で「半期で130億円増収」

運賃の種類

1.エアラインが提供する国内線運賃
① クラス別普通運賃;
有効期間が長く、予約の変更やキャンセルの自由度が高いという特徴があります。また、緊急に利用エアラインの変更をしたい場合でも、追加的な費用なしに空港での簡単な手続き(“Endorsement”/裏書)で可能なので、ビジネスのお客様などには便利な運賃です

② 割引運賃:
割引率の違いにより、売り出し開始時期、有効期間、予約キャンセルの自由度により大きな差を設けています。エアラインは単価の高い普通運賃に、こうした各種の割引運賃を組み合わせてイールドマネージメントを行っています
<参考>現在の国内線各社の運賃は、以下のように驚くほど多様になっています
*JAL国内線運賃一覧
*ANA国内線運賃一覧
*Skymark国内線運賃一覧
*Airdo国内線割引運賃

各種運賃を組み合わせてエアラインが利益を上げる仕組みを、わかりやすく説明すれば以下の図の様な構図になります(簡単の為それぞれの運賃を購入するお客様の人数の要素を省いてあります);

運賃の種類と実収単価
運賃の種類と実収単価

2.エアラインが提供する国際線運賃
① クラス別普通運賃:国際民間航空連盟の協定に基づいた運賃(別名“IATA運賃”);
運賃に関わる自由化の協定を国家間で結んでいる場合を除き、未だに国際線運賃のベースとなってる運賃です。その理由は;
国際線のビジネス旅客は、他エアラインとの連帯運送(乗り継ぎ、利用航空会社の変更に伴う“Endorsement”)が頻繁にあることからエアライン間の清算をスムースに行う必要があり、エアライン間で共通の運賃協定は非常に有用性が高いこと、また現在殆どの国際線を運航するエアラインがIATAに加盟(現在290社)しており、ここでは、特定国・特定エアラインの利益に偏らない全会一致主義が貫かれているためです。因みに、IATAでは以下の様な機能を果たしています;
* IATAの運賃調整会議の主催
* IATA加盟エアライン間の運賃清算を行うクリアリング・ハウスの運営
* 主要な混雑空港における発着枠調整会議の主催

<参考> 独占禁止法との関係;
運賃協定は、明らかに独占禁止法が原則禁止する価格カルテルに相当します。利便性が高い点を考慮し、従来世界レベルで独占禁止法適用除外とされてきましたが、近年、EU、オーストラリアは適用除外を止めており、代わりに“Flex Fare”という自由度の高い料金設定を可能にしています
一方、米国はオープンスカイ政策(詳しくは航空規制緩和の歴史をご覧ください)とセットで反トラスト法(米国の独占禁止法)適用除外を認める政策を取っています。尚、オープンスカイ協定を結んでいる国とはIATA運賃の適用も可能となっています

クラス別普通運賃:アライアンス内協定運賃
アライアンス内のエアライン間で協議の上設定される(勿論、二国間の条約、協定で認められることが前提)もので、航空会社独自の多種多様な運賃(キャリア運賃)の設定が可能になっています。ただこの運賃では、アライアンス内のエアライン同士以外の連帯運送は簡単にはできません

③ クラス別普通運賃:二国間協定運賃
二国間の条約、航空協定等で指定された航空会社間が対象となる運賃です。この指定されている航空会社間で協議の上決定される運賃です。勿論、IATA協定運賃の採用も可能となっています

3.チャーター便の運賃
チャーター便とは航空機1機丸ごと貸切ることですが、運賃について航空規制の対象にはならず、航空会社の貸切に係るコスト(航空機の減価償却費、パイロット・CAの人件費、整備費、燃料費、着陸料、駐機料、空港関連人件費、その他間接費)を基に用機者との間の交渉で運賃が決まります。昔、DC8型機が機種更新される時期に、余剰となったDC8型機を使ってスリランカに宝石の買い付けを行うチャーター便が何度も催行されたことを思い出します。また皇室、政府要人などのVIP輸送に関してもチャーター便が使われていましたが、1992年に政府専用機としてB747-400が2機導入されてからは殆ど催行されていません

4.旅行会社が提供する運賃;
航空会社は、旅行会社にホテル、等の地上手配を組み合わせることを前提とした包括旅行運賃を設定(航空会社による国土交通大臣への届け出が必要)し、一定席数まとめて提供しています
かつては団体での旅行を前提とした「団体包括旅行運賃」として旅行会社に売られていましたが、個人旅行が主流となってきたことから、1994年に個人包括旅行割引運賃(Individual Inclusive Tour Fare/IIT/)の導入が行われ、団体包括旅行運賃は廃止されました
<狙い>
航空会社は安い運賃の席を卸すかわりに、お客様を集めるのが難しい閑散期にまとまった席数分の収入が保障されます
一方、閑散期に多くの席を販売してくれる旅行会社には、以下の様なインセンティブ(販売奨励施策)を付加することも行っています;
① 販売席数に応じたキックバック(⇔実収単価が多少下がります)
② 繁忙期の席数割り当て増(⇔繁忙期におけるエアラインの実収入が多少下がります)
このインセンティブによって、旅行会社は席を安い料金で仕入れ、新たな需要を生み出す安い旅行商品を作ることが可能になります。ただこの仕組みは、エアラインにとっては、ある意味航空券の“先物取引”の性格を持っており、実収単価の高い普通運賃のお客様を取りこぼすリスクも孕んでいます。従って、前項で説明した“イールド・マネージメント”を精度高く行うことがが不可欠となります

最近は、国内、国際ともに多くのエアラインが路線ごとに鎬を削っており、旅行会社は複数の航空会社間で競合させたうえで仕入れを行うため、繁忙期を除けば、旅行会社にとって「買い手市場」となる場合もあり、大手のエアラインにとっても中々厳しい値決めが必要(仕入れ価格は航空会社によって異なる)となる場面もあります
大手エアラインの子会社の旅行会社はエアライン選択の自由度が無い為、こうした買い手市場には参加できないものの、エアラインのブランド力を背景に単価の高い旅行商品を売り込めるというプラス面もあります

旅行社は、エアラインが提供する包括旅行運賃、インセンティブの他に、③ 地上手配から得られる各種のキックバック(下図の“KB”)を併せて、普通運賃からは説明できない程の安いパック料金の設定を行うことがあります。その仕組みを、わかりやすく説明すれば以下の図の様な構図になります(簡単の為、それぞれのエアライン、ホテル、お土産屋などの利用人数の要素を省いてあります);

旅行会社の運賃の構造
旅行会社の運賃の構造

共同運送

コードシェア(Code Share)
航空会社同士が、それぞれの便名を付けて共同で運航を行う形態のことをコードシェアといいます。これを日本語では“共同運航”または“共同運送”と呼んでいますが、法規制上の区別はありません。
ただ、航空会社によっては、航空機とパイロットを提供する側の便を“共同運航便”、提供を受ける側の便を“共同運送便”と使い分けているケースもあります。いずれの場合も、航空機の運航責任は航空機とパイロットを提供する側にあります

ニューヨーク線・コードシェア状況_2018年12月3日
ニューヨーク線・コードシェア状況_2018年12月3日

上の羽田空港・ニューヨーク線の出発便案内で、ANAが777で運航するNH0110便は、シンガポール航空、タイ国際航空、ユナイテッド航空と、それぞれのエアラインの便名でコードシェアを行っています。同じように、JALが777で運航するJL0006便は、アメリカン航空、ブリティッシュ・エアウェイズ、マレーシア航空、ラタム航空、ラタム航空ブラジルと、それぞれのエアラインの便名でコードシャアを行っています
アライアンスを組むエアライン同士で行われているこうしたコードシェアは、搭乗率の向上や実収単価の向上に大きく寄与しており、LCCに対する極めて有効な対抗策として、近年大手のエアライン同士で大々的に実施されるようになりました

国内線についても、JAL、ANA、それぞれのグループ内子会社や提携エアラインとの間で、路線需要に合わせること、運航頻度を確保すること、などの目的でコードシェアを行っています。また、アライアンスを同じくする外国エアラインの国内区間のコードシェアも外人観光需要の増加に合わせ最近は増えてきました

国内線のコードシェア便
国内線のコードシェア便

上記の通り、国際線、国内線ともに、現在の共同運送の形態は、コードシェアが主流になっていますが、これまでのエアライン・ビジネスの歴史の中で以下の様な共同運送の形態も存在していました;
ウェットリース(日本における定義):日本の航空会社同士で、航空機・乗員を借りて自社便として運航する形態航空機の運航責任は借りる側にあります(⇒運航責任を果たすために、借りる側が貸す側と同じ機種を運航していることが必要となります)。現在でも国内線のグループ会社、提携会社同士で行われることがあります
運航委託(日本における定義):外国エアラインの航空機・乗員を借りて自社便として運航する形態。航空機の運航責任は航空機・乗員を提供する外国エアライン側にあります。現在では行われていません
スペース・ブロック:他社便の一部の席をブロックし、他社便名のままで自社の旅客を運送する形態で営業協力便ともいいます。ウェットリース、運航委託、コードシェアなどが一般化する前はこの形態が普通に行われていました。米国や欧州への乗り入れ空港が限られていたため、乗り入れしていない空港への乗り継ぎ客の席を確保する為に国際線では屡々行われていました

アライアンス

現在、多くのフラッグ・キャリア(National Flag Carrier/国を代表するエアライン)や大手のエアラインが参加しているアライアンスは、国際線エアライン・ビジネスのやり方を大きく変えたといってもいいと思います。一方、LCCは低価格によってお客様を獲得する戦略なので、通常アライアンスには加盟しません
1.アライアンスの目的
エアライン同士が、以下の様な高品質で共通なサービスの提供を行うことにより、コストを下げ、実収単価の高いビジネス旅客の囲い込みを行う
① FFP(Frequent Flyer Program/マイレージ・プログラム)におけるマイルの共通化(FFP協定)
② 空港での高品質のサービスの提供とコストダウン:空港のVIPラウンジの共有、 空港でのチェックイン・カウンターの相互利用
③ コードシェア便の相互提供による路線網の拡充と自社路線集約によるコストダウン
④ 運賃協定による価格競争力の強化(運賃のプール制、など)

2.メガ・アライアンス
現在、以下の三つのメガ・アライアンスには、それぞれ多くのエアラインが加盟しており、それぞれのアライアンス内の加盟エアラインだけで世界中の都市をほぼカバーしています。尚、アライアンス加盟に伴い、エアラインは共通“Logo”の表示が義務付けられます
スターアライアンスStar Alliance
発足:1997年5月
加盟航空会社:28社
主な加盟エアライン:ルフトハンザ航空、ユナイテッド航空、ANA、シンガポール航空、タイ国際航空
就航地(ウィキペディアより):192ヶ国、1330空港
保有機材数(ウィキペディアより) :4657機
年間輸送旅客数(ウィキペディアより):6億4千万人

ANA StarAliance Logo
ANA Star Aliance Logo

② ワンワールドOne World
発足:1999年2月
加盟航空会社 :13社
主な航空会社;ブリティッシュエアウェイズ、アメリカン航空、JAL、カンタス航空、キャセイ航空、カタール航空
就航地 (ウィキペディアより):152ヶ国、992空港
保有機材数(ウィキペディアより) :3324機
年間輸送旅客(ウィキペディアより)数:5億7千万人

JAL OneWorld Logo
JAL One World Logo

スカイチームSky Team
発足:2000年6月
加盟航空会社 :20社
主な航空会社:エールフランス、KLMオランダ航空、デルタ航空、大韓航空
就航地 (ウィキペディアより):187ヶ国、1064空港
保有機材数(ウィキペディアより) :2819機
年間輸送旅客数(ウィキペディアより):5億5千万人

3.アライアンスの枠を越えたエアライン同士の提携
最近、アライアンスの枠を肥えた提携が始まっています
ワンワールドに加盟しているJALと、スカイチームに加盟している中国東方航空が提携しました。詳しくは以下の日経新聞の記事をご覧ください:180727_中国東方航空と共同事業
ワンワールドに加盟しているJALと、スカイチームに加盟しているガルーダ・インドネシア航空が提携しました。詳しくは以下の日経新聞の記事をご覧ください:180906_日航とガルーダ、共同運航など包括提携を発表

スターアライアンスに加盟しているANAとスカイチームに加盟しているアリタリア航空が提携しました。詳しくは以下の日経新聞の記事をご覧ください:180322_ANA・アリタリアと共同運航

以上