「国連海洋法条約」についてちょっと勉強してみました

はじめに

今年(2018年)1月に発行したブログ(年の初めのためしとて~:「農業、林業、水産業の未来、3.水産業の分野)で、日本がいかに広い排他的経済水域(EEZ)に恵まれていて、日本の水産業の未来は明るい!という持論を述べました。ここでは、海洋法について十分な説明をしていませんでしたので、改めて表記「国連海洋法条約(正式名:海洋法に関する国際連合条約)」を読み込んで、日本が国際関係に於いて重要となるポイントについて拙いながら解説を試みることにしました。
尚、条文の文章は、読んで頂くと分かるのですが、法律的な正確性を担保するためか表現が回りくどく、且つ使う用語が日常使う言葉ではないことも多く、更に条約が成立する前に存在していた条約や慣習法を組み込む過程で発生したと思われる条文間の重複や順序の不整合が随所にあります。従って、私なりに解釈した上で適宜文章を再構成しています。お許し願えれば幸いです

国連海洋法条約とは

国連海洋法条約とは、海洋法に関する国際的な秩序の確立を目指して1982年4月30日に第3次国連海洋法会議にて採択され、1994年11月16日に発効した条約です。17部320条の本文と9つの附属書(全体として500条に上る膨大な内容です)で構成されています。現在、168ヶ国・地域と欧州連合が批准しています(締約国リスト)。大洋に面した主な非締結国は米国、トルコ、ペルー、ベネズエラがありますが、深海底に関する規定以外の大部分の規定が慣習国際法化しているため、米国などの非締約国も事実上海洋法条約に従っており、別名「海の憲法」とも呼ばれています(“ウィキペディア”から抜粋、一部修正)
海を隔てて日本と接している近隣の国々(中国、ロシア、韓国)は締約国となっていますが、締約国リストを見ると北朝鮮は批准していないようです

詳しくは「国連海洋法条約」(英語版)」の条文をご覧いただくとして、全体の構成は以下のようになります:

国際海洋法条約の構成
国際海洋法条約の構成
特殊用語解説

国連海洋法条約やそれに関連する情報を読み込んでいくと、幾つかの聞きなれない特殊用語が出てきます。条文の中に定義のあるものも、ないものもあります。これらが具体的に何を意味するかを予め理解していないと、条文を正しく理解するのに時間がかかると思いますので、以下に簡単に説明しておきます。ただ、領海、接続水域、・排他的経済水域、大陸棚、公海などは次項で詳しく述べることにします。また、特にことわりのない限り条文番号は、国連海洋法条約の条文番号を意味しています;

1.海域の領有権や管理権に係る特殊用語
①沿岸国とは:海洋に面している国(⇔内陸国)
②基線とは:沿岸国が公認する海図上の低潮線(引き潮の時の海面と陸地との交わる線)を根拠とした領海、接続水域、排他的経済水域、公海などの範囲を決める基準となる線。実際の地形は湾や河口、島嶼などがあり、決め方は簡単ではありません。興味のある方は、国連海洋法条約3条~10条に基線の決め方が具体的に定められていますので、ご覧になってください

領海の基線と限界線の関係_海上保安庁
領海の基線と限界線の関係_海上保安庁

③低潮高地とは:低潮時には水に囲まれ水面上にあるが、高潮時には水中に没するものをいいます(13条)
④礁(しょう)とは:浅い海底の隆起部。岩礁・サンゴ礁などがあります

⇒南シナ海で中国が実効支配している「スカボロー礁」がよくニュースに登場しますので、ご存知の方が多いと思います。ここはフィリピン及び台湾も領有を主張しており、フィリピンが中国による実効支配の不当性をハーグの常設仲裁裁判所に訴え、勝訴していますが、未だに中国の実効支配が続いています

⑤無害通航権とは:沿岸国の平和、秩序、安全を害しない限り通行できる権利のことを意味します。通行中には以下の行為が禁止されています(第19条)、武力による威嚇、武力の行使。兵器を用いる訓練、演習、沿岸国の安全保障上の情報の収集、沿岸国の安全保障に係る宣伝行為、航空機の発着、積み込み、軍事機器の発着、積み込み、沿岸国のCIQ(税関、出入国管理、検疫)に係る法令違反、重大な汚染行為、漁獲、調査、測量、通信妨害、運航に関係のないその他の行為

2.海洋や河川に生息する魚類に関する特殊用語
①遡河魚(そかぎょ)とは:海洋で餌をとって成長し、産卵のために河川または湖へ回遊する魚類を言い、遡上魚とも言われます。北洋を回遊して成長するサケ・マス類、沿岸域と河川を行き来するウグイ、ワカサギ、シシャモ、シラウオなどがあります
②母川国とは:遡河魚が産卵のために回帰する川を領有している国

③降河魚(こうかぎょ)とは:一生の大部分を淡水で生活して十分に成長し、成熟が始まる前後から川を下って海に入り、海洋で産卵する魚類を言います。降河魚の代表はウナギです。しかし、産卵以外の生理・生態的な要因で淡水域から海へ下る魚は降河魚に含めません。例えば、アユや淡水にすむハゼ類、カジカ類のように、孵化(ふか)後の稚魚が水流に運ばれて川を下って海で変態期前後まで成育し、ふたたび淡水へ帰って成長し、産卵するものは降河魚とは言いません

高度回遊性の種(Highly Migratory Fish Stocks)とは:排他的経済水域の内外を問わず広く回遊する魚類。国連海洋法条約において、この資源の回遊域に当たる沿岸国と漁獲を行う国がすべて参加する国際機関によって保存管理すべきとしています。日本が大量に消費している魚種では、かつおまぐろかじきサンマなどがこれに当たり、国連海洋法条約・付属書Ⅰ (サイトを開いてからANNEX Ⅰ をクリックしてください)で指定されています

3.領海・接続水域・排他的経済水域・海峡・大陸棚・公海

15世紀半ばから始まった大航海時代以降、海洋先進国が「公海自由」の原則を掲げ全世界の海に進出し、未開の地を植民地化するとともに、海洋資源も独占してきました。その後、18世紀から19世紀初頭になって、沿岸国の秩序維持に必要な「狭い領海」と、その外側にある先進国の自由競争が認められる「広い公海」、という二元構造によって海域をとらえる見方が主流となっていきました。こうした考え方が「慣習法」として定着していきましたが、領海の限界については、海洋国(日本を含む)が主張する3海里から、12海里まで主張の違う国がそれぞれの立場で自国の領海を管理する状態が続きました

第二次世界大戦を経て国連が生まれ、国連を中心に各国が話し合う場が設けられた結果、1958年の第一回国連海洋法会議が開催され、領海条約大陸棚条約公海条約公海生物資源保存条約という4つの条約の採択に成功しました。しかし、国の利害がぶつかる領海と公海の境界線をどこに置くのかという点については合意に至ることはできませんでした。
その後、1982年の第三次国連海洋会議になって、ようやく領海を領海基線から12海里までとすること、排他的経済水域を200海里とすることなど、現在の国連海洋法条約が採択され、ほどなく多くの国々に批准される現在の姿になりました

領海・排他的経済水域の模式図_海上保安庁
領海・排他的経済水域の模式図_海上保安庁

1.領海
領海とは、基線から12海里(約22.2キロ/東京駅⇔南浦和駅程度の距離)の範囲で(第2条)、2ヶ国が隣接している場合は、両国の基線の中間を双方の領海の境界とすることになっています(第15条)、但し歴史的な背景がある場合には例外が認められています

<領海に係る重要なポイント>
全ての国の船舶、沿岸国であるか内陸国であるかを問わず、この条約に従うことを条件として、領海において無害通航権が認められるています(第17条)
沿岸国は、無害でない通航を防止するため、自国の領海内において必要な措置をとることができます(第25条)
潜水艦、その他の水中航行機器は領海に於いては、浮上し、かつ船籍が分かる旗を掲げなければなりません(第20条)
無害通航権を行使する外国船舶は、沿岸国の法令及び海上における衝突予防に関する国際的な規則を遵守することが義務になっています
⑤沿岸国は航路帯、及び分離通行帯を明確に海図上に表示し、その海図を公表することが義務付けられています(第22条)
⑥外国の原子力船及び核物質又はその他の本質的に危険若しくは有害な物質を運搬する船舶が、領海において無害通航する場合には、そのような船舶について国際協定が定める文書を携行し、かつ、当該国際協定が定める特別の予防措置をとる義務がありますと(第23条)
低潮高地が領海外にあある場合、それ自体の領海は認められません(第13条)

2.接続水域
接続水域とは、領海から更に12海里の幅で、沿岸国の領土、領海内で起こったCIQ(税関、出入国管理、検疫)に係る法令違反の防止措置、及び法令違反の処罰を行う為に必要な規制を行うことができる水域です(第33条)

⇒近年頻々として起こる尖閣列島(日本が実効支配しているものの、中国も領有権を主張しています)周辺の中国公船(日本で言えば海上保安庁の艦船)による示威行動は、概ねこの接続数域への侵入が多いようです。日本は、警戒監視はするものの領海侵入までは手が出せません(幸い?)

3.国際海峡(国際運航に使用されている海峡)
国際海峡とは、領海または、排他的経済水域を含み、国際航行(船舶だけでなく、航空機も含む)で使用されている海峡のことです。日本においては、宗谷海峡津軽海峡対馬東水道対馬西水道大隅海峡が国際海峡に指定されています
<国際海峡に係る重要なポイント>
海峡の上空、海底、地下資源に係る主権及び管轄権は海峡沿岸国にあります(第34条)
すべての船舶及び航空機は、国際海峡を通過する権利を持っていますが、原則として停止しないで、迅速に通過することが必要とされています(第38条)
通過する船舶及び航空機が負う義務については、概ね領海通過に係る義務と同じです。詳しくは、第38条~45条をご覧ください

最近、米国と軋轢を起こしているイランが、ホルムズ海峡封鎖の可能性に言及していますが、こうした行為は、上記条文から判断すると、明かな国連海洋法違反ということになります。従って、もし封鎖を強行することになれば大国による軍事力の行使が現実となり、日本も新安保法制に基づき何らかの軍事行動が求められる可能性があります

4.排他的経済水域EEZ/Exclusive Economic Zone)
EEZとは、沿岸国が天然資源などに対して「主権的行為」を行うことができる海域のことで、基線から最大200海里まで設定することが認められています(第57条)。また、隣接している海岸を有する国の間における排他的経済水域の境界は原則として中間線となりますが、両国での合意が得られない場合、国際司法裁判所において国際法に基づいて合意を図ることができます(第74条)。ただ、両国が提訴に合意しない限り中々解決できないケースが多いようです。紛争の解決の具体的手続きについては15部(第279条~304条)に詳しく書かれています

<EEZに係る重要なポイント>
A. EEZ内の沿岸国の権利
①EEZ内の天然資源(海産物、海底資源、海流・風力エネルギー)の探査・開発・保存・管理に係る権利
人工島、施設・構築物の設置利用、海洋の科学的調査、海洋環境の保護・保全に係る権利(第56条)

B. EEZに於ける沿岸国の義務:他の国の権利及び義務に妥当な考慮を払う必要があります(第56条)
C. 全ての国は、EEZ内に於ける船舶及び航空機の航行の自由海底ケーブル・海底パイプライン敷設の自由、その他これらに係る海洋利用の自由が認められています(第60条)
D. 沿岸国は、EEZ内の生物資源の漁獲可能量を決定することができます。一方、生物資源の維持が脅かされない様、科学的証拠を考慮して、適当な保存措置・管理措置を講ずる義務があります(第61条)

E. 沿岸国が、漁獲可能量のすべてを漁獲する能力を持っていない場合、協定その他の取極(注)に従い、漁獲可能量の余剰分を他の国による漁獲に委ねることができます
(注)協定・取り決めの内容:漁獲枠魚種(含む大きさ)・漁期・漁場・漁具漁船の種類の指定手数料その他の報酬に係る許可証の発給沿岸国の監視員の乗船漁獲量の全部または一部の沿岸国への陸揚げ、などを指定できることになっています(第62条)

F. 高度回避性の種を漁獲する国は、EEZの内外を問わず種の保存を確保しかつ最適利用の目的を促進するため、直接、又は適当な国際機関を通じて協力する必要があります。また、適当な国際機関が存在しない地域においては、沿岸国、その他当該地域でその種を漁獲する国は、適切な機関を設立し、その活動に参加する必要があります

⇒サンマについては、最近漁獲高が急減し、中国、韓国、台湾による公海での漁獲が原因との見方があります。しかし、公海での漁獲は、日本にこれを制限する権利はなく、関係国による話し合いも、資源量に関する情報が無い中で早急に合意に至る可能性は低いと言わざるを得ません。ただ、わが国のEEZ内の密漁については、違法操業を取り締まるべく海上保安庁は頑張っているようです(参考:北方四島周辺水域における第三国漁船の操業問題_いわゆるサンマ問題

⇒マグロについては、全世界の海域で国際機関が設置され厳格に管理されています;
大西洋マグロ類保存国際委員会
インド洋マグロ資源委員会
全米熱帯マグロ類委員会
中西部太平洋マグロ類委員会
ミナミマグロ保存委員会

G. 溯河魚の漁獲に関するルール(第66条);
母川国は、EEZ内の漁獲量、漁業規制を定め資源の保存の為の措置を講ずること、及び自国の河川に由来する資源の総漁獲可能量を定めることができます。
溯河魚の漁獲は、原則としてEEZ内及び陸地側の水域に於いてのみ行うことができます。但し、これにより母川国以外の国に経済的混乱がもたらされる場合はこの限りではありませんが、EEZ外の漁獲に関しては、関係国は、当該漁獲の条件に関する協議を行う必要があります
③母川国は、上記の原則を実施するに当たって、他の国の経済的混乱を最小のものにとどめるために協力する必要があります
④母川国は、他の国との合意により溯河魚の人工孵化・放流を行い、かつその経費を負担している場合には、自国の河川に発生する資源の漁獲について特別の考慮が払われることになっています
⑤EEZ外の溯河魚の規制は、母川国と他の関係国との間の合意によって決められます
⑥溯河魚が母川国以外の国のEEZ内に入ったり、通過して回遊する場合、当該国は、溯河魚の保存及び管理について母川国と協力する必要があります

H. 降河魚の漁獲に関するルール(第67条);
①降河魚がその一生の大部分を過ごす水域を持つ沿岸国は、種の管理の責任を持ち、回遊する魚が出入りすることができるようにする義務があります(ダムなど作る場合は、魚道を整備する義務があります)
②降河魚の漁獲は、EEZ内及び陸地側の水域においてのみ行うことができます
③降河魚が、稚魚又は成魚として他の国のEEZを通過して回遊する場合、その魚の管理、漁獲は、①の沿岸国と当該他の国との間の合意によって行われます

⇒遡河魚、降河魚、高度回遊性の種については、後段で詳しく述べるように、資源維持のために各国が協力する体制がしっかり出来ています。しかしそれ以外の領海、排他的経済水域で漁獲している大衆魚(イカ、タコ、イワシ、ニシン、ハタハタ、ズワイガニ、etc、etc、、、)については、日本が資源の維持・管理に一元的な責任があります

I. いずれの国も、海産哺乳動物の保存のために協力するものとし、特に鯨類については、その保存、管理及び研究のために適当な国際機関(国際捕鯨委員会)を通じて活動する(第65条)

J. 沿岸国の主権的権利の行使についてのルール(第73条);
①この条約に従って制定する法令を遵守させる為に必要な措置乗船、検査、拿捕及び司法上の手続を含む。)をとることができます
②拿捕した船舶・乗組員は、合理的な保証金の支払又は合理的な他の保証の提供の後に速やかに釈放しなければなりません。また、拿捕、抑留した場合は、とられた措置及び罰について、船籍のある国に速やかに通報する必要があります
漁業に関する法令違反について沿岸国が課する罰には、拘禁、身体刑を含めてはならないことになっています

5.大陸棚
A. 大陸棚とは:領海から先の海面下であってその領土の自然の延長をたどって大陸縁辺部の外縁に至るまでのもの、又は大陸縁辺部の外縁が基線から200海里の距離まで延びていない場合、原則として200海里の距離までのものを言います
尚、200海里を越える大陸棚については、第76条に詳しく定義されていますが、その確定作業は、沿岸国が調査した情報を「付属書Ⅱ」に定める「大陸棚の限界に関する委員会」(通称大陸棚限界委員会;詳しくは大陸棚限界委員会参照)に提出し、得られた裁定が最終的なものとなり、拘束力があります

大陸棚限界設定の流れ

沿岸国は、大陸棚上の天然資源の探査・開発に係る主権的権利」を持っています。但し、この天然資源は、海底及びその下の鉱物・非生物資源、定着性の生物のみが対象になります(⇔海中で生息している魚類、ほ乳類は対象になりません)

隣接している海岸を有する国の間の大陸棚の境界画定について、両国での合意が得られない場合、国際司法裁判所において国際法に基づいて合意を図ることができます(第83条)。ただ、両国が提訴に合意しない限り中々解決できないもののようです。紛争の解決の具体的手続きについては、EEZの境界画定のケースと同様、15部(第279条~304条)に詳しく書かれています

⇒東シナ海の日中の中間線付近に於ける中国のガス田開発については、中国の主張と日本の主張(中間線)が食い違うものの解決が得られていません

東シナ海に於ける中国とのEEZ紛争

参考として大陸棚限界委員会に提出された、日本及び中国の申請書をご紹介します;
中国による東シナ海に於ける大陸棚申請
日本による大陸棚申請

6.公海
上記の接続水域・排他的経済水域・海峡以外の海水域が公海となります
<公海に係る重要なポイント>
①公海の自由
とは(第87条):航行の自由、上空飛行の自由、海底電線・海底パイプライン敷設の自由、国際法によって認められる人工島その他の施設を建設する自由㋭漁獲を行う自由科学的調査を行う自由
公海上の軍艦は、船籍のある国の管轄権のもとにあります(第95条)

③公海で航行中の事故に係る刑事裁判権は、船籍のある国、又は乗員の国籍のある国に限られます(第97条)
公海上での船舶の拿捕、抑留、調査船籍のある国に限られています(第97条)
⑤いずれの国も、公海上における救難の義務があります(第98条)

⑥いずれの国も、自国の船籍のある船舶による奴隷の輸送は禁じられています(第99条)
⑦すべての国は、公海上の船舶が国際条約に違反して麻薬及び向精神薬の不正取引を行うことを防止するために協力する義務があります(第108条)

⑧いずれの国も可能な範囲で、公海その他いずれの国の管轄権にも服さない場所における海賊行為の抑止に協力する義務があります(第100条)
⑨いずれの国も、公海その他いずれの国の管轄権にも服さない場所において、海賊行為が行われた場合、海賊の支配下にある船舶・航空機を拿捕し、犯人を逮捕・拘禁し、財産を押収することができます。また、拿捕を行った国の裁判所は、科すべき刑罰を決定することができます(第105条)

⇒ソマリア海で日本の自衛隊が拿捕した海賊船の犯人は、日本の裁判所で裁判を受けました

⑩沿岸国は、外国船舶が自国の法令に違反したと信ずるに足りる十分な理由があるときは、当該外国船舶の追跡を行うことができます。但し追跡は、国の内水、群島水域、領海、接続水域にある時に開始しなければなりません。尚、この追跡権は排他的経済水域又は大陸棚における沿岸国の法令違反がある場合にも準用されます
⑪追跡権は、第三国の領海に入ると同時に消滅します
⑫追跡権は、軍艦軍用航空機その他政府の公務に使用されていることが明らかに表示されており、かつ識別されることのできる船舶又は航空機でそのための権限を与えられているものによってのみ行使することができます

日本の場合、追跡権は自衛隊あるいは海上保安庁の艦船、航空機でなければ実施できないことになります。最近頻々と起こっている外国船による密漁も、海上自衛隊の増強以外の方法しかないことは理解できると思います
⇒海上保安庁による警備:領海・EEZを守るを参照

いずれの国も公海に於ける生物資源の保存、管理について相互に協力する義務があります(第117条~第119条)

7.深海底
深海底及びその資源は人類共同の財産です。従って、いずれの国も深海底又はその資源のいかなる部分についても主権又は主権的権利を主張し又は行使してはならず、また、いずれの国・法人・人も深海底又はその資源のいかなる部分も専有してはならないことになっています(第136条、第137条)
<深海底に係る重要なポイント>
①深海底の資源に関するすべての権利は、人類全体に付与されるものとし、この任務を遂行するために国際海底機構(以下“機構”;詳しくは国際海底機構参照を設立しました(第156条)。機構、人類全体のために行動することになっています。また、深海底の資源は、譲渡の対象とはならないものの、所定の手続に従うことによって譲渡することも可能となっています(第137条)
②機構は、深海底における活動から得られる経済的利益を、公平の原則に基づいて行うことを原則にしています(第140条)
沿岸国の管轄権の及ぶ区域の境界に跨って存在する深海底の資源に係る活動については、当該沿岸国の権利及び正当な利益に妥当な考慮を払うことになっています(第142条)

④機構は、深海底から採取された鉱物の生産者及び消費者の双方を含む関係のある全ての当事者が参加する権利を持っています。機構は、当該会議の全ての取決め、合意の当事者となる権利を持っています
⑤機構及び締約国は、事業体及び全ての締約国が利益を得ることができるように、深海底における活動に関する技術及び科学的知識の移転の促進に協力することになっています(第144条)
機構及び締約国は、深海底から採取された鉱物について、生産者にとって採算がとれ、かつ、消費者にとつて公平である価格の形成を促進すること、並びに供給と需要との間の長期的な均衡を促進することが求められています(第150条)
操業者が機構生産認可を申請し、その発給を受けるまでは、承認された業務計画に沿った商業的生産を行ってはならないことになっています(第151条)

⇒最近、日本近海の深海底に於ける鉱物資源の調査、及び採掘技術の研究が、官・学・民が協力して行われています。しかし、上記条文から判断すると、現実の採掘となれば、採掘した資源を独占できるわけではなく、また生産量に係る制約を受けることになります。また、採掘技術に係る研究成果についても、先駆者の利益を得ることは難しいことも考えられます(⇔南極大陸の資源管理と同じか)

北洋漁業の歴史

漁業に関して、少年時代から私の記憶の断片に残っていものは、南氷洋の捕鯨と並んで盛んであった北洋漁業に係るものです。それは必ずしも明るいものではなく、当時のソ連に拿捕される北海道の漁民と悲しみに暮れる家族の姿、敗戦国の日本は、満州国での非人道的占領政策、その後のシベリア抑留に加え、ソ連にどれだけ虐められれば済むんだ、といったマイナスの感情です

今回のテーマに係る情報をネットで探していたところ、東海大学海洋学部地球環境工学科の牛尾裕美氏の書いた論文「日本における遡河性魚種の漁獲に関する一考察」に、日本の北洋漁業に係る歴史が分かり易く纏めてありましたので、以下に紹介します;

*日本が、シベリアとカムチャッカの沿岸でサケ漁を開始したのは、17世紀の初め(江戸時代)であったと言われている
*1905年、日露戦争終結後に締結されたポーツマス講和条約により、日本はロシア領土内に漁業区を借り、サケ・マス定置網漁業を行う権益を認められたました(勿論、北方4島の他に、南樺太も日本領となったため、ここでも行われていたと思われます)

*1917年のロシア革命により誕生したソ連による資源ナショナリズムの影響を受け、1929年には流し網を用いる北洋サケ・マス母船式漁業を発足させ、沖取り漁業への転換が行われていった
*第二次大戦とそれに続く米軍駐留期間は北洋漁業は休止していましたが、1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、独立を果たした日本は、北西太平洋の公海域に於いて北洋漁業を再開しました。公海域での漁獲は、産卵回遊途上の成魚だけでなく、翌年以降成熟する生育途上の未成魚も含まれており、しかも漁獲の主要部分は、ソ連の極東地方の河川を起源とするものであった(その他、アラスカと日本の河川を起源とするシロザケも含まれていた)

*こうした日本の母船式を中心とする沖取り漁業の大規模化は、1955年にピークを迎え、それと共にソ連極東地方へのサケ・マス回帰量の急激な減少ををもたらしました
*1956年、ソ連はサケ・マス資源の保護と漁獲調整を目的として、極東地方の領海に接続する公海においてサケ・マス漁獲制限操業の特別許可性一方的に宣言しました(ブルガーニン・ライン
*同年、サケ・マスに関して、公海における規制区域の設定、その区域内に於ける漁業禁止区域、漁期、漁具の制限年間総漁獲量の設定などを内容とした日ソ漁業条約が締結された

*1976年に200海里漁業水域が設定されたことに伴い、日ソ漁業条約の破棄を通告してきた。サケ・マスに関しては、1978年になって「日ソ漁業協力協定(日本漁船によるソ連を母川国とするサケ・マスの漁獲等に関する協議の基礎となる協定)」が締結された
日ソ漁業協力協定の主なポイント;
両国は遡河性魚種の母川国が、当該魚種に関し第一義的利益及び責任を有することを認める
両国は、母川国が200海里漁業水域内における総漁獲可能量を定めることができることを認める
両国は、母川国が200海里漁業水域内の外側の水域における遡河性魚種に関する規制は、母川国と他の関係国との合意によることを認める

*1984年にソ連がEEZを設定し、「日ソ漁業協力協定」もソ連側の終了通知により失効した。その後難航の末に、1985年に新しい「日ソ漁業協定」が締結されるに至った
*1988年になって、日ソ漁業合同委員会の年次会議において、1992年までのできるだけ早い時期に、公海でのソ連を母川国とするサケ・マスの漁獲を停止するようにとの声明を行った

*1952年に締結された日米加漁業条約「北太平洋の公海漁業に関する国際条約」を、ロシアを加えて発展的に解消し、1992年に締結(1993年2月16日発効)された日米加ロ漁業条約北太平洋における遡河性魚類の系群の保存のための条約(沿岸国の200海里水域を超えた北緯33度以北の北太平洋及びその隣接海域における条約特定の遡河性魚類の捕獲禁止等を定める)」により、戦後40年行われてきた北太平洋の公海におけるサケ・マス漁業は終止符を打つに至った

以上

森林経営管理法が成立しました!

はじめに

上の写真は、日田木材協同組合のサイトに載っていた写真から拝借したものです。日田と言えば、江戸時代、天領(徳川家の直轄地)の森として手厚く保護されていたこともあり樹齢300年を超える巨木が多く残っている貴重な森林です。植林は15世紀から始まり、現在もなお林業はこの山間の地の主要産業として成り立っています

日本の林業については、1955年までは木材の自給率が9割以上であったものが、木材輸入の自由化が段階的に行われた結果(1964年に完全自由化)、2008年には自給率が24%までに落ち込んでおり、正に衰退の一途を辿っています(詳しくは、私のブログ“年の初めのためしとて~”の<農業、林業、水産業の未来・ 2.林業の分野>の部分をご覧ください)。この結果、国産材供給の問題だけでなく、山間地域の過疎化地滑り、鉄砲水による災害水源地域の荒廃、などの諸問題を惹起しています。こうした問題を抜本的に解決すべく新たな法律が誕生しました

「モリカケ」問題で、与野党が紛糾している国会で、珍しくさしたる混乱もなく「森林経営管理法」が成立しました(5月25日に衆議院を通過;6月1日施行;審議経過については森林経営管理法案・審議経過をご覧ください)。新聞やテレビの様なニュースメディアでは殆ど取り上げられなかったものの、この法案が野党を含む殆どの政党が賛成して成立した背景には、日本の森林の荒廃がかなり進み、国民全体に、“何とかしなければ”という共通認識があったからと思われます。以下にこれからの日本林業再生のきっかけとなると思われるこの「森林経営管理法」の内容をできるだけわかり易くご紹介したいと思います

森林経営管理法のねらい

日本の国土面積、約37万平方キロのうち森林の面積は66%を占めています。この内、国が管理の責任を持つ国有林が31%、地方公共団体が管理の責任を持つ公有林が11%、所有している個人、法人が管理の責任を持つ私有林が58%を占めています。尚、大変紛らわしいのですが、公有林と私有林を総称して民有林と言います。「はじめに」で挙げた各種の問題は、ほぼこの民有林の管理が十分に行われていないことが原因とされています

昔は「山持」と言えば富の象徴であり、生産サイクルが数十年から数百年に及ぶことから短期間で投資回収ができない林業の問題も、「山持」の人たちの有り余る財力によって賄われてきました。しかし、安い外材の流入により、木材自体の価値が大幅に下がり、山林の所有は“役に立たない財産”、あるいは“売るに売れない厄介な財産”となり、管理されないまま放置されてしまうこととなりました
森林経営管理法の目的は、管理が行き届いていない民有林を官主導できちんとした管理を行えるようにすることです

しかし、そもそも私有財産である私有林の管理を、官が勝手に行うことが許されるのかという問題があります。森林経営管理法では、この問題を以下の様な考え方で私権を制限できる根拠としています

<なぜ森林所有者の権利を制限できるのか>
① 現在、実質的に管理が行われていない私有林が多く存在し、本来森林所有者が適時適切に行うべき伐採造林保育(下刈、枝打、間伐、など)が行われず荒れ果ててしまった森林が多く存在すること
② 荒れ果ててしまった森林は、その所有者が負うべき保安林としての公的な責任(水源の涵養、土砂の崩壊その他の災害の防備、生活環境の保全・形成、など)果たせなくなってしまっている事例が発生しつつあること

山林の崩壊
山林の崩壊

③ かつて林業で栄えた多くの山間の村落が林業の衰退により過疎地と化しており、こうした村落を再び活性化させるには林業が最も適していること

④ 日本の地理的な条件を勘案すると、日本は森林面積森林資源の蓄積量森林の成長量の数値から判断して、森林資源が最も豊かな国の一つであり、林業は国際競争力の高い成長産業になりうること(← 詳しくは、私のブログ“年の初めのためしとて~”の<農業、林業、水産業の未来・ 2.林業の分野>の部分をご覧ください)

つまり、憲法で保証している財産権を「公共の福祉」の観点から、必要最小限の範囲で制限を加えていることになります
憲法29条:財産権は、これを侵してはならない。財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる

森林経営管理法の概要

以下、条文の具体的な内容について詳しく知りたい方は森林経営管理法を読み込んで戴くこととして、ここでは、全体を俯瞰して重要なポイントを説明(一部私見を交えて!)していきたいと思います

<森林経営管理法のねらい>
① 林業の成長産業化と、森林資源の適切な管理を両立させる為に、市町村を介して林業経営能力の低い小規模零細な森林所有者の経営を、意欲と能力のある林業経営者につなぐ(⇔委託する)ことで、林業経営の集積・集約化を図る
⇒ 大規模化によって効率的な森林用特殊大型車両の導入、広域的な林道整備が可能となり、長期的且つ計画的な林業経営が可能となります
経済的に成り立たない森林については、市町村が自ら経営管理を行う仕組みを構築する
保安林としての機能を維持するための計画、実施が容易になる

<森林所有者の責任の明確化と市町村による森林経営管理権の行使>
森林所有者は、自身の保有する森林について、適時に伐採、造林または保育(下刈、枝打、間伐、など)を実施することにより、適切な経営または管理を持続的に行わなければならないと定めています(森林経営管理法第4条)
② 森林所有者が上記の義務を果たせない時は、市町村が森林所有者から経営管理権(森林の伐採、木材の販売、造林、保育を行う)を取得し経営管理を行う(同法第3条~第9条)と定めています

<市町村による森林経営管理によって何故林業の成長産業化が図れるのか
都道府県が意欲と能力のある林業経営者」を募集、公表する(同法第36条)。この林業経営者には、以下の支援措置を実施する
支援措置の内容(同法第44条~第46条、附則第2条);
国有林野事業に係る伐採等も委託
* 国及び都道府県による技術指導
* 独立行政法人農林漁業信用基金による経営支援、林業経営基盤の強化等の促進のための資金の貸し付け期間の延長(12年⇒15年)
<参考> 林業の規模拡大の為に林業を経営するものに債務保証を行う制度:180206_林業9割に債務保証_大規模化支援

市町村は、管轄する区域内の民有林について経営管理の状況を調査し、市町村に集積することが必要かつ適当であると認める場合には、経営管理権集積計画を定める
この計画は、市町村森林整備計画森林法第10条の5で民有林については、10年を一期とする森林整備計画を立てなければならない)、都道府県が実施する治山事業(森林法第15条の15で定められている)、その他地方公共団体の森林の整備及び保全に関する計画との調和が保たれたものでなければならないとされています

治山事業_林野庁
治山事業_林野庁

経営管理集積計画に定めるべきこと(森林経営管理法第4条);
* 集積計画対象の民有林の所在地番地目、面積所有者の氏名又は名称住所
* 経営管理権の執行開始時期及び継続期間
* 市町村が行う経営管理の内容
* 経営管理を行った結果、利益が得られた場合に森林所有者に還元すべき金額の算定方式、及び支払時期・方法
* その他

 市町村は、都道府県が公表した「意欲と能力のある林業経営者」に林業経営に適した森林の経営を委託する。また、林業経営に適さない森林については、市町村自らが間伐等を実施する

<森林所有者の権利、保護について>
① 市町村の経営管理集積計画は、森林所有者の同意を得なければならない(同法第4条の5)
② 市町村は、集積計画対象森林の森林所有者に対してその意向に関する調査(経営管理意向調査)を行わなければならない(同法第5条)
③ 森林所有者が、経営管理権集積計画に同意しないとき、市町村長は、農林水産省令で定めるところにより、同意すべき旨を勧告することができる(同法第16条)

④ 森林所有者が、経営管理権集積計画に同意しないとき、市町村長は、農林水産省令で定めるところにより、6ヶ月以内に都道府県知事の裁定を申請することができる(同法第17条)
⑤ 申請を受けた都道府県知事は、森林所有者に対して2週間以上の期間を指定して森林所有者に意見書を提出する機会を与えるものとする(同法法第18条)
⑥ 都道府県知事は、森林所有者の森林について、現に経営管理が行われておらず、かつ、所有者の意見書の内容、当該森林の自然的経済的社会的諸条件、その周辺地域における土地の利用の動向その他の事情を勘案した上で、集積することが必要かつ適当であると認める場合には、裁定をする(⇔森林所有者の財産権の制限)ものとする(同法第19条)

森林所有者の全部または一部が、探索を行っても不明である場合、市町村が森林経営管理権を行使する旨を公告する。森林所有者は、広告の日から6ヶ月以内であれば異議を述べることができる。期間内に異議を述べなかった場合は、経営管理集積計画に同意したものとみなす(同10条、11条)

森林経営管理法に関連する法規制、制度、等

林業の衰退と再生の必要性については、民主党政権時代(2009年~12年)から既に政官界の共通認識となっており、その後の自民党政権でも「成長戦略」の一つとして取り上げられています。従って、森林経営管理法成立以前にもこれに関連する政策が着々と進められておりました

<林地台帳の整備>
市町村が経営管理集積計画を策定、実行するに当たって、民有林の所有者、及びその境界を確定することが非常に重要であることは言うまでもありません。しかしながら民有林の内、特に私有林の所有者については、登記上の所有者が死亡したのち、何代にもわたって相続権のある人が相続の手続きを行っていない場合(⇒相続権のある人が多数存在することになります)、あるいは所有者が転居して探索が困難になっている場合も多く、誰が所有者か確定できないケースが多数存在しているといわれています。また、森林の境界が不明確なケース(もともと境界の目印が“口伝!”によるものが多いのだそうです)も多いといわれています

そこで、2017年5月の森林法改正によって、市町村が統一的な基準に基づき、民有林の所有者やその境界に関する情報などを整備・公表する林地台帳制度が創設されました(森林法第191条の4~7)。この制度の概要については林野庁が作成した林地台帳制度の概要をご覧ください
また、実際に各市町村が林地台帳を整備するにあたってのマニュアルも林野庁が整備しておりますので、興味のある方は林地台帳及び地図整備マニュアルの概要ご覧になってみてください
尚、林地台帳作成の義務を負った市町村も、作成にかかる多額な費用を自前で賄うのは難しいので、次項に紹介する新税を原資とした、国や都道府県からの補助金が頼りになりそうです

しかし、法律が出来、補助金が得られても、広大な森林面積を有する自治体では、かなり困難な作業となりそうです。境界の確定などには、最新のGPS技術やドローンを利用する技術をなどを持っている調査会社のビジネスチャンスが増えそうですね(私見!)。参考までに長野県のケースについて日経の記事を見つけましたので、興味のある方はご覧ください(171216_森林整備まず境界明確化_林地台帳作成

<森林環境税>
森林環境税は、温暖化対策として空気中の炭酸ガスの吸収源となる森林の整備を行うための財源確保として平成2018年度の税制改革にて導入が決められました。ただ、2019年度から徴収すると納税者の負担感が増すため、東日本大震災の復興財源の上乗せ措置が終わる翌年の2024年度に導入することとなりました
この税の徴収は、現在個人住民税を収めている約6千2百万人すべてが対象とされており、1人あたり千円の徴収(復興特別税と同額)とすると年間で約620億円の税収が想定されています

しかし、森林環境税は名前は異なるものの目的は同じ森林整備の名目ですでに独自に導入している地方自治体があります。高知県が2003年度に森林環境税を導入したのをきっかけに2017年1月時点では、全国36県・1政令市で導入されています。税額については下表の通りバラバラです;

森林環境税_既存の地方税
森林環境税_既存の地方税

従って、今後は各自治体毎に地方税との二重課税の問題を解決しなければならないと思われます。また、新税については2024年から配布されることになりますが、林地台帳の整備などは一刻も早く実施する必要があります。従って、新税開始までのつなぎとして、地方交付税に上乗せして実質的に開始することも考えているようです
参考:180424_森林環境税_既存の住民税との二重課税問題

おわりに

先日、NHKの「クローズアップ現代+」で取り上げられていましたので、ご覧になっている方もいると思いますが、人口1550人の兵庫県西粟倉村では、国の平成の大合併政策を拒否して2008年以降「百年の森林構想」を掲げて林業を中心とした村おこしを始めています。すでに全国から志ある者が集まり人口も増加しつあるそうです
参考:兵庫県西粟倉村の村おこし(前編)同(後編)

大都会では、有効求人倍率が1を超えたといいながら、職にあぶれ日雇いで食いつないでいる若者、夢のない「派遣労働」で行き場を失っている若者に満ち溢れています。こうした若い労働力が、森林経営管理法のもとで林業を中心とした村おこしに参加してゆけば平成の次の時代は明るいものになると思うのですが、、、

Follow_Up:2019年6月5日、改正国有林野法が成立(民間林業の参入支援)」しました

以上

年の初めのためしとて~

今年も我が家は穏やかなうちに新年を迎えました
我が家の小さなペントハウスには、これまた小さな小さな神棚があり、以前住んでいた保谷にある東伏見稲荷神社で戴いたお札が祀ってあります。元日の朝は、ここで二拝二拍手一拝した上で屋上に出て美しい富士山を仰ぎ、その後一階の仏壇で線香をあげ、我流で般若心経を唱えることが習いとなっています。特に願いごとも、お礼ごとも無く、心静かに祈るだけですが、かれこれ父親が亡くなってから46年間欠かさずこれを続けていることになります。以下はのんびりした正月に御屠蘇気分であれこれ考えてみたことを書いてみました

第四次産業革命の夜明け

朝食を始める前の一時は、例年おもむろに特集記事中心の分厚い新聞を広げることになりますが、今年は「第四次産業革命」関連の特集記事が目立ったような気がします;
第一次産業革命」:18世紀、ジェームスワットの蒸気機関の発明によって生産が人力から機械力に代わったことによって起こった世界的な産業構造の大変化のことを指します。日本は明治維新後の「殖産興業」の政策によって遅ればせながら列強に追随し、アジアでは最初に工業化を果たすことができました
第二次産業革命」:19世紀後半、フォード自動車のベルトコンベア方式に代表される大量生産により、自動車などの高度工業製品の大衆化が実現しました。しかし、この生産方式は、巨大な資本力、大量の資源、大きな市場の確保が必要となることから、狭い国土の日本では、必然的に帝国主義への道を歩む事になってしまいました
第三次産業革命」:第二次世界大戦後、半導体技術の進歩により実現した「生産設備の電子化、システム化」、トヨタに代表される「サプライチェーンの効率化」、「多品種少量生産」、などにより産業構造が大きく変わりました。これらを総称して「ファクトリー・オートメイション」とも言いますが、日本は敗戦後の苦難な時期を乗り越えこの産業革命では世界をリードする国になりました

第四次産業革命」とは;
  1990年代から本格化したインターネットで代表されるコミュニケーション技術の大革命
人間の知能に近い学習を自ら行って時間が経つにつれ賢くなってゆくDeep Learning を備えたAI(Artificial Inteligence / 人工知能)とロボット技術の融合
5G(Fifth generation / 次世代通信網)で代表される高速・大容量の通信インフラの整備(近い将来)
桁違いの演算能力を持つ量子コンピューターの登場
などによって、近い将来起こると予測されている第一次~第三次産業革命を凌ぐ産業構造の大変革の事です
最近屡々新聞を賑わすICT(Information and Communication Technology / 情報処理および情報通信技術を使ったサービスの総称)やIoT(Internet of Things / 多種多様な生産設備が地理的な境界を越えて相互に自律的にコミュニケーションを行う事)の普及、急ピッチで開発は進められている動運転車、身近な生活の分野で急速に進むシェア・エコノミー(配車シェア/ウ―バー、個人同士の商取引/メルカリ、クラウドコンピューティング/クラウドワークス、、)などは、いずれもこの「第四次産業革命」の第一歩という事ができます

第四次産業革命では、それまでの産業革命と同じ様に「人の働き方」が大きく変わります。そして、結果として「人の生き方」も大きく変わるのではないか、と言われています
最近、週刊現代に「オックスフォード大学が認定、あと10年で消える職業無くなる仕事」というセンセーショナルなタイトルの記事が出て話題になっていました。この記事のソースをネット上で探ったところ、どうやら2013年9月に発表された「The future of employment : How susceptible are Jobs to Computerisation ?」という論文の様です。これは72ページにわたる大論文で、私には到底読みこなせませんが、論文冒頭の要約をみると、米国の702の職種についてコンピューター化できる可能性を分析したところ、47%の職種でコンピューター化が可能であり、労働市場に於いて雇用環境全般(職種ごとの賃金水準や学歴、ほか)に大きなインパクトを与える可能性があるとのことです

難しい話は別にしても、頭脳労働の粋と思われる囲碁や将棋の世界でコンピューターが一流のプロに勝ってしまうニュースや、人気のない大工場でロボットが黙々と仕事をこなしている映像を見ると、近い将来間違いなく「人の働き方」が変わるに違いない事は実感できると思います
第四次産業革命でも半分くらいの職域は残るのでしょうが、要求される能力はかなり変わってきそうです。既に、増え続けるデータ処理に係る人の求人が増えています(参考:データ解析者争奪戦)。一方、失われる可能性の高い職域の雇用の問題は、予め予測し、可能な範囲で対策を考えておくことは絶対に必要ではないでしょうか? 大国であった英国が20世紀後半、第3次産業革命に的確に対応できず所謂「英国病」で苦しんだ歴史を忘れてはならないと思います

日本が直面している少子・高齢化の状況

第四次産業革命の黎明期にあたって、世界をリードする日本であり続けるためには、今直面している少子・高齢化社会の状況にどう対応していくかは避けて通れないと思われます。総務省が発表している人口推計から衝撃的!な幾つかの図表を取り出してみると(詳しくは:我が国の労働力人口における課題_総務省参照);

我が国の高齢化の推移と将来推計
我が国の高齢化の推移と将来推計

我が国の65歳以上の人口は2010年には23.0%であったが、2060年予測では39.9%と世界のどの国でもこれまで経験したことがない少子高齢化が進むことが見込まれ、2060年には15歳~64歳までの労働人口が4,418万人まで大幅に減少することが予想されています
一方、こうした労働力の急速な減少傾向に対して、現在65歳以上の人が就業している(希望する)割合は極めて少ない事が以下の図表を見ると明らかになります;

潜在的労働力
潜在的労働力

この結果、65歳以上の人ひとりを支える生産年齢(15歳~64歳)の人の数は、以下の表の通り劇的に低下し、常識的には働かない高齢者を働ける人(15歳~64歳)が支えていくというこれまでの構造(生き方)は通用しないことになります;65歳以上人口1人を支える生産年齢人口

一方、厚生労働省の要介護者数の推計値をみると、これまた衝撃的!な数値になっています;

要介護の認定者数
要介護の認定者数

こうしたことを総合すると、高齢者は自ら道を切り開いていく必要があると考えられます。豊かな高齢者は、働かずとも高額商品の購入、旅行や遊びで消費することによって経済の循環に貢献することが可能です。しかし、年金を貰っている普通の高齢者は、働き続けることによって社会に貢献することが必要になると思います。働き続けることによって「介護の世話にならずにすむ健康を維持」し、同時に「生産労働人口の減少」を補うことが、結果として「老後の生き甲斐」を得ることに繋がるのではないでしょうか

産業構造の大変革と日本の生きる道

第三次産業革命までは、日本人の器用さからくる「もの作りの伝統」と、江戸時代の寺子屋、藩校などから続く国民皆教育による「労働者の平均的な能力の高さ」によって勝ち残ってきました。しかし「もの作りの伝統」はAI+ロボット+3Dプリンターで優位性は失われる可能性が高いと言われています。また、「労働者の平均的な能力の高さ」もロボットが導入されたもの作りの現場、自動運転車が導入された運輸業などの現場(参考:高速道路で隊列走行の実証実験)はもとより、間接業務についても、軽易な事務作業は当然として、花形である企画業務や、人事・総務業務、技術開発業務、などについても膨大なデータベースを基に、AIを駆使して答えを出す「クラウド・xxx」によって代替される可能性が高いと言われています。最近、日本の巨大銀行においてフィンテック(FinTech /金融を意味するファイナンス/Financeと、技術を意味するテクノロジー/Technologyを組み合わせた造語 )の急速な普及により人員や店舗数を削減し始めたのもその象徴的な現象と思われます

逆に、同じ理屈で日本の人件費の高さから海外生産にシフトしていった、グローバル企業が、「生産の一部(少なくとも日本で消費される部分)を日本に戻すこと」も不思議ではありません。今始まったばかりですが、多国間の自由貿易協定(TPP、日欧EPA、など)もそれを後押しするに違いありません

また、間違いなく生き残る仕事のうち、基礎研究の分野、芸術と言われるまでに進化した伝統技術の分野人とのコミュニケーションが必須のサービスの分野、などは、現在必ずしも人気のある職種とは言えませんが、これから職を探そうとしている若い人たちには狙い目かもしれません

< 基礎研究の分野
これから日本が世界の産業をリードしていく為には、医薬品・医療用機器の開発、新素材の開発、情報分野での基本技術の開発(量子コンピューター、通信規格、、、)など、基礎的な研究に国を挙げて力を注いでいく必要があります
これまで、所謂ポスドク問題(Post Doctor / 博士号は取得したが、正規の研究職または教育職についていない者)と言われ、多くの優秀な研究者が、充分な給与を得られず苦労しているという実態があります。結果として優秀な人材が米国に流出したり、研究に対する夢をすてて民間企業の普通の仕事に就いたりすることが後を絶ちませんでした
また、公的な研究機関であっても、多くの研究員が有期雇用契約で研究しており、研究成果を出すことを焦って研究不正を犯す事例(STAP細胞の事件で有名!)が発生したことでも分かる様に腰を据えて研究する体制が整っていません

ノーベル賞を受賞する様な卓越した基礎研究も、日本の教育・研究環境の評判を高めることとなり、米国の様に世界から優秀な人材を呼び込むことに繋がると考えられます。ここ最近、日本は中国や韓国が羨むほどのノーベル賞の授賞者を輩出していますが、これは数十年前の研究に対して与えられている訳で、現在の教育・研究環境が続けば早晩受賞者が減ることは間違いないと受賞者たちから警鐘を鳴らされています

<Follow-up>
*2018年10月13日の日経新聞電子版に(181013_科学技術大国・衰える研究基盤_伸び悩む資金、細る人材_推進力に影・気が付けば後進国181013_科学技術基本法)という記事が出ていました

< 伝統技術の分野
明治維新の主役となった島津藩は、16世紀の文禄・慶長の役で朝鮮から連れ帰った陶工を優遇し根付かせた「島津焼」を幕末にヨーロッパ各国に輸出し経済的に豊かになったと言われています。また、島津藩に限らず徳川幕藩体制の中で、各藩が競って現金収入の基になる工芸品を洗練し、これが明治の日本を経済の面で支えたことは間違いありません。更に、神社仏閣・城郭の建設で培われた木工建築技術も世界に誇れる伝統技術の一つと思われます
こうした優れた伝統技術は、現在後継者が不足していると言われています。こうした技術を単に維持するというよりは、国内のみならず海外への販売強化を図り、結果として産業として成り立たせる方策を国を挙げて考えるべきだと思われます

< 人とのコミュニケーションが必須のサービスの分野
現在日本が直面している最大の課題である「少子・高齢化」の問題で喫緊の課題となっているのは保育士介護要員の確保にあることはは周知の事実です。いずれも給与レベルが低いという問題の解決は当然の事として、保育士については子育てが一段落した資格を持った女性の再雇用の促進が図られることになると思われます。介護要員の不足については、現在では非常に体力のいる仕事となっているので、ロボットの活用で体力仕事を無くすことにより、被介護者とのコミュニケーションに関して優位性のある高齢者に門戸を開くことも可能になると考えられます

高齢者が増加することにより、間違いなく医療の分野でも多くの雇用が必要となります。医師の数は医師免許という高い障壁があるので魅力ある収入が保証されなくては現在以上の数は期待できません。ただAIを活用した的確な診断と、「かかりつけ医」制度によって医師の必要数増加はある程度抑制可能と考えられます
一方、看護師の必要数は確実に増加します。現在でも看護師の数が揃わないためにベッドが空いていても入院させられない事態が起こっているそうです。看護師という職業は十分に魅力ある職業であるものの、労働環境が厳しい(特に夜勤の回数及び業務量が多いと言われています)こと、給与水準が労働の質、量に見合わないことが必要人数を確保できない要因になっていると考えられます
私が以前従事していたエアライン・ビジネスについても、夜間作業が多く、これをこなす為に給与面、勤務回数・勤務時間の面において十分な手当てを行うことによって必要人員を確保していました。看護師の定員に関しても国が関与しつつ同様の手当てを行うことにより、充分な雇用数を確保することは可能と考えられます。

観光・旅行業に関しても、人とのコミュニケーションが必須であるビジネスと考えられます。政府の掛け声で始まったオリンピックが開催される2020年迄に「訪日客4000万人、消費額8兆円達成」は、これまでのところある程度順調に来ています。しかし、2017年訪日客は2869万人を達成したものの、消費額は4.4兆円にとどまっています。一時の中国人旅客の爆買いが影を潜めたことが背景にあると思われます。これから更に訪日客の消費額を増やすためには、「コト消費(体験や経験に係る消費;例:」を増やすことが課題とされています。そのためには、国や地方公共団体が行う規制緩和(例:民泊通訳、など)や公衆WIFIの整備、隠れた観光スポットの開発、日本文化体験サービスの提供、などの「観光インフラ」の整備が必要となります。また同時に、訪日客のこうした行動をサポートする人材が多く必要となることは言うまでもありません
これらの活動はオリンピック後も継続して行うことによって、更に多くの訪日客を呼び寄せ、更なる雇用を生み出すことができると考えられます。因みに観光先進国のフランスには年間7000万人の観光客が訪れるそうです

農業、林業、水産業の未来

第四次産業革命とは無縁と思われる「農業、林業、水産業」などの第一次産業は、人の命を支え、有事の際の最も重要なインフラであることは言うまでもありません。しかし、戦後の急速な経済発展の過程でないがしろにされ、時として政治の道具とされてきた結果、農業、林業、水産業それぞれの先進国(いずれも経済・文化の先進国)から相当程度遅れた状態にあります
一方、地球儀を眺めて貰えれば分かることですが、日本の地理的な条件(中緯度、南北に長い、モンスーン地帯、山岳地帯が多い、海に囲まれ島が多い)は農業、林業、水産業とって世界有数の適地であり、間違いなく生き残る産業分野です。努力と工夫次第で自給はもとより、国際競争力のある第一級の輸出産業に育てることも可能だと考えられます

現在、農業、林業、水産業共に就業者が減少すると共に高齢化し、存続の危機に陥っている地域(地方の過疎化)も少なくありません。一方、都市に流れ込んだ若者は現在でも低賃金に喘ぎ、第四次産業革命が本格化すれば職を失う可能性も否定できません
こうした状況を打開するためには、農業、林業、水産業を金の稼げる産業に転換すると同時に、労働環境を快適なものにして魅力ある職場に変えてゆくことが急務であると思います。以下にその方策について私なりに考えてみたいと思います

1.農業の分野

現在、農業分野の生産性は、農業先進国に比べると相当低いと言われてる一方、農業人口は戦前・戦中・戦後に比べれば相当減ってきています。因みに、農業就業人口とGDP(国内総生産)に対する農業の貢献度は下図の様になっています;

GDP当たり農業人口
農業人口比率・国際比較

つまり、日本の農業は就業人口の減少に合わせて、GDPに貢献しなくなっている実態を表しており、農業が結果としてないがしろにされてきた原因であり、結果であると考えられます。農業就業人口の比率は米国の水準に近いレベルまで来ているので、これからは農業の生産性を上げ、日本のGDPに対する農業の貢献度を上げていかなければならないと私は考えます

農業の中で最も大切なものは昔も今も穀物生産にあることは論を待ちません。ご記憶の方も多いと思いますが、温暖化対策の切り札としてトウモロコシから製造したアルコールがガソリンの代替として使われた時期がありました。主な製造国は米国でした。この結果、食料としてのトウモロコシの需給が逼迫し、トウモロコシを主食としている国々、とりわけ貧しいフィリピンにおける食糧危機に繋がりました。また、トウモロコシを飼料として家畜を生産している日本においても、食肉価格の高騰につながりました。これは、異常気象や、戦争などによって穀物生産の需給が逼迫すれば、穀物を自給できない国は命に係わる大変な事態が起こるという事を如実に表しています

現在の日本の穀物類の生産状況を食糧需給統計_農林水産省(確定値のある平成27年度分)でチェックしてみると;
* コメ:国内生産量/842万9千トン ⇔ 自給率/98%(主食用は100%)
小麦:国内生産量/100万4千トン ⇔ 自給率/15%
* ジャガイモ:国内生産量/240万6千トン ⇔ 自給率/71%
* でんぷん:国内生産量/247万3千トン ⇔ 自給率/9%(他の資料より)
大豆:国内生産量/24万3千トン ⇔ 自給率/7%
大雑把な捉え方として、穀物類の中で小麦と大豆の自給率に問題がありそうです。小麦の需要が多いのは、過去米食主体だった食生活が、戦後パン食を好む様になってきた結果(学校給食の影響か?)だと考えられます

戦後の高度経済成長のお陰で日本は豊かになり、穀物類の他に肉類、鶏卵、牛乳・乳製品の消費も急激に増加してきました。これらの生産状況を、同じ農水省のデータでチェックすると;
* 肉類:国内生産量/3262万8千トン ⇔ 自給率/53%
* 鶏卵:国内生産量/254万4千トン ⇔ 自給率/97%
* 牛乳・乳製品:国内生産量/740万7千トン ⇔ 自給率/62%
一見問題無さそうに見えますが、実はこれらの生産に共通する飼料(主に穀物由来)の自給率に大きな問題があります;
* 飼料:総需要量/2,356万9千トン ⇔ 自給率/28%
食肉生産大国(米国、オーストラリア、など)との貿易摩擦でいつも問題となる牛肉、豚肉の輸入量の問題は、既存の生産農家の保護のみが強調されますが、「食の自給」を問題にするのであれば、上記穀物類の生産と併せ、飼料作物、放牧地の確保など多面的な対策をたてる必要があると考えられます

参考:農林水産省から出されている、異常に低い食料自給率(39%)は、ご承知の方が多いと思いますが、これは「カロリーベース食料自給率」のことで、国内生産を行っている家畜類の飼料もカロリーをベースに輸入量に加えている為です。こういう数値は先進諸国では殆ど公表されていません。ただ、飼料の大半を輸入に頼っているという実態は問題であることは確かです

以下、「食料の自給」の問題として小麦、大豆、飼料作物の増産について浅はかな!私見を展開してみることにします
増産には耕作地の拡大土地生産性の向上コストの削減などが必要になります;
耕作地の拡大
農地に関する統計_農林水産省を見ると、平成27年度で耕作放棄の農地は28万4千ヘクタールに上っており、全耕地面積(444万ヘクタール)の6.4%になっています。まず、これ等の遊休地を耕作地に変えることが必須です(ちょっと乱暴ですが、仮にこの耕作放棄地で小麦を栽培すれば150万トンの収穫が得られ自給率が37%まで上がる計算になります)
また、耕作に適さない山裾の山林の一部を牧草地とし、家畜の放牧地に変えることも飼料穀物の輸入量の削減に寄与すると考えられます。副次的な効果として、スイスや阿蘇の放牧地の様な美しい景観も作れるのではないでしょうか

更に、以下に展開する野菜生産の効率化により、野菜耕作地の相応の部分を穀物類の生産に振り替えることも可能ではないかと考えています

土地生産性の向上
現在、日本の土地の生産性は諸外国と比べて決して高いとは言えません。因みに穀物単位当たり収量・国際比較をみると;
* コメ・1ヘクタール当たりの収量:日本/6.52トン ⇔ 中国/6.59トン
* 小麦・1ヘクタール当たりの収量:日本/3.25トン ⇔ EU/5.36トン
* 大豆・1ヘクタール当たりの収量:日本/1.57トン ⇔ 米国/2.96トン

コメはそこそこですが、小麦と大豆はかなり生産性が低い状態です。コメについては日本人の銘柄米志向から単位当たり収量を犠牲にしている結果だと理解できますが、小麦や大豆については、強い殺虫剤を使用できないとか、遺伝子操作をした種を使っていないとか、耕作単位が小さいとか、色々言い訳はあるかもしれませんが努力する余地は相当ありそうです

コストの削減
日本は小規模の農家が多く、機械化が進まないために農業大国の様なコスト面で効率的な農業ができていないことは否定できません。戦前は広い土地を所有する地主が、多くの小作人を使って経営しておりましたが、戦後すぐに「自作農創設特別措置法(昭和21年制定)」が施行され、多くの自作農が誕生しました。また、土地を持たない引揚者が荒蕪地を開拓して(各地に存在する″昭和村″などはその例)農民となりました。こうして生まれた自作農民の営農努力、耕地の拡大が戦後の食糧難を救ったことは間違いありません。また、互助組織としての農協の役割も大きかったと思います。しかし、こうした小規模農家と農協が、戦後70年以上経って農業の大規模化、効率化を阻んでいるのは皮肉なことです
現在こうした小規模農家の多くで高齢化が進み、後継者不足が叫ばれています。不謹慎な事を承知で敢えて言わせて貰えば、今が低コスト農業に移行する絶好のチャンスだと思われます。耕作放棄せざるを得ない農地を買い上げ(あるいは借り上げ)、営農意欲のある自作農、あるいは農業法人に売却し(貸し出し)、大規模化を図ることにより、耕作機械類の大型化、耕作機械類の稼働率の向上、肥料、種苗類の大量購入によ単価削減、を実現すると共に、農業労働者の雇用創出、高賃金化、労働環境の改善を図ることができると思います

野菜栽培について;
野菜の栽培に関して我々が学生時代に学んできたことは、人口が集中する「大都市周辺に立地する」ということでしたが、高速道路網、鉄道網が発達した現在の高度な Supply Chain を前提とすれば、この理屈は殆ど通用しなくなりました。米国産のブロッコリーが日本全国の大都市で安く売られていること、産地直送の野菜が宅急便で1日で手に入ることから分かる等に、大量冷蔵輸送が当たり前になった現在では、日本全国どこで生産しても大都市に新鮮な野菜を供給できる様になりました
温室を使わないで栽培する野菜類については、全国配送を前提とすることにより、大規模化、機械化が実現できコスト削減が可能となると思われます。また、南北に長い日本の特徴をうまく生かすことになり、季節ごとにその地方に適した野菜の生産にに特化することにより農薬使用量の削減、農業所得の均一化も期待できることになります(ジャガイモやタマネギの栽培、夏場の高原野菜の栽培などで既に行われています)。また、暖地における春小麦の栽培と野菜栽培の二毛作(土地生産性の向上)も期待できるのではないでしょうか
最近、キャベツ、白菜、大根、など重い野菜の収穫作業が高齢者には負担となり栽培面積が減少していると言われています。こうした問題も、大規模化による大型省力化機械の導入で解決可能と思われます

葉物野菜、トマト、キュウリ、ナスなどの野菜は、AIで栽培に最適な条件を整えた大規模な温室栽培により、病虫害のリスクを下げ、単位面積当たりの収量を飛躍的に増やすことが可能になっています。オランダのトマト栽培を例にとれば、普通の露地栽培に比べ6~8倍の単位面積当たり収量が実現しており、ヨーロッパにおけるトマトの輸出国になっているそうです。勿論、冬場のエネルギーコストを勘案した上で適地を選ぶ必要はあると思います

<Follow-up>
*2018年3月8日の日経新聞電子版に(三共木工・トマトハウスにIoT)という記事が出ていました

農地に関する統計_農林水産省をみても全耕地面積の半分弱が畑地として使われていますが、上記の様な野菜栽培の大規模化により相当程度の耕作地を穀物生産に振り向けることが可能ではないかと私は考えています

果樹栽培について;
果樹栽培に関しては、日本は既に先進国と言えるのではないでしょうか。品種改良の努力によって、殆ど全ての果樹について高付加価値の輸出品として脚光を浴びつつあります。アジア地区の経済発展に伴う富裕層の増加により更に輸出が伸びることが期待されております。ふた昔前のオレンジ自由化による騒ぎが懐かしく思い出されます!

酒類の生産について
最近、ワイン、日本酒、焼酎、等の純国産の酒類が注目されています。世界に誇る発酵食品を作り出してきた日本の技術が、酒造りに生かされているのではないでしょうか。今後、大きく期待できると思います

Follow_Up:2019年5月17日、改正農地バンク法が成立しました。詳しくは(改正農地バンク法が成立 農地集約手続きを簡素化)をご覧ください

2.林業の分野;

日本林業の歴史(ネット情報);
1955年頃、日本の木材の自給率は9割以上ありました。しかし、急速な経済発展に伴い木材の需給が逼迫した結果、木材輸入の自由化が段階的に行われ、1964年には全面自由化となりました。外材は国産材と比べて安かった為にその後輸入量が年々増大してゆき、1975年以降は円高により更に外材価格の比較優位が進みました。この結果、1980年頃をピークに国産材の価格は落ち続け、日本の林業経営は苦しくなっていきました。2008年には自給率が24%となっています。

一方、国内の大造林政策は1996年まで続けられ膨大な人工林が残りましたが、国産材の価格の低迷により、間伐や伐採・搬出等に掛かる費用が回収できず、林業はすっかり衰退してしまいました。また不在地主の増加により、間伐などの手入れが全く行われていない森林が増えていることも一つの要因です。手入れが行われなければ、木は育たず、国産材として活用することができません

林業の改革の方向性については「日本林業はよみがえる」;

日本林業は蘇る_梶山恵司
日本林業はよみがえる_梶山恵司

を一読されることをお薦めします。以下にこの本の要点を踏まえた上で私見を述べさせて頂きます;
林業が衰退した結果何が起こったか
江戸時代、林業は各藩の大切な資源として保護され、林業に携わる人が数十年から百年以上にわたる生産サイクル(植林した木は孫の世代が伐採する)を営々として守って安定した生産を行って来ました。また、植林・間伐・伐採などを担う人々の他、山間の木材集積地には製材産業、木工産業が育ち、多くの雇用を創出していました。こうした生産体制は明治以降終戦に至るまで守られてきましたが、外材の流入により崩壊してしまいました
この結果、植林・間伐・伐採を計画的に行って森林を健全に守ってきた人材が流出、高齢化するに任せる結果となり森林は全国的に荒廃して行きました。また、計画的な伐採を行わなくなった結果、製材産業は山間に立地する必要が無くなり外材が入る港湾近くに立地し、結果として山間部の木工産業も衰退していきました。こうしたことが、現在日本が直面する大きな課題の一つである、山間市町村の過疎化の一因になっていることは間違いありません

国内の大造林政策は何をもたらしたか
戦災で焼け野原になった都市を復興するために、長い生産サイクルを守らずに一時的に大量伐採を続けざるを得なかったことは止むを得なかったかも知れません。また結果として、植林した若木が育つまで一時的な外材の利用は止むを得なかったかも知れません
しかし、植林した木が育ったあと、広い面積を一斉に伐採し(「皆伐(かいばつ)」と呼ぶそうです)、また一斉に植林するという林業に移行したことは、日本林業の選択として誤っていたと思われます。「皆伐」は必要となる労働力の密度が高く、且つ時間的な継続性がありません。また「皆伐」する場所へのアクセスが悪い場合、人力による伐採と仮設ケーブルの設置など伐採に係るコストがかさみ、結果として外材とのコスト競争力を失うと共に、森林を永続可能な資源として維持するための人材も失うことになりました(農業の場合、自由化に当たって、農民を守る為の各種施策が行われましたが、林業の場合はそれが行われませんでした)。その結果が、森林の荒廃を招いたことはほぼ間違いありません。これが林業の衰退以外に「水害」、「大規模な土砂崩れ」、「水源地の危機」(参考:荒れる人工林・水源地がピンチ)、ひいては「花粉症患者の増加」や「野生動物(猪、鹿、猿)被害の増加」などを招いていると思われます

木曽の美林
木曽の美林

「木曽の美林」に代表される管理された日本の森林では、建築用木材となる杉、檜などの針葉樹林の間には広葉樹林帯を設け、これが野生動物の餌を提供すると同時にその保水力で水害、土砂崩れを防ぎ、木工品の材料を提供するなどの役割を担って来ました。単一樹木の大造林、皆伐という生産サイクルは、これら全てを奪ってしまったということでしょうか

日本林業のポテンシャル
日本は森林経営には理想的な地理的条件を備えています。中緯度にあり太陽エネルギーが豊富であると同時に、モンスーン地帯に位置するため雨量が豊富です。高緯度にあるカナダやロシアには豊富な森林はあるものの、気温が低く太陽エネルギーの恩恵が少ないので、一旦伐採すれば育成するのに時間と手間がかかります。一方低緯度にある熱帯雨林では、高温と大雨に伴う土壌栄養分の流出により一旦伐採すれば再生が極めて難しいと言われています(参考:熱帯雨林保護活動
日本は急峻な山岳地帯が多いので林業には不向きだという意見もあるかもしれませんが、山岳地帯であるが故に雨量が多いこと、寒暖差が激しいこと、などによる高い木材品質が確保できることなど、メリットも多くあります。またアクセスの悪さについては次項に示す通り、林道の整備、大型機械の導入を行うことにより克服可能です。例えばオーストリアは林業先進国で日本にも木材を輸出していますが、急峻な山岳地帯が多いという地形は日本と同じです。因みに主要林業国の木材資源の状況を見ると以下の様になります;

主要林業国の基本指標_日本林業は蘇る
主要林業国の基本指標_日本林業はよみがえる

上表によれば、日本の森林の蓄積量は44億立方メートルに達しているものの、生産量が極めて低い事が分かります。また、上表にある森林国の内フィンランドの2005年の輸出量は年間105億ユーロ(約1兆4000億円/1ユーロ135円)、オーストリアは年45億ユーロ(6000億円)です。また、ドイツは国内消費がメインですが、2005年に1,223億ユーロ(16兆5000億円)を売り上げ約100万人の雇用を生み出しているそうです

改革の方向性
如上の通り日本林業は、敗戦とともに一旦衰退したものの林業先進国というお手本があり、且つ江戸時代からの伝統技術を継承する人材もわずかながら残っていることから、規制当局による方向付けと林業関係者の熱意さえあれば、必ずや日本林業は蘇ると思われます。日本の周辺には中国(乾燥地帯が多い)という巨大な輸出可能性を秘めた国があり、下記の様な改革を着実に行うことにより林業が日本の基幹産業の一つになることは夢ではないと私は確信しています
林道の整備;
日本の林道は大型機械を導入する様にはなっていません。昔ながらの細い林道では、人間が一人で使うチェーンソーで伐採し、馬を使って運び出すことくらいしかできません。一方、高度経済成長時代につくられた「スーパー林道(大半が舗装され、山を崩して作られている)」は行楽客の通路になっているだけで環境破壊の原因にも挙げられています。林道の目的は森林の環境を悪化させず、伐採すべき森林のすべてにアクセスできる「林道網(ネットワーク)」でなければならず、しかも大型機械が通行できなければなりません;

理想的な林道_日本林業は蘇る
理想的な林道_日本林業はよみがる

上記の林道は幅3.5メートルで、道の真ん中を高くして排水を良くしてあり、アスファルト舗装をせずに砕石を敷き詰めています

大型機械の導入;
林業で一番コストがかかるのは間伐・伐採、輸送に係る費用です。上記林道網を利用して大型機械を運び込めば、ケーブル設置の様な仮設の設備は不要となり、省力化と作業時間の短縮による人件費の削減が一挙に可能となります。尚、大型の林業機械は森林の地面を荒らすことの無い様に特別に開発したもの(当面は林業先進国からの輸入か?;有限会社・フォレスト動画リスト)でなければなりません。土木工事用の大型機械の改修ではこの条件を満たさない可能性が高いので注意が必要です
数種類の大型機械とそのオペレーターがセットになって、林道網に沿って計画的に間伐、伐採を行い、伐採を行った場所に順次植林を行って行けば、年間の木材産出量も安定し、昔の様に木材生産地に製材産業を呼び戻すことが可能になります。更に植林に当たって、広葉樹林帯の整備も行えば、いずれ木工産業をの再生と野生動物の跋扈もなくなると思います。更に、地球温暖化の対策として推奨されている木材チップ(間伐材)や製材の廃棄物(おが屑、端切れ、など)を使ったバイオマス発電により、山間地区のエネルギー自給が可能になるかもしれません

③ 後継者の育成;
戦後からの失われた70年で、林業を支える人材は一から育てなければならない状況になっていると思われます。歴史を振り返ってみれば、明治維新後まず政府が取り掛かった教育改革は、近代的な農業を習得するために外国からの教師の招聘と、農学校の設立でした。現在の北海道大学の前身にあたる札幌農学校(クラーク博士で有名)然り、東大農学部の前身も明治3年に遡ります。現在、明治維新当時と同じ様に先進国が存在し、そこでは近代的な林業が行われています。こうした国から国策として教員を招く、あるいは優秀な学生を林業先進国に国策として派遣する、などを行って全国規模で林業振興の種を蒔くことが必要だと思います(参考:林業再生・人材養成待ったなし

 日本林業の未来;
林業についても最新の技術を使った先進的な試みが行われつつあります(例えば、ドローン活用による資源量調査IoTを活用してスマート林業を実験)。また、強度と耐火性の高い集成材(CLT)を使うことにより、従来鉄筋コンクリート製、あるいた鉄骨製が普通であった高層建築にも木材が使われるようになり、木材需要は今後増えると考えられます。更に、最近話題になっている木材資源を使ったセルロース・ナノファイバー(CNF)は、鉄の5分の1の重さで鉄の5倍の強度を持つと言われ、今あらゆる分野で使用が拡大している炭素繊維に匹敵する素材に成長する可能性を秘めています(しかもこの素材は完全にカーボンニュートラルです!)。木材の資源国である日本には明るい未来があると考えて良さそうです

遅ればせながら国も林業再生に本格的に取り組みを始めました。林業再生に必要な資金を確保するため、政府は2019年度から新税(森林保全へ新税)を設ける方針です。また、新しい森林行政を進める為に林地台帳の整備(地権者を見つけ出し、境界を確定する)を始めました。地権者の世代交代、住居の変更などで困難が予想されますが、林業改革の為にはできるだけ早期に全国レベルで実施完了する必要があると思います

<Follow-up>
*木材利用の促進を図るため、2010年に 公共建築物等における木材の利用促進に関する法律が制定されました;促進スキーム
*2018年3月6日の日経新聞電子版にバイオマス発電に積極投資を行うエフォンという記事が出ていました
*2018年8月11日の“ZUU Online”に(中国が日本の木材を「爆買い」)という記事が出ていました

3.水産業の分野;

日本は戦後、大型船を駆使して南氷洋における捕鯨、北洋におけるサケ・マス、カニ漁、太平洋・大西洋におけるマグロ・はえ縄漁を行い、沿岸漁業と併せ、世界一の漁獲量を誇っていました。私たちの世代は子供の頃、こうした豊富な水産資源のお陰で不足しがちのタンパク質を摂取し成長することができました。

その後、沿岸漁業に依存する諸国が先進遠洋漁業国の進出に対抗し,漁業資源の保存と独占のため,漁業に関する管轄権を自国領海の外側の公海部分にまで一方的に拡大するようになりました。1982年に採択された国連海洋法条約で排他的経済水域の制度が新設され、実質的に沿岸から200海里の範囲で「漁業専管水域」として管理できることになり日本の漁業は大きな変革を余儀なくされることになりました
しかし、考えてみれば日本は多くの島々で成り立っており、排他的経済水域の面積は世界第6位となる海洋大国です

領海・接続水域・排他的経済水域
領海・接続水域・排他的経済水域_wikipedelia

また日本列島の周辺は黒潮(+対馬海流)、親潮が囲むようにして流れ、この広い水域を生かした漁業を行えば水産品の輸出大国になることも不可能ではないと私は考えます。しかし、以下の様な課題を解決することが前提になると思われます;
 現在、沿岸漁業を中心に漁業者の高齢化が目立ち、後継者の育成が急務な状況ですが安定した漁獲が得られなければこの問題は解決しません。稚魚・稚貝の放流の他、流れ込む川の上流域での森林の整備(←落葉が分解して植物由来の栄養素が海に流れ込むことが必要)など豊かな漁場にしていく施策が必要と思われます。また、クール宅急便を使って各地方の雑魚のマーケットを開発すれば、沿岸漁業の経済価値を引き上げることも可能と思います

過去、北海道で沢山取れたニシンが全く取れなくなった時期がありました。また、日本海沿岸で沢山取れたハタハタが全く取れなくなった時期がありました。いずれも乱獲が主な原因でした。その後、厳格な漁獲規制を行った結果、資源が回復しつつあります。資源量の正確な把握と適切な漁獲規制(必要により完全な禁漁)を国の責任で行っていく必要があると思います

<Follow-Up>
2月16日のダイヤモンド・オンラインの記事(180216_日本だけが漁獲量減少、ノルウェー漁業を見習うべき理由)が刺激的です!

日本が大量に漁獲し、消費しているマグロは、その資源の維持について責任があると思います。マグロの漁獲量と消費量のサイトを見ると、日本は世界中のマグロの消費量の約2割を占めており、日本人が好むクロマグロについては全漁獲量の72%、ミナミマグロについては全漁獲量の98%を消費していることが分かります
地中海、大西洋のマグロについては、欧州各国が資源の管理をしていますが、昨年は資源量が回復し漁獲割り当てが増加しました(参考:大西洋のマグロ管理に学べ)。一方、太平洋のマグロについては資源が減少しつつあり日本のイニシアティブが求められるところです
先日、テレビで大西洋のマグロ資源に関わる番組を見る機会がありました。大西洋マグロの産卵場所は地中海沿岸にあります。産卵時期にこの海域で捕獲(巻き網漁)したマグロは船に水揚げせずに、そのまま時速2キロで生かしたまま移動し肥育用の生簀に移すことで、抱卵したマグロは移動の途中や生簀の中で産卵するそうです。産卵を終えたマグロは生簀で肥育させた上で出荷するとのことです
太平洋マグロも小型魚を取り過ぎない様に漁獲規制を行っていますが、あまりうまくいっていない様です。この1月には既に割り当ての9割に達し漁獲規制が始まりました。マグロはえ縄漁では小型魚(30キロ以下)も、産卵直前の親マグロも針にかかってしまえば水揚げしない訳にはいかず、こうした規制の効果には疑問が残ります。太平洋でも産卵する海域は特定されており

太平洋マグロ産卵場所_水産庁調査結果
太平洋マグロ産卵場所_水産庁調査結果

地中海でやっている様に産卵するまで水揚げをしないような方法を取れないものかと考えてしまいます

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*2018年10月7日の日経新聞電子版に以下の様な分かり易い統計図表が出ていましたのでご紹介します;

マグロ資源統計
マグロ資源統計

日本では大分昔から養殖漁業が盛んになっています。今や高級魚を中心に沢山市場に出回っています。マグロについても近畿大学が完全養殖(生簀で生ませた卵から成魚を育てること)に成功し、既に「近畿マグロ」というブランドで市場に出ています。また、今年シラスの大不漁が伝えられているウナギの完全養殖についても、もうすぐそこまで来ているといわれています
養殖についての残された課題は餌にあります。餌を魚粉に頼っている間はイワシなど、そのままで食用になる魚を大量に消費することになるので、コストの面と資源量の面で必ずしも養殖がいいとは言えません。植物由来の餌も一部魚種について使われていますが、味や香りに影響を与えてしまうと言われています。味、香りに影響を与えない植物由来の飼料とか、タンパプ源として昆虫を使うとか、今後の開発が待たれます。また、養殖魚の生育環境の管理などではAIの活用も考えられます

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2018年12月8日に漁業法改正案が可決・成立しました。この改正法は70年ぶりの大改正で、漁業の成長産業化による漁業者の所得向上と、若者の就業を後押しする狙いもあります。詳しくはを漁業法等の一部を改正する等の法律案の概要ご覧ください

あとがき

第四次産業革命の黎明期に当たって、「人の働き方」がこれからどう変わるかについて思いつくままに書いてきましたが、その結果として「人の生き方」も変わるはずですが、この点についてはあまり書くことができませんでした。特に激増する高齢者が、今後どう価値ある生き方ができるかについては殆ど触れることができませんでした。今後更に時間をかけて勉強していきたいと思います

<Follow-Up>
2018年3月4日の日経新聞電子版に、以下の様な記事(なるか一次産業リバイバル)が出ていました。また、ウナギ資源問題でも(歴史的不漁のシラスウナギ_甘い資源管理の限界)という記事が掲載されています

以上

敬老の日?

老人は敬う存在?

今年の敬老の日は9月18日。当初は9月15日に固定されていたのですが、行楽の秋に連休を作って観光需要を増やすために祝日法が改正されて2003年からは9月の第三月曜日と定められました。敬老の日のきっかけとなったのは、兵庫県多可郡野間谷村の村主催の「敬老会」だそうですが、この時の趣旨は「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」ことだったそうです。
私は一昨年70歳となり、自他共に認める「老人」の仲間入りを果たしています。当初は、それほど意識はしていなかったのですが、最近は老人の視点で自身のこれからの生き方について色々と考える機会が増えてきました。

最近読んだ本で、五木寛之が書いた「孤独のすすめ」という小冊子があります。これは、その前に出版している「下山の思想」、「玄冬の門玄冬の門を読んで)」に続くもので、傘寿を越えている筆者が、自身の経験や、宗教、古今の哲学に照らして老人のあらまほしき生き方を提案しており、私自身にとって大変参考になっています
この本で、次世代を担う若い労働者と、年金を食み豊かな資産を持った老人との関係は「階級闘争」の体を為しているとの面白い見方が述べられています

先日、やや混んでいる通勤時間帯の電車の中で、ドアが開いた途端、たった一つ空いた「優先席」に老人を押しのけて座った若者が居ました。件の老人は、若い女性に席を譲られて座ることはできたものの、対面に座るその若者を怒りに満ちた眼で暫し睨み続けていました
若者の言い分を忖度してみれば、肉体労働で疲れ切った体を休めるために席に座ることは、わざわざ!通勤時間帯に乗り込んでくる五体満足で暇な老人に席を譲ることに優先するということでしょうか。若い労働者にとってみれば、少ない賃金から年金やら、健康保険の名目で、彼らにとって少なくない金額を天引きされることは「搾取」と感じてしまうのも分からないわけではありません。また、このまま少子高齢化が進めば、自分たちの世代は年金を受け取れない可能性があると聞けば、元気な!老人を敬えというのが無理なのかもしれません

9月13日に厚生労働省から発表された医療費統計(平成27年度・国民医療費の概況_全体版)によれば、国民一人当たりの年間平均医療費は33万3千円になりますが、これを年齢層別に分けてみると、65歳未満の年間平均医療費が18万5千円に対して、70歳以上は84万円、75歳以上になると何と92万9千円!に達しています
また先日、日経朝刊の一面に、膨張する介護保険の記事が出ていました(介護保険は医療保険とは別建て)。現在介護保険の給付額は約9兆円、2025年にはこれが25兆円に膨らむと予想されています。介護保険は40歳以上の勤労者と、国及び地方自治体(いずれも税金が原資)が折半で賄うことになっていますが、教育費のかかる子供を抱えた勤労者の負担も重く、日本経済を支える40歳以上の勤労者の怨嗟の的になるのも時間の問題と思われます

こうした状況を考えると、我々「老人階級」も、戦後の驚異的な経済成長を支えてきたのだから、少しは楽をさせてくれよ、、などと呑気なことは言ってられないような気がします。長寿時代に生きる人間の生き方については、”「100年時代の人生戦略」を読んで“で紹介しておりますが、ここではこれからの老人階級の生き方について、もう少し具体的に自論を展開してみようと思います

元気な老人になる為に

今後、急激に増加していくことが確実な老人階級が、若い世代にとって迷惑な存在にならない為には、 長患いをしないこと 肉体的な健康を維持すること精神的な健康を維持すること、の三つに集約できると思います

① 長患いをしないこと;
簡単に言えば、古来理想的な死に方として言われている「ピンピン・コロリ」を目指すという事になるのではないでしょうか。脳死後の延命措置や、回復の見込みのない老人に「胃ろう(胃に直接流動食を注入できるようにすること)」の施術を行うこと、などは長患いの原因になります。これを避けるには、自身で判断が出来なくなる前に、予め近親者に意思表示しておくことが必要になります。最近106歳で亡くなった聖路加病院名誉院長の日野原重明さんは、ご自身で延命措置を拒否されて大往生を遂げましたが、私たち夫婦もこれに倣った生き方を目指したいと時折話し合っています
長患いをしないためには、肉体的な健康を維持すること、精神的な健康を維持することが必須条件になることは言うまでもありません

② 肉体的な健康を維持すること;
最近のテレビを見ていると、健康食品、サプリメント、健康増進器具、その他老人の健康維持、向上を謳ったコマーシャルが異常に多いことに気がつきます。コミュニケーションの手段がSNS中心となってしまった若者世代や、スマホを操り、ドラマはネットテレビに限るなどと嘯く先進的な!中年層が、ニュースを除くテレビ番組から離れてしまった事など、マスコミ業界の構造変化が、こうした老人向けTVコマーシャルの氾濫に繋がっているものと考えられます。ただ、薬や器具に頼るよりも、年齢に応じた運動を行うことの方が、楽しく、且つ健康的であることは医者に説教されるまでもなく、誰しもが納得できることではないでしょうか
年を取るにつれ、体力の衰え、運動神経の衰えに見合った軽度な運動に移行してゆくことは自然の摂理に適うことと思われます。軽度な運動の代表格は何と言っても「歩くこと」であることは誰しも依存の無い所だと思います。太古の昔から、歩けることは生きていることと同義語であったと思います。激しいスポーツが出来なくなっても、積極的に歩くことを心掛けることによって介護に頼らずに生きていく為の筋力が維持でき、少なくとも若者の負担にならない生活が可能になると考えても良さそうです

③ 精神的な健康を維持すること;
ここでは、統合失調症の様な精神病やアルツハイマー症に代表される認知症は、医学の発展に期待することとして除外して考えたいと思います。ただ、老人性のうつ病については、生き甲斐との関連が深い事から考察の対象したいと思います
精神的な健康をどう定義するかは中々難しい問題ですが、少なくとも「燃え尽き症候群に陥っている」、「何をやる気にもならない」、「死ぬことが不安で他の事が考えられない」、「政治、経済、その他、世の中で起こっている事に全く興味が湧かない」、、、などの精神状態にある時は精神的に健康であるとは言えないと思いますが、如何でしょうか?
こうした状況は、外界からの刺激を自らが遮断する結果となり、更に悪い精神状況に追い込まれるという負のスパイラルに迷い込んでいくことになりそうです。明治維新を担った志士は、関門海峡を我が物顔で行きかう外国船から強い刺激を受け、これを革命のエネルギーに変えていったと言われています。老人も外部の刺激に自分を晒すことによって生きるエネルギーを生み出すことが必要と思われますが如何でしょうか? 例えば、私など俗物は時折若者文化の坩堝となっている繁華街に出て行くことでエネルギーを貰っています。海外旅行の好きな方は、成熟した文明国を訪ねるよりも、発展途上国のエネルギーに触れることも一考に値すると思われます
私は繁華街以外に、時としてビジネスの中心街に出向くことがあります。高いハイヒールを履いて颯爽と歩く若いビジネス・ウーマンに追い越されそうになって、慌てて歩を早める自分に気が付きます! 普段老人とばかり歩いていると気が付かないポイントですね!

また、話すこと聞くこと読むことも精神的な健康を保つ上で極めて重要になります。会社勤め時代に比べると、会話をする機会が激減していることに気が付くはずです。夫婦や気の置けない友人との会話は、意識してでも増やすことが必要ではないでしょうか。あれ、これ、それ、、など代名詞が沢山混じる会話でも脳機能を活性化させることは勿論、老人性の嚥下障害(老人死亡率の高い肺炎の第一の原因です)を予防する効果も期待できます。話し相手が居ない時は、最近はやり?の「ひとりカラオケ」に興ずるのも効果があると聞いています
読むことは脳機能の内、主に前頭葉(ドーパミンの殆どがここに存在し、知的な活動を行うために最も重要な部分)を使うことになり、脳の老化を防ぐ為には最も大切な行動と言えます。毎朝新聞を読む、好きなジャンルの本を探して読む、大きな書店に行ってあれこれ立ち読みをする、書評を見てネット通販で取り寄せて読む、いずれも習慣化することで相当の効果が期待できると思います。ただ、年々老眼が進み長時間読み続けることは難しくなりますが、、、
私の友人には、緑内障や加齢黄斑変性症で視力が弱っている人もいます。彼らはパソコンを使って字を大きくして読んだり、読み上げソフトを使って聞き取ったりしています。知的な好奇心がハンディを乗り越えるということでしょうか。また、彼等はラジオの効用も語っています。朗読だけでなく、対談なども大変知的な好奇心を刺激するものがあり、塙保己一の例を引くまでもなく聞くことができれば読むことと同じ程度の前頭葉の刺激が得られることは確かです

老人が抱えるハンディキャップとその克服

上記「元気な老人になる為」の行動を実践する時、老人が抱えているハンディキャップを正確に認識し、自らその対策を講ずることを忘れれば、やはり社会の迷惑者になることは必定です

まず言えることは、走れない早く歩けない、というハンディキャップです。横断歩道の通行を始めとして、若い頃には間に合っていた距離が間に合わなくなることは往々にしてあります。対策は「急がば回れ」の諺を実践すればいいだけ、実に簡単なことです。時間はたっぷりある筈なのにこれを実践できない老人が相当数いることは間違いありません。 信号を渡り切れないことが分かっていても渡ろうとする老人がなんと多い事か、、、信号の間隔は青になってから歩き始めれば、よっぽどでない限り間に合うように時間設定されています

一次記憶保持能力(脳の中の「海馬」部分が担っています)が低下していることは誰しも認識していると思います。昔は10桁の電話番号は一度見ればダイヤルできたのに、今は一度6桁位をプッシュして、もう一度番号を確かめて残りをプッシュする人が多いのではないでしょうか。IDやパスワードについても同様ですね
また、反射神経の衰えも程度の差こそあれ、老人は避けて通れません。躓いても咄嗟に足が前へ出ないでコケそうになる、歩いていて人にぶつかりそうになるなど、日々痛感しているのではないでしょうか
自動車を運転する場合、この二つの能力低下は深刻な事態を招く可能性があります。例えば、交通量の多い道路を右折する場合、左側通行であることから多くの人は右を見てから左をみて安全を確認すると思います。右を見た時に走ってくる車の現在位置と速度を確認し、左を同じように確認した上で右折の行動に入ります。しかし、悲しいかな!最初に右を見た時の位置と速度の記憶が曖昧となっている為、結果として危険な右折を行ってしまうことがあります。広い道を走っている時に、右折を開始した後、迫って来る右の車に驚くもののブレーキが掛けられずそのまま右折を強行してしまう車は、殆どが老人の運転です。老人なんですから、時間はたっぷりあります!少し遠回りとなっても、左折を2回繰り返して信号のある交差点を右折するなど、ちょっと考えれば、老人の見っとも無い姿を見せないですむ知恵はいくらでもありそうです

バランス感覚の低下もバカになりません。スキーをやるとこのバランス感覚の低下は、即!転倒に繋がるので嫌でも思い知らされますが、この種のバランス感覚を要求されるスポーツをしていない人は、気付かないままに深刻な事態を招くことがあります。例えば、老人が自転車で交通量の多い車道を走る場合、交通ルールに従って当然左側を走るわけですが、多くの道は左側が傾斜しておりバランスを取るのが難しい状況になります。結果として蛇行しながらトロトロと走り、しかも後ろは見えていないので、追い越す車と接触するリスクが高まります。やはり、自転車が通行できる広い歩道か、自転車専用レーンのある道路以外、老人は自転車に乗らない方が賢明のようです

あれ、これ、それ、、の会話になる最大の原因は、名前を思い出せない(「度忘れ」と言い訳をする場合が多いですね!)事につきると思います。老人同士の会話であればお互い様なので、特に問題は発生しませんが、若者との会話においては決定的なコンプレックスの元になる可能性があります
しかしこの現象は、時間が経てば思い出せたり、ひょんなことから思い出すこと、などを勘案すると、脳細胞の何処かにはしっかりと記憶されていることは確か(細胞が壊れて記憶が喪失してしまう認知症とは決定的に違う点です!)であって、記憶を取り出す糸が一時的に切れているだけの現象だと思います。このハンディキャップを克服する為に私は以下の二つの方法を実践しています;① よく使うと考えられる名前は、人知れず!反復練習を行って確実に記憶の糸を繋げておく、② 思い出せなかった時点で、スマホの検索を駆使して名前を無理やり!あぶり出す。最近のグーグル検索の能力は絶大で、その名前に係る周辺情報を入力すれば、たちどころに答えが得られます(ただ、友人の名前を見つけ出す、などの私的なことはこの方法では無理のようです!)。 検索の為に周辺情報を考える過程で、前述の前頭葉が大活躍するので、ボケ防止にも大変有効なことは言うまでもありません

老人の車の運転について

表題に関し、現在世の中でコンセンサスを得つつある考え方は、「老人の運転は危険なので運転するな!」というものです。これに合わせて運転免許制度が変更され、70歳以上の人の運転免許更新に際し、運転能力の判定というハードルが設けられました。また、75歳以上からは認知機能検査が加わることになりました。更に、高齢者の運転免許証返納を大々的に奨励するようにもなってきました

私も昨年3月この更新試験を受けましたが、正直に言ってガッカリしました。ドライブ・シミュレータのテストがあると書いてあったので、自身の運転適性が図れるチャンスと期待していたのですが、このシミュレーターなるもの、道路を一直線に走る画面が出てきて不意に赤、黄、青の信号が現れ、これに対するブレーキ操作の反応だけを測定するものでした
法定速度を守っていれば、黄色に変わった時点でブレーキをかければ、異常に反応速度が遅い人でない限り、赤に変わる前に車を停止させることが出来る様に設定されているはずです。私自身の経験でも、よそ見運転で黄色信号を見逃していない限り、ブレーキ操作の反応速度が問題になることはあり得無い様に思います。それより重要なのことは、運転中に発生する色々な状況に対する「リスク予知能力」のはずです。停車中の車の陰に横断しようとする歩行者がいるかもしれない、前を走っているバイクは急に右折するかもしれない、交差している道で右折しようとしている車の運転手が見ている方向(自分の方を見ていなければ急に右折行動に出るかもしれない)、等々、長い運転経験の蓄積が安全運転の「肝」であって、反応速度が安全運転の主たる指標になることはあり得ないと思っています。反応速度の遅れは運転速度を落とすことによって十分補えるものと、私は50年以上の運転経験から断言することができます。

そもそも、老人が精神的な健康を保つためには、他人の介助を得ずに移動の自由(モビリティー/Mobilityを確保することが大変重要な事と私は思っています。自動車の発明が人類の歴史を変えたと言われる所以もそこにあります
また、長寿時代に生きる人間の生き方(「100年時代の人生戦略」を読んで)として、歳をとっても働き続けることが当たり前になっていく時代に、単に年齢のみの基準で自動車の運転の自由を奪っていく風潮は正しいのでしょうか?

凡そ50年ほど前、2週間ほど米国を旅する機会がありました。生意気にも大学一年の頃から自動車の運転をしていたことがあり、米国滞在中はレンタカーを借りて移動していました。この時受けたカルチャー・ショックは今でも鮮明に覚えています。それは、① クラクションの音を殆ど聞かなかったこと(当時の日本では、都心はクラクションの音に満ち溢れていました)、② 道幅は広い(メインの道路は大体3車線以上)のですが、皆きちんとレーンを守って走行していること(空いているレーンがあってもレーン変更はほとんどしない)、③ 少なくともレンタカーは全てパワーステアリング、パワーブレーキを装備したオートマティック車であったこと、④  道路標識が極めて分かり易かった事
数日間運転するうちにその理由が分かりました。老人が運転することを前提に、車の装備、交通ルール、他が整えられていたのです。米国は広大であり、車以外の移動手段は、繁華街を除けば考えられないこと、子供は若いうちに独立し、歳をとっても自立して生きていくほか道はないこと、などがその背景にあると思います

考えてみれば、高齢化社会が急速に進展していく日本で、高齢者から車という移動手段を奪ってしまえばどういうことになるか、自宅周辺であてどなく散歩をする老人の群れ、ベンチに座って遠くを見つめている沢山の老人、ちょっと見たくない光景が想像されます。因みに、私の住んでいる郊外では、近くの商店街はシャッター通りになり、買い物は車が必要になる大型スーパーに行かなければなりません。大都市に人口が集中してしまった日本では、日本全国概ねこうした状況(米国と同じ)になっているのではないでしょうか?

老人から車を奪わないために

老人が、肉体の衰えというハンディがあっても安全に運転できる仕組みを考えてみました;

技術の進歩を積極的に取り入れる;
最近の新聞に大きく取り扱われていることでご存知の方が多いと思いますが、現在、自動車産業全体にパラダイムシフト(Paradigm Shift/劇的な構造変化)が起こりつつあります。それを促しているのは、環境問題に起因するEV(Electric Vehicle/電動自動車)の急速な普及と、自動運転車の実用化が目前に迫ってきたことです
この内、老人の自動車運転と密接にかかわるものは、自動運転車の登場です。自動運転車は以下のレベルに合わせて開発が進められています(以下は2017年1月現在の「官民ITS構想ロードマップ」で示されている定義に従っています);

レベル1:加速・操舵・制動のいずれかの操作をシステムが行う状態
レベル2:加速・操舵・制動のうち複数の操作を一度にシステムが行う状態
レベル3:加速・操舵・制動は全てシステムが行いシステムが要請したときのみドライバーが対応する状態
レベル4:加速・制動・操舵を全てシステムが行い、ドライバーが全く関与しない状態

現在、中級車種以上の新車についてはレベル1に相当する自動ブレーキなどが装備されているのが普通になってきており、高級車についてはレベル2が装備されている場合もあります。昨年、電気自動車で有名な米国のテスラ社製の車が死亡事故を起こして話題になりましたが、この自動車にはレベル3の運転システムが装備されており、事故前にシステムがドライバーに運転を替わる様に指示していたにも関わらず自動運転させたために事故が起こったと言われています

高齢者の事故で何かと話題になることの多い、アクセルとブレーキの踏み違いによる事故は、レベル1が装備されている車であれば起こりえない事故だと考えられます。また、高齢者による高速道路逆行などは、カーナビによる運転を行えば起こり得ないことと考えられます(自動運転を行うために、カーナビの地図情報の精度向上が世界的に進められています)。ただカーナビのセットを音声で行うことが出来る様な配慮は必要かと思われます(すでにレクサスなどはこの装備がセールスポイントの一つになっています)。勿論、交通量の多い道路を右折する様な危険な行為は現在のカーナビでも避けてくれるはずです。レベル4が実現すれば、運転中の急死による事故も防げるはずです

法規制を高齢者の運転を前提としたものに改める;
私が運転免許を取る直前まで、普通免許で大型バイクまで運転ができました。また、普通免許を取得するには操作の習得が難しいクラッチが悩みの種(特に坂道発進)でしたが、オートマチック車限定免許という逃げ道がありました。当時はオートマチック車は希少でしたが、現在は逆にマニュアル車は特注でもしない限り買うことすらできない状況になっています
つまり、運転免許制度そのものが時代に合わせて変わってきているのです。であれば、高齢者が運転することを前提として、以下の様な規制の改正を行うことは可能ではないでしょうか;
① 自動運転車を前提として、以下の様な限定免許を創設する
* 咄嗟のブレーキ操作に問題のある人(高齢者に限らず、追突事故を起こした人も含む):自動運転レベル1の自動ブレーキ装備車限定の免許とする
* 居眠り運転の事故歴のあるひと:レベル3以上の自動運転車限定

Follow_Up:2019年5月17日、自動運転に関する法改正が成立しました。詳しくは(「レベル3、4」想定の改正法成立_高速道自動運転来年実現へ前進・過疎地の移動手段補う)をご覧ください

Follow_Up:2019年6月18日、政府・高齢事故防止策として自動ブレーキ車限定免許を検討へ

以上

母方親族の戦争体験

-はじめに-

先日、昨年末に亡くなった従兄の”偲ぶ会”に行って参りました。諏訪湖を臨む高台にある古刹「地蔵寺」で行われましたが、この寺の墓地には母方親族の墓が多くあり、幼い頃から法事などで度々訪れる機会がありました

故人の墓石
故人の墓石

まず、墓前で献花し祈りを捧げた後、墓石に刻まれた墓碑銘を読んでいくと、終戦前後の故人の悲惨な体験、無念の思いが直に伝わってきました

私共の家族を含め、母方の親戚の多くは満州で終戦を迎えました。終戦の直前(8月9日未明)、日ソ不可侵条約を一方的に破棄(注)してソ連が満州に雪崩れ込んできてから、それまでの生活が一変し、引揚までの一年間、地獄のような生活が続きました。劣悪な生活環境の中で病気や栄養失調で老人や乳幼児など弱い者から次々と命を落としてゆきました
(注)1945年2月に行われた米・英・ソ3国による秘密会談(ヤルタ会談)で、ドイツ降伏(同年5月8日)後90日以内のソ連の対日参戦が決められていました。一方、大本営は同年5月、ソ連の侵攻を予測して満州の4分の3を放棄し、南満州で持久戦に持ち込む計画を決定しました。この作戦計画に基づき、全満州で所謂”根こそぎ動員“を行うと共に、主力部隊を南に後退させることになりました。この結果、この作戦について何も知らされず取り残された放棄地域の開拓農民や一般住民は、男手の無い中でソ連軍の無慈悲な攻撃に晒される結果となりました

関東軍の対ソ作戦地域とソ連軍の侵攻ルート
関東軍の対ソ作戦地域とソ連軍の侵攻ルート

-母方親戚の戦争体験-

母方祖父母の子供達の中で、長男家族_A、三男家族_B、四男家族_C、五男家族_D、次女(私の母)家族_E が終戦時に満州に住んでおり、それぞれ悲惨な体験をしました。以下の二冊の本は、諏訪地域の人々の戦争体験を後世に伝えるべく多くの手記や和歌を集め、(株)長野日報社から出版されたものです;

戦争はいやだ平和を守ろう会
戦争はいやだ平和を守ろう会

この中から、私の親戚が寄稿した手記、和歌を以下にご紹介したいと思います;

家族_Aの長男の手記 ⇒ 竹田純人
家族_Aの長女の手記 ⇒ 塚原節
家族_Aの長女の和歌
灯火管制下に征きたる君の離(さか)りゆく長靴の音を今もなほきく

家族_Bの長男の手記 ⇒ 竹田静夫 --- 昨年末に亡くなった従兄です
家族_Bの長男の和歌
緑なす博多に引き揚げし母子吾ら征きたる親父(ちち)よ生きて帰って
尚、この他に上記の本には掲載されませんでしたが、「偲ぶ会」では以下の秀作も紹介されました;
負け戦知りつつ親父赤紙で母を頼むと十二のわれに
弟の骨箱開けてばらまいて金品探るロシア兵
引揚げて松のみどりのまぶしさよ親父信二よふるさとの土
谺(こだま)する諏訪湖の花火孫といて凍土に眠る父に献杯
家族_Bの長女の手記 ⇒ 小口陽子
家族_Bの長女の和歌
四十二歳父赤紙で北満へ征きて帰らず「英霊」一枚

家族_Cの長男の和歌;
吾を背のリュックに入れて引き上げし亡父(ちち)の苦節を今にし思ふ

家族_Dの長女の和歌;
シベリアから父帰りきて川の字に寝たるうれしさ六歳の夏

家族_Eの長男の手記荒井威雄
家族_Eの次男(つまり”私”)は終戦の年に生まれ、母に背負われて引揚げましたので、全く記憶がありませんが、父母から聞いた終戦前後の状況は、私のブログにある記事:生立ちの記 をご覧ください

-海外居留民引き揚げの全体像-

1945年8月14日ポツダム宣言受諾を連合国に通告し、翌15日に終戦の詔勅が発布されソ連を除く連合国との戦争はほぼ停止状態になりましたが、ソ連軍との戦闘は続き、完全な停戦が実現するのは、満州、南樺太、南千島のソ連の占領が終る9月5日になりました。その後、在外軍人・軍属、一般人は、自身の判断で行動することは許されず、以下の法令に基づいて取り扱われることとなりました;
ポツダム宣言第9項
日本国の軍隊は、完全に武装解除されたのち、各自の家庭に復帰し、平和的で生産的な生活を営む機会を与えられる
日本政府の対応
外務省は現地の状況を認識できぬまま、ポツダム宣言の受諾を決定した8月14日に、大東亜大臣・東郷茂徳は、以下の訓令を出しました;
三加国宣言(ポツダム宣言のこと:米国、英国、中華民国)受諾に関する在外現地機関に対する訓令」:「居留民は出来得る限り定着の方針を執る
支那派遣軍の対応
支那派遣軍総司令部の「和平直後の対支処理要領」のなかで「支那居留民は、支那側の諒解支援の下に努めて支那大陸に於いて活動するを原則とし、、、その技術を発揮して支那経済に貢献せしむ」としています
GHQの対応
連合軍総司令官マッカーサーによる「日本政府宛一般命令第一号」によって、それぞれの軍管区の司令官のもとに降伏することとなった。その結果、全ての日本人は軍管区ごとの連合軍の支配下に入り、日本人の取り扱いに関しては、各軍管区の軍隊ごとに大きな違いが発生しました。また、連合軍の指示により、陸海軍部隊の移動を優先し、一般人の移動は後回しになりました
8月15日の時点で海外の居留民は、軍人・軍属が353万人(陸軍:308万人、海軍:45万人)、一般人は300万人で、合計653万人もの膨大な人数に上ります。軍管区毎の内訳は下の通りです;
中国軍管区
対象区域:旧満州地区を除く中国全土、台湾、北緯16度以北の仏領インドシナ(北ベトナム)
在留全日本人:約312万人(在外日本人の47%)
ソ連軍管区
対象区域旧満州地区、北緯38度以北の朝鮮(北朝鮮)、南樺太、千島列島
在留全日本人:約161万人(在外日本人の24%)
イギリス・オランダ軍管区
対象区域:アンダマン諸島、ニコバル諸島、ビルマ、タイ、北緯16度以南の仏領インドシナ(南ベトナム)、マライ、スマトラ、ジャワ、小スンダ諸島、ブル島、セラム島、アンボン島、カイ諸島、アル諸島、タニンバル及びアラフラ海諸島、セレベス諸島、ハルマヘラ諸島、蘭領ニューギニア
在留全日本人:約74万人(在外日本人の11%)

オーストラリア軍管区
対象区域:ボルネオ、英領ニューギニア、ビスマルク諸島、ソロモン諸島
在留全日本人:約14万人(在外日本人の2%)

米軍管区
対象区域:日本の委任統治諸島、小笠原諸島、その他の太平洋諸島、日本に隣接する諸小島、北緯38度以南の朝鮮(南朝鮮)、琉球諸島、フィリピン諸島
在留全日本人:約99万人(在外日本人の15%)

イギリス・オランダ軍管区オーストラリア軍管区および沖縄を除く米軍管区からの引揚は、B、C 級戦犯(下記注参照)の容疑者を除き、引揚船の手配が付き次第概ね順調に引揚が行われました
また、中国軍管区も、B、C 級戦犯の容疑者を除き、引揚船の手配が付き次第概ね順調に引揚が行われました

引揚者は、以下の18の港湾から日本に上陸しました;
浦賀、舞鶴、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島、函館、大竹(広島県)、宇品(広島県)、田辺(和歌山県)、唐津、別府、名古屋、横浜、仙崎(山口県)、門司、戸畑

(注)B、C 級戦犯とは;
“B”級戦犯:「通常の戦争犯罪」、”C”級戦犯:「人道に対する罪」で、世界49ヶ所の軍事法廷で裁かれました。被告となった約5千7百人の内、約千人が死刑判決を受けたと言われています。これに対して、”A”級戦犯は、政治家、高級軍人を対象として「平和に対する罪」で裁かれました(東京裁判/極東国際軍事裁判)

中国、南樺太、南千島からの引揚げに関わる特記事項
1.中国山西省に駐屯していた北支派遣軍5万9千人のうち約2千600人は、武装解除を受けることなく残留し、中国国民党系の軍閥(閻錫山将軍)に合流し、終戦後約3年半にわたって第二次国共内戦を戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となりました(日本軍山西省残留問題
2.ソ連軍管区では、日本人の引揚に全く無関心であり以下の様な悲劇が生まれました;
ソ連軍による抑留:ソ連軍が進駐した満州、南樺太、南千島では、ポツダム宣言第9項に違反し、軍人の大半(約65万人:諸説があります)を捕虜としシベリア各地に抑留し、強制労働が課されました。極寒の地で十分な食料も与えられず、約10%の人が命を落とした言われています
ソ連抑留
ソ連抑留(ラーゲリ:収容所)
② 満州からの引揚げ:満州に取り残された日本人は約105万人。ソ連軍の撤退が本格化する1946年3月まで引揚げは全く行われませんでした。ソ連軍撤退後に進駐した中華民国軍が米軍の輸送用船舶を使って引揚を実施しました。1946年内には中共軍支配地域を含めて大半の日本人が引揚げていきました
しかし、若い女性など一部の人は中共軍に拉致され、第二次国共内戦に参加しました。 満州在住の日本人の犠牲者は、日ソ戦(9月初旬まで続いた)での死亡者を含め、約24万5千人に上り、このうち8万人近くを満蒙開拓団員が占めています。満蒙開拓団の悲劇については、私のブログにある記事:「麻山事件」を読んで をご覧ください
南樺太、北朝鮮、および大連のソ連軍占領地区からの引揚げ:南樺太に取り残された日本人は約40万人。1947年2月、ソ連は南樺太をソ連領に編入(根拠:ポツダム宣言第8項:「カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国、並びに我々の決定する諸小島に限られる」)し、ソ連の施政下でロシア人と同じ労働条件で生活することとなりましたが、正式な引揚が開始される前までに約2万4千人が密航により北海道に逃れたと言われています
1946年春以降、米ソ間で南樺太、北朝鮮、大連のソ連軍占領地区からの引揚が協議され、同年11月27日に「引揚に関する米ソ暫定協定」、同年12月19日に「在ソ日本人捕虜の引揚に関する米ソ協定」が締結され、引揚が開始されました。1949年年7月の第5次引揚まで29万2千590人が引揚げました。しかし、朝鮮人家族のいた人や、ソ連に足止めされた熟練労働者らは少なくとも1500人が南樺太にとどまりました
-祈りにかえて-
私の家族、親戚にとって満州での悲惨な体験は、その後の人生に大きな影を落としています。侵略した国に残された国民は、何故日本という国が行った侵略行為の犠牲とならねばならないのか、、、、
満州における一般人の犠牲者数は、東京大空襲、広島・長崎の原爆、沖縄戦の犠牲者を凌ぐ規模です。しかも、敵意に囲まれ、死と向かい合っていた長い時間は、どれほど引揚者の心を蝕んだか想像に難くありません
戦後、徹底的な”民主教育”を受けた我々の世代は、大日本帝国によるアジア・太平洋地域における侵略を負の遺産として引き継ぐことを徹底的に叩き込まれており、悲惨な引揚体験を”怨み”に変えることすらできませんでした。満州引揚げや、シベリア抑留に関し、国民レベルで行う追悼の日が設定されていないのも、こうした事が背景にあるのかもしれません
終戦後の引揚げに関わるこのネガティブな歴史を、悲しみの記憶として薄れるのを待つのも一つの生き方でしょう。また、悲惨な体験を二度と繰り返さない様に、積極的に若い人たちに体験を伝えていくことも非常に価値ある生き方であると思います
一方で、戦後の混乱した状況の中で、徒に死者を増やした行為や、こうした混乱の中にあっても人間としての誇りを失わずに戦った人の行為も、歴史に埋もれさせるのではなくきちんと調査し、次代を担う若者たちにも伝えていくことも重要であると思います。例えば、以下の事例についての私の見解を述べておきたいと思います;
1.大本営が1945年5月に決定した”根こそぎ動員“と、”主力部隊の南満州移転“の作戦は、結果として、何の告知もされないままに北満に取り残された”女、子供、老人ばかりの開拓農民“、青少年で構成され、ソ満国境に配置された”満蒙開拓青少年義勇軍“の救いようのない残酷な死を招きました。少なくとも本土では行なわれていた学徒疎開のような弱者を救う計画が、この作戦と並行して行われていれば、北満の悲劇のかなりの部分は防げたはずです。これを行わなかった大本営、関東軍の指導者、とりわけ参謀は、日本人自身による戦犯裁判で断罪すべきであったと思います
2.中国山西省に駐屯していた北支派遣軍のうち約2600人が、終戦後第二次国共内戦に参加し650名が戦死した裏には、北支派遣軍の司令官である澄田中将が、戦犯を免れ帰国するために、軍閥である閻錫山将軍と取引をした結果であると言われています。こうした部下をも裏切る卑怯な行為は、日本人自身による戦犯裁判で断罪すべきであったと思います
3.戦陣訓」を徹底したために、投降することをせずに無駄な死を強いられた兵士が無数にいました。また、沖縄戦や、引揚途中での一般人の集団自殺も、この戦陣訓の影響があったとも言われています。これを作成した責任者である東条英機大将は、東京裁判で「平和に対する罪」で死刑になっていますが、日本人自身による戦犯裁判でも断罪すべきであったと思います
4.ソ連軍の圧倒的な侵攻に対して、ろくな兵器も支給されずに戦い、死んでいった兵士も沢山います。こうした兵士に対する尊崇の念も、忘れてはならないと思います
以上

 

「100年時代の人生戦略」を読んで

-はじめに-

本書を読むきっかけになったのは、2017年2月18日にNHK・BS1スペシャルで放映された「ダボス会議2017どう生きる?人生100年時代」を観たことです。このパネルディスカッションには、以下のメンバーが参加していました;
司会者:河野憲治、NHK社員(今年3月まで”ニュースウォッチ9”のメインキャスターをやっていた)
パネリスト
1.デイビッド・B・エイガス:南カルフォルニア大学・医学部教授(ガンの権威、最先端医療の知識が豊富)
2.リンダ・グラットン:ロンドン・ビジネススクール教授(下記)
3.佐藤康博:みずほフィナンシャル・グループ CEO
4.ウィリアム・フランシス・モルノー:カナダ財務大臣(年金システムに詳しい)

ディスカッションは、概ね今回紹介する本の内容に沿って行われましたが、上記エイガス教授から、今回紹介する本の中では触れられていない以下の興味深いトピックが提供されました;
* 人間は120歳まで生きることが可能 ←(最近細胞が老化することを防ぐタンパプ質の存在が発見された)
ビッグデータの活用で、今後多くの新薬の発見が期待できる ←(最近、ビッグデータの解析から安い血圧の薬が卵巣がんに効くことが判明した ⇒ 4.5年の延命効果が期待できる)
* 退職を1年遅らせると、アルツハイマー病のリスクが3%低下する →(頭脳を使い続けることがアルツハイマー型認知症の予防になる)

著者の経歴、その他
1.Linda Gratton:ロンドン・ビジネススクール教授、人材論、組織論の世界的権威、二年に一度発表される世界で最も権威ある経営思想家ランキング(50人)では2003年以降毎回ランキング入りを果たしている。また英タイムズ紙「世界のトップ15ビジネス思想家」に選出されている
2.Andrew Scott:ロンドン・ビジネススクール経済学教授、前副学長、オックスフォード大学のフェロー、欧州の主要な研究機関であるCEPRフェローを務めてい居る
本書の発行日は
原本“The 100-Year Life”初版発行:2016年6月2日
邦訳初版発行:2016年11月3日

以下は、この本の大まかな内容のご紹介です;

-この本のベースになっているデータ-

この本では、「人間の寿命が今後どう変わってゆくか」が最も重要なデータ(結論を左右する)になっていますが、これは以下のグラフで説明されています

ベストプラクティス平均寿命

“ベストプラクティス平均寿命”とは、平均寿命世界第一位となる国(先進国のみが対象)の平均寿命のことです。これを時系列で並べたものが上のグラフになります
上のグラフを見れば明らかな様に、過去100年近く、ほぼ一直線に平均寿命が伸びてきたことが分かります

次に重要になるのは、このグラフの傾向のままに寿命は本当に伸びていくのか?、また限界があるとすればそれは何歳か?、ということになります;
1.過去の平均寿命上昇の理由
* 1920年代の平均寿命の改善は子供の死亡率低下が大きい。結核、天然痘、ジフテリア、チフスなどの子供の命を奪った感染症の多くが抑え込まれた為
* 次に、中高年の疾患、特に心臓血管系の病気とがんの対策が大きい。また、病気の早期発見、治療と処置の改善、禁煙などの啓蒙活動の強化により、次第に健康水準が向上した
2.人間の寿命に上限はあるか?;
人間の寿命の上限については以下の三つの考え方がある;
悲観論者は、栄養状況の改善や乳幼児死亡率の低下はこれ以上見込めず、逆に歩かないライフスタイルや肥満によって平均寿命の上昇は足を引っ張られる
楽観論者は、啓蒙キャンペーンの効果は今後も大きく、それがテクノロジーのイノベーションと組み合わせることによって、平均寿命はまだ上昇し続ける
超楽観論者(レイ・カーツワイル/グーグルの人工頭脳チームのリーダー;テリー・グロスマン/医師)は、医学的アドバイスに従い、好ましい生活習慣を実践、バイオテクノロジーによる医療革命の恩恵に浴す、ナノテクノロジーのイノベーション(人工頭脳とロボットが老いた体を分子レベルで修復する)、の3ステップを経て数百年の寿命を手にすることができる
3.本書の著者は寿命の上限をどう考えているか?;
ベストプラクティス平均寿命の延びが鈍化していないことから、平均寿命は110~120歳まで上昇し続け、その後伸びが減速する、という楽観論者に近い考え方を持っています

次に上記の推論を前提にして、「現在生きている人は何歳まで生きられるか?という問いに応えなければなりません。その為には、平均寿命に関し以下の二つの理論を知っている必要があります;
ピリオド平均寿命:各年齢に現在までの実績に基づく平均余命を加えて平均寿命を算定したもの
コーホート平均寿命:各年齢に今後の平均余命が伸びるという前提で平均寿命を算定したもの
本書では、コーホート型の平均寿命を採用しています。平均余命は、あくまで現在までの実績をベースのしていますので、上で述べた平均寿命の延びが計算に入らないことになります
尚、年金制度の設計など、経済分野で平均寿命の推計を行なう時には、現在ピリオド平均寿命を使っており、結果として平均寿命を大幅に過小評価することになります。これが、年を追うごとに年金原資が足りなくなっていくという日本の現状をよく説明しています

こうした基本データを基に、本書でケーススタディー(ジャック、ジミー、ジェーン)を行っている3世代の平均余命を算出すると以下の様な驚くべき結果になります;
① ジャックの世代:1945年生まれ平均寿命が70歳前後
② ジミーの世代:1971年生まれ、平均寿命は85歳前後
③ ジェーンの世代:1998年生まれ、100年以上生きる可能性が高い

これを見て驚いたことは、ジャックは私と同じ年齢ジミーは私の子供達と同世代ジェーンは私の孫たちとほぼ同世代になります

―我々の世代はどんな人生なのか-

人生を考えるに当たって、本書では「ステージstage”」という言葉を使っています。ステージの意味を辞書で調べれば、あるプロセスの”段階、局面、時期”、となっています。例えば、地球の歴史でいえば「氷河期」の“期”に相当すると考えていいと思います

我々の世代の人生を、この“ステージ”で表現すると;
1.生まれてから就職する迄の時代(教育の期間):20年前後
2.職に就いている時代(労働の期間):40年前後
3.退職後死ぬまでの無職の時代(余暇の期間):?年間
の様な、3ステージの人生”と呼ぶことができます。我々は、この3ステージの人生をなんの疑いもなく送ってきた訳ですが、最近寿命が伸びたお陰で、退職後の時代が、職に就いている時代に匹敵するほど長くなってきた結果、年金システム(公的年金、企業年金)の破綻が叫ばれるようになりました

年金のシステムは、大まかに言って、確定給付年金確定拠出年金に分けられますが、以下の様にいずれも退職時期を固定し、退職後の期間が長くなれば破綻するのは当たり前の事です;
確定給付年金:給付額を固定し、給付のための原資は、受給者の退職前に積み立てたお金と現在働いている人が積み立てているお金(企業の補助金、税制優遇措置を含む)が充当されます。基本的に公的年金(国民年金、厚生年金、など)や一部大企業の企業年金がこれに相当します ⇒ 退職者が増加し、労働人口が減りつつある日本などは破綻することが明白です
因みに、老齢従属人口指数(労働人口に対する引退人口の割合)の実績及び今後の予想によれば、1960年、日本は10%(引退人口1人に対し10人の勤労人口が支える)だったのに対し、2050年ではこの数字が70%(引退人口1人に対し1.4人の労働人口が支える)に達すると予想されており、持続可能性が危ぶまれています
確定拠出年金:給付のための原資は、受給者が退職前に積み立てたお金(企業の補助金、税制優遇措置を含む)であり、退職後の期間が長くなれば受給額が目減りしてゆきます

こうした矛盾に対応するため、先進諸国では“定年延長”や年金原資に充当するための増税(日本では”消費税”の増税)などの対応を取っておりますが、上記を勘案すれば長寿化の流れに追いつくとは到底思えません

本書では、ジャック、ジミー、ジェニー、それぞれの世代が、3ステージの人生を送った場合、どのような結果になるかをケーススタディーしています;
シミュレーションの前提は以下の通りです;
1.老後の生活資金を、最終所得の50%とする
2.長期の投資利益率をインフレ率を除いて3%する(リスクの殆ど無い投資と、リスクの高い投資を組み合わせる。税・手数料引き前)
3.所得上昇のペースを年平均4%とする
4.ジャックは62歳で引退、ジミーとジェニーは65歳で引退する

ケーススタディーの結果は;
ジャックの世代:妻は専業主婦(一時パートで働いた時もあった)、主たる稼ぎ手は常にジャック、62歳で引退、70歳で死去。老後の生活資金は3種類(公的年金、企業年金、個人の貯え)、現役時代に老後のために所得の4%あまりを蓄えることは難しい事ではなかった

ジミーの世代:65歳まで働いて引退する積り。企業年金は受給できない。年金改革は進められるものの、公的年金は最終所得の10%程度にとどまる。退職後、最終所得の50%確保するためには、毎年所得の17%を貯蓄に回さねばならず非常に難しい

ジェニーの世代:65歳での引退を前提に3ステージの人生を送るという生き方は最早不可能。何故なら、最終所得の50%の老後生活資金を確保するには、労働期間に毎年所得の25%も貯蓄しなければならず、しかも、ここには住宅ローンの返済や子供の学費が入っていない。また、公的年金の10%も受給できる蓋然性は低い

このケーススタディーの結果から得られる結論は、ジャックの世代は3ステージの人生が適していたのに対し、長寿時代のジミーやジェニーの世代では、3ステージの人生は経済的に成立しないことになります
言い換えれば、何の対応もせずにこのまま推移すれば、私たちの子供や孫の老後には、惨めな貧困が待っていることになります。勿論、幸運にも億万長者になれた人や莫大な遺産が転がり込んだ人は別ですが、、、 こうした幸運に恵まれない一般の人は、働く期間を延長するしか対応しようがないということになります

なお、上記ケーススタディーでは、私と同い年のジャックは70歳で死去しています。現在の日本では、このケーススタディー以上に長寿化が進んでおり、不肖私も70歳を超えて生き続けて!おります。日本では、私の世代でも3ステージの人生は現実に合わなくなっているのかもしれません

-子や孫の世代はどんな人生になるのか-

前段で述べたように、子や孫の世代は、好むと好まざるとに関わらず多くの人が人生の長い期間働くことになります。しかし、我々の世代でも40年は長い労働人生でしたが、これが70年、80年間働くことになればどの様な問題が考えられるでしょうか?
本書では、以下の様な問題点を指摘しています;
1.人生の最初に選択した職業が自身の適性に合っていなければ、長い労働生活に耐えられないのではないか?
2.近年の人工頭脳(AI)やロボットの進化の速度を考えれば、業種によっては働き続けることが難しくなるのではないか?
3.同じ仕事を一生涯続けていくことの単調さに耐えられるかどうか?

この様な問題点を克服するために、本書では3ステージの人生をではなく、マルチステージの人生が必然になる時代が来ると予測しています

一方、長寿となった人生を実りあるもの(生きがいのある人生とするために、企業で働くというステージの他に、以下の様なステージの選択肢を用意する必要性を説いています;
1.エクスプローラー:エクスプローラーという言葉は、一般に”探検家”と訳しますが、本書では、「興奮、好奇心、冒険、探査、不安、一か所に腰を落ち着けるのではなく、身軽に、機敏に動き続ける」活動というイメージになります。敢えて言えば、戦中世代を代表する作家である小田実が、「何でも見てやろう」という本の基になった、若い時代の世界放浪の旅のイメージでしょうか
このステージは、発見の日々となります。旅をすることにより世界について新しい発見をし、併せて自分についても新しい発見ができるステージになります
また、このステージは、自分を日常の活動から切り離すことから始まります。ただ、観光客が旅先の町を見物する様な態度では、大きな成果は得られません。望ましいのはこのステージで多くの人との係わりを持つことです
私とって何が重要なのか?」、「私が大切にするものはなにか?」、「私はどういう人間なのか?」など、具体的な問いをもって探索に出る場合もあれば、「はしゃいで跳ね回ること」が目的であってもいい。こうした冒険(何を見て、誰と出会い、何を学ぶか)を通じて得られるストーリーが未来の人生の指針になります

2.インディペンダント・プロデューサー:普通に翻訳すれば”起業家”ということになりますが、ここでは今までの起業家とは性格の異なる新しいタイプの起業家になったり、企業と新しいタイプのパートナー関係を結んで経済活動に加わることも含めています
旧来のキャリアの道筋から外れて、自分のビジネスを始めた人たちがこのステージに入ります
また、インディペンダント・プロデューサーは、自分の職を生み出す人であり、人生のどの段階にある人でも実践できます

3.ポートフォリオ・ワーカー異なる仕事を同時並行的に行うステージです
ポートフォリオ・ワーカーを、様々な可能性を探索し、実験するために積極的に選択する人もいれば、やり甲斐のある仕事に就けないために、不本意ながらそれを選ぶ人もいます
企業幹部などに100年ライフを説明した後でアンケートをとると、以下の様な活動を組み合わせたポートフォリオ・ワーカー型の生き方を選ぶ人が多い様です;① 所得の獲得を主たる目的とする活動、地域コミュニティとの係わりを主たる目的とする活動、親戚の力になるための活動、趣味を極めるための活動、など
スキルと人的ネットワークの土台が確立できている人は、高い価値を生み出せるポートフォリオ・ワーカーになることができます
ポートフォリオ・ワーカーの核になるのは、有給の仕事です。企業のCEOであった人は、どこかの取締役に名を連ねることなどの選択肢を採ることができます
一方、過酷な労働人生を送ってきた人は、楽しく過ごしたり、社会に貢献したり、友人と過ごす時間を選択肢に加えることができます
ポートフォリオ・ワーカーは、以下の三つの側面のバランスを取ることになります;支出をまかない貯蓄を増やすこと、過去の経歴とのつながりがあり、評判とスキルと知的刺激を維持できるパートタイムの役割を担うこと、新しい事を学び、やり甲斐を感じられるような役割を新たに担うこと

上記のような仕事のステージを組み合わせて、自分に適したマルチステージの人生を設計するにあたって、本書では、貯蓄などの“有形の資産”だけでなく、下記の様な”無形の資産“の構築を自身のステージに適切に組み込んでいかなければ、長寿がもたらす恩恵を享受することはできないと言っています;
1.生産性資産:仕事で生産性を高めて成功し、所得を増やすのに役立つ要素で、スキル知識が主たる構成要素になります
2.活力資産:肉体的・精神的な健康幸福感(友人関係、パートナーやその他の家族との良好な関係、など)
3.変身資産:“自分についてよく知っていること”、“多様性に富んだ人的ネットワークを持っていること”“新しい経験に対して開かれた姿勢を持っていること”。このタイプの資産は、旧来の3ステージの人生ではあまり必要とされませんでしたが、マルチステージの人生では、あるステージから次のステージに移行する時に必要な資産になります

<ケーススタディー(マルチステージへのチャレンジ)>

ジミー(我々の子供たちの世代)のマルチステージの人生
途中まで3.0ステージの人生を送ってきた
が、50歳になって変化の速いテクノロジーの世界で、自身のスキルが時代遅れになり職場で脇役に追いやられてしまった。有形の資産をチェックすると65歳で引退するには貯えが足りないことに気づいた
1.3.5ステージの人生
ケース1:会社時代の古い友人が近所の社会人大学で学長をやっており、彼に誘われて、週一回夜間の講義を行う生活に入る。給料は減るものの、自分の能力は生かせるという実感が生まれると共に、仕事と家庭のバランスも生まれる。しかし、お金にゆとりはなく、多くの友人達ほどには夫婦での旅行は楽しめない。大学ではよき同僚と評価されてはいるが、1年たつごとに自分の知識と経験が古びていくことを痛感し、71歳で寂しい引退となる
ケース:夫婦の古い友人の紹介で、隣町の店の手伝いと他のスタッフの監督を行うことを頼まれる。給料は大したことは無いが、社交的な生活なので仕事そのものはそれなりにたのしい

3.5ステージのシナリオは、資金計画を成り立たせる助けにはなり、活力資産をはぐくむための時間がたっぷり確保できる。しかし、生産性資産を充実させたり、変身資産を活用したりすることはほとんど無い。追加の0.5ステージは3ステージの人生の付録程度の意味しか持たない

2.4.0ステージの人生
ケース1ポートフォリオ型の新ステージを選択)
45歳の時、立ち止まって自身の人生とまわりの世界を考えてみたところ、このままでは、資金計画が成立しないことと、自身のスキルがいずれ陳腐化することに気づく。しかし、新しいスキルを習得すれば、業界内の高成長分野に転身できる可能性が高まることが分かり、妻と相談してチャレンジすることを決心する
週末、休暇を使って研修プログラムに参加し、最終的に業界でよく知られた証明書を受け取り、この資格を有効に使って条件のいい会社に転職した。一方、妻もフルタイムで働ける職場で働きはじめた
新しい会社は、ジミーに有給の研修の受講を認めてくれたため、仕事の傍ら、3年間かけてマネージメント能力、アウトソーシング手法、ロボット工学などを学んだ
更に、上級レベルのプロジェクト・マネージメントと研修プログラムに参加し、プロジェクトマネージャーの世界規模の人的ネットワークを築いた
*65歳になったジミーは、二つめの企業も退職し、望み通りポートフォリオ型ライフを始めた。価値の高いスキルを持っているおかげで、刺激を味わえる仕事を得られ、70代後半になっても、まだ仕事の依頼がある

ケースインディペンデント・プロデューサー型の新ステージを選択)
45歳の時、会社の仕事は過酷で、家庭の負担も大きいことに耐えられなくなってきた。家計の維持と住宅ローンの返済で、現在のままでは70歳で老後資金が必要なだけたまらない事が分かった。そこで、余暇時間の一部をレクレーション(=娯楽)ではなく、リ・クリエーション(=創造)にするために使い、起業に向けた準備を始める
起業の為の準備として、仕事の傍らサイド・プロジェクトを行い、起業後の仕事の感触を探り始める。また、地元の企業家クラブに加わると共に、会計とマーケティングのオンライン講座も受講する
現在住んでいる町は規模が小さく、起業後の顧客があまり存在しないことが分かった為、会社の上司に掛け合って、大都市の拠点に異動を願い、叶えられる。大都市の拠点には、中小企業が多く集まりビジネスが盛んだ。新しい町に引っ越すと、早速これらの人との人脈づくりを始めた
*48歳の時、企業設立の準備が整うと同時に、夫婦で支出を細かく見直し、出費の少ないライフスタイルに変更し、質素な生活を心掛けるようになった。これにより、いざという時の貯えを少し増やすことができ、倹約生活にも慣れることができた
*49歳になって、友人と一緒に会社を設立。二人の地元のコネを通じて最初に二つの顧客を獲得し、人的ネットワークを利用して海外の提携企業と緊密に協力することにより、低コストで高いサービスの提供を始めた

二つのシナリオのまとめ
ポートフォリオ型にしろ、起業家型にせよ、4.0シナリオを実践するためには、現在の状況にしっかり目を開き、待ち受けている未来をじっくり検討しなくてはならない
いずれのシナリオでも、ジミーは勇気をもって大きな変身を遂げ、自分を「再創造」させたが、簡単な道ではない。また、目指す人すべてが成功するわけではない
成功を収める人たちにとっても、変化はストレスを伴う試練と感じられるだろう。こうした局面で重要になるのは変身資産である
二つのシナリオは、いずれも有形の資産と無形の資産を構築・増強でき、更に老後の生活資金を増やし、生産性資産と活力資産も増やすことができる
二つのシナリオの重要な違いは、起業家型の新ステージは、お金の面でも無形の資産の面でもよりリスクが大きく、ストレスも大きい。一方、ポートフォリオ型の新ステージは、夫婦が一緒に過ごせる時間を多く確保できる。どちらを選ぶかは、本人の嗜好と状況次第だ

ジェーン(我々の孫たちの世代)のマルチステージの人生
ジェーンの人生は非常に長いので、有形の資産と無形の資産の両方で問題が持ち上がり、3.0シナリオや3.5シナリオは実践不可能になる。従って、ジェーンは、4.0シナリオ、か5.0シナリオを生きるしかないことになる。長い年数働き続けるためには、無形の資産への大々的な再投資を行い、自らを再創造して変身を遂げなくてはならない

5.0ステージの人生
*21歳の時、自分が100年以上生きる可能性が高いことを前提に人生の選択を行う。そこで人生の進路について大きな決定を下すことを避け、さまざまな選択肢を模索することが必要と考えた。現代史を専攻して大学を卒業した後、旅に出る。その間、各種資産を築かないままに、不安定な雇用形態で働くことも厭わない。つまり、エクスプローラーとしての日々を送ることになる
アルゼンチンとチリへの旅行の途中、ブエノスアイレスに3ヶ月滞在し、スペイン語の集中講座を学び、技能検定試験にも合格する
料理好きなジェーンは、ラテンアメリカの期間限定の屋台に強い興味を抱く。自身もフィエスタ(お祭り)の日だけの屋台を始められないかと考え、流ちょうになったスペイン語を駆使して、他の都市のフィエスタ主催者と連絡を取り、実際の屋台ビジネスの経験を積む。収入は僅かだが、滞在費用をまかなうには十分である
この時期、ジェーンは楽しみながら、組織づくりのスキル予算策定の基礎、ラテンアメリカ各地のフィエスタ主催者とのコネも築く。帰国した後も、知り合った人たちとの人的ネットワークを維持する
*28歳になって、数人の友人とフィエスタ・ビジネスの会社を立ち上げ、インディペンデント・プロデューサーとして、組織に属さずに働く。初期の仕事は、幾つかのストリート・フィエスタの企画と運営であった。事業を立ち上げる人の多くと同様に、ジェーンは資金繰りに苦労するが、経験豊かなサムという人物と知り合い、イベントを手掛ける多くの起業家を紹介してもらったほか、資金調達に関して視野を広げるよう促された。オンライン上で不特定多数の人から資金を調達するクラウド・ファンディングで出資を募る
オンライン上での評判を確立する必要性に気づき、サムから“元気で面白い人物”というイメージ作りのコツを教わった。毎週ブログを更新し、フィエスタ主催者たちの間に熱心なファンを獲得してゆく。ジェーンは、自分についての知識を深め、人生の選択を間違えない様に有形の資産よりもむしろ、無形の資産(人的ネットワークの充実、評判の確立)の形成に多くの投資を行う

*35歳になった時、今後10年ほどで金銭的資産を築かなければならないと自覚した。オンライン上の存在感が高まったいたジェーンは、大企業の幹部たちの目にとまり、数社から入社を誘われる。食とエンターテインメントの分野での経験、質の高い人脈、新しい取り組みと顧客ニーズを取り込んできた実績が買われた。そこで、世界中の食関係のイベントを紹介したいと思っていた食品会社選んで入社、それなりの給料と地位を得た
*30代半ばで大企業に加わったジェーンは、意思決定が遅く、アプローチが官僚的である企業文化にすぐにはなじめなかった。しかし、いくつかの国際的な役割を歴任し、その都度給料が大幅に上昇すると共に、職業上のアイデンティティーは「ベンチャーの人」から「大企業の世界で活躍できる人」へと変貌した
ラテンアメリカで過ごした経験により、持続可能なサプライチェーンの構築という難題について、深い理解が得られたことに気づき、このテーマに関する知識を更に増やすために、専門のセミナーに参加。それを通じて、他の企業関係者やNGO関係者など接点がなかった人たちと人的ネットワークを築く
*37歳を迎えた時、人的ネットワークを土台に、アマゾン地方やルワンダのクループから、食品フレーバーの原料を購入するプロジェクトを立ち上げた。ジェーンはこのプロジェクトを通じて、ビジネスの実態を知り忙しい毎日を過ごす。持続可能なサプライチェーンに関する記事などで、頻繁にブログを更新したり、講演を行なったりして、職業上の評判を確立することにも腐心する

平均寿命が伸びても、出産に適した年齢は伸びないので、出産時期という大きな問題に直面するし、ブラジル旅行中に地元のNGOで働く男性と知り合い結婚する。ジェーンは37歳で長女を39歳で長男を出産する。ベビーシッターの力を借りつつ、夫婦で家事を分担して生活する
*43歳の時、新しい経営陣に代わり、今後の昇進は難しいと気づき、新しい選択肢の模索を始める
厳しい決断だったが、45歳の時に退職する。一家の所得は夫からのみとなり大きく落ち込むが、厳しいながらも破綻せずに済む
時間に余裕ができたジェーンは、学校に通う子供の世話、高齢の両親との時間を過ごしたりできるようになったが、数年先には仕事を再開すべきだと思うようになる。夫はジェーンが仕事を再開したら仕事を辞めて、自分の進む道を検討しようと計画している
ジェーンは、自身のアイデンティティーを見つめなおし、様々な選択肢について友人や知人の話を聞き、進むべき道を検討する。これは変身資産を強化するプロセスといえる
ジェーンは、所得を最大限増やすために人材採用の仕事を目指すことに決めた。必要となる生産性資産は、人間の心理に関する知識であることが分かり、2年間かけてオンライン講座で学び、大学で職業心理学の学位も取得する。
その後、ホテル、旅行、食品分野を専門とする人材会社に入社し、人材採用コンサルタントの道を歩み始める

*48歳の時、有形の資産の形成に力を入れる日々を送るが、この後15年間、同じ業界内で数回の転職を重ねたうえで、60歳の時にヘッド・ハンティングされて、業界屈指の大手企業の取締役に就く。これを機に、生産性資産を構成する要素が変わり始めた。社内の他のメンバーのメンタリングやコーチングの機会は増えると共に、その人たちの人的ネットワークの一員としての役割が大きくなる。一方、仕事は過酷で、出張も多く、家族のために避ける時間が無く、活力資産が底をつきつつある
*70歳の時、金の面ではうまくいくものの、友人達とは疎遠になり、夫との関係も緊張し、健康も悪化し始めた。そこで、活力資産を最優先にした生活に転換することを決める。子供たちにはもう手がかからず、夫婦で一緒に旅に出る
*72歳の時、リフレッシュしたジェーンは、キャリアの次の段階に移行することを望む。ただ、過酷な仕事や大幅に時間を制約される仕事にはつきたくない。それまで築いてきた変身資産でプロジェクトを計画する。様々な要素で構成されるポートフォリオ型の生き方を実践する;1年に30週は、週に1日ラテンアメリカのストリートチルドレンを支援する国際組織で働く、週に1日、ローカルな中規模の小売企業で非常勤取締役の仕事をする、2週間に1日は、地元の治安判事も務める
*85歳のとき、ジェーンは本当に引退する。これ以降は、孫やひ孫と過ごす時間を大切にし、毎年1回は、彼らを連れてアマゾン地方に出かけ、自分の人生で大切な意味を持った土地を訪ねる

-長寿化によって人間関係が変わる?-

本書が予測するところによれば、長寿社会が到来すれば、人生のあらゆる側面が変わると考えられます。ジェーンの5ステージのケースをご覧になれば分かる様に、夫婦やパートナー同士の関係はより長期のものになり、その間多くの変化を経験することになります。
また、子供の数は減るものの、孫やひ孫の家族が増え、高齢者と若者との関係が今より緊密になる機会が増えると思われます。仕事の世界も変わってゆきます。家族の多くのメンバーが職を持ち、70歳代や80歳代で働き続ける人も増えることになります。
また、職に就く女性が増えれば、伝統的な家族の在り方が崩れ、家族のメンバーが担う役割も大きく様変わりすると考えられます

<家庭>
長寿化の進行とマルチステージの生き方が一般化した結果、選択肢を残しておくために結婚の時期を遅らせること子育て期間の割合が縮小することが起こります。因みに、1880年には全世帯の75%に子供がいましたが、2005年にはその割合が41%%まで下がっています
子育てせずに人生のかなりの期間を過ごすことは、ジャックの世代(我々の世代)の夫婦の役割分担は説得力が大幅に低下します。性別役割分担が変わってきた要因には、家電用品・調理済み食品の普及により家事の負担が軽くなったこと、男女の賃金格差が縮小してきたことなども考えられます。パートナー同士で生産の補完性(夫婦の固定的な役割分担)が重要でなくなると、二人の間に純粋な関係が生まれと思われます。それは、不変の関係でもなければ、惰性で継続されるような関係でもなく、二人の間で調整を重ねていく関係となるはずで、相手と深く関わろうという意思が重要になります

経済的な面では、生産の補完性から「消費の補完性」の重要性が高まります。つまり二人の人間が、別々に大きな家を買ったり、休暇を楽しんだり、生活に必要なものを調達したりするより、二人で一緒の方が安く済むことは当然の事です
リスク分散の効果も見逃せません。何らかの理由で所得が途絶えた時、経済的に互いを支えることができます。これは近年、同類婚(自分と教育・所得レベルが近い人を結婚相手に選ぶ)の傾向がみられる一因かもしれません
本書では、多くの人が結婚を選択することを前提に話を進めてきましたが、事実婚やシングルファーザー、シングルマザーなど、様々な結婚の在り方が出現する可能性を否定する訳ではありません。しかし法律上の婚姻関係が、長期的であり、権利が法的に強く保護されており、離婚時の財産分与の仕組みなどが確立されていることなどを勘案すると、夫婦間で多くの調整が必要とされるマルチステージの人生では、むしろ結婚の重要性は大きくなると著者たちは考えています

<仕事と家庭>
仕事の世界で経済的な役割やキャリアの選択が変われば、家庭でのパートナーとの関係も変わってきます。OECDの調査では、1980年、25~54歳の女性で職に就いているか、職を探している人の割合はOECD加盟国平均で54%でしたが、2010年にはこの割合が71%まで上昇しています
*働く女性の割合は、未だに国による違いは大きい。男女の労働参加率の格差は、日本、イタリア、韓国などでは20%前後に達するのに対し、格差の少ないノルウェー、スウェーデンなどの国は5%未満となっています。この格差が大きい国は、女性が100年ライフの設計する際の選択肢が乏しいことになります
*現状では家事と育児をほとんどを女性が担っている国が多いものの、将来男女が家庭に等しく関わる様になれば、伝統的な性別役割分担の在り方が変革を迫られることは確実になります。マルチステージの人生では、家事と育児を主に担う役割をステージごとに交替してもいいと著者たちは考えています
*問題は、労働参加率の格差こそ縮小しつつありますが、賃金の格差が残っていることにあります。その原因の一つは、高い地位についている女性の数が少ないことにあります。多くの大企業で中級管理職の約30%を女性が占めていますが、全体としてみれば15%程度に過ぎません。ILOの報告書によれば、男女の賃金格差がなくなるまで、少なくとも70年かかると言っています

現状で柔軟な働き方を実践しているのは、もっぱら女性です。幼い子供の世話や、高齢の親や親族の介護をしたりする必要上そのような選択をすることが多いと考えられます
*自由裁量で仕事を進めやすい職(「融通性」の高い職)は、テクノロジーとサイエンスの分野であり、この種の職では男女の賃金格差が小さい
*今後こうした状況は、柔軟な働き方に対する人々の考え方、バーチャルテクノロジーが進歩するペース、業務が標準化される程度、高い地位にある男性が子供と多くの時間を過ごすロールモデルになる、などの度合いにより影響を受けると思われますます

ジェーンの5.0シナリオでは、夫婦が両方ともフルタイムで働く時期だけでなく、片方がフルタイムの仕事を離れて、育児や、知識の習得、ステージの移行への準備を行っていました
*マルチステージの人生の下、男性たちが柔軟な働き方を選択し始めた時、何が起こるか?;【悲観論】柔軟な働き方をする人が、男女とも低所得に甘んじ、結果として男女の賃金格差が縮小する、【楽観論】柔軟な働き方が企業や個人に課すコストを減らすために、仕事の在り方自体が根本から変わる。つまり、企業が仕事と年齢とジェンダーについて大きく発想を転換し、キャリア全体としては男女の生涯所得の格差が縮小に向かう
*いずれにしても、夫婦が役割を交替しながら、複雑に入り組んだマルチステージの人生を送るためには、夫婦の間で徹底的なする合わせを行うことと、強い信頼関係と協力関係を築いていることが不可欠であると著者たちは考えています

*現在、65歳以上の人の内結婚している人の割合は歴史上最も高くなっています。その割合は16~65歳の層と肩を並べるまでになっています。この背景には、寿命が伸びていること、夫婦の年齢差が縮小していること、再婚する人が増えているという要因があります(再婚に対する社会的偏見も薄らいでいるという事情もある)
*現在は、結婚年齢が上がり、離婚の割合が減り、再婚の割合も減っています。これは、結婚生活の土台が「生産の補完性」から「消費の補完性」に変わったため、結婚相手を選ぶ基準が変わって結婚が長続きするようになったこと、及び、結婚年齢が上昇し、人々が自分についての知識を多くもって結婚するようになったためと著者は考えています

<多世代が一緒に暮らす時代へ>
これまでの3ステージの人生では、同世代の人たちが一斉行進をする様に人生のステージを進むため、年齢層ごとに人々が隔離されて生きる欧米型の社会が出現しました。しかし、マルチステージの人生では、エイジ(年齢)とステージが一致しなくなり、大人が若々しく生きるようになる結果、世代間の関係に大きな変化が生まれます
*インドの様なアジアの国を訪れると、欧米ではめっきり見なくなった家族の在り方に目を見張らされます。子供と祖父母が一緒に暮らしている家庭が多く、子供たちは祖父母と多くの時間を過ごし、勤労世帯は親の支えを頼もしく感じられ、高齢者は自らが役割をもって貢献できると実感できている
高齢での孤独は寿命を縮めます。高齢者が家族の中で生きることには、確かなメリットがありますが、一方、多世代の同居は、プライバシーを確保できないことや、世代間で衝突が起きるなどの弊害もあります。
*40~50年前は欧米でもアジアの様に多世代同居型の家族が当たり前でしたが、現在では小規模な家族が一般的になっています。例えばデンマークでは、家族の構成員の数は平均してわずか2.1人過ぎません
*家族が多世代で構成されるようになれば、異なる世代が理解を深め合う素晴らしい機会が生まれます。また世代を超えた人間関係が築かれれば、年齢に関する固定観念や偏見も弱まるはずです。恐らく重要なのは、互いに親しみを抱き、世代間の触れ合いを長期的、安定的に続けることが重要になります

人類の長い歴史を通じて、人生の最大のイベントは出産と子育てでした。この時代、長生きすることの進化上のメリットは無かったと考えられます。寿命が延びれば、人生の中で子育てに費やされない時間が長くなる。その結果、友達付き合いが生活の中心になる時代が新たに出現するかもしれません
*最近の学生は、主たる人間関係として友達を重んずる傾向が強く、昔であれば家族に求めた様な温かみのある関係を友達に求めたいと思っています。このように、年齢的に均質な人的ネットワークの中でメンバー同士が付き合えば、その集団のアイデンティティが強化されます。その結果、生き方についてみんなが同じ考え方をしてしますことになります。
*問題は、年齢による分断が高齢者差別につながることです。異なる年齢層の人と交わらなければ、「我々対彼ら」という発想にはまり込み、固定観念と偏見を抱きがちになることになります ← (萩本欽一が70代で駒沢大学に入学し、そこでの経験を”週刊文春”に寄稿していますが、若い学生たちとの交流で、見事に年齢の壁を越えているのに驚きます)
*マルチステージの人生が一般的になれば、異なる年齢層の人たちが同じ経験をする機会が生まれます。心理学者のゴードン・オルポートの古典的な研究が明らかにしたことは、「固定観念と偏見を打破する手立ての一つは、集団間の接触を増やすこと」である
*年齢層の異なる人たちが触れ合う機会が増えれば、人的ネットワークの均質性が崩れはじめます。こうして高齢者が「別世界」の住人という状況は変わり始めるに違いありません

-本書を読んだ感想、その他-

本書は、引用文献のページだけで15ページに達することでご理解して頂けると思いますが、ビジネス分野における論文に近いものと思われます。論文であるが故に、出所の確かな文献を引用しながら、論理的な完璧性を目指していることは確かで、ぐうの音が出ないほどに筋が通っています
しかし、人生の選択は極めて個人的な問題であり、本書が勧めているマルチステージの人生が、すべての人に当てはまることはあり得ません。本書の著者も強調している通り、マルチステージの人生を送るためには、本人自身の覚悟と厳しい決断、不断の努力が必要となります。
従って、働かずとも十分に豊かで、余生を快適に!過ごしている人や、豊かではないものの、思索にふける孤高の人生を求めている人達には、本書が提供する”人生100年時代の人生戦略”は、全く役に立たない理論だと思います

いつの時代にあっても、大きな変革期には、私共の様な”普通の人々”が荒波に揉まれ、取り戻せない過去を悔やむことになります。
戦後70年を経て、人工頭脳(AI)、ロボット、クラウドサービスなどの先端科学が急速な進歩を遂げつつあり、産業構造が大きく変わろうとしています(本書ではこれを「スキルの価値が瞬く間に変わる時代」と表現しています)。また、生命科学・医療の進歩に伴い、着実に寿命が延びてきています。時代の大きな変革期にあって、我々の世代の人生設計の継続では、少なくとも子供や孫たちには、輝かしい未来は待っていないということは確かであると思います

振り返ってわが身を見れば、私自身が、突然の企業年金の大幅減額に慌てふためいて!いる現実がある一方、我が子3人の内2人は既に、苦しみながらではありますが、本書の定義による、エクスプローラーのステージ、インディペンダント・プロデューサーのステージ、ポートフォリオ・ワーカーのステージを経験しつつあり、更に、本人たちが意識しているかどうかは別にして、同類婚結婚の時期を遅らせることを実践している様であります

ところで、本ブログでは、終章で扱っている「自己意識」、「教育機関の課題」、「起業の課題」、「政府の課題」などは、敢えて本ブログでは触れていません。何故なら、ここでの提言はほとんどすべてが、それ以前の章で述べられているからです。ご興味のある方は下記の方法で添付のレジュメをご覧ください。尚、最近、安倍政権で取り組んでいる”働き方改革(働き方改革・実行計画要旨)”が、この流れにある事は間違いないようです

本書は、目次を見た時から内容が豊富で、ざっと読んだだけでは頭の中で内容が整理できないと思い、講義を受ける時の様にレジュメを並行して作りながら読み進みました。最初は、大学での半年の講義分の10ページ程度を予想していましたが、最終的には70ページになってしまいました。読み終わってから、レジュメの内容をチェックしてみると各章、各テーマで既述内容の重複が多いことに気が付きます。これは恐らく、著者たちが行ったロンドン・ビジネススクールでの講義をベースにして執筆された為ではないかと想像しています。逆にいえば、必要な章のみ(あるいは興味のあるテーマのみ)を読んでも、ある程度内容が理解できるようになっています。従って、このブログの内容をもっと深く知りたいという方のために、私の拙いレジュメ(Life Shift_読書メモ)も添付しました。ワードで作成してありますので、ダウンロードした後、最初の目次から、ご覧になりたいトピックにマウスを移動させ、”コントロール・ボタン”(キーボードの通常最下段の両端にあります)を押しながらマウスの左ボタンを押せば、そのページにジャンプすることができます

以上

 

 

「玄冬の門」を読んで

先週都心に出たついでに本屋に寄り、あちこち徘徊している内に目に止まって買って帰ったた本が二冊ありました。「日本共産党研究」(産経新聞政治部)と「玄冬の門」(五木寛之)です。昨日は雨模様で屋上菜園の仕事も出来なかったことから一気に読む通すことができました。

前者は、発行日が今年の6月1日となっていることから分かる様に、参議院議員選挙に向けて野党統一候補作りでリーダーとなった“元気のいい共産党を牽制するために急遽編集されたもののようです。内容は、概ね私が知っていることの域を出ないものでしたが、巻末に入っている最新の「日本共産党綱領」(2004年1月17日・第23回党大会)と年表「日本共産党の歩み」(1922年の結党の時から現在まで)は手軽な参考資料として使えそうな気がします。今日は丁度選挙の投票日、野党4党連合の思惑が叶うかどうかが決まる日になります

後者の「玄冬の門」は、発効日が6月20日の新書版で字が大きいので2時間もかからずに読み切ることができました。古希を過ぎた私にピッタリの内容だったので、5年ほど前の同著者の作品「下山の思想」と同様、これからの生き方の参考にしたいと思いました。読まれていない方の為に、内容の一部を以下に紹介します

中国では、人間の一生を以下の5つに分けて考えます;
① 青春:若々しい成長期
② 朱夏:社会に出て、働き、結婚して家庭を築き、社会的責任を果たす時期
③ 白秋:人生の役割を果たした後、生存競争から離れて静かな境地で暮らす時期
④ 玄冬:老年期

同著者の「青春の門」は、20代の中頃、文庫本が発行されてから読みましたが、当時の社会の状況や若者の考え方などがリアルに描かれており、ずいぶん夢中になって読んだ記憶があります。
玄冬の門」は、これと対になっている訳ではないでしょうが、「玄冬」の時期にある我々と同世代の人々が直面している困難な問題を、受け身ではなく自身で解決していく一つの道筋を提供している点で、非常に参考になると思いました

「絆」について
著者は「東日本大災害以降、“絆”ということが盛んに叫ばれましたが、私は、“絆”という言葉にはある種の抵抗感があります。もともとの言葉の意味は“家畜や動物を逃げないようにつなぎ止めておくための綱”という意味でした。我々、戦後に青年期を送った人間は、家族の絆とか、血縁の絆とか、地縁の絆とか、そういうものから逃れて自由な個人として生きることが一つの夢だった。ですから“絆”というのは、自分を縛る鬱陶しいものという感覚が強かったのです」と言っていますが、わたしもあの大災害以降、なにか人間関係の理想のような形で世間に流布している「絆」という言葉に違和感を感じている一人です。

高齢者と若者との間の「階級闘争」:
高齢者の数がどんどん増えていって、若者の数が相対的に減っていく状況の中で、重い年金の負担と、厳しい労働条件の中で働くことを強いられている“貧しい若者”と、働かずに年金と貯蓄で“豊かな暮らしをしている老人”という対立構造は、確かに「階級闘争」と言ってもおかしくない現象かもしれません。また一方で、豊かでない老人の集団として所謂「下流老人」も少なからず居て大きな社会問題になっています。
こうした問題を解決する手段として、「若い世代と高齢世代が融合して親密にやっていくのではなく、ある意味で分かれてもいいだろうと思っています。若い連中は若い連中でやってくれというように」と著者は言っています。これは言い方を変えれば、高齢者たちが若者に頼らず自立していく必要があるということを言っているのだと思います

「孤独死の勧め」:
歳をとって体が弱ってくればどうしても誰かに頼りたくなりますが、著者はこれも諌めて、「家族からも独立しなければいけない」とも言っています。とは言っても高齢者の自立の道は結構険しい道のりのはずです。しかし;
インドのヒンズー教の老人は、自分の死期を悟るとガンジス川の畔まで行って「老人ホステル」みたいなところで死が訪れるまで一人で生活するといいます。
また、著者が親鸞の言葉として「一人いて喜べば二人で喜んでいると思え。二人でいるときは三人で喜んでいると思え。その中の一人は親鸞である、というのがあります。これは“あなたはどんな時でも一人じゃないよ”と言っているのです」と紹介しています。

孤独死を恐れない玄冬期を過ごすために著者が勧める方法:
* 子供の為に美田を残さず使い切るということに徹する
* 家庭内自立を目指す(自分のことは自分でする)
* 再学問を行う(それまでの職業とは違うことを学ぶ)
* 趣味、妄想に遊ぶ
* あらゆる絆を断ち切る
* カジュアルに宗教と向き合う
* 不自由でも出来るだけ介護されずに生きていく
* できるだけ身綺麗にし、機嫌よく暮らす
* 自分の体と対話する
* がんは善意の細胞と思う

現在の老人介護の在り方:
親鸞仏教センターが刊行している研究誌の記事に以下の様な衝撃的な問題提起があったそうです。
* 特別養護老人ホームをもっと作れと言われているが、高齢者の方々は誰一人そんなところに入りたいとは思っていない
* 孫や子供達に囲まれて末期を看取ってもらいたいと思っている人はいますか、という問いに、誰一人頷く人は居なかった
確かに言われてみれば、「高齢者が集まってフォークダンスを踊ったり、タンバリンを叩いて童謡を歌わせられるなんて悲劇的です」、また介護の人が子供言葉で「さあ、食べましょうね~」なんて言うのは如何なものかと思います

最近NHKスペシャルで「介護殺人」を扱っていました。自分が自分でなくなった時まで生きることは、自分の愛する人にまで不幸にする可能性があることを思い知らされました。
著者は最後の方で、「私の考え方としては、人間はこれだけ大変な世の中で苦労しながら生きてきた。生まれるときも自分の意思で生まれてきたわけではないから、せめて死ぬ時ぐらいは自分の意思で幕を引きたいというのが、究極の願望です」と言っています。極めて重い言葉ですが、これから私もたっぷりある自由時間を使ってそのあたりを“妄想”していきたいと思いました

以上

生い立ちの記(生誕・抑留・引揚・困窮生活)

以下は、私が中学一年の夏休みの宿題で書いた「生い立ちの記」(原稿用紙50枚がノルマだった)の最初の部分です。平仮名が多く文章が稚拙なのは、私が理系の人間で国語嫌いであったということで許していただくとして、内容については全て両親から聞き取ったもので、実体験に基づいているものです;

生い立ちの記

中学一年A組 荒井 徹

満州での誕生と終戦

昭和20年4月2日、満州の奉天市で次男として私は生まれた。父は満州航空に勤めており、わりあいと生活は楽だった。それから五ヶ月くらいはこのように平和に暮らしていた。所が、それからがいけない。8月15日、大東亜戦争が終わって日本中がうれしいやら、かなしいやらでわいわい言っている時、こちら満州はソ連軍が入って大混乱おちいっていた。私達は、といっても父は会社の関係で入らないが、営口(えいこう)へそかいしていた。それから半月位で又奉天へ帰って来た。それからの生活は非常に苦しかった。父は終戦して少したってからソ連に飛行場をとられ、社員は解散となったので、ブローカーをして生活をした。しかし、それも父は商売がへただったのでうまく行かず、着物、母の「かたみ」の指輪などを売って暮らしをたてていた。

生誕の家
生誕の家

もうそのころになると、ここはあぶなくなってきた。昼はその日の生活を立てるために、二足三文になった高価な着物等を売り、中国人が買っていく。夜になると武器をすてさせた無抵抗な私達のところへ、武器をもった強盗が入ってくる。私達は何軒かで集団をつくり、そのまわりに鉄条網をはりめぐらせし、雨戸はくぎでうちつけ、かんたんに出入りできないようにした。男は一日中服を着替えず、強盗のみはりに務めた。もし私達の所へ入ってきたら、ドラを鳴らしてさわぎおっぱらうようにした。さいわい私達の所には一度しか入らず、たいしたことにはならなかった(しかし、ひとりの死者がでたが)。

内地への帰還

その恐怖の一年間が過ぎていよいよ帰国の日が来た。国民政府が満州を占領し、すぐ私達を帰してくれたくれたのだ。そのつぎの朝から苦しい帰国までの日がつづく。7月1日の4時、藤浪町町ぐるみマーチョ(馬車)でいっせいに自宅を出発。北奉天まで行った。そこから貨物列車で錦県(きんけん)まで行った。その道中は非常に苦しいものだった。なにしろ馬や牛が乗る貨物列車なのだから、家の近所のおばあさんが病気の体で来たため死んでいった。さて、その長い苦しい列車の時間が終わって錦県駅について、それから徒歩で宿舎まで行く。それはとても苦しい。母は背に満一歳の私をおぶり、前に大きいリュックサックをしょっていた。満五歳の兄は私のおしめをせおっていた。父は隊長だったので、リュックサック一つをせおってみんなの世話をしていた。やっと宿舎について。そこは兵舎であった。そこで約一週間、3万人位が自炊をして暮らしたのだ。入るときはDDTを全身にまいた。おかげで、はえ、南京虫、のみ、などにはなやまされなかった。入ってから間もなく母が心臓病で苦しみだした。それはあまりにひどい過労のためであった。さいわいいっしょに来た医者にみてもらい注射をしたら落ち着いた。

やっと兵舎生活が終わって、貨物列車に乗って、しかもその貨物列車が中国人に略奪されるので戸を全部しめてある。放尿はなかなかできない。三時間位でコロ島についた。そこからいよいよ7月20日、アメリカ貨物船リバティ型に乗って一路舞鶴に向かって出発した。船上でも色々と苦しい事がつづいた。なにしろ貨物船なのでねる所がない。その上いっぱいつめこんだので全員が横になれない。私達は横になったが、父はずっとよりかかったままだった。食べものはコーリャンにやさい少々、サバの肉少々が入った、おかゆとは言えぬぞう水と言ったほうが正しい。そのため栄養失調で三人位死んだ。その時は本土までもっていくとくさるので水葬をした。船はそのまわりを ぼおーー ぼおーー と、きてきをならしてまわる。乗船者は水葬者を見送る。それで水葬は終わる。なにしろ暑いのですこしもじっとしていられない位だ。わたしのおしめは海水で洗った。こういう事が三日間続いた。やっと日本についた。

記念碑@葫蘆島
記念碑@葫蘆島
葫蘆島の港
葫蘆島の港

腸チフス罹患

舞鶴で一泊して、いよいよ父母の実家のある長野に向かう。宿泊所では久しぶりの風呂に入って旅のあかを落とした。つぎの朝はさっそく駅へ向かった。途中、新しいトマトがたくさん有り、帰国の苦しい旅で新鮮な野菜にうえていたのでさっそく買ってかぶりついた。舞鶴駅から名古屋に向かって汽車は出発した。名古屋駅ではもう一度風呂へ入り、一泊して朝、いよいよたい望の長野へ向かった。長野駅についてから父の実家に行った。そこでは便りが全々とどかないので、行った時は非常におどろいただろう。

私達はほかに住む家が無いので、一応そこで落ちつくことになった。と、半年ばかりして私の兄が元気がなくなってきた。ちょっと遊びにいっては、すぐもどってきてごろごろ横になる。きっとだるいのだろう。母はなにか悪い病気の前ぶれではないかと心配した。間もなくそれがほんとうになった。兄は急に高い熱が出たのだ。医者に診察してもらった所、それは腸チブスとわかった。すぐ入院だ。しかしほんとうは市の病院へ入るのだが、そこへ行くと設備も医者も悪いので死んでしまうおそれがあるので、無理して日赤に入院させた。兄の病態は思ったより悪かった。母は看護のため病院にいた。私はまだ乳をのんでいたので、のむ時だけ母に待合室に来てもらってのんだ。所が、どこから感染したか私にもうつってしまったらしい。兄の発病後一週間ぐらいで私は発熱した。すぐ日赤で診察した所、案のじょう腸チブスであった。すぐ私は兄のとなりの所に入院した。なにしろ私は満一年と五ヶ月ぐらいしかなっていないし、兄の病態は非常に重いので、母はどちらかは取られるとかくごしていたらしい。私はまだ小さい時だったので良かったが、兄はもう五才であったので、毎日太いリンゲルをやり、ほかにも注射をたくさんやったので苦しかっただろう。それから一ヶ月ぐらいで私達は奇跡的に助かった。私は兄より一週間ぐらいしてから退院した。兄はあまり重かったのでこしがぬけてたてなかったという。母は毎日大きなにんにくをたべていたのでうつらずにすんだ。その時こそはにんにくのききめをはっきり知った。私達は金が一文もないので、父が事務長にだんぱんに行って引あげ者のことを話し、入院費はただにしてもらった。兄の退院後は、栄養を取らなければいけないので、父母達は配給のとうもろこしの粉等を食べ、兄にはその頃食べたこともない白米を食べさせた。そのような父母の苦労で私達の病気もすっかり良くなって、兄は学校へ行くようになった。

引揚者住宅入居

それから二ヶ月、引揚者のアパートのある長野市居町に引っこすことになった。私達は一年間世話になった父の実家に厚く礼をいってうつった。そこではアパートはいかれてるながらも、まずしいながらも、親子そろった楽しい生活がはじまった。父もやっと職業が見つかった。工業学校の恩師に世話をしてもらって、フォノモーター作りを始めたのだ。だが依然として生活は苦しかった。兄は引っこしたらすぐに鍋屋田(なべやた)小学校に転校した。

昭和二十三年七月六日、妹が生まれた。目方は八百匁ぐらいで重い方だそうだ。

良くおぼえていない。多分四才ぐらいだろう。夏のある晴れた日、兄は野球かなんかしていた。私は下の魚屋の子供等といっしょに、どこだかわからないが、まわりはたんぼで真中にはすの生えている池がある、こんな遠い所へは一度も来たことがないのでうれしさに飛びまわった。私達はとんぼをとりに来たのだった。収穫がどの位あったかはおぼえていない。

もうもうとほこりがたっている。ここは私の前のアパートの廊下である。私は同じとし位の友達とパッチン(「めんこ」のこと)をやっているのだ。私は生まれつき勝負事が弱く、いつでもまけてしまう。それでもこりずに何回でもやるのである。

私のいつも遊ぶ所は居町公園である。そこは私のいる居町アパートに近く、木もたくさん植わってい、私の絶好の遊び場所だった。と言うのは、私が木登りがとても好きだったからだ。しかし、それもやめなくてはならない時が来た。それは私が公園のある桜木に登っていた所、ふとしたはずみに五メートルぐらいの所から落ちたのだ。私は腰がぬけたらしくたてなくなってしまった。ぼーとしてしばらくそこにすわったままでいると、運悪く父の知り合いの人が通った。その人はすぐ母に知らせたらしく、私がしばらくして立ってぶらぶらしていると、母が青くなって飛んで来た。それからは母に木登りはやめなさいと言われ、自分でも少々こわくなったのであまり登らなくなった。又、その横の川では良く落っこちて母にしかられたりした。

そのころ父は、フォノモーター製作がうまくいかなくなって、ついにつぶれてしまった。昭和二十五年の春、父は職業をさがしに東京に行った。さいわい友人が東京の武蔵野市にいたので、そこの庭にバラックを立て自炊してくらしていた。職業の方は、父の友人の紹介でビクターオート株式会社という会社に入社して私達に仕送りするようになった。私達の所へは月に一回帰って来た。

 

“死”について

高校時代の友人と「死」をテーマにした対話の抜粋

私の父親は私が大学院生の頃に61歳で亡くなりました。胃がんが分かってから約半年しか生きられなかったのですが、がん告知を受けなかった為、生への希望を持ち続けて闘ったので本当に壮絶な死であったと思います。私はすぐ傍で毎日看病していたので、こういう死に方はしたくないと思いました。
母親はもともと心臓が悪く3回も救急車で緊急入院をするほどだったのですが、72歳になってやっと手術をする決心をしました。ところが、その手術日の前日に突如発作を起こして亡くなってしまいました。母親も病弱の期間が数十年続いていたのですが、生に対する執着はかなりのものであったように思います。
結局、私の場合両親の死から自分の死に対する心構えを学ぶことが出来ませんでした。

以下は浅学な私の屁理屈以外の何物でもないと思いますが、自身の死への対し方について幾つかのパターンに分類してみました;

A.自分の死を受け入れられないタイプ;
秦の始皇帝が不老長寿の薬を求めたのも、大きな墳墓を作ろうとするのも皆このタイプに分類できると思います。また、死の恐怖から逃れるために遊びに熱中する人も同じタイプではないかと思われます。こうした人は恐らく“宴の後”のつらさをいつも経験しているのかもしれません。

B.自分の死を受け入れることが出来るタイプ;
1.死は全くの無に帰することを受け入れられるタイプ;
織田信長は恐らくこのタイプだったのではないかと思います。桶狭間の戦いの前の幸若舞“敦盛”のイメージですね。般若心経が言っているのも結局こういうことかな。私にはちょっと無理な感じです

2.死後の世界を信じられるタイプ;
宗教、特に新興宗教を信じる人はこのタイプになるとおもいます。先日私の従姉夫妻が相次いで亡くなったのですが、彼らの宗派は浄土宗なので、お寺さんが遺族に言っていたことは死=浄土ということでした。仏教の宗派が数多くある中で、浄土真宗と日蓮宗系が未だにアクティブな宗教として機能しているのもこのシンプルさがあるからだと思います。また自爆を厭わないイスラム教のテロリストもこのタイプでしょう。でも私にはこれもちょっと無理な感じです

3.肉体は朽ち果てても人々の心の中に生き続けることで死を受け入れるタイプ;
肉親を失った直後、こうしたことで喪失感を乗り越える人は多いと思います。実は私も親が亡くなった後はこれを信じようと努力していました

4.親から子、孫にDNAが引き継がれることで、自分の命が続くと信じられるタイプ;
まだ溌剌として働いていた若い頃には、子供との関係において中々こういう感覚は得られなかったのですが、老齢に至り孫と遊んでいる時などふと自分は何時死んでもいいなと思う瞬間があります。武士の世界では家を守ることが一番で、自分の命は家の為にあるということでしょうが、恐らくこれも同じような感覚なのだと思います。最近、特攻隊に係る本をよく読むのですが、彼らの遺書にあるのは、国という命を繋ぐため、あるいは残してきた親兄弟の命の為に死ぬという感覚がある様に感じました。今の私はこの感覚に近づこうとしているのかもしれません。