高齢スキーヤーの必須安全対策

高齢スキーヤーの一般的なウィークポイント;
①転倒は著しく体力を消耗させる
②転倒による頭部の打撃は脳出血を起こしやすい
③筋力が弱い⇒バランスを崩すと転倒する、平地で転倒すると介助がないと起き上がれない
④衝突は大事に至りやすい
⑤注意力が散漫になる

如上を踏まえると、高齢スキーヤーは以下の安全対策が必須となる;
1.必ずヘルメットを着用する(頭部の保温効果が大きく脳卒中のリスクが下がる)
2.バランスを確保しやすいスピードを保つ⇒高速滑走厳禁、急斜面・こぶ斜面滑降厳禁
3.バランスを確保しやすい滑降姿勢を保つ⇒腿を立て、上半身のみによる重心移動を容易にする
4.滑降しやすい雪質を選ぶ⇒悪雪(湿雪、アイスバーン)滑降厳禁
5.疲れを感じる前にあがる
6.必ずグループで行動する

“死”について

高校時代の友人と「死」をテーマにした対話の抜粋

私の父親は私が大学院生の頃に61歳で亡くなりました。胃がんが分かってから約半年しか生きられなかったのですが、がん告知を受けなかった為、生への希望を持ち続けて闘ったので本当に壮絶な死であったと思います。私はすぐ傍で毎日看病していたので、こういう死に方はしたくないと思いました。
母親はもともと心臓が悪く3回も救急車で緊急入院をするほどだったのですが、72歳になってやっと手術をする決心をしました。ところが、その手術日の前日に突如発作を起こして亡くなってしまいました。母親も病弱の期間が数十年続いていたのですが、生に対する執着はかなりのものであったように思います。
結局、私の場合両親の死から自分の死に対する心構えを学ぶことが出来ませんでした。

以下は浅学な私の屁理屈以外の何物でもないと思いますが、自身の死への対し方について幾つかのパターンに分類してみました;

A.自分の死を受け入れられないタイプ;
秦の始皇帝が不老長寿の薬を求めたのも、大きな墳墓を作ろうとするのも皆このタイプに分類できると思います。また、死の恐怖から逃れるために遊びに熱中する人も同じタイプではないかと思われます。こうした人は恐らく“宴の後”のつらさをいつも経験しているのかもしれません。

B.自分の死を受け入れることが出来るタイプ;
1.死は全くの無に帰することを受け入れられるタイプ;
織田信長は恐らくこのタイプだったのではないかと思います。桶狭間の戦いの前の幸若舞“敦盛”のイメージですね。般若心経が言っているのも結局こういうことかな。私にはちょっと無理な感じです

2.死後の世界を信じられるタイプ;
宗教、特に新興宗教を信じる人はこのタイプになるとおもいます。先日私の従姉夫妻が相次いで亡くなったのですが、彼らの宗派は浄土宗なので、お寺さんが遺族に言っていたことは死=浄土ということでした。仏教の宗派が数多くある中で、浄土真宗と日蓮宗系が未だにアクティブな宗教として機能しているのもこのシンプルさがあるからだと思います。また自爆を厭わないイスラム教のテロリストもこのタイプでしょう。でも私にはこれもちょっと無理な感じです

3.肉体は朽ち果てても人々の心の中に生き続けることで死を受け入れるタイプ;
肉親を失った直後、こうしたことで喪失感を乗り越える人は多いと思います。実は私も親が亡くなった後はこれを信じようと努力していました

4.親から子、孫にDNAが引き継がれることで、自分の命が続くと信じられるタイプ;
まだ溌剌として働いていた若い頃には、子供との関係において中々こういう感覚は得られなかったのですが、老齢に至り孫と遊んでいる時などふと自分は何時死んでもいいなと思う瞬間があります。武士の世界では家を守ることが一番で、自分の命は家の為にあるということでしょうが、恐らくこれも同じような感覚なのだと思います。最近、特攻隊に係る本をよく読むのですが、彼らの遺書にあるのは、国という命を繋ぐため、あるいは残してきた親兄弟の命の為に死ぬという感覚がある様に感じました。今の私はこの感覚に近づこうとしているのかもしれません。