夏野菜の失敗談、他

はじめに

見出しの写真は、私の住んでいる市の隣にある所沢市の夏場の温度変化のグラフです。それぞれのシンボルの意味は;
灰色の棒グラフ2024年度の毎日の気温の範囲
赤い帯:昨年迄の毎日の最高気温の分布
赤い線;同期間の最高気温の平均値
青い帯:昨年迄の毎日の最低気温の分布
青い線:同期間の最低気温の平均値
グラフから、今年の夏の気温が昨年までと比べ異常な高温であったことがわかります

実は、昨年も相当な高温であったため、キュウリについては栽培途中で「遮光スクリーン」を使った栽培を試しましたが結局失敗(酷暑の中の屋上野菜栽培:2023年8月7日作成)しました。今年は満を持して色々な工夫を施した対応を実施しました(初春から初夏にかけての農作業!:2024年5月27日)が、再び失敗してしまいました。
昨年はキュウリ以外は大きな失敗は無かったのですが、今年は昨年を遥かに超える酷暑が続いたと共に、長引く病魔との戦いで体力が衰えた私自身が細かいケアができなかったこともあり、トマト、縞ウリ、葉物野菜、など昨年ほどの収穫ができないままに夏野菜の終焉の時期を迎えてしまいました。以下に、その失敗に関わる考察と来年への対応を含め、夏野菜の栽培結果及び秋冬野菜の準備開始の状況を述べてみようかと思います;

夏野菜栽培実績の報告

1.酷暑に耐え、豊かな収穫ができた野菜
① ナス
この夏は、昨年と同じく中ナス、水ナス、小ナスの三種類を昨年の倍以上の苗を育てましたが、よく酷暑に耐え、漬物(ぬか漬け、シバ漬け、浅漬け)、干物、サラダの材料、煮物・焼き物の材料、など充分すぎる収がありました。また、7月下旬には採れ過ぎることもあって一部のナスの更新剪定を大胆に!行う事によって現在(10月)に至るも紫色の濃い秋ナスの収穫が続いています。因みに酷暑のピークであった8月14日のナスの収穫状況(縞ウリ、キュウリも入っています)は以下の写真の通りです;

② 3尺インゲン
この野菜は原産地が東アフリカということもあって、6月以降現在(10月)まで酷暑を物ともせずほぼ毎日収穫できています。しかも、収穫しきれなかったインゲンがコンテナの中に落ちて、再び芽を出してスクスク!育っております
このインゲンは、茹でてから野菜サラダに入れる、煮物に使う、など多用途に使えて大変重宝な野菜です

③ オクラ
大きなコンテナ一つに3本植えましたが、現在(10月)でも毎日1~3本収穫できています。最初の2ヶ月ほどは1本仕立てで育成しましたが、9月に入ってからは徒長した茎をカットし、脇芽での収穫が続いています

2.一旦酷暑に負け、「遮光スクリーン」で成長を遂げた野菜
*唐辛子類(沖縄唐辛子、鷹の爪、剣先なんば)
8月初めに枯死したり、弱ったりした苗を植え替え、「遮光スクリーン」を使って写真の様に再生させることができました(9月以降は「遮光スクリーン」を外してあります)

3.酷暑に負けた野菜類
以下の野菜類については朝・夕の2回、大量の水遣りを続けていましたが、連日30度を超す酷暑、及び強い紫外線に負けて枯死、又は枯死に近い状態(成長が止まり、実をつけなくなった状態)となりました
① キュウリ
6月中は順調に育っていましたが、7月に入るとすぐに30度越えの日が続き、「遮光スクリーン」を下ろす前に急激に萎れ、水遣りを続けましたが全ての苗が枯死してしまいました。その後「遮光スクリーン」を降ろして新しく購入した苗を植えましたが、「遮光スクリーン」の中では順調に育ったものの十分な収穫ができませんでした
<来夏の対策>
*酷暑の為とは思いますが、今後先達の意見を聞きながら来年の植付迄に対策を考えたいと思います
② その他のウリ類(植付た苗はそれぞれ2~3本)
縞ウリ八町胡瓜(長野県)、漬丸君(長野県の漬物用ウリ)については、いずれも7月中はある程度の収穫はあったものの、8月に入ると酷暑に負けて結実しなくなりました。ただ、ゴーヤについては、酷暑には強い様で、現在まで少ないながらも収穫を続けています

③ トマト
7月中旬まで3段目の実までは良く育っていましたが、4段目以上からはキュウリの様に枯死はしないものの花が咲いても実にはならなくなりました。原産地が南アメリカなので酷暑のせいばかりではないと思われます
<来夏の対策>
*実付きが悪いのは酷暑のせい以外に、植物ホルモンの可能性も考えられるので、来年はプロの農家も使っているという「トマトトーン」を一部の苗に使って試してみたいと思っています

3.酷暑の原因ではなく収穫が殆どできなかった野菜
*ズッキーニ
これまでの経験から、必要収穫量から計算し大きなコンテナに2本だけ育てましたが、例年と違って雄花が殆ど咲かず大きな実になりませんでした。育成期間中に3回ほど雄花が咲きましたので人工受粉を行った所、例年通り大きな実をつけました
<来夏の対策>
ネットで調べても雄花を増やす決定的な対策は載っていないので、取り敢えず来夏は育成本数を増やす(4本程度)ことで対応したいと思います

秋冬野菜の準備

夏野菜に多くの手間をかけたせいで秋冬野菜の準備が遅れがちになっています。特にキュウリ、ナス、トマトなど、大型コンテナを多く使っていたものは、できるだけ早く秋・冬野菜の主役であるキャベツ、白菜などを植え付ける準備をしなければなりません
しかし、夏野菜の栽培に気力・体力を使い果たしたことで、例年の様に土の再生に多くの時間と手間をかけられませんので、今年は春に購入した電動耕運機で手間を省くと共に、従来から使っている化成肥料(窒素:リン酸:カリ=8:8:8)と牛糞堆肥の他に、ちょっと高価ですがプロがよく使っている「もみ殻堆肥」も使うことにしました

秋冬葉物野菜の種蒔きと育成
下の写真は、居間の出窓で育成中の白菜、ケール、キャベツ、サニーレタス、レタスの現在(10月)の発芽状況です。全体が赤くなっているのは、曇天の時に赤色のLEDを点灯して成長促進を図っている為です;

この他、タマネギ2種と長ネギについては9月初めに種まきを終え、現在以下の写真の様に順調に育っています

今後、中小のコンテナの土の再生が終り次第その他の葉物野菜についても種蒔きと育成を行う予定です

今後栽培を予定している葉物野菜:野沢菜、高菜、ホウレンソウ、小松菜大根、カブ、など

おわりに(反省!)

今年の夏野菜の栽培は、とても成功とは言えない出来栄えであった上に、体力的にも非常に厳しい状況であったことは間違いありません。これらは全てが酷暑の故と片付ける訳にはいきません
自身の能力の限界を弁えず必要以上に栽培数を増やし、結果として連日の収穫と水遣りに追われてしまったことで、中・小コンテナの野菜類を雑草だらけにして収穫不能としてしまったこと、

また、ナスばかり大量に収穫することとなり、結果として連日ナス料理が続き、我が家の料理人達(妻と同居の息子)に「料理のヴァリエーションを増やせ!」というプレッシャーをかけ続けたことは大いに反省すべきと考えています

従って、来年の夏野菜栽培は;
① 欲張らずに栽培数を減らす
酷暑に強い品種を選ぶ
「給水システム」を復活させる( 屋上栽培を始めた頃に作った)
などを実施して、弱体化する体力に見合った作業量になるよう工夫したいと考えています

以上

AeroSHARK についてちょっと勉強してみました!

はじめに

見出しの写真は上が海の支配者である「サメ」、下は空の支配者である「F22 ラプター( Rapter)」です。因みに Rapterとは猛禽類を意味します。サメは海の中を高速で遊泳して捕食し、成魚になれば無敵の存在です。一方F22は、超音速巡航性能(音速の2倍/時速約2,400キロ)高いステルス性機動性先進的なアビオニクスにより、現在世界最強の戦闘機であり、その優越性を維持するために同盟国にも輸出していません。何故かこの二つの写真はよく似ていると思いませんか?

ごく最近、ANAさんが貨物機の胴体にサメ肌のフィルムを貼って空気抵抗を減らし、燃費を削減すると共に結果としてCO2排出量を減らすことを高らかに?宣伝しています。ANAさんはこの技術を、ドイツの総合化学メーカーであるBASFとルフトハンザ航空から得ているとしています;
ルフトハンザ航空の事例
スイス航空の事例

大昔に航空学をちょっと齧った筆者としては、この技術を勉強し読者の皆さんに出来るだけ分かり易く説明しようと企てました。結果は以下の通りです

基礎的な知識

1.流体の粘性
粘性という言葉からは、ねばねばする「とろろ」とか「納豆」を連想してしまいますが、ここでは全ての流体に備わっている「粘性」についての法則を簡単に説明いたします;
① 水は液体で、比較的高い粘性を持っていますが、一般的な液体と比べると寧ろ低い方です。水の動きは滑らかで、日常生活で強い抵抗を与えることは少ないものの、川の流れに足を入れば、川から強い力を受けます。つまり水の流れの強さによって足(体)に掛かる力が変わることを体感できます
一方、
② 空気は気体であり、粘性は液体に比べて非常に低く、空気中を物体が動く際の抵抗は水に比べて少ないものの、台風などの強風に晒されると、水と同じ様に強い力を体感することができます
(注)上記①、②共に、強い流れにぶつかった時の「動圧」については、粘性の影響というよりは、流れを遮った時の圧力(質量をもっている流体を遮ることによる「反作用;下記ニュートンの第三法則)」)なので、むしろ、横を向いたときに感ずる流体から受ける摩擦力を実感して頂くと分かり易いと思います

粘性を持っている流体から受ける力は、上記の体感から「粘性の強さ」と「流速」に強い相関があることはお分かりいただけると思います
見出しの写真にある「サメ」は、空気に比べると粘性の高い水中を高速で遊泳するために所謂「流線形」をしており、尾びれは見事な「後退翼」になっています
一方 F22 は、空気の粘性は水に比べて圧倒的に低いものの、極めて高速で飛行する為に胴体はサメと同様に「流線形」をしており、横向きの写真で見えないですが主翼は「三角翼:前縁は強い後退角」になっています

<参考> 「ニュートンの粘性法則」について
ニュートンと言えば、「万有引力の法則」やニュートン力学の三つの法則「慣性の法則」、「運動の法則」、「作用・反作用の法則」で有名ですが、彼の功績には以下の「ニュートンの粘性法則」があります(ニュートンの物理学の貢献については「流量計測の歴史by小川胖」を参照してください)。流体力学はここから出発しているといっても過言ではありません(以下は、物理が大好きな人の為に引用しました);
2.境界層とは;
境界層(きょうかいそう/ boundary layer)とは、ある粘性流れにおいて、粘性による影響を強く受ける層のことです。1904年、ドイツの物理学者ルートヴィヒ・プラントルによって発見されました。何と!ライト兄弟による現代の航空機の初飛行の一年後にこの理論を発表しています
(参考)ルートヴィヒ・プラントル(Ludwig Prandtl 、1875年 2月~ 1953年 8月)は、ドイツの物理学者。 空気力学 の分野で顕著な業績をあげました 。特に、 境界層薄翼の理論 揚力線理論など、航空機の発展に多大な貢献をしています

例えば、静止している物体が置かれた所に一様に流れる流体を考えたとき、物体近傍の流体は粘性によって物体に引っ張られ、速度が減少します。当然その減少の度合いは物体から離れるにつれ小さくなってゆきますが、ある距離で無視できる程度になります。そこで、この距離を境に粘性が強く影響する層無視できる層に分けることができます。これを「境界層近似」といい、粘性を強く受ける方の層を境界層と呼んでいま
この「近似」の適用によって、境界層外では比較的平易な非粘性流の解析を用いることができるため、流体の解析を効率的に行うことができます
また、境界層内の摩擦によって生ずる力の反作用として物体に発生する抗力(物体を流されない様に支える力)が発生します

3.境界層の剥離;
航空機の安定した飛行を実現しているのは、境界層の上をスムースに空気が流れている場合であり、何らかの理由(例えば翼の迎え角を大きくした場合など)でこの境界層が剝がれると、大きな渦ができ大きな抵抗が発生して、航空機の場合、揚力が失われる緊急事態となります。全面的な剥離でなくても、部分的な境界層の剥離は大きな抗力が発生し燃費性能の低下振動の発生操作性の異常、など深刻な事態を招きます

境界層の制御

1.ヴォルテックス・ジェネレータ(Voltex Generator )とは
Voltexとは「」、Generatorとは「発生器」を意味します。日本語の表現としては「ヴォルテックス・ジェネレータ」が一般的です。以下この呼び方に統一します
戦後早い時期から航空機の空力設計に取り入れられていましたが、最近では高速走行が売り物の自動車にもヴォルテックス・ジェネレータが装着されています
私が日本航空に入社した当時、DC-8 型機が主流であり、B747型機は導入されたばかり、国内線には最新鋭のB727型機が高い飛行性能で注目されていましたが、この機種には既に機体の一部にヴォルテックス・ジェネレータが装備されていたことを記憶しています

境界層が剥離すると空気抵抗が増加するので、ヴォルテックス・ジェネレータはこの剥離を防止する手段として主として剥離しやすい部分に取り付けられます。設計の段階では設置場所を決めるのは難しいので、模型による風洞実験で最も剥離しやすい部分を特定し設置されます
ヴォルテックスジェネレータは意図的に「縦渦(接触表面から立ち上がる様な渦を発生させ上層の高速な流れと下層の低速な流れ(前節「境界層とは」の流れの速度分布を参照)を混合し、剥離点を下流に移動させることにより、表面に沿った圧力分布が改善され、全体的な空気抵抗が減少します。これにより結果として燃費の向上も図れることになります。以下は、現在就航している機種のヴォルテックス・ジェネレータの写真です;

2.リブレットとは
リブレット(riblet)とは、特定の形状を持つ小さな溝や隆起が表面に並んだ微細な構造のことを指します。リブレットは、空気や水の流れを効率的に制御し、摩擦を減少させるために使用されます。最初は、サメの皮膚の微細な構造を参考にして開発されました。サメの皮膚には小さな鱗があり、それが水の流れを滑らかにし、摩擦を減少させる効果があります。この原理を模倣したのがリブレット技術です。

実用化されているリブレットは、表面に沿って並んだ微細な溝のパターンから成っています。これらの溝は通常V字型」、「U字型」、「台形型」で、流体が流れる方向に沿って配置されています。これらの溝の幅や深さは非常に小さく、通常数ミクロンから数百ミクロンのオーダーです(ミクロン=千分の1ミリメートル)

                                         JAXAスーパーコンピューターでのシミュレーション画像

こうしたリブレットは、航空機の翼、風力発電機のブレード、船体、車両など、さまざまな分野で既に使用されており、流体の抵抗を減らすことでエネルギー効率の向上を実現しています

3.リブレット技術の航空機への活用
現在、リブレット技術の活用方法は以下の二方式があるようです;
① ANA方式(=BASF・ルフトハンザ航空方式)
「はじめに」で述べた方法は、 BASFが開発したサメ肌に加工された薄いシートを航空機の胴体に貼る方式です。ボーイング777型貨物機では、一枚の大きさが「1メートル50センチメートル」のフィルムを約2千枚使用するとのことです。このフィルムは4〜5年での張り替えを想定しているそうです(この張替の間隔は、恐らく同間隔で実施される重整備・改修作業のタイミングと一緒に実施されると考えられます)
詳しくは2024年9月2日の日経新聞記事「ANA、サメ肌貨物機を初就航 SAF普及に先駆け燃料削減」をご覧ください

② JAL方式
JALについても、既に昨年(2023年)にリブレット実験結果を公開しています。この方式は加工されたフィルムを貼るのではなく、機体の塗装面に直接レーザー加工する方式です
詳しくは2023年3月14日の日経新聞記事JALも「サメ肌」航空機 直接加工で耐久性に強み」をご覧ください

おわりに

このブログを書く為に、数十年遠ざかっていた空気力学を再び学びなおす機会が得られました。遠い昔になった学生時代に「航空機の発達は自然から学んだことが多い」と授業で言っていたお年寄りの教授を思い出します。リブレットなどはサメから学んだわけですから、正にその一例ですね
飛行機の形の変遷や、空気力学的な色々な発明は鳥から学んだことが多いと言われています。例えば、現在の高速な旅客機や戦闘機の翼型は、獲物を見つけて急降下する猛禽類の翼型にそっくりです
また、現在の旅客機は燃費を節約するために主翼の翼端にウィングレット(上方に反り上がっている)を装備している機体が殆どです。これは、飛行機の重量を支えている主翼は、主翼下面の圧力が上面の圧力より高くなっている為、翼端で下面の空気が上に回り込んで大きな渦を作り出してしまいます。この渦は飛行機の抵抗となりますので燃費性能が悪化することになります。ウィングレットはこの影響を最小化するために装備されています
この翼端の渦を長距離飛行をしなければならない渡り鳥の群れは積極的に活用しています
写真の渡り鳥の編隊飛行は正にこの翼端渦を集団としての省エネ飛行に活用しています
しかし先頭のリーダーの鳥は、後方左右の鳥の飛行を一部支えていることになるので負担が大きいと思いますが、リーダーであればしょうがないか? あるいは疲れるとサブリーダーと交代するのか? 自然はとにかく凄い!

Follow Up_ネット上で見つけた翼端の渦の分かり易い写真。通常この翼端渦は透明な空気中では見えませんが、偶々航空機の後方に雲があったため翼端渦が雲を巻き込んでいる写真が撮れたものです:
                                   以上

パレスチナ問題についての一考察

―はじめに―

現在のパレスチナの状況は、昨年(2023年)10月7日のハマスによるイスラエル奇襲が発端となっています
当日、約2,900人のハマス戦闘員がイスラエル側に侵入し、付近の住民を含めユダヤ人1139人を殺害すると共に人質251人がガザ地区に連行され、トンネルなどに拘束されました(イスラエル軍からの情報によれば、2024年8月現在111人は今もガザで拘束されており、 39人は既に死亡しているとのこと)

上の画像は、翌8日、パレスチナ自治区ガザから発射された2千発を超えるロケット弾を、イスラエルの防空システム「アイアンドーム」で迎撃している状況です
この奇襲は、欧米先進国のハマスに対する非難を呼ぶと共に、それまで進んでいたイスラエルと中東アラブ主要国との雪解けムードに水を差す結果となりました。またイスラエルの報復攻撃によってガザ地区住民に多くの死傷者を出す結果となりました(8月下旬の時点で子供を含む死者が4万人を超えています)
米国、エジプト、カタールによる停戦の仲介が精力的に行われているものの、ハマスをバックアップしているイランを訪問中であったハマス指導者イスマイル・ハニヤ氏の暗殺が行われたことから、イラン・イスラエル間の大規模な戦争の危機も考えられる状況になってきました

我々日本人にとって、有史以来世界史の中心になってきた中東地区の政治状況を理解するのは中々難しい事ではありますが、浅学を顧みず勉強してみた結果を以下にご紹介したいと思います

目次

* 基礎的な知識
パレスチナ地域をめぐる帝国、王国の興亡_Quick Review
ユダヤ人受難の歴史
イスラエルの独立とパレスチナ人受難の歴史
おわりに(パレスチナ戦争に関する私見)
(注)下線のある章にはクリックすることによりジャンプできます

基礎的な知識

0.ユダヤ人、ヘブライ人、イスラエル人の違いとは;
結論先に言うと全て同じ民族を指しています
*ユダヤ人:“バビロン捕囚
(後述します)”以降の呼び名。イスラエルを構成する12部族のユダ族が由来です
*ヘブライ人:他民族からの呼び名。特にエジプトの奴隷時代にそう呼ばれていた
*イスラエル人:イスラエルという国に住んでいる自らの呼び名です。神から与えられた名で、宗教的な意味を含む
「イスラエル」の宗教的な意味とは;
イスラエルという国名は、旧約聖書に登場するヤコブ(Jacob)という人物に由来しています。ヤコブは神と格闘し、その後神から「イスラエル(Israel)」という名前を授けられました。この名前はブライ語で「神と闘う者」または「神に勝つ者」という意味があります
ヤコブには12人の子供がいて、彼らの子孫がイスラエルの12部族の祖先となりました。このため、イスラエルという名前は神の子孫とその国を指すようになりました
尚、十字軍の侵攻によって生まれたイスラエルという国(後述)の人々は、必ずしもユダヤ人ばかりとは限りません。十字軍は中世において、ヨーロッパのキリスト教徒が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するために行った遠征です。その過程で、現地の住民や他の地域からの移住者が混ざり合いました。
イスラエルのユダヤ人の歴史は、十字軍よりもはるかに古く、紀元前千年頃にダビデ王がエルサレムを首都としたユダ王国(後述)にまで遡ります
以降、特に説明をせずに、参照した資料で使われている名称をそのまま使用しています

1.アラブ人とは;
主にアラビア半島や西アジア、北アフリカなどの国々に居住し、アラビア語を話しアラブ文化を受容している人々を指します。7世紀にムハンマド(マホメット)によってイスラム教が開かれ、今もなお中東・北アフリカの多くの国々はイスラム教を国教としています(下図参照)

*上記の国々はアラブ人が大多数を占めています。因みに、これらの国々の人口の概数は以下の通りです;サウジアラビア(約3,500万人)、イラク(約4,000万人)、エジプト(約1億人)、シリア(約1,800万人)、ヨルダン(約1,000万人)、レバノン(約600万人)、バーレーン(約170万人)、クウェート(約450万人)、オマーン(約500万人)、カタール(約280万人)、UAE/アラブ首長国連邦(約1,000万人)、モロッコ(約3,600万人)、アルジェリア(約4,400万人)、チュニジア(約1,200万人)、リビア(約700万人)、スーダン(約4,500万人)
*パレスチナ問題では度々イラントルコが登場しますが、イラン人、トルコ人の大多数はアラブ人ではありません
(参考)スーダンとソマリアに挟まれた国の南部はエチオピアです。キリスト教徒が2/3、イスラム教徒が1/3の人口構成です。一方、北部の紅海沿いの国はエリトリアで、1993年にエチオピアから独立しました。キリスト教徒とイスラム教徒人口が半々の人口構成です

2.イスラム教の二大宗派とは;
ムハンマド(マホメット)によって開かれたイスラム教は、現在スンニ派シーア派に分かれており過去から争いが絶えません。ただ、イスラエルを敵視している点は両派とも変わりはありません。同じ国にこの2つの宗派が混在している国も多くあります
スンニー派住民の割合;

シーア派住民の割合;

3.パレスチナ人とは;
パレスチナ人とは、主にパレスチナ地域に住むアラブ人を指します。彼らは独立した民族として認識されており、歴史的にはこの地域に長く住んでいた人々です。パレスチナ人の多くはイスラム教スンニ派を信仰していますが、キリスト教徒も存在します
パレスチナ人の起源は、東ローマ帝国時代のヘブライ人サマリア人(下記注参照)などがアラブ人の征服によって次第にイスラム教に改宗し、言語的にアラブ化したことにあります。現在、パレスチナ人はパレスチナ地域だけでなく、以下の国々にも移住しています;
①パレスチナ(約400万人)、②ヨルダン(約300万人)、③イスラエル(約132万人)、④チリ(45〜50万人)、⑤シリア(約44万人)⑥レバノン(約41万人)エジプト(約7万人)アメリカ合衆国(約7万人)、⑨ホンジュラス(約5万人)、⑩クウェート(約5万人)、⑪ブラジル(約5万人)、⑫イエメン(約2万人)、⑬カナダ(約2万人)、⑭オーストラリア(約2万人)、⑮コロンビア(約1万人)、⑯グアテマラ(約1400人)
(注)サマリア人とは:ホロン(テルアビブ近郊)とシェケム(ヨルダン川西岸地区のナーブルス/Nablus近郊)を中心に住む人々。北イスラエル10部族のうちエフライム族・マナセ族に加え、レビ族の末裔を自任している人々

4.パレスチナ問題に登場する国家ではない主な政治・軍事集団;
① ファタハ:主にパレスチナのヨルダン川西岸地区を拠点としています。この地域には約309万人のパレスチナ人が住んでおり、ファタハはその中で大きな影響力を持っています。尚、ファタハの正確な人口は公表されていません
ファタハは、1957年にヤーセル・アラファト(1929年8月~2004年11月)によって設立されたパレスチナの政党です。その名称は「パレスチナ民族解放運動」(Harakat at-Tahrir al-Watani al-Filastini)のアラビア語の頭文字を逆に並べたもので、「征服」や「勝利」を意味します
ファタハは、パレスチナ解放機構(PLO/Palestine Liberation Organizationの主要な構成組織であり、イスラエルに対する武装闘争を行ってきました。1967年の第三次中東戦争後にPLOに加入し、アラファトがPLOの議長に就任しました。その後、ファタハはレバノンに本拠を移し、1980年代には穏健路線に転換しました。
2006年のパレスチナ評議会選挙ではハマスに敗れましたが、現在もマフムード・アッバースがパレスチナ自治政府の大統領としてファタハを率いています

②ハマス:1987年、パレスチナ住民の反イスラエル闘争(インティファーダ:後述します)が広がった際に結成されたスンニ派イスラム武装組織ガザ地区で活動する戦闘員は約3万人(この数は2023年10月7日の軍事衝突が始まる前の段階での推定)とされています。2006年にはパレスチナ評議会選挙で勝利し、その後ガザ地区を武力制圧し、2007年からガザ地区を実効支配しています
尚、ガザ地区には約230万人のパレスチナ人が住んでおり、世界で最も人口密度が高い場所の一つになっています。ガザ地区はイスラエルが設置した壁やフェンスに囲まれており、移動の自由が無いことから「天井のない監獄」と呼ばれており、住民の約8割が国際支援を頼りに生活している状況です
③イスラム聖戦:1979年のイラン革命に影響を受けて設立されたスンニ派の軍事組織です。ガザにおいては同地区を実効支配する「ハマス」に次ぐ規模を持ち、武力でイスラエルを打倒し、イスラム国家を樹立することを目指しています。ガザ地区における戦闘員数は、正確な数を把握するのが難しいのですが、数千人規模とされています。最近の報道によると、イスラエル軍はガザ地区で600人以上の戦闘員を拘束したと発表しています
*2019年11月、ガザ地区からのロケット弾発射に対する報復としてイスラエル軍によりバハ・アブー・アル=アタ司令官の自宅が攻撃を受け、司令官とその妻が死亡しました


④フーシ派:
イランからの支援を受けたシーア派の反政府武装組織で、イエメン政府と約20年間戦い続け、主にイエメンの北西部と首都サヌアを実効支配しており、サウジアラビアのアシール地方南部にも活動地域があります。フーシ派の戦闘員の数は、2022年の推定で最大約20万人とされています
*今回のハマス・イスラエル戦争において、ミサイルでイスラエルへの攻撃を行うと共に、紅海の出口付近で一般商船の拿捕、米軍への攻撃などを行っています

2024年8月24日_フーシ派、紅海で石油タンカーを攻撃したとする映像公開・原油15万トン積載

⑤ヒズボラ:ヒズボラは1982年に結成されたシーア派イスラム主義の政治・武装組織です。イランとシリアからの支援を受けており、レバノン南部やベイルートを拠点に活動しています。
彼らは、イスラエルの殲滅やレバノンでのイスラム共和制の樹立を掲げており、主な居住地は、レバノンの南部とベイルートの南部郊外です。特にレバノン南部のナバティエ県やベッカー県に強い影響力を持っています。
ヒズボラの正確な人口は公表されていませんが、戦闘員の数は数万人と推定されています。また、ヒズボラはレバノン国内で広範な支持基盤を持っており、特にシーア派コミュニティからの支持が強いと言われています
*今回のハマス・イスラエル戦争においては、度々ミサイルでイスラエルを攻撃しています
FollowUp:2024年9月24日「イスラエルのレバノン空爆、最大規模 死者550人以上に

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パレスチナ地域をめぐる帝国、王国の興亡_Quick Review

パレスチナ地域は紀元前から多くの帝国、王国の興亡があり、これらを簡単に説明するのは容易ではありません。従って筆者が高校時代の世界史の授業で使われた吉川弘文館の「世界史地図」からの抜粋、及びネット上に掲載されている歴史地図を以下の様に年代順に並べ、視覚的に歴史の大雑把な流れを理解してもらうことにしました

紀元前10世紀頃にはイスラエル王国とユダ王国が存在していました

紀元前722年、アッシリア帝国が北のイスラエル王国を征服しました

紀元前587年、バビロニア帝国が南のユダ王国を征服しました

紀元前539年、アケメネス朝ペルシアがバビロニアを征服し、パレスチナ地域を支配しました

紀元前332年、アレクサンダー大王がペルシアを征服しました

紀元前63年、ローマ帝国がパレスチナを支配しました

7世紀、イスラム帝国(ウマイヤ朝、アッバース朝)が支配しました

11世紀、十字軍が一時的にエルサレム王国を建国しました

12世紀末、アイユーブ朝(スンニ派のイスラム王国)が十字軍を排除し、イスラム支配を回復しました

16世紀、 オスマントルコ帝国がパレスチナを含む中東、北アフリカを支配し、この状態が第一次世界大戦まで続くことになりました

1917年、 第一次世界大戦の結果、イギリスがパレスチナとトランスヨルダンを委任統治することになりました

1948年、イスラエル国が建国され、現在に至っています
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ユダヤ人受難の歴史

紀元前12世紀頃の出エジプト記;
出エジプト記/the Exodus」はユダヤ教のヤハウェ神旧約聖書に登場するユダヤ教の唯一神であり、万物の創造者とされています)によるユダヤ民族に対する救済であり、ユダヤ教の成立の最も重要な契機とされていますが、同時代の他の歴史資料には見られません。ただ、パレスチナの遊牧民が豊かなエジプトに移住し、建築労働などに従事していたことはメソポタミア側の資料に出てくることが知られており、全くの虚構であるとは言えません。ヘブライ人の一部がエジプトで奴隷とされたこと、彼らがパレスチナに戻り、その経験がイスラエル人全体の民族的体験に拡大されたことは十分に考えられます
旧約聖書には、ヘブライ人は「ピトムとラメセス」の町の建設に従事したとあり、これはエジプト新王国のラムセス2世(新王国第19王朝のファラオ/在位:紀元前1279年頃 – 紀元前1213年頃)が建設した「ラメセスの家」のことと考えられます

出エジプト記」は、旧約聖書の中の2番目の書(因みに有名な1番目の書は「創世記」)で、モーセがエジプトで奴隷となっていたヘブライ人を率いて、約束の地カナン(現在のパレスティナ地方)へと導く物語が描かれています。旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教において重要な聖典とされており、神と人間の契約、信仰、解放といった普遍的なテーマが扱われています。この物語の中では預言者「モーセ」がユダヤ人を率いて紅海を割って渡り無事に脱出した後シナイ山で神から「十戒」を受け取り、イスラエル人と神との契約が結ばれます。このエピソードは大変ドラマティックなので、ハリウッドで映画化されており、私も幼い頃この映画「十戒」を見て大変感動したことを思い出します。因みにモーセ役は、確か?「チャールトン・ヘストン」、ラムセス2世役は「ユル・ブリンナー」が演じていたと思います

古代ローマ時代のユダヤ人迫害
古代ローマは紀元前753年に建国され、紀元後476年に滅びました。紀元前1世紀から紀元後3世紀まではローマ帝国の最盛期と見なされています。古代ローマ時代とは王政ローマ期(紀元前753年~紀元前509年)を指しますが。この時代ローマ帝国の支配下で、ユダヤ人は何度も反乱を起こし、その結果、パレスチナからの追放や、ローマ帝国各地への分散(ディアスポラ)を経験しました
ディアスポラとは:ギリシャ語で「散らされたもの」という意味を持つ言葉です。歴史的には、故郷を離れて世界各地に散らばった人々やそのコミュニティを指す言葉として用いられて、特にユダヤ人のディアスポラが有名で古代イスラエル王国の滅亡後、ユダヤ人たちはバビロン捕囚(下記参照)などを経て、世界各地に散らばっていきました。このユダヤ人のディアスポラは、長い歴史の中で宗教的迫害や政治的な動乱など様々な要因によって繰り返され、現代に至るまで世界各地にユダヤ人コミュニティが存在しています
ユダヤ人のディアスポラの特徴としては以下が挙げられます
① 故郷・イスラエルの地への強い思い
② 離散先でも独自の文化や伝統を守り続ける
(⇔他民族と同化しない?)
③ 迫害を受けた結果としてのユダヤ人コミュニティー内の強い結束力

紀元前5世紀 のバビロンの捕囚
新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを始めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、移住させられた史実を指していますネブカドネザル2世は、ユダ王国の首都エルサレムを含む多くの都市を征服しました。彼は生き残った人々の大半をバビロンに強制移住させました。 最初の捕囚は紀元前597年、その後紀元前587年(又は586年)、紀元前582年(又は581年)、最後の捕囚は紀元前578年に行われたとされています
その後これらの捕囚となったユダヤ人はアケメネス朝ペルシャの初代の王キュロス2世による勅命(紀元前538年)によって解放され、イスラエルに戻ってエルサレムで神殿を建て直すことを許されました

中世ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害
1.1096年の第一次十字軍中に、多くのユダヤ人が殺害された「十字軍の虐殺」がありました。特に「民衆十字軍」と呼ばれる一団が、ヨーロッパ各地を通過する際にユダヤ人コミュニティを襲撃し、多くのユダヤ人を殺害しました。虐殺の正確な人数を特定するのは難しいですが、歴史家たちは数千人から数万人に及ぶと推定しています
こうした迫害が起こった背景は以下が考えられます;
宗教的要因:十字軍は、キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還することを目的としており、この宗教的熱狂は、異教徒と見なされたユダヤ人に対する敵意を煽ることになりました。多くの十字軍参加者は、ユダヤ人を「キリストの殺害者」として非難し、彼らに対する暴力を正当化しました
経済的要因:ユダヤ人は中世ヨーロッパで商業や金融業に従事しており、しばしば富裕層と見なされていました。十字軍の遠征には多額の資金が必要であり、ユダヤ人の財産を略奪することで資金を調達しようとする動きがありました
社会的要因:中世ヨーロッパでは、ユダヤ人はしばしば社会の周縁に追いやられ、差別や迫害を受けていました。十字軍の遠征は、このような社会的緊張を一層悪化させ、ユダヤ人に対する暴力行為が頻発しました

2. 1492年、スペインのカトリック君主フェルナンドとイサベルによってスペインからユダヤ人が追放されました
3.ポルトガルでも1497年にユダヤ人が強制的に改宗させられ、逃亡した者は処罰されました

近代ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害
1.ロシア帝国によるユダヤ人迫害
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ロシア帝国やその周辺地域でポグロム(Pogrom/ロシア語/破壊、暴動)と呼ばれるユダヤ人のコミュニティーに対する暴力的な襲撃が頻繁に発生しまし、多くの人々が殺害されたり、財産を奪われたりしました。その他に;
皇帝エリザヴェータ(在位1741-1762)の時代には、ウクライナ、ロシアからのユダヤ人全員を追放し、以後入国も禁止しました
皇帝ニコライ1世(在位:1825年 – 1855年)は、ユダヤ人対策を強化しました。ユダヤ人に対してロシアの学校に通学するか、ロシア語で授業をすることを強要したものの、ロシア帝国公認の学校に通うユダヤ人生徒数は数千人にとどまった為、皇帝はユダヤ人への不信感をつのらせ、密輸入やスパイ容疑をかけられたユダヤ人は定住地域の境界線から50km以内の町や村からの強制退去を命じました。1827年にはユダヤ人徴兵法が成立させ、それまで人頭税で兵役を免除されていたユダヤ人にも兵役が義務づけられ、7歳以上のユダヤ人の子供を軍事教練に送りこむと同時にキリスト教に改宗させました
皇帝ニコライ2世(在位1894 – 1917年)は、1882年の臨時条例よりもユダヤ定住地域をさらに狭めて、ロシア人農民がユダヤ人から搾取されないようにユダヤ人の田園地帯・キエフ・ヤルタ(皇帝離宮がある)などでの居住を禁止すると共に、定住地域外では、ユダヤ人がロシア風を名乗る改名を禁止し、ユダヤ商店ではユダヤ人であると分かるように店舗に明示することが義務づけました。また、1887年から学校でのユダヤ人定員が制限されました

Follow_Up:2024年10月3日「イスラエルの強硬姿勢の源流ホロコーストともう一つの「虐殺」とは_朝日新聞デジタル

2.ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害
 1933年から1945年にかけて、ナチス・ドイツによるホロコーストが最も悲惨なユダヤ人迫害の一つです。約600万人のユダヤ人が虐殺されました
*アンネの日記:チスドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっています。国家社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人狩りを避けるために、咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ8人のユダヤ人達の生活を下の写真にある少女・アンネ・フランクが活写したもの。密告によりナチス・ドイツのゲシュタポに捕まるまで、執筆期間は1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されており、彼女の死後、生き残った父オットー・フランクの尽力によって出版され、世界的ベストセラーになりました


*夜と霧:
精神科医であった
ヴィクトール・E・フランクルのドイツ強制収容所の体験記録ですが、余りにも有名な書なので読んだことがある人は多いと思いますが、私は少年時代夏休み中父の実家に行ったときに従姉の本棚からこの本を見つけて読みました。この時の衝撃は忘れられません
ユダヤ人狩りはドイツ内だけでなく、ナチスドイツが占領した国々でも行われ、下図にある強制収容所に送り込まれした

Poland/ Germany: Jewish men, women and children surrender to Nazi soldiers during the Warsaw Ghetto Uprising, May 1943. (Photo by: Pictures from History/Universal Images Group via Getty Images)

収容されたユダヤ人の運命は「死」

*我が闘争:ナチス党を創立したアドルフ・ヒトラーは、 1923年11月9日にクーデター(ミュンヘン一揆)を企てましたが失敗に終わり、逮捕・投獄されました。この書はその獄中で執筆を開始しました。この書でヒトラーは、自身の思想やナチズムの理念を体系的にまとめています。主な内容としては;
ヒトラーの生い立ちと政治思想の形成(アーリア人優越論)幼少期からナチ党結成までの経緯ヴェルサイユ条約批判反ユダヤ主義(ユダヤ人に対する憎悪反共産主義民族主義など、ヒトラーの思想形成過程が描かれています
この書が、ナチス党が政権を取りヨーロッパの国々を占領した後のユダヤ人の拘束と、虐殺に繋がったことは明らかです
尚、この書にはユダヤ人に対する憎悪程ではありませんが、日本文化を軽蔑している箇所があります。太平洋戦争開戦の重要なきっかけとなった日独伊三国同盟(1940年9月27日締結)を強力に推進した外務大臣・松岡洋介や陸軍幹部(⇔海軍はこの条約に反対していた)がこの書を読んでいたのか不思議と思わざるを得ません(筆者個人の意見)
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イスラエルの独立とパレスチナ人受難の歴史

第一次世界大戦(1914年~1921年)中のイギリスは、強大な敵であるオスマントルコ帝国との戦いを有利に進める為に、1915年に帝国内のアラブ人に対して独立を支持することを約束しました(マクマホン協定)。一方、1917年には裕福なユダヤ人から莫大な戦費を賄うための財政支援を受けるために、イギリス外相バルフォアがパレスチナにユダヤ民族国家の建設を認めることを約束しました(バルフォア宣言)、この矛盾する約束を行っていたことが、1948年のイスラエル独立ともに、イスラエルとアラブ諸国との間の熾烈な戦争を招くことになりました
*ハリウッドの大作映画「アラビアのロレンス」は、イギリス軍から派遣されたロレンスが、アラブ世界の盟主であるサウド王と協力してトルコ帝国軍を打ち破る成果を挙げたものの、イギリスの裏切りにあって失意の内にアラビアから去っていく物語です

戦争の結果、オスマントルコ帝国は敗北し、1920年に連合国 との間でセーヴル条約)を結びました。この条約により、帝国の領土は大幅に削られることとなりました
(注)この条約では、帝国内の領土であったイラクパレスチナ・シリア全域アラビア半島の放棄イスタンブールと隣接地以外のギリシアへの割譲、治外法権の存続、財政の連合国共同管理などが定められています
この条約により、帝国の領土は大幅に削減され、最終的には1922年にオスマン帝国は崩壊し、トルコ共和国が成立しました。ケマル・アタテュルク率いるアンカラ政府受諾を拒否し、ギリシア・トルコ戦争の勝利後、1923年にローザンヌ条約を結び、セーヴル条約 を破棄しました

第二次世界大戦後、国際連合総会は1947年11月29日にパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する「国連決議181号」を採択しました。この決議は、パレスチナ地域の56%をユダヤ人国家に、43%をアラブ人国家に割り当てる内容でした
この分割案は、イギリスの委任統治を終わらせ、エルサレムを特別な国際管理地区とする内容ですが、ユダヤ人側はこの案を受け入れたものの、アラブ諸国およびパレスチナ側の指導者たちは拒否しました。その結果、地域内での緊張が高まり、以下の中東戦争が勃発しました
*以下を見ると分かるのですが、第一次~第四次中東戦争を経るうちにイスラエルの占領地が徐々に増えていくことになります

第一次~第四次中東戦争とレバノン内戦;
第一次中東戦争(1948年5月~1949年3月);
参戦国: イスラエルエジプト・ヨルダン・シリア・レバノン・イラク・サウジアラビア・イエメン
勝敗: イスラエルの勝利
死傷者数: イスラエル側6,373人が戦死。アラブ側ではエジプト約2,000人、シリア約1,000人、その他の国も含めて多数

第二次中東戦争
1956年10月~11月);
参戦国: イスラエル・イギリス・フランスエジプト
勝敗: イスラエル、イギリス、フランスの勝利
死傷者数: イスラエル側で231人が戦死エジプト側では約1,000人が戦死

第三次中東戦争(1967年6月);
参戦国: イスラエル 対 エジプト・シリア・ヨルダン・イラク
勝敗: イスラエルの勝利
死傷者数: イスラエル側で776人が戦死。アラブ側ではエジプト約11,000人、シリア約1,000人、ヨルダン約700人
この戦争はイスラエル側の圧倒的勝利に終わり、イスラム教の聖地でもあるエルサレムを含むヨルダン川西岸地区ガザ地区だけでなく、エジプト領のシナイ半島シリア領のゴラン高原をも占領しました
イスラエル軍は、以後テロリストや武装グループとの戦闘、治安維持活動、または反政府活動を行うパレスチナ人に対する抑圧的な作戦を行っています。これらの作戦は屡々パレスチナ人との間での衝突を引き起こし、暴力の連鎖を生んでいます
ヨルダン川西岸地区は、国際的にはパレスチナの一部として認識されていますが、イスラエルはこの地域にユダヤ人の入植地を建設しています
2023年~2024年にかけて、イスラエル軍の活動はエスカレートしており、特に入植地周辺やパレスチナ人居住区での家屋の破壊、住民の拘束を行うことからパレスチナ人との衝突が増加しています

第四次中東戦争(1973年10月);
参戦国: イスラエルエジプト・シリア
勝敗: イスラエルの勝利
死傷者数: イスラエル側で約2,800人が戦死、8,000人が負傷エジプトとシリア側では約15,000人が戦死、30,000人が負傷
* この時アラブの石油輸出国は、原油の生産量を減らすとともに、イスラエルを支持する国々への輸出禁止を決定しました。 1974年には原油価格が4倍に上昇し、石油輸入国に大きな打撃(日本における「第一次オイルショック」)を与えました
この戦争の後、エジプトとイスラエルの関係は大きく変わりました。この戦争はエジプトとシリアがイスラエルに対して奇襲を仕掛けたもので、シナイ半島やゴラン高原の奪還を目指していました

戦争後、エジプトとイスラエルは和平交渉を進め、1978年にキャンプ・デービッド合意が成立しました。この合意に基づき、1979年にエジプトとイスラエルは平和条約を締結し、1982年までにイスラエルはシナイ半島をエジプトに返還しました
この和平条約が中東における重要な転換点となり、エジプトはアラブ諸国の中で初めてイスラエルを公式に認めた国となりました。シナイ半島の返還はエジプトにとって大きな勝利であり、地域の安定に寄与することとなりました

レバノン内戦(1975年~1990年)
この内戦は、レバノン国内の様々な宗教・政治勢力間の対立が原因で発生し、イスラエルやシリアなどの周辺国も関与し、1982年から1985年にかけてのイスラエル軍も介入しました;
参戦国: イスラエル レバノン(PLO)
勝敗: イスラエルの勝利
死傷者数: イスラエル側で368人が戦死レバノン側ではPLOの戦死者数は不明だが、レバノン市民も含めて多数死亡(推定で12万人~15万人が死亡)したと言われています

第一次~第四次中東戦争、レバノン内戦後のパレスチナ紛争
1.エルサレムの帰属に関わる紛争;

アルアクサ・モスクと嘆きの壁

エルサレムはユダヤ教キリスト教イスラム教の聖が集中しているため、宗教的・政治的な対立が絶えません。特に、エルサレム旧市街の「アルアクサ・モスク」を巡る衝突が頻発しています。2022年には、イスラエル警察とパレスチナ人の間で激しい衝突が発生し、多くの負傷者が出ました。このような衝突は、宗教的な祝日や政治的なイベントが重なる時期に特に激化します。
尚、エルサレムの帰属問題も依然として解決されていません。イスラエルはエルサレムを永遠の首都」と宣言していますが、多くの国際社会はこれを認めておらず、大使館をテルアビブに置いています(⇒ただ米国のみは、2018年トランプ大統領が米国大使館をテルアビブからエルサレムに移動させました)。この問題は中東和平交渉の大きな障害となっています

2.インティファーダとオスロ合意;
アラビア語( اِنْتِفَاضَة, ʾintifāḍa)で「揺れ」や「蜂起」を意味し、現代では主に民衆蜂起を指します。特に、パレスチナにおけるイスラエルの軍事占領に対する抵抗運動として知られています;
*第一次インティファーダ(1987年~1993年):
ガザ地区での交通事故をきっかけに始まりました。多くのパレスチナ人が参加し、イスラエルの占領に対する抗議活動が広がりました

オスロ協定;
1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で同意された一連の協定です。 この合意は、ノルウェーの首都オスロで主に協議されたことから「オスロ合意」とも呼ばれています。具体的には以下の二点が合意内容とされています;
イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する
② イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し5年間にわたって自治政府による自治を認め、その間に後の詳細を協議する

⇒ 残念ながら現在まで実質的な進展はありません

*第二次インティファーダ(2000年-2005年):
イスラエルの政治家アリエル・シャロンがアル・アクサ・モスクを訪れたことが引き金となり、暴力的な抗議活動が再燃しました

*Follow Up_2024年8月29日_イスラエル、ヨルダン川西岸で大規模作戦・10人死亡

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おわりに(パレスチナ戦争に関する私見)

ここまで縷々述べてきたように、3千年に亙る巨大帝国・王国の興亡の中で生き延びてきたユダヤ人とアラブ人の歴史は、モンゴル帝国の2回の侵略しか経験のない島国日本人には到底理解できないことは自明のことです。また、明治維新以降、連戦連勝の侵略戦争を経験はしましたが、終戦後のGHQに対する極めて従順な日本人のMindset(思考回路?)からは、パレスティナ人の不屈の抵抗精神や、2千年を経てやっと獲得した国家を守る気概は到底理解することはできないと思います

昨年(2,023年)10月7日に始まった今回のイスラエル・パレスティナ戦争において、ハマスの急襲によって1139人が殺害され、251人が拉致された事による怒りは、大日本帝国が傀儡政権である満州国を設立したあと、中国軍との緊張が高まる中で発生した「通州事件」により国民の怒りが爆発し、日中戦争を抑止しようとする人々の声を消し去り日中戦争を開始するに至った状況に似ている様な気がします。累々と横たわる同胞ユダヤ人の遺体の報道写真を見たイスラエル国民の怒りがイスラエル軍の情け容赦のない ガザ地区侵攻となったものと想像できます

一方、世界で最も人口密度が高いガザ地区(あの狭い地区に約230万人のパレスチナ人が住んでいる)での戦闘は、ハマスと一般住民の区別がつかないことから2024年8月現在で4万人を超える犠牲者が出ており、人道問題になっています
イスラエル側にしてみれば、ハマスが降伏をしない限り攻撃するというやり方は、第二次世界大戦で敗戦濃厚な時期のドイツや日本で、大都市のじゅうたん爆撃で多くの一般人が亡くなったことを思い出させます

パレスティナ人には、周りを取り巻く多くのアラブ人やイスラム教徒の同胞がいます。一方イスラエル人には先進国中心に多くのユダヤ人コミュニティーがあり、これらの国々からのサポートがあります。従って、この戦争は一方が決定的な勝利を収める結果は無いと私は思います

現在、米国、エジプト、カタール中心で行われている停戦協議をきっかけに「オスロ合意」をベースにイスラエルとパレスチナ2国家共存の仕組みを具体化することを目指すべきと私は信じています。
イスラエル側が停戦条件にしている「エジプトとガザ地区の境界(フィラデルフィ回廊)にイスラエル軍を駐留させること」をハマス側が強力に反対しているのは、イランなどからの武器の供給が絶たれることにあると思われます。イスラエル側としても武器は外部から提供される限りいずれ同じような侵攻があると考えていると思われます。であれば、国連軍によるこの地区の駐留も考えてもいいと思います
また、遠い将来になるかも知れませんが、ガザ地区と穏健化したヨルダン川西岸地区間のアラブ人の間の交流を行うための陸上の回廊を設けること、及びヨルダン川西岸地区へのイスラエル人の入植をやめることも必要であると考えています、、、、、

Follow_Up:2024年10月1日「イスラエル軍 レバノン南部で“限定的な地上作戦を開始した” _ NHK

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以上

初春から初夏にかけての農作業!

はじめに

屋上菜園の一年間の作業を俯瞰すると、初春から初夏にかけての時期は以下の様な作業や、昨年の実績を踏まえた幾つかの新しい試みを考え、且つ具体化しなければならず、中々大変な時期と言えます主なポイントは;
* 冬の期間に植え付け、5月末頃に収穫する予定の野菜(ジャガイモ、タマネギ)
* 秋冬野菜収穫後のコンテナの土の再生(特に大型コンテナはかなりの重労働)
* 各種夏野菜の種まき、育苗、植付
* 昨年の夏野菜栽培の反省に基づく工夫(温暖化に伴う7月からの猛暑への対応)
* 長ネギ供給責任を果たすこと(昨年後半には長ネギの供給ができなかった)
以下は、そのご報告になります

作業報告

<ジャガイモ、タマネギの生育状況>

ジャガイモは、昨年と同じ「きたあかり」を植え付けました。昨年は、ジャガイモのコンテナにヨトウムシ日中は地中に居て、夜になると地上に出て葉を食い荒らす)が住み着き、毎晩ワイフとヨトウムシ退治をしたものの、葉がかなり食い荒らされてしまいましたが、今年はコンテナの土の再生の段階で念入りにヨトウムシの蛹を排除しておいたお陰で、左の写真の様に少なくとも葉は見事に育っているので昨年以上の収穫量が期待できそうです

タマネギについては、葉の高さが最大となる3月に例年に比べ強風が吹き荒れた日が多かった影響がありました。以下の表は拙宅の近く埼玉県所沢市の風速の記録ですが、10m/s以上の強風が吹き荒れた日が多く、2月まで順調に育っていたタマネギは右の写真の様に全て倒伏してしまいました

その後、倒れた茎は元に戻らず残念ながら生育はそこで止まってしまったようです。ただ、今年はペコロスとして密植して育てたタマネギを含めると最終的にはなり沢山収穫できそうです。因みに、ペコロス栽培を行った標準コンテナ9個の内3個のコンテナの試し掘りを行った所、写真の様に大小合わせてかなり育っていました

<大型コンテナの土の再生方法の変更>
年々体力の衰えを実感しつつあり、大型コンテナの土の再生が重荷となってきました。そこで、昨年後半からは土を運ぶバケツのサイズを小さくするとともに、コンテナの底に多少土を残したままにし、この土に堆肥・化成肥料を混ぜて、この上に自宅の木々が撒き散らした枯葉を乗せ、その上に再生した土を追加する方法に変えました。これにより腰の負担がかなり軽減されると共に、歩く距離は逆に増加し、運動不足の解消に役立つようになりました

<各種夏野菜の種まき、育苗、植付>
1.夏野菜の王様:トマト(中型、大型)、ナス(中ナス、小ナス、水ナス)キューリの栽培
もうかなり以前から夏野菜のうち、出来るだけ早く苗を育てる必要があるものは、1月後半から室内にある発芽器大型コンテナに水を入れ、熱帯魚用のヒーターで28℃前後に温め、これにトレーを浮かべて発芽させる装置)に育苗ポッドに種をまきトレーに乗せて発芽させま
発芽した苗は、屋上に設置した育苗器室内同様の装置+発泡スチロールによる断熱)で出来る限り日光に晒すことにより育苗を促進します。この育苗器は、夜間及び気温の低い日は温度が下がらない様に上に透明のカバーを掛けます
苗がある程度成長し、夜間の低温に耐えられそうになったら、左の写真の様な簡単なビニールハウスに移し、大型コンテナに移すことができるまで育てます。尚、この時は育てた苗を育苗ポッドのまま標準コンテナの土に埋め込んで育てます(水やり忘れによる枯死、成長遅れを防ぐため)。4月に入ってから、こうして育てた苗を大型コンテナに植え付けました。現在順調に育っています

新しい試み;
昨年(2023年8月)報告したブログ(酷暑の中の野菜栽培)で、記録的な酷暑の中でキューリが7月中旬に全て枯死してしまったことを報告しました。8月中に苗を購入し再挑戦したものの、十分な収穫が得られませんでした。最近は、自宅周辺でキューリの露地栽培は行われておらず、全てビニール栽培になっているのも頷ける気がします
今後も温暖化の傾向は続くことが予想されるところから、今年は屋上栽培でも下記の様に予めできる限りの対応を行う事にしました;
a)気温の上昇に合わせ、何時でも遮光ネットを使えるようにすること
b)キューリの根は、地表近くにあることから、地表面に「ワラ」を敷くこと
c)最高温度になる時間帯は12時~15時と思われることから、南南東向きとなるペントハウスの壁に沿って植える

おまけ!;
毎年苗を育てる過程で、最後に一鉢に2本の苗が育ち、最後に泣く泣く引き抜いて捨てていましたが、年々自分の死が間近に迫ってくる?と可哀そうになり、今年はトマトとナスについて引き抜いた苗をもう一度植えなおしてみました。何と!全ての苗が生き残り立派な苗に育ちつつあります

ここまで育った苗は勿論捨てるに忍びなく、苗を貰ってくれる人も近所にはいないことから、この後も中型コンテナで小さく育ててみようかと考えていますが、屋上の狭いエリアにどう配置するか、、、

2.縞ウリ、オクラ、ズッキーニ(我が家の定番夏野菜)
これらについても、トマト、ナス、キューリと同じように種から発芽器育苗器ビニールハウスを経て育てました。大型コンテナに移しても今の所順調に育っています

<その他の野菜類の栽培>
これまで何回も植えて実績のある野菜類についても、我が家の消費量に合わせて今年も植え付けております
1.豆類:枝豆、つる無しインゲン、3尺エンドウ、絹サヤエンドウ
これらはいずれもコンテナに直接種を撒きます。注意点は発芽してちょっと成長するまで鳥に食べられない様に不織布で覆っておく必要があります拙宅では野鳥のえさ場を設けて毎朝餌をあげているので屋上が鳥の中継場所になっています。冬場のキャベツ、白菜の一部も毎年被害にあっています
現在の生育状況は以下の通りです;

2.長ネギ
昨年末(2023年12月)報告したブログ(秋冬野菜の現況と一年間のレビュー)で、秋に植えたネギの生育が遅れ、我が家で重要な供給責任が果たせなかったことを書きましたが、この時細かったネギは現在以下の様に成長しており、近いうちに供給責任が果たせそうです;

尚、大型のコンテナについては、このまま土を足していけば白い茎の長いネギになりますが、中型、及び標準のコンテナについては、茎の部分を何らかの方法(SNS情報によれば新聞紙でもいいと書いてありました)で覆って、光を通さないようにして、もう暫く育てる必要があります。近々その方法を考えたいと思っています

3.その他諸々の野菜;
冬の間自作のビニールハウス?で栽培して生き残っているハーブ(各種のミント、レモンバーム、ミツバ、ディル、パセリ、オレガノ、チャイブ)

昨年から栽培を始めたハーブはオレガノチャイブです。今の季節はチャイブの花が咲いています。チャイブはネギ類に属するハーブなのでネギ坊主の様な花ですが、紫色で大変美しく、切り取って卓上に飾っています
大好きなイタリアン料理で欠かせないバジルは、現在居間の出窓で利用可能になっていますが、新しく屋外栽培用に種を撒いたものは現在発芽した所です

春大根
久しぶりに春大根を栽培してみました。やや大型で深いコンテナが3ヶ空いていたので、ここに18本の春大根を育て、途中9本間引き(大根の直径5センチ程度)、その後3本収穫し(大根の直径8センチ程度)、現在の栽培状況は右の写真の通りですが、残っている6本は現在売られている大根程度には育ちそうです;

③ 20日大根、サニーレタス、レタス、水菜
これらは、最近ほぼ毎食生野菜として食べています。従って、常に切らさない様に栽培しています

写真右上は、20日大根(白カブ、赤カブ)を育ててている様子です。簡単に発芽し根も浅いので、収穫後にコンテナの土を再生するのは手間なので、同じ中型のコンテナで収穫しながら種を撒き、次の収穫に備えるという方法を始めてみました。収穫が終わる頃には次の株が収穫できるという具合です。20日大根ならではの栽培法です

<肥料についての実験>
ホームセンターに行くと、肥料の中に「ぼかし肥料」というものが売られています。通常の化成肥料よりも値段が張ることもあり、何だか効果がありそうな気がしたので調べてみました
拙宅ではコメは玄米を使っているので「米ぬか」が沢山あります。また、顆粒出汁を使うのは私だけで、ワイフや料理の得意な同居の息子は、常に昆布と鰹節を使って出汁を取るので、乾燥した「出汁ガラが沢山でます(昆布のほうは最終的に食べるのでガラは残らない)。また、数年来、大型トマト栽培でカルシウム不足に伴う「尻腐れ病」に悩ませられていましたので、毎日消費する「卵の殻」を肥料にできないか考えていました

そこで、これらの米ぬかや出汁ガラ、卵の殻の肥料成分を調べてみました;
① 米ぬかの成分は、窒素分2〜2.5%、リン酸4〜6%、カリ分1〜1.2%ほどの配合で成り立っており、他にもミネラルやビタミンも豊富です。 これらの栄養分は有機肥料として、そのまま植物への栄養になり、とくに窒素分は植物の茎葉に、リン酸は花の成長に効果があります
② 鰹節にはアミノ酸が含まれており、 根や微生物の働きで徐々に分解されていきます。成分としては、窒素 7% リン酸 4% カリ 1%と言われています
 「卵の殻」は、土の酸度(pH)の調整に役立ちます。日本は降雨量が多く、雨は酸性(酸性雨)なので、雨が降り注ぐ畑の土は酸性に傾きやすい傾向があります。多くの野菜は、pH5.5~7.0の弱酸性から中性の土壌を好みます
卵の殻は主に炭酸カルシウムで構成されており、植物の細胞壁の形成、光合成、栄養素の輸送、および植物ホルモンの生成に必要な重要な栄養素です。 カルシウム不足は、植物の成長を妨げ、特に果実の形成を阻害します

私が屋上栽培で使っている化成肥料は、8-8-8などとハイフンで区切られて大きく数字が表示してありますが、この数字はその化成肥料に含まれる、窒素、リン酸、カリの重量含有率を表しています。 8-8-8ならば、窒素8%、リン酸8%、カリ8%であり、「米ぬか」、「出汁ガラ」、「卵の殻の肥料成分は化成肥料と同等以上の効果がありそうです
ただ、「ぼかし肥料」の説明にある様に、効果を十分に出すにはこれらの有機物を発酵させなければならないようです。素人が発酵まで手を出すのは無理なので、今回はトマトとナスにこの三種の有機肥料を施し、効果を確かめて見ることにしました。結果はどうなることやら、、、

以上

 

核融合炉についてちょっと勉強してみました

はじめに

地球温暖化の影響は近年益々深刻化し、昨年は世界的な規模で干ばつ・大規模森林火災、海水温の異常などが発生し、特に発展途上国の人々の生活に深刻な影響を与えているとの報道が相次ぎました
一方、昨年(2023年)末ドバイで開催されたCOP28では,はかばかしい進展はありませんでし。特に日本の取組状況に関しては、欧米先進国に比べて火力発電所の廃止ペースが劣後しているため、岸田首相演説に対し前回に続いて環境団体から「化石賞」を贈られる始末でした

日本を含む先進諸国は、再生エネルギーだけでは早いペースの脱炭素化は実現できないことから、再び原子力発電によるエネルギー供給を増やそうとしています。日本は、2011年の東日本大震災による原子力事故以降、当面は現存の原子力発電所の再稼働がメインの課題となりますが、欧米先進国は、新しいより安全な原子炉の開発に舵を切りつつあります;「ニュースケール・パワー」、「三菱重工・革新型軽水路の構造
また、新しいエネルギー源としてのクリーンな水素の製造手段としての「 高温ガス炉・実証炉の建設」についても日本のメーカーを含め開発が始まっています
<参考>
*2024年4月4日:「次世代原子炉で水素製造へ 安全試験成功、28年にも実証
*2022年7月20日:「高温水蒸気電解とは

しかし、これらはいずれも核分裂反応の原子炉であり、大量の核廃棄物の再生産を伴ってしまうことを考えると、2050年を視野に入れた脱炭素の歩みにとっては所詮リリーフの役割を期待されているに過ぎないとも言えます
やはり、脱炭素の本命は太陽のエネルギーの源である核融合反応を地上に於いて実現する「核融合炉」であることは論を待たないと思われます。日本は核融合炉の研究では世界の第一線で活躍しています。見出しの写真は、現在日本の核融合炉の研究で使われている巨大な実験設備です

残念ながら私は、大学時代航空学(ニュートン力学から発展した流体力学、熱力学までの知識で足りる!)が専門であったことから、核融合反応を理解する為に必須な量子力学一般相対性理論をきちんと学んではいません。こうした理論の結果だけを学ぶ手段として左の写真にある書籍「人類の未来を変える核融合エネルギー」を可能な限り丹念に読み込むと同時に、この本が2017年に初版を発行したのみになっていることもあり、その後の開発の進展、最新の技術情報や画像などはネット生成AIから入手することとし本ブログを纏めることとしました
尚、この本は8つの Chapter、83のSection の構成になっており、これらを左の写真にある7人の一流原子物理学者が分担して担当している為、相応の重複があります。一方、このブログの目的が「素人でも分かる核融合炉の理論、開発状況」であることに鑑み、勝手に構成を変えておりますので、核融合炉についてもっと深く知りたい方はこの本を購入してお読みになることをお勧めします

基礎知識

1.数字の読み方(理系の方は読み飛ばしてください!)
まず核融合反応についての説明を読むと、数字の桁数が異常に大きいか、異常に小さいことが多く、通常我々が扱う数字の範囲を超えており、これにたじろぐ人が多いのではないかと感じました。しかし私の経験から、これについては慣れが必要ではありますが、以下の3点を抑えておけば慣れるのはそれ程困難ではないと思われます;
数字の読み方については、日本語の場合「一、十、百、千、万、10万、百万、千万、、、」と大きな数字の読み方は「万」の単位以降は4桁単位で変わっていくのに対し、英語では「One,Ten,Hundred,Thousand,Million,Ten million,,,」と「Thousand」の単位以降3桁ずつ読み方が変わっています。また、アラビア数字で表記する場合、3桁ずつにコンマが入り、英語の場合はコンマの数で簡単に数字の読みが判断できます。桁数が増加した時に日本人には数字を読むのに苦労しますが、これは英語の読み方を覚え、慣れることで解決することがお勧めです(外国人と英語で数値のやり取りをする際にも役立ちます)
桁数は非常に重要です。通常、10n(分数の場合nはマイナス)と表記しますが、このnの数字は桁数を表します。例えば3桁といえば 103 =1,000(  10-3  1/1,000)になります。また、大きな桁数同士の掛け算(割り算)桁数は二つの桁同士の足し算(引き算)になるという便利な表記の仕方です
*例えば、103x105 =108 ;103÷105 =10-2
③ 科学で扱う数字については、桁数が異常に大きかったり、異常に小さかったりした場合、もう一つ大切なものは「有効数字」という概念です。通常、科学で数字を扱う場合、大きい意味を持つのは上3桁程度あれば十分です(例えば円周率の3.14159,,,,,のうち、普通に使われるのは上3桁の3.14)。この表記を使えば、どんな大きな数字でも、小さな数字でも「有効数字」x10nで表現できます

2.エネルギー・力の正体(高校物理が嫌い?な方は読み飛ばしてください!)
*以下の式の定数などは有効数字3ケタで表示しています
物体の熱エネルギーは、構成している原子や分子の運動によるエネルギー(=運動エネルギー)です。エネルギーの単位には、ジュール、カロリー などがありますエネルギーと温度のと関係は以下の式で定義されています;

ボルツマン(1844年~1906年/オーストリア)

E = k x T
E: 物質の熱エネルギー
k: ボルツマン定数:1.38 × 10-23
T:絶対温度 (単位:ケルビン)で表示された温度。摂氏で表示されるとの関係は、摂氏温度が「t℃」とすると;
T = t + 273.15

プランク(1858年~1947年/ドイツ)

ガンマ線、X線、紫外線、可視光線、電波、などは電磁波と総称されますが、以下に示す様にエネルギーを持っており、電磁波のエネルギーと周波数との関係は以下の式で定義されます;
E = h x 入
E:電磁波のエネルギー
プランクの定:6.63 ×10-34
入:周波数(古代ギリシャ語で「ニュー」と発音されます)
<参考>後段の核融合炉の具体的説明の中で、プラズマの加熱を「強力な高周波」で行っていることが出てきます

湯川秀樹(1907年~1981年)

③ 核力
陽子
中性子などの核種同士を繋ぎ留める力で,力が及ぶ距離は、1fm1×10-15メートル)程度の極く近接した距離のみで働く力ですが、クーロン力(下記)に比べ非常に強い力です。日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹
博士により、この力は中間子によって媒介されていることが証明されています
fm(フェムトメートル)は、原子核の大きさや素粒子の波長を測る際に用いられる非常に小さな単位です。例えば、陽子の半径は約1fm、電子の波長は約0.003fmです

④ 電気力(クーロン力)・ 磁気力

クーロン(1736年~1806年/フランス)

クーロン力とは、真空中の2つの電荷間の電場の中で発生する引力または斥力(反発する力)です。電荷の符号が異なれば引力、同じであれば斥力が働きます。クーロン力は以下の式で表されます;
F = k x q1x q2 ÷
F:クーロン力
k:真空の誘電率
q1、 q2:電荷の大きさ
r:2つの電荷間の距離

エルステッド(1777年~1851年/デンマーク)

磁気力とは、磁石が互いに引き合ったり反発し合ったりする力です。磁石の周りに存在する磁場によって引き起こされます。磁気の符号(S極/N極)が異なれば引力、同じであれば斥力が働きます。磁気力は以下の式で表されます;
F = μ₀ x (m₁ x m₂) ÷ (4π x r²)
F :磁気力
μ₀ :真空の透磁率
m₁ , m₂:磁荷の大きさ
r :磁荷間の距離

後段に出てくるプラズマの挙動で重要な意味を持つローレンツ力は、こうした電場、磁場に関する理論が基になっています
尚、上記のクーロン力磁気力の二つの式で重要なことは、いずれもその力が距離(r)の2乗に反比例していることです。例えば、核融合反応では水素の原子核(陽子/プラスの電荷)同士が結合しようとすると、近づけば近づくほど強い反発力が生まれ、結合しにくい訳ですが、ある距離まで近づけることができれば核力が働いで結合することができることになります

3.核反応を扱う場合に必要な元素の周期表の知識
分子、原子、電子、放射線、元素原子量原子番号、を理解するには元素の周期表などの知識が必須です。これらについては高校時代の物理で学んだことがある人が多いと思いますが、分からない場合は過去の私のブログ「原子力の安全_放射能の恐怖?(マウスでクリックすると現在の画面とは独立して参照することができます)をご覧になってください
以下の説明で、核反応の説明を行うときに屡々参照することが必要となると思われる元素の周期表については、度々私の過去のブログをご覧になるのも大変だと思いますので、以下に表示しておきます;

核融合反応とは

1.核分裂反応と核融合反応
核分裂反応は原子爆弾や現在の原子炉でそのエネルギーを生み出す源泉になっている反応です。元素の周期表にある原子量の大きい「ウラニウム235(原子番号92)」や「プルトニウム239(原子番号94)」が右の図の様に分裂することによって膨大なエネルギーが発生します。発生するエネルギーの量は、元の元素の質量をAとし、分裂後の原子の質量の総和をBとし、その差をΔm(=A-B;質量欠損といいます)とすれば、アインシュタインの「特殊相対性理論」から一回の分裂で発生するエネルギー(E)は以下の様になります;

E = ΔmxC2
Cは光の速度;30万km/秒 ⇒ 3.0 x  108m/秒
⇒ ⇒⇒ E = Δmx9.0 x  1016

これに対して、核融合反応は、周期表にある水素など原子量の小さい元素が集まってヘリウムなどの原子量のより大きな元素に変わることによって核分裂反応と同様に質量欠損が発生し膨大なエネルギーが発生します

質量欠損により発生するエネルギーの大きさは、核分裂の場合と同じ式で定義されます

2.核融合炉が核分裂炉に比べて優れているポイント
① 核融合反応はエネルギーの発生量が桁違いに大きい;
googleの最新の生成AI(GEMINI)の回答
核融合炉: 1グラムの燃料から約600万kWhのエネルギーを発生させることができます⇒これは、石炭約6,000トン、石油約4,200バレルに相当するエネルギー量です。
核分裂炉: 1グラムの燃料から約20万kWhのエネルギーを発生させることができます⇒これは、石炭約200トン、石油約140バレルに相当するエネルギー量です

② 核融合炉は、放射性廃棄物の種類、量、半減期、放射能レベル、処理方法、不測な事故、などにおいて圧倒的に有利です;
googleの最新の生成AI(GEMINI)の回答
核融合炉:
廃棄物の種類>中性子と放射線が主な放射性廃棄物です。これらの放射性廃棄物は、時間の経過とともに比較的短時間で減衰します
参考:中性子による放射化に関し詳しく知りたい方は以下の資料(ネット情報)をご覧ください:「中性子による放射化について
<放射性廃棄物の量>発生する放射性廃棄物の量が大幅に少ない
<放射性廃棄物の半減期>数分から数年程度の比較的短い半減期
を持つ放射性廃棄物が主です
<放射能レベル>核分裂反応に比べて、放射能レベルはかなり低くなります
<処理方法>
比較的短かい半減期の放射性廃棄物が多いので、貯蔵と自然減衰による処理が可能です
<事故などによる不測の事態に発展する可能性>
核融合は常温では起こらず、1億度以上という高温が必要であり、不測の事故(例えば電源の喪失など)が発生しても温度が下がれば自然に反応が停止するので安全性が高いと考えられます。また炉内の物質で放射性の物質は3重水素(トリチウム)のみで、他の物質(ヘリウム、重水素)は放射性物質ではありません

核分裂炉:
廃棄物の種類核分裂生成物とアクチノイド元素が主な放射性廃棄物です。これらの放射性廃棄物は、非常に長い半減期を持ち、何万年もの間危険な放射能を放出し続けます
考:アクチニド元素とは(元素の周期表参照)
元素の周期表の原子番号89のアクチニウムから原子番号103のローレンシウムまでの15元素群のことをアクチノイドといい、全て放射性元素です。原子番号90のトリウム、91のプロトアクチニウム、92のウランは、天然に存在するアクチノイドです。原子番号93のネプツニウム以降は人工元素であり、原子炉内などで生成されます

<放射性廃棄物の量>1gの燃料から、数万ベクレルから数億ベクレルの放射性廃棄物が発生します(ベクレルという単位の意味が分からない方は「原子力の安全_放射能の恐怖?」をご覧ください)
<放射性廃棄物の半減期>数千年から数十万年も続く非常に長い半減期を持つ放射性廃棄物が主です
<放射能レベル>非常に高い放射能レベルを持つ放射性廃棄物が発生
します
<処理方法>長半減期の放射性廃棄物が多いため、安全な処分方法の確立が重要な課題となっています
<事故などによる不測の事態に発展する可能性>
核分裂反応は常温でも起こります。核分裂反応では二つの破片と、平均して2.4個の中性子が発生し、その中性子が次の核分裂を誘発し連鎖反応が続きます。この連鎖がたった20回続いただけで、反応数は4千万倍(2.4の20乗)に上ります
原子力発電では分裂1回から出る中性子の内1個だけが次の核分裂を起こすようにうまく制御しています。しかし、不測の事故で内部構造が破壊されたような場合、爆発的ではないにしろ、勝手に核反応が進んで止められなくなる可能性があります福島事故はまさにこのケースです。核の分裂で出来る2つの破片として色々な物質が出来るので、ある一定の割合で非常に強い放射能をもつ物質が出来ることは避けられません

③ 燃料調達コスト・資源量
核融合炉:
現在計画されている核融合炉の燃料は「重水素」と「リチウム」です。重水素は海水中に約50兆トン存在します。3重水素は、核融合反応で出てくる中性子を使って、リチウムを原料にして核融合プラントの内部で生産します
海水から重水素を分離するには、硫化水素を使った技術(GS法)が使われます。この方法では、重水素と水素の重さの差で化学反応にわずかの差が自然に出ることを利用するので、重水の分離に必要なエネルギーも微小です。GS法による重水素製造は既に工業化されており、いずれ大量生産も可能になると思われます。こうして得られた重水を電気分解して重水素を作ります(因みに、この電気分解に必要なエネルギーは核融合で得られるエネルギーの100万分の1以下です!)
リチウムの回収技術についても既に幾つかの技術が開発済みです。例えば工業技術院・四国工業研究所が開発した「イオンふるい法」があります。これはリチウムだけを吸着する高分子を海水に漬けておくだけです。ただ現在、コスト的にはリチウム鉱山や塩湖から回収したリチウムの方が安価です

核分裂炉:
ウランは地球上で比較的豊富な元素であり、その資源量は約450万トンと推定されていますが、経済的に採掘可能なウラン資源量は約300万トンと見積もられています
核分裂炉の燃料コストは、ウラン資源量だけでなく、採掘コスト精製コスト、ウラン235への濃縮コスト原子炉燃料への加工コスト、及び使用済み燃料の処理コストなどが含まれます。勿論、これらのコストは、ウランの価格、採掘方法、精製技術、濃縮技術、燃料サイクルの種類などによって大きく異なります
現在、ウランの価格は比較的低水準で推移しており、核分裂炉の燃料コストは発電コスト全体の中で大きな割合を占めていません。しかし、将来的にウラン資源の枯渇や採掘コストの増加、環境規制の強化などが進むと、燃料コストが上昇する可能性があります

プラズマと核融合

核融合反応は太陽エネルギーの源であることは多くの人がご存じのことと思います。確かに太陽のエネルギーの源は太陽の中心付近で実際の起こっている水素原子が4つ融合してヘリウムに変わる時のエネルギーですが、この反応は現在の技術では地上で再現できません
太陽で核融合が可能なのは、その中心部で巨大であるが故に内部の密度は非常に高く、中心付近では固体水素の約1,800倍(因みに地球上の固体水素の密度は約0.086 g/㎤)になっていて、この極めて高い密度と1,600万度以上の高温により、水素の原子核(陽子)4ヶが融合(p-p Chain/連鎖)してヘリウムとなる反応が可能になっています(右図参照)
一方、地上では水素をこんな高密度にすることは不可能である為、重水素と三重水素を1億度以上の高温のプラズマにして電磁的に閉じ込めることにより核融合を実現することができるとされています(⇒実際に核融合反応が起こることが実験的にも確かめられています)
1.プラズマとは
地上にある物質は、通常温度が上がるにつれて「固体」⇒「液体」⇒「気体」と変化します(上図は水の相変化)。気体を更に温度を上げて(超高温!)いくと原子が活発!に動き回り(⇔温度が非常に高い事と同義)互いに衝突を繰り返す事になり、左図の様に「電子」が「原子」の束縛から離れ、自由に動き回れる現象(電離現象)が起きます。この状態を「プラズマ」といいます。プラズマはプラスの電荷をもつイオン粒子とマイナスの電荷をもつ電子の集合で全体としては中性です。しかしプラズマの部分を見ると性質が正反対の正の粒子(イオン)と負の粒子(電子)の集まりです。プラズマの電離度は温度が高い程、密度は低い程高くなります。プラズマは以下の様に自然現象でも発生し、我々が自身の目で見ることもできます;

① 蛍光灯の内部でもプラズマが発生しています
蛍光灯の内部では、電極からの放電によって中にある水銀ガスから紫外線が発生して管内壁に塗布された蛍光物質で発光しますが管内では放電により1万度の熱で約10億個の弱電離プラズマが発生しています。電離度は約1%、密度は大気(2.7x1019/1㎤)の1億分の1程度(約1011/1㎤)でかなり希薄です

② 雷でも強力なプラズマの姿を見ることができます
雷現象は雷雲と地上を電極とする地球規模で起こる放電現象です。雷雲と地上との間には数億ボルトの電圧がかかり、流れる電流は数万アンペアに達し、雷路と呼ばれる電気の通り道に高温のプラズマが生成されますこれによる大きな電場(注)で大気中に存在する電子が急激に加速され、空気の分子に衝突して雪崩的にプラズマが発生するとともに、そこに流れる電流によってプラズマは瞬時に加熱されて数万度の高温になり、それが膨張するときにまわりの空気を圧縮して衝撃波を発生させます。これがけたたましい雷鳴の原因です。尚、密度は空気の10倍以上になります
(注)通常理学系の分野では「電場(でんば/electric field)」と呼びますが、工学系の分野では「電界」と呼んでいます

③ オーロラは太陽からのプラズマで作られます
地球は南極をN極、北極をS極とする磁力線で囲まれた構造をしています。この地球磁場(注)はやはり磁場を伴ったプラズマである太陽風に吹き付けられる結果、左の写真の様に地球の昼側である前面ではプラズマの圧力で押し付けられ、夜側である後面では長く引き伸ばされます。プラズマは磁力線を横切って運動しにくい性質(後述します)があることから、地球磁場と太陽風の磁場の繋ぎ変え現象がはるか上空で起き、プラズマの一部は磁力線が地球内部に入り込んでいく北極と南極の上空に流れていきます。オーロラは、この地球磁場に導かれた太陽風が南極や北極の上空の空気と衝突した時に起こるプラズマの発光現象の一つです。上下方向にはカーテンの様に波打った構造で下方にはくっきりとした「縁」が見られます
(注)理学系では「磁場(じば/Magnetic field)」と呼びますが、工学系の分野では「磁界」と呼んでいます

④ 太陽を観察すると、様々なプラズマの現象が見られます
太陽の中心付近で発生した核融合エネルギーは10万年以上かけて太陽表面に到達し宇宙空間に放たれますが、そのエネルギーによって太陽の表面から上空にかけて様々なプラズマ現象が起きます
良く知られているのは数時間から数か月にかけて現れては消える黒点活動です。見た目に黒く見えるのは黒点の温度が約4,500℃で、回りの太陽表面の温度6,000℃より低いからです。黒点はX線で見ると左の写真の様に活動の激しい領域であることが分かります

黒点が集合している場所などで、内部に閉じ込められていたエネルギーが一挙に放出される「太陽フレア」と呼ばれる突発的な爆発現象がしばしば起こり、円弧を描くアーチ状のものや先の尖ったもの(カスプ状)など、様々な形をした高温プラズマが高度1万km~10万kmのコロナ領域に放出されます

2.電場と磁場におけるプラズマの挙動
プラズマを構成する電子とイオン(荷電粒子)は電荷をもっていることから、外部から加えられた電場や磁場などによる電磁気的な力に従って運動します
上図の右側の磁場の中に置かれた荷電粒子には「ローレンツ力」という電磁気力が作用するため磁力線のまわりを回転するようになり、磁力線に沿った方向には運動

ローレンツ (1853年~1928年/オランダ)

できるものの、それを横切る方向には運動がしにくくなる(磁場に捕捉される)性質があります。ローレンツ力と言っても馴染みのない方もいると思いますが、高校時代に物理を選択した方であれば、電動機の理論を学んだ時に覚えたはずの「フレミングの左手の法則」を思い出していただければ分かり易いと思います

磁場はプラズマの自由な運動を回転運動に変えることで動きを制限します。つまり、ここの乱雑な動きをする粒子に「方向」や「回転」という新たな秩序を与えることができることになります。この性質をうまく利用することによりプラズマ全体に秩序を与えることができます。プラズマを閉じ込める装置(後述)はこのプラズマの性質を考えて考案されたものです

また、プラズマには常に状態を中性に保とうとする「復元力」が発生します。プラズマの中にイオンや電子の密度に差(揺らぎ)ができると、イオンが多いところは「正/プラス」に、電子の多いところは「負/マイナス」に帯電する為、「正」の領域から「負」の領域に向かって電場が発生します。この電場は、イオンの多いところには電子を、電子の多いところにはイオンを引き寄せることから、もともと発生した電荷の揺らぎを無くすようにプラズマに運動を引き起こします
この復元力は、プラズマに様々な現象をもたらします。「重りのついたバネが伸びて、また戻るときに反対方向に縮み、その伸縮が振動を引き起こす」ように、電場がバネの様な役割をしてプラズマ中に発生した粗密が振動し、それが波として伝わることによるものです

プラズマがこの様に自身で運動を引き起こすという事は、プラズマが必ずしも人間の思い通りに振る舞ってくれない(外部から与えた磁場や電場に従ってくれない)可能性があることを意味しています

ラザフォー(1871年~1937年/ニュージーランド)

3.地上で核融合反応を起こすレーザー
核融合反応そのものは、1930年代のアーネスト・ラザフォードにより重水素をターゲットに粒子加速器を使って重水素を入射し実証していますが、発生した核融合エネルギーは、この為に要したエネルギーよりかなり少なく、入射を止めてしまうと核融合反応も止まってしまいます。核融合炉としてエネルギーを取り出すには「熱核融合(高温核融合)」であることが必要です。温度が十分に高く、かつ閉じ込められたプラズマによる核融合反応を目指す必要があります

① 地上の核融合は「DT反応」を利用する
太陽で起きている核融合反応は水素原子だけの(p-p Chain)であると書きましたが、このタイプの核融合反応は現在の技術では地上で実現できません。地上で実現可能と考えられている反応は、重水素(Deuterium)と三重水素(Tritium/トリチウム)による核融合反応(以降「DT反応」と表記します)です
その次に起こりやすい核融合反応は重水素同士による反応(以降「DD反応」と表記します)です。この反応は放射性物質である三重水素(Tritium)を燃料として使わないこと、及び発生する中性子のエネルギーが小さいことなどのメリットがありますが「DT反応」よりも厳しい条件を満たさないと成立しません

② 地上での核融合炉の成立条件
<以下はGoogleの最新の生成AIであるGEMINIの回答を使用しています>
核融合反応を起こすためには、以下の3つの条件を満たす必要があります;
十分な温度: 核融合反応を起こすためには、原子核同士が衝突する際に、クーロン斥力(基礎知識_2の④参照)を克服するだけのエネルギーが必要です。そのため、燃料となるプラズマは1億度以上の高温に熱する必要があります
十分な密度: 燃料となるプラズマ中の原子核が十分な頻度で衝突するためには、プラズマ密度が十分に高い必要があります。具体的には、10141015/cm3程度の密度が必要とされています。
十分な閉じ込め時間: 燃料となるプラズマが閉じ込められて、核融合反応が起きるまでの十分な時間が必要です。具体的には、数秒程度の閉じ込め時間が必要とされています。
これらの条件を満たすためには、強力な磁場によってプラズマを閉じ込める必要(後述)があります。また、プラズマを加熱するための方法も必要(後述)です

これらの条件を満たした状態を点火条件
といいます。点火条件を達成すれば、核融合反応が起こり、大きなエネルギーを発生させることができます。

自己点火条件;
さらに、外部からの加熱なしで核融合反応が自己持続的に起こる条件を自己点火条件といいます。自己点火条件を達成するためには、上記の3つの条件に加えて、プラズマのエネルギー損失を抑制する必要があります

4.プラズマ閉じ込めの二方式
磁場の中でのプラズマの挙動については、前項(プラズマと核融合)の「2.電場と磁場におけるプラズマの挙動」を参照してください
プラズマを閉じ込めるには、右図の様な「磁力線で編んだ籠(かご)」を作る必要があります
<以下はGoogleの最新の生成AIであるGEMINI、及びMicrosoftのCopilot(GTP-4)の回答を使用しています>
① トカマク方式
トカマクとは、ロシア語の「電流・容器・磁場」の頭文字に由来します
トカマク方式の磁場は、主に以下の3種類の磁場から成っています;
トロイダル磁場
ドーナツ状に配置された「トロイダル磁場コイル」によって生成されます。この磁場は、プラズマをドーナツ状に閉じ込める役割を果たします。
ポロイダル磁場
中心軸に沿って配置された「センターソレノイドコイル」によって生成されます。この磁場は、プラズマの回転を促進し、プラズマ内の熱を閉じ込める役割を果たします。
垂直磁場
プラズマの形状を制御し、安定させるために、トロイダル磁場とポロイダル磁場の方向に垂直な方向に生成されます。一般的には、外部に配置された「垂直磁場コイル」によって生成されます

これらの磁場の組み合わせによって、プラズマはドーナツ状の空間内に閉じ込められ、高温状態を維持することができます

② ヘリカル方式
ヘリカル(Herical/らせん状)方式の磁場は、主に以下の2種類の磁場で構成されています;
ヘリカル磁場
らせん状に配置された「ヘリカルコイル」によって生成されます(この磁場によってプラズマを閉じ込める)
垂直磁場
外部に配置された「垂直磁場コイル(注)」によって、ヘリカル磁場の方向に垂直な方向に磁場を生成します

(注)上図にあるRMP(Resistive Magnetohydrodynamic Perturbation)コイルとは「垂直磁場コイル」のことです
また、上図にあるLHD(Large Helical Device)とは、日
本の自然科学研究機構核融合科学研究所のプロジェクトによって製作された大型のヘリカル型プラズマ装置54分の長時間のプラズマ持続や、核融合に必要な条件の10倍となる高密度プラズマを成功させました。プラズマの温度は、2017年3月から始まった重水素を用いた実験で、核融合に必要な条件である1億2,000万度を達成しています(本ブログの見出しの写真の右側の装置)

<参考>
日本におけるヘリカル型核融合研究の現況については詳しく知りたい方は以下をご覧ください;
2018年8月30日_科学技術・学術審議会 学術分科会・研究環境基盤部会 学術研究の大型プロジェクトに関する作業部会_「超高性能プラズマの定常運転の実証」

核融合炉開発の現況

<以下は、外務省、経済産業省、科学技術庁のサイトから抜粋したものです>
ITER(日本では「イーター」と呼んでいます)は,当初,国際熱核融合実験炉(International Thermonuclear Experimental Reactor)の英語の頭文字をとった略語でしたが,その後、ITER事業のためにフランス南部の「Saint-Paul-lez-Durance」に建設されている国際熱核融合実験炉を意味する固有名詞として扱われることとなりました
ITERは、国際協力によって核融合エネルギーの実現性を研究するための実験施設です。この核融合実験炉は、核融合炉を構成する機器を統合した装置であり、ブランケット(原料のリチウムから3重水素を作るやダイバータ(後述)など核融合炉にとって極めて重要な機器の総合試験装置でもあります。計画が順調に進めば、この先「原型炉」、「実証炉」、または「商業炉(下のイメージ図参照)」へと続くことが期待されています
1.ITERの歴史と今後の開発計画
1985年11月 、米ソ首脳会談(レーガン・ゴルバチョフ)の共同声明が発端
1988年~2001年7月 、概念設計活動及び工学設計活動を実施(米国は1999年に計画から脱退
2001年11月 、政府間協議開始
2001年7月、建設に必要な技術的準備が完了
2003年2月、 米・中国が政府間協議に参加
2003年6月、 韓国が政府間協議に参加
2003年12月 、カナダが交渉から脱退
2005年6月、 第2回6極閣僚級会合(@モスクワ)において,フランスにITERが建設されることに決定
2005年12月 、インドが政府間協議に参加
2006年11月、 ITER機構設立協定締結,イーター特権免除協定署名。第1回暫定イーター理事会開催(@パリ)
2007年7月、 第2回暫定イーター理事会開催(@東京
2007年10月24日、 イーター協定発効
2007年11月、 第1回イーター理事会開催(@仏)、池田要氏が機構長に就任
2010年7月 、臨時イーター理事会開催(@仏),スケジュール等について記したベースライン文書を承認本島修氏が機構長に就任
2015年3月、 臨時イーター理事会開催(@仏),ベルナール・ビゴ氏が機構長に就任
2016年11月 、第19回イーター理事会開催(@仏),スケジュール等について記したベースライン文書を暫定承認

量子科学技術研究開発機構は、ITER協定に基づく活動を行う我が国の国内機関に指定されており、我が国が分担するITER機器や設備の調達活動を進めるとともに、ITER機構への人材提供の窓口としての役割を果たします

2021年5月、日本が製作を担当する超伝導磁石コイルは、三菱重工によって予備1基を除く計4基が完成し、南フランスのITERサイトに向けて順次積み出し
2023年12月、ITERの心臓部であるトカマク建屋内の真空容器底部が設置完了

今後の見通し
*2024年中に、超伝導磁石コイルの組立が完了予定
欧州が製作を担当する真空容器は、2023年12月に底部が設置され、2024年中に上部が設置予定
米国が製作を担当する中性粒子ビーム入射装置は、2024年中にITER建設サイトに搬送予定
韓国が製作を担当する遠赤外線診断装置は、2024年中にITER建設サイトに搬送予定
中国が製作を担当する電子サイクロトロン加熱装置は、2025年中にITER建設サイトに搬送予定
インドが製作を担当する遠隔操作システムは、2025年中にITER建設サイトに搬送予定
*2025年のファーストプラズマ
*2028年:核融合実験開始
*2035年:本格運転開始
今後の課題
新型コロナウイルス感染症の影響により、建設作業に遅延が発生している
ウクライナ情勢の影響により、ロシアからの資材調達に支障が出ている

2.日本の役割
日本はEUとの協力のもとに、核融合エネルギーの早期実現を目指して、ITER計画の効率的・効果的な研究開発を支援・補完するとともに、将来の核融合原型炉実現のために必要な炉工学研究やプラズマ物理研究などの先進的核融合研究開発を行う活動(ITER BA活動/Broader Approach)を青森県や茨城県で行っています
青森県では、BA活動の推進を図り、将来の原型炉の県内誘致を目指して、六ヶ所村において核融合エネルギーの研究に従事する外国人研究者等の子弟やその家族を対象に、国際的に通用する教育サービスの提供や生活上の支援、地域住民との国際交流の推進に取り組んでいます

JT60SA計画について
この計画は、核融合エネルギーの早期実現のために、ITER計画と並行して日本と欧州が共同で実施するプロジェクトです。その目的は;
① ITERの技術目標達成のための支援研究
ITERと同じ形で高い性能を持つプラズマ運転を行い、その成果をITERへ反映させます
② 原型炉に向けたITERの補完研究
高出力の核融合炉を実現するため、高い圧力のプラズマを長時間(100秒程度)維持する運転方法の確立を目指します
③ 人材育成
ITER計画をはじめとする核融合研究開発を主導できる研究者・技術者の育成を行います

全体の機能は以下の図をご覧ください;

上図に関する補足説明;
日本が担当する機器(日の丸部分)はいずれも技術的に難しく、ITER開発の成否関わる最重要な機器になります。以下に日本が開発を担当している特に重要な機器についての補足説明;
ダイバータ(Diverter)>
融合炉を構成する機器のひとつで、粒子排気、熱除去、プラズマ閉じ込め改善の3つの機能を担います
環状型のプラズマ閉じ込め装置では、コアのプラズマから壁へ拡散しようとする熱流束や粒子束による、装置内壁の損傷が問題となります。この問題解決のために、コアプラズマからの熱流束・粒子束を磁場配位によりダイバータ領域(右図参照)へ集中させます。この磁場配位では、コアプラズマからの熱流束・粒子束はダイバータプレートへ向かいます。ダイバータ磁場配位の利点は、プラズマ粒子をダイバータ部に集中させることにより効率の良い排熱・排不純物粒子ができる点、ダイバータプレート以外の装置内壁の損傷を低減できる点、などがあげられます。ダイバータ磁場配位の問題点はダイバータプレートへの高熱負荷・粒子負荷です。このため、ダイバータ領域での放射冷却や非接触プラズマの形成が課題となっています
中性粒子ビーム入射加熱装置
ITERでは、約 1,000万度のプラズマに、約 1,000倍位の高いエネルギーの粒子を約5x108
を数百秒間注いで1億度のプラズマを作ろうとしています。素粒子の研究に使われている粒子加速器はもっと高いエネルギーを出せますが、核融合では大量の高エネルギーのイオンを長時間作ることが必要なので、それなりの難しさがあります。また、核融合炉では磁場の籠を通り抜けるためにイオンを中性の水素に変える必要があります。イオンを加速する為に必要であった電荷を「中性化セル」(上図参照)と呼ばれる箱の中で水素ガスから電子を1ヶ受け取って高エネルギーの中性水素原子ビームに変えてプラズマに投入されます
高周波加熱装置>
ITERでは高周波のエネルギーをプラズマまで効率よく伝送するために、真空にした直径10cm以下の細い真空の管の中を通しています。高周波を発生するジャイロトロンとこの管の間には、菅内の真空を保つ為にダイヤモンドの仕切り板(直径10㎝、厚さ1mm)が入っています。この仕切り版は強力な高周波による熱負荷がかかるため強力な冷却を行うため熱伝導性の高いことが必要であると同時に、高周波を効率良く通す必要もあるためダイヤモンド(人工)が使われています
詳しくは、量子科学技術開発機構のプラズマ研究開発のサイトをご覧ください

尚、JT60SAとITERやその他の国の実験炉との性能の違いについては下の図表をご覧ください。右図表中の IP=「数字」MA という表示は、核融合炉の性能に直結するプラズマ中を流れる電流」を意味します。単位MAはメガ・アンペア(⇔100万アンペア;とんでもない大電流ですね!)を意味します

<参考>
トカマク型、ヘリカル型核融合装置以外にも、近年開発が進んでいる強力なレーザーを使った核融合炉の研究も米国、欧州、日本において進められております;
米国:国立点火施設(NIF)で点火実験を実施し、2022年には核融合エネルギー1.35メガジュールを達成しました。
欧州:HiPERプロジェクトで、2030年代の実用化を目指した研究開発を進めています。
日本:大阪大学レーザー核融合研究センターで高速点火法の研究開発を進めており、2023年には世界最高となる燃料密度120g/㎤を実現しました。

Follow_Up:2024年3月7日「伊藤忠・ソフトバンク、核融合発電の米新興に出資_2030年にも商用化
Follow_Up:2024年3月15日「核融合発電「30年代に実証」 レーザー型の開発で先行_米ローレンス・リバモア国立研究所 ジョン・エドワーズ研究顧問

おわりに

私にとって専門外の分野であることから、理解するのに時間が掛ると同時に、どうしても理解できない部分も多々ありました(⇒理論的な結論のみを拝借!)
一方、核融合炉の開発は、300年に亙る天才物理学者による研究の積み重ねによって、遂に無限の太陽エネルギー源に迫るというロマン溢れる挑戦であることが理解できました

現存の核分裂反応による原子力発電は、第二次大戦の主な戦勝国が原子爆弾の技術を使って実現し、世界に普及させたことは良く知られています。しかしこのタイプの原子炉は、チェルノブイリの原子力事故福島原子力事故を起こし事故発生に対するリスクをゼロにはできない事が分かったことと共に、未だに廃棄物の処理に関する技術が十分に確立されたとは言えません。もはや現存の原子炉は決して「夢のエネルギー」とは言えないことが分かってしまいました
また、地球温暖化の危機は刻々と迫っているにも拘らず、長期的な目標に漸近する気配が見えません。最大の化石燃料の消費国が本気になってこの危機に挑むことは、彼らの現在の人口経済力発展途上にあること、などから望み得ないことは明らかであると思われます

しかし、今回勉強した結果、核融合炉は決して夢ではないという事が理解できたと同時に、2050年の脱炭素目標と連携させる事ができるのではないか、という希望が湧いてきました。更に、この核融合炉の開発では、何と日本が主役の一人であることも分かりました。これから希望をもって日本の開発組織、開発担当者を応援したいと思います
日本の経済界も、昨年から核融合炉の開発に本気になって取り組む気配を見せています「核融合発電、IHIなど約50社が新組織」、「核融合産業の企業体、三菱重工など19社が中心

Follow_UP:2024年3月15日_「米・レーザー型の開発で先行_核融合発電「2030年代に実証」」」
Follow_UP:2024年4月23日_「政府・核融合で複数方式を支援へ_5年で200億円
Follow_UP:2024年7月4日_「核融合実験炉ITER、33年稼働に延期
Follow_UP:2024年7月5日_「核融合、多国間協力に壁 実験炉ITER 完成8年先送り_米中、独自開発進める 日本は2国間を強化
Follow_UP:2024年7月5日_「推進役、新興に期待 30年代商用化目標_巨額マネー調達
Follow_UP:2024年7月8日_「難路の核融合、米国は本気_民間CFS、27年に実証施設稼働 狙うはエネルギー主導権

 

以上

ウクライナのこれから

はじめに

見出しの写真の左は、ベトナム戦争に関する米国民のみならず世界の世論を大きく動かした報道写真です。この写真は、南べトナム軍のナパーム弾の誤爆により避難民の少女が衣服を焼かれ裸になって逃げていく所を UPI のカメラマンが撮影し世界に報道されたものです。この後、数年で米軍がベトナムから撤退することになりました。一方、右の写真はロシアの攻撃で避難を余儀なくされた市民の先頭を泣きながら歩く子供の写真です。この二つの写真は凡そ半世紀を隔てた戦争の写真ですが、いずれも市民を巻き込んだ非人道的な戦争の実相を表す報道写真であると思います

2年前の2022年2月24日にロシアの突然の侵攻で始まったウクライナ戦争は、その後約一年半が経過した現在もなお激しい戦いが続いています
同年8月25日に投稿した「ウクライナの歴史」で述べたように、ウクライナの歴史に根ざした強烈な「愛国心」、「国民大多数の高い士気」、「勇敢な兵士」、「ロシアに対する怨み」、及び「米国、EUを中心とした軍事援助」によって現在もなおウクライナは軍事大国ロシアと互角に戦っています。しかし昨年行われた米国議会選挙の結果、下院の過半数を共和党が握ることとなり米国のウクライナ援助に関わる予算が議会を通過しない状況に陥っています。また、EUにおいてもハンガリーのロシア寄りの姿勢からEUのウクライナに対するバックアップが必ずしも円滑にいかない状況になっています

この戦争を歴史的に俯瞰すると、第一次世界大戦、第二次世界大戦の開戦時と同じような世界を二分するイデオロギーの戦い(「覇権主義」対「自由主義」)が背景にあり、一歩誤れば多数の国を巻き込んだ大きな戦争に発展する危険性を孕んでいます。つまり、日本としても他人事で済ますわけにはいかないと私は思っています
以下に、今後の戦況の帰趨に関わるいくつかのポイントについて、私なりの見解を述べてみたいと思います

現在までの戦況

これまでの戦況の内、投稿済みの「ウクライナの歴史」の後半、及びブログ発行後の Follow_Upで2023年2月22日まで Update しておりありますので、ネット情報を中心にこの時点以降の時系列の沿って戦況の推移を辿ってみたいと思います。尚、タイトルにある年月日はネット上に掲載された日です

                                                 <ウクライナ優勢を保つ>

① 2023年2月23日、「
明日侵攻一年、ロシア支配地の5割を失い 死傷者は20万人規模」;

2023年2月24日;
*ロシアのウクライナへの軍事侵攻から一年がたち、米欧からウクライナへの軍事支援は重火器や戦車に軸足を移しています。戦況が膠着するなか、ウクライナ、ロシア双方とも兵士と資金をつぎ込み続けています。ロシアは2022年に軍事費を前年より4割増やしたものの、兵力や戦車の損耗に苦しんでいます
ロシアの兵力は2021年時点で現役兵と予備役の合計で290万人でした。2022年9月に部分動員に踏み切り、現役兵は119万人、予備役は150万人となりました。動員対象になった訓練度の低い予備役が戦場に送られている実情が浮かびます
ウクライナは総動員令をかけており、現役兵は68万人と3.5倍に増えました。装備品をみると、ロシアの主力戦車の数は2千70台で前年から4割減り、現役の戦闘機も2022年に6~8%失ないました。特に近代化の改修を施した戦車「T72B3」や「T72B3M」は半減し、旧式の装備の投入を強いられています
③ 2023年2月27日;
英国防省は26日、ウクライナ東部ドネツク州の激戦地で破壊されたロシア軍の複数の装甲車両とされる衛星画像を公表しました。前線に展開した精鋭部隊・第155独立親衛海軍歩兵旅団に所属する車両とみられます。同省は、精鋭部隊が軍事作戦を遂行する能力は「ほぼ確実に大幅に低下した」と強調しました。下の写真は2月9日の衛星写真を基に英国防省が解説したものです

<ウクライナ反転攻勢開始>

④ 2023年6月9日、「ウクライナ南部で反転攻勢」;
ウクライナ軍は8日、ロシアが占領する南部の複数の前線で反攻を始めました。複数の米主要メディアによると、ドイツの主力戦車「レオパルト2」など米欧が供与した兵器を投入し、ロシア軍の防御陣地に激しい攻撃を仕掛けています


⑤ 2023年6月11日、「
ウクライナ反攻開始、成否を分けるのは機動性」;

ロシアの侵攻を受けるウクライナが、領土奪回に向けた本格的な反攻を始めました。第二次世界大戦後の最大級の陸戦となる見通しで、ウクライナは米欧が供与した兵器をテコにロシアの防衛線を突破し、早期に大きな戦果をあげたい考え。ロシア側は戦線を膠着状態に持ち込んでウクライナ軍を消耗させる戦略。反攻の成否はウクライナ軍の機動力にかかっています。戦略目標は;
南部防衛線の突破
東部のバフムト奪還

⑥ 2023年6月15日;
ウクライナ軍のフロモフ准将は15日、同国東部と南部における反転攻勢で既に100㎢を奪還したことを明らかにしました。東部ドネツク州南西部のベリカノボシルカ、南部ザポロジエ州マラトクマチカの近郊まで進軍していると指摘し、ロシア軍は航空戦力や砲撃力が優勢であるとして「ウクライナ軍は熾烈な戦いのなか進軍している」と強調しました

⑦ 2023年6月20日;

ロシア軍は東部や南部で築いてきた対戦車防空壕や地雷原からなる防御線で、突入してきたウクライナ旅団の足をまず止めることに成功しました。また、戦闘ヘリによる攻撃も仕掛けています。撃墜を恐れて控えてきた航空攻撃が可能になったのは、キーウにミサイルや無人機攻撃を反復することでウクライナ軍が防空兵器を首都に振り向けざるを得なくなり、前線部隊の防空能力を下げることができたためです
更にロシア軍はドニエプル川下流域にかかる最後の通路だったカホフカダムを破壊し、へルソン州北部に控えていたウクライナ部隊がダム上の道路を経由してヘルソン南部に奇襲反攻することを阻止し、反転攻勢の面的広がりを制約することに成功しています
最近、米国が兵器の無制限供与に二の足を踏んでいるのは。中国軍の台湾侵攻が従来予想より早まる恐れがあるとの警戒感が米国で高まっていて、中国が「日米や台湾の兵器備蓄が進んでしまう前に奇襲侵攻に動こう」との衝動にかられる事態への懸念があると言われています

⑧ 2023年6月24日、「雇い兵組織・ワグネルの反乱」;
ワグネルは6月24日、それまで戦っていたウクライナ東部地域の戦闘から離脱し、ウクライナ国境から100キロ東にある地方都市「ロストフ・ナ・ドヌ」に進軍しました。ここにはロシア南部軍管区の司令部があります。その後、同市の市庁舎を占拠しモスクワに向かって進軍を開始しました
プーチン大統領は、ワグネル創始者で反乱の首謀者であるプリゴジンと直接交渉を行い「彼を反乱者に問わない」と約束したためモスクワへ進軍は停止しました。6月25日、ベラルーシ大統領・ルカシェンコの仲介でプリゴジン及びワグネル軍団はベラルーシに向かいました
*2023年8月23日、プリゴジンは搭乗した小型機の墜落を装って暗殺されました

⑨ 2023年6月30日、「侵攻後最多の捕虜交換」;
ウクライナは248人、ロシアは230人をそれぞれ相手に引き渡した。2022年2月に始まったロシアによる侵攻開始以来、最大規模の捕虜交換となりました。この捕虜交換は両国と良好な関係を維持するアラブ首長国連邦(UAE)の調停によって実現したものです
帰還したウクライナ側の230人の中には、ロシアに包囲されたマリウポリで最後の拠点となった製鉄所で戦った将兵の生き残りの95人(内43人は「アゾフ大隊」のメンバー)がおり、彼らはいずれも重傷を負っていました

          <ウクライナ兵器不足に直面>

⑩ 2023年7月8日、「ウクライナ軍、反転攻勢で兵器2割損失」;
ウクライナ軍は、ロシアが敷設した地雷により損失を拡大させており、反転攻勢を始めて2週間で兵器の2割を失いました。この為、ウクライナ軍は一時的に進軍を停止していることを認めました。尚、米軍はウクライナに殺傷力の高いクラスター弾の供与を認めました

⑪ 2023年7月25日、「ウクライナが米軍供与のクラスター弾を使用」;
7月22日にロシアとウクライナ双方によるクラスター弾とみられる攻撃で従軍記者らが死傷しました。米国は紛争の長期化に伴う弾薬不足から、欧州の一部の反対を押し切って供与に応じました。背景には米国の防衛企業の武器供給力が5年間で2割減ったことがあります。バイデン大統領は7月7日、「軍需物資の戦争だ。ウクライナは弾薬を使い果たし、我々も不足している」と米国としても苦渋の判断だったと認めました。民間人への被害を懸念する日欧などは、クラスター弾の製造や使用を禁じるオスロ条約に参加しています。同条約に不参加の米国は、これまで同盟・有志国に配慮してウクライナの要請を拒んできましたが、殺傷力の強いクラスター弾に頼らざるを得なくなったと思われます

⑫ 2023年7月31日、「対ウクライナ軍事援助、西欧の履行遅れ 支援疲れの兆し」;
ウクライナへの軍事支援に絡み、実際に武器が届いた割合を示す履行率で欧州内の東西格差が生じています。戦車の履行率ではポーランドやチェコなど冷戦時に東側ブロックにいた諸国が8割に達した一方、米国やドイツなどその他の米欧では合わせて2割台にとどまる;
ロシアの脅威に対する危機感の強弱に加え、西欧の「支援疲れ」が見て取れます
こうしたことにより、反転攻勢を始めてからこれまでの1ヶ月半で奪回した領土はロシアの支配下にある国土の0.3%程度にとどまっています
旧社会主義圏の東欧の履行率の高さの背景には、歴史的な経緯からロシアの脅威に対する危機感が強いことがあります。ウクライナと地理的に近いことから侵攻の影響も受けやすいうえ、支援を届けるのが比較的容易な事情もあります。一方、西欧ではドイツやイタリアなどロシア産エネルギーに依存していた国が多く、侵攻の長期化による「支援疲れ」が出ていることも否めません。また、最新鋭の兵器の増産体制を整えるのに時間がかかっていることも要因になっていると思われます

<ウクライナ、戦略の転換か?>

⑬ 2023年8月17日、「ウクライナが国産ドローンを増産」;
主戦場になっている南部の戦況が停滞するなかで、ウクライナとロシアはドローンを使った攻撃を増加させています。ウクライナは南部クリミア半島周辺やロシア本土への攻撃を増やし、補給網の寸断やロシア側の厭戦機運の醸成を狙っています。史上初の大規模なドローン戦の行方は、今後の戦争のあり方に大きな影響を及ぼすと考えられます
ウクライナの40を超えるメーカーは夏ごろから政府の支援を受け、偵察用や攻撃用の国産ドローン生産(国産品は輸入ドローンよりも価格が10分の1以下)に着手し、年末までに最大20万機の調達を目指していると明かしました。また、操縦者の訓練も急ピッチで進めており、すでに1万人の要員が訓練を受け、17のドローン関連の部隊が発足しました。年内にはドローン部隊は数万人規模に膨らむ見込み。ウクライナは南部の領土でも偵察ドローンと砲兵を連動させた作戦を進め、徐々に攻勢を強めています。一方、ロシア軍も昨秋以来の攻撃で急減したミサイルの代替兵器としてドローンへの依存を深めています
⑭ 2023年8月19日、「無人機、モスクワ市中心部攻撃」;
ロシア国防省は18日早朝、モスクワでウクライナの無人機を撃墜したと発表、ソビャニン市長はドローンを撃墜後、中心部の展示会場モスクワ・エキスポセンターのビル群に残骸が落下したと明らかにしました

⑮ 2023年9月18日;
8月中旬、ロシアが占領するウクライナ南部メリトポリに向かうルートの要衝(ベルボベ)でウクライナ軍がロシア軍の防衛線を突破した結果、ロシア軍は温存していた最後の精鋭師団である第76衛兵航空突撃師団をウクライナの東部から南部へと振り向けました。この配置転換により東部に展開するロシア軍は機動性のある予備兵力を失ってしまいました。これにより、ウクライナ軍の精鋭部隊である第3強襲旅団がアンドリーウカのロシア軍第72自動車化狙撃旅団への攻撃を行った結果、ロシア軍の守備隊は主力部隊から切り離されて包囲され、壊滅しました

⑯ 2023年11月25日、「ロシア軍の被害甚大」;
英国防省は24日、ウクライナ軍の長距離兵器による攻撃でロシア軍は大きな被害を受けていると分析した。これは前線や支配地域の境界から数十キロ離れた場所から長距離砲が使われた結果とみられます。ロシアメディアによるとクマチョボでは兵士慰問の為に訪れていた著名な俳優も死亡したとのこと

⑰ 2023年12月2日、「敵発見から破壊までわずか80秒 ウクライナのドローン、橋頭堡防御の要に」;
これは、ウクライナ軍のチームがロシア軍の戦闘車両を偵察用ドローンで発見し、攻撃用ドローンを送って破壊するまでにかかった時間です。これはロシアがウクライナに対する戦争を拡大して以降、ドローンによるキルチェーン(目標の識別から破壊までの一連の処置)としては最速記録になりました。この数字は、重要な戦場でウクライナ軍のドローンによるロシア軍の車両や歩兵に対する脅威が一段と高まっていることを物語っています。このドローン攻撃は、南部ヘルソン州のドニエプル川左岸にある集落・クリンキの東端でのことでした。ドニエプル川左岸は現在殆どロシアが支配しています。敵発見から破壊までわずか80秒 で行えることは、ウクライナのドローンが橋頭堡防御の要になっていることを意味します
ウクライナ側はクリンキ上空で局所的な航空優勢を確保していますが、これはウクライナ軍の砲兵部隊やドローン部隊、電子戦部隊が数週間かけてドニエプル川左岸のロシア側の防空システムや無線妨害装置を破壊し、同時にウクライナが敵のドローンが飛べないようにする無線妨害装置を設置していった結果です
ともあれこの地域では、ウクライナ側が圧倒的に優勢な戦場ができ上がっていま。クリンキにいるウクライナ海兵隊の部隊は2、3個程度の中隊か大隊ですが、ロシア軍はヘルソン州南部でウクライナ軍の10倍程度の兵力を擁するにもかかわらず、これまでウクライナ軍を押し戻せていないのはこうした理由によるものであると考えられます

<欧米の軍事支援とロシアの継戦能力のせめぎあい>

⑱ 2023年12月21日、「ロシアの滑空爆弾に手こずるウクライナ、近く入手予定の F-16戦闘機で形勢逆転か」;
NATO諸国の主力戦闘機 F-16の供与がウクライナの強力な支援になる理由は、現在ウクライナが苦しめられているロシアの滑空爆弾(注1)を投下するロシア軍機に対抗する唯一の手段になるためです
(注1)ロシア軍がウクライナの防空システムでは防御できない約40キロ以上離れたところから発射できる精密誘導のミサイル

オランダ、デンマーク、ノルウェー、ベルギーは、近く余剰となったF-16をウクライナに供与することを約束しました。また、ウクライナ軍のパイロットは、既にルーマニアと米国の基地で F-16の訓練を受けていいます

F-16は、ロシアの戦闘爆撃機(Su-27、Mig-29)より優れたセンサーや防御のための電子戦装備や武器を搭載しており、ロシア機との交戦では極めて有利と言われています。因みに、F-16は高高度で約130キロ先の標的を探知し、AIM-120C空対空ミサイルで敵戦闘爆撃機を攻撃できます。また、ポッド状の電波妨害装置(ALQ131、184)を装備しているため、ロシアの地対空ミサイル(S-400 )に対してある程度の防御力を備えているからです

今後、この4ヶ国が余剰となっているF-16の供与(注2)を受ければ、ウクライナは F-16を60機以上手に入れることが可能となり、現在の戦況を変える「ゲームチェンジャー」となるかもしれません
(注2)供与する4ヶ国は F-16の代替として最新の F-35を導入することになっています

⑲ 2023年12月28日、「米国がウクライナに追加軍事支援」;
米政府は27日、ウクライナに2億1千ドル(約355億円)の追加軍事支援を行うと発表しました。今回で米国のウクライナ支援に向けた財源は枯渇する可能性があります
当初の610億ドルのウクライナ支援予算を含む追加予算措置は、野党・共和党内の慎重論などから承認の見通しが立っていません。米国防総省は声明で「ウクライナが自国を守るため、(米国の)議会が新年にできるだけ早く行動を起こすことが極めて重要だ」と強調しました。今回は米軍の在庫から、携行型の地対空ミサイル「スティンガー」や千5百万発超の弾薬などを提供することになっています
⑳2024年1月8日、「ウクライナ、防空ミサイル枯渇の懸念」;
欧米の支援減を見透かし、ロシアが2023年末から大規模なミサイル攻撃を続けています。ウクライナの防空網の突破を狙うロシアは北朝鮮製の弾道ミサイルまで投入したとみられ、欧米から十分なミサイル供給が続くかが今年の戦況を大きく左右しそうです
参考:米も武器在庫逼迫_軍需企業、冷戦期の1割

⑳ 2024年1月8日、「ウクライナ、欧米の支援減により防空ミサイル枯渇の懸念」;
ウクライナ側の発表によると、ロシアは2023年12月29日からこれまでに500発以上のミサイルとドローンでウクライナ全土を攻撃しました。このうち防空ミサイルなどで6割以上の迎撃に成功しているものの、通常の弾道ミサイルS300キンジャ-ル(極超音速弾道ミサイル)などに対しては迎撃の失敗も目立ちました。これは、弾道ミサイルに対応できるパトリオットミサイルシステムのウクライナへの供与がキーウ近郊に配置された3基にとどまっていることが背景にあります
このため、大半の地方都市の防空は脆弱な状態となっています。ウクライナ当局の発表によると東部ドネツク州ポクロフスクで1月6日、ロシア軍のミサイル攻撃があり、子ども5人を含む11人が死亡しました。これにはS300ミサイルが使われたとみられています
ロシア軍は今月2日にはパトリオットが配備された首都キエフへの弾道ミサイル攻撃も実施しました。ウクライナ軍はパトリオットで10発のキンジャル迎撃に成功したと発表しました。これらの攻撃は、ウクライナにパトリオットミサイルを消費させようとするロシアの狙いが透けます

ウクライナはパトリオットシステムの10基以上など、多数の迎撃ミサイルの供給を求めていますが、欧米の動きは今の所鈍く、米議会ではウクライナへの支援予算案を巡る調整が難航しています。米国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官は3日、軍事支援のための資金が事実上枯渇したとの認識を示しました。

NATOは1月3日、ロシアに対する欧州の防空能力を強化するため、最大千発のパトリオットミサイルを調達すると発表しました。ウクライナに供与して減少したミサイル在庫を補充する狙いもありますが、すぐに同国への供給増につながるとみる向きは少ないと考えられます
一方、ロシア側のミサイル在庫も減っています。米戦争研究所は2023年12月29日、現在のロシアのミサイルや無人機の生産能力を踏まえると、ロシア軍が頻繁に大規模なミサイル攻撃を繰り返すのは難しいとの分析を発表しました
このためロシアは国外からの弾道ミサイルの調達を急いでいるようです。カービー氏は1月4日の記者会見で、ロシアが北朝鮮から弾道ミサイルの供与を受け、ウクライナに対して複数回発射したとみられると語りました。ロシアがイランから短距離弾道ミサイルを入手しようとしているとの情報があることとも明らかにしました

Foolow_Up:2024年1月19日_「ウクライナのフランケンSAM 初の敵機撃墜に成功
Foolow_Up:2024年1月21日_「ロシアの港で大規模火災 ウクライナの無人機が長距離化に成功か

プーチン大統領の歴史観とウクライナ戦争との関係

第二次大戦の終了直前、第一次大戦の失敗を反省して勝利した連合国側の主要国により国際連合が発足しましたが、既にソ連を中心とする東欧圏と西欧圏の間にはチャーチルが言うところの「鉄のカーテン」ができ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、などの共産主義国と資本主義国との間の数々の局地戦争が始まりました。1962年10月にはすんでのところで所で核戦争となるキューバ危機が発生しましたが、ここは、ケネディー大統領とフルシチョフ首相の賢明な判断で、世界はこの危機を乗り越えることができました

その後も資本主義と共産主義の政治的軋轢が続きましたが、1991年に至りソ連の経済的な破綻の結果として、ゴルバチョフ首相による「グラスノスチ(情報公開)」、「ペレストロイカ再建)」が行われソ連邦は崩壊し、資本主義国としてのロシアが生まれました(詳しくは「ウクライナの歴史」参照)。この過程でウクライナを含むソ連の保護下にあった国々も独立を果たしました

プーチンは、ゴルバチョフ首相以降の改革を受け継いだエリツィン大統領時代に首相に就任(1999年8月)し、この年の12月のエリツィン辞任に伴って大統領代行に就任しました。この時以降ロシアは「プーチンの時代が23年間以上続いています
モスクワで現在権力を握っている彼と彼の世代の考え方は、旧ソビエトがロシア帝国と同様に超大国であった時代の後期数十年の間に形成されたものだと言えます。それが彼らのロシアのあるべき姿のモデルなのです

セルヒー・プロヒー氏(66歳;ウクライナ南部のザポリージャ出身の歴史学者は、現在ウクライナ研究所の所長を務めていて、ウクライナやロシアなどの歴史研究の第一人者として知られています)によれば、「プーチン氏は歴史を通じてこのウクライナに対する侵略戦争を正当化しようとした。それは、政治・軍事目標を達成するために操作された歴史だ」と

プーチンの考え方の根底には、ロシア帝国時代に描かれたロシアとベラルーシ、ウクライナの関係を表す以下の三姉妹の絵(中央は長女のロシア、両隣にいるのが妹のウクライナとベラルーシを表現している)があります;これはプーチンの解釈では『ウクライナ人はロシア人なので、存在しない、してはならない』ということです。ロシアが剣と十字架を持っていて、戦士として防衛し解放する役目を負っていますが、実はこの2人(ウクライナとベラルーシ)を捕らえているのです。セルヒー・プロヒー氏によれば、「ベラルーシは事実上、ロシアの占領下にあります。言語的・文化的・政治的に、より強力にロシア化されています。ウクライナも抵抗しなければ、ベラルーシと同じ運命になります

大統領1期目のとき、プーチン氏は軍事力を使わずに、経済的圧力や政治的な影響力でその目標を達成しようとしました。しかし、その試みはそれほどの結果を生みませんでした
その後、プーチン氏が新たに試みたのが、ロシア国外での軍事力の行使でした。旧ソビエト諸国でロシアの影響力を取り戻すための他の手段を持っていないことに気づき、軍事オプションを選んだということです

            <プーチンの成功体験!>

*以下の説明では現在「カフカス」と呼ばれる地方を、私が学生時代に学んだ「コーカサス」という呼び方に統一しています。読者にあってはご了承いただければ幸いです

① チェチェン紛争;
現在のチェチェン共和国は、北コーカサス地方の北東部に位置するロシア連邦北カフカース連邦管区に属する共和国です。この国家は、北コーカサス先住民族のひとつのチェチェン人が住民の多数を占め、ロシア連邦憲法ではロシア連邦を構成する連邦構成主体のひとつとされています;
この国は、18世紀にロシア帝国がコーカサス地方への南下を進めると、チェチェン人はロシアの支配に対して激しく抵抗を繰り広げましたが、1859年にロシア帝国によって周辺地域とともに併合されました(コーカサス戦争)。この後、ロシア帝国とオスマン帝国の取引により多くのチェチェン人がトルコやシリア、ヨルダン等へと移住しました
1991年ソ連解体後、ロシア連邦政府及びロシア連邦への残留を主張するチェチェン人勢力と、チェチェン・イチケリア共和国やコーカサス首長国を自称するチェチェンの独立を求める武装勢力との間で対立が続きました

【第一次チェチェン紛争(1994年-1996年)】
ロシア連邦政府はこの共和国の存在を拒否し、1994年12月にエリツィン大統領は、チェチェンの独立を阻止するため4万のロシア連邦軍を派遣し第一次チェチェン紛争が始まりました。独立派はゲリラ戦で激しく戦い紛争は泥沼化しましたが、1995年2月にロシア軍がチェチェンの首都グロズヌイを制圧し、1996年4月にジョハル・ドゥダエフ(独立派の初代大統領)の殺害に成功すると、8月にエリツィンとチェチェンの武装勢力のリーダーの間で停戦が合意されました。そして1997年5月にはハサヴユルト協定が調印され五年間の停戦が定められました。この紛争では10万人以上の一般市民の死者を出したと言われています

【第二次チェチェン紛争 (1999年-2009年)】
停戦中の1999年8月7日に、コーカサス圏における「大イスラム教国建設」を掲げるチェチェン独立派の最強硬派のシャミル・バサエフとサウジアラビア生まれでヨルダン出身のアミール・ハッターが、和平協定を破り突如隣国のダゲスタン共和国へ侵攻しました。これに対しプーチン首相はロシア軍をチェチェンへ進撃させ1999年9月に紛争は再発。プーチンはエリツィンの健康悪化により1999年12月に大統領代行、2000年に大統領に就任しました

ロシア軍は2000年に首都グロズヌイを再び制圧し、アフマド・カディロフをチェチェン共和国の大統領につけてロシアへの残留を希望する親露派政権をつくらせ、独立派のチェチェン・イチケリア共和国を在野に追いやりました。しかし以降もチェチェンの独立運動は続き、ロシア軍との内戦状態が続きました。ゲリラ化したチェチェン独立派勢力はアルカイダ等の国外のイスラーム過激派勢力と結びついてテロリズムに走り紛争はさらなる泥沼化しました
これに対してプーチン政権は、2003年~2006年にかけて独立派のチェチェン・イチケリア共和国の第2代大統領ゼリムハン・ヤンダルビエフと第3代アスラン・マスハドフと第4代アブドル・ハリムを殺害し、独立にむけた武装闘争に対しては徹底的に鎮圧する意思をいっそう明確にしました。またロシア政府は2005年11月に共和国議会選挙を開催させ、「チェチェン紛争の政治的解決プロセスの総仕上げ」としてこの結果を評価しました。これに対して独立派はロシアによる「見せかけの選挙」であると強く反発しています(⇔ウクライナにおけるクリミア及び南部・東部諸州の占領地における「見せかけの選挙」とよく似ている!)
尚、親露の現チェチェン政府はロシアの要請に基づき、ウクライナへの派兵も行っています

② グルジア紛争 (2008年)
1991年ソ連解体後、グルジアも他のソ連構成国と同じく独立を宣言しました。1993年には独立国家共同体に加盟し、ゴルバチョフ政権でソ連の外務大臣として活躍していたシュワルナゼが大統領(1992~2003)となりました。しかし黒海に面したアブハジアではグルジア人以外のロシア人などの複雑な民族構成があり、親ロシアの傾向が強く、グルジアからの分離独立を主張してアブハジア紛争(~1994年)が起こりました。アブハジアの一部は今もグルジアの実効支配が及んでいません
グルジアでは独立後、経済の悪化が進み、2003年には野党の指導によるデモ隊が議会を占拠し、大統領は辞任、総選挙が行われて国民連合の指導者で親欧米派のサアカシュヴィリが当選するという、「民主化」が行われましたが、この政変は「バラ革命」とも言われています
南オセチアにはグルジア帰属に反対する人が多く、ロシアの支援を受けて分離独立の動きを強め、2008年8月に独立を宣言しました。それを認めないグルジア軍が侵攻、それに対してロシアはロシア軍をグルジアに侵攻させ、南オセチアを支援、グルジア軍は敗れて撤退しました。戦闘は同時に黒海海岸のアブハジアでも展開され、グルジア・ロシア間の戦争状態となりました。戦闘は8月中にEUの調停で講和しましたが、南オセチアとアブハジアは事実上の独立状態となっいます。ロシアは両国を独立国として承認していますが国際的にはまだ認知されていません
*現在、グルジアの正式な国名はジョージアとなっています

③ シリア内線(2011年-2017年)
シリアでは、1971年にアサド大統領の父親がクーデターを起こし権力を握って以来、強権的な政治が続いていましたが、中東で「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が広がった2011年、シリアでもアラブの春が飛び火する形で生活への不満が爆発し反政府デモが各地に広がりました;

しかし、アサド政権は抗議デモを武力で弾圧、これをきっかけに、反政府勢力との内戦に発展しました。アサド政権は否定していますが、内戦のなかで化学兵器禁止機関(OPCW)はアサド政権が化学兵器を使用したと断定しています
その後、イスラム過激派組織が台頭して内戦が泥沼化し、イランやヒズボラの支援にもかかわらず、北西部で国内最大都市アレッポの東半分が反体制派に奪われ、ユーフラテス川東岸はイスラム過激派組織に侵食され、南部では反体制派が優位に立ち、北部ではクルド人勢力の中立と引き換えに自治を黙認せざるを得ない状況となりました。更に3月にはイドリブ県の県庁所在地イドリブが陥落し、アサド大統領自身も全ての戦線での攻勢が不可能となってしまいました

ここに至り、2015年9月30日、プーチンはシリア政府からの要請を受けたとしてシリア領内でイスラム過激派組織に対する空爆を開始、10月29日までに千回以上の爆撃が行われ、多くの民間人がこの空爆によって死亡しました

この空爆によって一時は劣勢となったアサド政権は次第に有利となり、現在では、シリアの多くの地域がアサド政権の統治下に置かれています

以上から分かることは、プーチンが権力の座についてから、彼の決断のもとに行われた軍事侵攻は、ほぼすべて成功裏に終わり、この成功体験が2014年のクリミヤ侵攻、2022年のウクライナ侵攻に繋がったと考えられます(私見)

<プーチンの軍隊が行った!戦争犯罪>

戦争とは残酷なものですが、国際法で決められた禁止行為は決して犯してはなりません。第二次世界大戦後の戦後処理の一つとして連合国により、ドイツに関してはニュールンベルク裁判で、日本に関しては東京裁判で多くの戦犯が裁かれました。以下は、生成AIを使って調べた戦争犯罪の定義です;
「戦争犯罪とは、戦争における国際法に反する行為の中でも、狭義には第二次世界大戦以前より認められてきた戦時法規の違反者が敵国にとらえられた場合に処罰されるものであり、広義には第二次世界大戦後に認められた平和に対する罪人道に対する罪を狭義の戦争犯罪に加えたものである。 例えば、捕虜虐待毒ガスなど国際法上禁じられた武器の使用文民による武力を用いた敵対行為スパイ行為戦時反逆など、軍隊構成員が行う交戦法規違反が狭義の戦争犯罪に含まれます. 広義の戦争犯罪のうち平和に対する罪とは侵略戦争の実行などで、また人道に対する罪とはジェノサイドに代表される非人道的行為である」

① ウクライナ戦争では、開始早々からロシア軍による以下の様な戦争犯罪が記録されています;
<北部戦線でのロシア軍の侵攻からウクライナ軍の反攻成功までの状況>
*2022年2月24日直後;
早朝にプーチン氏がウクライナでの「特別軍事作戦の開始」を宣言する演説が国営テレビで放送された。その直後に首都キエフ図ではキーウと表現/以下同様や東部ハリコフなど各地で爆発音が聞こえ、北・東・南の3方向からロシアが進軍しました。ウクライナはロシアが「全面的な侵攻を始めた」と世界に訴えました;
*2022年3月24日;
ウクライナの北に位置するベラルーシから進軍したロシア部隊は首都キエフ包囲を狙い、その近郊に迫りました。南東部の港湾都市マリウポリや東部ハリコフ、イジュームを陥落させようと激しい攻撃を続け、ロシア軍の支配・侵攻エリアは全土の約27%に及びました;
*2022年4月4日;
ウクライナ軍の抗戦をうけ、ロシア軍はキエフ近郊から撤退した。侵攻直後に占拠した北部チェルノブイリ原子力発電所からも引き揚げました。撤退後のブチャなど、各地で民間人の遺体が多数見つかり、ロシア軍による拷問や虐殺の疑いが明らかになりました;
*2022年4月7日
ウクライナ軍の反撃で追い詰められたロシア軍は北部から完全に撤退しました。ウクライナ軍は北部のチェルニヒウやスムイ周辺も奪還しました;

首都キーウ近郊で起きた民間人虐殺;
ウクライナ軍が北部地方奪還後、専門家による調査によって明らかになった民間人虐殺の人数については以下をご覧ください;

特にブチャに於ける民間人虐殺については、各国の報道機関によって報道され世界に衝撃を与えましたが、以下はその一部です;

② ロシア領からクリミアに至る陸の回廊を確保するうえで重要なアズフ海沿岸のマリウポリでは2022年2月24日の侵攻開始より民間人を巻き込む激しい戦闘が行われ、ロシア軍の包囲・総攻撃で約2万人の死者が出たと言われています;
*2月24日~
ロシア連邦軍はドネツク州の親ロシア派とともにマリウポリを包囲し、食料、ガス、電気の供給が遮断されると共に、爆撃により都市のおよそ80~90%が破壊されたと思われます
ロシア海軍はアゾフ海沿岸で水陸両用作戦を開始。アメリカ合衆国国防総省の高官によれば、ロシア海軍は数千人規模の兵士を海岸堡から展開、市街地への砲撃を継続した
*3月9日
小児科・産婦人科病院への砲撃により子供の犠牲者が出ているとウクライナ側当局者が発表し、ゼレンスキー大統領はこの攻撃は戦争犯罪だと主張しました。これに対してロシア側はこの病院が過激派のアゾフ連隊の基地と化しており、虚偽情報だと主張しています
*3月19日
マリウポリの市当局によると、民間人数百人が避難している芸術学校がロシア軍に爆撃されました

*4月20日
市内の大部分をロシア連邦軍が支配し、ウクライナ軍は2個大隊が壊滅。第36独立海軍歩兵旅団、アゾフ連隊、第12特務旅団、ウクライナ領土防衛隊に、国境警備隊、警察官、右派セクターの義勇兵など約2千人の戦闘員がアゾフスタリ製鉄所に籠城するのみとなりました
ウクライナ軍は、孤立したアゾフスタリ製鉄所内の部隊に対する弾薬・糧食・医薬品等の補給や負傷者後送のため、ヘリコプターによる輸送作戦を合計7回実施。従事した搭乗員は9割が帰還できませんでした。ゼレンスキー大統領は撃墜の危険を知りながら補給任務に従事したヘリ操縦士らを「英雄」と称えました
3月20日時点で、地元当局によれば、少なくとも2千3百人が、爆撃までの包囲戦で亡くなったとされています
*4月21日
衛星写真を分析し、マリウポリから西に約20キロのマンフシュ村に、ロシア側が市民らの遺体を埋めている集団墓地を発見したとテレグラムに投稿されています

5月7日
ゼレンスキー大統領がアゾフスタリ製鉄所からの市民退去完了を発表
5月16日
ロシア国防省がアゾフスタリ製鉄所の負傷兵の避難に合意したと発表。ウクライナ軍参謀本部も「マリウポリを防衛する部隊は司令部が命じた全ての任務を完遂した」と発表し、マリウポリを守備するアゾフ連隊などに撤退を命令しました。ウクライナ国防省は人道回廊が設置され、重傷者53人を含む、260人以上のウクライナ兵が製鉄所から避難したと発表しました。ただし、投降した捕虜扱いでロシア軍の支配地域に移送されています

12月22日
AP通信は、ロシアのウクライナ侵略で壊滅状態になった南部マリウポリ周辺で、これまでに少なくとも1万300基の墓が新たに作られたとの分析結果を報じました

ロシアの占領政策
マリウポリのヴァディム・ボイチェンコ市長は2022年4月15日、読売新聞のオンライン取材に対し、4万人がロシア軍により連行されたほか、ウクライナ側による市民への支援物資をロシアを奪い自らの「人道支援」と称して配っていると主張しています

③ ロシア軍は、ウクライナの原発取水ダムを破壊
2023年6月6日午前2時50分、ロシア軍は、占領下の南部ヘルソン州カホフカ水力発電所のダムを爆破、決壊させました。このダムはザポロジエ原子力発電所が冷却水を取水していました

フォンデアライエン欧州委員長はツイッターでダム決壊に言及し「ロシアはウクライナで犯した戦争犯罪の代償を支払わなければならない」と強調しました

マリウポリの市長によれば、ロシアの包囲作戦と爆撃、砲弾などによって2万人以上が亡くなったとのことです。こうしたことが理不尽な侵攻によって為されたとすれば、その国のトップは、第二次大戦の所謂「平和に対する罪」として裁かれる必要があると思います(私見)

ロシアに対する一連の経済封鎖とその効果

ウクライナ侵攻直後から、日本を含む西欧諸国の多くの国々は経済制裁を発動しました。しかし、石油、天然ガスをロシアに頼っていた西欧諸国は、当初ロシアの理不尽な侵攻の意思を挫くほどの効果はありませんでした

下表は、ロシアに対して行った一連の経済制裁とその効果に関するネット上の記事をリストアップしたものです
表を見易くする為に、以下の凡例の様に各コラムの色の割り当てを行っております(2022年度、2023年度共通);


参考指標:2022年度の為替レート(1ルーブルに対する米ドルの交換比率)は以下の表の様になっています;

2月24日のウクライナへの侵攻によってルーブルの価値は急激に下がりましたが、この年の後半は安定した水準(≃0.015USD/1ルーブル)を保っています


参考指標:2023年度の為替レート(1ルーブルに対する米ドルの交換比率)は以下の表の様になっています;

2023年度に入ると急激にルーブルの価値は下がり年度後半はの為替レートは、年初に比べ26.7%下落しています
ロシア中央銀行は、ルーブルの下落によって輸入物価が上昇し、インフレ懸念が高まる展開を懸念し、7 月には予想外の大幅利上げ(7.5%→8.5%)に踏み切りました。この利上げは、ルーブル安が加速し物価上昇に歯止めがかからないため、中銀として大幅利上げに追い込まれたと結果と考えられます。ルーブルの下落によって、ロシアの輸入物価はさらに上昇しています

全体を俯瞰すると、当初ロシアによるLNG供給停止の脅しと、国によってはエネルギー事情が厳しいところもあり、また石油製品やLNGの市場価格の高騰、中国やインドの買い付け増、などによってロシアの経済への影響はそれほどでもなかったと思われます。しかし、時がたつにつれウクライナを支援している国々の代替エネルギー確保の努力、米国のLNG(シェールガス)の増産などによって、ロシアはLNGを武器に使う意味が無くなってきつつあります。むしろその収入減によってロシア経済が時間が経つほど苦しくなってきているのが実情と思われます

また、半導体製品の制裁は武器の製造に相当厳しい影響が出て来つつあります。当初から半導体を多く使うドローンなどは、トルコや中国からの供給で間に合わせていましたが、最近は、ミサイルの製造に支障をきたすようになり北朝鮮からの供給に頼るようになってきていると見受けられます

また、最新のミサイルや戦闘機、電子戦に必要な機器類についても、最新の半導体が必要なことから、その損耗を惜しむ様な作戦に変わってきているようにも見受けられます

この戦争が更に長引いた場合、上記の状況は一層ロシア側に不利になると思われます。因みに、米国のLNGの今後の増産ペースは相当顕著になることは、右表を見れば明らかではないでしょうか

また、地球温暖化に関わる世界共通の目標となっている再生エネルギーの急速な普及を勘案すると、近いうちにエネルギー供給に関わる脅しはもはや意味をなさないと思うのですが、、(私見)

Follow_Up:2024年1月19日_「アメリカの二次制裁発動で中国国有銀行もロシアとの取引を見直し

おわりに

以上のような状況から、今後ウクライナ有利に進むように思われますが、ロシアの歴史を踏まえると、以下の理由からそう簡単にロシアに勝利できるとは思えません;
ウクライナ自身の武器の生産能力、現在の武器供給の主力であるNATO諸国の支援疲れ、特に米国の支援は共和党大統領選挙結果如何で大きく変わる可能性がある、などから近い将来に現在のロシア占領地域を奪還する見通しは立ちにくいと考えられます
ロシア帝国~ソ連の時代に、露土戦争ナポレオン戦争第二次大戦におけるドイツとの戦争という苦しい戦いをロシアは勝ち残ってきた歴史があり、苦境になればなる程大量の兵士の死を厭わない長期戦を戦い抜く可能性が排除できません

戦後の日本は憲法の制約から、武器に関わるウクライナ支援はできないことになっています。従って、現在の日本のウクライナ支援は、ウクライナ避難民の受け入れ・支援、地雷除去技術・機材に関わる援助、発電機や暖房器具の供与、ウクライナ国内の市民への生活支援、などの限られています。勿論、戦争終了後が主となる復興支援も約束しています
しかし、日本の世論は間違いなくウクライナを圧倒的に支持しています。ほかにウクライナ支援ができることは何か? 平和な日本にいる私がこんな事を考えるのは、両親や親戚から聞いた満州に於ける敗戦・抑留体験です。ロシアに負けることはどういうことか、ということを何度も聞かされました
今回のロシアのウクライナの侵攻は、日本の敗戦直前の1945年8月9日(日ソ不可侵条約を一方的に破って)、満州に突如侵攻してきたソ連軍を思いださせます独ソ戦終盤、敗軍のドイツ兵に暴虐の限りを尽くしたソ連軍が、満州侵入後に日本人の農民、市民に何をしたか、、、今回のウクライナに侵攻したロシア軍兵士の振る舞いはこれと相似形で語ることができます

ウクライナが勝利するためには長く戦い続けることが必須条件であることは間違いありません。以上を勘案すると、日本としてもう少し違う支援も考えていいのではないか?と考え始めています
日本は極めて性能の高い防御兵器を沢山保有していますが、旧式となって要らなくなった兵器でも今の憲法ではウクライナに供与はできません。しからば、ウクライナが兵器を買うお金を支援することは如何か? 「お金は天下の回り物」ですから武器援助にはあたらないと考えることはできないか?
ウクライナ戦争でミサイルや航空機に対する防御能力の高さが証明されているパトリオットシステムは、現在3基がキエフ周辺に配置されているのみです。ウクライナの他の都市はロシアのミサイル攻撃を受けて多くの民間人の死傷者を出しています日本の使途を明確にしない財政支援によってウクライナがアメリカのレセオン社からこのシステムを直接購入する、またウクライナ人が戦闘状況の推移によって他の有用な兵器の購入に変えることも可能となるのではないか?
現在、政府が検討している「ウクライナの支援で在庫が少なくなったパトリオットシステムを米国に売却する」よりも余程ウクライナ人に感謝されるのではないか?益々私の妄想は膨らみます!!!

Follow Up_2024年2月1日「ウクライナ支援でバイデンが「奥の手」 ギリシャなどから三角スキームで武器送る

以上

秋冬野菜の現況と一年間のレビュー

はじめに

見出しの写真は、手前が長野県の漬物用冬野菜で有名な「野沢菜」、左上が福岡県の漬物用冬野菜で有名な「高菜」の成長途中の状況です。昨シーズンから栽培を始めてその漬物を食べたら余りに美味しいので、今年はこの二種の野菜の栽培数を増やしました
*最近、同居している息子が発酵博士?となり色々と協力してくれます。右の写真は、夏に収穫したナスと紫蘇を使って彼が漬け込んだ「柴漬け」で、正にプロの味です。また下の写真は彼の現在の蔵書です!

上記以外に、数年前から始めている生食可能な野菜とハーブの「簡易ビニールハウス」による栽培の規模をやや大きくしたこと、近年栽培株数を増やしている「白菜」、「キャベツ」、「長ネギ」、「タマネギ」、などについて以下にやや詳しく報告します

秋・冬野菜の「簡易温室」による栽培

1.簡易発芽器(室内
以前、何度かご紹介していますが、大きめのプラスティック容器に水を満たし、この水を熱帯魚用の電熱器(中国製であれば千円内外で購入可能)で温め、これに100円ショップで購入したトレーを浮かべ、このトレーに発芽・育苗用のポリポッドを並べます。昼は蓋を開け、夜は温度が下がらないように蓋をしめます(←発芽には継続的に高い温度必要)。発芽後は、昼間に光が良く当たるように簡易反射板を設置しました。発芽後、暫らくしたら茎が徒長しないように以下の簡易育苗器(屋上)に移します

2.簡易育苗器(屋上
昨年から始めたものですが、基本的構造は室内用と同じですが、プラスティック容器の周りを断熱の為に発泡スチロールで覆い、熱帯魚用の電熱器の温度設定を室内より高めにセッします。この育苗器は、昼夜を問わず蓋は開けておいて、透明ビニールで覆うようにします(←発芽後の苗はできるだけ日光に晒すことが必要)

3.簡易ビニールハウスによる栽培
ある程度苗が育ってきたら、標準のコンテナに移植し下の写真の様な簡易ビニールハウスに移し毎日一回水遣りをしながら、大きく成長した野菜から順次収穫していきます。収穫は、葉物野菜であれば必要量だけ葉のみを収穫すれば、長期間収穫可能です(栽培している野菜、ハーブ類の詳細は省略)
<参考> 簡易ビニールハウスの安価な制作方法(下記の材料は何年も繰り返し使用できます)
*材料:透明なゴミ袋(70リットル/厚さ0.04ミリ、368円/10枚)、洗濯ばさみ(110円/40ヶ、数年は使い回せます!)、支柱(夏野菜の栽培で使う各種の長さの支柱を使います)
*支柱類・コンテナの縁とゴミ袋との接合は洗濯ばさみで十分な強度が得られます。昨年の経験でかなりの空っ風に耐えることが分かっています

尚、簡易ビニールハウスには暖房の装置は無く、また写真をご覧になると分かると思いますが、周辺には小さな隙間が一杯あり早朝には結構温度が下がり(霜が降りる程ではない)ます。しかし、このビニールハウスの狙いは、周辺の畑で冬場の野菜栽培で使われているビニール・トンネルと同じ様に、晴天が多い関東地方で日中の温度を上げて成長を早めることが目的です
<温度測定結果>
12月23日は、今年これまで一番の寒さでしたが、この時の温度測定の結果は以下の通り;
① 朝7時・新座市予報気温:-1℃ ⇒
朝8時(晴天)・新座市予報気温:1℃自宅屋上日陰地面温度:3℃ビニールハウス内温度:10℃(前日が青天だった影響か?)
昼12時(晴天)新座市の予報気温:8℃自宅屋上での日陰地面温度:9℃ビニールハウス内での温度:32℃

白菜とキャベツの栽培

我家の冬の主要野菜である白菜、キャベツは、それぞれ12株、10株栽培しています。これらの苗は勿論種から育成します(9月初旬に育苗用のポリポッドに種蒔きを行い、11月下旬に大型コンテナに植え替えます)。現在の成育状況は以下の写真の通り順調です;

白菜については、昨年実験して成功した「余った苗を密植し、ミニ白菜として楽しむ」ことを狙い下記写真の様に4株育てています;

ネギ類の栽培

1.長ネギ
長ネギは春に種を蒔いたネギと、8月末に種を蒔いたネギを大量に育成しています。残念ながら春に蒔いたネギは今年7月~9月の酷暑の影響で一時は枯れそうになりましたが、何とか生き延びたネギを植え替えて育成していますが、収穫できるかどうか、、、

8月末に種を蒔いたネギについては、以下の写真の様に順調に成長していますが、収穫は来春以降となることは確実です。下の写真左の大きなコンテナは5ヶ、右の小さなコンテナは4ヶ栽培しています。長ネギに関しては今冬は供給責任?が果たせなかった事になります

2.小ネギ
右の写真にある小ネギは、4~5年まえに植えたものですが、刈り取っても肥料を補ってやれば、後から出てきますので便利な野菜です。鍋物には使えませんが、薬味として使う分には申し分の無い便利な野菜と言えます

3.タマネギ
毎年栽培しているタマネギ二種(保存用と生食用)は、今年も8月末に種蒔きをしましたが、右の写真の様に11月中旬の植え付け時には十分すぎるほどの苗が収穫できました。これらの内、大玉に育てる苗は、5ッの大型コンテナに108本、小玉のままで収穫(ペコロスする苗は、10ヶの小コンテナに150本程になりました

ペコロスは来年4月初めから順次必要分を収穫し、大玉タマネギは恐らくゴールデンウィーク前後に一気に収穫します

その他の野菜の栽培状況

1.ニラ
右の写真の通り、小さなコンテナ4ヶで一年中栽培し、必要な折に順次コンテナ単位で収穫しておりますが、収穫後に適当に根切を行い、化成肥料を一握り程蒔いた後、堆肥を蒔いておけば再生しますので手間いらずの野菜です

2.日野菜カブ
右上の写真は、現在の日野菜カブの成育状況(15株あります)です。もう少し成長させて一月に入ってから収穫し漬物にすることになると思います

右下の写真は今月初めに食べた最後の日野菜カブ古漬け(今年初めに収穫し漬物にしたものを冷凍保存したもの)の写真です。酸味はやや強かったものの大変美味でした

3.高菜
今年は昨年の倍以上栽培していますので大いに楽しめそうです。収穫は恐らく一月末ごろになるのではないかと予想しています:

4.レタス
昨シーズンはかなり大量に育てることができましたが、今シーズンは苗の育成に失敗し、写真の株と、自家製ビニールハウス内での栽培分を含め10株にしかならず、長ネギ同様今冬は供給責任?を完全には果たせませんでした

野沢菜の漬物への道

野沢菜収穫後に漬物にするには量が多いこともあり大変な作業になります;
①の工程までは筆者の仕事です。②・③/洗浄工程(信州・野沢温泉地域では温泉水を使うそうですが拙宅では無理! そこで、60度位のお湯を使い、葉に付着しているゴミ、虫、雑菌を洗い流しています)。その後一時的に3%の塩水に漬け一日経ってから(最初はこの漬物ダルに野沢菜があふれる状態でした)、野沢菜を取り出し水洗いを行ったあと、④我が家の漬物博士?の助言を得て3%の塩と昆布、トウガラシを加えて本漬を行い、屋外で保存して発酵を待ちますこれらの作業は全てワイフの仕事です。
また、根の部分(カブ)の大半は粕漬にする予定です(現在は冷蔵庫で保存中)

失敗した夏野菜のリベンジの結果と来夏の対策

今年8月7日に発行した私のブログ「酷暑の中の屋上野菜栽培」の中で、酷暑で枯死してしまったキュウリとトマトについては、全ての野菜は種から育てるというこれまでの原則を捨てて8月中に苗を買ってもう一度育て始めた事を報告しましたが、その結果は惨憺たるものでした。以下の一年間の費用に関わるレビューをご覧になると分かりますが、5千円以上のお金をかけ各種資材と共にキュウリの苗9株、トマトの苗10株を植え付けましたがキューリの収穫はたった1本のみで全て枯死、トマトは何とか5株だけ生き残ったのみでした
この健気な?トマトは12月に至っても未だわずかではありますが、細々と実をつけ続けており、朝の生野菜サラダに入れて楽しんでいます

ただ冷凍庫にこれまでの消費できなかったトマトを冷凍保存したもの(右の写真)がありますので、来年2月頃までは朝食のサラダに供給できそうです


<来夏の対策>

右のグラフを見ると温暖化が着々と進行していることは確かなので、来年から夏野菜の植え付け時期を、3月頃に早めることとします。この為には、春先の一時的な寒波に備えて、この春使って効果があった透明なプラクティックカバー、及び自家製ビニールハウスの技術を積極的に応用すると共に、この夏二度目の栽培の為に購入した「敷き藁」、「遮光ネット」を暑くなる前から使用したいと思っています

キューリについては、根が浅く張る事は知っていたものの、肥料用の袋を使った「袋栽培」であった事も枯死の原因になっていたと考えられますので、上記①の対策に加え栽培に広口(深さはそれ程でもない)の大型コンテナを使用することにしたいと思っています
さて、来年も間違いなく酷暑になると思われますが上手くいくかどうか、、、

屋上栽培一年間のレビュー(経済面)

以下の表をご覧になれば分かる様に、今年もゴルフ2~3回分の費用しかかけていないので、年金生活者の趣味としては妥当かと! また、2020年以降、今年まで4年間殺虫剤等の農薬は全く使っていません(かわりに大量の虫を殺害したので私自身の成仏は叶いません!)ので、有毒物質に敏感な?老人の健康面でも良かったかと!  尚、下表の赤い矢印の部分赤字の部分は本ブログの中の記事に関連する支出項目です;

おわりに

言い訳が多いレポートになりましたが、来年に向けての改善点が多く見つかったことは、素人野菜栽培の技術向上の為には良かったのかもしれません

また、我が家の発酵博士?のお陰で、夏野菜の貯蔵によって美味しい漬物を楽しむことができました。本投稿の「はじめに」で触れた自家製柴漬けの他に、前回投降した「酷暑の中の屋上野菜栽培」でご紹介したコールラビの塩漬け三尺インゲンの5%の塩水漬け(酸豆角)を使って大変美味しい中華料理の定番炒酸豆角(鶏と三尺インゲンの炒めもの/下の写真)」を楽しむことができました。野菜栽培は、苦労や、失敗は多いものの、本当に楽しいことが一杯詰まった趣味であることを実感できた一年でした;

以上

H3試験機1号機の打上げ失敗の原因分析結果について

はじめに

見出しの写真は今年(2023年)3月7日、多くの国民の期待を背負って鹿児島県の種子島宇宙センターの発射装置から打ち上げられた時のH3試験機1号機の姿です。しかし約14分後に第2段エンジンが着火しなかったため、指令破壊の措置が取られました
今回、現在の地球観測衛星の後継機となる「ALOS-3(だいち3号)」を搭載し、軌道に投入する予定でした

以下は、「JAXAのホームページ」からの情報、及び専門家による事故原因究明に関わる報告書(H3 ロケット試験機 1 号機 打上げ失敗の原因究明に係る報告書)をベースに私が理解できる範囲で出来る限り分かりやすく解説したものです。尚、以下の説明の際に度々登場する基本的な用語については、私のブログ「ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史」の中で詳しく説明しております。また、事故原因究明に関わる特殊用語については、前回発行の「イプシロン6号機の打上げ失敗の原因分析結果について」に解説をしておりますので本ブログでは説明を省くことと致します

H3ロケット開発計画の概要

H3ロケットは、これまで大型人工衛星の打ち上げやISS(国際宇宙ステーション)への各種資材の輸送などで運用されてきた H-IIA/H-IIBロケットの後継機として位置づけられます。開発目標としては、開発完了後20年間、毎年6機程度を安定して打ち上げる為の基幹ロケットを目指しました
そのためには、これまでの様な国家主導の衛星だけでなく、民間の商業衛星の受注が不可欠であり、宇宙先進国間で行われている熾烈な開発競争の中で、世界の商業衛星打ち上げロケットとして選ばれる為に以下の様なNEEDSに応えるロケットにする必要があります;

①柔軟性(High flexibility)
複数の機体形態を準備し、利用用途にあった価格・能力のロケットを提供できること。更に、受注から打ち上げまでの期間短縮と、年間の打ち上げ可能機数を増やすことが必要になります。 そのために、ロケット組み立て工程や、衛星のロケット搭載などの射場整備期間をH-IIAロケットに比べ半分以下に短縮することが必要なります
 地球低軌道から静止トランスファー軌道、さらには地球脱出軌道まで、さまざまな軌道に向け、多種多様な大きさ、重さの衛星が打ち上げ可能なこと。特に、商業衛星の打ち上げ需要が多い静止トランスファー軌道へは、ヨーロッパの「アリアン5」ロケットなどと同等の約2~7トンの衛星を打ち上げられる能力も持つこと。この為には固体ロケットブースター「SRB-3」の本数や、第1段メインエンジンである「LE-9」の基数、衛星フェアリングを選択できる仕様とすることが必要になります;
a:第1段メインエンジン(LE-9)機数(2基、3基)
b:固体ロケットブースター(SRB-3)本数(0、2基、4基)
c:フェアリングのサイズ(W:Wide/L:Long/S:Short)
このうち、最小形態となるのは「H3-30S」で、主に官需用を想定

②高信頼性(High reliability)
H-IIAロケットの高い打ち上げ成功率とオンタイム打ち上げ率(予定した日時に打ち上げられる率)を継承し、確実に打ち上がるロケットにすることが必要なります
③低価格(High cost performance)
宇宙専用の部品ではなく、自動車など国内の先進的な産業の優れた部品を活用するとともに、生産方式についても受注生産から一般工業製品のようなライン生産に近づけることで、打ち上げ価格を低減させることが必要になります。 また、固体ロケットブースタを装着しない低軌道衛星の打ち上げでは H-IIAロケットの約半額を目指す必要があります

尚、大成功を収めたHⅡロケットの経験を最大限生かすために、1段目のLE-9エンジンは新たな開発であるものの、2段目のLE-5Bエンジンは、H-IIA/H-IIBロケットの第2段エンジンとして実績を積み上げてきたエンジンです。また、固体燃料の補助ロケットエンジン(SRBー3)は H-IIA/IIBロケットに用いられているSRB-Aで培った技術を活用して開発されたものです

<開発の軌跡>
2012年;システムの概念検討、LE-Xエンジンの技術実証を実施
2013年;システムの概念検討、LE-Xエンジンの技術実証を実施
*5月/内閣府宇宙政策委員会の宇宙輸送システム部会の第6回会合において、2014年度から新型基幹ロケットの開発を始めることを決定
2014年
*1月/JAXAでミッション定義審査(MDR)を実施
*3月/三菱重工を開発主体に選定
*4月/H3プロジェクト始動
2015年
*4月/システム定義審査(SDR)完了、概念設計フェーズから基本設計フェーズへ移行。ロケット機体のシステムならびに構造系、電気系、エンジン、 固体ブースターなどの各サブシステム、および地上施設設備の基本設計に着手
2016年
*4月/JAXAにおいて、H3ロケット総合システム基本設計審査を実施し、詳細設計フェーズへの移行は可能と判断
*12月~2017年1月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その1)を計7回実施
2017年
*3月~10月/角田宇宙センターにて LE-5B-3認定試験(その1)を計20回実施
*4月~7月/種子島宇宙センターにて LE-9実機型#1-1エンジン燃焼試験を計11回実施
*6月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その2)を計6回実施
*12月/JAXAにおいて、H3ロケット総合システム詳細設計審査(CDR)を実施し、製作・試験フェーズへの移行は可能と判断
*12月~2018年6月末/種子島宇宙センターにて LE-9実機型#2エンジン燃焼試験を計8回実施
2018年
*2月~3月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その3)を計4回実施
*8月23日/種子島宇宙センターにて LE-9実機型#3エンジン燃焼試験を実施
*8月26日/種子島宇宙センターにて 固体ロケットブースタ(SRB-3)実機型モータ地上燃焼試験を実施
*9月/種子島宇宙センターにて LE-9実機型#4エンジン燃焼試験を実施
*9月~10月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その4)を計3回実施
*11月~2019年2月/角田宇宙センターにて LE-5B-3認定試験(その2)を計15回実施
*12月~2019年5月/種子島宇宙センターにて LE-9実機型#1-2エンジン燃焼試験を計8回実施

2019年
*1月~4月/三菱重工 田代試験場にて LE-9エンジン2基クラスター構成による第1段厚肉タンクステージ燃焼試験(BFT)を計4回実施
*5月/IHIエアロスペース 富岡事業所にて SRB-3分離試験(その1)を実施
*8月/種子島宇宙センターにて SRB-3認定型モータ地上燃焼試験(その1)を実施
*10月/種子島宇宙センターにて LE-9実機型#1-3エンジン燃焼試験を計2回実施
*10月~2021年2月/三菱重工 田代試験場にて、LE-9エンジン3基クラスター構成(エンジンを複数束ねること)によるBFT(Battleship Firing Test/エンジンのみの地上でのテストを計4回実施
*11月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その5)を計2回実施
*12月/川崎重工 播磨工場にて フェアリング分離放擲試験を実施
2020年
*2月~5月/種子島宇宙センターにて LE-9認定型#1エンジン燃焼試験を計8回実施
*2月/種子島宇宙センターにて SRB-3認定型モータ地上燃焼試験(その2)を実施
*7月~8月/三菱重工 田代試験場にて 第2段実機型タンクステージ燃焼試験(地上の燃料タンクを使用したテスト)を計3回実施

*7月/IHIエアロスペース 富岡事業所にて SRB-3分離試験(その2)を実施
*8月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その6)を計2回実施
@9月11日/2020年度の試験機1号機の打上げ見合わせを発表
*9月~10月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その6-2)を計2回実施
*11月~2021年4月/種子島宇宙センターにて LE-9技術データ取得燃焼試験を計9回実施
2021年
*3月~4月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その7)を計2回実施
*3月/種子島宇宙センターにて 極低温点検を実施
*6月~7月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その7-2)を計2回実施
*6月~10月/種子島宇宙センターにて LE-9認定型#2エンジン燃焼試験を計5回実施
*12月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その8)を計3回実施
2022年
@1月21日/2021年度の試験機1号機の打上げ見合わせを発表
*3月~6月/種子島宇宙センターにて LE-9翼振動計測試験を計6回実施
*7月/角田宇宙センターにて LE-9ターボポンプ単体試験(その9)を計2回実施
*7月~8月/種子島宇宙センターにて LE-9認定型#3エンジン燃焼試験を計5回実施
*9月/種子島宇宙センターにおいて試験機1号機用 LE-9エンジン(1基目)領収燃焼試験を実施
*9月/角田宇宙センターにて LE-9エンジンターボポンプ単体試験(試験機2号機以降に向けた最適な仕様を選定するためのデータ取得)を実施
*10月/種子島宇宙センターにて試験機1号機用 LE-9エンジン(2基目)領収燃焼試験を実施
*10月~11月/種子島宇宙センターにて LE-9認定型エンジン燃焼試験を計4回実施
*11月/種子島宇宙センターにて タンクステージ燃焼試験(CFT)を実施
*12月/角田宇宙センターにて LE-9エンジンターボポンプ単体試験(試験機2号機以降に向けた最適な仕様を選定するためのデータ取得)を実施
2023年
*1月/種子島宇宙センターにて試験機2号機用 LE-9エンジン(1基目)領収燃焼試験を実施
@2月/種子島宇宙センターにおいて試験機1号機の打上げを予定していたが、第1段機体システムが異常を検知し固体ロケットブースタ(SRB-3)の着火信号を送出しなかったことに伴い打上げ中止
*2月~4月/種子島宇宙センターにて LE-9エンジン燃焼試験(試験機2号機以降に向けた翼振動計測試験・技術データ取得試験)を計5回実施
@3月7日/種子島宇宙センターにおいて試験機1号機の打上げを実施したが、第2段エンジンの不着火に伴い打上げ失敗

<H3試験機1号機・主要構成部分の仕様>
H3試験機1号機の外観および性能概要は以下の通りです;

H3開発の軌跡を概観すると、新規開発となった LE-9エンジンの燃焼試験については、多くの試験が繰り返されると共に、その心臓部に当たる燃料のターボポンプについても単独で繰り返し試験が行われています。これは1999年に打ち上げられたHⅡ型8号機が第1段ロケットの LE-7エンジンのターボポンプの破損により失敗した事例(ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史/開発の歴史の項参照)から念入りな試験が行われたものと推察されます。一方で LE-5Aで実績を積み上げてきた LE-5B-3については、2017年と2018年の2回のみ機会が設定されたのみですが、これが今回の失敗の原因とは考えられませんが、ちょっと気になる所ではあります。また、今年2月の打上げ時の直前中止が、着火信号に関わる電気系のシステムにあったことは、素人でも気になる所です

第2段エンジンの電気系システムの概要

第2段エンジン(LE-5B-3)の電気系システムは下図の様な冗長設計(Redundancy/システムや装置に障害が発生しても機能を維持させるために、予備の部品や回路を用意する設計方法/この設計手法は航空機構造の内、壊れると墜落事故に繋がる様な「一次構造」と言われる部分に取り入れられていますが行われています;
*PNP(Pneumatic Package );エンジンバルブ駆動用ヘリウムガスの供給やエキサイタ・スパークプラグ(エンジンの点火器)の駆動を制御する装置⇒ この部分には冗長設計はされていません
このシステムをもう少し現実のシステムに置き換えると以下の様になります;
この図で;
A/B電池系:二つの独立した電源を装備しており、電源は冗長設計になっています(⇔ HⅡAロケットでは電源は一系統のみでした)
V-CON2A/B:ロケットの飛行制御を司る計算機です。この為に、自身の位置・速度・姿勢情報をもとにエンジンの制御・ガスジェットの制御・エンジンの舵角制御等の機体制御信号を生成して各サブシステムコントローラへ指示を行う機能を持っています。この計算機は独立したAとBの二重装備になっており、これも冗長設計になっています(⇔ HⅡAロケットではこの計算機は一系統のみでした)
PSC2A/PSC2B:第2段推進系の制御を行うコントローラです。V-CON2A/Bそれぞれからの指示を受け、燃料のタンク圧制御エンジンの制御、ガスジェットの制御等の推進系サブシステム制御を行います。このシステムも独立したAとBの二重装備になっており、これも冗長設計になっています(⇔ HⅡAロケットではこのコントローラーは一系統のみでした)
ECB:エンジン・コントロール・ボックスです。エンジンの始動・停止時にバルブの開閉のタイミングを決定する制御装置
PNPPneumatic Package):ECBの指示に基づき、各エンジンの燃料バルブはソレノイド(Sorenoid Valve/電磁弁)とヘリウムガスで駆動され、点火器のエキサイタスパークプラグは電気で駆動されます
エキサイタ:点火装置
<第1段ロケット分離後のそれぞれの機器の連携>
V-CON2A/2Bが第2段ロケットが分離されたことを検知 PSC2A/Bへそれぞれ第2 段エンジンの SEIGSecond Stage Engine Ignition/第2 段エンジンへの着火指示)を出力 PSC2A/Bは、それを受けて第2段エンジン・コントロール・ボックス(ECB)へ SEIG を出力 ECBはSEIGを受けた後、PNP(下記参照)駆動を指示 PNP は指示に基づき、各エンジンバルブおよび点火器のエキサイタスパークプラグを駆動

テレメーターから得られた故障の情報

第1段ロケットが切り離された後、第2段ロケットか点火されたかったプロセスに関わるテレメーター(テレメーターの説明に関しては「イプシロン6号機の打上げ失敗の原因分析結果についてをご覧ください)の表示は以下の様になっていました;

発射後6分64秒後に、2系統の電源それぞれに内蔵されている電流・電圧のBIT(Built-in Check 機能)が異常を検知し、極めて短時間(数ミリ秒)にAシステム、Bシステムの電源が遮断されたために第2段エンジンは着火せず打ち上げ失敗に至ったものと判明しました。しかし、故障の原因はシステムの何処かで電気の短絡が起こり急激に大電流が流れたためと思われますが、テレメーターの情報だけでは短絡を起こした場所を特定することはできませんでした

そこで、この短絡の原因を特定する為に、関連するする全ての部品類に対する各種のテストと、FTAFault Tree Analysis /故障の可能性をしらみつぶしに調査すること/技術系で無い人への参考「FTA解析とは)分析を行いました;

MOS-FETとは:電界効果トランジスターで電源回路によく使われています
ハーネスとは:電気回路で使われている配線
短絡、地絡とは:いずれも電気の短絡現象です ⇒ 結果として大電流が流れます

次のH3試験機(2号機)までに採られる対策

トラブル発生の原因を特定できなかったことから、対策は可能性がある全ての原因に対応可能な様に以下の様に多岐にわたっています;
1 エキサイタ内部で軽微な短絡が発生し、SEIG 後に完全に短絡する可能性に対する対策
⇒ リード線や基板等が接触して短絡・地絡する可能性がある箇所に対して、絶縁強化を実施する
⇒ 絶縁強化が難しい箇所に対しては、十分な隙間があることを X 線CT 検査によって確認する

2.エキサイタ内部のコンデンサの故障(誘電体損傷)の可能性に対する対策
⇒ エキサイタの製造検査に X 線 CT 検査を追加し、コンデンサのリード線の損傷(曲がり)がないことを確認する
3.エキサイタ内部のコンデンサ(リード線接触)の故障の可能性に対する対策
⇒ リード線に絶縁強化の為の保護テープを追加する
⇒ エキサイタの製造検査に X 線 CT 検査を追加し、リード線とケースが近接状態に
なっていないことを確認する
4.エキサイタ内部の貫通フィルタ故障の可能性に対する対策
⇒ エキサイタ製造検査に X 線 CT 検査を追加し、貫通フィルタに地絡に至る損傷がないことを確認する

5.エキサイタ内部のフィルタ組立故障の可能性に対する対策
⇒ エキサイタ製造検査に X 線 CT 検査を追加し、コイルとフィルタケースの接触が
ないことを確認する
⇒ コイルの絶縁シートの巻き数を 1.5 巻⇒1 巻に変更して厚みを減らし、コイルをケースに収納し易くしてクリアランスを改善する
⇒ コイルリード線に RTVゴム、コネクタ基板間ケーブルに熱収縮チューブを追加し摩耗に対する保護を強化する
6.製造中のトランジスター交換作業の摩耗紛による地絡の可能性に対する対策
⇒ エキサイタ製造検査に X 線 CT 検査を追加し、トランジスタとケース間の絶縁シートに摩耗粉(金属片)がないことを確認する

7.エキサイタへの通電開始直後に、部品故障による降圧回路の異常動作等により、過電圧が生じて、PSC2 の A 系内部の定電圧ダイオードが短絡故障し、故障時の過渡的な電流が電源のリターンラインを経由して B 系に伝搬して、A 系電源の遮断に引き続き、B 系の電源も過電流を検知して遮断に至った可能性に対する対策
PSC2 A 系/B 系双方の定電圧ダイオードを削除する

*定電圧ダイオードは、PSC2の過電圧検知遮断機能に加え、下流機器を保護する目的で実装していたものである。(過電圧が生じた場合に下流機器保護する機能として 二 重に装備していた

8.H-II ロケットから使い続けている機器に対し、製造しにくさ等により不具合ポテンシャルを内在しているものが無いか確認する
9.テレメータデータから得られる情報が限られていたため、原因箇所の切り分けや事実確認に時間を要した

⇒ 今後のフライト等において過電圧を起因とする事象の切り分けを容易にするため
に、PSC2 のエンジン駆動電源電圧の取得レートを 8Hz から 32Hz に向上させる
⇒ 今後のフライト等において過電流を起因とする事象の切り分けを容易にするため
に、V-CON2A/2B の電源バス電流の取得レートを 64Hz から 256Hz に向上させる
⇒ 対策効果を確認する目的で、PSC2/PNP 間に電流計測センサを追加し、512Hz の高速サンプリングでデータ取得する
⇒ 対策効果を確認する目的で、PSC2/PNP 間に電圧計測センサを追加し、512Hz の高速サンプリングでデータ取得する

10. H3 ロケット試験機1号機原因究明作業の結果、第2段エンジン着火信号送信から極く短時間に冗長系の A系、B系双方が駆動電源バスを遮断したことが判明しています。ミッション継続性の観点では、異常検知から遮断迄の余裕時間が少ないことから、冗長系設計思想を損なわない範囲で、ミッション継続の可能性を向上させる改善策を行う
*原因となった過電流は電源供給機能より下流機器の異常または故障に起因するため、下流機器に過電流に対する耐性があり上流機器の機能維持が担保される時間内であれば、すぐに断時する必要は無いと考えられます。一方、過電圧は電源供給機能そのものの異常または故障に起因するため、直ちに遮断する必要があり、遮断時間の延長はできません。過電流に対する検知機能は、A 系/B 系で異なる動作をさせることは可能です
*尚、今回の不具合事象とは直接の関連がないものの、エンジン制御系電源の過電流検知/遮断機能は、PSC2A/2B とその上流の V-CON2A/2B の双方に実装していた(同一の電源系統に 2つのブレーカスイッチを直列で具備していた状態となっていたことになります)ため、PSC2A/2B のエンジン制御電源に対する過電流検知/遮断機能は削除することになりました(下図参照);

11.今後のロケット開発のために、開発初期段階から電機系専門家の知見を設計に反映すること、また、開発の規模・質に応じた JAXA および企業の電気系エンジニアの確保を行い、彼らの知見を確実に設計に反映し信頼性の高いシステム構築することになりました

おわりに

今回のブログ作成に当たって頼りにした2023年10月26日発行の「専門家による事故原因究明に関わる報告書H3 ロケット試験機 1 号機 打上げ失敗の原因究明に係る報告書)」の解読?には苦労しました。大昔の「電気少年」の知識では解読不能の専門用語や論理展開がちりばめられており、何度も何度も読み返してやっと概略理解することができました。また、冗長設計の具体的な方法や、最後の一番大切なPNPのエキサイタやバルブ駆動のソレノイド部分がシングル系になっていることも航空技術の常識では理解に苦しむものでした
ただ、今後の対策にあるように、電気系機器のトラブル検出機能の強化設計陣に電気系の専門家が多く配置されるようなのでこうした失敗は無くなるものと期待したいと思います

一方、私のブログ「米ソ宇宙開発競争の歴史(スプートニク~アポロ計画)」の最後に「革新的な設計を行っているイプシロンロケット、H3ロケットの開発も、米国流でやるのであれば、地上でのテストとは別にペイロードを載せる前にまずロケットシステムのみの実射テストを行うべきではなかったか」と書きましたが、これまでの発表によれば、試験機2号機はペーロード無しで実施するとのことなので、日本のロケット開発も一歩前進かな、と思った次第です。とまれ今年度中に打ち上げられるという試験機2号機の成功を祈りたいと思います

Follow_Up:2023年12月17日「日本の人工衛星、計画遅れ続出_災害用観測機1年延期、科学研究にも影
Follow_Up:2023年12月27日「ロケットH3・2号機、2月15日打ち上げへ 失敗受け対策
*このロケットには、ロケットの性能を確認する機器と、超小型の人工衛星2基を搭載することになっています

Follow_Up:2024年1月2日_「H3ロケット、24年は成功へ2度目の飛行 挑む国際市場
Follow_Up:2024年2月17日_「H3」ロケット打ち上げ成功

以上

イプシロン6号機の打上げ失敗の原因分析結果について

はじめに

見出しの写真は、昨年(2022年)10月12日に鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所の発射装置から打ち上げ直後のイプシロン6号機の雄姿です。しかし、1段目、2段目は順調に飛行したものの、2段目モータ(ロケットの噴射装置)の燃焼が終了した後の姿勢制御がうまくいっていないことが分かり、飛行途中で爆破されました;

この6号機には、福岡市の宇宙ベンチャー企業「QPS研究所」が開発した観測衛星や、大学・研究機関などに打ち上げ機会を提供する「革新的衛星技術実証プログラム」の第3弾となる衛星「RAISE-3」を搭載していましたが、残念ながらこれらはロケットと共に太平洋の藻屑となってしまいました

日本のロケット開発の歴史については、私のブログ「ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史」の中で詳しく説明しておりますが、軍事技術とは無縁の学術的な研究の為に開発され、これまで極めて順調に開発が進められてきました。今回の失敗は残念な事ではありますが、宇宙開発先進国が経験している様に、この失敗の原因分析を緻密に行い、次の開発計画に生かしていくことが大切だと思います。以下は、「JAXAのホームページ」からの情報をベースに私が理解できる範囲で出来る限り分かりやすく解説したものです。尚、以下の説明の際に度々登場する基本的な用語については、私のブログ「ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史」の中で詳しく説明しておりますので適宜ご覧になって下さい

イプシロン計画の概要

衛星打上を始めとするこれまでの日本の宇宙開発については、液体燃料ロケットであるH-ⅡA、H-ⅡBによる大型実用衛星の打上やISS(国際宇宙ステーション)への物資輸送と、固体燃料ロケットである Μ-Ⅴロケット(読み方:ュー5ロケット)による中・小型衛星の打上や惑星探査などを行ってきました。その後、宇宙開発が商業的な競争を行う時代に突入し、打ち上げ費用の抜本的な削減が必要となり、H-ⅡA、H-ⅡBの後継機としてのH3の開発と並行して、2013年度以降、固体燃料ロケットの後継機としてイプシロンロケットの開発が始まりました。開発の道程及び開発の目標については以下の図をご覧ください;

つまりイプシロン6号機は、こうした開発フェイズの最終段階に位置付けられ、この発射の成功は、最終目標である「イプシロンS 」という国際競争力のある打ち上げサービスの開始に引き継がれることになっていました。イプシロンロケット開発計画の詳細は JAXA のサイト「イプシロン」をご覧ください
尚、上表にあるイプシロン2号機~6号機までの「イプシロン強化型」と「イプシロンS 」との仕様の違いについては下図をご覧ください;

2023年7月14日、秋田県・能代にあるロケット実験場でイプシロンSロケットの2段モーターの真空燃焼試験を行った所、爆発事故を起こしてしまいました。この事故の原因分析は現在進行中です
尚、「イプシロン強化型」と「イプシロンS 」の2段モーターの仕様の違いについては下図をご覧ください;

Follow_Up:2023年12月12日・日経_ロケットのエンジン爆発、装置溶融が原因 JAXA報告

イプシロン6号機・失敗の原因分析

イプシロン6号機の事故については、異常が認められた段階で爆破されているため落下した本体の回収は不可能です。しかし、最近のロケットは正常に飛んでいるかどうかや、搭載機器の状態を、電波で地上に知らせる装置(以下「テレメータ」と表記します)が装備されており、地上でもその情報を受信し正常に飛行しているかどうかReal Timeで確認できる設備が稼働しています

残念ながらイプシロンロケットについてのテレメータの仕組みは現段階で入手できませんでしたが、M-Vロケットの場合は5台のテレメータ(1段目に1台、2段目にカメラを含めて3台、3段目に1台)が搭載されており、それぞれの段の飛翔中の状態を時々刻々知らせて来るようになっています。またロケットが決められた軌道を飛行しているか、ロケットモータの状態は正常か、ロケットの切り離しは正常に行われたか、といった150種類もの情報を時々刻々送ってくるようになっていました。また、搭載カメラでは、1、2段目のロケットの燃焼炎の状態や切り離し、そして3段目ロケットの切り離し・点火の画像を送り、目で直接その状態を確認できるようになっていま

  ペンレコーダー

ロケットから送られてくるテレメータの電波は、打上げ場のある鹿児島宇宙センター内之浦宇宙空間観測所で受信され、「テレメータセンター」と呼ばれる場所でコンピュータ画面やペンレコーダ(電気信号の変化を長時間にわたって紙に記録するための計測器)にデータが表示されて、ロケットの飛翔中の状況が確認できるようになっています。このテレメータセンターで集められたデータは飛翔保安の部署へ送られ、ロケットが安全に飛んでいるかどうかが監視されます。もし、ロケットが異常な飛行をしたときには、ここからロケットの破壊コマンド(指令)が発信され、ロケットの落下による地上、海上での事故を未然に防ぐことになっています。イプシロンロケット6号機の破壊指令はここから発せられたものと思われます
尚、テレメータの電波は、ロケットの真後ろ方向では燃焼ガスの影響により弱められ、受信できなくなることがあります。また、地球が丸いことから水平線の向こうにロケットが飛翔すると受信ができなくなります。その為ロケットの飛行する途中何個所(外国を含む)かに受信局(これをダウンレンジ局といいます)を設けて、そこからテレメータセンターにデータを転送することになっています。こうして得られた情報から、事故原因のかなりの部分は解明できることになります

1.イプシロン6号機の制御の仕組みと故障個所
イプシロン6号機の構造と推進システムと制御システムを図示すると以下の様になっています;
上図に於ける略語の意味は以下の様になります;
* TVC(Thrust Vector Control):ロケットの噴射方向を変えることによってロケットの推力の方向を変える機構(⇒ロケットの進路を変えることが出来ます)
スピンモータ:ロケット外周の接線方向に小型のガス噴射装置を設置し、ロケットの軸を中心として回転させ、軸の方向(⇔ ロケットの進行方向)を安定させるもので、大砲や小銃の砲身の内部に施条(ライフリング)を施し、砲弾を回転させて方向を安定させることと同じ原理です
* RCS(Reaction Control System):噴出ガスの反動でロケットの方向、姿勢をコントロールするシステム)

この制御装置が打ち上げ時に予定された軌道に沿ってどの様な制御を行うかについては、以下の図をご覧ください;

このブログの「はじめに」の項のイプシロン6号機の事故に至る軌跡と、上図の姿勢制御上の役割分担を比べてみると、第2段 RCS の機能が故障したらしいことは推測可能であると思います

2.第2段 RCS の構造、及びその機能
第2段 RCS の構造と機能については下図をご覧ください;


上図の名称ロール(Roll)ピッチ(Pitch)、ヨー(Yaw)という用語は分かりにくいと思いますが、この用語は恐らく航空機の三軸周りの回転を意味する用語(右図参照)を転用している様です。RCSの場合は、ロールはロケットの軸周りの回転を意味し、ピッチとヨーは、ロケットの軸を傾けることを意味することになります。上図左のラッパの様な三角形のシンボル(#1~#8)はスラスタ(Thruster/ガス噴射装置)を意味しますが、これらの噴射装置を上図左に書かれている組み合わせで噴射させるとロケット本体の ロールピッチ、ヨー をコントロールすることが出来ます(例えば#1と#4のスラスタを同時に噴射させるとロケットは後ろ側から見て時計回りにロール(Roll)することになります

3.RCS のガス噴射装置(スラスタ)を駆動する仕組み
8個(#1~#8)あるガス噴射装置(スラスタ)を駆動する仕組みは複雑な構造をしていますので、簡単な系統図で表すと以下の図の様になります;

尚、今回の故障分析に関わる上図のタンクとパイロ弁の詳細な構造は以下の様になっています;タンクはダイヤフラム(伸縮性のある薄膜)で仕切られており、上部に窒素ガスが入ってくるとダイヤフラムの下部に入っているスラスタ(ガス噴射装置)に推進薬(ヒドラジン)を押し込む仕組みになっています。またパイロ弁(推進薬遮断弁)は、この推進薬の流路を途中で遮断しているものですが、搭載されている誘導制御計算機(OBC)の指令で流路を開通させる役割を担っています
尚、上図でPSDB2(Power & Sequence Distribution Box2/パイロ弁に電力供給を行う機能)は、AシステムとBシステムがあり、1秒の時間差でパイロ弁に電力を供給する様になっており、更にパイロ弁も Aシステム、Bシステムで独立して起動できる様な構造になっており(冗長設計/Redundancy)、パイロ弁の構造がシンプルであることと併せ、機能不全により起動できなくなる確率は極めて低くなるように設計されています

4.テレメーターから得られた故障の情報
テレメーターからは、タンクの圧力、パイロ弁下流配管の推進薬(ヒドラジン)の圧力、パイロ弁への電力供給の有無、などの情報が送られてきており、イプシロン6号機では、その情報は以下の様になっていました;

上図によれば、マイナス・ヨー軸(₋Y)には Aシステムに電力が供給されて直ぐパイロ弁下流の圧力がタンク圧力(タンク内の推進剤の圧力)に達した(⇔ マイナス・ヨー側のスラスターが機能できる)ものの、プラス・ヨー軸(+Y)には、Aシステム、及びBシステムに電力が供給されて電力が供給されてもパイロ弁下流の圧力はゼロのまま(⇔ プラス・ヨー側のスラスターは推進剤の供給が無いので機能できないになっていました
上記分析から、タンク側とパイロ弁上流配管に何らかの異常が発生したものと推定され、各種のテストが行われました

5.故障個所の特定
関連する部品類に対する各種のテストと、FTA(Fault Tree Analysis )分析を行った(故障の可能性をしらみつぶしに調査すること)結果、上記現象はRCSのダイアフラム式タンクにおける、「ダイアフラムシール部からの推進薬(ヒドラジン)の漏洩」と特定されました
このダイアフラム式タンクは、イプシロンロケット2号機以降の強化型から採用された推進薬タンクで、ダイアフラムを組み込む際にダイアフラムが、リング間隙(赤道リングとダイアフラム固定リングの隙間)に噛み込み、その後の溶接工程のミスでその噛み込んだ部分が破断・損傷した結果であると特定されました;

こういう状態になると、推進薬(ヒドラジン)がタンク内のダイヤフラムの下側から窒素ガス側に漏洩します。こうなると、ダイアフラムが液ポートに覆い被さり、パイロ弁開動作時にダイアフラムにより推進薬出口を閉塞する可能性があることが地上での実験で確認されました

6.その後の対応(水平展開)
A.今回の失敗の直接の原因が、構成部品一つの作業ミスが大きな失敗に繋がったことと、過去に同一部品が使われて問題が無かった部品について綿密な領収検査が省かれる傾向があったことから、イプシロンS計画だけでなく、H3計画においても構成部品の納入に際し着実な検査の徹底図ることとしました
また、
B.同種のRCSを使用している以下の計画については、改めて詳細な検討を行っております;
① イプシロンSロケットへの水平展開
現在開発の最終段階にあるイプシロンSロケットに関しては、今後以下の2案を検討し必要な改善を行っています;
A案:現タンクの設計変更
* ダイアフラム組込時にシール部の噛み込みが発生しない設計・製造工程、シール部からの漏洩を確実に検知する方法等を検討するとともに、充填する推進薬の増量などに伴うダイアフラムによる閉塞リスクを排除する対策を検討した上で、タンクを再開発する
B案:H-ⅡAタンク活用
* H-ⅡAロケットのダイアフラム式タンクは、ダイアフラム組込時にシール部の噛み込みが発生しない設計・製造工程となっており、タンク液ポートに閉塞防止用の機構を有している

② XRISM(X線分光撮像衛星)への水平展開
* XRISMの推進システムに搭載しているタンク・ダイアフラムはイプシロン6号機に搭載しているものと同一のものですが、実機の疑似推薬(水)を用いた振動試験の結果を基に技術評価を実施して問題ないことを確認したうえで、2023年9月11日にH-ⅡA・47号機により打ち上げられ軌道投入に成功しています
③ 宇宙船・SLIM(Smart Lander for Investigating Moon/無人月面探査機・着陸機)への水平展開
* SLIMの推進システムに搭載しているタンク・ダイアフラムはイプシロン6号機に搭載しているものとサイズ、形状が異なりますが、シール部やダイアフラム材料等の一部の設計が類似しています。従って実機のダイアフラム組込後の漏洩試験などを基に技術評価を実施し、問題ないことを確認した上で、2023年9月11日にH-ⅡA・47号機により打ち上げられ、現在月への軌道を順調に飛行しています

④ H3ロケットへの水平展開
* H3ロケットのダイアフラムについては、液ポート閉塞の可能性はなく、推進薬の漏洩やダイアフラムの破損、脱落が発生しないよう管理し、製造異常も確実にスクリーニングできるプロセスとなっていること確認していることから、懸念は排除されると評価しています

おわりに

イプシロンロケットの発射場は鹿児島県の内之浦にあり、数十年前!航空学科の4回生の時の卒業旅行で訪ねた所です。あの頃は私共の先輩達がミューロケットの打上げに参加していましたが、当時日本が現在の様な宇宙先進国になるとは思ってもいませんでした

その後、大型衛星打上用の液体燃料ロケットであるH-Ⅱシリーズの開発成功、世界唯一(ミサイルは別!)の固体燃料ロケット・イプシロンによる中・小型衛星の打上、惑星探査の成功が続き、日本の衛星打上や月探査など商業利用に関わるロケット技術の優位性が高まってきた矢先に、昨年のイプシロン6号機の打ち上げ失敗、今年に入ってH3の打上失敗、イプシロンSロケットの二段モータ地上試験中の爆発、などの一連の失敗が続きました
宇宙マニアの一人として、事故後は今後の日本の宇宙開発の進展を心配しておりましたが、今回イプシロン6号機失敗の原因分析をジックリ調べてみた結果、やはり事故分析及び其の水平展開に関しても日本の技術レベルは相当高いと確信するに至りました。ただ、第2段モータの地上試験での爆発事故の原因究明は未だ途上にありますで、失敗にめげることなく頑張って欲しい思います

今回の調査は、2023年5月19日発行の「イプシロンロケット6号機打上げ失敗の原因究明に係る報告書(JAXAイプシロンロケット6号機原因究明チーム)」と、2023年5月24日発行の「イプシロンロケット6号機打上げ失敗の原因究明に係る調査・安全小委員会 報告書(案)」をベースに勉強した結果を基に、私なりに推敲重ねた上で、素人でも興味のある方には理解可能な様に表現を工夫して書いたつもりです。ただ、関連する部品類に対する各種のテストやFTA(Fault Tree Analysis )分析については、設計者や部品製作者のような専門化でなければその真偽を判断できませんので、その結果に対する評価は全くしていません。その辺りに興味のある方は上記の報告書をじっくり読んでみることをお薦めします

尚、H3ロケット打上失敗事例については、未だ調査中なので、いずれ結果が出た段階でブログを書こうと思っています
Follow_Up:2023年11月20日発行のブログ「H3試験機1号機の打上げ失敗の原因分析結果について

以上

酷暑の中の屋上野菜栽培

はじめに

見出しの写真は8月3日に収穫した野菜です。一見してわかるのは、夏野菜として欠かせないキューリの収穫がないことと、何とも小粒なトマトがほんの少々しか採れていない事だと思います
これは言い訳になりますが、今年の7月が例年にない酷暑であった為と考えています。因みに気象庁が発行している埼玉県所沢市(拙宅の住んでいる新座市の隣町)の気象データは以下の通りであり;
今年の7月は異常な高温が続いていたことがわかります
参考までに、6月までの毎日のトマトの収穫状況は以下の写真の通りでした;

キューリについては6月初めの段階で葉が萎れ始めたため、初めは根が浅いキュウリの表面の土が乾燥することが原因と考え、苗の周りに発泡スチロールの薄い板を置いて、水遣りも多めに行っていました;

しかし、残念ながら7月中旬には全て枯死してしまいました

また屋上での作業環境は大変過酷であり、高齢農業労働者の私にとって、朝の収穫と水遣り夕方の水遣りの時は、高温と日焼けの対策が必須になりますす。まあ、屋上での作業は人に見られる心配が無いので右の写真のように、「アームカバー」と「スキー用のタイツ」をまとい、時々ここに水をかけるとともに、「首掛け扇風機頸動脈を冷やしポカリスエット水分、塩分を補充しながら作業を行うことで熱中症に罹らないように注意をしています!

キューリとトマト栽培の再挑戦!

種から栽培することを信条にしてきた私としては残念至極ですが、ホームセンターで苗を買って、キューリとトマトを秋までに再び収穫することを目指すことにしました。取り敢えずキューリの苗を8本、中玉トマトの苗を2本買い求め植付を行いました
酷暑対策としては、プロも行っている「遮光ネット」を使うことにしました;
1.キューリの植付

現在までの段階では順調に育っています

2.中玉トマトの植付
現在までの段階では順調に育っています

豊富に収穫できた夏野菜の保存

夏野菜は、うまく育てれば成長は早く、家族で食べられる以上に豊富に収穫できます。以下は、食べきれなかった野菜の保存方法です;
1.トマト
7月初めまでは豊富に収穫できたので皮を剥いた状態で冷凍保存をしています。解凍すればどんな料理にも使うことができます

2.ナス
① 小ナス
昨年から保存用ナスとして重宝しています。「辛子漬」、「酒粕漬」、「ぬか漬」が我が家の定番です
② 中ナス
今年は大量に収穫できており、食べきれない分の第一の選択肢は「乾燥ナス」です。冬場の鍋物や、水で戻せば色々な料理に直ぐに使えます

また、同居している発酵研究家?の息子が自家製の紫蘇を使った「シバ漬け」(右の写真参照)を作ってくれています
その他、通常の「ぬか漬け」、「浅漬け」などを作っています
③ 水ナス
昨年の栽培から大幅に増やして(5本)いますので、毎日収穫があり「浅漬け」として食べていますが、漬物だけでは消化しきれないので、毎日のアイデア料理(後述)でフレッシュな水ナスを消費するよう心掛けています
④ 丸ナス
「お焼き」を食べたいだけだったので二株のみ栽培しましたが、なんと「小ナス」の直近で植え付けたところ、「交配」してしまったらしく中ナス様の実が育ってしまいました。従って、中ナスとして料理に使っています(←違和感なし!)

3.シマ瓜
「はじめに」で述べたように。キューリの収穫が6月一杯で途切れてしまったので、その代わりを担ったのがシマ瓜です。身が固いので各種の漬物に適しています。「酒粕漬け」のほかに、キューリの代わりに「ぬか漬け」、「浅漬け」で楽しんでいます

4.バジル

イタリアン料理にフレッシュなバジルを使うほか、以下の写真のように親戚、知人に評判の良い「ジェノベーゼ・ペースト」を作るために大量に栽培しています

今年から栽培を始めた野菜類

1.コールラビ
前回の報告(冬・春収穫野菜栽培の結果報告と夏野菜の準備状況)で青虫の食害で瀕死の状態であったコールラビは、私ども夫婦の必死の青虫虐殺作戦で何とか生きのび、6月下旬頃から大小の違いはありますがほぼ全て収穫致しました。西洋料理に疎い私には初めての食感でしたが、生で食べると意外に美味しいことが分かりました。まだ種がかなり残っているので来年も栽培しようと思っています

2.3尺インゲン
同居している息子のリクエストで栽培を始めた「3尺インゲン」は、アフリカ原産で、文字通り3尺(約1m)まで成長するインゲンですが、生産性はかなりいいようです。日本のインゲンの料理と食べ比べてみるとちょっと柔らか過ぎと思いましたが、発酵研究家?の息子が「酸豆角(スアンドオジャオ)」という中国風の漬物を作っていますので、出来上がってからの試食が楽しみです

3.ハーブ類2種
これまで、「バジル」、「ミント類(オーデコロンミント、スペアミント、ペパーミント」、「レモンバーム」、「セージ」、「イタリアンパセリ」、「パセリ」、「ディル」、「香菜(パクチー)」、「ローズマリー」、「青紫蘇(大葉)」、「赤紫蘇」などを栽培しておりますが、これに加え以下のハーブの栽培を始めました;

唐辛子類の栽培状況


唐辛子類については、昨年同様に「鷹の爪」、「辛長キング」、「剣先なんば」、「立八房」、「沖縄トウガラシ」の5種類を栽培しています

昨年も多く収穫できましたが、今年7月末で在庫が切れてしまいました。栽培している苗の数は同じなので、肥料を多めにして収穫量を増やしたいと考えています

我が家で評判が良かった夏野菜料理の紹介

1.冷奴に、豆板醤ソースであえた香菜(パクチー)をトッピングした一品

2.空心菜とピーナッツの炒めもの

3.水ナスの甘酢煮

4.バジルと水ナスのパスタ

5.自家生産野菜中心の冷やし中華

以上