ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史

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はじめに

見出しの写真は、現代のロケットの原点とも言えるV2ロケットの実際の発射時の写真と、その構造です。このロケットは第二次大戦終盤に、劣勢に陥りつつあったナチスドイツが起死回生のミサイルとして開発しました。ヨーロッパにおける主要な敵国であるイギリスの首都ロンドンに対しては1,252機も発射されたものの着弾は517機に止まりましたが、極めて高速での垂直に近い着弾だったため迎撃はほぼ不可能であり、ロンドン市民の恐怖感は尋常ではなかったと言われています
参考:V2の前にドイツは V1を開発しイギリス攻撃に使っていました

ただ、この V1というミサイルはロケット推進ではなくパルスジェットエンジン(楽器のハーモニカの様な構造のジェットエンジンです;原理は右図参照)で推進しており、速度、高度は航空機と変わりないので、戦闘機や対空砲で容易に撃墜することが可能でした

V2は。制御がしやすい液体式(燃料:アルコール、酸化剤:液体酸素)であり、ジャイロを使った自動制御機構で弾道飛行を行うなど、現代の長距離ミサイルと基本のシステムはそう変わりない程の先進的なロケットでした。従って、1945年5月のドイツ降伏後、米国とソ連はこのロケットを鹵獲すると共に、開発に携わったドイツ人の技術者を本国に連れ帰り、両国のミサイル開発に従事させました。この中には米国のアポロ計画を主導したウェルナー・フォン・ブラウン(過去、ナチス党員であったことが知られています)が含まれています

一方、日本も第二次大戦末期に、日本近海に迫った米国機動部隊の艦船を攻撃する為の兵器として特攻を前提とした「桜花」が開発されています。この機体は一式陸上攻撃機に吊るされて攻撃目標近くになって発射される固体燃料のロケットで、終戦まで755機製造され55名の特攻隊員が命を落としています

以下に第二次世界大戦後の日本のロケットの開発状況を辿ってみたいと思います。ただ、ロケットの開発がミサイルの開発のベースになっていることは明らかですが、可能な限り宇宙開発用のロケットを対象にすることとします

ロケットの性能について

1.各種の人工衛星、宇宙船のミッションに関わる性能
人工衛星にはその目的によって投入する軌道(各種の人工衛星軌道については次章参照)や重量が異なります。また宇宙船も目指す目的地までの距離(例えば月、火星、小惑星、など)や重量がが異なります。従ってこれらの目的に沿ったロケットの開発が行われており、その性能に関わる重要なパラメーターは以下の様になります;
① 推力及びその継続時間
<参考> 推力を表す単位
通常、推力を表す単位にはニュートン(標記「N」:物理学者アイザック・ニュートンから名称が付けられました)が使われますが、定義は以下の様になります;
 @質量1kgの物体に1m/s2の加速度を与えるのに必要な力が1N(ニュートン)
一方、地上で「質量1kg」の物体を手に持った時に感じる下向きの力を通常1kgと表現しますが、物理学ではこれを「1キログラム重(1kgf/Kirogram・Force」と表現しています。例えば、地上で3,000トンの船を持ち上げるには地上では重力加速度9.8m/s2が働いていますので、
 @3,000トンx 9.8m/s2 = 3x 103x1000kg/トンx9.8m/s2
  = 3x 106kg x 9.8m/s2 = 29.4x106ニュートン  
となります。しかし、私のブログでは見慣れないお単位を使うよりは、慣れた単位の方が直感的に理解しやすいと考え、上記の例の場合推力3,000トンと表現することにしています

② ミッション達成に必要な最終段の速度(第一宇宙速度、第二宇宙速度,第三宇宙速度;「宇宙に関わる基礎的な知識」参照)
③ 一段のみか、二段式か、三段式か
④ 軌道制御能力
⑤ 経済性

2.推進剤に関わる性能(比推力
ロケットやジェットのエンジンは、プロペラとは違って、大量・高速の流体を噴射することにより推進力を得ています。何故これで推進力を得られるかはニュートンの第二法則で説明できます(詳しくは私のブログ「宇宙に関わる基礎的な知識」をご覧になって下さい)
ジェットエンジンが大気中で作動する(⇔燃焼に必要な酸素を空気から得る)のに対し、ロケットエンジンは、真空中でも作動させねばならないので燃料の他に酸素を供給する酸化剤が必要になります。ただ、小型の宇宙船などで使われるイオンエンジンは、帯電させた粒子を電気(⇔太陽電池や原子力を使って得る)で加速して噴射させますので酸化剤は不要になります

ロケットやジェットのエンジン性能(燃費効率と言い換えることもできます)とは、いかに少ない推進剤(燃料+酸化剤)で所要の推力を持続できるかと言う事ができます(推力の大きさそのものとは別です)。
現在、この性能の指標として一般に使われているは比推力( specific impulse)と言います

比推力の定義

① 推力 = 単位時間当たり噴射される燃焼ガスの運動量(kg m/S2)
ニュートンの第二法則(⇔力は単位時間当たりの運動量の変化変化率に等しい)
② 推進剤の重量流量 = 質量流量(kg/S)x 重力加速度(9.8m/S2
*9.8m/S2の意味は:地球の重力のもとで物を落下させると毎秒9.8mづつ速度が増加します。つまり自由に落下させると1秒後には秒速 9.8m、2秒後には 9.8x2=秒速19.6mの速度、3秒後には、、、、
 比推力 = ① ÷ ② (単位:秒)
⇔ 単位質量の推進剤で単位推力を発生させ続けられる時間(単位:秒)

例えば;
1,000kg/Sの質量流量の推進剤が秒速2,000m/Sで噴射されたとすれば

① 推力 = 1,000kg/S x 2,000m/S =2 x 106 kg・
m/S2
② 推進剤の重量 流量= 1,000kg /S x 9.8m/S2
③ 比推力 = (1,000kg/S x 2,000m/s) ÷ (1,000kg/S x 9.8m/S2) = 204秒

推進剤による比推力の比較
ロケットエンジン;
固体燃料ロケット:200–300秒
液体燃料ロケット:300–460秒
参考:「H-ⅡA」の先進的な第一段ロケット(LE7Aは液体水素・酸素を燃料にしています)の比推力は445秒です

ジェットエンジン、レシプロエンジン
(酸化剤は空気中の酸素);
ターボジェットエンジン2300–2900秒
レシプロエンジン3500–5500秒

イオンエンジン
::数千秒~1万秒
*燃焼ではなく電気で噴射する粒子を加速するので酸化剤は不要であり、噴射速度を早くできますので効率は非常に良い。しかし大きな推力は出せないので惑星間飛行など長時間推力を出し続けられる場合などに使われます。特に「はやぶさ」など惑星間飛行を行う時の軌道修正時などに適しています

人工衛星の軌道に関わる基礎知識

静止軌道(Geostationary Orbit)とは
地球の自転の周期(24時間)と同じ周期で公転していることから、地上からは、空のある一点に静止しているかのように見えます。ただ実際には、地球の重力場が一様ではない事と、太陽輻射圧や月の引力の影響があるため、静止衛星の位置は少しずつずれてゆきます。これを補正するために静止衛星は定期的に軌道制御を行っています。従って静止衛星の寿命は、概ね軌道制御用燃料の搭載量で決まり、寿命末期には静止軌道から、さらに高度が高い軌道に上昇させて廃棄し、静止軌道を空けることが国際条約により定められています
静止軌道は、放送衛星通信衛星気象衛星などに用いられています

極軌道(Polar Orbit)とは
極軌道とは、北極・南極の上空を通過する軌道です。地球表面上の全範囲を観測できるので、地図作成地球観測衛星気象衛星、偵察衛星などでよく用いられています

尚、偵察衛星は高い解像度の可視光カメラ、夜間でも撮影可能な赤外線カメラ、レーダーなども装備しており、しかも解像度を上げる為に低高度を周回する様になっているため一般に希薄な空気の影響を受けて寿命は短いのが普通です

太陽同期軌道(Sun-synchronous Orbit)とは

極軌道の一種で、地球の場合、平均すると地球の公転と同期するように軌道面が変化するため、太陽光線と軌道面とのなす角がほぼ一定となります

 

 

GPS(Global Positioning System)の軌道とは
各衛星は、高度20,200km、軌道傾斜角55度、周期12時間の準同期軌道上にあり、各衛星は60度おきで、6種類の軌道面毎に4個が配置され、合計24基で地球全域、24時間カバーできるようなっています。これらの軌道配置によって、遮蔽されない限り地上のどこからでも6ヶ以上の衛星が同時に視界に入る様になっています

準天頂衛星の軌道とは
GPS衛星を使って利用者が位置の測定するには、常に4機以上のGPS衛星から信号を受信することが必要です。また、高精度な測位には8機以上からの受信が必要になります。しかし、日本では山間部や、高層建築物が立ち並ぶ都市部が多く、利用者位置から見た可視衛星数が少なくなり、測位精度が落ちたり、不可能となる場合があります。これを補う為に、日本の上空を常時1機以上は見通せることができるようにする為に地球の自転と同期した楕円軌道に3機の衛星を配置し、常に1機の衛星は日本の天頂付近を通過する様にしています。この様な軌道を準天頂軌道と言います

Follow_UP:2023年4月_「極超音速」ミサイル対処へ衛星実験_政府が宇宙基本計画の改定案

日本のロケット開発の歴史

国産ロケット開発の歴史については、JAXA(国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構 / Japan Aerospace Exploration Agency)のネット上の資料(「国産ロケットの系譜」)から多くを引用しております。

1.糸川英雄による日本のロケット開発の曙
戦後日本のロケットの開発は糸川英雄博士によるペンシルロケットから始まりました
糸川英夫は1912年7月20日、西麻布で生まれました。東京帝国大学に入学後、工学部航空学科に進み。1935年卒業後は中島飛行機(株)に入社しました。ここで、名機と言われる「97式艦上攻撃機」、「一式戦闘機・隼」、「二式戦闘機・鍾馗の開発に携わりました

戦後、東京大学生産技術研究所に勤務し、航空及び超音速空気力学研究班(Avionics and Supersonic Aerodynamics)を組織し、ロケットの開発に着手しました
以下にその足跡を辿りますが、敗戦国日本が現在は宇宙開発の最先端を走っているのは彼の功績によるものが大きいと思います。そうしたことから、2010年、世界に先駆けて日本の宇宙船「はやぶさ」が小惑星探査にチャレンジし、サンプルを持ち帰ってきた小惑星を「イトカワ」命名されたことはむべなるなと思います

ペンシルロケットからベビーロケットへ

① ペンシルロケットからベビーロケットへ
ペンシルロケット開発を着手した時、東京大学と共同開発を行った富士精密(株)は乏しい予算しか無かったため、最初のロケット実験機は(右写真の一番右)直径1.8cm、長さ23cm、重さ200グラムの正にペンシルの様なロケットでした。
しかしおもちゃの様に小さいとはいえ、航空機の設計と同様にロケットの重心と飛行中に作用する空気力の中心(「空力中心」といいます)を実験により確認しつつ形状や、材料の設計を行ってゆきました
1955年4月、国分寺にロケット発射の実験場を設置し、最初は水平に発射し各種データを測定する際、関係官庁・報道関係者立ち会いのもとで、試射が行われました。当時、レーダーが手に入らなかったことも水平発射実験に繋がったものと思われます

試射で撮影された飛行状況;

この実験により得られたデータを基に、より大型のペンシル300ロケットとベビーロケットの開発に着手し、その実験場を日本海に面した秋田県・道川としました

秋田県・道川の発射場の全景

この発射場(秋田ロケット実験場)では、ペンシル300ロケットとベビーロケットの発射実験を行いました
ペンシル300ロケットの到達高度600m、水平距離700m。飛翔時間は16.8秒でした
1955年8月末から9月にかけてベビーロケット(直径80mm、長さ約1,200mm、重さ約10kg)も沢山打ち上げられました

② カッパロケットの開発
*カッパロケット以降は、アルファベットの頭文字が名前につけられているものの、読み方はギリシャ語の発音です(カッコ内はギリシャ文字) ⇒ K:カッパ(κ)、L:ラムダ(λ)、M:ミュー(μ)、イプシロン(ε;イプシロンだけは何故か「 E」を使いません?) 

日本における糸川英雄のロケット開発は、1957年~1958年にかけて計画された国際地球観測年(IGY/International Geophysical Year)の日本における宇宙観測を担う役割を負うことになっていました
IGYでは、当時未だよく分かっていなかったオーロラ大気光(夜光)宇宙線地磁気氷河重力電離層経度・緯度決定気象学海洋学地震学太陽活動など12項目について世界各国で協力して観測を行う事になっていました。ソ連邦と米国も、IGYのために初期の人工衛星・スプートニク1号と米国のエクスプローラー1号を打ち上げて観測に協力しています。IGYの主な成果は、バン・アレン帯の発見、中央海嶺、プレート・テクトニクス説の確認などがあります

バンアレン帯とは
地球の磁場にとらえられた、陽子(陽子線)、電子(ベータ線)からなる放射線帯

 

IGYの観測を行う為にに1955年の10月からこれまでより高い高度への飛行と観測機器の搭載の為にこれまでより大きなロケットが必要となることからカッパロケットの開発が始まり、実験場も新たに近くに建設されました。1956年9月、K-1ロケットの初飛行が行われ高度10kmを達成しました

K-1ロケットからK-6 ロケットへ

しかし、この高度ではIGYのミッションを達成できないことから、燃料の改良(圧縮成型⇒コンポジット推薬)及び機体の軽量化を行い、二段ロケットのK-6が完成し、1957年9月の打ち上げで目標の高度60kmを達成しました。この成功から日本は世界の宇宙開発の仲間入りを果たしたのです。カッパ6は21機打ち上げられました

2. その後の日本の固体燃料ロケット開発概観
ペンシルロケット以降、現在までの日本が開発した固体燃料ロケットは以下の通りです;
(注)上表中のLEOは「低軌道 (Low Earth Orbit;地球表面からの高度2,000km以下)」、SSOは「太陽同期軌道(Sun-Synchronous Orbit;前章「人口衛星の軌道に関わる基礎的な知識」参照) 」を意味します

固体燃料ロケットの構造

固体燃料ロケットの構造は、右図の様に固体の燃料と酸化剤を混ぜてロケット本体に充填したロケットであり、発射する時はロケット内部の燃料へそのまま点火します。ロケット本体が燃焼室を兼ねており部品点数が少なく、構造が簡単で安価に製造できる利点があります。また、固体である燃料・酸化剤は化学的に比較的安定した性質の物質からなり、製造後の点検がほとんど必要ないまま長期間保管でき、即応性に優れています(⇔ミサイルに適している)。一方、燃焼の制御が難しく、点火後に燃焼の中断や再点火、推力の調整を行うことは原理的に非常に難しく、またロケット本体は燃焼室となることから燃焼圧力と温度に耐える様強い強度が必要になります

上表の各ロケットにより達成されたミッションは以下の通りです;
① ラムダロケット
1970年2月11日、3回の失敗の後にラムダロケットL-4S(上表左端;写真は以下)により日本初の人工衛星「おおすみの打ち上げに成功しました。名称は打ち上げ基地があった大隅半島に由来します。この成功により日本はソ連、米国、フランスに次ぎ、世界で4番目の衛星打ち上げ国となりました

② ミューロケット
ラムダロケット以降、ミューロケットが開発され各種ミッションをこなしながら集大成として完成したのがミューロケット第5世代の「M-V」ロケットです
以下は「M-V」で達成したミッション一覧です;

                                         M-Ⅴの打上実績

③ イプシロンロケット
ミューロケットは多くのミッションを達成しましたが、高コストであったために2006年に廃止されました。その代わりに開発された固体燃料ロケットがイプシロンロケットです
参考:イプシロンロケットの基本形態は全段固体の3段式ロケットですが、液体エンジンの「PBS(ポストブーストステージ)」を4段目として搭載するオプションが用意されています。これを使えば、投入高度の誤差は±20km程度と、液体ロケット並みの精度が実現できます。PBSは液体エンジンと言っても、M-Vの姿勢制御用エンジンと同じような1液式エンジン(燃料はヒドラジン)です

イプシロンロケットは2010年から開発を始め、2013年9月に試験1号機が打ち上げられました。その後の打ち上げ実績は以下の通りです

*2021年11月・日経記事イプシロン5号機打ち上げ・衛星9基搭載

2022年10月日経記事イプシロン6号機・初の打ち上げ失敗
2022年10月18日、開発を統括している宇宙航空研究開発機構から「イプシロンロケット6号機打上げ失敗原因調査状況」が発行されています
今後失敗原因が特定され、イプシロンロケットの打ち上げが再開されるまでフォローします

3.日本の液体ロケット開発概観
実用の大型衛星を望み通りの軌道に打ち上げるには、正確なコントロールが行える液体燃料ロケットが必要であることから、米国からの技術導入をスタートとして開発が薦められました;


上表中のGTOは「静止トランスファ軌道(Geostationary Transfer Orbit)」を意味し、人工衛星を静止軌道(前章「人口衛星の軌道」参照))に投入する前に、一時的に投入される軌道で、よく利用されるのは、遠地点が静止軌道の高度、近地点が低高度の楕円軌道です

液体燃料ロケットの構造は、右図の様に液体の燃料と酸化剤をタンクに貯蔵し、それをエンジンの燃焼室で混合して燃焼させ推力を発生させるロケットです。液体燃料は一般的に固体燃料に比べて比推力に優れているうえ、推力可変機能燃焼停止や再着火などの燃焼制御機能を持つことができます。また、エンジン以外のタンク部分は単に燃料を貯蔵しているだけで構造は簡単であるものの、燃焼室や噴射器、燃料ポンプなどの機構は複雑です。以下の写真はH2ロケットの第一段のエンジン(LE7)の該当部分のアッセンブリーです;開発の歴史
① 海外からの技術導入(「N-1」~「H-1」)
日本における液体ロケットの開発は、固体燃料ロケットとは別に宇宙開発事業団(NASDA)が担当することになりました。液体燃料のエンジンは構造が複雑で開発に時間も費用もかかり当時の日本には難易度が高かったので、米国の「デルタロケット(ウィキペディア)」の技術の導入を図ることとなりました。
最初の「N-I」ロケットの開発がスタートしたのは1970年。5年後の1975年には、早くも1号機が打ち上げられ、更に後継の「N-II」の初打ち上げは1981年、現行のHシリーズのベースとなった「H-I」ロケットは1986年と大型化が進められていきました。「N-II」~「H-I」の打ち上げ回数は17回でしたが、全てミッションを達成しました

② 「H-Ⅱ」の開発(「H-Ⅱ」~「H-ⅡA」~「H-ⅡB」
液体ロケットとして、初めて国産化を果たしたのはその次の「H-II」ロケットです。第2段エンジンはH-Iですでに国産のものを搭載していましたが、H-IIではより大きな第1段エンジンも独自開発しました。1986年に開発が始まり、エンジンの爆発事故が起きるなど開発は難航したものの、1994年に試験機の打ち上げに成功した。

しかし、1998年、5号機において、第2段エンジンに不具合が発生。燃焼時間が短かったため、予定した軌道への衛星の投入に失敗してしまいました。その後、必用な改修を行った上で1999年、8号機を打ち上げましたが、今度は第1段エンジンが飛行中に異常停止。衛星を投入できる見込みがなくなったため、ロケットは地上からの指令で爆破されました。純国産ロケットは2機連続失敗という窮地に立たされました。H-IIは8号機の成功を前提に7号機の打ち上げを予定していましたがこれをキャンセル、既に1996年より開発が始まっていたH-II改良型の「H-IIA」ロケットの開発に注力することになりました
参考:2000年5月18日に出された「H-Ⅱロケット8号機打上げ失敗の 原因究明及び今後の対策について

海底で発見された8号機のLE7エンジンと、破損したターボポンプのブレード

その後「H-IIA」、「HⅡ-B」は高い信頼性を確立し、各種の重要ミッションを遂行しました(下表参照)が、コストの高さが問題になりました。多少の違いはあるもののH-IIAの打ち上げ費用は、1機あたり約100億円であり、他のロケット先進国の商用衛星打上競争で顧客を獲得するには、次世代の「H3」の開発を待たねばなりませんでした

③ H3ロケットの開発
H3ロケット(コンセプトを根本から見直したロケットであることを示すため、「H-Ⅲ」ではなく敢えて「H3」としたそうです!)は、日本の次世代の大型ロケットとして2014年から開発がスタートし、開発目標は打ち上げ価格を「H-Ⅱ」の半額となる約50億円を目標にしています

また、幅広い打ち上げ能力要求にシームレスに対応するため、固体ロケットブースター「SRB-3」の基数や、第1段メインエンジン「LE-9」の基数、衛星フェアリングを各種選択できる仕様となっています;おり機体形態は「H3-a、b、c」で表します;
H3-a:第1段メインエンジンの機数(2基、3基)
H3-b:固体ロケットブースターの基数(0、2基、4基)
H3-c:フェアリングのサイズ(W:Wide/L:Long/S:Short)

日本中の大きな期待を乗せて2023年3月7日、種子島宇宙センターから打ち上げられましたが、第1段目は順調に飛行したものの、第2段目が着火せず失敗に終わりました。事故原因の究明はこれから始まりますが、失敗に至る経緯については事故翌日に発行された「H3ロケット試験機1号機の打上げ失敗について」をご覧ください
H-Ⅱ 8号機の失敗と異なり、今回は電気系統の故障が原因と言われていますので、原因究明が済めば再挑戦の機会は意外に早く来るのではないかと私は期待しています

参考:現在世界各国で運用されている宇宙開発用ロケットとの能力比較
JAXAのサイトで、現在運用されている宇宙開発用ロケットとの能力比較に掲載されている宇宙先進国の大型ロケットの性能比較は下図の通りです(海外ロケットの性能については2018年の米国連邦航空局/FAAの資料によります)。尚、表中に無い現在開現発中のH3ロケットの場合、「アリアンⅤ」並みの打ち上げ能力を確保できることになっています(詳しくは「JAXA H3 ロケット」をご覧ください)

おわりに

日本のロケット開発は戦後の苦しい経済事情の中で始まったものの、関係者の努力で世界の5強に連なっていることは日本人として、一宇宙ファンとして大変誇りに思っています。偶々、昨年末のイプシロン6号機の失敗、今年3月のH3ロケットの失敗と続きましたが、日本の技術の力をもってすれば間違いなく近い将来日本の主力ロケットとして活躍を始めると思っています
ただ少し心配なのは、2月末のH3ロケット打上の時に、メインエンジンは着火したもののブースターが着火せず打ち上げを延期した時の開発責任者が、記者会見で涙声になっていた(私も不覚にも貰い泣きをしてしまった!)のはちょっと心配です。イプシロンロケットの4段目、H3メインエンジンの先進性は、世界の最先端だと思っており、今回の失敗位でめげてはいけないと思います。両ロケットとも近い内に再打ち上げが行われ成功することを信じています

以上