イプシロン6号機の打上げ失敗の原因分析結果について

はじめに

見出しの写真は、昨年(2022年)10月12日に鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所の発射装置から打ち上げ直後のイプシロン6号機の雄姿です。しかし、1段目、2段目は順調に飛行したものの、2段目モータ(ロケットの噴射装置)の燃焼が終了した後の姿勢制御がうまくいっていないことが分かり、飛行途中で爆破されました;

この6号機には、福岡市の宇宙ベンチャー企業「QPS研究所」が開発した観測衛星や、大学・研究機関などに打ち上げ機会を提供する「革新的衛星技術実証プログラム」の第3弾となる衛星「RAISE-3」を搭載していましたが、残念ながらこれらはロケットと共に太平洋の藻屑となってしまいました

日本のロケット開発の歴史については、私のブログ「ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史」の中で詳しく説明しておりますが、軍事技術とは無縁の学術的な研究の為に開発され、これまで極めて順調に開発が進められてきました。今回の失敗は残念な事ではありますが、宇宙開発先進国が経験している様に、この失敗の原因分析を緻密に行い、次の開発計画に生かしていくことが大切だと思います。以下は、「JAXAのホームページ」からの情報をベースに私が理解できる範囲で出来る限り分かりやすく解説したものです。尚、以下の説明の際に度々登場する基本的な用語については、私のブログ「ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史」の中で詳しく説明しておりますので適宜ご覧になって下さい

イプシロン計画の概要

衛星打上を始めとするこれまでの日本の宇宙開発については、液体燃料ロケットであるH-ⅡA、H-ⅡBによる大型実用衛星の打上やISS(国際宇宙ステーション)への物資輸送と、固体燃料ロケットである Μ-Ⅴロケット(読み方:ュー5ロケット)による中・小型衛星の打上や惑星探査などを行ってきました。その後、宇宙開発が商業的な競争を行う時代に突入し、打ち上げ費用の抜本的な削減が必要となり、H-ⅡA、H-ⅡBの後継機としてのH3の開発と並行して、2013年度以降、固体燃料ロケットの後継機としてイプシロンロケットの開発が始まりました。開発の道程及び開発の目標については以下の図をご覧ください;

つまりイプシロン6号機は、こうした開発フェイズの最終段階に位置付けられ、この発射の成功は、最終目標である「イプシロンS 」という国際競争力のある打ち上げサービスの開始に引き継がれることになっていました。イプシロンロケット開発計画の詳細は JAXA のサイト「イプシロン」をご覧ください
尚、上表にあるイプシロン2号機~6号機までの「イプシロン強化型」と「イプシロンS 」との仕様の違いについては下図をご覧ください;

2023年7月14日、秋田県・能代にあるロケット実験場でイプシロンSロケットの2段モーターの真空燃焼試験を行った所、爆発事故を起こしてしまいました。この事故の原因分析は現在進行中です
尚、「イプシロン強化型」と「イプシロンS 」の2段モーターの仕様の違いについては下図をご覧ください;

Follow_Up:2023年12月12日・日経_ロケットのエンジン爆発、装置溶融が原因 JAXA報告

イプシロン6号機・失敗の原因分析

イプシロン6号機の事故については、異常が認められた段階で爆破されているため落下した本体の回収は不可能です。しかし、最近のロケットは正常に飛んでいるかどうかや、搭載機器の状態を、電波で地上に知らせる装置(以下「テレメータ」と表記します)が装備されており、地上でもその情報を受信し正常に飛行しているかどうかReal Timeで確認できる設備が稼働しています

残念ながらイプシロンロケットについてのテレメータの仕組みは現段階で入手できませんでしたが、M-Vロケットの場合は5台のテレメータ(1段目に1台、2段目にカメラを含めて3台、3段目に1台)が搭載されており、それぞれの段の飛翔中の状態を時々刻々知らせて来るようになっています。またロケットが決められた軌道を飛行しているか、ロケットモータの状態は正常か、ロケットの切り離しは正常に行われたか、といった150種類もの情報を時々刻々送ってくるようになっていました。また、搭載カメラでは、1、2段目のロケットの燃焼炎の状態や切り離し、そして3段目ロケットの切り離し・点火の画像を送り、目で直接その状態を確認できるようになっていま

  ペンレコーダー

ロケットから送られてくるテレメータの電波は、打上げ場のある鹿児島宇宙センター内之浦宇宙空間観測所で受信され、「テレメータセンター」と呼ばれる場所でコンピュータ画面やペンレコーダ(電気信号の変化を長時間にわたって紙に記録するための計測器)にデータが表示されて、ロケットの飛翔中の状況が確認できるようになっています。このテレメータセンターで集められたデータは飛翔保安の部署へ送られ、ロケットが安全に飛んでいるかどうかが監視されます。もし、ロケットが異常な飛行をしたときには、ここからロケットの破壊コマンド(指令)が発信され、ロケットの落下による地上、海上での事故を未然に防ぐことになっています。イプシロンロケット6号機の破壊指令はここから発せられたものと思われます
尚、テレメータの電波は、ロケットの真後ろ方向では燃焼ガスの影響により弱められ、受信できなくなることがあります。また、地球が丸いことから水平線の向こうにロケットが飛翔すると受信ができなくなります。その為ロケットの飛行する途中何個所(外国を含む)かに受信局(これをダウンレンジ局といいます)を設けて、そこからテレメータセンターにデータを転送することになっています。こうして得られた情報から、事故原因のかなりの部分は解明できることになります

1.イプシロン6号機の制御の仕組みと故障個所
イプシロン6号機の構造と推進システムと制御システムを図示すると以下の様になっています;
上図に於ける略語の意味は以下の様になります;
* TVC(Thrust Vector Control):ロケットの噴射方向を変えることによってロケットの推力の方向を変える機構(⇒ロケットの進路を変えることが出来ます)
スピンモータ:ロケット外周の接線方向に小型のガス噴射装置を設置し、ロケットの軸を中心として回転させ、軸の方向(⇔ ロケットの進行方向)を安定させるもので、大砲や小銃の砲身の内部に施条(ライフリング)を施し、砲弾を回転させて方向を安定させることと同じ原理です
* RCS(Reaction Control System):噴出ガスの反動でロケットの方向、姿勢をコントロールするシステム)

この制御装置が打ち上げ時に予定された軌道に沿ってどの様な制御を行うかについては、以下の図をご覧ください;

このブログの「はじめに」の項のイプシロン6号機の事故に至る軌跡と、上図の姿勢制御上の役割分担を比べてみると、第2段 RCS の機能が故障したらしいことは推測可能であると思います

2.第2段 RCS の構造、及びその機能
第2段 RCS の構造と機能については下図をご覧ください;


上図の名称ロール(Roll)ピッチ(Pitch)、ヨー(Yaw)という用語は分かりにくいと思いますが、この用語は恐らく航空機の三軸周りの回転を意味する用語(右図参照)を転用している様です。RCSの場合は、ロールはロケットの軸周りの回転を意味し、ピッチとヨーは、ロケットの軸を傾けることを意味することになります。上図左のラッパの様な三角形のシンボル(#1~#8)はスラスタ(Thruster/ガス噴射装置)を意味しますが、これらの噴射装置を上図左に書かれている組み合わせで噴射させるとロケット本体の ロールピッチ、ヨー をコントロールすることが出来ます(例えば#1と#4のスラスタを同時に噴射させるとロケットは後ろ側から見て時計回りにロール(Roll)することになります

3.RCS のガス噴射装置(スラスタ)を駆動する仕組み
8個(#1~#8)あるガス噴射装置(スラスタ)を駆動する仕組みは複雑な構造をしていますので、簡単な系統図で表すと以下の図の様になります;

尚、今回の故障分析に関わる上図のタンクとパイロ弁の詳細な構造は以下の様になっています;タンクはダイヤフラム(伸縮性のある薄膜)で仕切られており、上部に窒素ガスが入ってくるとダイヤフラムの下部に入っているスラスタ(ガス噴射装置)に推進薬(ヒドラジン)を押し込む仕組みになっています。またパイロ弁(推進薬遮断弁)は、この推進薬の流路を途中で遮断しているものですが、搭載されている誘導制御計算機(OBC)の指令で流路を開通させる役割を担っています
尚、上図でPSDB2(Power & Sequence Distribution Box2/パイロ弁に電力供給を行う機能)は、AシステムとBシステムがあり、1秒の時間差でパイロ弁に電力を供給する様になっており、更にパイロ弁も Aシステム、Bシステムで独立して起動できる様な構造になっており(冗長設計/Redundancy)、パイロ弁の構造がシンプルであることと併せ、機能不全により起動できなくなる確率は極めて低くなるように設計されています

4.テレメーターから得られた故障の情報
テレメーターからは、タンクの圧力、パイロ弁下流配管の推進薬(ヒドラジン)の圧力、パイロ弁への電力供給の有無、などの情報が送られてきており、イプシロン6号機では、その情報は以下の様になっていました;

上図によれば、マイナス・ヨー軸(₋Y)には Aシステムに電力が供給されて直ぐパイロ弁下流の圧力がタンク圧力(タンク内の推進剤の圧力)に達した(⇔ マイナス・ヨー側のスラスターが機能できる)ものの、プラス・ヨー軸(+Y)には、Aシステム、及びBシステムに電力が供給されて電力が供給されてもパイロ弁下流の圧力はゼロのまま(⇔ プラス・ヨー側のスラスターは推進剤の供給が無いので機能できないになっていました
上記分析から、タンク側とパイロ弁上流配管に何らかの異常が発生したものと推定され、各種のテストが行われました

5.故障個所の特定
関連する部品類に対する各種のテストと、FTA(Fault Tree Analysis )分析を行った(故障の可能性をしらみつぶしに調査すること)結果、上記現象はRCSのダイアフラム式タンクにおける、「ダイアフラムシール部からの推進薬(ヒドラジン)の漏洩」と特定されました
このダイアフラム式タンクは、イプシロンロケット2号機以降の強化型から採用された推進薬タンクで、ダイアフラムを組み込む際にダイアフラムが、リング間隙(赤道リングとダイアフラム固定リングの隙間)に噛み込み、その後の溶接工程のミスでその噛み込んだ部分が破断・損傷した結果であると特定されました;

こういう状態になると、推進薬(ヒドラジン)がタンク内のダイヤフラムの下側から窒素ガス側に漏洩します。こうなると、ダイアフラムが液ポートに覆い被さり、パイロ弁開動作時にダイアフラムにより推進薬出口を閉塞する可能性があることが地上での実験で確認されました

6.その後の対応(水平展開)
A.今回の失敗の直接の原因が、構成部品一つの作業ミスが大きな失敗に繋がったことと、過去に同一部品が使われて問題が無かった部品について綿密な領収検査が省かれる傾向があったことから、イプシロンS計画だけでなく、H3計画においても構成部品の納入に際し着実な検査の徹底図ることとしました
また、
B.同種のRCSを使用している以下の計画については、改めて詳細な検討を行っております;
① イプシロンSロケットへの水平展開
現在開発の最終段階にあるイプシロンSロケットに関しては、今後以下の2案を検討し必要な改善を行っています;
A案:現タンクの設計変更
* ダイアフラム組込時にシール部の噛み込みが発生しない設計・製造工程、シール部からの漏洩を確実に検知する方法等を検討するとともに、充填する推進薬の増量などに伴うダイアフラムによる閉塞リスクを排除する対策を検討した上で、タンクを再開発する
B案:H-ⅡAタンク活用
* H-ⅡAロケットのダイアフラム式タンクは、ダイアフラム組込時にシール部の噛み込みが発生しない設計・製造工程となっており、タンク液ポートに閉塞防止用の機構を有している

② XRISM(X線分光撮像衛星)への水平展開
* XRISMの推進システムに搭載しているタンク・ダイアフラムはイプシロン6号機に搭載しているものと同一のものですが、実機の疑似推薬(水)を用いた振動試験の結果を基に技術評価を実施して問題ないことを確認したうえで、2023年9月11日にH-ⅡA・47号機により打ち上げられ軌道投入に成功しています
③ 宇宙船・SLIM(Smart Lander for Investigating Moon/無人月面探査機・着陸機)への水平展開
* SLIMの推進システムに搭載しているタンク・ダイアフラムはイプシロン6号機に搭載しているものとサイズ、形状が異なりますが、シール部やダイアフラム材料等の一部の設計が類似しています。従って実機のダイアフラム組込後の漏洩試験などを基に技術評価を実施し、問題ないことを確認した上で、2023年9月11日にH-ⅡA・47号機により打ち上げられ、現在月への軌道を順調に飛行しています

④ H3ロケットへの水平展開
* H3ロケットのダイアフラムについては、液ポート閉塞の可能性はなく、推進薬の漏洩やダイアフラムの破損、脱落が発生しないよう管理し、製造異常も確実にスクリーニングできるプロセスとなっていること確認していることから、懸念は排除されると評価しています

おわりに

イプシロンロケットの発射場は鹿児島県の内之浦にあり、数十年前!航空学科の4回生の時の卒業旅行で訪ねた所です。あの頃は私共の先輩達がミューロケットの打上げに参加していましたが、当時日本が現在の様な宇宙先進国になるとは思ってもいませんでした

その後、大型衛星打上用の液体燃料ロケットであるH-Ⅱシリーズの開発成功、世界唯一(ミサイルは別!)の固体燃料ロケット・イプシロンによる中・小型衛星の打上、惑星探査の成功が続き、日本の衛星打上や月探査など商業利用に関わるロケット技術の優位性が高まってきた矢先に、昨年のイプシロン6号機の打ち上げ失敗、今年に入ってH3の打上失敗、イプシロンSロケットの二段モータ地上試験中の爆発、などの一連の失敗が続きました
宇宙マニアの一人として、事故後は今後の日本の宇宙開発の進展を心配しておりましたが、今回イプシロン6号機失敗の原因分析をジックリ調べてみた結果、やはり事故分析及び其の水平展開に関しても日本の技術レベルは相当高いと確信するに至りました。ただ、第2段モータの地上試験での爆発事故の原因究明は未だ途上にありますで、失敗にめげることなく頑張って欲しい思います

今回の調査は、2023年5月19日発行の「イプシロンロケット6号機打上げ失敗の原因究明に係る報告書(JAXAイプシロンロケット6号機原因究明チーム)」と、2023年5月24日発行の「イプシロンロケット6号機打上げ失敗の原因究明に係る調査・安全小委員会 報告書(案)」をベースに勉強した結果を基に、私なりに推敲重ねた上で、素人でも興味のある方には理解可能な様に表現を工夫して書いたつもりです。ただ、関連する部品類に対する各種のテストやFTA(Fault Tree Analysis )分析については、設計者や部品製作者のような専門化でなければその真偽を判断できませんので、その結果に対する評価は全くしていません。その辺りに興味のある方は上記の報告書をじっくり読んでみることをお薦めします

尚、H3ロケット打上失敗事例については、未だ調査中なので、いずれ結果が出た段階でブログを書こうと思っています
Follow_Up:2023年11月20日発行のブログ「H3試験機1号機の打上げ失敗の原因分析結果について

以上

米ソ宇宙開発競争の歴史(スプートニク~アポロ計画)

はじめに

現在、宇宙開発は人類共通の「未知への挑戦」として国境を越えて協力が行われていますが、人類が初めて地球の大気圏を脱して地球を周回する人工の衛星を打ち上げ、この人工衛星に人を乗せ、更に月にまで人間を送り込む有史以来の大事業は、米国、ソ連という第二次世界大戦の勝者の間で行われた12年間の熾烈な開発競争の結果達成されたたものです

こうした宇宙開発には強力なロケットが必要であり、このロケット開発のベースになったのは、米ソがお互いの国に原子爆弾を打ち込むことが出来る大陸間弾道ミサイルの開発があったことは紛れもない事実です。また、この莫大な資金を必要とする開発競争の陰で、両国の中に貧困にあえぐ国民がいたことも事実です
しかし、こうした宇宙競争の結果、両国の国民だけでなく全世界の人々が熱狂したことも確かです。以下に、この歴史を振り返ってみたいと思います

(注1)本ブログでは、青字で斜体の文は全て筆者に文責があります
(注2)本ブログでは、専門家の間では推力の単位をニュートン(N)で表しますが、地上での重量に換算した方が分かりやすいと考え、「kg/キログラム」乃至「ton/トン」の表現(正確を期すには「重」を末尾に付けます、例えば「kg重/kgf/kirogram force」など)を使います。推力の単位に関する詳しい説明は私のブログ「ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史」の前半の部分をご覧になって下さい
(注3)一般に、人工衛星の近くで宇宙遊泳などを行っている時、公共放送でも「無重力」という表現が使われていますが、宇宙で無重力の状態は殆ど考えられません。例えば太陽系の中の宇宙では、太陽の引力、その他の惑星、衛星の引力の影響下にあります。従って正確には「無重量」という表現をすべきですが、このブログでは混乱を避ける為に敢えて「無重力」という表現を使います。因みに人工衛星は地球の重力場の中で自由落下しています。詳しくは私のブログ「宇宙に関わる基礎的な知識」の中の「1.人工衛星は何故落下しないか?」の項をご覧になってください

注4)本ブログでは、宇宙開発が多くの失敗を積み重ねた上で成功している事実を明確にするため、予想外の事象や失敗の部分は緑色下線付きで“XXX様に表現しています

 

ソ連による世界初の人工衛星打上の衝撃と米国の対応

1957年10月4日、ソ連によって人工衛星スプートニク1号が打ち上げられました(当時のNHKのニュース映像)。スプートニク(Спутник)とはロシア語で衛星を意味します。また、この衛星はロシアの宇宙開発の草分けと言われるコンスタンチン・ツィオルコフスキーの生誕100年と国際地球観測年に合わせて打ち上げられました
この衛星はバイコヌール宇宙基地からR-7ロケットを使って打ち上げられました。衛星の軌道は近地点約230km、遠地点約950kmキロメートル、軌道傾斜角65.0°の楕円軌道であり、96.2分で周回しました。尚、R-7ロケットは、離陸重量は280トン、全長34m直径3mという2段式の大型ロケットです。第1段ロケットは RD-107というロケットを4基束ねた推力381トンもの巨大なロケットで液体酸素とケロシンを推進剤として用いています

スプートニクの打ち上げ成功により、米国はソ連の科学技術力及びそれを背景にした軍事力に大きな脅威を感じることとなりました。当時は東西冷戦の渦中であり、米国は即座に軍備拡張を加速するとともに、人口衛星の打ち上げに総力を挙げる体制を築く為に、翌1958年にはNASA(連邦航空宇宙局)を設立して宇宙開発を強力に推進することとなりました

米国は、スプートニクの成功に直ちに追従すべく、たった1.36kgの衛星を搭載したヴァンガードロケットを、1957年12月6日ケープカナベラル空軍基地から打ち上げましたが、発射2秒後に爆発し、失敗してしまいました
その後、1958年1月31日、エクスプローラー1号が打ち上げられ、8.32kgの人工衛星打ち上げに成功しました。衛星の軌道は近地点約360km、遠地点約2,530km、軌道傾斜角33.2°の楕円軌道であり、114.8分の長楕円軌道を周回しました
打上に使われたジュノーⅠロケットは、ナチス・ドイツでV2号を開発していたウェルナー・フォン・ブラウンの提案の基にジュピターCロケット(観測用として開発された)の発展型(ジュピターCの3段目の上部に4段目を追加)として開発されました
全長21.2m直径1.78m離陸重量は29トン、第1段ロケットの推力は42トン、液体酸素とヒドラジンを推進剤として用いています

米国は、ソ連から遅れること約3ヶ月で人工衛星の打ち上げに成功しましたが、両国が打ち上げた人工衛星の重量、ロケットの発射重量を見ればわかる通り、ロケットの性能は相当程度劣後している事は明白でした

その後、ソ連はロケットの優位性を生かして、月探査、惑星探査、有人人工衛星の打ち上げに先陣を切っていくことになります

有人人工衛星の開発競争

無人の人工衛星の競争の後に続いて、1961年以降有人人工衛星の米ソの熾烈な競争が始まりました
1.ソ連のボストーク計画(1961年~1963年)
ボストーク(Vostok)とはロシア語の「東」という意味ですボストーク計画では各種ロケットが使われましたが、上の写真の「8K72A」が代表的なロケットです
性能は、全長約40m(シリーズにより若干異なる)直径2.68m離陸重量は287トン、液体酸素とケロシンを推進剤として用いる。離陸重量だけから見ればスプートニク打ち上げロケットと大差がないと思われます

打上実績(打上基地は「バイコヌール宇宙基地」)
①ボストーク1号は1961年4月12日にユーリイ・ガガーリン少佐を乗せて打ち上げられました。その後地球を1周し1時間48分飛行後、大気圏に再突入し、高度7kmでガガーリンは座席ごとカプセルから射出され、パラシュートで降下、無事帰還しました。成功後に人類初の有人宇宙飛行として公表され、世界中を驚愕させました。ガガーリンの帰還後の記者会見で「地球は青かった」と語り有名になりました

②1961年8月6日
ボストーク2号が打ち上げられ、宇宙空間に25時間滞在し、地球や宇宙空間の撮影、無重力状態での実験などを行いました
③1962年8月11日ボストーク3号が打ち上げられました。続いて
④翌日ボストーク4号が打ち上げられ、この両機は互いに5kmまで近づき人類初の宇宙空間同志での交信を行いました

⑤1963年6月14日、ボストーク5号が打ち上げられ、下記ボストーク6号と軌道上でランデブーを行いました
⑥1963年6月16日、ボストーク6号初めての女性宇宙飛士となるワレンチナ・テレシコワを乗せて打ち上げられました。尚、彼女が宇宙で発した最初の言葉である「私はカモメ/ヤー・チャイカ(Я — Чайка)」は有名になりました。因みに「カモメ」は各飛行士につけられるコールサインです

2.米国のマーキュリー計画(1958年~1963年)
マーキュリーという名称は、ローマ神話の旅行の神メルクリウス (英語名:Mercury) からつけられました
マーキュリー計画は、1958年から1963年にかけて実施された米国の有人宇宙飛行計画です。スプートニクで先を越された米国が、有人人工衛星ではソ連よりも先に達成することを目標としていました。この計画は、1958年に設立されたNASA(連邦航空宇宙局)によって実行され、20回の無人飛行及び米国人の宇宙飛行士たちを搭乗させた6回の有人飛行が行われました

<マーキュリー宇宙船の構造>

ケネディー大統領の演説;
宇宙開発において米国が主導権を取り戻す為に、ケネディー大統領による強力なリーダーシップを発揮しました
*1961年1月20日、ケネディー大統領就任
1961年5 月25 日、ケネディ大統領は国家的緊急課題に関する特別議会演説(Special Message to the Congress on Urgent National Need)』と題した 45 分に及ぶ演説の末部(上記演説草稿の「Ⅸ Space/8頁後半~10ページ前段)」で、有人月面着陸計画を議会に提示しました

<参考>適当な日本語訳が見つからなかったので、故ケネディ大統領の格調高い演説は再現できませんが、第Ⅸ章のみ私の拙い日本語訳を添付します:国家的緊急課題に関する特別議会演説_第Ⅸ章の日本語訳

アポロ計画始動後の 1962 年9 月12 日、ケネディ大統領はライス大学のフットボール競技場でアポロ計画についての一般向け演説行い、聴衆からの熱狂的ともいえる反応を得ました
*1963年11月22日、ケネディー大統領暗殺

 

打上実績(打上基地はケープカナベラル空軍基地);
①1961年5月5日(ボストーク1号に遅れること23日)、マーキュリー・レッドストーン3号は、アメリカ初の宇宙飛行アラン・シェパードが搭乗する宇宙船で弾道飛行(飛行時間15分22秒)を行いました
<参考>弾道飛行とは
地球を周回しないで地上に落下する軌道(弾丸が放物線を描いて地上に落下する軌道)ですが、大気圏外の宇宙を飛行したことは事実です。レッドストーンというロケットは、無人の人工衛星の打上ロケットであるジュノーⅠロケットと基本的に同じ仕様です


②1961年7月21日、マーキュリー・レッドストーン4号はレッドストーン・ロケットによって打ち上げられ弾道飛行(飛行時間15分37秒)を行いました

③1962年2月20日マーキュリー・アトラス6号が打ち上げられ近地点161km、遠地点261kmの楕円軌道を3回周回し(飛行時間4時間55分)し着水しました
この飛行で使用されたアトラスロケットの性能は、全長約28.7m直径3.0m離陸重量は120トン、第1段ロケットの LV-3Bの推力は356トン液体酸素とケロシンを推進剤として用いており、このロケットでソ連の打上ロケットの性能に追いついたことになります

④1962年5月24日、マーキュリー・アトラス7号が打ち上げられ、近地点161km、遠地点269kmの楕円軌道を3回周回し(飛行時間4時間56分)し着水しました
⑤1962年10月3日、マーキュリー・アトラス8号が打ち上げられ、近地点161km、遠地点283kmの楕円軌道を6回周回し(飛行時間9時間13分)し着水しました
⑥1963年5月15日、マーキュリー・アトラス9号が打ち上げられ、近地点161km、遠地点267km、の楕円軌道を22回周回し(飛行時間10時間20分)し着水しました

マーキュリー計画遂行に当たって注目すべきポイントは、上記6回の有人飛行の前に弾道飛行と軌道飛行を合わせて20回もの無人の試験飛行(内6回失敗、3回一部失敗)を行い万全を期して有人飛行に移行したことです

3.米国のジェミニ計画(1961年~1966年)
ジェミニ(Gemini)とは「ふたご座」を意味しますが、恐らく2人乗りの宇宙船を打ち上げることから命名されたものと思われます
ジェミニ計画は、連邦航空宇宙局(NASA)によるマーキュリー計画に続く有人宇宙飛行計画です。計画は1961年から始まり1966年までに2名の宇宙飛行士を宇宙に送り、船外活動、及び宇宙船同士のランデブーとドッキングを行う事が目的でしたが、これは月面着陸を目指すアポロ計画に必要となる技術を確立する為に必要な事でした。1965年から1966年までの間に10名の宇宙飛行士が地球周回低軌道を飛行し計画を達成しました。この成功により、米ソの宇宙開発競争において米国が優位に立つこととなりました
使用されたロケットは、米国空軍向けの大陸間弾道ミサイル(ICBM)であるタイタンIIを転用した「タイタンII GLV」というロケットです。このロケットの性能は、全長31.4m、直径3.1m、離陸重量は154トン、第1 段ロケットエンジンはLR-87 2基で1,862トンの推力推進剤はエアロジン-50(ヒドラジンと非対称ジメチルヒドラジンを半々で混合したもの)と四酸化二窒素(N2O4)とを用いています

打上実績(打上基地はケープカナベラル空軍基地);
①1964年4月8日、ジェミニ1号(無人)が打ち上げられました。発射後4時間50分で所期の任務を果たした後、宇宙船は3日と23時間周回飛行を行った後に大気圏に再突入し意図的に破壊されました
②ジェミニ2号(無人は、当初1964年12月月9日に予定されていましたが、エンジン点火1秒後に機体の異常検知システムがエンジン圧力に問題を発見したためロケットエンジンを停止させ、飛行は延期となりました
再打上げは、1965年1月19日に行なわれ、最高高度171.2kmの弾道飛行を行いました。ジェミニ2号はロケットから切り離された後、自動操縦により打上げ6分54秒後に逆噴射を実施して大気圏再突入を行い大西洋上に着水(予定地点からは26kmの誤差があった)しました。アメリカ海軍の航空母艦により回収されています。飛行時間は18分16秒。燃料電池や冷却装置などが改良すべき点が判明したしたものの、逆噴射装置や耐熱遮蔽板の性能は確認されました

③1965年3月23日、ジェミニ3号が打ち上げられました周回軌道を3周し4時間52分後に西大西洋に着水しました。着水地点は予定より約110km離れており、また着水時の姿勢はやや不安定であり回収作業には時間が掛かりましたが、宇宙飛行士は米海軍の航空母艦イントレピッド搭載のヘリコプターによって回収されました

④1965年6月3日、ジェミニ4号が打ち上げられました。飛行は順調に行き近地点162.3km、遠地点282.1kmの軌道に投入されました
軌道上でのランデブー試験は、「タイタンII GLV」ロケット第2段を標的に行なわれましたが、宇宙空間では、目視による距離が掴みづらく
軌道姿勢制御システム(以下OAMS/Orbit Attitude and Maneuvering Systemと記述)を用いた接近操作は難渋し、結局ランデブーは中止されました
その後3周目にキャビンを減圧させた後、
命綱を付け宇宙銃を持ったエドワード・ホワイト飛行士が船外に出て宇宙船より約5m離れて、宇宙遊泳を行い15分40秒後には船内に戻りましたが、ハッチの開閉に難があったため、2度目の宇宙遊泳は中止されました
軌道周回48回目にIBM製のコンピュータが故障したために、大気圏再突入時の揚力を用いた制御性の高い再突入は放棄され、ローリングを行いつつ再突入を実施しています。高度3,230mで主パラシュートが開傘、フロリダ半島沖の大西洋上に着水しました。飛行時間は4日を越え、米国の宇宙飛行では最も長いものとなりました。乗員はヘリコプターにより米海軍の強制揚陸艦ワスプへ回収されました

⑤1965年8月21日、ジェミニ5号が打ち上げられました。この飛行のミッションは、同時に打ち上げられた34.5kgの小型衛星とのランデブー試験でした。小型衛星は打上げ2時間後にジェミニ宇宙船から切り離されましたが、燃料電池が不調であったため、電力が不足し、ランデブーは中止されました。飛行3日目にランデブーではないものの、ランデブーのための軌道制御飛行試験を行っています。5日目にはOAMSのスラスターのうちの1基が故障し、いくつかの試験が中止されています。このほか、予定されていた地球観測や医学的実験は実施されています
大気圏再突入に際しては、本来の姿勢制御方式である「宇宙船を傾け、その揚力を利用した制御方式」で再突入が行われました。コンピューターの不調により、予定地よりも約130kmずれた大西洋上に着水しています

*ジェミニ6号は、に打ち上げを予定していましたが、ランデブー試験を行なう対象であったアジェナ標的衛星が1965年10月25日に打上げに失敗したために、7号の打上げが先となりました。
⑤1965年12月4日ジェミニ7号
が打ち上げられました。この飛行目的は、月飛行計画のための長期宇宙滞在を実施することにありました。宇宙船が軌道投入された後、搭乗員は長時間の宇宙服着用が不快であったために、地上と交渉した上で宇宙服を脱ぐことになりました。打上げ後5日目には高度300kmの安定した円軌道に軌道変更を行っています。12月15日にはジェミニ6-A号も打ち上げられ軌道上でランデブー(下記⑥参照)を行なっています。以降、予定されていた実験もほとんど完了したために宇宙飛行士は読書などをして過ごしました。一方、この頃からスラスターの不調燃料電池の出力低下が報告されています。ジェミニ7号は12月18日に大気圏再突入し、フロリダ半島沖の大西洋上の予定地点から11.8km離れたところに着水しています。宇宙滞在時間は13日18時間35分となり、ジェミニ5号の7日22時間を超え宇宙滞在記録を更新しました

⑥1965年12月15日予定変更されたジェミニ6-A号が打ち上げられ、近地点161km、遠地点259kmの軌道に投入されました。打上げ94分後に、ジェミニ6-A号は軌道変更のための5km/secの加速を開始し、軌道高度を上げ、ジェミニ7号に追い付くコースをとりました

ジェミニ6-A号から見たジェミニ7号

3回の軌道修正により6-A号は遠地点274km、近地点270kmの軌道に入りました後、微修正を繰り返してジェミニ7号とのランデブーを行いました。最接近時は距離30cmで近づいており、ランデブー状態を約270分継続しています。ジェミニ6-A号はランデブー試験の成功の後、ジェミニ7号よりも先に12月16日に帰還しています

⑦1966年3月16日、ジェミニ8号が打ち上げられました。この飛行では史上初となる2機の宇宙機の軌道上でのドッキングが行われました

ドッキングの対象となるアジェナ標的衛星(GATV-5003)は、1966年3月16日に打ち上げられ高度298キロメートルの円軌道に乗り、自動制御でドッキングのための正確な高度に軌道修正していました

ドッキングの為の手順は以下の通りです;
@第1回目の軌道修正は発射から1時間34分後に行われました。二人の宇宙飛行士は、 OAMS を5秒間作動させ遠地点をわずかに下げました
@第2回目の軌道修正は遠地点の近くで行われ、速度を毎秒15メートル増加させました
@第3回目の軌道修正は太平洋上空で行われ、横方向への噴射で毎秒18m加速し、軌道平面を南側に傾けました
@メキシコ上空にさしかかったとき、ヒューストンの通信担当官は、さらに毎秒0.79メートル加速する最後の軌道修正が必要であると伝えました
@ランデブー用レーダーは、距離322キロメートルの地点でアジェナの姿をとらえ、発射から3時間48分10秒後、宇宙飛行士らはさらにロケットを噴射し、アジェナよりも高度が28キロ低い円軌道に進入しました
@最初にアジェナを目視したのは距離141キロの地点で、102キロまで接近したときコンピューターによる自動操縦に移行しました
@その後の数度にわたる微調整で距離46メートルまで接近し、相対速度はゼロになりました
@宇宙飛行士らは30分間にわたってアジェナを目視で点検し、発射の衝撃による損傷は何も見られないことが確認できたため、管制室はドッキングを遂行するよう指令を出しました
@アームストロング飛行士は毎秒8センチメートルでアジェナへの接近を開始し、数分間のうちにアジェナのドッキング装置の留め金がかかり、緑色のランプが点灯してドッキングが完了しました。「管制室、ドッキングが完了! 実にスムーズなものだった」と、スコット飛行士が無線で地上に報告しました

緊急事態発生!;
@アジェナが内蔵プログラムにより、ジェミニと結合した船体を90度右に傾ける操作を開始した後、スコット飛行士は船体が右回転していることに気づきました。アームストロング飛行士はェミニのOAMSを使用して回転を止めましたが、一旦停止した後、すぐにまたローリングが始まりましたが、この時点で8号は地上との通信圏外にいましたた。
@アームストロング飛行士は、OAMSの燃料が30%にまで落ちていると報告しました(これは問題がジェミニの方にあることを示しています
@回転があまりに速くなりすぎると宇宙船の一方または双方が損傷し、さらには燃料を大量に積んだアジェナは分解あるいは爆発するおそれがあるため、飛行士らは状況を分析できるようアジェナを切り離すことを決断しました
@アームストロング飛行士が切り離しのた機体を安定させようと奮闘している一方で、スコット飛行士はアジェナの制御を地上からの指令に切り替えました
@スコット飛行士が分離のボタンを押すと、アームストロング飛行士はケットを長時間噴射してアジェナから遠ざかりました
@しかし、アジェナが切り離されたことによりジェミニの回転数は急激に上昇(1秒間に1回転)し、この状態では飛行士は視界がぼやけ、意識を失ったり回転性めまいに陥ってしまう危険がありました
@アームストロング飛行士は回転を止めるためにOAMSを停止し、大気圏再突入システム (以下RCS/Re-entry Control Systemと記述) の推進装置を使用することを決断しました


@宇宙船の状態を安定させることに成功した後、両宇宙飛行士はOAMSを順番に点検し8番の推進器に異常があることを発見しました
再突入用の燃料は回転停止に使用したためほぼ75%が失われており、規定では何らかの理由でRCSを一度でも噴射した場合は飛行を中止しなければならないとされていました。従って、ジェミニ8号はただちに緊急着陸の準備を始めました

着水、生還まで;
@その後、軌道を1周した後に大気圏に再突入することが決定されました。当初は大西洋に着水することが予定されていましたが、ここに到達するのは3日後のことでした。そのため新たに太平洋上の着水地点(沖縄東方800km、横須賀南方1,000km)が設定されました
再突入を開始したのは中国上空で、NASAの通信ステーションの範囲外でした
@着水想定地点に航空機が派遣され、パイロットは宇宙船の着水地点を目をこらして観測しました。ジェミニ8号を発見すると、この航空機からアメリカ空軍パラレスキュー部隊に連絡され、3名のレスキュー隊員が海面に飛びおりて宇宙船に浮き輪を取りつけました。着水から3時間後、ジェミニ宇宙船は艦上に引き上げられました。飛行士らは疲労困憊していましたが、無事に生還することが出来ました

⑧ジェミニ9-A号
ジェミニ9号の目的は、軌道上においてドッキングを成功させることにありましたが、ドッキング対象となるはずだったアジェナ標的機は、1966年5月17日に打ち上げられたものの、軌道投入に失敗し、ジェミニ9号の打ち上げも中止されました。その後、別の標的衛星が打ち上げられ、同年6月1日にジェミニ9-A号と名前を変えて打ち上げようとしましたが、発射3分前に機器の不調により打上げ中止となってしまいました。結局、1966年6月3日に打ち上げられました
軌道投入後の活動;
打ち上げ49分後、標的衛星に接近するための軌道修正を開始し、3時間20分後に93kmの地点にまで接近しました。しかし、標的衛星のペイロード・フェアリングが開ききっていないことが確認され、ドッキングは中止されました
飛行3日目に船外活動試験を実施することとなりユージン・サーナン飛行士が船外に出て、推進・機械部に搭載された宇宙飛行士推進ユニット(AMU/Astronaut Maneuvering Unit)を装着し船外活動を開始したものの、無重力下の宇宙空間での移動は困難を極めました。また宇宙服が動きづらかったのみならず、汗によりバイザーが曇り視界が確保できなくなったため、AMU の所まで移動するのに1時間を費やしました。飛行士の疲労や視界不良のため、AMUによる船外活動は中止となり、ユージン・サーナン飛行士は再び1時間をかけて船内に戻りました。
周回45週目に逆噴射を行い、大気圏再突入を開始しました。再突入動作は非常に順調に行われました

⑩1966年7月18日、ジェミニ10号が打ち上げられました。これに先立ち、ドッキング対象となるアジェナ標的機(GATV-5005)も打ち上げられて、打上げ6時間後にはアジェナ標的機(GATV-5005)とのドッキングに成功しました。ドッキング状態のまま、アジェナ標的機のエンジンを用いて近地点294km、遠地点763kmの軌道に変更することに成功しています。7月19日20時58分より78秒間の噴射を行い、近地点294km、遠地点382kmの軌道に再修正を行い、更に軌道修正を行って遠地点を378kmに変更しています
その後、アジェナ標的機(GATV-5005)を分離し、ジェミニ8号とドッキングしたことのあるアジェナ標的機(GATV-5003)とのランデブーを試み、3kmまで接近しています

打上げ48時間41分後から、マイケル・コリンズ飛行士は船外に出てアジェナ標的機(GATV-5003)へと移動しました。命綱を装着し宇宙銃を用いても移動は困難だったものの、アジェナ標的機(GATV-5003)に装着されていた微小隕石収集装置を回収し、ジェミニ宇宙船に戻ってきました
<参考> 微小隕石収集装置とは
色々な呼び方があると思いますが、宇宙空間に浮遊している、あるいは飛び交っている微小な粒子を補足する装置です
因みにISS(国際宇宙ステーション)に装備されている微小粒子捕獲装置は右の写真の様な装置です。JAXAはこの装置で世界的な発見を行っています(ISSで新種の地球外物質を回収

打上げ70時間10分後(48周回実施)に逆噴射を行い大気圏再突入を開始し、フロリダ半島沖の大西洋上で待機していた強襲揚陸艦ガダルカナルから5.6kmの地点に着水、無事回収されています

⑪1966年9月12日、ジェミニ11号が打ち上げられました。
これに先立ち、アジェナ標的機(GATV-5006)が1966年9月12日13時5分に打ち上げられており、ジェミニ11号は打上げ約1時間半後にはこのアジェナ標的機(GATV-5006)とのドッキングに成功しています
打上げ24時間後から搭乗員のリチャード・ゴードンは船外活動で各種の実験などを行っていましたが、疲労が激しく33分間で打ち切られ、全ての実験を消化することはできませんでした
打上げ40時間30分後に、アジェナ標的機(GATV-5006)のエンジンを用い軌道変更を実施、遠地点1,374kmの軌道に変更しましたが、これは当時有人で到達した最高高度でもありました。3時間23分後の再軌道修正により遠地点304kmの軌道に戻っています。また、打上げ後47時間7分後からゴードン飛行士が2時間に渡って、2度目の船外活動を行っています。

船外活動終了後、ジェミニ11号はアジェナ標的機(GATV-5006)とのドッキングを解除し、テザー試験を開始しています。これはジェミニ宇宙船とアジェナ標的機の間を約30mの紐で結び、軌道上の微小重力を用いたテザー推進により、姿勢制御を行なう試験でした。この試験は打上げ53時間後に終了しています
大気圏再突入は、米国の宇宙計画で初めて、完全コンピューター制御によって行われ、バハマ沖の大西洋上、強襲揚陸艦グアムから4.5kmの地点に着水、無事回収されています

⑫1966年11月11日、ジェミニ12号が打ち上げられました。これに先立ち、ドッキング対象となるアジェナ標的機(GATV-5001A)も打ち上げられています。
ジェミニ12号は打上げ4時間14分後にアジェナ標的機とのドッキングに成功しましたが、ジェナ標的機のエンジンに不調が見られたため、より遠軌道への軌道変更試験は中止されました

船外活動中のオルトリン飛行士

打上げ19時間29分後から1回目の船外活動が開始されました。これまでの船外活動の難しさを克服する為に、事前の訓練や作業道具の見直し・追加を行なっており、船外活動は以前より容易なものとなりました
オルドリン飛行士は2時間29分に渡って船外活動を行い、船外より微小隕石収集機の回収を行なっています。また2回目の船外活動は42時間48分後から開始され、2時間6分に渡って継続し、アジェナ標的機(GATV-5001A)とジェミニ宇宙船との間にテザー(綱)を設置し、これに携帯用手すりを用いて、船外活動をよりやり易くしています
47時間23分後にアジェナ標的機とのドッキングを解除し、テザーによる姿勢制御試験を行いました。テザーの長さは30mで、両端にジェミニ宇宙船とアジェナ標的機がある形になり、51時間51分まで続けられました。オルドリンによる3回目の船外活動が66時間6分後から行われました
94時間後に逆噴射を実施し、大気圏再突入を開始しました。全自動モードでの突入であり、目標より4.8km離れたバハマ沖の大西洋上に着水し、航空母艦ワスプにより無事回収されています

*ジェミニ計画で予想外の事象や失敗を多く経験することにより、アポロ計画は慎重に進められ、結果として比較的順調に成功への道を辿れたと思われます(私見)

アポロ計画

ケネディ大統領が国家事業として開始したアポロ計画は、NASAによるマーキュリー計画、ジェミニ計画に続く三度目の有人宇宙飛行計画です。この計画は、1961年~1972年にかけて実施され、全6回の有人月面着陸に成功しました

計画を具体化するに当たってまず必要になった事は、月飛行方式を決めることでした。具体的には以下の方式が検討されました;
A.直接降下方式
単体の宇宙船で月に向かい、着陸して帰還するとい方式。この方式では、非常に強力なロケットが必要とされる為不採用となりまhした。
B.地球周回ランデブー方式(Earth Orbit Rendezvous, EOR);
複数のロケットで部品を打ち上げ、月に直接降下する宇宙船、地球周回軌道を脱出するための宇宙船を組み立てる方式。軌道上で各部分をドッキングさせた後は、宇宙船は単体として月面に着陸する。
C.月面ランデブー方式
2機の宇宙船を続けて打ち上げる方式。燃料を搭載した無人の宇宙船が先に月面に着陸し、その後人間を乗せた宇宙船が着陸する。地球に帰還する前に、必要な燃料は無人船から供給される。
D.月周回ランデブー方式(Lunar Orbit Rendezvous, LOR);
いくつかの単位から構成される宇宙船を、1基のサターン・ロケットで打ち上げるという方式着陸船が月面で活動している間、司令船は月周回軌道上に残りその後活動を終えて離昇してきた着陸船と再びドッキングする

他の方式と比較すると、Dの方式はそれほど大きな着陸船を必要とせず、そのため月面から帰還する宇宙船の重量(すなわち地球からの発射総重量を最小限に抑えることができることから、この方式が選択されました

1.巨大なサターンロケットの開発
Dの方式でも有人月面着陸を行うには、米国が保有しているロケットでは対応不可能で、新しい強力なロケットの開発が必要になりました。サターンロケットは、ナチスドイツでV2ロケットの開発を行ったウェルナー・フォン・ブラウンが中心となって開発しました。サターン(Saturn)という名は、土星の英語名です

A.サターンIの開発;
サターン・シリーズの最初の型。日本のH-IIAとほぼ同等の低軌道打ち上げ能力を持ち、米国が地球周回軌道に衛星を乗せることを目的に開発した初めてのロケット(宇宙専用機)です。第一段は、新規に大きなエンジンを開発するのではなく、すでに完成されている小さいロケットエンジンを組み合わせる (clustered) ことによって大推力を発生させていることが特徴です。このクラスター方式は、手堅くて融通のきくものであることを実証してみせました。元々は1960年代において全世界を射程圏内に収める軍用ミサイルとなるべきはずのものでしたが、実際には1961年~1965年、10機のみが、アメリカ航空宇宙局 (NASA) によって使用されただけでした
このロケットの性能は、離陸重量は509.7トンで、地球低軌道には9トン、月軌道には2.2トンの打上能力があります

<構造・性能詳細>
①第1段目の構造・性能
全長:24.5m、直径:6.52m、エンジン:H-1/8基、推力:774トン、推進剤:ケロシンと液体酸素

②第2段目の構造・性能
全長:12.2m直径:5.49m、
エンジン:RL-10/6基、推力:41トン、推進薬:液体水素、液体酸素

③第3段目の性能
全長:9.1m、直径:3.1m、エンジン:RL-10/2基、推力:14トン、推進薬:液体水素と液体酸素

サターンⅠによる打上実績;
①1961年10月27日、1段目の飛行テスト(弾道飛行
②1962年4月25日、高度105kmに到達した時点で自爆装置を作動させてロケットを爆破し、模擬の2段目ロケットに搭載した109,000リットルの水を宇宙空間に散布して通信や気象への影響を調査(ハイウォーター計画)
③1962年11月16日、二度目のハイウォーター計画実施

④1963年3月28日
1段目ロケットの最後の試験飛行(2段目はダミーを搭載)。今回の目的は、エンジンの一基を発射から約100秒後に停止するというもので、停止したエンジンが使用するはずだった燃料を残りのエンジンに振り分け、燃焼時間を長くすることによってロケットは正しい軌道を維持できるかテストを行い正しい軌道が維持できるか確認するテスト。この技術はトラブルが発生した場合の冗長性確保(トラブルが発生しても深刻な事故に発展させない設計)が目的であり、後のアポロ6号やアポロ13号の大きなトラブルの際に大いに役立てられました

⑤1964年1月29日
、初めて二段目のロケットが搭載されて発射されました。1段目の切り離しは完璧に成功、2段目も順調に飛行し、近地点262km、遠地点785kmの楕円軌道に投入されました。この人工衛星になった2段目の重量は約17トンになり、その時点で世界最大の人工衛星となりました(⇔ソ連を越えた!
⑥1964年5月28日、形態・重量・重心などすべてが人間を搭乗させた場合と同等に作られた司令船と緊急脱出用ロケットのダミーが搭載し、司令船には116ヶの計測機器が搭載され、圧力・応力・加速などのデータを計測し地上に送信されました。発射から76.9秒が経過した時、1段目の第8エンジンが予定よりも早く燃焼を停止してしまった。しかし、冗長性確保の設計が完璧に機能し、残りのエンジンが予定よりも2.7秒長く燃焼し、ロケットは予定通りの軌道を飛行しました。第1段ロケットを切り離し、第2段が点火され、数秒後には緊急脱出用ロケットも切り離されました。第1段切り離しの様子は機体に搭載された8台のカメラで撮影され、フィルムは大西洋上で回収されました。2段目ロケットと司令船の模型は近地点182km、遠地点227kmの楕円軌道上に投入されました。司令船は地球を4周してバッテリーが途絶えるまでデータを送信し続け、6月1日に地球を54周した後大気圏に突入し、太平洋に落下しました

⑦1964年9月18日
、第1段ロケットは発射から147.7秒後に燃焼を停止し、その0.8秒後に切り離されました。さらに1.7秒後には第2段ロケットが燃焼を開始し、発射から160.2秒後に緊急脱出用ロケットが投棄されました。第2段ロケットは発射後621.1秒で燃焼を停止し、司令・機械船の模型が近地点213km、遠地点227kmの楕円軌道に投入されました。宇宙船は他の衛星を介してデータを送信し続け、地球を59周した後大気圏に再突入し、インド洋上に落下しました
⑧1965年2月16日、飛行は正常に行われ、2段目の先端に取り付けられた人工衛星ペガサスAは、およそ10分半後に近地点495km、遠地点743kmの楕円軌道上に投入されました。この飛行の目的は、緊急脱出用ロケット、及び司令船の切り離しに関わるテスト、またペガサスAには、機体の構造や電気的システムの機能に関するテスト、及び 低軌道に於ける宇宙塵が機体に及ぼす影響の調査という目的がありました

⑨1965年5月25日の夜間(現地時間午前2時35分)に発射されましたが、サターンIではこれが最初でした。10.6分後、2段目の先端に取り付けられた人工衛星ペガサスBは正常に軌道に投入されました。宇宙船、ペガサスB、使用済の第二段ロケットなど、軌道に乗ったものの総重量は約15.5トンでした。ペガサスBはその後1968年8月29日に通信が途絶えるまで、データを送信し続け、大気圏に再突入したのは、14年後の1979年11月3日でした。計画全体はほぼ完全に達成されました
⑩1965年7月30日に打ち上げられ、約11分後に司令船、ペガサスC、二段目ロケットが軌道に乗りました。ペガサスCは切り離され後872秒後に宇宙塵探査のためのパネルが展開しました。ペガサスCは当初の予想よりも長く1968年8月29日まで信号を送り続け、大気圏再突入は1969年8月4日で、計画のすべての目的は達成されました。司令船の大気圏に再突入は1975年11月22日でした(打上語10年以上経過!)

B.サターンIBの開発;
サターンIの改良型であり、第二段により強力なS-IVBを搭載しており、2段式ロケットです。以下、カッコ内の数値はサターンⅠとの比較です。尚、このロケットは、宇宙ステーション「スカイラブ計画」、「アポロ計画」にも一部使用されました
①第1段目の構造・性能
全長:25.5m(+1.0m)、直径:6.60(ほぼ同じ)、エンジン:H-1/8基(同じ)、推力:929トン(+155トン)、推進剤:ケロシンと液体酸素(同じ)

②第2段目の構造・性能
全長:17.8m(+5.6m)、直径:6.6m(+1.2m)、
エンジン:J-2/1基、推力:91トン(+49トン)、推進薬:液体水素、液体酸素(同じ)

サターンⅠBによる打上実績;
①1966年2月26日、サターンⅠBの初飛行(弾道飛行)及びアポロ司令・機械船の無人弾道試験飛行
②1966年7月5日、第2段性能試験。地球を4周
③1966年8月25日、司令・機械船の無人弾道試験飛行
④1968年1月22日(アポロ5号)、本来はアポロ1号で使用されるはずだった機体。アポロ月着陸船無人試験飛行。地球を36周
⑤1968年10月11日(アポロ7号)、アポロ宇宙船初の有人飛行。地球を163周
⑥1973年5月25日(スカイラブ2号)、宇宙ステーションスカイラブ第一次滞在クルーの飛行。地球を404周
⑦1973年7月28日(スカイラブ3号)、スカイラブ第二次滞在クルーの飛行。地球を838周
⑧1973年11月16日(スカイラブ4号)、スカイラブ第三次(最終)滞在クルーの飛行。地球を1,214周
⑨1975年7月15日、ソ連のソユーズ宇宙船とのランデブーとドッキングサターンIB 最後の飛行

<参考> スカイラブ計画とは;
スカイラブ計画は、1973年~1979年まで地球を周回する飛行を行いました。米国が初めて挑んだ宇宙ステーションです。主として、宇宙開発(アポロ計画を含め)の基礎となる実験や地球観測や長時間の無重力環境を必要とするような科学の実験に使われました。因みにスカイは「空⇒宇宙空間」、ラブは「laboratory」(実験室)の略です

C.司令・機械船、月着陸船の開発;
月周回ランデブー方式(Lunar Orbit Rendezvous, LOR)で月着陸、地球への帰還を目指す為の具体的手順は以下の様になります;
①地上からの打ち上げロケットにより司令・機械船と月着陸船を接続したまま地球周回軌道に入ります。その後、サターンⅤの第3段エンジンを噴射し司令・機械船と月着陸船月を月への軌道に乗せます。月周辺に到着後、
②月の衛星となる為に月着陸船を接続したまま司令・機械船のエンジンを噴射して月周回軌道に入ります。そこから、
③2人の飛行士を乗せて月着陸船を切り離し、月着陸船のエンジンを逆噴射をして軟着陸を行います。帰還する時は、
④月着陸船・下降段を切り離し、月着陸船・上昇段のエンジンを噴射して月周回軌道に入り、司令・機械船とランデブーを行い2人の飛行士を指令・機械船に収容します、その後、
司令・機械船はエンジンを噴射して地球周回軌道に入ります。その後、
指令・機械船エンジンを噴射して大気圏に突入し、機械船を切り離し指令船のみを着水させる

以上より、司令・機械船と月着陸船は以下の様な機能を持たせなければなりません

司令・機械船の開発
司令船・機械船は二つの部分から構成されています。司令船は3人の飛行士乗船し、宇宙船を操縦し地球に帰還させるために必要なすべての制御装置が搭載されています
機械船は推進用の大きなロケットエンジン1基と姿勢制御用の小ロケットエンジン16基およびその燃料、さらに宇宙滞在中に必要な酸素、水、バッテリーなどの消耗品などを搭載しています。最終的に地球に帰還するのは司令船のみで、機械船は大気圏再突入時に高温・高圧力で消滅します

司令船は直径3.9m、高さ3.2mの円錐形で、頂上部には二基の姿勢制御用小型ロケット、月着陸船とのドッキング装置および乗り換え用のトンネル、地球帰還時に使用するパラシュートなどが搭載されています。底辺部には10基の姿勢制御用小型ロケットとその燃料タンク水タンク機械船との集合接続ケーブルなどがあります。外壁は主にアルミニウムのハニカム構造(蜂の巣の様な構造)になっています。底面には4層のハニカムパネルを貼り合わせた耐熱シールドとなっており、大気圏再突入時にはこのシールドが断熱圧縮で高温となり徐々に融解することによって熱を吸収し、船体が熱破壊されることを防いでいます

テスト中の司令船の事故:
アポロ1号は、1967年2月21日に最初の有人宇宙飛行となる予定で準備が進められていましたが、同年1月27日、発射台上で発射の予行演習を行っていた際に火災が発生し、ガス・グリソム 、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーが3名の宇宙飛行士が犠牲になりました


機械船
は与圧されていない直径3.9m、高さ7.5mの円筒形の構造物です。内部は中央部とそれを放射状に取り巻く6つの外郭部によって構成されており、推進用ロケット・姿勢制御ロケットおよびその燃料、酸素、燃料電池、通信用のアンテナなどが配置されています

前部カバーは高さが86.4cmで、機械船コンピューター、司令船との結合装置などが収納されています

推進用エンジンは高さ約3.9m、直径約2.5mで、燃料にはエアロジン-50、酸化剤には四酸化二窒素を使用する。推力は894kgで、月周回軌道への投入および離脱、途中での軌道修正などを行ないます。 姿勢制御用ロケットは1基が推力4.4kgで、四基ずつ集合したものがそれぞれ90度の角度をおいて外周に配置され、宇宙船の姿勢制御や速度の微調整などを行ないます。姿勢制御用ロケットの燃料はモノメチルヒドラジン、酸化剤は四酸化二窒素です

月着陸船(Apollo Lunar Module)の開発
アポロ計画において、2名の宇宙飛行士を月面に着陸させ、かつ帰還させるために開発された宇宙船です。下降段と上昇段による構成で、着陸する際は下降段のロケット噴射をブレーキに用い月面に降り、帰還する際は下降段を発射台として、上昇段のロケットを噴射して軌道上の司令船とドッキングします。総重量は14.7トンで、そのうち下降段の重量は10.1トンを占めます

開発は困難を極めました。まず問題となったのは重量でした。当初ロケットの打ち上げ能力から要求された重量は9トン以内だったのですが、開発初期でさえ予定重量は10トンを超えていたため、徹底した軽量化が図られました。中でも一回きりの使用となる着陸時の緩衝機構はアルミ製ハニカムが潰れる事で着陸時の衝撃を吸収する方式が新たに採用されました。こうした努力にも関わらず最終的に重量は15トン近くに達し、見かねたウェルナー・フォン・ブラウンがサターンVの推力を増やすことでようやく解決することになりました。次に問題となったのは着陸用エンジンで、従来のロケットエンジンに比べ繊細な出力制御が要求されましたが、燃料と酸化剤の比を一定に保ちつつ流量制御する特殊な供給機構の開発により解決されました

D.サターンⅤの開発;
連邦航空宇宙局(NASA)が開発した世界最大のロケット(全長・総重量・搭載量)で、6年間で計13機のサターンVを発射し、その間大きな事故は一度も起こしませんでした
サターンVは、サターン・シリーズの旗艦ロケットです。ウェルナー・フォン・ブラウンの指揮の下、ボーイングノース・アメリカンダグラスIBM等、米国が誇る航空、ITに関わる巨大企業が開発作業を分担しました。アラバマ州ハンツビルのマーシャル宇宙飛行センターにおいて開発が進められましたが、最終的にそれらを引き取り、組み立てる作業はボーイングが行いました

以下、カッコ内の数値はサターンⅠBとの比較です
第1段の構造・性能;
全長:全長は42.0m(+16.5m)、直径:10.0(+3.4m)、エンジン:F-1/5基(Δ3基)、推力:3,460トン+2,531トン)、推進剤:ケロシンと液体酸素(同じ)
*エンジン5基のうち中央の1基は固定されており、ジンバル(首振り)機構が設けられた周囲の4基がロケットの飛行を制御する構造になっています。また加速度を制限する(⇔推力が変わらずに燃料を消費していくとロケットの重量が減少し、結果として加速度が増加して乗員の負担が大きくなるから)ために、中央の1基は発射後2分で燃焼を停止することになっています。更に、周囲の4基のエンジンがトラブルを起こした場合の冗長性/Redundancyの役割も担っているものと考えられます

第2段の構造・性能;
全長:24.9(+7.1m)、直径:10.0m(第1段と同じ;+3.4m)、
エンジン:J-2(4基;+3)推力:453トン+362トン)、推進薬:液体水素、液体酸素(同じ)
第3段の構造・性能;
全長:17.9m、直径:6.6m、エンジン:J-2/1基(サターンⅠBの2段目と同じ)、推力:91トン、推進薬:液体水素、液体酸素
*第3段目のロケットは、第2段ロケットの燃焼終了後から2分半にわたって噴射を行って機体を地球周回軌道に投入します。その後6分の噴射を行って月への軌道に乗せることになっています

サターンVによる打上実績;
*以下の実績で、アポロの発射番号で欠番になっている部分は、文末にある参考の図表をご覧ください
①1967年11月9日(アポロ4号)、サターンⅤの  初飛行。すべての実験が成功
② 1968年4月4日(アポロ6号 ) 、第2段と第3段のJ-2 エンジンに問題が発生
1968年12月21日(アポロ8号)  初の有人飛行。月を周回
④1969年3月4日( アポロ9号)、  地球周回軌道上で月着陸船の有人飛行試験
⑤1969年5月18日(アポロ10号) 月面着陸の予行演習
⑥1969年7月16日(アポロ11号)、  史上初の月面着陸
⑦ 1969年11月14日(アポロ12号)、 無人月面探査機サーベイヤー3号の近くに着陸。発射時に2回雷の直撃を受けましたが、ダメージはありませんでした

⑧1970年4月11日(アポロ13号)、月に向かう途中で機械船の酸素タンクが爆発する事故が発生しましたが、飛行士は月着陸船をあたかも救命ボートとして用い、使用不能になった機械船のエンジンの代わりに月着陸船の降下用エンジンを使って地球に帰還するための加速を行いました。月着陸船は、本来は2人の飛行士を45時間生存させるよう設計されていましたが、あらゆる部分を切り詰めて使用した結果、3人の飛行士を90時間生存させることに成功し、飛行士は無事に帰還しました
⑨1971年1月31日(アポロ14号)  フラ・マウロ高地の近くに着陸
⑩1971年7月26日(アポロ15号)  月面車を初めて使用
⑪1972年4月16日(アポロ16号)  デカルト高原に着陸
⑫1972年12月7日(アポロ17号)  初の夜間打ち上げ。アポロ計画最後のミッション
⑬1973年5月14日(スカイラブ1号)  宇宙ステーション・スカイラブを打ち上げに使用

おわりに

ソ連に先行された宇宙開発競争は、ジェミニ計画からは米国が完全に追い越し、アポロ計画に至って人類が夢見ていた月着陸、地球への帰還という快挙を成し遂げました。この契機となったのは、ネディー大統領の壮大な計画と大胆な財政支援であり、またこの計画をバックアップしたのは失敗を恐れず前に進むという米国民の開拓者精神であったと私は思います
考えてみれば、人類が鳥の様に空を飛ぶという夢を実現した航空機の歴史も似た様な経過を辿りました(ref:航空機の発達と規制の歴史)。幾多の事故に怯むことなく、原因を追究し飽くなき挑戦を続けていくこと以外に進歩はあり得ないという事であろうとおもいます

ネット情報を丹念調べていくと、失敗についての記事は、ソ連、ロシアからは余り見つからない(←多分隠している)のに対し、米国の宇宙開発途上での失敗(緑字の下線付きの部分参照)は数多く見つけることが出来ます。米国はこうしたチャレンジの結果としての失敗に実に寛容な国であると思います
翻って日本の宇宙開発はどうか、昨年から今年にかけて良型イプシロンロケット、H3ロケットの打上失敗がありました。強く非難する論調は無かったものの、開発担当者の落胆ぶりを見ると悲しい気持ちになります。これに対して宇宙開発用の大型宇宙ロケット「スカイシップ」打上の失敗では、スペースX社の開発担当者やオーナーであるイーロンマスクの表情は明るすぎるほど明るいものでした。恐らく未知の領域へのチャレンジとは、こういう心構えと財政的な余裕が必要なのかと気づかされました

革新的な設計を行っているイプシロンロケット、H3ロケットの開発
も、米国流でやるのであれば、地上でのテストとは別にペイロードを載せる前にまずロケットシステムのみの実射テストを行うべきではなかったか(まあ予算による制約も大きかったんでしょうね)? でも、ペーロードを載せての失敗はもっと失うものが大きかったような気がします

Follow_Up:2023年5月25日日経新聞記事_「H3」2号機、衛星載せず打ち上げへ リスク抑え性能確認

宙開発競争の歴史

以下のデータはネット上で検索を行って纏めたものであり、全てをカバーしている訳ではありません。また、軍事目的に関わる打上実績は敢えてピックアップしてません;

 

 

ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史

はじめに

見出しの写真は、現代のロケットの原点とも言えるV2ロケットの実際の発射時の写真と、その構造です。このロケットは第二次大戦終盤に、劣勢に陥りつつあったナチスドイツが起死回生のミサイルとして開発しました。ヨーロッパにおける主要な敵国であるイギリスの首都ロンドンに対しては1,252機も発射されたものの着弾は517機に止まりましたが、極めて高速での垂直に近い着弾だったため迎撃はほぼ不可能であり、ロンドン市民の恐怖感は尋常ではなかったと言われています
参考:V2の前にドイツは V1を開発しイギリス攻撃に使っていました

ただ、この V1というミサイルはロケット推進ではなくパルスジェットエンジン(楽器のハーモニカの様な構造のジェットエンジンです;原理は右図参照)で推進しており、速度、高度は航空機と変わりないので、戦闘機や対空砲で容易に撃墜することが可能でした

V2は。制御がしやすい液体式(燃料:アルコール、酸化剤:液体酸素)であり、ジャイロを使った自動制御機構で弾道飛行を行うなど、現代の長距離ミサイルと基本のシステムはそう変わりない程の先進的なロケットでした。従って、1945年5月のドイツ降伏後、米国とソ連はこのロケットを鹵獲すると共に、開発に携わったドイツ人の技術者を本国に連れ帰り、両国のミサイル開発に従事させました。この中には米国のアポロ計画を主導したウェルナー・フォン・ブラウン(過去、ナチス党員であったことが知られています)が含まれています

一方、日本も第二次大戦末期に、日本近海に迫った米国機動部隊の艦船を攻撃する為の兵器として特攻を前提とした「桜花」が開発されています。この機体は一式陸上攻撃機に吊るされて攻撃目標近くになって発射される固体燃料のロケットで、終戦まで755機製造され55名の特攻隊員が命を落としています

以下に第二次世界大戦後の日本のロケットの開発状況を辿ってみたいと思います。ただ、ロケットの開発がミサイルの開発のベースになっていることは明らかですが、可能な限り宇宙開発用のロケットを対象にすることとします

ロケットの性能について

1.各種の人工衛星、宇宙船のミッションに関わる性能
人工衛星にはその目的によって投入する軌道(各種の人工衛星軌道については次章参照)や重量が異なります。また宇宙船も目指す目的地までの距離(例えば月、火星、小惑星、など)や重量がが異なります。従ってこれらの目的に沿ったロケットの開発が行われており、その性能に関わる重要なパラメーターは以下の様になります;
① 推力及びその継続時間
<参考> 推力を表す単位
通常、推力を表す単位にはニュートン(標記「N」:物理学者アイザック・ニュートンから名称が付けられました)が使われますが、定義は以下の様になります;
 @質量1kgの物体に1m/s2の加速度を与えるのに必要な力が1N(ニュートン)
一方、地上で「質量1kg」の物体を手に持った時に感じる下向きの力を通常1kgと表現しますが、物理学ではこれを「1キログラム重(1kgf/Kirogram・Force」と表現しています。例えば、地上で3,000トンの船を持ち上げるには地上では重力加速度9.8m/s2が働いていますので、
 @3,000トンx 9.8m/s2 = 3x 103x1000kg/トンx9.8m/s2
  = 3x 106kg x 9.8m/s2 = 29.4x106ニュートン  
となります。しかし、私のブログでは見慣れないお単位を使うよりは、慣れた単位の方が直感的に理解しやすいと考え、上記の例の場合推力3,000トンと表現することにしています

② ミッション達成に必要な最終段の速度(第一宇宙速度、第二宇宙速度,第三宇宙速度;「宇宙に関わる基礎的な知識」参照)
③ 一段のみか、二段式か、三段式か
④ 軌道制御能力
⑤ 経済性

2.推進剤に関わる性能(比推力
ロケットやジェットのエンジンは、プロペラとは違って、大量・高速の流体を噴射することにより推進力を得ています。何故これで推進力を得られるかはニュートンの第二法則で説明できます(詳しくは私のブログ「宇宙に関わる基礎的な知識」をご覧になって下さい)
ジェットエンジンが大気中で作動する(⇔燃焼に必要な酸素を空気から得る)のに対し、ロケットエンジンは、真空中でも作動させねばならないので燃料の他に酸素を供給する酸化剤が必要になります。ただ、小型の宇宙船などで使われるイオンエンジンは、帯電させた粒子を電気(⇔太陽電池や原子力を使って得る)で加速して噴射させますので酸化剤は不要になります

ロケットやジェットのエンジン性能(燃費効率と言い換えることもできます)とは、いかに少ない推進剤(燃料+酸化剤)で所要の推力を持続できるかと言う事ができます(推力の大きさそのものとは別です)。
現在、この性能の指標として一般に使われているは比推力( specific impulse)と言います

比推力の定義

① 推力 = 単位時間当たり噴射される燃焼ガスの運動量(kg m/S2)
ニュートンの第二法則(⇔力は単位時間当たりの運動量の変化変化率に等しい)
② 推進剤の重量流量 = 質量流量(kg/S)x 重力加速度(9.8m/S2
*9.8m/S2の意味は:地球の重力のもとで物を落下させると毎秒9.8mづつ速度が増加します。つまり自由に落下させると1秒後には秒速 9.8m、2秒後には 9.8x2=秒速19.6mの速度、3秒後には、、、、
 比推力 = ① ÷ ② (単位:秒)
⇔ 単位質量の推進剤で単位推力を発生させ続けられる時間(単位:秒)

例えば;
1,000kg/Sの質量流量の推進剤が秒速2,000m/Sで噴射されたとすれば

① 推力 = 1,000kg/S x 2,000m/S =2 x 106 kg・
m/S2
② 推進剤の重量 流量= 1,000kg /S x 9.8m/S2
③ 比推力 = (1,000kg/S x 2,000m/s) ÷ (1,000kg/S x 9.8m/S2) = 204秒

推進剤による比推力の比較
ロケットエンジン;
固体燃料ロケット:200–300秒
液体燃料ロケット:300–460秒
参考:「H-ⅡA」の先進的な第一段ロケット(LE7Aは液体水素・酸素を燃料にしています)の比推力は445秒です

ジェットエンジン、レシプロエンジン
(酸化剤は空気中の酸素);
ターボジェットエンジン2300–2900秒
レシプロエンジン3500–5500秒

イオンエンジン
::数千秒~1万秒
*燃焼ではなく電気で噴射する粒子を加速するので酸化剤は不要であり、噴射速度を早くできますので効率は非常に良い。しかし大きな推力は出せないので惑星間飛行など長時間推力を出し続けられる場合などに使われます。特に「はやぶさ」など惑星間飛行を行う時の軌道修正時などに適しています

人工衛星の軌道に関わる基礎知識

静止軌道(Geostationary Orbit)とは
地球の自転の周期(24時間)と同じ周期で公転していることから、地上からは、空のある一点に静止しているかのように見えます。ただ実際には、地球の重力場が一様ではない事と、太陽輻射圧や月の引力の影響があるため、静止衛星の位置は少しずつずれてゆきます。これを補正するために静止衛星は定期的に軌道制御を行っています。従って静止衛星の寿命は、概ね軌道制御用燃料の搭載量で決まり、寿命末期には静止軌道から、さらに高度が高い軌道に上昇させて廃棄し、静止軌道を空けることが国際条約により定められています
静止軌道は、放送衛星通信衛星気象衛星などに用いられています

極軌道(Polar Orbit)とは
極軌道とは、北極・南極の上空を通過する軌道です。地球表面上の全範囲を観測できるので、地図作成地球観測衛星気象衛星、偵察衛星などでよく用いられています

尚、偵察衛星は高い解像度の可視光カメラ、夜間でも撮影可能な赤外線カメラ、レーダーなども装備しており、しかも解像度を上げる為に低高度を周回する様になっているため一般に希薄な空気の影響を受けて寿命は短いのが普通です

太陽同期軌道(Sun-synchronous Orbit)とは

極軌道の一種で、地球の場合、平均すると地球の公転と同期するように軌道面が変化するため、太陽光線と軌道面とのなす角がほぼ一定となります

 

 

GPS(Global Positioning System)の軌道とは
各衛星は、高度20,200km、軌道傾斜角55度、周期12時間の準同期軌道上にあり、各衛星は60度おきで、6種類の軌道面毎に4個が配置され、合計24基で地球全域、24時間カバーできるようなっています。これらの軌道配置によって、遮蔽されない限り地上のどこからでも6ヶ以上の衛星が同時に視界に入る様になっています

準天頂衛星の軌道とは
GPS衛星を使って利用者が位置の測定するには、常に4機以上のGPS衛星から信号を受信することが必要です。また、高精度な測位には8機以上からの受信が必要になります。しかし、日本では山間部や、高層建築物が立ち並ぶ都市部が多く、利用者位置から見た可視衛星数が少なくなり、測位精度が落ちたり、不可能となる場合があります。これを補う為に、日本の上空を常時1機以上は見通せることができるようにする為に地球の自転と同期した楕円軌道に3機の衛星を配置し、常に1機の衛星は日本の天頂付近を通過する様にしています。この様な軌道を準天頂軌道と言います

Follow_UP:2023年4月_「極超音速」ミサイル対処へ衛星実験_政府が宇宙基本計画の改定案

日本のロケット開発の歴史

国産ロケット開発の歴史については、JAXA(国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構 / Japan Aerospace Exploration Agency)のネット上の資料(「国産ロケットの系譜」)から多くを引用しております。

1.糸川英雄による日本のロケット開発の曙
戦後日本のロケットの開発は糸川英雄博士によるペンシルロケットから始まりました
糸川英夫は1912年7月20日、西麻布で生まれました。東京帝国大学に入学後、工学部航空学科に進み。1935年卒業後は中島飛行機(株)に入社しました。ここで、名機と言われる「97式艦上攻撃機」、「一式戦闘機・隼」、「二式戦闘機・鍾馗の開発に携わりました

戦後、東京大学生産技術研究所に勤務し、航空及び超音速空気力学研究班(Avionics and Supersonic Aerodynamics)を組織し、ロケットの開発に着手しました
以下にその足跡を辿りますが、敗戦国日本が現在は宇宙開発の最先端を走っているのは彼の功績によるものが大きいと思います。そうしたことから、2010年、世界に先駆けて日本の宇宙船「はやぶさ」が小惑星探査にチャレンジし、サンプルを持ち帰ってきた小惑星を「イトカワ」命名されたことはむべなるなと思います

ペンシルロケットからベビーロケットへ

① ペンシルロケットからベビーロケットへ
ペンシルロケット開発を着手した時、東京大学と共同開発を行った富士精密(株)は乏しい予算しか無かったため、最初のロケット実験機は(右写真の一番右)直径1.8cm、長さ23cm、重さ200グラムの正にペンシルの様なロケットでした。
しかしおもちゃの様に小さいとはいえ、航空機の設計と同様にロケットの重心と飛行中に作用する空気力の中心(「空力中心」といいます)を実験により確認しつつ形状や、材料の設計を行ってゆきました
1955年4月、国分寺にロケット発射の実験場を設置し、最初は水平に発射し各種データを測定する際、関係官庁・報道関係者立ち会いのもとで、試射が行われました。当時、レーダーが手に入らなかったことも水平発射実験に繋がったものと思われます

試射で撮影された飛行状況;

この実験により得られたデータを基に、より大型のペンシル300ロケットとベビーロケットの開発に着手し、その実験場を日本海に面した秋田県・道川としました

秋田県・道川の発射場の全景

この発射場(秋田ロケット実験場)では、ペンシル300ロケットとベビーロケットの発射実験を行いました
ペンシル300ロケットの到達高度600m、水平距離700m。飛翔時間は16.8秒でした
1955年8月末から9月にかけてベビーロケット(直径80mm、長さ約1,200mm、重さ約10kg)も沢山打ち上げられました

② カッパロケットの開発
*カッパロケット以降は、アルファベットの頭文字が名前につけられているものの、読み方はギリシャ語の発音です(カッコ内はギリシャ文字) ⇒ K:カッパ(κ)、L:ラムダ(λ)、M:ミュー(μ)、イプシロン(ε;イプシロンだけは何故か「 E」を使いません?) 

日本における糸川英雄のロケット開発は、1957年~1958年にかけて計画された国際地球観測年(IGY/International Geophysical Year)の日本における宇宙観測を担う役割を負うことになっていました
IGYでは、当時未だよく分かっていなかったオーロラ大気光(夜光)宇宙線地磁気氷河重力電離層経度・緯度決定気象学海洋学地震学太陽活動など12項目について世界各国で協力して観測を行う事になっていました。ソ連邦と米国も、IGYのために初期の人工衛星・スプートニク1号と米国のエクスプローラー1号を打ち上げて観測に協力しています。IGYの主な成果は、バン・アレン帯の発見、中央海嶺、プレート・テクトニクス説の確認などがあります

バンアレン帯とは
地球の磁場にとらえられた、陽子(陽子線)、電子(ベータ線)からなる放射線帯

 

IGYの観測を行う為にに1955年の10月からこれまでより高い高度への飛行と観測機器の搭載の為にこれまでより大きなロケットが必要となることからカッパロケットの開発が始まり、実験場も新たに近くに建設されました。1956年9月、K-1ロケットの初飛行が行われ高度10kmを達成しました

K-1ロケットからK-6 ロケットへ

しかし、この高度ではIGYのミッションを達成できないことから、燃料の改良(圧縮成型⇒コンポジット推薬)及び機体の軽量化を行い、二段ロケットのK-6が完成し、1957年9月の打ち上げで目標の高度60kmを達成しました。この成功から日本は世界の宇宙開発の仲間入りを果たしたのです。カッパ6は21機打ち上げられました

2. その後の日本の固体燃料ロケット開発概観
ペンシルロケット以降、現在までの日本が開発した固体燃料ロケットは以下の通りです;
(注)上表中のLEOは「低軌道 (Low Earth Orbit;地球表面からの高度2,000km以下)」、SSOは「太陽同期軌道(Sun-Synchronous Orbit;前章「人口衛星の軌道に関わる基礎的な知識」参照) 」を意味します

固体燃料ロケットの構造

固体燃料ロケットの構造は、右図の様に固体の燃料と酸化剤を混ぜてロケット本体に充填したロケットであり、発射する時はロケット内部の燃料へそのまま点火します。ロケット本体が燃焼室を兼ねており部品点数が少なく、構造が簡単で安価に製造できる利点があります。また、固体である燃料・酸化剤は化学的に比較的安定した性質の物質からなり、製造後の点検がほとんど必要ないまま長期間保管でき、即応性に優れています(⇔ミサイルに適している)。一方、燃焼の制御が難しく、点火後に燃焼の中断や再点火、推力の調整を行うことは原理的に非常に難しく、またロケット本体は燃焼室となることから燃焼圧力と温度に耐える様強い強度が必要になります

上表の各ロケットにより達成されたミッションは以下の通りです;
① ラムダロケット
1970年2月11日、3回の失敗の後にラムダロケットL-4S(上表左端;写真は以下)により日本初の人工衛星「おおすみの打ち上げに成功しました。名称は打ち上げ基地があった大隅半島に由来します。この成功により日本はソ連、米国、フランスに次ぎ、世界で4番目の衛星打ち上げ国となりました

② ミューロケット
ラムダロケット以降、ミューロケットが開発され各種ミッションをこなしながら集大成として完成したのがミューロケット第5世代の「M-V」ロケットです
以下は「M-V」で達成したミッション一覧です;

                                         M-Ⅴの打上実績

③ イプシロンロケット
ミューロケットは多くのミッションを達成しましたが、高コストであったために2006年に廃止されました。その代わりに開発された固体燃料ロケットがイプシロンロケットです
参考:イプシロンロケットの基本形態は全段固体の3段式ロケットですが、液体エンジンの「PBS(ポストブーストステージ)」を4段目として搭載するオプションが用意されています。これを使えば、投入高度の誤差は±20km程度と、液体ロケット並みの精度が実現できます。PBSは液体エンジンと言っても、M-Vの姿勢制御用エンジンと同じような1液式エンジン(燃料はヒドラジン)です

イプシロンロケットは2010年から開発を始め、2013年9月に試験1号機が打ち上げられました。その後の打ち上げ実績は以下の通りです

*2021年11月・日経記事イプシロン5号機打ち上げ・衛星9基搭載

2022年10月日経記事イプシロン6号機・初の打ち上げ失敗
2022年10月18日、開発を統括している宇宙航空研究開発機構から「イプシロンロケット6号機打上げ失敗原因調査状況」が発行されています
今後失敗原因が特定され、イプシロンロケットの打ち上げが再開されるまでフォローします

3.日本の液体ロケット開発概観
実用の大型衛星を望み通りの軌道に打ち上げるには、正確なコントロールが行える液体燃料ロケットが必要であることから、米国からの技術導入をスタートとして開発が薦められました;


上表中のGTOは「静止トランスファ軌道(Geostationary Transfer Orbit)」を意味し、人工衛星を静止軌道(前章「人口衛星の軌道」参照))に投入する前に、一時的に投入される軌道で、よく利用されるのは、遠地点が静止軌道の高度、近地点が低高度の楕円軌道です

液体燃料ロケットの構造は、右図の様に液体の燃料と酸化剤をタンクに貯蔵し、それをエンジンの燃焼室で混合して燃焼させ推力を発生させるロケットです。液体燃料は一般的に固体燃料に比べて比推力に優れているうえ、推力可変機能燃焼停止や再着火などの燃焼制御機能を持つことができます。また、エンジン以外のタンク部分は単に燃料を貯蔵しているだけで構造は簡単であるものの、燃焼室や噴射器、燃料ポンプなどの機構は複雑です。以下の写真はH2ロケットの第一段のエンジン(LE7)の該当部分のアッセンブリーです;開発の歴史
① 海外からの技術導入(「N-1」~「H-1」)
日本における液体ロケットの開発は、固体燃料ロケットとは別に宇宙開発事業団(NASDA)が担当することになりました。液体燃料のエンジンは構造が複雑で開発に時間も費用もかかり当時の日本には難易度が高かったので、米国の「デルタロケット(ウィキペディア)」の技術の導入を図ることとなりました。
最初の「N-I」ロケットの開発がスタートしたのは1970年。5年後の1975年には、早くも1号機が打ち上げられ、更に後継の「N-II」の初打ち上げは1981年、現行のHシリーズのベースとなった「H-I」ロケットは1986年と大型化が進められていきました。「N-II」~「H-I」の打ち上げ回数は17回でしたが、全てミッションを達成しました

② 「H-Ⅱ」の開発(「H-Ⅱ」~「H-ⅡA」~「H-ⅡB」
液体ロケットとして、初めて国産化を果たしたのはその次の「H-II」ロケットです。第2段エンジンはH-Iですでに国産のものを搭載していましたが、H-IIではより大きな第1段エンジンも独自開発しました。1986年に開発が始まり、エンジンの爆発事故が起きるなど開発は難航したものの、1994年に試験機の打ち上げに成功した。

しかし、1998年、5号機において、第2段エンジンに不具合が発生。燃焼時間が短かったため、予定した軌道への衛星の投入に失敗してしまいました。その後、必用な改修を行った上で1999年、8号機を打ち上げましたが、今度は第1段エンジンが飛行中に異常停止。衛星を投入できる見込みがなくなったため、ロケットは地上からの指令で爆破されました。純国産ロケットは2機連続失敗という窮地に立たされました。H-IIは8号機の成功を前提に7号機の打ち上げを予定していましたがこれをキャンセル、既に1996年より開発が始まっていたH-II改良型の「H-IIA」ロケットの開発に注力することになりました
参考:2000年5月18日に出された「H-Ⅱロケット8号機打上げ失敗の 原因究明及び今後の対策について

海底で発見された8号機のLE7エンジンと、破損したターボポンプのブレード

その後「H-IIA」、「HⅡ-B」は高い信頼性を確立し、各種の重要ミッションを遂行しました(下表参照)が、コストの高さが問題になりました。多少の違いはあるもののH-IIAの打ち上げ費用は、1機あたり約100億円であり、他のロケット先進国の商用衛星打上競争で顧客を獲得するには、次世代の「H3」の開発を待たねばなりませんでした

③ H3ロケットの開発
H3ロケット(コンセプトを根本から見直したロケットであることを示すため、「H-Ⅲ」ではなく敢えて「H3」としたそうです!)は、日本の次世代の大型ロケットとして2014年から開発がスタートし、開発目標は打ち上げ価格を「H-Ⅱ」の半額となる約50億円を目標にしています

また、幅広い打ち上げ能力要求にシームレスに対応するため、固体ロケットブースター「SRB-3」の基数や、第1段メインエンジン「LE-9」の基数、衛星フェアリングを各種選択できる仕様となっています;おり機体形態は「H3-a、b、c」で表します;
H3-a:第1段メインエンジンの機数(2基、3基)
H3-b:固体ロケットブースターの基数(0、2基、4基)
H3-c:フェアリングのサイズ(W:Wide/L:Long/S:Short)

日本中の大きな期待を乗せて2023年3月7日、種子島宇宙センターから打ち上げられましたが、第1段目は順調に飛行したものの、第2段目が着火せず失敗に終わりました。事故原因の究明はこれから始まりますが、失敗に至る経緯については事故翌日に発行された「H3ロケット試験機1号機の打上げ失敗について」をご覧ください
H-Ⅱ 8号機の失敗と異なり、今回は電気系統の故障が原因と言われていますので、原因究明が済めば再挑戦の機会は意外に早く来るのではないかと私は期待しています

参考:現在世界各国で運用されている宇宙開発用ロケットとの能力比較
JAXAのサイトで、現在運用されている宇宙開発用ロケットとの能力比較に掲載されている宇宙先進国の大型ロケットの性能比較は下図の通りです(海外ロケットの性能については2018年の米国連邦航空局/FAAの資料によります)。尚、表中に無い現在開現発中のH3ロケットの場合、「アリアンⅤ」並みの打ち上げ能力を確保できることになっています(詳しくは「JAXA H3 ロケット」をご覧ください)

おわりに

日本のロケット開発は戦後の苦しい経済事情の中で始まったものの、関係者の努力で世界の5強に連なっていることは日本人として、一宇宙ファンとして大変誇りに思っています。偶々、昨年末のイプシロン6号機の失敗、今年3月のH3ロケットの失敗と続きましたが、日本の技術の力をもってすれば間違いなく近い将来日本の主力ロケットとして活躍を始めると思っています
ただ少し心配なのは、2月末のH3ロケット打上の時に、メインエンジンは着火したもののブースターが着火せず打ち上げを延期した時の開発責任者が、記者会見で涙声になっていた(私も不覚にも貰い泣きをしてしまった!)のはちょっと心配です。イプシロンロケットの4段目、H3メインエンジンの先進性は、世界の最先端だと思っており、今回の失敗位でめげてはいけないと思います。両ロケットとも近い内に再打ち上げが行われ成功することを信じています

以上

宇宙に関わる基礎的な知識

宇宙とは

 宇宙について概論を語るには私は知識及び理解力の面で無理があります。何故なら凡そ100年前にアインシュタインが発表した「一般相対性理論」を理解できなければ本当の意味で宇宙を理解するのは不可能だからです因みに、アインシュタインがこの理論を発表した時、これを直ちに理解できる人は「当時天才と言われたフェルミなど数人しかいないだろう」と言っていた事を聞いたことがあります
その後、この理論で予言したことが実際の観測結果で証明されるようになるまでには相当の時間がかかりました。因みに、アインシュタインが予言した空間のゆがみが光の速さで宇宙空間に伝播するという「重力波」の存在を実際に直接検出することは、2015年9月14日まで待たなければなりませんでした(アメリカの重力波望遠鏡 LIGOとヨーロッパの重力波望遠鏡 Virgoの研究チームによる観測結果)


てな訳で、以下の説明や画像は大半書籍や新聞、ネット情報の受け売りという事になりますが、お許しいただければ幸いです

1.宇宙の成り立ち
どうしてそんな事になるか分かりませんが、およそ137億年前、何もないところに宇宙のタネが生まれ、すぐに急激に膨張し、引き続き大爆発しました。これを「ビッグバン」と言います

               ビッグバン後の宇宙の姿

今から46億年前(ビックバンから約90億年後)に宇宙の様々なガスが集合して太陽が誕生しました。太陽誕生をきっかけとして太陽系ができ、その後太陽を中心とする沢山の惑星が誕生しました。誕生の順序は以下の通りです;
① 水星、金星、地球、火星の誕生
② 木星、土星の誕生
③ 天王星、海王星の誕生

<参考1>
宇宙マイクロ波背景放射(CMB:Cosmic Microwave Background)とは;
天球上の全方向から観測されるマイクロ波であり、そのスペクトルは2.725K(ケルビンという温度単位;-270.425℃に相当)の物体の発するスペクトルに極めてよく一致しています。このCMBの放射は、ビッグバン理論について現在までに得られている最も確かな証拠と考えられています。CMBが1960年代中頃に発見されたことで、定常宇宙論はじめとするビッグバン理論と対立する説への興味は失われていきました
<参考2>
ブラックホール(Black Hole)とは;
 最も速い光(秒速約30万km)でさえも脱出できないほど重力が強いとされる天体を意味します。従って、光では観測することができず、宇宙に空いた黒い穴のように見えることから名づけられました。すべての質量が「特異点」と呼ばれるきわめて狭い領域に押し込められ、周囲の時空間が大きく歪んでいると考えられているブラックホールの場合、脱出速度が光速を上回ります。ブラックホールの外からやってきた光も強い重力で進む向きが曲げられてしまい、ある距離まで近づくとブラックホールから脱出することができなくなるとされています。

光さえも出ては来られないブラックホールそのものを直接見ることはできませんが間接的に観測することは可能です。ブラックホールの強い重力に引き寄せられたガスなどの物質は、吸い込まれつつもブラックホールの周囲を高速で周回する「降着円盤」を形成します。円盤とはいいますが、その中心にはブラックホールが存在するはずなので、実際には幅の広い輪のような構造をしていると考えられています(右上の写真は理論的に考えられた想像図)。この降着円盤は光(電磁波)を放つので、その様子を詳しく観測することで、ブラックホールの性質を調べることができるのです。また、物質の一部をブラックホールから「ジェット」として放出しています。ジェットも光(電磁波)を放つので、観測することが可能です

2019年4月、国際協力プロジェクト・Event Horizon Telescope(EHT)は、楕円銀河「M87」の中心にある超大質量ブラックホール周辺の撮影に成功したことを発表しました。EHTから公開された画像を見ると、オレンジ色で示されたリングのなかにぽっかりと黒い穴が空いているように見えます

ブラックホールが生まれる原因の一つに、巨大な質量の恒星(太陽の質量の8倍以上)が寿命の最後に超新星爆発を起こして外層が吹き飛ばされ、残された中心部分の質量が太陽の約3倍以上だった場合、自身の重力で収縮する重力崩壊が止まらなくなった結果、ブラックホールが誕生すると言われています

 

 

 

恒星の一生とブラックホール

Follow_Up:2023年4月日経「ガス噴出を伴うブラックホール 国際チームが撮影

2.宇宙の果ては?
宇宙はその誕生以降も膨張し続けていると言われていますが、宇宙は広大であり、現代人の科学技術をもってしても観測可能な宇宙は宇宙全体のほんの一部に過ぎません。宇宙の全体像が分からないということについては、科学者の間ではさまざまな意見があり議論が交わされているようですが、「宇宙が無限なのか有限なのかも分からない」ということにもなります
2016年3月、米国のハッブル望遠鏡による分光分析により「GN-z11」という銀河系宇宙(gakaxy)を発見しました;

ハッブル望遠鏡によって発見された一番遠い銀河系

この銀河系の見かけの距離は134億光年(注1)でしたが、膨張し続けている宇宙(地球から遠ざかっている)の正確な距離を計算するための「赤方偏移(注2)」で補正すると実際の距離は320億光年ということになります

(注1)光年とは
 秒速30万キロメートルの速さの光が1年間に到達する距離を言います(宇宙の距離はこの尺度で比較されることが多い;太陽から地球迄の距離は凡そ1億5千万km、従って太陽から発せられた光が地球に届くのは8.3秒後という事になります)。134億光年の距離ということは、ビッグバン直後に生まれた天体を今見ていることにもなります
参考:太陽系の中での距離の単位で天文単位( Astronomical Unit )というものがあります。これは太陽から地球迄の距離(凡そ1億5千万km)を一単位とするものです
(注2)赤方偏移(Red Shift)とは
主に天文学において、遠ざかりつつある遠方の天体から到来する光の波長が、ドップラー効果遠ざかるパトカーのサイレンが音が低く聞こえる現象と同じ)によって長くなる(つまり波長の長い赤色に偏移する)現象を言っています。 赤方偏移による波長のずれは、天体の光を分光し、フラウンホーファー線(下図の黒い縦線)を比較することによって調べることができます

太陽光のスペクトルのFraunhofer_lines

フラウンホーファー線:
太陽光等の連続した光のスペクトルにおいて、ところどころに生じている暗線のこと。光源から観測地点までの間に存在する様々な物質が、特定の波長の光を強く吸収するために生じると言われています。
観測した遠方の銀河系の光のスペクトルと太陽光のスペクトルのフラウンホーファー線を比べ波長が長い方にシフトしていることは、高速で遠ざかっていることを意味します

ところが、昨年(2022年4月)GN-z11よりもさらに遠い約135億光年(実際の距離は約334億光年)離れている可能性のある銀河候補の天体「 HD1 」が発見されました。また、この年の7月、ハッブル望遠鏡の後継となる巨大な宇宙望遠鏡「James Webb」が稼働を始めましたので、今後更に遠い宇宙が観測できるものと期待しています
参考:2022年7月・日経記事_「宇宙最初の星」に迫れ

宇宙の研究に功績のあった人々とその成果

宇宙」という言葉は一般にコスモス(cosmos/ギリシャ語)、ユニバース(universe/ラテン語)、スペース(space/英語)などに対する共通の日本語訳です。夜空に輝く星座や恒星、惑星にギリシャ神話に登場する神々の名前が付けられ、それが現在も尚継承されている事を考えると、現在の天文学の起源は、天空の精密な観測を基に科学的に解き明かそうとした(古代ギリシャでは天文学は数学の一分野として扱われていた)ギリシャの哲人(ピタゴラス、プラトン、他)であると考えてよさそうです
その後キリスト教がヨーロッパ全土に広がっていった結果、天文学は神学の世界に取り込まれ科学的な研究が行われなくなってしまいました。この状況が一変するのは14世紀から16世紀に亘るルネサンス時代でした。ルネサンス(Renaissance/「再生」「復活」などを意味するフランス語)とは、ギリシア・ローマ時代の文化を復興しようとする運動の事ですが、この時代に以下の様な天才が登場し、現代の天文学の基礎を確立しました

1.ニコラウス・コペルニクス(1473年~1543年;現在のポーランド出身)
① 1510年頃 「コメンタリオルス」という同人誌で太陽中心説(地動説)をはじめて公にしました
② 1542年、「天球の回転について」の草稿を書き上げ、その中で地動説を基にして実際に星の軌道計算も行いました
*その後脳卒中で倒れ、1543年に死去(70歳)しますが、「天球の回転について」の校正刷りは彼の死の当日に仕上がったと言われています
[豆知識] コペルニクス的転回という例えがよく使われますが、これは物事の見方が180度変わってしまう事を比喩した言葉です。 コペルニクスが天動説を捨てて地動説を唱えたことにたとえています。ドイツの哲学者カントがその著「純粋理性批判」の中で自らの認識論を特徴づけた言葉だそうです

2.ヨハネス・ケプラー(1571年~1630年;現在のドイツ出身)
*ケプラーの考えた数学的モデルは、ピタゴラス、プラトンが考えていたモデルに近いといわれています
ケプラーの法則
第一法則:惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く
第二法則:惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定である
第3法則:惑星の公転周期 T の2乗は、楕円軌道の半長軸 a の3乗に比例する

3.ガリレオ・ガリレイ(1564年~1642年;現在のイタリア出身)
① 1597年 ケプラー宛の手紙で、地動説を信じていると伝えました
② 1604年頃、落体の運動法則(軽いものでも重いものでも真空中であれば同じ速度で落ちること)を発表

③ 1609年オランダの望遠鏡の噂を聞き、自分で製作(ガリレオ式望遠鏡;屈折式望遠鏡)、これを使って月を観測し月が天体であることを理解すると共に、月面のクレーター、太陽の黒点などを発見
④ 1610年、天体観測により木星の4個の衛星を発見
⑤ 1613年、太陽の観測を基に「太陽黒点論」を発刊

*1515年頃から天動説を主張する教会との間で争いが起きる

4.アイザック・ニュートン(1642年~1727年;現在のイギリス出身)
*ニュートンは力学(下記A、B)、数学(微分・積分法)、光学(光の粒子論)の3つの分野で偉大な業績を残した天才科学者です
A.質点に関する運動の法則;
第一法則(慣性の法則:すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける
②  第二法則(ニュートンの運動方程式:物体の運動状態の時間変化と物体に作用する力の関係を示す法則
⇒ 質点の加速度を(速度の変化率)は、その時の質点(物体)の質量を、これに作用する力 Fとすれば、これら間の関係は以下の数式の様になります
F = ma 微分方程式で表すと  (注)m・vは運動量
第三法則(作用・反作用の法則:二つの質点(物体)1、2の間に相互に力が働くとき、質点2から質点1に作用する力と、質点 1から質点2に作用する力は、大きさが等しく、逆向きである(押すと押し返され、引っ張ると引っ張り返されること;この原理から運動量保存の法則が導き出されたり、力の定義を行ったりする重要なものです)

B.万有引力の法則;
 地球上において質点(物体)が地球に引き寄せられるだけではなく、この宇宙においてはどこでも全ての質点(物体)は、互いに 引き寄せる作用(引力、重力)を及ぼしあっています。この引力は両質点の質量の積に比例し、両質点の距離に反比例します。式に表すと以下の通り;

m1、m2 :質量(kg)、
r:距離(m)、F引力(ニュートン)とすると
万有引力係数:G=6.67×10-11実測値

Episode 1
 私が航空学科の大学院に進学し、「飛行力学」の勉強を始めた時、担当教授に最初に言われた事は「飛行力学を研究する上で相対性理論や量子力学は不要、必要なのはニュートン力学と熱力学の完全な理解である」でした。後で理解したのですが、確かに相対性理論は、物体の速さが光速よりも十分遅く、重力が十分に小さい(地球レベル)条件下ではニュートン力学で十分近似されます。また、量子力学の結果は、対象物体の質量を大きくした極限では、ニュートン力学の運動方程式の解と一致します。従って、人工衛星や惑星探査までを含む宇宙航行の運動の予測を行う際には、ニュートン力学を用いて十分な精度で計算できる場合が多いと思われます

ニュートン力学で説明できる事あれこれ

ニュートン力学を理解していれば、以下の様な様々な事がうまく説明できます

1.人工衛星は何故落下しないか?
実は、人工衛星は落下し続けているんです! 人工衛星を打ち上げる時は、大気圏外まで打ち上げ、その後重力の方向に対して直角に秒速7.9km以上(第一宇宙速度:下記参照)まで加速すると、その速度は大氣の抵抗が無いので「慣性の法則」で減速すること無く飛び続けます。しかし進む方向は重力によって下向きに変えられますが、地球は丸いので落下せずに元の位置に戻り、回り続けることが出来る訳です

同じ理屈は、「ISS(国際宇宙ステーション)に乗っている宇宙飛行士が何故地上に落下しないで宇宙遊泳が出来るか」という説明にも使えます。宇宙飛行士はISSから出た段階では「慣性の法則」によりISSと同じ速度と方向で運動を続けますのでISSと宇宙飛行士の相対位置は維持されます。ただ船外作業中に宇宙飛行士がISSに何らかの力(作用)を加えると「作用・反作用の法則」で宇宙飛行士はISSから遠ざかっていき、ISSに戻れなくなる可能性がありますので、命綱などが必要になります(ref:ISSの船外活動

尚、上記の人工衛星にする為に必要な速度(第一宇宙速度)の他に、地球の引力圏を脱出して太陽の周りを廻る惑星にする為の速度(第二宇宙速度)、太陽系から脱出して宇宙の彼方まで飛行する為の速度(第三宇宙速度)があります。夫々の速度は範囲は以下の通りです;
第一宇宙速度約 7.9 km/s (= 28,400 km/h)以上第二宇宙速度未満
第二宇宙速度約 11.2 km/s(40,300 km/h)以上第三宇宙速度未満
第三宇宙速度約16.7 km/s (60,100 km/h) 以上

2.ゴルフ(野球)でボールを遠くに飛ばすには遠心力使う事が必要?
こんな事を言うコーチや解説者がいますが、これは全くの間違いです。遠心力の「心」は回転の中心、「遠」は遠ざかるを意味します。つまり中心から遠ざかろうとする「力」を意味します。つまりこの遠心力は、仮にゴルフのヘッド(野球のバット)に人が乗っているとしたら(おかしな設定ですね!)その人が回転の中心から遠ざかろうとする様に感じる「架空の力」なのです
この架空の力はゴルフのヘッド(野球のバット)が回転することによって回転の接線方向に進もうとする運動(この運動方向に当ったボールが飛ぶ)を、無理やり回転の内側に引張っている(シャフトを通じて人の力で引っ張っている⇔「求心力」といいます)ことの反作用なのです

Episode 2
 私の経験ですが、台湾駐在のときに買ったゴルフ道具がいい加減で、練習場に行ってドライバーを渾身の力?で打っていたら、ヘッドがすっぽ抜け、ボールと同じ方向(回転円弧の接線方向)に飛んで行ってしまいました。もし、遠心力が架空の力でなく本当にヘッドに働いていればヘッドは回転の外側に飛んでいくはずですね
野球でも同じことが確認できます。打者がバットを強く振りボテボテの内野ゴロを打った時、偶にバットが手から離れることがありますが、この時バットも内野ゴロ?で投手を襲う光景が見られます!

3.月や惑星への飛行は極めて長距離なのに、宇宙船には多くの燃料が積まれていないよう思われるが、大丈夫なのか?
前述の通り、人口衛星を打ち上げた時と同様、真空中を飛行している時は地上の様に空気抵抗は無いので「慣性の法則」により飛び続けることが出来ます(⇒燃料は不要)。ただ、何もしなければ他の天体に引き寄せられて激突する可能性があります

一方、意図的に他の天体に近づき、その公転速度を利用して加速する技!があります。これをSwingby(立ち寄るという意味)といいます。但し、正確に他の天体に近づく必要がありますので、その軌道に入るまでの進路の調整に多少の燃料が必要になります。最近の事例では、日本が誇る?「はやぶさ2は目標の小惑星・リュウグウ(火星と木星の間にある)に接近する時にこのSwingbyの技術を使っています
月の公転速度を利用したSwing By;

 

 

 

 

火星飛行の際の月と地球の引力を利用したSwing By;

 

 

 

 

 

 

Episode 3 漫画「機動戦士ガンダム」にも登場するラグランジュ・ポイント
以下は、ラグランジュ・ポイントについて図を使って分かり易い説明を行っている「ホーキング織野のサラリーマン宇宙を語る」から抜粋しました

 ホーキングという名称は、恐らく2018年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くなった天才物理学者のスティーブン・ホーキング博士のことを指しており、内容も彼の著作(左の写真)から借りた?ものと想像しています

 主星の周囲を伴星が公転している場合、伴星の軌道付近に特殊な場所が5つあります。もし、小天体がその場所に入ると、主星と伴星との位置関係を保ちながら安定して公転できますこの場所をラグランジュ・ポイントと呼んでいます
 18世紀半ば、スイスの数学者・天体物理学者オイラー(1707年~1783年が、主星と伴星を結ぶ直線上に、物体が安定して存在できる三点を計算によって導きました(オイラーの直線解)。その後、フランスの数学者ラグランジュ( 1736年~1813年)が、主星と伴星を一辺とする正三角形の頂点も安定していることを発見し、5つの特異な点が存在することが分かりました。この天才の名前を取ってこの5つの特異点をグランジュ・ポイントと呼ぶようになりました
主星が太陽で伴星が地球の場合;

 L1は、地球から太陽に向かって150万キロメートルの空間にあります。
月の軌道半径は38万キロメートルなので、L1は、月よりも約4倍遠い位置になります。常に太陽の手前にあるので、L1は太陽観測衛星の設置に適しており、観測衛星SOHO、ACE、WINDが置かれています
L2は、地球から太陽の反対方向へ150万キロメートルの空間にあります。
常に地球の影になるため、太陽光はあたりません。太陽光の影響を避けたい観測衛星に適します。ここには観測衛星WMAP、及びジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡もここに置かれています
 L3は、地球から見て太陽の裏側にあります。。このため、L3を地球から直接見ることはできません。昔から、このL3に未知の惑星が存在するという主張がありましたが、探査機による調査の結果、L3に惑星サイズの天体は存在しないことが判明しています
 L4、L5は、地球軌道上の60度前方がL4、後方がL5です。ここでは、惑星間塵が集まった雲状の天体が確認されています

主星が地球で伴星が月の場合;

 以前、L4 、L5に雲状天体が確認されコーディレフスキー雲と命名されましたが、現在では、コーディレフスキー雲の存在は疑問視されています
 また、L1、L2には、地球と月との位置関係を保ちながら安定して公転できるので惑星旅行の際に携行すべき資材の仮置き場所としての利用も考えられます(知人からの情報)。因みに日本も参加しているアルテミス計画(月基地建設)の最初のミッション(目的:月周回軌道への到達・6日間の月周回・地球帰還の間の安全性の検証;2022年11月16日打ち上げ、12月1日地球帰還)では日本の超小型宇宙船2個が搭載され、所定の軌道に打ち出されました。内 OMOTENASHIについては打ち出された直後から地上と通信できず、11月22日に月着陸を断念しました。一方、EQUULEUSについては今の所順調にL2のラグランジュポイントに向かっています

以上