ベトナムという国

はじめに

今年4月からベトナムに赴任した娘に招待され、最近家族揃って赴任地のハノイに行ってきました。既に20年前にワイフとホーチミンに行っております(2005年4月ベトナム旅行記)ので、大した違いはないだろうと多寡を括っていたのですが、どっこい!訪問した翌日からベトナムという国・国民にすっかり「愛」を感じてしまいました。尤も、私の学生時代は「ベトナムに平和を ! 市民連合(通称ベ平連)」の活動の報道や学生運動を通じて心情的には熱烈にベトナム支援をしていたことがその背景にあるのかもしれません
見出しの写真は、左側が訪問翌日に訪れたディエンビエンフーの戦跡の中の激戦区となった丘の上に建てられていた「勝利の像」、右側は太平洋戦争終盤、日米双方に多くの死者を出した硫黄島の激戦の米軍勝利の象徴となった「摺鉢山の星条旗」です。この二つの像は、それぞれベトナム人、米国人の愛国心に限りなく大きな力を齎したに違いありません。短い旅行でしたが、以下はこの旅を通じて感じたこと、この旅を通じて触発された「ベトナムという国」の勉強の成果を述べてみます

ベトナムの現在地

ベトナムという国の国力に関わるデータを外務省のサイトで調べてみると以下の様になります比較対象とする為にカッコ内に日本の数値を書いてあります
面積:33万 ㎢ ———————-(37万 ㎢)
人口:1億30万人 ——————-(1億3200万人)
人口密度:304人/㎢ —————(357人/㎢)
 *2024年のGDP:4763億 USD ——-(4兆1448 億  USD)
2024年の1人当たりGDP:4749USD (3万1400 USD/1人)
GDP成長率7.1%/年 ————–(0.1%/年)
まだまだ経済的には小さな国ですが、成長率はかなり高く、近い将来大きな国力を持つ国になりそうです

民族構成:キン族(越人)約86%、他に53の少数民族で構成されている
宗教:仏教、カトリック、カオダイ教(ベトナムの新宗教/儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教の教えを土台にしたことから、カオダイ=高臺(高台)と名付けられた)、他

政治体制:共産党が唯一の合法政党;国会/一院制(定数500名)、任期5年、中選挙区、選挙権満18歳以上、被選挙権満21歳以上
ドイモイ(刷新)とは:1986年の第6回党大会にて採択された市場経済システムの導入と対外開放化を柱とした路線。現在、汚職対策、構造改革や国際競争力強化等に取り組んでいる
外交方針全方位外交を展開。各種国際機関をはじめ、国際的、地域的枠組みにも積極的に参加している
軍事力(2023年):軍事予算/63.5億ドル、徴兵制、正規軍45万人(陸軍/約38万人、海軍/約4万人、防空・空軍/約3万人)

貿易額(2023年):輸出/3,555億ドル、輸入/3,275億ドル
貿易相手国(2023年):
輸出/米国、中国、韓国、日本、オランダ、輸入/中国、韓国、日本、台湾、米国
主要援助国
日本、ドイツ、フランス米国韓国(この3ヶ国はベトナム近代史の中で敵国として戦った相手です)

     日本の対ベトナム ODA供与規模・実績(単位:億円)
年度 2017 2018 2019 2020 2021
円借款 1,003.04 0 118.91 0 108.13
無償資金協力 30.43 13.63 30.4 49.6 37.39
技術協力 67.1 64.81 50.15 42.9 48.95

下の写真のニャッタン橋は、首都ハノイ市の紅河にかかる世界最大級の斜張橋です。ハノイ市街と空港との間を結ぶ経路上にあり、IHIインフラシステム・三井住友建設の共同企業体が受注し、日本政府の政府開発援助(円借款で建設されました;

Follow_Up_2025年8月20日_日経新聞;「住友商事、ベトナムで街づくり_総事業費6000億円

ベトナムの歴史 Quick Review

生成AI(ChatGPT、Copilot、Gemini)、ネット情報を使ってデータを集め、これらを纏めた結果は以下の通りです;
<古代>
バクソン文化ベトナム最古の文明
*ベトナムのハノイ北東、ランソン省のバクソン山地周辺で1920年代にフランスの考古学者によって発見・調査された文化で、中石器時代から新石器時代初期にかけての石器文化を指します。特徴的な「バクソン型石斧(木の柄に取り付けた石製の斧)」や打製の礫器、骨角器などが多く出土しており、食料としていた淡水産貝類や獣骨の層も見られます。約1万年前から7千年前に属するとされます

ドンソン文化

*ドンソン文化は、紀元前4世紀頃から紀元1世紀頃にかけて続いたとされています。タインホア省・タインホア市のマー川(馬江)右岸のドンソンに遺跡が存在しており、1920年代、フランス極東学院の考古学者らによって発見され、特徴的な銅鼓が有名になりました;

<中国王朝による支配の時代(紀元前~10世紀)>
*紀元前111年に中国の漢王朝によって征服されて以降、ベトナム北部は約1000年間にわたり中国の支配下に置かれました。この「北属期」と呼ばれる時代には、中国の文化、政治制度、儒教、漢字などが導入され、ベトナム社会に大きな影響を与えました
*西暦40年から43年にかけて漢王朝の南部で。チュン姉妹(徴側・徴弐の姉妹)の反乱がおきました。40年に、ベトナム人の指導者であった徴側とその妹である徴弐が、交趾郡(現在のベトナム北部)に置かれていた漢の交阯太守に反旗を翻しました。42年、漢は、徴姉妹による百越の反乱を鎮圧すべく、馬援を将軍として派遣しました。43年、漢軍は反乱を完全に鎮圧しました。徴姉妹は捕らえられ、漢軍によって斬首されました

<独立王朝時代(10世紀〜19世紀)>
* 938年、呉権(ゴー・クエン)が中国の南漢軍を破り、ベトナムは約1000年ぶりの独立を果たしました。その後、以下のような王朝が興亡を繰り返しながら、ベトナム独自の国家を築き上げました
① 李朝(1009~1225)
*ベトナムで最初の本格的な統一王朝で、都をハノイに定め、中央集権的な統治を目指す一方、儒教が導入され、国が安定

② 陳朝(1225~1400)

この写真はホーチミン市一区メリン広場にあるチャン・フン・ダオ(陳国峻)の像です。彼は安生王陳柳の子として生まれ、陳朝の初代皇帝・太宗の甥にあたる人物で智勇に優れ、将軍として重用されていました。因みに、
1257年モンゴル軍が侵攻してきた時、大越軍を率いてモンゴル軍を大いに破り、逆に追撃するまでの大勝を収めました
@1274年の元寇:文永の役(日本への攻撃)
@1281年の元寇:弘安の役(日本への攻撃)
1282年、クビライが建国した元による侵攻を受けると、元の圧迫に恐れをなした皇帝仁宗が降伏しようと言い出しましたが、チャン・フン・ダオは「戦わずして降伏するくらいなら、私の首を差し出せ」と言って、断固として反対したといいいます。これに勇気付けられた仁宗は徹底抗戦の構えを固め、チャン・フン・ダオは大越軍の総司令官に任じられ、巧みなゲリラ戦を繰り広げて元軍に大勝しました
@ベトナムへの侵攻が失敗したことで、元による日本への3度目の侵攻が行われなかったともいわれています

 ③ 胡朝・明の支配(1400~1427)
*一時的に明の支配を受ける(1400~1428年)

③ 後黎朝(1428~1789) ⇔ 日本の足利時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代
*黎利が明の支配から再び独立を勝ち取り最盛期には南部チャンパ王国を吸収し、南北統一をほぼ達成しました。しかし、内部では阮(グエン)氏と鄭(チン)氏による実質的な分裂状態が続きました。明を追い出し独立回復。長期王朝となる

④ 西山(タイソン)朝(1778〜1802)
*農民反乱から台頭した王朝。短命な王朝でしたが、南北の阮氏と鄭氏の対立を終わらせ、一時的にベトナム全土を統一しました

<阮朝とフランス支配(1802〜1945)>
⑤ 阮朝(1802〜1945)
*初代皇帝 阮福映(ザー・ロン)が統一最ベトナム全土を初めて統一し、フエを都としました。清を宗主国とし、中国の制度を取り入れて中央集権化を進めました。しかし、19世紀半ば以降、フランスが侵略を開始しフランスの保護国となった結果、実質的な国家権力を失い植民地化されました
*1887年:フランス領インドシナが成立(ベトナム、ラオス、カンボジア)。この間、ベトナムではフランスからの独立を目指す運動が活発化します。ファン・ボイ・チャウ(1867年~1940年)などの民族運動指導者が、日本の近代化に学ぼうとするドンズー(東遊)運動などを展開しました
*第二次世界大戦が始まると、1940年には日本軍が北部仏印に進駐し、ベトナムは日本の軍政下に置かれました
ホー・チ・ミンが指導するベトナム独立同盟(ベトミンが結成され、反仏・反日闘争を展開します敗戦後の日本兵の一部もベトミンに参加しディエンビエンフーの戦いにも参加しています

<独立運動とベトナム戦争(20世紀)>
*1945年9月2日:日本の降伏を受けてホー・チ・ミンが独立を宣言「ベトナム民主共和国」樹立
*1946年~1954年:フランスはこの独立を認めずベトナムに侵攻、第一次インドシナ戦争が始まる。1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランスに勝利しました

1954年4月26日:インドシナ和平会談@スイス・ジュネーヴ
*参加国:フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ベトナム国、カンボジア、ラオス王国、ベトナム民主共和国(べトミン)、ソビエト連邦、中華人民共和国
合意内容
ベトナム、カンボジア、ラオスの独立
② 停戦と停戦監視団の派遣
ベトミン軍の南ベトナムからの撤退フランス軍の北ベトナム、カンボジア、ラオスからの撤退
④ ベトナムを17度線で南北に分離し、撤退したベトミン軍とフランス軍の勢力を再編成した上で、1956年7月に自由選挙を行い統一を図る
* 合意はベトナム民主共和国、中華人民共和国、ソ連、フランス、イギリスが署名するも、アメリカとベトナム国(ゴジンジエム政権)は署名しなかった

これ以降;
南北分断の固定化とベトナム戦争(1954年〜1975年)が始まりました。1965年以降から米国の本格介入が始まりました;
*ジュネーブ協定発効後、「南北統一選挙」に期待して、多くの共産主義者が南ベトナムに残っていました。しかしその約束は、南ベトナム政府(アメリカの傀儡政権/ゴジンジエム政権)により一方的に反故されてしまいます。その後、南ベトナム政権による共産主義者狩りは激しさを増し、逃げ延びた共産主義支持者たちは憎悪を募らせている状態でした
こうした中で生き残った南ベトナムの共産主義支持者は、北ベトナムと連携して、ベトナム統一のための戦争の準備(反政府活動)を始めることになります。やがて南ベトナムでは、ベトナム共産主義支持者による反政府テロが頻発し、内戦状態に陥ります

1950年代半ば、北ベトナムは南ベトナムを支援するためにラオスにも侵攻し、ホーチミン・ルートを確立してベトコンを補給・強化していました
1960年
、南ベトナムの共産主義者らを中心に南ベトナム解放民族戦線(ベトコンが発足します。その後ベトコンは北ベトナム軍と連携しながら、より激しく大規模な抵抗活動を展開していきます

1959年には米国は、ケネディ大統領の下で軍事顧問団を派遣することとなりましたが、最初は1000人弱だった軍事顧問が1964年には2万3000人に達し、事実上米軍の介入が始まりました
1964年8月トンキン湾事件発生;
米国のリンドン・B・ジョンソン大統領は、米軍艦が公海上のトンキン湾(実際は北ベトナムの領海)で攻撃されたとの演説を行いました。米国議会は圧倒的多数で大統領がこの攻撃に対し、相応の措置を取ることを認める決議を行いました。この結果、報復として北爆が行われ、1965年2月からは北爆が恒常化する等、米軍がベトナム戦争へ本格介入することとなりました

その後、米軍と南ベトナム軍は、圧倒的に優勢な軍事力を頼りに、地上部隊による苛烈な砲撃、空爆を伴う索敵・破壊作戦を展開しました。また、米軍は北ベトナムだけでなく、ホーチミンルートを提供しているラオスに対しても大規模な戦略爆撃を行いました。米軍に協調してベトナムに派兵した国韓国、オーストラリア、タイ、ニュージーランド、カンボジアラオの6ヶ国です
一方、こうした状況の中で北ベトナムは、ソ連中華人民共和国から派兵は受けないものの、軍事物資に関し全面的な支援を受けていました

1968年1月、テト攻勢
テトとはベトナムの旧正月の事であり、戦争中には祝日には短期間停戦する事となっていましたが、この年は1月30日未明にこの攻勢がかけられました
この戦いで北ベトナム軍とベトコンは南ベトナム全土で攻勢を開始し、同国の主要都市を一斉攻撃すると共にケサンのアメリカ軍基地を攻撃し、都市攻撃と基地攻撃の複合戦で南ベトナムやアメリカを揺さぶりました。この攻撃で同年2月12日までに全44の省都の内34の省都が攻撃を受けました。また、サイゴンのアメリカ大使館はベトコンのゲリラによって一時的に占拠され古都フエ市は一時占領されました
また、首都サイゴンが攻撃を受けたことで、アメリカ軍の劣勢が明らかとなり、増加する死者数は米国民に大きな不信感をもたらしました。特にベトナム帰還兵の証言が戦場の実態を伝えると、一部の学生らは自ら徴兵カードを燃やし、徴兵を拒否するようになりました。このころになると、戦争推進を主張していた米国のタカ派の論調も弱まり、世論の大半はアメリカ軍の撤退を主張するようになりました。ベトナム戦争を正義とする声は少なくなり、誤った戦争であるという意見が多数を占めるようになりました

1968年3月16日、ソンミ村事件
南ベトナムに展開するアメリカ陸軍のうち第23歩兵師団・第20歩兵連隊第1大隊 C中隊のウィリアム・カリー中尉率いる第1小隊が、南ベトナム・クアンガイ省ソンティン県にあるソンミ村のミライ集落(省都クアンガイの北東13km、人口507人)を襲撃し、無抵抗の村民504人(男性149人、妊婦を含む女性183人、乳幼児を含む子供173人)を無差別射撃などで虐殺しました。さらに C中隊が何ら抵抗を受けていなかったにもかかわらず、B中隊が増派され、近隣の集落でも虐殺を行っています

1968年、学生によるベトナム反戦運動の高揚
アメリカの学生運動も、ベトナム反戦とともに大学の官僚的な統制に反発し、大学改革を求める運動として1964のカリフォルニア大学バークレー校に始まり、1968年にはコロンビア大学やハーヴァード大学でも学生が校舎を占拠するなどの過激な運動が展開されました。この学生運動はたちまち全世界に広がり日本でも東大紛争を始め全国の大学にベトナム反戦の嵐が吹き荒れました
* 世界でヒットしたベトナム反戦歌:Peter Paul & Maryの「Where have all the flowers gone」、Bob Dylanの「Blowin’ in the wind
1968年12月、ベトナム駐留米軍の兵力は約54万人に達しています

1969年4月、米軍司令官は、ベトナム戦争でのアメリカ人の死者が33,641人に達し、1950~53年の朝鮮戦争での死者数(33,629人)を上回ったことを確認しました

1969年9月2日、ホー・チ・ミン死去、レ・ズアンが後継者となる

1970年6月3日、北ベトナム軍がカンボジアの首都プノンペンに接近し始めましたが、米軍の空爆によって阻止されました

1973年1月27日、パリ和平会談の結果和平協定成立
米国のキッシンジャー補佐官とベトナムのレ・ドク・トによる秘密交渉が進められ、北ベトナム、ベトコン、南ベトナム、米国の四者によって調印されました。これによってベトナム戦争の停戦米軍の撤退南ベトナムの政治的対立の解決、捕虜の相互解放などで合意が得られました。この合意に基づき、

1973年3月29日、米軍のべトナム撤退が完了
しかし、この和平協定は米国にとっては戦争終結を意味しましたが、南ベトナムの政治的対立の解決が図られたわけではありませんでした。そのためその後も、ベトコンと南ベトナム軍の戦闘は内戦という形で続きました

1975年4月14日:ベトナム共和国大統領ティエウは海外亡命、南ベトナム政権自壊
1975年4月30日、北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)を陥落させベトナム戦争は最終的に収束しました(南部解放の日)

南ベトナム軍・政府関係の高官及びその家族は、先を争って米軍の艦船、航空機に押しかけ米国への亡命を目指しました

1976年7月2日ベトナム社会主義共和国と国名を変え正式に統一が実現しました

1978年12月23日ベトナム軍、カンボジア侵攻 ⇒1979年1月7日、カンボジアのプノンペン陥落
*侵攻の理由:
親中国のポル・ポト率いるカンボジアのクメール・ルージュ政権を打倒し、親ベトナム政権を樹立する為 

1979年1月8日
親ベトナムのカンプチア人民共和国 (PRK) がプノンペンで建国され、10年に及ぶベトナムの占領が始まりました(⇒ 1989年9月26日、カンボジアから完全撤退しました)

1979年2月17日
、中国軍がベトナム北部国境全域に侵攻。中越戦争勃発
*侵攻の理由:中国はカンボジアのポル・ポト政権を支持しており、ベトナムの行動を「ベトナムの覇権主義」と非難していました
1979年3月18日、 中国軍完全撤退
中国撤退の理由;ベトナムは中国軍の侵攻に対し、正規軍・民兵を動員して激しく抵抗した。その結果、中国は兵站の困難・地形の複雑さ・民間の敵意などに直面し損害が増大した。また、ソ連はベトナムの同盟国であり、実際にシベリア軍管区や極東のソ連軍を動かすなど、中国への牽制を強化した。この結果、長期戦になれば不利と判断した可能性が高いと言われています

1986年12月15日、ベトナム共産党第6回大会(~18日)でドイモイ(刷新)政策発動 ⇒ 市場経済の導入により、その後急速な経済発展を遂げました

傘寿のベトナム旅行 雑感

コロナ騒動以降、病気療養に明け暮れた数年間を経て久し振りの海外旅行でしたが、短い旅程の割には収穫の多い旅でした。以下、旅行中に感じた幾つかの印象に残ったことを書き綴ってみたいと思います
我々日本人にとって、戦跡を訪ねることは辛い事ですが、ベトナム人にとっては国の誇り、自身の勇気を取り戻す機会になっていると感じました;
ィエンビエンフーの戦跡見学


ディエンビエンフーの戦いが、フランス軍の要塞が深い塹壕などによって堅固に守られていたことから、ベトミン軍にとっても厳しい戦いであったことが理解できました(←日露戦争・203高地の要塞戦では勝ったものの、日本軍には甚大な犠牲者がでたことは良く知られています)
以下の写真は、フランス軍が最後の抵抗を行った「A1の丘」と呼ばれている戦跡です;

降伏したフランス軍;

* ホー・チ・ミン博物館
どこかの国の様に、国家の指導者を神格化するのではなく、ホー・チ・ミンは建国の父として国民に愛されています。貧しい家庭に生まれたホー・チ・ミンの生涯は波乱万丈で、若い頃は右の写真のように、ロンドンのカールトンホテルでウェイターをしていたこともありました

博物館のお土産のコーナーに以下の「子供向けの」ものがありました;


このお土産には子どもに伝える以下の5つのことが書かれています;
祖国を愛し、人々を愛しなさい、② よく学び、よく働きなさい、③ 良い団結、良い規律、④ 良い衛生状態の維持、⑤ 謙虚で正直で勇敢であれ
ベトナムでは、子供たちにホー・チ・ミンを「ホーおじさん」と呼ばせていることからわかるように国の指導者を「愛する存在」となるよう工夫している事がわかります

* ベトナム軍事歴史博物館

ここでは、フランス軍との戦い、米国・南ベトナムとの戦いで勝利した結果、多くの敵の兵器を鹵獲(敵の武器・弾薬等を奪うこと)したものを屋外に展示しています。また、左上の写真は破壊された武器類を積み上げてモニュメントにしたものです。私が学生時代にベトナム戦争のニュースでよく見た軍用機が沢山展示されており、感慨深いものがありました

* 戦跡や博物館の記録、ベトナムの歴史を調べて実感した「ベトナム人の強さ」
ベトナム人は、理不尽な敵に対しては以下の歴史が教える通り、多くの犠牲を出しながら勇敢に戦い勝利を収める強さを持っています;
① 陳朝時代((1225~1400))の将軍・チャン・フン・ダオ(陳国峻)に率いられたベトナム人は、アジア・ヨーロッパを征服したモンゴル軍を二度に亘って撃退しました
② 第二次大戦後、日本の降伏の機会を捉えて再びベトナムの植民地化を推し進めようとしたフランスに対して戦いを挑み、1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランスに勝利しました。この長い戦争で、フランス軍とフランスの支援をしたベトナム人の死者は併せて16万人であったのに対し、ベトミンとその支援者の死者も16万人に達したと言われています
③ 1960年以降のベトナム戦争では、米軍は約5万8千人の死者を出したのに対し、ベトナム人は併せて(北ベトナム軍、ベトコン、南ベトナム政府軍、一般民衆)200万人の死者を出したと言われています

* 戦いに勝利した後、敵に対して示す「ベトナム人の優しさ」
ベトナム近代史を振り返ると、フランス植民地時代の圧政、米国及びその同盟国との苛烈な戦争と戦争犯罪非人道的な無差別爆撃/北爆・枯葉剤散布、住民の無差別殺害)、ベトナム戦争終了後に中国から仕掛けられた侵略戦争、などに苦しめられたはずなのに、現在これらの国々との友好関係を構築しています

* ハノイ市内で感じた「ベトナム人の美しい心映え」
ハノイ市内は、娘が手配してくれた車での観光でしたが、結果として助手席に座ることが出来たことからハノイの現在の交通事情をつぶさに観察できました。20年前にホーチミン市を旅行した時は「車・バイク・人が交通ルール無視で大混乱の状態だった」という印象でしたが、今回は全く違う印象を持ちました(ハノイの交通事情)。トラック、乗用車、バイク、自転車、人がそれぞれ交通弱者を大切にして強者が弱者に譲ることで水の流れの様に実にスムース流れていく」状態であることに気が付きました。偶に短いクラクションも聞こえましたが、これは自身が近くの車の死角となる状況になった時に軽く存在を知らせるために鳴らしていることも理解できました。ベトナム人の美しい心映えが現れている交通ルールだと感動しました

あとがき

ある国の行動を本当に理解するには、国家が国民に何を期待しているのかを知る必要があると私は考えています。それには国歌で歌われている歌詞を理解するのが一番だと思います
日本や英国の様に、国の象徴たる国家元首が歴史的な存在である場合には「君が代」や「英国国歌」の様にそれぞれ天皇陛下、英国国王の永遠の繁栄を祈る内容になっています。
一方、外国との熾烈な戦争を勝ち抜いて独立を果たした国々の国歌は、歌詞の内容が全く異なります。因みにフランスの場合、国歌「La Maruseillaise」は周辺の列強の干渉を打ち破る革命軍の進軍歌が元になっており、米国の国歌「The Star Spangled Banner」はイギリスからの独立戦争の英雄的な行為が歌詞になっています。また、中国国歌「義勇軍行進曲」をお聞きになると、抗日戦争時の共産軍の進軍歌がベースになっており、日本との闘いの際に国民を鼓舞する勇ましい歌詞になっています

ベトナムの国歌」は、ホー・チ・ミンが創立し、外敵に対して戦いを始めたベトミンの進軍歌をそのまま使っており、国民は他国の侵略に対しては命をかけて戦うことを期待されていることが分かります
日本は、13世紀の元寇以降、他国を侵略することはあっても侵略されたことはありません。ロシアや中国という覇権主義国と国境を接する日本は「平和を愛する国民」というだけで国の安全が保たれるのか?とふと疑問に思いました

以上

冬・春収穫野菜栽培の結果報告と夏野菜の準備状況

はじめに

今年の2月中旬、長年悩んでいた腰の痛み・脚の痺れの原因となっていた「脊柱管狭窄症」を根本的に治療する為に入院・手術を行いました。手術後に脚の痺れ等の後遺症は残りましたが、執刀医の話によれば手術そのものは成功したとのことですが、手術後5月中旬まで厳しい運動制限(重いものは持たないこと;腰を捻る動作をしないこと、など)を課せられたため、収穫作業や夏野菜の準備作業、及び栽培用コンテナの土の再生作業は困難を極めました。昨年購入した「電動小型耕運機」を最大限活用すると共に、相当程度「手抜き」を行い、漸く6月中旬迄に大型コンテナを使う冬・春野菜の収穫を済ませ、夏野菜の苗の植付をほぼ完了いたしました。以下はそのご報告です

冬・春野菜の収穫状況

<ジャガイモ・タマネギ>
見出しの写真は、5月末から6月初めにかけて収穫したジャガイモとタマネギの写真です。ジャガイモは大・中・小併せて13.7キログラム、タマネギは生食用の赤いタマネギ6.3キログラム白いタマネギ11.2キログラム収穫できました。この収穫量は例年並みと思います
*ジャガイモに関する実験;
後述するキャベツの収穫がかなり遅れた為、またジャガイモの植付に使っていたコンテナが使えなかった為、ナスの栽培に使っていた丸い縦長のコンテナに2株づつ植えてみました。ジャガイモがナス科に属することによる生育上の問題が発生しないか心配しましたが、特に問題は起こりませんでした
ジャガイモ栽培の初期段階で沢山出てくる芽を「芽掻き」と言って1~2本の芽を残して掻きとってしまう事が常識となっていますが、いつも「勿体ないな!」と思っていました。今回、掻きとった芽に根が付いているものがあったので2本だけ植えてみた所、この芽からも少量ながらジャガイモが収穫できました
*タマネギに関する実験;

タマネギを寒さと乾燥から守るために、株間に黒色のゴミ袋を使ったマルチ(まがい?)と藁を敷いてみましたが、霜が防げたことと大きなタマネギを収穫できたことから、多少は効果があったような気がします

<野沢菜・高菜>
既に「2024年一年間の屋上栽培のレビュー」で報告済みですが、野沢菜・高菜は1月末に収穫して直ぐに漬物にしました。野沢菜については既に食べつくし、高菜については現在もなお楽しんでいます

<白菜・キャベツ>
白菜・キャベツの植付については、腰痛治療の影響で若干遅れてしまいました。結果として白菜については通常の収穫時期(1月~2月)迄に結球せず、三月に入ると結球しない葉は「生のままの千切り」、「さっと熱湯に通した千切り」として食べた他、菜の花として食べることしかできませんでした
一方、キャベツについても通常の収穫時期(1月~2月)迄に結球しなかったものの、菜の花が出た株は一部のみにとどまり、4月以降にキャベツとして収穫できました。ただ、硬く結球しており葉もやや硬く、食味も芳しくありませんでした
最後に収穫したキャベツ(6月1日)は以下の写真の通りです;

今収穫している春野菜の収穫状況

<春大根・ズッキーニ・ビーツ>
春大根は、やや小ぶりであるものの、食味は冬大根と変わりありません。糠漬け、大根おろし、煮物に便利に使っています。また、春大根は中型コンテナ2ヶで12本も収穫できる優れものです
ズッキーニは、大型コンテナに4本栽培していますが、最盛期には1日2本~4本収穫可能です。この時期の収穫が間に合わないキュウリの代わりに糠漬けにしたり、薄くスライスして生野菜サラダで楽しむことができました
ビーツは北欧でよく食べられている野菜で、エストニア関連の仕事をしている妻が色々な料理を作ってくれますが、私のお勧めは茎や葉を軽く茹で、ポン酢であえた料理です

<インゲン・小人参>

インゲンは何の料理にも使える便利な野菜です。小人参は10~15センチの小ぶりの人参ですが、人参本体も葉も採りたての生食がお勧めです。小人参は、中型コンテナで20本以上収穫可能な優れものです

<野イチゴ>
変わり種の野菜ですが、小さな標準コンテナで、毎日非常に小さな実を10粒くらい収穫できます。収穫の度に冷凍していますが、現在下の写真の右側の通りです。もう少し収穫したらジャムにして楽しむつもりです;

<ハーブ類>
例年通り以下のハーブを栽培しています。尚、同居している次男の要請でタイムも最近種蒔き(芽が出たところ)をしました;

<子カブ>
小カブは、種を撒いてから1ヶ月以内に収穫可能なので、赤・白2種類の種を撒いて生野菜サラダに頻繁に使っています。今回からは収穫が途絶えない様に以下の写真の如く中型コンテナを赤・白用に2段に分け、更に各段を左右に分けて、収穫しながら栽培が可能な様にしています;

<レタス類>
冬中「レタス」と「リーフレタス」を生野菜サラダで楽しんできましたが、収穫を続けていたリーフレタスは5月に入って収穫が完了し、現在種まきをして芽が出てきた段階です
4月頃種蒔きをしたレタスは、現在右の写真の通りもうすぐ収穫期に入ります

夏野菜の育成

はじめに」で述べた通り、大型コンテナを使う夏野菜は「種から育てるというマイルール」を貫徹するには、「プラスティック・ポッドへの種蒔き⇒大型コンテナの土の再生⇒植付」のプロセスを、以下の様に労働が集中しない様に数段階に分ける必要がありました;
2月下旬から和室の窓際に設置した「発芽装置(熱帯魚用ヒーターを使い、温めた水に苗のセルを入れたトレーを浮かべて温度管理を行う)」で発芽させる
発芽した苗を屋上の「育成装置(上記と同じ仕組み)」で苗を成長させる

ある程度成長した苗を、より大きなプラステイック・ポッドに植え替え(苗をより大きくするため)、コンテナの土の中に植え込む(水の管理を容易にするため
大きく育てた苗を大型コンテナに植え替える(5月下旬~6月上旬)

<キュウリ>
キュウリについては昨年までの2年間、7月中旬に枯死してしまうということがあったので、今年は種の選択から始めました。その結果、多少高いものの暑さに強いはずということで、「Vシュート(種一粒が約100円)」というベトナム産の種を購入しました
キュウリの現在の生育状況は以下の通りです;

6月初旬からぼつぼつ収穫が始めりました。6月20日に収穫したキュウリの写真;

生食をしてみた所、心なしか甘く、食味は最高でした!

<トマト>
トマトについても昨年は、満足する収量が得られなったので、今年は酷暑に耐える種の選択から始めました。その結果選んだ二種は「麗月(中トマト)」と「甘っこ(ミニトマト);これも種一粒が約100円)」です

生育状況は左の写真の通りです
合計21本のトマトを大型コンテナに植え付けており、近い内に収穫が始まります

<ナス>
ナスの種については、例年通り「F1・むらさき娘(中ナス)」、「泉州水ナス、「ヘタ紫茄子(小茄子)」を使いました;
合計12本のナスを大型コンテナに植え付けており、7月中旬ごろには収穫が始まると思われます

<サツマイモ類>
昨年、家族の評判が良かった「紅はるか」4株と併せ、食用として購入した「行方・紅まさり」に芽が出てきたため、その芽を水耕栽培(右写真参照)して根を出させた後に2株に切り分けて植え付けています。生育状況は以下の通りです;

これとは別に、筆者の友人から頂いた「紫大薯(ムラサキダイショ)」の種イモ(3ヶ)も植え付けましたが、現在僅かに芽が出たところです

<唐辛子類>
拙宅で需要の多い唐辛子については、今年は「鷹の爪」をメインとして、「ハラペーニョ」と、昨年お土産で買ってきた「水上唐辛子」、「蓼科唐辛子」の種を取り育ててみました。これらは、例年通りタマネギを育てたコンテナで育成しています

<ネギ類>
昨年、9月末に種まきしたネギは、以下の写真の様に育っていますが、未だに収穫するに至っていません。やはりもう少し勉強が必要です
*ネギに関する実験;
今年育てているネギについては、深いコンテナを使うことをせず「肥料の袋」を巻き、成長する毎に間に土を補充して育てる方法を採っています。扨て、立派な長ネギができるかどうか?

昨年冬に購入した長ネギは、乾燥した根が付いているものが多く、勿体なので根の上1センチくらいで切り落とし、これを土に植えてみました。一週間もしないうちチャンと茎が伸びてきました。現在半年近く経って以下の写真の様に成長しています。まだ食べていませんが、なんか行けそうな気がします!

以上

ロシアによるウクライナ侵攻とヨーロッパ諸国の軍拡の状況

はじめに

筆者の妻が長年日本・エストニア友好協会の事務局をやっている関係で、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、その他の北欧諸国(フィンランド、スウェーデン、ノルウェイ他)の情報がよく手に入ります。昨今、これらの国々からの物騒な情報が増えてきました。これらの国々は、徴兵制復活ロシアとの国境警備の強化スウェーデンはバルト海にあってロシア領と対峙するゴットランド島の防衛強化などを行うようになりました
これらの国々とロシアとは、以下の地図をご覧になるとお分かりになると思いますが、極めて長い国境線を共有しています;

歴史的に、これらの国々は度々ロシアからの侵略(後述)を受けてきました。今回のウクライナ侵攻は、まさしく他人事ではない事態であると国民の大多数は受け止めていると思われます

大国による小国の侵略に関しては、アジアにおいても急速に軍事大国となった中国が台湾海峡の緊張を生み出すと共に、南シナ海や東シナ海においても理不尽な領土要求を行って緊張を高めています
こうした国際情勢の中で、日本がどのような安全保障上の準備をしなければならないか勉強する為に、大国であるロシアが過去どのような侵略戦争を行ったか、それに対してロシアの侵略に欧州の小国がどのような苦難を味わってきたかを調べてみました

ロシアによる侵略と領土拡大の歴史(Quick Review)

現在のロシアのウクライナ侵攻とヨーロッパ各国の対応の根源には、ピョートル1世(下記北方戦争勝利によりピョートル大帝と呼ばれています)から始まる以下の侵略戦争の歴史を辿る必要があります。以下は、生成AIや他のネット情報に基づき作成してみたものです
以下は18世紀初期の北ヨーロッパの状況を表す歴史地図です(ネットには適当な歴史地図が載っていなかったので、筆者の高校時代の世界史の授業で使った懐かしい!歴史地図をコピーしました)

<ロシア帝国(1721年~1917年)時代>
ロシア帝国は、ピョートル1世(大帝)によって1721年に成立し、20世紀初頭までに広大な領土を支配する様になりました

【ピョートル1世(在位:1682年~1725年)】の時代
① 北方戦争(1700年~1721年)
バルト海への進出を目的にスウェーデンと長期に亙って戦って勝利し、エストニアラトビアリトアニアの一部とカレリア(ロシア・フィンランド北部国境地帯)などを獲得しました

女帝エカテリーナ2世(在位:1762年~96年)】の時代
② ポーランド分割
ロシアは西方への領土拡大を企図し、プロイセン、オーストリアと共に弱体化したポーランド・リトアニア共和国を3度に亘り(1772年、1793年、1795年)攻撃した結果、ロシアは現在のベラルーシウクライナ西部リトアニアの一部を獲得しました。3ヶ国の分割支配の状況は下図参照;

【アレクサンドル1世(在位:1801年~25年)】の時代
<ナポレオンのロシア遠征(1812年)> 

ナポレオン軍の死者数: 約 40万~45万人(戦死・病死・凍死・餓死の合計)
ロシア軍の死者数:約 15万~40万人(戦死・病死・凍死を含む)
尚、ロシア国内での戦闘や焦土作戦により、数十万人の民間人も犠牲になったと推定されています
参考:この戦争については、ロシアの文豪トルストイが長編小説にしています。文学に関心のある方は読んでおられると思います。そのあらすじと映画の予告編をご覧になりたい方は以下をクリックしてください:戦争と平和あらすじ

【アレクサンドル1世(在位:1801年~25年)⇒ ニコライ1世(在位:1825年~55年)⇒アレクサンドル2世(在位:1855年~81年)】の時代
③ コーカサス戦争(1817年~1864年)

コーカサス地方の制圧を企図してチェチェン、ダゲスタン、ジョージアなどと戦争を行った結果、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンを併合しました

④ シベリア進出(16世紀~19世紀)

東方への領土拡張を企図し、 先住民族(ヤクート、ブリヤートなど)、及び清と戦い、 1689年のネルチンスク条約、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約によりアムール川流域と沿海州を獲得した

【アレクサンドル2世(在位:1855年~81年)】の時代
⑤ クリミア戦争(1853年~1856年)
クリミア半島とバルカン半島への影響力拡大を企図し、オスマン帝国イギリスフランストルコ帝国などの連合軍と戦った結果、ロシアは敗北し
南下政策は挫折しました

この戦争の戦死者:ロシア帝国:約13万人、連合軍側:約7万人

【ニコライ2世(在位:1894年~1917年)】の時代
⑥ 日露戦争(1904年~1905年)

朝鮮半島と満州の支配を企図して日本と戦った結果、日本に敗北し南樺太の日本への割譲と満州の利権(南満州鉄道に関わる利権)を日本に譲渡しました
この戦争の戦死者:日本:約9万人、ロシア帝国:約8万人

<第一次世界大戦、1914年~1918年>
ロシア帝国は1914年に戦争に参戦し、東部戦線でドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国と戦いました。戦争中に発生したロシア革命(1917年)により戦争の継続が困難となり、1918年戦争終結前にブレスト=リトフスク条約を締結して戦争から離脱しました

ロシア軍人の死者数:約170万人~200万人民間人の死者数:約160万人~190万人(戦争による飢餓や病気を含む)

<ソビエト連邦(1922年~1991年)の時代>
【 スターリン(統治期間:1924年~1953年)】の時代
ソビエト連邦は、共産主義の拡大と安全保障を目的に領土拡張を行いました
1939年8月、ソ連(スターリン)はドイツ(ヒトラー)との間で通称・独ソ不可侵条約(正式には「モロトフ=リッベントロップ協定」)を結びました。公表された条文は相互不可侵および中立義務のみでしたが、同時に結ばれた秘密議定書では東ヨーロッパとバルト三国、フィンランドをドイツとソビエトの勢力範囲に分け、相互の権益を尊重しつつ、相手国の進出を承認するという性格を持っていました。以下はその条約に沿ってソ連による侵攻が行われました

<ノモンハン事件 1939年>
日本側(関東軍)の死者・行方不明者:約 18,000人
ソ連軍・モンゴル軍の死者数: 約 9,000人~10,000人

⑦ ソ連のポーランド侵攻(1939年)
 ポーランド東部(現在のウクライナ、ベラルーシの一部)を占領しました
⑧ バルト三国併合(1940年)
西側勢力の影響を排除し防衛線を強化する為に、1918年に独立したばかりのエストニア、ラトビア、リトアニアを再び占領し、1991年ソ連崩壊まで続いた
⑨ フィンランド侵攻(冬戦争・1939年~1940年)
防衛線を強化する為にフィンランドに侵攻、フィンランドの領土の一部(カレリア地方)を獲得するも、フィンランドの独立は維持されました
⑩ ルーマニア領侵攻(1940年)
 ルーマニアに侵攻し、 ベッサラビアと北ブコビナを併合、ソ連領(現在のモルドバ)としました

<第二次世界大戦 1939年~1945年>
ソ連(ソビエト連邦)の死者数は、約 2,400万人~2,700万人 と推定されています。これは戦争に参加した国の中で最も多い犠牲者数です
参考:太平洋戦争における日本人の戦死者、戦病死者、民間人の死者の合計は約320万人と言われています。ロシア人の死者が如何に膨大であったかが分かると思います

⑪ 第二次世界大戦後の東欧支配
第二次大戦後、侵攻した国々(ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、東ドイツ)に親ソ政権を樹立し、冷戦時代の東側陣営を形成し、実質的にソ連の影響下に置きました

【 ブレジネフ(統治期間:1977年~1982年)】の時代
⑪ アフガニスタン侵攻(1979年~1989年)

共産主義政権の支援と親ソ政権の維持するためにアフガニスタン侵攻したものの、ゲリラとの長期戦の末に撤退しソ連の崩壊を加速する結果となりました

<ロシア連邦(1991年~現在)の時代>
ソビエト連邦の崩壊後、ロシア連邦も軍事侵攻を行い、影響力を拡大しようとしました。

【 エリツィン(統治期間:1991年~1999年)】の時代
⑫ 第一次チェチェン戦争(1994年~1996年)
ソ連邦内のチェチェン共和国の独立を阻止する為に侵攻しました

【 プーチン(統治期間:1999年~現在)】の時代
* 第二次チェチェン戦争(1999年~2009年)
チェチェンを制圧し、ロシアの支配下に置きました
⑬ グルジア(ジョージア)侵攻(2008年)

南オセチアとアブハジアの親ロ派勢力支援し、事実上のロシア支配下に置きました
⑭ クリミア併合(2014年)
ウクライナ領のクリミヤに電撃的に侵攻し、住民投票を経てロシアが一方的に併合しました。しかし国際的には違法とされています
⑮ ウクライナ侵攻(2022年~現在)
ウクライナがNATO加盟を目指すなどの親欧米路線を阻止する為に電撃的に侵攻を始め現在に至っています

ピョートル1世以降、現在に至るまでのロシアの他国に対する侵略は、ウクライナを含め上記の通り15回に及び、これに伴うロシア側の死者数も膨大な数に上っています。この様な膨大な犠牲を払っても領土の拡張に執念を燃やすロシアの様な国に対しては、単なる平和国家を標榜しているだけでは国を守ることはできないと思われます
現在のプーチン大統領がピョートル1世(大帝)とエカテリーナ2世を尊敬していることは良く知られています。この二人の皇帝がロシアの近代史の中で最も領土を広げた統治者であったことはプーチンの行動を考えると頷けるような気がします

顧みればわが国もロシアのみならず、覇権国家である中国、北朝鮮と国境を接しており、中国が台湾に侵攻を開始したり、北朝鮮・韓国の戦争が勃発すれば日米安保条約に従って我が国が核兵器を含む攻撃を受ける蓋然性は高いと言わざるを得ません。こうしたことを考えると、今回のウクライナ危機に対して NATO諸国、就中バルト三国のロシアによる侵略の危機に対して、どういう準備をしているかを勉強することは意味があるのではないでしょうか。筆者が勉強した結果を以下に紹介します

周辺諸国の対応

1.NATOへの加盟
これまで、ロシアに対しての中立を保っていたフィンランドは2022年4月に加盟しました。また、クルド問題で加盟が遅れたスウェーデンも2024年3月にNATOに加盟しました

NATOは、ロシアのウクライナ侵攻以降、米国と共にウクライナに武器援助を行っています。特にNATOの中でポーランドは旧ソ連軍による大量虐殺事件(カチンの森事件)の被害国という歴史的背景から、真っ先にウクライナへ戦闘機供与を行いました。一方、プーチンの核攻撃の脅しに対して最近核保有国のフランスは、核抑止力を他のNATO諸国に提供する可能性を示唆しています。
元々NATOは第二次大戦後、ソビエト連邦を中心とする東欧共産圏の国々に軍事的に対峙する為に作られた軍事同盟であり、NATO加盟を希望して果たせないでいるウクライナがロシアに屈すれば、次は自国に危機が及ぶと考えるのは自然なことと思われます

現在の覇権国(ロシア、中国)と民主主義国(米国、G7)の対立は、第二次大戦の枢軸国(ドイツ、日本、他)と連合国(米国、英国、他)の対立の構図とよく似ています。第一次大戦の反省から生まれた国際連盟が、大規模な国際紛争の平和的解決に役立たなかったことから生まれた国際連合は、大戦の戦勝国が常任メンバーなった安全保障理事会で平和的に国際紛争を解決するはずであったものの、常任理事国が当事者となる国際紛争では、拒否権の行使によってその役目を果たせなくなっています
ロシアのウクライナ侵攻に関しても、明確に国際連合憲章第2条に違反していることが明らかであるにも関わらず安全保障理事会は平和の為の機能を発揮することが出来ず現在に至っています

2.徴兵制の導入、強化
ロシアと国境線を有する国々はいずれも徴兵制を導入しており、現在の状況は下表の通りです;

国名 徴兵制 対象
スウェーデン あり(2018年再導入 18~47歳の男女(選抜制)
ノルウェー あり(男女平等徴兵) 19~44歳の男女(選抜制)
フィンランド あり(厳格徴兵) 18~60歳の男性(女性は志願)
エストニア あり 18~27歳の男性(女性は志願)
ラトビア あり(2024年より段階導入 18~27歳の男性
リトアニア あり(2015年再導入 18~26歳の男性(女性は志願)

3.その他の対ロシア防衛体制の強化
① フィンランド
* 地雷禁止条約(オタワ条約)脱退
フィンランド軍、幹線道路で離着陸訓練
② バルト三国エストニア、ラトビア、リトアニア);
三国共同で「バルト防衛線」を計画し、ロシアおよびベラルーシとの国境沿いに防衛施設を構築しています。この計画には、各国境に600以上のバンカー(掩体壕:左の写真参照)や対戦車壕の建設が含まれています

ポーランド
ポーランドは2024年末までにロシアおよびベラルーシとの国境沿いに防衛線を構築する計画を進めています
④ ドイツ・リトアニア;
ドイツは第二次世界大戦以降初めて、約 5,000人規模の装甲旅団をリトアニアに恒久的に駐留させることを決定しました。​これはロシアのウクライナ侵攻を受けた対応で、NATOの東側防衛を強化する目的があります
*Follow_Up:2025年5月28日_日経新聞/欧州安保「強いドイツ」許容 戦後初の国外常駐、徴兵制復活も

⑤ スウェーデン
スウェーデン・ゴットランド島の防衛強化状況
ゴットランド島はバルト海中央にあり、バルティック艦隊の基地のあるロシアの飛び地・カリーニングラードに対置しています

⑤ EU(​欧州連合)
EUは、ロシアおよびベラルーシとの国境監視を強化するため、電子監視機器の更新や通信ネットワークの改善、移動式探知機器の配備、ドローン侵入対策などに1億7千万ユーロの資金を提供しています

4.NATO諸国の防衛費増額
NATOの主な加盟国のGDPに占める国防費の割合については以下の表をご覧ください。2021年から2024年にかけてロシア周辺諸国を中心に急激に防衛費が増額されていることが分かります

Follow_UP:以下の記事は、Aviation Week_August 11-31’2025 に掲載されていたフランスとドイツの軍事費の伸びのグラフです

5.国民を戦災から守る施策
最近、スウェーデンが国民及び国内に在住する外国人全員に配布した以下の「自身の命を守るための対処法」を入手しました:

英語が得意な方!はこのパンフレットの英語版をご覧ください;スウェーデン_In case of crisis or war

パンフレットの内容を以下に日本語訳してみました;
[危機または戦争が起きた場合]

このパンフレットはスウェーデンの全世帯に配布されています
スウェーデン政府を代表して。内容については、スウェーデン民間緊急事態庁 (MSB) が責任を負っています
このパンフレットは、スウェーデン語、Easy Swedish、英語で注文でき、他の多くの言語でデジタルダウンロードできます。スウェーデン手話、音声形式、点字でも利用できます。詳細については、msb.se をご覧ください
このパンフレットは安全な場所に保管してください

スウェーデン緊急事態庁(MSB) 651 81 カールスタード msb.se
イラスト:パトリック・ベルク
出版番号:MSB2400 – 2024年11月
ISBN:978-91-7927-529-73

スウェーデン在住者の皆様へ
私たちは不確実な時代に生きています。現在、世界の片隅で武力紛争が起こっています。テロ、サイバー攻撃、偽情報キャンペーンが、私たちを弱体化させ、影響を与えるために使用されています。これらの脅威に抵抗するには、団結する必要があります
スウェーデンが攻撃された場合、誰もがスウェーデンの独立と民主主義を守るために自分の役割を果たさなければなりません
私たちは愛する人、同僚、友人、隣人とともに、毎日回復力を高めています
このパンフレットでは、危機や戦争に備えてどのように準備し、行動するかを学びます。あなたはスウェーデンの総合的な緊急事態対策の一部です

目次
1.不確実な時代だからこそ、備えが大切
2.スウェーデンを強くするために力を合わせよう
3.スウェーデンの防衛
4.警戒態勢の強化
5.全面防衛義務
6.警報システム
7.空襲時に避難する
8.家庭での備え
9.避難
10.民間防衛シェルター
11.心理的防衛
12.デジタルセキュリティ
13.テロ攻撃
14.出血を止める方法
15.異常気象
16.病原体
17.特別な支援が必要な場合
18.ペットを飼っている場合
19.心配な場合
20.危機や戦争について子供に話す
21.重要な電話番号

1.不確実な時代だからこそ、備えが大切
不確実な時代においては、備えることが重要です。軍事的脅威のレベルは高まっています。最悪のシナリオ、つまりスウェーデンへの武力攻撃に備える必要があります。戦争は自由に対する究極の脅威です。軍事的暴力が権力を握るために使われると、自由で独立した生活を送る権利が脅かされます。しかし、武力紛争以外にも、サイバー攻撃偽情報キャンペーンテロ破壊活動など、社会に影響を与え、弱体化させる方法はあります。こうした種類の攻撃はいつでも発生する可能性があります。現在も発生しています。自由を当然のことと考えることは決してできません。たとえ犠牲を払う必要があるとしても、私たちの開かれた社会を守る勇気と意志は不可欠です。スウェーデンが攻撃されても、私たちは決して降伏しません。それに反する主張は誤りです。その他の深刻な脅威

また、次のようなその他の深刻なリスクや脅威に対する耐性を強化する必要があります
*異常気象
*危険な病原体
*重要な IT システムの停止
*組織犯罪

2.スウェーデンを強くするために力を合わせよう
危機や戦争の際には、私たち全員がスウェーデンの回復力に貢献する必要があります。政府機関、地方自治体、自治体は、私たちの安全が脅かされたときに大きな責任を負います。たとえば自治体は、病人や高齢者の世話をし、育児や救助サービスが可能な限り中断されないようにします。民間部門も私たちの備えに貢献しています
深刻な事件が発生した場合、援助は主に最も必要としている人々に重点を置く必要があります。つまり、私たちのほとんどが少なくとも1週間は自力で対処できなければなりません

私たちの集団的備えに参加できる方法の例をいくつか挙げます;
*スウェーデンの総合防衛システムの枠組みの中で特定の任務を担う自発的な防衛組織に参加します。他にも重要な役割を果たす非営利団体や宗教団体があります
*緊急CPR(心肺蘇生法)のコースを修了します。 • 可能であれば献血をしてください
*地域社会の他の人々と、集団的な備えを強化する方法について話し合います。たとえば、同じアパートや住宅街の隣人と話し合ってください

3.スウェーデンの防衛
スウェーデンの総合防衛システムは、軍事防衛と民間防衛で構成されています。スウェーデンは NATO の集団防衛にも参加しています。
軍事防衛
スウェーデンの軍事防衛は、スウェーデンとその NATO 同盟国を武力攻撃から守り、国境を守り、紛争解決を支援します。軍事防衛は、スウェーデン軍と、スウェーデンの軍事防衛を支援することを主な任務とする政府機関で構成されています
民間防衛
民間防衛には、政府機関地方自治体自治体民間部門非営利団体とともに、スウェーデンに住むすべての人が関与しています。民間防衛の最も重要な任務の 1 つは、軍事防衛を支援することです。もう 1 つの主な任務は、国民を保護し、戦時中であっても、可能な限り重要な公共サービスが中断されないようにすることです。重要な公共サービスには、エネルギー医療輸送が含まれます。 NATO におけるスウェーデン
スウェーデンは軍事同盟 NATO に加盟しています;
同盟の目的は、加盟国が団結して強力になり、他国による攻撃を抑止することです。それでも NATO 加盟国が攻撃された場合、同盟の他の国がその国の防衛を支援します。つまり、全員が 1 人のために、1 人が全員のためになるのです


4.警戒態勢の強化
戦争または戦争の脅威が発生した場合、スウェーデン政府は国の防衛能力を向上させるために警戒態勢の強化を発表する場合があります
警戒態勢の強化には、侵略者に対して団結し、重要なサービスと機能が中断されないようにする必要があります。そのような事態が発生した場合、さまざまな役割を担うよう求められることもあります

警戒態勢の強化に関する発表は、ラジオ、テレビ、テレテキストなど、さまざまなチャンネルを通じて放送されます。緊急警報は、最高警戒態勢を知らせるために使用される場合もあります
緊急警報は、スウェーデンが戦争状態にあるか、武力紛争の差し迫った脅威にさらされていることを知らせます。全防衛部隊を直ちに動員し、全員が戦争に備えなければなりません。

5.全面防衛義務
完全防衛義務
16 歳になった年から 70 歳になる年の終わりまで、あなたはスウェーデンの完全防衛の一員となり、戦争または戦争の脅威が発生した場合に奉仕することが義務付けられます
完全防衛義務は、スウェーデン国内または海外に住むすべてのスウェーデン国民に適用されます。完全防衛義務は、スウェーデンに居住する外国人にも適用されます。完全防衛義務は、次のもので構成されます;
*軍事または民間防衛サービス。警戒態勢が強化されている間は、戦時配置で指定された場所に直ちに移動する必要があります
*一般的な国家奉仕。スウェーデン政府が一般的な国家奉仕を発動した場合、あなたは職場に留まるか、スウェーデンの完全防衛システムを支援する他のタスクを実行する必要があります
警戒態勢が強化されている間は、特定の戦時配置が割り当てられていない限り、通常どおり仕事に行きます

6.警報システム
重大な事故、危機、戦争の脅威、または戦争が発生した場合、さまざまな方法で警報が発せられることがあります
さまざまなサイレンの意味を学びましょう;
屋外警報;
大音量のサイレンを使用する屋外警報システムは、スウェーデンのほとんどの自治体と原子力発電所の周辺で運用されています
このシステムは、3 月、6 月、9 月、12 月の最初の祝日でない月曜日の午後 3 時 (15:00) にテストされます

公共広告 (PSA)
このサイレンは 7 秒間鳴り、その後 14 秒間沈黙します。このパターンは 2 分間繰り返されます;
屋内に入り、すべての窓とドアを閉め、可能であれば換気をオフにします。詳細については、スウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio のチャンネル P4 を聞いてください。
緊急警報および情報システムである PSA (公共広告) は、緊急事態で使用されます。たとえば、有害な大気汚染や、有毒ガスを放出したり爆発を引き起こしたりする可能性のある火災が発生した場合などです。公共広告は、主に以下を通じて放送されます
*Sveriges Radio、SVT (スウェーデンの公共放送)、SVT テレテキスト、および民間のラジオとテレビ チャンネル
krisinformation.se、SOS Alarm 緊急サービス、Sveriges Radio、SVT などのアプリ
*影響を受けた地域の携帯電話に送信されるテキスト メッセージ

緊急警報;
サイレンが 30 秒間鳴り、その後 15 秒間沈黙します。このパターンが 5 分間繰り返されます。屋内に入り、スウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio のチャンネル P4 を聴いてください。緊急警報は、国全体が最高の警戒状態にあることを意味します。軍隊のメンバーまたは民間防衛に従事している場合は、指定された戦時配置に直ちに進んでください。戦時配置が現在の職場である場合は、雇用主の指示に従ってください

空襲警報;
このサイレンは短いバーストで構成され、1 分間鳴ります
すぐに避難してください。たとえば、民間防衛シェルター、地下室、またはその他の防護構造物に避難してください。屋外よりも屋内の方が安全で、できれば窓のない部屋の方が安全です

警報解除;
30 秒間続く、長く途切れないサイレン

7.空襲時に避難する
空襲があった場合は、すぐに避難所または他の保護場所に避難する必要があります。最寄りの避難所を選択してください。また、軍事攻撃の可能性がある場合は、その地域から避難する必要があるかもしれません
警報は、空襲警報やスウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio のチャンネル P4 など、さまざまなチャンネルを通じて放送されます

民間防衛シェルターは、衝撃波や爆弾の破片から身を守ります。また、核兵器の爆風や熱波からも身を守ります。シェルターは、放射性降下物化学兵器のガス生物兵器に関しては、他の場所よりも優れた保護を提供します。

避難するその他の場所;
地下室、ガレージ、地下の地下鉄駅も、空襲中に身を隠します。トンネルや壁も、ある程度の保護を提供します
屋外よりも屋内、できれば窓のない部屋にいたほうがよいでしょう。屋外にいて身を隠す時間がない場合、地面に横たわらなければなりません。できれば小さな穴や溝に
「安全」のサイレンが聞こえたら、シェルターから出ることができます
負傷者や閉じ込められた人を助けてください。

核兵器;
世界的な脅威レベルが上昇しているため、核兵器が使用されるリスクが高まっています。核兵器、化学兵器、生物兵器が使用される攻撃の際には、空襲のときと同じように身を隠してください。民間防衛シェルターは最高の保護を提供します。放射線レベルは数日後には大幅に低下します

基本的な防護;
屋外の穴や溝トンネル内または壁の横屋内の窓のない部屋民間防衛シェルター地下室ガレージ地下の地下鉄駅(最も効果的な保護が可能)

8.家庭での備え
少なくとも 1 週間は自力で対処できれば、集団での備えに貢献できます

チェックリストのアドバイスを、自分のニーズや状況に合わせて調整してください。隣人など、他の人といくつかのものを共有できるかもしれません。危機や戦争の際には、誰もが互いに助け合わなければなりません
事前に準備しておけば、深刻な事態が発生したときに慌てずに済みます

水;
主に飲料水と調理用に、1 日に少なくとも 3 リットルの水が必要です。飲料水が不足した場合は、自治体が公共の給水タンクを用意できます。ただし、緊急時に備えて自宅にいくらかの水を備蓄しておく必要があります
水を貯めるための貯水容器または蓋付きバケツを用意してください
ボトル入りの水を購入するか、貯水容器に水を満たしてください
水は暗くて涼しい場所に保管してください。年に 1 ~ 2 回、水の味や匂いが異常かどうかを確認してください。必要に応じて水を交換してください。水が飲んでも安全かどうかわからない場合は、沸騰するまで沸騰させてください

ペットボトルに水を入れて冷凍庫に入れます。停電の際にはボトルを保冷剤代わりに使用できます。氷が溶けたら、水を飲めます。ボトルをいっぱいに満たさないでください。凍ると割れる場合があります

暖房;
冬に停電すると、家の室内温度は急速に下がります。1 つの部屋に集まり、窓に毛布をかけ、床にラグを敷いてください
家に常備しておくとよいもの;
暖かい全天候型のアウトドア ウェア、ウール製の服、厚手の靴下、ビーニー、手袋、スカーフ、毛布、スリーピング マット、寝袋、
電気を必要としない代替熱源– たとえば、ガスまたはパラフィン ヒーター、キャンドル、ティー ライト、熱源用の燃料、マッチ、着火剤、消火器

代替熱源を使用する場合は、必要な予防措置を講じてください。窓を開けて呼吸できる空気を入れ、就寝前に熱源のスイッチを必ず切ってください。

コミュニケーション
政府当局からのニュースや重要な情報を受け取れるようにする必要があります
また、家族や友人と連絡を取り合うことも必要です。家に置いておくと便利なもの;電池、ソーラーパネル、または巻き上げ機構で動くラジオ、予備の電池、携帯電話と充電済みのパワーバンク、車用の電話充電器
重要な電話番号を紙に書き留めておく

スウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio のチャンネル P4 は、緊急情報の公式チャンネルです。危機や戦争の場合でも放送が継続されます。お住まいの地域の P4 チャンネルの周波数は、krisinformation.se でご確認ください。

食品;
満腹感があり、エネルギーに富み、室温で安全に保存できる食品が必要です。すぐに調理でき、水をほとんど必要とせず、すぐに食べられる食品を入手してください。通常の買い物のときに、1 つまたは 2 つの追加アイテムを購入するだけで、緊急時の備蓄を増強できます

自宅に常備しておくとよいもの;
保存可能な食品: 穀物、シリアル、パスタ、米、クスクス、インスタント マッシュポテト、粉ミルク、トルティーヤ、クリスプブレッド、クラッカー、塩、スパイス缶詰食品:トマト、野菜、果物、すぐに食べられる食品
高タンパク質:乾燥または缶詰の肉や魚、ひよこ豆、豆、レンズ豆、チューブ入りチーズ
高脂肪: 調理油、ペスト、油漬け天日干しトマト、タプナード、ピーナッツバター、ナッツ、種子
エネルギー補給: フルーツカスタード、ジャム、チョコレート、蜂蜜、プロテインバー、ドライフルーツ
飲み物:コーヒー、紅茶、ホットチョコレートミックス、ブルーベリーとローズヒップのスープ、ジュース、または牛乳
子供用の食べ物: 粥、乳児用粉ミルク、オートミール、ベビーフード
手に入るフルーツやベリーを活用しましょう
庭、バルコニー、窓辺で食べられるものを育てましょう

通貨;
さまざまな方法で支払いができると、緊急時の備えが強化されます。時々現金を使う必要があります
あるとよいもの;
少なくとも 1 週間分の現金、できれば異なる額面の現金
その他の支払いオプション – たとえば、デビットカードやクレジットカード、デジタルサービ

トイレ;
停電などで水が出ない場合は、トイレを流すことができません。他の方法で廃棄物を処分し、衛生状態を良好に保つ準備をしてください
トイレを流せない場合でも、トイレで排尿することができます。トイレットペーパーはゴミ箱または蓋付きのバケツに捨ててください

排泄物を処分するには、ビニール袋またはゴミ袋を便器に入れるか、ポータブルトイレまたは蓋付きのバケツを使用してください。排泄物を堆肥化ごみまたはおがくずで覆います。廃棄物を処分する場所については、自治体から情報が得られます
自宅に常備しておくとよいもの:トイレットペーパー、ウェットティッシュ、手指消毒剤、おむつ、生理用ナプキン、ビニール袋またはゴミ袋、堆肥化ごみまたはおがくず、蓋付きのバケツ
臭いの蓄積を減らすために、尿と排泄物を混ぜないでください

その他;
自宅に常備しておくとよいもの:キャンプ用ストーブ、ガスバーナー、燃料、家庭用薬局、救急箱、マッチ、火起こし、懐中電灯、ヘッドランプ、缶切り、車の燃料タンクまたは充電済みのバッテリー
処方薬や使い捨て製品が必要な場合 (たとえば糖尿病の場合)、自宅に 1 か月分の備蓄を必ず保管してください

9.避難
軍事攻撃、自然災害、または有害物質の放出が差し迫っている場合、地域から迅速に避難しなければならない場合があります
避難指示は、公共広告 (PSA) システムを含むさまざまなチャネルを通じて発表されます。スウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio のチャンネル P4 をオンにし、政府当局の指示に従ってください
自力で避難できない場合は、安全な場所に到着すると、支援が提供され、緊急用住居と食料も提供されます。

持ち物;
すぐに避難する必要があり、しばらく自宅に戻れない場合に備えて、必需品のリストを作成してください。持ち物に関するヒントをいくつか紹介します;
数日分の食料と水写真付き身分証明書、デビット カードまたはクレジットカード現金医薬品と補助具 (補聴器など)電池ソーラー パネルまたは巻き上げ機構で動作するラジオ暖かい服防水アウターウェア予備の衣類トイレタリーおよび衛生用品携帯電話と充電器地図コンパス電話番号や保険情報など、紙に書かれた重要な情報

10.民間防衛シェルター

特定の民間防衛シェルターが指定されているわけではありません。最寄りのシェルターに避難してください。msb.se(日本語でも見られます)では、スウェーデンのすべてのシェルターの位置を示す地図を見つけることができます
シェルターには水と基本的なトイレ設備が必要です。時間があれば、食べ物、暖かい服、トイレタリーを持ってきてください。シェルターに数日間滞在する準備をしてください

平時であれば、シェルターは他の活動に使用できます
ただし、必要に応じて 48 時間以内に再設定して利用できるようにする必要があります。警戒レベルが高まっている間は、所有者はシェルターが適切に準備されていることを確認する義務があります
シェルターには、オレンジ色の長方形の中に青い三角形のマークが(右の画像)が付いています。このシンボルは、建物が戦争法の下で保護されていることを意味します

最寄りの民間防衛シェルター
警戒レベルが高まった場合に避難が必要な場合は、現在地から最も近いシェルターに入る権利があります。 自宅、学校、職場の近くにあるシェルターやその他の保護施設を探してください
11.心理的防衛
外国勢力やスウェーデン以外の人々は、偽情報、誤情報、プロパガンダを使って私たちに影響を与えています
私たちに影響を与えようとする試みは、主にオンライン プラットフォームやソーシャル メディアを通じて毎日行われています。これらの行為の目的は、不信感を植え付け、自衛の意志を弱めることです

私たちに影響を与えようとする人々は、次のような方法でそうする可能性があります;
*嘘、偽の物語、または部分的に真実だが文脈から外れた話を広める
*偽の画像、動画、または音声録音を作成する
*特定の問題や出来事に関連する強い感情を引き起こし、お互いに対する不安や疑念を高めようとする。

私たちの集団的回復力に貢献する方法;
*強い反応を引き起こすコンテンツに注意してください
*信頼できる情報源からの情報のみを共有してください
*複数の異なる情報源からの情報を検証するようにしてください
*重大な事態が発生した場合は、公式の政府機関から確認を得てください

12.デジタルセキュリティ
デジタル化により、重要な IT システムをダウンさせるサイバー攻撃に対して脆弱になる可能性があります
自宅でも職場でも、情報を安全かつ確実に扱うことで、スウェーデンのレジリエンス強化に貢献できます。
始めるためのヒント:
*文字、数字、記号を組み合わせた強力なパスワードを作成します
*不明な送信者からのメール内のリンクをクリックしたり、添付ファイルを開いたりしないでください
セキュリティ アップデートをすぐにインストールします
重要な情報を外付けハード ドライブ、USB ドライブ、またはクラウド サービスに定期的にバックアップします

13.テロ攻撃
テロ攻撃や武力攻撃は、人や交通システム、電力網などの重要なインフラに向けられることがあります。被害に遭ったら、すぐに行動してください
逃げる:現場から遠く離れてください
隠れる:逃げられない場合は、部屋に閉じこもるか隠れてください。携帯電話をサイレント モードにしてください
伝える:112 に電話して、何が起こったかを報告してください。

考慮すべき事項
*ネットワークに過負荷をかけないように、助けを求める必要がある場合にのみ電話してください
*警察、救助隊、政府機関の指示に従ってください
*何が起こっているかについての噂や未確認の情報を広めないでください
*危険にさらされている可能性のある人には電話しないでください。隠れ場所が明らかになる可能性があります

14.出血を止める方法
負傷者を助ける前に、自分と負傷者の安全を確認してください。重度の出血を止める方法は次のとおりです;
112 番の緊急サービスに電話するか、他の人に電話してもらいます
できれば、丸めた T シャツ、スカーフなどを使用して、腕を伸ばした状態で傷口に直接しっかりと圧力をかけます
疲れたり、助けが必要になったりした場合は、誰かに手の上に圧力をかけてもらうように頼みます
救急車が到着し、救急隊員が圧力を解放してよいと言うまで、圧力を維持します

15.異常気象
大雨、洪水、熱波などの異常気象はますます頻繁に発生しています。土砂崩れや森林火災などの自然災害のリスクも高まっています。政府当局の支援を受けて、備えを強化するために、以下の手順を実行してください;
*市町村のウェブサイトまたは msb.se で、お住まいの地域での土砂崩れ、浸食、洪水のリスクと備えに関する情報を入手してください
*異常気象に備える方法についてのアドバイスを得るには、msb.se または krisinformation.se にアクセスしてください
*火やグリルに火をつける前に、お住まいの地域で火気禁止令が出ていないか確認してください。情報は krisinformation.se や、その他のウェブサイトで入手できます
*天気予報に注意し、気象警報を提供するアプリをダウンロードしてください。たとえば、krisinformation.se、スウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio、SMHI Väder などです
*発せられた警告はすべて真剣に受け止めてください

異常気象や自然災害が発生した場合は、スウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio のチャンネル P4 をオンにして、情報や詳しい指示を入手してください。たとえば、水道水を沸騰させる必要がある場合や、地域から避難する必要がある場合などです

16.病原体
感染症は急速に広がり、大規模な流行を引き起こす可能性があります。感染症が広がり始めた場合、政府機関は自分自身や他の人を守る方法についての推奨事項を提供します;
*市町村、地域の感染症専門家、政府機関からの最新情報を入手してください
*政府機関からの推奨事項に従って、病気の蔓延を減らすのに協力してください

17.特別な支援が必要な場合
現在、自治体から特別な支援を受けている人は、危機や戦争が発生した場合でも引き続き支援を受けることができます。ただし、特定のニーズに応じて、緊急事態への備えを遵守する必要があります
*家族、友人、隣人、介助者、または介護管理者に、必要な支援について相談してください
*処方薬やその他の医療補助具などの重要な情報も含めた、危機時の緊急時対応計画を立ててください
*避難所やその他の保護地域への移動に備えてください
*携帯電話のアクセシビリティ機能を使用して、最も重要な情報を入手してください
*聴覚障害がある場合は、krisinformation.se のアプリを使用し、通知をオンにして公共広告 (PSA) を受信して​​ください
*視覚障害がある場合は、テキスト読み上げツールまたはスクリーン リーダーを使用して、政府当局からの情報を入手してください
*盲導犬または介助犬は、民間防衛シェルターで許可されています。 !
詳細については、msb.se または krisinformation.se をご覧ください

18.ペットを飼っている場合
危機や戦争の際には、ペットの世話と健康は飼い主の責任です。少なくとも 1 週間は持ちこたえられるだけの食料を自宅に用意しておいてください
空襲があった場合は、地下室、ガレージ、地下鉄駅などの防護施設にペットを連れて行くことができます。ペットを自宅に残さなければならない場合 (ペットが自由に食べ物を摂取できる場合)、追加の食べ物と水を残しておいてください
自宅に置いておくとよいもの;
*保存容器に入れたドライフードと水
*動物用の薬
*動物を運ぶためのケージまたはその他の方法
*獣医への手書きの電話番号、保険情報、ID 番号
* 馬や家畜を飼っている場合は、緊急事態への備えに関する詳細情報を jordbruksverket.se で入手できます


19.心配な場合

不確実な時期は、人々に不安や心配を感じさせます。不安に対処するためのヒントをいくつかご紹介します;
*家族、友人、近所の人、またはメンタルヘルス組織に自分の気持ちを話しましょう。孤独感を和らげるのに役立ちます*参加しましょう。たとえば、他の人の緊急事態への備えを改善するのを手伝うなどです。そうすることで目的意識が持てます*自分の健康に気を配りましょう。良い食事、睡眠、運動はストレスを軽減し、健康状態を改善します
*ニュースの摂取を制限しましょう。自分に合ったレベルを見つけ、気分が良くなることにもっと時間を費やしましょう
*深刻な不安がある場合は専門家の助けを求めましょう。

20.危機や戦争について子供に話す
さまざまな年齢の子供は、さまざまな方法で不安を表現します。ストレスや心配の兆候に気を配りましょう;
*子供に状況を説明します
*耳を傾け、会話に誘います
*確認された情報のみを話します*不必要な詳細は避けます。 • すべての答えがわからない場合は、正直に認めましょう
*子どもと一緒にアクティビティを計画し、子どもの焦点を切り替えられるようにします

21.重要な電話番号
112 緊急の場合 – 救急車、救助隊、警察。 114 14 警察との非緊急連絡。 重大な事故や危機に関する情報の受信または提供。 1177 怪我や病気の場合の医療支援。 詳細情報 MSB.se 危機や戦争が発生した場合の緊急事態への備えに関する詳細情報。スウェーデン民間緊急事態庁が提供するビデオ、演習、コースなど。 Forsvarsmakten.se スウェーデンとその同盟国の軍事防衛について。 Krisinformation.se スウェーデン政府当局からの緊急情報。 Lilla.krisinformation.se 子供や若者に適した危機や戦争に関する情報

公共広告 (PSA);
サイレンが 7 秒間鳴り、その後 14 秒間沈黙します。このパターンは 2 分間繰り返されます。屋内に入り、すべての窓とドアを閉め、可能であれば換気装置をオフにしてください。スウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio、チャンネル P4 を聞いてください

緊急警報;
サイレンが 30 秒間鳴り、その後 15 秒間沈黙します。このパターンは 5 分間繰り返されます
*スウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio、チャンネル P4 を聞いてください
*軍人または公務員の場合は、指定された場所に直ちに進んでください。

空襲警報;
*サイレンは短いバーストで構成され、1 分間鳴ります。直ちに民間防衛シェルターまたはその他の保護場所を探してください。最寄りの場所を選択してください。

警報解除:
30秒間、途切れることなく長く鳴るサイレン

おわりに

ブログを書き始めるに当たってロシアの近代史をざっと調べたところ、改めてロシアという国は、為政者だけでなくその国民も他国を侵略することに道徳的な心に痛みを感じない国だなと思いました。私の過去のブログで、謂わば植民地支配をしていた満州に住んでいた両親や親戚も、一緒に住んでいた中国人や朝鮮人に対しては幾らかの心の痛みを感じていたいたと思われますが、ロシア人に対しては「ろ助」と呼んで憎んでいたと書いた事を思い出します
日露不可侵条約を結んでいたソ連が終戦直前に、一方的に条約を破棄して満州に怒涛の様に侵入してきたこと、また北満に入植していた沢山の一般日本人を集団自殺に追い込み、多くの投降した日本の軍人・軍属をシベリアに送り、極寒の中で強制労働をさせて、多くの死者を出したこと(国際法違反)は許し難いことであり、ヨーロッパの人々が歴史上被ったロシアの戦争犯罪による苦難に対し多くの日本人がシンパシイを感じてしまうことは不思議ではないと思います

日本は島国である為、歴史的に他国の侵略を受けたことは少ないものの、蒙古襲来(1274年,1281年)の時は、鎌倉武士の奮闘と暴風のお陰で退けることが出来ましたが、その進入路にあたる隠岐・対馬では島民の多くが殺害されています。また、太平洋戦争の末期の沖縄の戦闘では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました

習近平主席が数年内の台湾併合を公言している現在、台湾関係法により「台湾の将来を非平和的手段により決定しようとする試みは西太平洋地域に対する脅威とみなす」としている米国が、これを黙っているはずはなく、台湾危機は数年内に訪れる蓋然性は低くないと思われます。危機の際、日本は日米安保条約の定めにより米軍の支援を行う必要があり(詳しくは私のブログ「ウクライナ戦争が変えた日本の防衛政策」をご覧ください)、日本の米軍基地周辺や、支援を行う自衛隊艦船への攻撃を受ける事態を想定しなければならないと思われます
既に、沖縄県の島嶼地域の防衛に関しては以下の様な対応が始まっています;
*2023年10月:沖縄から九州へ県外避難、有事備え「受け入れ計画を」
*2024年4月:自民党、沖縄離島から円滑避難で提言へ 台湾有事想定
*2024年10月:日米、南西諸島から初の退避訓練 4万人超の規模で演習
*2025年1月:自衛隊、南西防衛強化で海上輸送の新部隊 3月末発足

尚、島嶼防衛を考えるに当たっては、太平洋戦争末期の1944年、沖縄から疎開する学童らを乗せて九州に向かっていた「対馬丸」が、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没、 800人近い子どもを含む多くの犠牲者を出した悲劇を忘れてはならないと思います

スウェーデンの「危機または戦争が起きた場合の国民の対処法のパンフレットは大変良くできていると思います。やはり、ロシアからの度重なる攻撃を受けてきた体験からの知恵が詰まっていると思います。日本もこれに倣って有事に備えて国民がどう対処すべきかのマニュアルを準備すべき時期に来ているのではないかと私は思います。ただ、スウェーデンと違って徴兵制が無く、専守防衛が原則の場合どう対応すればいいか、中々難しい問題だとは思います
尚、核兵器が使用された時の避難の仕方が書かれていますが、何故こういう避難をするのか?これで大丈夫か?、と思われるかもしれませんがその疑問に答えるには以下の私のブログ「災害のリスクについて考えてみました」の「3.核兵器の攻撃を受けた時に生き延びるには」を見て頂ければ納得されると思います

以上

「遊行期」を快適に生きる知恵!

はじめに

今年に入って筆者は、長年悩んできた腰痛を根治させるために手術を決断し2月初旬に入院しました。手術を終えた後、長男が孫を連れて面会に来てくれました。この時、お見舞いとして3冊の本を差し入れてくれましたが、その内の1冊が五木寛之の最新の著作である「遊行期」で、退院までの数日間で読み終えることが出来ました
五木寛之については、若い頃に最初に読んだ著作はベストセラーとなった長編小説「青春の門」でしたが、学生時代、友人に負けまいと難しい本ばかり読んでいた私にとってとても新鮮に感じ、以来彼の著作は出来る限り読むようにしていました。今回息子に貰った本は、彼が老境に至って書き始めた自身の体験と古典の教えを融合した、大変分かり易い「老人の為の生き方指南」の本です。見出しの写真にある本はいずれも私が読んだ本ですが、大分忘れてしまったので生成AIに要約を描きだしてもらいました;
「下山の思想」
現代社会は「上昇」や「成長」を重視してきたが、これは永遠に続くものではない。登山において頂上に到達した後、安全に下山することが重要であるように、人生や社会も「下山の時代」に入っている。下山には新しい視点や戦略が必要であり、それを意識しなければ転落してしまう
*成熟と衰退の受容
経済や人口が右肩上がりだった時代は終わり、今後は「衰退」を前提にした考え方が求められる。「老い」や「衰え」を否定せず、それを受け入れながら豊かに生きる方法を考える
*「無理をしない」生き方
無理に成長を追い求めるのではなく、自分のペースで生きることが大切。
競争社会から降りて、自然な生き方を模索することが幸せにつながる
*日本社会と「下山」
高度経済成長を遂げた日本は、これからは成熟社会へと向かうべきであり、無理な経済成長を目指すのではなく、持続可能な発展や精神的な充足を大切にすべきである
*結論
五木寛之は、『下山の思想』を通じて、成長の終わりを嘆くのではなく、下山の過程を前向きに捉え、充実した人生を送るための新しい価値観を提案している。それは、無理に上を目指すのではなく、自分の歩幅で自然体の生き方を選ぶことの大切さを説いている

「白秋期」
*「白秋期」とは何か
人生を四季にたとえると、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」という四つの段階がある。「白秋期」は老年の入り口であり、壮年期(朱夏)ほどの活力はないが、完全な老年(玄冬)でもない。これまでの経験を活かしながら、人生をより深く味わう時期と捉える
*「青春至上主義」からの脱却
現代社会では若さが過度に重視されるが、年を重ねることにも価値がある。
白秋期には、体力の衰えを受け入れつつ、精神的な充実を目指す生き方が重要
*「無理をしない」生き方
若さを取り戻そうと焦るのではなく、自分の年齢にふさわしい生活を楽しむことが大切。無理に新しいことに挑戦するのではなく、これまでの経験を活かして「自分らしく」生きる
*人生を味わうために
白秋期は、過去を振り返りながらも、新たな楽しみを見つける時期。物事の価値観を見直し、シンプルな喜びを大切にすることが心の豊かさにつながる。
*結論
五木寛之は『白秋期』を通じて、老いを嘆くのではなく、それを受け入れ、自然体で生きることの大切さを説いています。若さに執着せず、白秋期ならではの落ち着きや深みを楽しむことで、人生はより豊かになるというメッセージが込められています
*対象となる年齢層の目安:50歳~75歳頃

「遊行期」
*「遊行期」とは何か
人生を四季にたとえ、「青春(青)」「朱夏(赤)」「白秋(白)」「玄冬(黒)」という四つの時期を設定。遊行期は「玄冬」にあたり、人生の最終章を意味する。ただし、遊行とは悲観的なものではなく、固定観念に縛られずに自由に生きる時期
*「遊行」という生き方
「遊行」とは、本来、仏教の僧侶が執着を捨てて旅をしながら生きることを指す。
物や地位、過去のしがらみから解放され、心の赴くままに生きる姿勢が大切。これまで築いてきたものに固執せず、軽やかに生きることが理想
*「断捨離」と精神的自由
人生の終盤では、不要な物や人間関係を手放し、シンプルに生きることが重要。過去を振り返りつつも、執着せず、未来に向かって歩む心構えが求められる。「持たない」ことによって、より自由に生きることができる
*死を恐れず、今を生きる
遊行期は、死を意識する時期でもあるが、それを恐れるのではなく、自然なものとして受け入れる。「今を楽しむ」ことを大切にし、日常の小さな喜びを見つける。旅をするように人生を歩むことで、最期まで豊かに生きることができる。
*結論
『遊行期』は、老いと死を受け入れながら、心軽やかに生きるための哲学を示した一冊です。執着を手放し、自由な心で「遊行」することで、人生の最終章を穏やかで充実したものにできる、というメッセージが込められています
*対象となる年齢層の目安:75歳~

五木寛之の「遊行期」の生き方と私(筆者)
この本は全体で220ページで、しかも老人が読みやすいように字が比較的大きく、且つ行間が広いので老眼であっても短時間で読み終えることが出来ます。また以下の目次をご覧になると;

この本では、ほぼ一貫して老人ボケを扱っており、しかも老人のボケは決して病気ではなく、肉体の老化と同じ精神の老化であり、充実した老後を過ごす為のヒントにあふれている内容です。以下に、五木寛之氏の着眼点に、私が勝手にな~るほどそういう捉え方もあるのか、あるいは私もやってるぞ、といった所を抜き出してみました
尚、この本からの引用文は青色(但し重要部分は赤字で強調しています)書き、筆者の文章と区別しています。尚、当然ですが引用文の中の「」は五木寛之氏本人です。では本題に入ります;

ボケには「春風駘蕩(春の穏やかな風がそよそよと吹く、のどかで心地よい様子)」としているイメージがあります。一方で狂暴になったり、介護している人に罵詈雑言を吐いたり、奇行に走ったりというケースもありますが、そういう荒々しいボケかたにならなければ、好ましいボケ方と言えるはずです。ボケは一般には「認知症」と考えられていますが、世間的には「あの人、最近ボケが入ってきたね」と軽い調子で話題にしています。ボケという言葉には、死や老いほど「人生の敵」としてのはっきりとした対抗物ではなく、何かちょっと余裕のある感覚が含まれている印象があります
誰にも必ずやってくるボケをどう迎えるかという問いの答えは、ボケない方法の中には無くて、望ましい生き方の中にある。つまり「人間の完成度としての豊かなボケ」、そんなとらえ方の中にこそあるはずです

ボケとは人格の完成度の最終段階である、とここまではっきりとボケを肯定されると嬉しくなります。筆者も最近物忘れが激しく、例えば「二階にものを取りに行った時、二階に着いた途端!何を取りに来たか忘れており、慌てて一階に戻ると直ぐに思い出す」といった奇妙な行動が増えてきております。同居している妻(私より5歳半若い)と次男が、心配且つ哀れみの表情で私を見る目が、毎回私に突き刺さります

高齢の名僧と言えば、やはり鎌倉時代に90歳まで生きた「親鸞」でしょう。しかも、単に長生きしただけではありません。親鸞は75歳の頃から「和讃」を書き始め、亡くなる直前まで書き続けました。和讃とは、いわば歌の作詞です。そういうものを90歳になってなお何百も書き残すのは、ある種、知的な化け物と言えますまた私は、有名な作家の名前が思い出せないことがしょっちゅうあります。顔も浮かんで、時代も浮かんで、著書まで浮かんでいるけれども名前がでてこない。人名にとどまらず、一日に何回も固有名詞を忘れます。その対策として、私は「5回出てこなかった固有名詞はメモを取る」と決めています。また「ストーリーを作って覚える」ということも試しています。苦労して覚えるのではなくて、ユーモラスな語呂合わせで覚えるのは、その作業自体楽しいものです。そういう記憶を引き出すテクニック、技術は、他にもいろいろあるでしょう。それを身につける、あるいは自分なりに発見するというのも、一つのよりよくボケる道になりえると思います

<参考>和讃とは
親鸞が子供の頃、巷で親しまれていた今様(いまよう)の様式を使って、漢語やヒンズー語で書かれているお経を、分かり易く書き綴ったものです。親鸞が後半生に作った何百という歌のうち「讃阿弥陀仏偈和讃」は、今でも浄土真宗の婦人会などなどいろんな人たちに歌われています;
知恵の光明はかりまし
有量(うりょう)の諸相ことごとく
光暁(こうきょう)かぶらぬものはなし
真実明(みょう)に帰命(きみょう)せよ
<参考>今様とは
中世のころ、熱病の様に流行した7・5調(7音節+5音節)の今様は、「白拍子(右絵参照)」の世界、現代で言う風俗の世界から始まり、貴族社会で洗練されました
今様の日本の文化に与えた影響については、筆者のブログ「カラオケ万歳」の最後の方にある「カラオケの裏にある文化」でやや詳しく述べています)
筆者の場合も、名前が出てこないこと度々あります。人との会話中に名前が出てこないと相当あせりますが、親しい友人、家族の間ではいつも肌身離さず!持っているスマホ「手がかり」を幾つか調べることで何とか対処しています
ただ、明け方のまどろみ(レム睡眠)
の中(上図の緑色の部分)でいいアイデアが浮かんだ時や、トイレの中?電車内などでメモしておきたいことを思いついた場合、そのままにしておくと間違いなく思い出せなくなるので、最近はスマホにメモ帳のアプリ(私の場合、GoogleのClevノート/無料版)を入れておくことで記憶保持能力を補っています

ボケから逃げよう、ボケを避けようとするのではなく、よりよくボケようとする、体の状態に応じて自分にとって気持ちのいいボケる方法を見つけていく、そういう積極性が必要なのです。しかし、その方法は決して重々しいものではなくて、むしろ軽薄なくらいがいいと思う。その方が、年配者でありながら周りの人たちから敬遠されず、嫌われず、仲間に入れて貰える、女子中学生にも好かれる老人になれるのではないでしょうか
幕末の勤王の志士・高杉晋作の歌に「おもしろき こともなき世を おもしろく」があります。確かに、人生おもしろいことなんてあまりない。憂きことばかりなのが現実でしょう。しかし、その中でも自分が面白いことを見つけようとする。すると、自分の肉体という小さなものの中にも、いろんなおもしろいことが沢山あると気付くはずです
ボケは加齢に伴う人間の老化の正常な活動の一つ。ボケることは人間の正常な成り行きである。そこには、ゆがんだボケも、伸び伸びとして周りを和ませるボケも、本人が納得するボケもあります。だったら限界があるだろうけれども、できるだけ良い方向へボケていける。そして、そこには主に視力、聴力、咀嚼力、歩行力が密接に関係している。これが私の仮説です

この仮説には全面的に賛同します。最近、視力、聴力が落ちてきているので、何らかの矯正が必要だと感じています。視力については情報収集能力に直接関係すると思われます。五木寛之氏の場合、毎朝全国紙5紙を隈なく読み込んでいるそうです。私の場合は、全国紙1紙とネットからの情報収集を毎日行っており、注目すべき情報については「pdfファイル」にして、Dropboxというクラウドの中に収集した情報の全てをフォルダーで分類した中に収めています。例えば、最近毎日沢山の情報が流れている記事はウクライナ関連だと思いますが、この情報はDropbox内の以下のフォルダーに時系列に沿って収めています;

因みに、最も末端にある「戦況関連」のフォルダー内には、現在(2,025年3月4日)574個のpdfファイルが収納されています。フォルダーを辿り、時系列で探せばいつでも知りたい情報にアクセスできます。またDropboxはスマホでもネットが繋がっている限り全ての情報にアクセスできますので、ブログなどを纏める時は極めて便利なツールになっています
聴力はについても、最近やや衰えている実感があります。特にテレビを視聴する時に私に適した音量は、ワイフと同居している息子にはうるさ過ぎる様で時々指摘を受けます

歳をとると聴力が衰えて耳が遠くなる。そうすると、皆で喋っているときに聞こえないことがある。しかし「なんて言った?」と聞き返すのが野暮な感じがしてできない。聴こえなくても「うん、そうだね」などとわかったふりをする。つまり、うんうんといい加減な相槌を打って、耳が遠くなっているのを隠すわけです。聞こえないのが嫌だからと、周囲とのつきあいを避けるようになっていくという精神状態です

若い人とのコミュニケーションを円滑にするには、その内補聴器の世話になることも考えなければいけないと思っています
咀嚼力については、五木寛之氏は滑舌(ref:滑舌トレーニング)と関連することで重要だと考えている様です。確かに咀嚼力には嚙む力の他に口に入ったものを混ぜ合わせる為に舌や唇の動きも柔軟でなければならない訳で当然かもしれません。若い人とのコミュニケーションにも滑舌・早口は必須能力かも知れません
歩行力については言うまでもありません。所謂フレイルになってしまうと、人間関係そのものを維持、構築することも十分に行えなくなります

ボケを精神的な活動だけ、あるいは肉体的な活動だけでとらえずに、その両面、人間の高齢化に伴う心身活動の一つとしてどう向き合っていくか。そういう養生法を一生懸命研究して、いろいろ試しています。ただし、ボケの養生法を無理に努力してやるというのでは楽しくありません。「趣味は?」と尋ねられたら「ボケ養生です」と笑顔で答えられる。そんな感じで面白がってやる。その方がやはり楽しいのではないでしょうか
健忘症は大きく分けると、「前行性健忘」という前向きの健忘症と「逆行性健忘」という後ろ向きの健忘症、この二つの症状があります。「前行性健忘」は、例えば今日のお昼に何を食べたのか、そういう新しい記憶が出てこない。「逆行性健忘」は、例えば昭和二十年の終戦の時にどこで何をしていたのか、そういう古い記憶が蘇ってこない

高齢者の運転免許証更新で、認知症チェックで行われているテストは概ね「前向性健忘」をチェックしていると思われます。このチェックで老人の安全運転能力に関連するか私は疑問に思っています

高齢者にとって、物忘れは一番初歩的なかたちでボケを意識する始めりです。こうした固有名詞の記憶の喪失が初歩のボケだとしたら、それに対してどうするか。「放っておく」というのがいちばんよくないと思います。やはり何とかして記憶を探し出した方がいいと思います。。自分で調べるとか知っていそうな人に電話を掛けて聞くとか、とにかく執念深くちゃんと思い出した方がいい。「放置しない」というのは、ある意味、現実的なボケ対策の一つの戦略と言え、私たちの世代にとっては、その日付を見聞きするだけでドキッとすえるような重さがあります。

今年(多分2024年)8月15日、先の大戦の記事で埋め尽くされているだろうな、と思って全国紙五紙を広げてみたら、体験談みたいなものでお茶を濁している新聞ばかりで拍子抜けでした。
5月1日のメーデーの紙面もそうでした。昭和27年5月1日に「血のメーデー事件」が皇居前広場でありました。一行くらい出ているかなと思って5紙に目を通したけれども、ほとんどなかった。「血のメーデー事件」は戦後を代表する大変な出来事です。日比谷公園にいたデモ隊が皇居に乱入しようとした。それで警官隊が、ピストルを上に打つ威嚇射撃ではなく、戦後初めて群衆に向かって水平射撃をした。主催者の発表によると、デモ隊側は死者2人、重軽傷者638人。警察側は負傷者830人でした。私は当時大学に入ってばかりです。駆けつけたら日比谷から有楽町まで煙が漂っていました。第一生命あたりの自動車がもうもうと煙をふいていて、のちに思い返すと、ベトナムの戦場のような感じでした
しかし、そういう過去を語れる人たちがいなくなっているとしても、これはいわば歴史的健忘症です。それをジャーナリズムが自ら進んで患っているような感じがする。この国はボケてきたのかもしれません。時代も国も国民も、ボケるということがあるのです。昨日のことはよく覚えているけれども、何十年前の話はまったくしらない、ボケた社会。そうならないためにはどうするか。歴史的記憶は常にリフレッシュする必要があります。昔のことを冷静に淡々と、話を盛らずに語れる年長者の存在がすごく大事になるわけです

これは恐らく日本社会全体が「逆行性健忘」に罹っているということだと思います。近代から現代にいたる日本の歴史の中で、明治維新とか日露戦争については映画やテレビドラマで多く語られるのに対し、第二次世界大戦前後の日本の歴史については語られることが少ないと思っています。確かにマイナスの面が多かった歴史だとは思いますが、こうした歴史の中にも間違った判断の他に、純粋に日本人の夢があったことも忘れてはならないと私は考えています。過去に私が寄稿したブログ/「満州国」その“うたかたの夢”はそうしたことに着目したテーマでした

私の実践は「アンチ・ボケ」、ボケを克服するための健康法ではありません。ボケの不安にとらわれないための養生法なのです。最終的に人間は、どんなに抗っても肉体が衰えて死をむかえます。精神も同じように徐々に老いていき、最後は死をむかえます。どんな人間も老いてボケて行く。年齢を重ねるのと同じように、ボケ度というものが進んでいく。だからこそ、ボケを異常、害悪と考えたり敬遠したりしない。これが大事だと私は思うのです
また、精神の鍛練も怠ってはいけない。精神の老いから自由になる知的な活動、いわばボケのリベラルアーツ(教養)を追及しなければいけない。それも楽しく真剣に、、。

私自身、この先どの様にボケて行くか分かりませんが、少なくとも五木寛之氏が実践している養生法、特に精神の鍛錬の糧となる教養を身につける努力をしたいと思っています。ブログ作成はその有用なツールと考えています

Follow_Up  :2025年10月2日発行の週刊新潮の連載「生きるヒント」に以下の様な記事が出ていました。我が意を得りという感じがしました!

以上

 

2024年一年間の屋上栽培のレビュー

屋上栽培一年間のレビュー(経済面)

以下は、例年報告している屋上菜園にかけた費用の2006年~2023年の年間費用の推移2024年の購入項目及び購入時期別の内訳を表している表です
この表をご覧になれば分かる様に、今年も体力が低下してきた老人農民?の為の省力化投資(電動耕運機関連)を除けば概ね例年通りの費用で済んでいること、及び2020年以降現在まで野菜栽培を始める動機の一つになっていた「殺虫剤等の農薬は使わない原則」は貫けました。年々ひ弱になっていくことを実感している我々老人の健康面でも良かったかと思われます!  

収穫量の面では、2023年同様キューリ及びトマトの一部は、種から育てた一回目の苗が7月に入ってからの猛暑で枯死したため、苗を購入して植え付けたものの、キューリは全滅トマトも収穫は少なかったのが残念です。遮光ネットや敷き藁などで暑さ対策をしたものの前年に続き失敗だったと総括しなければなりません
一方、夏野菜でもナスについては、栽培数を増やしたこともあり、大豊作となりました

秋・冬野菜の現況

去年の春頃から始まった「脊柱管狭窄症」による脚の痺れ・痛みにより夏場の雑草を処理しきれなったことに伴い、秋口からの秋冬野菜の苗の育成、植付が遅れ主力野菜となるはずの「キャベツ(野鳥の食害が酷い)」や「白菜は写真の様に悲惨な状況になっています。;


白菜については、中心の緑色の部分は漬物や鍋には向かないものの、生野菜として食べる分には問題ないと考え、「生のままの千切り」、「さっと熱湯に通した千切り」の状態で食べてみましたが、美味しく食べられることが分かりました。尚、私の味覚?では生食は「胡麻ドレッシング」、熱湯を通したものは「ポン酢にゴマ油」がよく合うと感じました
キャベツについては、もう少し様子を見てこれ以上肥大化させるのが無理となれば、「菜の花」として収穫することも考えています

現在、収穫しながら食べている野菜以下の通りです
まず、「小松菜」は簡易ビニールハウス内で極めて順調に育っています;

右上の画像の様な収穫を、間引きを含め既に6回実施していますが、まだまだ当分収穫が続きそうです。お浸しや鍋の具として重宝しています。また自作ビニールハウス内の「ホウレンソウ」や「サニーレタス」も、一週間に一回程度収穫し美味しくいただいています

生野菜サラダの具としては、以下の「ケール」、「ワサビ菜」も収穫が続いています

漬物用野菜としては、昨年に引き続き「野沢菜」と「高菜」の二種を栽培しました
野沢菜については1月初旬に収穫し、漬物博士である同居している息子が漬けたものを2月に入ってから食べ始めました(但しカブの粕漬が美味しくなるのは春以降か?);

高菜」については、2月下旬に収穫し漬物にする予定です;

春以降に収穫する予定の「タマネギ2種」の生育状況は;

昨年に比べちょっと生育が遅れています(12月からの寒波の影響?)。そこで、大玉に育てるもののみ、黒色のゴミ袋と藁でマルチを施したもの、及び藁と透明のゴミ袋で防風(有名な関東平野のからっ風!)対策を施したものをテストしています
ペコロスについては何も対策をしていません、今後生育はどうなるか、、、
またネギについては、例年通り8月末に種を撒いたものの、恐らく酷暑の影響だと思いますが、うまく育たなかった為、10年振り位になると思いますが、「長ネギ」、と「下仁田ネギ」の苗を購入し植え付けましたが、現在までの所順調に育っています;

ハーブ類」については、屋上の自作ビニールハウス内で春以降に収穫するものを各種育てていますが、「ディル」、「バジル」などは、使用頻度が高いので居間の出窓で育て、料理に合わせて使っています

以上

アルテミス計画について勉強してみました

はじめに

見出しの絵画はギリシャ神話に出てくる有名な神を描いています。左から太陽神の「アポロン」、右隣りがアポロンの双子の妹である月の神「アルテミス、右が海神ポセイドンの息子で腕の立つ狩人の「オリオン」です。今回取り上げるアルテミス計画では「オリオン」はこの計画で使われる宇宙船の名前として使われています

ケネディ大統領が始めた「アポロ計画」(この計画の詳細については私のブログ「米ソ宇宙開発競争の歴史(スプートニク~アポロ計画)」をご覧ください)では、17回に亘るミッションの内5回(12号、14号~17号)有人月面着陸を成功させています
米国における宇宙開発計画には、この様にギリシャ神話に出てくる名前がよく使われています。因みに、アポロ計画の準備段階で行われたジェミニ計画のジェミニも「双子座」として星座に名を連ねており、西洋文明の科学や哲学の多くが古代ギリシャから影響を受けており、宇宙開発においてこれらギリシャ文明に対する尊崇の念を表そうとしているのかもしれません
一方、日本の宇宙開発の過程で開発されたロケットの名前もロケットの名称に、カッパ(κ)、ラムダ(λ)、ミュー(μ)、イプシロン(ε)の様なギリシャ文字を使っています(詳しくは、私のブログ「ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史」をご覧ください)が、これもこの伝統に倣ったものかもしれません

アルテミス計画は、2017年12月、一期目のアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプが承認・署名した月探査計画を内容とする宇宙政策指令第1号(Key Elements of SPDに端を発しています。この計画では、新たに開発されるオリオン宇宙船月軌道プラットフォーム・ゲートウェイ、それを利用する商業月面輸送サービスや、月面に建設する基地から発進するする火星探査計画までを視野に入れた壮大な宇宙開発計画となっています。因みに、日本も2019年10月にこの計画に参画することを決定しています。こうしたことから、アルテミス計画の目的を一言でいえば「人類が宇宙で持続的に活動できる基盤を築くことを目指しており、これによって未来の宇宙探査の道が大きく開かれる」計画と言えるのではないかと思われます
今回、これまでアルテミス計画についてシコシコ?と貯めてきた新聞やネットの情報を精査し、この計画の進捗状況と、その後の展望について勉強することにしました。結果は以下の通りです

アルテミス計画 概要

1.アルテミス合意
アルテミス計画を遂行するための多国間での法的枠組みとして、2020年10月に参加国間で「アルテミス合意」が締結されました。これは、法的拘束力がない政治的な文書ですが、月や火星を含む今後の宇宙探査・利用を行う上での原則を示しており、非常に重要な国際的なルールのベースとなる可能性があります
合意内容:平和目的の利用;透明性の確保;相互運用性の確保;緊急支援;科学データの共有;宇宙遺産の保全;宇宙資源の利用;干渉の防止;スペースデブリ対策

当初の署名国は米国日本、カナダ、イギリス、オーストラリア、ルクセンブルグ、アラブ首長国連邦(UAE)、イタリアの8カ国ですが、その後2024年1月29日の時点でニュージーランド、フランス、ドイツ、サウジアラビア、インドなど34カ国が署名しています

2.将来の火星探査計画までのタイムライン
以下は、米国の有名な経営コンサルタント会社であるPwCPricewaterhouseCoopers)が作成したタイムラインです

Follow_Up:2026年4月2日日経新聞_「アルテミス2」打ち上げ成功 有人で月を周回へ、半世紀ぶり

3.アルテミス計画のキーとなる技術開発
A. 輸送用巨大ロケットシステムの構築
Space Launch System(SLS)はアルテミス計画に使われる巨大ロケットシステムです。以下の写真でその巨大さが分かると思います;

このロケットシステムの元請け(Prime Contructor)企業はボーイング社です。各シリーズの搭載重量などの性能は以下の様な計画になっています;

上表の黒い帯に書かれている数字が月面に送りこめる搭載物の重量を表しています
尚、SLSに関する詳しい情報はNASAのSLSサイトをご覧ください

B. 有人宇宙船(オリオン)の開発
アルテミス計画では、2030年代までに火星や小惑星といった遠い天体に人類を送り込むことも目標としています。オリオン宇宙船はこれらの計画も見越して、6ヶ月程度の長期間の深宇宙(電波法施行規則第32条で地球からの距離が200万km以上である宇宙と規定)のミッションに対応できるようデザインされています。このシステムの元請け(Prime Contructor)企業はロッキード・マーチン社です。詳しい機能などの説明はこの会社のオリオン宇宙船のサイトをご覧ください
オリオンのシステムの全体像は以下のNASA提供の画像が分かり易いと思います;

画像の「Launch Abort System」とは、地上からの離陸時(最もリスクが高い)に緊急事態発生の際に脱出するシステムです。非常脱出の際は、ラッパ型の形状のモジュールの中ほどにある小型のロケットが噴射され、乗員が搭乗している「CREW MODULE」と共に分離して脱出できる仕組みになっています
*「Launch Abort System」のみの実射テストの動画

CREW MODULE」は地球に帰還する時に、時速4万キロの高速で大気圏に突入した時の超高温から搭乗員を守る様になっています(アポロ計画と基本的には同じ)。「SERVICE MODULE」は独自の推進システムを持っており、目的の月(火星)への軟着陸と離脱が行えるシステムです。詳しくはNASAの「Orion Spacecraft」のサイトをご覧ください

アルテミス計画の最初のステップにあたるアルテミス1は、2022年11月16日午前1時47分、フロリダ州のケネディ宇宙センターから無人で打ち上げられました;
アルテミスⅠのミッション全体図;

離陸⇒Launch Abort System投棄⇒メインエンジン停止・1段目のロケット分離⇒地球周回軌道・太陽電池展開⇒2段ロケット点火⇒⇒月へのスイングバイ軌道(注)移行⇒2段エンジン停止・2段ロケット分離⇒月周回軌道へ(11月21日/6日目)⇒帰還スイングバイ軌道(注)
(注)スイングバイ軌道とは:惑星(地球)や月の引力及び公転速度を使って加速し燃料を節約して飛行する方法(詳しくは私のブログ「宇宙に関わる基礎的な知識」をご覧ください)

⇒「SERVICE MODULE」から「CREW MODULE」を分離(12月11日/26日目)⇒大気圏に再突入⇒12月12日に無事太平洋上に帰還しましたました

C. ゲートウェイ(月周回有人拠点)の開発
ゲートウェイが何故こうした軌道を選択したかについては、下の図の説明及びこの項目最後の補足をご覧ください;

JAXAのサイトでは、ートウェイ機能について下の様な説明を行っています;
月周回有人拠点(Gateway)は、米国提案の国際宇宙探査計画「アルテミス計画」において、持続的な月面探査に向けた中継基地として、月周回軌道上に構築される有人拠点です。主にISS(注)計画に参加する宇宙機関が参画しており、各モジュールや構成要素の開発を分担しています
日本は、これまでのISSでの有人宇宙活動や、宇宙ステーション補給機「こうのとり」(HTV)で培った技術を活用し、Gateway計画に参画しています
2020年12月にはNASAとの間でゲートウェイ了解覚書(MOU)を結んでいる他、2022年11月にはゲートウェイ了解覚書(MOU)における協力内容を具体化したゲートウェイ実施取決めが署名されました
ISSの6分の1程度の大きさとなる予定で、将来的には4名の宇宙飛行士による年間30日程度滞在する予定で、火星有人探査に向けた拠点としての活動も期待されています
(注)ISS(国際宇宙ステーション)とは/JAXAの記事;
地球を周回する低軌道のモジュール式の宇宙ステーションです。これは、NASA、ロスコスモス(ロシア連邦の国営宇宙開発企業)、JAXA、ESA(欧州宇宙機関)、CSA(カナダ宇宙庁)の5つの宇宙機関が参加する多国籍共同プロジェクトです。宇宙ステーションの所有権と使用は、政府間条約と協定によって確立されています

主な諸元:軌道高度/408 km、消費電力/120KW、打上げ日/1998年11月20日、最初の仕様での質量/約420トン

尚、ゲートウェイは前項のPWCのタイムラインでは2024年に打ち上げられる予定になっていますが、2024年12月現在打ち上げは行われていません。打上用のロケットは、イーロンマスク氏が経営するSpace X 社のFalcon Heavyが使用される予定です。これはFalcon9の第1段を3本束ねたものをベースに設計されたロケットです。因みにFalcon9は世界初の一段目ロケットの回収・再使用が可能なロケットです
Falcon 9の打上・回収の動画

ゲートウェイの軌道(NRHO/Near Rectilinear Halo Orbit)に関する補足説明;
極軌道の意味、目的については私のブログ「ロケットに関わる基礎知識と日本のロケット開発の歴史」をご覧ください
ハロー軌道Halo Orbit)とは、近月点(約3,000 km)と遠月点(約70,000 km)の間を約6~7日で周回する軌道で以下の特徴があります(以下はChatGPTの回答も参考にしています)
① 地球と月の重力バランスを活用
NRHOは地球と月の重力のバランスを巧みに利用する軌道ラグランジュポイントを利用⇒詳しくは私のブログ「宇宙に関わる基礎的な知識」をご覧ください)であり、比較的安定した位置を保つことができます。このため、軌道維持に必要な燃料を最小限に抑えることが可能です。また、ハロー軌道では、月の一部と地球の間の通信が常に確保しやすいという利点もあります。
② 月の極域探査の利便性
楕円軌道の近月点が月の極地域に近づく設計となっているため、月の南極や北極へのアクセスが容易です。月の極域は、太陽光が一定して当たる「光の峰」や、永久影に存在する「水資源存在の可能性」があるため、探査や将来的な基地建設にとって重要なエリアです。
③ 着陸と再打ち上げの効率化
極軌道では、月面着陸や帰還時のエネルギー効率が高くなります。特に、ゲートウェイを中継点として利用することで、月面と地球間のミッション遂行が柔軟に行えます。例えば、アルテミス計画で利用される宇宙船「オリオン」や将来の着陸船が、ゲートウェイを経由して月面へ安全かつ効率的にアクセスできます
④ 通信と観測の安定性
NRHOでは地球との直接通信が比較的容易で、地球からの管制やデータのやり取りが安定して行えます。また、ゲートウェイ自体が月の表面全域を観測するための有利な位置にあります
⑤ 長期的なミッションの柔軟性
このハロー軌道は他の惑星や小惑星へのミッションにも利用しやすい中継点としての役割を果たします。将来的な火星探査など、月以外の目標に向けた拡張性を考慮しています

D. 月面基地の建設
以下の画像は、JAXA提供の月面基地のイメージ図です(空に一杯いろんなものが浮かんでいるのはちょっと不自然?);

月面基地の設置場所の検討;
月面基地が建設されるのは前掲のPwC社のタイムラインによれば、2030年以降になります。従って、設置場所についてはまだ十分に検討する時間があり、今後の月面調査活動によって決まってくると思われます
ただ、設置場所を決めるに当たって重要な要素として以下があります;
この基地が火星探査などの為に長期間運用されることを考慮すると、人間の生存に不可欠な(飲料水としての利用だけでなく、電気分解すると酸素と水素を得られ、ロケット燃料にも利用可能です)ヘリウム3核融合炉の燃料になります:詳しくは私のブログ「核融合炉についてちょっと勉強してみました」をご覧ください)
太陽電池による発電を行う為には、一定以上の太陽光が得られる場所である必要があります
地球との通信が安定的に行える場所である必要があります
長期間滞在することが必要なので、健康面から放射線や太陽風(太陽から吹き出す極めて高温で電離したプラズマ粒子)などの影響が少ない場所である必要があります
極端な温度変化が少ない場所であることが望ましい

これらを考慮すると、現在、最も有力視されているのは月の南極です
月の南極には太陽光が全く当たらない永久影が存在し、水が氷で存在している可能性が高いと言われています。また、永久影のすぐそばには、太陽光が常に当たる場所があり太陽光発電にに適した場所も同時に得られるという利点もあります

アルテミス計画に多くの国が参加した背景

アポロ計画は、宇宙開発で先行したソビエト連邦に、米国が追いつき、追い越すことを目的(国威発揚)として実行されました。結果は莫大な費用をかけた米国が勝利し、米国もソビエト連邦も、アポロ計画終了後は比較的低予算で実施可能な惑星探査の競争に移りました
これに対して、アルテミス計画はイノベーションハブとなる潜在力を秘めており、これにより多くの国々がこの計画に参加を求めてきたと思われます
イノベーションハブとは:大学や研究機関の技術や研究成果を活かし、社会課題を解決するための重要な拠点を意味します。これらのハブは、大学、政府、企業、金融機関などが連携し、新しい産業の創出や地域の活性化に寄与することが期待できます

因みに、JAXAはアルテミス計画をイノベーションハブとすることを以下の様に明確に宣言しています;
宇宙探査イノベーションハブ」は、産学官の研究結節点として様々な異分野の人材・技術を糾合させ、産学官での共同研究を行うことで、宇宙探査の在り方を変える Game Change(現状を打破し、根本的にものごとを変えること)を実現していく組織です。現在、「次世代エネルギー(パワーノード&グリッド)」、「次世代モビリティ」、「アセンブリ&マニュファクチャリング」、「ハビテーション」の4つの領域を中心に、段階的に発展する月探査アーキテクチャを見据えた研究に取り組んでいます
宇宙探査イノベーションハブ」は、将来の国際宇宙探査において、産業界等が持続的に探査に投資していくための玄関口として、重要なエコシステムの一部を担っていると考えています。産業界等の皆様と一緒に宇宙探査技術のIncubation(事業の創出や創業を支援するサービス・活動)を行い、得られた成果をJAXAの宇宙探査ミッションに活用していくこと、そして、企業の取り組みに繋いでいくことが大変重要だと考えています。このような2つの出口の創出を「Space Dual Utilization」と称し、我が国の国際プレゼンスと宇宙産業の持続性に貢献していくことを目指しています

<アルテミス計画における日本の役割>

① ゲートウェイの設計・製作における日本の役割分担
現時点では日本の担当分は以下の通りです;

esa:欧州宇宙機関

② 調査・研究に関わる日本の役割
* 2022年11月16日午前1時47分、アルテミス1打上ロケットにJAXAの2基の超小型宇宙船が搭載されましたが、以下の通りそのミッションは達成できませんでした;
世界最小の月着陸機 OMOTENASHIOutstanding Moon exploration Technologiesdemonstrated by Nano Semi-Hard Impactor)は、ロケットから分離されて以降、11月22日(火)日本時間2時までに通信が確立できず、月着陸に必要な月着陸マヌーバ(下図参照)の実施は不可能と判断されました

EQUULEUS (EQUilibriUm Lunar-Earth point 6U Spacecraft) は、東京大学中須賀・船瀬研究室  と JAXA が開発した箱型の地球・月系ラグランジュポイント(詳しくは私のブログ「宇宙に関わる基礎的な知識」をご覧ください)探査機です。打ち上げ後は地球・月系第2ラグランジュポイント 到着に向けて飛行を続けていましたが、2023年5月18日に通信が途絶してしまいミッションは達成できませんでした

* 2024年1月20日、日本のHⅡAロケットで月面探査機(SLIMSmart Lander for Investigating Moon)の打上げ実施
目的:小型の探査機によって、月への高精度着陸技術を実証すること、及び従来よりも軽量な月・惑星探査機システムを実現し、月惑星探査の高頻度化に貢献すること
結果:目標着陸地点から100メートル以内の誤差でのピンポイント着陸は成功したものの、着陸時は姿勢の異常で太陽電池パネルが稼働しませんでしたが、その後太陽の向きが変わって発電を始め、観測は同年8月25日まで継続することが出来ました;
2024年1月20日_240120_JAXA無人探査機、日本初の月面着陸成功 5カ国目
参考:SLIMの着陸状況(360度からのSLIMの写真をAIで再現 ⇒宇宙船本体が傾いており、陰になる向きでは発電が停止する状況がよくわかります)

月極域探査(LUPEX/Lunar Polar Exploration)の実施
JAXAは2025年度以降、インドとの共同で極域の水の採取を計画しています:


詳しくは「JAXA 月極域探機プロジェクト」をご覧ください

③ 月基地建設、月面活動に関わる日本の役割
日本の代表的企業もアルテミス計画に協同して以下の様な取り組みを行っています;
*トヨタ自動車の月面探査車開発
トヨタは、国際宇宙探査ミッションのひとつである月面での有人探査活動に必要な有人与圧ローバ(愛称「ルナクルーザー」)の共同研究を2019年から行っています月面は重力が地球の6分の1温度はマイナス170~プラス120℃真空強い放射線、表面は月の砂(レゴリス)に覆われており、大変厳しい環境での使用に耐える技術が必要です

詳しくはトヨタのウェッブサイトをご覧ください

*清水建設の月面基地建設構想への取組
清水建設は、永年にわたって蓄積した建設に関する総合技術力を月という新たなフロンティアで活かすべく、構造材料施工技術施設配置計画居住環境など多様な観点からの研究を積極的に進めています

詳しくは清水建設のウェッブサイトをご覧ください

④ 日本人宇宙飛行士の月面着陸
アポロ計画で月に降り立った宇宙飛行士は男性のみでしたが、アルテミス計画では計画の名称が女神であることから女性の飛行士が月に降り立つこと(アルテミス3/2025年9月)が決まっています
一方、アルテミス計画には米国人以外では初めて日本の宇宙飛行士・男女各一名の参加が決まっています(2020年代後半)

               米田あゆ・内田理
おわりに

現在までのアルテミス計画の進捗状況をざっとレビューしてみましたが、思った以上にNASA以外の計画に参加する国々との協同が行われていることと、アポロ計画では宇宙開発に関する技術レベルが米国と日本では余りにもかけ離れてましたが、現在では日本が計画全体に寄与している部分が多いのに驚きました
2026年には愈々56年振り(アポロ17号以来)に有人月面着陸が行われると共に、2030年までには日本の宇宙飛行士が月に降り立つことになっており、これを想像すると胸が躍ります(ただ、私が生きてこの場面が見られるかどうかはかなり怪しい?

月面基地及びゲートウェイ(月周回有人拠点)は、今後の惑星探査を始め「深宇宙」探査の中継基地になることは言うまでもありません。
一方、このミッションとは全く別に、昨今話題になることが多くなった地球を襲う大型の隕石の落下による被害を無くすために、天体観測の結果地球に飛来する可能性のある大型隕石の軌道を変える試みを、この基地に常駐する宇宙船が行うという夢が膨らんできました

6,600万年前、メキシコのユカタン半島沖に落下した隕石により大繁栄していた恐竜が絶滅したことは良く知られていることですが、つい最近(1908年)でも直径50~60メートルの隕石が大気中で爆発して強烈な空振が発生し、爆心地から半径約30~50キロメートルの森林が炎上、東京都とほぼ同じ面積の範囲の樹木がなぎ倒されたことがありました
これは人がほとんど住んでいないシベリアで起きたことからあまり注目されませんでしたが、この規模の隕石でも都市部に落下した場合はとんでもない被害となることは明らかです
人間の力で隕石の軌道を変えて地球を救うという試みについては、1,998年 の アメリカ合衆国 の SF映画「アルマゲドン」を思い出します。主演ブルース・ウィリスが宇宙船と運命を共にして軌道変更は成功するのですが、主演が死ぬというのは、やや日本的だったかも、、、、

以上

夏野菜の失敗談、他

はじめに

見出しの写真は、私の住んでいる市の隣にある所沢市の夏場の温度変化のグラフです。それぞれのシンボルの意味は;
灰色の棒グラフ2024年度の毎日の気温の範囲
赤い帯:昨年迄の毎日の最高気温の分布
赤い線;同期間の最高気温の平均値
青い帯:昨年迄の毎日の最低気温の分布
青い線:同期間の最低気温の平均値
グラフから、今年の夏の気温が昨年までと比べ異常な高温であったことがわかります

実は、昨年も相当な高温であったため、キュウリについては栽培途中で「遮光スクリーン」を使った栽培を試しましたが結局失敗(酷暑の中の屋上野菜栽培:2023年8月7日作成)しました。今年は満を持して色々な工夫を施した対応を実施しました(初春から初夏にかけての農作業!:2024年5月27日)が、再び失敗してしまいました。
昨年はキュウリ以外は大きな失敗は無かったのですが、今年は昨年を遥かに超える酷暑が続いたと共に、長引く病魔との戦いで体力が衰えた私自身が細かいケアができなかったこともあり、トマト、縞ウリ、葉物野菜、など昨年ほどの収穫ができないままに夏野菜の終焉の時期を迎えてしまいました。以下に、その失敗に関わる考察と来年への対応を含め、夏野菜の栽培結果及び秋冬野菜の準備開始の状況を述べてみようかと思います;

夏野菜栽培実績の報告

1.酷暑に耐え、豊かな収穫ができた野菜
① ナス
この夏は、昨年と同じく中ナス、水ナス、小ナスの三種類を昨年の倍以上の苗を育てましたが、よく酷暑に耐え、漬物(ぬか漬け、シバ漬け、浅漬け)、干物、サラダの材料、煮物・焼き物の材料、など充分すぎる収がありました。また、7月下旬には採れ過ぎることもあって一部のナスの更新剪定を大胆に!行う事によって現在(10月)に至るも紫色の濃い秋ナスの収穫が続いています。因みに酷暑のピークであった8月14日のナスの収穫状況(縞ウリ、キュウリも入っています)は以下の写真の通りです;

② 3尺インゲン
この野菜は原産地が東アフリカということもあって、6月以降現在(10月)まで酷暑を物ともせずほぼ毎日収穫できています。しかも、収穫しきれなかったインゲンがコンテナの中に落ちて、再び芽を出してスクスク!育っております
このインゲンは、茹でてから野菜サラダに入れる、煮物に使う、など多用途に使えて大変重宝な野菜です

③ オクラ
大きなコンテナ一つに3本植えましたが、現在(10月)でも毎日1~3本収穫できています。最初の2ヶ月ほどは1本仕立てで育成しましたが、9月に入ってからは徒長した茎をカットし、脇芽での収穫が続いています

2.一旦酷暑に負け、「遮光スクリーン」で成長を遂げた野菜
*唐辛子類(沖縄唐辛子、鷹の爪、剣先なんば)
8月初めに枯死したり、弱ったりした苗を植え替え、「遮光スクリーン」を使って写真の様に再生させることができました(9月以降は「遮光スクリーン」を外してあります)

3.酷暑に負けた野菜類
以下の野菜類については朝・夕の2回、大量の水遣りを続けていましたが、連日30度を超す酷暑、及び強い紫外線に負けて枯死、又は枯死に近い状態(成長が止まり、実をつけなくなった状態)となりました
① キュウリ
6月中は順調に育っていましたが、7月に入るとすぐに30度越えの日が続き、「遮光スクリーン」を下ろす前に急激に萎れ、水遣りを続けましたが全ての苗が枯死してしまいました。その後「遮光スクリーン」を降ろして新しく購入した苗を植えましたが、「遮光スクリーン」の中では順調に育ったものの十分な収穫ができませんでした
<来夏の対策>
*酷暑の為とは思いますが、今後先達の意見を聞きながら来年の植付迄に対策を考えたいと思います
② その他のウリ類(植付た苗はそれぞれ2~3本)
縞ウリ八町胡瓜(長野県)、漬丸君(長野県の漬物用ウリ)については、いずれも7月中はある程度の収穫はあったものの、8月に入ると酷暑に負けて結実しなくなりました。ただ、ゴーヤについては、酷暑には強い様で、現在まで少ないながらも収穫を続けています

③ トマト
7月中旬まで3段目の実までは良く育っていましたが、4段目以上からはキュウリの様に枯死はしないものの花が咲いても実にはならなくなりました。原産地が南アメリカなので酷暑のせいばかりではないと思われます
<来夏の対策>
*実付きが悪いのは酷暑のせい以外に、植物ホルモンの可能性も考えられるので、来年はプロの農家も使っているという「トマトトーン」を一部の苗に使って試してみたいと思っています

3.酷暑の原因ではなく収穫が殆どできなかった野菜
*ズッキーニ
これまでの経験から、必要収穫量から計算し大きなコンテナに2本だけ育てましたが、例年と違って雄花が殆ど咲かず大きな実になりませんでした。育成期間中に3回ほど雄花が咲きましたので人工受粉を行った所、例年通り大きな実をつけました
<来夏の対策>
ネットで調べても雄花を増やす決定的な対策は載っていないので、取り敢えず来夏は育成本数を増やす(4本程度)ことで対応したいと思います

秋冬野菜の準備

夏野菜に多くの手間をかけたせいで秋冬野菜の準備が遅れがちになっています。特にキュウリ、ナス、トマトなど、大型コンテナを多く使っていたものは、できるだけ早く秋・冬野菜の主役であるキャベツ、白菜などを植え付ける準備をしなければなりません
しかし、夏野菜の栽培に気力・体力を使い果たしたことで、例年の様に土の再生に多くの時間と手間をかけられませんので、今年は春に購入した電動耕運機で手間を省くと共に、従来から使っている化成肥料(窒素:リン酸:カリ=8:8:8)と牛糞堆肥の他に、ちょっと高価ですがプロがよく使っている「もみ殻堆肥」も使うことにしました

秋冬葉物野菜の種蒔きと育成
下の写真は、居間の出窓で育成中の白菜、ケール、キャベツ、サニーレタス、レタスの現在(10月)の発芽状況です。全体が赤くなっているのは、曇天の時に赤色のLEDを点灯して成長促進を図っている為です;

この他、タマネギ2種と長ネギについては9月初めに種まきを終え、現在以下の写真の様に順調に育っています

今後、中小のコンテナの土の再生が終り次第その他の葉物野菜についても種蒔きと育成を行う予定です

今後栽培を予定している葉物野菜:野沢菜、高菜、ホウレンソウ、小松菜大根、カブ、など

おわりに(反省!)

今年の夏野菜の栽培は、とても成功とは言えない出来栄えであった上に、体力的にも非常に厳しい状況であったことは間違いありません。これらは全てが酷暑の故と片付ける訳にはいきません
自身の能力の限界を弁えず必要以上に栽培数を増やし、結果として連日の収穫と水遣りに追われてしまったことで、中・小コンテナの野菜類を雑草だらけにして収穫不能としてしまったこと、

また、ナスばかり大量に収穫することとなり、結果として連日ナス料理が続き、我が家の料理人達(妻と同居の息子)に「料理のヴァリエーションを増やせ!」というプレッシャーをかけ続けたことは大いに反省すべきと考えています

従って、来年の夏野菜栽培は;
① 欲張らずに栽培数を減らす
酷暑に強い品種を選ぶ
「給水システム」を復活させる( 屋上栽培を始めた頃に作った)
などを実施して、弱体化する体力に見合った作業量になるよう工夫したいと考えています

以上

AeroSHARK についてちょっと勉強してみました!

はじめに

見出しの写真は上が海の支配者である「サメ」、下は空の支配者である「F22 ラプター( Rapter)」です。因みに Rapterとは猛禽類を意味します。サメは海の中を高速で遊泳して捕食し、成魚になれば無敵の存在です。一方F22は、超音速巡航性能(音速の2倍/時速約2,400キロ)高いステルス性機動性先進的なアビオニクスにより、現在世界最強の戦闘機であり、その優越性を維持するために同盟国にも輸出していません。何故かこの二つの写真はよく似ていると思いませんか?

ごく最近、ANAさんが貨物機の胴体にサメ肌のフィルムを貼って空気抵抗を減らし、燃費を削減すると共に結果としてCO2排出量を減らすことを高らかに?宣伝しています。ANAさんはこの技術を、ドイツの総合化学メーカーであるBASFとルフトハンザ航空から得ているとしています;
ルフトハンザ航空の事例
スイス航空の事例

大昔に航空学をちょっと齧った筆者としては、この技術を勉強し読者の皆さんに出来るだけ分かり易く説明しようと企てました。結果は以下の通りです

基礎的な知識

1.流体の粘性
粘性という言葉からは、ねばねばする「とろろ」とか「納豆」を連想してしまいますが、ここでは全ての流体に備わっている「粘性」についての法則を簡単に説明いたします;
① 水は液体で、比較的高い粘性を持っていますが、一般的な液体と比べると寧ろ低い方です。水の動きは滑らかで、日常生活で強い抵抗を与えることは少ないものの、川の流れに足を入れば、川から強い力を受けます。つまり水の流れの強さによって足(体)に掛かる力が変わることを体感できます
一方、
② 空気は気体であり、粘性は液体に比べて非常に低く、空気中を物体が動く際の抵抗は水に比べて少ないものの、台風などの強風に晒されると、水と同じ様に強い力を体感することができます
(注)上記①、②共に、強い流れにぶつかった時の「動圧」については、粘性の影響というよりは、流れを遮った時の圧力(質量をもっている流体を遮ることによる「反作用;下記ニュートンの第三法則)」)なので、むしろ、横を向いたときに感ずる流体から受ける摩擦力を実感して頂くと分かり易いと思います

粘性を持っている流体から受ける力は、上記の体感から「粘性の強さ」と「流速」に強い相関があることはお分かりいただけると思います
見出しの写真にある「サメ」は、空気に比べると粘性の高い水中を高速で遊泳するために所謂「流線形」をしており、尾びれは見事な「後退翼」になっています
一方 F22 は、空気の粘性は水に比べて圧倒的に低いものの、極めて高速で飛行する為に胴体はサメと同様に「流線形」をしており、横向きの写真で見えないですが主翼は「三角翼:前縁は強い後退角」になっています

<参考> 「ニュートンの粘性法則」について
ニュートンと言えば、「万有引力の法則」やニュートン力学の三つの法則「慣性の法則」、「運動の法則」、「作用・反作用の法則」で有名ですが、彼の功績には以下の「ニュートンの粘性法則」があります(ニュートンの物理学の貢献については「流量計測の歴史by小川胖」を参照してください)。流体力学はここから出発しているといっても過言ではありません(以下は、物理が大好きな人の為に引用しました);
2.境界層とは;
境界層(きょうかいそう/ boundary layer)とは、ある粘性流れにおいて、粘性による影響を強く受ける層のことです。1904年、ドイツの物理学者ルートヴィヒ・プラントルによって発見されました。何と!ライト兄弟による現代の航空機の初飛行の一年後にこの理論を発表しています
(参考)ルートヴィヒ・プラントル(Ludwig Prandtl 、1875年 2月~ 1953年 8月)は、ドイツの物理学者。 空気力学 の分野で顕著な業績をあげました 。特に、 境界層薄翼の理論 揚力線理論など、航空機の発展に多大な貢献をしています

例えば、静止している物体が置かれた所に一様に流れる流体を考えたとき、物体近傍の流体は粘性によって物体に引っ張られ、速度が減少します。当然その減少の度合いは物体から離れるにつれ小さくなってゆきますが、ある距離で無視できる程度になります。そこで、この距離を境に粘性が強く影響する層無視できる層に分けることができます。これを「境界層近似」といい、粘性を強く受ける方の層を境界層と呼んでいま
この「近似」の適用によって、境界層外では比較的平易な非粘性流の解析を用いることができるため、流体の解析を効率的に行うことができます
また、境界層内の摩擦によって生ずる力の反作用として物体に発生する抗力(物体を流されない様に支える力)が発生します

3.境界層の剥離;
航空機の安定した飛行を実現しているのは、境界層の上をスムースに空気が流れている場合であり、何らかの理由(例えば翼の迎え角を大きくした場合など)でこの境界層が剝がれると、大きな渦ができ大きな抵抗が発生して、航空機の場合、揚力が失われる緊急事態となります。全面的な剥離でなくても、部分的な境界層の剥離は大きな抗力が発生し燃費性能の低下振動の発生操作性の異常、など深刻な事態を招きます

境界層の制御

1.ヴォルテックス・ジェネレータ(Voltex Generator )とは
Voltexとは「」、Generatorとは「発生器」を意味します。日本語の表現としては「ヴォルテックス・ジェネレータ」が一般的です。以下この呼び方に統一します
戦後早い時期から航空機の空力設計に取り入れられていましたが、最近では高速走行が売り物の自動車にもヴォルテックス・ジェネレータが装着されています
私が日本航空に入社した当時、DC-8 型機が主流であり、B747型機は導入されたばかり、国内線には最新鋭のB727型機が高い飛行性能で注目されていましたが、この機種には既に機体の一部にヴォルテックス・ジェネレータが装備されていたことを記憶しています

境界層が剥離すると空気抵抗が増加するので、ヴォルテックス・ジェネレータはこの剥離を防止する手段として主として剥離しやすい部分に取り付けられます。設計の段階では設置場所を決めるのは難しいので、模型による風洞実験で最も剥離しやすい部分を特定し設置されます
ヴォルテックスジェネレータは意図的に「縦渦(接触表面から立ち上がる様な渦を発生させ上層の高速な流れと下層の低速な流れ(前節「境界層とは」の流れの速度分布を参照)を混合し、剥離点を下流に移動させることにより、表面に沿った圧力分布が改善され、全体的な空気抵抗が減少します。これにより結果として燃費の向上も図れることになります。以下は、現在就航している機種のヴォルテックス・ジェネレータの写真です;

2.リブレットとは
リブレット(riblet)とは、特定の形状を持つ小さな溝や隆起が表面に並んだ微細な構造のことを指します。リブレットは、空気や水の流れを効率的に制御し、摩擦を減少させるために使用されます。最初は、サメの皮膚の微細な構造を参考にして開発されました。サメの皮膚には小さな鱗があり、それが水の流れを滑らかにし、摩擦を減少させる効果があります。この原理を模倣したのがリブレット技術です。

実用化されているリブレットは、表面に沿って並んだ微細な溝のパターンから成っています。これらの溝は通常V字型」、「U字型」、「台形型」で、流体が流れる方向に沿って配置されています。これらの溝の幅や深さは非常に小さく、通常数ミクロンから数百ミクロンのオーダーです(ミクロン=千分の1ミリメートル)

                                         JAXAスーパーコンピューターでのシミュレーション画像

こうしたリブレットは、航空機の翼、風力発電機のブレード、船体、車両など、さまざまな分野で既に使用されており、流体の抵抗を減らすことでエネルギー効率の向上を実現しています

3.リブレット技術の航空機への活用
現在、リブレット技術の活用方法は以下の二方式があるようです;
① ANA方式(=BASF・ルフトハンザ航空方式)
「はじめに」で述べた方法は、 BASFが開発したサメ肌に加工された薄いシートを航空機の胴体に貼る方式です。ボーイング777型貨物機では、一枚の大きさが「1メートル50センチメートル」のフィルムを約2千枚使用するとのことです。このフィルムは4〜5年での張り替えを想定しているそうです(この張替の間隔は、恐らく同間隔で実施される重整備・改修作業のタイミングと一緒に実施されると考えられます)
詳しくは2024年9月2日の日経新聞記事「ANA、サメ肌貨物機を初就航 SAF普及に先駆け燃料削減」をご覧ください

② JAL方式
JALについても、既に昨年(2023年)にリブレット実験結果を公開しています。この方式は加工されたフィルムを貼るのではなく、機体の塗装面に直接レーザー加工する方式です
詳しくは、2023年3月14日の日経新聞記事JALも「サメ肌」航空機 直接加工で耐久性に強み」をご覧ください

Follow Up_2025年1月9日_日経新聞「JAL、国際線に「サメ肌」機 抵抗減らしCO2排出低減

おわりに

このブログを書く為に、数十年遠ざかっていた空気力学を再び学びなおす機会が得られました。遠い昔になった学生時代に「航空機の発達は自然から学んだことが多い」と授業で言っていたお年寄りの教授を思い出します。リブレットなどはサメから学んだわけですから、正にその一例ですね
飛行機の形の変遷や、空気力学的な色々な発明は鳥から学んだことが多いと言われています。例えば、現在の高速な旅客機や戦闘機の翼型は、獲物を見つけて急降下する猛禽類の翼型にそっくりです
また、現在の旅客機は燃費を節約するために主翼の翼端にウィングレット(上方に反り上がっている)を装備している機体が殆どです。これは、飛行機の重量を支えている主翼は、主翼下面の圧力が上面の圧力より高くなっている為、翼端で下面の空気が上に回り込んで大きな渦を作り出してしまいます。この渦は飛行機の抵抗となりますので燃費性能が悪化することになります。ウィングレットはこの影響を最小化するために装備されています
この翼端の渦を長距離飛行をしなければならない渡り鳥の群れは積極的に活用しています
写真の渡り鳥の編隊飛行は正にこの翼端渦を集団としての省エネ飛行に活用しています
しかし先頭のリーダーの鳥は、後方左右の鳥の飛行を一部支えていることになるので負担が大きいと思いますが、リーダーであればしょうがないか? あるいは疲れるとサブリーダーと交代するのか? 自然はとにかく凄い!

Follow Up_ネット上で見つけた翼端の渦の分かり易い写真。通常この翼端渦は透明な空気中では見えませんが、偶々航空機の後方に雲があったため翼端渦が雲を巻き込んでいる写真が撮れたものです:
                                   以上

パレスチナ問題についての一考察

―はじめに―

現在のパレスチナの状況は、昨年(2023年)10月7日のハマスによるイスラエル奇襲が発端となっています
当日、約2,900人のハマス戦闘員がイスラエル側に侵入し、付近の住民を含めユダヤ人1139人を殺害すると共に人質251人がガザ地区に連行され、トンネルなどに拘束されました(イスラエル軍からの情報によれば、2024年8月現在111人は今もガザで拘束されており、 39人は既に死亡しているとのこと)

上の画像は、翌8日、パレスチナ自治区ガザから発射された2千発を超えるロケット弾を、イスラエルの防空システム「アイアンドーム」で迎撃している状況です
この奇襲は、欧米先進国のハマスに対する非難を呼ぶと共に、それまで進んでいたイスラエルと中東アラブ主要国との雪解けムードに水を差す結果となりました。またイスラエルの報復攻撃によってガザ地区住民に多くの死傷者を出す結果となりました(8月下旬の時点で子供を含む死者が4万人を超えています)
米国、エジプト、カタールによる停戦の仲介が精力的に行われているものの、ハマスをバックアップしているイランを訪問中であったハマス指導者イスマイル・ハニヤ氏の暗殺が行われたことから、イラン・イスラエル間の大規模な戦争の危機も考えられる状況になってきました

我々日本人にとって、有史以来世界史の中心になってきた中東地区の政治状況を理解するのは中々難しい事ではありますが、浅学を顧みず勉強してみた結果を以下にご紹介したいと思います

目次

* 基礎的な知識
パレスチナ地域をめぐる帝国、王国の興亡_Quick Review
ユダヤ人受難の歴史
イスラエルの独立とパレスチナ人受難の歴史
おわりに(パレスチナ戦争に関する私見)
(注)下線のある章にはクリックすることによりジャンプできます

基礎的な知識

0.ユダヤ人、ヘブライ人、イスラエル人の違いとは;
結論先に言うと全て同じ民族を指しています
*ユダヤ人:“バビロン捕囚
(後述します)”以降の呼び名。イスラエルを構成する12部族のユダ族が由来です
*ヘブライ人:他民族からの呼び名。特にエジプトの奴隷時代にそう呼ばれていた
*イスラエル人:イスラエルという国に住んでいる自らの呼び名です。神から与えられた名で、宗教的な意味を含む
「イスラエル」の宗教的な意味とは;
イスラエルという国名は、旧約聖書に登場するヤコブ(Jacob)という人物に由来しています。ヤコブは神と格闘し、その後神から「イスラエル(Israel)」という名前を授けられました。この名前はブライ語で「神と闘う者」または「神に勝つ者」という意味があります
ヤコブには12人の子供がいて、彼らの子孫がイスラエルの12部族の祖先となりました。このため、イスラエルという名前は神の子孫とその国を指すようになりました
尚、十字軍の侵攻によって生まれたイスラエルという国(後述)の人々は、必ずしもユダヤ人ばかりとは限りません。十字軍は中世において、ヨーロッパのキリスト教徒が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するために行った遠征です。その過程で、現地の住民や他の地域からの移住者が混ざり合いました。
イスラエルのユダヤ人の歴史は、十字軍よりもはるかに古く、紀元前千年頃にダビデ王がエルサレムを首都としたユダ王国(後述)にまで遡ります
以降、特に説明をせずに、参照した資料で使われている名称をそのまま使用しています

1.アラブ人とは;
主にアラビア半島や西アジア、北アフリカなどの国々に居住し、アラビア語を話しアラブ文化を受容している人々を指します。7世紀にムハンマド(マホメット)によってイスラム教が開かれ、今もなお中東・北アフリカの多くの国々はイスラム教を国教としています(下図参照)

*上記の国々はアラブ人が大多数を占めています。因みに、これらの国々の人口の概数は以下の通りです;サウジアラビア(約3,500万人)、イラク(約4,000万人)、エジプト(約1億人)、シリア(約1,800万人)、ヨルダン(約1,000万人)、レバノン(約600万人)、バーレーン(約170万人)、クウェート(約450万人)、オマーン(約500万人)、カタール(約280万人)、UAE/アラブ首長国連邦(約1,000万人)、モロッコ(約3,600万人)、アルジェリア(約4,400万人)、チュニジア(約1,200万人)、リビア(約700万人)、スーダン(約4,500万人)
*パレスチナ問題では度々イラントルコが登場しますが、イラン人、トルコ人の大多数はアラブ人ではありません
(参考)スーダンとソマリアに挟まれた国の南部はエチオピアです。キリスト教徒が2/3、イスラム教徒が1/3の人口構成です。一方、北部の紅海沿いの国はエリトリアで、1993年にエチオピアから独立しました。キリスト教徒とイスラム教徒人口が半々の人口構成です

2.イスラム教の二大宗派とは;
ムハンマド(マホメット)によって開かれたイスラム教は、現在スンニ派シーア派に分かれており過去から争いが絶えません。ただ、イスラエルを敵視している点は両派とも変わりはありません。同じ国にこの2つの宗派が混在している国も多くあります
スンニー派住民の割合;

シーア派住民の割合;

3.パレスチナ人とは;
パレスチナ人とは、主にパレスチナ地域に住むアラブ人を指します。彼らは独立した民族として認識されており、歴史的にはこの地域に長く住んでいた人々です。パレスチナ人の多くはイスラム教スンニ派を信仰していますが、キリスト教徒も存在します
パレスチナ人の起源は、東ローマ帝国時代のヘブライ人サマリア人(下記注参照)などがアラブ人の征服によって次第にイスラム教に改宗し、言語的にアラブ化したことにあります。現在、パレスチナ人はパレスチナ地域だけでなく、以下の国々にも移住しています;
①パレスチナ(約400万人)、②ヨルダン(約300万人)、③イスラエル(約132万人)、④チリ(45〜50万人)、⑤シリア(約44万人)⑥レバノン(約41万人)エジプト(約7万人)アメリカ合衆国(約7万人)、⑨ホンジュラス(約5万人)、⑩クウェート(約5万人)、⑪ブラジル(約5万人)、⑫イエメン(約2万人)、⑬カナダ(約2万人)、⑭オーストラリア(約2万人)、⑮コロンビア(約1万人)、⑯グアテマラ(約1400人)
(注)サマリア人とは:ホロン(テルアビブ近郊)とシェケム(ヨルダン川西岸地区のナーブルス/Nablus近郊)を中心に住む人々。北イスラエル10部族のうちエフライム族・マナセ族に加え、レビ族の末裔を自認している人々

4.パレスチナ問題に登場する国家ではない主な政治・軍事集団;
① ファタハ:主にパレスチナのヨルダン川西岸地区を拠点としています。この地域には約309万人のパレスチナ人が住んでおり、ファタハはその中で大きな影響力を持っています。尚、ファタハの正確な人口は公表されていません
ファタハは、1957年にヤーセル・アラファト(1929年8月~2004年11月)によって設立されたパレスチナの政党です。その名称は「パレスチナ民族解放運動」(Harakat at-Tahrir al-Watani al-Filastini)のアラビア語の頭文字を逆に並べたもので、「征服」や「勝利」を意味します
ファタハは、パレスチナ解放機構(PLO/Palestine Liberation Organizationの主要な構成組織であり、イスラエルに対する武装闘争を行ってきました。1967年の第三次中東戦争後にPLOに加入し、アラファトがPLOの議長に就任しました。その後、ファタハはレバノンに本拠を移し、1980年代には穏健路線に転換しました。
2006年のパレスチナ評議会選挙ではハマスに敗れましたが、現在もマフムード・アッバースがパレスチナ自治政府の大統領としてファタハを率いています

②ハマス:1987年、パレスチナ住民の反イスラエル闘争(インティファーダ:後述します)が広がった際に結成されたスンニ派イスラム武装組織ガザ地区で活動する戦闘員は約3万人(この数は2023年10月7日の軍事衝突が始まる前の段階での推定)とされています。2006年にはパレスチナ評議会選挙で勝利し、その後ガザ地区を武力制圧し、2007年からガザ地区を実効支配しています
尚、ガザ地区には約230万人のパレスチナ人が住んでおり、世界で最も人口密度が高い場所の一つになっています。ガザ地区はイスラエルが設置した壁やフェンスに囲まれており、移動の自由が無いことから「天井のない監獄」と呼ばれており、住民の約8割が国際支援を頼りに生活している状況です
③イスラム聖戦:1979年のイラン革命に影響を受けて設立されたスンニ派の軍事組織です。ガザにおいては同地区を実効支配する「ハマス」に次ぐ規模を持ち、武力でイスラエルを打倒し、イスラム国家を樹立することを目指しています。ガザ地区における戦闘員数は、正確な数を把握するのが難しいのですが、数千人規模とされています。最近の報道によると、イスラエル軍はガザ地区で600人以上の戦闘員を拘束したと発表しています
*2019年11月、ガザ地区からのロケット弾発射に対する報復としてイスラエル軍によりバハ・アブー・アル=アタ司令官の自宅が攻撃を受け、司令官とその妻が死亡しました


④フーシ派:
イランからの支援を受けたシーア派の反政府武装組織で、イエメン政府と約20年間戦い続け、主にイエメンの北西部と首都サヌアを実効支配しており、サウジアラビアのアシール地方南部にも活動地域があります。フーシ派の戦闘員の数は、2022年の推定で最大約20万人とされています
*今回のハマス・イスラエル戦争において、ミサイルでイスラエルへの攻撃を行うと共に、紅海の出口付近で一般商船の拿捕、米軍への攻撃などを行っています

2024年8月24日_フーシ派、紅海で石油タンカーを攻撃したとする映像公開・原油15万トン積載

⑤ヒズボラ:ヒズボラは1982年に結成されたシーア派イスラム主義の政治・武装組織です。イランとシリアからの支援を受けており、レバノン南部やベイルートを拠点に活動しています。
彼らは、イスラエルの殲滅やレバノンでのイスラム共和制の樹立を掲げており、主な居住地は、レバノンの南部とベイルートの南部郊外です。特にレバノン南部のナバティエ県やベッカー県に強い影響力を持っています。
ヒズボラの正確な人口は公表されていませんが、戦闘員の数は数万人と推定されています。また、ヒズボラはレバノン国内で広範な支持基盤を持っており、特にシーア派コミュニティからの支持が強いと言われています
*今回のハマス・イスラエル戦争においては、度々ミサイルでイスラエルを攻撃しています
FollowUp:2024年9月24日「イスラエルのレバノン空爆、最大規模 死者550人以上に

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パレスチナ地域をめぐる帝国、王国の興亡_Quick Review

パレスチナ地域は紀元前から多くの帝国、王国の興亡があり、これらを簡単に説明するのは容易ではありません。従って筆者が高校時代の世界史の授業で使われた吉川弘文館の「世界史地図」からの抜粋、及びネット上に掲載されている歴史地図を以下の様に年代順に並べ、視覚的に歴史の大雑把な流れを理解してもらうことにしました

紀元前10世紀頃にはイスラエル王国とユダ王国が存在していました

紀元前722年、アッシリア帝国が北のイスラエル王国を征服しました

紀元前587年、バビロニア帝国が南のユダ王国を征服しました

紀元前539年、アケメネス朝ペルシアがバビロニアを征服し、パレスチナ地域を支配しました

紀元前332年、アレクサンダー大王がペルシアを征服しました

紀元前63年、ローマ帝国がパレスチナを支配しました

7世紀、イスラム帝国(ウマイヤ朝、アッバース朝)が支配しました

11世紀、十字軍が一時的にエルサレム王国を建国しました

12世紀末、アイユーブ朝(スンニ派のイスラム王国)が十字軍を排除し、イスラム支配を回復しました

16世紀、 オスマントルコ帝国がパレスチナを含む中東、北アフリカを支配し、この状態が第一次世界大戦まで続くことになりました

1917年、 第一次世界大戦の結果、イギリスがパレスチナとトランスヨルダンを委任統治することになりました

1948年、イスラエル国が建国され、現在に至っています
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ユダヤ人受難の歴史

紀元前12世紀頃の出エジプト記;
出エジプト記/the Exodus」はユダヤ教のヤハウェ神旧約聖書に登場するユダヤ教の唯一神であり、万物の創造者とされています)によるユダヤ民族に対する救済であり、ユダヤ教の成立の最も重要な契機とされていますが、同時代の他の歴史資料には見られません。ただ、パレスチナの遊牧民が豊かなエジプトに移住し、建築労働などに従事していたことはメソポタミア側の資料に出てくることが知られており、全くの虚構であるとは言えません。ヘブライ人の一部がエジプトで奴隷とされたこと、彼らがパレスチナに戻り、その経験がイスラエル人全体の民族的体験に拡大されたことは十分に考えられます
旧約聖書には、ヘブライ人は「ピトムとラメセス」の町の建設に従事したとあり、これはエジプト新王国のラムセス2世(新王国第19王朝のファラオ/在位:紀元前1279年頃 – 紀元前1213年頃)が建設した「ラメセスの家」のことと考えられます

出エジプト記」は、旧約聖書の中の2番目の書(因みに有名な1番目の書は「創世記」)で、モーセがエジプトで奴隷となっていたヘブライ人を率いて、約束の地カナン(現在のパレスティナ地方)へと導く物語が描かれています。旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教において重要な聖典とされており、神と人間の契約、信仰、解放といった普遍的なテーマが扱われています。この物語の中では預言者「モーセ」がユダヤ人を率いて紅海を割って渡り無事に脱出した後シナイ山で神から「十戒」を受け取り、イスラエル人と神との契約が結ばれます。このエピソードは大変ドラマティックなので、ハリウッドで映画化されており、私も幼い頃この映画「十戒」を見て大変感動したことを思い出します。因みにモーセ役は、確か?「チャールトン・ヘストン」、ラムセス2世役は「ユル・ブリンナー」が演じていたと記憶しています

古代ローマ時代のユダヤ人迫害
古代ローマは紀元前753年に建国され、紀元後476年に滅びました。紀元前1世紀から紀元後3世紀まではローマ帝国の最盛期と見なされています。古代ローマ時代とは王政ローマ期(紀元前753年~紀元前509年)を指しますが。この時代ローマ帝国の支配下で、ユダヤ人は何度も反乱を起こし、その結果、パレスチナからの追放や、ローマ帝国各地への分散(ディアスポラ)を経験しました
ディアスポラとは:ギリシャ語で「散らされたもの」という意味を持つ言葉です。歴史的には、故郷を離れて世界各地に散らばった人々やそのコミュニティを指す言葉として用いられて、特にユダヤ人のディアスポラが有名で古代イスラエル王国の滅亡後、ユダヤ人たちはバビロン捕囚(下記参照)などを経て、世界各地に散らばっていきました。このユダヤ人のディアスポラは、長い歴史の中で宗教的迫害や政治的な動乱など様々な要因によって繰り返され、現代に至るまで世界各地にユダヤ人コミュニティが存在しています
ユダヤ人のディアスポラの特徴としては以下が挙げられます
① 故郷・イスラエルの地への強い思い
② 離散先でも独自の文化や伝統を守り続ける
(⇔他民族と同化しない?)
③ 迫害を受けた結果としてのユダヤ人コミュニティー内の強い結束力

紀元前5世紀 のバビロンの捕囚
新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを始めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、移住させられた史実を指していますネブカドネザル2世は、ユダ王国の首都エルサレムを含む多くの都市を征服しました。彼は生き残った人々の大半をバビロンに強制移住させました。 最初の捕囚は紀元前597年、その後紀元前587年(又は586年)、紀元前582年(又は581年)、最後の捕囚は紀元前578年に行われたとされています
その後これらの捕囚となったユダヤ人はアケメネス朝ペルシャの初代の王キュロス2世による勅命(紀元前538年)によって解放され、イスラエルに戻ってエルサレムで神殿を建て直すことを許されました

中世ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害
1.1096年の第一次十字軍中に、多くのユダヤ人が殺害された「十字軍の虐殺」がありました。特に「民衆十字軍」と呼ばれる一団が、ヨーロッパ各地を通過する際にユダヤ人コミュニティを襲撃し、多くのユダヤ人を殺害しました。虐殺の正確な人数を特定するのは難しいですが、歴史家たちは数千人から数万人に及ぶと推定しています
こうした迫害が起こった背景は以下が考えられます;
宗教的要因:十字軍は、キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還することを目的としており、この宗教的熱狂は、異教徒と見なされたユダヤ人に対する敵意を煽ることになりました。多くの十字軍参加者は、ユダヤ人を「キリストの殺害者」として非難し、彼らに対する暴力を正当化しました
経済的要因:ユダヤ人は中世ヨーロッパで商業や金融業に従事しており、しばしば富裕層と見なされていました。十字軍の遠征には多額の資金が必要であり、ユダヤ人の財産を略奪することで資金を調達しようとする動きがありました
社会的要因:中世ヨーロッパでは、ユダヤ人はしばしば社会の周縁に追いやられ、差別や迫害を受けていました。十字軍の遠征は、このような社会的緊張を一層悪化させ、ユダヤ人に対する暴力行為が頻発しました

2. 1492年、スペインのカトリック君主フェルナンドとイサベルによってスペインからユダヤ人が追放されました
3.ポルトガルでも1497年にユダヤ人が強制的に改宗させられ、逃亡した者は処罰されました

近代ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害
1.ロシア帝国によるユダヤ人迫害
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、ロシア帝国やその周辺地域でポグロム(Pogrom/ロシア語/破壊、暴動)と呼ばれるユダヤ人のコミュニティーに対する暴力的な襲撃が頻繁に発生しまし、多くの人々が殺害されたり、財産を奪われたりしました。その他に;
皇帝エリザヴェータ(在位1741-1762)の時代には、ウクライナ、ロシアからのユダヤ人全員を追放し、以後入国も禁止しました
皇帝ニコライ1世(在位:1825年 – 1855年)は、ユダヤ人対策を強化しました。ユダヤ人に対してロシアの学校に通学するか、ロシア語で授業をすることを強要したものの、ロシア帝国公認の学校に通うユダヤ人生徒数は数千人にとどまった為、皇帝はユダヤ人への不信感をつのらせ、密輸入やスパイ容疑をかけられたユダヤ人は定住地域の境界線から50km以内の町や村からの強制退去を命じました。1827年にはユダヤ人徴兵法が成立させ、それまで人頭税で兵役を免除されていたユダヤ人にも兵役が義務づけられ、7歳以上のユダヤ人の子供を軍事教練に送りこむと同時にキリスト教に改宗させました
皇帝ニコライ2世(在位1894 – 1917年)は、1882年の臨時条例よりもユダヤ定住地域をさらに狭めて、ロシア人農民がユダヤ人から搾取されないようにユダヤ人の田園地帯・キエフ・ヤルタ(皇帝離宮がある)などでの居住を禁止すると共に、定住地域外では、ユダヤ人がロシア風を名乗る改名を禁止し、ユダヤ商店ではユダヤ人であると分かるように店舗に明示することが義務づけました。また、1887年から学校でのユダヤ人定員が制限されました

Follow_Up:2024年10月3日「イスラエルの強硬姿勢の源流ホロコーストともう一つの「虐殺」とは_朝日新聞デジタル

2.ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害
 1933年から1945年にかけて、ナチス・ドイツによるホロコーストが最も悲惨なユダヤ人迫害の一つです。約600万人のユダヤ人が虐殺されました
*アンネの日記:チスドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっています。国家社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人狩りを避けるために、咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ8人のユダヤ人達の生活を下の写真にある少女・アンネ・フランクが活写したもの。密告によりナチス・ドイツのゲシュタポに捕まるまで、執筆期間は1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されており、彼女の死後、生き残った父オットー・フランクの尽力によって出版され、世界的ベストセラーになりました


*夜と霧:
精神科医であった
ヴィクトール・E・フランクルのドイツ強制収容所の体験記録ですが、余りにも有名な書なので読んだことがある人は多いと思いますが、私は少年時代夏休み中父の実家に行ったときに従姉の本棚からこの本を見つけて読みました。この時の衝撃は忘れられません
ユダヤ人狩りはドイツ内だけでなく、ナチスドイツが占領した国々でも行われ、下図にある強制収容所に送り込まれした

Poland/ Germany: Jewish men, women and children surrender to Nazi soldiers during the Warsaw Ghetto Uprising, May 1943. (Photo by: Pictures from History/Universal Images Group via Getty Images)

収容されたユダヤ人の運命は「死」

*我が闘争:ナチス党を創立したアドルフ・ヒトラーは、 1923年11月9日にクーデター(ミュンヘン一揆)を企てましたが失敗に終わり、逮捕・投獄されました。この書はその獄中で執筆を開始しました。この書でヒトラーは、自身の思想やナチズムの理念を体系的にまとめています。主な内容としては;
ヒトラーの生い立ちと政治思想の形成(アーリア人優越論)幼少期からナチ党結成までの経緯ヴェルサイユ条約批判反ユダヤ主義(ユダヤ人に対する憎悪反共産主義民族主義など、ヒトラーの思想形成過程が描かれています
この書が、ナチス党が政権を取りヨーロッパの国々を占領した後のユダヤ人の拘束と、虐殺に繋がったことは明らかです
尚、この書にはユダヤ人に対する憎悪程ではありませんが、日本文化を軽蔑している箇所があります。太平洋戦争開戦の重要なきっかけとなった日独伊三国同盟(1940年9月27日締結)を強力に推進した外務大臣・松岡洋介や陸軍幹部(⇔海軍はこの条約に反対していた)がこの書を読んでいたのか不思議と思わざるを得ません(筆者個人の意見)
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イスラエルの独立とパレスチナ人受難の歴史

第一次世界大戦(1914年~1921年)中のイギリスは、強大な敵であるオスマントルコ帝国との戦いを有利に進める為に、1915年に帝国内のアラブ人に対して独立を支持することを約束しました(マクマホン協定)。一方、1917年には裕福なユダヤ人から莫大な戦費を賄うための財政支援を受けるために、イギリス外相バルフォアがパレスチナにユダヤ民族国家の建設を認めることを約束しました(バルフォア宣言)、この矛盾する約束を行っていたことが、1948年のイスラエル独立ともに、イスラエルとアラブ諸国との間の熾烈な戦争を招くことになりました
*ハリウッドの大作映画「アラビアのロレンス」は、イギリス軍から派遣されたロレンスが、アラブ世界の盟主であるサウド王と協力してトルコ帝国軍を打ち破る成果を挙げたものの、イギリスの裏切りにあって失意の内にアラビアから去っていく物語です

戦争の結果、オスマントルコ帝国は敗北し、1920年に連合国 との間でセーヴル条約)を結びました。この条約により、帝国の領土は大幅に削られることとなりました
(注)この条約では、帝国内の領土であったイラクパレスチナ・シリア全域アラビア半島の放棄イスタンブールと隣接地以外のギリシアへの割譲、治外法権の存続、財政の連合国共同管理などが定められています
この条約により、帝国の領土は大幅に削減され、最終的には1922年にオスマン帝国は崩壊し、トルコ共和国が成立しました。ケマル・アタテュルク率いるアンカラ政府受諾を拒否し、ギリシア・トルコ戦争の勝利後、1923年にローザンヌ条約を結び、セーヴル条約 を破棄しました

第二次世界大戦後、国際連合総会は1947年11月29日にパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する「国連決議181号」を採択しました。この決議は、パレスチナ地域の56%をユダヤ人国家に、43%をアラブ人国家に割り当てる内容でした
この分割案は、イギリスの委任統治を終わらせ、エルサレムを特別な国際管理地区とする内容ですが、ユダヤ人側はこの案を受け入れたものの、アラブ諸国およびパレスチナ側の指導者たちは拒否しました。その結果、地域内での緊張が高まり、以下の中東戦争が勃発しました
*以下を見ると分かるのですが、第一次~第四次中東戦争を経るうちにイスラエルの占領地が徐々に増えていくことになります

第一次~第四次中東戦争とレバノン内戦;
第一次中東戦争(1948年5月~1949年3月);
参戦国: イスラエルエジプト・ヨルダン・シリア・レバノン・イラク・サウジアラビア・イエメン
勝敗: イスラエルの勝利
死傷者数: イスラエル側6,373人が戦死。アラブ側ではエジプト約2,000人、シリア約1,000人、その他の国も含めて多数

第二次中東戦争
1956年10月~11月);
参戦国: イスラエル・イギリス・フランスエジプト
勝敗: イスラエル、イギリス、フランスの勝利
死傷者数: イスラエル側で231人が戦死エジプト側では約1,000人が戦死

第三次中東戦争(1967年6月);
参戦国: イスラエル 対 エジプト・シリア・ヨルダン・イラク
勝敗: イスラエルの勝利
死傷者数: イスラエル側で776人が戦死。アラブ側ではエジプト約11,000人、シリア約1,000人、ヨルダン約700人
この戦争はイスラエル側の圧倒的勝利に終わり、イスラム教の聖地でもあるエルサレムを含むヨルダン川西岸地区ガザ地区だけでなく、エジプト領のシナイ半島シリア領のゴラン高原をも占領しました
イスラエル軍は、以後テロリストや武装グループとの戦闘、治安維持活動、または反政府活動を行うパレスチナ人に対する抑圧的な作戦を行っています。これらの作戦は屡々パレスチナ人との間での衝突を引き起こし、暴力の連鎖を生んでいます
ヨルダン川西岸地区は、国際的にはパレスチナの一部として認識されていますが、イスラエルはこの地域にユダヤ人の入植地を建設しています
2023年~2024年にかけて、イスラエル軍の活動はエスカレートしており、特に入植地周辺やパレスチナ人居住区での家屋の破壊、住民の拘束を行うことからパレスチナ人との衝突が増加しています

第四次中東戦争(1973年10月);
参戦国: イスラエルエジプト・シリア
勝敗: イスラエルの勝利
死傷者数: イスラエル側で約2,800人が戦死、8,000人が負傷エジプトとシリア側では約15,000人が戦死、30,000人が負傷
* この時アラブの石油輸出国は、原油の生産量を減らすとともに、イスラエルを支持する国々への輸出禁止を決定しました。 1974年には原油価格が4倍に上昇し、石油輸入国に大きな打撃(日本における「第一次オイルショック」)を与えました
この戦争の後、エジプトとイスラエルの関係は大きく変わりました。この戦争はエジプトとシリアがイスラエルに対して奇襲を仕掛けたもので、シナイ半島やゴラン高原の奪還を目指していました

戦争後、エジプトとイスラエルは和平交渉を進め、1978年にキャンプ・デービッド合意が成立しました。この合意に基づき、1979年にエジプトとイスラエルは平和条約を締結し、1982年までにイスラエルはシナイ半島をエジプトに返還しました
この和平条約が中東における重要な転換点となり、エジプトはアラブ諸国の中で初めてイスラエルを公式に認めた国となりました。シナイ半島の返還はエジプトにとって大きな勝利であり、地域の安定に寄与することとなりました

レバノン内戦(1975年~1990年)
この内戦は、レバノン国内の様々な宗教・政治勢力間の対立が原因で発生し、イスラエルやシリアなどの周辺国も関与し、1982年から1985年にかけてのイスラエル軍も介入しました;
参戦国: イスラエル レバノン(PLO)
勝敗: イスラエルの勝利
死傷者数: イスラエル側で368人が戦死レバノン側ではPLOの戦死者数は不明だが、レバノン市民も含めて多数死亡(推定で12万人~15万人が死亡)したと言われています

第一次~第四次中東戦争、レバノン内戦後のパレスチナ紛争
1.エルサレムの帰属に関わる紛争;

アルアクサ・モスクと嘆きの壁

エルサレムはユダヤ教キリスト教イスラム教の聖が集中しているため、宗教的・政治的な対立が絶えません。特に、エルサレム旧市街の「アルアクサ・モスク」を巡る衝突が頻発しています。2022年には、イスラエル警察とパレスチナ人の間で激しい衝突が発生し、多くの負傷者が出ました。このような衝突は、宗教的な祝日や政治的なイベントが重なる時期に特に激化します。
尚、エルサレムの帰属問題も依然として解決されていません。イスラエルはエルサレムを永遠の首都」と宣言していますが、多くの国際社会はこれを認めておらず、大使館をテルアビブに置いています(⇒ただ米国のみは、2018年トランプ大統領が米国大使館をテルアビブからエルサレムに移動させました)。この問題は中東和平交渉の大きな障害となっています

2.インティファーダとオスロ合意;
アラビア語( اِنْتِفَاضَة, ʾintifāḍa)で「揺れ」や「蜂起」を意味し、現代では主に民衆蜂起を指します。特に、パレスチナにおけるイスラエルの軍事占領に対する抵抗運動として知られています;
*第一次インティファーダ(1987年~1993年):
ガザ地区での交通事故をきっかけに始まりました。多くのパレスチナ人が参加し、イスラエルの占領に対する抗議活動が広がりました

オスロ協定;
1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で同意された一連の協定です。 この合意は、ノルウェーの首都オスロで主に協議されたことから「オスロ合意」とも呼ばれています。具体的には以下の二点が合意内容とされています;
イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する
② イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し5年間にわたって自治政府による自治を認め、その間に後の詳細を協議する

⇒ 残念ながら現在まで実質的な進展はありません

*第二次インティファーダ(2000年-2005年):
イスラエルの政治家アリエル・シャロンがアル・アクサ・モスクを訪れたことが引き金となり、暴力的な抗議活動が再燃しました

*Follow Up_2024年8月29日_イスラエル、ヨルダン川西岸で大規模作戦・10人死亡

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おわりに(パレスチナ戦争に関する私見)

ここまで縷々述べてきたように、3千年に亙る巨大帝国・王国の興亡の中で生き延びてきたユダヤ人とアラブ人の歴史は、モンゴル帝国の2回の侵略しか経験のない島国日本人には到底理解できないことは自明のことです。また、明治維新以降、連戦連勝の侵略戦争を経験はしましたが、終戦後のGHQに対する極めて従順な日本人のMindset(思考回路?)からは、パレスティナ人の不屈の抵抗精神や、2千年を経てやっと獲得した国家を守る気概は到底理解することはできないと思います

昨年(2,023年)10月7日に始まった今回のイスラエル・パレスティナ戦争において、ハマスの急襲によって1139人が殺害され、251人が拉致された事による怒りは、大日本帝国が傀儡政権である満州国を設立したあと、中国軍との緊張が高まる中で発生した「通州事件」により国民の怒りが爆発し、日中戦争を抑止しようとする人々の声を消し去り日中戦争を開始するに至った状況に似ている様な気がします。累々と横たわる同胞ユダヤ人の遺体の報道写真を見たイスラエル国民の怒りがイスラエル軍の情け容赦のない ガザ地区侵攻となったものと想像できます

一方、世界で最も人口密度が高いガザ地区(あの狭い地区に約230万人のパレスチナ人が住んでいる)での戦闘は、ハマスと一般住民の区別がつかないことから2024年8月現在で4万人を超える犠牲者が出ており、人道問題になっています
イスラエル側にしてみれば、ハマスが降伏をしない限り攻撃するというやり方は、第二次世界大戦で敗戦濃厚な時期のドイツや日本で、大都市のじゅうたん爆撃で多くの一般人が亡くなったことを思い出させます

パレスティナ人には、周りを取り巻く多くのアラブ人やイスラム教徒の同胞がいます。一方イスラエル人には先進国中心に多くのユダヤ人コミュニティーがあり、これらの国々からのサポートがあります。従って、この戦争は一方が決定的な勝利を収める結果は無いと私は思います

現在、米国、エジプト、カタール中心で行われている停戦協議をきっかけに「オスロ合意」をベースにイスラエルとパレスチナ2国家共存の仕組みを具体化することを目指すべきと私は信じています。
イスラエル側が停戦条件にしている「エジプトとガザ地区の境界(フィラデルフィ回廊)にイスラエル軍を駐留させること」をハマス側が強力に反対しているのは、イランなどからの武器の供給が絶たれることにあると思われます。イスラエル側としても武器は外部から提供される限りいずれ同じような侵攻があると考えていると思われます。であれば、国連軍によるこの地区の駐留も考えてもいいと思います
また、遠い将来になるかも知れませんが、ガザ地区と穏健化したヨルダン川西岸地区間のアラブ人の間の交流を行うための陸上の回廊を設けること、及びヨルダン川西岸地区へのイスラエル人の入植をやめることも必要であると考えています、、、、、

Follow_Up:2024年10月1日「イスラエル軍 レバノン南部で“限定的な地上作戦を開始した” _ NHK

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Follow_Up(2025年10月1日日経記事);

以上

初春から初夏にかけての農作業!

はじめに

屋上菜園の一年間の作業を俯瞰すると、初春から初夏にかけての時期は以下の様な作業や、昨年の実績を踏まえた幾つかの新しい試みを考え、且つ具体化しなければならず、中々大変な時期と言えます主なポイントは;
* 冬の期間に植え付け、5月末頃に収穫する予定の野菜(ジャガイモ、タマネギ)
* 秋冬野菜収穫後のコンテナの土の再生(特に大型コンテナはかなりの重労働)
* 各種夏野菜の種まき、育苗、植付
* 昨年の夏野菜栽培の反省に基づく工夫(温暖化に伴う7月からの猛暑への対応)
* 長ネギ供給責任を果たすこと(昨年後半には長ネギの供給ができなかった)
以下は、そのご報告になります

作業報告

<ジャガイモ、タマネギの生育状況>

ジャガイモは、昨年と同じ「きたあかり」を植え付けました。昨年は、ジャガイモのコンテナにヨトウムシ日中は地中に居て、夜になると地上に出て葉を食い荒らす)が住み着き、毎晩ワイフとヨトウムシ退治をしたものの、葉がかなり食い荒らされてしまいましたが、今年はコンテナの土の再生の段階で念入りにヨトウムシの蛹を排除しておいたお陰で、左の写真の様に少なくとも葉は見事に育っているので昨年以上の収穫量が期待できそうです

タマネギについては、葉の高さが最大となる3月に例年に比べ強風が吹き荒れた日が多かった影響がありました。以下の表は拙宅の近く埼玉県所沢市の風速の記録ですが、10m/s以上の強風が吹き荒れた日が多く、2月まで順調に育っていたタマネギは右の写真の様に全て倒伏してしまいました

その後、倒れた茎は元に戻らず残念ながら生育はそこで止まってしまったようです。ただ、今年はペコロスとして密植して育てたタマネギを含めると最終的にはなり沢山収穫できそうです。因みに、ペコロス栽培を行った標準コンテナ9個の内3個のコンテナの試し掘りを行った所、写真の様に大小合わせてかなり育っていました

<大型コンテナの土の再生方法の変更>
年々体力の衰えを実感しつつあり、大型コンテナの土の再生が重荷となってきました。そこで、昨年後半からは土を運ぶバケツのサイズを小さくするとともに、コンテナの底に多少土を残したままにし、この土に堆肥・化成肥料を混ぜて、この上に自宅の木々が撒き散らした枯葉を乗せ、その上に再生した土を追加する方法に変えました。これにより腰の負担がかなり軽減されると共に、歩く距離は逆に増加し、運動不足の解消に役立つようになりました

<各種夏野菜の種まき、育苗、植付>
1.夏野菜の王様:トマト(中型、大型)、ナス(中ナス、小ナス、水ナス)キューリの栽培
もうかなり以前から夏野菜のうち、出来るだけ早く苗を育てる必要があるものは、1月後半から室内にある発芽器大型コンテナに水を入れ、熱帯魚用のヒーターで28℃前後に温め、これにトレーを浮かべて発芽させる装置)に育苗ポッドに種をまきトレーに乗せて発芽させま
発芽した苗は、屋上に設置した育苗器室内同様の装置+発泡スチロールによる断熱)で出来る限り日光に晒すことにより育苗を促進します。この育苗器は、夜間及び気温の低い日は温度が下がらない様に上に透明のカバーを掛けます
苗がある程度成長し、夜間の低温に耐えられそうになったら、左の写真の様な簡単なビニールハウスに移し、大型コンテナに移すことができるまで育てます。尚、この時は育てた苗を育苗ポッドのまま標準コンテナの土に埋め込んで育てます(水やり忘れによる枯死、成長遅れを防ぐため)。4月に入ってから、こうして育てた苗を大型コンテナに植え付けました。現在順調に育っています

新しい試み;
昨年(2023年8月)報告したブログ(酷暑の中の野菜栽培)で、記録的な酷暑の中でキューリが7月中旬に全て枯死してしまったことを報告しました。8月中に苗を購入し再挑戦したものの、十分な収穫が得られませんでした。最近は、自宅周辺でキューリの露地栽培は行われておらず、全てビニール栽培になっているのも頷ける気がします
今後も温暖化の傾向は続くことが予想されるところから、今年は屋上栽培でも下記の様に予めできる限りの対応を行う事にしました;
a)気温の上昇に合わせ、何時でも遮光ネットを使えるようにすること
b)キューリの根は、地表近くにあることから、地表面に「ワラ」を敷くこと
c)最高温度になる時間帯は12時~15時と思われることから、南南東向きとなるペントハウスの壁に沿って植える

おまけ!;
毎年苗を育てる過程で、最後に一鉢に2本の苗が育ち、最後に泣く泣く引き抜いて捨てていましたが、年々自分の死が間近に迫ってくる?と可哀そうになり、今年はトマトとナスについて引き抜いた苗をもう一度植えなおしてみました。何と!全ての苗が生き残り立派な苗に育ちつつあります

ここまで育った苗は勿論捨てるに忍びなく、苗を貰ってくれる人も近所にはいないことから、この後も中型コンテナで小さく育ててみようかと考えていますが、屋上の狭いエリアにどう配置するか、、、

2.縞ウリ、オクラ、ズッキーニ(我が家の定番夏野菜)
これらについても、トマト、ナス、キューリと同じように種から発芽器育苗器ビニールハウスを経て育てました。大型コンテナに移しても今の所順調に育っています

<その他の野菜類の栽培>
これまで何回も植えて実績のある野菜類についても、我が家の消費量に合わせて今年も植え付けております
1.豆類:枝豆、つる無しインゲン、3尺エンドウ、絹サヤエンドウ
これらはいずれもコンテナに直接種を撒きます。注意点は発芽してちょっと成長するまで鳥に食べられない様に不織布で覆っておく必要があります拙宅では野鳥のえさ場を設けて毎朝餌をあげているので屋上が鳥の中継場所になっています。冬場のキャベツ、白菜の一部も毎年被害にあっています
現在の生育状況は以下の通りです;

2.長ネギ
昨年末(2023年12月)報告したブログ(秋冬野菜の現況と一年間のレビュー)で、秋に植えたネギの生育が遅れ、我が家で重要な供給責任が果たせなかったことを書きましたが、この時細かったネギは現在以下の様に成長しており、近いうちに供給責任が果たせそうです;

尚、大型のコンテナについては、このまま土を足していけば白い茎の長いネギになりますが、中型、及び標準のコンテナについては、茎の部分を何らかの方法(SNS情報によれば新聞紙でもいいと書いてありました)で覆って、光を通さないようにして、もう暫く育てる必要があります。近々その方法を考えたいと思っています

3.その他諸々の野菜;
冬の間自作のビニールハウス?で栽培して生き残っているハーブ(各種のミント、レモンバーム、ミツバ、ディル、パセリ、オレガノ、チャイブ)

昨年から栽培を始めたハーブはオレガノチャイブです。今の季節はチャイブの花が咲いています。チャイブはネギ類に属するハーブなのでネギ坊主の様な花ですが、紫色で大変美しく、切り取って卓上に飾っています
大好きなイタリアン料理で欠かせないバジルは、現在居間の出窓で利用可能になっていますが、新しく屋外栽培用に種を撒いたものは現在発芽した所です

春大根
久しぶりに春大根を栽培してみました。やや大型で深いコンテナが3ヶ空いていたので、ここに18本の春大根を育て、途中9本間引き(大根の直径5センチ程度)、その後3本収穫し(大根の直径8センチ程度)、現在の栽培状況は右の写真の通りですが、残っている6本は現在売られている大根程度には育ちそうです;

③ 20日大根、サニーレタス、レタス、水菜
これらは、最近ほぼ毎食生野菜として食べています。従って、常に切らさない様に栽培しています

写真右上は、20日大根(白カブ、赤カブ)を育ててている様子です。簡単に発芽し根も浅いので、収穫後にコンテナの土を再生するのは手間なので、同じ中型のコンテナで収穫しながら種を撒き、次の収穫に備えるという方法を始めてみました。収穫が終わる頃には次の株が収穫できるという具合です。20日大根ならではの栽培法です

<肥料についての実験>
ホームセンターに行くと、肥料の中に「ぼかし肥料」というものが売られています。通常の化成肥料よりも値段が張ることもあり、何だか効果がありそうな気がしたので調べてみました
拙宅ではコメは玄米を使っているので「米ぬか」が沢山あります。また、顆粒出汁を使うのは私だけで、ワイフや料理の得意な同居の息子は、常に昆布と鰹節を使って出汁を取るので、乾燥した「出汁ガラが沢山でます(昆布のほうは最終的に食べるのでガラは残らない)。また、数年来、大型トマト栽培でカルシウム不足に伴う「尻腐れ病」に悩ませられていましたので、毎日消費する「卵の殻」を肥料にできないか考えていました

そこで、これらの米ぬかや出汁ガラ、卵の殻の肥料成分を調べてみました;
① 米ぬかの成分は、窒素分2〜2.5%、リン酸4〜6%、カリ分1〜1.2%ほどの配合で成り立っており、他にもミネラルやビタミンも豊富です。 これらの栄養分は有機肥料として、そのまま植物への栄養になり、とくに窒素分は植物の茎葉に、リン酸は花の成長に効果があります
② 鰹節にはアミノ酸が含まれており、 根や微生物の働きで徐々に分解されていきます。成分としては、窒素 7% リン酸 4% カリ 1%と言われています
 「卵の殻」は、土の酸度(pH)の調整に役立ちます。日本は降雨量が多く、雨は酸性(酸性雨)なので、雨が降り注ぐ畑の土は酸性に傾きやすい傾向があります。多くの野菜は、pH5.5~7.0の弱酸性から中性の土壌を好みます
卵の殻は主に炭酸カルシウムで構成されており、植物の細胞壁の形成、光合成、栄養素の輸送、および植物ホルモンの生成に必要な重要な栄養素です。 カルシウム不足は、植物の成長を妨げ、特に果実の形成を阻害します

私が屋上栽培で使っている化成肥料は、8-8-8などとハイフンで区切られて大きく数字が表示してありますが、この数字はその化成肥料に含まれる、窒素、リン酸、カリの重量含有率を表しています。 8-8-8ならば、窒素8%、リン酸8%、カリ8%であり、「米ぬか」、「出汁ガラ」、「卵の殻の肥料成分は化成肥料と同等以上の効果がありそうです
ただ、「ぼかし肥料」の説明にある様に、効果を十分に出すにはこれらの有機物を発酵させなければならないようです。素人が発酵まで手を出すのは無理なので、今回はトマトとナスにこの三種の有機肥料を施し、効果を確かめて見ることにしました。結果はどうなることやら、、、

以上