「遊行期」を快適に生きる知恵!

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はじめに

今年に入って筆者は、長年悩んできた腰痛を根治させるために手術を決断し2月初旬に入院しました。手術を終えた後、長男が孫を連れて面会に来てくれました。この時、お見舞いとして3冊の本を差し入れてくれましたが、その内の1冊が五木寛之の最新の著作である「遊行期」で、退院までの数日間で読み終えることが出来ました
五木寛之については、若い頃に最初に読んだ著作はベストセラーとなった長編小説「青春の門」でしたが、学生時代、友人に負けまいと難しい本ばかり読んでいた私にとってとても新鮮に感じ、以来彼の著作は出来る限り読むようにしていました。今回息子に貰った本は、彼が老境に至って書き始めた自身の体験と古典の教えを融合した、大変分かり易い「老人の為の生き方指南」の本です。見出しの写真にある本はいずれも私が読んだ本ですが、大分忘れてしまったので生成AIに要約を描きだしてもらいました;
「下山の思想」
現代社会は「上昇」や「成長」を重視してきたが、これは永遠に続くものではない。登山において頂上に到達した後、安全に下山することが重要であるように、人生や社会も「下山の時代」に入っている。下山には新しい視点や戦略が必要であり、それを意識しなければ転落してしまう
*成熟と衰退の受容
経済や人口が右肩上がりだった時代は終わり、今後は「衰退」を前提にした考え方が求められる。「老い」や「衰え」を否定せず、それを受け入れながら豊かに生きる方法を考える
*「無理をしない」生き方
無理に成長を追い求めるのではなく、自分のペースで生きることが大切。
競争社会から降りて、自然な生き方を模索することが幸せにつながる
*日本社会と「下山」
高度経済成長を遂げた日本は、これからは成熟社会へと向かうべきであり、無理な経済成長を目指すのではなく、持続可能な発展や精神的な充足を大切にすべきである
*結論
五木寛之は、『下山の思想』を通じて、成長の終わりを嘆くのではなく、下山の過程を前向きに捉え、充実した人生を送るための新しい価値観を提案している。それは、無理に上を目指すのではなく、自分の歩幅で自然体の生き方を選ぶことの大切さを説いている

「白秋期」
*「白秋期」とは何か
人生を四季にたとえると、「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」という四つの段階がある。「白秋期」は老年の入り口であり、壮年期(朱夏)ほどの活力はないが、完全な老年(玄冬)でもない。これまでの経験を活かしながら、人生をより深く味わう時期と捉える
*「青春至上主義」からの脱却
現代社会では若さが過度に重視されるが、年を重ねることにも価値がある。
白秋期には、体力の衰えを受け入れつつ、精神的な充実を目指す生き方が重要
*「無理をしない」生き方
若さを取り戻そうと焦るのではなく、自分の年齢にふさわしい生活を楽しむことが大切。無理に新しいことに挑戦するのではなく、これまでの経験を活かして「自分らしく」生きる
*人生を味わうために
白秋期は、過去を振り返りながらも、新たな楽しみを見つける時期。物事の価値観を見直し、シンプルな喜びを大切にすることが心の豊かさにつながる。
*結論
五木寛之は『白秋期』を通じて、老いを嘆くのではなく、それを受け入れ、自然体で生きることの大切さを説いています。若さに執着せず、白秋期ならではの落ち着きや深みを楽しむことで、人生はより豊かになるというメッセージが込められています
*対象となる年齢層の目安:50歳~75歳頃

「遊行期」
*「遊行期」とは何か
人生を四季にたとえ、「青春(青)」「朱夏(赤)」「白秋(白)」「玄冬(黒)」という四つの時期を設定。遊行期は「玄冬」にあたり、人生の最終章を意味する。ただし、遊行とは悲観的なものではなく、固定観念に縛られずに自由に生きる時期
*「遊行」という生き方
「遊行」とは、本来、仏教の僧侶が執着を捨てて旅をしながら生きることを指す。
物や地位、過去のしがらみから解放され、心の赴くままに生きる姿勢が大切。これまで築いてきたものに固執せず、軽やかに生きることが理想
*「断捨離」と精神的自由
人生の終盤では、不要な物や人間関係を手放し、シンプルに生きることが重要。過去を振り返りつつも、執着せず、未来に向かって歩む心構えが求められる。「持たない」ことによって、より自由に生きることができる
*死を恐れず、今を生きる
遊行期は、死を意識する時期でもあるが、それを恐れるのではなく、自然なものとして受け入れる。「今を楽しむ」ことを大切にし、日常の小さな喜びを見つける。旅をするように人生を歩むことで、最期まで豊かに生きることができる。
*結論
『遊行期』は、老いと死を受け入れながら、心軽やかに生きるための哲学を示した一冊です。執着を手放し、自由な心で「遊行」することで、人生の最終章を穏やかで充実したものにできる、というメッセージが込められています
*対象となる年齢層の目安:75歳~

五木寛之の「遊行期」の生き方と私(筆者)
この本は全体で220ページで、しかも老人が読みやすいように字が比較的大きく、且つ行間が広いので老眼であっても短時間で読み終えることが出来ます。また以下の目次をご覧になると;

この本では、ほぼ一貫して老人ボケを扱っており、しかも老人のボケは決して病気ではなく、肉体の老化と同じ精神の老化であり、充実した老後を過ごす為のヒントにあふれている内容です。以下に、五木寛之氏の着眼点に、私が勝手にな~るほどそういう捉え方もあるのか、あるいは私もやってるぞ、といった所を抜き出してみました
尚、この本からの引用文は青色(但し重要部分は赤字で強調しています)書き、筆者の文章と区別しています。尚、当然ですが引用文の中の「」は五木寛之氏本人です。では本題に入ります;

ボケには「春風駘蕩(春の穏やかな風がそよそよと吹く、のどかで心地よい様子)」としているイメージがあります。一方で狂暴になったり、介護している人に罵詈雑言を吐いたり、奇行に走ったりというケースもありますが、そういう荒々しいボケかたにならなければ、好ましいボケ方と言えるはずです。ボケは一般には「認知症」と考えられていますが、世間的には「あの人、最近ボケが入ってきたね」と軽い調子で話題にしています。ボケという言葉には、死や老いほど「人生の敵」としてのはっきりとした対抗物ではなく、何かちょっと余裕のある感覚が含まれている印象があります
誰にも必ずやってくるボケをどう迎えるかという問いの答えは、ボケない方法の中には無くて、望ましい生き方の中にある。つまり「人間の完成度としての豊かなボケ」、そんなとらえ方の中にこそあるはずです

ボケとは人格の完成度の最終段階である、とここまではっきりとボケを肯定されると嬉しくなります。筆者も最近物忘れが激しく、例えば「二階にものを取りに行った時、二階に着いた途端!何を取りに来たか忘れており、慌てて一階に戻ると直ぐに思い出す」といった奇妙な行動が増えてきております。同居している妻(私より5歳半若い)と次男が、心配且つ哀れみの表情で私を見る目が、毎回私に突き刺さります

高齢の名僧と言えば、やはり鎌倉時代に90歳まで生きた「親鸞」でしょう。しかも、単に長生きしただけではありません。親鸞は75歳の頃から「和讃」を書き始め、亡くなる直前まで書き続けました。和讃とは、いわば歌の作詞です。そういうものを90歳になってなお何百も書き残すのは、ある種、知的な化け物と言えますまた私は、有名な作家の名前が思い出せないことがしょっちゅうあります。顔も浮かんで、時代も浮かんで、著書まで浮かんでいるけれども名前がでてこない。人名にとどまらず、一日に何回も固有名詞を忘れます。その対策として、私は「5回出てこなかった固有名詞はメモを取る」と決めています。また「ストーリーを作って覚える」ということも試しています。苦労して覚えるのではなくて、ユーモラスな語呂合わせで覚えるのは、その作業自体楽しいものです。そういう記憶を引き出すテクニック、技術は、他にもいろいろあるでしょう。それを身につける、あるいは自分なりに発見するというのも、一つのよりよくボケる道になりえると思います

<参考>和讃とは
親鸞が子供の頃、巷で親しまれていた今様(いまよう)の様式を使って、漢語やヒンズー語で書かれているお経を、分かり易く書き綴ったものです。親鸞が後半生に作った何百という歌のうち「讃阿弥陀仏偈和讃」は、今でも浄土真宗の婦人会などなどいろんな人たちに歌われています;
知恵の光明はかりまし
有量(うりょう)の諸相ことごとく
光暁(こうきょう)かぶらぬものはなし
真実明(みょう)に帰命(きみょう)せよ
<参考>今様とは
中世のころ、熱病の様に流行した7・5調(7音節+5音節)の今様は、「白拍子(右絵参照)」の世界、現代で言う風俗の世界から始まり、貴族社会で洗練されました
今様の日本の文化に与えた影響については、筆者のブログ「カラオケ万歳」の最後の方にある「カラオケの裏にある文化」でやや詳しく述べています)
筆者の場合も、名前が出てこないこと度々あります。人との会話中に名前が出てこないと相当あせりますが、親しい友人、家族の間ではいつも肌身離さず!持っているスマホ「手がかり」を幾つか調べることで何とか対処しています
ただ、明け方のまどろみ(レム睡眠)
の中(上図の緑色の部分)でいいアイデアが浮かんだ時や、トイレの中?電車内などでメモしておきたいことを思いついた場合、そのままにしておくと間違いなく思い出せなくなるので、最近はスマホにメモ帳のアプリ(私の場合、GoogleのClevノート/無料版)を入れておくことで記憶保持能力を補っています

ボケから逃げよう、ボケを避けようとするのではなく、よりよくボケようとする、体の状態に応じて自分にとって気持ちのいいボケる方法を見つけていく、そういう積極性が必要なのです。しかし、その方法は決して重々しいものではなくて、むしろ軽薄なくらいがいいと思う。その方が、年配者でありながら周りの人たちから敬遠されず、嫌われず、仲間に入れて貰える、女子中学生にも好かれる老人になれるのではないでしょうか
幕末の勤王の志士・高杉晋作の歌に「おもしろき こともなき世を おもしろく」があります。確かに、人生おもしろいことなんてあまりない。憂きことばかりなのが現実でしょう。しかし、その中でも自分が面白いことを見つけようとする。すると、自分の肉体という小さなものの中にも、いろんなおもしろいことが沢山あると気付くはずです
ボケは加齢に伴う人間の老化の正常な活動の一つ。ボケることは人間の正常な成り行きである。そこには、ゆがんだボケも、伸び伸びとして周りを和ませるボケも、本人が納得するボケもあります。だったら限界があるだろうけれども、できるだけ良い方向へボケていける。そして、そこには主に視力、聴力、咀嚼力、歩行力が密接に関係している。これが私の仮説です

この仮説には全面的に賛同します。最近、視力、聴力が落ちてきているので、何らかの矯正が必要だと感じています。視力については情報収集能力に直接関係すると思われます。五木寛之氏の場合、毎朝全国紙5紙を隈なく読み込んでいるそうです。私の場合は、全国紙1紙とネットからの情報収集を毎日行っており、注目すべき情報については「pdfファイル」にして、Dropboxというクラウドの中に収集した情報の全てをフォルダーで分類した中に収めています。例えば、最近毎日沢山の情報が流れている記事はウクライナ関連だと思いますが、この情報はDropbox内の以下のフォルダーに時系列に沿って収めています;

因みに、最も末端にある「戦況関連」のフォルダー内には、現在(2,025年3月4日)574個のpdfファイルが収納されています。フォルダーを辿り、時系列で探せばいつでも知りたい情報にアクセスできます。またDropboxはスマホでもネットが繋がっている限り全ての情報にアクセスできますので、ブログなどを纏める時は極めて便利なツールになっています
聴力はについても、最近やや衰えている実感があります。特にテレビを視聴する時に私に適した音量は、ワイフと同居している息子にはうるさ過ぎる様で時々指摘を受けます

歳をとると聴力が衰えて耳が遠くなる。そうすると、皆で喋っているときに聞こえないことがある。しかし「なんて言った?」と聞き返すのが野暮な感じがしてできない。聴こえなくても「うん、そうだね」などとわかったふりをする。つまり、うんうんといい加減な相槌を打って、耳が遠くなっているのを隠すわけです。聞こえないのが嫌だからと、周囲とのつきあいを避けるようになっていくという精神状態です

若い人とのコミュニケーションを円滑にするには、その内補聴器の世話になることも考えなければいけないと思っています
咀嚼力については、五木寛之氏は滑舌(ref:滑舌トレーニング)と関連することで重要だと考えている様です。確かに咀嚼力には嚙む力の他に口に入ったものを混ぜ合わせる為に舌や唇の動きも柔軟でなければならない訳で当然かもしれません。若い人とのコミュニケーションにも滑舌・早口は必須能力かも知れません
歩行力については言うまでもありません。所謂フレイルになってしまうと、人間関係そのものを維持、構築することも十分に行えなくなります

ボケを精神的な活動だけ、あるいは肉体的な活動だけでとらえずに、その両面、人間の高齢化に伴う心身活動の一つとしてどう向き合っていくか。そういう養生法を一生懸命研究して、いろいろ試しています。ただし、ボケの養生法を無理に努力してやるというのでは楽しくありません。「趣味は?」と尋ねられたら「ボケ養生です」と笑顔で答えられる。そんな感じで面白がってやる。その方がやはり楽しいのではないでしょうか
健忘症は大きく分けると、「前行性健忘」という前向きの健忘症と「逆行性健忘」という後ろ向きの健忘症、この二つの症状があります。「前行性健忘」は、例えば今日のお昼に何を食べたのか、そういう新しい記憶が出てこない。「逆行性健忘」は、例えば昭和二十年の終戦の時にどこで何をしていたのか、そういう古い記憶が蘇ってこない

高齢者の運転免許証更新で、認知症チェックで行われているテストは概ね「前向性健忘」をチェックしていると思われます。このチェックで老人の安全運転能力に関連するか私は疑問に思っています

高齢者にとって、物忘れは一番初歩的なかたちでボケを意識する始めりです。こうした固有名詞の記憶の喪失が初歩のボケだとしたら、それに対してどうするか。「放っておく」というのがいちばんよくないと思います。やはり何とかして記憶を探し出した方がいいと思います。。自分で調べるとか知っていそうな人に電話を掛けて聞くとか、とにかく執念深くちゃんと思い出した方がいい。「放置しない」というのは、ある意味、現実的なボケ対策の一つの戦略と言え、私たちの世代にとっては、その日付を見聞きするだけでドキッとすえるような重さがあります。

今年(多分2024年)8月15日、先の大戦の記事で埋め尽くされているだろうな、と思って全国紙五紙を広げてみたら、体験談みたいなものでお茶を濁している新聞ばかりで拍子抜けでした。
5月1日のメーデーの紙面もそうでした。昭和27年5月1日に「血のメーデー事件」が皇居前広場でありました。一行くらい出ているかなと思って5紙に目を通したけれども、ほとんどなかった。「血のメーデー事件」は戦後を代表する大変な出来事です。日比谷公園にいたデモ隊が皇居に乱入しようとした。それで警官隊が、ピストルを上に打つ威嚇射撃ではなく、戦後初めて群衆に向かって水平射撃をした。主催者の発表によると、デモ隊側は死者2人、重軽傷者638人。警察側は負傷者830人でした。私は当時大学に入ってばかりです。駆けつけたら日比谷から有楽町まで煙が漂っていました。第一生命あたりの自動車がもうもうと煙をふいていて、のちに思い返すと、ベトナムの戦場のような感じでした
しかし、そういう過去を語れる人たちがいなくなっているとしても、これはいわば歴史的健忘症です。それをジャーナリズムが自ら進んで患っているような感じがする。この国はボケてきたのかもしれません。時代も国も国民も、ボケるということがあるのです。昨日のことはよく覚えているけれども、何十年前の話はまったくしらない、ボケた社会。そうならないためにはどうするか。歴史的記憶は常にリフレッシュする必要があります。昔のことを冷静に淡々と、話を盛らずに語れる年長者の存在がすごく大事になるわけです

これは恐らく日本社会全体が「逆行性健忘」に罹っているということだと思います。近代から現代にいたる日本の歴史の中で、明治維新とか日露戦争については映画やテレビドラマで多く語られるのに対し、第二次世界大戦前後の日本の歴史については語られることが少ないと思っています。確かにマイナスの面が多かった歴史だとは思いますが、こうした歴史の中にも間違った判断の他に、純粋に日本人の夢があったことも忘れてはならないと私は考えています。過去に私が寄稿したブログ/「満州国」その“うたかたの夢”はそうしたことに着目したテーマでした

私の実践は「アンチ・ボケ」、ボケを克服するための健康法ではありません。ボケの不安にとらわれないための養生法なのです。最終的に人間は、どんなに抗っても肉体が衰えて死をむかえます。精神も同じように徐々に老いていき、最後は死をむかえます。どんな人間も老いてボケて行く。年齢を重ねるのと同じように、ボケ度というものが進んでいく。だからこそ、ボケを異常、害悪と考えたり敬遠したりしない。これが大事だと私は思うのです
また、精神の鍛練も怠ってはいけない。精神の老いから自由になる知的な活動、いわばボケのリベラルアーツ(教養)を追及しなければいけない。それも楽しく真剣に、、。

私自身、この先どの様にボケて行くか分かりませんが、少なくとも五木寛之氏が実践している養生法、特に精神の鍛錬の糧となる教養を身につける努力をしたいと思っています。ブログ作成はその有用なツールと考えています

以上