災害のリスクについて_その2


はじめに

二年ほど前に、災害全般について、そのリスクの分析と、リスクから生き延びる方法について、ブログを発行しました(災害のリスクについて考えてみました
今般、昨年後半の強烈な風台風(台風15号)と猛烈な雨台風(台風19号)による甚大な被害を受けて、前ブログの補完をすべく災害リスクに関わる本を漁っていた所、寺田寅彦(1878年~1935年;地球物理学者、随筆家)の「天災と国防」という文庫本を見つけました。読んでみると、恐らく百年近く前の著作にも拘らず災害の分析、及びそのリスク回避方法についての記事は多くの示唆に富んでいることが分かりました。余計なおせっかいとは思いますが、その内容の一部をご紹介するとともに、私なりのコメントを加えてみたいと思います

また、筆者(寺田寅彦)に倣い、拙宅付近の災害リスクを調査し、私なりの生意気な評価を試みてみました。災害リスクに関心のある方はちょっと覗いてみて下さい

天災と国防」を読んで

本書は「寺田寅彦全集」、「寺田寅彦随筆集」を基に災害に関連したもの12編を集め、再編成したものです。初版発行日(2011年6月9日)から考えると、同年3月11日の東北地方太平洋地震を受けて発刊を企図したものと思われます。巻末に「失敗学」で有名な畑村洋太郎(東京大学名誉教授)が解説を行っています。以下にテーマ毎に私なりの注目ポイントを抽出してみたいと思います。尚、引用する文章は旧仮名遣いや旧字を多く使っていますが、一部(津浪⇒津波)を除いて原文のままとしています
また、筆者の文章を引用する場合は括弧でくくることとし、私の補足やコメントについては青字で表記することにいたします

<天災と国防>
*「文明が進むにしたがって人間は次第に自然を征服しようとする野心が生じた」、「災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである
*「20世紀の現代寺田寅彦が生きた時代では日本全体が一つの高等な有機体である。電線やパイプが縦横に交差し、交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは高等動物の神経や血管と同様である」、「天然の設計に成る動物体内ではこれらの器官が実に巧妙な仕掛けで注意深く保護されている

⇒昨年の台風15号で千葉県の一部で送電線が寸断され、回復に多くの時間を費やしました

台風15号・送電線被害

⇒一方、人間を含む動物の動脈は、体内の深いところにあり、通常の怪我では動脈が傷つくことが無いようになっています

*「昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守してきた。そうした経験に従って造られたものは関東大震災(1923年9月)でも多くは助かっているのである
*「昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守してきたそうした経験に従って造られたものは関東大震災(1923年9月)でも多くは助かっているのである
*「大震後横浜から鎌倉へかけて被害の状況見学に行ったとき、かの地方の丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、田んぼの中に発展した新開地の新式家屋がひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時につくづくそういう事を考えさせられた

室戸台風の進路

*「今度の関西の風害(室戸台風/1934年9月)でも、古い神社仏閣などは存外あまりいたまないのに、時の試練を経ない新様式の学校や工場が無残に倒壊してしまったという」

⇒2018年7月の豪雨に伴う広島、岡山の水害は、山すそに流れ出る小さな河川の扇状地に鉄砲水が流れ込んだことが原因と考えられます。いずれも新興住宅地になっており、こうした扇状地を農地として活用する分には問題はないものの、私有地であっても宅地として簡単に転用することが適切であるかは疑問があります

*「思うに日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸軍海軍の他にもう一つの科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのは当然ではないかと思われる

⇒ここでいう「常備軍」とは戦争を行う軍隊を指しているのではないと思われます。現在、災害が発生した時には地方自治体単位の消防、警察がまず対応し、必要に応じて都道府県首長の要請に基づき自衛隊派遣が行われる仕組みになっていますが、大きな自然災害が発生した時には寸刻を争う対応が必要となるので、人命救助に係る場合には自衛隊の自発的出動の仕組みが必要と思います。各種の装備と、訓練された多数の隊員を抱える自衛隊の方が、規模と即応力に関して圧倒的に優位にあると思われます

<災難雑考>
*「
災難の普遍性恒久性が事実であり天然の方則であるとすれど、われわれは災難の進化論的意義といったような問題に行き当らない訳にはいかなくなる」
*「日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられてきたこの災難教育であったかもしれない」

*「進化論的災難観とは少しばかり見地を変えた優生学的災難論といったようなものもできるかもしれない災難を予知したり、あるいはいつ災難が来てもいいように防備のできているような種類の人間だけが災難を生き残りそういうノアの子孫だけが繁殖旧約聖書の“ノアの方船”伝説すれば知恵の動物としての人間の品質はいやでもだんだん高まっていく一方であろうこういう意味で災難は優良種を選択する試験のメンタルテストであるかもしれない

⇒シニカルな表現ではありますが、的を得た指摘であると思います。大災害のあと生き残った人には、偶然ではない冷静で理知的な判断が働いていることが多いと思います。そこには恐らく流言飛語に惑わされない、今でいえばフェイクのSNSに惑わされない知識をとっさの行動に生かす知恵があったのだと思います
後述の、筆者(寺田寅彦)の関東大震災体験記を読んで頂ければよくわかると思います

<小爆発二件>
*この随筆は筆者(寺田寅彦)自身が浅間山近くで偶然経験した小噴火の経験を書いたものです
*新聞などの報道機関の書きぶりについて以下の様に皮肉を述べています
翌日の東京新聞で見ると、4月20日以来最大の爆発で噴煙が6里の高さにのぼったとあるが、これは自分が経験したものとかけ離れており信じられない素人のゴシップをそのまま伝えたいつもの新聞のうそであろう

⇒別の用件で旅行中に偶然噴火に遭遇したにも関わらず、20倍の双眼顕微鏡を持参していたこと、これですぐさま降灰を観察していることには驚かされます。また、新聞報道が大きな災害を報道するに当たって、伝聞や噂の類を垂れ流す状況は現在でも当てはまるように思われます。普段から災害を想定して、助かるために必要な知識を自分のものにしておくことの必要性を感じます

<震災日記より>
震災概要
①発生日時:1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒ごろ
②震源:11時58分32に発生したM7.9の本震(震源:神奈川県西部)から3分後の12時01分にM7.2(震源:東京湾北部)、5分後の12時03分にM7.3(震源:山梨県東部)という巨大な揺れが三度発生した“三つ子地震”であることが最新の研究で判明しています
③死者・行方不明者:105,385人。これまで言われていた142,807人という数字は統計上の重複があったと言われています
④火災以外の被害概況:太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部の津波高さ10メートル以上)山崩れや崖崩れ、それに伴う土石流による家屋の流失・埋没
⑤政府の対応:9月2日、東京府下5郡に「戒厳令」を施行し、3日には東京府と神奈川県全域にまで広げました。また、朝鮮人(本書では“〇〇人”と書いてある)虐殺に発展した流言飛語の存在をきっかけとして、9月7日には緊急勅令「治安維持の為にする罰則に関する件」(勅令403号)が出されました

3月10日未明空襲後の浅草松屋屋上から見た仲見世とその周辺の写真

*以下の筆者(寺田寅彦)の実体験を地図上で辿るには次の被害状況を参考にしてください(全17ページ):国会図書館所蔵の東京市被害地図
*震災当日、筆者は二科展見物の為に上野公園内の竹の台陳列館木造平屋建
1,248)に出かけ、見終わった後喫茶店で地震に見舞われました

最初の感覚:椅子に腰かけている両足の裏を下から木槌で急速に乱打するように感じた(短周期の振動
*「そのうち急激に大きな振動が襲い、自分の全く経験のない大地震であることが分かった。これは子供の頃から何度となく母から聞かされていた土佐の安政地震一般に安政の大地震とは、江戸時代後期の安政年間に、日本各地で連発した大地震の事を指しますが、ここでは1854年に発生した南海トラフ巨大地震である南海地震及びその32時間前に発生した安政東海地震のことを指していると思われますの話がありありと思い出され、丁度船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切であることを感じた
*「竹の台陳列館に展示されていた美術品の損壊は大したことはなく、この建物自体の揺れは激烈なものではなかった。後で考えてみると、建物の自己周期が著しく長い(⇔固有振動数が低い⇔地震動に共振しない)ことが有利であったと思われる

⇒この体験は、私が神谷町8階のオフイスで東北地方太平洋沖地震(通称3.11大地震)で経験した揺れと同じだと思います。現代のビルは柔構造で大きな地震に耐えるように設計されているので、長周期の大きな揺れがかなり長い時間続きました。

*「自宅(文京区本駒込曙町あたり)への帰途東照宮(上野公園内)前の方へ歩いて来ると異様なかび臭い匂いが鼻を突いた。空を仰ぐと下谷方面(鶯谷駅の東側)からひどい土ほこりが飛んで来るのが見えるこれは非常に多数の家屋が倒壊したのだと思った同時に、これでは東京中が火になるかもしれないと直感された。東照宮近くの上野大仏の首が落ちたことは後で知った」
*「根津を抜けて帰宅する積りだったが、頻繁に襲ってくる余震で崩れかかった煉瓦壁が新たに倒れたりするのを見て低湿地の街路は危険だと思ったから谷中三崎町台東区谷中から団子坂に向かった」

自身の臭覚と視覚の情報を動員して即座に大火発生を予測したこと、また余震で壁が崩れるのを見て、低湿地は地盤が弱い為と判断して遠回りでも迂回した判断は流石! 最近は、海岸沿いの埋め立て地(参考:浦安地区液状化被害)だけでなく、内陸でも低湿地や谷が埋め立てられて造成された住宅地は液状化現象で被害が拡大しますので、自宅が埋め立て地か否かの知識は大変重要です

*「団子坂を登って千駄木当たりに来ると被害は少なく、自宅付近は見かけ上被害は殆ど無かった」、「室内に入ると、相応の被害はあった
*「自宅の縁側から見ると南の空(下町方面か)に珍しい積雲が盛り上がっている。それは普通の積雲とは全く違って、先年桜島大噴火の際の噴煙を写真で見るのと同じように典型的のいわゆるコーリフラワー(カリフラワーのこと)状のものであった。よほど盛んな火災のために生じたものと直感された

*「翌日(9月2日)大学(東京大学)に行って破損の状況を見廻ってから、本郷通りを湯島五丁目まで行くと、奇麗に焼き払われた湯島台の起伏した地形が一目に見え上野の森が思いもかけない近くに見えた
*「帰宅すると、焼け出された浅草の親戚のものが13人避難して来ていた。いずれも何一つ持ち出すひまもなく、昨夜上野公園で露営していたら巡査が来て“〇〇人(⇔朝鮮人のこと)の放火者が徘徊するから注意しろ”と云ったそうだ井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえてくるこんな場末の町へまでも荒らして歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾がいるであろうかそういう目の子勘定だけからでも自分にはその話は信ぜられなかった

⇒流言飛語や新聞記事を見て、多くの無辜の朝鮮人が殺害されたこの歴史上の事実を、恐らく差別につながるということで伏字にしたと思われますが、過去日本が行っていた人種差別(沖縄出身者やアイヌ人)や部落(現在は同和と表記している)の問題をこうした伏字で隠すという出版上のルールには、私は賛成できません。日本の負の歴史も正しく、明確に子孫に伝えていく必要があると思います
また、また流言飛語がありえないことを、科学者として冷静に判断していることは、特に影響力の大きいメディアは見習ってほしいと思います

朝鮮人虐殺_読売新聞記事

*「夕方に駒込の通りに出てみると、避難者の群れが陸続と滝野川の方に流れて行く。表通りの店屋などでも荷物を纏めて立退用意をしている。上野方面の火事がこの辺まで焼けて来ようとは思われなかったが万一の場合の非難の心構えだけはした

*「翌々日(9月3日)、長男を板橋にやり、三代吉(親戚か?)を頼んで白米、野菜、塩などを送らせるようにする
*「大学(東京大学)に出かけると追分の通り(17号線、あるいは都道455号線/本郷・赤羽線か)の片側を田舎へ避難する人が引切りなしに通った。反対の側も流れを為している。呑気そうな人も、悲惨な感じのする人もある
*「帰りに追分辺でミルクの缶やせんべい、ビスケットなど買った。焼けた区域に接近した方面のあらゆる食料品屋の店先はからっぽになっていた。そうした食料品の欠乏が漸次に波及して行く様が歴然とわかった
*「帰宅してから用心に鰹節、梅干、缶詰、片栗粉などを近所に買いにやる。何だか悪いことをするような気がするが、20余人の口を託されているのだからやむを得ないと思った。午後4時には三代吉の父親の辰五郎が白米、薩摩芋、大根、茄子、醤油、砂糖など車に積んで持ってきたので少しは安心することが出来た。しかしまたこの場合に、台所から一車もの食料品を持ち込むのはかなり気の引けることであった

<函館の大火について>
火災の概要
①発生日時:1934年(昭和9年)3月21日
②火元:函館市谷地頭町
③被害概要:死者2,166名、焼損棟数11,105棟
最終的には市街地の三分の一が焼失する規模となった。死者の中には、橋が焼失した亀田川を渡ろうとして、あるいは市域東側の大森浜へ避難したところ、炎と激浪の挟み撃ちになって逃げ場を失い溺死した者907名、また溺死しないまでも凍死した者が217名にも上りました
④当日の気象状況:当時日本海からオホーツク海に抜けた低気圧があり発達しながら北上した。午後6時には台風の中心が札幌の真西辺りに来て、函館辺りは南南西の風速十数メートルであった。ここで谷地頭町から最初の火の手が上がった。その後、低気圧が北上するとともに風向は西からとなり函館市内は最大瞬間風速39メートルに及ぶ強風となり函館全市に燃え広がった

*「江戸時代の火災の消失区域を調べてみると、相応な風があった場合には火元を“かなめ”として末広がりに、半開きの扇形に延焼している。これは理論上からも予期されることであり、実験でも実証されている

函館大火

*「江戸大火の例でみると、この消失区域の扇形の頭角はざっと60度から30度の程度。明暦大火の場合は恐らく風速10メートル以上であったと思われる根拠があるが、この頭角がだいたいにおいて、今度の函館の火元から消失区域の外郭に接して引いた二つの直線のなす角に等しい
*「もしも最初の南南西の風が発火後も持続し風速を増大していたなら、恐らく火流は停車場付近を右翼の限界として海へ抜けてしまったであろうと思われるのが、不幸にも次第に西へ回った風の転向のために火流の進路が五稜郭の方向に向けられ、そのためにいっそう災害を大きくしたのではないかと想像される

*「火流前線がどれだけ以上になった場合に、どれだけの風速ではどの方向にどこまで焼けるかという予測が明確にでき、また気象観測の結果から風向旋転の順位が相当たしかに予測され、そうして出火当初に消防方針を定めまた市民に避難の経路を指導することができたとしたらおそらく、あれほどの大火に至らず、また少なくともあんなに多くの死人を出さずに済んだであろうと想像される

*「文明を誇る日本帝国は国民の安寧を脅かす各種の災害に対して、それぞれ専門の研究所を設けている。健康保全に関するものでは“伝染病研究所”や“癌研究所”のようなもの、それから“衛生試験所”とか“栄養研究所”のようなものもある。地震に関しては“大学地震研究所”をはじめ“中央気象台の一部”にもその研究をつかさどるところがある。暴風や雷雨に関しては“中央気象台”に研究予報の機関が完備している。これらの設備の中にはいずれも最高の科学の精鋭を集めた基礎的研究機関を具備しているのである。しかるにまだ日本のどこにもひとつの“理化学的火災研究所”のある話を聞いた覚えがないのである
*「もちろん警視庁には消防部があって、そこでは消防設備方法に関する直接の講究練習に努力しておられることは事実であるが、ここでいわゆる火災研究という、そういうものではなくて、火災という一つの理化学的現象を純粋な基礎科学的な立場から根本的徹底的に研究する科学的研究をさしていうのである。例えば、“発火の原因となるべき科学的物理学的現象の研究”、“火災延焼に関する方則”、“色々な支配因子が与えられた場合に、火災が自由に延焼するとすればいかなる速度でいかなる面積に広がるかという問題”、更に基礎的研究には単に自然科学方面のみならず、“心理学的方面”、“社会学的方面”にも広大な分野が存在する
*「例えば、市民一人当たりの“失火の比率”とかまた“失火を発見して即座に消し止める比率”とか、そういう人間的因子が、たとえば京橋区日本橋のごとき区域と浅草本所のごとき区域とで顕著な区別のあることが発見されている。この種の研究を充分に進めた上で、消防署の配置や消火栓の分布を決めるのでなくては合理的とは言えないであろうと思われる

⇒畑村洋太郎氏(東京大学名誉教授)は巻末の解説で、消防に関しては、筆者(寺田寅彦)の時代より消防組織及び消防技術について格段の進歩があり、ハイパーレスキュー隊や消防救助機動部隊の例を挙げて筆者の指摘は当たらない、と言っていますが、分野を超えた知見の交換による死亡リスクの軽減、焼失拡大の阻止、などの面で“理化学的火災研究所”の設置はいいアイデアだと私は思います

<流言蜚語>
*「流言蜚語が伝播する条件として“流言の源”と“その流言を次へ次へと受け継ぎ取り次ぐべき媒質の存在”が必要である」
*「ある特別な機会には“流言の源”となりうるものは、故意にも偶然にも至る処に発生すると言うことは、ほとんど必然な、不可抗力的な自然現象であるとも考えられる
*「従って、ある機会に、東京市中にある流言蜚語の現象が行われたとすれば、その責任の少なくとも半分は市民自身が負わなければならない。事によるとその9割以上も負わなければならないかもしれない
*「科学的な常識というものは、何も。天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得たりするだけではない。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準にならなければなるまいと思う
*「適当な科学的常識は、ことに臨んで吾々に“科学的な省察の機会と余裕”を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない」

⇒流言飛語の被害は、つまるところ国民の科学的な知識レベルに依存すると言っていますが、私も全面的に筆者の意見に賛成です。SNSのフェイクニュースが飛び交う現代、まず沈思黙考し、ちょっとでもおかしいと思ったら絶対に拡散させないことが必要と思います

<神話と地球物理学>
*「神話の中には、地球物理学的に、その土地の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していると考えられる
*「島が生まれるという記事は、海底火山の噴出、地震による海底の隆起によって海中に島が現れる、あるいは暗礁が露出する」、「河口における三角州の出現などが連想される
*「スサノオノミコトの記事に“その泣きたもうさまは、青山を枯山なす泣きはらし、河海はことごとく泣き乾しき”とあるのは、噴火の為に草木が枯死し河海が降灰のために埋められることを連想させる。噴火を地神の慟哭と見るのは適切な比喩であると言わなければなるまい

*「“すなわち天にまい上がります時に、山川ことごとく動み、国土皆振りき”とあるのは、普通の地震よりもむしろ特に火山性地震を思わせる
*「“すなわち高天原皆暗く、葦原中国ことごとくくらし”というのも“噴煙降灰によって天地晦冥の状”を思わせる
*「“ここに万の声は、狭蠅なす(五月蠅か)皆湧き”は“火山鳴動のものすごい心持ち”の形容にふさわしい
*「ヤマタノオロチの話も“火山からふき出す溶岩流の光景”を連想させる

*「以上の例からも、わが国の神話が地球物理学的に見ても、かなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであることから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなり多くの史実あるいは史実の影像が包含されているのではないかという気がする。きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含まれている場合もあるであろう

⇒ハインリヒ・シュリーマン(1822年~1890年)はホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩『イーリアス』を基に発掘作業を行い、伝説の都市トロイアの遺跡を発見しました
*イーリアスとは:最古のギリシア神話を題材とし、トロイア戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、イーリオスの英雄ヘクトールの葬儀までを描写しています

<津波と人間>
*筆者(寺田寅彦)の存命中に東北地方に2回大津波(1896年、1933年:両津波の間隔は37年)が襲い、大きな被害を与えました

*「こんなに度々繰り返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える
*「学者の立場からは“この地方に数十年ごとに津波が起こるのは既定の事実である。こんな道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万である”となるが、罹災者の側に云わせれば、“それほど分かっている事なら、何故津波の前に間に合うように警告を与えてくれないか”ということになる

*「37年という間隔は、世代が変わり大津波の経験は継承されない
*「昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかったようである。例えば津波を戒める碑を建てておいても相当な効き目があったのであるが、これから先の日本ではそれがどうであるか甚だ心細いような気がする
*「自然は過去の習慣に忠実である。紀元前20世紀にあったことが起源20世紀にも全く同じ様に行われるのである。科学の方則とは畢竟“自然の記憶の覚え書き”である。自然程伝統に忠実な物はないのである
*「日本のような、世界的に有名な地震国の小学校では少なくとも毎年一回ずつ一時間や二時間くらい地震津波に関する特別講習があっても決して不思議ではないであろうと思われる

*「三陸災害地を視察して帰った人の話を聞いた。ある地方では1896年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、新道が別に出来たために記念碑のある旧道は淋れてしまっているそうである。それからもう一つ意外な話は、地震があってから津波の到着するまでに通例数十分かかるという平凡な科学的事実を知っている人が彼地方に非常に稀だということである。前の津波に遭った人でも大抵そんなことは知らないそうである

⇒この文章を見て、ふと感じたことがあります;
二年前に友人と東北地方を旅したことがあります。この時吃驚したのは、3.11大津波の直後の視察の際に見た「何もない海岸」に、吃驚するほど巨大な防潮堤が建設されつつあったことでした。当時はこの防波堤で美しい三陸の海の景観が失われるなあ、、、という程度の感覚でした

しかし、こうした防潮提は、必然的にその内側で防波堤より低い場所に住んで居る人が、津波の前兆である大きな引き波を自分の目で見ることが出来ず、高台への避難が遅れるのではないのだろうか、、、

拙宅付近の災害リスクの調査

自宅付近の災害リスクの概略を知るには、まず住んでいる地区の役所のサイトを覗いて見ることを薦めます
我が街・新座市には、地震ハザードマップ洪水・土砂災害ハザードマップがあり大変重要な情報を提供してくれます

1.地震ハザードマップから分かること;
このハザードマップから、新座市が持っている地目(畑地、宅地などの土地の使用区分)の情報、建築物の登記情報(構造、用途、築年数、等)、建物の密集度、などから地震の耐性を地域別に大まかに推測した結果が得られます(5メートル四方単位の危険度を色別に表示)
尚、この耐性を評価するにあたっては、新建築基準法が制定される前に建築された建築物を倒壊リスクが高いと評価しています
新建築基準法とは:1978年 M7.2の宮城沖地震では、最大震度5の地震だったのですが、多くの死者を出してしまいました。これを受けて1981年の建築基準法の改正で、震度6から7の地震でも倒壊・崩壊しない耐震性を持つように規定されています。現在の耐震基準もこの時の改正を元にしており、この時以前の耐震基準を旧耐震基準、この時以降の耐震基準を新耐震基準と呼んでいます

このハザードマップ上で第5ブロックに入る我が家の近辺は、巨大地震があると倒壊する家が、ある程度あると考えられます。ただ、我が家については1990年に新建築基準法に基づき立て替えていますので倒壊する危険はないのですが、周りの倒壊する家から火事が発生し、延焼する危険がある程度あります(我が家は、軽量コンクリートの外壁なので延焼のリスクは比較的小さい)
避難場所は幾つか考えられますが、自宅から1キロ程度にある十文字学園が一番安全であると考えられます

2.洪水・土砂災害ハザードマップから分かること;

新座市洪水・土砂災害ハザードマップ(画面をクリックすると拡大して見ることができます)

ハザードマップをご覧になるとわかると思いますが、新座市には柳瀬川と黒目川という二つの一級河川が流れています
一級河川とは:河川法で指定された河川の区分で、分水界や大河川の本流と支流で行政管轄を分けることなく、治水と利水を統合し、水系ごとに一貫管理されています

この両河川は、いすれも新河岸側を経由して荒川に合流していますが、過去に何度も氾濫を起こした油断のならない川です。因みに、拙宅から1キロ程にある柳瀬川は2017年には氾濫を起こさなかったものの、新聞やテレビに取り上げられるほどの被害が出ました(死者1名、ヘリによる救出)

柳瀬川・水難事故写真

昨年の台風19号でも水位はかなり上がったのですが、氾濫するには至りませんでした(被害の調査結果については事項をご覧になってください)

洪水・土砂災害ハザードマップでは新座市のみの洪水の恐れのあるエリア黄色)と土砂災害の恐れのあるエリア(赤色)、避難の道筋避難場所につても情報が分かり易く書かれています。拙宅のある地域は高度差が10メートル以上(測定方法は事項をご覧ください)ありますので、ほぼ浸水の恐れがないことが分かります

このハザードマップでは、当たり前のことですが、一部を除き新座市の部分のみしか書かれていません。しかし柳瀬川の周辺部については、隣接する清瀬市と所沢市の部分も行政区分の境界を越えて表現してほしいと思いました。特に避難が必要になった時には、行政区分を超えて一番近く、安全な避難経路と避難場所を選ぶことが必要になるのではないでしょうか、、、

柳瀬川のリスク評価

まず、清瀬市、所沢市、新座市にまたがる柳瀬川の地形の全体像を捉えるために、Google_Mapの航空写真地図をご覧になってください;

柳瀬川周辺航空写真
柳瀬川周辺_Google Map

この航空写真で、新座市は右隅の部分、左下が清瀬市、左上が所沢市の行政区分になります。この写真の左下から右上にかけて伸びる影は、恐らく断層があった跡だと考えられます。従って、前項で述べた土砂災害の恐れのある場所はこの断層と深く関係しています。また、断層から斜め右下側に当る広い部分が低地となっており洪水の恐れのある地域と深く関係していると考えられます

因みに、この写真上の特定の部分の標高を国土地理院の標高調査(試験版)で調べてみたところ;
滝の城址(地図の右上):54.2メートル
断層下の低地の部分:24.7メートル
柳瀬川の水面の辺り:22.0メートル
また、自然堤防と低地に当たる部分に高度差があまりないことを勘案すると、
自然堤防の平時の水面からの高さ:24.7-22.0 ⇒ 3メートル程度

なお、国土地理院のサイトにも書いてありますが、この標高は正確に実測されたものではなく、既存の地図(等高線が入っているもの)をベースにしていますので、地域によって使用できる地図に違いがあり精度が異なりますので注意が必要です
精度の程度を比較する目的で、同じサイトで以下の場所の標高を調べてみたところ;
新河岸川との合流地点:1.5メートル
彩湖周辺(荒川との合流地点付近):0.5メートル
となっており、いくら何でも荒川が東京湾に注ぐ場所と0.5メートルしか標高差がない事は考えにくいので、標高の絶対値については数メートルの誤差があることは考慮する必要はありそうです

従って、確たることは言えませんが、新河岸川と荒川の合流地点での標高差が非常に小さいこと(もともと新河岸川は、荒川を経由して江戸と川越との間の重要な水運に使われていました)を勘案すると、荒川の上流域での雨量が極めて多くなった場合、今年の台風19号で大きな河川の下流域で起きたように、新河岸川の水が荒川に流入できなくなり、その周辺での洪水を起こす危険が考えられるのではないでしょうか
一方、標高差を考えると、柳瀬川が荒川の増水の影響を受けることは無さそうです

<柳瀬川の洪水の可能性について>
柳瀬川は一級河川なので、各種のデータが利用できます。国土交通省が公開している柳瀬川のデータから必要な部分を抽出すると;
流域面積:106.3㎢(平方キロ)
流路延長:19.6km

柳瀬川流域地図

地図を見ると、柳瀬川の上流には「狭山湖」、「多摩湖」があります。このダム湖は多摩川から引き込まれた水を貯めており、基本的に用途は東京都向けの水道水になっていますので、昨今話題となっている「豪雨の予想がある時に予め貯水池の水を放流し柳瀬川の洪水を防ぐ仕組み」は使えそうもありません

<参考>
最近、豪雨に備えてダムの貯水量をコントロールするルールが決まりました(ダムの洪水対処能力倍増へ AI活用、事前放流を拡大

柳瀬川の水量は、流域に降る雨量で決まることは明白です。勿論、地面に沁み込んで地下水となる水を除かねばなりませんが、短時間の集中豪雨や長雨によって地中水分が飽和状態にある時は、降った雨の大半が川に流れ込むと考えてもよさそうです
そこで、記憶に新しい国土交通省が公開している柳瀬川のデータを活用して、柳瀬川の流域一帯に、1時間当たり400ミリメートルの降雨があった場合、柳瀬川に流れ込む水量の試算をしてみました;
平成30年7月豪雨とは:7月5日から8日にかけて梅雨前線が西日本付近に停滞し、そこに大量の湿った空気が流れ込んだため、西日本から東海にかけて大雨が連日続きました。梅雨前線は9日に北上して活動を弱めるまで日本上空に停滞。西日本から東日本にかけて広い範囲で記録的な大雨となりました

試算
1時間当たり柳瀬川の流域一帯に降る雨の量:106.3㎢  x  400mm
(メートル単位に変える)⇒ 106.3 x 1,000 x 1,000 x 0.4 = 42,520,000㎥
つまり、1時間当たり4千2百52万㎥の水が流れ込むことになります

この数字を昨年の19号台風時に、工事の最終段階で貯水量が空になっていて、利根川の洪水を防ぐのに役立ったと言われている八ッ場ダムの貯水量と比較してみると;
八ッ場ダムの設計上の有効貯水量:9千万㎥
つまり、2時間11分で満杯になる計算になります。
実際の流量は、こんな簡単な計算では再現できないと思いますが、1時間当たり400ミリメートルの降雨というのは、如何に猛烈な雨であるかが理解できると思います

拙宅の近くの柳瀬川には「金山調節池」(前掲の航空写真版_Google Map の中央下側)があり、柳瀬川の洪水を防ぐ役割を担うことになっています;

「金山調節池」の案内板

この看板によれば、貯水量46,000㎥です。この貯水量では、既に満水になった柳瀬川に1時間400ミリの降雨があった場合、たった約4秒で満杯になる計算で、集中豪雨時には殆ど役に立たないことが分かります

また、自然堤防スレスレまで水面があがり、秒速10メートルの流速で流れると仮定した場合、1時間当たりどれくらいの水を流せるかざっくり計算してみると、
上述の国土交通省の地図データから計算して
自然堤防の高さ:3メートル
拙宅に近い柳瀬川の橋を渡って、歩幅で測定した川幅は;
自然堤防上部の川幅:45メートル
川底付近の川幅:37メートル

自然堤防が作る柳瀬川の断面の面積は:3 x (45 + 37) ÷ 2 = 123 ㎡
流速:10メートル/秒と想定すれば、
1時間当たりの流量:123 x 10 x 60 x 60 = 4,428,000㎥
つまり、1時間当たり4百42万8千㎥

先の計算で、400ミリの雨量で 1時間当たり4千2百52万㎥の水が流れ込むことになっていたので、何ミリの雨量まで洪水を起こさずに流せるかを逆算すると;
400ミリ x (4百42万8千㎥ ÷ 4千2百52万㎥)⇒ 41ミリ
1時間当たり41ミリの雨は、大したことはないように見えますが、気象庁の雨量の表現の仕方としては、「バケツをひっくり返したような激しい雨」という表現になりますので、柳瀬川の治水としては相応の努力を行ってきたと言えるかもしれません

Follow_Up:このブログを見た友人からの情報を契機に、神奈川県・鶴見川の河川管理状況を調べてみたところ、流石に柳瀬川の管理状況よりも数段進んでいることが分かりました。ラグビー・ワールドカップ時の日本対スコットランド戦が豪雨の後にも拘らず開催できた理由が分かりました。興味にある方は次の(鶴見川の紹介)をご覧になってみてください

いずれにしても、これまでのざっくりした計算から、「平成30年7月豪雨」並みの集中豪雨が柳瀬川流域を襲えば、前掲の航空写真の左岸一帯(柳瀬川から断層の崖に至る低地)洪水で水浸しとなる可能性が高いと思われます。特に、航空写真で、断層の崖近くにある多くの住宅地はリスクが高いと考えられます

台風19号襲来時の柳瀬川の被害状況及、び改修の状況

昨年、台風19号が通過してから数日後に柳瀬川周辺の被害状況を見てきました;

左岸の堤防の被害状況
左岸の堤防の被害状況
橋周辺の被害状況

二つの写真を見て分かることは、コンクリートや鉄でできた簡単な堤防では、たった一日の強い水流でも、脆い砂礫で出来ている自然堤防は簡単に浸食されることが分かります。自然堤防を守るには、岸に沿う部分の水流を遅くすることが堤防の決壊を防ぐ有効な手段であることが考えられます。因みに、下の写真の手前の堤防には、一昨年の秋に同じように堤防が崩された時の修理跡が確認できます。強い水流に晒されるところには、大きめの石を金網で包んだもので防御してあります。原始的ではありますが、今回の雨では何の被害もありませんでした

実は、コンクリートや鉄の堤防が無かった江戸時代にも、同じような発想で堤防付近の水流を弱める「牛枠」という装置を使っていました。下の写真は玉川上水の羽村取水口付近に展示してあったものです;

多摩川・水害対策_「牛枠」

今年2月、柳瀬川の改修工事が始まっていました;

河川工事の公示
自然堤防・補修個所の状況

下の写真をみると、柳瀬川の補修方法がこれまでと変わっていることが分かります。新しい補修資材を使ってはいますが、岸周辺の流速を落とし水流の破壊力を減少させる目的としては、江戸時代の「牛枠」と変わらない考え方の改修方法と思われます
寺田寅彦が「人智に奢ることなく、自然に学んできた過去の経験を生かせ!」と言っているような気がしました!

おわりに

最近の天気予報では「線状降水帯」という新しい気象用語が度々登場します。台風並みに、時には台風以上の集中豪雨をもたらす意味では災害リスクの主役級に躍り出てきた感があります。日本という国土は、地図を見てみればわかる通り中小の河川が網の目のように走っており、河川氾濫による災害リスクは至る所にあるといっても過言ではないと思います
集中豪雨による河川の氾濫を完璧に防ぐには、膨大な費用と時間がかかり、今すぐ解決することは不可能ではないでしょうか。であるからこそ、自身の情報武装と、的確な氾濫の予報を行うことが喫緊の課題であると思っています

最近、NHKのニュースで太陽誘電(株)の画期的な水位計の紹介がありました。極めて小型で安価(3万円/1台)な装置です。この装置を全国の中小河川に設置(例えば、簡易無線水位計測サービスを使って1km毎に設置)し、河川の流量を常時監視できるようにすれば、この流量の実績値と河川流域の雨量の実績値を時間のスケールで比較し、雨量の時間的な変化で流量がどう時間的な変化をするかの関係(河川ごとに異なる)がある程度つかめると思われます。これに気象レーダーによる河川流域の雨量予測を当て嵌めれば、今より相当正確な河川氾濫予測を行えるのではないか、、、異常気象が続く昨今、河川氾濫を完全に防ぐことはできないにしても、河川氾濫による死亡者ゼロは近いうちに実現したいものです

Follou_up:朗報! 今後、関東一円の雨量予測の精度が高まります/関東一円の雨量、予測精度を高く 新気象レーダー、来月運用開始

以上