老いらくの恋!ならぬボケ老人の趣味(道楽?)

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はじめに

タイトルにある「趣味」と「道楽」の違いは定かではありませんが、「趣味」はやや高尚で文化的な感じがする一方、「道楽」は金がかかり、やや享楽的なイメージがあります。共通する特徴は、生活を支える仕事(なりわい)ではなく余暇を使って自分の人生を楽しむものであって、自分以外の家族には永遠に理解されないもの!と言えるかもしれません
以下は、私としては「高尚な?趣味の積り」ですが、家族から見れば「しょうもない道楽」の歴史を綴ったものです。いずれにしても、文科系の人や女性には全く興味が湧かない話題だと思いますので、ここで読むのを止めるのをお薦め!します

電波少年!」だった頃の思い出

A.小学生時代;
小学校低学年の頃は、住んでいた保谷周辺(現在はお隣の田無と併せ西東京市となっています)は雑木林など自然に恵まれ、同じ歳頃の友達と遊びまわっていました。シマヘビやヤマカガシなどの蛇に出会うことも度々でした。蛇を見つけると、尻尾を掴んでぶんぶん回し、最後に蛇の頭を地面に叩きつけて殺す勇気?ある友人を尊敬していました。
小学校4年生の頃だったと記憶していますが、何かの折に秋葉原の電気街に連れて行ってもらい、「鉱石ラジオ」のキットを買ってもらいました

鉱石ラジオの回路図と構成部品

実に簡単な回路と少ない僅かな部品点数ですが、一日がかりで制作し、AMラジオ放送が聞けたときは感激しました。ここから電気少年の歴史が始まりました

毎月、僅かな小遣いを貰うと、日曜日に一人で電車に乗って秋葉原電気街(最寄りの三鷹駅から電車一本で行けた)に出かけ、主に部品を物色するのみで終わることが多かった様に思いますが、それなりにとても楽しい時間であった記憶が残っています
当時、米軍の払い下げの中古部品(軍用無線機の部品は信頼性を確保する為に壊れる前に定期交換をしていました)が山ほど店頭に並んでいました。中古の真空管(先進的?なミニチュア管)などは50円で売っていましたが、部品番号が日本のものとは違うので買う訳にはいきませんでした

小学校高学年になると、電気回路などが出ている雑誌を買って、秋葉原で部品を買い集め、はんだごてを使って回路を組み立てることをやっていました

はんだごて4種

因みに今でも使っているハンダ付け作業用の道具箱(上の写真)の4種のはんだごての内、一番上の錆びたはんだごては当時使っていたものです!
当時は真空管で電子回路を構成するのが普通でした。小学校時代に最後に組み立てた回路は「並四」と言われていたラジオで、「真空管(ST管/下の写真)4本と「電源トランス」、「同調回路(鉱石ラジオと基本的に同じ)」、「出力トランス」、「スピーカー」、「コンデンサー」、「抵抗」、などで構成されていました。真空管4本の役割は、夫々「整流回路(交流を真空管を駆動するための高電圧の直流にする)」と「検波回路(高周波であるラジオ波を低周波の音の信号に変える)」、「増幅回路_1(イアホンを鳴らす程度まで増幅」、「増幅回路_2(スピーカーを鳴らす程度まで増幅)」でした。増幅回路_2に使われた真空管は、確か「6ZP1(通常仲間内ではロクゼットピーワンと呼称)」という名称だったと記憶しています

B.中学生時代;
中学に入った頃にはトランジスターラジオが出現していました。最初に手掛けたのは、トランジスター2ヶ(日立製)を使った携帯ラジオでした。これは部品を買い集めて作ったのではなく、必要な部品全てと、配線用の基盤がキットにして揃えてあり、特に知識が無くても、はんだ付けの技術さえあれば、後は根気だけで完成させることができるものでした。この頃から半導体を使った回路は、現在の電子回路と基本的に変わらずプラスティックの回路基盤に部品を差し、ハンダ付けを行うことで完成する様になっていました
父が私のこうした作業を観ていた為と思われますが、中学2年の時に「テレビを作ってみないか」と聞かれ吃驚しましたが、確か5万円位のキットを買うという事だったので喜んで承諾しました。完成まで1ヶ月程掛ったと思いますが、最初に写ったテレビの画面は1959年4月21日の昭仁皇太子のご成婚パレードの画面だったことを思い出します;

我が家では初めて観るテレビ放送だったので大変感激したことを思い出します
このテレビは自分で作ったこともあって、その後長い間使っていましたが、故障の際は全て自分で修理しました。直すと言っても当時は壊れるのは殆ど真空管なので、電源を入れて真空管をチェックしていくと、明りがついていない真空管(フィラメントが切れている)が見つかるので、この真空管を秋葉原に行って購入し、交換すれば大概治るものでした。ただ、チェックする過程で手をテレビの内部に入れて高圧回路に触れると物凄い電撃を受けます。電撃を受けた後、暫く放心状態になる経験を何度かしています

C,高校生時代;
高校に入ると電気の好きな仲間ができ、そんな仲間同士で「電気研究部」を創部しました;
残念ながらこの7人の内3人は既に故人となっています(電波少年は短命?)。後列左端の友人はつい最近亡くなり、葬儀に参列したばかりです
この電気研究部で成し遂げた最大の成果は、アマチュア無線のクラブ局の開設でした。前列に居る二人の女性に電話級アマチュア無線技士の資格を取らせ(男性陣が教育担当!)機材(送信機と受信機)を制作し、無線局の免許を取得、コールサインは JA1YCE となりました。因みに私は個人でも既にアマチュア無線局を開局しており、私のコールサインは JA1LZU でした(これらのコールサインは既に廃局となっている為使えません!)

その後、大学進学以降は何故か電気に対する興味が薄れ、無線機器の製作などからは遠ざかりました
大学では航空学科に進み、卒業論文、修士論文はコンピューターを使った計算が必要になり、FORTRANというIBMで開発されたプログラム言語を使ってプログラムを書く経験をしました

パソコンおたく」への道!

A.パソコンと OS の変遷;
日本航空に入社した当時、殆どの書類は手書きであり、字の汚い私には資料を作成するのは大変な苦痛でした。その後、暫くしてワードプロセッサー(通称ワープロ)が社内でも気軽に使えるようになりました。ワープロを使えば「汚い字!」のコンプレックスは無くなり、上司からの「書き直し 😈 」という退社直前の指示も難なく済ませて残業せずに飲みに行ける 🙂  ことになりました。

入社後10年ほど経った頃(1980年代)、個人用のかなり性能の良いパソコンが世に登場していました。中でも一世を風靡していたパソコンは、通称「キューハチ」と呼ばれていた NEC9801というシリーズのパソコンでした
既に会社の業務でパソコンを使っていた私は、大胆にも!会社から数十万円の借金をしてパソコン本体と20メガバイトのハードディスク、プリンターなど一式を購入しました
当時のパソコンの CPU(Central Processing Unit/中央演算素子)の演算能力はそれ程高くないので、日本語の変換はNECがワープロで培ったROM(Read Only Memory/日本語の膨大なフォントをビットマップ形式で記憶している素子)を使っていました。また、当時のパソコンの OS(Operating System/ディスプレー、キーボード、記憶装置などの入出力の機器とコンピューター本体の情報の仲介をするプログラム)は MSDOS(Microsoft Disk Operating System)といって、私が大学在学中に汎用コンピューターで使われていた UNIX というOS で使われていたプログラム言語をパソコン用に簡略化したプログラム言語でした

自宅に届いた「キューハチ」を見て子供たちが大喜びをしました。何故なら、この頃子供たちの間では、パソコンを使ったゲームをするのが憧れであり、これでゲームが出来ると喜んだのだと思います。しかし、パソコンで遊んでばかりいたら勉強が疎かになると考え、当時 MSDOS 上でプログラムを動かせる初心者用の BASIC というソフトを入門書と共に買って、これをマスターすればパソコンを使っていいと厳命!しました。しかし、残念ながら自宅にいる時間の少ない私にはこの厳命を管理することができず、子供たちは自由にパソコンを使ってゲームを楽しんでいたようです
ゲームを通じてだと思いますが、子供たちは見よう見まねでパソコンの操作を習得した様で、長ずるに及んで、今や3人の子供の内2人は IT を駆使した仕事で生計を立てており、パソコンおたくで終わっている私には及びもつきません!

1990年代に入るとパソコンの性能が著しく向上し(参考:ムーアの法則)、「キュウハチ」が誇った?日本語変換もソフトウェア上で難なく実現できるようになり、パソコンの主流は DOS/V機(ドスブイ機/AT互換機とも云う)にとって代わると共に、OS もマウスで画面上をクリックするだけで操作が完了する GUI(Graphic User Interface)を備えた Windows に急速に切り替わっていきました
勿論、OS が高性能化すると共に、より高性能なパソコンが必要になり、高価なOSも買い替えていく必要がありました。パソコンおたくになることは、家計への影響も計り知れないものであったに違いありません(←妻の言い分?)。
因みに、捨てないで持っていた OS の記憶媒体を並べると以下の通りです;
左上の9枚の3.5インチ・ディスケットは、MSDOS 導入用です(何と!9枚もあります)。Winndows初期のVer.1.0~3.1までの OS は、物持ちの良い私でも流石に捨てていたようです。Windows Vista は、パソコンおたくには有名な話ですが、「余りの遅さ!」に呆れて果てて、Windows7に切り替えると同時に憎しみをこめて破壊した記憶があります。Windows8、Windows10はネット経由の導入なので記憶媒体はありません

B.ネット時代への対応;
「キューハチ」を使っていた頃のネット環境はNTTの電話回線を利用した「ISDN/Integrated Service Digital Network」が主流でした。通信速度は64kbs(kiro bit per Second)で、現在私が使用している光回線と比べると1/1500以下の速度でした。これでも文字を送るには十分でしたが、画像を送るには非常に遅く、現在の様に動画を送るのは不可能でした

その後、1990年代後半と記憶していますが、拙宅にも光回線(100mbs/Mega Bit per Second)を引くことができ、ルーター(Router/ネットワーク上の機器同士を電子的に繋ぐもの)を介して自宅内各部屋に有線LAN(Local Area Network)を張り巡らしました。2000年代に入ると、このネットワークに無線LANも2系統設置し現在に至っています。設置状況の写真とネットワーク図は下記の写真をご覧ください(写真は小さくて分かり難いと思いますが、画面をクリックすると大きく拡大させて見ることができます);

家庭内のネットワーク

上の写真の上段左には、各種ルーターが並んでいます。真ん中にある2段のラックには今は稼働していない4台のサーバーがあります。これは、所属しているスキークラブの写真や動画を配信すべく、Windows2000の OS に、ネットから無料で入手できる有名な「Apatch」というソフトで HTTP サーバー、NAME サーバー、動画配信用のサーバーなどを構築したものです。
しかし、稼働させて数ヶ月も経たないうちに外部のハッカーに乗っ取られ(私のIPアドレスから無数のメールが発信されていた!)、休止したままになっているものです。やはり、サーバーを運営するのはパソコンおたくでは無理の様です
右側のエクセルの表は、家庭内のネットワーク内の各パソコン、プリンターなどにIPアドレスを割り振った表です。尚、IPアドレスとは、ネット上に接続されているパソコンなどの機器のインターネット上の住所の様なものです。4桁の数字を4組組み合わせて表します。この部分は、またハッカーに狙われるとまずいので黒く塗りつぶしてあります

C.パソコンの更新;
パソコンを数年に一度買い替えていると、市販のパソコンは、自分の要求する性能と価格が折り合わないことが増えてきます。従って、ここ20年くらいは自分の予算に合うCPUを決め、これに対応するマザーボードを選択し、更にこれに合う電源、メモリーを見つくろって秋葉原で購入し組み立てるようにしています。また、これを入れるパソコンケースの代りに「木の板」に固定して、ハイ出来上がデス! 上の写真のサーバーのラックにもこうしたパソコンを並べ収納しています。また、現在の私の机上にあるパソコンも同じです;

現在机上で使用中のパソコン

写真右のラックの上段には Windows10の現役のパソコン、下の段には以前使用していたWindows7のパソコンが入っています。このパソコンには、暇を見て無償でネット上で提供されるている Chrome Book 用の OS を導入してみようかと考えています
Chrome Book というパソコンは、Googleが開発したOSを搭載したパソコンのことで、これから一般用のパソコンの主流になると私は考えています。何故なら、この Chrome Book はスマホとの相性が良い上に極めて安価セキュリティーの心配なし、しかも現在小学生に無償で配布されているパソコンでのシェアが50%位に達しているからです

以下は、私が購入したマザーボードのサンプルです。ご覧になると分かると思いますが、組み立ては部品類やコード類をボード上のソケットにただ差し込むだけでパソコンが自作できます;

少年時代の電波少年に戻る、いや「電気老人」か?

A.孫に触発されて!
長女の次男が小学校低学年の頃、拙宅に遊びに来て、NHKのEテレ番組「ピタゴラスイッチ」を観るのが大好きな子でした。また、自分でも自身で考えた仕掛けを作って楽しんでもいました。この遊びの延長で、夏休みの宿題の工作に「流しソーメン」の仕掛けを作るというので、ペットボトルの工作は彼の独創性に任せ、私は一度使った水を、ソーメンを流し始める高い場所に揚水する為の小さなポンプを提供しました
これは、ひょっとして私の電波少年の再来が期待できるかも、ということである時秋葉原の電気街に彼を連れてゆきました。私の期待としては、「電気工作のキットなどを欲しがるに違いない」はず!だったのですが、結局買ってあげたのはゲームソフトでした
それでも諦めきれない私は、後日、一人で?秋葉原に出かけ下の写真の様な電気工作の材料などを買い集めました(写真に写っていない太陽電池、ギア付きのモーターなども購入!)。尚、写真右端の工作用の「可変電圧・電源ユニット」は、電池を使わないで済むように私が秋葉原で部品を集めて作りました;

しかし、これらの部品で暫くは遊んでくれた?のですが、彼はゲームの延長でソフトウェアに興味を示す様になり、小学校6年生になった現在は「マインクラフト」や「スクラッチ」など初心者向けのモジュール・プログラム(専門家の息子に聞くとこれからのプログラミングの主流になるかも知れないとのことです)を使いこなしていますが、これをユーチューブ・チャンネルで公開するまでに成長しています。しかも、最近は「Python」というAIのプログラミングにも使われているプログラム言語も学び始めているそうで、とても私などは足元にも及びません!

B.モジュールを使った「電気工作」の目覚め!
上の写真にある「可変電圧・電源ユニット」を作る過程で、私の少年時代には考えられないような多くの部品や高機能のモジュールが、考えられない程の安価で手に入ることが分かりました。根気、記憶力、学ぶ力が無くなった老人!でもこれらの部品、モジュールを使えば自分の作りたいものが作れることが分かりました
考えてみれば、プログラムがモジュール・プログラムに移行することと同じことが、回路設計をモジュールに区分し、それを基に半導体や他の部品を集めたモジュール基板を作り、それらを組み合わせて複雑な電気・電子製品を作り上げる時代となっていることが見て取れます
日本の電気メーカーもこうしたモジュール基板を海外に委託し、最後の組立のみを国内の工場で行うというワールドワイドなサプライチェーンが作られている現状が理解できます。昨今の半導体不足で自動車産業が大幅な減産を余儀なくされている事が、何となく解るのではないでしょうか

これらの部品や高機能のモジュールが、何でも揃う店としては、秋葉原の「秋月電子」という店がお勧めです。この店には何故か高専・大学の工学部の学生らしき若者、後進国の外国人、それに私の様な昔の「電波少年」でいつも賑わっています
因みに、AMAZONに出店している秋月電子の商品リスト秋月電子ホームページの商品リスト(←会員登録をしないと見られないかも知れません)、と秋葉原店の地図をご紹介しておきます。興味がある昔の「電気少年」の方々、一度覗いて見たら如何?;

秋葉原の秋月電子・地図

C.最近の自称「電気老人?」の作品
既に、一昨年10月に投稿したブログ(カラオケ万歳!)で「一人カラオケセット_第一世代」をご紹介しました。また、昨年8月に投稿したブログ(私の巣篭もり生活)では「可変電圧・電源ユニット」と「一人カラオケセット_第二世代」をご紹介しました。しかし、「電気老人」は時間だけはタップリあるので、常に改善を心掛けております。下の写真は現在使用中の「一人カラオケセット_第三世代」となります;

一人カラオケセット_第三世代

第二世代からの変更点は、音量を調整しやすい様にアンプを交換したことと、狭い机上にも置けるように立体化したことです

拙宅では、コロナ禍の影響で息子の ZOOMミーティングが頻繁に行われています。私やワイフのZOOMミーティングは仕事ではないので、周囲の雑音は問題にならないのですが、息子のZOOMミーティングは業務なので雑音は許されません。拙宅の間取りの制約で、大型テレビのある居間の隣で業務を行っているので、彼のZOOMミーティング中はテレビのすぐ前で音を極小にして観るか、イアホンを差して観ることを余儀なくされていました
最近ふと思い出したことは、第三世代のカラオケセットで不要となったアンプはブルートゥースの入力が可能だったこと、第二世代のカラオケセットで不要になったマイクアンプが遊んでいる事でした。これらを使えばテレビを観るためのベストポジションである居間のダイニングテーブルでいつもの通り私とワイフがテレビを観ることが可能になり、同時に大型テレビでカラオケを歌う事が可能になるはずだ、という事でした。こうして1週間程前に完成したセットが以下の写真の装置です;

テレビ音声伝送装置 兼 大型テレビを使ったカラオケセット

尚、拙宅の大型テレビは出始めの頃の代物なので、テレビ側にはブルートゥースの出力はありません。従って、下の写真の様にテレビ側のイアホン出力端子にブルートゥース送信機を接続しています;

テレビの音声をリモートで聴く時は、テレビに接続したブルートゥース送信機とアンプのブルートゥース受信機ペアリングを行います。また、スピーカーは写真のテレビ音声伝送装置 の透明ボックス(百円ショップで購入)に取り付けたものを使います
カラオケとして利用する場合、テレビ音声伝送装置の写真左下のスピーカー出力端子に大型の外部スピーカー(テレビ音声伝送装置のスピーカーでは大きな音で鳴らすと音が割れてしますます!)を繋ぎ、アンプの入力モードを通常音声入力に切り替えて、マイクをマイクアンプに繋ぎます
大型テレビの Chrome Castを通じてスマホのYouTubeのカラオケ画像を送信すれば、たちまち!我が家の居間はカラオケルームに変身します
また、
大型テレビを使わないで一人淋しく?カラオケをする場合は、「テレビ音声伝送装置」のブルートゥース受信機スマホのブルートゥースとペアリングすれば、歌詞と画像はスマホ、マイクの音声とカラオケの音声は大型外部スピーカーから流すことができます

以上。お粗末でした!