-はじめに-
世界の航空関係者で購読している人が多い“Aviation Week & Space Technology”の最新号(2月6~19日号)の表紙に上記写真の様な衝撃的なタイトル!が踊りました。“YS-11”が1964年に初飛行して以来絶えて無かった国産旅客機の再登場で航空関係者のみならず、国民の多くが期待をかけている“MRJ” が2015年に初飛行してから既に一年以上が経過しているにも関わらず先が見通せない状況に陥っているのでしょうか、航空ファンとしては心配なところです
国内の新聞報道(“また延期・引き渡し20年に”;“導入延期・パイロット採用にも影”)では引き渡しが遅れる理由はよく分からなかったのですが、上記雑誌の記事(“A&W記事”)には過去の遅延(今回が5回目)も含め、遅延の理由とその評価が解説してありましたので、本件に興味を持っている皆様にご紹介したいと思います
-MRJとは-
“MRJ”という名称は“Mitsubishi Regional Jet”の頭文字を取っています。読んで字の如く、大型機を飛ばすだけの需要が期待できないものの旅客単価の高い相応の需要が期待できる路線に特化することを狙った60席~100席クラスの小型ジェット機です。今後20年間の世界の需要は5千機にも上ると言われており、カナダのボンバルディア社、ブラジルのエンブラエル社などこのクラスの航空機製造に実績のある航空機メーカーも経済性の高い新型機の開発にしのぎを削っています。中国も開発を進めておりますが、米国で耐空証明を取る気配が見えないので、当面は国内需要が狙いであると思われます
“MRJ”の最大のセールスポイントは、その高い経済性にありますが、これは ① プラットアンドホイットニー社が新しく開発した燃費の良い新型エンジンを装備していること、② 日本の得意分野であるCFRP(炭素繊維複合材料)をふんだん使った軽量化を行うこと、などによって実現しようとしています
現在開発している機種は、76席の“MRJ70”と90席の“MRJ90”です。この2機種に加え、近い将来100席の“MRJ100”の開発も視野に入れています
また、最先端技術の粋を集めている航空機の開発は、産業の裾野も広く“技術立国”日本としてはどうしても実現したい夢でもあります。因みに、国の規制機関である経済産業省や国土交通省も、補助金の交付や開発環境の整備などで開発当初からバックアップを行っています
国産機とは言っても、使用する部品の約7割が外国製であると言われており“どうして国産機と言えるんだ!”という意見もありますが、実は民間航空機の製造で一番ノーハウが詰まっている部分は、耐空証明取得のプロセス(詳しくは“3_耐空証明制度・型式証明制度の概要”をご覧ください)です。因みにボーイング社の最新鋭機である787は日本で約3分の1が製造されていますが、米国産の航空機であるということに異議をとなえる人はいないと思います。最新の航空機は、航空機メーカーが世界の優良企業を選んで国境を越えたサプライチェーンを作って製造しているのが実態で、エアバス機も例外ではありません
<参考> “MRJ”の主要なサプライヤー:“Parker Aerospace”、“UTC Aerospace Systems”、“Rockwell Collins”、“ナブテスコ”、“住友精密工業(株)”
“MRJ”は現在まで航空会社や、航空機リース会社から約400機の契約(オプション契約も含む)を取得しており、日本においてもANAは25機、JALは32機導入の契約を結んでいます
“MRJ”についてさらに詳しく知りたい方は、“MRJ”開発の主体となっている三菱航空機(三菱重工の100%子会社)の2014年のプレゼンテーション資料(“MRJの開発状況”)をご覧ください
-これまでの開発の足どり-
1.開発開始:2008年
“MRJ”の本格的な開発が始まった(業界用語で“ローンチ/launch”といいます)のは2008年です。この時、顧客への引き渡し時期は2013年に設定されていました。つまり開発期間は5年間だったことになります。航空機の開発には莫大な投資が伴いますので、通常ペーパープランの段階で確定契約を行って開発リスクをシェアしてくれる顧客が必要になりますが、“MRJ”ではANAがその役割を担いました。この顧客の事を“ローンチ・カスタマー/Launch Customer”といいます
2.1回目の遅延:2009年
最初の遅延は開発開始後17ヶ月後の2009年に行われました。これは主翼の構造をCFRP(炭素繊維製)から金属製に変更すること、胴体の断面積を増加させること、及び電子装備品と貨物のスペース配分の変更することという大きな設計変更になりましたが、これに伴う開発期間の延伸は僅か3ヶ月であったため大きな議論は呼びませんでした。
3.2回目の遅延:2012年
2012年に三菱航空機は、“製造過程、及び技術的な解析に係る書類が規則通りに揃っていなかった”という理由で引き渡しを2年遅らせるという発表を行いました。ここで三菱航空機は、“この遅延は技術的な問題ではない”と説明しておりますが、実は遅延の本当の理由は“型式証明取得に係る経験の不足”であり、ここから“型式証明取得という“困難で不愉快な挑戦”が始りました。型式証明取得とはどんなことを行うのかについては、“3_耐空証明制度・型式証明制度の概要”をご覧になれば概要を理解することができると思います
4.3回目の遅延:2013年
2013年には、型式証明を取得するのに必要となる新しい組織監視の仕組みである“ODA/Organization Delegation Authorityを導入するために1年の遅延が必要になった”と発表致しました。ただ、この発表のタイミングはやや奇異なことでした。何故ならODA導入の義務化については2009年に既に公となっており、本来なら2012年の遅延に反映されているべきものだったからです
私は、“ODA”の仕組みについて詳しくはありませんが、考え方としては、規制当局が人的なリソースに限界があるために規制作業の一部(と言っても業務量の90%程度:“FAA’s ODA Program Announcement Lette”)を被験者に行わせ、且つ責任を持たせる仕組みであり、パイロットの技量管理の仕組みや認定事業場の仕組みなど(“2_航空機の安全運航を守る仕組み_全体像”)にも取り入れられています。“ODA”の仕組みを全体として俯瞰してみたい方は“ODAに係るルール_Order 8100-15”の目次だけでもざっとご覧いただくことをお勧めします。このルールに適合させることがいかに大変か分かるのではないでしょうか
5.4回目の遅延:2015年
2015年末には、“試験飛行を実施する為に更なる時間が必要”となり、引き渡し時期が更に1年延期されました
試験飛行に関しては、開始時期が半年ほど遅れていたことと、試験飛行計画のプロセスで地上での準備作業の時間をもっと確保すべきであったこと(この件は、米国の専門家/“U.S. expert”が三菱航空機に対して既にサジェスチョンしていたことでした)が原因があったようです
6.今回の遅延(5回目):2017年
今回の遅延の理由は、“異常事態/extreme events(例えば床下への水漏れ、爆発/explosionなど)が発生した時の電子・電気機器類/the avionics and electrics)の回復性/resiliencyの問題”であり、この問題を解決するには、“ワイヤリングのルートを変更し、電子・電気装備品収納スペース/avionics bay内の装備品の再配置が必要”となったことです。この設計変更を行うために更に2年の引き渡し時期の延伸が必要になると発表されました
また、発表の際の追加的な説明は以下の通りです;
* 今回の遅延は新しい要求項目(certification requirement)が出てきた為でなく、これまでの要求項目(“Electrical Wiring Interconnection Systemsに係る耐空性要求項目”)の理解不足にあった
<参考> 通常航空機の開発期間は極めて長期に亘る為、新型式の耐空証明を取得する際に適用される耐空性基準(“certification basis”)は5年以上前のものが使われることになっています。2008年に開発が始まった“MRJ”については、2013年以前に型式証明を受けるとすれば、2008年の“certification basis”に従えばいいのですが、引き渡しが2020年(耐空証明の取得は2019年)になった場合、“certification basis”は2014年のものが適用されることになります。しかし、2008年と2014年の耐空性基準の違いは全体として僅かであり、且つ今回の設計変更に係る基準は2008年以前に既に存在していたものでした
* 今回の設計変更の準備は既に始めており、今後数ヶ月の内に詳細設計に入る予定
* 今回の設計変更に伴って1~2回の追加試験飛行が必要と想定
* 製作された5機のプロトタイプの内4機は今回の設計変更をしない機体のままで試験飛行を継続する
* 2015年11月の初飛行から、日本の航空当局の監督下で実施してきた400時間の試験飛行は型式証明試験として有効
* 今回の設計変更に伴う耐空性の検証は、主として熱や電磁的な評価を行うことになり、これまで行ってきた検証作業と重複は無い
* 今回の設計変更に伴う構造設計の変更は不要。機体の構造強度に関わる検証は既に完了している
* 静強度試験に投入されている2機の内の1機で実施された主翼の究極荷重試験で運用上の最大荷重の150%で破壊が起こらないことは昨年11月に確認されている(今後この試験は破壊が起こるまで継続)
この遅延によって、ANAの初号機の引き渡しは2020年の後半となり当初5年を想定していた開発期間は12年以上となりました。これに伴って開発に必要な資金は膨大(“開発費5000億円に”)となりますが、三菱航空機は、“苦労して手に入れた経験は次の航空機開発に役立てたい思っている。また投資回収期間は伸びるかもしれないが、各会計年度の収支へのインパクトは極小化できる”と語っています
また併せて、“商用航空機生産のビジネスは参入障壁が高く長期間に亘る取り組みが必要であるものの、三菱重工はこれに適した企業であり、今後“MRJ”を越える優れた航空機の生産を目指し、MRJプロジェクトとは別に“Future Advanced Technology Development Team”を立ち上げ、次世代航空機のコンセプトに係る戦略とこれに不可欠な先端技術の開発を行うことにしている”とも語っています
-Aviation Week & Space Technologyのコメント-
* 2016年8月31に“Aerolease Aviation” と2018年に引き渡す契約を結んでいたにもかかわらず、その後4週間もたたないうちに購入契約を結んだ全ての顧客に対して引渡し遅延の可能性(2018年には引き渡しが無く、引き渡しは1年以上遅れる旨の内容)を通告していることを勘案すると。この設計変更の問題は突然発生したのではないかと考えられる。その後、4ヶ月に亘って技術的な分析が行なわれ今回の発表になったものと考えられる
* 設計変更作業を行った最初の機体は、恐らく2018年の第二四半期までに完成し、その後新しく追加された試験飛行が始まると考えられる
* 発表された新しいスケジュールから判断すると、少なくとも試験飛行用に2機目の設計変更作業済みの機体が準備されると思われる
* 追加的に必要となる試験飛行の機体は、恐らく顧客に引き渡す予定の機材から流用されると思われるが、これらが最終的にどの顧客に引き渡される機体になるかは決まっていない
* 三菱航空機が発表した新しいスケジュールでは、型式証明の取得から顧客への最初の引渡しまでに6ヶ月のバッファーを設けており、他の航空機メーカーのバッファー(せいぜい数週間しか設けない)に比べると余裕があると考えられる
* “MRJ”の最大市場と考えられている米国の顧客は、これらの引渡し遅延に対してそれ程苛立ってはいない。何故なら、パイロット組合(ALPA:日本と違って職種別の組合であり、米国大手航空会社のパイロットはこの組合に加盟している)と航空会社との労働協約(“scope clause”)によりパイロットをアウトソース(委託)できる航空機は、76席以下で最大離陸重量が86,020ポンド以下となっており、“MRJ90”の運航には賃金の高い自社のパイロットを配置せざるを得ず、経済性に欠ける機材となるからです。因みに、“MRJ90”の強力なライバルであるエンブラエル社の新型機“E175-E2”は、この労働協約を念頭に引き渡し時期を2021年に延伸している
* “MRJ”の顧客である“SkyWest Airlines”と“Trans States Airlines”は、それぞれ100機と50機の発注を行っているが、これらの航空会社は米国大手の航空会社と運航の委託契約を行っていることがあり、“MRJ70”か、は“MRJ90”かの選択を未だ行っていない
Follow_Up:2023年2月:スペースジェット撤退に関わる泉沢清次・三菱重工業社長の記者会見
以上