ステルス戦闘機とは

-はじめに-

上記の写真は、2016年4月22日に初飛行を果たした国産の“先端技術実証機”が名古屋空港を離陸する時の姿です。航空自衛隊の主力戦闘機であるF15JやF2支援戦闘機(地上及び海上支援)の後継機としてステルス性の高い(敵レーダーに発見されにくい)航空機が求められていることから、日本のこの分野での技術基盤を確立する為に開発されてきた航空機です。機体は三菱重工、エンジンは石川島播磨重工が開発を担当しました。
新聞等に登場する第?世代の戦闘機という表現は、定義がやや曖昧ですが、ステルス性電子装備、戦闘能力などの面で、どれだけ能力が高いかでランク付けがされています。現在、米軍や航空自衛隊で主力の戦闘機として活躍している、F15、F/A18、などは第4世代、F2やF15改良型、F/A18改良型は第4.5世代、米軍しか保有していないF22、自由主義陣営の航空先進国で共同開発したF35第5世代の航空機とされています。因みに今年から日本にが導入されるF35は、ベトナム戦争のころ大活躍したF4(ファントム)を更新する機材として導入されます

F35A_自衛隊
F35A_自衛隊

先週の新聞に、ボーイング社が航空自衛隊の次期戦闘機の共同開発を提案してきたという記事が出ていました。F35の例でも分かる様に、第5世代戦闘機の開発には巨額の投資が必要で、米国ですら共同開発を選択せざるをえなかったほどです。ご存知の方も多いと思いますが、日本はF35導入を決める前に、今もなお最強の戦闘機であるF22の導入を打診したことがありましたが、米国議会の反対にあって導入ができませんでした。基幹技術の海外流出には、国の生存が関わっているのでやむを得ない事かな、というのが私の感想です。因みに、現在韓国が戦闘機の開発を行っていますが、要となる装備品の提供を米国に拒否され、当初目指していた性能は出せなくなっている様です

振り返ってみれば、自衛隊のF1支援戦闘機の後継機で日本は自主開発を目指しましたが、日米の貿易摩擦の影響で、要となるエンジンの提供が得られず、F16をベースとした日米共同開発となってしまった歴史があります。今回の“先端技術実証機”の開発では、機体とエンジンを全て自主開発しているので、量産型機の自主開発が可能かとも考えられますが、巨額の投資が必要なこと(特に日本では自主開発しても輸出することが極めて難しい事情も重なります)、電子装備品で一部米国に頼らねばならない可能性もあり、米国との共同開発が最適の選択だと私は考えます。尚、“先端技術実証機”のステルス性、エンジンの先端性が、F22と同レベルか凌いでいれば、F22の導入が米国議会で承認される可能性も考えられます。ロシアが開発中の第5世代戦闘機“T50”の開発配備状況、米国の主力戦闘機であるF15、F/A18の後継機の検討状況によっては、F22の導入に道が開けるかもしれません

第5世代の戦闘機の導入は、自主開発にしろ、F22の導入にしろ巨額の資金が必要となることは言うまでもありません。今後この計画が具体化するにつれ、導入資金額を単純に福祉予算や災害復旧予算と比較する議論も昔と同様盛んになると思われます。しかし私は、「専守防衛」を国是にしている日本には絶対に必要な防衛装備であると考えています。何故なら、装備の劣る仮想敵の侵略の意図を挫くことができると同時に、仮に理不尽な敵の侵略があった場合でも、数で劣る自衛隊員の命の損耗を回避することによって戦力の維持が可能になるためです

最近は少しましになりましたが、日本で防衛に関する議論をする時に、具体的な数字の議論を避ける傾向があります。確かに防衛装備というものは、如何に敵に勝る攻撃力があるか(⇔殺傷能力が高いか)議論するわけですから、70年以上平和に暮らしてきた日本人にとっては相当違和感のある話である事は確かです。しかし、巨額の税金を投じる以上、その投資効果について国民一人一人が避けずに議論することが必要であると考えます

先の大戦の初めの頃、「ゼロ戦」は無敵を誇り、パイロットの損耗率は殆どゼロだったと言われています。これは「ゼロ戦」の速度航続距離旋回性能が卓越していたからです。日本が無残な敗戦に至る過程で、米軍のレーダーによる索敵能力の向上、米軍戦闘機の性能向上があったことで、「ゼロ戦」の卓越性が失われ、“優秀なパイロットの損耗制空権の喪失”という負の連鎖がありました
現在の戦闘機にこれを当て嵌めれば、「ステルス性能」と「飛行性能」が卓越性のカギを握っています。偶々、現役時代から愛読している“Aviationweek & Space Technology” の2016年7月4~7日号に、「ステルス性能」と「飛行性能」について、F22とF35の比較が出ていましたので紹介いたします。尚、出来るだけ平易な日本語にするため、若干の意訳を交えたことを予めお許し頂ければ幸いです

-ステルス性能の基礎知識- 

ステルス性能とは;
ステルス性能とは:敵レーダーに発見されにくい性能
レーダーによる探知とは:電波を発射し、目標物から反射してくる電波をキャッチして、目標物の速度、進行方向、大きさ、などを探知すること
レーダーからの反射波は、レーダーの送信機や受信機の内部で発生するノイズやクラッターの影響を受けるので、反射波の信号強度がこれらよりも大きくないと目標物を発見できません
レーダーのクラッター(Clutter)とは:目標物以外の地面、海面、雲、雨などからのの反射波

ステルス性能を表す尺度  : 「“RCS”/Radar Cross Section」といい、形、大きさ、電波の反射率、などに違いがある目標物を、標準となる金属製の球の断面の反射波と比較して標準化した指数です
RCSによるステルス性能の比較
**人間のRCSは1㎡
**第4世代航空機:10~15㎡
**第4.5世代航空機:1~3㎡
**第5世代航空機:ゴルフボールの断面(0.0014㎡)以下

*2014年から配備を始めたロシアの最新鋭機(SU35)が装備しているレーダーは400km先のRCS:3㎡の目標物を探知できるとされており、これを上記に当てはめると、SU35が探知可能となる距離は概略以下の通りです;
**第4世代航空機:540~600km先から探知可能
**第4.5世代航空機:300~400km先から探知可能
**第5世代航空機/F35:58km先から探知可能
**第5世代航空機/F22:36km先から探知可能

従って、F35、F22が装備している空対空ミサイルAIM120は100km以上の距離から発射できるので、SU35に発見されない間に発見し撃墜することが可能となります。また、ロシアの最新鋭の地対空ミサイル(S-400;射程380km)とセットになっているレーダーの能力はRCS:4㎡の目標を250km先から探知可能とされており、F35、F22は地上からの攻撃に対しても十分なステルス性能を持っているという事が出来ます(ロシアのデータはいずれも米軍専門家による推定値)

RCSの値は、レーダー波の周波数、目標物は形状、見る角度などで異なります。
**レーダー波の周波数については、現在の火器管制レーダー(索敵、ミサイルの目標追尾、など)で使用されている周波数がXバンド(8~12ギガヘルツ)帯なのでこの周波数帯が一番重要となりますが、他の周波数帯でのステルス性も重要です
**目標物を見る角度は、実際の航空機の飛行高度、レーダーの運用条件などを考えると、水平方向:±45°、上下方向:±15°が重要になります

-ステルス性能を向上させる手段-

ステルス性能を向上させるには、 レーダー波の反射波を敵レーダーに向かわせない形状にすることと、 レーダー波を吸収させること の二つの方法があります。通常①の方法の寄与率が90%、②の方法の寄与率が10%と言われています

レーダー波の反射波を敵レーダーに向かわせない形状
レーダー波が入射する方向と反射する方向との関係は、ビリヤードのボールが、縁で撥ねかえる様子(入射角と反射角が等しい)を想像すればいいと思います。つまり直角に当たらない限り入射した方向には反射しないということです
従って、エンジンの空気取り入れ口コックピットレーダー波が反射を繰り返す様な複雑な構造は、レーダー波の入射方向に反射してしまう可能性が高くなります
エンジンの空気取り入れ口の反射を防ぐ方法には、網状のシールドの設置取り入れ口内部にブロッカー設置蛇の様に曲がりくねった空気取り入れ口の構造などがあります
第4世代機までは、装備されている武器類(爆弾、ミサイル)、補助燃料タンクなどはパイロンと言われる構造で主翼や胴体に吊るされていますが、これらはステルス性能に悪影響を与えますので、第5世代機では胴体内に格納することにしています(→結果として機体のサイズが大きくなる)。
ミサイルは丸い胴体で、尾部に十字型の安定翼があり且つ前部には目標を追尾するレーダーが装備されている為、レーダーを反射しやすい形状になっています
翼の前縁(Leading Edge)や後縁(Trailing Edge)、翼端(Wing Tip)はどうしてもレーダーの入射方向に反射してしまう部分ができるので、空気力学的な性能を犠牲にしても可能な限りナイフのように鋭い形状にします

F22:ナイフの様な翼前縁部
F22:ナイフの様な翼前縁部

胴体の面、動翼の面、翼の前縁・後縁、割れ目、などからの反射波が出来るだけ限られた角度に集中するように全体のデザインを調整します

② レーダー波を吸収させる方法;
レーダー波は電磁波(一般的には“電波”と呼んでいます)なので、金属などの導電体に当たるとそこに高周波電流が流れます(←ラジオやテレビのアンテナはこの原理で電波の信号を受け取っています)。この電気エネルギーを熱に変えてレーダー波のエネルギーを吸収させる導電体のことを“RAM(Radar Absorbent Material)”と言います
コックピットのキャノピー(操縦席を覆う風防)には極薄(数ナノメートル程度)の導電性の金属膜(金、または“酸化インジウム・スズ”)で覆われています。“酸化インジウム・スズ”とは、酸化インジウムに数パーセントの酸化スズを混ぜたもので、液晶パネルや有機ELパネルに使われている材料です
機体の外装面上をレーダー波が通過すると、外装面に高周波電流が流れます。この電流が外装面(RAMで覆われている)の材料の繋ぎ目などで遮断されると、これが電波として再び放射されます(高周波電流の流れる距離が長ければ熱になって減衰する為に電波の再放出を防ぐことができます)。従って、こうした場所(例えば武器庫や降着装置のドア類、アアクセスパネルなど外板との繋ぎめ)には導電性のテープを張る、あるいは導電性物質の詰め物をして高周波電流が長い距離流れるようにする必要があります

上:F22 下:F35
上:F22 下:F35

-F35とF22の性能の比較-

*F35A:日本が今年導入するタイプ。他にF35B(垂直離着陸可能)、F35C(航空母艦の艦載機)のタイプがあります
*F22A:実戦配備済みのタイプ
F35はF22と比べてコストを下げる為に設計上かなりの妥協を行っています

両機のステルス性能、戦闘能力、価格の違いは以下の通りです;
① 有視界を超える遠距離での戦闘能力
**RCS:F22A/0.0002㎡ ⇔ F35A/0.0013㎡
**装備レーダーRCS 1.0㎡ の目標物を探知できる距離:F22A/240km ⇔ F35A/207km

② 有視界での戦闘能力;
**翼面荷重(小さい程俊敏に動ける):F22A/317kg/㎡ ⇔ F35A/420kg/㎡
**エンジン推力の方向制御(可能であれば予測が難しい運動が可能):F22A/可能 ⇔ F35A/不可能
**迎え角の限界(大きい程運動能力が高い):F22A/限界無し(垂直に上昇できる⇔機体重量より推力が大きい) ⇔ F35A/50°まで
**Distributed Aperture System(最新の電子工学分散開口システム;6つの赤外線カメラで捉えた映像を合成して前後・左右・上下の死角をなくすことができる):F22A/無し ⇔ F35A/有り

③ 空対空ミサイルの内臓数(機体内に内蔵);
**AIM120(長距離用):F22A/6基 ⇔ F35A/4基(6基に改造可能)
**AIM9(短距離用/サイドワインダー):F22A/2基 ⇔ F35A/無し

④ 地上攻撃用兵器の搭載能力
**大型爆弾搭載能力;F22A/1,000ポンド爆弾2基 ⇔ F35A/2,000ポンド爆弾2基)
**電子光学照準システム:F22A/無し ⇔ F35A/有り

⑤ 飛行性能
**最高速度(アフターバーナー無し):F22A/マッハ1.7 ⇔ F35A/マッハ1未満
**最高速度(アフターバーナー):F22A/マッハ2以上 ⇔ F35A/マッハ1.6
**最高到達高度:F22A/65,000フィート ⇔ F35A/50,000フィート
**作戦遂行半径:F22A/約1,200km ⇔ F35A/1,300km

⑥ コスト
**1機当り調達コスト(110円/USD):F22A/250億円 ⇔ F35A/110億円(自衛隊機の場合、日本で生産される為ライセンス料が加算されてかなり高額になる)
**飛行時間当たりの運航コスト(110円/USD):F22A/600万円 ⇔ F35A/350万円

以上

自動潅水システムについて

コンテナによる野菜の栽培で最も大切なことは、言うまでもない事ですが「潅水」(水やり)です。特に夏場は、朝夕2回の水やりを忘れると、たちまち枯れるか、再生不能なまでに弱ってしまいます。一方で、夏場は旅行などで泊りがけで家を空ける日が多くなることは避けられません。従って、我が家の屋上菜園では家を空けた時に備えて以下の様な“自動潅水システム”を構築しています

まず水やりに必要な水の確保ですが、20年程前の新築の際、将来菜園を作る前提で水道を屋上まで配管してもらいました。排水設備はいらないので、追加工事費は僅かなものだったと記憶しています

次に必要なものは、セットした潅水時刻、時間に合わせて自動的に水道バルブを開閉してくれる装置です;

パナソニック製・自動潅水ユニット
パナソニック製・自動潅水ユニット

上記はパナソニック製で1万円以上するやや高価な製品ですが、水道バルブ駆動用の電池を2~3年に一度交換するだけで、恐らく10年以上故障しないで使用できます(やはり日本の製品は素晴らしい!)。我が家では、この装置を3台設置し2台をスプリンクラーに、1台をコンテナごとの個別給水に使っています。1台のユニットで同時に潅水すればという考え方もありますが、我が家の場合、水道の水圧に限界があり、菜園全体に同時に潅水すると水圧が下がり過ぎて均等に撒けなくなるからです。3台を稼働させるときは、時間差をつけて1台づつ稼働させています

スプリンクラー方式
スプリンクラー方式

スプリンクラー方式は、自動潅水ユニット、スプリンクラー、とホースさえあれば設置できるので、非常に簡単ですが、欠点は水を撒ける範囲が円形になることと、当然のことながらコンテナ以外の所にも水を撒いてしまうので水が無駄になることです。従って我が家では、スプリンクラーは原則として旅行に行く時に稼働させています

個別給水の仕掛け_1
個別給水の仕掛け_1
個別給水の仕掛け_2
個別給水の仕掛け_2

上記写真にある“個別給水の仕掛け_1”は、市販のカーテンレール(プラスティック製)をコンテナの長さにカットし、これにドリルで適当な間隔で穴をあけ、片側から給水してやると、長手方向に均等に水が撒かれる仕掛けです。これは長方形の大型コンテナの給水に使っています。一方、円形で深さのある大型コンテナには、“個別給水の仕掛け_2”を使って給水を行っています。この仕掛けは市販のものです。
これらの仕掛けに、自動潅水ユニットからの水を引くには、以下の部品を使います;

給水パイプ・ホース・ニップル
給水パイプ・ホース・ニップル

右から2番目のパイプは塩化ビニール製の安いパイプ(“塩ビパイプ”)です。塩ビパイプには2種類あって、水道の配管に使われるやや高価な高圧用と、低価格の低圧用があって、ここでは低圧用を使用しています。塩ビパイプの配管は、専用の接着剤で簡単に繋ぐことが可能で、パイプ以外にも色々な部品を売っていますので、“L”字型の配管、端末処理など、どんな形状の配管も簡単に作ることができます
左側にあるフレキシブルな細いホースは、塩ビパイプと“個別給水の仕掛け”をつなぐホースです。適当な長さにハサミでカットして使います。このホースと塩ビパイプの間に置いてある小さな部品(“ニップル”と名付けました;上の写真の右側にある5個入りの袋の単位で販売しています)は、金属製で片側にネジを切ってあり、予め塩ビパイプにドリルでちょっと小さめ穴を開けておけば、このニップルを塩ビパイプにねじ込むことが可能です。塩ビパイプにねじ込まれたニップルの反対側に“個別給水の仕掛け”に繋いだ細いホースを差し込めばいいことになります。接続状態は以下の写真をご覧ください

DSC_0227
塩ビパイプと細いホースの接続状態

“フレキシブルな細いホース”や“ニップル”は、ホームセンターの園芸コーナーで簡単に手に入れることが可能です。尚、やや特殊な“ニップル”は“(株)カクダイ”の製品です。
この会社のサイト(http://kakudai.jp/green/index.html)を覗くと、同じような機能をもった多くのセットが売られておりますが、かなり高価なものが多いようです。お金持ちの方はどうぞこの会社の出来合いの製品をご利用ください!

以上

 

 

 

3_耐空証明制度・型式証明制度の概要

-耐空証明制度と型式証明制度-

耐空証明制度と型式証明制度については、“2_航空機の安全運航を守る仕組み_全体像で既に概略説明しておりますが、以下に詳しく説明いたします;耐空証明制度とは、航空法第11条で、「航空機は有効な耐空証明(Airworthiness Certificate)を受けているものでなければ航空の用に供してはならない」と定められています。耐空証明を取得するには以下に掲げる基準を満足させる必要があります;
* 航空機の強度・構造・性能についての基準
* 環境についての基準:騒音基準及び排出物の基準

また、法が要求している全ての基準に適合しているかどうかを確認するために以下の段階別に検査を行うこととなっていいます;
A.設計検査
B.製造過程検査
C.完成後の現状検査

完成後の現状検査を行った後、耐空証明が与えられますが、耐空証明の有効期間は1年間であり原則として毎年更新が必要となります。しかし、整備体制、品質保証体制等が整っている航空事業者に対しては“連続式耐空証明”が付与され、毎年の耐空証明更新検査が不要となる仕組みも整られており、保有機数が多い大きな航空会社はこの仕組みを使っています

型式証明制度(Type Certificate)とは、量産を前提としている航空機を、個別に審査して耐空証明を与えることとは別に、同型式の航空機群(例えば、B787、A320、など)に対して包括的に耐空性の証明を与える制度です。
型式証明を受ける為には、製造メーカーは、各種の試験を行い、設計通りの性能が出ていることを確認した上で、必要な書類を添えて規制当局に申請します。規制当局は、これを審査した上で必要な実地検査を行い、合格すれば“型式証明書”を発効する事になります。
*必要な書類とは:設計書、設計図面、部品表、製造仕様書、飛行規程、整備手順書、重心位置、など

輸入する航空機については、国土交通省と航空機を製造している国の当局との間で“航空機等の証明に係る相互承認協定”を締結し、型式証明検査の内、設計検査、製造過程検査、完成後の現状検査に関し、検査項目を大幅に省略する仕組みになっています。以下は現在締結されている代表的な協定です;
BASA(Bilateral Aviation Safety Agreement):包括的な協定
IP(Implementation Procedure):分野毎の具体的な協力事項の取決め
WA(Working Agreement):分野毎の具体的な協力事項の取決め
TA(Technical Agreement):分野毎の具体的な協力事項の取決め

現在協定を締結している国、及び協定の内容は以下の通りです;
米国:BASA ⇒ ボーイング社製航空機が対象
EU:WA ⇒ エアバス社製航空機が対象
カナダ:BASA ⇒ ボンバルディア社製航空機が対象
ブラジル:BASA ⇒ エンブラエル社製航空機が対象

また機体だけでなく、エンジン及びその他重要な装備品のについても、機体から着脱可能であれば個別に型式証明の取得が可能となっています。型式証明を取得したエンジン重要な装備品については、着脱を行っても新たな航空機全体の耐空証明の受験は不要となり、運航をキャンセルしないでエンジンや装備品の交換を行うことができることになります。
*重要な装備品の例:降着装置(Landing Gear)、発電機、燃料ポンプ、油圧ポンプ、航法関係装備品、等。詳しくは→装備品の型式証明対象品目

型式証明を受けた航空機、エンジンおよび重要な装備品の設計の一部変更を行う場合、あるいは耐空性に影響のある大修理を行った場合には、追加型式設計(STC:Supplemental Type Certificateの承認を得る必要があります。
追加型式設計の承認を必要とする具体的なケース:一次構造に係る改修の実施、電気系統の配線の変更、その型式に関する図面等の変更、など
米国(FAR)では、DER(Designated Engineering Representative)という個人(会社所属、コンサルタント)に承認権限を与える仕組みがあります。詳しくは→ Designated Engineering Representative

原則として型式証明対象部品以外の装備品、及び特殊設計の部品などについては追加型式設計の承認に準じた仕様承認(TSO:Technical Standard Ordersを取得することが必要となります。
仕様承認を受ける部品の例:高張力ファスナー類、特殊設計のスイッチ類、バルブ類、シリンダー類、タイヤ、等。 詳しくは→装備品の仕様承認対象品目

尚、これらの追加型式設計(STC)、仕様承認(TSOは、取得に際して相当程度の技術的な作業(図面作製、強度計算、申請書類の作成、など)が発生しますので、承認を取得した事業者には知的所有権(Proprietary Right)が発生します。従って、他社がこれらを使用する場合は、相応の費用負担をしなければなりません

-規格-

航空機は、通常数百万点の部品・材料で構成されています。前段で説明した耐空証明制度や型式証明制度の仕組みの中で、個別に承認を受けている部品類の他に、ボルトやナット、ジュラルミンの板材、などに代表される標準的な部品・材料も沢山使われています。これらの部品・材料の品質保証のベースになっているのが“規格”です。標準的な部品・材料については規制当局がその規格を承認することによって品質を保証する仕組みになっています。
航空産業の分野においては、先の大戦後、自由主義世界における航空機の製造が実質的に戦勝国の一部(米国、英国、フランス)に限られてしまった為、規格はこれらの国の規格がベースとなって発展してきました。しかし、近年、航空機の製造、保全整備、等のビジネスが国際的に相互依存を強めつつあり、規格の国際的な整合に向けた努力が続けられています

1.規格の分類
① 規格の由来に基づく分類;
* デジュール規格(de jure standard):JIS(Japan Industrial Standard/日本工業規格)やISO(International Organization for Standardization が制定した国際規格) など、公的な組織が先導して、関係者の合意のもとに制定された規格
デファクト規格(de facto standard):製品競争を続けた結果、事実上市場の大勢を占めるようになった規格

 規格を制定する機関・団体、等に基づく分類;
*国際機関、団体による規格(デジュール規格):航空業界で、現在使われている規格には、ISOICAO(国際民間航空条約がベース)、WMO(気候、気象関連)、IATA(運送事業者の国際機関)、ACI(空港運営関係の国際機関)、IAOPA(航空機オーナー、パイロットの団体の国際機関)、AECMA(欧州各国の航空宇宙工業会の連合体)、EUROCAE(欧州の電子技術分野の規格を提言する非営利団体)、IAQG(米国、欧州、日本の航空宇宙工業会)、などがあります

)ISOでは航空宇宙産業分野での規格標準化について、ISOTC20(Aircraft and space vehicle)という分科会で検討されています。既に国際的にデファクト規格と見做されている規格ついては以下の条件を満たす限りにおいてこれを追認し、ISO体系に組み入れられています;
イ) 多くの国で既に標準的な規格として使用されていること
ロ) 将来の設計に使用しうるポテンシャルがあること
ハ) ISOの他の規格と矛盾しないこと
ニ) 規格の採用によって他の国の取引に悪い影響を与えないこと
ホ) 規格が英語又はフランス語で記述されていること
ヘ) 規格を制定・運用する国がISO規格に組み入れることに賛成すること

*国際的な規格に影響を及ぼす米国の規格(デファクト規格):SAE(運輸技術に係わる技術者団体)、AIA(航空・宇宙工業会)、RTCA(航空電子技術の規格を提言する民間非営利団体)、ARINC(航空産業への信頼性のある通信を提供する為に設立された会社)

*軍の規格(デファクト規格):
MIL SPEC(米国国防省が制定。戦後、民間でも一般的に使用されていましたが、最近は民間の規格が充実してきた為多数の規格が廃止又は改正されています)、NATO規格(欧州での軍規格)

2.日本に於ける航空関連規格の運用状況
 規格の使用を定めている法規;
航空機製造事業法では、“日本国内で航空機を製造する許可を得るには、経済産業大臣によって予め承認を得た基準によるか、又は JIS規格によるものでなければならない”と定めています。
航空法では、“日本国籍機の耐空証明を取得する為には、JIS規格の他、MIL SPEC、米国航空規則(FAR)に関連する国家規格、その他航空機検査官が適当と認めた規格によるものでなければならない”と決められています

 JIS(規格数:90)の分類;
*航空機関係JISの区分;
(1) 一般(常用単位など;41規格の内20規格はISO規格と一致)
(2) 専用材料(航空用チタンの規格など;9規格の内8規格はISO規格と一致)
(3) 標準部品(5規格の内4規格はISO規格と一致)
(4) 機体・装備品(19規格の内9規格はISO規格と一致)
(5) 発動機(4規格のみ)
(6) プロペラ(規格なし)
(7) 計器(1規格でISO規格と一致)
(8) 電気装備(14規格の内10規格はISO規格と一致)
(9) 地上施設(1規格のみ)
(10) 雑(規格なし)

航空関係JISの所掌大臣;
経済産業大臣(82規格)、経済産業大臣及び国土交通大臣(10規格)、国土交通大臣(1規格/地上施設「航空標識の色」)農林水産大臣(1規格/常用の単位関連)

航空関係JISの原案作成団体;
日本航空宇宙工業会(90規格)、日本航空宇宙学会(1規格)、日本溶接協会(1規格)、金属表面技術協会(1規格)、照明学会(1規格)

 日本の航空産業での規格使用状況;
現在、航空機製造の分野は活況を示しているものの、米国製、欧州製の航空機製造の一部受託が大半です。またMRJ(三菱重工業が開発している80~90人クラスのジェット旅客機)に代表される国産航空機については、販路のかなりの部分が海外向けを想定しています。また、航空機整備の分野でも米国製、欧州製の機材の整備が大勢を占めていいます。従って、実際に現場で日常的に使用されている規格は全て国際規格(主に米国規格)になっているのが実情です。

-A.設計検査-

航空機は大きさや速度、推進方法、などについて色々な種類があり、その用途も多種多様です。また用途によって要求される安全性のレベルにも大きな違いがあります。従って、航空機の耐空性に関わる設計基準は、下記の航空機の区分(耐空類別)に分けて決められています;
① 飛行機・曲技A(重量5.7トン以下)
② 飛行機・実用U(重量5.7トン以下、60°バンク(傾き)を超える旋回、錐揉み、等を想定する)
③ 飛行機・普通N(重量5.7トン以下、60°バンクを超えない旋回を想定する)
④ 飛行機・輸送C(重量8.618トン/19,000ポンド以下、客席数19以下を想定する)
⑤ 飛行機・輸送T(航空輸送事業の用に供する飛行機)
⑥~⑧:ヘリコプター・普通N/輸送TA/輸送TB
⑨、⑩:グライダー・曲技A/実用U
⑪、⑫:動力付きのグライダー・実用U/曲技A
⑬:特殊航空機X

ここでは、航空輸送事業の用に供する航空機(耐空類別:飛行機・輸送T)の設計基準について概要を説明します。尚、言うまでもない事ですが、これは耐空類別①~⑬の中では安全上の基準が最も厳しくなっています。また、以下の基準には、「1_航空機の発達と規制の歴史」の中で述べた事故の教訓が反映されています

1.機体・エンジン・その他装備品の設計基準の概要
 重量及び重心位置
重量に係る主要な指標(空虚重量最大離陸重量最大着陸重量、など)が決められていること
重心位置が平均翼弦の前から25%程度の位置(詳しくは→平均翼弦長)にあること

 飛行性能
最高速度巡航速度離陸速度(詳しくは→V1・Vr・V2)、着陸速度フラップ角度)、滑走距離離陸着陸)、失速速度失速警報装置を装備していること)、上昇性能(上昇角度)が決められていること

 操縦安定性
航空機は空中で飛行している状態で、三つの軸の周りに回転する自由度があり、この回転を制御することによって操縦しています。三軸周りの回転とは→Pitching,Rolling,Yawing
スティック・フリー・スタビリティー(操縦桿または操縦ハンドルを手放したときに安定に飛行できること)があること
フゴイド(Phugoid)運動が短時間で減衰すること。
フゴイド運動とは機首の上げ下げ(Pitching)と高度の変化が連続的に波打つように起こる運動、例えれば船と並走して泳いでいるイルカの姿を想像してください
ダッチロール(Dutch Roll)運動が短時間で減衰すること。
ダッチロール運動とは機体の傾き(Rolling)と機首の向き(Yawing)が交互に連動して起こる運動、名前の由来になっている“オランダ人がスケートで尻を振り振り曲線を描いて滑る”姿を想像してください。尚、日航機の御巣鷹山の事故で、事故前に垂直尾翼を失った機体が、制御できないダッチロールに陥っていたことが知られています

 操縦性
*操舵を行った時の機体の運動は過度に敏捷でなく、且つ過度に緩慢でないこと。
操舵とは、操縦桿または操縦ハンドルを操作して機首の上げ下げ(Pitching)及び機体の傾き(Rolling)をコントロールし、方向舵を足のペダルで操作して機首の向き(Yawing)をコントロールすることです
操舵に油圧を使う場合、適切な操舵感覚(操舵量に応じた反力)が得られる装置(Load Feel Mechanism)を装備すること
操縦に必要な計器類は良好な視認性を持ち、ヒューマンエラーが起こらないような措置(例えば、計器類の前後左右の配置、アナログ的な表示装置、など)を講ずること
操縦に必要な情報は高い信頼性対気速度気圧高度位置情報非常用電源・非常用動力に対するFAIL Safe、冗長性の確保、等)を有していること
操縦者の負担を軽減するトリム装置(航空機が定常飛行の状態になった時に操舵をしなくても飛行を継続できる様な補助的な操舵装置)を装備すること

 基礎荷重と構造強度
航空機を運用する限界の加重の想定は、上方2.5 G下方1.0 Gとして設計すること。因みに“1G”とは重力の加速度のことです
 航空機構造は想定する最大荷重Limit Load)を支え、且つこれに伴う変形に対して安全に飛行できるように設計すること

A350XWBの静荷重試験
A350XWBの静荷重試験

 航空機構造は究極荷重(Ultimate Load)に対して破壊されずに3秒間耐ること。しかし、動的な荷重試験で強度が証明されれば3秒間のルールは適用されません。
究極加重とは想定する最大の加重(Limit Load)に 安全率1.5を掛けたものです(土木、建築などで使われている安全率に比べると相当低い値ですが、その分構造設計を精密にしなければならないことを意味します)
 航空機は運航状態(失速状態、他を含む)においていかなる振動(Vibration、Buffeting)に対しても耐えること

 損傷許容(Damage Tolerance)性
航空機が損傷を受ける原因は、疲労(Fatigue)損傷腐食(Corrosion)偶発的損傷(Accidental Damage)の三つに分類することができます。これらの損傷に対して安全性を確保する為に以下の様な基準が設けられています;
*設計寿命総飛行時間総飛行サイクル)の全期間に亘って上記三つの損傷原因による致命的(Catastrophic)な損傷を起こさないこと。但し、損傷を起こしても“Fail Safe”構造や適切な整備プログラムによって致命的な損傷に発展する前に発見できればよいことになっています
*疲労損傷に係る実証試験は原則として実物大で行い、設計寿命(飛行サイクル)の2倍に耐えること
疲労損傷評価の対象:与圧構造(客室、貨物室)部分、降着装置及びこれに関連する構造部分

MRJの疲労強度試験
MRJの疲労強度試験

*エンジンの偶発的損傷に係る実証試験は、実エンジン運転中に各種の鳥(大型、中型、小型;数も決められています)を衝突させ、タービン、コンプレッサー、ファンのブレードの破損があっても破壊がエンジン内部に留まり、安全な飛行が継続できること証明しなければなりません

 フラッター(Flutter
設計速度内ではいかなる状態でもフラッターを起こさない構造であること(翼の捻り剛性動翼の重心位置、など)を証明しなければなりません

 突風応答
連続、または不連続な突風に対する動的応答解析に係わる基準を満たすことを証明しなければなりません

2.使用する部品に対する基準
航空機の型式設計に含まれる全ての標準装備品、任意装備品(航空機使用者の注文品)について、部品名,部品の型式、部品のメーカー名、重量、機体の重心に対する相対位置、承認規格の名称、等を各部品に対して部品表に記載することが求められています

3.整備プログラム(整備方式)
航空機を運用する段階で実施される整備プログラムは、設計承認の重要な前提となっています。整備プログラムは概ね以下の内容を包含して、全てマニュアルとして纏められており、整備を行う整備士はこれを遵守することが法的に義務付けられています。(詳しくは「4.整備プログラムの」を参照してください)
整備要目(Maintenance Requirement):実施すべきタイミング(実施間隔/飛行時間飛行サイクル年月日、など)が明記されているタスク(検査、サービス、他)のこと。例えば自動車の車検の時に行われているブレーキの検査。この場合実施間隔は2年ということになります
整備の手順書(Maintenance Manual):個々のタスクを実行する際に必要となる手順、検査の際必要となる合否判定の基準、使用する部品・材料の規格、作業安全上の注意事項、等が記載されています
*運用許容基準MELMinimum Equipment List):装備品の一部が不作動である時に、飛行するための条件を決めています。航空機の場会、重要な装備品は2重、3重装備になっていますので、安全上のリスクをそれ程高めないで運航を維持する為に設けられている基準です
*CDL(Configuration Deviation List:機体関連部品の一部が欠損しているとき、飛行するための条件を決めています。この対象となる部品は安全上のリスクに関係しない部品(例えば燃費改善の為のフェアリングなど)に限られます

これ等は型式証明を取得する各メーカーからの申請に基づき、整備方式審査会(米国の場合MRB:Maintenance Review Board)で審議され、型式証明の審査の対象になっています

定期整備やオーバーホール(最新の航空機にはこの概念が無い)等は、個々の航空事業者が整備要目の集合体( →整備要目と定期整備の関係として定義することができ、型式証明の審査の対象にはなりませんが、定期整備で実施される整備要目の集合と定期整備の実施時期については、航空事業者毎に当局に申請し審査を受けることとなっています。

-B.製造過程検査(航空機及びエンジン)-

製造過程検査では、以下が行われます;
 製造工程の審査;
素材の受入れから引渡しに至る全ての工程で、設計データと一致するものであること、及び製造品が設計データから逸脱しないものであることを書類検査及び実地の立会いで確認します。作業用のワークシート類、検査記録なども確認の対象となります

② 現状の確認
製造品が設計データに記載されている形状、構造、性能、機能を有しているかどうかを実地の立会いで確認します

③ 品質管理の審査
製造工程の品質管理に係る製造事業者の実績経験、及び体制について審査を行います。尚、当該型式の航空機の製造、検査に係る事業場認定(詳細は「2_航空機の安全運航を守る仕組み_全体像」参照)を受けている場合は審査が大幅に省略されることになっています

-C.完成後の現状検査-

 飛行試験
航空機の形状、性能等について設計通りであるかの確認を飛行試験を通じて行います

② 環境基準についての確認
実際に空港周辺での飛行を行って、離陸、着陸時の騒音レベルを測定し設計通りであるかの確認を行います。また排出ガスについてもエンジンを運転して排出ガスの規制物質(酸化窒素など)の測定を行って確認します

以上

「玄冬の門」を読んで

先週都心に出たついでに本屋に寄り、あちこち徘徊している内に目に止まって買って帰ったた本が二冊ありました。「日本共産党研究」(産経新聞政治部)と「玄冬の門」(五木寛之)です。昨日は雨模様で屋上菜園の仕事も出来なかったことから一気に読む通すことができました。

前者は、発行日が今年の6月1日となっていることから分かる様に、参議院議員選挙に向けて野党統一候補作りでリーダーとなった“元気のいい共産党を牽制するために急遽編集されたもののようです。内容は、概ね私が知っていることの域を出ないものでしたが、巻末に入っている最新の「日本共産党綱領」(2004年1月17日・第23回党大会)と年表「日本共産党の歩み」(1922年の結党の時から現在まで)は手軽な参考資料として使えそうな気がします。今日は丁度選挙の投票日、野党4党連合の思惑が叶うかどうかが決まる日になります

後者の「玄冬の門」は、発効日が6月20日の新書版で字が大きいので2時間もかからずに読み切ることができました。古希を過ぎた私にピッタリの内容だったので、5年ほど前の同著者の作品「下山の思想」と同様、これからの生き方の参考にしたいと思いました。読まれていない方の為に、内容の一部を以下に紹介します

中国では、人間の一生を以下の5つに分けて考えます;
① 青春:若々しい成長期
② 朱夏:社会に出て、働き、結婚して家庭を築き、社会的責任を果たす時期
③ 白秋:人生の役割を果たした後、生存競争から離れて静かな境地で暮らす時期
④ 玄冬:老年期

同著者の「青春の門」は、20代の中頃、文庫本が発行されてから読みましたが、当時の社会の状況や若者の考え方などがリアルに描かれており、ずいぶん夢中になって読んだ記憶があります。
玄冬の門」は、これと対になっている訳ではないでしょうが、「玄冬」の時期にある我々と同世代の人々が直面している困難な問題を、受け身ではなく自身で解決していく一つの道筋を提供している点で、非常に参考になると思いました

「絆」について
著者は「東日本大災害以降、“絆”ということが盛んに叫ばれましたが、私は、“絆”という言葉にはある種の抵抗感があります。もともとの言葉の意味は“家畜や動物を逃げないようにつなぎ止めておくための綱”という意味でした。我々、戦後に青年期を送った人間は、家族の絆とか、血縁の絆とか、地縁の絆とか、そういうものから逃れて自由な個人として生きることが一つの夢だった。ですから“絆”というのは、自分を縛る鬱陶しいものという感覚が強かったのです」と言っていますが、わたしもあの大災害以降、なにか人間関係の理想のような形で世間に流布している「絆」という言葉に違和感を感じている一人です。

高齢者と若者との間の「階級闘争」:
高齢者の数がどんどん増えていって、若者の数が相対的に減っていく状況の中で、重い年金の負担と、厳しい労働条件の中で働くことを強いられている“貧しい若者”と、働かずに年金と貯蓄で“豊かな暮らしをしている老人”という対立構造は、確かに「階級闘争」と言ってもおかしくない現象かもしれません。また一方で、豊かでない老人の集団として所謂「下流老人」も少なからず居て大きな社会問題になっています。
こうした問題を解決する手段として、「若い世代と高齢世代が融合して親密にやっていくのではなく、ある意味で分かれてもいいだろうと思っています。若い連中は若い連中でやってくれというように」と著者は言っています。これは言い方を変えれば、高齢者たちが若者に頼らず自立していく必要があるということを言っているのだと思います

「孤独死の勧め」:
歳をとって体が弱ってくればどうしても誰かに頼りたくなりますが、著者はこれも諌めて、「家族からも独立しなければいけない」とも言っています。とは言っても高齢者の自立の道は結構険しい道のりのはずです。しかし;
インドのヒンズー教の老人は、自分の死期を悟るとガンジス川の畔まで行って「老人ホステル」みたいなところで死が訪れるまで一人で生活するといいます。
また、著者が親鸞の言葉として「一人いて喜べば二人で喜んでいると思え。二人でいるときは三人で喜んでいると思え。その中の一人は親鸞である、というのがあります。これは“あなたはどんな時でも一人じゃないよ”と言っているのです」と紹介しています。

孤独死を恐れない玄冬期を過ごすために著者が勧める方法:
* 子供の為に美田を残さず使い切るということに徹する
* 家庭内自立を目指す(自分のことは自分でする)
* 再学問を行う(それまでの職業とは違うことを学ぶ)
* 趣味、妄想に遊ぶ
* あらゆる絆を断ち切る
* カジュアルに宗教と向き合う
* 不自由でも出来るだけ介護されずに生きていく
* できるだけ身綺麗にし、機嫌よく暮らす
* 自分の体と対話する
* がんは善意の細胞と思う

現在の老人介護の在り方:
親鸞仏教センターが刊行している研究誌の記事に以下の様な衝撃的な問題提起があったそうです。
* 特別養護老人ホームをもっと作れと言われているが、高齢者の方々は誰一人そんなところに入りたいとは思っていない
* 孫や子供達に囲まれて末期を看取ってもらいたいと思っている人はいますか、という問いに、誰一人頷く人は居なかった
確かに言われてみれば、「高齢者が集まってフォークダンスを踊ったり、タンバリンを叩いて童謡を歌わせられるなんて悲劇的です」、また介護の人が子供言葉で「さあ、食べましょうね~」なんて言うのは如何なものかと思います

最近NHKスペシャルで「介護殺人」を扱っていました。自分が自分でなくなった時まで生きることは、自分の愛する人にまで不幸にする可能性があることを思い知らされました。
著者は最後の方で、「私の考え方としては、人間はこれだけ大変な世の中で苦労しながら生きてきた。生まれるときも自分の意思で生まれてきたわけではないから、せめて死ぬ時ぐらいは自分の意思で幕を引きたいというのが、究極の願望です」と言っています。極めて重い言葉ですが、これから私もたっぷりある自由時間を使ってそのあたりを“妄想”していきたいと思いました

以上

尖閣諸島問題を考える

-はじめに-

現在日中関係の最大の問題は尖閣諸島帰属の問題です。日本側の主張と中国側の主張とが真っ向から対立し、特に石原都知事時代に都がこの諸島を購入してから、両国の緊張関係は明らかに高まっていることは論を待たないことだと思います。
両国が歩み寄る気配もなく、緊張が徐々に高まっていく現在の状況は、第二次大戦後70年以上を平和に暮らしてきた日本人にとって、正に戦後最大の異常事態といっても過言ではないと思います

言うまでもない事ですが、この緊張関係を回避する特効薬は、「尖閣諸島の領有権を放棄する」ことです。しかしこの策は、排他的経済水域(200海里以内)や軍事的なプレゼンスの問題を別にしても、日本人のナショナリズムを刺激して国論を過激に走らせ、更に大きな戦争のリスクを抱える要因にもなりかねません

とすれば、最善の策は「現在の実効支配の状況を維持する」ことになります。しかし、この状態は、常に色々な形で中国側からチャレンジされることを想定し、対処しなければなりません。これは、今まで国防を全て米国に頼ってきたこの国が、自身の意思と力で自国の領土を防衛するということを意味します
米国の今の政権は、尖閣諸島の防衛は日米安保条約の範囲内である(実効支配が続いている限り)と明言している一方で、尖閣諸島帰属の問題には米国は関与しないと言っています。言い換えれば日本に尖閣諸島を防衛する確固たる意思が無ければ米軍のサポートも得られないということです

であれば、日本自身が;
* 中国の現代史(特に戦争の歴史)
* 領土問題に対する中国の姿勢
をきちんと学習し、理解しておかねば異常事態に対する戦略が立てられません。
以下は、私自身が考えた“尖閣諸島防衛の基本戦略”です;

-中国の現代史(特に戦争の歴史)-

辛亥革命以降の中国は、以下の様に絶え間ない戦争を行ってきました;
<国共合作までの内戦>
 辛亥革命/1911年~12年:1911年10月武昌蜂起により中華民国樹立。1911年1月中華民国樹立、初代大総統に孫文が就任。1912年2月清国・宣統帝廃位。袁世凱臨時大総統就任。1916年の袁世凱病死後は軍閥の群雄割拠の時代になりました。
 南京政府樹立:1927年、蒋介石は南京に政府を樹立し共産党軍の排除を始め、1930年12月からは7次に亘る大規模な共産党軍掃討戦を行いました
 瑞金臨時政府樹立:1931年、毛沢東は江西省瑞金に臨時政府を樹立しました。1934年10月、瑞金を攻撃された共産党軍は6万5千人の犠牲者を出して延安に逃れました(長征
 西安事件:1936年12月、張学良に拉致された蒋介石は、共産軍との戦闘を止め、一致して日本軍と戦うことを約しました(国共合作

<日中戦争:15年間
 1931年~1937年:1931年9月柳条湖事件(張作霖の爆殺)を機に関東軍が北支に侵入し、満州事変が勃発しました。1932年3月には宣統帝を担ぎ出して満州国を樹立しました
 1937年~1945年:1937年7月の盧溝橋事件を契機として日中が全面戦争に突入しました。同年8月に上海事変、同年12月には中華民国の首都、南京を攻略しました。以降日本は中国各地で国共合作成った国民党軍、中国共産党軍(八路軍)と泥沼の様な戦争を続けることを余儀なくされました
 1945年8月、日本の無条件降伏

(参考) 日中戦争における中国側発表の犠牲者数
*約130万人/軍人:1946年、中華民国国防部発表
*約440万人/軍民合計:1947年、中華民国行政賠償委員会
*約1300万人/軍民合計:1947年、国民党行政賠償委員会
*約2100万人/軍民合計:1985年、共産党抗日勝利40周年
*約3500万人/軍民合計:1995年、共産党抗日勝利50周年で江沢民国家主席がが発表

(参考) 日中戦争時、日本が犯した非人道的犯罪として中国の歴史に記録されていること(日本側の記録には無いか、あるいは犠牲者の数字などがかなり違うことに注意する必要があります);
*生きている人間を使った細菌実験:731部隊により行われた細菌兵器開発の為の生体実験。責任者は戦後米軍への情報提供を条件に戦犯には問われていません
*平頂山事件:1932年遼寧省北部の撫順炭鉱守備隊が行った殺害事件。ゲリラ兵に協力していると見做した無抵抗の村民を3千人殺害したとされています(ベトナム戦争における“ソンミ村事件”と似ています)
*南京大虐殺(中国側資料の表現):1937年、南京に於ける国民党軍掃討の戦闘で多くの死亡者が出ました。30万人の捕虜及び民間人が殺害されたとされています
*重慶無差別爆撃(中国側資料の表現):南京から重慶に拠点を移した国民党軍に対して、1938年~43年に亘って断続的に218回実施された戦略爆撃。1万人以上の犠牲者を出したとされています(東京裁判)
*三光作戦(中国側資料の表現):1940年以降、北支方面軍がゲリラ作戦を多用する共産党軍(八路軍)を討伐するために、これに協力する村民をまとめて殺害したとされる作戦。三光とは、“殺し尽し”、“焼き尽し”、“奪い尽す”という意味です。日本側にはこうした作戦の記録はありません
*万人抗(中国側資料の表現):満州各地の鉱山周辺に多くの人骨が埋められているとされるところ。鉱山で過酷な労働を強いられた中国人労働者の死骸が埋められた所とされ、中には生きたまま埋められた人もあるとされています

<日中戦争終了後の内戦>
 1946年~1949年:1946年6月、蒋介石は国民党軍を動員して共産軍に対して全面的に攻撃を開始しました。最初は国民党軍が優勢であったものの、次第に農民の味方を得た共産軍が優勢となっていきました。1949年10月、全土を掌握した共産軍は中華人民共和国(以下“中共”、又は“中国”)を樹立しました。1949年12月、国民党軍は全軍台湾に撤退し台北を臨時首都としました
*犠牲者数:中共軍/150万人、国民党軍/25万人と言われています

<朝鮮戦争介入>
 1948年8月、李承晩が大韓民国(以下“韓国”)を樹立、一方、金日成は同年9月、朝鮮民主主義人民共和国(以下“北朝鮮”)を樹立しました
1950年6月25日、北朝鮮は宣戦布告無しに38度線を突破して韓国に侵攻を開始しました。開戦当時、北朝鮮軍は圧倒的に優位な兵員数、火力をもっており、日本に駐留する連合国軍(ソ連、中国を除く)で結成された国連軍(正確には多国籍軍)の投入をもってしても北朝鮮軍の優位は変わらず、韓国軍と国連軍は次第に釜山付近に追い詰められていきました
1950年9月15日、マッカーサーは海兵隊を中心とする米軍部隊と韓国軍部隊を仁川に上陸させました。これに連動して釜山方面に追い詰められていた国連軍、韓国軍は反撃を開始し形勢は一気に逆転しました。9月28にはソウルを奪還し、更に10月には38度線を越えて北朝鮮に侵攻を開始しました。10月20日には平城を占領し、更に10月26には中国との国境(鴨緑江)に達しました。

北朝鮮、ソ連の要請に基づき、中国は1950年10月5日、彭徳懐を司令官とする義勇軍の派遣を決定しました。この義勇軍は後方待機を含めると100万人の大部隊でした。10月19から隠密裏に鴨緑江を渡河して侵攻を開始しました。11月1から大規模な攻勢を開始した結果、国連軍、韓国軍は懸命の戦いをしつつも撤退に次ぐ後退を余儀なくされました。この一連の戦闘で国連軍の死傷者数は約1万3千人、中国義勇軍の死傷者数はその数倍に及んだと言われています。12月5、中国・北朝鮮軍は平城を奪還、1951年1月4日には再度ソウルも奪還しました。

当初ソ連のジェット戦闘機ミグ15が投入され、第二次大戦時の航空機が主力の米軍から制空権を奪いましたが、その後米軍はF-86ジェット戦闘機を投入し、制空権を奪還することができました。航空兵力の支援を受けて1951年2月11、連合軍は再び北進を開始しました。その後両軍の間で一進一退の激戦が続き、38度線付近の高地で膠着状態に陥りました。原爆投下、等を含む戦争の継続を主張したマッカーサーは4月11日、トルーマン大統領により解任されました。

1951年7月から開城において休戦会談が開始されました。双方有利な条件での停戦を要求する為、交渉は難航し、1953年7月27に至ってようやく休戦協定が成立した。
* 正式に発表されたものはないものの、中国義勇軍の犠牲者数は50万人に達したと言われていいます。

<台湾海峡危機>
 1954年9月:中共軍による金門島砲撃
 1955年1月:中共軍による江山島攻撃と米軍支援の下での国民党軍の大陳島撤退
 1958年8月:中共軍による金門島砲撃と空中戦に勝った国民党軍による厦門空爆
⑫ 1965年:偶発的に小規模な海戦が発生

<中国・インド国境紛争>
開戦の背景:1950年、中共軍がチベットに侵攻しこれを支配しました
1954年、周恩来首相とネルー首相との会談で平和五原則(①領土・主権の相互尊重、②相互不可侵、③相互内政不干渉、④平等互恵、⑤平和共存)について合意していましたが、中国は弱体化していた清の時代の国境を認めておらず、インドが警戒感を抱いていない時期を狙って国境を画定しようとしていました。この時期インドはパキスタンとの国境紛争を抱えておりましたが、中国はこのパキスタンを支援しており、フルシチョフのスターリン批判以降中国と対立していたソ連はインドを支援していました。

戦争の推移:1959年9月に最初の武力衝突が発生し、1962年11月には大規模な衝突に発展しました。中共側戦力8万人(死傷者約2400人)、インド側戦力1万人~1万3千人(死傷者約2400人、行方不明者約1700人、捕虜約4000人)で戦い、中国が勝利をえて一方的に停戦を行いました。現在もアクサイチンを実効支配しています。

紛争後の経緯:上記紛争以降中国・インド間には直接的な戦闘は行われていませんが、中国側勝利の影響を受け、パキスタンの武装勢力がインド支配地域に侵入し、第二次印パ戦争が勃発しました。インドはこれらの紛争を契機として核弾頭搭載可能な中距離ミサイルを開発配備し、現在に至っています。

<中国・ソ連国境紛争>
開戦の背景:中ソ間の長い国境線は、強大なロシア帝国と、弱体化した清国との間で結ばれた条約(アイグン条約、北京条約)はあり、また曖昧な部分が多くありました。
1956年2月、ソ連のフルシチョフ首相が第20回党大会に於いてスターリン批判を行った結果、中ソの政治的な関係は悪化し領土に関わる緊張が高まりました。1960年代末には長い国境線を挟んで両側に大兵力が対峙(ロシア側/65万8千人、中国側/81万4千人)し小規模な衝突を繰り返していました。

戦争の推移:1969年3月、ウスリー川(アムール川/黒竜江の支流)の中州(ダマンスキー島/珍宝等)で武力衝突が発生、同年7月にはアムール川の中州(ゴルジンスキー島/八岔島)でも武力衝突が発生しました。8月には新疆ウィグル地区で武力衝突が発生し、両国は核兵器使用の準備を始めました

紛争後の経緯:1969年9月、ホーチミン首相の葬儀の帰途北京に立ち寄ったコスイギン首相と周恩来首相が会談した結果、軍事的緊張は緩和されたものの、国境での軍事力の対峙はその後も続いていました。
1980年代後半、両国は秘かに国境交渉を再開しました。1989年、ゴルバチョフ大統領が訪中して中ソ関係が正常化した後全面的な国境見直しが始まりました。1991年5月(ソ連邦崩壊直前)、一部係争地を除き中ソ東部国境協定(ソ連邦崩壊後中ロ東部国境協定)が結ばれました(1992年に批准;ダマンスキー島/珍宝等は中国に帰属することが確認されました)。1994年には中ロ西部国境協定が結ばれました(1995年に批准)。ソ連崩壊後に独立した中央アジア諸国と中国との間の国境協定も個別に結ばれてゆきました。中ロ東部国境協定で棚上げにされていたアルグン川の島とアムール川・ウスリー川の合流点の二つの島の帰属については、2004年10月、プーチン大統領と胡錦濤主席による政治決着で、係争地を二等分する形で政治決着が図られ、最終的な中ロ国境協定が締結(2005年に批准)されました

<中国・ベトナム間の領土に関わる戦争>
 1974年1月 パラセル諸島(西沙諸島)の戦い
開戦の背景:第二次世界大戦終了後、仏領インドシナでフランスとの間で独立戦争が起こりました(第一次インドシナ戦争:1946年~1949年)。独立後、ベトナム共和国(以降“南ベトナム”)と中国との間でパラセル諸島(西沙諸島)帰属の問題が発生していました。中国が同諸島の東部を実効支配し、1971年には多数の施設を建築していました。一方、南ベトナムは西部を実効支配しており軍事的な緊張は徐々に高まっていきました。
戦争の推移:1974年1月15日、哨戒中の南ベトナム軍艦が、実効支配している同諸島西部の永楽群島の島(甘泉島/ロバーツ島)に中国国旗が立てられ、付近の海域に大型の中国漁船2隻が停泊しているのを発見し退去を命ずると共に威嚇射撃を行いました。1月17日、18日には両国が増援部隊を派遣して小競り合いを繰り返していましたが、1月19日に至って南ベトナム艦隊の発砲から本格的な海戦に発展しました。1時間足らずの交戦で南ベトナム艦船は大きな損害を受けて敗退しました。午後1時30分には永楽島に4個中隊が上陸し占領、1月20には他の3つの島にも上陸し、同諸島全体が完全に中国の実効支配化に置かれることになりました。
中国の勝因/南ベトナムの敗因:地理的に中国の方が同諸島に近かったこと、速射砲を備えた中国軍艦船の方が戦闘力が高かったこと、陸軍兵力が圧倒的に凌駕していたこと(中国:4個中隊、ベトナム:100~200人)があげられます。また前年パリ協定に基づき米軍がベトナムから撤退し、南ベトナム自身も北ベトナムの攻勢に晒されている時期であり戦意の面でも相当劣勢にあったと考えられます

* パリ協定(ベトナム和平):1973年1月27日に調印。この協定に沿って3月29日には米軍はベトナムから完全に撤退しました
* ベトナムの統一1976年4月、北ベトナムの攻勢によりサイゴンが陥落、南北統一が実現しました

 1979年2月~3月 中越戦争
開戦の背景:大量虐殺による恐怖政治を布いていたポルポト政権を倒すため、ベトナムは亡命していたヘン・サムリンを支援しカンボジアに侵攻、1979年1月プノンペンを解放しました。ポルポト政権を支援していた中国は1979年2月、ベトナムとの開戦を決断しました。当時の中国は鄧小平、華国鋒政権であり、ポルポト政権支援以外に、文化大革命の不満を外に向ける必要があったこと、ベトナム戦争で支援してきた中国への裏切り行為(中国の反ソ政策に同調しないこと)やベトナムによる旧南ベトナムの華僑資本家層の圧迫、なども開戦決断の背景にあったと考えられています;

中国軍侵入ルート

戦争の推移:約60万の中国地上軍が北部国境から侵入。この時期ベトナム軍主力はカンボジアにあり、北部には約3万人程度の民兵(しかし正規軍に匹敵する精鋭)しか居なかった為徐々に後退する作戦をとりました。その結果、中国軍は北部5省を占領することとなりました。その後、ベトナム軍主力が合流を開始するとともに戦局は逆転し、最終的に中国軍は国境外に撤退しました。撤退に際して非人道的な焦土作戦を行い、多数の民間人が犠牲になったと言われています。両国の損害については確たる資料は無いものの、双方に数万人規模の犠牲者があったとされています。中国は国内では勝利したと宣伝していますが、ベトナム懲罰の目的を達せずに国境外に撤退していることから、実質中国は敗退したと考えるのが自然であると思われます

ベトナムの勝因:ベトナム戦争中にソ連から供与された兵器及び米軍から獲得した近代的な兵器を保有しており、更に厳しいベトナム戦争を勝ち抜いてきた豊富な実戦経験があったこと。
中国の敗因:旧式の兵器しか無かったこと、及び軍制に弱点(文化大革命で軍隊に階級が無くなった)があったため。(その後、軍の近代化が中国の最優先の国家目標となりました)

 1984年4月~7月 中越国境地域のベトナム側領域での戦闘
開戦の背景:中越戦争後、もともと国境が確定していなかった要衝である「老山・者陰山」一帯にベトナム軍が侵攻し、恒久的な陣地の構築を始めました。これに対して中越戦争での敗退で威信が低下していた中国は、軍制改革の効果を実戦で確認する場としてこの要衝の占領を計画しました

戦争の推移:第一次戦闘(4月2日~28日)で中国軍は要衝をほぼ制圧しました。第二次戦闘(6月12日~7月10日)ではベトナム軍が再占拠を目指して猛攻撃を加え中国軍中隊の全滅などの戦果を挙げましたが、中国軍も反撃し、双方歩兵による突撃を繰り返し大量の死者を出して戦闘は終止しました。第三次戦闘(7月12日~14日)では、ベトナム軍は6個連隊規模で白兵戦を挑みましたが、中国軍は徹底的な砲撃でこれに対抗し激戦の末兵員が尽きたベトナム軍が戦闘を中止し大規模な戦闘は終結しました

中国の勝因:第一次戦闘で大兵力を集中して要衝を抑え守りを固めていたこと。ただベトナム軍の士気が高いことと、中国側は大規模な戦闘における兵站に問題があることが判明し、その後の軍事的冒険を行わなかったこと
ベトナムの敗因:第一次戦闘で敗退し、高地に築かれてしまった中国側の堅固な陣地に、不利な低地から白兵戦を挑んだこと。

 1988年3月14日 スプラトリー諸島(南沙諸島)海戦
両国で領有権を争っていたスプラトリー諸島(南沙諸島)のジョンソン南礁(赤瓜礁)で戦闘が発生しました。中国側はフリゲート艦3隻、ベトナム側は戦車揚陸艦1隻と輸送艦2隻、火力に勝る中国が勝利しました。中国軍は空軍の支援が得られなかった為、海軍はすぐに中国本土に撤退しスプラトリー諸島全体は支配できず6個の岩礁や珊瑚礁を手に入れるに留まりました。ベトナムは29の島や暗礁を実効支配しています

-領土問題に対する中国の姿勢-

中ロの国境紛争が解決してから、中国は経済成長を上回る軍事力の増強を図ってきています。特に装備の近代化と自主開発に力を入れており、西太平洋に於いて米国と覇権を争うまでになりました。

東シナ海・南シナ海_主張の違い
東シナ海・南シナ海_主張の違い

これまでの中国の歴史を分析すると;
1.勝てると判断すれば、国際的な支持を得られない場合でも大胆に軍事力を行使している;
 1974年、南ベトナムとの衝突後にパラセル諸島(西沙諸島)全体を実効支配
 1988年、ベトナムとの海戦後にスプラトリー諸島(南沙諸島)の一部を実効支配

 スプラトリー諸島(南沙諸島)を構成している多くの島、岩礁、砂州は、中国、ベトナムの他に台湾、フィリピン、マレーシアの諸国も一部実効支配を行っています。また、ブルネイも実効支配はしていないものの、一部の島の領有を主張しています

2.軍事バランスが崩れた時を狙って抜け目なくつけ入ってくる;
 1991年のソ連邦崩壊後、米国とフィリピンの相互防衛条約が解消されると同時に米軍はクラーク空軍基地から撤収し、1992年にはスービック海軍基地からも撤収しました。その結果、この地域での米軍のプレゼンスは著しく低下しました。1995年に入って中国は、それまでフィリピンが実効支配していたミスチーフ礁(美済礁)に恒久的な建造物を作り実効支配を始めました
 2012年、中国とフィリピンが領有権を争っていたスカボロ―礁(フィリピンの排他的経済水域内にあり、スービック海軍基地があった頃米軍が射撃場にしていました)で中国漁民の違法操業を巡って両国の監視船が対峙する紛争が発生しました。2013年には、中国がここに軍事基地を建設し実効支配を固めています

 ボルネオ島の北西に位置するナトゥナ諸島は現在インドネシアが実効支配していますが、一部の島々が中国が領有を主張している“九段線”の内側に入っています。これまで南シナ海の領有権問題には中立の姿勢をとってきましたが、最近中国漁船の違法操業を巡って紛争が発生しており、今後中国の出方によっては両国の緊張が高まるものと思われます

3.領土問題に関しては、相手が大国であっても戦争をも辞さずに自国の主張を貫き通している;
 中国・インド国境紛争:1959年~現在
 中国・ソ連(ロシア)国境紛争:1956年~2005年
 中国・ベトナム国境紛争:1979年~現在

4.政治と国防が一体化し、長期的な戦略を着実に実行している;
 国民に対する歴史教育を国家主導で一元的に実施し、領土に関わる戦闘や主張、またこれに伴う莫大な国防費について国民のコンセンサスを得ている
 国民へのアナウンスとは別に、戦争を通じて得た苦い経験を軍の改革に生かしている(朝鮮戦争や中越戦争時の精神主義、白兵主義から装備の近代化への動き;中越戦争を通じての兵站戦略の重要性認識と、軍制の改革実施)
 周政権になってから海洋進出の意図を露わにしています(“一帯一路”戦略の“一路”の部分)が、この為には南シナ海、東シナ海の制空権、制海権を確立することが必要です。未だ道半ばですが、南シナ海各諸島での実効支配の拡大と軍事基地化、海軍力の増強(イージス艦、ミサイル装備の艦艇)、空軍力の増強(ステルス戦闘機、航空母艦)、即応体制の確立(防空識別圏の設定、拡大)、などはこの政策に沿った一連の施策と考えられます
 武器の供給を外国に頼ることは、戦争遂行能力に大きく影響することから、これからの戦争に必須となる武器については国産を目指しています(ステルス戦闘機、イージス艦、ミサイル装備の艦艇、航空母艦、など)
 近代戦は情報処理の技術が必須となること、また近代兵器の開発には膨大なノウハウが詰め込まれていることから、先進国からこれらの機密情報を入手するためにインターネットを使ったスパイ活動を強化しています
 強大となった経済力を政治的(→軍事的)に利用するために、発展途上国を中心に経済援助やインフラ整備支援を積極的に行っています。中国が主導したアジアインフラ投資銀行の設立もこの戦略に沿ったものと考えられます
 現在の中国は異民族統治の問題(チベット族、ウィグル族)、貧富の差の拡大、香港における一国二制度の綻び、など国内に大きな矛盾を抱えています。こうしたことはともすれば中央政府に対する不満となる可能性を孕んでおり、これを抑止する為の手段として国際的な紛争に国民の目を向けさせていると考えられます
 戦争により一気に解決できない領土問題に関しては、軍事上の実力の範囲で既成事実を積み上げていく戦略をとっています(南シナ海での実効支配拡大、東シナ海での天然ガス開発、漁船による領海侵犯、軍事プレゼンスの段階的拡大)

-尖閣諸島防衛の基本戦略-

如上を踏まえた上で尖閣諸島防衛の基本戦略を考えてみたいと思います;
1.尖閣諸島問題は南シナ海問題と同等に扱えない事情があります;
中国と紛争を起こしている南シナ海の諸国と違って、日本は中国との間で過去に15年戦争を戦い、多くの惨禍を与えてしまった事実があります。途方もない犠牲者数や人倫に悖る残虐な行為が、日本側の検証では多くが誇張されたものであったとしても、国際的にこれを認めさせる手段はありません。また中国国民にとって上記犠牲者数や残虐行為は事実そのものであって、領土問題で日中間に戦争が起きれば、中国国民の間に“熱狂”を引き起こすことは容易に想像し得ることだと思います。下記写真は瀋陽、長春を旅行した機会に訪れた戦争記念館です。日本兵の残虐行為などが数多く展示してあり、小学生と思われる団体が熱心に見学をしておりました;

満州事変記念館@瀋陽
満州事変記念館@瀋陽
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日中戦争博物館@長春

従って、仮に日米安保条約が解消された状態で、中国との全面戦争に入ったとすれば、中国が核兵器を使って日本の都市を攻撃することに道義的責任を感じる可能性は低いとも考えられます。日本にとって尖閣諸島帰属の問題で規模の大きい戦争を起こすことは絶対に避けなければならないと思います

2.日米安保条約の核の傘の下で、尖閣諸島の防衛を日米で行うことが明らかな場合、中国が核使用を含む全面戦争を行うことはあり得るか;
朝鮮戦争時に中国が“義勇軍”という形で参戦したこと、また中国・インド国境紛争、中国・ソ連国境紛争においては戦闘を国境付近に止めたこと、などで分かる様に、自国が核攻撃を受けるリスクを伴う全面戦争は行なわないと考えられます

3.中国が尖閣諸島のみの実効支配を狙って上陸し占拠することはあり得るか;
既に2010年9月に、尖閣諸島周辺の領海に中国漁船が侵入し、これを排除しようとした海上保安庁の巡視船に体当たりしたため、漁船を拿捕すると共に船長を逮捕した事件が発生しています。また2016年6月には中国公船(中国海警局所属)3隻が領海に侵入しています。西沙諸島、南沙諸島の例を見れば明らかな様に哨戒・警備のスキを作れば、今すぐにでも上陸、占拠はあり得る事態だと考えられます。

4.尖閣諸島の実効支配を続けるにはどういう戦略をとればいいのか;
(1) まず哨戒・警備のスキを作らないことが大切なことですが、これは現在最新型の巡視船の追加配備を始めており、これを尖閣諸島周辺に配備される中国公船(中国海警局所属)の数を凌駕するレベルにまで充実させることが必要だと思います
 この段階で、尖閣諸島への自衛隊の駐留や自衛隊艦船の派遣といった攻勢に出ることは、中国側の攻勢に根拠を与えることになり得るので、厳に慎むべきだと考えます。

(2) 巡視船の哨戒・警備のスキをつかれるか、あるいは巡視船の警備を実力で突破し、上陸、占拠が行われた場合、これを急速に(中国からの応援兵力が到着する前に)奪還することが必要です。またこの機会を捉え、自衛隊員の駐留継続など恒久的な措置を行なうことも選択肢の一つになると考えられます。こうした対応を可能とするには、下記の様な戦力を充実させることが必要と考えます;
 占拠された島嶼を急速に奪還するための兵力:強襲揚陸艦オスプレイ奪還用特殊作戦部隊
 奪還及び奪還後、実効支配を継続するに必要な制空権確保の為の兵力:ステルス戦闘機F35)、イージス艦ミサイル護衛艦早期警戒管制機
 奪還及び奪還後、実効支配を継続するに必要な制海権確保の為の兵力:潜水艦対潜哨戒機P1)、ミサイル護衛艦早期警戒管制機
* 日米安保条約で共同で作戦に当たることが、戦争を局地に限定する為の必須条件ですが、については米国に頼らず日本が単独で行う必要があります。
 中国の反撃を挫くためには、戦闘の初期段階で制空権、制海権を確保することが極めて重要ですが、これには中国よりも技術的にレベルの高いステルス戦闘機(当面F35、可能であればF22/米国製、又は日本独自開発のFSX/先進技術実証機)、潜水艦(日本製)の配備充実させることが必要であると思います。また、ミサイルの性能向上も重要なテーマであると考えられます。
 島嶼奪還、防衛に関わる日米合同訓練を積極的に行い、中国の実力行使を躊躇わせることも重要であると考えます

(3) 以下の外交的努力は、中国の実力行使を躊躇わせる効果があり、極めて重要なことと考えます;
 中国の攻勢に悩んでいる南シナ海に面する国々と経済協力、インフラ投資などを通じて友好関係を築くと同時に、制海権、制空権に関わる兵器の譲渡、輸出を行うこと。但し戦争に巻き込まれるリスクのある相互防衛条約は結ばない
 ロシアとの北方領土交渉を進展させ、経済協力関係を強化することによって、ロシアと中国の距離を遠ざけること
 上記以外の中央アジア諸国、欧州、アフリカ、中南米諸国との連携を強め、中国側攻勢によって発生した領土紛争に対して日本の応援団を増やすこと

以上