-はじめに-
“2_航空機の安全を守る仕組み_全体像”の中で概略述べましたように、航空機を運用する段階で航空会社が実施すべき整備作業は、航空会社が勝手に決めて実施することは許されず、全体の枠組みはもとより、個々の具体的な整備作業についても、予め航空機を設計する段階で規制当局に承認を受けておかなければならず、これが承認されなければ航空機の型式証明や耐空証明が得られず、運航に供することはできません
ここでは、個々の整備作業(例えば回転部分の給油や機体構造の亀裂のチェック、など、など)のよってきたる所以や、これらの集合体である整備作業全体の成り立ち(“整備プログラム”)について、出来るだけ分かり易く説明したいと思います
航空機は一般に、製造されてから数十年は使用する為、その間の安全運航を担保するために、個々の整備作業は極めて精密な論理で構成されています。従って、まずここで使う用語の定義をしっかり頭に入れておいて欲しいと思います;
① タスク(Task):個々の整備作業
② 整備要目(Maintenance Requirement):タスクとそれを実施すべき時期(年・月・日・時、飛行時間、飛行回数、等)を一体化させたもの
③ 整備パッケージ:整備要目の集合体です。自動車整備で言えば、法律で義務付けられている“車検整備”や、一日一回、運行の開始前に行うことになっている“始業前点検”(皆さんやっていますか?)などがこれに当たります
個々のタスクは、整備要目の中でその実施時期が指定され、その指定された実施時期を守って整備が漏れなく実施されるように整備パッケージが設定されているという言い方も出来ます。
また、個々の整備要目の実施時期が守られる限りにおいて、整備パッケージの構成は、ある程度航空会社の自由裁量に委ねることができる仕組みになっています
-整備要目の分類-
ここでは、日本で現在運航している大多数の航空機を製造している国が米国であることに鑑み、米国における体制を説明したいと思います。エアバス機や久し振りの国産機であるMRJについても概ね同様の体制で運用されています
1.MRBで設定した整備要目
MRB(Maintenance Review Board)とは、新しい型式の航空機の整備要目を決定するとき、又は整備要目の見直しを行うときにFAA(Federal Aviation Administration:日本の航空局に相当します)が召集する整備要目に関わる諮問機関のことです。この機関の構成メンバーはFAA及びメーカーです。この諮問機関で最終的に決められた事項は、“MRB レポート”として発行され航空機を購入した航空会社が整備要目を当局に申請する時の基礎資料となります。詳しく知りたい方は( MRBの検討プロセス )をご覧ください。
MRBが関与する整備要目には以下の二種類があります;
A. CMRに基づき設定される整備要目;
CMR(Certification Maintenance Program)とは、FAAが航空機の設計を審査・認可する段階で、航空機を運用する際の付帯条件として設定を義務付けている整備要目のことです。 この整備要目を設定するかどうかの判断は、以下の基準に拠ります;
“ある故障や欠陥が発生した時、パイロットが運航している時や日常の整備では発見することができず、これに別の故障が重なった場合に、致命的な、あるいは危険な故障状態になる様な故障、欠陥を、事前に発見する必要がある”場合
*上記の対象となる故障の例:使用する機会が少なく、使用しなければ発見できないような故障、など
*上記の対象となる欠陥の例:例えば金属内部の結晶の粒界に発生する微小な亀裂、など
*致命的な状態とは:安全な飛行ができなくなる故障状態。その発生確率は10億分の1以下に納めなければなりません(←耐空性基準で求められる事故確率:)。因みにこの確率は、“同一機種の全航空機の全運航期間中を考えても全く発生することが予想されない程度の低い確率”です
(注)実際の事故は設計基準よりかなり高い確率で起こります。これは設計で想定していなかったヒューマンエラーや、気象の急激な変化、運航ルールの無視、などによるものです。興味のある方は( 機種別事故統計 )をご覧ください
*危険な故障状態とは:航空機の安全率や機能の著しい低下や、パイロットの著しいワーク・ロードの増加などをもたらす故障。その発生確率は1千万分の1~10億分の1に収めなければなりません(←耐空性基準で求められる事故確率)。因みにこの確率は、“同一機種の全航空機の全運航期間中には発生しそうも無いが、それでもいつかは発生しうると考えられる程度の確率”です
具体的には、内在的な故障や欠陥が考えられる部分を、ある決められた間隔で検査する整備要目を設定し、“故障の無いことを確認”するか、あるいは“故障や欠陥を早期に発見して修理する”事によって、許容される範囲内に事故のリスクを管理することです。
航空機設計の目標はCMR整備要目の数を最小に抑える(注)ことですが、現実的には重量、信頼性、開発費用、維持費用、等を総合的に考慮して設計が行われるため、ある程度のCMR整備要目が必要となることは避けられません
(注)CMR整備要目は故障のない事を確認するだけのことが多いので、ある意味で無駄な作業になります。仮に小さな亀裂を発見する高性能のセンサーがあれば、こうした確認作業は不要になりますが、センサーを張り巡らすことは重量の増加や、コストの増加を招くことになり、実際の設計ではセンサーの設置は見送られることになります
B. MSGで設定される整備要目;
MSG(Maintenance Steering Group)とは、新型式機に対し、論理的なプロセスによって、効率的な整備要目を開発する為に設置されるグループです。構成メンバーはメーカー、航空会社、規制当局の専門家です
MSGで設定される整備要目は、安全性を担保する目的は当然のこととして、航空会社にとっての経済性の向上も重要な要素となります。従って、作業量を極小化することの他、航空機の稼働を妨げる可能性のある故障を未然に防止する為の目的も重要になります。
具体的には以下の目的を達成する為に整備要目が設定されます;
*航空機及びこれに付属する装置固有の安全性と信頼性のレベルが維持されていることを確認すること
*航空機及びこれに付属する装置固有の安全性と信頼性のレベルが低下したとき、それらを回復すること
*航空機及びこれに付属する装置固有の安全性と信頼性が充分でないと判明した場合、設計改善に必要な情報を得ること
*これらを、修復コストを含めて最小のコストで実現すること
MSG整備要目のタスクの内容;
*定例整備要目:給油、作動チェック、検査、機能チェック、部品の交換、など
*非定例整備要目:定例要目から付随的に発生する修理、交換などのタスク、運航乗務員からの故障報告に基づく修理、交換などのタスク、データ解析を行う為に必要となるタスク、など
MSG整備要目の設定手順;
(a) エンジン、システム関連;
ステップ1:航空機や装備品のメーカーが、その技術的判断に基づいて故障を予測し、定例タスクが必要となるシステムや部品を指定する
ステップ2:航空機や装備品のメーカーは、故障の状態、故障による影響(安全性、乗務員の負荷、経済性)、故障の原因を解析する
ステップ3:故障を発見できる可能性、原因及び定例要目の有効性をチェックする。次に、故障状態を分析し、給油、作動チェック、検査、機能チェック、部品交換、等のタスクのうち、もっとも有効なタスクの組合せを選ぶ。有効なタスクの組合せが得られなかった場合はメーカーに再設計、または設計変更を要求する
ステップ4:定例要目の実施頻度・間隔を決定する。適切な開始時期や実施間隔を決めるのが難しい場合、それらをを決める為のサンプリングの要目を設定する(“Threshold Sampling”)ことがあります
(b) 機体構造関連
まず機体構造が劣化する原因を以下の三つに分けて、その劣化の確率を分析、評価します;
*偶発的損傷(地上機材・異物との衝突、雨・霰、ヒューマンエラー、など)
*環境状態による損傷(水滴・水漏れ、異種金属間の電解作用、応力腐食、など)
*疲労損傷(運航中の振動・繰り返し荷重、客室・貨物室内の繰り返し与圧、など)
ステップ1:構造劣化の原因の受け易さを評価します(例えば、降着装置やフラップなどは偶発的損傷を受けやすい、など)
ステップ2:構造劣化の耐空性への影響度合いを評価します
ステップ3:構造劣化を検出するための検査方法の有効性、検査開始の時期、繰り返し検査の間隔、などを評価します
ステップ4:航空機、装備品のメーカーは、「不具合による安全性への影響度」を考慮して“重要構造部位”と“その他の構造部位”に分類します
ステップ5:“重要構造部位”に対しては、偶発的損傷、環境状態による損傷をタイムリーに発見する為の定例要目(検査)を設定します。また、腐食が考えられる部位に対しては「腐食防止・抑制プログラム」を設定し、これに係わる定例要目を設定します(例えば、降着装置の収納室内や後桁の風雨に晒される部分に防錆油を定期的に塗布する、など)
ステップ6:全ての“重要構造部位”に対し、航空機、装備品のメーカーは構造設計を「安全寿命構造」をベースとした設計と、「損傷許容構造」をベースとした設計に分類し、;
「安全寿命構造」に対してはその構造の寿命を設定します。
「損傷許容構造」に対しては損傷検出の為の定例要目(検査)を設定します。但し、損傷の検出が日常の運航中に発見できる場合は検査は不要となります
*安全寿命構造:損傷許容構造が設計できないか、又は経済的でない場合、十分余裕を持った構造寿命を設定します
*損傷許容構造:機体構造に小さな亀裂が発生したとしても、それが成長して全体の破壊に至らない様にする構造。例えば、破壊されても深刻な事態にならない構造をあえて作り損傷の早期発見と重要な構造に破壊が連鎖しないようにすること、あるいは構造をうまく分離することによって破壊の重要部分への進展が防げる構造にすること、など。具体的には次の( 概念図 )をご覧ください
ステップ6:“その他の構造部位”に対しては、航空機、部品メーカーの経験を参考に定例要目を設定します
(c) その他
システム、エンジン、機体構造の定例要目に含まれない“配管・ダクト類”、“配線類”、等の項目の故障の発見、修理の為の定例要目を設定します;
ステップ1:航空機の外部、内部をゾーンに区分する
ステップ2:ゾーンに対し、損傷の受け易さ、アクセスの条件、他機種での経験、等を勘案し、適切な整備機会と整合させて定例要目(目視検査)を設定します
-整備要目の追加、変更-
1. 航空機の国籍登録に伴う追加、変更;
製造国によって耐空証明(整備要目実施が前提)を受けていても、航空会社がその航空機を登録する国の当局の指示により整備要目の一部が変更になることがあります
2.航空機、部品のメーカーの指示に伴う追加、変更;
航空機、部品のメーカーが、その型式の航空機を運航する全航空会社で発生したトラブルの情報を集約・分析し、安全性、信頼性、経済性向上の為に変更を薦める場合に整備要目が追加、変更される場合があります。またこの追加、変更が航空機の安全性の確保の為に緊急性が高いと当局が判断した場合、この整備要目は規制当局(米国:AD/Airworthiness Directive, 日本:耐空性改善通報)により実施が強制されることになります
3.事故又は大きなトラブルの調査結果に伴う追加、変更;
事故やトラブルの分析から、航空機の安全性の確保の為に整備要目の追加が必要と当局が判断した場合、この整備要目は実施が強制されることになります(AD,耐空性改善通報)
4.航空会社独自の整備要目の管理;
航空会社が独自に以下の様なケースを行う場合、変更の妥当性をデータによって規制当局に説明し、承認を得ておく必要があります;
* 安全性、信頼性、経済性向上の為の整備要目の変更。
* 経済性向上の為の整備パッケージの実施間隔延長
* 経済性向上の為の整備パッケージの変更(例えば、A整備、B整備、C整備、M整備という整備パッケージを設定して整備要目を実施している体制から、B整備実施の整備要目をA整備、C整備に分散し、B整備を行わない体制に変更すること、など)
-整備マニュアル-
整備マニュアルは事業者が整備計画を立てるときの基準、及び整備作業を行う時に必要となる手順、判定基準、などを定めているもので、整備規程の附属書(当局の審査、認可を経て有効となる)として位置づけられ、機種(型式証明)別に作られます。このマニュアルに違反する整備を行った場合、当該航空機の耐空性証明が失効することとなりますので、極めて厳格に守られています ⇒ 130831_ANA・整備記録に不備_29便欠航
整備マニュアルの種類
1)MRM/Maintenance Requirement Manual:全整備要目の詳細を記述しています
2)運用許容基準(MEL/strong>Minimum Equipment List):部品の一部が不作動であるときに、飛行するための条件を決めています
(参考) ご興味がある方は、ボーイング社が公表している777のMELをご覧ください ⇒ MMEL_B777
3)CDL(Configuration Deviation List):機体関連部品の一部が欠損しているとき、飛行するための条件を決めています
4)整備手順や判定基準に係るマニュアル;
① MSM/Maintenance System Manual:整備の方針、整備方式の全体像が記述されています
② AMM/Aircraft Maintenance Manual:航空機の機体整備の基準、手順の詳細が記述してあります
③ POM/Power Plant Overhaul Manual:エンジン整備の基準、手順の詳細が記述してあります
④ COM/Component Overhaul Manual:エンジンを除く装備品整備の基準、手順が詳細に記述してあります
⑤ SRM/Structure Repair Manual:機体構造の修理の基準、手順が詳細に記述してあります
⑥ 材料シート:整備に使うことができる材料(金属の板材、複合材料、接着剤、塗料、等)の規格が詳細に記述してあります
-整備パッケージ-
整備パッケージとは、整備をする機会(運航の合間、夜間、定期的な整備機会、等)に合わせ、各種整備要目の最適な組合せを作ることです。従って、航空会社ごとに運航路線や、整備実施体制に違いがある以上、整備パッケージの内容は同じではありません
整備要目と整備パッケージとの関係については、図表( 整備要目と整備パッケージの関係 )をご覧ください
整備パッケージの例;
運航整備:発着の合間や夜間に行われる整備のパッケージ
*国内線の航空機が整備基地である羽田に駐機しているタイミングのイメージ ⇒ 国内線機材パターン
*国際線の航空機が整備基地である成田に駐機しているタイミングのイメージ ⇒ 国際線機材パターン
(注)上記のイメージ図で“緑色”の部分は飛行中、あるいは基地以外の空港に居る時間帯です。それ以外の部分は整備基地に駐機しています
*作業量の単位:MH(マンアワーと読む)⇒1人が1時間働く作業量
① 発着整備(到着時及び出発時に行う作業):数MH~十数MH;
*到着便を2人で作業を実施するイメージ ⇒ 到着便作業・配置人員
*出発便を3人で作業を実施するイメージ ⇒ 出発便作業・配置人員
*折り返し便を3人で作業を実施するイメージ ⇒ 折返し便作業・配置人員
(注)上記のイメージ図で“赤”は資格整備士が実施する作業、“青”は一般の整備士が実施する作業、“ピンク色”の作業は資格整備士は必要としませんが、資格整備士の手が空いている為に実施している作業
② A整備(一定飛行時間ごとに行う作業/通常数百飛行時間に設定):数十MH~百数十MH
③ B整備(一定飛行時間ごとに行う作業/通常千飛行時間程度):数百MH(最近はB整備の要目をA整備に分散して行うことが多い)
機体重整備:航空機を長期間格納庫の中に入れて行う整備のパッケージ
① C整備(一定飛行時間ごとに行う作業/通常数千飛行時間程度):1万工数~2万MH(中程度の改修作業や、エンジンや脚の交換作業が同時
に行われる);工期は10日~2週間程度
② M整備(数年の間隔ごとに行う作業/通常5年程度):数万MH(大きな改修作業や構造検査が同時に行われる);工期は1ヶ月程度
* 通常“運航整備”や、“C整備”では行われない胴体の上部や主翼、尾翼全体に亘って作業を行う必要がありますので、機体全体が作業用の足場で覆われる状態になります
* 1960年代まではオーバーホール(Overhaul/“完全に分解して整備を行い新品同様にさせるというイメージがある”)という整備機会がありましたが、整備要目の集合という概念が一般化した結果、この様な整備機会の名称は無くなりました
以上