8_Humanwareに係る信頼性管理

―はじめに-

航空機の事故発生率は航空機、エンジン、その他の装備品などのHardwareの信頼性向上(設計の高度化、材料の進歩、Hardware に関わる信頼性管理技術の進歩、など)と法規制の高度化によって飛躍的に低下してきました。しかし1970年代半ばを境に事故発生率は横ばいとなり、このまま放置すると経済の急成長に伴う運航機数の増加に比例して事故数の増加は避けられなくなることが予見されました。そこで、事故の原因として相対的に大きな要素を占めるようになった人間が犯すミス(以下“ヒューマンエラー”/Human Error と呼びます)を抑止する為に官民一体となった取り組みが始まりました
航空機を運航するという事は、航空機という高度な機械システムを、人間が維持管理(整備など)を行い、人間が操縦することと言い換えることができます。ここでは、この高度な機械システムに人間がかかわる部分の信頼性管理の在り方を総称して“Humanware に係る信頼性管理”と呼ぶことに致します
この取り組みが始まってから40年以上が経過しておりますが、現在までの足取りについて以下に説明をしたいと思います

-Humanware に係る信頼性管理システムの歴史-

戦後、物作り日本が高度成長を続けている時期、生産現場では不良品が発生する主な原因となるミス作業を減らすために“ZD(Zero Defect)運動”が導入されました。その後、更に製品品質の向上と生産性の向上とを同時に達成するために、現場での自発的改善活動に重きを置いた“小集団活動”が盛んになり、目覚しい成果を挙げました
航空ビジネスの分野でも現場を中心とする多くの部門にいち早くこの小集団活動が導入され、ミス作業の防止による安全性の向上生産性の向上に大きく寄与することになりました。

その後、高品質の製品を生み出し続ける日本に倣って欧米先進国の優良企業が、それまで現場中心であった小集団活動に目を付け、これを現場以外の部門にも広げ、更にこの活動に経営が積極的に関与するという、謂わば“経営改善活動”として進化を遂げるに至りました。“TQC(Total Quality Control)活動”、“QMS(Quality Management System)活動”、“シックス・シグマ(6σ)活動等は、個々に手法の違いはあれ全てこの範疇に入る取り組みと考えられます
シックス・シグマ(6σ:注)活動については、米国の電子機器・通信機メーカーであるモトローラ社が1980年代に初めて開発致しましたが、これをジェネラル・エレクトリック社が全社的に導入し成果を上げたことから、日本航空の整備部門などにも取り入れられることとなりました
(注)シックスシグマのシグマ(σとは、統計用語で標準偏差(バラツキの度合い)を意味します。シックスシグマ活動とは、品質のバラツキを標準偏差で測定し、分布の平均からプラス・マイナス6シグマ(σ)を上限・下限の管理限界として不良品の率を減らしていく経営手法です。シグマの数が大きくなるほど(6σ > σ )指数関数的にバラツキが減少してゆきます

また、技術的に高度な製品を生み出す企業は、国境を超えた “Supply Chain(連鎖的な供給体制:必要なタイミングで必要な部品を供給する仕組み、例えばトヨタの“かんばん方式”など)”を築くことが一般的となり、結果として末端の部品供給を担う企業に対しても高度なレベルの品質管理を導入する必要性に迫られました。こうした環境の中で生まれたのが“ISO(International Organization for Standardization:国際標準化機構)”という組織です。ISOでは国際的に共通な基準を設定すると共に、この基準を満たしているかどうかを認証する中立的な専門機関を設ける仕組を構築しました。そして部品供給を担う企業に対しても、ISOの認証を受けることを求める様になりました。

ISOが要求する基準とは、極言すれば“業務を行う為のルールの可視化”、“PDCA(Plan Do Check Action)サイクルの徹底”、“記録の保持”であるということができます。航空ビジネスの分野でも、国際分業が定着した航空機、エンジン、その他の装備品の製造の受託を行う為には、ISOの認証(ISO9000)を受けることが必須となっています。また、航空機の保守整備の分野に関しても、基準やマニュアルの整備が急速に進み、ISO基準と実質的に同等な業務の仕組みが無ければ自律的で効率的な業務が実施できない状況になっています(“6_認定事業場制度”参照)

-ヒューマンエラーを抑止するための規制-

ヒューマンエラーに焦点を当て、これを科学的に分析して極限まで減らす試みは、ミスが死に直結する航空宇宙の分野が先行していたことは言うまでもありません
航空宇宙の分野では軽量化が経済性に直結するため、Hardware を設計する際に基準となる安全率が低く(一般に1.5程度)設定されています。従ってパイロットの操縦室における操作や、機体の構造やシステムに対する整備作業において、ヒューマンエラーを抑止するために極めて厳格なルールが定められました。一方、単にルール厳守という掛け声だけではミスを抑止することは困難であることが分り、人間工学行動科学の側面から研究を進め、操作ミスや判断ミス、手順や作業のミス、等を防ぐための設計手法の開発や教育・訓練システムが考案され、積極的に導入されるようになってきました

1.パイロットのヒューマンエラーを抑止する為の操縦室設計に係る基準
操縦室の設計に関するヒューマンエラーを防止する為の基準は航空法施行規則・附属書に具体的に規定されています
先行する米国においては法規制全般に係るヒューマンファクターの方針(FAA Order 9550.8A)を受け、極めて具体的、且つ詳細にわたるガイド“Human Factors Design Guide”が設定されています。また同時に、米軍の規格(MILSTD1472F)も並行して存在しており、米国での航空機の設計・製造の審査の際はこれらの基準が厳格に適用されています。また、外国製の航空機に米国の耐空証明を付与する場合でもこの基準が適用されており、日本の民間航空機の設計・製造に当たっては、欧米先進国への輸出を前提とする場合、実質的に世界で最も厳しい米国の基準がデファクトスタンダードとなっています

2.パイロットのヒューマンエラーを抑止するための訓練基準
航空分野において日米欧は、ほぼ“CRM/Crew Resource(注) Management”訓練に統一されています。パイロットとしての資格取得や資格維持の為の必須要件としてこのCRM訓練が規制の中に明確に位置付けられています
米国の規制では、CRM訓練で実施すべき標準的な内容を“AC120-51e”で提示しておりますが、この通り実施する義務は課していません(⇔“This AC presents one way, but not necessarily the only way”)が、大手の航空会社はこの訓練内容に自社の経験を付加するなどを行って積極的に実施しています。更に、最近ではヒューマンエラーを起こしやすい状況を模した訓練(LOFT/Line Oriented Flight Training、Threat & Error Management Training<参考-1>)なども積極的に取り入れています

(注)“Resource”の意味:通常“資源”とか“源”と翻訳しますが、ヒューマンエラー関連の文脈では、“情報源”という翻訳が一番合っていると思われます。上記CRM訓練では、“Resource”となるものは“パイロット自身の五感”、“操縦室内の各種計器の表示”、“他の乗務員からの情報”、“デスパッチャーや整備士など地上要員からの情報”、“管制官からの情報”、その他利用し得るあらゆる情報源です
従ってCRM訓練とは、「パイロットが利用し得るあらゆる情報を総合して安全運航の為の判断を行っていく」為の訓練ということになるかと思います

3.整備要員のヒューマンエラーを抑止するための訓練基準
日本においては、整備規程審査要領細則の中で「他の整備従事者及び航空機乗員との連携を含むヒューマン・パフォーマンスに関する知識及び技能について教育訓練がなされることになっていること」と規定されています。事業者はパイロットのCRM訓練と概ね同等の内容を持つMRM(Maintenance Resource Management<参考-2>)訓練を、委託先事業者を含む全整備要員に対して定期的に実施してます

米国においても、法規制全般に係るヒューマンファクターの方針(FAA Order 9550.8A)を受けて“AC 120-72”でMRM訓練で実施すべき標準的な内容を提示しおり、事業者もこの訓練を積極的に取り入れています

<参考-1> Threat & Error Management Training

運航乗務員を取り巻くスレット
パイロットを取り巻くスレット_友人から入手した資料

パイロットは常に上表の様なスレット(“threat”/安全運航にとって脅威となるもの)に晒されていますが、以下の“”を守ることによって安全な運航を実現しています;
掟1:どんなに優秀な人間でも時には最悪のエラーをおこすことがある ⇔ 進んで自身のエラーを報告する
掟2多重防御を心がける ⇔ 一人のパイロットが監視を怠ることは多重防護ができなくなることを意味する
掟3SOP(Standard Operation Procedure/一般にはマニュアルという理解でいいと思います)を遵守する ⇔ SOPを遵守することによって共通の認識ができ、エラーを容易に検知することができる
掟4コミュニケーションの活用で脅威を共有し予防策を立てる ⇔ 全ての情報を総合して、予想できる脅威を特定する
掟5PDCAのサイクルを意識する ⇔ 計画を実行し、それが状況に相応いかどうか絶えず自分に問い掛け確認する

<参考-2> MRM訓練
MRMにほぼ共通して取り入れられている“Dirty Dozen”という言葉がありますが、これは多くの事故事例を研究した結果として得られた以下の「12の事故を起こす要因」のことを意味しています。全ての整備要員は、こうしたヒューマンエラーの引き金となる要因を熟知した上で作業に当たることで、ミスのない整備を実現しています;
① コミュニケーションの不足(Lack of Communication)
② 警戒心の低下(Complacency)
③ 知識不足(Lack of Knowledge)
④ 作業の中断(Distraction)
⑤ チームワークの欠如(Lack of Teamwork)
⑥ 疲労(Fatigue)
⑦ リソースの欠如(Lack of Resource)
⑧ プレッシャー(Pressure)
⑨ 自己主張の欠如(Lack of Assertiveness)
⑩ ストレス(Stress)
⑪ 認識不足(Lack of Awareness)
⑫ 職場風土や慣習(Norms)

<参考-3> ヒューマンエラーを防止する為に規制当局、メーカー、事業者、国際機関は、以下の様に役割を分担しています
a) 規制当局の役割
①   法律、基準、等の制定;専門の統括組織の設置(Human Factors Coordinatorの設置など )
②   試験・研究の実施、支援、統制 (FAA Human Factors Research & Engineering Division /  Reportを公表しています)
③   事業者の防止体制に係る審査、認可(マネージメント、組織、訓練、規定、マニュアル類)
④   事業者に対する指針の設定(CRM/AC120-51e、MRM/ AC 120-72
⑤   中・小事業者に対するバックアップ(例: HF Operation Manual_Maintenance
⑥   事故発生後の原因の究明と対策の立案(事故調査委員会/NTSB)

b) メーカー(航空機メーカー、エンジンメーカー)の役割
① ヒューマンエラーに強い設計“Human Error Tolerant Design”、改修の実施(例:“Fool Safe Design”)
②   販売している航空機に係わる Human Error 関連情報の発信
③   ヒューマンファクターに関する試験・研究の実施、及び事業者へのフィードバック(例:MEDA_form/Maintenance Error Decision Aid;MEDA_guide)
④   事故調査委員会(NTSB)への協力

c) 事業者(航空会社、整備会社、パイロットリース会社、他)の役割
①   ヒューマンエラー防止体制の整備(マネージメント、組織、訓練、規定、マニュアル類)
②   現場要員に対する継続的な訓練の実施(CRM、MRM)
③   事故発生後の原因の究明に対する協力
④   事故、及び事故に繋がる可能性のある軽微なミスの当事者に対するインタビューの実施、及び規制当局、メーカーへの情報提供

d) 国際機関(ICAO/International Civil Aviation Organization)の役割
①   国際間の情報の共有化
②   加盟国に対する情報(ベストプラクティス)の発信

以上