ウクライナのこれから

はじめに

見出しの写真の左は、ベトナム戦争に関する米国民のみならず世界の世論を大きく動かした報道写真です。この写真は、南べトナム軍のナパーム弾の誤爆により避難民の少女が衣服を焼かれ裸になって逃げていく所を UPI のカメラマンが撮影し世界に報道されたものです。この後、数年で米軍がベトナムから撤退することになりました。一方、右の写真はロシアの攻撃で避難を余儀なくされた市民の先頭を泣きながら歩く子供の写真です。この二つの写真は凡そ半世紀を隔てた戦争の写真ですが、いずれも市民を巻き込んだ非人道的な戦争の実相を表す報道写真であると思います

2年前の2022年2月24日にロシアの突然の侵攻で始まったウクライナ戦争は、その後約一年半が経過した現在もなお激しい戦いが続いています
同年8月25日に投稿した「ウクライナの歴史」で述べたように、ウクライナの歴史に根ざした強烈な「愛国心」、「国民大多数の高い士気」、「勇敢な兵士」、「ロシアに対する怨み」、及び「米国、EUを中心とした軍事援助」によって現在もなおウクライナは軍事大国ロシアと互角に戦っています。しかし昨年行われた米国議会選挙の結果、下院の過半数を共和党が握ることとなり米国のウクライナ援助に関わる予算が議会を通過しない状況に陥っています。また、EUにおいてもハンガリーのロシア寄りの姿勢からEUのウクライナに対するバックアップが必ずしも円滑にいかない状況になっています

この戦争を歴史的に俯瞰すると、第一次世界大戦、第二次世界大戦の開戦時と同じような世界を二分するイデオロギーの戦い(「覇権主義」対「自由主義」)が背景にあり、一歩誤れば多数の国を巻き込んだ大きな戦争に発展する危険性を孕んでいます。つまり、日本としても他人事で済ますわけにはいかないと私は思っています
以下に、今後の戦況の帰趨に関わるいくつかのポイントについて、私なりの見解を述べてみたいと思います

現在までの戦況

これまでの戦況の内、投稿済みの「ウクライナの歴史」の後半、及びブログ発行後の Follow_Upで2023年2月22日まで Update しておりありますので、ネット情報を中心にこの時点以降の時系列の沿って戦況の推移を辿ってみたいと思います。尚、タイトルにある年月日はネット上に掲載された日です

                                                 <ウクライナ優勢を保つ>

① 2023年2月23日、「
明日侵攻一年、ロシア支配地の5割を失い 死傷者は20万人規模」;

2023年2月24日;
*ロシアのウクライナへの軍事侵攻から一年がたち、米欧からウクライナへの軍事支援は重火器や戦車に軸足を移しています。戦況が膠着するなか、ウクライナ、ロシア双方とも兵士と資金をつぎ込み続けています。ロシアは2022年に軍事費を前年より4割増やしたものの、兵力や戦車の損耗に苦しんでいます
ロシアの兵力は2021年時点で現役兵と予備役の合計で290万人でした。2022年9月に部分動員に踏み切り、現役兵は119万人、予備役は150万人となりました。動員対象になった訓練度の低い予備役が戦場に送られている実情が浮かびます
ウクライナは総動員令をかけており、現役兵は68万人と3.5倍に増えました。装備品をみると、ロシアの主力戦車の数は2千70台で前年から4割減り、現役の戦闘機も2022年に6~8%失ないました。特に近代化の改修を施した戦車「T72B3」や「T72B3M」は半減し、旧式の装備の投入を強いられています
③ 2023年2月27日;
英国防省は26日、ウクライナ東部ドネツク州の激戦地で破壊されたロシア軍の複数の装甲車両とされる衛星画像を公表しました。前線に展開した精鋭部隊・第155独立親衛海軍歩兵旅団に所属する車両とみられます。同省は、精鋭部隊が軍事作戦を遂行する能力は「ほぼ確実に大幅に低下した」と強調しました。下の写真は2月9日の衛星写真を基に英国防省が解説したものです

<ウクライナ反転攻勢開始>

④ 2023年6月9日、「ウクライナ南部で反転攻勢」;
ウクライナ軍は8日、ロシアが占領する南部の複数の前線で反攻を始めました。複数の米主要メディアによると、ドイツの主力戦車「レオパルト2」など米欧が供与した兵器を投入し、ロシア軍の防御陣地に激しい攻撃を仕掛けています


⑤ 2023年6月11日、「
ウクライナ反攻開始、成否を分けるのは機動性」;

ロシアの侵攻を受けるウクライナが、領土奪回に向けた本格的な反攻を始めました。第二次世界大戦後の最大級の陸戦となる見通しで、ウクライナは米欧が供与した兵器をテコにロシアの防衛線を突破し、早期に大きな戦果をあげたい考え。ロシア側は戦線を膠着状態に持ち込んでウクライナ軍を消耗させる戦略。反攻の成否はウクライナ軍の機動力にかかっています。戦略目標は;
南部防衛線の突破
東部のバフムト奪還

⑥ 2023年6月15日;
ウクライナ軍のフロモフ准将は15日、同国東部と南部における反転攻勢で既に100㎢を奪還したことを明らかにしました。東部ドネツク州南西部のベリカノボシルカ、南部ザポロジエ州マラトクマチカの近郊まで進軍していると指摘し、ロシア軍は航空戦力や砲撃力が優勢であるとして「ウクライナ軍は熾烈な戦いのなか進軍している」と強調しました

⑦ 2023年6月20日;

ロシア軍は東部や南部で築いてきた対戦車防空壕や地雷原からなる防御線で、突入してきたウクライナ旅団の足をまず止めることに成功しました。また、戦闘ヘリによる攻撃も仕掛けています。撃墜を恐れて控えてきた航空攻撃が可能になったのは、キーウにミサイルや無人機攻撃を反復することでウクライナ軍が防空兵器を首都に振り向けざるを得なくなり、前線部隊の防空能力を下げることができたためです
更にロシア軍はドニエプル川下流域にかかる最後の通路だったカホフカダムを破壊し、へルソン州北部に控えていたウクライナ部隊がダム上の道路を経由してヘルソン南部に奇襲反攻することを阻止し、反転攻勢の面的広がりを制約することに成功しています
最近、米国が兵器の無制限供与に二の足を踏んでいるのは。中国軍の台湾侵攻が従来予想より早まる恐れがあるとの警戒感が米国で高まっていて、中国が「日米や台湾の兵器備蓄が進んでしまう前に奇襲侵攻に動こう」との衝動にかられる事態への懸念があると言われています

⑧ 2023年6月24日、「雇い兵組織・ワグネルの反乱」;
ワグネルは6月24日、それまで戦っていたウクライナ東部地域の戦闘から離脱し、ウクライナ国境から100キロ東にある地方都市「ロストフ・ナ・ドヌ」に進軍しました。ここにはロシア南部軍管区の司令部があります。その後、同市の市庁舎を占拠しモスクワに向かって進軍を開始しました
プーチン大統領は、ワグネル創始者で反乱の首謀者であるプリゴジンと直接交渉を行い「彼を反乱者に問わない」と約束したためモスクワへ進軍は停止しました。6月25日、ベラルーシ大統領・ルカシェンコの仲介でプリゴジン及びワグネル軍団はベラルーシに向かいました
*2023年8月23日、プリゴジンは搭乗した小型機の墜落を装って暗殺されました

⑨ 2023年6月30日、「侵攻後最多の捕虜交換」;
ウクライナは248人、ロシアは230人をそれぞれ相手に引き渡した。2022年2月に始まったロシアによる侵攻開始以来、最大規模の捕虜交換となりました。この捕虜交換は両国と良好な関係を維持するアラブ首長国連邦(UAE)の調停によって実現したものです
帰還したウクライナ側の230人の中には、ロシアに包囲されたマリウポリで最後の拠点となった製鉄所で戦った将兵の生き残りの95人(内43人は「アゾフ大隊」のメンバー)がおり、彼らはいずれも重傷を負っていました

          <ウクライナ兵器不足に直面>

⑩ 2023年7月8日、「ウクライナ軍、反転攻勢で兵器2割損失」;
ウクライナ軍は、ロシアが敷設した地雷により損失を拡大させており、反転攻勢を始めて2週間で兵器の2割を失いました。この為、ウクライナ軍は一時的に進軍を停止していることを認めました。尚、米軍はウクライナに殺傷力の高いクラスター弾の供与を認めました

⑪ 2023年7月25日、「ウクライナが米軍供与のクラスター弾を使用」;
7月22日にロシアとウクライナ双方によるクラスター弾とみられる攻撃で従軍記者らが死傷しました。米国は紛争の長期化に伴う弾薬不足から、欧州の一部の反対を押し切って供与に応じました。背景には米国の防衛企業の武器供給力が5年間で2割減ったことがあります。バイデン大統領は7月7日、「軍需物資の戦争だ。ウクライナは弾薬を使い果たし、我々も不足している」と米国としても苦渋の判断だったと認めました。民間人への被害を懸念する日欧などは、クラスター弾の製造や使用を禁じるオスロ条約に参加しています。同条約に不参加の米国は、これまで同盟・有志国に配慮してウクライナの要請を拒んできましたが、殺傷力の強いクラスター弾に頼らざるを得なくなったと思われます

⑫ 2023年7月31日、「対ウクライナ軍事援助、西欧の履行遅れ 支援疲れの兆し」;
ウクライナへの軍事支援に絡み、実際に武器が届いた割合を示す履行率で欧州内の東西格差が生じています。戦車の履行率ではポーランドやチェコなど冷戦時に東側ブロックにいた諸国が8割に達した一方、米国やドイツなどその他の米欧では合わせて2割台にとどまる;
ロシアの脅威に対する危機感の強弱に加え、西欧の「支援疲れ」が見て取れます
こうしたことにより、反転攻勢を始めてからこれまでの1ヶ月半で奪回した領土はロシアの支配下にある国土の0.3%程度にとどまっています
旧社会主義圏の東欧の履行率の高さの背景には、歴史的な経緯からロシアの脅威に対する危機感が強いことがあります。ウクライナと地理的に近いことから侵攻の影響も受けやすいうえ、支援を届けるのが比較的容易な事情もあります。一方、西欧ではドイツやイタリアなどロシア産エネルギーに依存していた国が多く、侵攻の長期化による「支援疲れ」が出ていることも否めません。また、最新鋭の兵器の増産体制を整えるのに時間がかかっていることも要因になっていると思われます

<ウクライナ、戦略の転換か?>

⑬ 2023年8月17日、「ウクライナが国産ドローンを増産」;
主戦場になっている南部の戦況が停滞するなかで、ウクライナとロシアはドローンを使った攻撃を増加させています。ウクライナは南部クリミア半島周辺やロシア本土への攻撃を増やし、補給網の寸断やロシア側の厭戦機運の醸成を狙っています。史上初の大規模なドローン戦の行方は、今後の戦争のあり方に大きな影響を及ぼすと考えられます
ウクライナの40を超えるメーカーは夏ごろから政府の支援を受け、偵察用や攻撃用の国産ドローン生産(国産品は輸入ドローンよりも価格が10分の1以下)に着手し、年末までに最大20万機の調達を目指していると明かしました。また、操縦者の訓練も急ピッチで進めており、すでに1万人の要員が訓練を受け、17のドローン関連の部隊が発足しました。年内にはドローン部隊は数万人規模に膨らむ見込み。ウクライナは南部の領土でも偵察ドローンと砲兵を連動させた作戦を進め、徐々に攻勢を強めています。一方、ロシア軍も昨秋以来の攻撃で急減したミサイルの代替兵器としてドローンへの依存を深めています
⑭ 2023年8月19日、「無人機、モスクワ市中心部攻撃」;
ロシア国防省は18日早朝、モスクワでウクライナの無人機を撃墜したと発表、ソビャニン市長はドローンを撃墜後、中心部の展示会場モスクワ・エキスポセンターのビル群に残骸が落下したと明らかにしました

⑮ 2023年9月18日;
8月中旬、ロシアが占領するウクライナ南部メリトポリに向かうルートの要衝(ベルボベ)でウクライナ軍がロシア軍の防衛線を突破した結果、ロシア軍は温存していた最後の精鋭師団である第76衛兵航空突撃師団をウクライナの東部から南部へと振り向けました。この配置転換により東部に展開するロシア軍は機動性のある予備兵力を失ってしまいました。これにより、ウクライナ軍の精鋭部隊である第3強襲旅団がアンドリーウカのロシア軍第72自動車化狙撃旅団への攻撃を行った結果、ロシア軍の守備隊は主力部隊から切り離されて包囲され、壊滅しました

⑯ 2023年11月25日、「ロシア軍の被害甚大」;
英国防省は24日、ウクライナ軍の長距離兵器による攻撃でロシア軍は大きな被害を受けていると分析した。これは前線や支配地域の境界から数十キロ離れた場所から長距離砲が使われた結果とみられます。ロシアメディアによるとクマチョボでは兵士慰問の為に訪れていた著名な俳優も死亡したとのこと

⑰ 2023年12月2日、「敵発見から破壊までわずか80秒 ウクライナのドローン、橋頭堡防御の要に」;
これは、ウクライナ軍のチームがロシア軍の戦闘車両を偵察用ドローンで発見し、攻撃用ドローンを送って破壊するまでにかかった時間です。これはロシアがウクライナに対する戦争を拡大して以降、ドローンによるキルチェーン(目標の識別から破壊までの一連の処置)としては最速記録になりました。この数字は、重要な戦場でウクライナ軍のドローンによるロシア軍の車両や歩兵に対する脅威が一段と高まっていることを物語っています。このドローン攻撃は、南部ヘルソン州のドニエプル川左岸にある集落・クリンキの東端でのことでした。ドニエプル川左岸は現在殆どロシアが支配しています。敵発見から破壊までわずか80秒 で行えることは、ウクライナのドローンが橋頭堡防御の要になっていることを意味します
ウクライナ側はクリンキ上空で局所的な航空優勢を確保していますが、これはウクライナ軍の砲兵部隊やドローン部隊、電子戦部隊が数週間かけてドニエプル川左岸のロシア側の防空システムや無線妨害装置を破壊し、同時にウクライナが敵のドローンが飛べないようにする無線妨害装置を設置していった結果です
ともあれこの地域では、ウクライナ側が圧倒的に優勢な戦場ができ上がっていま。クリンキにいるウクライナ海兵隊の部隊は2、3個程度の中隊か大隊ですが、ロシア軍はヘルソン州南部でウクライナ軍の10倍程度の兵力を擁するにもかかわらず、これまでウクライナ軍を押し戻せていないのはこうした理由によるものであると考えられます

<欧米の軍事支援とロシアの継戦能力のせめぎあい>

⑱ 2023年12月21日、「ロシアの滑空爆弾に手こずるウクライナ、近く入手予定の F-16戦闘機で形勢逆転か」;
NATO諸国の主力戦闘機 F-16の供与がウクライナの強力な支援になる理由は、現在ウクライナが苦しめられているロシアの滑空爆弾(注1)を投下するロシア軍機に対抗する唯一の手段になるためです
(注1)ロシア軍がウクライナの防空システムでは防御できない約40キロ以上離れたところから発射できる精密誘導のミサイル

オランダ、デンマーク、ノルウェー、ベルギーは、近く余剰となったF-16をウクライナに供与することを約束しました。また、ウクライナ軍のパイロットは、既にルーマニアと米国の基地で F-16の訓練を受けていいます

F-16は、ロシアの戦闘爆撃機(Su-27、Mig-29)より優れたセンサーや防御のための電子戦装備や武器を搭載しており、ロシア機との交戦では極めて有利と言われています。因みに、F-16は高高度で約130キロ先の標的を探知し、AIM-120C空対空ミサイルで敵戦闘爆撃機を攻撃できます。また、ポッド状の電波妨害装置(ALQ131、184)を装備しているため、ロシアの地対空ミサイル(S-400 )に対してある程度の防御力を備えているからです

今後、この4ヶ国が余剰となっているF-16の供与(注2)を受ければ、ウクライナは F-16を60機以上手に入れることが可能となり、現在の戦況を変える「ゲームチェンジャー」となるかもしれません
(注2)供与する4ヶ国は F-16の代替として最新の F-35を導入することになっています

⑲ 2023年12月28日、「米国がウクライナに追加軍事支援」;
米政府は27日、ウクライナに2億1千ドル(約355億円)の追加軍事支援を行うと発表しました。今回で米国のウクライナ支援に向けた財源は枯渇する可能性があります
当初の610億ドルのウクライナ支援予算を含む追加予算措置は、野党・共和党内の慎重論などから承認の見通しが立っていません。米国防総省は声明で「ウクライナが自国を守るため、(米国の)議会が新年にできるだけ早く行動を起こすことが極めて重要だ」と強調しました。今回は米軍の在庫から、携行型の地対空ミサイル「スティンガー」や千5百万発超の弾薬などを提供することになっています
⑳2024年1月8日、「ウクライナ、防空ミサイル枯渇の懸念」;
欧米の支援減を見透かし、ロシアが2023年末から大規模なミサイル攻撃を続けています。ウクライナの防空網の突破を狙うロシアは北朝鮮製の弾道ミサイルまで投入したとみられ、欧米から十分なミサイル供給が続くかが今年の戦況を大きく左右しそうです
参考:米も武器在庫逼迫_軍需企業、冷戦期の1割

⑳ 2024年1月8日、「ウクライナ、欧米の支援減により防空ミサイル枯渇の懸念」;
ウクライナ側の発表によると、ロシアは2023年12月29日からこれまでに500発以上のミサイルとドローンでウクライナ全土を攻撃しました。このうち防空ミサイルなどで6割以上の迎撃に成功しているものの、通常の弾道ミサイルS300キンジャ-ル(極超音速弾道ミサイル)などに対しては迎撃の失敗も目立ちました。これは、弾道ミサイルに対応できるパトリオットミサイルシステムのウクライナへの供与がキーウ近郊に配置された3基にとどまっていることが背景にあります
このため、大半の地方都市の防空は脆弱な状態となっています。ウクライナ当局の発表によると東部ドネツク州ポクロフスクで1月6日、ロシア軍のミサイル攻撃があり、子ども5人を含む11人が死亡しました。これにはS300ミサイルが使われたとみられています
ロシア軍は今月2日にはパトリオットが配備された首都キエフへの弾道ミサイル攻撃も実施しました。ウクライナ軍はパトリオットで10発のキンジャル迎撃に成功したと発表しました。これらの攻撃は、ウクライナにパトリオットミサイルを消費させようとするロシアの狙いが透けます

ウクライナはパトリオットシステムの10基以上など、多数の迎撃ミサイルの供給を求めていますが、欧米の動きは今の所鈍く、米議会ではウクライナへの支援予算案を巡る調整が難航しています。米国家安全保障会議(NSC)のカービー戦略広報調整官は3日、軍事支援のための資金が事実上枯渇したとの認識を示しました。

NATOは1月3日、ロシアに対する欧州の防空能力を強化するため、最大千発のパトリオットミサイルを調達すると発表しました。ウクライナに供与して減少したミサイル在庫を補充する狙いもありますが、すぐに同国への供給増につながるとみる向きは少ないと考えられます
一方、ロシア側のミサイル在庫も減っています。米戦争研究所は2023年12月29日、現在のロシアのミサイルや無人機の生産能力を踏まえると、ロシア軍が頻繁に大規模なミサイル攻撃を繰り返すのは難しいとの分析を発表しました
このためロシアは国外からの弾道ミサイルの調達を急いでいるようです。カービー氏は1月4日の記者会見で、ロシアが北朝鮮から弾道ミサイルの供与を受け、ウクライナに対して複数回発射したとみられると語りました。ロシアがイランから短距離弾道ミサイルを入手しようとしているとの情報があることとも明らかにしました

Foolow_Up:2024年1月19日_「ウクライナのフランケンSAM 初の敵機撃墜に成功
Foolow_Up:2024年1月21日_「ロシアの港で大規模火災 ウクライナの無人機が長距離化に成功か

プーチン大統領の歴史観とウクライナ戦争との関係

第二次大戦の終了直前、第一次大戦の失敗を反省して勝利した連合国側の主要国により国際連合が発足しましたが、既にソ連を中心とする東欧圏と西欧圏の間にはチャーチルが言うところの「鉄のカーテン」ができ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、などの共産主義国と資本主義国との間の数々の局地戦争が始まりました。1962年10月にはすんでのところで所で核戦争となるキューバ危機が発生しましたが、ここは、ケネディー大統領とフルシチョフ首相の賢明な判断で、世界はこの危機を乗り越えることができました

その後も資本主義と共産主義の政治的軋轢が続きましたが、1991年に至りソ連の経済的な破綻の結果として、ゴルバチョフ首相による「グラスノスチ(情報公開)」、「ペレストロイカ再建)」が行われソ連邦は崩壊し、資本主義国としてのロシアが生まれました(詳しくは「ウクライナの歴史」参照)。この過程でウクライナを含むソ連の保護下にあった国々も独立を果たしました

プーチンは、ゴルバチョフ首相以降の改革を受け継いだエリツィン大統領時代に首相に就任(1999年8月)し、この年の12月のエリツィン辞任に伴って大統領代行に就任しました。この時以降ロシアは「プーチンの時代が23年間以上続いています
モスクワで現在権力を握っている彼と彼の世代の考え方は、旧ソビエトがロシア帝国と同様に超大国であった時代の後期数十年の間に形成されたものだと言えます。それが彼らのロシアのあるべき姿のモデルなのです

セルヒー・プロヒー氏(66歳;ウクライナ南部のザポリージャ出身の歴史学者は、現在ウクライナ研究所の所長を務めていて、ウクライナやロシアなどの歴史研究の第一人者として知られています)によれば、「プーチン氏は歴史を通じてこのウクライナに対する侵略戦争を正当化しようとした。それは、政治・軍事目標を達成するために操作された歴史だ」と

プーチンの考え方の根底には、ロシア帝国時代に描かれたロシアとベラルーシ、ウクライナの関係を表す以下の三姉妹の絵(中央は長女のロシア、両隣にいるのが妹のウクライナとベラルーシを表現している)があります;これはプーチンの解釈では『ウクライナ人はロシア人なので、存在しない、してはならない』ということです。ロシアが剣と十字架を持っていて、戦士として防衛し解放する役目を負っていますが、実はこの2人(ウクライナとベラルーシ)を捕らえているのです。セルヒー・プロヒー氏によれば、「ベラルーシは事実上、ロシアの占領下にあります。言語的・文化的・政治的に、より強力にロシア化されています。ウクライナも抵抗しなければ、ベラルーシと同じ運命になります

大統領1期目のとき、プーチン氏は軍事力を使わずに、経済的圧力や政治的な影響力でその目標を達成しようとしました。しかし、その試みはそれほどの結果を生みませんでした
その後、プーチン氏が新たに試みたのが、ロシア国外での軍事力の行使でした。旧ソビエト諸国でロシアの影響力を取り戻すための他の手段を持っていないことに気づき、軍事オプションを選んだということです

            <プーチンの成功体験!>

*以下の説明では現在「カフカス」と呼ばれる地方を、私が学生時代に学んだ「コーカサス」という呼び方に統一しています。読者にあってはご了承いただければ幸いです

① チェチェン紛争;
現在のチェチェン共和国は、北コーカサス地方の北東部に位置するロシア連邦北カフカース連邦管区に属する共和国です。この国家は、北コーカサス先住民族のひとつのチェチェン人が住民の多数を占め、ロシア連邦憲法ではロシア連邦を構成する連邦構成主体のひとつとされています;
この国は、18世紀にロシア帝国がコーカサス地方への南下を進めると、チェチェン人はロシアの支配に対して激しく抵抗を繰り広げましたが、1859年にロシア帝国によって周辺地域とともに併合されました(コーカサス戦争)。この後、ロシア帝国とオスマン帝国の取引により多くのチェチェン人がトルコやシリア、ヨルダン等へと移住しました
1991年ソ連解体後、ロシア連邦政府及びロシア連邦への残留を主張するチェチェン人勢力と、チェチェン・イチケリア共和国やコーカサス首長国を自称するチェチェンの独立を求める武装勢力との間で対立が続きました

【第一次チェチェン紛争(1994年-1996年)】
ロシア連邦政府はこの共和国の存在を拒否し、1994年12月にエリツィン大統領は、チェチェンの独立を阻止するため4万のロシア連邦軍を派遣し第一次チェチェン紛争が始まりました。独立派はゲリラ戦で激しく戦い紛争は泥沼化しましたが、1995年2月にロシア軍がチェチェンの首都グロズヌイを制圧し、1996年4月にジョハル・ドゥダエフ(独立派の初代大統領)の殺害に成功すると、8月にエリツィンとチェチェンの武装勢力のリーダーの間で停戦が合意されました。そして1997年5月にはハサヴユルト協定が調印され五年間の停戦が定められました。この紛争では10万人以上の一般市民の死者を出したと言われています

【第二次チェチェン紛争 (1999年-2009年)】
停戦中の1999年8月7日に、コーカサス圏における「大イスラム教国建設」を掲げるチェチェン独立派の最強硬派のシャミル・バサエフとサウジアラビア生まれでヨルダン出身のアミール・ハッターが、和平協定を破り突如隣国のダゲスタン共和国へ侵攻しました。これに対しプーチン首相はロシア軍をチェチェンへ進撃させ1999年9月に紛争は再発。プーチンはエリツィンの健康悪化により1999年12月に大統領代行、2000年に大統領に就任しました

ロシア軍は2000年に首都グロズヌイを再び制圧し、アフマド・カディロフをチェチェン共和国の大統領につけてロシアへの残留を希望する親露派政権をつくらせ、独立派のチェチェン・イチケリア共和国を在野に追いやりました。しかし以降もチェチェンの独立運動は続き、ロシア軍との内戦状態が続きました。ゲリラ化したチェチェン独立派勢力はアルカイダ等の国外のイスラーム過激派勢力と結びついてテロリズムに走り紛争はさらなる泥沼化しました
これに対してプーチン政権は、2003年~2006年にかけて独立派のチェチェン・イチケリア共和国の第2代大統領ゼリムハン・ヤンダルビエフと第3代アスラン・マスハドフと第4代アブドル・ハリムを殺害し、独立にむけた武装闘争に対しては徹底的に鎮圧する意思をいっそう明確にしました。またロシア政府は2005年11月に共和国議会選挙を開催させ、「チェチェン紛争の政治的解決プロセスの総仕上げ」としてこの結果を評価しました。これに対して独立派はロシアによる「見せかけの選挙」であると強く反発しています(⇔ウクライナにおけるクリミア及び南部・東部諸州の占領地における「見せかけの選挙」とよく似ている!)
尚、親露の現チェチェン政府はロシアの要請に基づき、ウクライナへの派兵も行っています

② グルジア紛争 (2008年)
1991年ソ連解体後、グルジアも他のソ連構成国と同じく独立を宣言しました。1993年には独立国家共同体に加盟し、ゴルバチョフ政権でソ連の外務大臣として活躍していたシュワルナゼが大統領(1992~2003)となりました。しかし黒海に面したアブハジアではグルジア人以外のロシア人などの複雑な民族構成があり、親ロシアの傾向が強く、グルジアからの分離独立を主張してアブハジア紛争(~1994年)が起こりました。アブハジアの一部は今もグルジアの実効支配が及んでいません
グルジアでは独立後、経済の悪化が進み、2003年には野党の指導によるデモ隊が議会を占拠し、大統領は辞任、総選挙が行われて国民連合の指導者で親欧米派のサアカシュヴィリが当選するという、「民主化」が行われましたが、この政変は「バラ革命」とも言われています
南オセチアにはグルジア帰属に反対する人が多く、ロシアの支援を受けて分離独立の動きを強め、2008年8月に独立を宣言しました。それを認めないグルジア軍が侵攻、それに対してロシアはロシア軍をグルジアに侵攻させ、南オセチアを支援、グルジア軍は敗れて撤退しました。戦闘は同時に黒海海岸のアブハジアでも展開され、グルジア・ロシア間の戦争状態となりました。戦闘は8月中にEUの調停で講和しましたが、南オセチアとアブハジアは事実上の独立状態となっいます。ロシアは両国を独立国として承認していますが国際的にはまだ認知されていません
*現在、グルジアの正式な国名はジョージアとなっています

③ シリア内線(2011年-2017年)
シリアでは、1971年にアサド大統領の父親がクーデターを起こし権力を握って以来、強権的な政治が続いていましたが、中東で「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が広がった2011年、シリアでもアラブの春が飛び火する形で生活への不満が爆発し反政府デモが各地に広がりました;

しかし、アサド政権は抗議デモを武力で弾圧、これをきっかけに、反政府勢力との内戦に発展しました。アサド政権は否定していますが、内戦のなかで化学兵器禁止機関(OPCW)はアサド政権が化学兵器を使用したと断定しています
その後、イスラム過激派組織が台頭して内戦が泥沼化し、イランやヒズボラの支援にもかかわらず、北西部で国内最大都市アレッポの東半分が反体制派に奪われ、ユーフラテス川東岸はイスラム過激派組織に侵食され、南部では反体制派が優位に立ち、北部ではクルド人勢力の中立と引き換えに自治を黙認せざるを得ない状況となりました。更に3月にはイドリブ県の県庁所在地イドリブが陥落し、アサド大統領自身も全ての戦線での攻勢が不可能となってしまいました

ここに至り、2015年9月30日、プーチンはシリア政府からの要請を受けたとしてシリア領内でイスラム過激派組織に対する空爆を開始、10月29日までに千回以上の爆撃が行われ、多くの民間人がこの空爆によって死亡しました

この空爆によって一時は劣勢となったアサド政権は次第に有利となり、現在では、シリアの多くの地域がアサド政権の統治下に置かれています

以上から分かることは、プーチンが権力の座についてから、彼の決断のもとに行われた軍事侵攻は、ほぼすべて成功裏に終わり、この成功体験が2014年のクリミヤ侵攻、2022年のウクライナ侵攻に繋がったと考えられます(私見)

<プーチンの軍隊が行った!戦争犯罪>

戦争とは残酷なものですが、国際法で決められた禁止行為は決して犯してはなりません。第二次世界大戦後の戦後処理の一つとして連合国により、ドイツに関してはニュールンベルク裁判で、日本に関しては東京裁判で多くの戦犯が裁かれました。以下は、生成AIを使って調べた戦争犯罪の定義です;
「戦争犯罪とは、戦争における国際法に反する行為の中でも、狭義には第二次世界大戦以前より認められてきた戦時法規の違反者が敵国にとらえられた場合に処罰されるものであり、広義には第二次世界大戦後に認められた平和に対する罪人道に対する罪を狭義の戦争犯罪に加えたものである。 例えば、捕虜虐待毒ガスなど国際法上禁じられた武器の使用文民による武力を用いた敵対行為スパイ行為戦時反逆など、軍隊構成員が行う交戦法規違反が狭義の戦争犯罪に含まれます. 広義の戦争犯罪のうち平和に対する罪とは侵略戦争の実行などで、また人道に対する罪とはジェノサイドに代表される非人道的行為である」

① ウクライナ戦争では、開始早々からロシア軍による以下の様な戦争犯罪が記録されています;
<北部戦線でのロシア軍の侵攻からウクライナ軍の反攻成功までの状況>
*2022年2月24日直後;
早朝にプーチン氏がウクライナでの「特別軍事作戦の開始」を宣言する演説が国営テレビで放送された。その直後に首都キエフ図ではキーウと表現/以下同様や東部ハリコフなど各地で爆発音が聞こえ、北・東・南の3方向からロシアが進軍しました。ウクライナはロシアが「全面的な侵攻を始めた」と世界に訴えました;
*2022年3月24日;
ウクライナの北に位置するベラルーシから進軍したロシア部隊は首都キエフ包囲を狙い、その近郊に迫りました。南東部の港湾都市マリウポリや東部ハリコフ、イジュームを陥落させようと激しい攻撃を続け、ロシア軍の支配・侵攻エリアは全土の約27%に及びました;
*2022年4月4日;
ウクライナ軍の抗戦をうけ、ロシア軍はキエフ近郊から撤退した。侵攻直後に占拠した北部チェルノブイリ原子力発電所からも引き揚げました。撤退後のブチャなど、各地で民間人の遺体が多数見つかり、ロシア軍による拷問や虐殺の疑いが明らかになりました;
*2022年4月7日
ウクライナ軍の反撃で追い詰められたロシア軍は北部から完全に撤退しました。ウクライナ軍は北部のチェルニヒウやスムイ周辺も奪還しました;

首都キーウ近郊で起きた民間人虐殺;
ウクライナ軍が北部地方奪還後、専門家による調査によって明らかになった民間人虐殺の人数については以下をご覧ください;

特にブチャに於ける民間人虐殺については、各国の報道機関によって報道され世界に衝撃を与えましたが、以下はその一部です;

② ロシア領からクリミアに至る陸の回廊を確保するうえで重要なアズフ海沿岸のマリウポリでは2022年2月24日の侵攻開始より民間人を巻き込む激しい戦闘が行われ、ロシア軍の包囲・総攻撃で約2万人の死者が出たと言われています;
*2月24日~
ロシア連邦軍はドネツク州の親ロシア派とともにマリウポリを包囲し、食料、ガス、電気の供給が遮断されると共に、爆撃により都市のおよそ80~90%が破壊されたと思われます
ロシア海軍はアゾフ海沿岸で水陸両用作戦を開始。アメリカ合衆国国防総省の高官によれば、ロシア海軍は数千人規模の兵士を海岸堡から展開、市街地への砲撃を継続した
*3月9日
小児科・産婦人科病院への砲撃により子供の犠牲者が出ているとウクライナ側当局者が発表し、ゼレンスキー大統領はこの攻撃は戦争犯罪だと主張しました。これに対してロシア側はこの病院が過激派のアゾフ連隊の基地と化しており、虚偽情報だと主張しています
*3月19日
マリウポリの市当局によると、民間人数百人が避難している芸術学校がロシア軍に爆撃されました

*4月20日
市内の大部分をロシア連邦軍が支配し、ウクライナ軍は2個大隊が壊滅。第36独立海軍歩兵旅団、アゾフ連隊、第12特務旅団、ウクライナ領土防衛隊に、国境警備隊、警察官、右派セクターの義勇兵など約2千人の戦闘員がアゾフスタリ製鉄所に籠城するのみとなりました
ウクライナ軍は、孤立したアゾフスタリ製鉄所内の部隊に対する弾薬・糧食・医薬品等の補給や負傷者後送のため、ヘリコプターによる輸送作戦を合計7回実施。従事した搭乗員は9割が帰還できませんでした。ゼレンスキー大統領は撃墜の危険を知りながら補給任務に従事したヘリ操縦士らを「英雄」と称えました
3月20日時点で、地元当局によれば、少なくとも2千3百人が、爆撃までの包囲戦で亡くなったとされています
*4月21日
衛星写真を分析し、マリウポリから西に約20キロのマンフシュ村に、ロシア側が市民らの遺体を埋めている集団墓地を発見したとテレグラムに投稿されています

5月7日
ゼレンスキー大統領がアゾフスタリ製鉄所からの市民退去完了を発表
5月16日
ロシア国防省がアゾフスタリ製鉄所の負傷兵の避難に合意したと発表。ウクライナ軍参謀本部も「マリウポリを防衛する部隊は司令部が命じた全ての任務を完遂した」と発表し、マリウポリを守備するアゾフ連隊などに撤退を命令しました。ウクライナ国防省は人道回廊が設置され、重傷者53人を含む、260人以上のウクライナ兵が製鉄所から避難したと発表しました。ただし、投降した捕虜扱いでロシア軍の支配地域に移送されています

12月22日
AP通信は、ロシアのウクライナ侵略で壊滅状態になった南部マリウポリ周辺で、これまでに少なくとも1万300基の墓が新たに作られたとの分析結果を報じました

ロシアの占領政策
マリウポリのヴァディム・ボイチェンコ市長は2022年4月15日、読売新聞のオンライン取材に対し、4万人がロシア軍により連行されたほか、ウクライナ側による市民への支援物資をロシアを奪い自らの「人道支援」と称して配っていると主張しています

③ ロシア軍は、ウクライナの原発取水ダムを破壊
2023年6月6日午前2時50分、ロシア軍は、占領下の南部ヘルソン州カホフカ水力発電所のダムを爆破、決壊させました。このダムはザポロジエ原子力発電所が冷却水を取水していました

フォンデアライエン欧州委員長はツイッターでダム決壊に言及し「ロシアはウクライナで犯した戦争犯罪の代償を支払わなければならない」と強調しました

マリウポリの市長によれば、ロシアの包囲作戦と爆撃、砲弾などによって2万人以上が亡くなったとのことです。こうしたことが理不尽な侵攻によって為されたとすれば、その国のトップは、第二次大戦の所謂「平和に対する罪」として裁かれる必要があると思います(私見)

ロシアに対する一連の経済封鎖とその効果

ウクライナ侵攻直後から、日本を含む西欧諸国の多くの国々は経済制裁を発動しました。しかし、石油、天然ガスをロシアに頼っていた西欧諸国は、当初ロシアの理不尽な侵攻の意思を挫くほどの効果はありませんでした

下表は、ロシアに対して行った一連の経済制裁とその効果に関するネット上の記事をリストアップしたものです
表を見易くする為に、以下の凡例の様に各コラムの色の割り当てを行っております(2022年度、2023年度共通);


参考指標:2022年度の為替レート(1ルーブルに対する米ドルの交換比率)は以下の表の様になっています;

2月24日のウクライナへの侵攻によってルーブルの価値は急激に下がりましたが、この年の後半は安定した水準(≃0.015USD/1ルーブル)を保っています


参考指標:2023年度の為替レート(1ルーブルに対する米ドルの交換比率)は以下の表の様になっています;

2023年度に入ると急激にルーブルの価値は下がり年度後半はの為替レートは、年初に比べ26.7%下落しています
ロシア中央銀行は、ルーブルの下落によって輸入物価が上昇し、インフレ懸念が高まる展開を懸念し、7 月には予想外の大幅利上げ(7.5%→8.5%)に踏み切りました。この利上げは、ルーブル安が加速し物価上昇に歯止めがかからないため、中銀として大幅利上げに追い込まれたと結果と考えられます。ルーブルの下落によって、ロシアの輸入物価はさらに上昇しています

全体を俯瞰すると、当初ロシアによるLNG供給停止の脅しと、国によってはエネルギー事情が厳しいところもあり、また石油製品やLNGの市場価格の高騰、中国やインドの買い付け増、などによってロシアの経済への影響はそれほどでもなかったと思われます。しかし、時がたつにつれウクライナを支援している国々の代替エネルギー確保の努力、米国のLNG(シェールガス)の増産などによって、ロシアはLNGを武器に使う意味が無くなってきつつあります。むしろその収入減によってロシア経済が時間が経つほど苦しくなってきているのが実情と思われます

また、半導体製品の制裁は武器の製造に相当厳しい影響が出て来つつあります。当初から半導体を多く使うドローンなどは、トルコや中国からの供給で間に合わせていましたが、最近は、ミサイルの製造に支障をきたすようになり北朝鮮からの供給に頼るようになってきていると見受けられます

また、最新のミサイルや戦闘機、電子戦に必要な機器類についても、最新の半導体が必要なことから、その損耗を惜しむ様な作戦に変わってきているようにも見受けられます

この戦争が更に長引いた場合、上記の状況は一層ロシア側に不利になると思われます。因みに、米国のLNGの今後の増産ペースは相当顕著になることは、右表を見れば明らかではないでしょうか

また、地球温暖化に関わる世界共通の目標となっている再生エネルギーの急速な普及を勘案すると、近いうちにエネルギー供給に関わる脅しはもはや意味をなさないと思うのですが、、(私見)

Follow_Up:2024年1月19日_「アメリカの二次制裁発動で中国国有銀行もロシアとの取引を見直し

おわりに

以上のような状況から、今後ウクライナ有利に進むように思われますが、ロシアの歴史を踏まえると、以下の理由からそう簡単にロシアに勝利できるとは思えません;
ウクライナ自身の武器の生産能力、現在の武器供給の主力であるNATO諸国の支援疲れ、特に米国の支援は共和党大統領選挙結果如何で大きく変わる可能性がある、などから近い将来に現在のロシア占領地域を奪還する見通しは立ちにくいと考えられます
ロシア帝国~ソ連の時代に、露土戦争ナポレオン戦争第二次大戦におけるドイツとの戦争という苦しい戦いをロシアは勝ち残ってきた歴史があり、苦境になればなる程大量の兵士の死を厭わない長期戦を戦い抜く可能性が排除できません

戦後の日本は憲法の制約から、武器に関わるウクライナ支援はできないことになっています。従って、現在の日本のウクライナ支援は、ウクライナ避難民の受け入れ・支援、地雷除去技術・機材に関わる援助、発電機や暖房器具の供与、ウクライナ国内の市民への生活支援、などの限られています。勿論、戦争終了後が主となる復興支援も約束しています
しかし、日本の世論は間違いなくウクライナを圧倒的に支持しています。ほかにウクライナ支援ができることは何か? 平和な日本にいる私がこんな事を考えるのは、両親や親戚から聞いた満州に於ける敗戦・抑留体験です。ロシアに負けることはどういうことか、ということを何度も聞かされました
今回のロシアのウクライナの侵攻は、日本の敗戦直前の1945年8月9日(日ソ不可侵条約を一方的に破って)、満州に突如侵攻してきたソ連軍を思いださせます独ソ戦終盤、敗軍のドイツ兵に暴虐の限りを尽くしたソ連軍が、満州侵入後に日本人の農民、市民に何をしたか、、、今回のウクライナに侵攻したロシア軍兵士の振る舞いはこれと相似形で語ることができます

ウクライナが勝利するためには長く戦い続けることが必須条件であることは間違いありません。以上を勘案すると、日本としてもう少し違う支援も考えていいのではないか?と考え始めています
日本は極めて性能の高い防御兵器を沢山保有していますが、旧式となって要らなくなった兵器でも今の憲法ではウクライナに供与はできません。しからば、ウクライナが兵器を買うお金を支援することは如何か? 「お金は天下の回り物」ですから武器援助にはあたらないと考えることはできないか?
ウクライナ戦争でミサイルや航空機に対する防御能力の高さが証明されているパトリオットシステムは、現在3基がキエフ周辺に配置されているのみです。ウクライナの他の都市はロシアのミサイル攻撃を受けて多くの民間人の死傷者を出しています日本の使途を明確にしない財政支援によってウクライナがアメリカのレセオン社からこのシステムを直接購入する、またウクライナ人が戦闘状況の推移によって他の有用な兵器の購入に変えることも可能となるのではないか?
現在、政府が検討している「ウクライナの支援で在庫が少なくなったパトリオットシステムを米国に売却する」よりも余程ウクライナ人に感謝されるのではないか?益々私の妄想は膨らみます!!!

Follow Up_2024年2月1日「ウクライナ支援でバイデンが「奥の手」 ギリシャなどから三角スキームで武器送る

以上