私の巣篭もり生活!

はじめに

今年4月7日に新型コロナ(CIVID-19)蔓延に伴い緊急事態宣言が発令されてから既に4ヶ月以上が経過しました。緊急事態宣言自体は5月25日には全面解除されましたが、依然として新たな罹患者が毎日相当数発生しており、我々の様な高齢者は、自らの命を危険にさらすことになる外出を極力控える毎日がつづいていいます。
自宅での謂わば“巣篭もり”の生活を続けることは誰にとってもストレスの多いことですが、芸能人たちがインスタグラムなどで巣篭もりの日常を晒すことによって自身のストレス解消を行っていることを真似て、私自身も恥ずかしながら“巣篭もり”生活の日常を晒してみようかと思い立ちました
ご参考になるかどうかは分かりませんが、以下のようかことをやって毎日をそれなりに楽しく過ごしています。ただ、大変マニアックな話が多いので、興味のない方は読み飛ばしてください

私の平均的な生活パターン

歳を取ってからは、生活のリズムが狂うと体調を崩すことが多くなってきました(⇔免疫力の低下?)ので、最近は以下の様な規則正しい生活を心掛けています;
① 食事を採る時刻をできるだけ一定にする(朝食/8時前後、昼食/13時~14時、夕食/20時前後)
② 食事の量、飲酒の量をできるだけ控えめ?にする(飲酒は夕食時及び夕食後)
③ 毎日の睡眠時間をできるだけ一定にする(夜/7時間程度、昼寝/昼食後15分~30分)。尚、熱帯夜が続く昨今、夜の睡眠を良質なものにする為に寝室の温度設定を24℃以下にし、布団をかけて寝るようにしています

④ 屋上菜園での作業:午前中/1~2時間、夕方/30分~1時間
⑤ 新聞、ネットニュースなどによる情報収集:1時間~2時間
⑥ 読書、ブログ制作作業:1時間~2時間
⑦ 趣味の電気工作?、家具などの修理:1時間~2時間

⑧ 週に一回程度都心に出て「本屋めぐり」などを行い8,000歩程度の運動量を確保(往復の交通手段を含めて“三密”の状況は回避)する。この日以外は平均2,000歩前後(プラス屋上菜園での力仕事など)。⇒ スキーシーズン前にはこれに加え筋トレを適宜実施する希望的!予定があります
⑨ 月に一回以上ZOOMを使ったリモート飲み会を実施しています。この時ばかりは「② で述べた程々の酒量」を超えて飲んでしまうこともありますが、全く友人と会えない「巣篭もり状態」が続くなか、暖かいコミュニケーションが可能になっています

新聞・雑誌、ネットニュースなどからの情報収集

ただ漫然と行うのではなく、現役時代同様に得られた情報はパソコン内に収納し、ブログの制作や自身の考え方を纏める時に使えるようにしています。具体的には、冒頭の画像(ウィンドウズ・エクスプローラーの画像)にあるように、収納する情報は階層状にしたフォルダーで管理するとともに、情報量の変化、情報の多様化などに対応するため、適宜フォルダーの種類、階層構造の変更などを行っています。因みに、6月25日に発行したブログ(COVID-19と日本の近未来)は冒頭の画像の右半分(疫病のリスク)に整理されている情報に基づき纏めたものです

こうした情報のデータベースは、かなり長い期間に亘って毎日集めてきたものなので、私にとっては非常に大切なものです。しかし、今年2月末この情報が入っているハード・ディスクが突然壊れ冷や汗をかきました。幸い1月初めまでの情報はバックアップを取ってありましたので、蓄積した情報の喪失は僅かだったので胸を撫で下ろしました。以降、1週間に一度はバックアップを取るようにしています

因みに、現在冒頭の画像に収められている情報量は以下の通りです;
*ファイルサイズ:108ギガバイト
*ファイルの数 :55,932
*フォルダーの数:5,072

読書の仕方

歳を取ってから読書を長時間続けると目が疲れますので、週一回本屋を渉猟するなかで興味を覚えた本や、新聞・雑誌で紹介され興味を覚えた本(主としてアマゾンの通信販売で購入)が中心になりますので、読書量は自慢できるほど多くはありません。60歳を過ぎたころから歴史好きになり、結果として最近は50%位は歴史関連の本になっています
ただ、偶々今年3月24日に封切された「三島由紀夫vs東大全共闘」という映画を観た結果、俄かに!三島由紀夫の思想、人生に興味を抱き非常事態宣言中は以下の本を丹念に読む機会がありました;

読了した三島由紀夫作品

また、これらの本を読んだ結果、「特攻」を志願し生き残った人や、少年時代に戦争を実体験している知識人の「生死」に関する考え方を知りたくなり以下の本も続けて読みました;

「生と死」関連

上記の本は全て「生・老・死」の問題が主要なテーマになっていますが、勿論結論などは得られていません。いずれこうした問題に関する自身の考えが煮詰まってきたら死に関する私のブログ二編(“死”について“死”について_その2)の続編を書いてみたいと思います

私の本の読み方は、読書中にやたら赤線を引き、心に刺さった文章のあるページには全て付箋を付けますので、BOOK OFF ではタダでも引き取ってくれない本になってしまいます。しかし、近頃若者の読書離れが進んで困っている出版社や本屋には歓迎されるかもしれませんね!

趣味の電気工作?

高校時代まで私は「電気少年!」だったので、時折秋葉原周辺の店(勿論、フィギュアの店、メイド喫茶、などは間違っても入りません!)を覗いて廻ります。最近は昔ながらのパーツを売る店は少なくなったものの、電気少年が買いたくなるような製作キットを売る店が幾つか残っています。最近そこで衝動的に買ったのが可変出力スイッチング電源(0.8~24ボルト)キットです。
この電源キットは、最近拙宅によく来る孫の一人がLEDのライトを使って何か作ってみたいと言っていたのを思い出し、実験用のボードと併せて買ったものです;

自作の可変電源と電子回路テスト・ボード

確かデジタル電圧電流計を合わせて買っても2千円程度だったと記憶しています。私の少年時代にはこのレベルの電源を自作するのは、金額的にも、性能的にも、製作時間から言ってもかなり決心がいる買い物になっていたと思います
尚、件の孫は夏休みの宿題の工作で「LEDライトを使ったプラネタリウム」を作って私を喜ばせてくれました!

昨年10月22日にカラオケ万歳!というブログを投稿しました。ここで「一人カラオケセット」を自宅の机の前にセットして楽しんでいると紹介しました。しかし、このコロナ禍の中で老人のカラオケはクラスターの元凶(全国でクラスター発生、明るみに出た「昼カラオケ」の実態)と非難され、私のカラオケ仲間はもう何ヶ月も唄えないと嘆いておりました
そんな折も折、アマゾンの通販で電子回路のキットの値段をチェックする機会があり(6月にZOOMを開始する前、私の自作パソコンにはカメラ・マイクが装備されていないので格安のパーツ探していた!)、驚くほど安いものがあることを発見しました。近年、国産、外国製を問わず色々な電気製品が驚くほど安くなっている原因がここにあると納得した次第です。これらはいずれも中国製です。信頼性についてはあまり期待できないと思われますが、ともかく安いので、これを使ってカラオケ仲間数人で楽しめるカラオケセットを試作してみよう、と思い立ち作り上げたのが下の写真のアンプです;

自作のアンプ

残響ボード(所謂マイクにエコーをかける装置)の値段は何と!1,256円

残響ボード

ヘッドホン・アンプの値段は何と!2,205円

ヘッドホンアンプ

50Wx50Wのステレオアンプは何と!1,598円

50Wx2 デジタルアンプ

これらに、壊れて廃棄した電化製品やパソコン類から取り外し保管していた(全く貧乏性ですね!)古い電源を取り付け1セットのカラオケ・アンプにしてみました

更に、機能を充実させる為に、Hard Off という近頃流行っている中古屋で、バンド活動ではなくてはならないミキサーの中古品を5千円ほどで買い揃えました;

Mixer

これは新品でも1万円程度で購入できますので、恐らく始めたばかりの学生のバンド活動で使われていたのではないでしょうか
いずれにしても、これらのセットに、パソコン、またはスマホで 、YouTubeで公開されているカラオケのソース音源を入力することでカラオケを楽しむことが出来ます
大人数でやる時にはスピーカーを繋ぎ、周りに迷惑が掛かる環境下ではヘッドホン(4台まで接続可能)を繋いでカラオケボックスでの臨場感を味わうことが可能です。既にテスト済みですが、近い内に機会を見つけてカラオケ仲間と楽しんでみたいと思っています

以上

災害のリスクについて_その2

はじめに

二年ほど前に、災害全般について、そのリスクの分析と、リスクから生き延びる方法について、ブログを発行しました(災害のリスクについて考えてみました
今般、昨年後半の強烈な風台風(台風15号)と猛烈な雨台風(台風19号)による甚大な被害を受けて、前ブログの補完をすべく災害リスクに関わる本を漁っていた所、寺田寅彦(1878年~1935年;地球物理学者、随筆家)の「天災と国防」という文庫本を見つけました。読んでみると、恐らく百年近く前の著作にも拘らず災害の分析、及びそのリスク回避方法についての記事は多くの示唆に富んでいることが分かりました。余計なおせっかいとは思いますが、その内容の一部をご紹介するとともに、私なりのコメントを加えてみたいと思います

また、筆者(寺田寅彦)に倣い、拙宅付近の災害リスクを調査し、私なりの生意気な評価を試みてみました。災害リスクに関心のある方はちょっと覗いてみて下さい

天災と国防」を読んで

本書は「寺田寅彦全集」、「寺田寅彦随筆集」を基に災害に関連したもの12編を集め、再編成したものです。初版発行日(2011年6月9日)から考えると、同年3月11日の東北地方太平洋地震を受けて発刊を企図したものと思われます。巻末に「失敗学」で有名な畑村洋太郎(東京大学名誉教授)が解説を行っています。以下にテーマ毎に私なりの注目ポイントを抽出してみたいと思います。尚、引用する文章は旧仮名遣いや旧字を多く使っていますが、一部(津浪⇒津波)を除いて原文のままとしています
また、筆者の文章を引用する場合は括弧でくくることとし、私の補足やコメントについては青字で表記することにいたします

<天災と国防>
*「文明が進むにしたがって人間は次第に自然を征服しようとする野心が生じた」、「災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである
*「20世紀の現代寺田寅彦が生きた時代では日本全体が一つの高等な有機体である。電線やパイプが縦横に交差し、交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは高等動物の神経や血管と同様である」、「天然の設計に成る動物体内ではこれらの器官が実に巧妙な仕掛けで注意深く保護されている

⇒昨年の台風15号で千葉県の一部で送電線が寸断され、回復に多くの時間を費やしました

台風15号・送電線被害

⇒一方、人間を含む動物の動脈は、体内の深いところにあり、通常の怪我では動脈が傷つくことが無いようになっています

*「昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守してきた。そうした経験に従って造られたものは関東大震災(1923年9月)でも多くは助かっているのである
*「昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守してきたそうした経験に従って造られたものは関東大震災(1923年9月)でも多くは助かっているのである
*「大震後横浜から鎌倉へかけて被害の状況見学に行ったとき、かの地方の丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、田んぼの中に発展した新開地の新式家屋がひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時につくづくそういう事を考えさせられた

室戸台風の進路

*「今度の関西の風害(室戸台風/1934年9月)でも、古い神社仏閣などは存外あまりいたまないのに、時の試練を経ない新様式の学校や工場が無残に倒壊してしまったという」

⇒2018年7月の豪雨に伴う広島、岡山の水害は、山すそに流れ出る小さな河川の扇状地に鉄砲水が流れ込んだことが原因と考えられます。いずれも新興住宅地になっており、こうした扇状地を農地として活用する分には問題はないものの、私有地であっても宅地として簡単に転用することが適切であるかは疑問があります

*「思うに日本のような特殊な天然の敵を四面に控えた国では、陸軍海軍の他にもう一つの科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのは当然ではないかと思われる

⇒ここでいう「常備軍」とは戦争を行う軍隊を指しているのではないと思われます。現在、災害が発生した時には地方自治体単位の消防、警察がまず対応し、必要に応じて都道府県首長の要請に基づき自衛隊派遣が行われる仕組みになっていますが、大きな自然災害が発生した時には寸刻を争う対応が必要となるので、人命救助に係る場合には自衛隊の自発的出動の仕組みが必要と思います。各種の装備と、訓練された多数の隊員を抱える自衛隊の方が、規模と即応力に関して圧倒的に優位にあると思われます

<災難雑考>
*「
災難の普遍性恒久性が事実であり天然の方則であるとすれど、われわれは災難の進化論的意義といったような問題に行き当らない訳にはいかなくなる」
*「日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられてきたこの災難教育であったかもしれない」

*「進化論的災難観とは少しばかり見地を変えた優生学的災難論といったようなものもできるかもしれない災難を予知したり、あるいはいつ災難が来てもいいように防備のできているような種類の人間だけが災難を生き残りそういうノアの子孫だけが繁殖旧約聖書の“ノアの方船”伝説すれば知恵の動物としての人間の品質はいやでもだんだん高まっていく一方であろうこういう意味で災難は優良種を選択する試験のメンタルテストであるかもしれない

⇒シニカルな表現ではありますが、的を得た指摘であると思います。大災害のあと生き残った人には、偶然ではない冷静で理知的な判断が働いていることが多いと思います。そこには恐らく流言飛語に惑わされない、今でいえばフェイクのSNSに惑わされない知識をとっさの行動に生かす知恵があったのだと思います
後述の、筆者(寺田寅彦)の関東大震災体験記を読んで頂ければよくわかると思います

<小爆発二件>
*この随筆は筆者(寺田寅彦)自身が浅間山近くで偶然経験した小噴火の経験を書いたものです
*新聞などの報道機関の書きぶりについて以下の様に皮肉を述べています
翌日の東京新聞で見ると、4月20日以来最大の爆発で噴煙が6里の高さにのぼったとあるが、これは自分が経験したものとかけ離れており信じられない素人のゴシップをそのまま伝えたいつもの新聞のうそであろう

⇒別の用件で旅行中に偶然噴火に遭遇したにも関わらず、20倍の双眼顕微鏡を持参していたこと、これですぐさま降灰を観察していることには驚かされます。また、新聞報道が大きな災害を報道するに当たって、伝聞や噂の類を垂れ流す状況は現在でも当てはまるように思われます。普段から災害を想定して、助かるために必要な知識を自分のものにしておくことの必要性を感じます

<震災日記より>
震災概要
①発生日時:1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒ごろ
②震源:11時58分32に発生したM7.9の本震(震源:神奈川県西部)から3分後の12時01分にM7.2(震源:東京湾北部)、5分後の12時03分にM7.3(震源:山梨県東部)という巨大な揺れが三度発生した“三つ子地震”であることが最新の研究で判明しています
③死者・行方不明者:105,385人。これまで言われていた142,807人という数字は統計上の重複があったと言われています
④火災以外の被害概況:太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部の津波高さ10メートル以上)山崩れや崖崩れ、それに伴う土石流による家屋の流失・埋没
⑤政府の対応:9月2日、東京府下5郡に「戒厳令」を施行し、3日には東京府と神奈川県全域にまで広げました。また、朝鮮人(本書では“〇〇人”と書いてある)虐殺に発展した流言飛語の存在をきっかけとして、9月7日には緊急勅令「治安維持の為にする罰則に関する件」(勅令403号)が出されました

3月10日未明空襲後の浅草松屋屋上から見た仲見世とその周辺の写真

*以下の筆者(寺田寅彦)の実体験を地図上で辿るには次の被害状況を参考にしてください(全17ページ):国会図書館所蔵の東京市被害地図
*震災当日、筆者は二科展見物の為に上野公園内の竹の台陳列館木造平屋建
1,248)に出かけ、見終わった後喫茶店で地震に見舞われました

最初の感覚:椅子に腰かけている両足の裏を下から木槌で急速に乱打するように感じた(短周期の振動
*「そのうち急激に大きな振動が襲い、自分の全く経験のない大地震であることが分かった。これは子供の頃から何度となく母から聞かされていた土佐の安政地震一般に安政の大地震とは、江戸時代後期の安政年間に、日本各地で連発した大地震の事を指しますが、ここでは1854年に発生した南海トラフ巨大地震である南海地震及びその32時間前に発生した安政東海地震のことを指していると思われますの話がありありと思い出され、丁度船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切であることを感じた
*「竹の台陳列館に展示されていた美術品の損壊は大したことはなく、この建物自体の揺れは激烈なものではなかった。後で考えてみると、建物の自己周期が著しく長い(⇔固有振動数が低い⇔地震動に共振しない)ことが有利であったと思われる

⇒この体験は、私が神谷町8階のオフイスで東北地方太平洋沖地震(通称3.11大地震)で経験した揺れと同じだと思います。現代のビルは柔構造で大きな地震に耐えるように設計されているので、長周期の大きな揺れがかなり長い時間続きました。

*「自宅(文京区本駒込曙町あたり)への帰途東照宮(上野公園内)前の方へ歩いて来ると異様なかび臭い匂いが鼻を突いた。空を仰ぐと下谷方面(鶯谷駅の東側)からひどい土ほこりが飛んで来るのが見えるこれは非常に多数の家屋が倒壊したのだと思った同時に、これでは東京中が火になるかもしれないと直感された。東照宮近くの上野大仏の首が落ちたことは後で知った」
*「根津を抜けて帰宅する積りだったが、頻繁に襲ってくる余震で崩れかかった煉瓦壁が新たに倒れたりするのを見て低湿地の街路は危険だと思ったから谷中三崎町台東区谷中から団子坂に向かった」

自身の臭覚と視覚の情報を動員して即座に大火発生を予測したこと、また余震で壁が崩れるのを見て、低湿地は地盤が弱い為と判断して遠回りでも迂回した判断は流石! 最近は、海岸沿いの埋め立て地(参考:浦安地区液状化被害)だけでなく、内陸でも低湿地や谷が埋め立てられて造成された住宅地は液状化現象で被害が拡大しますので、自宅が埋め立て地か否かの知識は大変重要です

*「団子坂を登って千駄木当たりに来ると被害は少なく、自宅付近は見かけ上被害は殆ど無かった」、「室内に入ると、相応の被害はあった
*「自宅の縁側から見ると南の空(下町方面か)に珍しい積雲が盛り上がっている。それは普通の積雲とは全く違って、先年桜島大噴火の際の噴煙を写真で見るのと同じように典型的のいわゆるコーリフラワー(カリフラワーのこと)状のものであった。よほど盛んな火災のために生じたものと直感された

*「翌日(9月2日)大学(東京大学)に行って破損の状況を見廻ってから、本郷通りを湯島五丁目まで行くと、奇麗に焼き払われた湯島台の起伏した地形が一目に見え上野の森が思いもかけない近くに見えた
*「帰宅すると、焼け出された浅草の親戚のものが13人避難して来ていた。いずれも何一つ持ち出すひまもなく、昨夜上野公園で露営していたら巡査が来て“〇〇人(⇔朝鮮人のこと)の放火者が徘徊するから注意しろ”と云ったそうだ井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえてくるこんな場末の町へまでも荒らして歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾がいるであろうかそういう目の子勘定だけからでも自分にはその話は信ぜられなかった

⇒流言飛語や新聞記事を見て、多くの無辜の朝鮮人が殺害されたこの歴史上の事実を、恐らく差別につながるということで伏字にしたと思われますが、過去日本が行っていた人種差別(沖縄出身者やアイヌ人)や部落(現在は同和と表記している)の問題をこうした伏字で隠すという出版上のルールには、私は賛成できません。日本の負の歴史も正しく、明確に子孫に伝えていく必要があると思います
また、また流言飛語がありえないことを、科学者として冷静に判断していることは、特に影響力の大きいメディアは見習ってほしいと思います

朝鮮人虐殺_読売新聞記事

*「夕方に駒込の通りに出てみると、避難者の群れが陸続と滝野川の方に流れて行く。表通りの店屋などでも荷物を纏めて立退用意をしている。上野方面の火事がこの辺まで焼けて来ようとは思われなかったが万一の場合の非難の心構えだけはした

*「翌々日(9月3日)、長男を板橋にやり、三代吉(親戚か?)を頼んで白米、野菜、塩などを送らせるようにする
*「大学(東京大学)に出かけると追分の通り(17号線、あるいは都道455号線/本郷・赤羽線か)の片側を田舎へ避難する人が引切りなしに通った。反対の側も流れを為している。呑気そうな人も、悲惨な感じのする人もある
*「帰りに追分辺でミルクの缶やせんべい、ビスケットなど買った。焼けた区域に接近した方面のあらゆる食料品屋の店先はからっぽになっていた。そうした食料品の欠乏が漸次に波及して行く様が歴然とわかった
*「帰宅してから用心に鰹節、梅干、缶詰、片栗粉などを近所に買いにやる。何だか悪いことをするような気がするが、20余人の口を託されているのだからやむを得ないと思った。午後4時には三代吉の父親の辰五郎が白米、薩摩芋、大根、茄子、醤油、砂糖など車に積んで持ってきたので少しは安心することが出来た。しかしまたこの場合に、台所から一車もの食料品を持ち込むのはかなり気の引けることであった

<函館の大火について>
火災の概要
①発生日時:1934年(昭和9年)3月21日
②火元:函館市谷地頭町
③被害概要:死者2,166名、焼損棟数11,105棟
最終的には市街地の三分の一が焼失する規模となった。死者の中には、橋が焼失した亀田川を渡ろうとして、あるいは市域東側の大森浜へ避難したところ、炎と激浪の挟み撃ちになって逃げ場を失い溺死した者907名、また溺死しないまでも凍死した者が217名にも上りました
④当日の気象状況:当時日本海からオホーツク海に抜けた低気圧があり発達しながら北上した。午後6時には台風の中心が札幌の真西辺りに来て、函館辺りは南南西の風速十数メートルであった。ここで谷地頭町から最初の火の手が上がった。その後、低気圧が北上するとともに風向は西からとなり函館市内は最大瞬間風速39メートルに及ぶ強風となり函館全市に燃え広がった

*「江戸時代の火災の消失区域を調べてみると、相応な風があった場合には火元を“かなめ”として末広がりに、半開きの扇形に延焼している。これは理論上からも予期されることであり、実験でも実証されている

函館大火

*「江戸大火の例でみると、この消失区域の扇形の頭角はざっと60度から30度の程度。明暦大火の場合は恐らく風速10メートル以上であったと思われる根拠があるが、この頭角がだいたいにおいて、今度の函館の火元から消失区域の外郭に接して引いた二つの直線のなす角に等しい
*「もしも最初の南南西の風が発火後も持続し風速を増大していたなら、恐らく火流は停車場付近を右翼の限界として海へ抜けてしまったであろうと思われるのが、不幸にも次第に西へ回った風の転向のために火流の進路が五稜郭の方向に向けられ、そのためにいっそう災害を大きくしたのではないかと想像される

*「火流前線がどれだけ以上になった場合に、どれだけの風速ではどの方向にどこまで焼けるかという予測が明確にでき、また気象観測の結果から風向旋転の順位が相当たしかに予測され、そうして出火当初に消防方針を定めまた市民に避難の経路を指導することができたとしたらおそらく、あれほどの大火に至らず、また少なくともあんなに多くの死人を出さずに済んだであろうと想像される

*「文明を誇る日本帝国は国民の安寧を脅かす各種の災害に対して、それぞれ専門の研究所を設けている。健康保全に関するものでは“伝染病研究所”や“癌研究所”のようなもの、それから“衛生試験所”とか“栄養研究所”のようなものもある。地震に関しては“大学地震研究所”をはじめ“中央気象台の一部”にもその研究をつかさどるところがある。暴風や雷雨に関しては“中央気象台”に研究予報の機関が完備している。これらの設備の中にはいずれも最高の科学の精鋭を集めた基礎的研究機関を具備しているのである。しかるにまだ日本のどこにもひとつの“理化学的火災研究所”のある話を聞いた覚えがないのである
*「もちろん警視庁には消防部があって、そこでは消防設備方法に関する直接の講究練習に努力しておられることは事実であるが、ここでいわゆる火災研究という、そういうものではなくて、火災という一つの理化学的現象を純粋な基礎科学的な立場から根本的徹底的に研究する科学的研究をさしていうのである。例えば、“発火の原因となるべき科学的物理学的現象の研究”、“火災延焼に関する方則”、“色々な支配因子が与えられた場合に、火災が自由に延焼するとすればいかなる速度でいかなる面積に広がるかという問題”、更に基礎的研究には単に自然科学方面のみならず、“心理学的方面”、“社会学的方面”にも広大な分野が存在する
*「例えば、市民一人当たりの“失火の比率”とかまた“失火を発見して即座に消し止める比率”とか、そういう人間的因子が、たとえば京橋区日本橋のごとき区域と浅草本所のごとき区域とで顕著な区別のあることが発見されている。この種の研究を充分に進めた上で、消防署の配置や消火栓の分布を決めるのでなくては合理的とは言えないであろうと思われる

⇒畑村洋太郎氏(東京大学名誉教授)は巻末の解説で、消防に関しては、筆者(寺田寅彦)の時代より消防組織及び消防技術について格段の進歩があり、ハイパーレスキュー隊や消防救助機動部隊の例を挙げて筆者の指摘は当たらない、と言っていますが、分野を超えた知見の交換による死亡リスクの軽減、焼失拡大の阻止、などの面で“理化学的火災研究所”の設置はいいアイデアだと私は思います

<流言蜚語>
*「流言蜚語が伝播する条件として“流言の源”と“その流言を次へ次へと受け継ぎ取り次ぐべき媒質の存在”が必要である」
*「ある特別な機会には“流言の源”となりうるものは、故意にも偶然にも至る処に発生すると言うことは、ほとんど必然な、不可抗力的な自然現象であるとも考えられる
*「従って、ある機会に、東京市中にある流言蜚語の現象が行われたとすれば、その責任の少なくとも半分は市民自身が負わなければならない。事によるとその9割以上も負わなければならないかもしれない
*「科学的な常識というものは、何も。天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得たりするだけではない。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準にならなければなるまいと思う
*「適当な科学的常識は、ことに臨んで吾々に“科学的な省察の機会と余裕”を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない」

⇒流言飛語の被害は、つまるところ国民の科学的な知識レベルに依存すると言っていますが、私も全面的に筆者の意見に賛成です。SNSのフェイクニュースが飛び交う現代、まず沈思黙考し、ちょっとでもおかしいと思ったら絶対に拡散させないことが必要と思います

<神話と地球物理学>
*「神話の中には、地球物理学的に、その土地の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していると考えられる
*「島が生まれるという記事は、海底火山の噴出、地震による海底の隆起によって海中に島が現れる、あるいは暗礁が露出する」、「河口における三角州の出現などが連想される
*「スサノオノミコトの記事に“その泣きたもうさまは、青山を枯山なす泣きはらし、河海はことごとく泣き乾しき”とあるのは、噴火の為に草木が枯死し河海が降灰のために埋められることを連想させる。噴火を地神の慟哭と見るのは適切な比喩であると言わなければなるまい

*「“すなわち天にまい上がります時に、山川ことごとく動み、国土皆振りき”とあるのは、普通の地震よりもむしろ特に火山性地震を思わせる
*「“すなわち高天原皆暗く、葦原中国ことごとくくらし”というのも“噴煙降灰によって天地晦冥の状”を思わせる
*「“ここに万の声は、狭蠅なす(五月蠅か)皆湧き”は“火山鳴動のものすごい心持ち”の形容にふさわしい
*「ヤマタノオロチの話も“火山からふき出す溶岩流の光景”を連想させる

*「以上の例からも、わが国の神話が地球物理学的に見ても、かなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであることから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなり多くの史実あるいは史実の影像が包含されているのではないかという気がする。きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含まれている場合もあるであろう

⇒ハインリヒ・シュリーマン(1822年~1890年)はホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩『イーリアス』を基に発掘作業を行い、伝説の都市トロイアの遺跡を発見しました
*イーリアスとは:最古のギリシア神話を題材とし、トロイア戦争十年目のある日に生じたアキレウスの怒りから、イーリオスの英雄ヘクトールの葬儀までを描写しています

<津波と人間>
*筆者(寺田寅彦)の存命中に東北地方に2回大津波(1896年、1933年:両津波の間隔は37年)が襲い、大きな被害を与えました

*「こんなに度々繰り返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える
*「学者の立場からは“この地方に数十年ごとに津波が起こるのは既定の事実である。こんな道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万である”となるが、罹災者の側に云わせれば、“それほど分かっている事なら、何故津波の前に間に合うように警告を与えてくれないか”ということになる

*「37年という間隔は、世代が変わり大津波の経験は継承されない
*「昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかったようである。例えば津波を戒める碑を建てておいても相当な効き目があったのであるが、これから先の日本ではそれがどうであるか甚だ心細いような気がする
*「自然は過去の習慣に忠実である。紀元前20世紀にあったことが起源20世紀にも全く同じ様に行われるのである。科学の方則とは畢竟“自然の記憶の覚え書き”である。自然程伝統に忠実な物はないのである
*「日本のような、世界的に有名な地震国の小学校では少なくとも毎年一回ずつ一時間や二時間くらい地震津波に関する特別講習があっても決して不思議ではないであろうと思われる

*「三陸災害地を視察して帰った人の話を聞いた。ある地方では1896年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、新道が別に出来たために記念碑のある旧道は淋れてしまっているそうである。それからもう一つ意外な話は、地震があってから津波の到着するまでに通例数十分かかるという平凡な科学的事実を知っている人が彼地方に非常に稀だということである。前の津波に遭った人でも大抵そんなことは知らないそうである

⇒この文章を見て、ふと感じたことがあります;
二年前に友人と東北地方を旅したことがあります。この時吃驚したのは、3.11大津波の直後の視察の際に見た「何もない海岸」に、吃驚するほど巨大な防潮堤が建設されつつあったことでした。当時はこの防波堤で美しい三陸の海の景観が失われるなあ、、、という程度の感覚でした

しかし、こうした防潮提は、必然的にその内側で防波堤より低い場所に住んで居る人が、津波の前兆である大きな引き波を自分の目で見ることが出来ず、高台への避難が遅れるのではないのだろうか、、、

拙宅付近の災害リスクの調査

自宅付近の災害リスクの概略を知るには、まず住んでいる地区の役所のサイトを覗いて見ることを薦めます
我が街・新座市には、地震ハザードマップ洪水・土砂災害ハザードマップがあり大変重要な情報を提供してくれます

1.地震ハザードマップから分かること;
このハザードマップから、新座市が持っている地目(畑地、宅地などの土地の使用区分)の情報、建築物の登記情報(構造、用途、築年数、等)、建物の密集度、などから地震の耐性を地域別に大まかに推測した結果が得られます(5メートル四方単位の危険度を色別に表示)
尚、この耐性を評価するにあたっては、新建築基準法が制定される前に建築された建築物を倒壊リスクが高いと評価しています
新建築基準法とは:1978年 M7.2の宮城沖地震では、最大震度5の地震だったのですが、多くの死者を出してしまいました。これを受けて1981年の建築基準法の改正で、震度6から7の地震でも倒壊・崩壊しない耐震性を持つように規定されています。現在の耐震基準もこの時の改正を元にしており、この時以前の耐震基準を旧耐震基準、この時以降の耐震基準を新耐震基準と呼んでいます

このハザードマップ上で第5ブロックに入る我が家の近辺は、巨大地震があると倒壊する家が、ある程度あると考えられます。ただ、我が家については1990年に新建築基準法に基づき立て替えていますので倒壊する危険はないのですが、周りの倒壊する家から火事が発生し、延焼する危険がある程度あります(我が家は、軽量コンクリートの外壁なので延焼のリスクは比較的小さい)
避難場所は幾つか考えられますが、自宅から1キロ程度にある十文字学園が一番安全であると考えられます

2.洪水・土砂災害ハザードマップから分かること;

新座市洪水・土砂災害ハザードマップ(画面をクリックすると拡大して見ることができます)

ハザードマップをご覧になるとわかると思いますが、新座市には柳瀬川と黒目川という二つの一級河川が流れています
一級河川とは:河川法で指定された河川の区分で、分水界や大河川の本流と支流で行政管轄を分けることなく、治水と利水を統合し、水系ごとに一貫管理されています

この両河川は、いすれも新河岸側を経由して荒川に合流していますが、過去に何度も氾濫を起こした油断のならない川です。因みに、拙宅から1キロ程にある柳瀬川は2017年には氾濫を起こさなかったものの、新聞やテレビに取り上げられるほどの被害が出ました(死者1名、ヘリによる救出)

柳瀬川・水難事故写真

昨年の台風19号でも水位はかなり上がったのですが、氾濫するには至りませんでした(被害の調査結果については事項をご覧になってください)

洪水・土砂災害ハザードマップでは新座市のみの洪水の恐れのあるエリア黄色)と土砂災害の恐れのあるエリア(赤色)、避難の道筋避難場所につても情報が分かり易く書かれています。拙宅のある地域は高度差が10メートル以上(測定方法は事項をご覧ください)ありますので、ほぼ浸水の恐れがないことが分かります

このハザードマップでは、当たり前のことですが、一部を除き新座市の部分のみしか書かれていません。しかし柳瀬川の周辺部については、隣接する清瀬市と所沢市の部分も行政区分の境界を越えて表現してほしいと思いました。特に避難が必要になった時には、行政区分を超えて一番近く、安全な避難経路と避難場所を選ぶことが必要になるのではないでしょうか、、、

柳瀬川のリスク評価

まず、清瀬市、所沢市、新座市にまたがる柳瀬川の地形の全体像を捉えるために、Google_Mapの航空写真地図をご覧になってください;

柳瀬川周辺航空写真
柳瀬川周辺_Google Map

この航空写真で、新座市は右隅の部分、左下が清瀬市、左上が所沢市の行政区分になります。この写真の左下から右上にかけて伸びる影は、恐らく断層があった跡だと考えられます。従って、前項で述べた土砂災害の恐れのある場所はこの断層と深く関係しています。また、断層から斜め右下側に当る広い部分が低地となっており洪水の恐れのある地域と深く関係していると考えられます

因みに、この写真上の特定の部分の標高を国土地理院の標高調査(試験版)で調べてみたところ;
滝の城址(地図の右上):54.2メートル
断層下の低地の部分:24.7メートル
柳瀬川の水面の辺り:22.0メートル
また、自然堤防と低地に当たる部分に高度差があまりないことを勘案すると、
自然堤防の平時の水面からの高さ:24.7-22.0 ⇒ 3メートル程度

なお、国土地理院のサイトにも書いてありますが、この標高は正確に実測されたものではなく、既存の地図(等高線が入っているもの)をベースにしていますので、地域によって使用できる地図に違いがあり精度が異なりますので注意が必要です
精度の程度を比較する目的で、同じサイトで以下の場所の標高を調べてみたところ;
新河岸川との合流地点:1.5メートル
彩湖周辺(荒川との合流地点付近):0.5メートル
となっており、いくら何でも荒川が東京湾に注ぐ場所と0.5メートルしか標高差がない事は考えにくいので、標高の絶対値については数メートルの誤差があることは考慮する必要はありそうです

従って、確たることは言えませんが、新河岸川と荒川の合流地点での標高差が非常に小さいこと(もともと新河岸川は、荒川を経由して江戸と川越との間の重要な水運に使われていました)を勘案すると、荒川の上流域での雨量が極めて多くなった場合、今年の台風19号で大きな河川の下流域で起きたように、新河岸川の水が荒川に流入できなくなり、その周辺での洪水を起こす危険が考えられるのではないでしょうか
一方、標高差を考えると、柳瀬川が荒川の増水の影響を受けることは無さそうです

<柳瀬川の洪水の可能性について>
柳瀬川は一級河川なので、各種のデータが利用できます。国土交通省が公開している柳瀬川のデータから必要な部分を抽出すると;
流域面積:106.3㎢(平方キロ)
流路延長:19.6km

柳瀬川流域地図

地図を見ると、柳瀬川の上流には「狭山湖」、「多摩湖」があります。このダム湖は多摩川から引き込まれた水を貯めており、基本的に用途は東京都向けの水道水になっていますので、昨今話題となっている「豪雨の予想がある時に予め貯水池の水を放流し柳瀬川の洪水を防ぐ仕組み」は使えそうもありません

<参考>
最近、豪雨に備えてダムの貯水量をコントロールするルールが決まりました(ダムの洪水対処能力倍増へ AI活用、事前放流を拡大

柳瀬川の水量は、流域に降る雨量で決まることは明白です。勿論、地面に沁み込んで地下水となる水を除かねばなりませんが、短時間の集中豪雨や長雨によって地中水分が飽和状態にある時は、降った雨の大半が川に流れ込むと考えてもよさそうです
そこで、記憶に新しい国土交通省が公開している柳瀬川のデータを活用して、柳瀬川の流域一帯に、1時間当たり400ミリメートルの降雨があった場合、柳瀬川に流れ込む水量の試算をしてみました;
平成30年7月豪雨とは:7月5日から8日にかけて梅雨前線が西日本付近に停滞し、そこに大量の湿った空気が流れ込んだため、西日本から東海にかけて大雨が連日続きました。梅雨前線は9日に北上して活動を弱めるまで日本上空に停滞。西日本から東日本にかけて広い範囲で記録的な大雨となりました

試算
1時間当たり柳瀬川の流域一帯に降る雨の量:106.3㎢  x  400mm
(メートル単位に変える)⇒ 106.3 x 1,000 x 1,000 x 0.4 = 42,520,000㎥
つまり、1時間当たり4千2百52万㎥の水が流れ込むことになります

この数字を昨年の19号台風時に、工事の最終段階で貯水量が空になっていて、利根川の洪水を防ぐのに役立ったと言われている八ッ場ダムの貯水量と比較してみると;
八ッ場ダムの設計上の有効貯水量:9千万㎥
つまり、2時間11分で満杯になる計算になります。
実際の流量は、こんな簡単な計算では再現できないと思いますが、1時間当たり400ミリメートルの降雨というのは、如何に猛烈な雨であるかが理解できると思います

拙宅の近くの柳瀬川には「金山調節池」(前掲の航空写真版_Google Map の中央下側)があり、柳瀬川の洪水を防ぐ役割を担うことになっています;

「金山調節池」の案内板

この看板によれば、貯水量46,000㎥です。この貯水量では、既に満水になった柳瀬川に1時間400ミリの降雨があった場合、たった約4秒で満杯になる計算で、集中豪雨時には殆ど役に立たないことが分かります

また、自然堤防スレスレまで水面があがり、秒速10メートルの流速で流れると仮定した場合、1時間当たりどれくらいの水を流せるかざっくり計算してみると、
上述の国土交通省の地図データから計算して
自然堤防の高さ:3メートル
拙宅に近い柳瀬川の橋を渡って、歩幅で測定した川幅は;
自然堤防上部の川幅:45メートル
川底付近の川幅:37メートル

自然堤防が作る柳瀬川の断面の面積は:3 x (45 + 37) ÷ 2 = 123 ㎡
流速:10メートル/秒と想定すれば、
1時間当たりの流量:123 x 10 x 60 x 60 = 4,428,000㎥
つまり、1時間当たり4百42万8千㎥

先の計算で、400ミリの雨量で 1時間当たり4千2百52万㎥の水が流れ込むことになっていたので、何ミリの雨量まで洪水を起こさずに流せるかを逆算すると;
400ミリ x (4百42万8千㎥ ÷ 4千2百52万㎥)⇒ 41ミリ
1時間当たり41ミリの雨は、大したことはないように見えますが、気象庁の雨量の表現の仕方としては、「バケツをひっくり返したような激しい雨」という表現になりますので、柳瀬川の治水としては相応の努力を行ってきたと言えるかもしれません

Follow_Up:このブログを見た友人からの情報を契機に、神奈川県・鶴見川の河川管理状況を調べてみたところ、流石に柳瀬川の管理状況よりも数段進んでいることが分かりました。ラグビー・ワールドカップ時の日本対スコットランド戦が豪雨の後にも拘らず開催できた理由が分かりました。興味にある方は次の(鶴見川の紹介)をご覧になってみてください

いずれにしても、これまでのざっくりした計算から、「平成30年7月豪雨」並みの集中豪雨が柳瀬川流域を襲えば、前掲の航空写真の左岸一帯(柳瀬川から断層の崖に至る低地)洪水で水浸しとなる可能性が高いと思われます。特に、航空写真で、断層の崖近くにある多くの住宅地はリスクが高いと考えられます

Follow_Up(2020年8月5日):自然の貯水力を水害抑止へ活用

台風19号襲来時の柳瀬川の被害状況及、び改修の状況

昨年、台風19号が通過してから数日後に柳瀬川周辺の被害状況を見てきました;

左岸の堤防の被害状況
左岸の堤防の被害状況
橋周辺の被害状況

二つの写真を見て分かることは、コンクリートや鉄でできた簡単な堤防では、たった一日の強い水流でも、脆い砂礫で出来ている自然堤防は簡単に浸食されることが分かります。自然堤防を守るには、岸に沿う部分の水流を遅くすることが堤防の決壊を防ぐ有効な手段であることが考えられます。因みに、下の写真の手前の堤防には、一昨年の秋に同じように堤防が崩された時の修理跡が確認できます。強い水流に晒されるところには、大きめの石を金網で包んだもので防御してあります。原始的ではありますが、今回の雨では何の被害もありませんでした

実は、コンクリートや鉄の堤防が無かった江戸時代にも、同じような発想で堤防付近の水流を弱める「牛枠」という装置を使っていました。下の写真は玉川上水の羽村取水口付近に展示してあったものです;

多摩川・水害対策_「牛枠」

今年2月、柳瀬川の改修工事が始まっていました;

河川工事の公示
自然堤防・補修個所の状況

下の写真をみると、柳瀬川の補修方法がこれまでと変わっていることが分かります。新しい補修資材を使ってはいますが、岸周辺の流速を落とし水流の破壊力を減少させる目的としては、江戸時代の「牛枠」と変わらない考え方の改修方法と思われます
寺田寅彦が「人智に奢ることなく、自然に学んできた過去の経験を生かせ!」と言っているような気がしました!

おわりに

最近の天気予報では「線状降水帯」という新しい気象用語が度々登場します。台風並みに、時には台風以上の集中豪雨をもたらす意味では災害リスクの主役級に躍り出てきた感があります。日本という国土は、地図を見てみればわかる通り中小の河川が網の目のように走っており、河川氾濫による災害リスクは至る所にあるといっても過言ではないと思います
集中豪雨による河川の氾濫を完璧に防ぐには、膨大な費用と時間がかかり、今すぐ解決することは不可能ではないでしょうか。であるからこそ、自身の情報武装と、的確な氾濫の予報を行うことが喫緊の課題であると思っています

最近、NHKのニュースで太陽誘電(株)の画期的な水位計の紹介がありました。極めて小型で安価(3万円/1台)な装置です。この装置を全国の中小河川に設置(例えば、簡易無線水位計測サービスを使って1km毎に設置)し、河川の流量を常時監視できるようにすれば、この流量の実績値と河川流域の雨量の実績値を時間のスケールで比較し、雨量の時間的な変化で流量がどう時間的な変化をするかの関係(河川ごとに異なる)がある程度つかめると思われます。これに気象レーダーによる河川流域の雨量予測を当て嵌めれば、今より相当正確な河川氾濫予測を行えるのではないか、、、異常気象が続く昨今、河川氾濫を完全に防ぐことはできないにしても、河川氾濫による死亡者ゼロは近いうちに実現したいものです

Follow_Up:(2020年2月28日):朗報!今後、関東一円の雨量予測の精度が高まります/関東一円の雨量、予測精度を高く 新気象レーダー、来月運用開始
Follow_Up:(2020年7月15日):自治体の9割が浸水危険地域でも住宅立地_転出に遅れ

Follow_Up:(2021年3月30日);全国109全ての一級水系などについて流域治水プロジェクトを策定し、全国一斉に公表しました

Follow_Up:(2021年8月15日);
今年7月4日、熊本県を中心に81人の死者・行方不明者を出した九州豪雨から1年となり、球磨川の氾濫で甚大な被害を受けた人吉市などでは追悼行事が行われました。球磨川流域では、人吉市の中心市街地など約1,060haが浸水し、佐敷川などの中小河川の氾濫や土砂災害による被害も含めると約7,400戸の家屋が被災しました。特に球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」で、移動の自由が奪われた入所者14人が水死したことからご記憶の方も多いと思います、
その後、今年1月31日に球磨川流域治水協議会から公表された長期計画の全体像が公表されていますのでご紹介します(球磨川水系・緊急対策プロジェクト)。この資料の中に出てくる特殊用語については下の概念図をご参考にして下さい;

河川の水害防止対策の概念図

 

以上

災害のリスクについて考えてみました

はじめに

毎年3月11日近くになると、新聞やテレビ、等のマスメディアは2011年に発生した「東日本大震災」の特集が組まれます。この未曽有の大災害は、地震による「建物の倒壊」の人的被害もさることながら、多くの死者、行方不明者を出した「大津波と、放射性物資が飛散したことに伴う広範囲且つ長期にわたる住民避難をもたらした福島第一原子力発電所の「原子力事故による被災者の生活に焦点を当てて報道されるものが多い様です

1995年に起こった阪神淡路大震災では6千人以上の死者を出しましたが、これは「建物倒壊」による死傷者の他に、倒壊した建物の中に閉じ込められた状態のまま地震によって発生した「大火災」によって亡くなった方も多かったと聞いています
また、雲仙普賢岳の噴火(1991年)、御嶽山の噴火(2014年)など、「火山の噴火」に伴う大災害も、歴史を辿れば枚挙にいとまがありません

これらの大災害の第一原因となる地震や噴火は、いずれも地球規模の地殻の変動によってもたらされることはわかっており、日本に住む以上、避けることができないことは明らかです。20世紀中頃に提唱されたプレートテクトニクス/Plate Tectonicsという理論によって発生のメカニズムは説明できる様になったものの、緻密な地質調査や、最新のセンサー、GPSを駆使した観測によっても地震や噴火の予測は人的災害を大幅に防ぐレベルには達していません

そこで、自然災害に関しては全くの素人である私ですが、学生時代から40年以上にわたって航空機に関わってきたこと、またサラリーマン人生最後の10年ほどは原子力ビジネスに関わってきたことことで得た知識を何とか生かせないかと、無い!知恵を絞ってみることにしました
因みに、航空機の場合、1903年にライト兄弟が最初に動力飛行を成功させてから凡そ100年しか経っていませんが、現在安全な交通機関として大量輸送の役割を担っていることはご存知の通りです。もともと空気より重い航空機やそれに乗っている人間は、空中を飛んでいる訳ですから、事故が起きた場合は、地上や水上の乗り物よりは遥かに死亡のリスクが高いことは明らかです。約100年の歴史の中で多くの航空機事故を経験し、これを乗り越えて現在があります。詳しくは(1_航空機の発達と規制の歴史)をご覧ください。勿論、現在でも事故に遭って死亡するリスクはゼロではありません。しかし、航空機を利用するお客様はこのリスクを許容しているからこそご利用になっている訳です。地震や噴火という自然現象は制御はできませんが、これらに伴う人的被害を極小化する手段については、航空安全に関わる知見を応用できる可能性はあると思います

リスクとは

リスク(Risk)という言葉は最近よくメディアに登場します。曰く『大地震のリスク』、『放射線被ばくのリスク』、『肥満によって重篤な病気に罹るリスク』、『噴火のリスク』、『戦争のリスク』、‥など
広辞苑によればリスクとは、あっさりと「危険」としか書いてありません。しかし何となくしっくりいかないので、ネットで調べてみると「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」と書いてありました。最近多摩川で入水自殺して話題となった西部邁の最後の著書:「保守の真髄—老酔狂で語る文明の紊乱」を読んでいたら、リスクとは「確率的に予測できる不確実性』と書いてありました。私にはこの定義が災害の死亡リスクの問題を論ずるときにはもっとも当てはまると思われます

つまり、リスクを語る時は、リスクの大きさもさることながら、そリスクが起こる確率を把握しなければ意味がありません。例えば、およそ6千5百万年前の白亜紀末の小惑星の衝突によって恐竜が死滅した(最近は、恐竜は死滅せず鳥類に進化して生き延びたという説が有力になっています)ことはよく知られていますが、太陽系の小惑星自体は無数に存在しているものの、地球に衝突するリスク(参考:小惑星衝突防止の研究)を心配している人は殆どいません。つまり、発生確率が極めて低いからです
これに対して地震や噴火は、少なくとも数十年から数百年の間には、ある特定の場所で発生する確率は公表されています。しかも、東南海地震など大津波の伴う巨大地震や、地域が限定されるものの発生確率の高い直下型地震はいつ起こってもおかしく無い状況にあると言われています。こうしたリスクに対しては、何時、何処でという正確な予測が不可能である以上、不意に襲われたときに人が生き残れる確率をどう高めるかという研究が最も重要であると思われます

現在、大津波対策として、高台への移転防潮堤の建設(復興)、逃げ道や逃げ場所の確保緊急通報体制の整備、などがマスメディアに登場していますが、これらはいずれも今回被害にあった東北各県では大なり小なりすでに行われていた対策ではなかったかでしょうか? それでもなお、どうしてあれだけ尊い命が失われてしまったのでしょうか? 科学技術先進国である日本としては、少し努力、工夫が足りないような気がしてなりません

Follow_Up:210214_震災10年「防潮堤に頼らない」を選んだ二つの街 被災前の砂浜を取り戻した地域も_AERA

航空機の深刻な事故を減らすために、設計精度の向上、機器の信頼性の向上、地上及び航空機搭載の安全装備の向上、操縦技術のレベル管理の厳格化、ヒューマンエラーを防止するための装備や訓練の充実、などが絶えず行われて事故の確率は相当程度減ってきました。1990年代以降、これらに加えて事故が起きても乗客・乗員が生存する確率を増やすために、客室内装備の耐火性の向上と、椅子の強度向上(現在の基準は重力の11倍の衝撃加重に耐えることが求められたいます)が行われました。これらの基準は、事故によって亡くなられた方の死亡原因を調べた結果、機体火災による焼死と事故の衝撃で椅子ごと飛ばされてしまった事による激突死であることがわかり、基準が強化されました。この基準のお陰で最近の航空機の全損事故では、全員死亡のケースは減ってきています

そんな訳で、以下に思いつくままに私の稚拙な!アイデアを披露してみたいと思います

大津波から生還するには

2011年3月11日の大災害が発生してから5ヶ月ほど経ち災害救援が一段落し、公的・私的な復興支援もある程度整ってきた8月初旬、3泊4日の日程で個人的に被害・復興状況の調査に行ってきました。東北高速道「花巻」経由で太平洋沿岸を走る国道45号線に出て以下のルートを辿りました(残念ながら旅程の関係で久慈市、宮古市、大槌町は割愛);
釜石市」⇒「大船渡市」⇒「陸前高田市」⇒「気仙沼市」⇒「南三陸町」⇒「石巻市」⇒「松島町」⇒「塩竃市」⇒「多賀城市」⇒「仙台市」⇒(長い海岸線の部分)⇒「南相馬市」⇒通行止(福島第一原子力発電所周辺)避難指示が出た「浪江町」を経由して常磐高速道経由「いわき市」⇒「千葉県浦安市の埋立地

浦安市を除き、殆どの海岸近傍の平地部分は、夏草が生い茂る中に流された船や自動車の残骸が転々と残る所謂「荒蕪地」となり、市外地域の空き地は「瓦礫の山」が連なっていました;

荒蕪地・船の残骸・瓦礫の山
荒蕪地・船の残骸・瓦礫の山

陸前高田市では、津波災害の特徴が良くわかる写真を撮ることができました;

東日本大震災_2棟のアパートの被害状況
東日本大震災_2棟のアパートの被害状況

この写真にあるアパートの前面は海岸に向いており(海岸付近のホテルやアパートは景観を重んずるために所謂「オーシャンビュー」の立地が多い)一棟目は4階まで津波の被害に会ったことが分かります。一方その後ろの二棟目は1階と2階の一部が被害を受けているのみであることがわかります。アパートの1階分が仮に3メートル程度とすれば、1棟目は12メートルの高さの津波を受けたことになりますが、その後ろにある2棟目は3~5メートル程度の津波であったことがわかります。この現象は、海岸すぐ近くに立地していた「キャピトルホテル1000」でも客室レベル(恐らく10~15メートル以上)は被害を受けていない事が分かります;

東日本大震災_海沿いのホテルの被害状況
東日本大震災_海沿いのホテルの被害状況

津波被害を受けたすぐあと(4月1日)にこのホテルの被害状況を調査した記録がネットに残っていましたので詳しくは(地震直後のキャピタルホテル)をご覧ください

また今回の調査旅行の全行程で、大小多くの川の河口を通過してきましたが、河口付近の被害が比較的少ないことに気が付きました。後でニュースなどで知った事ですが、大きな川ではかなり上流まで津波が遡り、死亡を含む被害が発生していましたが、動画などから見る限り海岸付近の津波の様な破壊的なものではなく、堤防の低い所から水が溢れ沿岸の住宅地に浸水していくというプロセスを辿っていました

松島町では、被害を受けたホテルに泊まりましたが、被害は一階のホール部分のみであった様です。恐らく松島町は地図(松島町の地図)をみれば分かる様に、湾の入り口に大きな島があること、湾内にも小さな島々がある事により、津波の破壊力が減殺されたものと思われます

今回の地震は、千年以上前の西暦869年(平安時代)に東北地方を襲い甚大な被害を与えた貞観地震(少なくともマグニチュード8.3以上と推定されています)と並ぶ巨大地震です。貞観地震の際の津波は、百人一首に選ばれている『後拾遺和歌集(西暦1086年)』の清原元輔作成の一首;
  契りきな かたみに袖をしぼりつつ すゑの松山 波越さじとは
にも読み込まれていますが、今回は仙台に向かう途中、多賀城市にあるその『すゑの松山』も訪ねてきました

末の松山
末の松山

今回の地震でもちょっと高台になっているこの『すゑの松山』のすぐそばまで津波の水が押し寄せて来たそうです

仙台では、海岸近くにある『仙台空港』にも立ち寄って被害状況を見聞してきました;

仙台空港の被害状況
仙台空港の被害状況

この空港は、長い海岸線(仙台空港の立地)近くに立地しており、到底防波堤などで空港を守ることはできません。しかし、津波は一階のホールの浸水にとどまっています;

浸水した高さの標識
浸水した高さの標識

仙台から相馬に続く長い海岸線は、仙台空港周辺と同じ様な津波の爪痕が残っていました。特に海岸に設置されていたはずの「消波ブロック」が津波に流されて転々と転がっている光景は印象的でした;

仙台⇒相馬への長い海岸線の被害の様子
仙台⇒相馬への長い海岸線の被害の様子

仙台空港と同様、それ程高い津波に襲われた訳ではなかったにも拘わらず、逃げ場所となる高台が無い中で、車で避難しようとして命を失った人が多かったと言われています

千葉県・浦安市を訪ねた理由は、地震によって生じた液状化現象の被害状況を確認する為で、今回のブログの趣旨には合致しませんので、被害状況、等は割愛します

<津波被害の分析>

この調査旅行で私が強く印象付けられた津波の特徴は;
A.津波は、突然現れる大河の様なものである
B.津波の破壊力は津波が押し寄せる『速度』と波長が極めて長いことからくる膨大な『水の量』で決まる

津波の簡単なモデル
津波の簡単なモデル

例えば、ある湾(入江)に侵入する水の量は、上図の簡単なモデルで説明すると、「押し波の部分の面積」「湾(入江)の入り口の幅」に相当します。気象庁のネット情報によれば、津波の波長は数キロ~数百キロとされており、押し寄せる水の量が膨大になることが感覚的に理解できると思います。沖合における津波の波高がそれ程でなくても、被害が大きくなるのは、こうした理屈によるものです

また、津波は水であることから、基本的に「粘性流体力学」に従うと考えてよいと思われます。しかし、その精密な解析は、地震発生地点における津波の波高や波長、津波の進行する方向、到達する陸地近辺の海底の形状や、海岸線の形状、到達したあとの陸地の高低、傾斜、障害物などによって大きく影響を受けるために、適切なモデル化を行って数値計算を行うにしても、到達する場所ごとの精密な津波の規模を算出することは極めて困難と予想されます(⇔実際に津波の規模の予想は概ね外れますね!)

ただ、津波の挙動に係る定性的な説明をすることは可能であり、これに基づいて津波が起こす幾つかの現象を素人なりに説明してみることにします;
湾(入江)の入り口が広く、奥が狭まっている場合、入り口の長さで決まる大量の水が湾(入江)内に侵入(上記B項参照)し、更に、湾(入江)の両側の岸から反射した津波が重畳するため、湾(入江)の奥に到達する時には極めて波高の高い津波となります
逆に半島や、島などで実質的に入り口が狭くなっている湾(入江)は、入り込む水量が少ないこと、湾内で津波の運動エネルギーが拡散し波高が低くなります。また、島などがあれば、津波の運動エネルギーが島との衝突によって失われ、津波の破壊力は減殺されることになります(松島湾のケース)
防潮堤に必要な高さは、侵入してくる津波の水の量速度で決ります。津波の運動エネルギーは「水の量(=質量)」x「速度の2乗」に比例するので、防波堤にぶつかった時は、この運動エネルギーは、防波堤に沿ってせり上がることによるポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)の増加で相殺せねばならず、想像以上に津波は高くなると考えなければなりません(前掲の「2棟のアパートの被害状況」の写真)。万里の長城と言われた宮古市田老地区の10メートルの防潮堤(世界最強の防波堤)を津波が軽く超え、簡単に破壊されてしまったのはこの理屈によるものと思われます。一旦防波堤の一部が破壊されると、寄せ波だけでなく、引き波で重い船や破壊された家屋の残骸、倒木などが防波堤に激突し、その集中荷重で防波堤は簡単に破壊されてしまったはずです

<参考> 宮古市田老地区の現在の堤防復興状況:防波堤・海閉ざす壁

海岸線の長い平野では、海岸付近でせり上がった高い波(←海底が駆け上がりとなっている為)が崩れ落ちた後、川幅の広い大河の流れのようになって陸地の奥深くに侵入していきます。この大河は表面は平らであっても、この水流は多くの障害物を飲み込んだり、建物を破壊した後の水流なので水中は激しく渦巻く乱流となっており、人間が泳ぐことは不可能です。どんなに泳ぎの達者な大人でも大雨の時の河川の濁流に飛び込めば簡単に水死する理屈(濁流に流された子供を助けようとした親が水死する状況はこれ!)と同じです。車ごと流されて水死してしまう事例の多くは、この乱流が原因と考えられます
大きな川の河口に押し寄せた津波は、陸地を駆け上るよりも抵抗の少ない川を上流に向かって逆流していきます。これによって津波の運動エネルギーは吸収されるため河口付近の被害が少なくなっているものと考えられます。逆に、津波が遡上した上流部では、堤防が低いところから浸水し、被害を発生させることにもなります
海岸から少し離れ大河の流れのようになっている状況では、津波の進行を妨げる様な壁は、流れが比較的緩いと言っても大きな力をうけます。因みに。水は1立法メートルで1トンも重さがあり、相当強度が無ければ直ぐに破壊されてしまいます。通常の住宅が簡単に流される理屈はここにあります。高層アパートなどが流されずに残っているのは頑強な基礎と、その重さにあります。一方、一階部分が鉄骨で出来ており、壁が簡単に破壊されるものであれば、鉄骨の間を津波が抵抗を受けずに流れ破壊されません。調査旅行の道中で、平野の中でポツンと残っている家は概ねこうした構造の家でした

<生き残る方法>

上記の分析から、構築物の被害を未来永劫に亘って防ぐ方策は、津波の規模に不確実性があること、膨大なコストが伴うことで現実的ではありません。また、東南海巨大地震による大津波がいつ発生するかもわからない現在、大津波が来ても生き残る確率を如何に向上させるかを考える方が現実的です。以下は、私の考えた幾つかのアイデアです;
1.大きな川の周辺では、津波の運動エネルギーをできるだけ吸収し、大量の海水を、川を逆流させて逃がすために積極的に活用する。このため、河口付近で溢水しないように堤防を整備するとともに、遊水池が設けられる場所があれば積極的に整備する。また、住宅密集地から外れた耕作地など人口密度が低い所があれば、ここで意図的に溢水させて大量の海水を逃がすようにする
<参考:信玄堤>

*武田信玄の時代に、荒れ川として有名な笛吹川と釜無川の治水のために作られた堤防で、意図的に増水した水を堤防外に逃がして堤防の決壊を避ける様になっています(大雨で決壊すると大被害となる:下の鬼怒川決壊の写真をご覧ください)。増水が収まると逃がした水が川に戻っていく様に設計されています

信玄堤
信玄堤
2015年・鬼怒川決壊の被害状況
2015年・鬼怒川決壊の被害状況

2.広い平野部で津波に襲われたときは、車で逃げるのは渋滞することが目に見えているので愚の骨頂です。大河の様に流れてゆく津波に飲み込まれたときは、溺れないようにすることが生還するための唯一の方法となります。その方法は航空機では非常用装備品として当たり前になっている「ライフジャケット」と「ライフラフト(救命ボート)」を予め準備しておくことです;

ライフジャケット
ライフジャケット
ライフラフト
ライフラフト

航空機の場合、ELT(Emergency Locator Transmitter)という装備が義務付けられており、墜落の様な大きな衝撃を受けると救難信号が自動的に発信される様になっており、広い海洋に墜落しても遭難機、遭難者の位置を確認できる仕組みになっています
津波用のライフジャケットやライフラフトに、水に漬かると救難信号が発信される装置や夜間用のLEDライトを装備するようにすれば、引き波で沖合に流された遭難者も発見が容易になると思います。東日本大地震の津波では、逃げ足の遅い多くの子供や老人が犠牲になりました。是非こうした非常用装備で、生還の可能性を高めてほしいと思います

尚、ライフラフトであれば、救助を待つ間に「低体温症」で死亡することも防ぐことができます。家族単位での行動が可能となり、一層生存率が高まることも期待できます。
<参考:輪中>
昔から洪水に見舞われてきた濃尾平野の揖斐川、木曽川、長良川の下流域では、「輪中」によって水害から命を守ってきました。大河の様な津波に対しては、この知恵から学ぶところが多いと思われます;

輪中・自家用の船
輪中・自家用の船・輪中・自家用の船
輪中の中の家屋の工夫
輪中の中の家屋の工夫

<Follow-up>
*2018年9月19日の朝日新聞DIGITALに(スーッと近づいてきた無人の「神様のボート」住民救った_西日本豪雨災害)という記事が出ていました

<Follow-up>
*2019年10月日本に上陸した台風19号は甚大な水害を齎しました

台風19号進路_2109.10月

これだけの大雨だったにもかかわらず、東京都心とゼロメートル地帯が免れたワケ について:191023_台風19号の浸水被害 東京都心とゼロメートル地帯が免れたワケ
この被害に関して、今後の治水行政について学識者が有益なコメントを出しておりますのでご紹介いたします:191114_水害の猛威に備える_山田正氏・角哲也氏・土屋信行氏

また、今回の災害の中で、利根川水系の八ッ場ダムによる治水効果が大きかったことが話題になりましたが、全国の約三千か所のダムの治水効果を最大化するためのルール作りが始まった様です:<191116_ダム放流指示しやすく、国交省 電力などと手順協議

3.建物自体を、圧倒的な破壊力を持つ津波に破壊されないようにするには、以下の様に極めて限定的な方法しかありません
鉄筋コンクリート製の高層建築物であれば前掲の「2棟のアパートの被害状況」、「海沿いのホテルの被害状況」の写真を見れば分かる様に、その重量と基礎の堅牢さで建物の崩壊は免れることが可能であると思われます。更に、建物の向きを「オーシャンビュー」ではなく、海岸線に直角の方向にすれば、津波の立ち上がり方も少なく、より低層部分も冠水しないで済むと考えられます
長い海岸線の平野であれば、津波の高さはそれほどではない(今回の大津波でも1階~2階の高さ)と考えられますので、普通の個人用の邸宅でも、1階部分の柱を鉄骨で作り、壁を壊れやすく!して、津波が来た時には簡単に壊れて水流が容易にすり抜けられるようにすれば(上の輪中の絵の「母屋の1階部分」をご覧ください)、家自体は守れる可能性があると思われます。尚、この時、引き波も大河の様に水が流れますので、流されてきた重量物の衝突で柱の鉄骨が破壊されないようにしたほうがより良いと考えられます。この為には大きな川の橋桁の上流側に設置されている流木などが橋桁に激突するのを防止する構造物を海と反対側に設置することが有効であると考えられます

京都嵐山・渡月橋_流木除けの効果
京都嵐山・渡月橋_流木除けの効果

Follow_Up:2021年9月12日の日経新聞に水害対策に「水上都市」 浮かぶ家・1階は柱だけの構造という興味深い記事が掲載されていました

その他の災害から身を守るには

1.大地震による家屋の倒壊や大火災から身を守るには

大地震による建物の倒壊は、建物自体の耐震性で決まります。現に最新の建築基準法に基づいて建てられている建物に住んでいる人はそれ程心配する必要はないと思いますが、そうでない場合は、耐震診断を予め受け、必要な補強を行うことによって安心して住める状態になると思います。家全体では改修費の負担が大きすぎる場合は、寝室や、居間など居る時間が長い所のみを改修することでも、倒壊した家屋の下敷きとなってしまうリスクを相当程度下げることが可能です

大地震による火災で命を失わないようにするには、まず倒壊しない安全な家に住み、地震が収まったと同時に安全な避難場所に即刻退避することが肝要です。しかし、阪神淡路大震災の被害地域の様に木造家屋が密集する地域に住んでいる場合;

阪神淡路大震災
阪神淡路大震災

倒壊した建物によって狭い路地が塞がれると同時に、地域のあちこちから出火し逃げ道を失う恐れもあります。また、火災の規模が大きくなると「火災旋風」(関東大震災や東京大空襲でもその発生が死傷者を増やしたと言われています)が起きる可能性も考えられ著しく危険な状態になります
一旦火災があちこちで発生した場合、個々の家の耐火性の向上や地上の消火活動などで延焼を防ぐことなどできません。消火するのであれば大規模な森林火災に使われる様な航空機による空からの消火活動が一番効果が大きいと思われます。

日本ではこうした航空機による消火活動は、今でもヘリコプターを利用する事は可能と思われますが、大型の固定翼機による方がより効率的です。日本にはUS2という飛行艇があり;

US2飛行艇
US2飛行艇

この機材を大規模火災の消火用に改修(US2・消防用に改修)し、人口密集地近くの基地に配置する施策も検討する価値があると思われます

また、地域全体で家が倒壊しても絶対に火災を発生させない様にする方法も考えられます。発火の原因は、その殆どが調理・炊事、暖房用の電気、ガスです。最近のガス、電気設備には個々に地震による遮断装置は付いていますが、古い設備には、この遮断装置が付いていない場合もあります
従って、住宅密集地域では、電気、ガス以外のエネルギー源(例えば炭火を使う店舗などが考えられる)を行政レベルで禁止すると同時に、震度があるレベル(その地域で最も耐震性の無い住宅が倒壊するレベル)を越えたら、直ちに地域全体の電気、ガスの供給を遮断することが有効れあると考えられます。勿論、一旦電気、ガスの供給を止めてしまうと復旧は個別の家ごとにおこなう必要があるので、電気、ガスの会社はやりたがらないとは思いますが、、、

2.大規模噴火から生還するには

噴火による死亡事故の殆どは、「噴石の直撃」を受けることと、「火砕流」に巻き込まれることです。噴火予知が正確にできればこんな心配はしないで済むのですが、今の知見だけでは予測はかなり難しい様です

噴石による事故は、防ぐことが難しく、今年1月の草津スキー場のケースでは思いもよらぬところから噴火し、自衛隊員の死傷事故が発生しました。2014年には御嶽山の突然の噴火で、登山者58名が死亡(他に行方不明者5名)しました。噴石は、噴き上げられたものが、ほぼ垂直に落ちてくるのでヘルメットを被っていても被害を避けることは不可能です。丈夫なコンクリート製の待避壕に避難するか、丈夫な屋根をもつ山小屋などに避難するしかありません。ただ、致死性の高い大きい噴石は火口近くに落ちるので、登山者の多い火山の自治体は、火口近くに待避壕を設置する対策を行う努力をしてほしいと思います。また、登山者は待避壕、山小屋などの位置を常に確認しておく習慣を持つことが自身の命を守る上で必要であると考えられます。

火砕流による事故は、噴石に比べるとより大規模で深刻な事故に繋がります。有名なベスビオス火山による火砕流は、ポンペイの町を一瞬の内に消滅させました。最近の日本でも、1991年の雲仙普賢岳の火砕流では報道関係者を含む44名が死亡しました;

雲仙普賢岳の火砕流
雲仙普賢岳の火砕流

ネット情報によれば;火砕流の実体は、「火山砕屑物(さいせつぶつ/岩石が壊れてできた破片や粒子を指す地質学用語)と噴出物の火山ガスや水蒸気が混合して流動化したもの。ガスは、マグマに含まれていた火山ガスと、火山噴出物中および流走中に取り込んだ空気からなる。温度は、マグマに近い高温のものから100℃程度まで幅がある。水蒸気噴火とマグマ噴火では水蒸気噴火の方が発生頻度が高い」であり、上の写真を見れば分かる様に、走っても逃げられないような相当な速度で襲来し、巻き込まれればその高温の環境により確実に死に至る恐ろしい現象です
最近は、噴火活動の結果生じた火口近傍の堆積物の量や、斜面の形状、方向、過去の火砕流の記録、などを勘案して、火砕流の危険性を警告する情報が流れるようになりました。ゆめゆめ好奇心から危険地域に近寄らない様にすることは勿論、避難勧告が出たら早めに非難することが、命を守る唯一の方法です

3.核兵器の攻撃を受けた時に生き延びるには

日本は、中国、ロシア、北朝鮮という核保有国に囲まれ、しかも中国とは尖閣列島帰属問題、北朝鮮とは拉致問題を抱えています。勿論、米国の核の傘で守られている為、簡単には攻撃されることないとは思いますが、仮に日本が最初に核攻撃された場合、米国が自国民を核攻撃の危機に晒さす反撃を行うかどうかは疑問が残ります。だからといって、日本も核武装すべきだという主張に私は組しません。核攻撃を受けても多くの人が生還できる方策を予め考えておくことが大切であると考えます

昔台湾に駐在した時、最初に奇異に感じたことは、台北市内の主要道路の交差点は頑丈なコンクリート製の地下歩道が整備されいることでした。現地の人に聞いたところ、これは大陸から攻撃を受けた時の防空壕の役割を果たすのだそうです
大国に囲まれた国、隣国から侵略を受けた歴史を持つ国は、防衛の第一の目標は最初に攻撃されたときに如何に生き残るかです。因みに、フィンランドの核シェルターをご覧ください;

フィンランドのシェルター
フィンランドのシェルター

戦後、唯一の被爆国として非核三原則を堅持してきた日本であっても、核攻撃されないという保証はありません。日本にとって非核三原則を遵守すると同時に、核攻撃をされても生き残る方法を、科学技術先進国である日本の総力を挙げて取り組むべきであると私は考えています。因みに、米国では数百万円~数千万円で個人用の核シェルターを販売している会社がありますが、最近の最大の顧客は日本人だそうです

日本には、核攻撃を受けると必ず死に至る(即死しなくても、後遺症で死ぬ)と思っている人が少なくありません。その結果、シェルターなど意味の無いものだという人も多い様に思います。その背景には、下記写真のような原爆の惨状を小学校時代からずっと頭に叩き込まれてきたことがあります。また、マスコミや著名な作家による恐怖を煽る記事も多くの人々に影響を与えたに違いありません。私も学生時代に読んだ「広島ノート;大江健三郎著」には多大な影響を受けました。このブログを書く前にもう一度読み返してみましたが、当時としてはやむを得ないにして、もあらゆる病気、あらゆる死が原爆、放射能と結びつけられており、現在の知見を基に判断すると驚くばかり間違いの多い内容です。これによって被曝したものの健康を取り戻した多くの人たちが、結果として差別を受けたことは忘れてはいけないと思います。この本にも引用してありますが、興味のある方は(広島で被爆した医師が大江健三郎に書いて寄こした手紙)読んでみてください;

ヒロシマ被曝直後の惨状
ヒロシマ被曝直後の惨状

核攻撃を受けても生き延びる手段はあります。冷戦時代、米国、ソ連、中国は核攻撃の危機を現実のものとして受け止め、核攻撃から自国民を守る手段を必死に研究してきました。フィンランドの核シェルターも、米国で個人宛に販売している核シェルターも、そうした研究の成果を取込んだものと考えられます

そもそも、核攻撃による死のリスクとはどんなものでしょうか;
① 致死量の放射線を爆心から直接浴びることによる死;
放射線はアルファー線、ベータ線、ガンマ線(波長の短い電磁波)、紫外線・光線・赤外線(波長の長い電磁波)、中性子線、その他の粒子線に分けられます。それぞれの放射線の性質、リスクなどについて詳しく知りたい方は私のブログ(原子力の安全_放射能の恐怖?)をご覧になってください。いずれも爆心地近くで直接浴びれば即死します。しかし、頑丈な遮蔽物に身を隠していれば防御することが可能です。ただ、中性子線だけは透過力が極めて強いので、あるいは水を含んでいるコンクリート、水分を含んだなどで防御することが有効です(原子炉が水やコンクリートで遮蔽されているのはこの理由によります)
また、こうした放射線は爆心から球状に広がると考えれば、爆心からの距離の2乗に反比例して強度は弱まります。例えば、爆心から1キロの地点の放射線強度に比べ、10キロ離れた地点の強度は百分の一になります。基本的に直進することを考えれば、山などの陰に隠れていれば安全ということになります

② 爆風(正体は衝撃波=強烈な音波)を爆心から直接浴びることによる死;
爆心地近くであれば、強烈な爆風で人間を含む重い物体が吹き飛び、何かと衝突して死亡する可能性が高いと思われます。ビル街などでは、爆風で飛び散ったガラスが突き刺さり死に至るケースも多く発生します。爆風も基本的に爆心地から直進するので、頑丈な遮蔽物に身を隠すか、地面より低い所(戦場で爆弾が降りそそぐ環境で塹壕に隠れるのはこの爆風を避ける為です)に潜り込むことで安全を確保できます
よく原爆が炸裂した時の表現で「ピカドン」という言葉が」使われますが、これは「ピカ」で光速あるいは光速に近い速度の放射線が爆裂と同時に到達し、やや遅れた「ドン」で爆風が到達する状況を表現しています(遠くから花火を見た場合を想像してください)。従って、爆心から離れたところであれば、「ピカ」を見てから待避しても間に合う可能性があります(10キロ離れていれば30秒ほどの猶予時間があります)。爆風も、放射線と同じく球状に広がるので、距離の2乗に反比例して強度は弱まります。

③ 爆発後降り注ぐ放射性廃棄物から出る放射線(二次放射線)を浴びることによる死;
核爆発すると巨大な「きのこ雲」が発生することはよく知られています。このきのこ雲は放射性廃棄物を沢山含んでいます。これが爆発後ある程度の時間をかけて地上に降り注ぎます(所謂「死の灰」)。地上に降り積もった放射性廃棄物に近づけばと同様被曝することは明らかです。しかし、放射線の強度は①に比べて桁違いに弱いので直ちに死に至ることはありませんが、長時間に亘ってその環境にいれば放射線障害になる恐れがあります。広島、長崎ではこの二次放射線で放射線障害となった人も多いと言われています。1954年ビキニ環礁でマグロはえ縄漁を行っていた第五福竜丸の23名の船員が被曝したのは、この「死の灰」によるものです詳しくは私のブログ(原子力の安全_放射能の恐怖?)をご覧になってください。ただ、きのこ雲は風向、風速によってはかなり遠方まで届くので、爆心地から離れていても注意が必要です

④ 爆発後降り積もった放射性廃棄物を体内に取り込む事による死;
これは上記私のブログをご覧になって頂ければ分かるのですが、放射性廃棄物で汚染されたほこりや食物を体内に取り込むと、体の内部から継続的に被曝する結果となり、少量であっても非常に危険です。この対策はマスクなどによって肺に取り込むことを防ぐほか、汚染された食べ物を食べてしまうことを防ぐ必要があります。尚、体内に取り込まれた放射性物質の量は、ホールボディーカウンターで測定することが可能です
いずれにしても、放射性廃棄物がある所に入らないことで確実に防ぐことが可能です

以上を踏まえると、堅牢な防護壁、乃至地下に設置された核シェルターは、爆心地近くでない限り①、②の脅威から生還できる可能性が高いことが分かります。また、シェルター内の空気は放射性廃棄物を通さないフィルターを通じて換気されているとともに、相当期間必要な食料は備蓄されているので、③、④の二次放射線の脅威からも免れることが可能です

山間部は直接攻撃されない限り山が守ってくれますが、極度に人口が集中している大都市では、こうした自然の防壁もなく、新たにシェルターなどを設置しようにも場所が確保できません。しかし、大都市では地下鉄網や広い地下街がありますので、ここに多くの人を退避させることによって少なくとも①、②の脅威からは命を守ることが可能だと考えられます
ただ、ミサイルの緊急速報が入ってからの時間の猶予はそんなにありません(北朝鮮からの発射であれば5~10分でしょうか)。また、避難スペースを広く確保するためには地下鉄を直ちに停止させ、地下鉄のトンネルの中も避難スペースとして使わなければなりません。更に、現在は、地下鉄や地下街への入り口が狭く、数も少ないので、核シェルターの代役をさせるのは入り口を増やし、ある程度の食糧の備蓄なども必要になると思います
総理府では(国民保護ポータルサイト)でミサイルが発射されたときの連絡体制や、地下街などの地下施設に避難するなどの注意事項が書いてありますが、地下施設をシェルターとして利用するために必要な改修工事は未だ計画もありません。また、地下への人の誘導の訓練もやっていません。このままでは、実際に核攻撃の脅威が現実のものになった時にどうなるかとても心配です
終戦間際の米軍による都市爆撃で、あれだけ多くの民間人が亡くなってしまった事の反省が未だにできていないのではないでしょうか、、、

<Follow-up>
*2018年12月25日の日経新聞に、Jアラートシステムが変更されるとの記事が掲載されていました:181225_北朝鮮のミサイル発射情報・Jアラート見直し_伝達を都道府県単位

以上

肥満指数(BMI)についての”はてな?”

最近、NHKテレビで“血糖値スパイクが危ない”(NHKスペシャル:NHKのサイト)を見る機会を得ました。健康診断などで血糖値がリミットを越えていなくても血糖値スパイクが起こると、脳梗塞心筋梗塞などによる突然死のリスクが高まることの他、がんを引き起こしたり、認知症を招く恐れがある」という衝撃的な内容で、私たち老夫婦には大変参考になる番組でした。番組の最後の方で、血糖値スパイクのリスクを数値化する8つの指標の中でBMIの数値が入っていた為、昔感じていたBMIという指標に対する疑問が再び頭をもたげてきました。

BMIとは、“Body Mass Index”のことで、以下で定義されている指数のことです(インターネットのサイトにも色々説明されています:);

bmi%e3%81%ae%e5%ae%9a%e7%be%a9

但し、体重はキログラム単位、身長はメートル単位で計算します。しかしこの式が意味する所は、中学校の数学で最初の頃に学ぶことですが、“体重は身長の二乗に比例する”と同義です。でもこれは本当でしょうか?
例えば、20cm山女魚(ヤマメ)を釣った時の重さと、30cmの山女魚を釣った時の重さを比べた時、重さの違いは2倍ちょっとどころか3倍以上に感じられるはずです

その理由は以下の説明でお分かりいただけると思います。体重体積密度を掛けたものですが、簡単のため、密度を水と同じ“1”とし、山女魚を体長(a)、体高(b)、厚み(c)の直方体とすれば、山女魚の重さは、a x b x c となります。また大・小の魚同士は、中学校で勉強したはずの“相似形”(⇔小さい山女魚も大きい山女魚も見た形が同じ)であることを勘案すると;

小さい山女魚の重さ = a xx c (以下“abc”と表示します)
30センチメートル ÷ 20センチメートル = 1.5 であることを考慮すると;
大きい山女魚の重さ = 1.5a x 1.5b x 1.5c5.06abc

従って、30cmの魚は、20cmの魚の約5倍になることが分かります。これは、言い換えれば“体重は身長の3乗に比例する”ということになります

現物の魚は“直方体ではないではないか”という理屈を言う人がいるかもしれませんが、頭の中で“現物の魚を小さな、小さな、立方体の集合体”と考えていただければ、私の言う理屈に納得して頂けるのではないかと思います
また、実験で確かめたいという人は、縁一杯まで水を張った水槽に魚を沈め、こぼれた水の量を比較していただければ上記理屈を証明できるはずです。尤も、肥満した魚と、餌が少なくてやせた魚がいて上記の理論値と若干異なる値となるかもしれませんが、これはまさしく“肥満指数”の基になる現象です

体重は身長の3乗に比例する”ことを前提として、新しい肥満度指数:“New BMI”を定義すると;

new-bmi%e3%81%ae%e5%ae%9a%e7%be%a9

となります。
New BMI の上限、下限を求めるには、身長に対する適正体重を、統計的に(あるいは医学的な見地から)決めてあげればいいと思います。
尚、“体重は身長の3乗に比例する”ということの具体的な意味は、身長の高い人も、低い人も、身体的な見かけ上のバランス(身長に対する横幅や厚み)が同じ比率になっているという意味になります。分かり易く言えば、現在のBMIに基づいた適正体重は、背の低い人は見かけ上“太って”見え、背の高い人が見かけ上“瘦せて”見えるということになります

統計的なデータが手に入らないので、BMIで推奨されている身長と体重の一部のデータが New BMI にも当てはまるという仮説をベースに、BMI と New BMI 違いを数値化してみたいと思います;

仮説 :日本人の平均身長(男性/170.9㎝、女性/157.8㎝;平均/164.4㎝)における適正体重の下限と上限を New BMI でも適正な下限と上限と仮定する。
BMIの下限は18.5、上限は25.0であることから ⇒
身長/164.4㎝の人の
下限体重は:18.5 x 1.64 x 1.64 = 49.8キロ
上限体重は:25.0 x 1.64 x 1.64 = 67.2キロ

これを New BMI に当てはめると;
New BMI の下限は:49.8 ÷ 1.64 ÷ 1.64 ÷ 1.64 = 11.3
New BMI の上限は:67.2 ÷ 1.64 ÷ 1.64 ÷ 1.64 = 15.2

この New MBI を使って、150㎝と人と195㎝の人の下限値、上限値を求めてみると;
150㎝の人では;
下限体重:11.3 x1.5 x1.5 x1.5 = 38.1キロ(BMIでは、41.6キロ
上限体重:15.2 x1.5 x1.5 x1.5 = 51.3キロ(BMIでは、56.3キロ
*上限体重と下限体重の差13.2キロ(BMIでは、14.7キロ)
*上限、下限の平均値(理想的な体重?):39.9キロ(BMIでは、49.0キロ

195㎝の人では;
下限体重:11.3 x1.95 x1.95 x1.95 = 83.8キロ(BMIでは、70.3キロ
上限体重:15.2 x1.95 x1.95 x1.95 = 112.7キロ(BMIでは、95.1キロ
上限体重と下限体重の差28.9キロ(BMIでは、17.6キロ)
*上限、下限の平均値(理想的な体重?):98.3キロ(BMIでは、82.7キロ

上記の数値を比較して分かる定性的なことは、“New BMI では上限、下限の体重の幅が、身長の高い人ほど大きくなる”ということです。若い頃バレーボールをやっていて、身長の高い人に囲まれていた私の経験では、身長の高い人にとって、この程度の体重の幅は、見た目で“健康”な体重の範囲と思われますが、如何でしょうか?
因みに、メジャーリーグで活躍しているダルビッシュの身長は、196㎝、体重は100キロです

以上