アルテミス計画は、2017年12月、一期目のアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプが承認・署名した月探査計画を内容とする宇宙政策指令第1号(Key Elements of SPD)に端を発しています。この計画では、新たに開発されるオリオン宇宙船と月軌道プラットフォーム・ゲートウェイ、それを利用する商業月面輸送サービスや、月面に建設する基地から発進するする火星探査計画までを視野に入れた壮大な宇宙開発計画となっています。因みに、日本も2019年10月にこの計画に参画することを決定しています。こうしたことから、アルテミス計画の目的を一言でいえば「人類が宇宙で持続的に活動できる基盤を築くことを目指しており、これによって未来の宇宙探査の道が大きく開かれる」計画と言えるのではないかと思われます
今回、これまでアルテミス計画についてシコシコ?と貯めてきた新聞やネットの情報を精査し、この計画の進捗状況と、その後の展望について勉強することにしました。結果は以下の通りです
B. 有人宇宙船(オリオン)の開発
アルテミス計画では、2030年代までに火星や小惑星といった遠い天体に人類を送り込むことも目標としています。オリオン宇宙船はこれらの計画も見越して、6ヶ月程度の長期間の深宇宙(電波法施行規則第32条で地球からの距離が200万km以上である宇宙と規定)のミッションに対応できるようデザインされています。このシステムの元請け(Prime Contructor)企業はロッキード・マーチン社です。詳しい機能などの説明はこの会社のオリオン宇宙船のサイトをご覧ください
オリオンのシステムの全体像は以下のNASA提供の画像が分かり易いと思います;
③ 月基地建設、月面活動に関わる日本の役割
日本の代表的企業もアルテミス計画に協同して以下の様な取り組みを行っています; *トヨタ自動車の月面探査車開発
トヨタは、国際宇宙探査ミッションのひとつである月面での有人探査活動に必要な有人与圧ローバ(愛称「ルナクルーザー」)の共同研究を2019年から行っています月面は重力が地球の6分の1、温度はマイナス170~プラス120℃、真空、強い放射線、表面は月の砂(レゴリス)に覆われており、大変厳しい環境での使用に耐える技術が必要です
② XRISM(X線分光撮像衛星)への水平展開
* XRISMの推進システムに搭載しているタンク・ダイアフラムはイプシロン6号機に搭載しているものと同一のものですが、実機の疑似推薬(水)を用いた振動試験の結果を基に技術評価を実施して問題ないことを確認したうえで、2023年9月11日にH-ⅡA・47号機により打ち上げられ軌道投入に成功しています ③ 宇宙船・SLIM(Smart Lander for Investigating Moon/無人月面探査機・着陸機)への水平展開
* SLIMの推進システムに搭載しているタンク・ダイアフラムはイプシロン6号機に搭載しているものとサイズ、形状が異なりますが、シール部やダイアフラム材料等の一部の設計が類似しています。従って実機のダイアフラム組込後の漏洩試験などを基に技術評価を実施し、問題ないことを確認した上で、2023年9月11日にH-ⅡA・47号機により打ち上げられ、現在月への軌道を順調に飛行しています
ケネディー大統領の演説; 宇宙開発において米国が主導権を取り戻す為に、ケネディー大統領による強力なリーダーシップを発揮しました *1961年1月20日、ケネディー大統領就任
①1961年5 月25 日、ケネディ大統領は『国家的緊急課題に関する特別議会演説(Special Message to the Congress on Urgent National Need)』と題した 45 分に及ぶ演説の末部(上記演説草稿の「Ⅸ Space/8頁後半~10ページ前段)」で、有人月面着陸計画を議会に提示しました
戦後、東京大学生産技術研究所に勤務し、航空及び超音速空気力学研究班(Avionics and Supersonic Aerodynamics)を組織し、ロケットの開発に着手しました
以下にその足跡を辿りますが、敗戦国日本が現在は宇宙開発の最先端を走っているのは彼の功績によるものが大きいと思います。そうしたことから、2010年、世界に先駆けて日本の宇宙船「はやぶさ」が小惑星探査にチャレンジし、サンプルを持ち帰ってきた小惑星を「イトカワ」と命名されたことはむべなるなと思います
① ペンシルロケットからベビーロケットへ
ペンシルロケット開発を着手した時、東京大学と共同開発を行った富士精密(株)は乏しい予算しか無かったため、最初のロケット実験機は(右写真の一番右)直径1.8cm、長さ23cm、重さ200グラムの正にペンシルの様なロケットでした。
しかしおもちゃの様に小さいとはいえ、航空機の設計と同様にロケットの重心と飛行中に作用する空気力の中心(「空力中心」といいます)を実験により確認しつつ形状や、材料の設計を行ってゆきました
1955年4月、国分寺にロケット発射の実験場を設置し、最初は水平に発射し各種データを測定する際、関係官庁・報道関係者立ち会いのもとで、試射が行われました。当時、レーダーが手に入らなかったことも水平発射実験に繋がったものと思われます
上表の各ロケットにより達成されたミッションは以下の通りです; ① ラムダロケット
1970年2月11日、3回の失敗の後にラムダロケットL-4S(上表左端;写真は以下)により日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功しました。名称は打ち上げ基地があった大隅半島に由来します。この成功により日本はソ連、米国、フランスに次ぎ、世界で4番目の衛星打ち上げ国となりました
② ミューロケット
ラムダロケット以降、ミューロケットが開発され各種ミッションをこなしながら集大成として完成したのがミューロケット第5世代の「M-V」ロケットです
以下は「M-V」で達成したミッション一覧です;
③ イプシロンロケット
ミューロケットは多くのミッションを達成しましたが、高コストであったために2006年に廃止されました。その代わりに開発された固体燃料ロケットがイプシロンロケットです 参考:イプシロンロケットの基本形態は全段固体の3段式ロケットですが、液体エンジンの「PBS(ポストブーストステージ)」を4段目として搭載するオプションが用意されています。これを使えば、投入高度の誤差は±20km程度と、液体ロケット並みの精度が実現できます。PBSは液体エンジンと言っても、M-Vの姿勢制御用エンジンと同じような1液式エンジン(燃料はヒドラジン)です
上表中のGTOは「静止トランスファ軌道(Geostationary Transfer Orbit)」を意味し、人工衛星を静止軌道(前章「人口衛星の軌道」参照))に投入する前に、一時的に投入される軌道で、よく利用されるのは、遠地点が静止軌道の高度、近地点が低高度の楕円軌道です
液体燃料ロケットの構造は、右図の様に液体の燃料と酸化剤をタンクに貯蔵し、それをエンジンの燃焼室で混合して燃焼させ推力を発生させるロケットです。液体燃料は一般的に固体燃料に比べて比推力に優れているうえ、推力可変機能、燃焼停止や再着火などの燃焼制御機能を持つことができます。また、エンジン以外のタンク部分は単に燃料を貯蔵しているだけで構造は簡単であるものの、燃焼室や噴射器、燃料ポンプなどの機構は複雑です。以下の写真はH2ロケットの第一段のエンジン(LE7)の該当部分のアッセンブリーです;開発の歴史; ① 海外からの技術導入(「N-1」~「H-1」)
日本における液体ロケットの開発は、固体燃料ロケットとは別に宇宙開発事業団(NASDA)が担当することになりました。液体燃料のエンジンは構造が複雑で開発に時間も費用もかかり当時の日本には難易度が高かったので、米国の「デルタロケット(ウィキペディア)」の技術の導入を図ることとなりました。
最初の「N-I」ロケットの開発がスタートしたのは1970年。5年後の1975年には、早くも1号機が打ち上げられ、更に後継の「N-II」の初打ち上げは1981年、現行のHシリーズのベースとなった「H-I」ロケットは1986年と大型化が進められていきました。「N-II」~「H-I」の打ち上げ回数は17回でしたが、全てミッションを達成しました
② 「H-Ⅱ」の開発(「H-Ⅱ」~「H-ⅡA」~「H-ⅡB」
液体ロケットとして、初めて国産化を果たしたのはその次の「H-II」ロケットです。第2段エンジンはH-Iですでに国産のものを搭載していましたが、H-IIではより大きな第1段エンジンも独自開発しました。1986年に開発が始まり、エンジンの爆発事故が起きるなど開発は難航したものの、1994年に試験機の打ち上げに成功した。
1.ニコラウス・コペルニクス(1473年~1543年;現在のポーランド出身)
① 1510年頃 「コメンタリオルス」という同人誌で太陽中心説(地動説)をはじめて公にしました
② 1542年、「天球の回転について」の草稿を書き上げ、その中で地動説を基にして実際に星の軌道計算も行いました
*その後脳卒中で倒れ、1543年に死去(70歳)しますが、「天球の回転について」の校正刷りは彼の死の当日に仕上がったと言われています [豆知識] コペルニクス的転回という例えがよく使われますが、これは物事の見方が180度変わってしまう事を比喩した言葉です。 コペルニクスが天動説を捨てて地動説を唱えたことにたとえています。ドイツの哲学者カントがその著「純粋理性批判」の中で自らの認識論を特徴づけた言葉だそうです
2.ヨハネス・ケプラー(1571年~1630年;現在のドイツ出身)
*ケプラーの考えた数学的モデルは、ピタゴラス、プラトンが考えていたモデルに近いといわれています
*ケプラーの法則;
① 第一法則:惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描く
② 第二法則:惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定である
③ 第3法則:惑星の公転周期 T の2乗は、楕円軌道の半長軸 a の3乗に比例する
3.ガリレオ・ガリレイ(1564年~1642年;現在のイタリア出身)
① 1597年 ケプラー宛の手紙で、地動説を信じていると伝えました
② 1604年頃、落体の運動法則(軽いものでも重いものでも真空中であれば同じ速度で落ちること)を発表
③ 1609年オランダの望遠鏡の噂を聞き、自分で製作(ガリレオ式望遠鏡;屈折式望遠鏡)、これを使って月を観測し月が天体であることを理解すると共に、月面のクレーター、太陽の黒点などを発見
④ 1610年、天体観測により木星の4個の衛星を発見
⑤ 1613年、太陽の観測を基に「太陽黒点論」を発刊
*1515年頃から天動説を主張する教会との間で争いが起きる
4.アイザック・ニュートン(1642年~1727年;現在のイギリス出身)
*ニュートンは力学(下記A、B)、数学(微分・積分法)、光学(光の粒子論)の3つの分野で偉大な業績を残した天才科学者です A.質点に関する運動の法則;
① 第一法則(慣性の法則):すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動を続ける
② 第二法則(ニュートンの運動方程式):物体の運動状態の時間変化と物体に作用する力の関係を示す法則
⇒ 質点の加速度をa(速度ⅴの変化率)は、その時の質点(物体)の質量をm、これに作用する力 Fとすれば、これら間の関係は以下の数式の様になります F=ma 微分方程式で表すと (注)m・vは運動量 ③ 第三法則(作用・反作用の法則):二つの質点(物体)1、2の間に相互に力が働くとき、質点2から質点1に作用する力と、質点 1から質点2に作用する力は、大きさが等しく、逆向きである(⇔ 押すと押し返され、引っ張ると引っ張り返されること;この原理から運動量保存の法則が導き出されたり、力の定義を行ったりする重要なものです)
主星の周囲を伴星が公転している場合、伴星の軌道付近に特殊な場所が5つあります。もし、小天体がその場所に入ると、主星と伴星との位置関係を保ちながら安定して公転できます。この場所をラグランジュ・ポイントと呼んでいます 18世紀半ば、スイスの数学者・天体物理学者オイラー(1707年~1783年)が、主星と伴星を結ぶ直線上に、物体が安定して存在できる三点を計算によって導きました(オイラーの直線解)。その後、フランスの数学者ラグランジュ( 1736年~1813年)が、主星と伴星を一辺とする正三角形の頂点も安定していることを発見し、5つの特異な点が存在することが分かりました。この天才の名前を取ってこの5つの特異点をグランジュ・ポイントと呼ぶようになりました ① 主星が太陽で伴星が地球の場合;