1949年12月25日~30日 ハバロフスクに於いて戦犯裁判が行われました *被告(合計12名):関東軍司令官・山田乙三、関東軍軍医部長・梶塚隆二、関東軍獣医部長・高橋隆篤、他
*被告全員が有罪、強制労働収容所で刑期2年~25年。大半が刑期満了以前に帰国しました
*元軍医少佐・柄沢十三夫は、帰国を許された後自白したことを悔いて自殺しました *公判書類から分かった事; ① 中国人を731部隊で人体実験の対象を「得移扱」と称していました
② 「得移扱」とする対象;スパイ(死刑又は無期の重罪対象)、謀略・諜報活動を行なっていて逆利用できない者、不起訴又は軽い刑であるが更生の見込みのない者 ③ 「得移扱」を送り出す側であった大連憲兵隊では「大東亜戦争に協力せよ」との日系新聞の社説に対し反論を投稿した中国人を「反満抗日者」として731部隊に送っていました
④ 1940年7月に細菌をハルビンから上海に輸送する「関東軍野戦司令部命令書」も公判書類に含まれていました
5.人体実験を直接実施した軍医「湯浅謙」の証言;
① かれの経歴については、Wikipediaの「湯浅謙」をご覧ください
② 常石敬一氏の著作「七三一部隊(生物兵器犯罪の真実)」に書かれている証言;
*湯浅は、軍医として中国に居た3年半の間に、14人の中国人を生きたまま解剖し、また手術の練習台として殺した * 1942年12月、湯浅は、太源監獄で次のような手術演習を経験している
証言内容; 「山西省を占領していた陸軍第一軍の軍医約40名を集めたある日の講習会でのことだった。軍医たちはいつもの防疫給水部の講堂でなく太源監獄に集合するよう命令された。集まった軍医たちの前に陸軍省法務部の白い肩章をつけた男が二人出てきた。その後、引き出されて来た中国人の男を坐らせた。白い肩章の男たちは、やにわに拳銃でパパーンと4、5発中国人の腹を撃った。後手にゆわかれていた男たちは、前方に身をくずした。これは、身体に入った弾丸をどれだけ手早く取り去ることが出来るかを競うゲームと言うべきものの始まりだった。出血して悶えている中国人を5~10人の軍医が別室に運び、弾丸を手早く抜き取る手術を始めた。湯浅は手術中に更に拳銃の発射音聞いているので、さらに2人の中国人が撃たれ、「手術演習」の犠牲になったことを知った。弾丸を取り出す手術にあぶれた軍医たちは、中国人の四肢の切断や気管切開をした。参加した軍医の何人かが、“別に珍しいことでもなく、しょっちゅうのことだ”とささやき合うのを聞いて、この種の“手術”は自分の陸軍病院だけでなく、あちこちの部隊でもやっていることを知った」
③ 湯浅謙の戦後の経歴; *1945年8月、日本への帰国ではなく、国民党軍の軍医となる道を選び、1945年の中国革命による新中国の成立後は、共産党政権の医師として働いた
*敗戦後も中国に残ったことについて湯浅謙は、「私は3人の中国人を、自身の手術演習で殺していた。そこで、医者として残った」と回想している
*湯浅謙が関わった人体実験で殺された人は全部で14人
*1951年に中国軍の捕虜となり、翌年末に山西省太源の戦犯管理所(終戦までは日本軍の捕虜収容所・太源監獄)に収監されました
以上から、私(荒井)の判断としては、以下の要因が重なった為に海上保安庁機が滑走路に入って待機してしまったと思います; ① 海上保安庁機・機長が、管制官の指示「No.1, taxi to holding point C5」「滑走路上で離陸許可を出すまで待て」と判断してしまった ②「 出発順位が1番、、、」という管制官の指示 ③ 滑走路停止位置表示の運用が停止されていた
④ 同滑走路を使用する着陸機(JAL機)の存在を知らなかった(←滑走路に侵入する前に着陸機を視認できなかった←「空は徐々に暗くなりつつある状態」だった為、及び「無線によるJAL機と管制官の交信を傍受していなかった」為
⑤ 管制塔の中にある「滑走路占有表示」の注意喚起のサインを管制官が見逃していた可能性
<独立王朝時代(10世紀〜19世紀)> * 938年、呉権(ゴー・クエン)が中国の南漢軍を破り、ベトナムは約1000年ぶりの独立を果たしました。その後、以下のような王朝が興亡を繰り返しながら、ベトナム独自の国家を築き上げました ① 李朝(1009~1225)
*ベトナムで最初の本格的な統一王朝で、都をハノイに定め、中央集権的な統治を目指す一方、儒教が導入され、国が安定
② 陳朝(1225~1400)
この写真はホーチミン市一区メリン広場にあるチャン・フン・ダオ(陳国峻)の像です。彼は安生王陳柳の子として生まれ、陳朝の初代皇帝・太宗の甥にあたる人物で智勇に優れ、将軍として重用されていました。因みに、 1257年、モンゴル軍が侵攻してきた時、大越軍を率いてモンゴル軍を大いに破り、逆に追撃するまでの大勝を収めました @1274年の元寇:文永の役(日本への攻撃) @1281年の元寇:弘安の役(日本への攻撃) 1282年、クビライが建国した元による侵攻を受けると、元の圧迫に恐れをなした皇帝仁宗が降伏しようと言い出しましたが、チャン・フン・ダオは「戦わずして降伏するくらいなら、私の首を差し出せ」と言って、断固として反対したといいいます。これに勇気付けられた仁宗は徹底抗戦の構えを固め、チャン・フン・ダオは大越軍の総司令官に任じられ、巧みなゲリラ戦を繰り広げて元軍に大勝しました @ベトナムへの侵攻が失敗したことで、元による日本への3度目の侵攻が行われなかったともいわれています
③ 胡朝・明の支配(1400~1427)
*一時的に明の支配を受ける(1400~1428年)
③ 後黎朝(1428~1789) ⇔ 日本の足利時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代
*黎利が明の支配から再び独立を勝ち取り、最盛期には南部チャンパ王国を吸収し、南北統一をほぼ達成しました。しかし、内部では阮(グエン)氏と鄭(チン)氏による実質的な分裂状態が続きました。明を追い出し独立回復。長期王朝となる
1954年4月26日:インドシナ和平会談@スイス・ジュネーヴ
*参加国:フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ベトナム国、カンボジア、ラオス王国、ベトナム民主共和国(べトミン)、ソビエト連邦、中華人民共和国 合意内容;
① ベトナム、カンボジア、ラオスの独立
② 停戦と停戦監視団の派遣
③ ベトミン軍の南ベトナムからの撤退とフランス軍の北ベトナム、カンボジア、ラオスからの撤退
④ ベトナムを17度線で南北に分離し、撤退したベトミン軍とフランス軍の勢力を再編成した上で、1956年7月に自由選挙を行い統一を図る
* 合意はベトナム民主共和国、中華人民共和国、ソ連、フランス、イギリスが署名するも、アメリカとベトナム国(ゴジンジエム政権)は署名しなかった
1968年、学生によるベトナム反戦運動の高揚; アメリカの学生運動も、ベトナム反戦とともに大学の官僚的な統制に反発し、大学改革を求める運動として1964のカリフォルニア大学バークレー校に始まり、1968年にはコロンビア大学やハーヴァード大学でも学生が校舎を占拠するなどの過激な運動が展開されました。この学生運動はたちまち全世界に広がり日本でも東大紛争を始め全国の大学にベトナム反戦の嵐が吹き荒れました
* 世界でヒットしたベトナム反戦歌:Peter Paul & Maryの「Where have all the flowers gone」、Bob Dylanの「Blowin’ in the wind」 1968年12月、ベトナム駐留米軍の兵力は約54万人に達しています
* 戦跡や博物館の記録、ベトナムの歴史を調べて実感した「ベトナム人の強さ」
ベトナム人は、理不尽な敵に対しては以下の歴史が教える通り、多くの犠牲を出しながら勇敢に戦い勝利を収める強さを持っています;
① 陳朝時代((1225~1400))の将軍・チャン・フン・ダオ(陳国峻)に率いられたベトナム人は、アジア・ヨーロッパを征服したモンゴル軍を二度に亘って撃退しました
② 第二次大戦後、日本の降伏の機会を捉えて再びベトナムの植民地化を推し進めようとしたフランスに対して戦いを挑み、1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランスに勝利しました。この長い戦争で、フランス軍とフランスの支援をしたベトナム人の死者は併せて16万人であったのに対し、ベトミンとその支援者の死者も16万人に達したと言われています
③ 1960年以降のベトナム戦争では、米軍は約5万8千人の死者を出したのに対し、ベトナム人は併せて(北ベトナム軍、ベトコン、南ベトナム政府軍、一般民衆)200万人の死者を出したと言われています
<ジャガイモ・タマネギ>
見出しの写真は、5月末から6月初めにかけて収穫したジャガイモとタマネギの写真です。ジャガイモは大・中・小併せて13.7キログラム、タマネギは生食用の赤いタマネギは6.3キログラム、白いタマネギは11.2キログラム収穫できました。この収穫量は例年並みと思います *ジャガイモに関する実験; ① 後述するキャベツの収穫がかなり遅れた為、またジャガイモの植付に使っていたコンテナが使えなかった為、ナスの栽培に使っていた丸い縦長のコンテナに2株づつ植えてみました。ジャガイモがナス科に属することによる生育上の問題が発生しないか心配しましたが、特に問題は起こりませんでした ② ジャガイモ栽培の初期段階で沢山出てくる芽を「芽掻き」と言って1~2本の芽を残して掻きとってしまう事が常識となっていますが、いつも「勿体ないな!」と思っていました。今回、掻きとった芽に根が付いているものがあったので2本だけ植えてみた所、この芽からも少量ながらジャガイモが収穫できました *タマネギに関する実験; ③ タマネギを寒さと乾燥から守るために、株間に黒色のゴミ袋を使ったマルチ(まがい?)と藁を敷いてみましたが、霜が防げたことと大きなタマネギを収穫できたことから、多少は効果があったような気がします
「はじめに」で述べた通り、大型コンテナを使う夏野菜は「種から育てるというマイルール」を貫徹するには、「プラスティック・ポッドへの種蒔き⇒大型コンテナの土の再生⇒植付」のプロセスを、以下の様に労働が集中しない様に数段階に分ける必要がありました; ① 2月下旬から和室の窓際に設置した「発芽装置(熱帯魚用ヒーターを使い、温めた水に苗のセルを入れたトレーを浮かべて温度管理を行う)」で発芽させる ② 発芽した苗を屋上の「育成装置(上記と同じ仕組み)」で苗を成長させる
③ ある程度成長した苗を、より大きなプラステイック・ポッドに植え替え(苗をより大きくするため)、コンテナの土の中に植え込む(水の管理を容易にするため) ④ 大きく育てた苗を大型コンテナに植え替える(5月下旬~6月上旬)
<ネギ類> 昨年、9月末に種まきしたネギは、以下の写真の様に育っていますが、未だに収穫するに至っていません。やはりもう少し勉強が必要です
*ネギに関する実験; ① 今年育てているネギについては、深いコンテナを使うことをせず「肥料の袋」を巻き、成長する毎に間に土を補充して育てる方法を採っています。扨て、立派な長ネギができるかどうか? ② 昨年冬に購入した長ネギは、乾燥した根が付いているものが多く、勿体なので根の上1センチくらいで切り落とし、これを土に植えてみました。一週間もしないうちチャンと茎が伸びてきました。現在半年近く経って以下の写真の様に成長しています。まだ食べていませんが、なんか行けそうな気がします!
【ピョートル1世(在位:1682年~1725年)】の時代 ① 北方戦争(1700年~1721年) バルト海への進出を目的にスウェーデンと長期に亙って戦って勝利し、エストニア、ラトビア、リトアニアの一部とカレリア(ロシア・フィンランド北部国境地帯)などを獲得しました
【女帝エカテリーナ2世(在位:1762年~96年)】の時代 ② ポーランド分割
ロシアは西方への領土拡大を企図し、プロイセン、オーストリアと共に弱体化したポーランド・リトアニア共和国を3度に亘り(1772年、1793年、1795年)攻撃した結果、ロシアは現在のベラルーシ、ウクライナ西部、リトアニアの一部を獲得しました。3ヶ国の分割支配の状況は下図参照;
【アレクサンドル1世(在位:1801年~25年)⇒ ニコライ1世(在位:1825年~55年)⇒アレクサンドル2世(在位:1855年~81年)】の時代
③ コーカサス戦争(1817年~1864年) コーカサス地方の制圧を企図してチェチェン、ダゲスタン、ジョージアなどと戦争を行った結果、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンを併合しました
3.その他の対ロシア防衛体制の強化 ① フィンランド;
* 地雷禁止条約(オタワ条約)脱退
* フィンランド軍、幹線道路で離着陸訓練 ② バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア); 三国共同で「バルト防衛線」を計画し、ロシアおよびベラルーシとの国境沿いに防衛施設を構築しています。この計画には、各国境に600以上のバンカー(掩体壕:左の写真参照)や対戦車壕の建設が含まれています
③ ポーランド; ポーランドは2024年末までにロシアおよびベラルーシとの国境沿いに防衛線を構築する計画を進めています ④ ドイツ・リトアニア;
ドイツは第二次世界大戦以降初めて、約 5,000人規模の装甲旅団をリトアニアに恒久的に駐留させることを決定しました。これはロシアのウクライナ侵攻を受けた対応で、NATOの東側防衛を強化する目的があります
*Follow_Up:2025年5月28日_日経新聞/欧州安保「強いドイツ」許容 戦後初の国外常駐、徴兵制復活も
3.スウェーデンの防衛 スウェーデンの総合防衛システムは、軍事防衛と民間防衛で構成されています。スウェーデンは NATO の集団防衛にも参加しています。 軍事防衛
スウェーデンの軍事防衛は、スウェーデンとその NATO 同盟国を武力攻撃から守り、国境を守り、紛争解決を支援します。軍事防衛は、スウェーデン軍と、スウェーデンの軍事防衛を支援することを主な任務とする政府機関で構成されています 民間防衛 民間防衛には、政府機関、地方自治体、自治体、民間部門、非営利団体とともに、スウェーデンに住むすべての人が関与しています。民間防衛の最も重要な任務の 1 つは、軍事防衛を支援することです。もう 1 つの主な任務は、国民を保護し、戦時中であっても、可能な限り重要な公共サービスが中断されないようにすることです。重要な公共サービスには、エネルギー、医療、輸送が含まれます。 NATO におけるスウェーデン;
スウェーデンは軍事同盟 NATO に加盟しています;
同盟の目的は、加盟国が団結して強力になり、他国による攻撃を抑止することです。それでも NATO 加盟国が攻撃された場合、同盟の他の国がその国の防衛を支援します。つまり、全員が 1 人のために、1 人が全員のためになるのです
7.空襲時に避難する 空襲があった場合は、すぐに避難所または他の保護場所に避難する必要があります。最寄りの避難所を選択してください。また、軍事攻撃の可能性がある場合は、その地域から避難する必要があるかもしれません
警報は、空襲警報やスウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio のチャンネル P4 など、さまざまなチャンネルを通じて放送されます
アルテミス計画は、2017年12月、一期目のアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプが承認・署名した月探査計画を内容とする宇宙政策指令第1号(Key Elements of SPD)に端を発しています。この計画では、新たに開発されるオリオン宇宙船と月軌道プラットフォーム・ゲートウェイ、それを利用する商業月面輸送サービスや、月面に建設する基地から発進するする火星探査計画までを視野に入れた壮大な宇宙開発計画となっています。因みに、日本も2019年10月にこの計画に参画することを決定しています。こうしたことから、アルテミス計画の目的を一言でいえば「人類が宇宙で持続的に活動できる基盤を築くことを目指しており、これによって未来の宇宙探査の道が大きく開かれる」計画と言えるのではないかと思われます
今回、これまでアルテミス計画についてシコシコ?と貯めてきた新聞やネットの情報を精査し、この計画の進捗状況と、その後の展望について勉強することにしました。結果は以下の通りです
3.アルテミス計画のキーとなる技術開発 A. 輸送用巨大ロケットシステムの構築
Space Launch System(SLS)はアルテミス計画に使われる巨大ロケットシステムです。以下の写真でその巨大さが分かると思います;
このロケットシステムの元請け(Prime Contructor)企業はボーイング社です。各シリーズの搭載重量などの性能は以下の様な計画になっています;
上表の黒い帯に書かれている数字が月面に送りこめる搭載物の重量を表しています
尚、SLSに関する詳しい情報はNASAのSLSサイトをご覧ください
1.酷暑に耐え、豊かな収穫ができた野菜 ① ナス
この夏は、昨年と同じく中ナス、水ナス、小ナスの三種類を昨年の倍以上の苗を育てましたが、よく酷暑に耐え、漬物(ぬか漬け、シバ漬け、浅漬け)、干物、サラダの材料、煮物・焼き物の材料、など充分すぎる収穫がありました。また、7月下旬には採れ過ぎることもあって一部のナスの更新剪定を大胆に!行う事によって現在(10月)に至るも紫色の濃い秋ナスの収穫が続いています。因みに酷暑のピークであった8月14日のナスの収穫状況(縞ウリ、キュウリも入っています)は以下の写真の通りです;
② 3尺インゲン
この野菜は原産地が東アフリカということもあって、6月以降現在(10月)まで酷暑を物ともせずほぼ毎日収穫できています。しかも、収穫しきれなかったインゲンがコンテナの中に落ちて、再び芽を出してスクスク!育っております
このインゲンは、茹でてから野菜サラダに入れる、煮物に使う、など多用途に使えて大変重宝な野菜です
③ オクラ
大きなコンテナ一つに3本植えましたが、現在(10月)でも毎日1~3本収穫できています。最初の2ヶ月ほどは1本仕立てで育成しましたが、9月に入ってからは徒長した茎をカットし、脇芽での収穫が続いています
3.酷暑に負けた野菜類
以下の野菜類については朝・夕の2回、大量の水遣りを続けていましたが、連日30度を超す酷暑、及び強い紫外線に負けて枯死、又は枯死に近い状態(成長が止まり、実をつけなくなった状態)となりました ① キュウリ
6月中は順調に育っていましたが、7月に入るとすぐに30度越えの日が続き、「遮光スクリーン」を下ろす前に急激に萎れ、水遣りを続けましたが全ての苗が枯死してしまいました。その後「遮光スクリーン」を降ろして新しく購入した苗を植えましたが、「遮光スクリーン」の中では順調に育ったものの十分な収穫ができませんでした <来夏の対策> *酷暑の為とは思いますが、今後先達の意見を聞きながら来年の植付迄に対策を考えたいと思います ② その他のウリ類(植付た苗はそれぞれ2~3本) 縞ウリ、八町胡瓜(長野県)、漬丸君(長野県の漬物用ウリ)については、いずれも7月中はある程度の収穫はあったものの、8月に入ると酷暑に負けて結実しなくなりました。ただ、ゴーヤについては、酷暑には強い様で、現在まで少ないながらも収穫を続けています
③ トマト 7月中旬まで3段目の実までは良く育っていましたが、4段目以上からはキュウリの様に枯死はしないものの花が咲いても実にはならなくなりました。原産地が南アメリカなので酷暑のせいばかりではないと思われます <来夏の対策> *実付きが悪いのは酷暑のせい以外に、植物ホルモンの可能性も考えられるので、来年はプロの農家も使っているという「トマトトーン」を一部の苗に使って試してみたいと思っています
1.流体の粘性
粘性という言葉からは、ねばねばする「とろろ」とか「納豆」を連想してしまいますが、ここでは全ての流体に備わっている「粘性」についての法則を簡単に説明いたします;
① 水は液体で、比較的高い粘性を持っていますが、一般的な液体と比べると寧ろ低い方です。水の動きは滑らかで、日常生活で強い抵抗を与えることは少ないものの、川の流れに足を入れば、川から強い力を受けます。つまり水の流れの強さによって足(体)に掛かる力が変わることを体感できます
一方、
② 空気は気体であり、粘性は液体に比べて非常に低く、空気中を物体が動く際の抵抗は水に比べて少ないものの、台風などの強風に晒されると、水と同じ様に強い力を体感することができます (注)上記①、②共に、強い流れにぶつかった時の「動圧」については、粘性の影響というよりは、流れを遮った時の圧力(質量をもっている流体を遮ることによる「反作用;下記ニュートンの第三法則)」)なので、むしろ、横を向いたときに感ずる流体から受ける摩擦力を実感して頂くと分かり易いと思います