羽田空港 C滑走路上の衝突事故・原因と対策

はじめに

2024年1月2日夕刻、羽田空港C滑走路で着陸機であるJAL516便(札幌⇒羽田)エアバスA350-941型機と、C滑走路上で離陸滑走を開始すべく停止していた海上保安庁のボンバルディアDHC-8-315機(能登半島大地震の救援物資を搭載していた)が滑走路上で衝突しました。衝突時、JAL機には機長のほか乗員11名及び乗客367名の計379名が搭乗していました。また、海上保安庁機には、機長以下6名が搭乗していましたこの事故で海上保安庁機では機長1名が奇跡的に助かりましたが、他の5名は亡くなりました。JAL機は衝突後滑走路を走り、最終的に滑走路を外れて擱座して見出しの写真の様にほぼ機体全体が炎上しましたが、奇跡的に乗員・乗客全員が脱出に成功し救助されました(1名重症/肋骨骨折、4名軽傷)

当初から注目されていた大きな事故なので、最終的な「航空事故報告書」が発行されてから当ブログを寄稿しようと思っていたのですが、事故原因自体はかなり早くから報道されていたものの、最終的な報告が出てこないので、現在分かっている情報を纏めてみることにしました。国土交通省のサイトを探すと、この事故関連の最新の報告書は2025年3月27日発行の「事故調査経過報告_修正版の訂正版」でした。この経過報告は158ページに亙る大部なものなので、このブログではその内容を出来る限り簡明で分かり易い説明を試みてみました、以下はその内容です。尚、このブログで使われている画像のは多くはこの経過報告書から借用しています

* Follow_UP(2025年8月26日)にスキップする

事故の経過と事故原因として考えられていること

A.海上保安庁機 及び 管制官側のコミュニケーション上の問題点
     <事故調査経過報告に書かれている事故の経過>
海上保安庁のボンバルディアDHC-8-315機(以下「海上保安庁機」)は、誘導路を北東に向け走行中にタワー西管制官(主にA滑走路、B滑走路など、西寄りの運用)からグラウンド東管制官(下図/管制塔参照)へ通信移管された
17時44分13秒、海上保安庁機は、グラウンド東管制官から、誘導路C(下図参照)を経由して滑走路停止位置(航空機又は車両が滑走路手前で停止及び待機する場所であって、当該滑走路に接続する誘導路上における位置)まで走行する経路を指示された。このとき海上保安庁機・機長は、誘導路C上には、海上保安庁機の右側に先行機が2~3機いて、左側には後続機も1機いることを認識していた。海上保安庁機は、誘導路H(下図参照)から誘導路Cに入るために右折した後、グラウンド東管制官(上図参照)からタワー西管制官へ移管された
下図の「A機」とは「海上保安庁機」、「B機」とはJAL機

海上保安庁機・機長は、この時点では、海上保安庁機の離陸は、前方にいる先行機の後だろうと考えていた。17時45分14秒、タワー東は、海上保安庁機に対し、誘導路C5の滑走路停止位置航空機又は車両が滑走路手前で停止及び待機する場所であって、当該滑走路に接続する誘導路上における位置への走行を指示するとともに、海上保安庁機離陸順位が1番目であることを通報する趣旨で「No.1, taxi to holding point C5」と伝達した。海上保安庁機は、タワー東からの指示を復唱し、誘導路C5に向けて走行を継続した

しかし、この赤色の滑走路停止表示の運用は停止されていた

海上保安庁機の機長は、このときのタワー東からの指示について、タワー東から
「Runway 34R, line up and wait, you are No.1(滑走路34Rに入って待機
してください。あなたの離陸順位は1番です)」と言われたと記憶していた

       <2024年2月2日発行の毎日新聞記事>
事故直前の両機を含む離着陸機が管制官と交わした交信記録を分析すると、どのようなことが見えてくるのだろう。JAL元機長(彼の発言は下記の◆参照)に読み解いてもらい、事故の要因や背景を探った。【聞き手・寺田剛、内橋寿明】

管制官海上保安庁機と交信する約2分前の午後5時43分26秒から米デルタ機とやり取りし、滑走路南端にある通常の停止位置への走行を指示しています。交信順からはデルタ機が先に離陸予定だったと考えるのが自然でしょう⇒実際には海上保安庁機が先の離陸順となりました。そして、進入許可が出ていないのに滑走路に進入しました

海上保安庁機は、能登半島地震の支援物資を積んでいました。管制官は任務の緊急性、重要性を考え、順番を入れ替えたのだと思います。45分11秒からの海上保安庁機とのやり取りでは、離陸順を強調するため「1番目」と伝えています。さらに少しでも早く離陸させる目的で、滑走路途中から離陸滑走を開始させるための滑走路進入位置「C5」に誘導しました
「C5(上図参照)」の誘導にはパイロットの同意を得る必要がありますが、管制官は同意なしに「C5」を指示しています。一方、「1番目」、進入位置「C5」と聞いた海上保安庁機は、出発が遅れており焦りがあったかもしれません。進入位置までお膳立てされているので滑走路進入許可を得たと誤解し、停止位置を越えて滑走路に入ってしまったのではないでしょうか
海上保安庁機側は停止位置に向かいます。1番目。ありがとうと指示を復唱しています

◆ この「ありがとう」に心情が表れているように感じます。通常なら離陸を1番目にすると伝えられても「ありがとう(サンキュー)」とは言わず、「了解(ラジャー)」と応じると思います。自分たちが優遇されたという感覚から、思わず「ありがとう」という言葉が出たのではないでしょうか指示を取り違えて滑走路に進入したとみられる背景には、優遇されたという思い込みがあったと思われます。海保機には、新潟行きという普段と異なるフライト、支援物資輸送という任務に気負いはなかったでしょうか

海保機はJAL機の着陸を知らなかったのでしょうか?
知らなかったと思います。管制官は44分56秒にJAL機に着陸許可を出し、JAL機側は45分1秒に指示を復唱して交信は終わりました。一方、海上保安庁機が管制官と交信を始めたのは45分11秒です。通常は、交信を始める直前に無線の周波数を合わせますから、10秒前に交信が終わっていた JAL機の交信内容は聞いていなかったと思われます
ただし聞いていなかったとしても、海保機が滑走路に進入する際には、着陸機がいないかを目視で確認したはずです。走行中で確認位置からは見つけられなかったのか、優遇されているという思いがあり、しっかり確認しなかったのか、遠くの影響を受けない位置にいると思ったのか、あるいはまた、隣の滑走路への進入機と見誤ったのか、目視でも気づけなかったのでしょう。

海保機はなぜ、離陸許可を得ていたと思ったのでしょうか。なぜ、滑走路に進入後40秒も待機していたのでしょうか?
海上保安庁機管制官との交信を終えたあと、同じ周波数の無線から聞こえてくる交信内容を聞いていたはずです。具体的に言うと、JAL機の次に着陸予定だった後続の民間機と管制官との交信です。この民間機に対し、管制官「(JAL機と民間機との間に)出発機あり」と伝えて減速を指示しています。「出発機」は海保機のことですしかし、着陸予定のJAL機の存在を知らない海上保安庁機は、後続機への更なる「最低進入速度への減速」指示を聞いたことで、自分たちは離陸の許可を待って滑走路上で待機していたが、管制官から何も言ってこなかったのは「既に離陸許可も得ていたのだ」「自分たちが早く離陸しないとあとが詰まってしまう」と思い、後続機の着陸前に急いで離陸しようとしたのではないかと思われます

事故の要因を整理すると、どういうことが考えられますか?
◆ 主因は、海上保安庁機側の思い込みです。交信記録を見る限り、滑走路への進入許可は出ていないのに、滑走路に進入してしまいました海上保安庁機の操縦室内で管制指示をどのように相互に復唱確認したのか、指示内容を再確認できる手段は何だったのか、管制官やJAL機パイロットが、滑走路上に停止していた海保機に気づけなかったのか、その点も運輸安全委員会の調査のポイントです。日没で辺りは暗く、目視での確認が容易ではなかったことも影響したことでしょう

以上から、私(荒井)の判断としては、以下の要因が重なった為に海上保安庁機が滑走路に入って待機してしまったと思います;
海上保安庁機・機長が、管制官の指示「No.1, taxi to holding point C5」「滑走路上で離陸許可を出すまで待て」と判断してしまった
②「 出発順位が1番、、、」という管制官の指示
③ 滑走路停止位置表示の運用が停止されていた
④ 同滑走路を使用する着陸機(JAL機)の存在を知らなかった(←滑走路に侵入する前に着陸機を視認できなかった←「空は徐々に暗くなりつつある状態」だった為、及び「無線によるJAL機と管制官の交信を傍受していなかった」為
⑤ 管制塔の中にある「滑走路占有表示
」の注意喚起のサインを管制官が見逃していた可能性

B.JAL機側が滑走路上の海上保安庁機を事前に発見できなかったか?
      <事故調査経過報告に書かれている調査の結果>
1.海上保安庁機の外部灯火の視認性の検証
最終進入中のJAL機の操縦席からの海上保安庁機の見え方の参考とするため、2024年1月29日に以下の条件で検証を実
・使用航空機:海上保安庁機と同型機
・検証場所:羽田基地駐機場
・検証項目及び点灯した外部灯火は下表のとおり;

観察者の位置:最終進入中の着陸機の操縦席の位置を模した場所(水平距離は後方400.8m、約2.8°上方)

検証時の周囲の状況:夜間(日没1時間後)、月なし
<検証結果>
海上保安庁機の水平尾翼中央部にある衝突防止ランプ灯(赤ストロボ)
及び上部尾灯位置灯(白)、胴体尾部にある衝突防止灯(白ストロボ)及び下部尾灯位置灯(白)が上後方から視認ができた

2.JAL機のシミュレーターによる検証
2024年4月17日、及び同年8月31日、A350型機シミュレーターを使用し、
事故があった滑走路への最終進入中におけるHUD(Head Up Diaplay/操縦室全面のガラス上に操縦に必要な基本データ下の画面の緑色の画像を投影する仕組み)の表示、滑走路飛行場灯火及び事故当時滑走路上にある海上保安庁機と推定される場所の位置関係の確認及び飛行中の操縦士の視線の動き等のデータ収集を目的とする検証を行った(尚、検証に使用したシミュレーターは、操縦士の手順を訓練することを目的として作られた装置であるため、飛行データ及びシミュレーション映像は、実際の飛行状況及び風景を完全に再現したものではない)
<検証結果>
海上保安庁機が停止していた位置は、JAL機の最終進入における滑走路上の降下目標から約150m着陸方向であった。
JAL機の最終進入中のHUDの Flight Path Vector (飛行経路ベクトル)の表示は、フレア操作(着地前に機首を上げる操作)開始まで最終進入の降下目標点付近にあった
*Flight Path Vectorとは:現在の航空機の実際の運動方向(進行方向)を示すシンボルです。
*通常、「飛行機の機首方向鼻の向き」とは異なる
風や対気速度の影響で、機首が向いている方向と、実際に機体が進んでいる方向にはズレが生じる
*Flight Path Vectorは「実際の航空機の移動方向」を視覚的にパイロットに示すためのものです
*表示例
:✈ ⇒これが機首方向(飛行機マーク);〇 ⇒これがFPV(移動方向)

海上保安庁機が停止していた位置は、滑走路中心線灯及び接地帯灯が滑走路面に埋設されている場所で、後方から視認可能である海上保安庁機上部尾灯位置灯(白)、下部尾灯位置灯(白)及び尾部に取り付けられている衝突防止灯(白ストロ
ボ)は、滑走路中心線灯の列とほぼ同じ線になっていた

④ 最終進入中の操縦士は、飛行状況を確認するため、HUD内の表示だけではなく、PFD(Primary Flight Director)等の従来の計器を含めた確認を行っていた*Primary Flight Directorとは:航空機の操縦において非常に重要な計器で、パイロットが所望の飛行経路に沿って飛行するための視覚的な操縦指示を提供します
*主な機能と役割:
姿勢指示:機体がどのようなピッチ角(上下の傾き)やバンク角(左右の傾き)を取るべきかを計算し、表示します
操縦支援:パイロットはPFDのバー(通常は逆V字型)に機体を合わせることで、正しい飛行姿勢を維持できます
自動操縦との連携:FD(Flight Director/機体の姿勢(ピッチ角とバンク角)を視覚的に示してくれるシステム)はオートパイロットと連動して動作することが多く、オートパイロットが何をしているかを視覚的に示します
手動操縦時の補助:自動操縦を使わない場合でも、FDはパイロットにとって非常に有用なガイドになります。
以上から、「事故調査経過報告_修正版の訂正版」では、発見可能であったとも、発見不可能であったとも判断していませんが、私(荒井)の判断としては
① 海上保安庁機の上部尾灯位置灯(白)、下部尾灯位置灯(白)及び尾部に取り付けられている衝突防止灯(白ストロボ)は、滑走路中心線灯の列とほぼ同じ線になっていたこと
(⇔非常に見難い)
② JAL機が着陸速度 250〜270km/h (秒速70メートル前後)
でアプローチしていること
③ 着陸前にフレアの操作をして機首上げの状態にあること(←下方の視界が制限される)
④ 着陸許可を得ている滑走路に進入していること等を勘案すると、事前に発見して衝突を避けることは非常に難しかったと思います
*筆者(荒井)の友人である機長経験者の意見によれば、HUDを見ながら操縦していたとすれば、
パイロットの眼の焦点は滑走路ではなく、HUDが写される前面のガラス(Windshield)に合せているので、滑走路上の海上保安庁機の上部尾灯位置灯(白)、下部尾灯位置灯(白)及び尾部に取り付けられている衝突防止灯(白ストロボ)を視認するのは極めて難しいはずとのことです

事故の要因となった問題点とその対処策

この報告が出されるまでに、離発着回数の多い羽田空港(1日当り平均千回以上)をはじめとするする混雑空港での同種事故を抑止するために、以下の様な対処策を行っています;
2024年1月9日、離陸順序を示す「ナンバーワン」を取りやめることを始めました
詳しくは日経新聞記事 “羽田事故で国が緊急対策 「ナンバーワン」使用取りやめ”をご覧ください

2024年12月、国土交通省から“中間取りまとめで提言された対策(進捗状況)”
が出ています。以下は、本事故に直接かかわる対策の抜粋ですが、詳しくは“241200_中間取りまとめで提言された対策の進捗状況”をご覧ください;

     <離陸順序に関する情報提供の再開、他

* 「ナンバーワン」使用取りやめについては、事故発生後、当面の措置として停止した航空機の離陸順序に関する情報提供(No.1、No.2等)について、パイロット
側から「離陸準備等において有益」との再開を望む声が多かったことなどから、管制官とパイロットの双方に対して留意事項を周知徹底した上で、令和6年8月8日より情報提供を再開した
*  管制官側の留意事項
@ 離陸順序の情報提供に関して、必要性や有効性のほか、パイロットに与える心理的影響についても留意した上で判断する
@ 離着陸時や急な悪天時のように、パイロットが機体操作に特に集中する必要がある場面や状況では、簡潔明瞭な交信を心がける
@類似便名の航空機について聞き間違いが発生しないよう、便名の異なる部分を特に強調する
パイロット側の留意事項
@ 離陸順序の情報提供があった場合も、滑走路進入には既定の許可又は指示(“Cleared for take-off”等)が必要
@ 管制指示等を受けた場合は確実に復唱
@ 管制指示等の的確な把握に努め、内容に疑義がある場合は管制官に確認
@ 滑走路進入時及び着陸進入時は、特に注意して外部監視

  <管制官とパイロットとの間のコミュニケーションミスの防止>
この事故の原因の一つがコミュニケーションミスであることから、2025年6月に(公益社団法人)日本航空機操縦士協会一般財団法人)航空交通管制協会共同で「ATCコミュニケーションハンドブック」の改訂版が発行されました。大変具体的に記述されていますので、ご興味のある方はご覧になってください

       <滑走路占有監視支援機能の強化>
@主要空港(成田、羽田、中部、大阪、関西、福岡、那覇空港)において、滑走路占有監視支援機能(滑走路誤進入に係る管制官に対する注意喚起システム)を強化中(下図参照)

    <滑走路状態表示灯(RWSL)の導入拡大(羽田空港C滑走路)>


     <管制官の人的体制の強化・拡充(緊急増員等)>
@ 航空機の離着陸に係る監視体制の強化を図るため、2024年7月31日付で管制官を14名緊急増員
@ 今後の航空需要の増大に対応しつつ、滑走路上の安全確保に必要な体制の維持・充実を図るため、2024年6年12月期より、航空保安大学校の管制官採用枠を12名(年間36名)拡大
@ 管制官の欠員解消に向けて、中途採用等を積極的に実施

    <管制官の人的体制の強化・拡充(離着陸調整担当の新設)>
@ 航空機の離着陸に係る監視体制の更なる強化を図るため、2025年度より主要空港(成田、羽田、中部、大阪、関西、福岡、那覇空港)に離着陸調整担当の管制官を配置予定。なお、新千歳空港では、防衛省において独自の監視体制を導入済み
離着陸調整担当が地上管制担当やレーダー担当との調整を行うことで、飛行場管制担当はパイロットとの交信及び航空機の監視に専念

          <管制官の就業環境の改善>
@ 管制官について、2020年度より国際基準に準拠した疲労管理(管制業務を行う最大連続時間の規制等)を導入済み
@ 担当席の業務の困難性・複雑性に応じた負荷の違いを勤務計画にきめ細かく反映するため、2026年度より新たな疲労管理システムを導入予定。
@ 羽田空港(東京空港事務所)では、事故発生後、現場業務に従事する全ての職員に対して、ストレスカウンセリングを実施済み
@ 今後、羽田空港以外においても、管制官にストレス管理の基礎知識等を付与するためのセミナーを順次開催する予定

      <滑走路誤進入検知システムの高度化に向けた調査・研究>
@ 空港面監視システムの検知精度の向上のため、海外動向調査等を実施中
@ 音声認識技術等の活用による管制交信のテキストデータ化及び認識齟齬等の検知・警告機能の導入に向けた調査を実施中
@ 航空機側の滑走路誤進入検知システムに係る海外メーカーの動向を把握しながら、導入に向けた課題の抽出等を実施中

多くの称賛が寄せられたJAL機の運航乗務員・客室乗務員の行動

          <寄せられた称賛の例>
2024年1月4日付 日本経済新聞 朝刊の記事
海外主要メディアは羽田空港で2日に日本航空機と海上保安庁機が衝突し炎上した事故を大きく取り上げた。米メディアは炎上する日航機から乗客・乗員379人全員が脱出したことを「奇跡だ」などと伝えた
米紙ニューヨーク・タイムズは航空専門家の意見として「全員が退避できたのはまさに奇跡だ」と報じた。脱出は乗務員と乗客の協力が成功した証だと指摘した。
米CNNは滑走路で激しく炎上する機体や煙に包まれる機内の映像を繰り返し放送した。乗客が荷物を持たずに脱出シューターから退避したことなどを「お手本のような対応」だとする専門家の見方を紹介した
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは米国の元事故調査官の話として、事故機からの脱出が円滑に進んだ理由を「航空会社の能力」と「航空機の設計」によるものだと説明した
衝突した日航機は機体に先端素材を採用した欧州エアバスの大型機「A350」。英BBCはエアバスが事故調査の専門チームを派遣することに触れ「A350が初めて巻き込まれた大事故」だと指摘した

     <報告書に書かれている運航乗務員・客室乗務員の行動>
機体が停止した後、機長は、すぐに非常脱出することを決定し、非常脱出のための手順を開始した。当該手順を実施している途中、機長は、操縦室に来た客室乗務員から火災発生の報告を受けたが、脱出指示装置及び機内放送システムが使用できなかったため、当該客室乗務員に大声で脱出を指示した。機長及び訓練乗員が、チェックリストに従い左右のエンジンを停止する手順及び両エンジンに消火剤を放出する操作を行った。この操作により左エンジンは停止したが、右エンジンは停止しなかった。このエンジンの作動状況について、操縦室内の計器上に何も変化が起こらず、運航乗務員は、両エンジンの状況が分からなかった

3名の運航乗務員は、非常脱出の手順において、機長は、脱出指示装置及び機内放送システムを利用して非常脱出の指示を客室にいる乗組員及び乗客へ伝達することを試みたが、いずれも機能しておらず、非常脱出の指示を一斉に伝達することができなかった
非常脱出の手順を完了した3名の運航乗務員は、操縦室を離れ、乗客の脱出援助を行った
客室では、前から3番目の出口の前方付近で側壁と床の隙間から白い煙が立ち始
め、刺激臭と共に徐々に濃くなっていった
各客室乗務員は、機体の完全停止を確認した後、乗客を落ち着かせるためパニック・コントロールを実施するとともに、機外の状況を確認し、その状況を機長に緊急連絡しようと試みた。しかし、インターホンによる通話ができず、また、他の乗務員ともインターホンでの通話はできなかった。左側前から2番目の出口(以下「L2」という。)、右側前から2番目の出口(以下「R2」という。)、左側前から3番目の出口(以下「L3」という。)、右側前から3番目の出口(以下「R3」という。)及び右側最後方の出口(以下「R4」という)を担当するそれぞれの客室乗務員は、担当出口の外で火災を確認したため、当該出口は非常脱出に使用できないと判断した。特に、R4においては、火災のほか、火花が後方に飛んでいる様子をR4を担当する客室乗務員が視認したことも、R4を非常脱出に使用しないことにした理由であった
操縦室の扉が外れていることに気付いた先任客室乗務員と左側最前方の出口(以
下「L1」という)担当の客室乗務員は、操縦室に向かい、運航乗務員に状況を伝
えた。先任客室乗務員及びL1担当の客室乗務員は、機長Bから非常脱出の指示を
受けると、同指示を右側最前方の出口(以下「R1」という)担当の客室乗務員に
大声で伝達した。この伝達を受けたR1担当の客室乗務員と先任客室乗務員は、機
外の状況を確認した後、17時51分30秒ごろ、L1及びR1のドアを開放して
脱出用スライドを展開し、乗客の非常脱出を開始した

L1及びR1からの非常脱出が開始された後、機長及び先任客室乗務員は、L1及びR1に向かう乗客の脱出の動きを阻害しないようにしながら、客室の後方に向かい、前方から非常脱出するよう、乗客に指示した
L2及びR2の担当客室乗務員は、客室前方が明るくなり、乗客が前方へ移動し
始めたことに気付き、非常脱出が開始されたと判断し、付近の乗客に対して、前方
に移動して脱出するよう指示をした
前方から3番目の出口より後方の担当客室乗務員は、機長Bからの脱出の指示を
受け取ることができず、煙が次第に濃くなる状況で、乗客への対応を続けたこの
間、インターホンが作動せず客室乗務員間の連絡も取れなかった火災のため出口
を使用しないこととした客室乗務員は、それぞれが担当する出口のドアを乗客が
誤って開けないようにするため、ドアから離れなかった。そのため、3番目及び4
番目の出口では、担当客室乗務員同士が直接、大声で使用可能な脱出口の有無を確
かめた。
L3担当の客室乗務員は、担当の位置から前方を確認したが、煙が濃くなり視界
が悪く、2番目の出口付近の状況を確認できなかった。かすかに懐中電灯の光が見
えたが、それが脱出を促しているのかは判別できなかった。前方にいた機長及び
先任客室乗務員は、乗客の脱出が前方から進み、通路を通って後方への移動が可能
となったため、発煙の中、客室を後方に進み、L3担当の客室乗務員に乗客を前方
へ移動させるよう指示し、当該客室乗務員は周囲の乗客に前方から脱出するよう指
示した
以下の写真はL3より後方の席から前方を撮影した煙の充満状況である。通常照明が消え非常灯のみが点灯する中、次第に煙が濃くなっている

R3担当の客室乗務員は、周囲の乗客が前方に移動する姿が見え、「脱出」(発声
者は不明)という声が聞こえたので、周囲の乗客に前方から脱出するよう指示した。
機体最後部左側出口(以下「L4」という。)担当の客室乗務員は、乗客への対応
を行いながら状況確認を続け、客席内に煙が充満し、周囲の状況が切迫してきたこ
とから、機長から非常脱出の指示を受けられない状況で、乗客を助けるためには担
当ドアを開けなければならないと判断し、同社の規程に従い、L4の外を見て、火
元がないこと、燃料漏れがないこと、スライドを展開するスペースがあることを確
認した後、17時55分ごろ、L4ドアを開放し、周囲の乗客に脱出するよう指示
した。
このような状況において、多くの乗客は冷静に行動し、乗組員の指示に従ってい
。また、一部の乗客は、日本語及び英語で行われた乗組員からの非常脱出の指示が、直接届いていなかった。これらの乗客の中には、周囲の乗客の動きに気付き、その動きに追随して脱出した者もいたが、自席付近で姿勢を低くして留まるようにとの客室乗務員からの指示を守り、客室乗務員からの次の指示を待ち続ける者もいた自席付近に留まっていた乗客は、逃げ遅れた乗客がいないか機内を捜索していた機長に発見され、脱出した機長は、客室内に乗客及び他の乗組員が取り残されていないことを確認し、17時58分、L4から脱出した。脱出後、各乗組員は、乗客の誘導及び確認を行うとともに、機長は、携帯電話で会社に対してJAL機の搭乗者全員が脱出したことを報告した
各出口から脱出した人数は、L1及びR1を使用した乗客が340~350名程
度、L4から脱出した乗客が20~30名程度であった

停止した後の機内照明は、各ドア及び客室通路天井部に設置されている非常灯が
点灯していた。このため、機内は、周囲が視認できる程度の明るさを維持していた
ただし、時間の経過とともに煙が機内に充満したため、特に客室後方では、視界が
悪化していった
JAL機には拡声器が4台搭載されており、非常脱出の開始後、一部の乗組員がこれ
を使用した。拡声器を使用していた乗組員の中には、騒然とする客室や外部からの
エンジン音などと紛れてしまい、音声が届きにくいことなどを感じて、拡声器の使
用をやめ、肉声での指示に切り替える者がいた。搭載されていた拡声器4台のうち、2台が事故後に回収された
なお、一部の乗客から、乗組員からの非常脱出指示の伝達状況に関する聞き取りを行い、脱出を開始した契機について確認した。その結果は下図の通り;

緊急に改善が必要なこと

今回、最新技術のエアバス機であるが故に大きな問題になりそうな点(私見)が報告書に書かれています。エアバスA350-941型機の機体で使われている材料は以下の様になっています;
機体外装のかなりの部分が CFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastics)で作られており、これは炭素繊維を樹脂(主にエポキシ樹脂)で固めた複合材料です。 軽くて強く・硬い材料としてスポーツ用途から産業用途、航空機、自動車に至るまで幅広い用途で使用されています。他の航空機にも徐々に使われていることは承知していましたが、不勉強のせいかこれ程までとは知りませんでした。勿論、飛行機に使われた場合の強度及び耐火性については欧州の規制当局及びエアバス社がしっかり管理しているとは承知していますが、事故当時の火災の状況を動画で見ているとちょっと心配になりました
今までの航空機は、外板の大半がジュラルミン(アルミ合金)で出来ており、この様に完全に燃え尽きることは無かったような気がします、、、
ただ、CFRPが燃えることによる有毒ガス、その他の有害な物質についてはこの報告書でも以下の様に言及しています;
素材として使用されている炭素繊維は、径が細く、何らかの理由で短くなった単繊維は粉塵となり大気中に飛散しやすい。また、飛散した炭素繊維は、皮膚や粘膜に突き刺さりやすく、痛み・かゆみを引き起こすほか、目や喉に障害を与えることがある。炭素繊維の粉塵が飛散することが予想される現場では、皮膚を露出しないとともに、防塵の吸い込み等を塞ぐために以下の様なマスク及びゴーグルの着用が必要とされています

ただ、今回の事故の際は、最初に出動した羽田空港の消防隊員の方々は、この様な防護体制は採っていなかったと報告されています
一方、救助された乗員・乗客の方々は、火災を起こしている事故現場から早々に安全な場所に誘導されていました

いずれにしても、これまでの航空機は、全損事故であっても搭載していた燃料は激しく燃えるものの、外板自体がこの様に有毒ガス、有毒物質を飛散させながら激しく燃えることは無かったと思われますので、事故後火災が発生した時の救助活動、消火活動については改善の余地があると感じました(私見)

Follow_UP(2025年8月26日)

ブログ発行後、本件について追加調査した結果を以下に記します
まず、衝突後 C 滑走路脇に擱座したあと、火災が鎮火するまでの状況を 2025年3月27日発行の事故調査経過報告_修正版の訂正版(以下「報告書」)から拾うと以下の様になります;
①17時46分26秒 JAL機の主脚が滑走路に接地
②17時48分14秒 機体が停止
③17時51分30秒頃 L1、L2から脱出開始
室内に煙が出て、徐々に濃くなる
④17時55分頃 L4を開放し脱出開始
17時58分 客室内に乗員乗客が取り残されていないことを確認し、最後に機長がL4から脱出脱出
*L4からの脱出者は20~30名

機体停止後脱出を開始した時間:17時51分30秒 ― 17時48分14秒 = 3分16秒
脱出に要した時間:17時58分 ー17時51分30秒 = 6分30秒
<参考>
航空機の設計基準には、「機内の全非常用脱出口の半分以下を使って、事故発生から90秒以内に規定された搭乗者全員が脱出できることを実証すること」とあり、客室乗務員は定期的にこの訓練を行っています。事故機は全部で8ヶの非常用脱出口があり、今回は火災の状況を判断して3ヶ所だけ(L1,R1,L4)を使って脱出を行いました

17時59分ごろ、火災は客室内に延焼(全員脱出完了してから1分後)
事故報告書より:主脚格納室付近で発災した火災は、乗客・乗組員の非常脱出が行われている間、脱出に使用していたスライド及びその周辺に延焼することはなく、全乗客・乗組員が脱出した直後(機体が停止してから約10分後)、客室内に延焼した
⑦事故報告書より:客室内に延焼した火災は、その後、客室内部の機首方向及び機尾方向に拡大し、胴体中央部の外板が燃え始め、胴体全体に延焼した
* 羽田空港での火災を外部から撮影した動画は当日各放送局から放映されています

⑧事故報告書より:JAL機で発生した火災は事故発生翌日2時15分に鎮火した
火災継続時間:26時15分 ― 17時48分 =8時間27分

<乗員・乗客の生存率向上の為の規制>
航空機の大きな事故による乗員・乗客の死亡原因を調査・研究した結果、椅子やシートベルト類の強度及び、客室内の装備品類の防火性能の強度について厳しい規制が定められています
1970〜80年代に発生した 不時着・衝突事故 の調査で、それまでの9G(重力の9倍)規格では「生存域のはずの乗客が座席崩壊により死亡」という事例が多数判明しました。その結果、米国国家運輸安全委員会(NTSB)が 米国連邦航空局(FAA) に勧告を行い、1988年以降に型式証明を受ける旅客機では 16G座席が必須となりました。また、1992年以降に製造される既存型機の新造機にも適用拡大されることになりました

②1970年代以前、内装品(シートクッション、壁・天井パネル)は燃えやすい素材(ビニール、ウレタン)を使用していました。その結果、以下の事故例の様に火災時に有毒ガスや煙が大量に発生し、避難より先に乗客が死亡する事故が相次ぎました
*1973年 イベリア航空351便事故:不時着後の火災で多数が煙により死亡
*1983年 エアカナダ797便火災事故:緊急着陸後に機内が炎上し、乗客23名が煙で死亡 ⇒ FAAが規制強化を決断
*1985年 英マンチェスター空港 B737火災事故:離陸中止後の火災で55名死亡。煙と有毒ガスが致命的要因
この結果、以下の様に内装品の耐火基準が強化されました;
*1984年、 FAAが 座席クッション油火燃焼試験(oil burner test) を義務化された結果、難燃性素材が使われるようになりました
*1986年、 14 CFR Part 25.853を 改正。内装パネル、床材、カーペットなどの燃焼性・発煙性試験を強化

尚、1990年代以降、 国際的に harmonization (安全基準の統一)が進み、EASA(European Aviation Safety Agency/欧州航空安全機)、ICAO(International Civil Aviation Organization/国際民間航空機関)基準も FAA に準拠しています
*因みに、エアバス機はEASAの基準に従って設計されています

参考:上記以外の航空機事故と採られた対策の歴史

<CFRPとは>
CFRP(注1)は、中間素材のCFRP Prepreg Sheet(注2)というシート状の炭素繊維を一方向に引きそろえ、熱可塑性樹脂・粒子等を分散した高靱化エポキシを含浸させたものを多方向に積層し、その後加圧、加熱硬化して製造されます
なお、各積層間には層間剝離防止のため、高靱化エポキシ層が配置されている。
機体構造に使用されるCFRPは、使用される部位によって厚さが異なります
注1:CFRP:Carbon Fiber Reinforced Plastics(炭素繊維で補強・強化されたプラスチック)と呼びます。炭素繊維には、高剛性、高強度といった特徴以外に「導電性・耐熱性・低熱膨張率・自己潤滑性・X線透過性といった特徴も兼ね備えており航空機分野を含め多くの用途で使われています
注2:Prepreg Sheet:炭素繊維やガラス繊維などの強化繊維に、あらかじめ樹脂が含浸された状態で供給される材料です。この技術は、成形時に樹脂を別途準備する必要がないため、効率的な加工が可能で、均一な品質を保つことができます

<CFRPが燃焼した場合の危険性>
燃焼した複合材の粉塵に曝されると、分離した繊維体に曝される場合以上に大きな問題が引き起こされることがあるとされています。現時点では明らかなことは、危険物であると確認し、危険物質が及ぶ範囲がどのレベルのリスクであるかを特定するためには、今後も更なる研究が必要とされています
また、その他にも健康に短期的な影響を及ぼすものが、衝突して燃焼した複合物からの繊維体や組織片に曝されることによって発生します。既に知られていることとしては、細かい繊維片が目や鼻、喉、肺に対して極めて刺激性があるという事実があり、更に不完全燃焼の組織片は皮膚炎などを引き起こすという懸念も残っています。また繊維やその他の複合体と一緒に肺に取り込まれた物質は、人によってアレルギー反応を引き起こす場合もあり、これは重大な懸念事項と認識されています
炭素繊維協会によれば、素材として使用されている炭素繊維は、径が細く、何らかの理由で短くなった繊維は粉塵となり大気中に飛散し易く、飛散した炭素繊維は、皮膚や粘膜に突き刺さりやすく、痛み・かゆみを引き起こすほか、目や喉に障害を与えることがあるとされています

<A350に採用されることとなったCFRPの耐火性能、毒性の試験>
A350の胴体部分のCFRPの耐炎性試験および煙と有毒ガスの試験条件は以下の通り:
① 試験片は、胴体下半分の最小スキン厚さの平らな複合パネルを用いる
② 試験片は、約 4インチ x 4インチ x 4インチの金属製ボックス内の面に取り付ける。
③ 火源は規定通り調整された石油バーナーである。
④ 試験片はこの石油バーナーの炎に5分間さらし、この期間中にボックス内の環境条件を観察し評価する。
⑤ 煙の排出と毒性は、定められた基準に準拠している断熱材を備えた一般的なアルミニウム胴体と A350 CFRP 胴体および断熱材の比較テストで以下の基準で評価する。
5分以内に炎が浸透しないこと
* CFRP パネル テストの煙排出曲線は、アルミニウム構造テストの曲線よりも大幅に早く 10% の光透過率に到達してはならない。
* 毒性評価は、テストの 5 分間に「ボックス」内で測定された THC(燃え残りの炭化水素成分)、HCN(シアン化水素)、SO2(二酸化硫黄)CO(一酸化炭素)、Nox (窒素酸化物)の濃度の測定に基づいて行われる。濃度は、FAA技術センターが指定した許容限度と比較する

<筆者(荒井)の個人的な見解>
事故現場の写真・動画を見ると、今回の事故は旅客機に炭素繊維強化複合材料(CFRP)が大規模に使用された初めてのケースであり、衝突時に大規模な火災が発生した時の乗員・乗客の生存可能性について今後もう少し詳細な検討が必要だと思いました
エアバス社によれば、これまでの試験でCFRPの耐火性はアルミニウムと同等であることが示されたと言っていますが、火災が胴体全体に延焼した時の様子は、胴体のCFRPがメラメラと燃え上がり、消防隊による消火を行っている間も炎の勢いが勝っているように見えます。また、当該 JAL便が国内線であり、着陸時の代替空港が近くにあるので、残っている燃料はそれ程多くないにもかかわらず完全鎮火迄に8時間も掛かっていることを勘案すると、CFRP自体が高温で燃え尽きるまで燃えたと考えるのが自然ではないでしょうか、、、、、

尚、その後生成 AI(ChatGPT)を使って、CFRP製の胴体パネルの耐火性能試験、等について調査した結果は概要以下の通りでした(詳しくは「A350 XWBの胴体のCFRPの耐火性について_ChatGPT」をご覧ください);
CFRPは炭素繊維そのものは燃えにくいが、樹脂(エポキシ)は燃焼・分解するのが弱点。ただ、
航空機用では 難燃化エポキシ樹脂 を使い、酸素指数(LOI)が高い配合になっている。
*限界酸素指数 (げんかいさんそしすう、Limiting_oxygen_index、LOI)とは、重合体の燃焼に必要な酸素の最小濃度をパーセンテージで表したものである。
酸素と窒素の混合物を燃焼中の試料に通し、臨界レベルに達するまで酸素濃度を下げることにより測定される。様々なプラスチックのLOI値は、ISO 4589やASTM D2863などの標準化された試験により決定される。また、LOI値は、サンプルの周辺温度にも依存する。周囲の温度が上昇するにつれて燃焼に必要な酸素割合は減少する。プラスチックやケーブルの材料は、実際の火災状況下での酸素要求量を評価するために、周囲温度と高温の両方でLOI値を試験する。大気中の酸素濃度よりもLOIが大きい材料は、難燃材料と呼ばれる
CFRPが火に曝されると、まず樹脂が200〜300℃で熱分解 し可燃ガスが出る。400℃付近で樹脂はほぼ失われ、炭素繊維が露出。その後酸化雰囲気になっていれば炭素繊維
も徐々に焼失する

おわりに

今回の事故の原因が海上保安庁機と航空管制官とのコミュニケーションにあることは、ほぼ明らかであると考えられます。一方、事故の原因究明を担当する運輸安全委員会の中の「航空・鉄道事故調査委員会」は同じ国土交通省の管轄になります。その結果、上述の通り対策はかなり迅速に進められ実行に移されており、安心しました。ただ、最終報告が未だ出されていない原因は何かあるのでしょうか???ちょっと不安になります
事故の最終報告が発出された時点で、内容の変更点などがあればフォローアップする予定です

以上

核融合炉についてちょっと勉強してみました

はじめに

地球温暖化の影響は近年益々深刻化し、昨年は世界的な規模で干ばつ・大規模森林火災、海水温の異常などが発生し、特に発展途上国の人々の生活に深刻な影響を与えているとの報道が相次ぎました
一方、昨年(2023年)末ドバイで開催されたCOP28では,はかばかしい進展はありませんでし。特に日本の取組状況に関しては、欧米先進国に比べて火力発電所の廃止ペースが劣後しているため、岸田首相演説に対し前回に続いて環境団体から「化石賞」を贈られる始末でした

日本を含む先進諸国は、再生エネルギーだけでは早いペースの脱炭素化は実現できないことから、再び原子力発電によるエネルギー供給を増やそうとしています。日本は、2011年の東日本大震災による原子力事故以降、当面は現存の原子力発電所の再稼働がメインの課題となりますが、欧米先進国は、新しいより安全な原子炉の開発に舵を切りつつあります;「ニュースケール・パワー」、「三菱重工・革新型軽水路の構造
また、新しいエネルギー源としてのクリーンな水素の製造手段としての「 高温ガス炉・実証炉の建設」についても日本のメーカーを含め開発が始まっています
<参考>
*2024年4月4日:「次世代原子炉で水素製造へ 安全試験成功、28年にも実証
*2022年7月20日:「高温水蒸気電解とは

しかし、これらはいずれも核分裂反応の原子炉であり、大量の核廃棄物の再生産を伴ってしまうことを考えると、2050年を視野に入れた脱炭素の歩みにとっては所詮リリーフの役割を期待されているに過ぎないとも言えます
やはり、脱炭素の本命は太陽のエネルギーの源である核融合反応を地上に於いて実現する「核融合炉」であることは論を待たないと思われます。日本は核融合炉の研究では世界の第一線で活躍しています。見出しの写真は、現在日本の核融合炉の研究で使われている巨大な実験設備です

残念ながら私は、大学時代航空学(ニュートン力学から発展した流体力学、熱力学までの知識で足りる!)が専門であったことから、核融合反応を理解する為に必須な量子力学一般相対性理論をきちんと学んではいません。こうした理論の結果だけを学ぶ手段として左の写真にある書籍「人類の未来を変える核融合エネルギー」を可能な限り丹念に読み込むと同時に、この本が2017年に初版を発行したのみになっていることもあり、その後の開発の進展、最新の技術情報や画像などはネット生成AIから入手することとし本ブログを纏めることとしました
尚、この本は8つの Chapter、83のSection の構成になっており、これらを左の写真にある7人の一流原子物理学者が分担して担当している為、相応の重複があります。一方、このブログの目的が「素人でも分かる核融合炉の理論、開発状況」であることに鑑み、勝手に構成を変えておりますので、核融合炉についてもっと深く知りたい方はこの本を購入してお読みになることをお勧めします

基礎知識

1.数字の読み方(理系の方は読み飛ばしてください!)
まず核融合反応についての説明を読むと、数字の桁数が異常に大きいか、異常に小さいことが多く、通常我々が扱う数字の範囲を超えており、これにたじろぐ人が多いのではないかと感じました。しかし私の経験から、これについては慣れが必要ではありますが、以下の3点を抑えておけば慣れるのはそれ程困難ではないと思われます;
数字の読み方については、日本語の場合「一、十、百、千、万、10万、百万、千万、、、」と大きな数字の読み方は「万」の単位以降は4桁単位で変わっていくのに対し、英語では「One,Ten,Hundred,Thousand,Million,Ten million,,,」と「Thousand」の単位以降3桁ずつ読み方が変わっています。また、アラビア数字で表記する場合、3桁ずつにコンマが入り、英語の場合はコンマの数で簡単に数字の読みが判断できます。桁数が増加した時に日本人には数字を読むのに苦労しますが、これは英語の読み方を覚え、慣れることで解決することがお勧めです(外国人と英語で数値のやり取りをする際にも役立ちます)
桁数は非常に重要です。通常、10n(分数の場合nはマイナス)と表記しますが、このnの数字は桁数を表します。例えば3桁といえば 103 =1,000(  10-3  1/1,000)になります。また、大きな桁数同士の掛け算(割り算)桁数は二つの桁同士の足し算(引き算)になるという便利な表記の仕方です
*例えば、103x105 =108 ;103÷105 =10-2
③ 科学で扱う数字については、桁数が異常に大きかったり、異常に小さかったりした場合、もう一つ大切なものは「有効数字」という概念です。通常、科学で数字を扱う場合、大きい意味を持つのは上3桁程度あれば十分です(例えば円周率の3.14159,,,,,のうち、普通に使われるのは上3桁の3.14)。この表記を使えば、どんな大きな数字でも、小さな数字でも「有効数字」x10nで表現できます

2.エネルギー・力の正体(高校物理が嫌い?な方は読み飛ばしてください!)
*以下の式の定数などは有効数字3ケタで表示しています
物体の熱エネルギーは、構成している原子や分子の運動によるエネルギー(=運動エネルギー)です。エネルギーの単位には、ジュール、カロリー などがありますエネルギーと温度のと関係は以下の式で定義されています;

ボルツマン(1844年~1906年/オーストリア)

E = k x T
E: 物質の熱エネルギー
k: ボルツマン定数:1.38 × 10-23
T:絶対温度 (単位:ケルビン)で表示された温度。摂氏で表示されるとの関係は、摂氏温度が「t℃」とすると;
T = t + 273.15

プランク(1858年~1947年/ドイツ)

ガンマ線、X線、紫外線、可視光線、電波、などは電磁波と総称されますが、以下に示す様にエネルギーを持っており、電磁波のエネルギーと周波数との関係は以下の式で定義されます;
E = h x 入
E:電磁波のエネルギー
プランクの定:6.63 ×10-34
入:周波数(古代ギリシャ語で「ニュー」と発音されます)
<参考>後段の核融合炉の具体的説明の中で、プラズマの加熱を「強力な高周波」で行っていることが出てきます

湯川秀樹(1907年~1981年)

③ 核力
陽子
中性子などの核種同士を繋ぎ留める力で,力が及ぶ距離は、1fm1×10-15メートル)程度の極く近接した距離のみで働く力ですが、クーロン力(下記)に比べ非常に強い力です。日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹
博士により、この力は中間子によって媒介されていることが証明されています
fm(フェムトメートル)は、原子核の大きさや素粒子の波長を測る際に用いられる非常に小さな単位です。例えば、陽子の半径は約1fm、電子の波長は約0.003fmです

④ 電気力(クーロン力)・ 磁気力

クーロン(1736年~1806年/フランス)

クーロン力とは、真空中の2つの電荷間の電場の中で発生する引力または斥力(反発する力)です。電荷の符号が異なれば引力、同じであれば斥力が働きます。クーロン力は以下の式で表されます;
F = k x q1x q2 ÷
F:クーロン力
k:真空の誘電率
q1、 q2:電荷の大きさ
r:2つの電荷間の距離

エルステッド(1777年~1851年/デンマーク)

磁気力とは、磁石が互いに引き合ったり反発し合ったりする力です。磁石の周りに存在する磁場によって引き起こされます。磁気の符号(S極/N極)が異なれば引力、同じであれば斥力が働きます。磁気力は以下の式で表されます;
F = μ₀ x (m₁ x m₂) ÷ (4π x r²)
F :磁気力
μ₀ :真空の透磁率
m₁ , m₂:磁荷の大きさ
r :磁荷間の距離

後段に出てくるプラズマの挙動で重要な意味を持つローレンツ力は、こうした電場、磁場に関する理論が基になっています
尚、上記のクーロン力磁気力の二つの式で重要なことは、いずれもその力が距離(r)の2乗に反比例していることです。例えば、核融合反応では水素の原子核(陽子/プラスの電荷)同士が結合しようとすると、近づけば近づくほど強い反発力が生まれ、結合しにくい訳ですが、ある距離まで近づけることができれば核力が働いで結合することができることになります

3.核反応を扱う場合に必要な元素の周期表の知識
分子、原子、電子、放射線、元素原子量原子番号、を理解するには元素の周期表などの知識が必須です。これらについては高校時代の物理で学んだことがある人が多いと思いますが、分からない場合は過去の私のブログ「原子力の安全_放射能の恐怖?(マウスでクリックすると現在の画面とは独立して参照することができます)をご覧になってください
以下の説明で、核反応の説明を行うときに屡々参照することが必要となると思われる元素の周期表については、度々私の過去のブログをご覧になるのも大変だと思いますので、以下に表示しておきます;

核融合反応とは

1.核分裂反応と核融合反応
核分裂反応は原子爆弾や現在の原子炉でそのエネルギーを生み出す源泉になっている反応です。元素の周期表にある原子量の大きい「ウラニウム235(原子番号92)」や「プルトニウム239(原子番号94)」が右の図の様に分裂することによって膨大なエネルギーが発生します。発生するエネルギーの量は、元の元素の質量をAとし、分裂後の原子の質量の総和をBとし、その差をΔm(=A-B;質量欠損といいます)とすれば、アインシュタインの「特殊相対性理論」から一回の分裂で発生するエネルギー(E)は以下の様になります;

E = ΔmxC2
Cは光の速度;30万km/秒 ⇒ 3.0 x  108m/秒
⇒ ⇒⇒ E = Δmx9.0 x  1016

これに対して、核融合反応は、周期表にある水素など原子量の小さい元素が集まってヘリウムなどの原子量のより大きな元素に変わることによって核分裂反応と同様に質量欠損が発生し膨大なエネルギーが発生します

質量欠損により発生するエネルギーの大きさは、核分裂の場合と同じ式で定義されます

2.核融合炉が核分裂炉に比べて優れているポイント
① 核融合反応はエネルギーの発生量が桁違いに大きい;
googleの最新の生成AI(GEMINI)の回答
核融合炉: 1グラムの燃料から約600万kWhのエネルギーを発生させることができます⇒これは、石炭約6,000トン、石油約4,200バレルに相当するエネルギー量です。
核分裂炉: 1グラムの燃料から約20万kWhのエネルギーを発生させることができます⇒これは、石炭約200トン、石油約140バレルに相当するエネルギー量です

② 核融合炉は、放射性廃棄物の種類、量、半減期、放射能レベル、処理方法、不測な事故、などにおいて圧倒的に有利です;
googleの最新の生成AI(GEMINI)の回答
核融合炉:
廃棄物の種類>中性子と放射線が主な放射性廃棄物です。これらの放射性廃棄物は、時間の経過とともに比較的短時間で減衰します
参考:中性子による放射化に関し詳しく知りたい方は以下の資料(ネット情報)をご覧ください:「中性子による放射化について
<放射性廃棄物の量>発生する放射性廃棄物の量が大幅に少ない
<放射性廃棄物の半減期>数分から数年程度の比較的短い半減期
を持つ放射性廃棄物が主です
<放射能レベル>核分裂反応に比べて、放射能レベルはかなり低くなります
<処理方法>
比較的短かい半減期の放射性廃棄物が多いので、貯蔵と自然減衰による処理が可能です
<事故などによる不測の事態に発展する可能性>
核融合は常温では起こらず、1億度以上という高温が必要であり、不測の事故(例えば電源の喪失など)が発生しても温度が下がれば自然に反応が停止するので安全性が高いと考えられます。また炉内の物質で放射性の物質は3重水素(トリチウム)のみで、他の物質(ヘリウム、重水素)は放射性物質ではありません

核分裂炉:
廃棄物の種類核分裂生成物とアクチノイド元素が主な放射性廃棄物です。これらの放射性廃棄物は、非常に長い半減期を持ち、何万年もの間危険な放射能を放出し続けます
考:アクチニド元素とは(元素の周期表参照)
元素の周期表の原子番号89のアクチニウムから原子番号103のローレンシウムまでの15元素群のことをアクチノイドといい、全て放射性元素です。原子番号90のトリウム、91のプロトアクチニウム、92のウランは、天然に存在するアクチノイドです。原子番号93のネプツニウム以降は人工元素であり、原子炉内などで生成されます

<放射性廃棄物の量>1gの燃料から、数万ベクレルから数億ベクレルの放射性廃棄物が発生します(ベクレルという単位の意味が分からない方は「原子力の安全_放射能の恐怖?」をご覧ください)
<放射性廃棄物の半減期>数千年から数十万年も続く非常に長い半減期を持つ放射性廃棄物が主です
<放射能レベル>非常に高い放射能レベルを持つ放射性廃棄物が発生
します
<処理方法>長半減期の放射性廃棄物が多いため、安全な処分方法の確立が重要な課題となっています
<事故などによる不測の事態に発展する可能性>
核分裂反応は常温でも起こります。核分裂反応では二つの破片と、平均して2.4個の中性子が発生し、その中性子が次の核分裂を誘発し連鎖反応が続きます。この連鎖がたった20回続いただけで、反応数は4千万倍(2.4の20乗)に上ります
原子力発電では分裂1回から出る中性子の内1個だけが次の核分裂を起こすようにうまく制御しています。しかし、不測の事故で内部構造が破壊されたような場合、爆発的ではないにしろ、勝手に核反応が進んで止められなくなる可能性があります福島事故はまさにこのケースです。核の分裂で出来る2つの破片として色々な物質が出来るので、ある一定の割合で非常に強い放射能をもつ物質が出来ることは避けられません

③ 燃料調達コスト・資源量
核融合炉:
現在計画されている核融合炉の燃料は「重水素」と「リチウム」です。重水素は海水中に約50兆トン存在します。3重水素は、核融合反応で出てくる中性子を使って、リチウムを原料にして核融合プラントの内部で生産します
海水から重水素を分離するには、硫化水素を使った技術(GS法)が使われます。この方法では、重水素と水素の重さの差で化学反応にわずかの差が自然に出ることを利用するので、重水の分離に必要なエネルギーも微小です。GS法による重水素製造は既に工業化されており、いずれ大量生産も可能になると思われます。こうして得られた重水を電気分解して重水素を作ります(因みに、この電気分解に必要なエネルギーは核融合で得られるエネルギーの100万分の1以下です!)
リチウムの回収技術についても既に幾つかの技術が開発済みです。例えば工業技術院・四国工業研究所が開発した「イオンふるい法」があります。これはリチウムだけを吸着する高分子を海水に漬けておくだけです。ただ現在、コスト的にはリチウム鉱山や塩湖から回収したリチウムの方が安価です

核分裂炉:
ウランは地球上で比較的豊富な元素であり、その資源量は約450万トンと推定されていますが、経済的に採掘可能なウラン資源量は約300万トンと見積もられています
核分裂炉の燃料コストは、ウラン資源量だけでなく、採掘コスト精製コスト、ウラン235への濃縮コスト原子炉燃料への加工コスト、及び使用済み燃料の処理コストなどが含まれます。勿論、これらのコストは、ウランの価格、採掘方法、精製技術、濃縮技術、燃料サイクルの種類などによって大きく異なります
現在、ウランの価格は比較的低水準で推移しており、核分裂炉の燃料コストは発電コスト全体の中で大きな割合を占めていません。しかし、将来的にウラン資源の枯渇や採掘コストの増加、環境規制の強化などが進むと、燃料コストが上昇する可能性があります

プラズマと核融合

核融合反応は太陽エネルギーの源であることは多くの人がご存じのことと思います。確かに太陽のエネルギーの源は太陽の中心付近で実際の起こっている水素原子が4つ融合してヘリウムに変わる時のエネルギーですが、この反応は現在の技術では地上で再現できません
太陽で核融合が可能なのは、その中心部で巨大であるが故に内部の密度は非常に高く、中心付近では固体水素の約1,800倍(因みに地球上の固体水素の密度は約0.086 g/㎤)になっていて、この極めて高い密度と1,600万度以上の高温により、水素の原子核(陽子)4ヶが融合(p-p Chain/連鎖)してヘリウムとなる反応が可能になっています(右図参照)
一方、地上では水素をこんな高密度にすることは不可能である為、重水素と三重水素を1億度以上の高温のプラズマにして電磁的に閉じ込めることにより核融合を実現することができるとされています(⇒実際に核融合反応が起こることが実験的にも確かめられています)
1.プラズマとは
地上にある物質は、通常温度が上がるにつれて「固体」⇒「液体」⇒「気体」と変化します(上図は水の相変化)。気体を更に温度を上げて(超高温!)いくと原子が活発!に動き回り(⇔温度が非常に高い事と同義)互いに衝突を繰り返す事になり、左図の様に「電子」が「原子」の束縛から離れ、自由に動き回れる現象(電離現象)が起きます。この状態を「プラズマ」といいます。プラズマはプラスの電荷をもつイオン粒子とマイナスの電荷をもつ電子の集合で全体としては中性です。しかしプラズマの部分を見ると性質が正反対の正の粒子(イオン)と負の粒子(電子)の集まりです。プラズマの電離度は温度が高い程、密度は低い程高くなります。プラズマは以下の様に自然現象でも発生し、我々が自身の目で見ることもできます;

① 蛍光灯の内部でもプラズマが発生しています
蛍光灯の内部では、電極からの放電によって中にある水銀ガスから紫外線が発生して管内壁に塗布された蛍光物質で発光しますが管内では放電により1万度の熱で約10億個の弱電離プラズマが発生しています。電離度は約1%、密度は大気(2.7x1019/1㎤)の1億分の1程度(約1011/1㎤)でかなり希薄です

② 雷でも強力なプラズマの姿を見ることができます
雷現象は雷雲と地上を電極とする地球規模で起こる放電現象です。雷雲と地上との間には数億ボルトの電圧がかかり、流れる電流は数万アンペアに達し、雷路と呼ばれる電気の通り道に高温のプラズマが生成されますこれによる大きな電場(注)で大気中に存在する電子が急激に加速され、空気の分子に衝突して雪崩的にプラズマが発生するとともに、そこに流れる電流によってプラズマは瞬時に加熱されて数万度の高温になり、それが膨張するときにまわりの空気を圧縮して衝撃波を発生させます。これがけたたましい雷鳴の原因です。尚、密度は空気の10倍以上になります
(注)通常理学系の分野では「電場(でんば/electric field)」と呼びますが、工学系の分野では「電界」と呼んでいます

③ オーロラは太陽からのプラズマで作られます
地球は南極をN極、北極をS極とする磁力線で囲まれた構造をしています。この地球磁場(注)はやはり磁場を伴ったプラズマである太陽風に吹き付けられる結果、左の写真の様に地球の昼側である前面ではプラズマの圧力で押し付けられ、夜側である後面では長く引き伸ばされます。プラズマは磁力線を横切って運動しにくい性質(後述します)があることから、地球磁場と太陽風の磁場の繋ぎ変え現象がはるか上空で起き、プラズマの一部は磁力線が地球内部に入り込んでいく北極と南極の上空に流れていきます。オーロラは、この地球磁場に導かれた太陽風が南極や北極の上空の空気と衝突した時に起こるプラズマの発光現象の一つです。上下方向にはカーテンの様に波打った構造で下方にはくっきりとした「縁」が見られます
(注)理学系では「磁場(じば/Magnetic field)」と呼びますが、工学系の分野では「磁界」と呼んでいます

④ 太陽を観察すると、様々なプラズマの現象が見られます
太陽の中心付近で発生した核融合エネルギーは10万年以上かけて太陽表面に到達し宇宙空間に放たれますが、そのエネルギーによって太陽の表面から上空にかけて様々なプラズマ現象が起きます
良く知られているのは数時間から数か月にかけて現れては消える黒点活動です。見た目に黒く見えるのは黒点の温度が約4,500℃で、回りの太陽表面の温度6,000℃より低いからです。黒点はX線で見ると左の写真の様に活動の激しい領域であることが分かります

黒点が集合している場所などで、内部に閉じ込められていたエネルギーが一挙に放出される「太陽フレア」と呼ばれる突発的な爆発現象がしばしば起こり、円弧を描くアーチ状のものや先の尖ったもの(カスプ状)など、様々な形をした高温プラズマが高度1万km~10万kmのコロナ領域に放出されます

2.電場と磁場におけるプラズマの挙動
プラズマを構成する電子とイオン(荷電粒子)は電荷をもっていることから、外部から加えられた電場や磁場などによる電磁気的な力に従って運動します
上図の右側の磁場の中に置かれた荷電粒子には「ローレンツ力」という電磁気力が作用するため磁力線のまわりを回転するようになり、磁力線に沿った方向には運動

ローレンツ (1853年~1928年/オランダ)

できるものの、それを横切る方向には運動がしにくくなる(磁場に捕捉される)性質があります。ローレンツ力と言っても馴染みのない方もいると思いますが、高校時代に物理を選択した方であれば、電動機の理論を学んだ時に覚えたはずの「フレミングの左手の法則」を思い出していただければ分かり易いと思います

磁場はプラズマの自由な運動を回転運動に変えることで動きを制限します。つまり、ここの乱雑な動きをする粒子に「方向」や「回転」という新たな秩序を与えることができることになります。この性質をうまく利用することによりプラズマ全体に秩序を与えることができます。プラズマを閉じ込める装置(後述)はこのプラズマの性質を考えて考案されたものです

また、プラズマには常に状態を中性に保とうとする「復元力」が発生します。プラズマの中にイオンや電子の密度に差(揺らぎ)ができると、イオンが多いところは「正/プラス」に、電子の多いところは「負/マイナス」に帯電する為、「正」の領域から「負」の領域に向かって電場が発生します。この電場は、イオンの多いところには電子を、電子の多いところにはイオンを引き寄せることから、もともと発生した電荷の揺らぎを無くすようにプラズマに運動を引き起こします
この復元力は、プラズマに様々な現象をもたらします。「重りのついたバネが伸びて、また戻るときに反対方向に縮み、その伸縮が振動を引き起こす」ように、電場がバネの様な役割をしてプラズマ中に発生した粗密が振動し、それが波として伝わることによるものです

プラズマがこの様に自身で運動を引き起こすという事は、プラズマが必ずしも人間の思い通りに振る舞ってくれない(外部から与えた磁場や電場に従ってくれない)可能性があることを意味しています

ラザフォー(1871年~1937年/ニュージーランド)

3.地上で核融合反応を起こすレーザー
核融合反応そのものは、1930年代のアーネスト・ラザフォードにより重水素をターゲットに粒子加速器を使って重水素を入射し実証していますが、発生した核融合エネルギーは、この為に要したエネルギーよりかなり少なく、入射を止めてしまうと核融合反応も止まってしまいます。核融合炉としてエネルギーを取り出すには「熱核融合(高温核融合)」であることが必要です。温度が十分に高く、かつ閉じ込められたプラズマによる核融合反応を目指す必要があります

① 地上の核融合は「DT反応」を利用する
太陽で起きている核融合反応は水素原子だけの(p-p Chain)であると書きましたが、このタイプの核融合反応は現在の技術では地上で実現できません。地上で実現可能と考えられている反応は、重水素(Deuterium)と三重水素(Tritium/トリチウム)による核融合反応(以降「DT反応」と表記します)です
その次に起こりやすい核融合反応は重水素同士による反応(以降「DD反応」と表記します)です。この反応は放射性物質である三重水素(Tritium)を燃料として使わないこと、及び発生する中性子のエネルギーが小さいことなどのメリットがありますが「DT反応」よりも厳しい条件を満たさないと成立しません

② 地上での核融合炉の成立条件
<以下はGoogleの最新の生成AIであるGEMINIの回答を使用しています>
核融合反応を起こすためには、以下の3つの条件を満たす必要があります;
十分な温度: 核融合反応を起こすためには、原子核同士が衝突する際に、クーロン斥力(基礎知識_2の④参照)を克服するだけのエネルギーが必要です。そのため、燃料となるプラズマは1億度以上の高温に熱する必要があります
十分な密度: 燃料となるプラズマ中の原子核が十分な頻度で衝突するためには、プラズマ密度が十分に高い必要があります。具体的には、10141015/cm3程度の密度が必要とされています。
十分な閉じ込め時間: 燃料となるプラズマが閉じ込められて、核融合反応が起きるまでの十分な時間が必要です。具体的には、数秒程度の閉じ込め時間が必要とされています。
これらの条件を満たすためには、強力な磁場によってプラズマを閉じ込める必要(後述)があります。また、プラズマを加熱するための方法も必要(後述)です

これらの条件を満たした状態を点火条件
といいます。点火条件を達成すれば、核融合反応が起こり、大きなエネルギーを発生させることができます。

自己点火条件;
さらに、外部からの加熱なしで核融合反応が自己持続的に起こる条件を自己点火条件といいます。自己点火条件を達成するためには、上記の3つの条件に加えて、プラズマのエネルギー損失を抑制する必要があります

4.プラズマ閉じ込めの二方式
磁場の中でのプラズマの挙動については、前項(プラズマと核融合)の「2.電場と磁場におけるプラズマの挙動」を参照してください
プラズマを閉じ込めるには、右図の様な「磁力線で編んだ籠(かご)」を作る必要があります
<以下はGoogleの最新の生成AIであるGEMINI、及びMicrosoftのCopilot(GTP-4)の回答を使用しています>
① トカマク方式
トカマクとは、ロシア語の「電流・容器・磁場」の頭文字に由来します
トカマク方式の磁場は、主に以下の3種類の磁場から成っています;
トロイダル磁場
ドーナツ状に配置された「トロイダル磁場コイル」によって生成されます。この磁場は、プラズマをドーナツ状に閉じ込める役割を果たします。
ポロイダル磁場
中心軸に沿って配置された「センターソレノイドコイル」によって生成されます。この磁場は、プラズマの回転を促進し、プラズマ内の熱を閉じ込める役割を果たします。
垂直磁場
プラズマの形状を制御し、安定させるために、トロイダル磁場とポロイダル磁場の方向に垂直な方向に生成されます。一般的には、外部に配置された「垂直磁場コイル」によって生成されます

これらの磁場の組み合わせによって、プラズマはドーナツ状の空間内に閉じ込められ、高温状態を維持することができます

② ヘリカル方式
ヘリカル(Herical/らせん状)方式の磁場は、主に以下の2種類の磁場で構成されています;
ヘリカル磁場
らせん状に配置された「ヘリカルコイル」によって生成されます(この磁場によってプラズマを閉じ込める)
垂直磁場
外部に配置された「垂直磁場コイル(注)」によって、ヘリカル磁場の方向に垂直な方向に磁場を生成します

(注)上図にあるRMP(Resistive Magnetohydrodynamic Perturbation)コイルとは「垂直磁場コイル」のことです
また、上図にあるLHD(Large Helical Device)とは、日
本の自然科学研究機構核融合科学研究所のプロジェクトによって製作された大型のヘリカル型プラズマ装置54分の長時間のプラズマ持続や、核融合に必要な条件の10倍となる高密度プラズマを成功させました。プラズマの温度は、2017年3月から始まった重水素を用いた実験で、核融合に必要な条件である1億2,000万度を達成しています(本ブログの見出しの写真の右側の装置)

<参考>
日本におけるヘリカル型核融合研究の現況については詳しく知りたい方は以下をご覧ください;
2018年8月30日_科学技術・学術審議会 学術分科会・研究環境基盤部会 学術研究の大型プロジェクトに関する作業部会_「超高性能プラズマの定常運転の実証」

核融合炉開発の現況

<以下は、外務省、経済産業省、科学技術庁のサイトから抜粋したものです>
ITER(日本では「イーター」と呼んでいます)は,当初,国際熱核融合実験炉(International Thermonuclear Experimental Reactor)の英語の頭文字をとった略語でしたが,その後、ITER事業のためにフランス南部の「Saint-Paul-lez-Durance」に建設されている国際熱核融合実験炉を意味する固有名詞として扱われることとなりました
ITERは、国際協力によって核融合エネルギーの実現性を研究するための実験施設です。この核融合実験炉は、核融合炉を構成する機器を統合した装置であり、ブランケット(原料のリチウムから3重水素を作るやダイバータ(後述)など核融合炉にとって極めて重要な機器の総合試験装置でもあります。計画が順調に進めば、この先「原型炉」、「実証炉」、または「商業炉(下のイメージ図参照)」へと続くことが期待されています
1.ITERの歴史と今後の開発計画
1985年11月 、米ソ首脳会談(レーガン・ゴルバチョフ)の共同声明が発端
1988年~2001年7月 、概念設計活動及び工学設計活動を実施(米国は1999年に計画から脱退
2001年11月 、政府間協議開始
2001年7月、建設に必要な技術的準備が完了
2003年2月、 米・中国が政府間協議に参加
2003年6月、 韓国が政府間協議に参加
2003年12月 、カナダが交渉から脱退
2005年6月、 第2回6極閣僚級会合(@モスクワ)において,フランスにITERが建設されることに決定
2005年12月 、インドが政府間協議に参加
2006年11月、 ITER機構設立協定締結,イーター特権免除協定署名。第1回暫定イーター理事会開催(@パリ)
2007年7月、 第2回暫定イーター理事会開催(@東京
2007年10月24日、 イーター協定発効
2007年11月、 第1回イーター理事会開催(@仏)、池田要氏が機構長に就任
2010年7月 、臨時イーター理事会開催(@仏),スケジュール等について記したベースライン文書を承認本島修氏が機構長に就任
2015年3月、 臨時イーター理事会開催(@仏),ベルナール・ビゴ氏が機構長に就任
2016年11月 、第19回イーター理事会開催(@仏),スケジュール等について記したベースライン文書を暫定承認

量子科学技術研究開発機構は、ITER協定に基づく活動を行う我が国の国内機関に指定されており、我が国が分担するITER機器や設備の調達活動を進めるとともに、ITER機構への人材提供の窓口としての役割を果たします

2021年5月、日本が製作を担当する超伝導磁石コイルは、三菱重工によって予備1基を除く計4基が完成し、南フランスのITERサイトに向けて順次積み出し
2023年12月、ITERの心臓部であるトカマク建屋内の真空容器底部が設置完了

今後の見通し
*2024年中に、超伝導磁石コイルの組立が完了予定
欧州が製作を担当する真空容器は、2023年12月に底部が設置され、2024年中に上部が設置予定
米国が製作を担当する中性粒子ビーム入射装置は、2024年中にITER建設サイトに搬送予定
韓国が製作を担当する遠赤外線診断装置は、2024年中にITER建設サイトに搬送予定
中国が製作を担当する電子サイクロトロン加熱装置は、2025年中にITER建設サイトに搬送予定
インドが製作を担当する遠隔操作システムは、2025年中にITER建設サイトに搬送予定
*2025年のファーストプラズマ
*2028年:核融合実験開始
*2035年:本格運転開始
今後の課題
新型コロナウイルス感染症の影響により、建設作業に遅延が発生している
ウクライナ情勢の影響により、ロシアからの資材調達に支障が出ている

2.日本の役割
日本はEUとの協力のもとに、核融合エネルギーの早期実現を目指して、ITER計画の効率的・効果的な研究開発を支援・補完するとともに、将来の核融合原型炉実現のために必要な炉工学研究やプラズマ物理研究などの先進的核融合研究開発を行う活動(ITER BA活動/Broader Approach)を青森県や茨城県で行っています
青森県では、BA活動の推進を図り、将来の原型炉の県内誘致を目指して、六ヶ所村において核融合エネルギーの研究に従事する外国人研究者等の子弟やその家族を対象に、国際的に通用する教育サービスの提供や生活上の支援、地域住民との国際交流の推進に取り組んでいます

JT60SA計画について
この計画は、核融合エネルギーの早期実現のために、ITER計画と並行して日本と欧州が共同で実施するプロジェクトです。その目的は;
① ITERの技術目標達成のための支援研究
ITERと同じ形で高い性能を持つプラズマ運転を行い、その成果をITERへ反映させます
② 原型炉に向けたITERの補完研究
高出力の核融合炉を実現するため、高い圧力のプラズマを長時間(100秒程度)維持する運転方法の確立を目指します
③ 人材育成
ITER計画をはじめとする核融合研究開発を主導できる研究者・技術者の育成を行います

全体の機能は以下の図をご覧ください;

上図に関する補足説明;
日本が担当する機器(日の丸部分)はいずれも技術的に難しく、ITER開発の成否関わる最重要な機器になります。以下に日本が開発を担当している特に重要な機器についての補足説明;
ダイバータ(Diverter)>
融合炉を構成する機器のひとつで、粒子排気、熱除去、プラズマ閉じ込め改善の3つの機能を担います
環状型のプラズマ閉じ込め装置では、コアのプラズマから壁へ拡散しようとする熱流束や粒子束による、装置内壁の損傷が問題となります。この問題解決のために、コアプラズマからの熱流束・粒子束を磁場配位によりダイバータ領域(右図参照)へ集中させます。この磁場配位では、コアプラズマからの熱流束・粒子束はダイバータプレートへ向かいます。ダイバータ磁場配位の利点は、プラズマ粒子をダイバータ部に集中させることにより効率の良い排熱・排不純物粒子ができる点、ダイバータプレート以外の装置内壁の損傷を低減できる点、などがあげられます。ダイバータ磁場配位の問題点はダイバータプレートへの高熱負荷・粒子負荷です。このため、ダイバータ領域での放射冷却や非接触プラズマの形成が課題となっています
中性粒子ビーム入射加熱装置
ITERでは、約 1,000万度のプラズマに、約 1,000倍位の高いエネルギーの粒子を約5x108
を数百秒間注いで1億度のプラズマを作ろうとしています。素粒子の研究に使われている粒子加速器はもっと高いエネルギーを出せますが、核融合では大量の高エネルギーのイオンを長時間作ることが必要なので、それなりの難しさがあります。また、核融合炉では磁場の籠を通り抜けるためにイオンを中性の水素に変える必要があります。イオンを加速する為に必要であった電荷を「中性化セル」(上図参照)と呼ばれる箱の中で水素ガスから電子を1ヶ受け取って高エネルギーの中性水素原子ビームに変えてプラズマに投入されます
高周波加熱装置>
ITERでは高周波のエネルギーをプラズマまで効率よく伝送するために、真空にした直径10cm以下の細い真空の管の中を通しています。高周波を発生するジャイロトロンとこの管の間には、菅内の真空を保つ為にダイヤモンドの仕切り板(直径10㎝、厚さ1mm)が入っています。この仕切り版は強力な高周波による熱負荷がかかるため強力な冷却を行うため熱伝導性の高いことが必要であると同時に、高周波を効率良く通す必要もあるためダイヤモンド(人工)が使われています
詳しくは、量子科学技術開発機構のプラズマ研究開発のサイトをご覧ください

尚、JT60SAとITERやその他の国の実験炉との性能の違いについては下の図表をご覧ください。右図表中の IP=「数字」MA という表示は、核融合炉の性能に直結するプラズマ中を流れる電流」を意味します。単位MAはメガ・アンペア(⇔100万アンペア;とんでもない大電流ですね!)を意味します

<参考>
トカマク型、ヘリカル型核融合装置以外にも、近年開発が進んでいる強力なレーザーを使った核融合炉の研究も米国、欧州、日本において進められております;
米国:国立点火施設(NIF)で点火実験を実施し、2022年には核融合エネルギー1.35メガジュールを達成しました。
欧州:HiPERプロジェクトで、2030年代の実用化を目指した研究開発を進めています。
日本:大阪大学レーザー核融合研究センターで高速点火法の研究開発を進めており、2023年には世界最高となる燃料密度120g/㎤を実現しました。

Follow_Up:2024年3月7日「伊藤忠・ソフトバンク、核融合発電の米新興に出資_2030年にも商用化
Follow_Up:2024年3月15日「核融合発電「30年代に実証」 レーザー型の開発で先行_米ローレンス・リバモア国立研究所 ジョン・エドワーズ研究顧問

おわりに

私にとって専門外の分野であることから、理解するのに時間が掛ると同時に、どうしても理解できない部分も多々ありました(⇒理論的な結論のみを拝借!)
一方、核融合炉の開発は、300年に亙る天才物理学者による研究の積み重ねによって、遂に無限の太陽エネルギー源に迫るというロマン溢れる挑戦であることが理解できました

現存の核分裂反応による原子力発電は、第二次大戦の主な戦勝国が原子爆弾の技術を使って実現し、世界に普及させたことは良く知られています。しかしこのタイプの原子炉は、チェルノブイリの原子力事故福島原子力事故を起こし事故発生に対するリスクをゼロにはできない事が分かったことと共に、未だに廃棄物の処理に関する技術が十分に確立されたとは言えません。もはや現存の原子炉は決して「夢のエネルギー」とは言えないことが分かってしまいました
また、地球温暖化の危機は刻々と迫っているにも拘らず、長期的な目標に漸近する気配が見えません。最大の化石燃料の消費国が本気になってこの危機に挑むことは、彼らの現在の人口経済力発展途上にあること、などから望み得ないことは明らかであると思われます

しかし、今回勉強した結果、核融合炉は決して夢ではないという事が理解できたと同時に、2050年の脱炭素目標と連携させる事ができるのではないか、という希望が湧いてきました。更に、この核融合炉の開発では、何と日本が主役の一人であることも分かりました。これから希望をもって日本の開発組織、開発担当者を応援したいと思います
日本の経済界も、昨年から核融合炉の開発に本気になって取り組む気配を見せています「核融合発電、IHIなど約50社が新組織」、「核融合産業の企業体、三菱重工など19社が中心

Follow_UP:2024年3月15日_「米・レーザー型の開発で先行_核融合発電「2030年代に実証」」」
Follow_UP:2024年4月23日_「政府・核融合で複数方式を支援へ_5年で200億円
Follow_UP:2024年7月4日_「核融合実験炉ITER、33年稼働に延期
Follow_UP:2024年7月5日_「核融合、多国間協力に壁 実験炉ITER 完成8年先送り_米中、独自開発進める 日本は2国間を強化
Follow_UP:2024年7月5日_「推進役、新興に期待 30年代商用化目標_巨額マネー調達
Follow_UP:2024年7月8日_「難路の核融合、米国は本気_民間CFS、27年に実証施設稼働 狙うはエネルギー主導権

 

以上

福島原発処理水海洋放出に関わる論点を整理してみました

-はじめに-

最近、標記に関わるニュースが頻繁に登場する様になりました。きっかけは、福島原子力事故以降、地下水や雨水が原子炉内に入り、溶けた燃料(デブリ/Debris)の冷却に使われて後、放射性物質を含む汚染水は処理された後、発電所の敷地内にタンクを適時建設しつつ貯留(見出しの写真参照/現在タンクは1,000基以上)してきたものの全容量(137万トン)の約98%に達しており、今年8月から海に放出する必要が出てきたためです

現在の計画では、国で決められた基準値の1/40に希釈し、海に放出する計画になっています。タンクに収められている処理水は、左の図の様に、予めALPSで有害な放射性物質は可能な限り除去されております
<参考> 左図のALPSとは、 Advanced Liquid Processing System(多核種除去設備)の頭文字を取った略語で、トリチウムを除く63種類の放射性物質を規制基準以下まで浄化処理する設備のことです。尚、巷では海洋に放出されるものを汚染水と言う人もいますが、海洋に放出されるのは「処理水」です。

<参考>  トリチウム以外の放射性核種の処理について
汚染水にはトリチウムを除き63種類の放射性核種が含まれていますが、それぞれの核種について、生まれてから70歳になるまでその核種を含んだ水を毎日約2リットル飲み続けた場合に、平均の被爆線量が1年あたり1ミリ・シーベルトに達する濃度が限度として定められており、これを「告示濃度限度(ベクレル表示)」と言います。
一方、処理水は、この63種類の核種の濃度の合計が1以下(1/100)となる様に二次処理されています(詳しくは「多核種除去設備等処理⽔の⼆次処理性能確認試験結果(終報)」をご覧ください)
例:(告示濃度限度(べクレル/L)処理後の濃度(べクレル/L)
*セシウム137  90/0.1850.0013
*コバルト60   2000.3330.0017
*ストロンチウム90300.03570.0012
*炭素14     200017.60.0088

処理水を更に大量の海水を混ぜて海に放出する設備は既に完成し、国際原子力機関や韓国の調査団に公開されており、この設備の海面下の設備を含む概念図は以下の通りです;

今年7月4日には IAEA(注)のトップであるグロッシ事務局長は処理水の海洋放出に関し、科学的な観点からは問題ないとの報告書を岸田総理大臣に提出しております。しかし現在、国際的にはこの海洋放出に反対する国があり、国内でも漁業関係者などは反対を表明している状況にあります
そこで、以前原子力関係の仕事(原子力安全基盤機構・監事)をしていたこともあり、私にも海洋放出の安全性について友人・知人にそれなりの説明責任を果たす義務があると考え、以下にその論点を整理してみることとしました
(注)IAEA(International Atomic Energy Agency)とは、日本語で「国際原子力機関」といい、原子力の平和利用について科学的、技術的協力を進める為、1957年、国連傘下の自治機関として設置されました

尚、以下の説明には原子物理学上の専門的な用語が沢山出てきます(ニュースなどではあまり詳しい説明なしに使用される傾向があります)が、原子物理学が得意でない方は、2016年8月に発行している私のブログ「原子力の安全_放射能の恐怖?」を事前にざっと一読して頂ければ理解が早いと思います

論点1_トリチウムの放射線の危険性

水素という元素は陽子が一つである元素の一般名称です。水素には原子量が1~3ヶの三つの種類があり(下図参照)、科学的性質はほぼ同じです
通常、我々が水素と言っているものは、上図の左端の陽子が一つだけの原子核を持った水素です。真ん中の重水素(原子核が陽子と中性子で1ヶずつで構成されている)は最近話題に度々登場している「核融合反応」の燃料として使われる元素です。右端にある三重水素がトリチウムです。三つの元素の内、放射性物質(放射線を出す物質)はこのトリチウムのみです。重水素・トリチウムはごく微量で自然界にも存在する元素で、主に宇宙線によって生成されたものですが、原子爆弾・原子炉が登場してからはトリチウムは人工的にも生成される様になりました

放射線が人体に与える影響を論ずるには、「放射線の種類」、「放射性物質の半減期」、「放射性物質の生物学的半減期(体の中に取り込まれた放射性物質が50%排出される期間)」を理解しておく必要があります
トリチウムはベータ線を放出してヘリウムの同位元素(陽子2ヶ、中性子1ヶ)に変わります(この反応は一般にベータ崩壊と言います)。ベータ線の正体は電子で、陽子の「1/1800」の質量しかないためエネルギ-は他の放射線に比べて小さく(最大18.6keV、平均5.7keV/キロ・エレクトロンボルト⇔非常に小さなエネルギーの単位)、またマイナスの電荷をもっている為に空気中を約6mm程進む内に空気中の窒素、酸素、他の元素との相互作用でエネルギーを失ってしまいます。従って人間の皮膚を通過して体内に侵入することはありません。一般に障子一枚で遮蔽することが可能とされています

②人間の被爆を論ずる場合、「外部被爆」と「内部被爆(体の中に取り込まれた放射性物質による被ばく)」の違いを理解していなければなりません
外部被爆」が問題となるのは、一時的に極めて強い放射線を浴びた場合、例えば原子爆弾の最初の炸裂時の強い放射線の直射を受けた場合や、死の灰(原子爆弾の核分裂生成物)による被ばくを長時間受けた場合、原子炉近くで被爆を防ぐ防護服を着ないで長時間作業を行った場合などであり、トリチウムの海洋放出では、外部被爆による被害を受けることは考えられません
一方、「内部被爆」については、放射性物質が体内に留まり身体内部で被爆し続けるため身体への影響が大きいことは言うまでもありません。例えば、ベータ線を出すヨウ素131の場合、半減期は8日生物学的半減期は138日ですが、ヨウ素は成長過程にある子供の甲状腺に取り込まれる可能性があることから、内部被曝による甲状腺がんの発症や甲状腺機能障害に関与することがわかっています(成人については甲状腺の成長はほぼ止まっているので、リスクはそれ程高くはないと考えられます)。またストロンチウム90の場合、ベータ線を出してイットリウム90となり、イットリウム90もベータ線を出します。半減期は29年生物学的半減期は49年に達します。ストロンチウムが周期表カルシウムのすぐ下にあることから分かる様に、化学的性質がカルシウムに似ており人間の骨に取り込まれ骨髄にダメージを与えることが知られており、白血病の発症や白血球・血小板の減少による免疫力の低下などに繋がる可能性があります。特に骨の代謝が盛んな30才以前の人はリスクが高くなります

トリチウムの場合、半減期は約12.3年、生物学的半減期は、水として摂取された場合(自由水中トリチウム)は10 日程度、有機物に含有されたもの(有機結合型トリチウム)を摂取した場合は40 日程度であり、トリチウムのベータ線のエネルギーが小さいことと併せ、内部被爆によるリスクはかなり低いと思われます ⇒下表参照


上表は、経産省の報告書から拝借したものですが、図を読む時の注意点は、縦軸の1目盛が10倍きざみになっていることに注意してください。簡単に言うとトリチウムは他の放射性物質と比べて「桁違いに生物に対する影響が小さい」ことが分かります

また、IAEAのサイト情報によれば、世界中のほとんどの原子力発電所では、通常の運転の一環として、低濃度のトリチウム及び他の放射性物質を含む処理水を、日常的かつ安全に環境中へ放出しています。尚、この処理水の放出は国の規制当局により認可・管理され、日常的に厳密にモニタリングされています
因みに、経済産業省の資料によれば、以下の図の様に現状においても、他の国も相応のレベルで放出していることが分かります
<参考> ベクレルという単位について;
「1秒間に1個の原子核が壊れて放射線を出すとき、この元素の放射能を1ベクレルとする ⇒ 単位が「兆」で吃驚しない様に!という定義で分かるように、この単位は放射線の種類やエネルギー、危険性とは直接対応していません。ただ、原子力発電所から排出する放射性物質の種類は概ね同じなので、放射性物質の排出量を比較するには適した単位です
<参考> 世界各国の原子炉タイプ別の排出量、排出方法(河川・海洋放出、気体での空中放出)は以下の資料をご覧ください「世界の原子力施設からの年間排出量

論点2_処理水の海洋放出に伴う反対論とその対策

1.海外での処理水放出反対論と原発事故以降の日本産食品の輸入規制の状況
つい最近まで中国、韓国などの国は、日本の処理水海洋放出に強い反対をしていましたが、IAEAによる安全評価が発表されてからやや下火になっています
特に韓国の尹大統領は、IAEAのグロッシ事務局長から直接安全性の説明を受けて以降IAEAの報告を尊重する立場に変わりました。一方、中国については本年7月14日の林外務大臣と王毅共産党政治局員との会談の内容を見ると、なお反対を続けるようです。ただ「処理水」と「汚染水」との区別がついていない、あるいは知っていても(自国の排出量が日本よりかなり多い)政治的な理由から反対を貫いているのかもしれません

日本産食品の輸入制限については、EUとの間の外交努力により、近々規制撤廃が確実になると共に、処理水海洋放出についても、同様の考え方から輸入規制を行うことは無いと思われます

<参考>
* 2023年7月14日・日経新聞「林外相「科学的観点で対応」_原発処理水放出 王毅氏は批判

Follow_Up: 2023年7月25日・日経新聞「日米韓・原発処理水巡り偽情報対策協議
Follow_Up: 2023年7月30日・日経新聞「日本食品のEU輸入規制、8月3日に撤廃 農相が明らかに
Follow_Up: 2023年7月3日・日経新聞「原発処理水の風評対策_放出前でも基金活用・ 経産相、福島の漁協訪問
Follow_Up: 2023年8月10日・日経新聞「NPT準備委・処理水放出に理解相次ぐ_中国は反対
Follow_Up: 2023年8月16日・日経新聞「中国、日本の魚「輸入停止」1カ月_卸・飲食店に打撃
Follow_Up: 2023年8月26日・日経新聞「水産物に追加支援策、政府調整 中国禁輸でホタテなど
Follow_Up: 2023年8月26日・日経新聞「処理水、濃度「異常なし」 東電が海水調査の結果初公表
Follow_Up: 2023年8月31日・日経新聞「処理水放出を評価、中国対応は「暴挙」_エマニュエル駐日米大使寄稿

2.日本の漁業団体の反対
日本の業関連の団体は処理水の海洋放出については強く反対しています。経済産業省や東京電力が、放出に関わる科学的な説明を行っても納得する気配はありません
* 2023年7月13日・日経新聞「全漁連、原発処理水の放出反対変わらず

ただ、上記の記事を分析すれば全漁連の要求は、放出に伴う健康被害を問題にしているのではなく、「風評被害に対する金銭的な補償を政府に求めている」様に思われます
風評被害の補償については、原発事故以降世界各国で福島産の水産物の輸入禁止措置が行われた為、既に以下の様な基金が準備されています;

今後、8月に予定されている原爆事故後の欧州各国の輸入規制が撤廃されれば、恐らく水産物の輸出が増加することと思われます
しかし、今後、中国・香港は「海洋放出が始まれば福島県産の水産物の輸入禁止措置を行う」と公言していますので、措置が実施されれば、2022年度の全国の水産物の輸出総額実績が3,870億円を超え、その輸出先の1位・2位が中国・香港(2022年度の輸出総額:1,626億円)であることを勘案すると「風評被害の為の基金の増額」が必要になるかもしれません
内訳を詳しく知りたい方は上表の基になる資料「2022年度_農林水産物輸出入概況」をご覧ください

Follow_Up:2023年9月:「米、日本産ホタテ輸出支援 処理水放出1カ月 中国迂回ルート開拓
Follow_Up:2024年8月:「ホタテ相場V字回復 中国禁輸1年、販路広がり再び品薄

-おわりに-

日本のトリチウム放出の安全基準は、1リットル当たり6万ベクレル、数字としては大きい値に感じられますが、、、この量の水を毎日2リットル飲み続けると、ベータ線による被爆は1年で0.8ミリシーベルトになります。
一方、政府が今年8月以降に計画している処理水の海洋放出は、上記基準の1/40以下に希釈して放出されます。こればWHO(世界保健機構)が飲料水に定める基準の1/7に相当し、毎日飲み続けても年間の被爆は0.02ミリシーベルトにしかなりません
この被爆量を私達が日頃色々な放射線源から被爆している量と比較すると以下の図の様になります(下図の場合も、縦軸の1目盛が10倍きざみなっていることに注意してください);

私は、昨年から今年にかけて前立腺がんの放射線治療を受けました。約2ヶ月に亘る治療の被ばく量の合計は76シーベルト⇒7万6千ミリシーベルトにも上ります。治療中に多少の副作用はあったものの、今も元気?に生きています
人間は有史以前から各種の放射線に被爆しDNAに損傷を受けてきましたが、その損傷を自らの再生力で修復し、生き延びて繫栄してきました。私はこの生命力と、科学的に立証されている情報を信じています。また、計画通り処理水の海洋放出を実施し、最も大切な福島第一原発の廃炉措置を進捗させることが重要であると考えます

処理水の海洋放出に関して、立憲民主党と共産党は反対の立場を取っていますが、両党の正式見解(下記参照)を見ると、放出そのものに反対を唱えているのではなく、風評被害に対して政府としてきちんとした対応を取ることが必要との立場で反対を表明していると理解することが至当と思います;
処理水の海洋放出に関する立憲民主党と共産党の見解

以上

 

地球温暖化と日本のエネルギー政策

-はじめに-

見出し写真の左側は、先日のNHK首都圏ナビ「これが東京湾!? サンゴは忍び寄る温暖化の危機か 潜ってみた」で放映された千葉県鋸南町の勝山漁港付近の海底の様子(ネット上の画像を拝借!)です。この放送で吃驚したのは、私が学生時代に友人の実家(愛媛県宇和島市)に滞在した時に知った日本のサンゴの北限が宇和島市近辺の豊後水道に点在する島(名前は失念!)であるという事でした。それが今や東京湾口の海底にまで北進しているとは、、、
そもそもサンゴや熱帯魚が黒潮に乗って東京湾辺りまでやって来ることは稀ではないのですが、これが冬を越し定着するには冬の海水温が既に相当程度の期間に亘って高温化している証拠だと思います。今後、私の生きている間に食べ慣れた「江戸前の海産物」が食べられなくなると思うと今更ながら地球温暖化の危機が身に沁みます?
また、見出し写真の右側は、最近大きな問題となっているシベリアの永久凍土が解けてできた大規模な陥没現象の写真です(動画:バタガイカ・クレーター
シベリアの永久凍土は、北極地方の炭素保管庫と言われています。これが解けると温室効果ガスの二酸化炭素(以下CO2と表記)とメタンガスが大気中に大量に放出されるおそれがあります。因みに、地球上のメタンガスの50%が北極地方と北半球の永久凍土に貯蔵されています。メタンは二酸化炭素の25倍の温暖化効果があるとされています

以下は、出来るだけ客観的な視点で資料をあつめ纏めたものですが、一部、私の個人的な意見を書いてある部分があります。この部分については青字の斜体で表記し区別してあります
また、挿入されている画像類についてはクリックすることにより拡大して見ることが出来ます

温暖化に伴う日本の産業構造転換の必要性

COP26(地球温暖化関連の用語類については私のブログ「電動航空機の夜明け」で簡単に説明しています)で日本が世界に約束したことは(COP26での岸田首相演説から抜粋);
日本は2030年までにCO2排出量を46%削減し更に50%削減を目指す。2050年にはCO2排出量をゼロとする

本の温室効果ガス2050年までの削減目標

②  途上国の脱炭素化を支援する為に、先進国は5年間で最大100億ドルの資金支援を行う。因みに、2050年までに脱炭素を実施する宣言を行った国は下図の通りであり、排出量の多い中国、ロシア、ブラジルなどは宣言を行っていません

2050年までのカーボンニュ-トラルを表明した国

一方で、欧米先進国が行った2030年までに石炭火力発電所を全廃するという目標に対して、日本は2030年以降も使い続ける目標にしていることに対して、環境 NGO「気候変動ネットワーク」から温暖化対策に後ろ向きである国への不名誉な賞である「化石賞」を贈呈?されてしまいました
こうした状況について、COP26に参加した日本人の高校生が何で日本は地球温暖化に対して積極的になれないのか」と言って涙を流していましたが、日本はエネルギー資源に乏しいこと、ヨーロッパ諸国の様に国境を越えてエネルギーの調達が出来ないこと福島原子力事故以降原子力発電に頼ることが出来ない状況にあること、等について正しい理解をしていないことが原因であるような気がします
因みに、資源エネルギー庁のサイトからこれに関連する図表を引用してみると、

日本のエネルギー自給率_2018年
日本の電源構成の推移

現在の日本のエネルギー自給率が11.8%しか無いこと、電源構成でCO2を大量に発生させる化石燃料の割合が何と!77%であること、戦後日本の復興を支えた水力発電については日本において既に開発余地が殆ど無くなっていること(詳しくは私のブログ「エネルギーと環境と原子力と暮らし方」をご覧ください)、など日本の膨大なエネルギー需要を再生エネルギーなどで簡単に代替できると考えることは現実的ではありません。また石炭火力だけを取り上げても、2030年までに全廃することが容易ではないことはご理解いただけると思います
因みに、経済産業省のプランでは2030年時点で電源構成に占める石炭火力の割合は19%としていますが、原子力が現在の稼働状況のままでは、大きな地震が起きると長時間の停電が起こってしまう事や、熱海の大崩落の惨事が発生して以降、大規模太陽光発電の立地が難しくなっていることなどを勘案すると、この目標でもかなりハードルが高いと私は考えています(参考:メガソーラー建設に「待った」 災害・環境破壊で反発

しからば、2050年にCO2排出量ゼロという岸田首相の宣言の実行性についてはどうか?という点に関しては、私は十分可能であると判断しています。日本の基礎技術に関する実力と、産業界の卓越した技術開発力をもってすれば世界の脱炭素化革命をリードする役割を担えると考えています
以下は経済産業省のサイトより入手した比較的分かり易い日本の2050年までの脱炭素計画の内容を図示したデータです;

日本の温室効果ガス2050年までの削減方法

上図にある脱炭素の各種施策について以下に簡単な説明を行います;
水素還元製鉄:現在の製鉄方法を例にとると、酸化鉄を溶かしながら高温で還元する(酸化鉄から酸素を奪うこと)為に石炭から作ったコークスを使っています。因みに、現在日本の鉄鋼産業が排出しているCO2は製造業では最大で日本全体の排出量の13.9%に当たります;

2018年度 国内のCO2排出量シェア

コークスに代えて水素を使った還元は、水素の吸熱作用などの技術的な問題があり、実現までには相応の時間がかかりそうです(参考:「日本製鉄・高炉屋の魂 水素で未来ひらく」)
Follow_Up:2022年5月28日・JFE、車向け高級鋼を電炉で生産

② FCV(Fuel Cell Vehicle):水素と空気中の酸素を反応させて直接電気を作る燃料電池(Fuel Cell)をエネルギー源とする電動自動車のことで、既にトヨタとホンダから市販されています(私のブログ「電動航空機の夜明け」でも簡単な説明を行っています)が、現時点では高価なので普及には時間がかかりそうです

③ メタネーション、合成ガス:メタネーションとは、CO2と水素から「メタン」を合成する技術です。これによりエネルギー源として現在天然ガス(約90%がメタン)を使っている民生用のガスを含めカーボンニュートラル(排出される炭酸ガスと吸収する炭酸ガスを同じ量にする)が実現できます。その他の合成燃料を含め、詳しくは資源エネルギー庁のサイトをご覧ください
Follow_Up:2022年4月・排ガス・下水からエコ燃料
Follow_Up:2022年4月・東京ガス、合成メタンを製造

④ バイオマス(Biomass ):現在地球上に存在する生物由来のエネルギー源のことを指します。石炭、石油も生物由来ではあるものの、使用すれば遥か昔に地下に固定したCO2を排出することになるので脱炭素エネルギーにはなりません;
既にバイオマス発電は山間地などで導入が進んでいます。具体例を知りたい方は私のブログ「エネルギーと環境と原子力と暮らし方」をご覧になって下さい

⑤ 再生エネルギー:太陽光、風力、水力、地熱、などを指します。現状を詳しく知りたい方は私のブログ「エネルギーと環境と原子力と暮らし方」をご覧になって下さい

⑥ CCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage):産業界で発生するCO2を回収し、利用することです。以下は、現在研究が一定の成果を上げている例です
CO2から化学原料を直接合成・排ガスは資源の実証めざす
CO2の燃料転換に希望

⑧ DACCS(direct air capture with carbon storage):大気中にすでに存在するCO2 を直接回収して貯留する技術。 詳しくはネット上のブログ「大気からCO2を吸収する技術」をご覧ください

上記以外でも、製造の過程で温暖化ガス排出の可能性がある製造業があり、発生量の大幅削減の努力が始まっています;
*セメント製造
㋐ 土木・建築関連作業は大量のセメントを使用しますが、製造の過程で大量のCO2を排出します。現在、CO2の発生を大幅に削減する技術が日本の企業により開発されました
三菱商事・米新興と提携_再生コンクリにCO2封入
大成建設「CO2削減コンクリ」本格展開・製造時8割減
コンクリにCO2封入_アイシン・大成建設とタッグ

*アルミニウム製造
省エネなどの目的で、あらゆる産業分野でアルミニウムが使われるようになりましたが、原料となるボーキサイトからアルミニウムを製造する過程で大量の電力を消費します

以上の様な対応を強力に進めた結果実現するであろう「カーボン・ニュートラルの産業」の姿を、経済産業省のサイトにある分かり易いイメージ図を拝借すると以下の様になります;

カーボンニュートラルの日本

このイメージ図ををご覧になると、これまでの日本の産業と全く違うインフラは、現在産業の血液である「化石燃料」が全面的に「水素」に替わっていることです

水素エネルギーの活用

水素エネルギーの活用について、前節では①、②、③のみが登場しましたが、実は水素が現在の産業構造を根本的に変えるエネルギー源として注目されています
昨今、世界の脱炭素化のうねりの中で天然ガスがクリーンなエネルギー源として奪い合うように取引が拡大していますが、天然ガスの主成分であるメタンガスはCH4の分子式で分かるように燃焼させた後に水(H2O)の他にCO2が発生しますので、完全なクリーンエネルギーとは言えません。エネルギーの水素化が実現する未来には、天然ガスは再び地中深くで眠って貰うことになりそうです
以下に水素が化石燃料に替わって主役になっていくためのキー・テクノロジーをご紹介します

<水素ガスタービン>
現在、燃料電池の他に水素を燃料とするタービン発電機が実用を目指して研究が進んでいます。日本では三菱パワー(株)、川崎重工(株)が最先端の研究を行っていますが、水素は燃焼速度が速く燃焼が不安定になりがちである事、また燃焼温度が高い為公害の原因となる酸化窒素(NOx)が発生する事、などを克服することが必要です
水素ガスタービンが実用化されれば、水素の製造原価が下がりさえすれば石炭火力だけでなく天然ガス発電など全ての火力発電を脱炭素化することが可能になります
<アンモニア>
水素を直接エネルギーとして活用する他に、水素と空気中の窒素を化合させてアンモニアを合成し、これをエネルギー源とする方法があります。アンモニアは常温で液体であり輸送コストは化石燃料と同じになり、NH4の分子式で分かるように燃焼してもCO2は発生しません。現在、石炭火力発電におけるアンモニアとの混焼の試みが始まっています(参考:JERAが石炭火力発電所でアンモニア混焼実証を初公開
ただ、アンモニア製造はこれまでハーバー・ボッシュ法(HB法)により、水素と空気中の窒素を化合させる方法を取っていますが、高温・高圧下での反応である為、製造プロセスでのCO2発生を避けることが出来ません。水素を製造する過程でのCO2の発生も考慮すると、HB法はエネルギーの脱炭素化のつなぎ役と言えるかもしれません
尚、常温・常圧で水(水素の元)と空気(窒素の元)からアンモニアの合成を行うという画期的な研究が日本の学者によって行われています!
空気と水からアンモニアを作る
アンモニアの製造コスト半減・出光が24年までに新製法

Follow_Up:2022年5月1日_日経「IHI、世界最大級のアンモニアタンク・次世代燃料普及へ

<メチルシクロヘキサン(MCH)>
トルエン(注)に水素を反応させてMCHに転換し、水素を輸送する方法もあります。トルエン、MCHともに常温・常圧で液体状態であり、常温・常圧の水素ガスを 1/500 の体積の液体として貯蔵・輸送することが可能になります。以下の資料は、経済産業省が主管する官民共同の協議会で発表された資料です;
MCHによる水素供給シナリオ_千代田化工建設(株)
(注)トルエンとは:アルコール類・油脂類などの溶媒(溶かす液体)として広く使用されています。ベンゼン(分子式:C6H6)の水素原子の一つをメチル基で置換した以下の様な分子構造をしています;
<水素製造法>
水素製造法については、製造過程で温暖化ガスを出すか出さないかで以下の二種類に区分できます;
ブルー水素:水素製造の過程で温暖化ガスを排出してしまう製造法
グリーン水素:水素製造の過程で温暖化ガスを排出しない製造法。勿論、製造の為に必要となるエネルギーについても温暖化ガスを排出しないことが求められます。但し、製造の過程で発生した温暖化ガスを地下貯蔵するなどの対応をとればグリーン水素の扱いとなります
現在、大量且つ安価な水素が必要な場合、ブルー水素を調達するしかありませんが、まずはこの水素で日本のエネルギーのインフラを改革し、大量且つ安価なグリーン水素の製造法が確立した上でこれに切り替えていくことが賢明であると思われます

A. ブルー水素の各種製造法;
化石燃料はその成分に水素が大量に含まれているので、化学的な方法で水素ガスを作ることが可能です。ただ、副産物としてCO2やCO(一酸化炭素)、他、の温暖化ガスが発生します。しかし、化石燃料の埋蔵量は膨大なので、当面エネルギーの水素化を急ぐのであれば当面こうした技術で水素を確保することは可能ですが、将来的にはCCSやDACCSなどの装置の併設が必要になると思われます
① 天然ガスからの水素製造技術:天然ガスからの水素製造
② 石炭からの水素製造技術:石炭からの水素製造
*資源エネルギー庁の褐炭水素プロジェクト
(注)CCS(Carbon capture and storage/CO2地下貯留)
B. グリーン水素の各種製造法
言うまでも無く水(H2O)は水素と酸素の化合物です。強固に結びついている水素原子と酸素原子を何らかのエネルギーで分離すれば水素を取り出すことが出来ます。勿論、利用するエネルギーは温暖化ガスを発生させないで得られたものに限ります
水の電気分解による方法
再生エネルギーを使った電気分解による方法;
再生エネルギーは、気象条件によって出力が大きく変動すると共に、需要についても季節、時刻により大きな変動があります。従って、需要の少ない季節、時刻に再生エネルギーを貯蔵することが出来るという大きな利点を備えています(特に最近の大規模な太陽光発電・風力発電設備)
洋上風力でグリーン水素製造_北海道電力などが最大拠点
Follow_Up:2022年4月7日(日経)_東電、再エネ調整弁に水素

② 高温ガス炉の熱エネルギーを使って水を分解する方法
高温ガス炉については次節で説明します。
次世代型「⾼温ガス炉」で⽔素を⼤量製造_ CO2発生ゼロ 

<水素の貯蔵・供給システム>
現在、化石燃料で賄われているエネルギーを水素に切り替えていくには、液体水素にして遠距離を運ぶタンカー(⇔海外からの輸入、国内の遠距離輸送に必要)、日本全国隈なく水素を供給するタンクローリー鉄道貨車(タンク車)、水素配管システム水素ステーション、などの水素の貯蔵・供給のシステムを新たに作り上げなければなりません
しかし、水素は常温で気体であり1気圧のままでの輸送はエネルギー密度が低いので実用性はありません。高密度で輸送する為に液体にするには-253℃以下の極低温にする必要があります。また気体のまま極めて高い圧力(例えば1,000気圧)で輸送することも考えられますが、高圧に耐える容器の開発や充填の際の断熱圧縮に関わる物性上の問題などを解決する必要があります
(参考)水素を高密度に貯蔵輸送する方法とその展望_日本燃料学会誌

以下は、既に開発が始まっている水素の貯蔵・供給のシステムです;
水素供給網の整備加速 ENEOSは給油所で2022年春に販売開始
水素補給拠点「2030年1000基」
東電・工場向けに水素を供給 山梨県・東レと実験
大型車に水素高速充填_官民7社・団体、福島に研究施設
水素運搬船_川崎重工

Follow_Up:2022年6月・日経新聞記事「三菱重工やアマゾン・水素製造装置の米新興に出資

原子力の活用

福島原子力事故が発生してから日本の原子力発電は大幅に規模を縮小したままになっています。欧州諸国は1986年4月26日のチェルノブイリ事故を経験していることもあり、つい最近までフランスを除き、長期的に再生エネルギーの開発に併せ、原子力発電を徐々に廃止する方向に舵が切られてきました。しかし、地球温暖化のペースが上がり危機的な状況を呈するようになってから、脱原子力から新しい安全な原子炉導入に政策の舵が切られるようになってきました(イギリス、フランス)。また、脱炭素を再生エネルギーだけで賄うことは、異常気象が発生した場合など、思わぬ苦労を強いられることも分かってきました
参考:風吹かぬスペインの教訓

日本にあっては福島原子力事故の復興も未だ途上にあり、事故を起こした福島原発の1号炉、2号炉の事故処理の目途も立っていない中で、既存原子炉の再稼働や新型原子炉の導入を議論することは不謹慎の誹りは免れないとは思いますが、日本の脱炭素化社会への道のりを確かなものにする為に、敢えて以下に原子力の活用について持論を述べてみたいと思います

1.原子力事故の教訓をどう生かすか
過去において世界を震撼させた原子力発電所の事故に関し、構造上の事故発生リスクをざっくり整理すると以下の様になります;
①1979年3月、米国スリーマイルアイランド原子力発電所事故
原子炉の構造(加圧水型)と事故原因
② 1986年4月、ソ連(現ウクライナ)チェルノブイリ原子力発電所事故

原子炉の構造と事故原因

③ 2011年3月、福島原子力事故

原子炉の構造(沸騰水型)

事故の進展

<事故の教訓をどう生かすか>
①と③は加圧水型と沸騰水型の違いはありますが、いずれも最終的に原子炉が暴走してしまった共通の原因は原子燃料を取り巻く冷却水の喪失です。つまり、燃料を冷却する水(熱エネルギーを運ぶ役割もある)には以下の様な自己制御性があり、水を喪失させないことと、水を冷却する機能を失わないようにすれば安全を維持できることが分かります
②のチェルノブイリ原発は中性子の減速材(⇔核分裂を起こさせるには高速の中性子を減速させる必要があります)に黒鉛を使っています。英国で最初に作られたコールダ―ホール型の原子炉も黒鉛を使っていました。
黒鉛は安価で大量に入手でき、中性子の吸収が少なく減速能力も比較的大きい優秀な減速材であり、濃縮していない天然ウランを燃料として使用できるという利点があります。 世界ではこの炉が約12%使われていますが、高温になれば燃えるという欠点があります。また、この事故が本質的に不安定となる運転モードで発生したとすれば事故の原因は設計自体にある考えられます

2.新型原子炉の概要
現在、安全意識の高い欧米先進国で新設を考えている原子炉には以下があります。経済産業省も次世代原子力発電の実用化に向けた工程表を策定する方針を決めました(次世代原発実用化へ工程表_経産省検討 技術・人材維持

⓪革新型軽水炉(2022年9月に追加)
従来の軽水炉を、事故の教訓生かして安全性を飛躍的に向上させようとしたもので、既存の技術が使えることと併せ、100万キロワット以上の大型化が可能なため投資効率が高く、開発期間が短いという利点があります。以下は、2022年4月、三菱重工のプレゼンが、ネット情報から得られましたので、以下に紹介します;
上図にある「コアキャッチャCore/炉心 Catcher/受け皿)」は、福島原子力事故で経験した「炉心溶融」の事態になった時に、これを受け止めて何らの動力を使用しなくても冷却できる装置です。以下の資料は、東芝の栗田智久氏が公益社団法人・化学工学会で発表した資料です。コアキャッチャーの原理及び実験結果がご覧になれます:コアキャッチャ;溶融した炉心の安定冷却

① 小型原子炉

一般的には 30万キロワット 以下の電気出力の原子炉のことを指します。米国のニュー・スケール・パワー社のSMR(Small Modular Reactor)といわれている小型原子炉の場合、プレハブ住宅の様に工場でモジュールを作り、モジュールの組立のみを現場で行うので均質で低コスト、建設期間の短縮が可能になります。これまでの大型原子炉が10年以上の工期が必要だったのに対して、SMRの場合3~4年で建設できると言われています
冷却システムは水の自然な対流で行われるので、非常用電源が無くても事故時の冷却が可能であり安全性が高いとされています
従来の大型原子炉が冷却のための水を確保する為に、海沿いか大きな川の近くに立地する必要があったのに対し立地の自由度が高いことから、消費地に近い場所に建設することも可能になります
尚、原子炉本体は地下に設置され、出力を増やすには独立した炉の数を増やすことで対応可能となっています;参考
三菱重工が小型原発、電力大手と協議・日立・GEも開発
Follow_Up:2022年4月・三菱重工のプレゼン(ネット情報)原発は「脱炭素に貢献」_欧州委が認定方針 関連投資促す
* Follow_Up:2022年4月18日・日経新聞「三菱重工・トラック輸送できる超小型原発・30年代商用化
Follow_Up:2022年4月・三菱重工のプレゼン(ネット情報)

② 高温ガス炉
高温ガス炉 は固有の安全性 が高く、異常時の過渡的な挙動も極めて緩慢です。これは日本の高温工学試験研究炉(HTTR)やドイツの高温ガス実験炉の過渡実験でも確認されています。燃料が環状に配置された炉心(下図左端を参照)では、冷却材による強制冷却ができないような事故においても、炉心中心部の温度上昇を抑え 原子炉 圧力容器外への自然放熱により炉心残留熱を除去できる設計となっています;

高温ガス炉の構造と茨城県の研究施設

冷却材(ヘリウム)の循環器2台が停止したあとの過渡状況;

横軸の0(ゼロ秒)で循環器2台が停止した後、原子炉の出力は30%以下に低下し、燃料平均温度と減速材(黒鉛)の平均温度は安定している事が分かります
参考;
高温ガス炉向け核燃料、実用レベルに
高温ガス炉設計、ポーランドと協力

Follow_Up:2022年7月20日_三菱重工・高温ガス炉を使い水素量産、産総研と新技術開発へ 
Follow_Up:2022年4月・三菱重工のプレゼン(ネット情報)Follow_Up:2022年9月3日_英国の高温ガス炉開発に日本が参加_30年代初頭にも建造

③ 高速増殖炉
高速増殖炉(FBR:Fast Breeder Reactor)とは、発電しながら消費した以上の燃料を生成できる原子炉です。高速増殖炉の炉心の周辺は劣化ウランなどで囲み、この劣化ウラン中のウラン238が中性子を取り込みプルトニウム239に変わり燃料となります。高速増殖炉は、高速中性子をそのまま利用するもので減速材は使用しません冷却材には中性子を減速・吸収しにくいナトリウムを使用し、原子炉で発生した熱で水を蒸気に変えタービンを回して発電します(電気事業連合会のサイトより)

日本の高速増殖炉研究・開発の悲しい歴史;
常陽高速増殖炉開発のために必要な技術・データおよび経験を得るための基礎研究・基盤研究を目的として実験炉常陽」が計画され、1977年、MK-I 炉心の初臨界を達成しました。その後、2007年にMARICO-2と呼ばれる照射試験用実験装置の上部が大きく破損する事故が発生したため、炉の運転休止を余儀なくされてしまいました。その後、2011年の福島原子力事故により原子力分野の安全規制・審査や世論が厳しくなり再稼働が遅れています
もんじゅ:もんじゅは、MOX燃料(プルトニウムとウラン混合燃料)を使用し、消費した量以上の燃料を生み出すことのできる高速増殖炉の実用化のための原型炉であり、高速実験炉常陽でのデータを基に建設されました。また、発生する高速中性子を利用した核変換技術などの研究の場としても期待されていました(⇔危険度の高い核廃棄物を核変換して量を減らすことが期待されていた)
1995年に、冷却材の金属ナトリウム漏洩と、それによる火災事故を起こし、更に事故が一時隠蔽されたことから、大きな批判を浴びましたその後、運転再開のための本体工事が2007年に完了し、2010年5月6日に2年後の本格運転を目指して運転を再開しました。しかし、2010年8月の炉内中継装置落下事故により、再び稼働ができなくなりました。2012年に再稼働する予定であったものの、2011年の福島事故の影響で実現せず、2016年12月21日に廃炉が正式決定されました。エネルギー自給に向けて長期間努力してきた研究者、電気事業の関係者にとっては非常に悲痛な出来事でした

日本はウラニウムの資源が殆ど無く、使用済みの核燃料から新たに核燃料(MOX)が作り出せるという事で国民の期待も大きく、研究も世界の先端を走っていたのですが、事故及び事故処理の不手際で残念ながら頓挫してしまいました
しかし、欧米先進国での研究は継続・進化を続けており、日本の経験はこれらの国との共同開発として生かされていくと確信しています。特に冷却にナトリウムを使う事となるので、日本の失敗が生かされるのではないでしょうか、、、、
参考;米高速炉開発で米国と協力覚書_原子力機構と三菱重工が技術維持へ関与

Follow_Up:2022年4月・三菱重工のプレゼン(ネット情報)

④ 核融合炉
核融合反応とは、太陽のエネルギーの源であり水素爆弾のエネルギーの源です。これまでの原子炉や原子爆弾のエネルギーがウラニウムやプルトニウムという原子量の大きな原子核が分裂する時の質量欠損がエネルギーに変る(発生エネルギー=質量欠損 x 光の速度の2乗)のに対し、核融合反応は水素やヘリウムといった原子量の小さな原子核が融合する時の質量欠損がエネルギーに変る反応です取り出せるエネルギーが膨大であることと併せ、核融合反応は核分裂反応と違って燃料不足になると核反応が止まるため比較的制御しやすいと言われています。また、反応により設備の一部が低レベルの放射性物質に変わるものの、敷地内などで数十年保管すれば放射能レベルが低下し原子炉材料として再利用できなど、有害な核廃棄物が非常に少ないという事が「夢のエネルギー」と言われる所以です核融合炉の仕組み核融合反応を起こさせるには、1億度以上の高温で原子核同士がぶつかり合うプラズマ状態にしなければなりません。このプラズマを炉の中に閉じ込めるには極めて強力な磁場が必要です。従って、核融合炉の開発には膨大な費用と長期間の取り組み、人類の英知の結集が必要なため国際協調のもとで開発が進められています。この炉の大きさをイメージするには、下の画像右下の「人の大きさ」と比較してみて下さい


計画の詳細を知りたい方は以下の資料をご覧ください:ITER計画

ITER計画の中で、日本が開発・製造を担当する部分は以下の通りです;

トロイダル磁場コイルの設計・製造については、三菱重工が担当しています;南フランス・ITER向けTFコイル計4基が完成

おわりに

脱炭素時代の幕開けは、エネルギーを大量に消費して成長を続けてきた先進国には産業構造・市民生活すべてを巻き込む大きなパラダイムシフトとなることは間違いありません
戦後の日本が、復興期を終え急成長を始めたころ、日本はかなりのレベルでエネルギーの自給を達成していました。エネルギーの元は水力発電の他に産業用の石炭と、民生用の炭やマキでした。しかし、エネルギーの石炭から石油への急速の転換によって日本では多くの炭鉱の閉山炭鉱労働者の解雇炭鉱労働者の争議の多発という社会大変革が起きました。下図はこうした大変革時の炭鉱労働者の離職者数を追った資料です(嶋崎尚子氏の論文石炭産業の収束過程における離職者支援」より引用)図から分かることは、1941年から15年以上に亘って炭鉱の閉山が続き、毎年数千人の炭鉱離職者が発生し、他の成長産業に労働者の移動が起こりました。私の友人の中にもこうした炭鉱離職者の子息がおります
Follow_Up:2022年7月26日_脱炭素、いざ「Reskilling」_欧州で進む「公正な移行」、日本は政策構想なく

その後の日本は、石油がエネルギーの主役になったものの、石炭と違って石油生産を中東諸国に頼っていたことから、1973年の第四次中東戦争に端を発する第一次オイルショック、1978年に始まったイラン革命に端を発する第二次オイルショックを経験しましたこれらの危機の教訓を踏まえて原子力発電に力を入れ、2010年には原子力発電のエネルギーシェアが25.1まで達していました

2011年の福島原子力事故以降全国の全原発が停止となり、その年の夏は冷房の設定温度を下げるキャンペーンが行われた苦い記憶が思い出されます。その後規制庁による強化された規制基準を基に検査が行われ、徐々に運転が再開された結果、現在の運転状況は以下の様になっています;

2021年3月の時点で稼働再開している原発は9基。稼働年数などを勘案して廃炉を決定した原発は24基に上っています。6基については厳しい新基準に合格したものの未だ地方自治体の合意が得られない為に稼働再開できていません。また、建設中の原発も工事を停止したままになっています

今後、日本は前述の通り急速に水素社会に移行することは間違いないと思いますが、再生エネルギーによる自前のグリーン水素を我が国で製造することには限界があり、海外からのブルー水素、グリーン水素を調達することになり、福島原子力事故以降続いているエネルギーの海外依存状態からは抜け出せません。悲惨な先の大戦が、米国による石油禁輸がきっかけの一つとなったことを考えれば、子供や孫の時代までこのエネルギーの過度な海外依存は続けるべきではなく、出来る限り早期にエネルギー自給に向けて政策の舵を切らなければならないと私は考えています
参考;
JERA・火力発電9基廃止_老朽化で採算合わず
三菱重工・原発を十数分で出力制御

原発反対している方々の顰蹙を買うことを承知の上で、近い将来の水素化社会に向けて、原発に関わる政策は以下のシナリオで進むことが現実的であると思います;
① 新規制基準に合格している原発の運転再開
② 建設中の原発の工事再開、及び新規制基準による検査が終了していない原発の検査を急ぎ、合格した原発から順次運転を再開する
③ 新しい「小型原発」の導入 ⇒  古い原発から順に廃炉させる
④ 高温ガス炉の建設 ⇒ グリーン水素の大量生産
⑤ 高速増殖炉の建設 ⇒ 使用済み燃料からのプルトニウム製造  ⇒ 自前のMOX燃料の生産拡大(⇔原発燃料の国産化;核廃棄物の削減
⑥ 核融合炉の建設(恐らく従来の核分裂型の原子炉は核融合炉に切り替わっていくと思われますが、早くて孫の存命中に実現するかどうか、、、)

上記は過激なように見えますが、①、②は欧米先進国では同タイプの原子炉の運転が継続しています。③は近い内に米国、フランス、英国では導入を決めるのではないでしょうか。恐らくドイツもウクライナ戦争が一段落した後には、数年後に廃炉を決めた原子炉の代替として導入を決めると私は踏んでいます
④、⑤については、つい最近まで日本の研究は世界をリードしていました。⑥については現在ロシアを含め先進国の共同開発が進められており、日本もその重要な担い手になっています

先進国は科学や産業の発展を支えると同時に、開発の過程で発生するリスクを負う責任があります。航空の歴史を見てもそれは明らかです(参考:航空機の発達と規制の歴史)。世界が脱酸素社会に向かう過程で日本がリーダーシップを発揮し、尊敬される国になるには、事故の教訓を生かすと共に、リスクを怖れぬ国(国民)に戻ることが必要と私は思います

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以上

日本の戦争の時代についての一考察

始めに

恒例となっている週一回の本屋渉猟で、最近、見出し写真の本を見つけ購入しました。この写真を見れば、多少でも歴史に興味のある方であれば「ミズーリ号上での降伏文書の署名式」であることはお判りのことと思います。明治以降の日本の歴史の中で、最も屈辱的な瞬間であったことは、ほぼ全ての国民にとって異論のない所だと思います
初版が2020年4月で第6刷発行が6月であることから、思いもよらぬ売れ行きだったのかもしれません。立ち読みで目次をパラパラ捲っていくと、学校で習ってきたこと、本で読んだことがあること、友人と議論したこと、などがズラリと並んでおり、それが「加瀬俊一」という外交官の活動と一本で繋がっていることが分かり、早速購入して一気に読み込んでみました。

今まで日本の戦争の時代についての、著作、映画、テレビ番組などは、相当程度チェックしてきた積りでしたが、この書の様に日本が経験した約15年間(1931年~1945年)の日本が関わった多くの戦争を、全体として繋げてみる機会が無かったので、この書を読むことによって、何か新しい歴史の見方や、現代の政治に生かせる教訓などが朧げに見えて来た様な気がします。そうした新しい気付きについて、恥ずかしながら以下にご紹介したいと思います。

尚、この本(開戦と終戦をアメリカに発した男」は加瀬俊一(としかず)という極めて有能な外交官が、歴史に名を残している東郷茂徳、広田弘毅、重光葵、吉田茂、松岡洋右、といった個性豊かな外交官の直属の部下として外交の実務面で、ほぼ一貫して「日本の戦争の時代」に関わり、それにより得られた各種の情報(裏話も含む)が詰まっています

15年戦争当時の主な外交官

最後の段落「開戦と終戦をアメリカに発した男_読書メモ」には、読書中に残した私のメモ(上記外交官の考え方、活躍の様子などが中心)に、時代を動かしたと考えられる内外の歴史上の出来事を、私の理解のために時系列で補完したものです。結果として前半の部との重複がかなり出てしまいましたが、私とは違った目で日本の戦争の時代を俯瞰するのに役に立つと思いますので、時間のある方は斜め読みでもご覧になっていただければ幸甚です

日本の針路に関わる重要な事象

1914年、オーストリア・ハンガリー帝国の都市・サラエボ(当時)での一発の銃弾で始まった第一次世界大戦(1914年~1919年)では、日本は戦勝国となり、パリ平和会議の結果結ばれたベルサイユ平和条約(1919年6月28日)では、日本は山東半島の旧ドイツ権益を継承し、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得ました。また、1920年1月に発足した国際連盟では常任理事国(イギリス、日本、フランス、イタリア)にも選任されています。以下は、それ以降の日本が関わる重要な事象を時系列に並べ、できるだけ客観的に記述したものです;

1.ワシントン会議(1921年11月12日~1922年2月6日)
1922にはワシントン会議が開催されました。全権大使は後の外務大臣、総理大臣となる幣原(しではら)喜重郎で、主力艦保有率を米:英:日本:フランス:イタリア=5:5:3:1.67:1.67とするワシントン海軍軍縮条約が締結されました
また、中華民国の領土保全、門戸開放、新たな勢力範囲設定を禁止する九カ国条約が締結され、日本は山東還付条約で山東省、及び山東鉄道を中華民国に還付することとし、山東半島や漢口の駐屯兵も自主的に撤兵することになりました。更に、日露戦争を勝利に導く大きな力になった「日英同盟」は、イギリスにとりロシア帝国とドイツ帝国が消滅したため無用になると同時に、英米関係にも好ましくなくなったため、解消されましたたワシントン軍縮会議
幣原喜重郎は米英との協調外交を主張しており、日本の軍事力を強く警戒していた米英に譲歩した結果になった為、この条約は海軍の不満のもととなりました

2.世界恐慌
1929年10月24日、ニューヨーク市場で株価が大暴落し、世界的な大恐慌に発展しました。この経済恐慌は日本にも波及し、日本の多くの産業分野が連鎖的な不況に苦しむ状況になりました
1930年、浜口雄幸(おさち)首相、井上準之助蔵相はこの経済状況の中で「金解禁」を強行したため、円の為替相場が暴騰し輸出産業は壊滅的打撃を被ってしまいました
更に東北・北海道の農家にとっては、「生糸価格の暴落」、「米価の大幅な下落」、「不況による都市労働者の帰農」に加え、1931年には大凶作が重なり、農家は「飢餓水準」の苦境に陥りました。この結果、欠食児童女子の身売りなど、深刻な社会問題が発生しました。陸軍・海軍の兵士には農村出身者が多く、こうした農村の疲弊に悩む兵士達を統率する将校たちの政治不信を生む原因の一つとなっていきました

3.第一次ロンドン軍縮会議(1930年1月21日~4月22日)
ワシントン会議では主力艦のみの規制であった為、各国(米英日)とも、巡洋艦以下の補助艦について高性能化や建造数を競う結果となった為、補助艦を含む建造制限を設けることとなりました
海軍は対米7割を主張するものの、首席全権大使の若槻禮次郎(元総理)は、日露戦争の際に発行した国債の借換え時期を控え、放漫財政縮減を行う必要があった為、米英との協調を維持しつつ、軍縮による軍事費の削減を実現することに対し積極的でした。最終的に米・英対日本は 10:6.975の比率で決着した為、海軍を中心とし不満が高まり、この後、海軍内に「条約派」と「艦隊派」の抗争を生む原因となりました

艦隊派」の不満の根拠となったのは以下の考え方です;
「帝国憲法に規定されている軍の統帥権は天皇にあり、陸軍・海軍は天皇に直属する組織なので外務大臣の様な文民が軍に関わる条約に関与すべきでない」
<参考:大日本帝國憲法>
第一章 天皇
第十一條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥
第十二條 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第十三條 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス
第十四條 天皇ハ戒嚴ヲ宣告ス。戒嚴ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

4,柳条湖事件~満州事変~満州国建国(1931年9月18日~1933年5月31日)
1931年9月18日、瀋陽市近郊の柳条湖付近で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破しました。関東軍はこれを国民政府軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用しました。
関東軍は、朝鮮師団(当時日本領であった朝鮮に駐在する師団:師団長/林銑十郎中将の越境による援軍を得て、戦闘そのものは約6か月で終結し、1932年3月1日には「満州国」が建国されました

抗日記念館で購入した写真集_題字は江沢民が書いた。「柳条湖事件を忘れるな」という意味

その後、1933年1月~3月、隣接する熱河省に軍を進出させ(熱河作戦)、満州国に編入し、さらに山海関をこえて中国本土にも侵攻しました。国民政府の蔣介石は、国内での中共との内戦を重視し、日本軍との妥協を図り、同年5月31日、塘沽停戦協定の締結に応じました。これにより日本軍は万里の長城まで後退し、熱河省を含む満州国を中国国民政府が承認するという結果となりました。
日本はさらに華北一帯を実効支配することを策し、華北分離工作を進めることとなります
1935年6月10日、梅津・何応欽協定を結んで華北一帯の国民政府軍を撤退させ、抗日運動は禁止されることになりました。内蒙古に関しても同様の土肥原・秦徳純協定が締結され、華北の国民政府軍を撤退させた上で、同年、冀東防共自治政府を傀儡政権として樹立させ、華北を国民政府から分離させることに成功しました


この全体のシナリオを描いたのは関東軍作戦参謀の石原莞爾中佐でした。彼が描いた満州国建国の目的は;
①石炭や鉄鉱石などの資源の確保、
②「世界恐慌」により貧困化した農民の受け皿
であり、国民に対しては「王道楽土」、「五族協和」、などの美しい言葉で理想国家・満州国を喧伝しました(参考:私のブログ「五色の虹-満州建国大学・卒業生たちの戦後」を読んで
この一連の関東軍の政治・軍事行動の問題点以下の通りであったとされています;
A.朝鮮軍の越境に関わる軍事行動は、天皇の事前の許可を得たものではなく、明らかな「統帥権干犯」の行為であったこと ⇒ その後陸軍の「独断専行」のきっかけとなったこと
B.その後石原莞爾が関東軍を去り、関東軍の行動が彼の理想とかけ離れていったこと ⇒ 日中戦争を始めてしまったこと

5.満州国建国と「リットン報告書」~国際連盟脱退
柳条湖事件の3日後の1931年9月21日、国民政府が国際連盟規約第11条に基づき、紛争の拡大防止を連盟に提訴しました。国際連盟による調査を行うかどうかについては日中間で意見の違いがあり時間がかかりましたが、イギリスの説得により同年12月10日の理事会で派遣がきまりました。調査団のメンバーはイギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアで構成され、メンバー間の互選で調査団長はイギリスのリットン伯爵と決まりました。また日本、中国はアドバイザーとして参加し、日本のアドバイザーは吉田伊三郎(前トルコ大使)でした
調査団一行は翌年に出発し、1932年2月29日、東京に立ち寄って犬養毅首相、吉沢謙吉外相、荒木貞夫陸相、等と会談。その後南京にて、国民政府の汪兆銘行政委員長、蒋介石軍事委員長と会見、北京では張学良とも会見しています。また満州では、満州国執政の愛新覚羅溥儀、関東軍司令官・本庄繁中将などに会って現地調査を行っています
1932年7月に再来日し。斎藤実内閣のメンバーと会見しましたが、当時の内田康哉外務大臣が満州国を承認していただく以外、解決の道はないと強硬に主張したため日本での調査は殆ど進展しませんでした

報告書作成の段階で、
フランスのクローデル代表や、イタリアのアルドロヴァンディ代表は「日本を非難することは現実的ではない」と相当強い異見を述べましたが、これらの異見見は報告書にはあまり反映されず、1932年9月4日、メンバー全員が報告書にサインをして国際連盟に送付されました。

報告書では、「満州(東三省)は常に列国が中国の一部と認めていた地域で、同地方における中国政府の法律上の権限に異議が唱えられたことは無い」と書いてありますが、以下の点で日本の立場をかなり認めています(以下の文章では報告書の日本語訳が「シナ or 支那」としているので全てこれに合わせています);
①シナの内乱状態:これに関する所論は適切である。満州事変の遠因をシナの無秩序・無理想な混乱にあるとし、内乱によって受ける日本のダメージが痛切であることを指摘している
②満州の歴史:日露戦争の勝利によって、日本がロシアから満州における権益を受け継いで満州経営に乗り出すと、この「楽土」を求めてシナ人たちが満州にやってきたことや、日露戦争後、満州がシナから放棄されていたことを記述している
③満州における排日抗日運動:条約や取決めによって日本が取得した権益をシナが容認しない傾向を挙げており、排日的な命令及び訓令が発せられた事実を認め、日シ間の緊張が日本の積極的な行動によって生まれたのではないことを裏書きしている
④張作霖・張学良時代の満州の内政:腐敗、悪政が跡を絶たず、軍隊維持のために重税を課し、それでも足りずに不兌換紙幣を乱発したことなどを指摘している

更に、報告書の最後の方(第9章)には、、今後双方が満足すべき結果を得るには、以下の10項目に留意する必要がある事を述べています;
1.日支双方の利益と両立すること
2.ソ連の利益に対する考慮を行うこと
3.現存の多角的条約(国際連盟規約、不戦条約、ワシントン9ヶ国条約)と整合すること
4.満州における日本の利益を承認すること
5.日支両国間の新条約を成立させること
6.将来の紛争を解決するのに有効な規定を設定すること
7.満州の自治を認めること
8.満州内の治安維持、外部からの侵略に対する保証(武装隊の撤退と関係国間の不侵略条約の締結)を行うこと
9.日支両国間における経済関係を促進させること
10.シナ国内を政治的に安定させるために国際協力を行うこと

以下は、参考とした「全文 リットン報告書」の解説を行っている渡辺昇一氏の意見です。我々世代が学校で習ってきたことと随分違う意見なのでやや戸惑いますが、この報告書が採択されても連盟に留まるべきという意見には全面的に賛成です;
松岡洋右の「国際連盟脱退」の演説(1933年2月24日連盟総会でリットン報告書を採択 ⇒ 同年3月 27日日本政府は連盟事務局に脱退の通告を行ったについて、彼がジョンストン(愛新覚羅溥儀の英語教師、これは後に『紫禁城の黄昏』という本を出版している)のような知識を持っていなかったことが日本の不幸であった。彼は満州は清朝固有の領土」という歴史的事実を説くべきであった。国際会議の場でこうした事を言わないで、キリスト教国でもない日本を二千年前の「ナザレのイエス」に例えている(松岡洋右、国際連盟総会で「十字架演説」)のはいかにも場違いであると言わざるを得ない。満州が満州民族の正統の皇帝を首長に頂く独立国に既になっていることも主張すべきであった。「勇の前に知を」ということは日本の政治家や外交担当者が第一に心すべきであったと思う
尚、リットン報告書が採択されても、日本は連盟に留まっているべきであったこうした外交問題は揉めているうちに既成事実となり、承認する国も増えたはずである

6.第二次ロンドン軍縮会議(1935年12月9日~1936年1月15日)
日本は、海軍内が既に「艦隊派に牛耳られていた為、前年の予備会議でワシントン海軍軍縮条約の廃棄を通告し、1936年1月15日、遂にロンドン会議からも脱退しました。この後、日本は経済力の限界を超えた海軍艦船の建造競争に突入することになりました。また、この時点で既に海戦の勝敗は航空戦力で決まる事が分かっていたにも拘らず、「大鑑巨砲主義」に基づき、秘密裏に巨大戦艦「大和」と「武蔵」の建造を開始していました。こうした流れを生んだ背景には、マスコミが強硬論で煽り、世論がこれに同調し、海軍・艦隊派がこれに便乗するという構図がありました

7,5.15事件(1932年5月15日)~2.26事件(1936年2月26日~29日)
5.15事件は、武装した海軍将校たちが総理大臣官邸、他各地(内大臣官邸、立憲政友会本部、警視庁、変電所、三菱銀行)を襲撃し、総理大臣犬養毅を殺害したという事件です。
一方、2.26事件は、陸軍青年将校を中心として、1,483名の武器を持った下士官・兵卒を率いて起こしたクーデター未遂事件です。高橋是清・蔵相、斎藤実・内大臣、渡辺錠太郎・教育総監が殺害され、鈴木貫太郎・侍従長は重傷を負いました
この事件は、いずれも武装した軍人が起こした事件であり、政治を動かしている要人をターゲットにしていることから、軍の意向に逆らうことが生命の危険を伴うという恐怖心を植え付けることになりました。また、2.26事件では東京朝日新聞本社も襲撃され、被害は出ませんでしたが、以後の軍によるメディア統制に逆らえない状況が生まれるきっかけとなる出来事でした。こうした事から、2.26事件以降、軍による政治への干渉は最早抑えることができない状況になりました

2.26事件の首謀者

また、2.26事件の収束に当たって、天皇は、穏便に収めようとする陸軍首脳部の意向を拒否して戒厳令を布告し、即時鎮圧をさせたことは、帝国憲法第14条にある「統帥権」を自ら行使したことになります

8.広田内閣による「軍部大臣現役武官制」の実施
2.26事件の責任を取る形で岡田内閣が総辞職し、広田弘毅首相により組閣が行われました。広田内閣は一年しかもたなかった(原因:「腹切り問答」)が、最大の過ちは、軍の圧力に屈し「軍部大臣現役武官制」を復活させたことです。以降、軍の意向に沿わない内閣は、陸軍大臣、海軍大臣のどちらかが辞任さえすれば全て流産させることが出来るようになってしまいました
(参考)「腹切り問答」とは:1937年1月21日に帝国議会において立憲政友会の浜田国松衆議院議員が、2.26事件以降の軍部の政治干渉を痛烈に批判する演説を行いました。これに対して寺内寿一陸相は答弁に立って「軍人に対しましていささか侮蔑されるような如き感じを致す所のお言葉を承りますが」と険しい表情で反駁。これが「腹切り」の話に至るまでの激論に発展しこれが廣田内閣総辞職に繋がってしまった事件

9.西安事件発生(1936年12月12日)
西安事件とは、国民政府の蒋介石が張学良らにより拉致・監禁された事件を指します。ここで、これまで敵として戦っていた毛沢東率いる共産軍との話し合いが行われ、抗日共同戦線(国共合作)が形成されることになりました。この結果、国民政府軍と中共軍が戦っていたエネルギーが全て日本軍に向けられることになり、その後日中戦争が泥沼化する主要な要因の一つになりました

西安事件_東京朝日新聞記事

中共軍のうち、朱徳将軍率いる八路軍(アグネス・スメドレー著『偉大なる道』に詳しく書かれています)は統制が取れ、敢闘精神旺盛な兵士の集団であり、戦った日本軍も苦戦を強いられました。戦時中満州に居た私の父母もパーロ(八路軍のこと)は本当に強かったと言っていたのを思い出します

朱徳将軍(左)と毛沢東主席(右)_抗日記念館で入手した写真集より

10.盧溝橋事件(1937年7月7日)
1937年7月7日夜、豊台(下記写真をクリックすれば場所が分かります)に駐屯する支那駐屯軍の第三大隊・第八中隊が盧溝橋近辺の河原で夜間演習中(この演習については日本軍は7月4日夜、国民政府軍側に通知済みであった)に実弾が撃ち込まれ、兵士が一名行方不明(後日発見された)となり、第三大隊は中国軍が駐屯する宛平県城を攻撃しました。その後、小規模の戦闘はありましたが、9日には事実上の停戦状態となりました。

盧溝橋事件・現場

しかし、日本軍は、抗日共同戦線(国共合作)の形成以降、中国側の抗日の意識が強くなっていることを憂慮し、北京~天津付近にいる邦人保護の目的で内地、朝鮮、満州から計5師団という大量兵力を現地に派遣しました。陸軍内もこの際一気に華北を占領しようとする拡大派と、事態の収束を図ろうとする慎重派に分かれていましたが、結局拡大派が主流を占め「武力膺懲(ようちょう/”懲らしめる”という意味」を加えることに決しました。以降、日中は全面戦争の泥沼に入っていきます

11,通州事件(1937年7月29日)
中国の通州(現北京市通州区)において満州事変の過程で作り上げた日本の傀儡政権である冀東防共自治政府麾下の保安隊(中国人部隊)が、日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件
通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、200人以上におよぶ猟奇的な殺害処刑が中国人部隊により行われました
こうした残虐事件の報道を通じて、日本の世論は「武力膺懲」を主張する陸軍の「拡大派」を後押しする結果となりました

通州事件報道_東京日日新聞

12.第二次上海事変(1937年8月13日~11月12日)
当時外国人の租界地阿片戦争後、中国大陸 各地の 条約港 に設けら、行政自治権治外法権を持っていた)であった上海には、日本人居留区を守る目的で、約4千人の海軍陸戦隊が駐屯していました。
1937年8月13日、国民政府軍が日本軍の駐屯基地に対して突然攻撃を開始しました。それまでの国民政府軍と違って、ドイツ軍参謀将校の指導による堅固な陣地(多数のトーチカとそれを結ぶ塹壕で出来ている)からの攻撃であった為、海軍陸戦隊は壊滅的消耗を余儀なくされました

中国国民党軍の銃座

8月15日、蒋介石は全国総動員令を発し7万人の大軍で海軍陸戦隊を攻撃日本軍も横須賀と佐世保の陸戦隊を追加派兵(6千3百人)しましたが、それでも劣勢は変わりませんでした
最終的に日本は陸軍9個師団を投入し、10月10日、国民党軍の陣地攻撃を開始し、2日後には各所で突破に成功しました。10月26日、上海近郊の要衝が陥落し中国国民党の上海攻囲軍は南京へ全面壊走を始めました
日本はこの様な大戦争を想定しておらず兵力の逐次投入を行った為、日本軍は大苦戦を強いられ、日本側兵員の死者は約1万、負傷者3万に達しました

南京城壁_右の川は揚子江
南京城壁_2017年南京訪問時の写真・右の川は揚子江

13,南京攻略戦(1937年12月4日~13日)、及び所謂「南京虐殺」事件
上海から敗走してきた中国国民党軍は、国民政府の首都である南京に集結しました。追走してきた日本軍は周りを取り囲む高い城壁を爆破し、10日間で攻略しました。子に時点で、日本軍の兵力約20万人に対しており、中国国民党軍の兵力約6万5千5百人で戦力の差はかなりありました
南京陥落

南京攻防戦の最中、国民党軍守備隊の司令官・唐生智が敵前逃亡し、中国軍の指揮系統が混乱しました。日本軍陸軍大将・松井石根降伏勧告をしましたが、守備隊は応答しませんでした。そこで「守備隊は降伏しない」と判断し、攻城戦から城内に入って殲滅戦を開始します。
この時松井大将が懸念していたのは、便衣兵と呼ばれる民間人に偽装したゲリラ兵の存在でした。日本軍は彼らにたびたび悩まされていたこともあり、この便衣兵に対する日本軍の厳しい掃討戦が虐殺ではないかともいわれています。中国側は丸腰の民間人であったと主張しているのに対し、日本の南京大虐殺否定派は便衣兵の処刑であるとし、軍事行動としては当然の行為だったと主張しています
松井石根陸軍大将は、この事件の責任を問われB級戦犯(戦争犯罪人)として東京裁判にて死刑判決を受けています

南京大虐殺の真偽?

南京を追われた中国国民党軍は重慶に遷都し、以降、日本軍に対しては「持久戦」に戦略を変更しました

14.ノモンハン事件(1939年5月11日~9月16日)
日ソ両国に多数の戦死者、傷病者を出した国境紛争
。当時、国民の多くには知らされないで闇に葬られ、戦後になって真実が知られるようになりました。
五味川順平、司馬遼太郎、半藤一利、等の書籍により、日本軍が装備に劣り一方的に犠牲を強いられという説が主流になっていましたが、ソ連邦崩壊後に明らかになった機密文書からソ連軍の損害も日本軍と同等かそれ以上であったことが分かっています

ノモンハン事件の戦場

15.ミュンヘン協定(1939年9月29日)
1938年9月、ナチスドイツはチェコスロバキア国内のドイツ人が多く居住するズデーデン地方の割譲を要求しました。当時フランスはチェコと相互援助条約を結んでおり、本来ならチェコを守る義務があったものの、1938年9月30日のミュンヘン会談で宥和政策を取るイギリスのチェンバレン首相、フランスのダラディエ首相ズデーテン地方のドイツ編入を容認しました(「チェンバレンの融和外交」としてイギリス政治の歴史的汚点となっています)。しかしナチスドイツは1939年3月、協定を無視して、予告なしにチェコスロヴァキア本体を軍事占領しました
16.独ソ不可侵条約(1939年8月31日)
その後、半年もたたないうちに世界を驚愕させる独ソ不可侵条約が締結されました。公表された条文は相互不可侵および中立義務のみでしたが、この条約と同時に秘密議定書が締結されていました。これは東ヨーロッパとフィンランドをドイツとソ連の勢力範囲に分け、相互の権益を尊重しつつ、相手国の進出を承認するという内容でした
同年9月1日にナチスドイツがポーランドへの侵攻を開始し、9月17日にはソ連もポーランド侵攻を開始しました。これに対し、イギリスのチェンバレン首相は、9月13日までに侵略を停止しなければ、英仏両国はドイツに宣戦布告する」と演説。ここからヨーロッパにおける第二次世界大戦が始まりました
その後、条約の秘密議定書に沿って、ソ連はバルト諸国併合とフィンランドに対する冬戦争、及びルーマニア領ベッサラビア(現在のモルドバ共和国)の割譲要求が行われました

17.ナチスドイツ破竹の進撃
1940年5月15日オランダは降伏、更にフランスは、難攻不落の要塞と言われたマジノ・ラインを一気に突破されてパリを占拠され、同月17日には無条件降伏しました。一方、イギリス軍は各所でドイツ軍に敗れ、40万人の敗残兵がダンケルクまで撤退し追い詰められましたが、敗残兵の大半は英国漁民の決死の救助活動などによりダンケルクから英国本土に撤退することが出来ました

18.日独伊三国同盟(1940年9月27日)
1937年、共産主義の脅威からの共同防衛を約した日独伊三国防共協定が締結されていました。しかし前年に独ソ不可侵条約が締結された為、共産主義の脅威から日本を守るという目的は果たせなくなっていました。これを敢えて軍事同盟にまで発展させたことは、アジアに植民地を持っている米英との関係が、決定的な対立関係になることを意味していました

日独伊三国同盟

ただ欧州戦線におけるドイツの快進撃により、日本国内の世論は沸き返り、この軍事同盟を歓迎する状況にありました

19.日ソ中立条約(1941年4月13日)
相互に領土の保全および不侵略を約すと共に、締約国の一方が第三国から攻撃された場合は他方は中立を維持することを決めたものです。有効期限は5年で、満期の1年前(1945年4月13日に当たります)に締約国の一方から破棄の通告がなければ、さらに5年間、自動的延長されることになっていました

日ソ中立条約・調印式

日独伊三国同盟とこの日ソ中立条約をセットにして考えてみると、米英にとっては日本の軍事力が南方(米英の植民地がある)に向くというメッセージを与えていた可能性があります

20.独ソ戦(1941年22日~1945年5月8日)
1941年6月22日3時15分、ナチスドイツ軍を中心とする枢軸軍は作戦名「バルバロッサ」の下にソ連に対して奇襲攻撃を開始しました。開戦当初は各戦線でソ連軍が大敗を喫していましたが、ソ連軍の粘り強い戦いで次第に形成が逆転し、最終的に米英ソ連合軍に対して無条件降伏で終結しました。独ソ戦の犠牲者(戦死・戦病死)は、ソ連兵が1470万人、ドイツ兵が390万人であり、民間人の犠牲者を含めると数千万人に上ると言われています
特に、スターリングラード攻防戦(1942年6月28日~1943年2月2日)は、独ソ戦の帰趨を決めた戦いで、スターリングラードの市街地は凄惨を極め、開戦前60万人いた住民が終結時点で約9800人になっていたと言われています。最終的に枢軸軍は包囲され降伏しました

スターリングラード攻防戦

21.太平洋戦争開戦と日本軍が優勢であった時期
1941年12月8日早朝(真珠湾攻撃より1時間50分前)に、当時英領だったマレー半島・コタバル(現在のマレーシア)に上陸を開始、英軍と戦闘を始めました1941年12月8日未明(ワシントン時間、12月7日昼過ぎ)真珠湾攻撃開始。攻撃の30分前に通告する予定でしたが、実際に通告したのは攻撃開始の55分後になってしまいました。結果として日本は 騙し打ちの汚名被る(  Remember Pearl Harbor )ことになり、アメリカにとっては一気に挙国一致体制を固めることが出来ました。一方、アメリカはこの日本の暗号電を盗聴しつつ徹夜で解読作業に取り組み、翌朝にはこれが「宣戦布告」の文書であることは知っていたと言われています

1941年12月10日、マレー沖を航行中の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスからなる英海軍の東洋艦隊を日本海軍の陸上攻撃機機の魚雷攻撃により撃沈させるという戦果を挙げました
1942年2月、イギリス領シンガポールを攻略、同年3月、オランダ領ジャワ島に上陸(石油資源確保パレンバン油田での1年間の産油量は当時の日本の年間石油消費量を上回る)、同年4月アメリカ領のフィリピンを攻撃しバターン半島の米軍は降伏、同年5月、フィリピン・マニラ湾のコレヒドール島を攻略しました。マッカーサーは「I shall return」の言葉を残して撤退しました

下記以降の戦いにおける両軍の主な戦いにおける損害状況詳細については後段の「開戦と終戦をアメリカに発した男_読書メモ」をご覧ください

22.日本軍の敗退の始まり
真珠湾攻撃後、無傷で残った空母軍を中心に米海軍は反攻を開始しました。1942年5月の珊瑚礁海戦では、日本海軍は空母1隻大破、軽空母1隻沈没の損害を被りました。一方、米海軍は空母1隻の沈没に留まりました
1942年6月、ミッドウェー沖で日米両軍の大海戦が行われました。日本海軍の司令官は真珠湾攻撃の司令官であった南雲忠一中将でした。ここで日本海軍は大敗を喫し、その後戦局は悪化を一途を辿ります。国民に対してはこの敗戦は秘匿されました
ガダルカナル島の戦い、1942年8月、ガダルカナル島に米海兵隊1万人余の上陸により戦闘が始まり、これに呼応した帝国海軍と連合軍との第1次~第3次のソロモン海戦によっても戦況を挽回できず、翌1943年2月1日から撤退作戦が行われました。この撤退作戦で日本軍は多くの死傷者を出しましたが戦病死と餓死がその三分の二を占めるという悲惨な戦闘となりましが、国民に対してはこの敗戦も秘匿されました。また、米軍にとってもこの戦闘は大きな犠牲を伴うものでした

23.日本軍の無謀な作戦によって屍の山を築いていった
1941年1月8日、陸軍大臣・東條英機は「戦陣訓」を示達しました(陸訓一号)
この戦陣訓によって、絶望的な状況に置かれた兵士、民間人が死を選んだと言われています

太平洋の玉砕戦_「別冊宝島・大きな地図で読み解く太平洋戦争の全て」より

⑧1942年8月7日~8日、ツラギ島守備隊玉砕
⑨1943年5月12~29日、アッツ島守備隊玉砕
⑩1943年11月20~23日、マキン島守備隊玉砕
⑪1943年11月21日~23日、タワラ島守備隊玉砕
⑫1944年1月30日、ルオット島守備隊玉砕
⑬1944年1月30日~2月6日、クェゼリン島守備隊玉砕

1944年3月8日~7月3日、インパール作戦実施。援蔣ルート(連合軍が蒋介石軍に武器、弾薬、他の援助物資を輸送していたルート)の遮断を目的として、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦。日・英・インドそれぞれに大きな犠牲を払う結果(両軍の損害状況の詳細については後段の「開戦と終戦をアメリカに発した男_読書メモ」をご覧ください)になりましたが、特に日本陸軍の膨大な戦死者の半分以上が戦病死であったことは指揮官(牟田口廉也中将)の重大な作戦ミスであったことは間違いないと思われます

インパール作戦

1944年5月27日~8月20日、ビアク島守備隊玉砕

1944年6月19日~20日、マリアナ沖海戦で日本海軍は壊滅的敗北を喫し、空母部隊による戦闘能力を喪失しました。マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領することとなり、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカが掌握され、太平洋の島々に展開する日本守備軍は米軍による艦砲射撃、空爆により絶望的な戦いを強いられることになりました

1944年6月15日~7月9日、サイパン島守備隊玉砕。サイパンを基地にすればB29爆撃機により日本本土ほぼ全域が爆撃可能となりました

サイパン島の戦い_朝日新聞

 1944年7月21日~8月10日、グアム島守備隊玉砕
⑲1944年7月24日~8月2日、テニアン島守備隊玉砕
⑳1944年9月15日11月27日、ペリリュー島守備隊玉砕
㉑1944年9月17日~10月19日、アンガワル島守備隊玉砕

㉒1945年2月19日~3月26日、硫黄島守備隊玉砕
米国内では、戦費を調達する為の国債を国民に購入してもらう為に、激戦だった硫黄島の戦いにおける摺鉢山頂上を攻略した時の海兵隊員の写真(下の写真の右側)が使われたそうです(クリント・イーストウッド監督の映画「父親たちの星条旗」より)

硫黄島の戦い

㉓1945年4月6日~6月23日、沖縄戦。沖縄諸島各地(主に本島)での陸上戦菊水作戦(1号~10号)と呼ばれる航空機と艦艇(戦艦大和も参加)による特攻作戦を実行しましました

沖縄戦
戦艦大和の最後

上の写真右側の本は特攻を行う部隊に入り、生き延びた学徒兵出身の作家二人の対談です。島尾敏雄の代表作は「死の棘」、吉田満の代表作は「戦艦大和ノ最期」です

24.無条件降伏への歩み
㉔1945年2月4日~11日、ソ連圏のクリミア半島ヤルタ近郊のリヴァディア宮殿でルーズベルト、チャーチル、スターリンによる連合国首脳会談(通称ヤルタ会談)が行われ、ソ連はドイツ敗戦後90日後に対日参戦すること、及び千島列島・南カラフト・朝鮮半島・台湾などの日本領土の処遇が決定されました
1945年3月10日東京大空襲
㉕1945年4月6日、ソ連のモロトフ外相は、「日ソ中立条約」を延長せずと通告
㉖1945年4月7日、小磯内閣総辞職 ⇒ 鈴木貫太郎内閣成立、阿南惟畿(これちか)陸相、米内光政海相、東郷茂徳外相
1945年5月14日、「最高戦争指導会議」でソ連に和平の仲介を依頼する方針を決定しました
㉗1945年7月10日、「最高戦争指導会議」でソ連に特使(近衛文麿)派遣を決定。しかし、同月18日、ソ連は否定的回答を伝えてきた

㉘1945年7月26日、連合国「ポツダム宣言」を通告。鈴木首相が宣言発行直後に発表した新聞談話で「宣言を黙殺する」と発言してしまった。連合国側はこの黙殺を「拒否」と解釈してしまった。
㉙1945年8月6日、広島に原爆投下
㉚1945年8月8日、ソ連は日本に対して「宣戦布告。満州国国境及びカラフトからソ連軍が進入しました。この突然の侵攻によって、当時満州在住の日本人がどんな悲惨な体験をしたかには、私の以下のブログをご覧ください:母方親族の戦争体験
㉛1945年8月9日、長崎に原爆投下

㉜1945年8月15日、ラジオの玉音放送で天皇から直接、全国民に終戦が伝えられました
㉝1945年8月30日、極東軍司令官ダグラス・マッカーサーが厚木基地に到着。横浜に総司令部(GHQ)を置き日本占領を開始しました
㉞1945年9月21日、横浜沖に停泊していた戦艦ミズーリ号上で「降伏文書」の調印式が行われました

マッカーサーによる占領統治開始
日本の針路を誤らせた幾つかの判断

日本が第一次世界大戦で戦勝国の仲間入りをしてから、第二次世界大戦の敗戦に至るまでの間、多くの政治的・軍事的な判断が行われましたが、結果的に泥沼の日中戦争に突入し、更にその収束の努力を充分に行わないままで、巨大な敵である米英に戦いに挑んでしまいました
今考えてみれば、正に負けるべくして負ける判断を続けてしまった訳ですが、ここではその判断の是非について私見を述べてみたいと思います

A.満州事変の際、熱河省まで進出してしまった判断(1933年2月)
1933年2月、中国の東北三省(遼寧省 、吉林省、黒竜江省)を超えて熱河省まで進出したことにより、東北三省を清国発祥の地であるとして満州国の正統性を主張していた論拠を自ら破る事に繋がり、国民党政府の強い反発を招くとともに、その後の抗日共同戦線が形成、盧溝橋事件の発生などを招くことになりました
また、通州事件が起きた背景も、こうした反発から来たと考えられ、こうした残虐事件が日本国内における「暴支膺懲」の空気を盛り上げ、中国内における陸軍の暴走を許す結果になったと考えられます

B.リットン報告書の採択拒否と国際連盟脱退の判断(1933年3月)
リットン報告書は東北三省の日本の歴史的な権益と、治安の悪化によってこうした権益が脅かされていることを認めていることから、国際連盟総会における報告書の採択反対が受け入れられなかったとしても、連盟脱退によって常任理事国としての地位、その後の中国との紛争解決を提起する場を自ら放棄してしまったのは最悪の判断だったと思います
連盟脱退以降、国民政府による反日国際世論の形成に対して、国際連盟の場を使った反撃を行えなくなり、日本の外交は二国間協議の場しか残されなくなってしまいました

C.海軍軍縮条約最終的に脱退してしまった判断(1935年12月)
第一次世界大戦終結2年後に開催されたワシントン軍縮会議で米国・英国・日本・仏・伊の主力艦保有率を5:5:3:1.67:1.67とするワシントン海軍軍縮条約が締結されました
海軍の艦隊派はこの比率に不満を持ち、第二次ロンドン会議の一年前にワシントン軍縮条約の廃棄を通告し、1936年1月にはロンドン会議からも脱退をしてしまいました

この判断には、ワシントン会議では米英との協調外交を掲げる幣原喜重郎が首席全権大使を務めていたをしたのに対し、ロンドン会議では永野修身海軍大将が首席全権ことが影響しているとは思いますが、この判断は明らかに間違っていると思います
第一に、1929年の世界恐慌によって日本の経済は深刻な打撃を受けており高額な艦艇の建造競争に勝てる経済的な余裕を持っていなかった、第二に満州事変を起こし満州国を建国したばかりであり、中国に多くの権益を持っている米英に、軍事力で対抗するというシグナルを与える可能性が高いことがあり、ここは臥薪嘗胆の精神で米英との艦艇保有比率を守った上で、日本の経済力が許す範囲で航空戦力の増強陸戦能力の向上の為の高性能武器の開発などに注力すべきであったと私は考えます

D.広田内閣における「軍部大臣現役武官制」実施の判断(1936年5月)
この制度により、陸海軍どちらかの反対があれば、内閣が成立しなくなることから、結果として軍部予算や、軍事に関わる政治判断が、軍部の主張を取り入れる形でしか決まらなくなりました。また、この制度と「統帥権干犯」という伝家の宝刀!により、経済や外交で打てる手が限られ、その後の中国に対する軍事行動の歯止めが利かなくなりました

E.日独伊三国同盟締結の判断(1940年9月)
以下の理由によりドイツとの軍事同盟を結ぶ必要性は全くなかったと私は思います
日本とナチスドイツはアジアにおいて共同の軍事行動を取るメリットは全く無いこと
②第二次上海事変において、ナチスドイツ軍参謀将校の指導により攻撃力を強化した国民党政府軍により、日本の海軍陸戦隊は多大な損害を被った為に、大軍を上海に派遣せざるを得なくなり、上海⇒南京⇒重慶⇒、、、と日中戦争の深みにはまりこむ要因を作ったこと
ナチスドイツはミュンヘン協定を一方的に破ってチェコを併合した上で、独ソ不可侵条約(三国同盟の前に締結していた日独伊防共協定は、ソ連の脅威から日本を守る意味があった)を締結し、ソ連との間で東ヨーロッパの分割を行いました。またその後、西ヨーロッパ全域に戦争を拡大していること、など国際協定の信義を守る国で無いことは明白であったこと
ドイツとの軍事同盟の締結は、英国のみならず、英国をバックアップしている米国との緊張関係を生むこと

また上記①~④と併せ、ヒトラーが獄中で書いた「我が闘争」の”民族と人種”の章では、日本人はアーリア人に比べると文化的に低い民族と書いていること(参考:ヒトラー著「我が闘争」第11章・民族と人種)も、同盟国に足るだけの信頼を置ける国ではなかったことも忘れてはならないと思います

F.「戦陣訓」示達の判断(1941年1月8日)
当時、日中戦争が泥沼に陥り死傷者が増加する一方であったこと、また米国との軋轢が酷くなり、近い将来米国との厳しい戦いが始まる可能性があった中で、兵士の戦意向上を狙って示達されたと思われます

1882年、兵の規律を高めるために「軍人勅諭」が示達されています。これを読むと、農村出身者が多くを占める当時の兵士に、武士としての心構えを説く内容になっています。日露戦争時、旅順攻防戦で日本が辛勝した後の乃木希典将軍はステッセリ将軍との紳士的な降伏会談を行ったこと、日本海海戦で日本が大勝したあと捕虜となったロジェストウェンスキー将軍東郷平八郎が見舞い、ロシアの勇敢な戦いを称賛した逸話などは正にこの精神に沿ったものでした;

日露戦争・勝利後の武士道精神

また、第一次大戦終了後の日独戦の捕虜(約5,000人)は、1899年のハーグ陸戦条約の捕虜規定に従って日本各地に設営された収容所において人道的な待遇を受けました。ヴェルサイユ条約締結後、本国送還が行われましたが、約170人の捕虜は日本に残り、収容所で培った技術で生計をたてたと言われています。バームクーヘンでよく知られている「ユーハイム」もその人達の生き残りの会社だそうです。尚、日本人が大好きな年末のベートーヴェン交響曲第9番の演奏は、収容所内でのドイツ人捕虜によるクラッシク音楽の演奏から広まったと言われています。以下の写真は、2014年に私が、鳴門にあるドイツ捕虜収容所記念館を訪れた時に撮影したものです;

第一次大戦時のドイツ人捕虜の取り扱い

一方、戦陣訓」には、こうした武士道精神はかけらも無く、有名な;
生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」、
屍を戦野に曝すは固より軍人の覚悟なり。縦ひ遺骨の還らざることあるも、敢て意とせぎる様予て家人に含め置くべし
などは、戦地に行く兵隊に、刀折れ絵、矢尽きたあとに、ハーグ陸戦条約基づく降伏する道があることを教えなかった事が、戦争後半における無意味な「玉砕」を多発させ、特攻作戦を生み、追い詰められた民間人の集団自決を招いてしまった事は明白です。満州の戦争の最終局面における集団自決(参考:麻山事件を読んで)も同様です。更に、玉砕を英雄的に報道したメディアもその責を負わねばならないと私は思います
また、こうした攻撃を恐れた米軍が、情け容赦のない密集した市街地の焼夷弾爆撃や原子爆弾の投下を決断した事も、作戦を指揮した米軍幹部の証言からも明らかになっています

G.対米英開戦の決断と真珠湾攻撃(1941年12月8日)
日中戦争を継続中であるにも拘わらず、米英に対して開戦を決断した背景には、通商関係の遮断、とりわけ米国が石油の禁輸を行ったことによる焦りがあったものと思われます。石油以外の軍需資源についても以下の通り長期の戦争に耐える水準ではありませんでした

開戦時点の日本の資源保有量_「別冊宝島・大きな地図で読み解く太平洋戦争の全て」より

これは当時の経済官僚が作成したと思われますが、この状況を知った上で、東南アジア諸国の資源を確保する為の戦争と、中国との戦争の継続と、同時に米国との戦争を始めるというのは、補給面から考えて無謀であると言わざるを得ません
その結果が、開戦後半年でミッドウェイ海戦に大敗し、しかも広い西太平洋の島々に戦力を分散配置していた為、各個撃破されて敗戦の道をまっしぐらに歩んでしまいました

日露戦争の時も巨大な相手でしたが、英国という頼りになる同盟国があり、停戦を仲立ちしてくれる米国という国がありました。この戦争では開戦時点でこうした頼りになる同盟国は居ませんでした
敗色濃厚になって日ソ中立条約を頼りにソ連に仲介役を頼んだ訳ですが、日露戦争でロシアが満州に持っていた全権益と南カラフトを取得し、ロシア革命ではシベリア出兵を行い、ノモンハン事件ではソ連軍に大きな損害を与えた国に仲介役を期待するのは非常にバカげていたと私は思います
結局、開戦の時点で残されていた選択肢は、「ハルノート」を受け入れる前提で、できる限り条件交渉をうまく進めること以外になかったと思います

また、真珠湾攻撃をする前に米国への宣戦布告をしなかった事は、極めて大きな判断の誤りだったと言わざるを得ません。ワシントンの日本大使館員の怠慢により宣戦布告が遅れたと言われていますが、真実はどうやら日本海軍が米国太平洋艦隊を極度に恐れていた為に、宣戦布告のタイミングを攻撃開始直前に設定したことが真の原因であると私は思います。でなければ、南雲忠一司令官が、米海軍空母軍の索敵を行って攻撃を行うべきだったにも拘らず、真珠湾攻撃が成功裏に終わると直ぐに反転して帰路についたことでも想像がつきます。正に半年後のミッドウェイ海戦では、この南雲忠一司令官率いる日本海軍の相手がこの米海軍空母軍だったのですから、、、
「宣戦布告」前の奇襲攻撃により、「Remember Pearl Harbor」という合言葉が生まれ、米軍の士気を大いに鼓舞したことは疑いなく、米軍にとっても苛烈な西太平洋の上陸作戦を実行することができたのだと思います

敗戦の経験を現在の政治・軍事情勢に生かす

現在、日本は巨大な軍事大国となった中国と、核戦力を持つに至った北朝鮮とは軍事的に対峙しています。また国境を接する中国と韓国とは、尖閣諸島(中国名「魚釣島」;日本が実効支配している)と竹島(韓国名「独島」;韓国が実効支配している)につい領有権を争っているために、こんなちっぽけな島であっても、常に戦争に発展するリスクがあることを歴史から学ばねばなりません
どんなにちっぽけな島でも、領有することによって国際法で認められている領海(岸から12海里=21.6kmの範囲)と排他的経済水域(岸から200海里=360kmの範囲)の海域を持つ権利があり、領海については軍事上の拠点としての価値があり、排他的経済水域については漁業資源のみならず海底の地下資源に関わる排他的な権利を保有できる価値があります。本件について詳しく知りたい方は、私のブログ:「国連海洋法条約」についてちょっと勉強してみましたをご覧ください
また、尖閣列島に関しては、中国の艦船が太平洋に進出する際の出口を囲んでいる「第一列島線」を構成しており、日中にとって軍事的な意味が非常に大きいと言われています。本件について詳しく知りたい方は、私のブログ:「尖閣諸島問題を考える」をご覧になってみてください。

領有権については国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所に判断してもらうことも出来ますが、争っている片方の国が実質的に裁定に従わないこともよくある事です(参考:160712_中国・南シナ海で全面敗訴

こうした状況にある問題について、敗戦の経験を生かすとすれば、以下の様な政治的な対応が求められると私は思います;
尖閣諸島領有問題
習政権になってからの中国は、満州国を建国した当時の大日本帝国に非常によく似た覇権国としての振る舞いが目立つようになっています周辺の国々と国境紛争(インド、ベトナム、フィリピン、インドネシア、台湾)を抱え、国内では民族問題(チベット人、ウィグル人、モンゴル人、朝鮮人)に頭を悩ませ(まるで大日本帝国が行った「五属協和」のような政策も行われていると聞きます)、また開発途上国を中心に中国を支持する国を増やす外交政策は、まるで大日本帝国が行った「大東亜共栄圏」に似ているようにも見えます

この様な中国と対峙するには;
1.軍事的に挑発することは最悪
現在中国では、海警局(日本の海上保安庁/国土交通省の外局)の組織を中国人民軍の指揮下に入れると共に、海警局の船舶を大型化・重武装化を行って(自身が主張する!)領海に侵入してくる船舶を撃沈することも国内法的には可能にしています
昨今、尖閣諸島領域では領海侵犯以外に、漁を行っている日本の漁船を追い回すことも行っており、漁民に被害が出ない様に巡視船が双方の間に入って紛争にならない行動を取ると同時に、外交ルートで「厳重抗議」を行っています。こうした対応はまどろっこしい様に思えますが、この対応は先進諸国や中国との紛争を抱えている国々の支持が得られていることは確かなので、外交的には優位に立っていることは間違いありません。間違っても領海侵犯であるとして攻撃を先に仕掛けてはいけないと思います

Follow_Up:210303_尖閣「危害射撃」政府見解を整理へ・有識者に聞く_中国海警法1カ月・領海侵入、4年半ぶり高水準

<参考>  「日中・海洋法条約で対立
<参考> 「海洋法に関する国際連合条約」の関連条文
第二十五条 沿岸国の保護権
1 沿岸国は、無害でない通航を防止するため、自国の領海内において必要な措置をとることができる
2 沿岸国は、また、船舶が内水に向かって航行している場合又は内水の外にある港湾施設に立ち寄る場合には、その船舶が内水に入るため又は内水の外にある港湾施設に立ち寄るために従うべき条件に違反することを防止するため、必要な措置をとる権利を有する
3 沿岸国は、自国の安全の保護(兵器を用いる訓練を含む。)のため不可欠である場合には、その領海内の特定の水域において、外国船舶の間に法律上又は事実上の差別を設けることなく、外国船舶の無害通航を一時的に停止することができる。このような停止は、適当な方法で公表された後においてのみ、効力を有する
第二十六条 外国船舶に対して課し得る課徴金
1 外国船舶に対しては、領海の通航のみを理由とするいかなる課徴金も課することができない。
2 領海を通航する外国船舶に対しては、当該外国船舶に提供された特定の役務の対価としてのみ、課徴金を課することができる。これらの課徴金は、差別なく課する
第三十条 軍艦による沿岸国の法令の違反
軍艦が領海の通航に係る沿岸国の法令を遵守せず、かつ、その軍艦に対して行われた当該法令の遵守の要請を無視した場合には、当該沿岸国は、その軍艦に対し当該領海から直ちに退去することを要求することができる。

2.日米安保条約を結んでいる米国、及び中国と対峙しているインド、オーストラリア、英国などの国々と強力な連携を行うこと
米国とは日米安保条約の下で尖閣諸島防衛を共同で担う盟約ができています。また、インド、オーストラリア、英国などの国々とは「2プラス2(外務、防衛に関わる2閣僚)の会議」が定期的に行われており、同盟国に準ずる支援が得られる可能性が高い状況が構築されています。先に手出しをする必要は全くありません

3.急襲され、占拠されても再び奪取することが可能な戦力を保持していることを顕示すること
敵の軽はずみな先制攻撃をさせないには、強い反撃能力を常に顕示することが最も有効な方法です。日本は既に①「水陸両用部隊」を設置し、米国との間で共同訓練を行っていること、②離島に敵前上陸する為の戦備の調達(例えば「AAV7」の調達、など」を実施していること、③防空体制の強化(ヘリコプター搭載空母「いずも」のF35B戦闘機搭載可能とする改修、など)を計画していること、などを行っています

最近、とある人からの薦めがあって「邦人奪還」という本を読んでみました;

著者・伊藤祐靖氏は、防衛大学卒で海上自衛隊に入隊した後、能登半島沖不審船(北朝鮮)の事案に遭遇し、海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わった人です。現在は退官してアドバイザー、執筆活動、などを行っています。
この本では中国に「尖閣諸島」を占拠された想定で人質となった邦人の奪還作戦をリアルに描いています。日本ではありえないことの様に思われていますが、JALの現役社員であった時代にJAL機を含む民間航空機が過激分子にハイジャックされ、乗員・乗客を人質を取られる事件が度々起きました。日本では犯人に譲歩する事しかできませんでした(よど号事件)が、ルフトハンザ航空がハイジャックされたケースでは、ドイツ軍の特殊部隊が突入して人質旅客を救助していました。平時にあってもこうした事態に対処できることを羨ましく思った記憶があります

竹島領有問題
太平洋戦争終結後、韓国の大統領・李承晩が、米軍も認めなかった「李承晩ライン」を設定し、その内側にあった「竹島」を勝手に領有宣言しただけのもので歴史的な根拠は全くありません。詳しくは私のブログ:「日韓関係_その2(「反日種族主義」を読んで)」をご覧になってください。従って;
4.韓国が同意しなくても国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所に提訴し、勝訴した後、米国と協調して返還を要求する。解決まで長引く場合は、当面の対策として「漁民の安全操業」を約束させる

北朝鮮問題
北朝鮮が保有している核兵器が日本に向けられる可能性はゼロではありません。しかし、北朝鮮は核ミサイルを発射し、日本か米国の目標に向かっていることが確実になった時点で日米安保条約に基づく強力な反撃を受けることは十分に承知しており、先制攻撃を行う可能性は極めて低いと思われます、従って、
5.北朝鮮に対する軍事的な圧力を強めて自暴自棄になる状況を作らない様にした上で、経済の締め付けを維持しつつ長期戦で自壊を待つのが最善の策

開戦と終戦をアメリカに発した男_読書メモ

著者:福井雄三_東京国際大学教授/国際政治学、日本近現代史
初版:2020年4月13日 ⇒ 2020年6月11日第5刷発行
発行人:松藤竹二郎/元毎日新聞記者;(株)毎日ワンズ・代表取締
発行所:(株)毎日ワンズ

加瀬俊一(としかず);
生年・没年:1903年~2004年
*加瀬家:北総40数ヶ村を支配する豪農;父・加瀬禧逸は弁護士・衆議院議員・中央大学副学長
*俊一・外務省入省までの経歴:府立一中⇒東京商大⇒22歳で外交官試験合格

ワシントン軍縮会議(1921年年11月12日~1922年2月6日):米国・英国・日本・フランス・イタリアの主力艦保有率を米英5、日本3、フランス、イタリア1.67とするワシントン海軍軍縮条約が締結された

1926年、入省後すぐに米国留学(マサチューセッツ州・アマーストカレッジ/新島襄・内村鑑三も卒業生)⇒ハーバート大学・大学院
当時の外務大臣/幣原(しではら)喜重郎(米英との協調外交を主張)、当時の米国大使/松平恒雄(会津藩主・松平容保の子)

1928年外交官補として東郷茂徳主席書記官に仕える。東郷書記官から加瀬は外交官としての基本を徹底的に仕込まれた
(注)東郷茂徳は李氏朝鮮の陶工の末裔(1598年、慶長の役の際、島津義弘によって拉致された16人の陶工の子孫は、代々朝鮮風の氏名を受け継ぎ、苗代川に居住することを薩摩藩から命じられた;詳しくは司馬遼太郎作「故郷忘れじ難く候」参照)。旧制七高(現鹿児島大学)から東京帝大に進み、大学在学中に「朴」姓から「東郷」姓に変えている

*1928年6月4日、張作霖爆殺事件
瀋陽市近郊で、日本の意向に従わなくなった張作霖(奉天軍閥の指導者)が関東軍によって暗殺された事件

1929年東郷重徳が参事官に昇進し。米国からドイツに転任になると同時に加瀬ドイツへの転任辞令が出た。ドイツでは、デビューしたばかりの「マレーネ・デートリッヒ」と交際し、踊り明かしたこともある

1929年10月24日、ニューヨーク市場で株価が大暴落⇒世界的な大恐慌に陥った  この時ドイツは、ワイマール共和制の末期で、退廃と悦楽の文化が絢爛として花開いていると同時に、経済的には第一次世界大戦敗戦後に課せられた巨額の賠償金の為にハイパーインフレに陥り、混乱の極みにあった

1930年1月から第一次ロンドン軍縮会議若槻禮次郎元総理が首席全権)が開催され、加瀬は日本全権団をサポートする為ベルリンからロンドンに派遣された
*一連のテロ:浜口雄幸首相は1930年11月首相在任中に愛国社社員の佐郷屋留雄に銃撃され翌31年8月に死去、井上準之助は1932年2月、血盟団の小沼正により殺害された。1932年3月には三井財閥(企業防衛の目的で行った「円売りドル買い」が非難されていた)指導者の團琢磨が殺害された

1931年9月柳条湖事件発生。瀋陽市近郊の柳条湖付近で、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開を行った
*1931年9月18日~1933年5月31日)満州事変発生。柳条湖事件をきっかけとして始まった日本と中華民国との間の武力紛争(宣戦布告無しの戦闘)で、関東軍は約6か月で満州全土を占領した。正式には、1933年5月31日の塘沽協定の成立で紛争は終結することになった
*1932年3月 満州国建国
1932年10月、満州国建国に関する「リットン報告書」が発行されたが、意外にも日本の立場に一定の配慮を示していたものの、日本国内では新聞の威勢のいい論説が主流となり国際連盟脱退の世論が形成されていった(⇔世論の右傾化

1932年4月上海天長節爆弾事件発生:上海の虹口公園(現在の魯迅公園)で実行犯・尹奉吉(日本による朝鮮支配を駆逐する目的で設立された韓民国臨時政府のメンバー)による爆弾事件。この爆発で、上海居留民団行政委員会会長の医師河端貞次が即死、第9師団長植田謙吉中将、第3艦隊司令長官野村吉三郎海軍中将、在上海公使重光葵、在上海総領事村井倉松、上海日本人居留民団書記長の友野盛が、それぞれ重傷を負った。重光公使は右脚を失い、野村中将は隻眼となった。白川大将は5月26日に死亡した
1932年5月15日、海軍将校の率いる一団による5・15事件が発生し、犬養毅首相が殺害された

1933年加瀬は外務省本省の情報部に配属された。この時の外相は広田弘毅、次官は重光葵(まもる)。既に外務省一の英語の達人で、ドイツ語もフランス語も話す加瀬は、弘田外相にロシア語以外の通訳は加瀬にまかされることになった。広田外交は日米友好の回復、対ソ関係の調整、満州国の独立を維持しつつ、中国本土には一切干渉しない方針であった

*1933年3月27日、国際連盟脱退
1933年7月神兵隊事件発覚(斎藤実総理を筆頭に全閣僚、及び政友会・民政党の総裁を殺害し、皇族内閣を組織して昭和維新断行を目指していた)ご全員逮捕され有罪となったものの、全員の刑罰が免除された( ⇔ 裁判も右翼・軍部への迎合を行っていた)

1935年12月第二次ロンドン軍縮会議(永野修身海軍大将が首席全権)が開催された。加瀬は外務省随員として参加。日本は、海軍内が既に「艦隊派」に牛耳られていた為、前年の予備会議でワシントン海軍軍縮条約の廃棄を通告し、1936年1月、遂にロンドン会議から脱退(この時の離脱通告文は加瀬が起草した)
加瀬はロンドン会議について日記に「海軍随員は日本の世論に迎合するのに汲々として、国益のために挺身する意欲がなく、外務随員には識見力量をもって海軍を圧倒する人材見当たらず、事務的に消極的助言をするに過ぎず、誠に情けない。他方、各紙特派員は無定見に強硬論を煽るので、日本国民はこれに誤られて、真相を知る由もない・・・・・」と記している

*明治以降、陸軍の伝統的な基本戦略は「対ソ北進」であり、米国との戦争など最初から想定していなかった(⇔ 満州国建国を主導した陸軍中将・石原莞爾による「世界最終戦論」では敵は米国としているが?
1936年2月、陸軍皇道派による2・26事件発生(斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監殺害、鈴木貫太郎侍従長重傷)。この後、広田弘毅を首相とする内閣が発足した

*2・26事件以降、陸軍は「統制派」に牛耳られ、以降皇道派の置き土産であるクーデターの恐怖をちらつかせながら政治家を脅迫した結果、軍による政治への干渉は最早抑えることが出来なくなった
*広田内閣は軍の圧力に屈し、「軍部大臣現役武官制」を復活させた
1936年12月12日、西安事件発生:蒋介石が張学良らにより西安に拉致され、毛沢東率いる共産軍との抗日共同戦線が形成されることになった

1937年1月、弘田弘毅の強力な推薦により加瀬イギリス大使館勤務を命ぜられた。
*1937年6月、国民の期待を一身に集めた近衛文麿内閣(第一次;1937年6月~1939年1月)発足。近衛文麿は五摂家の筆頭であると同時に東京帝大から京都帝大に進み、主席卒業という華麗な経歴を持っていた
近衛文麿の思想の一端:「・・・全世界に植民地を持ちその利益を独占する米英にとって、現状維持は最善かも知れぬが、膨張発展を封じられたドイツにとっては平和原則に反するものだ。国際的な境遇からいえば、日本はドイツと同様に現状打破を求めるのが当然なのに、我が国の論者が英米の宣伝に惑わされて、国際連盟を天啓の様に賛美するのは笑止の沙汰だ。領土が狭く、資源も乏しく、輸出市場も貧弱な日本は、状況次第で生存の必要性に迫られて、ドイツの様に現状打破に打って出る日が来るだろう」

1937年7月7日盧溝橋事件発生。近衛首相も蒋介石も、盧溝橋で放たれた一発の銃弾があれ程の大戦争(日中戦争/支那事変)に発展するとは夢にも思っていなかった(⇔1914年6月28日、オーストリア帝国の皇位継承者フランツ=フェルディナント夫妻が暗殺された「サラエボ事件」が第一次世界大戦のきっかけとなったことを思い出させます
1937年7月29日通州事件発生。中国の通州(現北京市通州区)において日本の傀儡政権である冀東防共自治政府麾下の保安隊(中国人部隊)が、日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、200人以上におよぶ猟奇的な殺害、処刑が中国人部隊により行われた

1937年8月13日、第二次上海事変発生。ドイツ軍参謀将校の指導による堅固な機関銃陣地により、駐留していた海軍陸戦隊約4千名は壊滅的消耗を余儀なくされ、陸軍2個師団及び増援軍により制圧したが、その後、敗走する中国軍を追い南京に攻め入るなど、中国全土への戦争拡大が始まった

加瀬のロンドン赴任は海路で、横浜⇒香港⇒シンガポール⇒ペナン(スエズ運河経由)⇒ナポリ⇒(陸路)ローマ(ムッソリーニと会見)⇒(鉄道)ロンドン到着。当時のロンドン大使は吉田茂

*1938年9月、ヒトラーはチェコのズデーデン地方の割譲を要求。イギリスのチェンバレン首相はヒトラーと会見し、フランスと共にヒトラーの要求に応じることとした。当時、フランスはチェコと相互援助条約を結んでおり、本来ならチェコを守る義務があった
同年9月30日、ムッソリーニの仲介でミュンヘンに集まったチェンバレン、ダラディエ(フランス首相)、ヒトラーの4巨頭は、ヒトラーの要求をほぼ全面的に認めるミュンヘン協定を締結した
当時ハーバード大学の学生だったJ.F.ケネディは、当時のイギリス大使であった父親を訪ねてロンドンに来ることがあり、加瀬とは顔見知りになっていた。ケネディは、ミュンヘン会談が歴史に及ぼした結末に強い衝撃を受け、この会談を卒業論文のテーマにした(タイトル:「何故イギリスは眠っていたのか」;1940年に出版されベストセラーになった)。「平和主義者が戦争を引き起こす」というミュンヘン会談の教訓を骨身に徹して理解していたケネディは、大統領になってから「キューバ危機」で見事にこの教訓を生かした
加瀬は、アメリカ大使館の情報と引き換えという条件でケネディに50ポンド貸してあげたとの逸話が残っている

1938年10月、吉田茂大使は定年(60歳)で辞職。愛国的自由主義をモットーとする吉田は、英米との友好に全力を傾けていたが、彼の努力は実ることが無かった。日本政府は日英関係を改善するためモスクワから重光葵をロンドンに転任させた
重光大使は、「日英米三大海軍国の協調こそが世界平和の基盤である」との信念をもっており、イギリスの政府内にも共鳴者が少なからずいたと云う

チャーチル首相は、日本非難の辛辣な言動を繰り返すので、これがイギリスの世論に少なからぬ影響を与えていた為、加瀬はチャーチルとの会見を画策していた。予て知遇を得ていたイギリス政界の重鎮ロイドジョージの仲介でチャーチルとの会見を実現した時、チャーチルの著作を全て読破していた加瀬は、チャーチルを感激させ、以来すっかり加瀬に心を許し、彼の反日発言は明らかに少なくなったと云う*この頃、陸軍を中心に親・独伊の枢軸派が台頭しつつあり、外務省内にも枢軸派の外交官達が幅を利かすようになる。その代表がドイツ大使の大島浩とイタリア大使の白鳥敏夫であった(二人とも東京裁判で終身禁錮の判決を受けた)。ロンドンの大使館でも加瀬の同僚である牛場信彦などは、毎朝大使館に入ってくる際「ハイルヒトラー」といって手を挙げていたという

*1939年3月、ドイツは当時ヨーロッパ随一の工業国だったチェコを併合した
*1939年8月、独ソ不可侵条約締結。同年9月1日、ドイツ軍はポーランド侵攻開始(ソ連も9月17日にポーランドへの侵攻を開始した)
*チェンバレン首相は議会で、「9月13日までにポーランド侵略を停止しなければ、英仏両国はドイツに宣戦布告する」と演説。宣戦布告はしたものの、ドイツと英仏間の戦闘はこの後7ヶ月間発生しなかった

*1940年4月、ノルウェーを巡って英独間に壮絶な海戦(北岬沖海戦/Battle of North Cape)が発生し、双方に相当の被害が出たものの勝敗の決着はつかなかった
*1940年5月11日、ドイツ軍は突如としてオランダ、ベルギーの国境を突破して電撃的な攻撃を開始。二日後にチェンバレン首相は辞任し、チャーチルが首相に就任した。彼はヒトラーとの戦いを貫徹する決意を述べ、最後に「私が国民に提供できるのは血と苦しみと涙と汗だけである」と述べると、万雷の拍手が沸き起こり、議場は大歓声に包まれた
重光と共に加瀬も議場内の外交団席でこの演説を聞き、二人とも国難に際しても怯むことなく雄々しく立ち向かうイギリス国民の民族性の真髄に触れた思いがしたそうである

*1940年5月15日オランダは降伏、更にフランスは、難攻不落の要塞と言われたマジノ・ラインを一気に突破されパリを占拠された後17日には無条件降伏した
一方、イギリス軍は各所でドイツ軍に敗れ、40万人の敗残兵がダンケルクまで撤退し追い詰められた。しかし、ドイツは何故か突如攻撃を停止したため、40万人の敗残兵は英国漁民の決死の救助活動などによりダンケルクから英国本土に撤退することが出来た。ただ膨大なイギリス軍の装備は全て置き去りにされた
*大陸を制したドイツはイギリスに和平を提案したが、イギリスはジョージ6世のもとに国民が一致団結してこれを拒否した
*海軍力に劣るドイツ(対イギリスで10:1の戦力しかない)は、1940年7月16日、イギリス本土上陸作戦の前哨戦としてイギリスの制空権を獲得する為に空軍力でイギリスを屈服させようとしたため5ヶ月にわたる空の死闘(Battle of Britain)が行われた
ドイツ空軍は総合力でイギリスを圧倒したもののドイツの戦闘機(メッサーシュミット)はイギリスの戦闘機(スピットファイヤー)に航続距離で劣り、爆撃機を充分に護衛することが出来ず苦戦を強いられ、最終的にヒトラーはイギリス上陸作戦を断念した
加瀬は妻子を日本に帰した後、単身で生活していたが、彼が深い感銘を受けたのは、ドイツ軍の苛烈な爆撃で祖国の運命が風前の灯火になりながらも、臆することなく国難に立ち向かっているイギリス国民の強靭な精神力だった。いかなる困難に際しても誇りと平常心を失わず、ゴルフやダンスやハイキングに興じ、休日には散歩や舟遊びも欠かさなかった。早朝のハイドパークでは恒例の乗馬で散策を楽しむ貴族の婦人たちの姿もあった。夜間爆撃の翌日、街を見て歩くと、風景が激変し、焼け跡に焼け焦げた死体が至る所に転がっていることも屡々あった。5年後、東京の空襲の惨害を目の当たりにすることになるのだが、それと比べても、このロンドンの大空襲の方が、はるかに凄惨な地獄図絵として記憶の残ったという
あるとき加瀬が新聞記者数名を伴い、市内の避難所や防空壕を慰問したことがあった。そこで見たのは、ユーモア精神を忘れず、カードやチェスに打ち興じ、楽器の演奏にあわせて歌をうたい、貴族や平民の階級を超えて苦難を分かち合っている市民の素顔だった
更に加瀬を感動させたのは、イギリスの貴族が我も我もと率先して戦場に向かっていく姿だった(Noblesse Oblige/高い身分に伴う道徳上の義務)。イギリス上空で空軍を迎え撃ったパイロット達も名門貴族の子弟が非常に多かった。彼らが撃墜されても撃墜されても、その屍を乗り越えて新手が飛び立っていく。それは気負うでもなくなく、まるでお茶でも飲みに行くように、淡々と自分お義務を果たすのであった

1939年5月11日~9月16日ノモンハン事件発生
1939年7月、日中戦争の拡大に伴い、中国におけるアメリカの 通商権益を妨げているとして日米通商航海条約の破棄を通告(1940年9月発効)

1940年7月第二次近衛内閣(1940年7月~1941年7月)で松岡洋右が外相に就任。松岡からの要請により、同年9月、加瀬は松岡外相の首席秘書官に就任
加瀬の英国転出に伴うイギリスマスコミの反応:加瀬は英米社会についてまれにみる高度な知識と磨き上げられたユーモア精神を持っており、英米に知己が多い。また彼はハーバード大学出身なのに、オックスフォードのアクセントを駆使する。それ故、外交団でも人望を集め尊敬されていた

この時点の国内の情勢:1939年8月の「独ソ不可侵条約」の締結で日独防共協定の意義は根底から覆され、この裏切りで日本外交は混乱し進むべき方向を見失っていた。この時、日本はドイツからフリーハンドを持てる状況にあったものの、ドイツのすさまじい快進撃に日本国内は沸き返りドイツへの不信感はあっという間に消え去り、陸軍内部にドイツとの提携論が高まった。松岡外相のもとには軍人や右翼が連日押し寄せ、日独同盟を迫っていた
何故、ドイツ、イタリアなど枢軸国と歩を共にしたのかを探っていくと、陸軍や右翼が悪いのは確かであるものの、新聞報道に踊らされた国民の熱狂が背景にあることを忘れてはならない
1940年6月大政翼賛会結成

1940年9月、松岡外相のもとで日独伊三国同盟締結
松岡は元々ドイツ嫌いであり、13歳から渡米して苦学しながら9年間滞在し、アメリカを第二の祖国と自認していたほどの知米派であった。従って、その強大な国力も知り尽くしており、「アメリカと戦えば100%負ける」と考えていたと云う。松岡の戦略は日独不可侵条約を締結していたドイツと組めば、三国同盟にソ連を加え四国同盟として、ドイツが大西洋から、ソ連が北から、日本が太平洋からアメリカを圧迫すればアメリカの野望を阻止できると考えていた。従って、「松岡外交が日本を戦争に導いた」という批判は間違いである
帰国に際し、日ソ中立条約をまとめた松岡洋右をマスコミ及び国民は熱狂的に迎えた。松岡はいまや英雄になっていた

1940年9月北部仏印進駐 ⇒ アメリカは鉄屑・石油の輸出制限実施
1940年11月、紀元2600年記念式典
1940年11月、西園寺公望死去。彼は元老(大日本帝国にける、天皇の輔弼の任を担い、内閣総理大臣の奏薦など国家の重要事項に関与する重臣)であり、協調外交派の重鎮で会った
*1941年1月8日、陸軍大臣・東條英機、「戦陣訓」を示達した(陸訓一号)
1941年1月野村吉三郎海軍大将は、フランクリン・ルーズベルト大統領とは旧知の間柄ということが期待されて駐米大使に起用された

1941年3月松岡外相加瀬ヒトラー総統リッペントロップ外相と数回会談し、日ソ友好の仲介を依頼したが、ドイツの対応は冷淡であり、逆にシンガポール攻撃を要請してきた
ベルリンからの帰途、ローマを経由しムッソリーニを表敬訪問した後、モスクワに立ち寄りモロトフ外相と数回に亘る交渉を経て「日ソ中立条約」を調印した。その後、スターリンも交えた祝宴が催された
松岡外相は、モスクワ滞在中にアメリカの駐モスクワ大使を通じて、ルーズベルト大統領との会談を申し入れ、好感触を得ていた(ルーズベルトは日独ソによる同時攻撃を恐れていた)。また、この時、松岡外相の友人でアメリカの新聞王・ハワードヒューズは「大統領は君と会う積りだから大至急アメリカへ来てくれ。特別機を用意しておく」という電報を寄こしていたと云う
(参考):スターリンの身長/163㎝、チャーチルの身長/162㎝、ムッソリーニの身長/160㎝

帰国後の松岡、加瀬を待っていたのは、「日米諒解案」なる民間ベースの交渉来日した米国の神父ウォルシュとドラウトに門司税関長の井川忠雄と陸軍軍人岩畔壕雄(いわくろひでお)が飛びつき、これに野村駐米大使が巻き込まれて行われた非公式の交渉)から出てきた案であり、日本にとってあまりにも都合の良い内容(例えば満州国の承認など)であった
これは、独ソ開戦の情報をキャッチしていたルーズベルトと国務長官コーデル・ハルが、時間を稼ぐための作戦であった。因みに、この日米諒解案と同時にハルはこれと正反対の4原則を野村駐米大使に提示していた。この「ハル4原則」は、日米交渉を打ち切る切り札となった「ハルノート」とほぼ同じ内容であった。外交には全く無知の野村大使(海軍大将)は、このハル4原則を独断で握りつぶし、日本政府には報告しなかった

1941年6月、松岡は、南京政府主席の汪兆銘を歌舞伎座に招待し「修善寺物語」を観ていた時、外務省から電話が入った。内容は「ドイツ軍が国境を越えてソ連軍を攻撃した」ということであった。松岡はその報に接すると直ぐに宮中に参内し、ソ連攻撃を天皇に進言したと云う。この時天皇は同意しなかったと云う
アメリカ国務省もこの時ソ連を討つだろうと予想していた。またチャーチルもその著書の中で、「日本はソ連を攻撃しなかったことによって、第二次大戦の勝者になるチャンスを逃した」と指摘していると云う(私は、チャーチルのこの著書を読んでいないので、確信はありませんが、ネット上には同様な記述がありました

1941年7月2日御前会議で南進の国策を最終決定松岡は「南に向かえば必ず米英との衝突を招くから、あと半年待て」と進言したが受け入れられなかった。ソ連攻撃を行うことによって北樺太サチ油田を確保し石油自給体制を整えると同時に、対ソ戦の為に日本軍は北進する必要があり、日中戦争から脱却する名分が立つというのが松岡の戦略である。しかし、近衛首相は最終的に南進に同意してしまった
1941年7月16日、第二次近衛内閣は総辞職し、第三次近衛内閣では松岡は外相から外された
1941年7月28日、ヴィシー政権下の南部仏印に進駐開始 ⇒ 同年8月、アメリカは日本に対する石油輸出の全面禁止を通告

1941年10月16日、第三次近衛内閣は総辞職し、東条英機内閣が成立、東郷茂徳が外相に就任し加瀬は秘書官(兼北米課長)に就任
加瀬はこれ迄の日米交渉の記録を全て点検したところ、野村吉三郎大使豊田貞次郎前外相(第三次近衛内閣)の海軍出身コンビは、中国からの日本軍撤兵が焦点で、これさえ解決すれば日米は和解できると思い込んでいたことが分かった。しかし、日独伊三国同盟の解消こそアメリカの真の要求だったと云う
アメリカが交渉を引き延ばす中でしびれを切らした陸軍が外務省に「11月末までに日米交渉が妥結しなければ開戦に踏み切る」というタイムリミットを要求してきた。外交交渉にタイムリミットを設けることほど危険なことは無い。まとまる話も締め切り時間に追い詰められ、交渉に余裕を失ってしまうからある

1941年12月8日未明(ワシントン時間、12月7日昼過ぎ)真珠湾攻撃開始。攻撃の30分前に通告する予定でいたが、実際に通告したのは攻撃開始の55分後になってしまった。以下は、その顛末;
12月6日朝、ワシントンの日本大使館に対米覚書を発信し、「明日になってから本国からの覚え書き14部が届き次第、いつでもアメリカに手渡せるよう万全の準備を整えておき、手渡す直前に暗号文書を焼却し、全ての暗号機を破壊すること」と訓令していた。これを読めば、それが対米宣戦布告であることは直感的に分かるはず。その日、対米覚書14部の内13部が全て届き暗号は解読されていた。これを読めば「宣戦布告」であることが分かったはず。しかし、大使館員はそれをほっぽり出したままで、転勤する大使館員の送別会に出かけてしまった。7日の朝7時に14部目が届いたが、大使館員は誰も出勤しておらず、解読が始まったのは10時過ぎ、終わったのは12時30分であった。日本からの訓令で、タイピストを使わずに「宣戦布告」の文書を作成し、午後1時にはアメリカに手渡せとなっていた。結局野村大使がハル国務長官に「宣戦布告」の文書を手渡したのは14時20分となってしまった(既に真珠湾攻撃開始から55分も過ぎていた)
日本からは13時に手渡せと訓令が来ているので、これと同時に攻撃を開始する可能性もあるので、野村大使は文書は無理でも口頭でハル国務長官に伝えることができたはず。結果として日本は 騙し打ちの汚名被ることになり、アメリカにとっては一気に挙国一致体制を固めることが出来た( ⇔ Remember Pearl Harbor
一方、アメリカはこの日本の暗号電を盗聴しつつ徹夜で解読作業に取り組み、翌朝にはこれが「宣戦布告」の文書であることは知っていた

実は開戦10日前の大本営政府連絡会議では、攻撃を始める前に宣戦布告はしないと決めていた(開戦の翌日に宣戦布告する)。しかし、これではやはり「だまし討ち意をしたという汚名を後世に残すことになる」という反論がでたのであろう。開戦4日前になって「宣戦布告は開戦の1時間前」に変わった。ところが、これだと海軍は不安だったのだろう、開戦3日前になって更に「宣戦布告は開戦の30分前」に変更されていた。これは日本海軍が如何にアメリカの太平洋艦隊を恐れていたかの証拠である
この様な海軍の空気が、現地大使館の行動を招いたのではないだろうか。でなければあの緊迫した状況の中で世界一勤勉で時間厳守の日本人が、あのようなミスを犯すことはあり得ないのではないか?(本書の筆者の推測)
真珠湾攻撃(攻撃部隊の司令官:南雲忠一中将)ではPearl Harborに停泊している敵戦艦を撃沈したものの、石油タンクは攻撃せず、破壊した戦闘機も180機に止まった。また、米軍の空母艦隊は無傷のまま残った
加瀬は開戦の詔勅を海外に打電するため英訳を担当した。何度も変更があったが、最後の修正は天皇陛下の「アニ朕ガ志ナランヤ」という文章の挿入であったと云う

*1941年12月8日早朝(真珠湾攻撃より1時間50分前)に、当時英領だったマレー半島・コタバル(現在のマレーシア)に上陸を開始、英軍と戦闘を始めた
1941年12月10日、マレー沖を航行中の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスからなる英海軍の東洋艦隊を日本海軍の陸上攻撃機隊の魚雷攻撃により撃沈
1942年2月、シンガポール(イギリス領)攻略
同年3月、ジャワ島(オランダ領)上陸、同年4月フィリピン(アメリカ領)バターン半島の米軍降伏、同年5月、フィリピン・マニラ湾のコレヒドール島攻略(マッカーサーはI shall return」の言葉を残して撤退)

1942年5月珊瑚礁海戦(日本海軍/空母1隻大破、軽空母1隻沈没;連合軍/空母1隻沈没)
1942年6月ミッドウェー沖海戦(海軍司令官:南雲忠一中将)で大敗
<両軍の損害>
日本海軍:
航空母艦4隻沈没、重巡洋艦1隻沈没、重巡洋艦1隻損傷、駆逐艦1隻損傷、戦死3,057名・内航空機搭乗員110人;
連合軍:航空母艦1隻沈没、駆逐艦1隻沈没、戦死307人・内航空機搭乗員戦死者は172人)。以降日本海軍は敗退を重ねる

1942年8月ガダルカナル島で苦戦に陥ると、軍部は占領地域を確保する為に大東亜省を新たに設けて軍の管轄下に置こうとした。これは外務省からアジア外交の権限を奪うことが目的だったので、東郷外相は断固として反対し、東条首相と全面衝突、同年9月外相を辞任。同時に加瀬も外相秘書官を辞任し、北米課長に専念することとなった
1942年8月、ガダルカナル島の戦い。ガダルカナル島に米海兵隊1万人余の上陸により戦闘が始まり、これに呼応した帝国海軍と連合軍との第1次~第3次のソロモン海戦によっても戦況挽回できず、日本陸軍は同年12月31日の御前会議で撤退が決定され、1943年2月1日から撤退作戦が行われた
<両軍の損害>
日本陸軍死者・行方不明者約2万人強、直接の戦闘での戦死者は約5,000人、残り約15,000名は餓死と戦病死だったと推定されている
米軍:戦死者7,100人、負傷者7,789人以上

1943年2月、スターリングラード攻防戦でドイツ軍降伏

1943年4月、中国大使だった重光葵が外務大臣に任命さ、加瀬は秘書官となった

1943年7月、ムッソリーニ失脚。同年9月イタリア降伏

1943年11月、東京で大東亜会議開催。6ヶ国(日本、満州国、中国、ビルマ、タイ、フィリピン)の代表が集まり大東亜共同宣言が発表された。これは重光が起案し、それを加瀬が重光、大川周明の意見を聞きつつ和英両文を作成した;
共同宣言の五原則:(1)東亜の開放と共存共栄、(2)大東亜各国の独立と親和、(3)文化の高揚、(4)互恵の原則に基づく経済発展、(5)人種差別の撤廃

1944年6月6日、連合軍ノルマンディー上陸作戦実施

1944年3月8日~7月3日インパール作戦実施。援蔣ルート(連合軍が蒋介石軍に武器、弾薬、他の援助物資を輸送していた)の遮断を戦略目的として、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦
<両軍の人的損害>
日本軍(3ヶ師団参加):戦死2万6千人、戦病死3万人以上
連合軍(2ヶ軍団参加;英国、インド国民軍):戦死1万7千5百人、戦病死4万7千人(但し第33軍団のみ)
1944年6月19日~20日マリアナ沖海戦で帝国海軍は壊滅的敗北を喫し、空母部隊による戦闘能力を喪失した。マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領することとなり、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカが掌握
<両軍の損害>
日本海軍航空母艦3隻沈没、油槽船2隻沈没、航空母艦1隻中破、航空母艦3隻小破、戦艦1隻小破、重巡洋艦1隻小破、艦載機395機喪失、水上機31機喪失、基地航空50機喪失
米国海軍:航空母艦2隻小破、戦艦2隻小破、重巡洋艦2隻小破、艦載機130機喪失

1944年6月15日~7月9日サイパン島の戦いで「玉砕戦」が行われた。サイパンを基地にすればB29爆撃機により日本本土ほぼ全域を爆撃可能となった(⇒1944年秋以降本土爆撃が本格化)
<両軍の損害>
日本陸・海軍:戦死 約3万人(捕虜 921人)、民間人死者8千人~1万人
米軍:戦死 3,441人、戦傷 11,685人

1944年7月21日~8月10日グアム島の戦で「玉砕戦」が行われた
<両軍の損害>
日本陸軍:死者18,500人(捕虜1,250人)
米軍:死者2,124人、負傷者5,676人
(注)日本軍は現地人であるチャモロ人の殆どとなる20,000人を、グアム島南東部マネンガンの収容所を初めとした5か所の収容所に送り込んだ。これが大多数のチャモロ人の命を救う事となった。それでも戦闘に巻き込まれて亡くなったチャモロ人は数千名に上った

1944年7月18日東条内閣総辞職小磯国昭内閣成立、外相は重光葵、加瀬は秘書官
1944年11月24日、東京空襲開始
1945年2月4日~11日、ソ連圏のクリミア半島ヤルタ近郊のリヴァディア宮殿でルーズベルトチャーチルスターリンによる連合国首脳会談(通称ヤルタ会談)が行われ、ドイツ敗戦後90日後のソ連の対日参戦、千島列島・樺太・朝鮮半島・台湾などの日本領土の処遇が決定された
1945年2月19日~3月26日硫黄島の戦いで「玉砕戦」が行われた
<両軍の損害>
日本陸・海軍:戦死17,845~18,375人(捕虜 1,023)
米軍:戦死6,821人、戦傷 19,217人

1945年3月10日東京大空襲。爆撃被災者は約310万人、死者11万5千人以上、負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸
1945年4月6日ソ連のモロトフ外相は、日ソ中立条約」を延長せずと通告(但し、条約の有効期限は1946年4月13日)
1945年4月7日、小磯内閣総辞職 ⇒ 鈴木貫太郎内閣成立、阿南惟畿(これちか)陸相、米内光政海相、東郷茂徳外相、加瀬は秘書官

1945年5月14日、「最高戦争指導会議」でソ連に和平の仲介を依頼する方針が決定された

1945年4月6日~6月23日沖縄戦。沖縄諸島各地(主に本島)での陸上戦と菊水1号~10号作戦と呼ばれる航空機と艦艇による特攻作戦を実行した
<両軍の損害>
日本軍:戦死者約8万人(捕虜約1万人)、沖縄県民の死者・行方不明者:12万2千人(内民間人死者約9万4千人;物的損害:戦艦1隻(戦艦大和)沈没、軽巡洋艦1隻沈没、駆逐艦5隻沈没、戦闘機1,895機喪失、その他航空機1,112機喪失、戦車27輌大破
米英連合軍:戦死者:約2万人、戦傷者約5万5千人、戦闘外傷病者約2万6千人;物的損害:駆逐艦16隻沈没、その他艦艇20隻沈没、空母5隻(英軍)損傷、艦艇368隻損傷、航空機886機喪失、戦車272輌大破
(注)沖縄への特攻作戦は、効果の無い作戦だったとする意見がある、その根拠となっているのは米軍が公表した「特攻機の命中率2%」という数字を基にしている。実際は日本軍の特攻に米軍兵士はパニックになり、戦争の続行が危ぶまれる程だった。また、命中率は特攻が始まった時点で27%、末期においては13%で平均20%を超えていた。陸海軍併せて5千8百人の特攻に対して、連合軍の犠牲はそれより多かったと言われている(←連合軍の艦艇の沈没、損傷が多いことがその損害の大きさを物語っている)

1945年6月東郷茂徳外相から木戸幸一内大臣宛に一通の意見書(厳秘・時局収拾に関する意見書)が手渡された。この意見書は外務省の総意をまとめた、執筆者の名前はないものの加瀬が執筆したと云う。内容はこのまま戦争を遂行すれば日本が壊滅するので、現時点で終戦を希望するならば無条件降伏であっても甘受すべきであるということであった
天皇は、この意見書を読んだ翌日、御前会議で「戦争の終結については、この際従来の観念に囚われることなく、速やかに具体的研究を行い、これを実現して欲しい」と発言した
1945年7月7日天皇鈴木首相を呼んで「いたずらに時間が経過して機を失するのはよくない。この際私の親書を特使に持たせてソ連に派遣するように」と命じた

1945年7月10日、「最高戦争指導会議」でソ連に特使(近衛文麿)派遣を決定。しかし、同月18日、ソ連は否定的回答を伝えてきた

1945年7月26日、連合国、「ポツダム宣言」発行
鈴木首相が宣言発行直後に発表した新聞談話で「宣言を黙殺する」と発言してしまった。連合国側はこの黙殺を「拒否」と解釈してしまった
1945年8月6日広島に原爆投下死者約8万9千人崎に原爆投下
1945年8月8日ソ連は日本に対して宣戦布告。満州国国境及び樺太からソ連軍が進入
1945年8月9日長崎に原爆投下死者約7万4千人

1945年8月10日、御前会議で「ポツダム宣言受諾」を決定
御前会議では、ポツダム宣言の即時受諾を主張する東郷外相米内海相平沼枢密院議長と本土決戦も辞さないとする阿南陸相梅津参謀総長豊田軍令部総長とで意見が対立し結論が出せなかった。その時突然、鈴木総理が立ち上がり「現在の状況は寸刻を争う、陛下の思し召しをもって会議の決定にしたい」と発言
天皇はおもむろに口を開き「私は東郷外相の意見に同意する。このまま戦争を継続すれば日本は破滅するであろう。軍部の過去の発言は信用できず、計画と結果が食い違っていたことがしばしばあった。ここに出席している者の気持ちは十分に察するが、耐えがたきを耐え、ポツダム宣言を受諾し、戦争を終わらせざるを得ない。国民のために平和が回復されるならば皇室はどうなってもかまわない」と言った。正に間一髪のこところで本土決戦は回避された

御前会議の結果を閣議で採択されたことを受けて、加瀬は直ちに外務省に出向き、ポツダム宣言受諾の伝聞を作成し、中立国のベルン(スイス)とストックホルム(スウェーデン)の日本公使館に打電した。この電文に付けられた唯一の条件は「天皇の国家統治の大権を変更しない、という諒解のもとに受諾する」ということであった
ところが、8月12日のサンフランシスコ放送、及び13日に届いた連合国の正式回答は「天皇の地位は日本国民の自由な意思によって決定されるものとする」となっていた
翌13日の最高戦争指導会議では、再び意見が二つに割れ、侃々諤々の議論に費やされた

1945年8月14日、再び御前会議が開催され、天皇は受諾に反対する者たちの意見をじっと聞き、全ての論議が尽きると、天皇は次のように語った「私が4日前にポツダム宣言を受け入れることに同意したのは、内外の事情をよく考えた上でのことである。反対の意見はよく聞いたが、私は前の考えを変える必要は無いと思う。戦争をこれ以上継続することは不可能である。国体維持について疑問を抱く者もあるようだが、これは国民の信念と覚悟の問題である。連合国側の回答はこの点、概ね好意的であると思われる。将兵たちにとって武装解除や占領は耐え難いことであろう。しかし私は国民を眼前に迫る破局から救いたい。そのため私はどうなってもかまわない。私としてできることがあればなんでも厭わずに進んで行う積りである

天皇自身、時々感極まって言葉が詰まり、白い手袋をはめた手で両頬に流れる涙をぬぐった。これを聞きながらその場にいた24名の出席者で涙を流さぬ者はいなかった。77年間続いた大日本帝国が終焉した瞬間だった。同日午後1時から閣議が開かれ、詔勅案が可決された

同日深夜、近衛師団の内部で反乱が起き、畑中健二少佐をリーダーとする4名が、森赳(たけし)近衛第一師団長を惨殺して師団長命令を偽造し、皇居に乱入して玉音版を奪おうとしたが果たさず田中静壱(しずかいち)東部軍管区司令官により鎮圧され、4名は自決した
1945年8月15日、ラジオの玉音放送で天皇から直接、全国民に終戦が伝えられた(参考) 著者/半藤一利、編者/大宅壮一、文芸春秋社版「日本のいちばん長い日_運命の八月十五日」に詳しく描かれている 

1945年8月15日鈴木貫太郎内閣は総辞職 ⇒ 東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)が内閣を組織。外相は重光葵加瀬は秘書官留任
1945年8月30日、極東軍司令官ダグラス・マッカーサーが厚木基地に到着。横浜に総司令部(GHQ)を置き日本占領を開始した。彼が日本占領の最高司令官に任命された理由は、彼がアメリカ陸軍きっての日本通だったからである。彼が緒戦のフィリピン戦で日本軍に敗れ、部下を置き去りにして脱出したとき、マニラホテルの居室には膨大な日本関連の書籍が残されていたと云う
(参考)父のアーサー・マッカーサー中将も極東米軍総司令官で、日露戦争時、観戦武官として旅順攻防戦の日本軍司令部に招かれている。この時、父と同行したダグラス・マッカーサーは(25歳)は、東郷元帥や乃木大将から直接話を聞き、その人柄に深く感銘したと云う。占領下で首相を務めた吉田茂は「親子2代にわたるこのような日本通が日本占領の最高責任者になったのは、日本にとって大きな幸運だったというべきだろう」と述べている

1945年9月21日、横浜沖に停泊していた戦艦ミズーリ号上で「降伏文書」の調印式が行われた。日本側使節団の全権は重光外相、副全権は梅津美次郎陸運参謀総長、この他に陸軍・海軍・外務からそれぞれ3名の合計11名(加瀬もその中に加えられた
日本の使節団は、早朝5時横浜港に向かった。ミズーリ号に乗り移る際、義足の重光はタラップを上るのに苦労したが、ステッキを頼りに何とか登り切った。上甲板は黒山の人彼で立錐の余地も無く、マスト、砲塔、煙突の上にも米軍兵士がびっしりと鈴なりになっていた。この数千人の兵士たちの凝視が矢となって自分に突き刺さるのを、加瀬は歯を食いしばって耐えた

そこにマッカーサーが現れ、演説を始めた。その要旨は次の通り;「ここに交戦国の代表が集まり、平和の為の協定を締結しようとしている。相対立する思想・理念   の衝突は戦場での戦いで決着がついた。我々は悪意や憎悪に満ちて個々に集まったのではない。むしろ勝者であると敗者であるとを問わず、人類のより高い威厳に到達することを祈るものである。過去の流血と殺戮の中から、信頼と了解の上に立つ世界、自由・寛容・正義の実相を志す世界が出現することを期待する。私は連合国最高司令官として正義と寛容をもって責任を果たす決意である
マッカーサーの演説が3分ほどで終わると、降伏文書に署名が行われた。上空には400機のB29、1500機の艦載機が飛行した

1945年9月17日重光は外相を辞任し、吉田茂が後任の外相となった
1945年10月、東久邇内閣は総辞職し、幣原喜三郎内閣が成立。吉田はそのまま外相留任
1946年5月
、幣原内閣総辞職 ⇒ 第一次吉田内閣成立、吉田茂は外務大臣兼務。加瀬は内閣情報局第三部長としてGHQや内外のマスコミの対応に忙殺された。同年12月内閣情報局が廃止され、更に外務省広報部長の職も解かれた。以後、加瀬は文筆家としての道を歩むことになった

以上

B737MAXの墜落事故について

はじめに

昨年10月29日、インドネシアのLCCであるライオン航空のB737MAXが離陸後すぐに墜落しました。また、今年3月10日にはエチオピア航空の同型機がやはり離陸後すぐに墜落いたしました。この二つの事故の原因に類似性があることが分かり、3月13日には全世界で飛行中の約370機が、各国の航空当局から飛行禁止の命令が下されるという、近年には稀な事態となりました
このB737MAXという航空機は、2017年5月に引き渡しを開始した後、既にデリバリーされている機体を含め百社以上から約5,000機の発注を受けているベストセラー機であり、現在ボーイング社で月産52機のペース(⇒今年末には月産57機となる予定)で生産されています。因みに、この最新鋭機の技術的な仕様は以下の通りです;

737MAX Technical Specs
737MAX Technical Specs

多くの航空会社が導入しつつあり、導入する各社は今後の路線便数、航空機材計画の中心的な役割を果たすことが予定されており、今回の飛行禁止命令は全世界で注目されています。また、日本国内でも2020年からANAが30機の導入を計画しています。新聞等での報道もありますが、最近入手したAviation Weekの記事に現在までの事故の解析及びボーイング社が考えている対策が載っていましたので概略ご紹介をいたします(詳しく知りたい方は”B737MAX Accidento Chaos_25MAR’2019 Aviqtion Week & Space Technology“をご覧ください。尚、上表”Technical Specs”を含め、ボーイング社のウェッブサイトからも必要な情報を転載しています

事故の概要

1.ライオンエア610便墜落事故;

http://toboe.onenote.co.jp/wp-content/uploads/2019/04/Lion-Airの事故機と墜落までの飛行ルート
ライオンエアの事故機と墜落までの飛行ルート

2018年10月29日午前6時20分、ジャカルタ郊外のスカルノ・ハッタ空港を離陸したB737MAX(2018年8月受領)は、離陸後約10分で消息を絶ちジャカルタ北部の海上に墜落、乗員・乗客189名全員が死亡しました。墜落付近の海域で、Flight Data Recorder(パイロットによる航空機の操作や機体の位置、気圧高度、速度、など機体の運動状態、その他多くのデータを記録しています)Cockpit Voice Recorder (操縦室内の会話を記録しています)が回収されています。インドネシア航空当局から、「Flight Data Recorder からの情報で機体のAOA(迎え角:以下 AOAと表記します;Angle of Attack)センサーのデータが左右で20度食い違っていたこと、副操縦士から管制官に飛行高度を確認するように要請があり、飛行制御に問題があるとの報告があったこと」が発表されています

AOA(迎え角)とは・センサーの位置
AOA(迎え角)とは・センサーの位置

2.エチオピア航空302便墜落事故;

エチオピア航空機と事故現場
エチオピア航空機と事故現場

2019年3月10日午前8時38分、アジスアベバのボレ国際空港を離陸したB737MAX(2018年11月受領)は約6分後に墜落し、乗員・乗客157名全員が死亡しました。墜落機のパイロットは、墜落数分前に管制官に対して運航上のトラブルを報告し、空港に引き返す許可を求めていました。墜落現場付近で、Flight Data Recorder と Cockpit Voice Recorder が回収されており、エチオピア航空当局からの依頼でフランスが解析を実施しています

事故機の飛行記録から事故原因を推定する
両事故機の対地速度と上昇・沈下速度の比較
両事故機の対地速度と上昇・沈下速度の比較

上表は、ライオンエアの事故については、回収されたFlight Data Recorder から得られたデータを使用していますが、右のエチオピア航空の事故については、ADS-B(下記”参考1”参照)というシステムから得られるデータを使用しています。尚、上表で比較を行う場合、縦軸のスケールが違うことに注意してください
上表で明らかなように、墜落前の両機の飛行状況は非常に似通っています。また離陸直後の速度が低い状況下で短周期で上昇・沈下を繰り返しており、極めて不安定な飛行状態であったことが分かります

<参考1> ADS-Bとは
ADS-Bという名称は、”Automatic Dependent Surveillance-Broadcast”の頭文字を取っています。このシステムを使って、ATC Transponder(航空機に対して質問電波を発信すると航空機が持っている今の情報を返信してきます)を装備した航空機について以下の様な情報が入手できます;
①飛行機の登録番号、②飛行機の位置情報(経度、緯度)、③飛行機の速度(水平速度、上昇・下降速度)、④飛行機の高度(GPSからの情報と気圧高度計情報)、⑤飛行機の進行方向、⑥その他

FAAのADS-Bシステム概念図
FAAのADS-Bシステム概念図

また、ライオンエアのFlight Data Recorder から、事故前日と、事故当日(⇒墜落)の機体の水平尾翼の操作状況と水平尾翼のPositionの記録を読み取ったものが以下のグラフです;

水平尾翼の操作、動きの記録
水平尾翼の操作、Positionの記録(Aviation Week 2018年12月10-23 Editionから転載)

ライオンエアでは事故前日に、同じ機体で水平尾翼の異常な動きが一時的に発生し、すぐに正常な飛行に戻ったことが読み取れます。この情報はパイロットから地上整備士に報告され、事故当日出発前に点検・整備が行なわれたことがエチオピア航空から発表されています。ただ、適切な整備が行われたかどうかは現在までのところ分かりません
事故機は出発後すぐに、水平尾翼が MCAS(下記”参考2”参照)というシステムで自動的に小刻みに”Nose Up”側に動かされているのに対し、パイロットは適宜手動で”Nose Down、Nose Up”側に動かしています。その後、MCASが自動的に”Nose Down”側のみの動きを続けパイロットはその動きを止めようと”Nose Up”側にトリムを行っていますが、最終的に墜落前には水平尾翼の”Nose Down”側のトリム量は相当大きな値になっています(⇒地上に向かって急降下?)

737MAX Cockpit内の水平尾翼マニュアル・トリム関連装備
737MAX Cockpit内の水平尾翼マニュアル・トリム関連装備

こうした情報から、MCASによって水平尾翼が”Nose Down”側へ異常なトリムを繰り返し、パイロットの手動操作(水平尾翼の手動トリム+昇降舵)ではこれをコントロールできなかったことが事故の一つの原因ではなかったかと推測できます

<参考2> MCASとは
MCASという名称は、”the Maneuvering Characteristics Augmentation System “の頭文字をとっています。B737MAXから装備されているソフトウェア(B737NG以前のB737シリーズには装備されていません)で、名称の意味から判断すると、パイロットの操縦操作をサポートするシステムの様です
MCASは、フラップを出していない状態でマニュアル操縦で上昇を行っている(自動操縦を行っていない)時に、ピッチングの安定性を向上させるためのシステムです。因みに、機体のAOAの情報は、機体の両サイドにあるAOAセンサーの一つから得ており、一フライト毎に信号を受け取るセンサーを左右入れ替えています。

ボーイング社は多くの737シリーズを販売しており、これらのシリーズ間でパイロットが同じ様な感覚で操縦できるようにするため(例えば、航空会社によっては、B737NGを操縦した人が、翌日B737MAXを操縦することは頻繁に起こると考えられます)であり、B737MAXの型式証明(型式証明に係る詳しいことは「3_耐空証明制度・型式証明制度の概要」を参照してください)を取得するときにFAAからも要求されていたものです
同じB737シリーズでこの様な追加的なシステムが必要になった原因は、B737MAXから装備されることになった新しい高性能エンジン(CFM Leatp1)が、迎え角が大きい時にそれまでのエンジン(CFM56シリーズ)より大きな”Nose Up”のモーメントを発生させるからであると説明しています

737NGと737MAXのエンジン位置比較
737NGと737MAXのエンジン位置比較

こういう新しいシステムを導入しているからには、このシステムに誤動作が発生した場合、パイロットがどの様な操作を行えば正常な飛行状態に戻せるかに関して十分な訓練を行なう必要があると考えられます

現在検討されている対策

ライオンエアの事故以降、ボーイング社は事故の解析を行い、以下の様な対策を行う準備を進めています;
1.MCASの改修について
新しいソフトウェア・パッケージ(EDFCS:Enhanced Digital Flight-Control System)を開発し、B737-7をテストベッド機としてテストを行っています。従前のシステムからの変更のポイントは以下の3点です;①MCASを自動起動するときのロジックの変更、②AOA情報の入力方法改善、③水平尾翼のトリム・コマンドの制限
この変更によって;㋑システム全体の冗長性(Redundancy/想定外事象に対する対応力)の向上、㋺AOAセンサーからの間違った信号入力に対する水平尾翼トリム量の制限、㋩MCASによるトリム量を制限することによって水平尾翼の本来の機能を維持することが可能になると説明しています

ボーイング社としては方針は定まったものの、上記方針全体を完全に具体化するに至っていません。例えば、上記㋺のAOAセンサーの件については、追加的なセンサーを設ける方法以外に、現有の2台のFlight Control Computerに入力されている左右のAOAセンサーの信号をMCASに入力する方法も検討されています
また、上記㋩の水平尾翼のトリム量については、MCASからの新しいトリム入力に対して、水平尾翼のトリム量は1ユニットのみに制限すること、などを考えています。因みに現在のMCAS(事故機に装備)では、AOAセンサーが決められた”Nose Up”の範囲(専門用語で”閾値”といいます)を超えると、1秒当たり0.27° “Nose Down”方向に動かし、9.3秒間で、最大トリム量は2.5ユニットまで動かせるように設計されています

2.パイロット、整備士が使用するマニュアルの変更について
ボーイング社は、現在以下のマニュアル類の変更を検討しています;
①Flight Crew Training Manual(パイロットの訓練に使用するマニュアル)
②Airplane Flight Manual(パイロットが操縦するときに何時でも参照できるようにしている操縦時必携のマニュアル)
③Flight Crew Operation Manual(パイロットが操縦するときに何時でも参照できるようにしている操縦時必携のマニュアル)
④Quick Reference Handbookのspeed trim check list に新しい”注”を加える(出発時、飛行中のトラブル発生時にパイロットが参照するマニュアル)
⑤Airplane Maintenance Manual(整備士が整備を行う際に使用するマニュアル)
⑥Interactive Fault Isolation Manual(トラブルの修理を行う際、トラブルの原因を迅速に特定する為に使用するマニュアル)

3.AOAセンサーの不具合に対する対策
左右のAOAセンサーの情報が食い違っていた場合に、コックピットの最も重要な計器にその表示を行うこと( DISAGREE primary flight-display alert:参考3)
尚、この機能はB737NGでは標準装備になっていましたが、B737MAXではオプションとなっており、事故を起こしたライオンエアのB737MAXでは、このオプションは採用されていませんでした

<参考3> この警告表示を表示する条件
左右のAOAセンサーの値が10°以上ズレて、且つそれが10秒以上続いた場合に警告が表示されます

今後の推移

“はじめに”でも述べた様に、既に370機のB737MAXが航空会社に引き渡され、3月10日までは飛行を行っていた訳ですから、航空会社によってはこの機材が支えていた航空路線を維持するのは大変な負担になっていいるはずです。また、パイロットの資格は殆どの国で型式限定になっているため、他の型式の航空機で路線運営を代替することは簡単にはできません
一方ボーイング社としても、今のところ月産52機の生産を維持していますので、次々と完成していく機体を置いておく場所にいずれ困ってしまうはずです

こうしたことから、この原稿を書いている時点で、ボーイング社は可能な範囲で既に改修の提案(SB:Service Bulletine/SBに関する詳しい説明は7_Hardware に係る信頼性管理をご覧ください)を始めています(MCASの改修提案 by Boing
また、B737MAXの型式証明を行った米国のFAA(Federal Aviation Administration:連邦航空局)も面子にかけて運航許可に向けてボーイング社と協力作業を行っていると思われます

従って、かなり早期(1~3ヶ月?)にボーイング社のSBがFAAによってAD化(改修命令)され、この改修が済み次第、米国での運航が再開されるのではないかと思われます。続いてFAAとの協力関連が強いカナダ(ボンバルディア社がある為)、やEU諸国(エアバス社がある為)でも運航許可を出すものと思われますが、中国や事故のあった国であるインドネシアやエチオピアは、そう簡単にはいかないような気がします

また、今回の事故によって痛手を受けた航空会社は、B737MAXのオプション契約分をエアバス機(A320neoなど)に切り替える動きが出てくる可能性は高いものと思われ、今後の航空機商戦は予断を許さない状況が続くと思われます

A320neo vs B737MAX
A320neo vs B737MAX

今後、AD(Airworthiness Directives@米国;耐空性改善通報@日本)が発行され次第このブログに追加的に情報を記載していきたいと思っています。また、運航再開以降になると思われますが、ライオンエアの事故機に関してはインドネシア航空当局から、エチオピア航空の事故機に関してはエチオピア航空当局から正式な「事故報告書」が発行されるはずです。これらの事故報告書の内容についても適宜追加的にブログに記載していこうと思っています

Follow-Up:2019年4月6日、737MAXを2割減産発表 ⻑期停⽌に備え

Follow-Up:2019年4月12日、190412_737 MAX SOFTWARE UPDATE

・・・その後の進展状況_①・・・

2019年4月15日、Aviation Week_April08-21_Fixing the MAXにエチオピア航空、ET302便のFlight Data Recorderの解析が出ていましたので、その要約を報告します;

ET302 Preliminary FDR Data_説明用
ET302 Preliminary FDR Data_説明用(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

上のデータには19個のパラメータ(①~⑲)について、出発から墜落に至るまでの時系列の推移がグラフになっています。尚、時系列の単位は、UTC(世界標準時/日本はUTC+9時間)で表示されています;
凡例:05:37:00:5時37分:0秒;横軸1目盛で3秒の間隔

ET302便のFlight Data Recorder の解析;

05:37:45:正常に出発;10秒後位からエンジンンの出力UP(②参照)
05:38:39:離陸(⑨参照)
05:38:45:左右のAOAセンサーの値が乖離(⑫参照/左74.5°Nose Up、右15.0°Nose Up)
<参考> エチオピア航空当局による事故後の調査で異物が当った形跡は無かった
05:38:45:左のAOAの過大なNose Upの信号により、左の操縦桿のStick Shakerが起動(③参照;その後ずっと起動したまま)
<参考> 起動したStick Shakerの動画(ネット情報):https://youtu.be/NtQqb7rstrQ

05:38:49~05:39:18:手動によるNose Up、Nose Dowmのトリムを繰り返す(④参照)
05:39:21:Auto Pilot “ON”(⑯参照)
05:39:24~:Auto Pilotによる自動トリム(⑬参照;ほぼNose Down側)
05:39:45:離陸を継続しフラップ引き込み開始、15秒後に引き込み完了(⑲参照)

05:39:57:Auto Pilot “OFF”(⑯参照)⇒ MCASが自動的に起動し、MCASによるトリムがが始まる(⑬参照)
05:40:00~05:40:09:左のAOAセンサーの誤った入力信号によりNose Down方向にトリムが行われ、水平尾翼のPitch角が4.6ユニットから2.1ユニットに変化し(⑭参照)、機体は上昇から降下に変わった(①参照)
 05:40:09:パイロットの操縦桿にあるトリムスイッチによりNose Up側に操作され(④参照)、水平尾翼のPitch角が2.4ユニットに戻した
05:40:20:左のAOAセンサーの誤った入力信号(⑫参照)で、再びMCASによりNose Down方向にトリムが行われ(⑬参照)、水平尾翼のPitch角が0.4ユニットまでNose Downまで下がった(⑭参照)
05:40:27~05:40:37:パイロットの操縦桿にあるトリムスイッチによりNose Up側に操作され(④参照)、再び水平尾翼のPitch角が2.4ユニットに戻った(⑭参照)
05:40:42~15:40:51:MCASによりNose Down方向にトリムが行われ(⑬参照)たものの、Pitch角は変わらなかった(⑭参照)

15:40:51:パイロットがMCASの電源を切った(MCAS電源のON/OFFは上表のパラメーターには入っていません。記事後半にON/OFFした事が書いてありますので、④のデータの推移から筆者がタイミングを判断しました)

05:41:46:Voice Recorderより)機長が副操縦士に対してマニュアル操作でNose Upにできるか?」と聞いたところ、副操縦士はできない」と答えた
05:41:46:この時点の左の対気速度は340kt(ノット;時速630キロ)、右はそれより20~25kt速かった(⑪参照)。(Voice Recorderより)Over Speed Warning が鳴り、パイロットは管制官に空港への引き返しを要請し、許可を得た
05:43:11:水平尾翼のPitch角が2.1ユニットまでNose Down方向に下がり(⑭参照)、パイロットが2度トリムスイッチによりNose Up側に操作した(⑬参照)結果、水平尾翼のPitch角が2.3ユニットに戻った(⑭参照)

05:43:21:再びMCASの電源を入れた(MCAS電源のON/OFFは上表のパラメーターには入っていません。記事後半にON/OFFした事が書いてありますので、④のデータの推移から筆者がタイミングを判断しました)

05:43:22:水平尾翼が自動的にNose Down方向に動き、5秒でPitch角が1.0ユニットに下がった。その後急激に速度を上げつつ(⑪参照)、高度が下がり(⑩参照)、約25秒後に地上に激突

関係者の現時点でのコメント抜粋;

1.Flight Data Recorder、Voice Recorder の解析を担当しているエチオピア航空当局(ボーイング社、FAA/連邦航空局、NTSB/連邦事故調査委員会、EUの航空当局、フランスの航空当局も協力して事故調査を行っています)は、事故機のパイロットはボーイング社のマニュアル通りの操作を行っていたと述べています(⇔この件は、ボーイング社による事故の賠償金額に大きく影響するはず)

2.ボーイング社では;
A)パイロットがMCASの異常事態に際し、操縦桿にある手動トリムでの対応を継続し、迅速なMCASの停止操作を行わなかったために事故に至ったと考えている
B)ボーイング社の「水平尾翼が暴走した時に行うべきチェックリスト(「Runaway Stabilizer Procedure」/B737NGと同じ!)」では、「MCASの電源」を切ってからマニュアルトリムを行うことになっている

3.FAAは、一連のB737MAXの事故のケースを見ると、Part121エアライン(大型の商用機を運航するエアライン)のパイロットは異常な飛行状態失速、背面飛行からの回復、対気速度の計器が信頼できなくなった時、など)から回復する訓練をシミュレーターで行う必要があると考えている。しかし、現在ではエアラインが保有しているシミュレーターの能力には問題があると考えている。因みに、米国のエアラインは、こうした異常飛行の訓練に対応できるB737MAXのシミュレーターを持っていない

Follow-Up:2019年4月25日、ボーイング機運航停⽌の影響広がる 再開めど⽴たず

Follow-Up:2019年4月27日、⽶航空⼤⼿、ボーイング機運航停⽌で⽋航コストかさむ

Follow-Up:2019年5月4日、ボーイング、開発でパイロットの意見求めず_米紙報道

・・・その後の進展状況_②・・・

2019年5月5日、Aviation Week_April22-May05に以下の様な記事が出ていましたのでご紹介します;

MCAS改修の内容がかなり明確になってきました

MCASのソフトウェアの新旧を比較したものが以下の図になります;

MCASソフトウェア_新旧比較
MCASソフトウェア_新旧比較(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

改修のポイントは;
1.左右のAOAセンサーの、① 左右の迎え角にで5.5°以上の乖離があった場合、② 突然迎え角の値が跳ね上がった(spike)場合、③ 迎え角の変化が尋常でなかった(unreasonable)場合、MCASによるコントロールを停止する
2.パイロットによるピッチ・コントロール(Nose-Up、Nose-Down の操作)は、MCASのコントロールに優先する。またMCASによる水平尾翼のコントロールは、閾値(しきい値:予め設定された値)を超えれば停止する
3. MCASは、AOAの迎え角が変わった時、一回だけ水平尾翼のコントロールを行う。また、パイロットが手動でトリムを行った場合、5秒後にMCASがコントロールを再開する最初のソフトウェアのルールを廃止した

4.パイロットが操縦する際、最も重要な表示装置であるPFD(Primary Flight Display)のイメージは、改修実施後に以下の様になります;

New PFD Image
New PFD Image(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

上記のイメージの説明;
* 左側のPFDのイメージはノーマルなケース、右側のPFDのイメージはAOAの情報が異常であった場合の表示です
* 両方のイメージで、左の帯状のスケールは対気速度(kt:マイル/時間)を表し、右側の帯状のスケールは気圧高度を表しています。対気速度の帯の右側にある赤と白のまだらの細い帯状の表示は失速の警告が出る大気速度の範囲を表しています
* AOAの迎え角が大きく乖離した場合(右側のPFDイメージを参照)、右下に「AOA Disgree」の表示が出ていることが見て取れます。また、機体の速度は169ktで失速速度145ktよりも十分速いにも拘わらず、左の失速の警告が出る範囲になっているのが分かります(⇔失速の警告が出ても失速する心配が無いのが分かる)

5.FAAの当局者によれば、上記改修は5月下旬~6月初旬に承認される見込みとのこと。ただし、この承認後米国のエアラインは早期に運航再開することが考えられますが、米国外のエアラインの運航再開は見通せません(←各国の航空当局の判断)

ボーイング社の今後の新機種開発計画に対する影響(識者の意見)

ボーイング社は、米国で多く使われているB757/B767の後継機種の開発計画(NMA:New Midmarket Airplane)を持っていましたが、今回のB737MAXの事故によって、計画の進捗は明らかに遅れています
今回の事故で明らかになったように、B737MAXの機体設計は明らかに新しい高性能のエンジンを搭載する条件を満たしていません(バイパス比の大きいエンジンを搭載するには機体と地上とのクリアランスが小さすぎる)。また、既にこのクラスの受注競争においてもA320NEOに遅れを取っていることも明らかになっています。従って、ボーイング社としては、2025年~26年にはNMBの投入が是非とも必要となると思われます(⇔B737MAX8、9、10の差し換え需要を含めて/筆者の意見)

Follow-Up:2019年7月15日、ボーイング機の運航再開、20年に延びる可能性 米報道

Follow-Up:2019年7月19日、ボーイング、運航停止で補償費用5200億円 年間利益の約半分

Follow-Up:2023年3月23日、JAL、ボーイング737-8型機 21機の購入契約を締結

以上

 

MRJの開発、また遅れるんですか?

-はじめに-

世界の航空関係者で購読している人が多い“Aviation Week & Space Technology”の最新号(2月6~19日号)の表紙に上記写真の様な衝撃的なタイトル!が踊りました。“YS-11”が1964年に初飛行して以来絶えて無かった国産旅客機の再登場で航空関係者のみならず、国民の多くが期待をかけている“MRJ” が2015年に初飛行してから既に一年以上が経過しているにも関わらず先が見通せない状況に陥っているのでしょうか、航空ファンとしては心配なところです
国内の新聞報道(“また延期・引き渡し20年に”;“導入延期・パイロット採用にも影”)では引き渡しが遅れる理由はよく分からなかったのですが、上記雑誌の記事(“A&W記事”)には過去の遅延(今回が5回目)も含め、遅延の理由とその評価が解説してありましたので、本件に興味を持っている皆様にご紹介したいと思います

-MRJとは-

“MRJ”という名称は“Mitsubishi Regional Jet”の頭文字を取っています。読んで字の如く、大型機を飛ばすだけの需要が期待できないものの旅客単価の高い相応の需要が期待できる路線に特化することを狙った60席~100席クラスの小型ジェット機です。今後20年間の世界の需要は5千機にも上ると言われており、カナダのボンバルディア社、ブラジルのエンブラエル社などこのクラスの航空機製造に実績のある航空機メーカーも経済性の高い新型機の開発にしのぎを削っています。中国も開発を進めておりますが、米国で耐空証明を取る気配が見えないので、当面は国内需要が狙いであると思われます

“MRJ”の最大のセールスポイントは、その高い経済性にありますが、これはプラットアンドホイットニー社が新しく開発した燃費の良い新型エンジンを装備していること、日本の得意分野であるCFRP(炭素繊維複合材料)をふんだん使った軽量化を行うこと、などによって実現しようとしています
現在開発している機種は、76席の“MRJ70”と90席の“MRJ90”です。この2機種に加え、近い将来100席の“MRJ100”の開発も視野に入れています

また、最先端技術の粋を集めている航空機の開発は、産業の裾野も広く“技術立国”日本としてはどうしても実現したい夢でもあります。因みに、国の規制機関である経済産業省や国土交通省も、補助金の交付や開発環境の整備などで開発当初からバックアップを行っています
国産機とは言っても、使用する部品の約7割が外国製であると言われており“どうして国産機と言えるんだ!”という意見もありますが、実は民間航空機の製造で一番ノーハウが詰まっている部分は、耐空証明取得のプロセス(詳しくは“3_耐空証明制度・型式証明制度の概要”をご覧ください)です。因みにボーイング社の最新鋭機である787は日本で約3分の1が製造されていますが、米国産の航空機であるということに異議をとなえる人はいないと思います。最新の航空機は、航空機メーカーが世界の優良企業を選んで国境を越えたサプライチェーンを作って製造しているのが実態で、エアバス機も例外ではありません
<参考> “MRJ”の主要なサプライヤー:“Parker Aerospace”、“UTC Aerospace Systems”、“Rockwell Collins”、“ナブテスコ”、“住友精密工業(株)”

“MRJ”は現在まで航空会社や、航空機リース会社から約400機の契約(オプション契約も含む)を取得しており、日本においてもANAは25機、JALは32機導入の契約を結んでいます

“MRJ”についてさらに詳しく知りたい方は、“MRJ”開発の主体となっている三菱航空機(三菱重工の100%子会社)の2014年のプレゼンテーション資料(“MRJの開発状況”)をご覧ください

-これまでの開発の足どり-

開発の足どり
開発の足どり

1.開発開始:2008年
“MRJ”の本格的な開発が始まった(業界用語で“ローンチ/launch”といいます)のは2008年です。この時、顧客への引き渡し時期は2013年に設定されていました。つまり開発期間は5年間だったことになります。航空機の開発には莫大な投資が伴いますので、通常ペーパープランの段階で確定契約を行って開発リスクをシェアしてくれる顧客が必要になりますが、“MRJ”ではANAがその役割を担いました。この顧客の事を“ローンチ・カスタマー/Launch Customer”といいます

2.1回目の遅延:2009年
最初の遅延は開発開始後17ヶ月後の2009年に行われました。これは主翼の構造をCFRP(炭素繊維製)から金属製に変更すること、胴体の断面積を増加させること、及び電子装備品と貨物のスペース配分の変更することという大きな設計変更になりましたが、これに伴う開発期間の延伸は僅か3ヶ月であったため大きな議論は呼びませんでした。

3.2回目の遅延:2012年
2012年に三菱航空機は、“製造過程、及び技術的な解析に係る書類が規則通りに揃っていなかった”という理由で引き渡しを2年遅らせるという発表を行いました。ここで三菱航空機は、“この遅延は技術的な問題ではない”と説明しておりますが、実は遅延の本当の理由は“型式証明取得に係る経験の不足”であり、ここから“型式証明取得という“困難で不愉快な挑戦”が始りました。型式証明取得とはどんなことを行うのかについては、“3_耐空証明制度・型式証明制度の概要”をご覧になれば概要を理解することができると思います

4.3回目の遅延:2013年
2013年には、型式証明を取得するのに必要となる新しい組織監視の仕組みである“ODA/Organization Delegation Authorityを導入するために1年の遅延が必要になった”と発表致しました。ただ、この発表のタイミングはやや奇異なことでした。何故ならODA導入の義務化については2009年に既に公となっており、本来なら2012年の遅延に反映されているべきものだったからです
私は、“ODA”の仕組みについて詳しくはありませんが、考え方としては、規制当局が人的なリソースに限界があるために規制作業の一部(と言っても業務量の90%程度:“FAA’s ODA Program Announcement Lette”)を被験者に行わせ、且つ責任を持たせる仕組みであり、パイロットの技量管理の仕組みや認定事業場の仕組みなど(“2_航空機の安全運航を守る仕組み_全体像”)にも取り入れられています。“ODA”の仕組みを全体として俯瞰してみたい方は“ODAに係るルール_Order 8100-15”の目次だけでもざっとご覧いただくことをお勧めします。このルールに適合させることがいかに大変か分かるのではないでしょうか

5.4回目の遅延:2015年
2015年末には、“試験飛行を実施する為に更なる時間が必要”となり、引き渡し時期が更に1年延期されました
試験飛行に関しては、開始時期が半年ほど遅れていたことと、試験飛行計画のプロセスで地上での準備作業の時間をもっと確保すべきであったこと(この件は、米国の専門家/“U.S. expert”が三菱航空機に対して既にサジェスチョンしていたことでした)が原因があったようです

6.今回の遅延(5回目):2017年
今回の遅延の理由は、“異常事態/extreme events(例えば床下への水漏れ、爆発/explosionなど)が発生した時の電子・電気機器類/the avionics and electrics)の回復性/resiliencyの問題”であり、この問題を解決するには、“ワイヤリングのルートを変更し、電子・電気装備品収納スペース/avionics bay内の装備品の再配置が必要”となったことです。この設計変更を行うために更に2年の引き渡し時期の延伸が必要になると発表されました

また、発表の際の追加的な説明は以下の通りです;
今回の遅延は新しい要求項目(certification requirement)が出てきた為でなく、これまでの要求項目(“Electrical Wiring Interconnection Systemsに係る耐空性要求項目”)理解不足にあった
<参考>  通常航空機の開発期間は極めて長期に亘る為、新型式の耐空証明を取得する際に適用される耐空性基準(certification basis)は5年以上前のものが使われることになっています。2008年に開発が始まった“MRJ”については、2013年以前に型式証明を受けるとすれば、2008年の“certification basis”に従えばいいのですが、引き渡しが2020年(耐空証明の取得は2019年)になった場合、“certification basis”は2014年のものが適用されることになります。しかし、2008年と2014年の耐空性基準の違いは全体として僅かであり、且つ今回の設計変更に係る基準は2008年以前に既に存在していたものでした

今回の設計変更の準備は既に始めており、今後数ヶ月の内に詳細設計に入る予定
今回の設計変更に伴って1~2回の追加試験飛行が必要と想定
製作された5機のプロトタイプの内4機は今回の設計変更をしない機体のままで試験飛行を継続する
2015年11月の初飛行から、日本の航空当局の監督下で実施してきた400時間の試験飛行は型式証明試験として有効
今回の設計変更に伴う耐空性の検証は、主として熱や電磁的な評価を行うことになり、これまで行ってきた検証作業と重複は無い
今回の設計変更に伴う構造設計の変更は不要。機体の構造強度に関わる検証は既に完了している
静強度試験に投入されている2機の内の1機で実施された主翼の究極荷重試験で運用上の最大荷重の150%で破壊が起こらないことは昨年11月に確認されている(今後この試験は破壊が起こるまで継続)

この遅延によって、ANAの初号機の引き渡しは2020年の後半となり当初5年を想定していた開発期間は12年以上となりました。これに伴って開発に必要な資金は膨大(“開発費5000億円に”)となりますが、三菱航空機は、“苦労して手に入れた経験は次の航空機開発に役立てたい思っている。また投資回収期間は伸びるかもしれないが、各会計年度の収支へのインパクトは極小化できる”と語っています
また併せて、“商用航空機生産のビジネスは参入障壁が高く長期間に亘る取り組みが必要であるものの、三菱重工はこれに適した企業であり、今後“MRJ”を越える優れた航空機の生産を目指し、MRJプロジェクトとは別に“Future Advanced Technology Development Team”を立ち上げ、次世代航空機のコンセプトに係る戦略とこれに不可欠な先端技術の開発を行うことにしている”とも語っています

-Aviation Week & Space Technologyのコメント-

2016年8月31に“Aerolease Aviation” と2018年に引き渡す契約を結んでいたにもかかわらず、その後4週間もたたないうちに購入契約を結んだ全ての顧客に対して引渡し遅延の可能性(2018年には引き渡しが無く、引き渡しは1年以上遅れる旨の内容)を通告していることを勘案すると。この設計変更の問題は突然発生したのではないかと考えられる。その後、4ヶ月に亘って技術的な分析が行なわれ今回の発表になったものと考えられる
設計変更作業を行った最初の機体は、恐らく2018年の第二四半期までに完成し、その後新しく追加された試験飛行が始まると考えられる
発表された新しいスケジュールから判断すると、少なくとも試験飛行用に2機目の設計変更作業済みの機体が準備されると思われる
追加的に必要となる試験飛行の機体は、恐らく顧客に引き渡す予定の機材から流用されると思われるが、これらが最終的にどの顧客に引き渡される機体になるかは決まっていない
三菱航空機が発表した新しいスケジュールでは、型式証明の取得から顧客への最初の引渡しまでに6ヶ月のバッファーを設けており、他の航空機メーカーのバッファー(せいぜい数週間しか設けない)に比べると余裕があると考えられる

“MRJ”の最大市場と考えられている米国の顧客は、これらの引渡し遅延に対してそれ程苛立ってはいない。何故なら、パイロット組合(ALPA:日本と違って職種別の組合であり、米国大手航空会社のパイロットはこの組合に加盟している)と航空会社との労働協約(“scope clause”)によりパイロットをアウトソース(委託)できる航空機は、76席以下最大離陸重量が86,020ポンド以下となっており、“MRJ90”の運航には賃金の高い自社のパイロットを配置せざるを得ず、経済性に欠ける機材となるからです。因みに、“MRJ90”の強力なライバルであるエンブラエル社の新型機“E175-E2”は、この労働協約を念頭に引き渡し時期を2021年に延伸している
MRJ”の顧客である“SkyWest Airlines”と“Trans States Airlines”は、それぞれ100機と50機の発注を行っているが、これらの航空会社は米国大手の航空会社と運航の委託契約を行っていることがあり、“MRJ70”か、は“MRJ90”かの選択を未だ行っていない

Follow_Up:2023年2月:スペースジェット撤退に関わる泉沢清次・三菱重工業社長の記者会見

以上

8_Humanwareに係る信頼性管理

―はじめに-

航空機の事故発生率は航空機、エンジン、その他の装備品などのHardwareの信頼性向上(設計の高度化、材料の進歩、Hardware に関わる信頼性管理技術の進歩、など)と法規制の高度化によって飛躍的に低下してきました。しかし1970年代半ばを境に事故発生率は横ばいとなり、このまま放置すると経済の急成長に伴う運航機数の増加に比例して事故数の増加は避けられなくなることが予見されました。そこで、事故の原因として相対的に大きな要素を占めるようになった人間が犯すミス(以下“ヒューマンエラー”/Human Error と呼びます)を抑止する為に官民一体となった取り組みが始まりました
航空機を運航するという事は、航空機という高度な機械システムを、人間が維持管理(整備など)を行い、人間が操縦することと言い換えることができます。ここでは、この高度な機械システムに人間がかかわる部分の信頼性管理の在り方を総称して“Humanware に係る信頼性管理”と呼ぶことに致します
この取り組みが始まってから40年以上が経過しておりますが、現在までの足取りについて以下に説明をしたいと思います

-Humanware に係る信頼性管理システムの歴史-

戦後、物作り日本が高度成長を続けている時期、生産現場では不良品が発生する主な原因となるミス作業を減らすために“ZD(Zero Defect)運動”が導入されました。その後、更に製品品質の向上と生産性の向上とを同時に達成するために、現場での自発的改善活動に重きを置いた“小集団活動”が盛んになり、目覚しい成果を挙げました
航空ビジネスの分野でも現場を中心とする多くの部門にいち早くこの小集団活動が導入され、ミス作業の防止による安全性の向上生産性の向上に大きく寄与することになりました。

その後、高品質の製品を生み出し続ける日本に倣って欧米先進国の優良企業が、それまで現場中心であった小集団活動に目を付け、これを現場以外の部門にも広げ、更にこの活動に経営が積極的に関与するという、謂わば“経営改善活動”として進化を遂げるに至りました。“TQC(Total Quality Control)活動”、“QMS(Quality Management System)活動”、“シックス・シグマ(6σ)活動等は、個々に手法の違いはあれ全てこの範疇に入る取り組みと考えられます
シックス・シグマ(6σ:注)活動については、米国の電子機器・通信機メーカーであるモトローラ社が1980年代に初めて開発致しましたが、これをジェネラル・エレクトリック社が全社的に導入し成果を上げたことから、日本航空の整備部門などにも取り入れられることとなりました
(注)シックスシグマのシグマ(σとは、統計用語で標準偏差(バラツキの度合い)を意味します。シックスシグマ活動とは、品質のバラツキを標準偏差で測定し、分布の平均からプラス・マイナス6シグマ(σ)を上限・下限の管理限界として不良品の率を減らしていく経営手法です。シグマの数が大きくなるほど(6σ > σ )指数関数的にバラツキが減少してゆきます

また、技術的に高度な製品を生み出す企業は、国境を超えた “Supply Chain(連鎖的な供給体制:必要なタイミングで必要な部品を供給する仕組み、例えばトヨタの“かんばん方式”など)”を築くことが一般的となり、結果として末端の部品供給を担う企業に対しても高度なレベルの品質管理を導入する必要性に迫られました。こうした環境の中で生まれたのが“ISO(International Organization for Standardization:国際標準化機構)”という組織です。ISOでは国際的に共通な基準を設定すると共に、この基準を満たしているかどうかを認証する中立的な専門機関を設ける仕組を構築しました。そして部品供給を担う企業に対しても、ISOの認証を受けることを求める様になりました。

ISOが要求する基準とは、極言すれば“業務を行う為のルールの可視化”、“PDCA(Plan Do Check Action)サイクルの徹底”、“記録の保持”であるということができます。航空ビジネスの分野でも、国際分業が定着した航空機、エンジン、その他の装備品の製造の受託を行う為には、ISOの認証(ISO9000)を受けることが必須となっています。また、航空機の保守整備の分野に関しても、基準やマニュアルの整備が急速に進み、ISO基準と実質的に同等な業務の仕組みが無ければ自律的で効率的な業務が実施できない状況になっています(“6_認定事業場制度”参照)

-ヒューマンエラーを抑止するための規制-

ヒューマンエラーに焦点を当て、これを科学的に分析して極限まで減らす試みは、ミスが死に直結する航空宇宙の分野が先行していたことは言うまでもありません
航空宇宙の分野では軽量化が経済性に直結するため、Hardware を設計する際に基準となる安全率が低く(一般に1.5程度)設定されています。従ってパイロットの操縦室における操作や、機体の構造やシステムに対する整備作業において、ヒューマンエラーを抑止するために極めて厳格なルールが定められました。一方、単にルール厳守という掛け声だけではミスを抑止することは困難であることが分り、人間工学行動科学の側面から研究を進め、操作ミスや判断ミス、手順や作業のミス、等を防ぐための設計手法の開発や教育・訓練システムが考案され、積極的に導入されるようになってきました

1.パイロットのヒューマンエラーを抑止する為の操縦室設計に係る基準
操縦室の設計に関するヒューマンエラーを防止する為の基準は航空法施行規則・附属書に具体的に規定されています
先行する米国においては法規制全般に係るヒューマンファクターの方針(FAA Order 9550.8A)を受け、極めて具体的、且つ詳細にわたるガイド“Human Factors Design Guide”が設定されています。また同時に、米軍の規格(MILSTD1472F)も並行して存在しており、米国での航空機の設計・製造の審査の際はこれらの基準が厳格に適用されています。また、外国製の航空機に米国の耐空証明を付与する場合でもこの基準が適用されており、日本の民間航空機の設計・製造に当たっては、欧米先進国への輸出を前提とする場合、実質的に世界で最も厳しい米国の基準がデファクトスタンダードとなっています

2.パイロットのヒューマンエラーを抑止するための訓練基準
航空分野において日米欧は、ほぼ“CRM/Crew Resource(注) Management”訓練に統一されています。パイロットとしての資格取得や資格維持の為の必須要件としてこのCRM訓練が規制の中に明確に位置付けられています
米国の規制では、CRM訓練で実施すべき標準的な内容を“AC120-51e”で提示しておりますが、この通り実施する義務は課していません(⇔“This AC presents one way, but not necessarily the only way”)が、大手の航空会社はこの訓練内容に自社の経験を付加するなどを行って積極的に実施しています。更に、最近ではヒューマンエラーを起こしやすい状況を模した訓練(LOFT/Line Oriented Flight Training、Threat & Error Management Training<参考-1>)なども積極的に取り入れています

(注)“Resource”の意味:通常“資源”とか“源”と翻訳しますが、ヒューマンエラー関連の文脈では、“情報源”という翻訳が一番合っていると思われます。上記CRM訓練では、“Resource”となるものは“パイロット自身の五感”、“操縦室内の各種計器の表示”、“他の乗務員からの情報”、“デスパッチャーや整備士など地上要員からの情報”、“管制官からの情報”、その他利用し得るあらゆる情報源です
従ってCRM訓練とは、「パイロットが利用し得るあらゆる情報を総合して安全運航の為の判断を行っていく」為の訓練ということになるかと思います

3.整備要員のヒューマンエラーを抑止するための訓練基準
日本においては、整備規程審査要領細則の中で「他の整備従事者及び航空機乗員との連携を含むヒューマン・パフォーマンスに関する知識及び技能について教育訓練がなされることになっていること」と規定されています。事業者はパイロットのCRM訓練と概ね同等の内容を持つMRM(Maintenance Resource Management<参考-2>)訓練を、委託先事業者を含む全整備要員に対して定期的に実施してます

米国においても、法規制全般に係るヒューマンファクターの方針(FAA Order 9550.8A)を受けて“AC 120-72”でMRM訓練で実施すべき標準的な内容を提示しおり、事業者もこの訓練を積極的に取り入れています

<参考-1> Threat & Error Management Training

運航乗務員を取り巻くスレット
パイロットを取り巻くスレット_友人から入手した資料

パイロットは常に上表の様なスレット(“threat”/安全運航にとって脅威となるもの)に晒されていますが、以下の“”を守ることによって安全な運航を実現しています;
掟1:どんなに優秀な人間でも時には最悪のエラーをおこすことがある ⇔ 進んで自身のエラーを報告する
掟2多重防御を心がける ⇔ 一人のパイロットが監視を怠ることは多重防護ができなくなることを意味する
掟3SOP(Standard Operation Procedure/一般にはマニュアルという理解でいいと思います)を遵守する ⇔ SOPを遵守することによって共通の認識ができ、エラーを容易に検知することができる
掟4コミュニケーションの活用で脅威を共有し予防策を立てる ⇔ 全ての情報を総合して、予想できる脅威を特定する
掟5PDCAのサイクルを意識する ⇔ 計画を実行し、それが状況に相応いかどうか絶えず自分に問い掛け確認する

<参考-2> MRM訓練
MRMにほぼ共通して取り入れられている“Dirty Dozen”という言葉がありますが、これは多くの事故事例を研究した結果として得られた以下の「12の事故を起こす要因」のことを意味しています。全ての整備要員は、こうしたヒューマンエラーの引き金となる要因を熟知した上で作業に当たることで、ミスのない整備を実現しています;
① コミュニケーションの不足(Lack of Communication)
② 警戒心の低下(Complacency)
③ 知識不足(Lack of Knowledge)
④ 作業の中断(Distraction)
⑤ チームワークの欠如(Lack of Teamwork)
⑥ 疲労(Fatigue)
⑦ リソースの欠如(Lack of Resource)
⑧ プレッシャー(Pressure)
⑨ 自己主張の欠如(Lack of Assertiveness)
⑩ ストレス(Stress)
⑪ 認識不足(Lack of Awareness)
⑫ 職場風土や慣習(Norms)

<参考-3> ヒューマンエラーを防止する為に規制当局、メーカー、事業者、国際機関は、以下の様に役割を分担しています
a) 規制当局の役割
①   法律、基準、等の制定;専門の統括組織の設置(Human Factors Coordinatorの設置など )
②   試験・研究の実施、支援、統制 (FAA Human Factors Research & Engineering Division /  Reportを公表しています)
③   事業者の防止体制に係る審査、認可(マネージメント、組織、訓練、規定、マニュアル類)
④   事業者に対する指針の設定(CRM/AC120-51e、MRM/ AC 120-72
⑤   中・小事業者に対するバックアップ(例: HF Operation Manual_Maintenance
⑥   事故発生後の原因の究明と対策の立案(事故調査委員会/NTSB)

b) メーカー(航空機メーカー、エンジンメーカー)の役割
① ヒューマンエラーに強い設計“Human Error Tolerant Design”、改修の実施(例:“Fool Safe Design”)
②   販売している航空機に係わる Human Error 関連情報の発信
③   ヒューマンファクターに関する試験・研究の実施、及び事業者へのフィードバック(例:MEDA_form/Maintenance Error Decision Aid;MEDA_guide)
④   事故調査委員会(NTSB)への協力

c) 事業者(航空会社、整備会社、パイロットリース会社、他)の役割
①   ヒューマンエラー防止体制の整備(マネージメント、組織、訓練、規定、マニュアル類)
②   現場要員に対する継続的な訓練の実施(CRM、MRM)
③   事故発生後の原因の究明に対する協力
④   事故、及び事故に繋がる可能性のある軽微なミスの当事者に対するインタビューの実施、及び規制当局、メーカーへの情報提供

d) 国際機関(ICAO/International Civil Aviation Organization)の役割
①   国際間の情報の共有化
②   加盟国に対する情報(ベストプラクティス)の発信

以上

7_Hardware に係る信頼性管理

-はじめに-

航空機を運用する段階で、航空機の機体やエンジン、その他の装備品などの機械装置(以下“Hardware”と呼びます)の耐空性のレベルを維持・向上させるためには、メーカー、航空会社、及び規制当局がそれぞれの役割を完璧に果たしていく必要があります
メーカー及び航空会社は、航空機の運航状況を常にモニターし、何らかのトラブルが発生した場合、航空機、エンジン、その他の装備品に対し必要な対策を自主的、且つ迅速に行える体制(“信頼性管理体制”)を取ることが義務付けられています
また規制当局は、航空会社及びメーカーの取り組み状況を常時監視すると共に、トラブルの発生状況に応じ、以下の対応を行う仕組みになっています;

事故、及び重大なインシデントが発生した場合、事故調査委員会(米国:NTSB/National Transportation Safety Board)が調査、原因究明と対策の勧告を行います。規制当局の役割は、規制当局自らに対する勧告(法改正、規制基準の変更や改修指示などの要求)があればこれを速やかに実施すると共に、メーカー、航空会社に対する勧告の実行状況を監視し適宜必要な指導を行うと共に、必要に応じAD(Airworthiness Directives/耐空性改善通報)を発行して実施を強制する義務があります
例:787就航開始直後のバッテリー火災に対する措置(耐空性改善通報・AD

日常運航において安全上重要な事象が発生した場合、メーカー、航空会社から報告( 6_認定事業場制度の「10.認定事業場の国への報告義務」の項を参照)を受けることになっており、規制当局の役割はその対策の実施状況をフォローし、必要により指導を行うことにあります

メーカー及び航空会社が行う“信頼性管理体制”については、以下に詳述致します

-メーカーが行う信頼性管理-

メーカーは Hardware の信頼性管理に係る最も重要な役割を担うことになりますが、それはメーカーが設計、製造、及び型式証明等(追加型型式証明、仕様承認)の取得に係る唯一の主体であることに起因致します。 尚、型式証明、追加型型式証明、仕様承認については、“3_耐空証明制度・型式証明制度の概要”を参照してください
何故なら;
設計、製造、型式証明取得、等を行うには Hardware の信頼性に係る膨大なデータの裏付けが必要であり、その殆どは航空機を購入した航空会社に対しても公表されません(これらのデータはメーカーの存立にかかわる知的財産になっています)。従って、Hardware に起因するトラブルを設計レベルで検証し、対策を立てることはメーカー以外ではほぼ不可能になっています
メーカーは型式証明取得に際し、CMR(Certification Maintenance Requirement)による整備要目、MSG(Maintenance Steering Group)による整備要目、等を決定する際に裏づけに必要な膨大なデータを管理しています。従って品質を維持向上させる為にこれらの要目の変更(実施内容の変更、実施期限の変更、等)あるいは新設を主導し、管理していくことはメーカー以外では実質的に不可能と思われます。尚、CMR、MSGについての詳しい説明は、“4_整備プログラム”の項を参照してください
一般に商用航空機の場合、航空機を購入する顧客は多くの国、多くの航空会社にまたがっており、型式等に固有で頻度の少ないトラブルの原因を把握するのは航空会社単独では非常に難しいと思われます。ただ、例えば1機種で100機以上保有しているような大手で、且つ技術部門の人材を多く抱えている航空会社は、トラブルの自主的な原因究明もある程度可能であり、メーカーに対して多くのデータの提供が可能となります。この結果、トラブル対応に関してメーカーへの発言権が強くなる事は当然の事と言えます

航空会社は、自社の運航中に得られた Hardware の信頼性に係る多くの情報をメーカーに対して提供しています。またメーカーは上記で述べた通り、当該型式に係る全ユーザーの信頼性に係るデータを分析し、型式固有の問題点とその解決策を迅速に提供する義務があります。この情報はSB(Service Bulletin)やSI(Service Information)というかたちで航空会社、及び当該型式機材が登録されている各国の規制当局にも日々提供されています
また、安全上重要で緊急を要する情報は“Alert SB”というかたちで提供され、規制当局は必要によりこのSBの実施を強制するAD(Airworthiness Directives/米国;耐空性改善通報/日本)を発行することになります

事故、及び重大なインシデントが発生した場合には、事故調査委員会が調査及び原因究明と対策の勧告を行うことになりますが、調査・原因究明にはメーカーに蓄積された膨大な信頼性に係る情報と、設計・製造、型式証明取得、等に係る詳細なデータが不可欠となります。また、原因究明が終わって再発防止対策を勧告する(⇒ 規制当局やメーカー、航空会社に実施を強制する)際、経済性を含めた実行可能性の検証が不可欠であり、メーカーの果たす役割はきわめて大きいという事が出来ます。一方、メーカーにとっても再発防止対策を確実に実施することで顧客に対する信頼が得られるというメリットがあり、事故調査委員会による調査、原因究明活動には極めて協力的であることが普通です。30年以上に亘るベストセラーの機種は、ある意味数多くの事故、重大なインシデントによって信頼性を向上させてきた結果であるとも言うこともできるのではないでしょうか

メーカーと航空会社が連携して行う情報収集には以下の様なものがあります;
航空機メーカーは一次構造部材の信頼性をその機種が世界のどこかで運航している限り確認し、必要な対策を講ずる義務があり、設計時に予期していなかった故障の兆しが発見された場合には予防的な改修や検査等の整備プログラムを即座に発動できるようにしておかねばなりません。こうした仕組みの代表的なものとして以下があります。その機種を運用している航空会社は収集したデータを全て航空機メーカーに送ることになっています;
*Structure Sampling Inspection Program:販売した航空機の一部(Sampling)に適用する機体構造の検査プログラム
*SSI(Significant Structure Inspection):重要構造物に対する全機体を対照にした検査プログラム

エンジンメーカーは、Redundancy(冗長性)が無く一部の破損がエンジンの全損(航空会社に大きな経済的負担を強いる結果となります)に繋がるようなディスク類(注1)、及びタービンブレード・コンプレッサーブレード類(注2)などの重要な部品について、その型式のエンジンを採用している全世界の航空会社から検査結果や整備記録を入手すると共に、型式証明取得後も続けているエンジンの耐久試験のデータと併せて、その型式のエンジンのライフタイムに亘っての信頼性管理を行っています。これらの信頼性管理の結果として、優れた型式のエンジンは使い込まれるうちに種々の改修が実施され、徐々にディスクやブレード、等の検査間隔が延長され整備負担も軽減されてゆきます。逆に設計が良くないエンジンは短期間で姿を消していく結果になります(例えばジェネラル・エレクトリック社のCJ805というエンジン:/コンベア880という飛行機に装着されていました)。
(注1)タービンブレードやコンプレッサーブレードを取付けるディスクは極めて重く、且つ高速で回転するため、破壊が起こると破片がエンジンのケースを突き破り(“Uncontained Fracture”)、燃料タンクのある翼や旅客の乗っている胴体を破壊し、深刻な事故に繋がる恐れがあります

A380・TRENTエンジンの-“Uncontained-Fracture”とタービンの破片
A380・TRENTエンジンの-“Uncontained-Fracture”とタービン・ディスクの破片

(注2)タービンやコンプレッサーのブレードが一枚欠損すると、その欠損したブレードが下流にある全てのブレードを破壊してしまいます。因みにこれらのブレードは1枚数十万円から百万円を超える高価な部品です

-航空会社が行う信頼性管理-

航空会社は、自社の運航に係る安全性経済性定時性快適性を高める為に日常の運航を通じて得られる故障情報を分析し、必要な対策を実施しています;
安全性に係る情報収集、分析、対策立案
自社の安全性に係る情報は、パイロットからのレポート(機長報告)及び日常の整備記録から得られます。これらの情報は全て品質管理部門のスクリーンを経て技術部門で検討されます。トラブルの発生頻度が高いもの、及びトラブルの安全運航に与える影響の大きいものはメーカーとのディスカッションを行い、必要な場合改修が計画・実施されます。通常安全に係る改修はメーカーから発行されるSB(Service Bulletin)、SI(Service Information)を基にして作成されます
また、メーカーは安全に係る情報を、その機種を販売した全ての航空会社から得ており、それらを基にメーカーは安全性向上の為の改修をSBまたはSIのかたちで提案を行っています。航空会社の技術部門は、これらの情報を常にウォッチし、自社に経験の無いトラブルに対しても予防的に改修等で対応できる仕組みになっています

経済性に係る情報収集、分析、対策立案
一般に航空機は極めて高額であり、出来るだけその稼動を高めることが航空会社経営の必須条件であることは言うまでもありません。航空機の稼動を高めるには、突発的な整備によって航空機が運航に供せなくなる事態を出来るだけ回避することが重要です。 “Accidental Damage”(注)の様な予測不能なトラブルを除けば、下記に様に信頼性管理を適切に行うことにより概ね管理可能な状態にすることが出来ます
エンジン及びその他の重要な装備品の故障による突発的な整備を回避する為には、個別に故障原因を特定し、改修による品質の向上、検査間隔の短縮による故障発見確率の向上、定期交換の実施、等を行うことが有効となります(→下記の“ エンジンの信頼性向上”、“エンジンの劣化監視活動”を参照)
(注)Accidental Damage:偶発的な損傷(詳しくは“4_整備プログラム”を参照してください)
機体構造や配管(油圧、気圧)類、配線類の故障による突発的な整備を回避するには、機体重整備(C整備:1回/年程度、M整備:1回/4~5年程度)の際の整備要目を適切にすること(点検を行う箇所、点検の基準、等)が有効です。
自社による故障情報の収集、分析(次項以降で述べます)のほかに、メーカーによって提供される情報(SB、SI)を検討することも重要です

一方、突発的な整備を回避する為に過剰な整備を行うことは徒に整備コストを押し上げることとなり経済性の面で得策とは言えません。従って、故障頻度の低いものは交換頻度を下げるか、又は“On Conditionによる交換”(チェックをして不具合が無ければそのまま使用を継続する)に切り替えるとともに、点検しても不具合が無いものは、その整備要目の実施間隔を延長することなどを適時、適切に行うことが必要になります。このため、航空会社では部品毎の信頼性管理と併せ、整備要目毎の故障情報の収集、分析も行っています

定時性に係る情報収集、分析、対策立案
定時性に係る指標は、旅客の航空会社選好の極めて重要な項目であるため、殆どの航空会社は主要な指標である遅延実績を記録し、その改善に取り組んでいます。通常これらの遅延記録は理由別にコード化され、それぞれ関連部門で検討され改善が行われる仕組みが作られています
遅延理由のうち“Technical Trouble”(技術的な原因によるトラブル)に分類されるもの、及び潜在的な遅延と看做される“MEL適用”(注)による修理持ち越しの情報については、品質管理部門のスクリーンを経て技術部門で検討されます。技術部門では、遅延等の原因となった部品の信頼性向上策(改修の実施、代替品の使用、整備プログラムの変更、等)、スペア部品の買い増し、等々を経済性を勘案しつつ行っています
(注)MEL(Minimum Equipment List)については、“3_耐空証明制度・型式証明制度の概要”及び“4_整備プログラム”を参照してください

快適性に係る情報収集、分析、対策立案
快適性に関しても、最近は旅客の航空会社選好の極めて重要な項目となります。この情報は、主に旅客からのクレームと客室乗務員からのレポートを基に収集し、技術部門を中心に経済性を加味しつつ改善策の検討が行われる仕組みになっています

エンジンの信頼性向上;
エンジンは交換可能な装備品の中では格段に高額(数十億円/1台)であり、且つ整備にかかるコストも航空機全体のコストの半分近くを占めます。従ってその信頼性の向上は航空会社の経営にとって常に極めて重要なテーマとなります。
エンジンの信頼性を表す最も重要な指標は、“1,000飛行時間当りの飛行中でのエンジン停止の確率です。この指標の数値を航空会社間で比較することでエンジンの信頼性管理の優劣を比較することが可能であるといっても過言ではありません。整備部門のしっかりした大手航空会社では、この数値は、0.01~0.02(5万~10万飛行時間に1回の飛行中でのエンジン停止 ⇔ 1日当り10時間飛行するとして、13年から27年に一回の飛行中でのエンジン停止)のレベルを維持しています。
この数値を高いレベルに維持するには、技術部門だけでなく整備現場も一体になった信頼性管理の取組みが必要となります。具体的には、技術部門における劣化監視活動(下記)に基づく劣化エンジンの故障前の計画的取りおろしや現業における提案活動、ヒューマンエラー防止活動、などの取り組みです
また、この数値が一定以上の水準にない場合、最新の双発機による長距離洋上飛行(3エンジン、4エンジンの航空機よりも経済性に優れています)が出来なくなり、経営上の不利を蒙る事になります

(参考)長距離洋上飛行ETOPS/Extended Range Twin Engine Operation):双発機で洋上飛行を行う場合、非常事態(例えば1台のエンジンが故障で停止するなど)を想定して、航路上に目的空港以外の代替飛行場を準備しなければなりませんが、予定航路からこの代替飛行場までの飛行時間の制限を通常の1時間から緩和することを言います。これが認められれば、結果として双発機が最短距離の航路を飛行することが可能となり、飛行時間の短縮と燃料の節約が実現できます。現在、品質管理活動の優れた大手航空会社では代替飛行場までの飛行時間を4時間まで延長させており、殆どの洋上の長距離路線で大圏コース(最短距離の航路)の飛行が可能となっています。勿論、この方式による洋上飛行を行うには規制当局による厳しい審査と認可が必要になることは言うまでもありません。詳しくは“ETOPS承認審査基準の要旨”を参照してください

エンジン劣化監視活動;
一般にエンジンの劣化状態は以下の指標を常時モニタリングすることによって把握可能です;
① エンジンの運航中の各種パラメーターの監視振動強度(低圧コンプレッサー部分、高圧コンプレッサー部分)、エンジンオイルの圧力・温度、ローターの回転数、排気ガス温度
② SOAP(Spectrometric Oil Analysis Program)の実施:高速回転体であるエンジンは、ベアリングの磨耗が上記の指標に大きく影響します。この摩耗の程度を把握する為、適切な間隔でエンジンオイルのサンプル採取を行い、オイルに含まれている金属の成分、量を分析します
③ Bore Scope Inspectionの実施タービンやコンプレッサーのブレードの損傷状況を破壊に至る前に把握するため、内視鏡(Bore Scope)を使った直接検査が定期的に行われています。またパイロットから鳥の衝突等の報告があった場合には次の飛行前に損傷の有無の検査を行うことになっています

Bore Scope Inspection
Bore Scope Inspection

④ エンジン分解検査時の検査データの活用:損傷状況(熱変形、磨耗、亀裂、等)の把握を行っています

エンジン以外の装備品の信頼性向上;
エンジン以外の装備品は極めて種類が多く(油圧機器気圧機器電装機器Avionics機器計器類、等々)、またメーカーも多岐に亘っており、自社で整備を実施するよりは、品目ごとのメーカーへの委託が一般化してきています。装備品の信頼性管理体制は概略以下の通りとなっています;
装備品の信頼性を表す最も重要な指標は“MTBF(Mean Time between Failure/装備品の故障取降しまでの平均飛行時間)”です
この指標の数値は航空会社間で大きな違いが出ることが多いと言われています。また、殆どの装備品は“On Condition”(チェックをして不具合が無ければそのまま使用を継続する)で整備、取り卸しが行われているため、この指標の数値が小さい(つまり度々故障取降しが行われる)と、スペアのレベルを上げる必要があり航空会社の財務負担が大きくなります

初期故障に対する対応
一般に、新設計や設計変更のあった装備品は初期故障が必ずといっていいほど発生します。新機種を他航空会社に先駆けて導入すると、装備品の数多くは新設計か在来機種の装備品の設計変更のものであり、就航直後から暫くの間トラブルに悩まされます(787のバッテリー火災は従来機種のニッケルカドミウム電池から、性能の良いリチウムイオン電池の変えたことによる初期故障です)。また最近は装備品に組み込まれているソフトウェアのバグによる初期故障にも悩まされます。 装備品の初期故障への対策は、主としてメーカーからのSBに基づく改修になります。装備品の改修を行う場合には、スペアを購入(但し、メーカーに相当の瑕疵がある場合に限ってスペアを一時的に貸与してもらうこともある)し、順次航空機から取り降ろして改修作業を行うことになりますが、スペアのレベルを上げた後、品質向上による取り卸し減で過剰在庫を抱える結果となることもあります

整備士の熟練度、ミス性向に対する対応
初期故障が収束した後に残る航空会社間のMTBFの違いは、整備士の熟練度、ミス性向が原因であることが多いと考えられます。修理を委託している装備品については、委託先の品質審査を厳格に行い、必要に応じ指導を行いますが、それでも改善されない場合は委託先変更を行うか、自社整備に切り替えることが検討されます。
自社整備は信頼性向上の切札となり得ますが、整備士の人件費、教育・訓練費、等の負担、施設・設備投資の負担が発生するため、最近は MTBF値 が高く故障台数が多い為、スペア部品の財務負担が重い場合、あるいは受託が期待できる場合以外は選択されない傾向となっています。更に最近は、修理方法の“ブラックボックス化”(修理方法の開示がないか、修理に関わるライセンス料が発生する)や修理完了後の最終検査に必要となる試験装置が高額化してきた為にこの傾向に拍車がかかっています

以上

エネルギーと環境と原子力と暮らし方

、-はじめに-

私はサラリーマン生活の最後の10年間ほどは縁あって原子力業界で仕事をしておりました。2011年には東日本大震災に伴う深刻な原子力事故を内側から体験し、事故後の全原発の停止と、これに伴うエネルギー危機を経験する中で、エネルギー問題が将来の日本の最大の政治課題であることを痛感いたしました

人類はその長い歴史の中で“火”というエネルギーの活用を始めたことで、全生物の頂点に立つことができました。産業革命以降の人類の歴史は、水力という形を変えた太陽エネルギーの活用の他に、化石燃料という有史以前の太陽エネルギーの蓄積を消費しつつ、先進国を中心に経済規模の飛躍的な発展を実現してきました。第二次大戦以降は、これに原子の“火”という巨大なエネルギー源が加わりました

しかし、核分裂反応を利用する現在の原子力発電については、米国に於ける1979年の“スリーマイル島の原子力事故”、欧州に於ける1986年の“チェルノブイリ原子力事故”、また日本に於ける2011年の福島原子力事故があり、原子力発電の安全性にについて疑問を呈する人が増えてきました

一方、こうした現状の中で、本年11月には米中を含む主要先進国が参加したパリ協定が発効し、日本も遅ればせながらこの協定に参加することが決まりました。この協定に参加することにより、今後化石燃料によるエネルギーの使用には厳しい制約が課せられることになります

温暖化の主因が炭酸ガス放出量の増大にあることには多少の議論はあるものの、海水面の上昇により水没の危機に瀕している島嶼国が現実に存在していること、乾燥地帯では砂漠化の進行が早まっていること、また異常気象(スーパー台風、異常高温、異常低温、水害、など)の多発という地球規模の環境の変化の主因が、炭酸ガスを中心とする温暖化ガス放出によるものであることは、多くの国々が認めることとなり、その削減について協力していくことになったという事でしょう

この結果、GDPの規模で世界第3位、炭酸ガスの排出量で世界の4%を占めている日本としては、好むと好まざるとに関わらず温暖化の問題について自国の事だけでなく世界をリードしていく責任があるのではないでしょうか

従って、福島原子力事故以降、原子力発電の停止に伴うエネルギーの不足分を化石燃料による発電に切り替えて凌いできた日本は、今後他の国以上にエネルギー問題に正面から取り組んでいかねばならない状況になっていることは間違いないと思われます(日経記事:震災後LNG輸入量急増

以下に日本が直面するエネルギーの問題を俯瞰してみたいと思います。尚、如上より明らかな様に、原子力発電に関わる議論を抜きにしてこのテーマを扱うことはできませんので、「とにかく原子力は嫌だ」という方は、この辺で読むのを止めた方がいいかもしれません!

―エネルギーと暮らし-

エネルギーの問題は、近・現代史において国家の重大な意思決定に深く関わってきました;
ご承知の方が多いと思いますが、太平洋戦争に突入する直接の引き金になったのは米国の禁油通告でした。石油を絶たれた日本が、日中戦争を継続しつつ生き残るためにはオランダ領インドシナの石油(パレンバン)を確保する必要があり、ハワイ奇襲作戦とインドシナ電撃侵攻作戦によって先の大戦の口火を切ってしまいました

第二次大戦後、英仏に代わって米国が中東政治に深く関わったのは、石油を大量に消費する米国が中東の石油を必要としたためです。最近になって自国のシェール石油産出量が増加し自給できる体制になった途端、中東への関与が抑制的になってきたのはご承知の通りです。

日本が徐々に憲法解釈を変更して自衛隊の海外派遣をする様になった主たる原因は、中東の石油が日本のエネルギー需要の大半を賄っており、その生産維持と輸送ルートの確保を全面的に他国任せにすることができなかったからにあります

エネルギーの問題は、歴史的に日本の産業構造の大きな変革に関わってきました;
戦後の日本は、重厚長大型の産業を育てることによって驚異的な復興を果たしてきました。この間、必要となる膨大なエネルギー需要を賄う為に、最初は水力と石炭という自前のエネルギー源を求めて、日本各地で大規模な電源開発(佐久間ダム、黒部第四ダムなど)と炭鉱開発を行ってきました。

その後、更に成長を継続していく過程で、更なる水力電源や炭鉱の開発が限界を迎えたことから、水力や石炭に代わるエネルギー源として石油輸入を急速に拡大して行きました。こうしたエネルギー革命が進行する中で、効率の悪い石炭産業が衰退して行き、日本各地の炭鉱閉鎖に伴う痛みを伴う労働市場の大変革を余儀なくされてきました。

1973年、第四次中東戦争を契機として石油価格が急騰しました。これを第一次オイルショックといいますが、この時は消費者物価が23%も急上昇(狂乱物価)し、国民の生活に大きな影響を与えることになりました

狂乱物価・トイレットペーパー騒動
狂乱物価・トイレットペーパー騒動

また1979年にはイラン革命を契機として再び石油価格が急騰しました(第二次オイルショック)。特に日本はイランにから相当量の輸入を行っており非常に影響が大きいものでした

こうした厳しい試練を経て、日本の産業は世界最先端の省エネ技術を磨くこととなりましたが、一方に於いて、国策として石油備蓄の充実と、国際情勢に左右されない安定的なエネルギー源となる原子力発電の充実を図っていくことになりました
<Follow-up>
* 2018年7月3日に第5次エネルギー基本計画が閣議決定されました。詳しい内容は第5次エネルギー基本計画(案)をご覧ください。

“モノづくり日本”を続けるには、安定的なエネルギー確保が必要です;
日本人はモノ作りを得意とし、作ったものを海外に売ることによって繁栄してきた国です。如何に省エネ技術に長けたとしても、物を作るにはやはり沢山のエネルギーが必要となります。エネルギー供給の危機は、直ちに工業生産額の減少に繋がります。また、供給不安が無くてもエネルギー価格の上昇は直ちに製品価格の上昇、輸出競争力の減退に繋がります。日本が今後も繫栄していく為には、エネルギーを、量的にも価格的にも安定的に確保する体制が必要なことは言うまでもありません

エネルギーの問題は我々の暮らしに直接関わっています;
照明、冷暖房、炊事・洗濯・掃除などの家事は、今や殆どの家庭で電化製品が使われています。
エピソード:戦後10年位までは、殆どの家庭で蝋燭を買い置きしていたのではないでしょうか。当時、停電は日常的に経験できることでした。停電しても照明以外は電気を必要としていなかったということもできます!

輸送機関(航空機、鉄道、バス、自家用車、等)は殆ど全て(徒歩の移動や昔ながらのリアカーによる輸送は別ですが!)エネルギー無くして稼働させることはできません。またこれら輸送機関は人の移動だけでなく、毎日の生活に直結している物流を担っており、エネルギー不足により物流が滞れば毎日の生活が、即危機に見舞われます
これらは何となくエネルギーに依存していることは実感できますが、これ以外にも、温室栽培の農産物利用、水産品の利用(漁船は石油無くして動かせません)、加工食品の利用、プラスティック等の石油由来の加工品利用、これらは全てエネルギーが途切れれば利用はできません。

今や、交通安全のインフラの一つである交差点の信号機やスマホで代表されるネットワークのシステムもエネルギー無くして利用は不可能です(災害発生時の一時的な停電で実感は出来ますが!)

こうしてみると、所謂文化的な生活や都市での生活は、好むと好まざるとに関わらず多くのエネルギーを消費することが前提となっている事がわかると思います。従って、エネルギー需給の問題は、誰かに任せておいてよい問題ではなく、国民一人一人が自分の問題として考えるべき問題ではないでしょうか

-エネルギーと温暖化-

パリ協定の内容は概略以下の通りとなっています;
目標:産業革命前からの気温情報を2℃よりも十分低く抑える(努力目標は1.5℃以内)
② 21世紀後半に人為的な温暖化ガスの排出量と森林などの吸収量を均衡させる
③ 全ての国に温暖化ガスの削減目標の作成と国連への提出、5年毎の見直しを義務付けると共に、世界全体で進捗を5年毎に検証する
④ 被害を軽減させる為に世界全体の目標を設定する
⑤ 先進国には途上国への資金の拠出を義務付けると共に、それ以外の国には自主的な拠出を推奨する
⑥ 日本はEUや、島嶼国、アフリカなど約百ヶ国からなる「野心連合」に加わりました。同連合は産業革命前からの気温上昇を1.5℃以内に抑えることを協定に盛り込むよう働きかけました

日本の目標;
2015年6月:サミットに於いて「国内の温暖化ガス排出量を2030年までに2013年対比26%削減する」という目標を表明(日経記事:サミットで温暖化ガス26%削減を表明)しました
目標値の内訳:電源構成の見直しと省エネルギーの強化で21.9%削減、二酸化炭素を吸収する森林整備などで2.6%削減、代替フロン対策で1.5%削減
2030年度の望ましい電源構成;
①古くなった原発の活用を延伸し、原子力の比率を20~22%とする
②再生可能エネルギーの比率:22%~24%
③石炭火力発電の比率:30% ⇒ 26%
③LNG火力発電の比率:43% ⇒ 26%

2016年5月:閣議で「2050年までに温暖化ガスの排出量を、現在に比べ80%とする」と決定

日本は、他の国々に比べ足元で既に省エネ技術が織り込まれているエネルギー消費量であり、省エネによる削減の余地が少ないという事に注意をする必要があります。また、日本が国際的に約束した削減量を実現する為に、国としては原子力発電の比率を20%以上としていますので、原子力発電を認めない人々はこれをどう捉えればいいのでしょうか?

<参考>
*米国の目標:「2025年までに2005年対比26%~28%削減」
*EUの目標:「2030年までに1990年対比40%削減」
*温暖化についてはアメリカ元副大統領の“アル・ゴア”の著書「不都合な真実」(2007年日本語翻訳版出版)と、これを基にした映画で生々しい現状が世界的に知られるようになりました。現在最新の温暖化に関する情報をご覧になりたい方はWWFジャパンのサイトをご覧ください

-日本における再生可能エネルギー利用の現状-

経産省・資源エネルギー庁の「エネルギー白書2016」をご覧になると分かるのですが、2011年の福島原子力事故以降、再生可能エネルギーに転換すべく補助金や、電力料金・燃料料金などの上乗せなどの施策を取ってきましたが、未だエネルギー供給に占める割合は水力発電を除けば微々たるものです(2014年度時点で4.4%)。2030年までに達成しなければならない再生可能エネルギーの比率(22%~24%)を達成するには、以下の様な問題点を着実に克服していかねばなりません(日経記事:経産省が想定した電源構成);

Follow_Up;2022年9月_再生エネ廃棄・砂上の送電網_停電リスク軽視のツケ
*太陽光発電・風力発電の開発が急ピッチで進められる一方で、地域電力会社で発生した余剰電力を、電力不足が発生した他地域電力会社に融通できないで廃棄する事態が発生する様になってきました。地域電力会社間の送電網の整備を加速する必要が出てきました
Follow_Up;2022年9月_カリフォルニア州の熱波・再生エネ拡大の限界露呈

1.水力発電;
既に適地は開発済みであること、地質調査、環境調査、用地買収、水没地域住民に対する保証、長期に亘る工事期間、膨大な投資額、などを勘案すると新しい立地はほぼ不可能な状況にあります
因みに、発電用ダムの建設は1963年に完成した黒部第四ダムが最後となりました。また、八ッ場ダム(発電用ではない)に至っては1967年に建設を決定してから現在に至る(50年経過!)も完成していません
Follow_Up:八ッ場ダムは、2020年4月1日より運用を開始しました

八ッ場ダム

ただ、農業用水路などを利用する小規模の発電は、地産地消のレベルで今後導入が進む可能性があり、地方創生などの施策を進める中で着実に浸透を図っていく必要があると思われます(日経記事:安積疎水で水車発電

2.地熱発電;
地熱発電は火山国である我が国にとって地の利を得たエネルギー資源です。水力発電と同じく規模が大きく24時間一定の電力を発生させることができ、ベース電源として可能な範囲で開発を進める必要があります

地熱発電の仕組み
八丁原地熱発電所と地熱発電の仕組み

ただ、立地地域が国立公園や温泉地などに偏るため、規制緩和と併せ、景観維持や温泉湧出量への影響の評価が必要であり、建設開始までにかなりの時間がかかることを考慮しなければなりません

地熱発電立地地域
地熱発電立地地域

因みに、我が国における地熱資源量は約2000万KWと言われておりますが、そのうち80%以上(1600万KW)が国立公園の特別保護区域・特別地域内にあり、現在は開発出来ないことになっています。残りの400万KWの資源量の内53万KWは既に開発済みになっています

Follow_Up:2020年2月16日の日経新聞の記事/開発進まぬ日本の地熱 発電能力、10年で1%増 長期の環境アセスなど壁

3.風力発電;
風力発電は欧州などでは急速に開発が進んでいます。これに刺激されたものか、わが国でも近頃開発計画が目白押しです(日経記事:風力増強・原発10基分に

風力発電・石油備蓄@青森県
風力発電・石油備蓄@青森県

しかし、風力発電が我が国においてベース電源になり得るかどうかについては私は疑問に思っています。高校時代の地理で学んだことですが、西ヨーロッパは“西岸海洋性気候帯”に属しています。この気候帯では海からの穏やかな偏西風が地上付近で常に吹いており、風力の利用に適しています(オランダなどは昔からこの風を使って沢山の風車で干拓地の排水などを行っていました)。一方、日本ではアジア大陸の山岳地帯を越えた偏西風は高空のジェット気流となる為に地上近くの安定した西風にはなりません、また日本は“モンスーン気候帯”に属しており、台風の襲来など気象の変動が激しく風も一定しません。従って、発電機の数や能力を増強させても、利用可能な電力量は欧州などと比べて少なくなり、経済性も劣る可能性が考えられます
Follow_Up:2022年1月17日_日経新聞:洋上風力入札・三菱商事が圧勝_AmazonやGEが後押し
⇒ その後、風力発電事業の撤退相次ぐ
Follow_Up:2022年8月29日_風力発電「中止ドミノ」 関西電力に続きオリックスも
Follow_Up:2023年6月16日_230616_北海道知事、小樽の風力計画「地域の理解進んでいない」
Follow_Up:2023年6月17日_双日、北海道の風力発電計画中止 住民反対や資材高騰で
Follow_Up:2025年8月27日_三菱商事、洋上風力撤退を発表 中西社長「事業計画実現が困難」

また、風力発電の立地が増えるにつれ、超低周波の音波(耳では聞こえないものの、ガラス窓の振動や健康への影響が考えられる)の被害や、野性鳥類の衝突といった環境問題も無視できくなる可能性があります。また、風車が林立する景観は自然景観の保護の観点から如何か、という考え方もあります

発電量の変動が大きい問題については、“エネルギーを溜めることの問題点”の項で詳しく説明します

4.太陽エネルギーの直接利用
①太陽光発電
大規模太陽光発電の立地を促進するためには、電力事業者の買取価格を高く設定する必要があります。しかし先行するドイツなどで問題となっている様に、買取価格を高くすると発電量が大きくなるにつれて国民負担の増大と、産業競争力の低下を招くことになります。現在日本でも一時ほど普及が進まないのは、電力会社の買取価格が下がっている為です(日経記事:太陽光パネル底なし不況);

大規模な太陽光発電
大規模な太陽光発電

また、太陽光エネルギーはエネルギー密度が低い為に広大な面積を必要とします。緑豊かな日本の景観にマッチするかどうかに疑問がのこります。因みに、1キロワットの発電能力を持つ太陽光発電素子を設置するために必要となる土地面積は約10㎡と言われておりますので、1万キロワットの太陽光発電を行うには約千㎡の土地面積が必要となります。この発電能力は晴れた日の日中の発電能力ですから、実際に利用できる電力量はもっとずっと小さくなります(一般に太陽光発電の稼働率は年間千時間程度であり、24時間常に稼働できるベース電源に比べれば10%程度の稼働しか達成できないことになります)
日本は中緯度にあって水も豊かであり植物の生育には適しているものの、晴天率はそれほど高くはありません。肥沃な農地や豊かな森林を伐採してまで事業用として太陽光発電設備の設置を推進することには私は疑問を持っています

発電量の変動が大きい問題については、、“エネルギーを溜めることの問題点”の項で詳しく説明しますが、個人の住居で太陽光発電を導入し、冷暖房や温水のエネルギー源として使用することの他、電力余剰がある時にエネルギー使用を集中させるなど、個人個人のエネルギーマネージメントを促す効果があることを勘案すると、今後も補助金等により普及を促進することは理にかなっていると思われます
また、企業単位で導入しエネルギーマネージメントを行なえば、事業用電力の効率的利用に繋がる可能性があります
Follow_Up:2019年11月18日日経記事:太陽光発電買い取り終了、通知遅れ家庭混乱 大手電力に批判の声

②人工光合成
植物の行う光合成は極めて効率がいいことは確かですが、光を人間が利用できるエネルギー生産のみに着目すると1%程度の効率といわれています。最近研究が進んでいる“人工光合成”は未だ実験室レベルではありますが技術開発が進みつつあり、植物の光合成よりも効率よくエネルギーに変換できる物質を作り出すことに成功しています(日経記事:人工光合成の研究)。この技術が、政府が約束している温暖化対策に間に合うかと言えば、もうちょっと先の話の様に思われます

5.バイオマスの活用
①バイオマス発電、等
既に日本各地の主として森林地帯で林業の副産物である間伐材、廃材、などを燃焼させて発電や地域暖房に活用され始めておりますが、大規模化を測ろうとすると製紙業との競合が起こりうまくいきません。地方創生との関連で林業との調和を図っていくことが理に適っていると思われます
最近、薪ストーブやおがくずチップによる暖房が、豊かで快適な生活のシンボルとしてメディアにも登場しますが、これも林業との調和を図ってこそ意味のあるエネルギー活用の方法なのかなと思われます
Follow_Up:北海道河東郡鹿追町・バイオマスタウン構想

②バイオマス燃料(アルコール発酵)
既にトウモロコシなどの穀物のアルコール発酵で量的にも価格面でも実用化されており、環境問題が大きく取り沙汰された時期にガソリンやジェット燃料に混ぜての利用が進みました。しかし食物生産との競合関係が明らかとなり(トウモロコシを主食とする貧しい国々の食費の高騰、結果としての飢餓の発生)、大規模化には限界があると考えられています

③藻類、微生物などの活用
倫理的な問題が発生する可能性のある食用穀物のエネルギー利用に代わって、最近は成長が早く、高密度の生産が可能な藻類や微生物などによるエネルギー生産の研究が盛んになっています。未だ実験段階で生産コストもかなり高いのですが、温暖化に関わる企業責任を果たす為、航空機メーカー、航空会社などはこうした燃料の導入(現在のままで推移すると、2050年には航空機のエンジンが排出する炭酸ガスが、全世界の排出量の3%に達すると言われています)に積極的に関わっています;
航空機メーカー:航空機メーカー3社・バイオ燃料開発協力
日本航空:ゴミ由来の燃料実用化へ実証設備
全日空:バイオ燃料を実用化_ユーグレナ
Jパワー:藻から燃料油一貫生産

―エネルギーを溜めることの問題点-

既に述べてきた様に、水力発電、地熱発電、火力発電、原子力発電などは24時間稼働が可能であり、極めて安定的な電力供給が可能ですが、これから再生可能エネルギーの主役となるべき風力発電、太陽光発電は、電力供給能力が大きく変動します。一方、電力需要も季節により、時間帯により大きく変動します;

1日の電力需要_概念図
1日の電力需要_概念図

上図を見れば、現在はベース電力にもなり得る化石燃料によって発電の出力を調整して需要の変動に対応していることが分かります。この部分を供給側で変動の大きい風力発電、太陽光発電に振り替えると、どの様な事が起こるか想像できると思います。化石燃料の設備稼働を極端に犠牲にして余力を持たせるか、あるいは風力発電、太陽光発電の電気を一時的に溜めておくか、しか方法がありません

<Follow-up>
* 2018年10月13日の日経新聞に以下の様な記事が出ていました:181013_九電・きょう太陽光制御_発電業者に停止要請181013_太陽光普及・壁浮き彫り 送電網や蓄電池_対策急務

揚水発電とその仕組み
揚水発電とその仕組み

現在ピーク供給力の一部を担っている“揚水式発電”、“調整池式水力発電”、“貯水池式水力発電”の能力を拡充することも考えられますが、これが可能であれば現在でも化石燃料による供給調整にとって代わることができるはずですが、発電効率が極めて低いこと(約10%程度にしかならない←発電ロスに加え、揚水時のエネルギーロスが大きい)、立地に適した場所が少ないこと(調整池、貯水池の為に広大な面積が必要)、漏水等の環境破壊の恐れがあること、などの問題があり現在以上の立地は相当困難であると考えられています

Follow_Up:2023年1月:揚水発電維持へ経産省が投資支援_再エネ安定供給狙う

蓄電器で電気を溜める方法
しからば、リチウムイオン電池など最新のバッテリー技術を使えば大量の電力を保存できるのではないかと考え付きますが、実は大量の電気エネルギーを溜めるという事は性能が良ければよい程危険が大きいものです。最近突然発火して発売停止になったサムスンの最新スマホを例にとると、内蔵されているリチウムイオン電池の電気容量は3.5アンペア・アワー(3.5アンペアの電流を1時間流すことができる能力があります)、出力電圧は3.7ボルト程度のものでした。しかし、リチウムイオン電池は内部抵抗が低い(性能がいい!と同義です)のでプラスとマイナスの電極が短絡すると、この電気エネルギーが一気に放出されて熱に代わることになります。このエネルギーの大きさは;

3.5アンペア x 3.7ボルト = 約13ワット・アワー ⇒ 約11キロカロリー

となります。これは1リットルの水を沸騰させることができるエネルギーで、金属などであれば比熱が小さいので、一瞬の内に高温になり発火することになります

現在、最も大きい電力量を溜めることができる事業用のバッテリーは、日本ガイシ(株)が開発したNAS電池です。この電池の容量は300万キロワット・アワーに達します(NAS電池の性能)。このエネルギーの大きさを、ちょっと例えは悪いのですが、TNT火薬の発生するエネルギーに換算してみると、なんと2581トンに相当します。勿論火薬ではないので爆発的にはならないとは思いますが、何らかの理由でプラス極とマイナス極が短絡すると、大きなエネルギーが一気に放出され災害に結びつく可能性を否定できません

いずれにしても大規模な電池で、大きな需要の変動を埋めることは当面可能性が低いと考えねばなりません。勿論家庭で太陽光発電と併せて使う電池として、また企業単位で風力発電や太陽光発電と組み合わせて使う分には十分実用に足る性能が実現しており、多くのメーカーが参入しています(日経記事:企業の温暖化対策

Follow_Up:2022年になって、再生エネルギーを貯める手段については色々なアイデアが出てきました;詳しくは以下の日経記事をご覧になって下さい:再エネ蓄電を低コストに_住友重機出資の英新興など実用化へ、空気や重力使い半減

-原子力エネルギーの未来―

現在原子力発電の安全性に疑問を持っている国民が多い中で、国として原子力発電の稼働を前提としてパリ条約に対応していくことを決断した理由は理解して頂けたと思いますが、可能であればできるだけ早く将来持続可能なエネルギーに切り替えていく必要があることは言うまでもありまません。40年を超える原発の再稼働は、新しい持続可能なエネルギーが実用可能になるまでの時間稼ぎという事もできると私は思っています

一方、膨大な温暖化ガスの排出国である中国インドがパリ条約に参加しましたが、この国々は目標達成の為に多くの原子力発電所の建設を計画していることはご承知の通りです。日本は米国やフランスと並んで原子力発電所の建設や運用に関しては間違いなく先進国です。先進国の責任として事故の教訓を生かし、これらの国々の技術面のリーダーとして活躍することはむしろ義務であると考えられます。事故が起これば放射線の被害は軽々と国境を越えてゆきます。日本だけが脱原発を実現すればよいという考えは間違いだと思います

尚、当面原子力発電を継続することとなれば、放射性廃棄物処理の問題が気になると思っておられる方が多いと思います。現在、高レベル放射性廃棄物を地下深く埋設することを、場所を含めて決めている国はフィンランドのみです。フランスは実験段階ですが取り組みを強化しているようです。米国では一旦ユッカマウンテンに埋設することに決めたのですが、住民の反対により取り止めとなりました。日本も北海道で研究は進めているものの、埋設実現までは未だ長い道のりがあると思われます。また、六ヶ所村の廃棄物処理施設でのガラス固化の技術も未だ確立されていません。お先真っ暗の様ですが原子力発電所の再稼働が、持続可能なエネルギーが実用可能になるまでの時間稼ぎという位置づけであれば、当面現在の技術で原子炉施設内に廃棄物を格納することも可能だと考えられます。近い将来の実現は難しいのですが、私個人としては高速炉などを使って半減期の長い放射性廃棄物を減らす研究に期待することにしたいと思っています

持続可能なエネルギーの本命は、核融合炉の開発だと思いますが、これは今世紀中に実現することは難しいと言われています。既存の技術の延長で比較的近い将来可能と考えられるものに、高温ガス炉活用による水素社会の実現があります。水素をエネルギー源とする社会はすぐそこまで来ていますが、現在は水素を作り出すには炭酸ガスも発生させてしまいます。高温ガス炉が実用化すれば、温暖化ガスの発生無しに直接水素を取り出すことが可能になります

原子力発電に依存しない社会を築くためには、国家や企業だけでなく個人個人のレベルでも省エネ化の取り組みを強化することも大変重要なことです。太陽光発電と電池の組み合わせによる電力の自給化は、お金はかかるものの、技術上のハードルは殆どありません。私はお金がないのでこのシステムは、多分死ぬまで導入できませんが、せめて自分が輩出している温暖化ガスを把握しその排出量の削減に地道に取り組んでみたいと思っています。因みに、拙宅での昨年一年間の炭酸ガス排出量を計算してみました;

ガソリン消費量:810リットル、都市ガス:1,654㎥、電気:11,633KWH ⇒ なんと拙宅の炭酸ガス放出量は11.9トンでした!

以上