平成と令和の春!

上の写真は、平成から令和にかけての屋上菜園の状況です

昨年春先に屋上菜園の作業を集中的に実施した結果、腰痛と膝痛を発症してしまい大変苦労しました。従って今年の春は、こんなことが無いように雨の降らない日を選んで、一日2時間以下を目安にして少しづつ栽培用コンテナの土の再生作業を実施しました。また、もう一つの腰痛・膝痛予防の対策として、一階から屋上まで重いもの(40リットルの堆肥が中心)を運ぶ為の「背負子」も購入して利用しています。その結果、今の所、腰痛、膝痛の悪化は免れています(完全に治すのは無理!と医者から宣告されています 😳 )

野菜の苗づくり

夏野菜の苗の育成については、2年前の「夏野菜の発芽・育苗の工夫_①、②」でもご紹介していますが、以下の写真の通り、引き続き若干の工夫をしつつ今も使っています;

種から苗へ
種から苗へ

また、今まで種を購入していた国華園の通販は種のバリエーションは多いものの、単価、送料が比較的高く、また一袋に種が多く入っているので、発芽率を保証している半年~1年程度では使いきれません。勿体ないので、2~3年使ってはいますが、種によっては発芽率が極端に落ちてしまいます。そこで販売単位の少ない種苗の通販業者をネットで探してしていたところ、(株)信州山峡採種場というサイトを見つけました。ここの最小販売単位はなんと!全て100円(税込み)、しかも郵便を使って送られてくるので、迅速且つ確実です。正に家庭菜園向きと言えると思います

平成最後の冬を乗り切った野菜たち

いつもの春菊やリーフレタス、ネギ、水菜などの他に、セロリやビーツも頑張って厳冬を乗り越えて早春に恵みを齎しました;

セロリ
セロリ

我が家のセロリの利用法は、通常の白く長い茎を利用するのではなく、細く短い茎と葉をサラダに加えたり、細かく刻んでハーブの様な使い方をしています。ほぼ全てのハーブが利用できなくなる真冬でも問題なく利用できます
ビーツは、暖かい日が始まった2月末から葉がぐんぐん成長し、ロシア料理で有名な「ボルシチ」で使う地下茎だけでなく、葉や茎も湯がいて使えば柔らかくて美味しい料理になります;

ビーツとその料理
ビーツとその料理

上記以外にも、冬を越した作物に以下の様な利用法があります;

白菜の菜の花
白菜の菜の花
キャベツの生命力
キャベツの生命力

収穫せずに残った白菜、キャベツは、1月~2月の厳冬の頃に鳥の集中攻撃を受けて悲惨な姿になります。恐らく鳥にとって食料が不足する厳冬の頃に、甘い野菜はかけがえのない食料になるのだと思います。毎朝、野鳥に餌をやっているワイフに気兼ね?をしてこの状況を放置していますが、本格的な春が訪れれば、きちんと恵みが齎されます。白菜は、超!太くて柔らかい「菜の花」に、キャベツは小さいものの、超!甘い「春キャベツ」として収穫することができます

また、イタリア・ローマ地区の春野菜であるプンタレッラは、厳冬の時期、保温措置を全くせずに放っておいたところ、3株の内2株は枯れてしまいましたが、残った1株が2月頃から元気が出始め、3月になると沢山の穂をつけ始まました。このままにしておくと昨年5月の以下の写真の様にきれいな花が咲きますが;

プンタレッラの花
プンタレッラの花

今年は食欲が勝って収穫しました。何と!収穫すると次々と穂が出てきて、結局4回収穫しました。昨年は、イタリア風のサラダで食べましたが、今年はやや苦みがある春野菜であることから、以下の様に和風の料理にしてみましたが、中々の味でした;

冬越ししたプンタレッラと和風料理二種
冬越ししたプンタレッラと和風料理二種
今年の新しい試み!

1.ジャガイモの植え方;
種イモは、普通芽のある部分を残して二つ~四つにカットして、カット面に草木灰を付け、芽のある部分を上にして植え付けます。
今回、草木灰が無かったこともあり、カット面が腐るのを防ぐ目的であれば乾かせばいいと考え丸一日日陰で乾かして植え付けてみました
イモは、生えて来た芽が伸びたあとの地下の茎の部分に出来ますので、底の深さに限界があり、土寄せの高さにも限界があるコンテナ栽培の場合、カット面を上にして植え付ける(芽はまず下向きに出て、その後上に向かって成長する)ことが良いのでは?と考えて試してみました;

ジャガイモの生育状況の比較
ジャガイモの生育状況の比較

上の写真の一番左の1列がカット面を上にして植え付けたものです。予想に反してカット面を上にしたほうが発芽が早いことが分かりました。また、草木灰を使わなくても全て発芽しているが分かります。次回からが全てこの方法で植え付けようと思います

2.袋栽培の実験;
我が家の屋上で使用する栽培用の硬質プラスティックのコンテナは数多くありますが、最初の頃に買ったものは風化して脆くなり壊れるものが出てきました。サイト情報によれば、肥料や培養土の袋を使って栽培する方法があるようなので、今まで捨てていた牛糞堆肥(40リットル)の袋を使って栽培実験を始めることにしました;

牛糞堆肥の袋を使った「袋栽培」
牛糞堆肥の袋を使った「袋栽培」

上の写真の様に、袋の底に3ヶ所穴を開け、2袋1セットでメッシュ・コンテナに収めると転びにくく、また見栄えも良くなりました。結構深さも確保できますので、根が深く張る野菜やイモ類の栽培に適していると思われます。今年は色々な野菜で袋栽培を試してみようと思っています

その他

1.1月15日に発行した私のブログ(寒風吹きすさぶ!真冬の野菜栽培)で「11月に植え付ける予定だった生食用のタマネギについては、種が古かった為か発芽しませんでした。10月半ばに新しく買った種はちゃんと発芽しておりますが、勿論11月の定植には間に合いません。従って、このまま冬を越させて春になってから定植しようと思っていますが、どうなることやら、、、」と書きましたが、その後の経過は以下の通りです;

早春に定植した生食用タマネギの生育状況
早春に定植した生食用タマネギの生育状況

ここまで育てば、恐らく6月中には収穫可能と思われます。買った種袋にある説明では9月に種蒔きして苗を育て、11月末ごろまでに定植することを薦めていますが、収穫が少し遅くなるのを我慢すれば、春先に穂が出るリスクを回避できる春に定植することも悪くないかな、と思いました

2.ホームセンターをぶらぶらしていたところ、山菜の王様である「コシアブラ」の苗を発見しました。ちょっと高かった(598円!)のですが買ってしまいました。来年か、再来年の収穫を目指して大事に育ててみようと思っています;

コシアブラ
コシアブラ

3.猫の額の様な土地の隙間?には、今年もフキ、クレソン、セリが手入れ無しで繁茂しております! 適宜収穫して春の息吹を感じつつ食べています

ふき・クレソン・セリ

ふき・クレソン・セリ

3月には食料としての役割を終わった?春菊の花がきれいに咲きました;

春菊の花
春菊の花

流石に「菊」だけあって大輪で美しい花です。それなりの花瓶に生けて、然るべき場所に飾れば結構存在感があります

以上

B737MAXの墜落事故について

はじめに

昨年10月29日、インドネシアのLCCであるライオン航空のB737MAXが離陸後すぐに墜落しました。また、今年3月10日にはエチオピア航空の同型機がやはり離陸後すぐに墜落いたしました。この二つの事故の原因に類似性があることが分かり、3月13日には全世界で飛行中の約370機が、各国の航空当局から飛行禁止の命令が下されるという、近年には稀な事態となりました
このB737MAXという航空機は、2017年5月に引き渡しを開始した後、既にデリバリーされている機体を含め百社以上から約5,000機の発注を受けているベストセラー機であり、現在ボーイング社で月産52機のペース(⇒今年末には月産57機となる予定)で生産されています。因みに、この最新鋭機の技術的な仕様は以下の通りです;

737MAX Technical Specs
737MAX Technical Specs

多くの航空会社が導入しつつあり、導入する各社は今後の路線便数、航空機材計画の中心的な役割を果たすことが予定されており、今回の飛行禁止命令は全世界で注目されています。また、日本国内でも2020年からANAが30機の導入を計画しています。新聞等での報道もありますが、最近入手したAviation Weekの記事に現在までの事故の解析及びボーイング社が考えている対策が載っていましたので概略ご紹介をいたします(詳しく知りたい方は”B737MAX Accidento Chaos_25MAR’2019 Aviqtion Week & Space TechnologyB737MAX Accidento Chaos_25MAR’2019 Aviqtion Week & Space Technology”をご覧ください。尚、上表”Technical Specs”を含め、ボーイング社のウェッブサイトからも必要な情報を転載しています

事故の概要

1.ライオンエア610便墜落事故;

http://toboe.onenote.co.jp/wp-content/uploads/2019/04/Lion-Airの事故機と墜落までの飛行ルート
ライオンエアの事故機と墜落までの飛行ルート

2018年10月29日午前6時20分、ジャカルタ郊外のスカルノ・ハッタ空港を離陸したB737MAX(2018年8月受領)は、離陸後約10分で消息を絶ちジャカルタ北部の海上に墜落、乗員・乗客189名全員が死亡しました。墜落付近の海域で、Flight Data Recorder(パイロットによる航空機の操作や機体の位置、気圧高度、速度、など機体の運動状態、その他多くのデータを記録しています)Cockpit Voice Recorder (操縦室内の会話を記録しています)が回収されています。インドネシア航空当局から、「Flight Data Recorder からの情報で機体のAOA(迎え角:以下 AOAと表記します;Angle of Attack)センサーのデータが左右で20度食い違っていたこと、副操縦士から管制官に飛行高度を確認するように要請があり、飛行制御に問題があるとの報告があったこと」が発表されています

AOA(迎え角)とは・センサーの位置
AOA(迎え角)とは・センサーの位置

2.エチオピア航空302便墜落事故;

エチオピア航空機と事故現場
エチオピア航空機と事故現場

2019年3月10日午前8時38分、アジスアベバのボレ国際空港を離陸したB737MAX(2018年11月受領)は約6分後に墜落し、乗員・乗客157名全員が死亡しました。墜落機のパイロットは、墜落数分前に管制官に対して運航上のトラブルを報告し、空港に引き返す許可を求めていました。墜落現場付近で、Flight Data Recorder と Cockpit Voice Recorder が回収されており、エチオピア航空当局からの依頼でフランスが解析を実施しています

事故機の飛行記録から事故原因を推定する
両事故機の対地速度と上昇・沈下速度の比較
両事故機の対地速度と上昇・沈下速度の比較

上表は、ライオンエアの事故については、回収されたFlight Data Recorder から得られたデータを使用していますが、右のエチオピア航空の事故については、ADS-B(下記”参考1”参照)というシステムから得られるデータを使用しています。尚、上表で比較を行う場合、縦軸のスケールが違うことに注意してください
上表で明らかなように、墜落前の両機の飛行状況は非常に似通っています。また離陸直後の速度が低い状況下で短周期で上昇・沈下を繰り返しており、極めて不安定な飛行状態であったことが分かります

<参考1> ADS-Bとは
ADS-Bという名称は、”Automatic Dependent Surveillance-Broadcast”の頭文字を取っています。このシステムを使って、ATC Transponder(航空機に対して質問電波を発信すると航空機が持っている今の情報を返信してきます)を装備した航空機について以下の様な情報が入手できます;
①飛行機の登録番号、②飛行機の位置情報(経度、緯度)、③飛行機の速度(水平速度、上昇・下降速度)、④飛行機の高度(GPSからの情報と気圧高度計情報)、⑤飛行機の進行方向、⑥その他

FAAのADS-Bシステム概念図
FAAのADS-Bシステム概念図

また、ライオンエアのFlight Data Recorder から、事故前日と、事故当日(⇒墜落)の機体の水平尾翼の操作状況と水平尾翼のPositionの記録を読み取ったものが以下のグラフです;

水平尾翼の操作、動きの記録
水平尾翼の操作、Positionの記録(Aviation Week 2018年12月10-23 Editionから転載)

ライオンエアでは事故前日に、同じ機体で水平尾翼の異常な動きが一時的に発生し、すぐに正常な飛行に戻ったことが読み取れます。この情報はパイロットから地上整備士に報告され、事故当日出発前に点検・整備が行なわれたことがエチオピア航空から発表されています。ただ、適切な整備が行われたかどうかは現在までのところ分かりません
事故機は出発後すぐに、水平尾翼が MCAS(下記”参考2”参照)というシステムで自動的に小刻みに”Nose Up”側に動かされているのに対し、パイロットは適宜手動で”Nose Down、Nose Up”側に動かしています。その後、MCASが自動的に”Nose Down”側のみの動きを続けパイロットはその動きを止めようと”Nose Up”側にトリムを行っていますが、最終的に墜落前には水平尾翼の”Nose Down”側のトリム量は相当大きな値になっています(⇒地上に向かって急降下?)

737MAX Cockpit内の水平尾翼マニュアル・トリム関連装備
737MAX Cockpit内の水平尾翼マニュアル・トリム関連装備

こうした情報から、MCASによって水平尾翼が”Nose Down”側へ異常なトリムを繰り返し、パイロットの手動操作(水平尾翼の手動トリム+昇降舵)ではこれをコントロールできなかったことが事故の一つの原因ではなかったかと推測できます

<参考2> MCASとは
MCASという名称は、”the Maneuvering Characteristics Augmentation System “の頭文字をとっています。B737MAXから装備されているソフトウェア(B737NG以前のB737シリーズには装備されていません)で、名称の意味から判断すると、パイロットの操縦操作をサポートするシステムの様です
MCASは、フラップを出していない状態でマニュアル操縦で上昇を行っている(自動操縦を行っていない)時に、ピッチングの安定性を向上させるためのシステムです。因みに、機体のAOAの情報は、機体の両サイドにあるAOAセンサーの一つから得ており、一フライト毎に信号を受け取るセンサーを左右入れ替えています。

ボーイング社は多くの737シリーズを販売しており、これらのシリーズ間でパイロットが同じ様な感覚で操縦できるようにするため(例えば、航空会社によっては、B737NGを操縦した人が、翌日B737MAXを操縦することは頻繁に起こると考えられます)であり、B737MAXの型式証明(型式証明に係る詳しいことは「3_耐空証明制度・型式証明制度の概要」を参照してください)を取得するときにFAAからも要求されていたものです
同じB737シリーズでこの様な追加的なシステムが必要になった原因は、B737MAXから装備されることになった新しい高性能エンジン(CFM Leatp1)が、迎え角が大きい時にそれまでのエンジン(CFM56シリーズ)より大きな”Nose Up”のモーメントを発生させるからであると説明しています

737NGと737MAXのエンジン位置比較
737NGと737MAXのエンジン位置比較

こういう新しいシステムを導入しているからには、このシステムに誤動作が発生した場合、パイロットがどの様な操作を行えば正常な飛行状態に戻せるかに関して十分な訓練を行なう必要があると考えられます

現在検討されている対策

ライオンエアの事故以降、ボーイング社は事故の解析を行い、以下の様な対策を行う準備を進めています;
1.MCASの改修について
新しいソフトウェア・パッケージ(EDFCS:Enhanced Digital Flight-Control System)を開発し、B737-7をテストベッド機としてテストを行っています。従前のシステムからの変更のポイントは以下の3点です;①MCASを自動起動するときのロジックの変更、②AOA情報の入力方法改善、③水平尾翼のトリム・コマンドの制限
この変更によって;㋑システム全体の冗長性(Redundancy/想定外事象に対する対応力)の向上、㋺AOAセンサーからの間違った信号入力に対する水平尾翼トリム量の制限、㋩MCASによるトリム量を制限することによって水平尾翼の本来の機能を維持することが可能になると説明しています

ボーイング社としては方針は定まったものの、上記方針全体を完全に具体化するに至っていません。例えば、上記㋺のAOAセンサーの件については、追加的なセンサーを設ける方法以外に、現有の2台のFlight Control Computerに入力されている左右のAOAセンサーの信号をMCASに入力する方法も検討されています
また、上記㋩の水平尾翼のトリム量については、MCASからの新しいトリム入力に対して、水平尾翼のトリム量は1ユニットのみに制限すること、などを考えています。因みに現在のMCAS(事故機に装備)では、AOAセンサーが決められた”Nose Up”の範囲(専門用語で”閾値”といいます)を超えると、1秒当たり0.27° “Nose Down”方向に動かし、9.3秒間で、最大トリム量は2.5ユニットまで動かせるように設計されています

2.パイロット、整備士が使用するマニュアルの変更について
ボーイング社は、現在以下のマニュアル類の変更を検討しています;
①Flight Crew Training Manual(パイロットの訓練に使用するマニュアル)
②Airplane Flight Manual(パイロットが操縦するときに何時でも参照できるようにしている操縦時必携のマニュアル)
③Flight Crew Operation Manual(パイロットが操縦するときに何時でも参照できるようにしている操縦時必携のマニュアル)
④Quick Reference Handbookのspeed trim check list に新しい”注”を加える(出発時、飛行中のトラブル発生時にパイロットが参照するマニュアル)
⑤Airplane Maintenance Manual(整備士が整備を行う際に使用するマニュアル)
⑥Interactive Fault Isolation Manual(トラブルの修理を行う際、トラブルの原因を迅速に特定する為に使用するマニュアル)

3.AOAセンサーの不具合に対する対策
左右のAOAセンサーの情報が食い違っていた場合に、コックピットの最も重要な計器にその表示を行うこと( DISAGREE primary flight-display alert:参考3)
尚、この機能はB737NGでは標準装備になっていましたが、B737MAXではオプションとなっており、事故を起こしたライオンエアのB737MAXでは、このオプションは採用されていませんでした

<参考3> この警告表示を表示する条件
左右のAOAセンサーの値が10°以上ズレて、且つそれが10秒以上続いた場合に警告が表示されます

今後の推移

“はじめに”でも述べた様に、既に370機のB737MAXが航空会社に引き渡され、3月10日までは飛行を行っていた訳ですから、航空会社によってはこの機材が支えていた航空路線を維持するのは大変な負担になっていいるはずです。また、パイロットの資格は殆どの国で型式限定になっているため、他の型式の航空機で路線運営を代替することは簡単にはできません
一方ボーイング社としても、今のところ月産52機の生産を維持していますので、次々と完成していく機体を置いておく場所にいずれ困ってしまうはずです

こうしたことから、この原稿を書いている時点で、ボーイング社は可能な範囲で既に改修の提案(SB:Service Bulletine/SBに関する詳しい説明は7_Hardware に係る信頼性管理をご覧ください)を始めています(MCASの改修提案 by Boing
また、B737MAXの型式証明を行った米国のFAA(Federal Aviation Administration:連邦航空局)も面子にかけて運航許可に向けてボーイング社と協力作業を行っていると思われます

従って、かなり早期(1~3ヶ月?)にボーイング社のSBがFAAによってAD化(改修命令)され、この改修が済み次第、米国での運航が再開されるのではないかと思われます。続いてFAAとの協力関連が強いカナダ(ボンバルディア社がある為)、やEU諸国(エアバス社がある為)でも運航許可を出すものと思われますが、中国や事故のあった国であるインドネシアやエチオピアは、そう簡単にはいかないような気がします

また、今回の事故によって痛手を受けた航空会社は、B737MAXのオプション契約分をエアバス機(A320neoなど)に切り替える動きが出てくる可能性は高いものと思われ、今後の航空機商戦は予断を許さない状況が続くと思われます

A320neo vs B737MAX
A320neo vs B737MAX

今後、AD(Airworthiness Directives@米国;耐空性改善通報@日本)が発行され次第このブログに追加的に情報を記載していきたいと思っています。また、運航再開以降になると思われますが、ライオンエアの事故機に関してはインドネシア航空当局から、エチオピア航空の事故機に関してはエチオピア航空当局から正式な「事故報告書」が発行されるはずです。これらの事故報告書の内容についても適宜追加的にブログに記載していこうと思っています

Follow-Up:2019年4月6日、737MAXを2割減産発表 ⻑期停⽌に備え

Follow-Up:2019年4月12日、190412_737 MAX SOFTWARE UPDATE

・・・その後の進展状況_①・・・

2019年4月15日、Aviation Week_April08-21_Fixing the MAXにエチオピア航空、ET302便のFlight Data Recorderの解析が出ていましたので、その要約を報告します;

ET302 Preliminary FDR Data_説明用
ET302 Preliminary FDR Data_説明用(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

上のデータには19個のパラメータ(①~⑲)について、出発から墜落に至るまでの時系列の推移がグラフになっています。尚、時系列の単位は、UTC(世界標準時/日本はUTC+9時間)で表示されています;
凡例:05:37:00:5時37分:0秒;横軸1目盛で3秒の間隔

ET302便のFlight Data Recorder の解析;

05:37:45:正常に出発;10秒後位からエンジンンの出力UP(②参照)
05:38:39:離陸(⑨参照)
05:38:45:左右のAOAセンサーの値が乖離(⑫参照/左74.5°Nose Up、右15.0°Nose Up)
<参考> エチオピア航空当局による事故後の調査で異物が当った形跡は無かった
05:38:45:左のAOAの過大なNose Upの信号により、左の操縦桿のStick Shakerが起動(③参照;その後ずっと起動したまま)
<参考> 起動したStick Shakerの動画(ネット情報):https://youtu.be/NtQqb7rstrQ

05:38:49~05:39:18:手動によるNose Up、Nose Dowmのトリムを繰り返す(④参照)
05:39:21:Auto Pilot “ON”(⑯参照)
05:39:24~:Auto Pilotによる自動トリム(⑬参照;ほぼNose Down側)
05:39:45:離陸を継続しフラップ引き込み開始、15秒後に引き込み完了(⑲参照)

05:39:57:Auto Pilot “OFF”(⑯参照)⇒ MCASが自動的に起動し、MCASによるトリムがが始まる(⑬参照)
05:40:00~05:40:09:左のAOAセンサーの誤った入力信号によりNose Down方向にトリムが行われ、水平尾翼のPitch角が4.6ユニットから2.1ユニットに変化し(⑭参照)、機体は上昇から降下に変わった(①参照)
 05:40:09:パイロットの操縦桿にあるトリムスイッチによりNose Up側に操作され(④参照)、水平尾翼のPitch角が2.4ユニットに戻した
05:40:20:左のAOAセンサーの誤った入力信号(⑫参照)で、再びMCASによりNose Down方向にトリムが行われ(⑬参照)、水平尾翼のPitch角が0.4ユニットまでNose Downまで下がった(⑭参照)
05:40:27~05:40:37:パイロットの操縦桿にあるトリムスイッチによりNose Up側に操作され(④参照)、再び水平尾翼のPitch角が2.4ユニットに戻った(⑭参照)
05:40:42~15:40:51:MCASによりNose Down方向にトリムが行われ(⑬参照)たものの、Pitch角は変わらなかった(⑭参照)

15:40:51:パイロットがMCASの電源を切った(MCAS電源のON/OFFは上表のパラメーターには入っていません。記事後半にON/OFFした事が書いてありますので、④のデータの推移から筆者がタイミングを判断しました)

05:41:46:Voice Recorderより)機長が副操縦士に対してマニュアル操作でNose Upにできるか?」と聞いたところ、副操縦士はできない」と答えた
05:41:46:この時点の左の対気速度は340kt(ノット;時速630キロ)、右はそれより20~25kt速かった(⑪参照)。(Voice Recorderより)Over Speed Warning が鳴り、パイロットは管制官に空港への引き返しを要請し、許可を得た
05:43:11:水平尾翼のPitch角が2.1ユニットまでNose Down方向に下がり(⑭参照)、パイロットが2度トリムスイッチによりNose Up側に操作した(⑬参照)結果、水平尾翼のPitch角が2.3ユニットに戻った(⑭参照)

05:43:21:再びMCASの電源を入れた(MCAS電源のON/OFFは上表のパラメーターには入っていません。記事後半にON/OFFした事が書いてありますので、④のデータの推移から筆者がタイミングを判断しました)

05:43:22:水平尾翼が自動的にNose Down方向に動き、5秒でPitch角が1.0ユニットに下がった。その後急激に速度を上げつつ(⑪参照)、高度が下がり(⑩参照)、約25秒後に地上に激突

関係者の現時点でのコメント抜粋;

1.Flight Data Recorder、Voice Recorder の解析を担当しているエチオピア航空当局(ボーイング社、FAA/連邦航空局、NTSB/連邦事故調査委員会、EUの航空当局、フランスの航空当局も協力して事故調査を行っています)は、事故機のパイロットはボーイング社のマニュアル通りの操作を行っていたと述べています(⇔この件は、ボーイング社による事故の賠償金額に大きく影響するはず)

2.ボーイング社では;
A)パイロットがMCASの異常事態に際し、操縦桿にある手動トリムでの対応を継続し、迅速なMCASの停止操作を行わなかったために事故に至ったと考えている
B)ボーイング社の「水平尾翼が暴走した時に行うべきチェックリスト(「Runaway Stabilizer Procedure」/B737NGと同じ!)」では、「MCASの電源」を切ってからマニュアルトリムを行うことになっている

3.FAAは、一連のB737MAXの事故のケースを見ると、Part121エアライン(大型の商用機を運航するエアライン)のパイロットは異常な飛行状態失速、背面飛行からの回復、対気速度の計器が信頼できなくなった時、など)から回復する訓練をシミュレーターで行う必要があると考えている。しかし、現在ではエアラインが保有しているシミュレーターの能力には問題があると考えている。因みに、米国のエアラインは、こうした異常飛行の訓練に対応できるB737MAXのシミュレーターを持っていない

Follow-Up:2019年4月25日、ボーイング機運航停⽌の影響広がる 再開めど⽴たず

Follow-Up:2019年4月27日、⽶航空⼤⼿、ボーイング機運航停⽌で⽋航コストかさむ

Follow-Up:2019年5月4日、ボーイング、開発でパイロットの意見求めず_米紙報道

・・・その後の進展状況_②・・・

2019年5月5日、Aviation Week_April22-May05に以下の様な記事が出ていましたのでご紹介します;

MCAS改修の内容がかなり明確になってきました

MCASのソフトウェアの新旧を比較したものが以下の図になります;

MCASソフトウェア_新旧比較
MCASソフトウェア_新旧比較(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

改修のポイントは;
1.左右のAOAセンサーの、① 左右の迎え角にで5.5°以上の乖離があった場合、② 突然迎え角の値が跳ね上がった(spike)場合、③ 迎え角の変化が尋常でなかった(unreasonable)場合、MCASによるコントロールを停止する
2.パイロットによるピッチ・コントロール(Nose-Up、Nose-Down の操作)は、MCASのコントロールに優先する。またMCASによる水平尾翼のコントロールは、閾値(しきい値:予め設定された値)を超えれば停止する
3. MCASは、AOAの迎え角が変わった時、一回だけ水平尾翼のコントロールを行う。また、パイロットが手動でトリムを行った場合、5秒後にMCASがコントロールを再開する最初のソフトウェアのルールを廃止した

4.パイロットが操縦する際、最も重要な表示装置であるPFD(Primary Flight Display)のイメージは、改修実施後に以下の様になります;

New PFD Image
New PFD Image(画面をクリックすれば拡大画面が見られます

上記のイメージの説明;
* 左側のPFDのイメージはノーマルなケース、右側のPFDのイメージはAOAの情報が異常であった場合の表示です
* 両方のイメージで、左の帯状のスケールは対気速度(kt:マイル/時間)を表し、右側の帯状のスケールは気圧高度を表しています。対気速度の帯の右側にある赤と白のまだらの細い帯状の表示は失速の警告が出る大気速度の範囲を表しています
* AOAの迎え角が大きく乖離した場合(右側のPFDイメージを参照)、右下に「AOA Disgree」の表示が出ていることが見て取れます。また、機体の速度は169ktで失速速度145ktよりも十分速いにも拘わらず、左の失速の警告が出る範囲になっているのが分かります(⇔失速の警告が出ても失速する心配が無いのが分かる)

5.FAAの当局者によれば、上記改修は5月下旬~6月初旬に承認される見込みとのこと。ただし、この承認後米国のエアラインは早期に運航再開することが考えられますが、米国外のエアラインの運航再開は見通せません(←各国の航空当局の判断)

ボーイング社の今後の新機種開発計画に対する影響(識者の意見)

ボーイング社は、米国で多く使われているB757/B767の後継機種の開発計画(NMA:New Midmarket Airplane)を持っていましたが、今回のB737MAXの事故によって、計画の進捗は明らかに遅れています
今回の事故で明らかになったように、B737MAXの機体設計は明らかに新しい高性能のエンジンを搭載する条件を満たしていません(バイパス比の大きいエンジンを搭載するには機体と地上とのクリアランスが小さすぎる)。また、既にこのクラスの受注競争においてもA320NEOに遅れを取っていることも明らかになっています。従って、ボーイング社としては、2025年~26年にはNMBの投入が是非とも必要となると思われます(⇔B737MAX8、9、10の差し換え需要を含めて/筆者の意見)

Follow-Up:2019年7月15日、ボーイング機の運航再開、20年に延びる可能性 米報道

Follow-Up:2019年7月19日、ボーイング、運航停止で補償費用5200億円 年間利益の約半分

Follow-Up:2023年3月23日、JAL、ボーイング737-8型機 21機の購入契約を締結

以上

 

条約・航空協定の歴史

はじめに

20世紀初頭に登場した航空機が、第一次世界大戦を経てその有用性(主として高速性)が広く認識されるようになり、軍事用のみならず商用にも広く利用されるようになってきました。その後、第二次世界大戦前後の急速な技術的進歩(高速性+大量輸送能力)によって国境を越えた商用目的の輸送にも極めて有用であることが一般的な認識となりました(詳しくは「1_航空機の発達と規制の歴史」参照)

しかし、国境を越えた旅客・貨物の輸送を行うには、まず主権(裁判権、関税自主権、国内法の適用、etc)の及ぶ範囲外国機が自国の領土内で飛行することに伴う安全性の担保(航空機本体の安全性、操縦する人の技量、etc)、自国機が外国の領土を飛行することに伴う安全性の担保(飛行ルートの安全性、使用する飛行場の安全性、各種飛行援助施設の整備、etc)、などについてしっかりした取り決めが必須となります。従って、国際間の航空輸送を行うには、他の輸送システムとは違って、上記に係る共通の取り決めを多国間の条約によって保障する必要があります

また、航空輸送をビジネスの面で捉えた場合、ビジネスの機会は基本的に国家間で平等であるべきことは自明のことです。しかし航空輸送を行うためのインフラ(航空輸送ビジネスの規模、国自体の経済規模、etc)は、国により格段の差があり平等なビジネスの機会を保証するには自由競争に任せることは必ずしも適切ではありません。特に第二次世界大戦が終わった時点では、航空輸送ビジネスの主役になるべき先進国は、米国を除き戦災で経済が破綻状態になっていました。こうした背景から、国際間の航空輸送ビジネスは、他の輸送ビジネスとは違って、二国間の条約や国際協定によって幾つかの規制を行ってバランスを取る必要がありました

以下に、航空に係る条約や国際協定について、具体的な事例を基に説明をしていきたいと思います

シカゴ条約

1944年11月、シカゴで第二次大戦の戦勝国を中心として、52ヶ国が参加して開催された国際民間航空会議(Convention on International Civil Aviation)で合意に至った多国間の民間航空輸送の基本的な取り決めを「シカゴ条約」と呼んでいます。正式名称は「国際民間航空条約」といいます

条約の骨子
輸送権領空主権空港使用関税航空機の国籍事故調査、などに係る国際間の共通ルールの設定
* 上記を管理・運用する国連の専門機関として「国際民間航空機関ICAO/International Civil Aviation Organization)の設立 ⇒ 1947年4月に設立されました
日本は、サンフランシスコ条約で独立を果たした後、1953年10月に加盟しました。現在192ヶ国がこの条約の締約国(1918年4月19日現在のICAO締約国リスト)となっています。ICAOの中心的な意思決定・執行機関は理事会で、選挙で選ばれた36の加盟国から構成され、現在日本は理事国として活動しています

条約の狙い
航空機の管理システムを確立し、運航の安全確保、航空機の技術的な問題に関する締約国家間の協力を図ること
② 航空運送に関わる以下の2種類の協定の制定を締約国に促すこと
国際航空運送協定路線、輸送力に関する協定の締結)
国際航空業務通過協定(上空通過と技術着陸のみを行う場合の協定 ⇒ この協定を選択する場合は別途二国間協定が必要

条約の効果
締約国の航空法は基本的にほぼ同じ内容となり、自国の航空法で規制できない外国航空機の領空内の運航(領空通過、離着陸)について安全が保障されることになりました。因みに、日本の航空法には以下の通りこの条約を遵守する義務が掛かれています;
航空法・第一条:この法律は、国際民間航空条約の規定、並びに同条約の附属書として採択された標準、方式及び手続に準拠して、航空機の航行の安全及び航空機の航行に起因する障害の防止を図るための方法を定め、並びに航空機を運航して営む事業の適正かつ合理的な運営を確保して輸送の安全を確保するとともにその利用者の利便の増進を図ること等により、航空の発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする

シカゴ条約の主な内容
Chapter-1一般原則と条約の適用範囲);
① 条約締約国の領空の主権を認める
② 条約締約国の領空通過、着陸は協定の締結、又は許可取得が必要
<参考>
第一の自由:他の当事国の領域を無着陸で横断飛行する特権
第二の自由:運輸以外の目的のため、他の当事国の領域に着陸する特権
第三の自由:航空機の国籍のある国の領域で積み込んだ旅客、郵便物及び貨物を、他の当事国の領域で積み卸す特権
第四の自由:航空機の国籍のある国の領域に向かう旅客、郵便物及び貨物を、他の当事国の領域で積み込む特権
2国間の旅客・貨物の輸送を行うには上記の第三、第四の自由が必要になります

第五の自由:第三国の領域に向かう旅客、郵便物及び貨物を、他の当事国の領域で積み込み、または第三国の領域からの旅客、郵便物及び貨物を、他の当事国の領域で積み降ろす特権(以遠権例えば、日米間の航空協定の中で、日本の航空企業が、ニューヨークからサンパウロ(ブラジル)間の運航を行い、米国からの旅客、郵便物及び貨物をニューヨークからサンパウロに運ぶこと、また逆に、ブラジルからの旅客、郵便物及び貨物をサンパウロからニューヨークに運ぶ権利のことを以遠権といいます

Chapter-2条約締約国の領空における飛行);
条約締約国同士では定期便以外の領空通過、技術着陸を事前の許可無く行うことができます
定期便については、「国際航空運送協定」、あるいは「2国間協定」がない限り領空通過、着陸を行うことができません
*国際航空業務通過協定:第1及び第2の自由についての取り決め
*国際航空運送協定:第1~第5の自由についての取り決め
③ 各条約締約国は、他の締約国による自国内地点間の運航、運送(カボタージュ/Cabotage ⇔ 国内運航の権利を行うことを拒否することができます。但し、全ての締約国に対し等しい例外許可条件を設ければ許可することが可能
使用する空港を指定することができます
⑤ 貨物・旅客の出入国管理・通関・権益に関する法規は当該国のものを遵守しなければなりません
⑥ 航空に適用される法規も、航空機の国籍の如何に関わらず当該国のものを遵守しなければなりません
⑦ 料金については自国機と差別することはできません

Chapter-3航空機の国籍);
航空機は登録国の法規に従って登録を受けた国の国籍をもっています
② 締約国全てに対して、航空機の登録情報の開示、及び航空機に登録国の表示を義務付けています
<参考> 航空機登録番号の割当て

航空機登録番号
航空機登録番号

Chapter-4航空輸送を促進する手段);
① 締約国は、航空機で使用する燃料、潤滑油、予備部品、貯蔵品、装備品については免税措置を行う義務があります
② 締約国は、航空機の国籍に係らず、遭難した航空機の救援措置を行う義務があります。また、遭難したと思われる航空機の捜索活動に協力する義務があります
③ 締約国は、重大事故(死傷者を伴うもの、航空機、施設に欠陥を示唆するものがあるもの)が発生した場合、ICAOが勧告する方式(ICAO Annex 13:Accident and Incident Investigation)に従って事故の調査を行う義務があります
尚、重大事故が発生した場合、航空機の登録国にも調査に立ち会う権利を付与されると共に、随時調査内容の報告を受ける権利があります
④ 締約国は、ICAOの勧告に従って、国内に空港・無線施設・気象施設・他、の航空施設を作る義務があります
⑤ 締約国は、通信手段・符号・信号・証明、その他運航上の実施方式や規則に関わるICAOの標準様式を採用する義務があります
⑥ 締約国は、航空地図、チャート(例:Aeronautical Charts_USAICAO EN-ROUTE CHART_日本の刊行に際し、国際的な取り決めに協力する義務があります

Chapter-5航空機が備えるべき要件);
締約国は、航空機を運航する際、以下の書類を常に搭載している義務があります;
① 航空機の登録証明書、② 航空機の耐空証明書、③ 各乗務員のライセンス、④ 航空日誌(ログブック)、⑤ 航空機局免許状
② 搭乗している旅客の氏名乗機地目的地を記載したもの
③ 搭載している貨物の積荷目録及び細目申告書(軍需品、軍用機材は搭載してはなりません)
Chapter-6国際標準
① 航空運送を容易にする為に統一が有用と考えられる事項は最大限の協力を図ること(例:航空機、航空従事者、航空路、等)
耐空証明については国際標準に一致しない場合は、その差異の詳細が裏書されること
航空従事者についても国際標準に一致しない場合は、その差異の詳細が裏書されること
Chapter-7 ~22 省略

国際民間航空条約・付属書(ICAO ANNEX) の構成
以下は、ICAO理事会で採択された基準や推奨手順のタイトルです。それぞれのタイトルの意味に係る詳しい説明は「ICAO ANNEX_各タイトルの説明」(英語)をご覧ください。尚、それぞれのタイトル毎の内容は相当量あり、ICAOのサイトで出版されています(下記①の例:ICAO ANNEX1 Personal Licensing  );
Personnel Licensing(航空従事者技能証明)
Rules of the Air(運航上の規則)
Meteorological Service for International Air Navigation(航空気象)
Aeronautical Chart(航空地図、チャート)
Units of Measurement to be used in Air and Ground Operation(航空機の運航に必要となる情報の単位)
Operation of Aircraft(航空機の運航:商業輸送、ジェネラルエイヴィエイション、ヘリコプター)
Aircraft Nationality and Registration Marks(航空機の国籍及び登録記号)
Airworthiness of Aircraft(航空機の耐空性)
Facilitation(国際空港に必要とされる施設、機能)
Aeronautical Telecommunications(航空通信)
Air Traffic Service(航空管制)
Search and Rescue(行方不明機の捜索・救難業務)
Aircraft Accident and Incident Investigation(航空機事故調査)
Aerodromes(飛行場)
Aeronautical Information Services(航空情報業務)
Environmental Protection(環境保護)
Security-Safeguarding International Civil Aviation Against Acts of   Unlawful Interference(セキュリティー対策)
Safety Management(安全管理)

二国間航空協定_一般

「はじめに」で述べた通り、国によって航空輸送を行うためのインフラに大きな差があり、結果として全ての国が同じ条件で協定を結ぶには無理があります。因みに;
商用航空輸送の先進国では、巨大な航空会社が既に存在し、高いビジネス上の競争力を持っているため自由化を求めます(例:米国)
中継貿易を国策としている国は一般に、自由化によってのみ他の政策との調和が図れるため自由化を求めます(例:シンガポール、アラブ首長国連邦、など)
* 一方、空輸送の後進国では、自国の航空会社が発展途上にあり、ビジネス上の競争力が脆弱であるため、自由化には消極的になるのが普通です

バミューダ協定
第二次世界大戦終了後の1946年、戦勝国であるものの戦災で経済が破綻状態となってしまったイギリスと、戦勝国で唯一実質的に戦災が無く、経済が絶好調であった米国との間で、シカゴ条約の下で最初の航空交渉が行われ、両国の間で二国間航空協定が締結されました。交渉が大西洋上のイギリス領バミューダで行われた為、通称「バミューダ協定」呼ばれています
この協定は、以下の基本的な権利関係をベースとしているため、以後の二国間航空協定の見本となりました;
互恵平等の原則
運航路線、便数の相互指定
運航する航空企業の特定(指定航空企業)

協定の中で取り決めが行われる主な内容;
参入路線、便数:経済力や国土の大小、人口の多寡に関わりなく均衡が図られることが普通です
運賃:両国の認可が必要な場合が多い(基本的に発地国建てであるため、為替の変動により内外価格差ができます)。また、IATAの協定運賃(詳しくは「エアラインの営業とは」をご覧ください)を採用する場合もあります
路線運営を行う航空会社:両国で同数の航空会社を指定する(“指定航空企業”)ことが多い
 航空自由化(オープンスカイとは、上記の参入路線・便数、運賃、路線運営を行う航空会社、などの制限を撤廃することです

以下、日本に係る典型的な二国間航空協定を取り上げ、それぞれの協定の特徴、歴史的変遷について概略を述べてみたいと思います

日米航空協定

1951年にサンフランシスコ平和条約が締結された後、日本も国際線の運航が可能となり、まず最初に最も重要な日米間の運航を行うために日米間の航空交渉が行われました。その結果、1953年に日米航空協定(正式名称:日本とアメリカ合衆国との間の民間航空運送協定)が締結されました。主な内容は以下の通りです;
第1条:シカゴ条約の遵守
第4条:1又は2以上の指定航空企業の指定
第5条:相互に第1~第4の自由を認める(一部路線で以遠権を認めている)
第7条:相互に運航する航空機の耐空証明を認める
第13条:運賃は両国の認可が必要

付表(参入路線・便数)
<日本側の権益>
日本=(中部太平洋の中間地点)=ホノルル=サンフランシスコ=以遠地点
日本=(北太平洋及びカナダの中間地点)=シアトル
日本=沖縄=以遠地点 ⇔ 敗戦後施政権は米国にあった
<米国側の権益>
米国=(カナダ、アラスカ、及び千島列島の中間地点)=東京=以遠地点
米国(属領を含む)=(中部太平洋の中間地点)=東京=以遠地点
那覇=東京(←沖縄は米国の施政権下にありました)

1954年国際線初就航時のタイムテーブル

上記を見ればわかる通り、敗戦国日本の実力を反映して、以遠権(第5の自由)について米国に有利な協定になっています。その後、日本経済の成長に合わせ11回の修正(詳しくは日米航空交渉の歴史(1959年~1998年)参照)が行われた後、2009年12月に至り、オープンスカイ協定日米オープンスカイ合意の概要参照)が結ばれました

内容を要約すると以下の通りです;
1.自国内地点、中間地点、相手国内地点及び以遠地点 のいずれについても制限なく選択が可能であり、自由 にルートを設定することができる
2.便数の制限は行わない(ただし、航空企業は通常の 手続きにより希望する空港の発着枠を確保する必要があります
3.参入企業数の制限は行わない
4.コードシェア同一国・相手国・第三国の航空企業とコードシェア 等の企業間協力を行うことができる
5.航空運賃の設定については、差別的運賃等一定の要 件に該当するものを除き、企業の商業上の判断を最大 限尊重するとともに、可能な限り迅速な審査を行う

日露(日ソ)航空協定

日本にとってロシアとの航空交渉(ソ連邦崩壊前はソ連との航空交渉)は、2国間の輸送量の取り決めと言うよりは、大圏コース(最短距離の空路)に近いロシア領空(シベリア上空~モスクワ上空)を通過して日本とヨーロッパ各国との間の路線運営を行う権益の取り決めを行うということでした。
ロシア領空を通らないルートは、アンカレッジを経由して北極上空を通過することとなりますが、このルートは距離が長くなるため、時間がかかり(片道数時間の差がでます)燃料費も増加することになります。また、飛行時間が延びるということは高価な航空機の路線占有時間が長くなるために航空機材効率が悪くなります。戦後、日本とヨーロッパ諸国との経済関係は飛躍的に発展し、それに伴って旅客・貨物需要も急速に増加してゆきました。こうした背景から、日露間(ソ連邦崩壊前は日ソ間)の航空交渉は以下の通り頻繁に改正を繰り返しました

尚、日露(日ソ)航空協定で特徴的なことの一つに、通常の航空協定で外国航空会社に課せられる着陸料、駐機料、航行援助施設使用料、等の他に、シベリア上空通過に高額の料金が課せられることです。これは上記の飛行時間の短縮に伴う燃料費減等のコスト削減、旅客利便性の向上、航空機材効率の向上、などに見合うものと考えられますが、シカゴ条約の精神に反するとも考えられます。尚、この上空通過料金は、航空協定とは別の商務協定で決められています

日本とソ連との間で最初に日ソ航空協定が締結されたのは1967年3月3日です。この航空協定の主な内容は以下の通りです
第2条:第1~第4の自由を相互に認める
第3条:日ソ間の運航を行う航空企業の指定
第7条:運航回数、機種、輸送力に係る合意の必要性
第8条:米ドルによる送金の自由
第9条:航空施設利用に関わる互恵主義、燃油費等の非課税
第12条:駐在員数の合意の必要性
* 運賃に関わる取り決めは、この協定に含まれていません

付属書 Ⅰ ;
*日本の就航路線:東京=モスクワ=第三国内の諸地点
*ソ連の就航路線:モスクワ=東京=第三国内の諸地点
*指定航空企業:(日本/日本航空ソ連/アエロフロート
付属書 Ⅱ ;
*安全運航に必要な情報の提供義務
*ICAO、WMO(世界気象機関)の標準方式、手続きを出来る限り採用すること(但し、ソ連邦内の航空管制に使われる高度の指示はメートル法を使用)
*情報の提供、機長との情報交換、等における英語使用の義務

以後、1969年~1994年の間、主として「付属書Ⅰ」に関して多くの交渉と改正が行われました。また、ソ連邦崩壊に伴い、1994年からは名称が日露航空協定に変わっています。詳しくは日露(日ソ)航空協定の歴史(1969年~1994年)をご覧ください

その後、2011年12月1日に、翌年3月末日からの夏季スケジュール以降、以下の内容で合意し、大幅な自由化が図られました;
1.日本側企業に係る運航の枠組み;
シベリア上空通過便に係る制約の大幅緩和通過便数の大幅拡大など)
コードシェアの大幅拡大(あらゆる種類のコードシェアを可能とする;コードシェア便数の上限撤廃)
③ 日本・ロシア間の中間地点の設定(ロシア内の経由地)
2.ロシア側企業に係る運航の枠組み;
① 成田路線のロシア側輸送力の拡大
② 日本側の①~③をロシア側にも設定

日中航空協定

日本と中国との航空協定は、第二次大戦後中国を代表することとなった中華民国(台湾)と1949年に台湾を除く中国全土を掌握して誕生した中華人民共和国(以下“中国”と呼びます)との間の国際政治における地位の変遷によって大きな影響を受けました
日本と中華民国は、1955年3月15日に航空業務に関する日本国と中華民国との間の交換公文を交わし、日本と台湾、香港、ベトナム、韓国などの都市を結ぶ路線運営について協定を結び、相互に運航を開始しました。この路線を運営する航空企業として日本側は日本航空、 中華民国(台湾)側は中華航空が指定されました

1971年10月、国連総会で、アルバニア(当時は共産圏)が提案した「中華人民共和国に中国代表権を認め、中華民国(台湾)を国連から追放する決議」が採択されました
また、1972年2月21日のニクソン大統領の電撃的中国訪問に始まる米中国交回復の流れに沿って、日本も1972年9月29日に田中角栄首相が中国を訪問し、日中共同声明(日中戦争の戦後処理についても言及していますのでちょっとご覧になることをお勧めします)に調印しました。この声明の中で、日本は中華人民共和国を中国の唯一の合法政府であることを認めています。また、貿易、海運、航空、漁業等の事項に関する協定の締結を目的として、交渉を行うことに合意しています

1974年4月20日、日中共同声明を受けて概略下記内容の日中航空協定が締結されました;
第2条:第1~第4の自由を相互に認める
第3条:日中間の運航を行う航空企業の指定(1~2社)
第10条:運賃の認可制
第11条:日本円、人民元による送金を認める

付属書;
*日本の就航路線:東京=上海 AND/OR 北京=(南回りヨーロッパ線の寄港地)
*中国の就航路線:北京=東京=太平洋線

この条約発効に伴い日本航空による日本=台湾路線は運休。替わって日本アジア航空(日本航空の100%出資子会社;乗員を含む主だった社員は日本航空から移籍しました)により、1975年8月から日台路線の運営が行われるようになりました。また、中国民航(中国側の指定航空企業)と中華航空が主要空港(成田空港)で“鉢合わせ”をすることが無いように、日本アジア航空と中華航空は、例外的に羽田空港を使用することになりました

その後、日中間の経済関係が強まることに合わせて、寄港地点の増加、指定航空企業にANAを追加(1992年、福岡=大連線就航)が行われました。また、日台路線にはANAの子会社エアニッポンが参入(1994年、福岡=台北線就航)しました。

2007年になって、日本航空による日台路線の直接運航が認められることとなり、2008年4月に日本アジア航空は日本航空に統合され、日本航空が日台路線の運営を継承しました。尚、エアニッポンは2012年4月にANAに吸収合併され、路線運営もANAが継承しています

日中路線については、その後数次にわたる付属書の改正を行った結果、2012年8月8日の国土交通省の報道発表によれば、以下の内容で日中が合意しています;

【合意の概要】
1.日中間の段階的なオープンスカイの実現
① 北京及び上海、成田及び羽田を除く、日中間輸送のオープンスカイ(航空自由化)の実現(合意時に直ちに実施)。
② 上記4空港に係る航空自由化については引き続き検討。
③ 北京、上海、成田関連路線の増便に適切に対応できるよう枠組みを拡大(合意後直ちに実施)する。

2.羽田路線の増便
(1)羽田空港の昼間時間帯
① 2013年3月末から下記を実施
・羽田=上海(浦東空港/上海中心部に近い空港):日中双方2便/日ずつ。但し、将来的に上海(虹橋空港)の国際枠が増加する場合には、上海(浦東空港)から上海(虹橋空港)への振替が可能
・羽田=広州:日中双方2便/日ずつ

② 国際線の発着枠が3万回から6万回に増加する段階から下記を実施
・羽田=北京:日中双方2便/日ずつ

(2)羽田空港の深夜早朝時間帯
2013年3月末から下記を実現
・羽田=中国内地点:日中双方2便/日ずつ

尚、2012年 年7 月30 日時点における日中双方の乗入れ地点、参入している航空企業についてはを日中路線の運航状況ご覧ください。日中両国にとって巨大な市場に育っていることが分かると思います

日本サウジアラビア航空協定

サウジアラビアは、日本にとって最大の原油供給国であり、また政治・宗教面で中東地域の盟主的存在でもあるものの、航空需要の観点からはそれ程重要な路線では無い為、極めて標準的な航空協定となっています
協定の交渉は、2006年11月に第1回交渉を行い、2007年2月に第2回交渉で概要が固まり、その後文言調整等を経て2008年年8月には協定が署名されました。協定の重要なポイントは以下の通りです;

航空協定の主な内容;
第3条:航空企業の指定(企業の名称は協定、付属書には明記されていません)
第4条:第1~第4の自由
第12条:運賃の認可制;運賃調整に関わる国際的な仕組の利用(IATA運賃:詳しくはエアラインの営業とはを参照)
第14条:送金の自由(交換可能な通貨で)
第16条:ICAO標準の遵守義務

付属書の内容;
日本の路線
日本国内の地点=中間地点=ジェッダ(イスラム教の聖地)、リヤド(首都)、ダンマン
サウジアラビアの路線
サウジアラビア王国内の地点=中間地点=大阪、名古屋
両国の指定航空企業は路線運営に当り、起点は自国内、他の地点は省略することが可能

おわりに

これまで述べてきたように航空協定とは、安全運航互恵平等の原則を基に国際間の商用航空輸送を円滑に行うために考え出された仕組みです。經濟先進国と発展途上国との間では、自ずと自由競争を制限する幾つかの制約(乗入れ地点、運航便数、運賃、第1~第5の自由、他)を設ける必要があります。国際商用航空輸送のルールの起点となったシカゴ条約の締結から70年以上が経過し、多くの先進国間では程度の差はありますが既にオープンスカイ協定が結ばれ(オープンスカイ協定の進捗について_国土交通省)、制約の多くが撤廃されました。しかし、二国間の航空需要が未成熟である国と日本との間では、未だに航空協定が結ばれていない国も少なからず存在します
* 参考:2018年11月19日・20日、 外務省において,日本・クロアチア航空協定に関する第1回政府間交渉が開催されました

一方、オープンスカイ協定を結んだ国同士でも、第5の自由(以遠権)については、自国の航空企業を守るためにある程度制限があることが普通です。また、カボタージュを認めている国はEU域内の国同士を除き殆どありません。因みに、EU域内の国々の国内線はカボタージュを認めたために弱肉強食の世界となり、Ryan Airや easyJetという大規模なLCCに国内線の輸送がとって代わられました。ただ、外国からの旅客の国内区間の輸送に関してはコードシェアを活用することにより国内航空企業を生かした運送が可能となっています

日本の航空企業にとっては、多くの旅客・貨物需要のある国々とはオープンスカイ協定によって国際線の運営が経営上極めて厳しい状況になってきつつあります。これまで空港発着枠の制約から外国社の乗り入れを謂わば合法的?に制限することができましたが、関西空港、中部空港の24時間運用、成田空港の運用時間帯の拡大(早朝、深夜)、羽田空港の新たな着陸ルートの運用開始、などにより受け入れ便数枠が年々拡大してきています(参考:国際線直行便運航状況_2018年冬ダイア)。日本の航空企業の国際線運営にとって、「High Yield(高単価)旅客の積み取りを優先」し、「搭乗率を高めるためのLow  Yield(低単価)旅客の積み取り」という単純なイールド・マネージメント(詳しくはエアラインの営業とは参照)だけでは、供給シェアがじり貧となり外国社を含めた相対的な地位の低下が避けられません。こうした経営環境の中で、日本航空の新たな国際線LCC(ZIPAIR Tokyo/ジップエア・トーキョー;2021年運航開始)設立という戦略が生まれたのではないかと推測しています。日本航空のOBとして密かに?応援したいと思っています

以上

日韓関係について勉強してみました

はじめに

韓国に文在寅大統領が就任してから、日韓関係は以下の事例をきっかけとして急速に悪化してきました;
* 長い間紛争の種になっていた従軍慰安婦問題を、最終的に解決することになっていた朴槿恵大統領との間の「日韓合意」が、実質的に破棄(「和解・癒やし財団」の解散)されてしまいました

* 戦時中の「徴用工」に係る問題については、1965年に調印された「日韓基本条約」と5億ドル(当時1ドル=約360円)に上る「経済協力金」で解決済みとなっていた個別の徴用工に対する賠償金に関し、韓国最高裁で当時の日本企業に対する支払いを命ずる判決がでました

* 日本の能登半島沖(日本のEEZ内)で韓国漁船の救助活動をしていたとされる韓国海軍艦艇から海上自衛隊の哨戒機が火器管制レーダーの照射を受けました。また昨年から、突如として国際法に基づいて海上自衛隊の艦船に掲げられる晴天旭日旗を下ろすよう求められるという問題も起き、日韓の対北朝鮮防衛に係る同盟関係に亀裂が発生しています

こうした背景からと思われますが、最近日本国内においては嫌韓感情の高まり、韓国においても反日感情が高まっていることはほぼ間違いの無いことだと思われます。
一般の日本人には、長い時間をかけてようやく合意が成った条約や国際協定が、国内政治の風向きが変わったことによって簡単に踏みにじられることや、一般の日本人の歴史認識をなじられ続けることに我慢がならないことと思う人は少なくないと思われます

一方、日本には、現在50万人近くの在日朝鮮人(韓国籍+北朝鮮籍)が住んでおり、更に日本に帰化した朝鮮人、婚姻によって日本人姓を名乗っている人も相当数在住していることは間違いありません。また、特に芸能やスポーツの分野では、朝鮮をルーツにしている人が非常に多く活躍していると言われています。これらの人々が現在肩身の狭い生活をしていることは想像に難くありません
また、現在各種のSNSを通じて憶測記事や、徒に嫌韓感情をあおる記事がインターネット上に溢れています。こうした状況は、日中戦争や太平洋戦争が始まる前に日本のマスメディアが“中国人を蔑む記事”や、“鬼畜米英云々の記事”で大衆を煽った状況を思い出させます
私自身、小学校低学年の頃、朝鮮籍だったと思われる同級生を、みんなで「朝鮮人は可哀そう」とはやし立てていたところ、この朝鮮籍の同級生の兄か親戚と思われる上級生にこっぴどく殴られたという恥ずかしい体験があります

いま一番必要なことは、こうした状況になった背景を含め、できるだけ正確な情報を得る努力を行い、不正確な情報に付和雷同しないようにすることではないでしょうか。以下に、私自身の頭の整理の為に勉強したことを率直に書いてみたいと思います

日韓愛憎?の歴史・クイックレビュー

① 白村江の戦い(663年)
660年、唐・新羅の連合軍との戦いによって百済は滅亡しましたが、百済の遺臣鬼室副信(きひつふくしん)は百済再興を目ざして挙兵するとともに使者を日本に派遣して救援を求めました
大和朝廷は直ちにそれに応じ、661年斉明天皇みずから西征し筑紫に到着しました。しかし、同年7月天皇が崩御したため渡海は延期されました。その後、斉明天皇の後を引き継いだ中大兄皇子(大化の改新の主役、後の天智天皇)は、翌年正月、阿曇比邏夫連(あずみひらぶむらに)らを船師(船頭)170艘を使って渡海させ、鬼室副信らを救援しました。
さらに663年には、2万7千人の増援軍を派遣しました。これに対して新羅は唐に増援軍を求めた結果、唐から7千人が派遣されました

白村江の戦い
白村江の戦い

大和の軍船が、百済の遺臣らの籠る周留城をめざして、錦江下流の白村江の河口に乗りこんだとき、そこには唐と新羅の連合水軍170艘が待ち構えていました。8月27日、両軍の戦端がひらかれ翌28日には勝敗が決しました。大和の水軍は、待ちうけた唐と新羅の連合軍に挟み打ちになり、朝鮮の三国史記の記述によれば、「船は火災につつまれて次々と沈没、海に呑まれる兵士は数知れず、炎は天を焦がし、海の水は朱に染まった」という惨状でした

敗戦の悲報は翌月には早くも那の津(博多港)の本営にもたらされました。半信半疑で、誤報であれかしと一縷の望みをつなぐ人々の前に、やがて散り散りになった敗残兵と亡命の百済人たちが、那の津の海に引き上げてきました

② 蒙古来襲(文永の役:1274年、弘安の役:1281年)
元の日本遠征軍は、蒙古人・高麗人・漢人・女真人(満州人)により組織されていた連合軍でした

元寇
元寇

日蓮上人の遺文を集めた「遺文録」には、「去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者カタメテ有シ、総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし)、、、」とあり、無差別に島民を惨殺していたことが分かります。壱岐・対馬を襲った遠征軍は、そのルートから考えて高麗人が多かったことは疑いの無いことです

③ 倭寇の跋扈(13~16世紀)
倭寇は、朝鮮、中国の海岸で活動した海賊で、主として九州沿岸の日本人であったといわれています。倭寇の活動期は、13~14世紀の前期と、15世紀後半から16世紀の後期に分けられます。倭寇は海賊行為だけではなく、明の海禁政策(海上貿易の禁止)の中で貿易の利益をあげようという、中国商人と日本商人の私貿易、密貿易の側面もありました。前期と後期の間の期間は足利幕府と明との間で勘合貿易(両政府の交易許可証を使った正式な貿易)が行われた為、倭寇の活動は抑止されていました

倭寇侵略図
倭寇侵略図

④ 応永の外寇(1419年)
室町時代の応永26年に起きた李氏朝鮮の世宗による対馬侵略を指しています。227隻の船に1万7千人余の兵士を乗せ対馬に上陸したものの、宗定茂以下600人程度の武士の奮戦により百数十人が戦死(崖に追い詰められて墜死を含む)しました。更に逃走しようとした船に火をかけられて李氏朝鮮軍は大敗を喫しました

⑤ 秀吉による朝鮮征伐(文禄の役:1592年~3年、慶長の役1597年~8年)
秀吉が国内を統一した後、更に明に領土を広げようとして行われた戦争で、日本軍約15万人、明・朝鮮連合軍の約25万人が戦った大規模な戦争です。遠征軍は朝鮮全土に及び、戦国時代で培われた秀吉軍の高度な戦争技術を勘案すると、明・朝鮮連合軍には多くの死傷者が出たものと思われますが、正確な数は分かりません

文禄・慶長の役
文禄・慶長の役

京都の豊国神社(豊臣秀吉を祀る神社)の耳塚(殺した明軍、朝鮮軍からそぎ落とし持ち帰った耳、鼻を供養してある)には2万人分が収められているそうです。この耳塚には、今でも多くの韓国人が訪れています

豊国神社にある耳塚
豊国神社にある耳塚

この戦争は、秀吉の死で終わりましたが、戦争に参加した武将たちは、戦利品の代わりに高度な技術を持った陶工を連れ帰りました。これらの陶工が伊万里焼(佐賀県/鍋島藩)、薩摩焼(鹿児島県/薩摩藩)として世界に誇る日本の陶芸技術を今に伝えています。司馬遼太郎の作品に日本に連れてこられた陶工の哀しみが書かれています

文学碑と司馬遼太郎の作品
文学碑と司馬遼太郎の作品

⑥ 朝鮮通信使(1375年~1811年)
朝鮮通信使は、室町時代に始まり、足利将軍からの国書を持った使者の派遣に対する高麗王朝の返礼の意味を持った使者の派遣でした。安土桃山時代にも李氏朝鮮から秀吉に向けて2回使者が派遣されたものの、文禄・慶長の役で国交断絶の状態となった為行われなくなりました。徳川時代に入って李朝朝鮮との間で再開され、1607年の第1回から1811年まで全12回行われました。第1回~第3回目までは、文禄・慶長の役後の日朝国交回復の目的を帯びており、朝鮮人の捕虜の返還などがお行なわれました。その後も、通信使は将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として派遣されるようになりました

朝鮮通信使
朝鮮通信使

規模は随員などを含めて400~500人で、これに対馬藩からの案内や警護の為の1500人ほどが加わる大規模なものでした。尚、幕府からの返礼使は対馬藩が代行しています
2017年11月には、日韓の団体が共同で申請していた「朝鮮通信使に関する記録」がユネスコの「世界の記憶」に選ばれています

⑦ 日朝修好条規(1876年)、日清戦争(1894年~5年)
ロシアからの脅威の防壁として朝鮮を重視していた明治日本は、鎖国している李朝朝鮮を開国させようと交渉したものの拒絶された為、1875年軍艦をソウルに近い江華島に派遣し挑発を行ったところ、狙い通り朝鮮軍が砲撃してきました。明治政府は開戦をちらつかせつつ責任を追及した結果、李朝朝鮮との間で不平等条約である日朝修好条規を締結し、開国させることに成功しました

ビゴーの風刺画
ビゴーの風刺画

その後、朝鮮の宗主国を自認する清国との対立が激化し、1894年日清戦争が勃発し日本が勝利します。1895年の 日清講和条約(下関条約)で朝鮮は宗主国であった清国から離れ、独立国となりました。しかし、ロシアを中心とした三国干渉で日本が遼東半島を清に返還すると、朝鮮の政府内部にロシアと結んで日本の影響力を排除しようとする親露派が形成され、その中心が閔妃(ミンビ/李朝朝鮮の女帝)でした。その動きを危ぶんだ日本の公使三浦梧楼は、1895年10月、公使館員等を王宮に侵入させ、閔妃らを殺害してしまいました(乙未事変

その後、日韓協約_第1次~第3次を通じて日本は財政、外交、内政の実権を握るとともに軍隊の解散を行って保護国化を完成させました。これに対して朝鮮内では軍隊の反乱が起こるなど反日運動が盛り上がりましたが、初代総監(第2次日韓協約に基づく軍事を含む統治組織である総監府の長)となっていた伊藤博文がこの反日運動を抑え込みました
1909年、この反日運動に参加していた安重根はハルピンの駅頭で伊藤博文を暗殺しました。安重根は韓国では英雄として尊敬されています

安重根が収容された監獄@旅順
安重根が収容された監獄@旅順

⑧ 韓国併合(1910年)
併合を実行する前に、列強からの干渉を受けないようにするため、イギリスとは1905年の第2次日英同盟でイギリスのインド支配を認める代わりに日本の韓国支配の承認を受けていました。アメリカとは1905年、桂=タフト協定でアメリカのフィリピン支配と日本の朝鮮支配を相互に承認しました。ロシアとは、1907年の日露協約で満州の分割及びロシアの外モンゴル支配と日本の朝鮮に対する権益の相互承認を行っていました。

1910年8月、韓国の李完用首相に「韓国併合に関する条約」の調印をせまり、ただひとりの閣僚が反対したのみで、閣議は条約調印を承認しました。この条約は、1910年8月29日に公布されています。

⑨ 第一次世界大戦と韓国の独立運動
韓国併合以降、日本による統治に反発した農民達は満州やロシアの沿海州に大挙移住し、同地域で新韓村などの朝鮮人村落が形成されていきました。朝鮮半島内での抗日運動は、朝鮮総督府による厳しい取り締まりにより運動が困難になると、独立運動家達は満州やロシアを独立運動の基地とするようになりました。

その後、第一次世界大戦(1914年~18年)のベルサイユ講和会議の前に、米国のウィルソン大統領は、民族自決主義を盛り込んだ国際政治に係る新しい方針を議会に提出しましたが、これを受けて、植民地となっている国々で民族運動が一気に高まりました

ソウル市・タプコル公園_三一独立運動の記念レリーフ
タプコル公園_三一独立運動の記念レリーフ

1919年3月1日、学生と青年達は京城府のタプコル公園朝鮮独立宣言(ぜひ一度は目を通すことをお勧めします)の朗読を行い、その後数万人の群衆と共に「大韓独立万歳」を叫びながらデモ行進を行いました。これを発端として、三一運動が始まりました。三一運動は、総督府の警察と軍隊の投入による治安維持活動が強化される中でも、朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が行われ続けました。3月~5月にかけてデモに参加した人数は205万人、デモの発生回数は1542回にのぼったとされています。しかし、その後総督府が憲兵や巡査、軍隊を増強して武力による弾圧を行った結果、運動は次第に終息していくこととなりました

⑩ 関東大震災時の朝鮮人虐殺事件(1923年)
1923年9月1日の関東大震災によって壊滅的な被害を受け、民心と社会秩序が著しい混乱に陥った状況下で内務省は戒厳令を発し、各地の警察署に治安維持に最善を尽くすことを指示しました。しかし、その時に内務省が各地の警察署に下達した指示の中に「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が入っていました。この内容は行政機関や新聞、民衆を通して広まり、朝鮮人や、朝鮮人と間違われた中国人、日本人の聾唖者が殺傷される被害が発生しました。正確な数字は残っていませんが、一説には数千人にのぼるとも言われています

関東大震災・朝鮮人虐殺_読売新聞記事
関東大震災・朝鮮人虐殺_読売新聞記事

⑪ 創氏改名
1939年、朝鮮総督府は、本籍地を朝鮮とする朝鮮人に対し、新たに「氏」を創設させ、また「名」を改めることを許可する政策を施行しました

儒教文化の下にある韓国では、女性は結婚後も他所者として夫や子供の「姓」には加われませんでしたが、個人が申請した新たな「氏」において夫婦一致させることが義務付けられました。約8割の人が日本風の「姓」で「氏」を創設しましたが、金や朴など従来の「姓」を夫婦の「氏」とすることも出来ました。希望する「氏」を許可期間中に届け出なかった場合は、自動的に従来の「姓」が一家の「氏」となりました
尚、台湾においても創氏改名にあたる「改姓名」が実施されましたが、約2%しか改名が行われませんでした

⑫ 日中戦争~第二次大戦(1936年~1945年)
(a) 徴兵制:日中戦争が進行中の1938年から志願兵制度を導入、対米戦争が敗色濃厚となった1944年からは徴兵制が実施されました。徴兵制で動員された朝鮮人は21万人5千人に達し、戦死・行方不明者は2万2千人人以上にのぼるとされています。この中には特攻隊に志願して戦死した方もいます(ネット情報によれば朝鮮人の特攻による死者は17人とされています)。鹿屋や知覧の特攻隊記念館には特攻で戦死した方の写真、遺書などが展示されていますが、私が見学に行ったときには、遺族の方の希望だと思いますが、朝鮮人の特攻隊員の写真は、剥がされていました

特攻隊員の写真@鹿屋基地
特攻隊員の写真@鹿屋基地

(b) 徴用工:徴用工とは、戦時下で労働力の確保が難しくなった段階で、軍需産業を中心に半ば強制的に(強制性については異論もあります)徴用された労働者をいいます。強制労働とは違って賃金は支払われていましたが、派遣された場所によっては過酷な労働を強いられていたこともあったようです。勿論、徴用工は朝鮮人だけでなく日本人もいました(勤労動員、学徒動員、など)

松代大本営_象山地下壕
松代大本営_象山地下壕

戦争末期、松代の象山の地下に巨大な大本営を建設する際にも2600人の朝鮮人徴用工が土木工事に従事しました。突貫工事の為多くの死傷者が出ましたが、記録が廃棄されていたため実数は分かっていません。一説には100人~300人が亡くなったと言われています

松代象山大本営_追悼平和祈念碑
松代象山大本営_追悼平和祈念碑

尚、この問題は、文在寅政権になってから日韓間の軋轢の種になっていますが、韓国政府は日韓基本条約に基づき、過去に2度、元徴用工に個人補償を実施しています。朴正熙政権は2年間で8万4千人余りに現金を支給。盧武鉉政権も2008年以降に追加の支払いを実施しています(2019年7月24日追記:文政権・資産売却を静観_元徴用工問題も対決姿勢

Follow_Up:月刊文芸春秋11月号に徹底討論・徴用工_橋下徹・舛添要一という対談が掲載されていました。徴用工問題に対するより精密な理解をする為に大変有益に議論が展開されています

(c) 従軍慰安婦:従軍慰安婦とは、戦地の軍人を相手に売春する女性であり、現代では、それを批判する人々の視点から「かつて戦地で将兵の性の相手をさせられた女性」との意味で用いられる用語です。戦時中、兵士の性的な欲求を長期間抑止すると、戦地における強姦や殺人などの戦争犯罪が発生する恐れがあること(注1)、また性病の罹患による戦力低下の恐れがあること、などのため軍が非公式にある程度管理に関与する性処理を目的として施設が設けられていましたが、こうしたことは各国の軍隊でも珍しくないことでした。勿論そこで働いている慰安婦には日本人も多くおり対価も支払われていました。朝鮮戦争においても、連合軍や韓国軍の兵士の為にそうした施設が設けられており、米軍・国連慰安婦と呼ばれていました。

平時における倫理的な常識からすれば、決して容認できないことは言うまでもありませんが、これが日韓で政治問題化した背景には、朝鮮人の年若い女性が強制、乃至拉致されて慰安婦にされたということでした。しかし、この強制性の有無については日韓で意見が異なっています(注2)

(注1)「ライダイハン」問題:ベトナム戦争に派遣された韓国軍兵士による現地女性への性的暴行などで生まれた混血児(ベトナム語で“ライダイハン”と呼びます)が沢山いることはよく知られていました。この問題を追及しているイギリスの民間団体「ライダイハンのための正義」は、この混血児の数は1万人以上に達するとしています。1975年にベトナム戦争終結後、共産党政権下で“ライダイハン”は「敵国の子」として迫害され、差別されてきました。同団体は韓国政府に公式な謝罪を求めていますが、現在までのところ韓国政府はこれに応じていません

(注2)「強制性」については日本のメディアが主として新聞記事を通じて報道したことがきっかけになっています。これらの記事の信憑性については、2014年に朝日新聞が第三者委員会を設置し、調査結果を報告しています(詳しく知りたい方は、慰安婦報道に関する第三者委員会報告書をご覧ください)

(d) 被ばく:広島、長崎に原爆が投下されたときに在住して被ばくした朝鮮人は約7万人、内爆死された方が約4万人とされています(被爆者援護法裁判のパンフレットより)

 終戦後満州、朝鮮に残された日本人に対する迫害
1945年8月の終戦時、敗戦国民となって満州、朝鮮に取り残された日本人は161万人も居ました。在留日本人の引き上げについては、多くの体験談や小説で書かれているように大変な困難を伴いました。中でも戦勝国となった国(ソ連、中国だけでなく朝鮮も含む)の人々から受けた暴行、凌辱は敗戦国民であるが故に告発されることもなく、帰国してからも内地の人に語ることもできない深い心の傷として残されています。引き揚げてきた女性の内、強姦によって妊娠してしまった女性は、故郷に帰る前に舞鶴など引揚船の到着港で密かに堕胎の手術を行っていたことが、最近になってテレビのドキュメンタリー番組で放送されています。
参考:母方親族の戦争体験「麻山事件」を読んで

⑭ 朝鮮戦争(1950年~53年)
(a) 朝鮮人にとって同胞同士が殺しあう悲惨な歴史
韓国軍、北朝鮮軍、民間人併せて約350万人が死亡したと言われており、1953年の休戦によって戦火は収まりましたが、北緯38度線の休戦ラインによって南北に引き裂かれた家族、親戚が大勢おり、韓国、北朝鮮国民の悲惨さは筆舌に尽くせないものがあります
朝鮮戦争の全体像を知るには以下の本が有用です;

朝鮮戦争関連資料
朝鮮戦争関連資料

朝鮮戦争の謎と真実」はソ連邦崩壊後、機密文書が公開され、その中に開戦に係る金日成とスターリン間の往復書簡、と金日成と毛沢東間の往復書簡が多く含まれており、戦争がどのように準備され、開始されたかかが良く分かります。毛沢東が戦争開始に消極的だった理由が日本の参戦の可能性にあったという中々興味深い話も入っています
また「朝鮮戦争」は、マッカーサーの後任で連合国最高司令官になったマシュウ・B・リッジウェイの回顧録で、如何に朝鮮戦争という激しい戦いが行われたかを、最高司令官の冷静な視点で語られています

(b) 朝鮮特需
朝鮮民族にとって悲惨な戦争が行われている一方で、米軍を主体とした連合軍からの軍事特需は36億ドルに達したと言われており、未だ敗戦後の荒廃(生産の極度の低下と悪性インフレ)の中にあった日本にとっては復興のカンフル剤となりました。因みに国民総生産、個人消費は、戦争が始まった1951年度には既に太平洋戦争前の水準を超え、その後の日本の急速な経済成長がここから始まったと言えます。見方を変えれば、朝鮮民族の犠牲を基に戦後の日本の経済復興が行われたと言えなくもありません

尚、余り知られていないことですが、朝鮮戦争当時、連合国軍の要請(事実上の命令)を受けて、元海軍軍人や民間船員など8千人以上が国連軍の掃海作戦(海中に敷設された機雷の除去)に参加させられ、開戦からの半年の間に56名が戦死?しています。

⑮ 李承晩ライン、竹島の実効支配
サンフランシスコ平和条約(1951年9月署名、1952年4月発効)により日本は主権を回復しました。初代大統領・李承晩は、この条約により、戦後アメリカが日本漁業の操業区域として設定した「マッカーサー・ライン」が無効化されることを見越して1952年1月の大統領令「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言を発し海洋境界線を独断で設定しました。この境界線のことを李承晩ラインといいます

李承晩ライン
李承晩ライン

アメリカは1952年2月、韓国政府に対して李承晩ラインを認めないと通告したものの、韓国政府はこれを無視しました。
尚、この李承晩ラインの韓国側にサンフランシスコ平和条約でも日本領とされている「竹島が入っており、その後の韓国による実効支配のもとになっています。
当時、未だ海上自衛隊はもとより海上保安庁も発足していなかった日本は、この海域内で漁業を行った漁民が臨検拿捕・接収銃撃を受けても為す術はありませんでした。日韓基本条約、日韓漁業協定の締結(1965年)により、李承晩ラインが廃止されるまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人にのぼりました。抑留者は6畳ほどの板の間に30人も押し込まれ、僅かな食料と30人が桶1杯の水で1日を過ごさなければならないなどの悪な抑留生活を強いられたと言われています

⑯ 日韓基本条約、経済協力協定
サンフランシスコ平和条約に参加していない韓国との国交回復は、1951年の第1回交渉から14年間に及ぶ長い交渉となりました。
日本は、⑦で述べた韓国併合の際の韓国議会の承認を経た「韓国併合に関する条約」が国際法上有効な条約であり、植民地支配ではなく合法的な併合であることから賠償は不要であるとの立場をとり交渉は難航しました。最終的には韓国の朴正煕大統領が、賠償なのか支援なのかは問わず、日本からの無償三億ドル・有償二億ドルの提供を受けると言うことで曖昧な妥協を行い、1965年6月に交渉は決着しました。

(a) 日韓基本関係条約のポイント
第二条 1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される
第三条 大韓民国政府は、国際連合総会決議第195号に明らかにされているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される
第四条 両締約国は、その貿易、海運その他の通商の関係を安定した、かつ、友好的な基礎の上に置くために、条約または協定を締結するための交渉を実行可能な限りすみやかに開始するものとする

(b) 経済協力協定のポイント
第二条の1:両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたもの(日本の在外資産の請求権放棄)を含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する

⑰ 金大中拉致事件(1973年)
1973年8月8日、韓国の民主活動家、政治家で、のちに15代大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されたあとソウルで軟禁状態に置かれ、5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件です。

ここで日本の警察は、拉致された部屋から在日韓国大使館の金東雲一等書記官の指紋が検出され、事件に関与していたとして韓国側に任意出頭を求めましたが拒否されました。その後、韓国政府は「金書記官が帰国したことを認めましたが、事件には無関係」との態度を貫き通しました
このまま膠着状態が続けば、両国関係は深刻な外交的亀裂を生じる可能性もあり、事件発生直後は、極力政治レベルの問題にしないように対処しつつ、その後暫くして日本政府は「お互い独立国家として、長期の友好関係を考慮する必要がある」として、事態打開のために、高度の政治判断により曖昧なままに決着させることにしました

⑱ 慰安婦問題に関する日韓合意(2015年)
2015年12月28日にソウルの外交部で行われた岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世外交部長官による外相会談後の共同記者発表日韓両国はこの合意の際に公式な文書を交わさないこととしましたで以下について合意したことを発表しました;
①両外相は「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する
② 韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出し、両国が協力していくことを確認
③日韓両政府が今後国際連合など国際社会の場で慰安婦問題を巡って双方が非難し合うのを控える
④ソウルの在韓日本国大使館前に設置されている慰安婦像について「日本政府が大使館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても可能な対応方向について関連団体との協議を行うことなどを通じて適切に解決されるよう努力する」と表明。

共同記者発表に於ける岸田外相の発言「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」。安倍晋三首相も日本国の首相として「改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する
共同記者発表に於ける尹長官は「両国が受け入れうる合意に達することができた。これまで至難だった交渉にピリオドを打ち、この場で交渉の妥結宣言ができることを大変うれしく思う」と発言、これを受け岸田外相もソウル日本大使館前の慰安婦像の扱いについて「適切に移転がなされるものだと認識している」として慰安婦問題に終止符を打った」と語った

第二次大戦後の韓国の政治状況

韓国の政治の特異な点は、初代の李承晩大統領から第18代の朴槿恵大統領に至るまで、殆どの大統領は、任期中、あるいは退任後に政敵により失脚、乃至重罪を課せられています。詳しくは、以下をご覧ください;

㋑ 李承晩(第1代~第3代) 1948年~1960年
第二次大戦後、独立運動に参加。アメリカの支援を受けて大韓民国を設立しました。不正選挙を行い、革命で失脚後にハワイ亡命。その後、母国に戻れずハワイで客死

㋺ 尹潽善(第4代) 1960年~1962年
ソウル市長を歴任後、李承晩政権後に大統領に就任するものの、クーデターにより大統領辞任。その後は野党の総裁として活動するも、軍法会議にかけられ、「憲法の秩序を乱した活動」として懲役3年の実刑判決を受けました

㋩ 朴正煕(第5代~第9代)1963年~1979年
日本統治下の朝鮮に生まれ、創氏改名で高木正雄と名乗りました。後に軍人になり、満州国陸軍士官学校に志願入隊しました。卒業後は成績優秀者が選抜される日本の陸軍士官学校への留学生となり、第57期生として日本式の士官教育を受けました。帰国後は満州軍第8団(連隊)副官として八路軍や対日参戦したソ連軍との戦闘に加わり、内モンゴル自治区で終戦を迎えました。

第二次世界大戦後、中国の北京に設置されていた大韓民国臨時政府(朝鮮系住民による独立組織)に加わり、朝鮮半島の南北分離時には南部の大韓民国を支持して国防警備隊の大尉となりました。国防警備隊が韓国国軍に再編された後も従軍を続け、朝鮮戦争終結時には陸軍大佐にまで昇進、1959年には陸軍少将・第2軍副司令官の重職に就きました

内戦を終えた韓国内では議会の混乱によって復興や工業化などが進まず、また軍内の腐敗も深刻化していた為、軍の将官・将校・士官らの改革派を率いてクーデターを決行し軍事政権(国家再建最高会議)を成立させました(5.16軍事クーデター

その後、形式的な民政移行が行われた後も実権を握り続け、自身の政党である民主共和党の大統領に就任しました。就任後は、日本の佐藤栄作内閣総理大臣との間で日韓基本条約を締結して日韓両国の国交を正常化するとともに、アメリカのジョンソン大統領の要請を受けて1964年にベトナム戦争に韓国軍を派兵しました。日米両国の経済支援を得て「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成しました。1979年韓国中央情報部の部長の金載圭によって暗殺されました。朴槿恵韓国大統領の実父。長男(朴槿恵の弟)は麻薬により数回逮捕歴があります。

㋥ 崔圭夏(第10代)1979年~1980年
朴正煕大統領の暗殺により、首相であった崔圭夏が大統領代行に就任しまし、その後そのまま大統領に就任しました。
しかし、朴正煕大統領の暗殺後、「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが続いていましたが、軍部では維新体制の転換を目指す上層部と、朴正煕に引き立てられた中堅幹部勢力(一心会)との対立が表面化していました。1979年12月12日、保安司令官全斗煥陸軍少将が、戒厳司令官の鄭昇和陸軍参謀総長を逮捕し、軍の実権を掌握しました(粛軍クーデター)。全斗煥が率いる新軍部は1980年5月17日、全国に戒厳令を布告し、野党指導者の金泳三、金大中や、旧軍部を代弁する金鍾泌を逮捕・軟禁しました(5.17非常戒厳令拡大措置
光州事件:このクーデターに抗議して学生デモが起きましたが、戒厳軍の暴行が激しかったため、これに怒った市民が参加しデモ参加者は約20万人にまで増え、木浦をはじめ全羅南道一帯に拡がりました。市民軍は武器庫を襲うと、銃撃戦の末に全羅南道道庁を占領する事態にまでに過激化しましたが、5月27日に政府によって鎮圧されました。この時の犠牲者は193人に上ると言われています

光州事件
光州事件

結局、こうした政治情勢のなかで崔圭夏は主導権を握れないまま辞任しました

㋭全斗煥(第11代、第12代)1980年~1988年
日本の陸軍士官学校に入学した軍人出身。在任中は暗殺未遂事件(ラングーン爆弾テロ事件)に遭い、北朝鮮による大韓航空機爆破事件も発生するなど、北朝鮮との関係が緊張した時代でした。言論統制や戒厳令を発令するなど強権的な面があり、ライバル関係にあった後の金大中大統領に死刑判決を出すなどしました。しかし退任後は民主化デモの鎮圧・市民の虐殺(光州事件)、不正蓄財の罪で死刑判決を受けたものの、かつてのライバルであった金大中大統領に恩赦されました。

尚、特筆すべきことは、全斗煥は、韓国の歴代大統領としては初めて、朝鮮半島が日本の領土となったことは、自分の国(当時の大韓帝国)にも責任があったと認め、当時日本でも大きく報道されました。また、1981年8月15日の光復節記念式典の演説では、「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と主張しています

㋬ 盧泰愚(第13代)1988年~1993年
軍人出身で、陸軍士官学校で全斗煥と同期。大統領在任中は前大統領の全斗煥の不正を追求するも、退任後は過去のクーデターに関連したとされ、更に不正蓄財などにより懲役17年の実刑判決を受けました

㋣ 金泳三(第14代) 1993年~1998年
30年以上続いていた軍事政権を終わらせ、献金を一切受け取らないなど不正の撤廃を徹底日本に対しては強気の姿勢で発言して国民に人気がありました。大統領の任期終盤にはアジア通貨危機が発生し、IMF支援を要請するなど経済が混乱しました。また次男があっせん収賄と脱税で逮捕されたこともあり国民からの人気が低迷しました

㋠ 金大中(第15代) 1998年~2003年
野党の有力政治家として朴正煕大統領から狙われ、民主化運動に取り組んでいる東京滞在中、ホテルから拉致される(金大中事件)など、活動が制約されました。その後も民主化の流れのなかで死刑判決を受けてアメリカに出国するなどしたものの、全斗煥大統領から政治活動再開を許されて帰国。

大統領就任後は経済立て直しに力を入れ、サムスンやヒュンダイなどを世界的企業にするなどの成果を上げました。北朝鮮との対話政策を進めて、ノーベル平和賞を受賞しました。尚、息子3人は共に賄賂で逮捕されています。

㋷ 盧武鉉(第16代) 2003年~2008年
韓国では初の第二次大戦以降に生まれた大統領で、日本の統治時代も未経験の世代。貧農の生まれながらも弁護士として成功し、政界に進出。全斗煥への不正追求で、一気に有力政治家になりました。大統領就任後は支持率が伸び悩み、対日政策においても強硬路線を通しました。退任後は親族や側近が不正疑惑で相次いで逮捕され、自身も捜査対象になった最中、自宅の裏山のミミズク岩と呼ばれる崖から投身自殺しています。

㋦ 李明博(第17代)2008年~2013年
大阪市の平野区で韓国人の両親のもとに生まれ日本名を月山明博といい、帰国後は苦学の後に大学を卒業しました。学生による民主化運動に関わって就職に困ったなかで、社員数十人だった「現代建設」に入社。27年後の退職時には社員数16万人の大企業に育て上げた実績があり、立身出世」の人物として高い人気がありました。ソウル市長を歴任後、大統領に就任し、日本に対して強硬路線(竹島上陸・天皇への謝罪要求)を通しました

李明博・竹島上陸
李明博・竹島上陸

退任後は収賄により国会議員の実兄があっせん収賄で逮捕され、自身も土地の不正購入などの疑惑があり、李明博の長男も捜査対象になりました。また、国家情報院からの裏金上納、世論操作などの疑惑も上がっています。2018年3月ソウル中央地裁は李明博元大統領に対する逮捕状を発行しました

㋸ 朴槿恵(第18代) 2013年~2017年
朴正煕元大統領の長女で1952年生まれ。韓国初の女性大統領。両親ともに暗殺されています。2015年年12月28日の日韓外相会談で日韓間の慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認しました。その後、民間人への機密漏洩問題などで弾劾訴追され、2017年3月大統領を罷免されました。その後、2018年8月24月、ソウル高裁で懲役24年の実刑判決を受けています

「お詫び」の歴史

1965年の日韓基本条約・經濟協力協定締結後も、歴代首相、天皇・皇太子は以下の様に韓国への「お詫び」を繰り返しています(中国、その他の東南アジア諸国への“お詫び”を除く);
① 1984年9月、全斗煥大統領が国賓として初訪日した際の歓迎の宮中晩餐会に於ける 昭和天皇の発言 「、、今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います
② 1984年9月、全斗煥大統領歓迎の首相主催の晩餐会における曽根康弘首相の発言「、、貴国および貴国民に多大な困難をもたらした、、、深い遺憾の念を覚える、、、」

③ 1990年5月、盧泰愚大統領が国賓として初訪日した際の歓迎の宮中晩餐会で、平成天皇は、①の昭和天皇の言葉を引用しつつ「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と発言しています
④ 1990年5月、盧泰愚大統領歓迎の首相主催の晩餐会で、海部俊樹首相の発言私は、大統領閣下をお迎えしたこの機会に、過去の一時期,朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し、率直にお詫びの気持を申し述べたいと存じます

⑤ 1992年1月、盧泰愚大統領の2度目の訪日時の晩餐会に於いて、 宮澤喜一首相の発言は「私たち日本国民は,まずなによりも,過去の一時期,貴国国民が我が国の行為によって耐え難い苦しみと悲しみを体験された事実を想起し、反省する気持ちを忘ないようにしなければなりません。私は、総理として改めて貴国国民に対して反省とお詫びの気持ちを申し述べたいと思います」と発言しています
また翌日、「我が国と貴国との関係で忘れてはならないのは、数千年にわたる交流のなかで、歴史上の一時期に,我が国が加害者であり、貴国がその被害者だったという事実であります。私は、この間、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、ここに改めて、心からの反省の意とお詫びの気持ちを表明いたします。最近、いわゆる従軍慰安婦の問題が取り上げられていますが,私は、このようなことは実に心の痛むことであり,誠に申し訳なく思っております

*1993年8月従軍慰安婦に関する河野談話(当時官房長官):いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる

⑥ 1993年11月、細川護煕総理が訪韓し、金泳三大統領との首脳会談を行った際の発言は「わが国の植民地支配によって朝鮮半島の人々が母国語教育の機会を奪われたり、姓名を日本式に改名させられたり、従軍慰安婦徴用など耐え難い苦しみと悲しみを経験されたことに加害者として心から反省し、深く陳謝したい」 その結果として、この年両国間で「未来志向の日韓フォーラム」が創設された

⑦ 1995年7月、村山富市首相発言は「いわゆる従軍慰安婦の問題もそのひとつです。この問題は、旧日本軍が関与して多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたものであり、とうてい許されるものではありません。私は、従軍慰安婦として心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対して、深くおわびを申し上げたいと思います
* 1995年8月、村山内閣総理大臣談話“戦後50周年の終戦記念日にあたって”:植民地支配とアジア諸国への侵略に対しお詫びする内容

⑧ 1996年6月、橋本龍太郎首相の初の訪韓における日韓共同記者会見における発言は「例えば創氏改名といったこと。我々が全く学校の教育の中では知ることのなかったことでありましたし、そうしたことがいかに多くのお国の方々の心を傷つけたかは想像に余りあるものがあります、、、また、今、従軍慰安婦の問題に触れられましたが、私はこの問題ほど女性の名誉と尊厳を傷つけた 問題はないと思います。そして、心からおわびと反省の言葉を申し上げたいと思います

⑨ 1996年年10月、金大中大統領が国賓として訪日した際、歓迎宮中晩餐会に於ける平成天皇の発言は「このような密接な交流の歴史のある反面、一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております

* 1998年年7月15日のオランダ王国のコック首相に対する橋本龍太郎首相の書簡「我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的な責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております。私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題と認識しており、数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省の気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います」「我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います

⑩ 1998年年10月、 小渕恵三首相金大中大統領との間で交わされた日韓共同宣言 “21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ”両首脳は、日韓両国が21世紀の確固たる善隣友好協力関係を構築していくためには、両国が過去を直視し相互理解と信頼に基づいた関係を発展させていくことが重要であることにつき意見の一致をみた。小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。金大中大統領は、かかる小渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した

⑪ 2001年10月、小泉純一郎首相発言「日本の植民地支配により韓国国民に多大な損害と苦痛を与えたことに心からの反省とおわびの気持ちを持った」。「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております、、、
* 2002年年9月、小泉談話日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する

⑫ 2007年年4月、 日米首脳会談後の記者会見に於ける安倍晋三首相の発言「慰安婦の問題について昨日、議会においてもお話をした。自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである、20世紀は人権侵害の多かった世紀であり、21世紀が人権侵害のない素晴らしい世紀になるよう、日本としても貢献したいと考えている、と述べた。またこのような話を本日、ブッシュ大統領にも話した

⑬ 2012年12月、岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世外交部長官による外相会談後の共同記者発表を受け、同日夜、安倍首相と朴槿恵大統領は約15分間の首脳電話会談を行い、両首脳は慰安婦問題をめぐる対応に関し合意に至ったことを確認し評価しました
安倍首相の発言「日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する、また、慰安婦問題を含めた日韓間の財産・請求権の問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で最終的かつ完全に解決済みとの我が国の立場に変わりはないが、今回の合意により慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的に』解決されることを歓迎する
朴大統領の発言「今次外相会談によって慰安婦問題に関し最終合意がなされたことを評価するとしたうえで新しい韓日関係を築くために互いに努力していきたい

条約・国際協定と憲法との関係

慰安婦問題や徴用工問題に対し、日本政府は一貫して、日韓間で合意した合意事項を一方的に破るのは国際法違反で不当なことと表明していますが、以下の条文をご覧になれば、この主張は妥当ではないかと思われます

日本国憲法
第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行う
2 外交関係を処理すること
3 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会の承認を経ることを必要とする
第98条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない
 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする

大韓民国憲法
第6条 ① この憲法に基づいて締結、公布された条約及び一般的に承認された国際法規は、国内法と同等の効力を有する
② 外国人は、国際法及び条約が定めるところにより、その地位が保障される
第73条 大統領は、条約を締結し、批准し、外交使節を信任し、接受し、又は派遣し、宣戦布告及び講和を行う

国際法では
国際間の条約、協定等に係る国際法については、それまで慣習法として発展してきたものを、内容をより明確化し,現実に合せるべく国連国際法委員会が作成した草案を基に1968年と1969年に開かれた国連条約法会議が審議の結果採択されたものです。日本は1981年7月にこの条約に加盟しました。一方韓国は1977年4月にはこの条約を批准しています(詳しくは条約法に関するウィーン条約をご覧ください)

この条約の第二条(用語)、第1項(b)に“「批准」、「受諾」、「承認」及び「加入」とは、それぞれ、そのように呼ばれる国際法の行為をいい、条約に拘束されることについての国の同意は、これらの行為により国際的に確定的なものとされる”と記述されており、二国間の条約や協定は相手国の同意がない限り簡単に踏みにじることはできないと解することが至当である言えると思います

こうした明文法が無かった時代にあっても、一旦、国同士で締結された条約は、仮にそれが不平等であってもそれを解消したり、改正するには相当難しい交渉が必要になります。因みに、幕末の1858年に結ばれた「安政の五か国条約(対アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシア)」は、領事裁判権(治外法権)を認めていること、関税自主権が無いこと、などの点で不平等な条約ですが、領事裁判権が撤廃されたのは1894年、関税自主権を獲得したのは1911年であり非常に長い時間を要しました

緊張する日韓関係を解くカギは?

韓国人の心の中では
「日韓愛憎?の歴史・クイックレビュー」の中の;③倭寇の跋扈、④秀吉による朝鮮征伐、⑥日朝修好条規・日清戦争、⑦韓国併合、⑧第一次世界大戦と韓国の独立運動、⑨関東大震災時の朝鮮人虐殺事件、⑩創氏改名、⑪日中戦争~第二次大戦、
の項で述べた様に、日本人が朝鮮人を迫害し、誇りを傷つけてきた歴史を、親からの言い伝えや教育の場で教えられてきていれば(誇張されていることもあるかもしれません)、日本人を憎んでいる人たちが多くいても不思議はありません

一方、日本人の心の中では
明治維新以降、列強の仲間入りをする過程で朝鮮を近代化する助けを行った意識がある一方、敗戦後の苦しい時期に、「日韓愛憎?の歴史・クイックレビュー」の中の;⑫終戦後満州、朝鮮に残された日本人に対する迫害、⑭李承晩ライン、竹島の実効支配
などの歴史に絡んだ日本人にとっては、日本人の倫理観の中心にある「惻隠の情」に欠けるずるい人と思う人が多くいることも事実です

また、韓国内の政治情勢の中で注目しておくべきことは
日本統治時代の、「三一独立運動(ref:⑧第一次世界大戦と韓国の独立運動)と戦後の、「光州事件(ref:㋥崔圭夏)で示された民衆運動のエネルギーの大きさです。ごく最近の「蝋燭デモ」で朴槿恵大統領が任期途中で政権を追われ懲役24年の判決を受けていること、万景峰号事件における大衆の怒りの盛り上がりにも同じようなパワーを感じます。これらの朝鮮人の平均的「性情」が、強力な統制を行った軍人大統領の時代が終わった後、韓国政治がポピュリズムに流れている原因の様に思われます

これまで何度も行われてきた「お詫び」については;
「お詫び」の歴史
の項をご覧になれば分かると思いますが、首相や皇室による「お詫び」は、韓国以外の国々(中国、東南アジア諸国、オランダ、など)には国民同士の融和に一定程度の効果があったことは間違いの無いことですが、韓国に対しては憎しみ、怨みがベースになっている以上、国民同士の融和にはあまり効果が無かったように思われます
そもそも、戦争によって発生した戦争犯罪であれば、罪を犯した人に対する懲罰(戦犯裁判)と、国家の賠償(賠償金、領土の割譲、など)で解決されるべきものであり、当事者でない後世の国民が負うべきものでないのは世界の常識です。同じ様に、帝国主義時代における植民地の人々に対する贖罪も、開発援助や移民のを受け入れ、などによって行うことが、当時列強国として植民地経営を行っていた欧米諸国の常識です
ただ、国が犯した犯罪について、たとえそれが遠い過去のことであっても、国民一人一人が歴史を学び、被害者に対しての哀悼の念を持ち続け、二度と同じ過ちを犯さない様に政治に関与していく義務はあると思います

これらを勘案すると、日韓関係で今必要なことは、以下に集約できるのではないでしょうか(私見)
A.時間をかけること。民衆のエネルギーが高まったときは、時間をかけて収まるのを待つしかありません。性急に経済制裁などの発動は行わず、遅くとも2025年には文在寅大統領の任期が終わるので、それを待つ位の忍耐力が必要
B.正しいことは言い続けること。「日韓基本条約」で韓国が請求権を放棄している徴用工問題は国際司法裁判所への提訴を視野に、着々と準備を進めること。またレーダー照射事件については、韓国の対応は「金大中拉致事件」と同じ経過をたどっていますので、米・英・仏・豪などの西太平洋の同盟国、準同盟国との間で情報の共有を図っておくことが有用と思われます
C.慰安婦問題は、ベトナム、イギリスと協調して「ライダイハン」問題の顕在化の努力を行い、韓国内世論の鎮静化を図ること。また、慰安婦問題のユニセフ「記憶遺産」登録を、あらゆる手段をもって阻止すること
D.日本国内の「嫌韓」世論の盛り上がりを極力抑止することSNSによる「嫌韓」のバカ騒ぎは、日韓を除く第三国の顰蹙を買うだけと思われます

Follow_Up:2019年8月22日、韓国「GSOMIA」破棄を通告
* GSOMIAとは:Generel Security of Military Information Agreemen(軍事情報包括保護協定)
* 日韓対立、安保に波及 対北朝鮮連携に不安
* 文政権・米説得聞かず反日世論あおる_保守勢力は批判
* 米国務長官、韓国の日韓軍事協定破棄に「失望した」

以上

寒風吹きすさぶ!真冬の野菜栽培

上の写真は、元旦の朝、屋上ペントハウスにある小さな神棚で型通りのお参りをした後、屋上から南西方向の富士山を撮った写真です。台風24号が猛威を奮った後かなり長い間暖かい日が続いきましたが、漸く年末になって寒波が訪れ、いつも通り寒風の中で凛とした富士を仰ぐことができました
まず、11月初旬にご報告(猛暑と台風襲来でこっぴどくヤラレマシタ!)した続きの報告から始めたいと思います

台風一過、僅かに生き残ったキュウリ、ナス、トマトのその後;

生き残った夏野菜・11月10日の状況
生き残った夏野菜・11月10日の状況

2本だけ生き残ったキュウリについては、11月初旬に数本収穫しただけで枯れてしまいました。秋ナスの収穫を期待していたナスについては、強風で葉が吹き飛ばされた枝を短く剪定し成長を待ったのですが、花が咲き実がついたところまではいったのですが、実は食べられるとこまでは成長しませんでした
ただトマトについては、寒さが襲っても一向に枯れる気配はなかったものの、11月末には成長が止まりました。しかし、一昨年の経験で青いまま収穫しても追熟させることが可能と分かっていたので、日の当たる室内で下の写真の様に追熟を待ち、無駄なく正月の野菜として利用することができました

トマトの追熟
トマトの追熟

植え付け時期が遅れた白菜、キャベツの生育状況;
台風の影響で白菜、キャベツは10月に入ってようやく手に入れた苗を10月7日に植え付けてから結球するかどうか心配していましたが、下の写真の様に2ヶ月程で見事に結球しました。恐らく晩秋から初冬にかけての暖かさのお陰と言えると思います

白菜・キャベツの生育経過
白菜・キャベツの生育経過

白菜は寒波が訪れてから成長が止まったので、現在は上の写真の様に外側の葉を纏めて紐で縛り、霜が降りても大丈夫な状態にしてあります。12月初め最初に収穫した白菜は、下の写真の様に八百屋で買う白菜と比べても遜色が無い大きさに育っています。12月中旬から白菜漬け、鍋材料として既に大活躍しています

12月11日収穫の白菜
12月11日収穫の白菜

キャベツについては、未だちょっと小さめですが必要により収穫していきたいと思います

苗で購入した白菜、キャベツとは別に9月下旬に無理とは知りつつ種蒔きをしたものは、案の定未だに結球していません。現在の生育状況は下の写真の通りです;

9月下旬に種蒔きをした白菜とキャベツの生育状況
9月下旬に種蒔きをした白菜とキャベツの生育状況

白菜については、鍋材料として使う分には全く問題ありません;

鍋材料として活用
結球不全の白菜は鍋材料として活用

キャベツについては、4月頃までこのまま育て「春キャベツ」として食べることができるか試してみたいと思っています

野沢菜の収穫と野沢菜漬けのチャレンジ;
今年は、野沢菜を秋野菜として霜が降りる頃(12月下旬)まで育て、野沢菜漬けにチャレンジすることにしました。12月下旬には葉の長さが50センチ以上に育ち収穫後ネット情報を基に野沢菜漬けを行っています。1月現在まだいい塩梅に発酵していないので食べるには至っていません。副産物の蕪の部分は、長野県では普通に行われている粕漬の他に、糠漬け、浅漬けとしても楽しんでいます(中々美味しいですよ!);

野沢菜漬けと蕪の塩漬け
野沢菜漬けと蕪の塩漬け

失敗した長ネギと生食用タマネギの苗づくり;
今冬の鍋に使う予定だった長ネギは11月のブログでご報告した通り失敗しましたが、今年の春以降に定植する予定の長ネギの苗は順調に育っています。また、11月に植え付ける予定だった生食用のタマネギについては、種が古かった為か発芽しませんでした。10月半ばに新しく買った種はちゃんと発芽しておりますが、勿論11月の定植には間に合いません。従って、このまま冬を越させて春になってから定植しようと思っていますが、どうなることやら、、、 普通の保存用のタマネギについては11月に定植し今のところ順調に育っています;

長ネギ・タマネギ類の生育状況
長ネギ・タマネギ類の苗の生育状況

その他の野菜の生育状況;
葉物の野菜はホウレン草を除き、昨年使った透明なゴミ袋を使った霜よけ(保温効果はやや疑問!)で育てています;

葉物野菜の防霜仕掛け
葉物野菜の防霜仕掛け

我が家の必須野菜の一つであるセロリーは、寒さに強く全く何の防霜仕掛け無しに元気に育っています。サラダや炒め物の材料の一つとして必要な折に1~2本切って使っていますが、枝は次々と生えてくるので一株あれば十分です;

セロリー
セロリー

参考:2018年の屋上野菜栽培経費

2018年、我が家の屋上菜園にかけた経費の明細は以下の通りです;

屋上菜園の年間費用明細
屋上菜園の年間費用明細

昨年よりもちょっと費用が増加しましたが、趣味にかける費用としてゴルフ2回分と考えれば、全体として満足できる水準と考えています。昨年、零下の気温になった折、水抜きを忘れて給水タイマーの一部が凍結による水漏れを起こし、交換せざるを得なかったことが資材類の購入費増に結び付いたことが分かります。屋上では給水タイマーを3台使っていますが、既に1台は経年劣化で動かなくなっていますので、今年も新たに1~2台の追加購入が必要になると考えられます
昨年1月に40L入りの腐葉土を5袋で1000円という安値で購入しましたが、これは近くを走る「志木街道」の欅並木の落ち葉を、清瀬市が腐葉土にして安く販売していたものです。2011年の福島原子力事故以降、腐葉土の価格が跳ね上がりましたので、今年もと期待していたのですが、昨年この欅並木の大きな枝を悉く切払い欅の大木は殆ど丸坊主となってしまったので、これから数年はこの様な安価な腐葉土の購入は期待薄と思われます

以上

エアラインの営業とは

エアラインビジネスと旅行業の違い

一般の人にとって、エアラインビジネスと旅行業の区別はつきにくいと思われます。航空機を使って旅行をするという意味では、エアラインのチケッティング・カウンターに行っても、旅行会社のカウンターに行っても航空券を買うことは可能です。しかし、法的な責任については以下の通り厳格に区分されています;

<法規制上の位置付け>
エアラインビジネスは主として航空法(詳しくは“航空法抜粋”参照)の適用を受け、航空運送事業として、以下が義務付けられています;
輸送の安全確保の責任
運賃、及び料金の設定と国土交通大臣への届け出(認可ではない!)
③ お客様とエアラインの権利・義務関係に係る運送約款(例:ジャル国内線運送約款ジャル国際線運送約款を定め、国土交通大臣の認可を受けること
④ 国土交通大臣への事業計画の届け出と実行の責任

旅行業とは、報酬を得て、
* 運送又は宿泊のサービス
* 旅行者のため代理して契約を締結し、媒介をし、又は取次ぎをする行為
他人の経営する運送機関又は宿泊施設を利用して、旅行者に対して運送等のサービスを行うことであり、旅行業法(詳しくは“旅行業法抜粋”参照)の適用を受けます。旅行業を行う者は、国土交通省の外局である観光庁に登録を行う必要があり、且つ、旅行業務の取扱いに関し旅行者と締結する旅行業約款(例:ジャルパック旅行業約款を定め、観光庁長官の認可を受けなければなりません

尚、大手のエアラインは、自社グループの中に旅行業を行う子会社を持っているところが多く、両者の区別が分かりにくくなる原因になっているものと思われます

航空券販売の歴史

航空券販売の歴史は、航空会社の競争環境と深い関係があります。従って、1980年代後半から国策として行われた「規制緩和」が、航空券の販売方法の変遷に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありません。規制緩和に係る詳しい説明は“航空規制緩和の歴史”をご覧ください

1.DC8/B707/B727の時代(1960年代まで)
① この頃、航空券の販売は航空会社自らが実施していました。従って、お客様の利便性を確保するため、日本国内や海外の主要都市、主要ホテルには大きなコストをかけてエアラインのチケッティング・カウンターを設置していました
② クラス別の正規運賃が主流であったため、 実収単価は非常に高く、搭乗率(Load Factor)は多少低くても採算がとれる環境にありました
③ 国際線の運賃は、多くの主要な航空会社が加盟する国際民間航空連盟(IATA“International Air-Transport Association”)の協定運賃であり、航空会社間の価格競争はそれほど厳しいものではありませんでした
④ この時代、ビジネスのお客様が主流であって、観光は限られた人の贅沢なものとされていました

2.B747の登場(1970年代)
1970年に登場したB747によって、提供可能な座席数の飛躍的な増加(1機当たり2倍以上!)が図られたことで、席当りコストが低下したものの、ビジネスのお客様や贅沢な観光目的のお客様では席が埋まらない事態が起こりました
この状況を打開する為に考え出された販売方法が安価なパック旅行」です。実収単価が多少下がっても席当たりコストが低いために航空会社として利益が出せることから、観光需要の掘り起こしに大きな効果をあげました。B747の導入を積極的に行ったJALが開発したジャルパックが特に有名です

大量販売の為にエアラインは旅行会社に大量の席を安くまとめて卸し、旅行会社は、宿泊、その他の地上サービスをこれに付加することによって、実質的に自身で値決めを行って販売することが可能になりました

3.大競争の時代(1980年代)
日本経済の飛躍的な発展に合わせ、各エアラインは先を競って大型航空機(B747、DC10、L1011)の導入を行った結果、提供座席数の急増に伴うエアライン間の競争が激しくなりました
一方、国民全体の可処分所得の急速な増加に伴い、旅行費用の大幅な低下と相俟って、国内、海外を問わず観光が庶民の身近なレジャーとして定着することになりました。国内線や近距離国際線だけでなく、戦争直後にヒットした歌謡曲「憧れのハワイ航路」が、庶民の手の届く旅行の対象になりました。しかも飛行機で、、、この時期は私がダイヤ関係業務の担当であった時代に重なりますが、臨時便と併せ、一日当たり7機のB747がハワイ向けに飛ぶ日があったことを思い出します

旅行会社は、膨大な観光需要に支えられて全国各都市に支店を展開した結果、その利便性から個人のお客様の航空券販売の取り扱いも一般的になっていきました。旅行会社は、個人のお客様に販売した航空券の券面額の9%程度の手数料が手に入ることから、単価の高いビジネスのお客様の獲得にも本腰を入れるという、本末転倒の事態も起こってきました

更に、エアラインが団体旅行用として旅行会社に卸した大量の席の売れ残りを、個人のお客様に安価に提供するという、所謂“エアオンリーが市場に出回ることとなりました。これは明らかに航空法がエアラインに課している認可運賃の仕組みを壊す脱法行為ではあるものの、安い運賃を求めるお客様の支持があり取締りは難しいものでした。一方において、航空券の“定価販売”は有名無実となり、エアラインが直販を行っていた日本国内や海外の主要都市、主要ホテルのチケッティング・カウンターはその存在意義を失うこととなりました。因みに、私が赴任した台湾では、1995年に広い面積を占めていたチケッティング・カウンターを閉鎖し、当時人気の高かった「本間ゴルフ」の店舗として貸し出したことを思い出します

4.厳しいリストラの時代(1990~2,000年代)
1990年代、日本経済はバブルが崩壊し未曾有の危機に直面しました。航空需要も低迷し、航空ビジネスは以下の様な対応策で再構築を行うことを迫られることとなりました;
航空機の “ダウンサイジング/Down Sizing
B747、MD11サイズの航空機を運航している路線を、より小さなサイズの航空機(B767/200~250人)で運航することを意味します
この時期に経営企画室にいた私は、既に大量に購入契約を結んでいたB747-400をより小さい新機種の777に契約を切り替えることに苦労していたことを思い出します
② 人件費コストを削減する為に、外人パイロットの導入有期雇用CA(客室乗務員)の採用を行う
③ お客様の“囲い込み”を狙ったFFP(Frequent Flyer Program/マイレージ・プログラムとも言います)の導入を行う(⇒ご利用の多いお客様に実質的な値引きを行うことになるので、実収単価の低下を齎すことになります)

④ 運賃に係る規制緩和が行われたことで、下記の様なLCC(Low Cost Carrier/格安航空会社) が登場しました;
* ジャパン・エアチャーター(Japan Air Charter):日本航空100%保有のチャーター専門子会社で、DC10を使用し、外人パイロットの採用タイ人CAの採用を行いました
* ジャル・エクスプレス(JAL Express/JEX):日本航空100%保有の国内線子会社で、B737-400を使用し、外人パイロットの採用有期雇用CAの採用を行いました
* スカイマーク(Skymark):新しく生まれた航空会社で、B767を使用し、外人パイロットの採用有期雇用CAの採用を行いました
* エア・ドゥ-(AirDo):北海道を中心とした路線に特化する新しく生まれた航空会社で、B767を使用し、外人パイロットの採用有期雇用CAの採用を行いました

⑤ エアラインが価格決定権を取り戻す為に以下の対応を始めました;
* 旅行会社による航空券販売に支払う手数料を廃止し、代わりにエアライン自身によるネット販売(ウェッブ販売に重点を置く
* 運賃に係る規制緩和を積極的に活用することにより、各種の割引運賃を設定する

2010年の日本航空の破綻、新しく生まれたLCCが破綻し、大手エアラインの資本系列に入るなどの爪痕を残しつつ、再びエアライン・ビジネスが活況を取り戻しつつあります

運賃戦略

航空運賃に関する戦略を論ずる場合、まず以下の様な基本的な事項を押さえておく必要があります;
1. 運賃に関わる規制
国内線の航空運賃に関しては、1990年代に行われた大幅な規制緩和(詳しくは航空規制緩和の歴史を参照してください)の結果、運賃そのものについての規制は殆ど無くなったと言えますが、国土交通大臣への事前の運賃の届け出義務は残っています。また、差別不当な競争を齎す恐れがある運賃設定に関しては国土交通大臣が変更命令を出すことができるようになっています
国際線の航空運賃に関しては、国家同士の条約、協定などが必要となるため、国土交通大臣に認可権を残してあります
詳しくは航空法105条、及び航空法施行規則215条、216条をご覧ください(運賃関連の法規制

2.価格弾力性(Price Elasticity)
運賃を決める場合に、その路線の需要の動向を見極めなければ利益を極大化させることはできません。運賃を下げれば需要は増え、運賃を上げれば需要は減るという一般則だけでは運賃を決めることはできません。ここで登場するのが以下に示す「価格弾力性」という指標です;

価格弾力性 = -(需要の変化率 ÷価格の変化率)

計算例:価格を10%下げた時、需要が15%増加した場合;
価格弾力性=-{+15÷(-10)}=1.5

価格弾力性が“1”以下である場合、価格を下げると損をすることになります
価格弾力性 が“1”だった場合、価格を下げても意味がないことになります
価格弾力性 が“1”以上であった場合、価格を下げるとそれ以上に需要が増加することになります。言い換えれば、運賃を下げることによって下げた割合以上に総収入が上がることになります。LCCの低価格戦略はこれを狙っていることが分かります。一方、高コストの航空会社は価格を下げる余力がない為、「運賃を下げると客数は増えても赤字」になり、運賃を下げないと「お客様が競合他社に取られ赤字」になるというジレンマに陥ります
従って、LCCと比べ高コストのエアラインは、運賃以外のサービス(客室の快適性向上、CAのホスピタリティー、定時性、など)で競争力を高める必要があります
一方、繁忙期にあっては、供給を増やしても価格を下げる必要が無い(価格弾力性が“1”)ので、供給余力のあるエアラインが断然有利になります

3.運賃戦略の実際
価格弾力性という指標は、あくまでマーケットの状況を価格を変数として定性的に説明するものでしかありません
実際の各種運賃(次項参照)の設定や、それらの運賃種別ごとの予約コントロールは;
路線毎の需要状況:ゴールデンウィーク、夏休み期間、年末年始などの繁忙期、閑散期、各種のイベント、キャンペーンなどの実施計画、などで大きく変動します
② 路線ごとの供給計画:競合他社の供給計画(想定)と自社の供給計画(臨時便を含む)のバランスにより需給状況は大きく変動します
③ 過去の路線運営に係る経験(暗黙知)

などをもとに最適化しています。これが所謂“イールド・マネージメント”です。搭乗率と実収単価の二兎を追う、ある意味“虫のいい話”なので、それだけ一筋縄ではいかない難しいマネージメントとも言えるかもしれません
最近起こしたJALのオーバー・ブッキングによるフライト・キャンセルの事例(181122_予約超過で福岡⾏き⽋航 ⽇航、400⼈影響)も、イールド・マネージメントのリスクの一つとして、オーバー・ブッキングによるフライト・キャンセルがあり得ることの認識と、これに対応する適切な対策を準備しておく必要があることを示唆しています
<参考> JALは1967年から長い間使っていた旅客系基幹システムの「JALCOM」をAI機能が強化されているクラウドベースのシステム「Altea」に変更し、収入増加を実現しています(詳しくは、日経クロステック記事参照:181101_JAL旅客系システム刷新で「半期で130億円増収」

運賃の種類

1.エアラインが提供する国内線運賃
① クラス別普通運賃;
有効期間が長く、予約の変更やキャンセルの自由度が高いという特徴があります。また、緊急に利用エアラインの変更をしたい場合でも、追加的な費用なしに空港での簡単な手続き(“Endorsement”/裏書)で可能なので、ビジネスのお客様などには便利な運賃です

② 割引運賃:
割引率の違いにより、売り出し開始時期、有効期間、予約キャンセルの自由度により大きな差を設けています。エアラインは単価の高い普通運賃に、こうした各種の割引運賃を組み合わせてイールドマネージメントを行っています
<参考>現在の国内線各社の運賃は、以下のように驚くほど多様になっています
*JAL国内線運賃一覧
*ANA国内線運賃一覧
*Skymark国内線運賃一覧
*Airdo国内線割引運賃

各種運賃を組み合わせてエアラインが利益を上げる仕組みを、わかりやすく説明すれば以下の図の様な構図になります(簡単の為それぞれの運賃を購入するお客様の人数の要素を省いてあります);

運賃の種類と実収単価
運賃の種類と実収単価

2.エアラインが提供する国際線運賃
① クラス別普通運賃:国際民間航空連盟の協定に基づいた運賃(別名“IATA運賃”);
運賃に関わる自由化の協定を国家間で結んでいる場合を除き、未だに国際線運賃のベースとなってる運賃です。その理由は;
国際線のビジネス旅客は、他エアラインとの連帯運送(乗り継ぎ、利用航空会社の変更に伴う“Endorsement”)が頻繁にあることからエアライン間の清算をスムースに行う必要があり、エアライン間で共通の運賃協定は非常に有用性が高いこと、また現在殆どの国際線を運航するエアラインがIATAに加盟(現在290社)しており、ここでは、特定国・特定エアラインの利益に偏らない全会一致主義が貫かれているためです。因みに、IATAでは以下の様な機能を果たしています;
* IATAの運賃調整会議の主催
* IATA加盟エアライン間の運賃清算を行うクリアリング・ハウスの運営
* 主要な混雑空港における発着枠調整会議の主催

<参考> 独占禁止法との関係;
運賃協定は、明らかに独占禁止法が原則禁止する価格カルテルに相当します。利便性が高い点を考慮し、従来世界レベルで独占禁止法適用除外とされてきましたが、近年、EU、オーストラリアは適用除外を止めており、代わりに“Flex Fare”という自由度の高い料金設定を可能にしています
一方、米国はオープンスカイ政策(詳しくは航空規制緩和の歴史をご覧ください)とセットで反トラスト法(米国の独占禁止法)適用除外を認める政策を取っています。尚、オープンスカイ協定を結んでいる国とはIATA運賃の適用も可能となっています

クラス別普通運賃:アライアンス内協定運賃
アライアンス内のエアライン間で協議の上設定される(勿論、二国間の条約、協定で認められることが前提)もので、航空会社独自の多種多様な運賃(キャリア運賃)の設定が可能になっています。ただこの運賃では、アライアンス内のエアライン同士以外の連帯運送は簡単にはできません

③ クラス別普通運賃:二国間協定運賃
二国間の条約、航空協定等で指定された航空会社間が対象となる運賃です。この指定されている航空会社間で協議の上決定される運賃です。勿論、IATA協定運賃の採用も可能となっています

3.チャーター便の運賃
チャーター便とは航空機1機丸ごと貸切ることですが、運賃について航空規制の対象にはならず、航空会社の貸切に係るコスト(航空機の減価償却費、パイロット・CAの人件費、整備費、燃料費、着陸料、駐機料、空港関連人件費、その他間接費)を基に用機者との間の交渉で運賃が決まります。昔、DC8型機が機種更新される時期に、余剰となったDC8型機を使ってスリランカに宝石の買い付けを行うチャーター便が何度も催行されたことを思い出します。また皇室、政府要人などのVIP輸送に関してもチャーター便が使われていましたが、1992年に政府専用機としてB747-400が2機導入されてからは殆ど催行されていません

4.旅行会社が提供する運賃;
航空会社は、旅行会社にホテル、等の地上手配を組み合わせることを前提とした包括旅行運賃を設定(航空会社による国土交通大臣への届け出が必要)し、一定席数まとめて提供しています
かつては団体での旅行を前提とした「団体包括旅行運賃」として旅行会社に売られていましたが、個人旅行が主流となってきたことから、1994年に個人包括旅行割引運賃(Individual Inclusive Tour Fare/IIT/)の導入が行われ、団体包括旅行運賃は廃止されました
<狙い>
航空会社は安い運賃の席を卸すかわりに、お客様を集めるのが難しい閑散期にまとまった席数分の収入が保障されます
一方、閑散期に多くの席を販売してくれる旅行会社には、以下の様なインセンティブ(販売奨励施策)を付加することも行っています;
① 販売席数に応じたキックバック(⇔実収単価が多少下がります)
② 繁忙期の席数割り当て増(⇔繁忙期におけるエアラインの実収入が多少下がります)
このインセンティブによって、旅行会社は席を安い料金で仕入れ、新たな需要を生み出す安い旅行商品を作ることが可能になります。ただこの仕組みは、エアラインにとっては、ある意味航空券の“先物取引”の性格を持っており、実収単価の高い普通運賃のお客様を取りこぼすリスクも孕んでいます。従って、前項で説明した“イールド・マネージメント”を精度高く行うことがが不可欠となります

最近は、国内、国際ともに多くのエアラインが路線ごとに鎬を削っており、旅行会社は複数の航空会社間で競合させたうえで仕入れを行うため、繁忙期を除けば、旅行会社にとって「買い手市場」となる場合もあり、大手のエアラインにとっても中々厳しい値決めが必要(仕入れ価格は航空会社によって異なる)となる場面もあります
大手エアラインの子会社の旅行会社はエアライン選択の自由度が無い為、こうした買い手市場には参加できないものの、エアラインのブランド力を背景に単価の高い旅行商品を売り込めるというプラス面もあります

旅行社は、エアラインが提供する包括旅行運賃、インセンティブの他に、③ 地上手配から得られる各種のキックバック(下図の“KB”)を併せて、普通運賃からは説明できない程の安いパック料金の設定を行うことがあります。その仕組みを、わかりやすく説明すれば以下の図の様な構図になります(簡単の為、それぞれのエアライン、ホテル、お土産屋などの利用人数の要素を省いてあります);

旅行会社の運賃の構造
旅行会社の運賃の構造

共同運送

コードシェア(Code Share)
航空会社同士が、それぞれの便名を付けて共同で運航を行う形態のことをコードシェアといいます。これを日本語では“共同運航”または“共同運送”と呼んでいますが、法規制上の区別はありません。
ただ、航空会社によっては、航空機とパイロットを提供する側の便を“共同運航便”、提供を受ける側の便を“共同運送便”と使い分けているケースもあります。いずれの場合も、航空機の運航責任は航空機とパイロットを提供する側にあります

ニューヨーク線・コードシェア状況_2018年12月3日
ニューヨーク線・コードシェア状況_2018年12月3日

上の羽田空港・ニューヨーク線の出発便案内で、ANAが777で運航するNH0110便は、シンガポール航空、タイ国際航空、ユナイテッド航空と、それぞれのエアラインの便名でコードシェアを行っています。同じように、JALが777で運航するJL0006便は、アメリカン航空、ブリティッシュ・エアウェイズ、マレーシア航空、ラタム航空、ラタム航空ブラジルと、それぞれのエアラインの便名でコードシャアを行っています
アライアンスを組むエアライン同士で行われているこうしたコードシェアは、搭乗率の向上や実収単価の向上に大きく寄与しており、LCCに対する極めて有効な対抗策として、近年大手のエアライン同士で大々的に実施されるようになりました

国内線についても、JAL、ANA、それぞれのグループ内子会社や提携エアラインとの間で、路線需要に合わせること、運航頻度を確保すること、などの目的でコードシェアを行っています。また、アライアンスを同じくする外国エアラインの国内区間のコードシェアも外人観光需要の増加に合わせ最近は増えてきました

国内線のコードシェア便
国内線のコードシェア便

上記の通り、国際線、国内線ともに、現在の共同運送の形態は、コードシェアが主流になっていますが、これまでのエアライン・ビジネスの歴史の中で以下の様な共同運送の形態も存在していました;
ウェットリース(日本における定義):日本の航空会社同士で、航空機・乗員を借りて自社便として運航する形態航空機の運航責任は借りる側にあります(⇒運航責任を果たすために、借りる側が貸す側と同じ機種を運航していることが必要となります)。現在でも国内線のグループ会社、提携会社同士で行われることがあります
運航委託(日本における定義):外国エアラインの航空機・乗員を借りて自社便として運航する形態。航空機の運航責任は航空機・乗員を提供する外国エアライン側にあります。現在では行われていません
スペース・ブロック:他社便の一部の席をブロックし、他社便名のままで自社の旅客を運送する形態で営業協力便ともいいます。ウェットリース、運航委託、コードシェアなどが一般化する前はこの形態が普通に行われていました。米国や欧州への乗り入れ空港が限られていたため、乗り入れしていない空港への乗り継ぎ客の席を確保する為に国際線では屡々行われていました

アライアンス

現在、多くのフラッグ・キャリア(National Flag Carrier/国を代表するエアライン)や大手のエアラインが参加しているアライアンスは、国際線エアライン・ビジネスのやり方を大きく変えたといってもいいと思います。一方、LCCは低価格によってお客様を獲得する戦略なので、通常アライアンスには加盟しません
1.アライアンスの目的
エアライン同士が、以下の様な高品質で共通なサービスの提供を行うことにより、コストを下げ、実収単価の高いビジネス旅客の囲い込みを行う
① FFP(Frequent Flyer Program/マイレージ・プログラム)におけるマイルの共通化(FFP協定)
② 空港での高品質のサービスの提供とコストダウン:空港のVIPラウンジの共有、 空港でのチェックイン・カウンターの相互利用
③ コードシェア便の相互提供による路線網の拡充と自社路線集約によるコストダウン
④ 運賃協定による価格競争力の強化(運賃のプール制、など)

2.メガ・アライアンス
現在、以下の三つのメガ・アライアンスには、それぞれ多くのエアラインが加盟しており、それぞれのアライアンス内の加盟エアラインだけで世界中の都市をほぼカバーしています。尚、アライアンス加盟に伴い、エアラインは共通“Logo”の表示が義務付けられます
スターアライアンスStar Alliance
発足:1997年5月
加盟航空会社:28社
主な加盟エアライン:ルフトハンザ航空、ユナイテッド航空、ANA、シンガポール航空、タイ国際航空
就航地(ウィキペディアより):192ヶ国、1330空港
保有機材数(ウィキペディアより) :4657機
年間輸送旅客数(ウィキペディアより):6億4千万人

ANA StarAliance Logo
ANA Star Aliance Logo

② ワンワールドOne World
発足:1999年2月
加盟航空会社 :13社
主な航空会社;ブリティッシュエアウェイズ、アメリカン航空、JAL、カンタス航空、キャセイ航空、カタール航空
就航地 (ウィキペディアより):152ヶ国、992空港
保有機材数(ウィキペディアより) :3324機
年間輸送旅客(ウィキペディアより)数:5億7千万人

JAL OneWorld Logo
JAL One World Logo

スカイチームSky Team
発足:2000年6月
加盟航空会社 :20社
主な航空会社:エールフランス、KLMオランダ航空、デルタ航空、大韓航空
就航地 (ウィキペディアより):187ヶ国、1064空港
保有機材数(ウィキペディアより) :2819機
年間輸送旅客数(ウィキペディアより):5億5千万人

3.アライアンスの枠を越えたエアライン同士の提携
最近、アライアンスの枠を肥えた提携が始まっています
ワンワールドに加盟しているJALと、スカイチームに加盟している中国東方航空が提携しました。詳しくは以下の日経新聞の記事をご覧ください:180727_中国東方航空と共同事業
ワンワールドに加盟しているJALと、スカイチームに加盟しているガルーダ・インドネシア航空が提携しました。詳しくは以下の日経新聞の記事をご覧ください:180906_日航とガルーダ、共同運航など包括提携を発表

スターアライアンスに加盟しているANAとスカイチームに加盟しているアリタリア航空が提携しました。詳しくは以下の日経新聞の記事をご覧ください:180322_ANA・アリタリアと共同運航

以上

航空規制緩和の歴史

航空規制とは

「航空規制の緩和」というと競争が盛んになって「運賃が安くなるんだろう」程度の認識しかないのが一般的です。しかし、規制緩和が企業間の競争原理を働かせるという意味では正しいのですが、エアラインにとって安全の確保が何よりも大切であることや、空港整備、航空管制システムの構築、などのインフラが国家レベルの巨額の投資を必要とすることから、他の事業の様な自由競争に任せれば適正な競争が行われてゆくという訳にはいきません
また、国際線に関しては上記に加え、自由競争に任せれば、国力の差によって弱小国のエアラインなどは生き残れなる可能性が高くなります
こうしたことから、各国の規制当局(日本の場合は国土交通大臣)は以下の分野毎に規制緩和を慎重に行ってきました

航空規制の分類
1.参入規制:就航路線に対して国による規制を行うこと(航空会社は就航したい路線に参入できないことがあります)
2.需給調整規制:路線ごとの供給量(便数x席数)に対して国による規制を行うこと(航空会社は路線毎の供給量を勝手に増やすことができません)
3.運賃規制:路線毎の運賃に対して国による規制を行うこと(航空会社は需要、及び競争環境に応じた運賃の自由な設定が出来ません)
4.混雑空港における発着枠の規制:空港の時間帯別の発着可能便数以内に収まる様、発着時刻に制限を課すこと(競争制限にはなるものの安全上容認される規制ですが、定期便に関しては、お客様の利便性を勘案し、過去保有している発着枠の権利がある程度認められます)
5.技術規制:航空機の安全確保のために規制を行うこと(過度の規制でない限り、安全最優先の観点から容認されます)
6.航空会社設立認可:航空会社設立に一定の条件を課すこと(航空会社に運送責任を全うさせる為に必要と考えられる規制は容認されます)。また、外国資本による航空会社設立については、国家間の互恵平等の原則が適用され、少なくとも出資率の制限が加わる(日本の場合、外資は3分の1未満)ことはどこの国でも行われています(⇔国益優先)

航空規制緩和とは、こうした規制項目毎に、企業間の競争状況(著しく競争が歪められないように)、空港、航空管制のシステムの整備状況、などを勘案しつつ徐々に自由競争に近づけていくことです

米国の航空規制緩和

第二次世界大戦終了後、米国は圧倒的な経済力と航空機開発・生産能力を背景に、民間航空輸送の最先端を走っていました。従って、国内線だけでなく国際線においても、以下のように航空規制緩和を先導してきました

国内線における規制緩和の流れ
1.1940年代から“CAB/Civil Aviation Bureau”によって行われていた規制;
路線参入は1930年代に免許を受けた者に限る( “祖父条項/Grandfather Clause”と言います)
② 1969年以降は、既存会社の新規路線参入も事実上不可能であったと言われています(“ルート・モラトリアム/Route Moratorium”と言います)

2.1978年、航空会社規制緩和法が成立し、参入規制、運賃規制が撤廃され、同時にこれらを行ってきたCABという組織が消滅しました。この結果、沢山の新規航空会社が誕生しました

3.1979年~82年のオイルショックにより、燃油費が高騰し他結果、多数の航空会社が合併、乃至倒産によって消滅しました

4.オイルショックから立ち直った米国は1980年代前半は好景気に恵まれ、競争による実質運賃の低下が実現しました

5.1980年代後半から、1990年の湾岸戦争にかけて景気が後退していった結果、航空会社は再寡占化の方向に向かい、アメリカン航空、ユナイテッド航空、デルタ航空の3メガキャリア体制が確立しました規制緩和政策後の米国航空会社数の推移

国際線における規制緩和の流れ
1.バミューダ協定:1946年に米英間で結ばれた二国間協定で、その後の二国間協定の雛形 となりました。英国は第二次世界大戦の戦勝国であるものの、経済力及び航空事業の規模では米国との間で雲泥の差があり、対等の競争を実現するために、米国側の輸送量を制限することになる「二国間の輸送量均衡の原則」で協定が結ばれました

2.ケネディ大統領により、反規制主義を謳った「国際航空運輸政策に関する声明」が出されました。また、1978年、アルフレッド・カーンにより「合衆国が国際航空交渉に関して取るべき態度声明(規制緩和推進)」が出されました

3.1980年、「国際航空運送法」が成立しました。この中で、参入規制、運賃規制を大幅に緩和、②規制緩和の海外輸出(包囲理論)、③規制反対の国とは二国間協定を締結(規制撤廃)、などの原則が謳われました

4.大型M&A(Mergers & Acquisitions)ブームの到来:1985年、カール・アイカーン(米国の億万長者;乗っ取り屋)によるトランスワールド航空の買収、1989年年 チェッキー・グループによるノースウェスト航空の買収、などが行われました。しかし、英国航空によるユナイテッド航空の買収計画は米国政府の承認が得られずに失敗しました(⇔国益優先)

5.1990年1月、米国との自由型の航空協定締結を条件に外国航空会社に国際線未就航の米国都市乗り入れを解放しました

6.クリントン政権では、再び規制の方向へ転換しました。1993年、ユナイテッド航空によるロンドン線運航計画が却下され、ノースウェスト航空による同線の運航計画も却下されました

大手エアライン、生き残りの足跡
米国は、上記のように可能な限り自由競争を原則とする政策をとってきたため、コスト競争に敗れれば、“即破産!”の道を歩むことになります。尚、各社共通で被った強烈な経済的なインパクトは;
A.2001年の同時多発テロ以降の航空需要の低迷と燃油費の高騰
でありまた、これを乗り切るために殆どの会社が;
B. チャプター11(通称“破産法”;日本では“会社更生法”、“民事再生法”がこれに相当しますが、内容は日本と同じではありません)基づく再建を米連邦政府に申請しました。米国ではパイロット、CA(客室乗務員)、整備士は極めて強力な職種別組合に加盟しており、労働条件の変更は極めて難しく、これがチャプター11による再建(⇔コスト削減)を目指す原因になっています
また、利益性の高い路線権の獲得、重複する路線の整理統合などの目的で;
C. 企業の買収、経営統合を行うケースも目立ちます

1.デルタ航空
Aにより業績が急速に悪化し、2005年に「Bを申請しました。この結果2006年以降は業績を回復させています
ノースウェスト航空は、Aにより業績が急速に悪化し、2005年に「Bを申請しました。この結果2007年以降業績を回復させましたが、2010年にはデルタ航空に買収Cされています(買収金額:177億ドル)

3.ユナイテッド航空
1985年、経営難にあえいでいたパンアメリカン航空の太平洋路線を買収(C)しました(1991年にパンアメリカン航空は倒産しました)。Aにより業績が急速に悪化し、2002年に「Bを申請しました。一旦再建したものの、2009年には再び「Bを申請し、再建を行いました
2010年にはコンチネンタル航空との経営統合C」を行っています

4.アメリカン航空
Aのインパクトに関しては、コスト削減を徹底する中で乗り切ることに成功しましたが、2011年には遂に 「Bを申請し再建を果たしました
2012年に、USエアとの合併交渉を開始しましたが、米司法省が反トラスト法(独占禁止法)違反の疑いで提訴し交渉は一旦頓挫しましたが、その後、ニューヨーク、ワシントン等の混雑空港で LCC (格安航空)に二社の発着枠を譲ることで司法省との和解が成立したため、2013年に合併完了Cしました

5.サウスウェスト航空
1971年に創業。Aのインパクトに対しても社員のレイオフを行っていません。従業員の給与水準は大手エアラインと比べ高い水準を維持しており、また事故率の極めて低い会社として有名です。路線網の拡大の為に「Cも行っています

欧州の航空規制緩和

欧州の航空規制緩和は、欧州共同体の統合の深度(EC/European Community⇒EU/European Union)に合わせて以下のように行われました;

1.ローマ条約(1958年)で 欧州委員会による「欧州共通の航空政策の提言」が行われたものの、 航空、海運は当面除外されました

2.1979年の第一次メモランダム、1984年の第二次メモランダム、1988年のパッケージ-Ⅰ、1990年のパッケージ-Ⅱ、によって二国間協定下での規制の柔軟化、競争の促進が徐々に行われてゆきました

3.1993年のパッケージ-Ⅲによって、①二国間の輸送力割り当ての完全自由化、②運賃規制は二重不承認主義(double disapproval/少なくともどちらかの国が承認すれば申請された運賃は認められる)、③参入規制が完全に撤廃、が実現しました

4.1997年より、④国内路線参入規制(カボタージュ)が撤廃され、これによってEU域内の完全自由化が完了しました。また同時に、共通免許規定(パイロット資格、航空機の型式証明、等)が制定され、技術規制に関してもEU域内では完全に一国と同じ扱いになりました
⇒ この結果、EU内の国同士の路線は“国内線と同じ扱い”となり、EU内の中・小の航空会社の生き残りは非常に難しくなりました

最近の欧州航空会社の状況
航空規制に関してEU域内の統合が図られたことにより、厳しい競争が始まりましたが、現在までの大手エアラインの状況は以下の通りです;

1.ブリティッシュエアウェイズ:1987年に民営化
2.ルフトハンザ航空:規制緩和、航空不況、等の厳しい経営環境の中で競争力を強化し、破綻に瀕した航空会社を吸収し現在に至っています

3.スイス航空:2001年の同時多発テロ以降の航空需要の低迷と燃油費の高騰で業績が急速に悪化し、2002年に倒産。スイス航空の子会社だったクロスエアが、スイス政府などの援助により、スイス航空の資産を受け継ぎました
4.サベナ・ベルギー航空:2001年の同時多発テロ以降の航空需要の低迷と燃油費の高騰で業績が急速に悪化し、同年に倒産しました
5.オーストリア航空:2009年9月、ルフトハンザ航空が株式の90%を取得しその傘下にはいりました

6.エールフランス・KLMオランダ航空:2004年に両社の間で持株会社方式で経営統合が実現しました
7.ライアン航空:1985年に設立し、“激安”運賃で欧州航空界を席巻しました(例えば、ロンドン-パリ間の料金“0.99ユーロ”など)。ヨーロッパのLCCの中では最大の路線ネットワークを展開しています

8.アリタリア航空:2008年3月、一旦エールフランス・KLMによる買収を受け入れたものの、4月になって労働組合の強い反対により振り出しに戻りました。2008年8月、イタリア政府による収益を見込める航空事業会社と清算対象会社に分割する提案に同意し、約1,800億円の負債を抱えて会社更生手続きに入りました。2009年1月アリタリア・イタリア航空(完全民営化)として発足しましたが、その後も経営難が続きました
2013年8月、中東のエティハド航空が49%の株式取得しました
しかし、その後もLCCにシェアを奪われたことなどにより、2017年5月に再び経営破綻に陥り、売却手続きを開始しましたが、人員整理・賃金削減を従業員組合が拒否していること、ルフトハンザ航空など出資に興味を示す航空会社との条件の折り合いがつかないことなどにより、2018年現在、未だ決着していません。また、2018年3月の総選挙で第一党に躍進したポピュリズム政党「五つ星運動」の党首が、外国企業への売却に対して反対の立場を表明しており2018年現在再建の行方は混沌としています

日本の航空規制緩和

45-47体制:1970年代
45-47体制とは以下の政府方針を意味しており、一般にどの航空会社も犯すことができないという意味で「航空憲法」と言われてきました。以下をご覧になるとわかると思いますが、実質的に厳しく競争を制限する内容となっており、まだ歩き始めたばかりのエアラインの健全な育成を政府として強力にバックアップする内容となっています;

日本航空・東亜国内航空・全日空
日本航空・東亜国内航空・全日空

1.昭和45年閣議了解(1972年7月1日/主に参入規制
① 日本国内航空と東亜航空を合併させ、東亜国内航空を発足させる。この会社には当面ローカル線のみの運航を認める
② 需要の多いローカル線は2社で運航させるが、過当競争は排除する
国際線定期便は日本航空が一元的に運航する
④ 近距離国際線チャーター便は日本航空と全日空が運航する

2.昭和47年運輸大臣通達(1972年7月1日)
[事業分野]
① 日本航空:国際線国内幹線(札幌、東京、大阪、福岡、那覇)
② 全日空:国内線近距離国際チャーター便
③ 東亜国内航空:国内ローカルル線、一部路線のジェット化の認可
[輸送力の調整(共存・共栄の為の競争の制限)]
増便の認可基準を以下の通りとする
④ 国内幹線: 搭乗率65%以上
⑤ 国内ローカル線:搭乗率70%以上
⑥ 国内幹線への大型ジェット機の投入制限(日本航空と全日空の大型ジェット機の投入は1974年以降とする。但し沖縄線は1972年から投入する)
[協力関係]
幹線に於ける運賃のプール制と先発企業による後発企業(東亜国内航空)の育成

45-47体制の修正の動き:1983年~85年
45-47体制の中で力を蓄えてきた全日空が、国際線への進出を強力に要請していく中で、以下のように徐々に規制緩和の動きが始まりました。ただ、全日空の国際線進出については、航空大国である米国との条約、航空協定などの厳しい交渉(⇔交渉は常に“Give & Take”)が必要となると同時に、国際線の権益をほぼ独占してきた日本航空の反対があった為、そう簡単ではありませんでした;
* 1983年8月 日本貨物航空株式会社の設立認可(出資会社:全日空、川崎汽船、山下新日本汽船、日本通運、昭和海運、ジャパンライン)
* 1984年6月 全日空ハワイチャーター便の認可(ハワイ路線は日本航空のドル箱路線であった)
* 1985年4月 日米暫定協定締結
* 1985年5月 日本貨物航空、東京=サンフランシスコ線開設
* 1985年6月 国内線新規旅客割引運賃の導入
* 1985年7月 臨時行政改革推進審議会で事業分野の見直しを含め、競争政策導入を答申
* 1985年9月 運輸大臣は「今後の航空企業の運営体制のあり方について運輸政策審議会に諮問

45-47体制の崩壊:1980年代後半
運輸政策審議会「今後の航空企業の運営体制のあり方についての審議経過に合わせ、以下の様に規制緩和⇒競争促進に政策の転換が始まりました;

[運輸政策審議会中間答申](1985年12月)
昭和45年閣議了解と昭和47年運輸大臣通達の廃止
* 1986年3月 全日空東京=グアム線定期便開設認可

[運輸政策審議会答申“今後の航空企業の運営体制のあり方について”](1986年6月)
国際線の複数社制
日本航空の完全民営化(日本航空株式会社法の廃止、政府保有株の放出)JAL_民営化国内線に於ける競争促進施策の推進
④ 航空交通容量の増大
*1986年7月 日本航空の羽田=鹿児島線開設認可

[航空局長通達(航空企業の運営体制について)]
国内線における新参入基準の設定(新たに2社参入路線、3社参入路線の旅客需要基準を設定した)
*1986年7月 日本エアシステムの羽田=那覇線、東京=ソウル線開設認可

規制の原則撤廃への道:1990年代
米国や欧州に於ける大幅な航空規制緩和の流れを受けて、日本の航空政策も規制全般に当たって規制緩和の方向に大きく舵を切りました。また、羽田空港、成田空港、関西空港など基幹空港の整備が進み、発着枠の余裕が生まれてきたことも規制緩和の動きに拍車をかけました;

[運輸政策審議会答申“今後の国際航空政策のあり方について”](1991年)
新運賃制度の導入:新Yクラス運賃(Y2);国際乗り継ぎ運賃;ゾーン運賃;基準運賃改定方式;国際貨物運賃につき包括的に幅を持って認可する制度の導入
多様な運航形態の導入:外国人パイロットの導入促進;運航委託;ウェットリース;コードシェア;チェンジ・オブ・ゲージ

航空審議会答申“我が国航空企業に於ける競争促進政策の推進について](1994年)
③ 技術規制の見直し:定例整備の海外委託;パイロット訓練のシミュレーター化促進)
運航形態規制の見直し:ウェットリース、共同運送、コードシェア
国内線競争促進施策の推進:後発企業への一定の便数の確保
運賃規制の緩和:一定の範囲内の営業割引運賃の届け出制

JEX・Skymark・Airdo
JEX・Skymark・Airdo

[運輸省見解発表(1996年12月)
⑦ 交通分野に於ける需給調整規制を原則廃止
* 国内航空路線の需給調整規制は、生活路線の維持方策、空港制約のある空港に於ける発着枠配分ルール等の方策を確立した上で1999年度に廃止

運輸政策審議会に“需給調整廃止に伴う環境整備方策について”諮問(1997年4月)
[運輸政策審議会・航空部会答申](1998年4月)
参入制度:路線毎の認可制から事業毎の認可制(路線設定は原則自由)
運賃制度:現行の許可制から事前届出制(上限、下限運賃撤廃)
⑩ 政策的に維持すべき路線の維持方策
⑪ 生活路線の運航費補助
⑫ 継続的に競争させる為のあり方を公開で検討
発着枠の回収・再配分 ⇒ 後発の航空会社にも一定程度発着枠を配分することができるようになりました

第二世代LCC
第二世代LCC

<チャーター便規制関連>
1982年に制定されたルールでは、以下の3種類のみが認可の対象となっていました;
① 団体貸切(Own Use ):団体が一括して費用負担(⇔単一用機者要件)
② 団体貸切(Affinity):団体構成員が費用負担(⇔単一用機者要件)
③ 包括旅行(Inclusive Tour):地上手配を含め旅行会社などが航空機を貸し切りにすること

2007年年5月16日に閣議決定された「アジアゲートウェイ構想」を受け、包括旅行について以下のルールの撤廃を行いました(⇒定期便以外にチャーター便を設定することにより、より柔軟に旅客需要の積み取りが可能となりました);
* 外国社による複数国の包括旅行を催行する場合、その外国社の所属国で50%以上の日程を消化すること(50%ルール
* 同じ曜日の運航が連続3週を越えないこと(定期ダイヤルール
第三国による包括旅行の催行を禁止するルール

以上により、路線参入基準が撤廃され、運賃の設定も実質的に自由となったため航空会社間の自由競争が可能となり、LCCなど新規航空会社の参入が相次ぐ結果となりました。現在は、大手航空会社も含め厳しい競争が行われており、お客様にとって大幅な利便性向上が実現していると思われます

以上

 

猛暑と台風襲来でこっぴどくヤラレマシタ!

7月中旬にご報告(春を飛び越して?夏野菜の報告)では、順調な夏野菜の栽培状況をご紹介しましたが、その後9月上旬まで続いた記録的な猛暑、東京を襲った強風を伴う台風の襲来(9月4日の21号、9月30日~10月1日の24号)によって、夏野菜は壊滅的な被害を受けてしまいました
21号台風によって、それまで順調に収穫を続けてきたキュウリは全滅、トマト、ナスははかなりの葉が吹きちぎれ、収穫量が激減しました。24号台風は、21号よりも風が強く(深夜の最大風速は30メートルに達していたと言われています)上・下の写真のように背の高い夏野菜はほぼ壊滅状態になってしまいました

キュウリ・ナス・ウリ・オクラ・紫蘇の台風24号
キュウリ・ナス・ウリ・オクラ・紫蘇の台風24号一過の状態

しかし、この様な過酷な状況の中でも生き残った、ほんの一部の夏野菜を愛情をこめて?育てた結果、11月初旬には下の写真のように実を付けました;

キュウリ・ナス・トマトの生き残り
キュウリ・ナス・トマトの生き残り

台風の強風ではなく、長い夏の暑さの中でダメになってしまった野菜の代表は「長ネギ」です。冬までもたせて鍋で楽しむはずの100本の長ネギは、ほぼ80%の減収となり9月初めには食べ尽くしました。掘り起こした所、根が腐っているものが多かったところをみると、暑いだろう!と水を遣り過ぎた愛情過多?の可能性も否定できません
10月になって種を蒔いた長ネギは、下の写真のように芽が出たばかりで、とても冬の鍋には間に合いそうにありません、トホホ!;

10月7日種蒔きの長ネギ_11月7日
10月7日種蒔きの長ネギ_11月7日

長い夏の影響は、上記だけではなく、通常8月に種蒔きを行う秋・冬野菜の代表である白菜、キャベツの苗作りもうまくいきませんでした。白菜、キャベツの苗はプロの農家のように、日差しだけでなく、温度、湿度もコントロールできるハウスで行えば何とかなるのでしょうが、今年の様な猛暑では所詮無理なのかもしれません
やむなく9月中旬、近所のホームセンター(4ヶ所あり)に苗を買いに行ったところ全て売り切れでした。聞くところによれば9月に苗を売り出した所、二週間ほどで売り切れてしまったそうです。ひょっとしてプロの農家も苗の育成に失敗して買い占めたのかも?
10月初旬になって、再びホームセンターに苗が並ぶようになりましたが、明らかに未だ小さい株であり、霜の降りるまでに結球する可能性は低いのですが、植えないよりましだと思い、苗を買って植え付けました。現在まで一ヶ月ほど経過しましたが、生育状況は下の写真の通りです;

苗を購入した白菜・キャベツの生育状況
苗を購入した白菜・キャベツの生育状況

最近の長期天気予報によれば、11月中は例年よりやや暖かいようなので、うまく結球することを祈るばかりです!

往生際が悪いのですが、苗が手に入らないことが分かってすぐ、一応種蒔きをしてみたのですが、苗が十分に生育していないので大きく育てるのは無理のようです。従って下の写真のように密植をして、結球を待たずに食べようかと思っています;

9月下旬に種蒔きした白菜・キャベツの生育状況_11月7日
9月下旬に種蒔きした白菜・キャベツの生育状況_11月7日

長い暑い夏から、強風吹き荒れる台風の季節を経て現在に至るまで、何の影響も受けずに食材を提供し続けてくれたけなげな野菜は、赤唐辛子(鷹の爪)、ジャンボ・シシトウ、空心菜とニラです;

空心菜・ニラ_11月7日
空心菜・ニラ_11月7日

赤唐辛子、ナス、ゴーヤなどは、食べきれないものを酷暑の中で乾物にし冬に備えました。尚、下の写真の左下にある瓶に入っているものは「鷹の爪の醤油漬け」です。生の鷹の爪(青い状態)を刻んで醤油に漬けただけですが、炒め物に使ったり、鍋の漬けダレに添加したり、と我が家では大変重宝しています(←台湾駐在中に病みつきになりました!);

乾燥させて保存
乾燥させて保存

葉物の秋・冬野菜の種蒔きも、弱体化!した体力の関係で培養土の再生が遅れたために、やや遅くなってしまいましたが、一応10月中には種蒔きを終わりました。現在の生育状況は下の写真の通りです。12月に入ったら、気温をウォッチしながら保温措置を行う積りです;

秋・冬野菜_11月7日
秋・冬野菜_11月7日

11月末には植え付けをしなければならないタマネギは9月7日に種蒔きをしたのですが、サラダ用のタマネギの種は殆ど発芽しませんでした。恐らく2年前の種なので発芽率が低かったためと思われます。10月中旬に改めて種を買って撒きましたが、やはり小さすぎて苗として使えません。この苗は、このままうまく冬を越せれば春になってから植え付けてみようかと考えています。下の写真左側のタマネギは、どうやら苗として使えそうです。やれやれ!

タマネギの苗(二種類)の生育状況_11月7日
タマネギの苗(二種類)の生育状況_11月7日

最後になりますが、今年は野沢菜とニンニクの栽培にちょっと力を入れたいと思っています。野沢菜はここ数年栽培していますが、今までは密植状態で栽培して普通の葉物野菜として料理に使っていましたが、今年は大きく育て、野沢菜漬をやってみたいと思っています。ニンニクは一度失敗していますので、再度のトライとなります;

野沢菜・ニンニク_11月7日
野沢菜・ニンニク_11月7日

以上

エアラインというビジネス

はじめに

エアラインというビジネスは、言うまでもなく「航空機」という輸送手段を使って、「お客さま(貨物も含む)」を A地点からB地点に運んで収入を得るビジネスです。また別の言い方をすれば、上の写真にある航空機の座席(または、貨物スペース)をお客様に売るビジネスということもできます
輸送業という意味では、このビジネスは鉄道事業やバス事業と同じで;
 商品の貯蔵ができないということが最大の特徴です。つまり、お客様(または貨物)を搭載しないで輸送したばあい、収入はゼロでコストが確実にかかります。これはある意味「生鮮食料品」など、貯蔵すると腐って価値を失う商品(Perishable Commodity)の販売と同じと考えられます。運賃に「定価」が無いと言われるのも、この特徴からきています

また、公共交通機関であるということから、
 極めて大きな社会的な責任を負うこととなります。従って、
安全輸送の責任;事故を起こした場合、刑事処罰(過失傷害、過失致死、等)、損害賠償責任、行政処分(免許停止、事業改善命令、等)の対象になることに止まらず、社会的な制裁(マスコミの追求、被害者の罵詈雑言!、など)も甘受しなければなりません。事故防止の為の巨額な安全投資が必要となることも、このビジネスの特徴です。尚、エアラインの安全投資について詳しく知りたい方は「安全運航を守る仕組み」をご覧ください
定時性確保の責任:定時性を維持するための予備の人員、予備の航空機、予備の部品、などが必要となります
事業継続の責任:会社都合による路線からの撤退や運航便のキャンセルが簡単には出来ません

一方、エアライン・ビジネスと他の運送事業との決定的な違いは;
③ 安全性に対するお客様の関心が非常に高いということが言えます(事故率から見ると一番安全な乗り物であると言われてるにもかかわらず、、、)
事故率については、航空機メーカーが構造設計・システム設計を行う場合、深刻な事故(Fatal Accident)を起こす確率を10億分の1以下とすることを義務付けられています。ただ、現実の深刻な事故の確率は年々改善されてはいますが、ヒューマンエラー、その他想定外の事象によりもっと高くなります(参考:事故統計
お客様が空中を飛ぶことに対し、漠然とした不安感を持っています。事故に結びつかないような軽いトラブルに対しても、その対応を誤まればお客様を失うことに繋がる、こうしたことから技術的なトラブルに対する PR活動が必須となります。また、近距離路線の場合、地上輸送にお客様を奪われることもある程度覚悟しなければなりません(新幹線の路線が開設されると、競合する近距離路線ではお客様の航空会社離れが必ず発生します)
国内・外の航空機事故が大々的に報道され、事故の悲惨さに接する機会が多いことも特徴の一つです。特に、事故現場の悲惨な光景や、被害者家族の悲嘆にくれる映像が繰り返し報道され、事故の悲惨さが一層強調されることで、他社(国内、国外)の事故であっても確実にお客様の減少に結びつきます。従って、エアライン各社は事故抑止に関しては運命共同体とも言えます

ジャーマンウィングA320墜落事故_2015年3月
ジャーマンウィングA320墜落事故_2015年3月(乗員・乗客全員死亡)

また、エアライン・ビジネスは、他のビジネスと比べ、
需要の変化に機敏に対応できないことが、経営のかじ取りを非常に難しくしており、厳しい競争環境の中で一歩間違えれば倒産の危機に瀕することにもなります。その主な理由は;
航空機の調達はリードタイムが非常に長い(新造機の場合、通常3~5年のリードタイムが必要です)。従って、急激な需要の増加というビジネスチャンスに対応するためにはリース機や中古機の活用が必要となりますが、遊休の航空機がいつも市場にあるとは限りません
パイロットの確保が簡単ではありません。パイロットの養成には長い時間が掛かるため、自社パイロットの養成は長期計画に基づいて行われており、急に増・減させることは困難です。また、資格が機種別になっており、機種の限定変更には相応の時間が必要になります。パイロットをリースに頼ることも行われていますが、求める人数、技量のパイロットを確保することは、そう簡単ではありません(参考:140429_つまずいたピーチ航空_パイロット不足が成長の足かせに
空港の容量には限界があります。空港の容量とは、発着枠(総量及び時間帯別)、駐機スポット数、旅客ターミナル面積、などを意味します。特に国際線においては混雑空港における増便は非常に難しく、また、一旦減便すると、今まで持っていた発着枠の権利(Grandfather’s Right/既得権条項)を失うリスクが発生します。その他、
空港のCurfew(飛行禁止時間帯)、国際線においては、CIQ(税関、出入国検査、検疫)の受け入れ容量などに関する制限もあります

運送事業に関しては、安全を第一とする事業運営や交通インフラの健全な競争環境を整えるために、国土交通省は、
各種の規制を行っています。航空自由化の流れの中で、安全にかかわる規制を除き緩和されつつあります

国際線の運航に関しては、
⑥ 相手国との間で条約や航空協定を結ぶ必要があります。国力の違いによってエアラインの実力に大きな差が生ずるので、輸送量(就航便数、航空機のサイズ)の均衡を図る必要があるためです。最近は、航空自由化の流れの中で先進国間では輸送量の制限を設けない、あるいは緩めた条約・協定を結ぶ国が多くなりました

経営上の重要な指標

通常のビジネス同様、最終的には貸借対照表(BS)、損益計算書(PL)に代表される財務諸表から導かれる各種の経営指標が、経営の舵取りに必須であることは言うまでもありません。しかし、エアライン・ビジネスにとっては、以下の様なエアライン・ビジネス特有の経営指標が経営の舵取りには必須となっています;

A.営業活動に係る経営指標(収入面)

営業として当たり前のことですが、できるだけ高い運賃で、できるだけ沢山のお客さまにご利用いただければ儲かることは当たり前ですが、当局に認可された運賃(コストに相応の利益を上乗せした運賃)があった長閑な時代と違って、現在は国内・国際を問わず強力なライバル・エアラインが存在し、運賃やサービスで厳しい競争が当たり前になっています。従って、以下の経営指標を日常的にチェックし、経営の舵取りを行うことが必須となっています;

① 搭乗率:(搭乗者数)÷(供給座席数) --- 「%」表示が普通
極めて簡単な指標ですが、メディアなどではこの搭乗率だけで経営の良し悪しを判断していることが多いようですが、この数値は運賃を下げれば簡単に上昇するので、以下の指標と併せて検討しなければ意味がありません

② シェア(Share);競合するエアライン間で、お客様の摘み取りの状況を比較をするときの指標です
シェアには以下の二つの指標があります;
需要シェア:路線全体の旅客需要(搭乗者数;参入している全社が対象)と各社の旅客需要(搭乗者数)との比;
需要シェア(A社)=旅客需要(A社)÷  旅客需要(路線全体)

供給シェア:路線全体の供給座席数(当該路線に参入している全社が対象)と各社の供給座席数との比;
供給シェア(A社)=供給席数(A社)÷  供給席数(路線全体)

③ 競争力:競合するエアライン間で、お客様の摘み取りの効率を比較をするときの指標です
競争力(A社)=搭乗率(A社)÷ 搭乗率(路線平均)
例えば、A社の搭乗率が75%、競合する他社を含む路線平均搭乗率を80%とすれば;、
A社の競争力:75% ÷ 80% = 0.94 ⇒ A社の競争力は低い

参考:競争力とシェアとの関係
競争力(A社)= 搭乗率(A社)÷ 搭乗率(路線平均)
={旅客需要(A社)÷ 供給席数(A社)}
÷ {旅客需要(路線全体)÷ 供給席数(路線全体)}
={旅客需要(A社)÷ 旅客需要(路線全体)}      ⇒需要シェア(A社)
÷ {供給席数(A社)÷ 供給席数(路線全体)}   ⇒供給シェア(A社)
つまり、
競争力(A社)= 需要シェア(A社)÷ 供給シェア(A社)

④ 実収単価:航空券には正規運賃の他、各種割引運賃、団体運賃、等があります。これらを加重平均して計算した搭乗旅客一人当りの平均運賃のことを実収単価といいます。つまり、
各種の航空券の価格:Pn
航空券の種類別の搭乗者数:Nn
とすれば、
実収単価: Pa=Σ(Pn x Nn) ÷  ΣNn
例えば、普通運賃(20,000円)の年間旅客数が300,000人、割引運賃(12,000円)の年間旅客数が100,000人であったとすれば;
実収単価=(20,000x300,000+12,000x100,000)
÷(300,000+100,000)=18,000円

⑤ 路線収入:路線毎の全収入を意味します。この路線収入を全路線について合計をとったものが、そのエアラインの収入になります。エアラインは、この路線収入を極大化することが経営の最大の目標となることは言うまでもありません
路線収入は路線毎の実収単価と搭乗旅客数(旅客需要)の“積”となります;
例えば、実収単価:18,000円、旅客需要:400,000人の場合とすれば;
旅客収入=18,000x400,000=72億円

路線収入を極大化させるには、競争力を上げ、且つ実収単価を上げることがベストであることは明らかですが、例えば運賃を下げるか、あるいは割引運賃の提供座席数を多くすれば競争力を上げることは簡単ですが、必然的に実収単価は下がってしまいます。従って、競争力と実収単価とは相反する関係にあります
この相反関係の中で、最適な組み合わせを見つけ出すことをイールド・マネージメント(Yield Management)といいます。具体的には、路線ごとの需要特性(季節変動、鉄道・バスとの競合状況、他エアラインとの競合状況、過去の実績、他)を把握して運賃の種類別の最適な組み合わせを見つけ出すことと定義することができます

昔は、営業のスペシャリストが長い経験と知恵でこの判断を行っていましたが、エアラインの規模が大きくなるにつれ人間の能力では追いつかなくなってきつつあります。最近大手のエアラインでは、このイールド・マネージメントをコンピューターを使って行うようになってきました
日本航空でも、2017年に約50年使った営業の基幹システムをハードとソフトの両面で刷新しました。最新のAIを使った新システムの導入には約7年間の期間と800億円の投資が必要だったといわれています

B.Break Even Point(損益分岐点)

収入と費用が等しくなるところは、 Break Even Point(損益分離点)といいます。
損益分岐点以上の収入があれば利益、以下となれば損失が発生することになり、経営上最も重要な指標となります。なかでも、損益分岐搭乗率(Break Even Load Factor)は、日々の営業活動で営業の第一線で働いている人が最も意識する指標であり、また経営者にとっても収支の健全性をチェックする意味で、常に意識していなければならない経営指標です

損益分岐点:収入(実収単価x搭乗者数)=費用(席当り費用x全席数)
両辺を(実収単価x全席数)で割ると、
搭乗者数÷全席数=席当り費用÷実収単価
Break Even Load Factor

C.コスト管理に係る経営指標(支出面)

1.航空機の稼働に係る経営指標:航空機の稼働率
航空機はエアライン・ビジネスにとっては必須であるものの、非常に高価な資産です。因みに、ボーイング社の最新の旅客機である787 Dreamliner であれば約230億円、エアバス社の最新のA350XWB であれば約300億円もします(参考:Airbus and Boeing Average List Prices 2017)。勿論、為替レートによって円表示価格は変わります。また、航空会社の交渉力(発注機数やエアラインの規模が大きな力を発揮します)が大きければ一般に開示されない値引きもあります。新規開発機種を最初に発注するエアライン(「launch Customer」といいます)は、更に大幅な値引きがあることが普通ですが、これは発注した新機種が、必ずしも人気機種になるとは限らないからです。大手エアラインはこうした「launch Customer」になることが多く、相当安い価格で入手しているといわれています。因みに、三菱航空機が新しく開発しているMRJの「launch Customer」はANAです

こうした高額の資産(航空機)を使ってビジネスを行う場合、その保有に係るコストを常に意識しておかねばなりません。保有に関わるコストの代表的なものは「減価償却費」です。減価償却費とは、使用を続けることにより経済的な価値が低下する(減価)ことを考慮し、その資産の購入費を資産の寿命をもとにした期間に亘って分散して計上することが認められている費用のことです(減価償却費は実際の支出を伴わないことから企業の内部に留保されれば、旧式となった資産を更新する財務的な裏付けとなるものです)

減価償却費の償却期間は、収支状況の悪い年に期間を延長して費用を減らし、逆に収支状況のいい時に期間を短縮して利益を圧縮するといった会計操作を防ぐために、資産の種類毎に経済的寿命を考慮して国の基準が決められています
航空機の場合「減価償却資産の耐用年数等に関する財務省令別表_航空機関連」によれば、787 Dreamliner、A350XWBの場合、最大離陸重量が200トン以上であるため、償却期間は10年、定額償却を行うとすれば、

787 Dreamliner;
230億円 ÷ 10年 = 23億円/1年 ⇒ 630万円/1日
A350XWB;
300億円 ÷ 10年 = 30億円/1年 ⇒ 820万円/1日

となります(尚、平成19年税制改正で、残存価額という概念が撤廃されています)。保有しているだけで、これだけ巨額の費用を負担することとなれば、当然航空機は可能な限り高い稼働を達成しなければならないことは明白です。エアライン・のビジネスの経営状況を評価するときに、航空機の稼働状況を重視する所以はここにあります

尚、冒頭でも述べたように、エアライン・ビジネスは、お客様に客席を提供するビジネスでもあります。従って、客室仕様が旧式になり、競合他社の客室快適性に劣後する状況になった時は、航空機を最新鋭機材に更新するか、客室仕様を最新のものに改修する必要が出てきます。客室仕様の全面的な改修は極めて高額の投資を伴い、改修実施後の減価償却費の負担も考慮して経営判断をしなければなりません

 

2.パイロットの効率に係る経営指標パイロットの平均稼働時間
パイロットの計画が経営にとって何故重要かについては、以下のポイントに要約することが可能です;
コストの側面
パイロットの人件費が極めて高いこと。因みに、パイロットのリース会社として有名な PARC Aviation に届いているエアラインの求人情報(PARC Aviation)を見ると、給与はかなり高いことがわかります(注:求人内容詳細に給与が入ってない場合もあります)
パイロットの養成費用が極めて高いこと(養成途中で非稼働となる部分の人件費;シミュレーター、その他訓練施設;地上教官の人件費;運航技術要員、運航管理要員、労務管理要員人件費、経費など)

事業計画とパイロットの計画を整合させることの難しさ
パイロットの養成は長期計画にならざるを得ない(新人の採用→パイロット資格取得→副操縦士資格取得→機長資格取得)にも拘らず、
*航空需要は景気の動向に敏感であり極めて短周期で変動する
*自社需要は競合他社の動向の影響を受けるものの予測が困難である
*航空機の導入・退役計画があると機種限定の変更訓練による非稼働のパイロットが増加する、など計画には変動要素が沢山あります
事業計画とパイロットの計画の整合が取れないと、パイロットの不足(→事業計画の縮小、または外人乗員の採用)、またはパイロットの過剰(→非稼働部分人件費増)を招くことになります

労務問題の難しさ;
以下の理由により、一般にパイロット組合の交渉力が非常に強くなります(←欧米先進エアラインでも同じ状況)
*パイロットのストライキは、直ちに定期便のキャンセルにつながること
*経営側が権利として認められているロックアウトは、公共輸送を担う立場から実質的に行使できないこと
*パイロットの要求事項のうち、乗務手当・パーディアム等の諸手当は世間の理解を得るのが難しい要求項目のため、経営側が世論のバックアップを得ることが難しいこと
安全運航に絡むパイロット組合の要求事項は、世論の支持が得やすいこと
安全運航に絡めて要求される乗務割基準は乗員の疲労に関わることから、重要な労働条件であるものの、譲歩すれば大幅なパイロット必要数の増加に繋がるため、経営側としては中々譲歩できない要求事項となります(過去、訴訟に発展する事例も多い)

上記 ①~③ 全てが集約される経営指標がパイロットの平均稼働時間であり、これを規制が要求する上限の稼働時間(飛行時間制限、勤務時間制限)に近づけることが経営にとって死活的な目標となります

3.その他の大きなコスト要因に係る経営指標
第1項、第2項に比べ、コストをマネージできる部分が少ないのですが、以下のコスト要因も経営として間違いのない判断をしていかねばなりません;
(1)整備関連費用
航空機は、安全運航を達成する為に必須の作業項目(整備要目)が法的に決められており、これを着実に実施していく必要があります(詳しくは“4_整備プログラム”をご覧ください)。この作業を着実に実施するために必要なものは;
整備を実施する整備士の確保(資格、等詳しいことは“5_航空整備に関わる人の技量の管理”をご覧ください)が必要となりますが、必ずしも全て自社で行う必要は無く、委託するという選択肢があります(委託の条件、等詳しいことは“6_認定事業場制度”をご覧ください)。自社で整備する場合は整備士の人件費・経費、整備施設に係る減価償却費がかかります。また、委託する場合は委託費としてカウントされます。選択に係る経営判断のポイントは、整備品質とコストとなります

実施しなければならない作業項目のうち、運航に供されている航空機の駐機中に行われる作業は、特に整備のために運航を止める必要はありませんが、運航を長期間止めて整備する項目(重整備と呼びます)については、この整備のための引当機が必要になります(イメージとしてはマイカー車検整備中の代車のようなもの)。古い航空機、新しい航空機、機種、などで違いがありますが、これらを取り混ぜて、約5%の引当機が必要(⇔1年間365日の内、365日x5%→1機当たり年間18日は重整備のために運航できないことを意味します)というのが私の経験です。これは、航空機を20機保有していれば、その内1機は重整備引当機として確保する必要があることになります(→稼働できる航空機は19機となります)。これはとりもなおさず航空機の保有に係るコストの内5%は整備のために必要となることを意味します。極めて巨額ではありますが、必要不可欠であるということから、経営の舵取りとはあまり関係のない費用となります

航空機は多くの部品で構成されており、定期的に交換される部品、故障のために交換される部品、等があり、エアラインとして部品交換のために航空機を運航から外すことは極力避けなければなりません。従って、こうした部品はスペア部品として保有しなければならないことになりますが、どの程度のスペアを持つか(スペア・レベルといいます)は、定時性整備の持越し基準(整備によるキャンセル率と関連)をどうするかという経営判断の範疇に入ります。エンジンや降着装置など高額な部品の保有は高額な保有コストを招きますが、同じ機種を多く持つことでスペア部品の保有コストは相対的に低くすることができ、大手のエアラインに有利になる傾向があります

(2)間接費
エアラインでは、パイロット、CA(客室乗務員)、整備士、などが航空機を飛行させる為に直接必要となりますが、これらの仕事をサポートする要員(一般に、人事、企画・計画、総務、など)も大変重要です。また、コンピューター・システムの導入・運用に係るコストもエアライン・ビジネスにとって極めて重要、且つ金がかかるものですが、これらの分野は近年アウトソース化が進んでおり、LCCが容易に創業できる要因になっています

(3)空港でのハンドリングに係るコスト
空港における旅客ハンドリングや、空港における航空機のハンドリングは、既にエアラインにとっては自前で行う業務ではなく、委託が第一の選択肢になります。ただ、お客様に直接コンタクトする業務については、コストとサービス品質のバランスを見極めることがエアラインの経営にとって重要になります。近年、主要航空会社がアライアンス(ワンワールド、スターアライアンス、スカイチーム)を構成し、レベルの高いサービスをお客様に提供しようとしているのもこうした理由によるものです

以上

地方創生とエアラインビジネス

幕藩体制が崩壊した明治維新後の日本は、経済の発展と歩調を合わせるように人口の大都市集中が起こり、先の大戦後は益々その傾向が顕著になっています。戦後、経済基盤と人の地方分散を狙った様々な政策が実行されましたが、残念ながらこの傾向に歯止めをかける状況にまで至っていません。また昨今話題となっている大都市在住の若年層の高い失業率や貧困の問題、地方都市の人口減と高齢化の問題は人口の大都市集中と無縁ではないと思われます

考えてみれば、肥大化した大都市人口のかなりの部分が地方都市出身者であり、彼らはふるさとに残した親、親戚、友人との強い絆を持ったまま、大都市の一角にその住まいを構えているのではないでしょうか。宅配便の発達で“物”の交流については著しい進歩がありました。しかし、地方都市出身者や地方に残した人々が本当に求めているものは“人”の自由な交流ではないでしょうか。地方都市と大都市圏を結ぶ“人”の交流を阻んでいるものは、言うまでも無く交通費と所要時間の問題です。遠いふるさとを訪ねたいと思った時に、隣町に行く様な気軽さで行ける事になれば、その心理的な距離は著しく近くなるに違いありません

戦後、国と地方が一体となって努力してきた結果、既に各地方都市には立派な空港が整備されています。また航空自由化の進展によって幾つかの新しい航空会社が誕生し、既存の航空会社や、新幹線との競争が激しくなり、航空運賃の低下がある程度は実現しています。しかし競争が厳しくなればなるほど採算性が重視されることは経済の原則です。この結果、競争による運賃の低下や発着便数の増加は需要の多い幹線や準幹線では顕著になっているものの、せっかく整備した地方空港への便については必ずしも競争による恩恵を受けているとは言い難いのではないでしょうか

いま日本の航空輸送の大半を担っているジェット機は、そのスピードと大きな旅客収容能力によって経済性を発揮しています。従ってジェット機を需要の少ない路線や短距離路線に投入すれば必然的に経済性は悪化し、結果として地方都市への路線運営は後回しになってしまいます。これに対し、ターボプロップ機は500キロメートル程度の圏内であればジェット機に比べ経済性が高く、またこの圏内であればスピードの違いも目的地への飛行時間に与える影響はそれほど大きくはありません。従って500キロメートル圏内の比較的小規模な需要の路線にターボプロップ機を投入すれば、便数頻度や発着時間帯の面でジェット機に対する優位性を発揮することは充分に可能であると考えられます
また、空港へのアクセスの面では、大都市圏の基幹空港は利用者が多く競争原理が働くために利便性が高く航空会社は特別な配慮も行っておらずまたその必要もありません。しかし多くの地方空港では、そのアクセスに問題があり鉄道輸送との競争において圧倒的なスピード差があるにも拘らず劣勢に立たされているのが現状であると思います。本来空港へのアクセスにおいては何らかの地上輸送と接続し一貫した輸送体系を築くべきですが、ジェット機を使用する場合その大きな旅客収容能力と低い便数頻度によってこの一貫した輸送体系を築くのを困難にしています。これに対しターボプロップ機は、旅客収容能力がバス1~2台分であり主要な鉄道のターミナル駅とバス輸送と接続することにより、言わば鉄道の駅を“空港化”することが可能であると考えられます

シナジー効果

大都市圏と地方都市との間には以下の様な環境の差があります;

① 土地・建物等の不動産価格の差(⇔余剰不動産の差)
② 人件費単価の差(⇔失業率の差)
③ Living Costの差
④ 産業誘致に対する自治体の優遇措置(熱意)の差
⑤ 子育て環境の差
⑥ 高等教育施設の質、量の差
⑦ 遊戯施設、文化施設の差
⑧ 自然環境の差

これらの差は人の流れを作り出すポテンシャルを持っており、500キロ圏内の人の移動時間(30分~1時間)、移動コスト(5千円~1万円)をうまく結びつければ新しいビジネスを生み出すことができる

新しいビジネス(ビジネス・モデル)の例
1.通勤型“出稼ぎ”支援ビジネス
地方都市から大都市圏に週間1往復の通勤を行う(金帰月来)。ウィークデイは大都市圏の簡素な宿泊施設(単身者用)に宿泊し、週末は地方都市の自宅で過ごすライフ・スタイルを可能にする「通勤費」プラス「宿泊施設提供」を一体化して提供するビジネス
*地方都市から大都市圏への通勤費:52週x2x(5千円~1万円)、及び単身用宿泊施設から会社までの交通費の大半を会社負担とすることを想定する ← 通勤時間が1時間30分を越す比較的遠距離通勤を行っている会社員の会社支給の通勤費と大差ないと考えられる
*割引の週間通勤定期(52回/年)運賃を設定する。この定期を使って家族の一員も大都市圏に出かけることを可能とする
*成長軌道に乗り始めた日本の経済を勘案すると、大都市圏で人手不足となる企業が増加する可能性が高い
*2020年のオリンピックに向け、首都圏で土木・建設作業者の不足が懸念されてい

*地方都市で介護が必要となる老親を抱えている社員が増加傾向にあり、これらの社員に「退社」、「嫌がる老親の大都市への呼び寄せ」、「老親介護の放棄」以外の選択肢を提供する
*地方出身の若い夫婦の子育てを親の実家で行うことが可能となる
*地方都市における税収(県民税、市民税)が増えると同時に人口減に歯止めが掛かる為、地方自治体から何らかのバックアップが期待できる

2.スマート・オフイス提供ビジネス
IT関連企業に代表される様な、インターネット環境さえ整えれば場所を問わない企業にネット環境を整えたオフイス及び簡素な宿泊施設を賃貸するビジネス
*対象企業の社員は大都市圏から週間1往復程度の通勤、及び大都市にある本社で行われる諸会議に参加することを前提として企業、社員の心理的なバリアーを下げると共に、本社とオフイス間の距離に起因する効率低下を防止することが可能
**企業が負担する通勤費:(52週+諸会議回数)x2x(5千円~1万円)
**割引の週間通勤定期(52回プラス諸会議回数/年)運賃を設定する。
**一般にIT関連企業は業務量のPeak/Valleyが激しく、業務のPeak時には労働 準法を越える残業が行われているとも言われているが、このスマート・オフイスを使うことによりこうした悪しき労働環境を改善していくことが可能となるほか、比較的大きなプロジェクトを、所謂“合宿環境”の中で効率的にグループ業務を行うことにより納期遵守、短縮、等が期待できる
*地方都市における税収(固定資産税)増、通勤社員による消費増、及びスマート・オフイスを賃貸した企業が地方採用の社員を雇用する可能性があり、地方自治体から何らかのバックアップが期待できる

3. 都市生活者への農地提供ビジネス
地方都市周辺の耕作放棄地及び空き家を廉価で賃借し、10アール(100平米)程度の単位で宿泊施設付きで賃貸するビジネス
* 最近、大都市在住者の中に農業を志向する人が増加している。しかし住宅密集地では猫の額の様な菜園ですら確保することも難しく、また賃貸料も高い。また、車での移動を前提とし大都市周辺地区で比較的広い面積の農地を確保する方法も、農地の賃貸料が高い(都市圏への野菜提供農業が盛ん;住宅地に転用できれば高く売れる)為に余り行われていない。一方、地方都市では農業放棄地が急速に増加しつつあり、こうした農地の確保には全く問題無い
*個人負担の交通費:5回程度x2x(5千円~1万円)←根菜類、穀類、果樹、手間の掛からない野菜栽培を想定。
*収穫物の輸送は50キログラム/1回まで無料サービス
*人力では負担の大きい付帯業務(耕す、元肥漉き込み、等)は遊休の大型農業機械を使って比較的安価で委託可能:1アール当り5千円程度?/1年(除く肥料代)
*地方都市周辺の耕作放棄地の有効活用、種苗・肥料・殺虫剤、等の売上増、遊休大型農業機械の有効活用が期待でき、地方自治体、農協などから何らかのサポートが期待できる

4.大都市圏と地方都市を結ぶ路線に特化したビジネス
以下の様な大都市圏と地方都市との間に存在するやや特殊な旅行需要に焦点を絞った旅行ビジネス;
①墓参り、法事、等に伴う帰省
②大都市圏の地方出身大学生の帰省、保護者等親族の大都市圏への旅行
③大都市圏在住の小・中・高校生を対象とした春休み、夏休み期間の田舎生活体験ツアー(廃校活用、高齢者農家による民宿、等;滞在期間:1~2週間)
④地方都市の若年層を対象とした格安のテーマパーク、コンサート参加ツアー(夕方発、空港での仮眠)
⑤地方都市在住の文化愛好者を対象とした展覧会、コンサート(クラッシック)参
加ツアー
⑥子育てを親の居る故郷で行う(父親は大都市圏で単身生活。週末に故郷を往復する)
⑦早朝・深夜便を使った日帰り観光(宿泊費節約)

*割引回数券の設定(①、②対象;高速バスと鉄道運賃との中間の運賃設定)
*チェックイン貨物の無料化(②の保護者等親族の旅行の場合;50キログラム以内)
*団体割引運賃の設定(③、④)
*テーマパーク料金込みのパック料金の設定
*地方都市の活性化に繋がる為、地方自治体のサポートが期待できる

<参考>宅配便ビジネスの隆盛に伴い新たに生まれたビジネス・モデル、新規需要、等
*料金代引サービス活用によるビジネスの活性化:各種通信販売ビジネス、メーカーのアフターサービス(修理品回収、返品、補修部品送付)
*各種産直ビジネス
*航空ビジネスとの連携:自宅⇔空港間の手荷物輸送、全国宅配ネットワーク活用による航空貨物部門との連携(ANAカーゴとヤマト運輸とのパートナーシップ)
*重い道具が必要なスポーツ活動との連携:ゴルフ、スキー・スノーボード、サーフィン

以上