<EEZに係る重要なポイント>
A. EEZ内の沿岸国の権利;
①EEZ内の天然資源(海産物、海底資源、海流・風力エネルギー)の探査・開発・保存・管理に係る権利
②人工島、施設・構築物の設置利用、海洋の科学的調査、海洋環境の保護・保全に係る権利(第56条)
B. EEZに於ける沿岸国の義務:他の国の権利及び義務に妥当な考慮を払う必要があります(第56条)
C. 全ての国は、EEZ内に於ける船舶及び航空機の航行の自由、海底ケーブル・海底パイプライン敷設の自由、その他これらに係る海洋利用の自由が認められています(第60条)
D. 沿岸国は、EEZ内の生物資源の漁獲可能量を決定することができます。一方、生物資源の維持が脅かされない様、科学的証拠を考慮して、適当な保存措置・管理措置を講ずる義務があります(第61条)
E. 沿岸国が、漁獲可能量のすべてを漁獲する能力を持っていない場合、協定その他の取極(注)に従い、漁獲可能量の余剰分を他の国による漁獲に委ねることができます
(注)協定・取り決めの内容:漁獲枠・魚種(含む大きさ)・漁期・漁場・漁具・漁船の種類の指定、手数料その他の報酬に係る許可証の発給、沿岸国の監視員の乗船、漁獲量の全部または一部の沿岸国への陸揚げ、などを指定できることになっています(第62条)
F. 高度回避性の種を漁獲する国は、EEZの内外を問わず種の保存を確保しかつ最適利用の目的を促進するため、直接、又は適当な国際機関を通じて協力する必要があります。また、適当な国際機関が存在しない地域においては、沿岸国、その他当該地域でその種を漁獲する国は、適切な機関を設立し、その活動に参加する必要があります
G. 溯河魚の漁獲に関するルール(第66条);
①母川国は、EEZ内の漁獲量、漁業規制を定め資源の保存の為の措置を講ずること、及び自国の河川に由来する資源の総漁獲可能量を定めることができます。
②溯河魚の漁獲は、原則としてEEZ内及び陸地側の水域に於いてのみ行うことができます。但し、これにより母川国以外の国に経済的混乱がもたらされる場合はこの限りではありませんが、EEZ外の漁獲に関しては、関係国は、当該漁獲の条件に関する協議を行う必要があります
③母川国は、上記の原則を実施するに当たって、他の国の経済的混乱を最小のものにとどめるために協力する必要があります
④母川国は、他の国との合意により溯河魚の人工孵化・放流を行い、かつその経費を負担している場合には、自国の河川に発生する資源の漁獲について特別の考慮が払われることになっています
⑤EEZ外の溯河魚の規制は、母川国と他の関係国との間の合意によって決められます
⑥溯河魚が母川国以外の国のEEZ内に入ったり、通過して回遊する場合、当該国は、溯河魚の保存及び管理について母川国と協力する必要があります
H. 降河魚の漁獲に関するルール(第67条);
①降河魚がその一生の大部分を過ごす水域を持つ沿岸国は、種の管理の責任を持ち、回遊する魚が出入りすることができるようにする義務があります(ダムなど作る場合は、魚道を整備する義務があります)
②降河魚の漁獲は、EEZ内及び陸地側の水域においてのみ行うことができます
③降河魚が、稚魚又は成魚として他の国のEEZを通過して回遊する場合、その魚の管理、漁獲は、①の沿岸国と当該他の国との間の合意によって行われます
I. いずれの国も、海産哺乳動物の保存のために協力するものとし、特に鯨類については、その保存、管理及び研究のために適当な国際機関(国際捕鯨委員会)を通じて活動する(第65条)
J. 沿岸国の主権的権利の行使についてのルール(第73条);
①この条約に従って制定する法令を遵守させる為に必要な措置(乗船、検査、拿捕及び司法上の手続を含む。)をとることができます
②拿捕した船舶・乗組員は、合理的な保証金の支払又は合理的な他の保証の提供の後に速やかに釈放しなければなりません。また、拿捕、抑留した場合は、とられた措置及び罰について、船籍のある国に速やかに通報する必要があります
③漁業に関する法令違反について沿岸国が課する罰には、拘禁、身体刑を含めてはならないことになっています
5.大陸棚 A. 大陸棚とは:領海から先の海面下であってその領土の自然の延長をたどって大陸縁辺部の外縁に至るまでのもの、又は大陸縁辺部の外縁が基線から200海里の距離まで延びていない場合、原則として200海里の距離までのものを言います
尚、200海里を越える大陸棚については、第76条に詳しく定義されていますが、その確定作業は、沿岸国が調査した情報を「付属書Ⅱ」に定める「大陸棚の限界に関する委員会」(通称大陸棚限界委員会;詳しくは大陸棚限界委員会参照)に提出し、得られた裁定が最終的なものとなり、拘束力があります
<なぜ森林所有者の権利を制限できるのか>
① 現在、実質的に管理が行われていない私有林が多く存在し、本来森林所有者が適時適切に行うべき伐採、造林、保育(下刈、枝打、間伐、など)が行われず荒れ果ててしまった森林が多く存在すること
② 荒れ果ててしまった森林は、その所有者が負うべき保安林としての公的な責任(水源の涵養、土砂の崩壊その他の災害の防備、生活環境の保全・形成、など)を果たせなくなってしまっている事例が発生しつつあること
③ かつて林業で栄えた多くの山間の村落が林業の衰退により過疎地と化しており、こうした村落を再び活性化させるには林業が最も適していること
<森林経営管理法のねらい> ① 林業の成長産業化と、森林資源の適切な管理を両立させる為に、市町村を介して林業経営能力の低い小規模零細な森林所有者の経営を、意欲と能力のある林業経営者につなぐ(⇔委託する)ことで、林業経営の集積・集約化を図る ⇒ 大規模化によって効率的な森林用特殊大型車両の導入、広域的な林道整備が可能となり、長期的且つ計画的な林業経営が可能となります
② 経済的に成り立たない森林については、市町村が自ら経営管理を行う仕組みを構築する ⇒ 保安林としての機能を維持するための計画、実施が容易になる
<森林所有者の責任の明確化と市町村による森林経営管理権の行使>
① 森林所有者は、自身の保有する森林について、適時に伐採、造林または保育(下刈、枝打、間伐、など)を実施することにより、適切な経営または管理を持続的に行わなければならないと定めています(森林経営管理法第4条)
② 森林所有者が上記の義務を果たせない時は、市町村が森林所有者から経営管理権(森林の伐採、木材の販売、造林、保育を行う)を取得し経営管理を行う(同法第3条~第9条)と定めています
② 市町村は、管轄する区域内の民有林について経営管理の状況を調査し、市町村に集積することが必要かつ適当であると認める場合には、経営管理権集積計画を定める
この計画は、市町村森林整備計画(森林法第10条の5で民有林については、10年を一期とする森林整備計画を立てなければならない)、都道府県が実施する治山事業(森林法第15条の15で定められている)、その他地方公共団体の森林の整備及び保全に関する計画との調和が保たれたものでなければならないとされています
<森林所有者の権利、保護について>
① 市町村の経営管理集積計画は、森林所有者の同意を得なければならない(同法第4条の5)
② 市町村は、集積計画対象森林の森林所有者に対してその意向に関する調査(経営管理意向調査)を行わなければならない(同法第5条)
③ 森林所有者が、経営管理権集積計画に同意しないとき、市町村長は、農林水産省令で定めるところにより、同意すべき旨を勧告することができる(同法第16条)
ただ、津波の挙動に係る定性的な説明をすることは可能であり、これに基づいて津波が起こす幾つかの現象を素人なりに説明してみることにします; ① 湾(入江)の入り口が広く、奥が狭まっている場合、入り口の長さで決まる大量の水が湾(入江)内に侵入(上記B項参照)し、更に、湾(入江)の両側の岸から反射した津波が重畳するため、湾(入江)の奥に到達する時には極めて波高の高い津波となります ② 逆に半島や、島などで実質的に入り口が狭くなっている湾(入江)は、入り込む水量が少ないこと、湾内で津波の運動エネルギーが拡散し波高が低くなります。また、島などがあれば、津波の運動エネルギーが島との衝突によって失われ、津波の破壊力は減殺されることになります(松島湾のケース)
③ 防潮堤に必要な高さは、侵入してくる津波の水の量と速度で決ります。津波の運動エネルギーは「水の量(=質量)」x「速度の2乗」に比例するので、防波堤にぶつかった時は、この運動エネルギーは、防波堤に沿ってせり上がることによるポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)の増加で相殺せねばならず、想像以上に津波は高くなると考えなければなりません(前掲の「2棟のアパートの被害状況」の写真参照)。万里の長城と言われた宮古市田老地区の10メートルの防潮堤(世界最強の防波堤)を津波が軽く超え、簡単に破壊されてしまったのはこの理屈によるものと思われます。一旦防波堤の一部が破壊されると、寄せ波だけでなく、引き波で重い船や破壊された家屋の残骸、倒木などが防波堤に激突し、その集中荷重で防波堤は簡単に破壊されてしまったはずです
<参考> 宮古市田老地区の現在の堤防復興状況:防波堤・海閉ざす壁
3.建物自体を、圧倒的な破壊力を持つ津波に破壊されないようにするには、以下の様に極めて限定的な方法しかありません ①鉄筋コンクリート製の高層建築物であれば前掲の「2棟のアパートの被害状況」、「海沿いのホテルの被害状況」の写真を見れば分かる様に、その重量と基礎の堅牢さで建物の崩壊は免れることが可能であると思われます。更に、建物の向きを「オーシャンビュー」ではなく、海岸線に直角の方向にすれば、津波の立ち上がり方も少なく、より低層部分も冠水しないで済むと考えられます ② 長い海岸線の平野であれば、津波の高さはそれほどではない(今回の大津波でも1階~2階の高さ)と考えられますので、普通の個人用の邸宅でも、1階部分の柱を鉄骨で作り、壁を壊れやすく!して、津波が来た時には簡単に壊れて水流が容易にすり抜けられるようにすれば(上の輪中の絵の「母屋の1階部分」をご覧ください)、家自体は守れる可能性があると思われます。尚、この時、引き波も大河の様に水が流れますので、流されてきた重量物の衝突で柱の鉄骨が破壊されないようにしたほうがより良いと考えられます。この為には大きな川の橋桁の上流側に設置されている流木などが橋桁に激突するのを防止する構造物を海と反対側に設置することが有効であると考えられます
そもそも、核攻撃による死のリスクとはどんなものでしょうか; ① 致死量の放射線を爆心から直接浴びることによる死;
放射線はアルファー線、ベータ線、ガンマ線(波長の短い電磁波)、紫外線・光線・赤外線(波長の長い電磁波)、中性子線、その他の粒子線に分けられます。それぞれの放射線の性質、リスクなどについて詳しく知りたい方は私のブログ(原子力の安全_放射能の恐怖?)をご覧になってください。いずれも爆心地近くで直接浴びれば即死します。しかし、頑丈な遮蔽物に身を隠していれば防御することが可能です。ただ、中性子線だけは透過力が極めて強いので水、あるいは水を含んでいるコンクリート、水分を含んだ土などで防御することが有効です(原子炉が水やコンクリートで遮蔽されているのはこの理由によります)
また、こうした放射線は爆心から球状に広がると考えれば、爆心からの距離の2乗に反比例して強度は弱まります。例えば、爆心から1キロの地点の放射線強度に比べ、10キロ離れた地点の強度は百分の一になります。基本的に直進することを考えれば、山などの陰に隠れていれば安全ということになります
② 爆風(正体は衝撃波=強烈な音波)を爆心から直接浴びることによる死;
爆心地近くであれば、強烈な爆風で人間を含む重い物体が吹き飛び、何かと衝突して死亡する可能性が高いと思われます。ビル街などでは、爆風で飛び散ったガラスが突き刺さり死に至るケースも多く発生します。爆風も基本的に爆心地から直進するので、頑丈な遮蔽物に身を隠すか、地面より低い所(戦場で爆弾が降りそそぐ環境で塹壕に隠れるのはこの爆風を避ける為です)に潜り込むことで安全を確保できます
よく原爆が炸裂した時の表現で「ピカドン」という言葉が」使われますが、これは「ピカ」で光速あるいは光速に近い速度の放射線が爆裂と同時に到達し、やや遅れた「ドン」で爆風が到達する状況を表現しています(遠くから花火を見た場合を想像してください)。従って、爆心から離れたところであれば、「ピカ」を見てから待避しても間に合う可能性があります(10キロ離れていれば30秒ほどの猶予時間があります)。爆風も、放射線と同じく球状に広がるので、距離の2乗に反比例して強度は弱まります。
③ 爆発後降り注ぐ放射性廃棄物から出る放射線(二次放射線)を浴びることによる死;
核爆発すると巨大な「きのこ雲」が発生することはよく知られています。このきのこ雲は放射性廃棄物を沢山含んでいます。これが爆発後ある程度の時間をかけて地上に降り注ぎます(所謂「死の灰」)。地上に降り積もった放射性廃棄物に近づけば①と同様被曝することは明らかです。しかし、放射線の強度は①に比べて桁違いに弱いので直ちに死に至ることはありませんが、長時間に亘ってその環境にいれば放射線障害になる恐れがあります。広島、長崎ではこの二次放射線で放射線障害となった人も多いと言われています。1954年、ビキニ環礁でマグロはえ縄漁を行っていた第五福竜丸の23名の船員が被曝したのは、この「死の灰」によるものです詳しくは私のブログ(原子力の安全_放射能の恐怖?)をご覧になってください。ただ、きのこ雲は風向、風速によってはかなり遠方まで届くので、爆心地から離れていても注意が必要です
① ターン後半から次のターンに至る部分は、できるだけ直線的に滑る方が疲れない(Kさんの言葉を借りれば″美しく見える!”)こと。勿論、小回りのターンではこの直線で滑る部分は無く、短時間のニュートラル・ポジション(斜面に垂直に立ち、スキーの前後を揃える)で二つのターンを繋ぐことになります
② 斜面の傾斜が緩い時は、この直線部分をニュートラルポジションのままターンの大きさに合わせて直線的に滑り、次のターンに入ることになります。ただ、斜面の傾斜がきつくなった場合は、この滑り方ではスキーの方向が徐々に下向きとなり、加速してゆきます。何故なら、斜面に垂直に立てば(⇔ニュートラルポジション)、体は斜面の下方に傾いており、エッジを立てていない限り重力によりスキーは最大傾斜線方向にズレながら向きを変え加速していくことになります(所謂「先落とし」)。この結果、次のターンに入る時にオーバースピードなった場合、ターンの前半で減速の操作(ズラす角度を大きくする)が必要となり、高齢者にとっては雪面からの抵抗が大きくなり、疲れる滑りになります(勿論、筋力、バランス力があればスピード変化に対応して減速を行わずに美しく滑る!事は可能です)
「第四次産業革命」とは; ① 1990年代から本格化したインターネットで代表されるコミュニケーション技術の大革命 ② 人間の知能に近い学習を自ら行って時間が経つにつれ賢くなってゆくDeep Learning を備えたAI(Artificial Inteligence / 人工知能)とロボット技術の融合 ③5G(Fifth generation / 次世代通信網)で代表される高速・大容量の通信インフラの整備(近い将来) ④ 桁違いの演算能力を持つ量子コンピューターの登場
などによって、近い将来起こると予測されている第一次~第三次産業革命を凌ぐ産業構造の大変革の事です
最近屡々新聞を賑わすICT(Information and Communication Technology / 情報処理および情報通信技術を使ったサービスの総称)やIoT(Internet of Things / 多種多様な生産設備が地理的な境界を越えて相互に自律的にコミュニケーションを行う事)の普及、急ピッチで開発は進められている自動運転車、身近な生活の分野で急速に進むシェア・エコノミー(配車シェア/ウ―バー、個人同士の商取引/メルカリ、クラウドコンピューティング/クラウドワークス、、)などは、いずれもこの「第四次産業革命」の第一歩という事ができます
第四次産業革命では、それまでの産業革命と同じ様に「人の働き方」が大きく変わります。そして、結果として「人の生き方」も大きく変わるのではないか、と言われています
最近、週刊現代に「オックスフォード大学が認定、あと10年で消える職業と無くなる仕事」というセンセーショナルなタイトルの記事が出て話題になっていました。この記事のソースをネット上で探ったところ、どうやら2013年9月に発表された「The future of employment : How susceptible are Jobs to Computerisation ?」という論文の様です。これは72ページにわたる大論文で、私には到底読みこなせませんが、論文冒頭の要約をみると、米国の702の職種についてコンピューター化できる可能性を分析したところ、47%の職種でコンピューター化が可能であり、労働市場に於いて雇用環境全般(職種ごとの賃金水準や学歴、ほか)に大きなインパクトを与える可能性があるとのことです
<改革の方向性>
如上の通り日本林業は、敗戦とともに一旦衰退したものの林業先進国というお手本があり、且つ江戸時代からの伝統技術を継承する人材もわずかながら残っていることから、規制当局による方向付けと林業関係者の熱意さえあれば、必ずや日本林業は蘇ると思われます。日本の周辺には中国(乾燥地帯が多い)という巨大な輸出可能性を秘めた国があり、下記の様な改革を着実に行うことにより林業が日本の基幹産業の一つになることは夢ではないと私は確信しています ① 林道の整備;
日本の林道は大型機械を導入する様にはなっていません。昔ながらの細い林道では、人間が一人で使うチェーンソーで伐採し、馬を使って運び出すことくらいしかできません。一方、高度経済成長時代につくられた「スーパー林道(大半が舗装され、山を崩して作られている)」は行楽客の通路になっているだけで環境破壊の原因にも挙げられています。林道の目的は森林の環境を悪化させず、伐採すべき森林のすべてにアクセスできる「林道網(ネットワーク)」でなければならず、しかも大型機械が通行できなければなりません;
② 大型機械の導入;
林業で一番コストがかかるのは間伐・伐採、輸送に係る費用です。上記林道網を利用して大型機械を運び込めば、ケーブル設置の様な仮設の設備は不要となり、省力化と作業時間の短縮による人件費の削減が一挙に可能となります。尚、大型の林業機械は森林の地面を荒らすことの無い様に特別に開発したもの(当面は林業先進国からの輸入か?;有限会社・フォレスト;動画リスト)でなければなりません。土木工事用の大型機械の改修ではこの条件を満たさない可能性が高いので注意が必要です
数種類の大型機械とそのオペレーターがセットになって、林道網に沿って計画的に間伐、伐採を行い、伐採を行った場所に順次植林を行って行けば、年間の木材産出量も安定し、昔の様に木材生産地に製材産業を呼び戻すことが可能になります。更に植林に当たって、広葉樹林帯の整備も行えば、いずれ木工産業をの再生と野生動物の跋扈もなくなると思います。更に、地球温暖化の対策として推奨されている木材チップ(間伐材)や製材の廃棄物(おが屑、端切れ、など)を使ったバイオマス発電により、山間地区のエネルギー自給が可能になるかもしれません
③ 後継者の育成;
戦後からの失われた70年で、林業を支える人材は一から育てなければならない状況になっていると思われます。歴史を振り返ってみれば、明治維新後まず政府が取り掛かった教育改革は、近代的な農業を習得するために外国からの教師の招聘と、農学校の設立でした。現在の北海道大学の前身にあたる札幌農学校(クラーク博士で有名)然り、東大農学部の前身も明治3年に遡ります。現在、明治維新当時と同じ様に先進国が存在し、そこでは近代的な林業が行われています。こうした国から国策として教員を招く、あるいは優秀な学生を林業先進国に国策として派遣する、などを行って全国規模で林業振興の種を蒔くことが必要だと思います(参考:林業再生・人材養成待ったなし)
また日本列島の周辺は黒潮(+対馬海流)、親潮が囲むようにして流れ、この広い水域を生かした漁業を行えば水産品の輸出大国になることも不可能ではないと私は考えます。しかし、以下の様な課題を解決することが前提になると思われます; ① 現在、沿岸漁業を中心に漁業者の高齢化が目立ち、後継者の育成が急務な状況ですが安定した漁獲が得られなければこの問題は解決しません。稚魚・稚貝の放流の他、流れ込む川の上流域での森林の整備(←落葉が分解して植物由来の栄養素が海に流れ込むことが必要)など豊かな漁場にしていく施策が必要と思われます。また、クール宅急便を使って各地方の雑魚のマーケットを開発すれば、沿岸漁業の経済価値を引き上げることも可能と思います
② 過去、北海道で沢山取れたニシンが全く取れなくなった時期がありました。また、日本海沿岸で沢山取れたハタハタが全く取れなくなった時期がありました。いずれも乱獲が主な原因でした。その後、厳格な漁獲規制を行った結果、資源が回復しつつあります。資源量の正確な把握と適切な漁獲規制(必要により完全な禁漁)を国の責任で行っていく必要があると思います
③ 日本が大量に漁獲し、消費しているマグロは、その資源の維持について責任があると思います。マグロの漁獲量と消費量のサイトを見ると、日本は世界中のマグロの消費量の約2割を占めており、日本人が好むクロマグロについては全漁獲量の72%、ミナミマグロについては全漁獲量の98%を消費していることが分かります
地中海、大西洋のマグロについては、欧州各国が資源の管理をしていますが、昨年は資源量が回復し漁獲割り当てが増加しました(参考:大西洋のマグロ管理に学べ)。一方、太平洋のマグロについては資源が減少しつつあり日本のイニシアティブが求められるところです
先日、テレビで大西洋のマグロ資源に関わる番組を見る機会がありました。大西洋マグロの産卵場所は地中海沿岸にあります。産卵時期にこの海域で捕獲(巻き網漁)したマグロは船に水揚げせずに、そのまま時速2キロで生かしたまま移動し肥育用の生簀に移すことで、抱卵したマグロは移動の途中や生簀の中で産卵するそうです。産卵を終えたマグロは生簀で肥育させた上で出荷するとのことです
太平洋マグロも小型魚を取り過ぎない様に漁獲規制を行っていますが、あまりうまくいっていない様です。この1月には既に割り当ての9割に達し漁獲規制が始まりました。マグロはえ縄漁では小型魚(30キロ以下)も、産卵直前の親マグロも針にかかってしまえば水揚げしない訳にはいかず、こうした規制の効果には疑問が残ります。太平洋でも産卵する海域は特定されており
アンダーソン(Benedict Richard O’Gorman Anderson/1936年~2015年;米国コーネル大学政治学部名誉教授)によれば、「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体」であり、言語や地理的、経済的共通性はない」としています。国民を構成する一人ひとりは、他の大多数の同胞を知ることも、会うことも、彼らについて聞くことがなくても、一人ひとりの心の中には共同のイメージが出来ています。例えば、2015年にジャーナリストの後藤健二さんがイスラム国で殺害されたとき、多くの日本人は義憤にかられましたが、殆どの国民は彼に会ったことも無く、彼の活動も知らなかったにも拘わらず、大多数の日本人の心の中には、彼の死が同胞に対して起きている危機だという心が生まれました。また、尖閣諸島にしても、殆どの人が一生の間で一度も行くことが無いにも拘わらず、日本人の「想像の共同体」の中で、「尖閣」が重要な位置を占めてしまいます。これは韓国人にとっての「独島/竹島」や「慰安婦」も同じことであると言うことができます
ゲルナー(Ernest Gellner/1925~1995年;ユダヤ人;歴史学者、哲学者、社会人類学者)は、ナショナリズムに関する誤った考え方は以下の4つに集約できると述べています;
① ナショナリズムは自然で、自明で、自己発生的なものである。もし存在しないとすれば、それは強制的に抑圧されているからに違いない ⇒「原初主義」的な考え方
② ナショナリズムは観念の産物で、悔やむべき不測の出来事によって生まれたものに過ぎない。ナショナリズムなしでも政治は成り立つ ⇒ 典型的な「道具主義」的な考え方 ③ 本来、階級闘争に向けられるべきエネルギーが、間違って民族運動に向けられてしまった ⇒「マルクス主義」への皮肉 ④ ナショナリズムは暗い神々、先祖の血や、土の力が再出現したものである ⇒「ナチズム」の考え方
ゲルナーの民族の定義; ① 人と人とが、同じ文化を共有する場合のみ、同じ民族に属すると言える。その場合、文化が意味するものは、考え方・記号・連想・行動とコミュニケーションとの様式から成る一つのシステムである ② 人と人とが、お互い同じ民族に属していると認知する場合にのみ同じ民族に属する。言い換えれば、民族とは人間の信念と忠誠心と連帯感によって作り出された人工物である
<考察>
歴史的背景から分かるように、ロヒンギャの悲劇の原因は; ①イギリスの植民地政策:ベンガルからの大量のベンガル人ムスリムの移民を行ったこと ② 太平洋戦争時にイギリス軍がベンガル人ムスリムの移民を武装させ、日本軍と戦わせたこと ③ 太平洋戦争時に日本軍がアラカンの仏教徒を武装させ、イギリス軍と戦わせたこと ④ ビルマ独立に際して、イギリスが民族問題に関して適切な指導を行わなかったこと
この同君連合体制はおよそ100年間続きましが、国家としての統一はできませんでした。この間、清教徒革命(Puritan Revolution/Wars of the Three Kingdoms;1641年~1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命)、1688年の名誉革命(Glorious Revolution)と動乱が続きました 1707年、イングランドとスコットランドの両議会で統一が決定(グレートブリテン王国)されましたが、その後もスコットランドでは武力反乱が起きては鎮圧されることが続きました。1745年には大規模武力反乱(「the Forty-Five」と呼ばれている)が発生、翌年カロデンの戦い(Battle of Culloden/スコットランド北部のハイランド地方)でスコットランドは大敗北を喫しましたが、ここでイングランド政府軍(司令官カンバーランド公ウィリアム・オーガスタス)が負傷者や残党の大虐殺を行ったとされ、これが長きに亘ってスコットランド人の対イングランド感情に影を落としています。この戦いの後、政府は民族衣装のキルトやタータン模様の着用と武器の所有を法律で禁じ、伝統の氏族制度を解体しましたが、これはスコットランド人にとっては非常な屈辱であったと考えられます。尚、キルト着用禁止令は36年後に廃止されました
ウェールズは、ケルト系の小国家群が続いた後、13世紀にフレウェリンが統一を試みましたが、イングランド王エドワード1世と戦って敗北しイングランドの支配下に入りました。エドワード1世はウェールズ人をなだめる為に妊娠中の王妃をカナーヴォン城(Caernarfon;世界遺産)に連れて行き、そこで生まれた王子をプリンスオブウェールズ(Prince of Wales)と呼びました。現在でも、英国の第一王位継承者に与える公式の称号になっています(現在、チャールズ皇太子がプリンスオブウェールズです)
ウェールズ、スコットランド、アイルランド、それぞれの民族問題を概観すると、民族問題は、権力にあるものの対処の仕方によって劇的な違いを生むことが分かります; ① 差別は民族独立に強力なエネルギーを供給する。特に虐殺行為がこれに加わると数百年続く独立運動のエネルギーを生み出す(スコットランド、アイルランド) ② これに宗教の対立が絡むと、より悲惨な結果を招き、独立以外の解決策は無くなる(アイルランド) ③ 支配者が被支配者に対して名誉を与え、寛容を示せば民族間の対立は表面化しない(ウェールズ) ④ 民族紛争は荒廃をもたらし、妥協による民族の融和は繁栄をもたらす(北アイルランド)
民族問題に関心の薄い日本も、第二次世界大戦までは、多くの民族をその支配下に置き、統治を行って来ました; ① 日清戦争後の下関条約で清国から台湾の割譲を受け、以後約50年間台湾を統治してきました。台湾には、福建省などから移民した中国人に加え、山地民族(9族)が居住しており、明治政府はその統治に非常に苦労しました。しかし、教育の普及等、社会インフラの整備などにより、終戦までは安定した統治が行われていました。1990年代の初めに、私自身台湾に駐在する機会がありましたが、外省人(1949年共産軍に敗れ台湾に脱出した蒋介石軍、約200万人)以外の台湾人は概ね親日的であったように思います。現在でも日台関係は良好であり、台湾の統治は失敗ではなかったと私は思っています。また、日本の統治が行われる前の台湾は、歴史的には清国の領土とはいえ「化外の地(けがいのち/中華文明に於いて文明の外の地方を表す用語)」と呼ばれ、社会インフラの整備が全く行われていなかったことも、日本を受け入れた背景にはあったと思われます
② 日露戦争後のポーツマス条約で、南千島、南樺太を日本の領土に加えましたが、もともとロシア人やエスキモーの人口の少ない所であったと思われますので、日本人の植民によって軋轢を起こしたことは無かったと考えられます
③ 1910年日本に併合した朝鮮については、第一次世界大戦後に沸き起こった独立運動を抑圧したこと、皇民化政策(宗氏改名、徴兵制/1944年~、、)を進めたこと、などにより民族の誇りを踏みにじったことが、現在まで続く反日感情や慰安婦問題の追求、靖国参拝問題に繋がっていると考えられます