1949年12月25日~30日 ハバロフスクに於いて戦犯裁判が行われました *被告(合計12名):関東軍司令官・山田乙三、関東軍軍医部長・梶塚隆二、関東軍獣医部長・高橋隆篤、他
*被告全員が有罪、強制労働収容所で刑期2年~25年。大半が刑期満了以前に帰国しました
*元軍医少佐・柄沢十三夫は、帰国を許された後自白したことを悔いて自殺しました *公判書類から分かった事; ① 中国人を731部隊で人体実験の対象を「得移扱」と称していました
② 「得移扱」とする対象;スパイ(死刑又は無期の重罪対象)、謀略・諜報活動を行なっていて逆利用できない者、不起訴又は軽い刑であるが更生の見込みのない者 ③ 「得移扱」を送り出す側であった大連憲兵隊では「大東亜戦争に協力せよ」との日系新聞の社説に対し反論を投稿した中国人を「反満抗日者」として731部隊に送っていました
④ 1940年7月に細菌をハルビンから上海に輸送する「関東軍野戦司令部命令書」も公判書類に含まれていました
5.人体実験を直接実施した軍医「湯浅謙」の証言;
① かれの経歴については、Wikipediaの「湯浅謙」をご覧ください
② 常石敬一氏の著作「七三一部隊(生物兵器犯罪の真実)」に書かれている証言;
*湯浅は、軍医として中国に居た3年半の間に、14人の中国人を生きたまま解剖し、また手術の練習台として殺した * 1942年12月、湯浅は、太源監獄で次のような手術演習を経験している
証言内容; 「山西省を占領していた陸軍第一軍の軍医約40名を集めたある日の講習会でのことだった。軍医たちはいつもの防疫給水部の講堂でなく太源監獄に集合するよう命令された。集まった軍医たちの前に陸軍省法務部の白い肩章をつけた男が二人出てきた。その後、引き出されて来た中国人の男を坐らせた。白い肩章の男たちは、やにわに拳銃でパパーンと4、5発中国人の腹を撃った。後手にゆわかれていた男たちは、前方に身をくずした。これは、身体に入った弾丸をどれだけ手早く取り去ることが出来るかを競うゲームと言うべきものの始まりだった。出血して悶えている中国人を5~10人の軍医が別室に運び、弾丸を手早く抜き取る手術を始めた。湯浅は手術中に更に拳銃の発射音聞いているので、さらに2人の中国人が撃たれ、「手術演習」の犠牲になったことを知った。弾丸を取り出す手術にあぶれた軍医たちは、中国人の四肢の切断や気管切開をした。参加した軍医の何人かが、“別に珍しいことでもなく、しょっちゅうのことだ”とささやき合うのを聞いて、この種の“手術”は自分の陸軍病院だけでなく、あちこちの部隊でもやっていることを知った」
③ 湯浅謙の戦後の経歴; *1945年8月、日本への帰国ではなく、国民党軍の軍医となる道を選び、1945年の中国革命による新中国の成立後は、共産党政権の医師として働いた
*敗戦後も中国に残ったことについて湯浅謙は、「私は3人の中国人を、自身の手術演習で殺していた。そこで、医者として残った」と回想している
*湯浅謙が関わった人体実験で殺された人は全部で14人
*1951年に中国軍の捕虜となり、翌年末に山西省太源の戦犯管理所(終戦までは日本軍の捕虜収容所・太源監獄)に収監されました
<独立王朝時代(10世紀〜19世紀)> * 938年、呉権(ゴー・クエン)が中国の南漢軍を破り、ベトナムは約1000年ぶりの独立を果たしました。その後、以下のような王朝が興亡を繰り返しながら、ベトナム独自の国家を築き上げました ① 李朝(1009~1225)
*ベトナムで最初の本格的な統一王朝で、都をハノイに定め、中央集権的な統治を目指す一方、儒教が導入され、国が安定
② 陳朝(1225~1400)
この写真はホーチミン市一区メリン広場にあるチャン・フン・ダオ(陳国峻)の像です。彼は安生王陳柳の子として生まれ、陳朝の初代皇帝・太宗の甥にあたる人物で智勇に優れ、将軍として重用されていました。因みに、 1257年、モンゴル軍が侵攻してきた時、大越軍を率いてモンゴル軍を大いに破り、逆に追撃するまでの大勝を収めました @1274年の元寇:文永の役(日本への攻撃) @1281年の元寇:弘安の役(日本への攻撃) 1282年、クビライが建国した元による侵攻を受けると、元の圧迫に恐れをなした皇帝仁宗が降伏しようと言い出しましたが、チャン・フン・ダオは「戦わずして降伏するくらいなら、私の首を差し出せ」と言って、断固として反対したといいいます。これに勇気付けられた仁宗は徹底抗戦の構えを固め、チャン・フン・ダオは大越軍の総司令官に任じられ、巧みなゲリラ戦を繰り広げて元軍に大勝しました @ベトナムへの侵攻が失敗したことで、元による日本への3度目の侵攻が行われなかったともいわれています
③ 胡朝・明の支配(1400~1427)
*一時的に明の支配を受ける(1400~1428年)
③ 後黎朝(1428~1789) ⇔ 日本の足利時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代
*黎利が明の支配から再び独立を勝ち取り、最盛期には南部チャンパ王国を吸収し、南北統一をほぼ達成しました。しかし、内部では阮(グエン)氏と鄭(チン)氏による実質的な分裂状態が続きました。明を追い出し独立回復。長期王朝となる
1954年4月26日:インドシナ和平会談@スイス・ジュネーヴ
*参加国:フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ベトナム国、カンボジア、ラオス王国、ベトナム民主共和国(べトミン)、ソビエト連邦、中華人民共和国 合意内容;
① ベトナム、カンボジア、ラオスの独立
② 停戦と停戦監視団の派遣
③ ベトミン軍の南ベトナムからの撤退とフランス軍の北ベトナム、カンボジア、ラオスからの撤退
④ ベトナムを17度線で南北に分離し、撤退したベトミン軍とフランス軍の勢力を再編成した上で、1956年7月に自由選挙を行い統一を図る
* 合意はベトナム民主共和国、中華人民共和国、ソ連、フランス、イギリスが署名するも、アメリカとベトナム国(ゴジンジエム政権)は署名しなかった
1968年、学生によるベトナム反戦運動の高揚; アメリカの学生運動も、ベトナム反戦とともに大学の官僚的な統制に反発し、大学改革を求める運動として1964のカリフォルニア大学バークレー校に始まり、1968年にはコロンビア大学やハーヴァード大学でも学生が校舎を占拠するなどの過激な運動が展開されました。この学生運動はたちまち全世界に広がり日本でも東大紛争を始め全国の大学にベトナム反戦の嵐が吹き荒れました
* 世界でヒットしたベトナム反戦歌:Peter Paul & Maryの「Where have all the flowers gone」、Bob Dylanの「Blowin’ in the wind」 1968年12月、ベトナム駐留米軍の兵力は約54万人に達しています
* 戦跡や博物館の記録、ベトナムの歴史を調べて実感した「ベトナム人の強さ」
ベトナム人は、理不尽な敵に対しては以下の歴史が教える通り、多くの犠牲を出しながら勇敢に戦い勝利を収める強さを持っています;
① 陳朝時代((1225~1400))の将軍・チャン・フン・ダオ(陳国峻)に率いられたベトナム人は、アジア・ヨーロッパを征服したモンゴル軍を二度に亘って撃退しました
② 第二次大戦後、日本の降伏の機会を捉えて再びベトナムの植民地化を推し進めようとしたフランスに対して戦いを挑み、1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランスに勝利しました。この長い戦争で、フランス軍とフランスの支援をしたベトナム人の死者は併せて16万人であったのに対し、ベトミンとその支援者の死者も16万人に達したと言われています
③ 1960年以降のベトナム戦争では、米軍は約5万8千人の死者を出したのに対し、ベトナム人は併せて(北ベトナム軍、ベトコン、南ベトナム政府軍、一般民衆)200万人の死者を出したと言われています
【ピョートル1世(在位:1682年~1725年)】の時代 ① 北方戦争(1700年~1721年) バルト海への進出を目的にスウェーデンと長期に亙って戦って勝利し、エストニア、ラトビア、リトアニアの一部とカレリア(ロシア・フィンランド北部国境地帯)などを獲得しました
【女帝エカテリーナ2世(在位:1762年~96年)】の時代 ② ポーランド分割
ロシアは西方への領土拡大を企図し、プロイセン、オーストリアと共に弱体化したポーランド・リトアニア共和国を3度に亘り(1772年、1793年、1795年)攻撃した結果、ロシアは現在のベラルーシ、ウクライナ西部、リトアニアの一部を獲得しました。3ヶ国の分割支配の状況は下図参照;
【アレクサンドル1世(在位:1801年~25年)⇒ ニコライ1世(在位:1825年~55年)⇒アレクサンドル2世(在位:1855年~81年)】の時代
③ コーカサス戦争(1817年~1864年) コーカサス地方の制圧を企図してチェチェン、ダゲスタン、ジョージアなどと戦争を行った結果、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンを併合しました
3.その他の対ロシア防衛体制の強化 ① フィンランド;
* 地雷禁止条約(オタワ条約)脱退
* フィンランド軍、幹線道路で離着陸訓練 ② バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア); 三国共同で「バルト防衛線」を計画し、ロシアおよびベラルーシとの国境沿いに防衛施設を構築しています。この計画には、各国境に600以上のバンカー(掩体壕:左の写真参照)や対戦車壕の建設が含まれています
③ ポーランド; ポーランドは2024年末までにロシアおよびベラルーシとの国境沿いに防衛線を構築する計画を進めています ④ ドイツ・リトアニア;
ドイツは第二次世界大戦以降初めて、約 5,000人規模の装甲旅団をリトアニアに恒久的に駐留させることを決定しました。これはロシアのウクライナ侵攻を受けた対応で、NATOの東側防衛を強化する目的があります
*Follow_Up:2025年5月28日_日経新聞/欧州安保「強いドイツ」許容 戦後初の国外常駐、徴兵制復活も
3.スウェーデンの防衛 スウェーデンの総合防衛システムは、軍事防衛と民間防衛で構成されています。スウェーデンは NATO の集団防衛にも参加しています。 軍事防衛
スウェーデンの軍事防衛は、スウェーデンとその NATO 同盟国を武力攻撃から守り、国境を守り、紛争解決を支援します。軍事防衛は、スウェーデン軍と、スウェーデンの軍事防衛を支援することを主な任務とする政府機関で構成されています 民間防衛 民間防衛には、政府機関、地方自治体、自治体、民間部門、非営利団体とともに、スウェーデンに住むすべての人が関与しています。民間防衛の最も重要な任務の 1 つは、軍事防衛を支援することです。もう 1 つの主な任務は、国民を保護し、戦時中であっても、可能な限り重要な公共サービスが中断されないようにすることです。重要な公共サービスには、エネルギー、医療、輸送が含まれます。 NATO におけるスウェーデン;
スウェーデンは軍事同盟 NATO に加盟しています;
同盟の目的は、加盟国が団結して強力になり、他国による攻撃を抑止することです。それでも NATO 加盟国が攻撃された場合、同盟の他の国がその国の防衛を支援します。つまり、全員が 1 人のために、1 人が全員のためになるのです
7.空襲時に避難する 空襲があった場合は、すぐに避難所または他の保護場所に避難する必要があります。最寄りの避難所を選択してください。また、軍事攻撃の可能性がある場合は、その地域から避難する必要があるかもしれません
警報は、空襲警報やスウェーデンの公共放送局 Sveriges Radio のチャンネル P4 など、さまざまなチャンネルを通じて放送されます
古代ローマ時代のユダヤ人迫害
古代ローマは紀元前753年に建国され、紀元後476年に滅びました。紀元前1世紀から紀元後3世紀まではローマ帝国の最盛期と見なされています。古代ローマ時代とは王政ローマ期(紀元前753年~紀元前509年)を指しますが。この時代ローマ帝国の支配下で、ユダヤ人は何度も反乱を起こし、その結果、パレスチナからの追放や、ローマ帝国各地への分散(ディアスポラ)を経験しました
*ディアスポラとは:ギリシャ語で「散らされたもの」という意味を持つ言葉です。歴史的には、故郷を離れて世界各地に散らばった人々やそのコミュニティを指す言葉として用いられて、特にユダヤ人のディアスポラが有名で古代イスラエル王国の滅亡後、ユダヤ人たちはバビロン捕囚(下記参照)などを経て、世界各地に散らばっていきました。このユダヤ人のディアスポラは、長い歴史の中で宗教的迫害や政治的な動乱など様々な要因によって繰り返され、現代に至るまで世界各地にユダヤ人コミュニティが存在しています
ユダヤ人のディアスポラの特徴としては以下が挙げられます;
① 故郷・イスラエルの地への強い思い
② 離散先でも独自の文化や伝統を守り続ける(⇔他民族と同化しない?)
③ 迫害を受けた結果としてのユダヤ人コミュニティー内の強い結束力
Poland/ Germany: Jewish men, women and children surrender to Nazi soldiers during the Warsaw Ghetto Uprising, May 1943. (Photo by: Pictures from History/Universal Images Group via Getty Images)
オスロ協定;
1993年にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で同意された一連の協定です。 この合意は、ノルウェーの首都オスロで主に協議されたことから「オスロ合意」とも呼ばれています。具体的には以下の二点が合意内容とされています;
① イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する
② イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し5年間にわたって自治政府による自治を認め、その間に後の詳細を協議する ⇒ 残念ながら現在まで実質的な進展はありません
① チェチェン紛争;
現在のチェチェン共和国は、北コーカサス地方の北東部に位置するロシア連邦北カフカース連邦管区に属する共和国です。この国家は、北コーカサス先住民族のひとつのチェチェン人が住民の多数を占め、ロシア連邦憲法ではロシア連邦を構成する連邦構成主体のひとつとされています;
この国は、18世紀にロシア帝国がコーカサス地方への南下を進めると、チェチェン人はロシアの支配に対して激しく抵抗を繰り広げましたが、1859年にロシア帝国によって周辺地域とともに併合されました(コーカサス戦争)。この後、ロシア帝国とオスマン帝国の取引により多くのチェチェン人がトルコやシリア、ヨルダン等へと移住しました
1991年ソ連解体後、ロシア連邦政府及びロシア連邦への残留を主張するチェチェン人勢力と、チェチェン・イチケリア共和国やコーカサス首長国を自称するチェチェンの独立を求める武装勢力との間で対立が続きました
② グルジア紛争 (2008年)
1991年ソ連解体後、グルジアも他のソ連構成国と同じく独立を宣言しました。1993年には独立国家共同体に加盟し、ゴルバチョフ政権でソ連の外務大臣として活躍していたシュワルナゼが大統領(1992~2003)となりました。しかし黒海に面したアブハジアではグルジア人以外のロシア人などの複雑な民族構成があり、親ロシアの傾向が強く、グルジアからの分離独立を主張してアブハジア紛争(~1994年)が起こりました。アブハジアの一部は今もグルジアの実効支配が及んでいません
グルジアでは独立後、経済の悪化が進み、2003年には野党の指導によるデモ隊が議会を占拠し、大統領は辞任、総選挙が行われて国民連合の指導者で親欧米派のサアカシュヴィリが当選するという、「民主化」が行われましたが、この政変は「バラ革命」とも言われています 南オセチアにはグルジア帰属に反対する人が多く、ロシアの支援を受けて分離独立の動きを強め、2008年8月に独立を宣言しました。それを認めないグルジア軍が侵攻、それに対してロシアはロシア軍をグルジアに侵攻させ、南オセチアを支援、グルジア軍は敗れて撤退しました。戦闘は同時に黒海海岸のアブハジアでも展開され、グルジア・ロシア間の戦争状態となりました。戦闘は8月中にEUの調停で講和しましたが、南オセチアとアブハジアは事実上の独立状態となっいます。ロシアは両国を独立国として承認していますが国際的にはまだ認知されていません
*現在、グルジアの正式な国名は「ジョージア」となっています
③ シリア内線(2011年-2017年)
シリアでは、1971年にアサド大統領の父親がクーデターを起こし権力を握って以来、強権的な政治が続いていましたが、中東で「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が広がった2011年、シリアでもアラブの春が飛び火する形で生活への不満が爆発し反政府デモが各地に広がりました;
以上のような状況から、今後ウクライナ有利に進むように思われますが、ロシアの歴史を踏まえると、以下の理由からそう簡単にロシアに勝利できるとは思えません; ① ウクライナ自身の武器の生産能力、現在の武器供給の主力であるNATO諸国の支援疲れ、特に米国の支援は共和党大統領選挙結果如何で大きく変わる可能性がある、などから近い将来に現在のロシア占領地域を奪還する見通しは立ちにくいと考えられます ② ロシア帝国~ソ連の時代に、露土戦争、ナポレオン戦争、第二次大戦におけるドイツとの戦争という苦しい戦いをロシアは勝ち残ってきた歴史があり、苦境になればなる程大量の兵士の死を厭わない長期戦を戦い抜く可能性が排除できません
放射線が人体に与える影響を論ずるには、「放射線の種類」、「放射性物質の半減期」、「放射性物質の生物学的半減期(体の中に取り込まれた放射性物質が50%排出される期間)」を理解しておく必要があります
① トリチウムはベータ線を放出してヘリウムの同位元素(陽子2ヶ、中性子1ヶ)に変わります(この反応は一般にベータ崩壊と言います)。ベータ線の正体は電子で、陽子の「1/1800」の質量しかないためエネルギ-は他の放射線に比べて小さく(最大18.6keV、平均5.7keV/キロ・エレクトロンボルト⇔非常に小さなエネルギーの単位)、またマイナスの電荷をもっている為に空気中を約6mm程進む内に空気中の窒素、酸素、他の元素との相互作用でエネルギーを失ってしまいます。従って人間の皮膚を通過して体内に侵入することはありません。一般に障子一枚で遮蔽することが可能とされています
第二次大戦後、日本においては国が主導した;
① 復員農民による開墾事業の実施(昭和村など)
② 干拓事業に実施(八郎潟など)
③ 自作農創設特別措置法による生産意欲の高い農民が生まれた事
④ 農業技術の向上
などの農業政策により農業生産量が急激に増加すると共に、
⑤ 国の経済力の向上により食料の輸入に困らなくなった事
により、これまで食料危機の様な事態は発生しておりません。しかし、その実態は結構厳しい状況にあります。因みに、カロリーベースでの食料自給率(注)は、なんと現在40%前後まで低下しております;
(注)カロリーベース総合食料自給率とは(農林水産庁の定義);
基礎的な栄養価であるエネルギー(カロリー)に着目して、国民に供給される熱量(総供給熱量)に対する国内生産の割合を示す指標です
日本が被ったインパクト; ① 原油の値上がり ⇒ ガソリンなどの石油製品の値上げ ⇒ 物価の上昇と急激なインフレ⇒ 1974年度の日本の成長は戦後初めてマイナス成長 ⇒ 高度経済成長の終焉 ② 鉱工業生産指数:+8.1% ⇒ Δ7.2% ③ パニック現象:日本全国のスーパーの店頭からトイレットペーパーや洗剤が消えました。「石油供給が途絶えれば、日本は物不足になるのでは?」、そうした不安から「買いだめ・買い占め」、「売り惜しみ」、「便乗値上げ」などが見られました
国が行った対策; ① 「石油節約運動」として、国民に「日曜ドライブの自粛」、「高速道路での低速運転」、「暖房の設定温度調整」などを推奨 ② エネルギー政策を強力に牽引する行政機関として、当時の通商産業省内に「資源エネルギー庁」を新設
*エネルギーの安定的な供給を確保することが国の将来を左右する最重要課題であるとの認識から以下の基本的施策が実行に移され、この基本的な考え方は、現在にも受け継がれています。日本が世界に誇る省エネの歴史も、ここから始まりました ① 1973年に「石油需給適正化法」を制定。石油の大幅な供給不足が起った場合に需給の適正化を図る目的で、国が石油精製業者などに石油生産計画などの作成の指示ができる様にしました ② 長期的な視点から石油備蓄目標などを定めました。1974年度中に60日分の備蓄を実現。1975年には「石油備蓄法」を制定し、民間備蓄を法的に義務付け、「90日備蓄増強計画」をスタートさせ、1978年には、国家備蓄を開始しました
1.自国農業保護に関わるルール
戦後の日本の経済的は目覚ましい発展を遂げ、海外の安い食料を簡単に輸入することが出来る国になりました。こうした状況下で、競争力の高い工業製品に対する貿易障壁を低くする為に、自国農業の保護を目的とする農産物の輸入制限にはGATTウルグアイ・ラウンドにより一定の制限が設けられる事になりました <参考> ウルグアイ・ラウンドとは;
1948年に発足したGATT(General Agreement on Tariffs and Trade/関税 および貿易に関する一般協定)は、1970年代までに7回の貿易・関税交渉を行い、関税引下げなどに自由貿易の推進に一定の成果をあげてきました。しかし、1980年代に入って、各国で保護主義の動きが高まり、また商品貿易以外の国際取引が増加するなど、国際貿易を巡る状況の変化によって、あらたな交渉の必要性が生じてきました。そこで、第8回目の貿易交渉として始まったのがウルグアイ・ラウンドです。この協議ではサービス貿易や知的所有権の扱い方、農産物の自由化などについて交渉が行われました
この中で、農業分野の交渉が難航し、将来的に全ての農産物を関税化に移行させること、及び最低輸入機会(ミニマム・アクセス)を決定するにとどまり、完全な自由化には至りませんでした
1986年から1995年にかけて行われた、GATT・ウルグアイ・ラウンドにおいて、このミニマム・アクセスの農産物への適用が義務づけられ、初年度は国内消費量の4%、その後6年間で8%まで拡大することが義務付けられています。
政府は1999年に、コメの関税化へ方針転換し、コメの枠外関税を、2000年(平成12年)に341円/キログラムに設定し、関税を払えば、誰でもコメを自由に日本へ輸入出来る様にしました。これにより、ミニマム・アクセス米の輸入量は、2000年には本来8%(85.2万トン)であるところを、2000年には76.7万トン(7.2%)を関税無し(免税)で受け入れることになりました
2.耕作放棄地の現状 上図(農林水産庁の資料)を見れば明らかな様に、耕作放棄地が増加し、逆に耕作適地であるものの、耕作が放棄されている土地がハイペースで増加しています。耕作放棄地の面積は上図(2015年)の段階で42.3万ヘクタール(因みに私の住んでいる埼玉県の総面積は38万ヘクタールです!)に達しています(ネット上を色々探してみましたが、現在の農林水産省の最新の調査結果は2015年版の様です)
農林水産省は、この耕作放棄地を二つのカテゴリーに分けています; ① 遊休農地:相当程度農地と使われず放置されている農地 ② 荒廃農地:長期間農地として使われず、荒廃している農地
農林水産省は、こうした耕作放棄地が発生した要因は以下の様に考えています;
① 農業就業者の7割を占める60歳以上の世代が高齢化等によりリタイアし、農地などの経営資源や農業技術が適切に継承されず、農業の生産基盤が⼀層脆弱化してきた
② 高齢化が進む中、山間地域を中⼼に農村人口が減少し、農業生産のみならず地域コミュニティの維持が困難になり離農者が増加している
素人!の試案; ① 耕作放棄地を「農地バンク」の様な個人の熱意に期待する中途半端な仕組みではなく国が積極的に買い取る(国有農地とする) ② この国有農地を飼料専門の耕作地とし、最新の技術(ドローン、ロボット、GPS、AIを駆使する農業)を駆使した効率的な運営を行い、コスト低減と同時に単位面サキ当たりの収量向上を目指す
③ 耕作放棄地のうち「荒廃農地」に分類される土地については、敢えて牧草地とし、牧草の収穫あるいは主に輸入に頼っている羊や山羊の放牧地として活用する ⇒ 国がサイレージとして貯蔵する⇒ 国が必要な設備投資を行う
サイレージ(Silage)とは:牧草や飼料作物など高水分の飼料を適度な水分を保ったまま密封し、乳酸発酵を主とする嫌気的発酵(サイレージ発酵)を行うことで貯蔵性を高めた飼料 スイスに於いては、殆ど全てが傾斜地であり、そこで酪農を発展させてきたことを考えると、日本の山裾の「荒廃農地」は牧場とすることに何ら問題が無いと思われます
2.酪農危機に対する対応 現在日本の酪農家が直面している最大の問題は以下の通りです; (参考) 2022年2月1日時点での乳牛の飼育状況
① 乳用牛配合飼料の価格は2022年12月時点で1トンあたり10.1万円。1年間で22%上がり、2020年同月比で4割も高い水準になっています。農林水産省によると、2020年の1頭あたりの生乳生産費は約45%を飼料費が占めていました
② これまで、生まれた子牛は1頭10万円程度で引き取られる貴重な収入源でしたが、ホクレン農業協同組合連合会(札幌市)によると、北海道のホルスタインの子牛(オス)1頭あたりの価格は2023年1月時点で平均約2万円以下で取引されています ⇔ 子牛の需要が激減していることは、酪農家が赤字経営を避ける為に経営規模の縮小に走っていることだと思われます
③ 生乳は痛みやすく生産と消費の調整が難しい商品である一方で、学校給食の需要が大きい為に夏休み・年末年始期間は供給過剰になります。また今回のコロナ禍では長期間にわたって自宅学習が続いた為に大量の生乳が廃棄を余儀なくされる状況になりました ⇔ 生乳を長期保存可能な加工品(バター、脱脂乳・チーズなど)として貯蔵する仕組みが欠如している結果だと思われます。ただ、加工品は輸入品との価格競争が激しいため国は「原料乳生産者補給金」を支出してサポートをしているものの、生乳の売上単価対比で原料乳の単価が30%以上下がるので売上が原価を割る事態になる事を覚悟する必要があります
素人!の試案; ① ロングライフ牛乳の普及により学校給食による需要の変動を吸収する 牛乳の消費量が多い海外では、大容量で賞味期限が非常に長いロングライフ牛乳が当たり前となっています。今までの殺菌温度より高温にすることで、2~6ヶ月も常温保存ができるようになっています
<参考> ロングライフ牛乳は通常の要冷蔵の牛乳と以下が異なっています A. 特殊な容器の使用:通常の紙パックの内側にアルミ箔を追加(結果として4層構造になる)した容器を使用するか、海外では一般的になっている光を通さないペットボトルを容器として使用します
*現在、日本ではこのペットボトルの容器を生産していません B. 特殊な殺菌方法:ロングライフ牛乳では130~150度で1~3秒殺菌を行う「UHT(Ultra high temperature heating method)滅菌法」が行われています。この方法では牛乳の中の菌類はほぼ死滅します。たんぱく質の変性はある程度あるものの、優れた保存効果が得られます(参考:フランスの事例)
因みに、これ以外の殺菌方法には「低温保持殺菌(LTLT法)」、「高温短時間殺菌(HTST法)」があります
<参考>
2024年度後半から、コメ不足に伴う米価の高騰が続いていたことがあり、私の学生時代の親しい友人達で行っている意見交換会の内、最近2回(2025年5月と7月の例会)でこの問題を取り扱いました。私は、このブログをベースに以下の様な資料を配布して私の意見を述べました;
① 戦後の食糧供給に関わる制度の変遷
② 日本の農業の現状と改革試案
以下、「青色の斜め字の文章」は私個人の意見です
見出しの写真は、現在進行中のロシアとウクライナの戦争における象徴的な写真です。2022年2月24日、ロシアの大軍が一方的にウクライナに侵攻してから11ヶ月が経過した現在(2022年12月)、戦争は終結する気配はありません
今回、ロシアが2014年2月27日に実施したクリミア半島電撃侵攻・占領の成功体験をもとに実行されたものの、成功していないのは、以下の様な原因があった為と考えられます; ① クリミア半島侵攻の屈辱をバネに、ウクライナの歴史に根差す愛国心が高揚(詳しくは、私のブログ「ウクライナの歴史」参照)し、ウクライナ軍が予想外の反撃能力を示していること(ウクライナに戦う意思がなければ以下の②、③の様なサポートは得られなかったとも考えられます) ② NATO、とりわけ米国による継続的な最新武器の供与、衛星通信インフラの提供、ロシア側の機密軍事情報の提供などが行われていること ③ 多くの先進諸国が、ロシアによる独立国家に対する宣戦布告無き一方的な侵攻を非難していると共に、ウクライナへの経済的、精神的なサポートを行っていること ④ クリミア侵攻時、ロシアによる政府機関や民間インフラを狙ったサイバー攻撃が行われましたが、今回の侵攻ではこの試みが成功しなかったこと(←ウクライナ側の防御態勢が構築されていた) ⑤ ロシアの核兵器による恫喝が、米国及びNATOの核攻撃の潜在力と通常兵力による反撃能力によって、これまでの所抑止できていること
⑥ ロシアが保有している兵器が、一部の最新兵器を除き旧式で、米国を中心とするNATOが提供する最新兵器に対抗しきれていないこと
2.自衛隊に関わる歴代内閣の発言の変遷
1)吉田内閣時代(1946年~1947年;1948年~1954年)の自衛隊の任務 ① 吉田首相は、1946年6月26日の新憲法に関わる国会答弁で「戦争放棄に関する本案の規定は、直接に自衛権を否定はして居りませんが、第9条第2項に於いて一切の軍備と交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、又交戦権も放棄したものであります」と発言しています
② 吉田首相は、1950年1月28日の国会答弁で「いやしくも国が独立を回復する以上は、自衛権の存在することは明らかであって、その自衛権が、ただ武力によらざる自衛権を日本は持つということは、これは明瞭であります」と発言しています
2)鳩山内閣時代(1954年~1956年)の自衛隊の任務 1954年12月22日の衆議院予算委員会での大村精一防衛庁長官の発言;
① 憲法は自衛権を否定していない
② 憲法は戦争を放棄しているが、「自衛の為の抗争」は放棄していない
③ 「戦争、武力による威嚇、武力の行使」を放棄しているのは「国際紛争を解決する手段としては」ということ。他国から武力攻撃があった場合、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであって、国際紛争を解決することとは本質的に異なる。従って自国に対して武力攻撃が加えられた場合、国土を防衛する手段として武力を行使することは憲法に違反しない。しかし、「国際紛争を解決する為」以外の目的で「他国からの武力攻撃」を受けることは常識的にあり得るでしょうか。これはどう考えても私には詭弁としか思えません。
3)佐藤内閣時代(1964年~1972年)の武器輸出に関する答弁 佐藤首相は、1967年4月21日の衆院決算委員会において、以下の場合は武器輸出を認めないと答弁しました;
① 共産圏諸国向けの場合
② 国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合
③ 国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合
日本は自衛隊の派遣はせず、130億ドルもの戦費等の負担(国民1人あたり約1万円に相当)を行ったものの、国際社会からは評価されませんでした。「Show the Flag」つまり軍隊の派遣無くして同盟軍とは見做されない現実を味わいました。ただ、1991年4月多国籍軍とイラク軍との間の停戦が発効すると、日本はペルシャ湾での機雷の撤去及び処置(掃海任務)を行うことになりましたが、これはあくまで日本の船舶の安全航行の為の通常業務と位置付けられていました
7)第二次安倍内閣時代(2012年~2020年)の自衛隊の役割拡大に関わる法整備 【新安保法制】
衆議院で絶対多数を得た第二次安倍内閣では、2015年、自衛隊の任務を更に拡大し、恒久法として以下の法律群(新安保法制)を制定しました;
① 国際平和支援法案:自衛隊の海外での他国軍の後方支援
② 自衛隊法改正:在外邦人の救出
③ 武力攻撃事態法改正:集団的自衛権行使の要件明記
④ PKO協力法改正:PKO以外の復興支援、及び駆けつけ警護を可能とする
⑤ 重要影響事態法:日本周辺以外での他国軍の後方支援
⑥ 船舶検査活動法改正:重要影響事態における日本周辺以外での船舶検査の実施
⑦ 米軍等行動円滑化法:集団的自衛権を行使する際の他国軍への役務提供追加
⑧ 特定公共施設利用法改正:日本が攻撃された場合、米軍以外の軍にも港湾や飛行場を提供可能にする
⑨ 海上輸送規制法改正:集団的自衛権を行使する際、外国軍用品の海上輸送規制を可能とする
⑩ 捕虜取り扱い法改正:集団的自衛権を行使する際の捕虜の取り扱いを追加
⑪ 国家安全保障会議(NSC)設置法改正:NSCの審議事項に集団的自衛権を行使する事態を追加
第二次安倍内閣では、2014年7月1日に、武力の行使を発動する際には以下の3つの用件を満たす必要があることを閣議決定しています;
① 日本または、密接な関係にある同盟国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が発生し、
② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない場合、
③ 国際連合憲章に基づき必要最小限度の実力行使を行うことが出来る
今回の政策転換の重要なポイントは; ① 敵基地攻撃能力を保持すること
これまで、専守防衛の原則の下に、敵国からの攻撃を防御する兵器を中心に装備を強化してきたものの、ウクライナ戦争において明白になった事は、敵国の攻撃を抑止できない場合、無防備な市民の多くが敵の攻撃のターゲットになってしまうことでした。そこで、敵ミサイルによる「先制攻撃」を受け、あるいは「攻撃着手」が行われた場合に敵基地を攻撃することを可能にする能力を新たに保持することとしています。
この種のミサイルは所謂「スタンドオフミサイル」と言い、日本に攻撃を仕掛けてくる国に対し、敵の射程圏外から攻撃することができるミサイルを新たに導入することとしました。このミサイルは、陸上又は海上の艦船から発射可能で、射程が1,000キロ~2,000キロ程度と言われています
② 最新兵器に対する防御兵器開発能力を高めること 極超音速ミサイル、ロフテッド軌道を取るミサイル、高速滑空弾、極超音速誘導弾、無人機攻撃、ロボット兵器、などの最新兵器やサイバー攻撃に対抗できる防御体制を構築する為には最新兵器開発能力を高める必要があります 近年防衛産業から撤退する企業が目立っていることから、これらの防衛産業に対する財政的な支援の他、国際共同開発などによる開発負担の軽減、防衛産業が相応の兵器生産規模を確保するために武器輸出三原則(既出)の緩和などのバックアップを行う必要があります
また、軍需産業に協力して悲惨な敗戦を招いた反省から、これまで学問の分野における軍事研究には極めて慎重に対応を行ってきました。しかし、最先端の AI(人工頭脳)や量子技術、ロボット開発、などの分野では既に産・学・軍の境界は極めて曖昧になっており、学問側も最先端分野の研究費に枯渇する事態が顕著になってきています。従って、研究分野毎に官側(経済産業省・文部科学省・防衛相)が主導して少なくとも中国、ロシアの兵器開発能力に劣後しない様にする必要があります
参考_1:2017年2月_安全保障技術研究推進制度の廃止要請_署名呼びかけ
参考_2:2017年3月_軍事的安全保障研究に関する声明_日本学術会議
参考_3:2017年3月_研究機関の軍事研究について_藤原正彦
Follow_Up:2023年1月・日経新聞_民生技術の活用で脱「学術会議」
③ 継戦能力を強化すること
大国同士が戦いを始めると、簡単には戦争は終わりません。従って、平時から武器・弾薬の備蓄量をある程度まで確保しておく必要があります。また、戦闘によって破損した装備類(航空機、艦艇、戦闘車両、など)の予備、及び整備体制の構築が必要になります
私の場合、妻や兄弟、子供たちとこれらの問題で意見を交わすことがしばしば有りますが、戦争を絶対に起こしてはならないという点では意見は一致しているものの、その方法論では相当違いがあります。
私は老後の趣味として歴史を勉強しておりますが、日本人には以下の特質があることを認識していないと再び過去の歴史的な過ちを犯す可能性があると思っています;
① 例外的に理性的な人を除き、極めて熱狂しやすいこと(結果として国全体として理性的な判断が出来なくなる)
② 尊厳を傷つけられることに我慢できないこと(尊厳を守るためには時として命をも賭す可能性があること)
また周辺の国には、以下の様に過去の恨みを歴史教育を通じて政治的に利用し続けている実態があります;
③ 韓国:倭寇、文禄/慶長の役、安重根(伊藤博文の暗殺者)の英雄視、韓国併合、慰安婦問題、徴用工問題
② 中国:日中15年戦争、南京事件
しかし、5月に入った時点では、北部戦線では侵攻が完全に食い止められ「戦争犯罪」の痕跡を残して撤退し、東部・南部の戦線でもロシアの苦戦が伝えられています。この想定外の事態の原因は;
① ウクライナが西側諸国の援助もあって、情報戦を有利に進めウクライナの「制空権」がある程度確保できていること、及び西側諸国から供給されている歩兵用の最新武器がロシア軍に甚大な被害を与えていること
② ウクライナのゼレンスキー大統領によるリーダーシップにより、西側諸国での議会演説などで先進諸国民の支持が得られていること ③ ウクライナ兵の士気が非常に高いこと、及び兵以外の国民も全力でウクライナ軍に協力している
などに集約できると思います
② FCV(Fuel Cell Vehicle):水素と空気中の酸素を反応させて直接電気を作る燃料電池(Fuel Cell)をエネルギー源とする電動自動車のことで、既にトヨタとホンダから市販されています(私のブログ「電動航空機の夜明け」でも簡単な説明を行っています)が、現時点では高価なので普及には時間がかかりそうです
③ メタネーション、合成ガス:メタネーションとは、CO2と水素から「メタン」を合成する技術です。これによりエネルギー源として現在天然ガス(約90%がメタン)を使っている民生用のガスを含めカーボンニュートラル(排出される炭酸ガスと吸収する炭酸ガスを同じ量にする)が実現できます。その他の合成燃料を含め、詳しくは資源エネルギー庁のサイトをご覧ください
Follow_Up:2022年4月・排ガス・下水からエコ燃料
Follow_Up:2022年4月・東京ガス、合成メタンを製造
③ 高速増殖炉
高速増殖炉(FBR:Fast Breeder Reactor)とは、発電しながら消費した以上の燃料を生成できる原子炉です。高速増殖炉の炉心の周辺は劣化ウランなどで囲み、この劣化ウラン中のウラン238が中性子を取り込み、プルトニウム239に変わり燃料となります。高速増殖炉は、高速中性子をそのまま利用するもので減速材は使用しません。冷却材には中性子を減速・吸収しにくいナトリウムを使用し、原子炉で発生した熱で水を蒸気に変えタービンを回して発電します(電気事業連合会のサイトより)
④ 核融合炉
核融合反応とは、太陽のエネルギーの源であり水素爆弾のエネルギーの源です。これまでの原子炉や原子爆弾のエネルギーがウラニウムやプルトニウムという原子量の大きな原子核が分裂する時の質量欠損がエネルギーに変る(発生エネルギー=質量欠損 x 光の速度の2乗)のに対し、核融合反応は水素やヘリウムといった原子量の小さな原子核が融合する時の質量欠損がエネルギーに変る反応です取り出せるエネルギーが膨大であることと併せ、核融合反応は核分裂反応と違って燃料不足になると核反応が止まるため比較的制御しやすいと言われています。また、反応により設備の一部が低レベルの放射性物質に変わるものの、敷地内などで数十年保管すれば放射能レベルが低下し原子炉材料として再利用できなど、有害な核廃棄物が非常に少ないという事が「夢のエネルギー」と言われる所以です核融合反応を起こさせるには、1億度以上の高温で原子核同士がぶつかり合うプラズマ状態にしなければなりません。このプラズマを炉の中に閉じ込めるには極めて強力な磁場が必要です。従って、核融合炉の開発には膨大な費用と長期間の取り組み、人類の英知の結集が必要なため国際協調のもとで開発が進められています。この炉の大きさをイメージするには、下の画像右下の「人の大きさ」と比較してみて下さい
今後、日本は前述の通り急速に水素社会に移行することは間違いないと思いますが、再生エネルギーによる自前のグリーン水素を我が国で製造することには限界があり、海外からのブルー水素、グリーン水素を調達することになり、福島原子力事故以降続いているエネルギーの海外依存状態からは抜け出せません。悲惨な先の大戦が、米国による石油禁輸がきっかけの一つとなったことを考えれば、子供や孫の時代までこのエネルギーの過度な海外依存は続けるべきではなく、出来る限り早期にエネルギー自給に向けて政策の舵を切らなければならないと私は考えています 参考;
① JERA・火力発電9基廃止_老朽化で採算合わず
② 三菱重工・原発を十数分で出力制御
原発反対している方々の顰蹙を買うことを承知の上で、近い将来の水素化社会に向けて、原発に関わる政策は以下のシナリオで進むことが現実的であると思います; ① 新規制基準に合格している原発の運転再開 ② 建設中の原発の工事再開、及び新規制基準による検査が終了していない原発の検査を急ぎ、合格した原発から順次運転を再開する ③ 新しい「小型原発」の導入 ⇒ 古い原発から順に廃炉させる ④ 高温ガス炉の建設 ⇒ グリーン水素の大量生産 ⑤ 高速増殖炉の建設 ⇒ 使用済み燃料からのプルトニウム製造 ⇒ 自前のMOX燃料の生産拡大(⇔原発燃料の国産化;核廃棄物の削減) ⑥ 核融合炉の建設(恐らく従来の核分裂型の原子炉は核融合炉に切り替わっていくと思われますが、早くて孫の存命中に実現するかどうか、、、)